第30号平成21年7月

Vol.
30
2009/7
滋賀大学 広報誌 SHIGA UNIVERSITY Public information magazine
Anniversary
特集
創立 60 周年に
寄せて
CONTENTS
特 集 ● 創立60周年に寄せて
04
08
12
13
学長からのメッセージ
滋賀大学長 成瀬 龍夫
創立60周年を新たな飛躍の機会に
写真で見る滋賀大学 ̶新制大学発足から現在までー
創立60周年記念行事のご紹介
創立60周年に寄せて
第8代学長 尾上 久雄 第9代学長 加藤 幹太
第10代学長 宮本 憲一 教育学部同窓会長 神田 喜夫
経済学部陵水会 理事長 大森 修太郎 竜王町教育委員会 教育長 岡谷 ふさ子
経済学部第1期(1953年)卒業生 井上 輝重 教育学部准教授 奥田 援史
経済学部教授 神山 進
22
Report 活躍する学生たち
「環境学習支援士」会の活動
知り隊!教え隊!井伊直弼
26
28
29
方言から探ることばのしくみ
松丸 真大(教育学部准教授)
組織の枠を超えた管理会計研究
大浦 啓輔(経済学部准教授)
留学体験記
海外渡航によって獲得したもの
菊地 利奈(経済学部准教授)
Close up 滋賀大学の新しい動き
平成21年度に着工、竣工する施設整備工事
35
シャルマ・ムニク
(経済学部4回生)
海外研究報告
滋賀大学で開講する教育免許状更新講習
34
豊田 悟子(経済学部4回生)
今の研究を語る
夏季ヨーロッパ研修
30
滋賀大学「環境学習支援士」会(教育学部)
教育学部
施設管理課
クラブ・サークルInformation
陵水新聞会
経済学部
近江の散歩
伊香具神社の12本足の鳥居
谷田 博幸(教育学部教授)
特集
創立
Anniversary
周年に寄せて
滋賀大学は、昭和24年に新制大学として発足し、
今年60周年を迎えました。
この間地域における中核的拠点大学として、経済
界・教育界をはじめ各界に優れた人材を輩出し、研究
面でも多分野にわたって国内外で高い評価を受ける
業績を生み出し、さらには、地域・国際社会における
歴史・文化等の向上に貢献しているところです。
21世紀を迎え、これまでの実績と伝統に安住するこ
となく、新たな改革と発展を目指していきますので、
卒業生をはじめ関係者の皆様のご協力、ご支援をどう
ぞよろしくお願いいたします。
学 長 か ら の メ ッ セ ー ジ
創立60周年を
新たな飛躍の機会に
1949年の国立学校設置法によって新制国立大学が
「経済経営リスク専攻」を設置している。教育学部は、130
発足し、本学も旧制彦根高等商業学校と県師範学校を
年以上にわたる教員養成の歴史を有し、現職教員には
母体として誕生した。
このたび創立60周年を迎えること
再教育の機会を提供し、県内各地で活発に教育相談活動
ができたことを、多数の卒業生、歴代学長・事務局長を
を展開してきた。
また、全国に数少ない環境教育課程を
はじめとする教職員とともに大きな喜びとしたい。
設置し、国際的な環境教育の拠点を形成してきた。
最近のトピックスは、国立大学の中でも快挙といって
1
60年の歴史を通じて、本学は歴史と伝統のある国立
よいが、平成18年度に4種類のGPプログラムが採択
されたことである。
大学として教育と学術文化面で特色のある実績を積み、
社会に貢献してきた。そのことをまず誇りとしてよい。
この機会に、私なりにそれらに触れてみたい。
第1は、なんといっても優れた人材を育成し世に輩出
してきたことである。昭和26年度から平成20年度まで
の卒業生の数は、経済学部18,520名(男15,814名、
女2,706名)、教育学部12,367名(男5,787名、女6,580名)、
学部卒業生の合計30,887名である。大学院は経済学研
究科703名、教育学研究科883名、合計1,586名である。
経 済 学 部は、
「士 魂 商 才」
「グローバル・スペシャリ
❶ 特色GP
「びわ湖から学ぶ環境マインド
∼調査艇を利用した湖上体験学習∼」
❷ 現代GP
「知識創造型ユビキタスな学びプロジェクト
∼携帯電話対応コメントカードシステムを
活用した知識創造力の育成∼」
❸ 教員養成GP
「『実践力診断講座』による教員の資質向上
∼プレ講座からパーソナルロードマップの作成へ∼」
スト」の 教 育 理 念 のもとに卒 業 生 は 、全 国 有 名 企 業
(特に近江系企業、伊藤忠・丸紅・日本生命…)のほか
滋賀県下の主要企業(滋賀銀行、平和堂…)、県庁・市町
村で活躍してきた(付言するが、旧高商系で、総理大臣を
出した大学はここだけ)。また日本で初の博士後期課程
04
❹ 魅力ある大学院教育イニシアティブ
「リスクリサーチャー養成の教育プログラム
∼海外共同教育プログラムを中心に∼」
特 集
創立
Anniversary
周年に寄せて
滋賀大学長
成瀬 龍夫
第2は、
本学らしさを示すものとして近江商人研究の実績
2009年現在交流協定を締結している海外の大学は10か
がある。
これは昭和の初めから彦根高商の教授陣によって
国14大学で増加する傾向にある。本学が受け入れている
着手されている。近年では、近江商人の経営理念が「三方
留学生の数は2009年に209名に達しているが、
これは
良し」
(買い手良し、売り手良し、世間良し)
と解釈されて、
理工系の学部・大学院を有しない文系大学としては非常
企業の社会的責任(CSR)の視点から関心と評価を高めて
に多い数である。
いる。
また、附属史料館が近江商人、村落文書等を蒐集し
整理にかかわってきたことも注目して良い。県内市町村史
2
編纂(彦根市史、愛知川町史、秦荘町史、日野町史、大津
教育研究面の実績では本学は決して他の国立大学に
市史、五箇荘町史)にも多大な協力を行ってきた。
劣るものではないと考えている。
しかしながら、経営面を
第3に、教育学部にあっては、昭和20年代から附属
振り返ると、基本的な課題が未解決のまま推移してきた
湖沼実習施設による調査研究が成果を上げてきたが、
と感じざるをえない。
これまた琵琶湖に近接する滋賀大学ならではの実績
新制大学発足時に、滋賀大学は以下のように壮大な
である。他にも、近江盆地周辺山村の地理学・社会学的
将来構想を掲げた。
研究、近世近江農村史、農民運動史の研究、近江古代・
「彦根には、法経学部のほかに、県立短大を合併して
中世史研究、地場産業の研究(近江蚊帳・信楽焼)
、近江の
工学部、大津には学芸学部を充実して教育学部、学芸部
教育史、
さらに食文化の研究などに関する成果がある。
を拡充して文理学部を、長浜には医学部を、草津と滋賀
第4に、産学公の連携による地域経済の振興やまち
郡下坂本には農学部、彦根または醒井にその水産学科
づくりへの参画も近年盛んに取り組まれている。産業
