資料 憲法と戦争(3) 憲法発布勅語 大日本帝国憲法

資料
憲法と戦争(3)
憲法発布勅語
朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣栄トシ朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ現在 及将来ノ臣民ニ対
シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス
朕カ現在及将来ノ臣民ハ 此ノ憲法ニ対シ永遠ニ従順ノ義務ヲ負フヘシ
御名御璽
明治二十二年二月十一日
大日本帝国憲法
第一条
大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第二条
皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
第三条
天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第四条
天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
第六条
第七条
第八条
天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス
天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス
天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於
テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
第十条
天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特
例ヲ掲ケタルモノハ各〃其ノ条項ニ依ル
第十一条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第十二条 天皇ハ陸海空軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム
第十三条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス
第十四条 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス
第二十条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス
第二十一条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ納税ノ義務ヲ有ス
第二十九条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス
第三十一条 本章ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ
第三十三条 帝国議会ハ貴族院衆議院ノ両院ヲ以テ成立ス
第三十四条 貴族院ハ貴族院令ノ定ムル所ニ依リ皇族華族及勅任セラレタル議員ヲ以テ組織ス
第五十五条 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
【コメント】大日本帝国憲法(以下明治憲法とする)は、
「憲法発布勅語」にあるように、わざわざ 1889 年
(明治 22 年)の紀元節の日をえらんで、天皇が「臣民」
(君主のけらい)に憲法を与えるという欽定憲法と
して発布された。その明治憲法は、
「憲法を国民の代表者のいる議会で審議せよ」という民衆の声をまったく
無視して、草案は一切公開されず、枢密院顧問官と国務大臣合わせてわずか 30 名が意見を述べる機会を与
えられただけで、秘密裏に作成された。大日本帝国は、現人神である「万世一系の天皇」が統治した(一条)
。
その天皇は「神聖にして侵すことのできない」ものとされ(二条)
、天皇制を批判したりこれに反対すること
は許されなかった。天皇は、国家の元首であり、統治権の総覧者であった(四条)
。天皇は、大臣や官吏の任
免(十条)
、軍隊の統帥権(十一条)
、宣戦・講和・条約締結の権限を握り(十三条)
、法律を裁可・公布・執行
し(六条)
、いざというときには勅令という名の法律を出すことができた(八条)
。明治憲法の全 76 条には天
皇主権が貫かれていた。こうして絶対的で専制的な天皇制という国家機構がつくられた。
議会は貴族院と衆議院の二院制をとった。貴族院は皇族と華族のほか、天皇がきめた議員で構成された。
衆議院は、国民から選挙される議員で組織されるが、選挙権は国税を 15 円以上納める満 25 歳以上の男子に
限られていた。したがって有権者は 45 万人で、わずかに当時の人口の約 1.1%に過ぎなかった。女性には
いっさい選挙権、被選挙権を与えられなかった。
国民は天皇に統治される「臣民」とされた。
「臣民」の権利や自由もいちおう認められていたが、それら
はすべて「法律の範囲内」として(二十九条)
、きわめて狭く限られた人権に過ぎなかった。
【R】