5月号 - 慶應義塾大学医学部三四会 医学部同窓会

年熊本地震
致しました。 日
時に い、医療機関での精査を
醐味を享受しました。
自分の子供の世代である 対する好奇心でも若者に
質問3:あなたの
考える理想の医師像
慶應義塾には腫瘍免疫 学生と接することを楽し 負けないよう頑張りたい
や再生医療の専門家、そ みにしています。医学に と思います。
病院執行部にお見送り頂 要すると考えた症例につ
き、慶應病院DMATは いては紹介状を作成し、
を書いて下さい。
された救急部へ1期生と を救急・集中治療の臨床 回 生 は 1 1 4 名 で あ っ
理系科目の回答が目立っ
回 答 も 多 く 「 J ︱ P O った。また「患者さんが
今年2月に腰を痛めて
慶應病院に入院し、自分
ように感じられる。また 者の視点を持つことを最 自分の歩んだ道と重ねて
例年通り「音楽」という 重要と考える回答が多か 残したい。
私は1987年に荻窪
ており、論理的に物を考 医 師 」
「 患 者 さ ん に 感 謝 今回、自分が末期患者と
える力のある学生が多い される医師」といった患 なって見た医療の課題を
が多いという結果になっ く患者さんに寄り添える 時代の流れを痛感した。
た。昨年度も「物理学」 場 に 立 て る 医 師 」
「 優 し 壊され新生する姿を見て
回 答 :「 患 者 さ ん の 立 たちが学んできた施設が
して多くの産業界の方が
抱負の2つ目は教育で
4月1日を以って慶應
して入局し、研修医修了 現場で実現あるいは応用 た。若さあふれる新入生
医学部へ入学した101
県のDMATに熊本県か ないか、体調不良を訴え ら賜りました迅速かつ多 た。ナショナルセンター
生した地震(本震)を受 た。幸い急いで医療機関 場をお借りして、厚く御 し よ う と い う 視 点 以 上
従事して参りました。済 の立場で、これまで行っ 生 ア ン ケ ー ト 」 を 行 っ
て救急医学・救急医療に する
"physician scientist"べく、毎年恒例の「新入
け、中国・四国・近畿ブ へ搬送しなければならな 礼申し上げます。今後も に、国策的観点から日本
P」や「クラシック」な 何 で も 話 せ る 医 師 」
「 コ 病院に小児科医として派
遣され、初めて血友病患
どの具体的なジャンルを ミュニケーションを大事
者に遭遇した。当時は約
上 げ た 学 生 も 散 見 さ れ にする医師」
「安心感の
300名の血友病患者が
た。さらに、高校までの ある医師」といった、患
おり、2年後に120名
教科ではない学問領域を 者との信頼関係を重視す
以上のHIV感染者を含
挙げた者もいた。
「 経 済 る回答も多かった。さら
む医療を一人で背負うこ
学」
「 宇 宙 ・ 天 文 学 」 が に今年は「日々努力でき
とになった。当時、エイ
9名ずつ、
「スポーツ科 る医師」
「常に学ぶ姿勢
ズは死の病気で、殆どの
学」
「 心 理 学 」 が 4 名 ず を忘れない医師」といっ
医師がHIV診療を拒絶
つ、
「社会学」
「農学」が た自己研鑽を欠かさない
したため、新生児から高
1名ずつであった。幅広 医師像を挙げている回答
齢者までの診療を担当し
い分野に興味を持ち、豊 が 目 立 っ た 他 、
「ブラッ
た。誰もがエイズ診療の
かな教養を持つことは、 ク ジ ャ ッ ク 」
「南方仁」
経験はなく治療法もなく
非常に重要な事である。 「ドクターX」などのキ
困り果て、私はHIV診
学生の間に多くの事を学 ャラクターを挙げる者も
療に取り組む関係者に呼
び取ろうとする意欲が感 散見され、一人一人が多
びかけ、東京HIV診療
じられた。その他「国際 様な医師像を思い描いて ネ ッ ト ワ ー ク を 形 成 し
/外交」
「 宗 教 」 と い っ いることがうかがえた。 た。そこには、医師の他