をおく。それら各学部間の連絡のため、飛行艇のような
共同研究センターや環境総合研究センター、地域連携
湖 上 快 速 艇を備え、大 津 彦 根 間を3 0 分で結 ぶ 。その
センターなどによってMOT講座、環境・防災問題の調査
燃料には湖岸からとれる天然ガスを利用し、通信は超短
研究が積極的に展開され、県内9自治体と包括的な協力
波無線通話にする。
これが実現すると、
ビワ湖は学内の
協定を締結している。
泉水となり、世界的にも特色のある立派な大学となるで
第5に、活発な国際交流についても触れておきたい。
あろう」(「本学将来の構想について」大畑文七学長、昭和25年12月8日評議会)
05
学 長 か ら の メ ッ セ ー ジ
創立60周年を新たな飛躍の機会に
滋賀大学長 成瀬
龍夫
しかしながら、これらの構想はほとんど何一つ実現し
に個性的な理念を掲げるということはなかった。大学
なかった。
の学則には、大学の使命を定めた教育基本法の「教育
国立大学のなかで新制大学当初のEE大学(教育学部
の目的及び理念」の条文が引き写しにされているだけ
と経済学部の2学部構成)の姿を残しているのはもは
であった。要するに、本学は国立大学としての全国共通
や本学だけである。
とくに、キャンパス統合は新制大学
の使命、その一翼を担っているという意識だけがあって、
発足以来国策といってもよいほど全国各地で国から指導
個性的な魅力とか地域に根ざした大学の在り方とかは
と支援がなされてきたが、本学は彦根か大津かあるいは
ほとんど考えていなかったといって間違いないであろう。
別 の 土 地 か 、学 内 の 意 見 がまとまらず 実 現してこな
何もなかったかといえば、そうではなく、両学部に引き
かった。
とくに「両キャンパスでそれぞれ発展をめざす」
継がれてきた戦前からの歴史と伝統が大学の理念に
とした本学評議会の「47年(1972年)決定」は当時の
代替するものとして語られてきたといってよい。それさえ
文部省の厳しい批判を招くに至たり、本学が要望した
も、忘れ去られていて、彦根高商と戦後新制発足時の
第三学部構想が門前払いをくらうことがあった。
経済学部の教育方針であった「士魂商才」などは、平成
歴代学長によって、EE大学からの脱却をめざした理工
12年ごろに再発見されたものである。いずれにしても、
系 第 三 学 部 構 想(「情 報 科 学 部」や「社 会 工 学 部」)、
われわれの意識として
「個性的な魅力ある大学」のイメー
キャンパス統合の可能性、さらには近隣国立大学との
ジづくりが求められるようになったのは法人化前後から
統合問題が追求されてきたが、残念ながらいずれも実現
である。
しなかった。
こうしたことが、国立大学法人化後はいわば
したがって、
「個性的な魅力ある大学」への挑戦はまだ
負の遺産となって、本学の財政基盤の脆弱性、キャン
その歴史が浅い。最近、本学の「個性」
「カラー」
「売り」
パス分散によって集積の利益が働かない経営の不効
は何かと問われる機会が少なくないが、学長以下多く
率、さらには大学としてのアイデンティティを盛り上げ
の教職員は一口に即答できないのが辛いところである。
ていく上での困難さを生み出している。
ただし、
これは本学だけの悩みではなく、いまだ国立大学
以上のような問題を抱えながらも、他面ですでに述べ
の多くが抱える悩みといってよい。
たように学術面や社会貢献で実績を挙げるさまざまな
努力がなされてきた。経営面でも、大学運営の一体化
06
3
を強めるための体制整備が行われてきた。その1つと
滋賀大学は将来についてどのような展望を描くこと
して加藤幹太学長の時代に、それまで両キャンパスで
が出来るであろうか。
独立して挙行されていた入学式と卒業式の全学一本
その前に、この10年ほどを振り返ってわが国の高等
化がはかられた。
さらにまた、国立大学法人化前の平成
教育が制度的にも政策的にも急激に変化しつつあること
12年に策定された本学の理念「知の21世紀をきり拓く」
を知らなければならない。その1つ目は2004年4月の
が注目される。
これは、ある意味で画期的であった。なぜ
国立大学の法人化であり、2つ目は2005年1月の中央
なら、本学を含め国立大学の大半は新制発足以来、独自
教育審議会による『我が国の高等教育の将来像』答申
特 集
創立
Anniversary
周年に寄せて
であり、3つ目は2007年の教育基本法の改正である。
法人化といっても、国立大学が国立大学であることに
変わりはないが、大学の運営は各法人の自主性と自律
性にまかされ、6年間を一期間として教育・研究・業務
の全般にわたる計画を作成・実行し、国の評価を受ける
❶ 社会ニーズにマッチした個性的な国立大学として
社会に貢献する。
❷ 教育と研究の質の向上によって「教育力」も
「研究力」も国内上位の水準をめざす。
仕組みとなった。教育基本法の改正では、大学の目的
が 教 育・研 究・社 会 貢 献の3 点であることが 明 記され
た。中教審答申では大学の機能が7種類に分けられ、
大学は将来に向けいずれかの機能を選択する方向性
が打ち出された。
❸ 国の「留学生30万人計画」に対応し国際的な
交流教育の拠点づくりをすすめる。
❹ 快適な学び、研究、働きの場としての
滋賀大キャンパスづくりに取り組む。
本学の将来展望は、以上のような日本の高等教育の
制度・政策のもとできり拓いていかなければならない。
とくに、国立大学の「大学の機能別分化」は次期中期計画
❺ 本学の教育研究資源の「選択と集中」による
教育研究組織の再編を行う。
がその「転換期」
とされている。本学では、
「高度専門職業
人養成」
「幅広い職業人養成」
「特定の専門的分野(芸術、
教育研究組織の再編については、今後の社会的ニー
体育等)の教育・研究」
「社会貢献機能(地域貢献、産学官
ズと両学部の実情を踏まえながら、次のような方向性を
連携、国際交流等)」の4つの機能に照準を合わせ、おお
提起している。
むね下記のような考え方に立っている。
「滋賀大学は、地域に根ざした拠点とグローバルな
視野をあわせもつ知の拠点として、学士課程・大学院
を通じて、幅広い職業人の養成に力を入れるとともに、
❶ 社会のニーズを先取りし、かつ学生の就職などが
20年、30 年先にも安定した見通しが得られる
サステイナブルな人材養成の内容と性格を
有すること。
現代的な課題に対応できる高度な専門職業人の養成
をめざす。教育・研究領域では、大学の特性を生かした
多様な学術機能の充実をはかるとともに、その成果を
❷ 基本的に既存の学部資源の有効活用で
創設可能であること。
もって地域社会に貢献することを重視する。
これらの機能
に基づいて、研究・教育と社会貢献を通じて、国立大学
としての社会的使命を果たすとともに、本学固有の特色
