Taro-ヨハネ 闇は光の中に輝いて

2016/12/18
礼拝
ヨハネ1:1-18
闇は光に打ち勝たなかった。
~闇の中で輝く光。あなたの救い主イエス・キリスト~
寒くなってきました。皆さまお元気ですか。
家族で話をしていたのですが、私たちはクリスマスを冬迎えます。こんな話でした。
「寒いけれど、冬でよかった。」「どうして?」聞くと、「南半球だったら、夏。夏のクリ
スマスって、何かピンとこないから。」
はホワイトクリスマス、
そうかもしれないなあと思いました。北海道で
ことしのクリスマスは 12 月 25 日(日)、凛として寒さを感じる
中、神様がよくしてくださったことを何一つ忘れるな。と聖書にありますように、神様へ
の感謝を数えていきましょう。
昨日は岸兄姉の結婚式が行われました。皆さまのお祈りとご愛、ご協力を感謝申し上げ
ます。式で蔦田聡毅先生から、「主がよくして下さったことを何一つ忘れるず、神様が必
ず主を信じる二人に善きことをして下さることを信じて二人で前を向いて進んで行って下
さい。」という幸いなメッセージが語られました。
皆さん、沢山の感謝が私たちの周りには満ちています。その一つが主イエス様の誕生で
しょう。
主イエス様はまことの光としてこの世に来て下さった方です。今日は「闇は光に打ち勝
たなかった」と題して語ります。
〇
3つのことを語ります。
1,主イエス様は創造者です
2,主イエス様はまことの光、いのちです。
3,主イエス様を信じる時に素晴らしい事がおこります。
1,主イエス様は創造者です。
はじめに言葉があった、ことばは神とともにあった。ことばは神であった。1 節
はじめというのは永遠のはじめのことです。
この「ことば」は一体だれのことでしょうか。14節を見てみましょう。
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。イエス・キリストのことです。
この方は創造者です。創造者っていうと、英語ですと Creator
字です。小文字のの creator
は
です。この C は大文
芸術家、創作家のことです。同じクリエターでも大文字
と小文字とは全然意味が違います。
整理しますね.永遠のはじめから「ことば」なる方がいらっしゃって、その方は神様
です。そしてこの方は父なる神様と一緒におられ、この方が天地万物を創造されたのです。
すごいことだと思いませんか。私たちが山を見る時、海を見る時、空を見る時に、そ
こに創造された神様がおられるとうことを知るのです。そして天地万物を創造されたのが
私たちの主イエス様です。
-1-
皆さんが座っているベンチ、とても落ち着くベンチですよね。
腕利きの職人さんが作ってくださっています。今とても座りごこちのよいクッション
がありますが、それを外して触接木の椅子に座ってみると意外なことがわかります。真っ
平らでは無いんです。座るところには微妙な曲線で作られていることに気づきます。礼拝
が終わったら、今度ベンチのクッションをちょっと外して座ってみて下さい。匠の腕の素
晴らしさを感じることでしょう。
椅子を設計した人、その設計図通りに作った匠がいた事を感じると思います。
私たちは、外を歩くときに、そこに咲いている野の花に、空を飛ぶ鳥に、青空の美しさ
に、そこに素晴らしい匠である神様がおられることを感じる事でしょう。
この世界は素晴らしい匠である神様が創造、造られたのです。
主イエス様なのです。ひとり子、救い主、子なる神とも呼ばれます。
天地万物を造られた神様は私たち一人ひとりも創造してくださったのです。
天地万物を目的をもって造られた神様は、皆さん、一人ひとりも、目的をもって造って
下さっています。
三浦綾子さんは、「できぞこ無いなどひとりもいない。なぜなら、神様はできぞこない
等お造りなるほど,愚かではないから」と仰っていますが、その通りだと思います。
神様は一人ひとり,目的を持って造られたのです。
皆さん、一人ひとり、神様に愛され、生命が与えられ、創造されたのです。そして一人
一人は愛されるために生まれたのです。
主イエス様は、私たちが知らなくても、あなたを愛し、創造してくださった。人生の目
的をもって造られたのです。
旧約聖書のイザヤ書43:7にはこう書かれています。
わたしの名で呼ばれるすべての者は、
わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、
これを形造り、これを造った。
私たちは神様の栄光をあらわすために造られているのです。
そう、まことの神様は創造主、造り主です、天地万物を計り知れない知恵をもって創造