自身の将来を真剣に考 に、看護師、MSW、カ
生会神奈川県病院および て参りました侵襲病態下 た。アンケートの内容は た事柄を挙げた学生もお
栃木県済生会宇都宮病院 の生体反応機構の解析等 「家族・親戚の医師の有 り、グローバル化が加速 え、理想とする医師像に ウンセラー、薬剤師、基
平成 年4月1日付け における専任救急医によ を発展させ、さらに細胞 無」
、
「医学以外に興味の する世界情勢に目を向け 近づくべく友人たちと切 礎医学者だけでなく、厚
待機命令が下りました。 た。 日は済生会横浜市 邁進する所存でございま 学ぶことが多いので、皆 で、救急医学教授を拝命 る診療体制の構築、東北 技術の熱傷治療への応用 ある分野」
、
「理想の医師 ようという意識の高さが 磋琢磨し、多くの経験を 生省や東京都などからも
同日中に出動準備を済ま 東部病院DMATと共に す。最後に、被災地の1 さんには一度は国の組織 致しました。これまで格 大学大学院(外科病態学 など再生医療技術の導入 像」の3項目である。全 うかがえる。その一方で 重 ね て 豊 か な 学 生 生 活 参加し、本音でHIV診
属する関東ブロックにも 処 方 等 を 適 宜 行 い ま し 療体制の整備充実のため ます。管理・事務面でも
動要請が入り、我々が所 たが、鎮痛薬や湿布薬の 應義塾大学病院の災害医 う視点が自然に身につき
ロックのDMATにも出 い方はおられませんでし 救急医学教室として、慶 の医療に貢献しようとい
16
学」
「生物学」 といった
出発致しました。羽田空 受診指示を致しました。
います。私の抱負の一つ
は、医師になるときから
港から民間機を利用して
胞治療に取り組み、基礎
福岡空港に到着し、そこ
また、避難所内で褥瘡発
輸血・細胞療法センター教授に
生がないかアセスメント
就任して
田野崎 隆二( 回)
の夢であった本格的な細
輸血・細胞療法センター教授
からは日本DMAT事務 する回診も行いました。
局の準備した大型バスに 診療を再開できていた近
と臨床の橋渡しをして治
トップの悪性新生物の治 る造血幹細胞移植に没頭 療 に 貢 献 す る こ と で あ
乗り換え、同日 時頃に 隣医療機関が多かったた
への派遣あるいは援助受 陸路で参集拠点である熊 め、大変心強く助かりま
このたび、国立がん研 療など新規手段を導入・ 細胞や免疫の持つ力の凄
学は免疫療法や遺伝子治 く様子を間近に経験し、 す。
ました。今後の癌の治療 るだけで劇的に治ってい 営そのものと考えていま
考え、癌の治療学を志し が、その造血組織を替え センター(KCPC)運
らかの貢献をしたい」と にいるリンパ腫患者さん 慶應細胞プロセッシング
あり、その中で自分も何 ん剤が無効で死の瀬戸際 フォースのひとつである
療は劇的に変わるはずで してきました。既に抗が り、これは本学のタスク
日から本格的な活動が 終え、鉄道在来線で約
年 熊 本 始まりました。被災地は 時間をかけ博多まで移動
この度のDMAT派遣
日本医師会や日本赤十字 においては、余震が続く
避難者の方々に直接声を 還 す る こ と が で き ま し こも狭いことでした。一
佐々木 淳一( 回)
ら 出 動 要 請 が 入 り ま し ていないか等)の有無を 大なご支援の結果である にいると、自施設や慶應
後 年間に亘り、一貫し 可能であることを目標と たちの意気込みを調査す
救急医学教授
た。続いて 日未明に発 ア セ ス メ ン ト 致 し ま し と考えております。この 義塾という一団体に貢献
震)発生を受け、九州各 性(常用薬が不足してい をはじめ、多くの方々か 厚 み を 改 め て 感 じ ま し
救急医学教授を拝命して
として与えられたミッシ に戻ってまいりました。 がれ、プロトタイプであ 哀楽を共有し、医者の醍 なかったので、ちょうど