❸ 既存学部と併せて各キャンパスの
「学士課程の再構築」に寄与するものであること。
を発揮して、オンリーワンの創成をめざす」
(滋賀大学の第2期中期計画「基本目標」素案)
本学の将来構想は、次期中期計画期間に入ると、現在
それらを念頭に、私は、以下のような提起を行い、全学
の検討段階からいよいよ策定段階へとステップアップ
への議論を呼びかけている。
する考えである。
07
写真で見る滋賀大学
− 新 制 大 学 発 足 から 現 在 まで −
2009年、滋賀大学は発足から60周年を迎えました。
これを記念して過去の写真を交えながら、発足から現在までを振り返ってみます。
1949(昭和24年)
学部構成 の推移
国立学校設置法(昭和24年法律第150号)の公布により、旧制滋賀師範学校、滋賀青年師範学校及び
彦根経済専門学校(前身は彦根高等商業学校)の3校を包括して、学芸学部、経済学部の2学部からなる
新制大学国立69校の1校として、本部を彦根市中島町に置き発足。
大畑初代学長は、
「新制大学の教育は、学術の考究のみならず、軽視されてきた全人格的教養と知性
とをみがき、わが国の平和にして民主的な国家の建設や、ひいては世界平和、人類の福祉達成に指導的
役割を果たすべき人物の育成にあること」
を強調。以後今日まで30,887名の学生が卒業しています。
1949(昭和24年)
学芸学部
4年課程:
小学校教員養成課程
中学校教員養成課程
2年課程:
小学校教員養成課程
中学校教員養成課程
(1957(昭和32年)募集停止)
経済学部
経済学科・経営学科
滋賀師範学校
大畑文七初代学長
正門
彦根経済専門学校
開学を祝い開催された音楽会
開学を祝うパレード
1951(昭和26年)
旧制滋賀師範学校、滋賀青年師範学校及び彦根経済専門学校が廃止。同時に学芸学部に
附属小学校、中学校を設置。1955年(昭和30年)附属幼稚園、1978年(昭和53年)には附属
養護学校が設置されました。
附属学校全景(東浦地区)
附属養護学校
附属学校
(東浦地区)
附属学校運動会
1953(昭和28年)
教育基本法第3条(教育の機会均等)の中の「能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学
困難な者に対しては、奨学の方法を講じなければならない」
という原則を実現する一環として、経済短期
大学部(経営科(第二部))
を併設。1996年(平成8年)3月の廃止までに、3,752名の卒業生を送り出しま
した。
08
第1回入学式
創立
特 集
Anniversary
周年に寄せて
1966(昭和41年)
「学芸学部」は「教育学部」
と改称。
昭和40年代は、学園紛争が全国の大学に波及、大学としてはこの対応に追われることとなりました。
1967(昭和42年)
また、新学部の創設問題や統合問題など、教育や研究体制のあり方とも深くかかわる諸問題が提起され
教育学部
小学校教員養成課程
中学校教員養成課程
養護学校教員養成課程
た時代でした。
経済学部
経済学科・経営学科
経済短期大学部
経営科
封鎖された正門
教育学部
(石山地区)
1973(昭和48年)
旧高商系国立大学では昭和30年代後半より修士課程設置の動きが高まり、本学においてもこの年、
大学院経済学研究科(経済学専攻、経営学専攻)が設置されました。
1975(昭和50年)
彦根地区の経済学部校舎と本部の改築は、運動場を八坂地区(現滋賀県立大学キャンパス)に移転
し、昭和50年度から同54年度にかけて進められ、現在のキャンパスとなりました。
1974(昭和49年)
教育学部
小学校教員養成課程
中学校教員養成課程
養護学校教員養成課程
幼稚園教員養成課程
経済学部
経済学科・経営学科・
管理科学科
経済短期大学部
経営学科
懐かしい木造校舎
研究棟
学生部
旧50mプール
全景
設備が進む彦根キャンパス
校舎棟
大学会館
1981(昭和56年)
教育学部の膳所校舎から現在の石山地区への移転改築は、昭和29年から昭和36年の長年にわたり
進められました。昭和56年度から昭和60年度にかけて石山地区校舎の整備が進められ、学内は広々と
したメインストリートをはさんだ「若者の広場」のようなキャンパスに変わりました。
本館棟
改築前の石山地区校舎
大・小合併講義室及び美術研究室棟
人文・社会・教育棟
自然科学棟
生物・地学研究室棟
絵画実習室
講義棟
09
写真で見る滋賀大学 − 新 制 大 学 発 足 か ら 現 在 ま で −
1990(平成2年)
1990(平成2年)
18歳人口が1992年をピークに減少し、今後小・中・高等学校の教員需要も減少することが予測され、
このため教育学部では教育職員免許状の取得を義務付けない、いわゆるゼロ免課程の情報科学課程
(教育情報コース、環境情報コース)
を設置しました。
経済学部にとって平成の10年間は、学部規模の拡大化の歴史であったといえます。急速に進む経済
社会の情報化・サービス化・ソフト化の展開に対応しながら、地域社会の要請にこたえるために情報管理
学科を設置しました。
1991(平成3年)
現職教員の再教育を重要な設置目的の一つとする大学院教育学研究科(学校教育専攻、障害児教育
教育学部
小学校教員養成課程
中学校教員養成課程
養護学校教員養成課程
幼稚園教員養成課程
情報科学課程
経済学部
経済学科・経営学科・
会計学科・情報管理学科
経済短期大学部
経営学科
専攻、教科教育専攻)が設置されました。2年後の平成5年には構想した3専攻12専修すべてが完成し
ました。
経済学部にはファイナンス学科が増設。
ファイナンス学科の新設は、全国的にも初めての試みであり、
大学関係者から産業界に至るまで大きな注目を浴びることとなりました。
1996(平成8年)
第二校舎棟竣工式
1993(平成5年)
経済短期大学部廃止
経済学部全学科及び併設の経済短期大学部を改組し、社会システ
ム学科を増設、経営学科、会計学科をそれぞれ、企業経営学科、会計
情報学科とし、6学科体制となりました。
1997(平成9年)
また、昼夜開講制の社会人コースが設
教育学部
学校教育教員養成課程
情報科学課程
けられ、入学定員は590名となり、国立大
学の中では最大規模の経済学部が誕生し
ました。
改組・新設記念講演会
1997(平成9年)
公開シンポジウム
教育学部の小学校教員養成課程、中学校教員養成課程、養護学校教員養成課程及び幼稚園教員養
成課程を一つに統合して、学校教育教員養成課程に改組。児童数の減少に対応するため、ゼロ免課程の
情報科学課程に新たに2コースを新設しました。
経済学部
経済学科
ファイナンス学科
企業経営学科
会計情報学科
情報管理学科
社会システム学科
2000(平成12年)
さらなる児童数の減少に対応するため、情報科学課程は情報教育課程に改組、全国の国立大学の中