され、その創造主で神の御子である主イエス様は、あなたを愛され、目的をもって造られ
たのです。
2,主イエス様はまことの光、いのちです。
こうして会堂には二つのクリスマスツリーが飾られています。
もう一つは、第一次会堂でも使われていたツリー、そのツリーに恵子さんの結婚式に
向けて子ども達が造ったデコレーションも加えられたツリーです。
丸いデコレーションがあるでしょ。
これは小さな風船を子ども達が造って、その上からグルーガンというもので、温め液
体状になったブラスチックを何度も重ねて作ったすてきなデコレーションです。
白い、ハートには
平和、愛、希望
の英語
-2-
Peace,Love,Hope
平和、愛、希望と書
いてあります。
日が暮れ、暗くなってくると、この会堂も静かに暗くなってきます、二つのクリスマ
スツリーと中央の十字架に光が灯ります。
暗い会堂を淡く、素敵な光で照らします。道行くひとは、その光をご覧になるのです。
暗いからこそ、光の輝きは増すものです。
創造者なる神の一人子のことを聖書はなんといっているでしょうか。
4-5
人の子はいのちがあった。このいのちは人の光であった。
いのちであり、人の光
と書いてあります。
わたしたちのこころは自分で見ることはできませんが、その心は光が必要なのです。
まことの光がくるまで、何か借りの光でてらしています。
みなさん、長く停電になったとき、このようなろうそくがあったら、ろうそくに火を
ともすでしょう。真っ暗だったところに、光がともると、何かとても嬉しい気持ちになる
でしょう。「よかった、光がある、明るいね」やがて、再び電気が戻ると、部屋の照明が
再び光ります。すると、「よかった!」と言うでしょう。
それまで大切だったらろうそくをどうしますか。「ありがとう。ごくろうさま」そん
な気持ちでふっと、消すでしょう。
イエス様はまことの光です。それまで、私たちは仮のろうそくのようなもので過ごし
ています。それがいろいろな心の支えとなっている宗教であったりします。まことの光が
来た時には、それまでの役目を終え、まことの光を照らします。
皆さん、太陽の光が部屋に入ってくるとき、そこに小さなほこりが舞っているのを見
たことがあるでしょう。それが落ちるとほこりが部屋の角や隅にまたって行くようになり
ます。暗かったらそのたまった塵はわからないものですが、懐中電灯で照らすと、あれベ
ッドの奥にこんなごみがたまっていたのか!と分かって、おそうじするでしょう。そう、
ちょうどもうそろそろ大掃除の時です。
皆さん私たちも同様、心の中にはきずかずにいろいろなごみがたまっていくのですね。
それが愛のないことばであったり、しっとや、ねたみであったり、高ぶりであったりしま
す。
こころに光が入ると、ごみのような罪が見えてくるでしょう。
暗い光ではわからないのですが、まことの光が入ってくると、その罪を示すだけでは
なく、そのごみのような罪を取り除く方法も用意してくださっているのです。
それが主イエス様の十字架です。私たちには、心の中にある罪をどうすることもでき
ません。生き生きと生きたいのです。周りの人を愛したいのです。しかし罪があると、足
をひっぱって、愛したくても愛せない、優しくしたくてもできない。
3.11で被災してきた子供を小学校でいじめていたということが明るみにでました
が、あるコメンテーターが、親が噂をしていたことばを子供が聞いて、それを学校で被災
地から来たこどもに言っていたのではと、推測していましたが、一生懸命3.11のボラ
-3-
ンティア活動をしている親の子供だったら、きっと被災地から来た子供の「よき友」とな
っていたのではないでしょうか。
イエス様は人の目のごみをとろうとして、自分の目に梁が入っていることに気づかな
いのですか。とおっしゃいました。ということは、人間はとても弱く、偏見に左右され、
自分中心に考えやすいものだということです。
神様がわたしたちを愛してくださっているように、周りの人をあいすることができた
ら幸いです。いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝できる人生を歩めたら、
毎日が生きていてよかった。そんな生涯を送ることができるでしょう。
それをできなくしているのが、「罪」なのですね。その罪を解決するために、言い換
えるならば、私たちが罪の泥沼で苦しんでいるので、イエス様がこの世に来てくださり、
私たちの罪の身代わりに十字架にかかってくださったのです。ありがたいことですね。
塩狩峠
主人公
長野政雄
雪の北海道