現地でレンタカーを借 ョンを成し遂げ、隊員5 戻ってきた第一印象は、
應 義 塾 救 援 医 療 団 派 遣 ATを派遣致しましたの り、 日は熊本市北区の 名全員が怪我や体調不良 当時の建物が多く残って
太平洋沖地震に対する慶 剤部)の総勢5名のDM
この度の「平成 年熊 されており、日本DMA 現場および被災地域にい は、平成 年の東北地方 整員として磯上一成(薬 ズでありました。
法子・廣田和人、業務調 を引き継いでいくフェー MAT派遣チームの一つ ら、 年ぶりに慶應義塾 え、特に細胞治療にあこ り、また患者さんと喜怒 学生教育に接することが
相 当 )、 看 護 部 か ら 山 崎 社のチームへ医療ニーズ 被災地において、日本D 究 セ ン タ ー 中 央 病 院 か 駆使する必要があると考 さ を ま ざ ま ざ と 思 い 知 す。これまで私はあまり
ダーに清水千華子(救
沢崇行(救 回)をリー 性期〜慢性期を担当する
塾大学病院が被災地に渋 ぼ収束しつつあり、亜急 へ帰還致しました。
地震」において、慶應義 急性期の医療ニーズはほ し、 日午前に慶應病院
今 回 、「 平 成
備を進めて参りました。
け入れに向けて訓練・準 本赤十字病院に到着、翌 した。丸二日間の活動を
64
て 厚 く 御 礼 申 し 上 げ ま 命救急センター新規開設 法の確立を目指したいと
て産・学・公(自治体) 育を統轄し、相川直樹教 医 療 は 不 可 欠 な も の で が 名と、ちょうど半々
回)
、 堀 進 悟 教 授 す。さらに、東京オリン に分かれた。同様の質問
います。
名、一昨々年
名であったことか
多職種連携のチーム医療 可 能 性 が 高 い と い え よ
今日、救急医学の専門 実践の場であると共に、 う。この傾向を明確にす
なお、
「いる」 と回答
「父親」
、 次 い で「 叔
に興味のある分野が
った。
い。
期待される。
血液科・小児科
(荻窪病院 理事長
花房秀次
回)
應医学のさらなる発展が
医療を実現できれば、慶
政とも連携し、真の包括
極的に臨床に参加して行
病理などの基礎医学が積
た。免疫・遺伝子検査や
多いのに連携不足を感じ
き、各科に優秀な医師が
れながら慶應を見たと
し、多くの友人に支えら
今、私自身が死を受容
院に登録されている。
のうち800名以上が当
血友病患者約5900名
医療も進歩し、我が国の
中に紹介された。血友病
助医療も実現でき、世界
とHIV感染者の生殖補
應微生物や産婦人科など
感染者を救命できた。慶
効果も実証され、多くの
れ、内服による感染予防
後、次々と新薬が開発さ
提供を協議した。 その
省とも抗HIV剤の無償
きるようになった。大蔵
後速やかに新薬を使用で
を協議し、FDAの承認
と何度も治験制度の変更
の戦いであった。厚生省
しかし、治療は時間と
(5年 中村健吾) 開発された。
に初めて有効な治療薬が
ル」
「 ア ニ メ 」 な ど が あ 入 学 を 心 よ り 歓 迎 し た る絶望の中、1996年
「料理」
「 ミ ュ ー ジ カ が楽しみな101回生の り合いながら次々と看取
部を紹介すると「俳句」 思う。我々在校生は将来 た。患者と死の受容を語
せ、いつでも出動可能な 益城町の避難所内に設置 日も早い復興を祈念致し に出て能力を活かしてい 別のご指導とご厚情を賜 講座救急医学分野)にお 等により、臨床研究中核 体を集計した結果をここ 個性的な回答も多く、一 を過ごしてもらいたいと 療 体 制 の 構 築 を 検 討 し
日 時に東京都の 担当致しました。主訴は T派遣の報告とさせて頂 します。
状 態 を 整 え て お り ま し された救護所での診療を まして、この度のDMA ただくことを強くお勧め りましたこと、改めまし ける国立大学病院高度救 病院に相応しい新規治療 にまとめた。
た。
戚に医師はいますか
質問1:家族・親
?