教育学部
学校教育教員養成課程
情報教育課程
環境教育課程
でも数少ない環境教育課程を新設しました。
2001(平成13年)
2000(平成12年)
研究棟竣工式
経済学部
経済学科
ファイナンス学科
企業経営学科
会計情報学科
情報管理学科
社会システム学科
大学院経済学研究科にグローバル・ファ
イナンス専攻が増設され、大学院教育学
研究科学校教育専攻に環境教育専修及
び情報教育専修が設置されました。
この年、教育学部に研究棟が完成しま
した。
研究棟
中庭から研究棟を望む
2003(平成15年)
我が国で最初に社会科学系でリス
彦根キャンパスにおいて、オープンカフェ
「ラグーナ」がオープ
クを中心とした大学院の専攻として、
ン、2005年(平成17年)には、
大学院経済学研究科に博士後期課程
大津キャンパスに「ピーパ」が
経済経営リスク専攻が設置されまし
オープンし、学生や教職員の
た。平成18年3月には、4名の修了生
憩いの場として人気を集めて
に対して、記念すべき最初の学位が
います。
授与されました。
10
学位記授与式
カフェ ピーパ
特 集
創立
Anniversary
周年に寄せて
滋賀大学大津サテライトプラザを平和堂アル・プラザ大津店に
開設。2007年(平成19年)には、大学サテライト・プラザ彦根が
平和堂アル・プラザ彦根店に彦根市の3大学等と開設し、地域貢
献活動の拠点としても利用しています。
大学サテライト・
プラザ彦根
2004(平成16年)
国立大学法人法(平成15年法律第112号)の公布により、国立
大学法人滋賀大学が設置されました。
他大学、自治体、教育委員会、企業との相互協力、業務連携の
協定の締結も進み、現在では他大学等と8の協定、自治体、教育
委員会、企業等と22の協定を締結しています。
守山市教育委員会
との協定調印
東近江市との協定調印
彦根3大学連携
コミュニケ調印
2006(平成18年)
文部科学省競争的プログラムで、4つのGP(Good Practice:優れた改革計画の意味)
を獲得しました。
本学の国際活動を一層推進し、中心的役割
を果たすため、留学生センターを改組し、国際
センターを設置。現在では海外の17大学と交
流協定を結び、外国人留学生は200名を超え
ています。
国際センター設置
留学生との交歓会
2007(平成19年)
教育学部において、ISO14001の認証を取得。
「エゴからエコ
SIFE(Students In Free Enterprise)国内大会でSIFE滋賀大
へ」
をキャッチフレーズに、環境マインド・環境スキルを持った学
学チームが東大、一橋大学を破り優勝、ニューヨークで開催され
た世界大会に出場。結果は惜しくも予選敗退でしたが、学生にとっ
生の養成に取組んでいます。
ては、多くのことを学ぶよい機会となりました。
イメージキャラクター「アピュアくん」
環境学習支援士認定証授与式
SIFE国内大会
世界大会出場での1コマ
2008(平成20年)
環境総合研究センター「びわ湖・瀬田
平成18年から学生の通学の利便性
井伊直弼と開国150年祭タイアップ事
川オブザベトリ」が完成。琵琶湖を中心
の向上のため、彦根キャンパス・彦根駅
業『「弘道館」∼藩校から学ぶ∼』−藩校
とした科学・環境に関する教育研究が一
間に大学直行バスを運行していますが、
資料展とキャンパス・パビリオン・士魂
層推進されています。
この年から学生食堂からの廃食油を再
商才館−を開催、学生が考案したマスコ
利用し、精製したバイオディーゼル燃料
ットキャラクター「カモンちゃん」が誕生
で走るBDFバスを導入しました。
しました。
調査艇「清流Ⅲ世」
提案した学生のみなさん
マスコットキャラクター「カモンちゃん」
11
創立60周年記念行事のご紹介
本学は、昭和24年の新制大学発足から数えて60周年を迎えました。これを記念して様々な記念行事を企画
Anniversary
いたしましたので、既に実施済みの行事も含めまして、ご紹介いたします。
なお、詳細が未定の企画につきましては、決定次第本学ホームページ
http://www.shiga-u.ac.jp でお知らせいたします。
式典・講演会・企画事業
国際会議
日 時:平成20年11月14日(金)
∼16日(日)
会 場:滋賀大学経済学部講堂
内 容:国際会議
「二校間交流から多校間連携に向けて」
滋賀大学・ディーキン大学交流20周年記念式典
※キックオフ・イベントに位置づけています。
シンポジウム・セミナー
学部等企画事業
滋賀大学共催事業
経済学部附属史料館企画展
●「彦根近現代の歴史ドラマ
● 春季展示
日 時:平成21年4月27日(月)∼5月29日(金)
テーマ:地域の歴史と向き合う−史料館のしごと−
〔井伊直弼と開国150年祭(彦根市)主催事業〕
−シンポジウムと狂言の夕べ−」
日 時:平成21年6月13日(土)
16:00∼19:00
会 場:滋賀大学経済学部講堂
● 秋季展示
日 時:平成21年10月∼11月頃予定
●「彦根の伝統文化と国際交流
−シンポジウムと狂言のつどい−」
日 時:平成21年10月17日(土) 時間未定
会 場:滋賀大学経済学部講堂
●「彦根の地場産業と
地域ブランドを考える
−シンポジウムと狂言のつどい−」
朝日・大学パートナーズ
シンポジウム(APS)
日 時:平成21年5月30日(土)
13:00∼16:00
会 場:びわ湖ホール 中ホール
テーマ:近江商人に学ぶ
−危機に克つ「三方よし」−
日 時:平成21年11月8日(日) 時間未定
会 場:彦根商工会議所
滋賀大学教育フォーラム
日 時:平成21年9月∼平成22年3月予定
びわ湖環境ビジネスメッセ出展
及びセミナー
日 時:平成21年10月21日(水)∼23日(金)
会 場:滋賀県立長浜ドーム
記念講演会
〔井伊直弼と開国150年祭実行委員会後援事業〕
「彦根の近現代を切開いた地場産業」
●第1回
日 時:平成21年5月28日(木)16:00∼18:00
テーマ:彦根バルブ工業の挑戦 −歴史と現状−
講演者:廣瀬一輝氏
(廣瀬バルブ工業(株)代表取締役社長)
会 場:滋賀大学経済学部講堂
地域政策シンポジウム
「地域活性化プランナーの学び直し塾」
成果発表
日 時:平成22年2月下旬∼3月上旬予定
歴代学長・事務局長・
名誉教授を囲む会
日 時:平成21年5月31日(日) 10:00∼
会 場:滋賀大学経済学部講堂
彦根キャッスルホテル
学生企画事業
大学祭60周年記念イベントの開催
開学祭・大学祭60周年記念企画事業
●第2回
日 時:平成21年6月25日(木)16:00∼
テーマ:彦根仏壇の発展 −歴史と現状−
講演者:宮川孝昭氏((株)永楽屋代表取締役社長)
会 場:滋賀大学経済学部講堂
(来年2月までに全6回開催予定)
附属図書館教科書展
みんな来てくださいね!
