8月26日 てのひらに 1180号 8月11日は今年制定された国民の祝日「山の日」でした。私は休日ながら も工事の関係者とお話をしたり、調整したりするため出勤しました。そして少 し時間が空いたときに、 「山の日」という言葉から、ふと昔を思い出して「ての ひらに1162号・1163号」と、2ページにわたる文章を書きました。そ れは私の脳裏に残る懐かしい思い出でした。どんなことでも楽しかったことよ り、困難にぶつかった時の方が記憶に残るようで、まずはTさんとの「準遭難 事件」を、そして地図を頼りにして渓を間違え、再度チャレンジした出来事を 書きました。書く内容を選んだわけではなく、思いついたまま書いたのです。 その時はこの内容が私にとって「山」に関する一番の大きな出来事だと思って いたのでしょう。けれどもこの文章を書いた後、さらに思い出したことがあり ました。それは遭難よりもさらに強く私の記憶に焼き付く出来事でした。なぜ あの時、あの出来事が1番に思い浮かばなかったのでしょうか。今考えれば、 私の渓流デビューの日のあの出来事が1番強く心に残ります。今だから笑い話 にできるのです。 私が渓流を歩くようになったのは30歳を過ぎてからです。2校目の勤務が 美杉町(当時は美杉村)になり、保護者のNさんが大の渓流好きだったため、 案内していただいたのが始まりです。厳密にはその少し前から美杉村内でアマ ゴを釣って遊ぶようになっていたのですが、渓流を歩くと言うよりもただ渓流 に竿を差していただけのようなものでした。当時この小学校の児童数は約60 名でした。アットホームな雰囲気で保護者ともソフトボールチームや歴史の会 等、さまざまな形でお付き合いをしていました。Nさんは手先が器用で、自宅 にいる時でもカヤの木で【たも】を作ったり、竹を編んで【びく】を作ったり と、意識は1日中渓流の中にいるような方でした。そのNさんが「連れていっ てあげよう」と私を誘ってくださったのは、美杉村内の渓流でアマゴを釣る私 に、自然に対する愛情や畏敬の念を育ててあげたいという気持ちからだったの ではないかと思います。 行き先は高さ60mの滝をもつ深い渓流です(これは出発後に知りました)。 ほとんど竿を出すこともなく、Nさんは渓を登っていきます。私はひたすらN さんの後をついて行きます。滝が現れました。滝壺から見上げた後、その滝を 脇から登り始めました。ようやく登り切った60mの滝の横に1本の太い木が 横たわっていました。この木を平均台のように進むと滝の上に出ることができ ます。Nさんは7~8mもある木の上を軽業師のようにスイスイと歩き、滝の 上に出て私を手招きしました。私はうろたえました。私はNさんと比べるとか なり重い体重です。もし木が折れたら、私は60m下まで落ちてしまいます。 木が折れなくてもバランスを失えばおしまいです。けれどもこの木を通らなけ れば、さらに高い所まで山を登り、滝の上に降りてこなければなりません。し かしそんなことをすればNさんは私を見限ってしまうでしょう。覚悟を決めた 私は下を見ないようにしながら木の上を歩きました。そしてあと1mで滝の上 に着くという時、木が折れたのです。私は絶叫しました。 ― つづく ―
© Copyright 2024 Paperzz