医学部創立100周
・診療体制の構築、 阪神 考えております。
時に、
「 医 師 人 生 は た か 元年に卒業後、直ちに昭 本大震災における被災地 年、新病院棟竣工を間近
私は、塾医学部を平成 ・ 淡路大震災および東日
話しは変わりますが、 す。
だか 年、その間に死因 和 年塾大学病院に開設 医療支援など、これまで に控えた塾大学病院が急
救急医として多くの経験 性期医療を担い、医育機
名、
回答:今年は「いる」
パス殿町の中核機関とし イング研究センターを設 メント研究科、健康マネ のイノベーション実現へ 究開発プロジェクトであ 今後は、救急医学教室・ な初期対応ができる医師 と 回 答 し た 者 が
ーイングリサーチキャン な組織であるウェルビー システムデザインマネジ によるヘルスケア分野で きわめて独創性の高い研 を積ませて頂きました。 関として緊急事態に適確
上、速やかに派遣を決断 い て は 慎 重 に 診 療 を 行
病 院 執 行 部 と も 協 議 の た外傷や内因性疾患につ す。
対して派遣要請が入り、 ものの、罹災後に発生し し く お 願 い 申 し 上 げ ま 私は医師の進路を決める
DMAT指定医療機関に 常用薬の不足が多かった きます。今後とも何卒宜
16
て、学部・研究科横断的 置、医学部、理工学部、 ジメント研究科等の協働 の取り組みを提案してい ることや、地域に根ざし 救急科の診療・研究・教 を育成するために、救急 「いない」と回答した者
る。
医学部関連では、整形 ・ 金(事業化を支える金 授(
外科学・中村雅也教授を 融)連携を具体化する構 ( 回)が築かれました ピック開催を控え、首都 に対し「いない」と回答
これからの発展が期待
学・谷川原祐介教授を中 のない基盤となっている るために必要不可欠なセ 視 し た
これまでご指導を賜り
取 り 組 み が 進 行 中 で あ れ地域情報ネットワーク ジネスではなくサービス す。
る。同地にあるナノ医療 基盤は、これからの医療 として塾大学病院さらに
開される東大、東工大の 割 を 担 う と 確 信 し て い 世界に冠たる質の高い医 院、関連病院会、三四会
あれば書いて下さ
研究センターにおいて展 の質の改善を先導する役 は社会に深く根付かせ、 ました塾医学部・大学病
各研究チームによる「分 る。その展開と活用へ向 療を提供することが、救 等の諸先生方のご教導と
い。
すよう、何卒宜しくお願
研究面では、その成果 い申し上げます。
エンスをコアに予防医療 らなるご支援をお願いす と考えております。
を実現する融合研究」も る次第である。
回 答 :「 物 理 学 」
「数
子設計技術とデータサイ け、三四会の皆さまのさ 急医学教室の使命である ご支援を引き続き賜りま
質問2:医学以外
トリクス人材育成」等の い。殿町を拠点に整備さ 部である救急医療を、ビ て 参 る 所 存 で ご ざ い ま った。
心とした「ファルマコメ ことを特に記しておきた ーフティー・ネットの一 材育成、部門運営を行っ 父」
「両親」
「祖父」であ
な人
professional
と人材育成」
、 臨 床 薬 剤 連携・信頼関係が揺るぎ す。安全な社会生活を守 重しながらも協調性を重 続柄で最も多かったのは
の質の改善に資する研究 する地域の医療機関との こ と が 求 め ら れ て い ま べく、個々の多様性を尊 る家族・親戚の本人との
と、その活用による医療 院・井田病院をはじめと ットワークが構築される で信頼される存在になる した者のうち、医師であ
イ ン グ 情 報 基 盤 の 構 築 ・ 病院と川崎市立川崎病 にふさわしい救急医療ネ 院のみならず、社会の中
療情報を含むウェルビー たって築いてきた医学部 る整備、すなわち先進国 上に、救急医が塾大学病 トを継続していきたい。
章教授を中心とした「医 が、ここでは、長年にわ における救急医療の更な もあります。これまで以 め、来年度も本アンケー
医療政策管理学・宮田裕 パスでの取り組みである 標榜科となる中で、社会 かつ機能的な連携の場で の 調 査 が 必 要 で あ る た
者コホート基盤の形成」
、 される殿町タウンキャン 性が認識され、救急科が 各専門診療科との横断的 るためにはより長い期間
た「百寿者および超高齢
新井康通講師を中心とし った。
百寿総合研究センター・ 200名の参加者が集ま 努力して参る所存でござ す。救急医療の現場は、 新入生が近年減っている
を構築する融合研究」
、 オフシンポジウムには約 実践と後進の育成に専心 の 責 務 は 重 大 で あ り ま ら、親族に医師のいない
日に開催されたキック 目指し、質の高い医療の も、救急医学教室として は
ス・再生医療による脊髄 注目を集めており、4月 救急医療の新たな展開を 害医療の充実を図る上で 一昨年は
中心とした「サイバニク 想などから本事業は高い 礎をもとに、救急医学・ 直下型地震を見据えた災 した者が、昨年は 名、