日 時:平成21年8月1日(土)
∼7日(金)
10:00∼16:00(期間中の土・日含む)
会 場:滋賀大学附属図書館教育学部分館
滋賀大学健康セミナー
ホームカミングデーの実施
記念式典・記念講演会・祝賀会
日 時:平成21年9月12日(土)
● 記念式典 14:00∼15:00
● 記念講演会 15:10∼16:40
「大転換期の学問」
京都大学大学院 人間・環境学研究科教授
佐伯啓思氏
● 祝賀会 17:00∼19:00
会 場:彦根ビューホテル(旧彦根プリンスホテル)
12
教育学部芸術祭
環境総合研究センター主催
キャンパス整備
今号で紹介しています「滋賀大学の新しい動き」
(P32∼33)
をご覧ください。
「研究シンポジウム」
経済学部附属リスク研究センター主催
「研究シンポジウム」
特 集
創立
Anniversary
周年に寄せて
忘れられない日米学長会議の果実
第8代学長 尾上
久雄
忘れられないこととして言い残しておきたいのは、平成
植之原道行氏らが大いに語った。
ここで強調しておかね
6年10月17日から19日にかけて、琵琶湖畔で行われた
ばならないことは、大学本来の使命は学問の本質的追及
日米学長会議のことであり、
この会議でのテーマは「文明
であり
「産業界の影響のみに動かされるべきでない」
と
の進展における大学の役割」で、私はその運営幹事で
言う井村総長の見解に私も同意見である。
あった。
第二セッションは「持続可能な発展のための科学政策」
この会議の開催企画に口火を切った大学がミシガン
である。桜井奈良先端科学技術大学院大学長司会の下で、
州立大学と滋賀大学であったのは、日米それぞれの最大
トンプキンズ氏らが政府任命の委員会などで活躍する
の湖のほとりに位置して、環境問題に大きな刺激を受け、
状況を説明した。また岡市友利氏(香川大学長)が瀬戸
文明と科学技術のあり方に共通の問題意識を持っている
内海について、吉良龍夫氏(前滋賀県琵琶湖研究所所長)
ことに由来している。
が琵琶湖に関して科学者の協力活動を紹介した。
最初に話されたのは基調講演であって、司会はミシガン
北田幹夫氏(関西電力副社長)
も関西電力の環境問題
州立大学長のマクファーソン氏と私であった。講演は筑波
への取り組みを紹介した。
大学長の江崎玲於奈教授によって始められた。
第三セッション「日米学生交換の促進」の課題は岡田
教授は終わりの方でグッと調子を落として「してはい
慶夫氏(滋賀医大学長)によって司会された。日本で西田
けない」五か条を紹介した。第1番目は、今までのしがらみ
哲学を勉強したというウッド氏(アーラム大学長)つづいて
にとらわれない。第2番目は、大先生にのめりこんで自分
モーティマ氏(ハワイ大学長)、ハイネケ氏(ウエスタン・
を失ってはいけない。第3番目は、無用のものは捨てなく
ミシガン大学長)
らが報告した。これに続いて文部省の
てはいけない。第4番目は、闘うことを避けてはいけない。
井上明俊留学生課長が「日本からアメリカへの留学生が
第5番目は、初々しい感性を失ってはいけない。以上の5つ
圧倒的に多く、その逆方向は極めて少ない」
と述べたこと
は必要条件で、十分条件ではない。
これは長くて高い水準
は当然であるが、考えるべき問題を含んでいる。
の教授の研究態度から生まれたもので、簡単なことでは
以 上すべてを含めて日本の大 学は「アメリカを追 い
ない。
越す」
ぐらいの創造力を持つべきであるという西澤潤一氏
これに続 いて、ミシガン・テクノロジカル 大 学長カー
(東北大学総長)の言葉に賛意を表するほか無い。詳細
ティス・トンプキンズ教授が「大学指導者の直面する課題」
は『科学と大学の将来』江崎・尾上監修(京都大学学術
につ いて述 べ 、カルフォル ニア大 学ロサンジェルス校
出版会)を参照されたい。
クマー・パテル副学長が「21世紀における研究大学の
役割」について語った。
基調報告の最後で元東大総長有馬朗人氏が「もうす
でにアメリカと日本の高等教育はエリート教育ではなく、
大衆教育です。」
と言いきったのは興味深い。
第一セッションの「大学と産業との関係促進」という
問題では、
トール氏(メリーランド大学名誉総長)、金森
順 二 郎氏(阪大総長)などが報告し、井村裕夫氏(京大
総長)が司会した。それに日本電気株式会社を代表して
日米大学長シンポジウム
13
風雲急を告げる時代
第9代学長 加藤
幹太
滋賀大学が創立60周年を迎えることを心からお喜び申
どのものであり、新学部どころではなくなってしまった。
し上げる。
この大学が幾多の試練を乗り越えて、成瀬学長の
国立大学協会が反対し、始めは文部省も抵抗していた法
リーダーシップの下に更に発展して欲しいと願っている。ふ
人化の案は、徐々にその具体的な姿を現わしてきた。
これら
り返ってみると、私の在任中の1999年に滋賀大学創立50
が国立大学を今より活性化するものなのかと疑問に思って
周年の記念行事が盛大に行われたことを思い出す。新たに
いるうちに、次々と新しい政令が出始め、大学はその対応に
制定された新調の学旗の下で、多くのご来賓の出席を得て
追いまくられる事態になってきた。例えば外部の有識者の
記念式典と祝賀会を行うことができた。折しも20世紀の世
意見を聴くために運営諮問会議を組織する必要があった。
紀末であり、大学にとって風雲急を告げる時代が始まって
このメンバーの選考は苦心したが、依頼した人たちは多忙
いたが、
これを吹き飛ばすような活気に溢れていた。
な方ばかりであるにも拘らず、心よく引受けて下さったこと
私は、2001年の7月に2期6年間の学長職を終えることが
に感動した。
また外部評価とか教育改革とか自己点検とか
できたが、その後早くも8年が経過している。全く月日の過
法人化以前にスタートせねばならないことは多かった。
さら
ぎ去るのが早く感じられる。多忙な職から解放された喜び
に大学再編という波が始まり、私は滋賀医大との合併を進
で好きなことをしているうちに八十路を超えてしまった。
し
めていた。
これは双方の合意に近い所まで進んだが、のち
かし何とか元気に過ごしている。
に教育系大学の再編という難題によって挫折しているのが
私の6年間の学長時代を回顧すると、前半は新学部を創
惜しまれる。
設するために努力した時であり、後半は追って来る国立大
このような風雲急な折に私の任期は満了し、宮本学長に
学法人化の対処に追われた多忙の時であったと、
ごく単純
引きついだ。その後は宮本・成瀬のお二人の学長の下で、
化すれば言えるであろう。
国立大学法人としての道を着実に進めてこられたことを、外
滋賀大学に第三の理工系学部を新設する構想は、大学
部からひそかに応援していた次第である。
の多年の悲願であり、私の使命でもあった。多くの学外の専
楽しいこともあった。大学間交流協定を結んでいる外国
門家の人たちのご協力も得て、詳細な計画は社会工学部と
の3大学を歴訪したことは、深く心に残っている。
オーストラ
いう形にまとめあげ、
シンポジウムを開いたりして学内の空
リアのディーキン大学、
タイのチェンマイ大学(写真①)、そ
気を盛り上げた。対外的には文部省はもとより、当時大蔵大