路傍伝道をしている人
その方の家に招かれて、暖ををとった、「あなたは、あなたがイエス・キリストを十字架
につけたということが分かりますか。」と聞かれます。
「いいえ、だって先生、2000年も前のこと
私には関係ありません。」
「では、イエス様とあなたとは関係ありません。」
「僕は聖書も時々読んでいます。キリスト教に好意をもっています。」
「あなたがイエス・キリストを十字架につけたということが分かりますか」
そのことばが心に残って、自問をしていた。
やがて、盗みを働いてしまった,友人の公正のためにと一生懸命尽くすのですが、そ
の友人はとても迷惑していたことを知り、独りよがりの上目目線の自分、愛し方に気づく
のです。その友人のために,自分を犠牲にしてやっているという思いが罪深い傲慢さだと
いうことに気づき、罪の悔改めと、信仰告白をするのです。
イエス様は私たちのまことのいのちを与え、まことの光となって下さる方です。
3,主イエス様を信じる時にすばらしいことが起こります。
12節,
しかしこの方を受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々の為には、
神のこどもとされる特権をお与えになった。
この方というのはイエス様のことです。受け入れるというのは、自分は罪人です、赦
してください、私を罪から救って下さいと,救い主イエス様を信じ,祈ることです。そのと
きに、どういうことが起こりますでしょうか。「神の子どもとされる特権をお与えになっ
た」神の子どもの特権とは何でしょうか。
・罪から赦され、罪を犯さないように日々神様から力が与えられる
・神様から平安が与えられます。
・神様が愛して下さっていることを知ることができます。
・神様に信頼して生きる事ができます・・・すべてのことを益に
・永遠のいのちが与えられ、天国が保証される。
〇
-4-
昨日は R 兄と K 姉の結婚式が行われました。
幸いな結婚式でした。式が終わってから再び今日のメッセージの備えをしているとき
に、「この方によって造られたもので、この方によらずにできたものは一つも無い。」3
節が心にとまっていました。
R 兄も K 姉もそれぞれ神様によって、素晴らしい目的を持って創造されたのです。
そして不思議な導きで結婚に導かれ、ご家庭を持たれました。
式の時に読まれた聖書の箇所は
行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたし
の名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。
ヨハネ15:16
まず神様がそれぞれ二人を不思議な導きで救いに導いてくださいました。
まだ二人が知り合う前に、それぞれのこころに、まことのいのちであり、まことの光で
あるイエス様が入って下さり、罪を赦し、永遠の生命を与えてくださいました。
そして神様は二人を結婚にと導いてくださいました。
それは、イエス様が下さる愛を周りの人たちに伝えるためです。
神様は二人を創造されたときから、素晴らしい御計画を与えてくださったのだと思い
巡らしていました。
素晴らしい事ですね。
お二人だけではなく、私たちにも神様素晴らしい御計画と祝福を与えてくださってい
ます。
私たちを永遠の滅びから救いに導いてくださいました。何か私たちが優れている
から,神様は私たちを救いに導いてくださったのでしょうか。いいえ。
ただただ、神様の恵みによって信仰によって救われたのです。
神様から、わたしはあなたを愛している、あなたの罪の為に十字架かかった。わたし
のあの十字架で,あなたの罪も赦されている。わたしを信じて欲しい。ぜひ。という招き
があったのです。その招きに応答した人は誰でも救われるのです。
〇
イエス様はわたしたちのいのち、まことのいのちとなってくださいました。
イエス様はこの世界にまことの光となってきてくださったのです。
私たちの心の状態を先ほど話しましたが、この世界において、罪の結果としてあちらこ
ちらに暗く、悲しいことがあります。また、自分に価値を認めることのできないで、悲し
みを感じている人がいます。愛する人を失って悲しみの中にいるひとがいます。様々な悲
しみがあります。その悲しみの暗闇に光が必要です。イエス様は私たちを世の光としてお
いてくださり、まことの光に指し示すことができるのです。幸いですね。
光は闇の中に輝いている。やみはこれ(光)に打ち勝たなかった。ヨハネ1:5
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