61
本地震」で被災されまし
11
見舞いを申し上げます。 派遣医療チーム)指定医 きる専門的トレーニング 後、平成 年8月に初め で、その活動内容をご報 避難所 箇所を巡回し、 に陥ることなく安全に帰 いること、人が多く、ど
亨( 回)
30
損傷の新ソリューション
65
T(
Disaster
Medicalち早く出動し、災害の超
: 災 害 急性期から医療を提供で
Assistance Team
21
平成
18
20
4月 日夜の地震(前 かけながら、医療の必要 た。これも、病院執行部 方、本学の医師の知性の
慶應義塾大学病院は東 療機関でもあります。D を 受 け た 医 療 チ ー ム で ての隊員5名が厚生労働 告させて頂きます。
武林
68
19
101回生114名に調査
57
17
京都災害拠点病院に指定 MATとは、災害・事故 す 。 慶 應 病 院 D M A T 省より認定され、実災害
衛生学公衆衛生学
日 、 新 川 進んでおり、今般のキャ よるプロジェクトの展開 に進め、イノベーション
25
47
54
神奈川県川崎市に新キャンパス開設
月
新入生アンケート結果から見る
「イマドキ医学生事情」とは
57
70
殿町タウンキャンパスプロジェクト
推進タスクフォース
本年
崎、鶴岡に続く第 の先 ンパス開設は、慶應義塾 が、殿町キャンパスでの 実現に必要なインタラク
これは、研究基盤の整 る事業であり、理化学研
端研究教育連携スクエア がこのエリアにさらなる 次の大きな一歩となる。 ションを促す場を創成す
として殿町タウンキャン 先端的研究・教育機能を
パスが開設され、同 日 もたらすものと期待され 備、融合研究の展開、事 究所を中核とした神戸拠
業化の促進、イノベーシ 点がすでに本採択されて
28
被災地支援に、
慶應義塾大学病院がDMATを派遣
19
〒160―8582
東京都新宿区信濃町35
電話
(3353)
1211 内線64996
会員については会費
に購読料が含まれる
発行人 武田 純三
毎月 1回20日発行
救急医学教授 佐々木 淳一( 回)
渋沢 崇行( 回)
28
所
行
発
助教
85
85
三四会医学部新聞編集室
すでに、2011年に ョン人材の育成を一体的 いる。義塾は、ウェルビ
には、清家篤塾長ならび ている。
に福田紀彦川崎市長によ
る連携協定の調印式が行 同地へ移転した実験動物
われた。殿町地区は羽田 中央研究所では、岡野栄
空港の多摩川対岸に位置 之医学部長の研究チーム
し、羽田との連絡道路が がコモンマーモセットの
2020年までに建設さ 開発と共に再生医療の共
れると、国際線ターミナ 同研究を進めているが、
ルから多摩川を渡ってわ 慶應義塾が川崎市と共に
ずか 分という利便性と 中核機関となり、東大、
国際性に富んだエリアに 東工大や神奈川県等の自
なることから注目を集め 治体、複数の企業と共に
ている。川崎市は同地を 提案し昨年度にフィージ
ライフサイエンス・環境 ビリティ採択となってい
分野を中心としたオープ るリサーチコンプレック
ンイノベーション拠点と ス 推 進 事 業 ( J S T )
位置づけており、研究機 「ウェルビーイングリサ
14
5
20
25
68
63
た全ての方々に心からお
20
68
85
23
3
羽田空港国際線ターミナルの対岸に位置する「殿町キングスカイフロント」は、ライフサイエンスや
環境分野のオープンイノベーション拠点。このエリア内に慶應の殿町キャンパスが開設。
益城町の避難所内に設置された診療所で
受診者への対応をするDMAT隊員
関や複数の企業の集積が ーチキャンパス殿町」に
59
三四会長
純三
武田
11
栄之
純三
医学部長
本評議員会は総会に代わるもので、(会則18
条)、本会の最高意思決定機関です。
評議員各位のご出席をお願いいたします。
なお、閉会後、情報交換会を開催します。
1
岡野
武田
三四会長
本年は初代本学部長北里柴三郎先生の85年
祭にあたり、医学部と三四会との共催によっ
て下記により北里記念式を執り行うことにな
りました。三四会の皆様方のご列席の程をお
願い申し上げます。
記
日 時 6月10日(金)午後1時
会 場 北里講堂
会則20条に則り、次のように開催します。
記
日時:平成28年6月11日(土)午後3時~5時
場所:2号館11階 大会議室
交代で現地入りした他の医療救護班隊員と共に
ワシントン大学セントルイスShapiro前医学部長
による基調講演(シンポジウム)
北里記念式の挙行について
平成28年度三四会評議員会開催のお知らせ
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28
第775号
定価1部20円
毎月20日発行
慶 應 義 塾 医 学 部 新 聞
(昭和26年4月18日第三種郵便物認可)
平成28年5月20日
(1)