れにアメリカのミシガン州立大学(写真②)
である。本当に
臣をしておられた武村氏にも説明とご支援を頼みに行っ
快く我々を迎えて下さったこれらの大学の人たちと、同行し
た。
このような学内外の反応に私はかなり良い感触を抱き、
て何かと世話をして下さった方々に深く感謝している。
大きい希望を持っていたのである。
しかし全く突如として国
6年間私を支えて下さった両学部の先生方と事務局長始め
の政策に大変革が起り、国立大学全体に強い逆風が吹き
事務局の方々には、
この紙面を借りて厚く御礼申し上げる。
始めた。
それは財政上・組織上から大学の基幹を揺がすほ
写真①
チェンマイ近くの山上で滋賀大生たちと
14
写真②
ミシガン州立大学にて学長と懇談
特 集
創立
Anniversary
周年に寄せて
法人化と統合の嵐の中で
第10代学長 宮本
憲一
滋賀大学の友人たちから学長候補の推薦を受けた時に、経済
当することになった。
これのメリットは、教員が研究に専念できる
学の名門校からの要請は光栄なことだが、
まったく内部の事情
はずであったが、実際の改革案では職務が増えることとなった。
がわからない。そこで関係者と会って、私ができることは何かを
法人化で、山のように協議事項や裁決すべき事項が増えたが、
そ
考えて、候補者としてのマニフェストを作った。滋賀大学は2つの
れと並んで、滋賀大学にとって、困難な課題が統合問題であった。
カレッジで構成されているが、自然科学の学部はなく、所在地が
大学としては、かねてから理科系の学部を持って総合化した
分裂して、総合大学とは言いがたい。歴代の学長は総合大学を
いと考えていたので、滋賀医大との統合についての協議は短時
目指したのであろうが、今のように財政危機の時代にはこれは
日に成立した。
ところが文科省は京都教育大学と京都工芸繊維
難しい。そこで私としては、
できれば第3学部を作りたいが、当面
大学との4大学の統合案を出した。
このため、滋賀医大との統合
は大学院大学を目指して、経済学部に博士課程を置く、琵琶湖
案は白紙に戻し、4大学案の協議が始まった。政府の考えは学術
の滋賀県として、地域と連関した環境の保全を発信できる環境
と高等教育の発展という熟慮した統合案でなく、浅はかな「規模
総合研究センターをつくる。
アジアの大学を中心に国際化を積
の利益」論で予算を節約できると考えたのであろう。幸いにして、
極的に進めるなどを目標とした。
これらはすでに学内の議論も集
この乱暴な統合案は実現しなかった。
しかしこのために執行部
約されていた。実は私個人としては、研究途上の仕事を抱えてい
をはじめ教職員がどれほど多くの時間を使い、精神的苦痛に耐
て、それを中断するに忍びない状況であった。そのことを推薦す
えたかを思うと責任者として、
まことに忸怩たるものがある。先日
る方たちに述べたところ、
「研究は続けてください。研究する学長
久しぶりに鹿児島大学田中弘充元学長と会い、文科省に一緒に
というキャッチフレーズで行きましょう」
という約束であった。
改革についての異議を申し立てていたが実現せず、予想どおり
いよいよ信託を受けて、6月末に加藤学長と引継ぎの席で、
に地方大学が危機に陥っているのをみるのはつらいという話を
「申し訳ないこと
かわした。法人化そ
になった。小 泉
のものは大学の自
首相の構造改革
治と自由を発 展さ
で文科大臣が突
せる可能性がある
如法人化と統合
が 、今 の 予 算 制 度
を急ぐ方針を国
や評価制度などの
立大学協会に提
欠陥が改善される
出した」
と告げら
ことを願わずにはお
れない。
れた。青天の霹
靂である。国 立
東北財経大学と滋賀大学の学術協定締結
東北財経大学于洋学長の本学における講義と表敬訪問
改革に追われて
いたが、幸いに経済
大学史上最大の
改革に直面することになった。
「研究する学長」
どころか、滋賀大
学部にリスク研究科ができて、
よい成果を出している。
これは経
学の存廃の危機を担う経営者に突如されてしまったのである。
済学研究科特に酒井泰弘教授の指導によるものである。念願の
それからの2年半に及ぶ嵐の中の状況は、簡単に言い尽くされ
環境総合研究センターが発足した。
これは教育学部の長年にわ
るものではない。私は、大学の自治、学問の自由というAcademic
たる環境教育の成果によっている。センターは国際シンポを行
Freedomを維持するという信念で、
この嵐に立ち向かったつもり
い、共同研究の成果が出版されている。湖沼・水系研究の権威で
だったが、政府の出す画一的な制度改革を覆すことにはならな
ある中村正久教授が就任し、今後国際的国内的な研究が期待
かった。20年前ならば、教員はもとより、学生も改革案の議論に
できる。念願だったアジアの大学との国際交流は、東北財経大
加わってくれるはずなのだが、全学集会を開いても反応が少な
学、韓国の啓明大学、大田大学、ハノイ教育大学、などが実現し
かった。私は、法人化で、政府の大学への干渉がなくなるのはよ
た。特に東北財経大学は、故于洋元学長の厚意で、両大学の学
いと思っていたが、実際の改革案はむしろ新しい統制が始まる
術・教育の交流が続けられている。
ものであった。特に予算措置の変更によって、政府からの交付金
滋賀大学は創立60周年をむかえ、多くの課題があるが、
これ
が、補助金と同じように政府の一存で、1%づつ減額され、研究費
までの豊かな高い研究水準を維持し、少人数の質の高い高等教
の配分が評価制度によって、差別的に配分されることとなった。
育という特色を活かし発展されることを願っている。
トップダウン方式で外部の管理者を入れた、理事会が経営を担
15
滋賀大学創立60周年に寄せて
∼大学一期生の思い出と教育学部同窓会の母校支援への願い∼
教育学部同窓会長 神田
滋賀大学創立60周年おめでとう存じます。
この記念広報誌に教
になったら青空の明るい山上に到達するであろう。…」
と述べてお
育学部同窓会を代表しまして、
ご祝辞を述べさせていただきます
られます。戦後間もないわが国の国立大学は新制度の実施が先行
ことを身に余る光栄と存じます。
し、設備や内容の充実が容易なもので無かったことを知ることが
昭和24年5月31日、当時の彦根経専、滋賀師範、滋賀青年師範
出来ます。学芸学部の数次にわたる移転計画が29年から順次実
の3校が合併昇格し、新制滋賀大学学芸学部、経済学部が生まれ
行に移されて、石山平津の地に現在のようなキャンパスがようやく
ました。学芸学部には教育部のみ置かれましたが、昭和41年に教
実現したのは昭和36年でした。最初に移転した地学、生物学教室
育学部と改名されました。第一期生の入学式は24年9月1日
(定員
の当時の学生達は完成の喜びもつかの間、水道ガス等の設備も
400名の充足率は39.7%)に挙行されています。私は滋賀師範学
遅れ荒れた通学路に、
まるで西部の開拓者そのままの苦労が続い
校を昭和23年に卒業、新教育実験学校に就職2年目で滋賀大学
たと綴られています(同窓会報第26号百年史)。
開学のニュースに胸躍らせ、翌25年4月、1期生2回生に編入学し
しかし急造木造校舎であったので、現在のようなキャンパスが
ましたが、所属した心理学研究室の同学年生は私ただ1人でした。
完成されたのは、再度鉄筋化の改築の終わった昭和60年頃でし
旧師範学校の寄宿舎を一部改造して作られた研究室で、実験器具
た。教育学部同窓会は、母校創立準備期から開学当初、移転新築
も殆どが旧師範時代のものだったので、迷路実験等の道具を自分
の時期、キャンパス完成の時期にいたるまでその発展充実を共に
で工夫して製作したことや、教員免許は既に持っていて自由時間
歩みながら、毎年母校後援費等で惜しまぬ支援を続けてまいりま
が多く、関連科目の数学や育児学、職業指導等も聴講、唯一の楽し
した。移転推進応援募金、学生自治会ボート部のボート3艇の購入
みが図書館(旧武道場改装)
で、当時としては珍しい海外の科学雑
資金募金、同窓会館建設募金、最近では独立行政法人化に伴い設
誌や、最新研究のアブストラクト誌が置かれていて、終日図書館で
けられた母校の「教育研究支援基金」事業への協力、学生自治会
写真①
昭和27年8月15日富士山頂にて
16
喜夫
時間をつぶしていたことも今
運動部の後援等、中でも同窓会館建設は教育学部同窓会百周年
は懐かしい思い出です。当時
記念事業として、昭和50年完成、大学職員会館として「清流荘」
と
はまだ専攻科も無く私のよう
命名し母校に寄贈され、同窓会活動の拠点ともなっております。
な学部編入学生はかなりいま
国立大学法人滋賀大学となって、教育学部の改革は目覚しく時
したが、その仲間と共にスポー
代の要請する有能な教員養成、現職教育、地域教育との連携に意
ツや旅行を楽しみました。4回
欲的に取り組まれていることは頼もしく嬉しい限りであります。特に
生の夏、8月15日その仲間と
JR大津駅前に滋賀大学大津サテライトプラザ(平和堂5F)の開設
富士登山に挑戦、頂上では絶
には同窓会も全面的に後援、大学の諸事業の会場や地域への情
好の晴天に恵まれ、お釜まわ
報発信の場として、地域に開かれた大学の拠点となる活動が続け
りをしたことも遠い夢となりま
られています。
これからも母校と同窓会のコラボレーションの場と
した。
(写真①)
この年、国家公
してサテライトプラザの機能が十分生かされ、活用していただきた
務員心理職の試験を受け合
いものです(写真②)。最後に世の中がいかに変わろうとも、滋賀
格することが出来、その後のわたしの人生の方向が決まって、大学
の教員養成の使命を持つ滋賀大学教育学部が、かつて日本の教
で学んだ喜びを噛みしめたものです。昭和28年3月彦根で学芸学
育を論ずるなら、
「近江教
部、経済学部合同の卒業式では、大畑文七初代学長から卒業証
育」か「信濃教育」かと2指
書、学位記を受け喜びも一入でありました。創立当時駅弁大学とま
にまで挙げられた近江の
で呼ばれた新制大学生でしたが、向学心とプライドだけは高く見
「師魂」を大切にしていただ
下げたものではなかったと自負しております。同時に私の脳裏をよ
き、その血脈を継がれ今後
ぎるのは明治の頃に建てられた古い校舎の風景であります。創設
益々充実発展されることを
時の大学当局は校舎の新築移転を最優先課題として取り組まれ
祈念し、同窓会もまた母校
ていました。同窓会報第5号(昭和29年)誌上に、同窓会顧問でも
の発展と課題を共有しなが
あった大畑学長は「茨の道」
と題する一文を特別寄稿され、当時の
らささやかながらも支援活
大学の苦労を「…新制大学の基礎を作り、総合計画の軌道にのせ
動が続けられることを願っ
ることは…容易なことではない。茨の野原に道を切り拓き、目的地
て、お祝いの言葉とさせて
への道しるべをたてるだけでも相当骨の折れる仕事であり…いつ
いただきます。
写真②
滋賀大学大津サテライトプラザ
特 集
創立
Anniversary
周年に寄せて
新制大学制度発足60年に
当たって
経済学部陵水会 理事長 大森
修太郎
今年は戦後施行された新制大学制度が60年を迎える
高商の学生であるという意識が顕著であったと思います。
ことになりました。人生で言うと還暦と言うことです。
この
一方、市民の意識も学生に対して尊敬の念を持って接し
ときに当たって大学の来し方将来への期待など考えてみ
ていたように思います。学生が若気の至りで羽目を外して
たいと思います。
も高商の学生さんやからと大目に見ていたところもあっ
我々のころは新制大学という呼び方はやや自虐的に言
たように思います。卒業していった学生も時にふれ学生時
えば旧制大学と比較されて軽く観られがちであったよう
代を思い出し、下宿を尋ねたり、手紙を出して近況を伝え
に感じています。今でも古い方は旧帝大系と対比して言
たり家族と同様のつきあいを続けたように思います。
この
われます。我々の在学当時は地方大学とか駅弁大学など
流れは滋賀大になってもしばらく続いていたと思います。
といわれました。
こういった感覚は未だに払拭されていな
しかしながら当時でも大学と旧高等学校は当然のこと
いのではないかと思います。それは新制大学が新制大学
ながら格が違っていました。それが呼び名が変わって一
としての特徴、性格を未だ確立していないからではない
律に大学となったのですから、角帽をかぶっていても新
かと思います。
制大学だなと区別されました。あるいはいちいち「前の彦
滋賀大学においても彦根高商を母体としていることに
根高商やな」
といい直される場面もありました。逆に「昔
ある種の誇りを感じていることに現れていると思います。
の彦根高商です」
と誇らしげに胸を張ったこともあります。
新制大学が未だに乳離れしていないということになる
新制大学制度60年を迎えて思いますのはこの概念が
でしょうか。
ようやくなくなって来たのかなあと感じることです。新制
大正12年に彦根高商が開校されたとき、その前年に
大学の努力に負うところが大きいでしょう。
行われた入学試験は東京で行われた(学舎がまだ完成し
「上場企業で社長に出世できる大学」の9番目にランク
ていなかったこともあり)
と
された(週 刊ダイヤモンド
いうことです。しかも試 験
2006.9.23)実績は新制滋
会場は時の第一高等学校
賀大学の実力で、もちろん
であったと書 か れていま
伝統に裏打ちされていると
す。事情がどうであれその
はいえ、その教育方針の根
心意気やよしというべきで
元に基づくものであり、
この
しょう。
教 育 方 針をアピー ル する
入学した学生たちも
「一
必 要 があるのでは な いで
高何するものぞ」
と言うつ
しょうか。
よい 意 識を持って勉 学に
今 大 学は全 入 時 代とか
日常 生 活 に励んだことは
で 定 員 割 れ の 大 学 が 多く
想像に難くありません。そ
の流れは高商が存続する
1962年当時の芹川のケヤキ
ケヤキ並木も偉大になりました
出ているようです。
「 残る大
学、消える大学」
という本が
間連綿と引き継がれてきていたように思います。私は彦
出版されましたが、ことほど左様に大学の存在意義がつ
根に生まれ彦根に育ちました、そして我が家では長い間
よく問われるようになってきました。社会の求める人材を
高商の学生さんの下宿を提供しておりました(滋賀大に
育てることを強く要求されてきております。
なってからも)。子供のころから学生さんに遊んでもらっ
不易流行と言われますが、いまや伝統や歴史に甘んじ
たことを覚えています。子供心に当時の学生さんには社
ることが出来なくなってきております。60年を契機にまさ
会の範たろうとする態度があったと今も感じております。
に「大学」
として地に足をつけた新たな出発をしていただ
私が道に外れたことを言ったりしようとしたときにははっ
きたいと思います。
きりと
「それはだめだ」
とたしなめられた覚えがあります。
17
創立60周年に寄せて
∼教育学部は教育者としての学びの原点∼
竜王町教育委員会 教育長 岡谷 ふさ子
このたび滋賀大学が創立60周年を迎えられましたこと
ことに意欲的だったことをよく覚えています。このことが
を心からお慶び申し上げますとともに、今まで大学の充実
基礎となって、英語の教師として、生徒にコミュニカテイブ
発展に努めてこられました歴代の学長様はじめ役員の
な英語能力の育成を心がけるようになりました。
コミュニ
方々並びに教員の皆様のご尽力に対しまして、深く敬意
ケーション能力の育成が重視されるようになった少し前
を表するところでございます。
の頃でした。当時大学紛争の嵐で少し影響を受けました
私は、昭和41年4月から昭和45年3月まで滋賀大学
が無事に卒業することができました。
教育学部中学校教員養成課程英語研究室で学ばせて
次に滋賀大学専攻科で学ばせていただいた頃のこと
いただきました。また、現職教員で昭和63年度には教育
です。当時は1年間でしたが、学校現場を離れて教育に
学部教育専攻科で1年間学校現場を離れて研修の機会
ついて考える機会を与えられたことは、外から学校教育
を与えられました。それぞれに教育に関わる貴重な学び
を考え、それまでの実践を見直し、以後の教育実践を改善
をさせていただいたと思っております。
するための貴重な体験となりました。教育行政学や、教育
まず大学時代ですが、平津の学舎で一般教養のほかに
哲学、生涯学習、教育心理学等学生時の学びより、一層
教育学、教育哲学、教育心理学、児童心理学、青年心理学
実感が伴う学びとなりました。私のここでの論文は、村田昇
等々教育に関わる専門内容を多く受講したことが、教員
先生のご指導により
「青年前期における道徳性の育成に
としての資質基盤形成に大いに役立ったと考えています。
ついて」でした。書籍を読むことができたことは勿論現職
当時はそのような重要性に気づ いておりませんでした
教員ばかりの集まりで、お互いに情報交換をしあって大変
が、何十年と教育に携わってきてから認識いたしました。
有意義な1年間でした。貴重な充電期間となりました。
英語研究室では、教科教育、英米文学、言語学、英文法、
38年間教職生活を送り、今また教育に関わる職に就かせ
英会話、英語史等学びましたが、何といっても自主的な
ていただいておりますが、その基礎はやはり滋賀大学
活動として英語研究室の機関誌ペガサスの発行や英語
教育学部で培ったということを今改めて認識しております。
劇の上演が毎年の恒例となっていて、私たち学生の関心
今 後も滋 賀 大 学 教 育 学 部の教 員 養 成 学 部としての
事でした。セリフの暗記や準備に忙しく、また人間関係も
発展と、地域教育支援の推進により、学校現場の教育が
深まりました。更に当時英会話に興味のある学生達で
一層充実することを念願しております。
初めてESSを組織し、実用的な生きた英語の練習に励み、
英会話練習や、
リスニング練習、英語弁論大会等を行う
英語研究室での英語劇(本人は一番右)
18
ESS部活動 ミシガンからの来客と一緒
特 集
創立
Anniversary
周年に寄せて
1期生の初等・中等・大学教育時代
経済学部第1期(1953年)卒業生 井上
輝重
後発資本主義国であった明治大正時代に起因した昭和の金融恐
なく都に従属の感があったのに対し、彦根は歴とした独立の城下町。
慌(1927)に続いてアメリカ発の世界恐慌(1929∼)に捲き込まれ、
石山から東海道線上り列車で通学すると、冬季は近江八幡か安土辺
片や大植民地を擁する英仏などのブロック経済政策に阻まれて、已
これが太平
り上空の北半分は重々しい雲、南半分は青空と区切られ、
むなく日本は近隣アジアに市場拡大を図ろうとして先進国利害と衝
洋気候と日本海気候の境目かとも思った。
突し始めたが、企業人育成を国家目的とする彦根高商からは既に
1年経って、小学校恩師の母校、滋賀師範と合同して国立大学に移
1926年以来先輩方が次々と実業の世界に巣立って行かれた。
行した。
その時期、東京の三井物産は人造絹糸製造に着目し、東洋レーヨ
処で、
この大学4年間、両学部の相互交流は経験したことがない。
し
ン(現・東レ)を設立、主力工場を水が豊富で、半農の安定した労働力
かも、当初2年間の教養課程で選択必須に生物学があったのには尠
を確保出来る湖南の石山に建設した。
なからず違和感を覚えた。4年生になって都市銀行採用の内定があっ
東海道五十三次の松並木が残る石山の町は当然に人口増加が進
てから慌てて生物を履修、結果は勿論唯一の『可』であった。大学教育
み、また工場背後の丘陵地には整然たる計画を以って大規模な社宅
はゼミ・研究実験・論文等を核として教授直々のご指導を受け高度の
街が作られ、社長も助産婦も駐在巡査も其処に住み、膳所の御殿浜
知識・思考判断力を自ら努力して培う場であるものと、今でも思ってい
からは湖水を引いて自前の上水道濾過池や水力発電装置を設置、放
るが、3年生でゼミが開始される迄の教室はそうではなかった。
射線科・伝染病隔離病棟を持つ総合病院をも開設した。併行して大津
ゼミ論文は裏付けの資料を採用内定銀行の先任行員を通じて取
市は工場の近くに新たに市立晴嵐尋常小学校を開校、1,000人の児
材したが、入行後もその人達との関係は永く続き、それが職場での
童が地元と社宅から通学したが、私の初等教育は此処から始まった。
自己啓発に繋がった。
この新設小学校に赴任して来られた滋賀師範出身の新進気鋭・意
気軒昂の先生方は素晴らしかった。全人格をまともにぶっつけて児童
を鍛え、躾けた本当の師範であった。
先年100歳を超えて他界した母も死ぬ間際までこの先生方への尊
崇の念を繰り返し語っていたが、小学校の授業参観・行事参加を通じ
て受けた往時の児童教育現場の感銘は明治生れの女にとって生涯不
滅であったに違いない。
次いで、中等教育は膳所藩の藩校・遵義堂を継ぐ旧制膳所中学で
あったが、戦局甚だ不芳、前記の工場への学徒動員、
レーヨン製造な
らぬ魚雷の組立て現場を確実に狙っての一発だけの爆弾投下が多
校舎全景
数の工員を殺傷、深夜の西方の空は大阪炎上で赤く染まり、昼間は名
経専1年間を含む通算5年間は1953年旧制国立大学最終の卒業と
古屋重工業地帯空爆に向かう爆撃機編隊が吐き出す白線の飛行雲
同じ時に終了するが、その間、占領軍GHQ主導で諸制度の変更が進み、
と空襲警報、そして敗戦。斯様な中学生5年間は1947年実施の新教
1ドル360円固定為替相場を決定して民間貿易を再開した。近隣は大韓
育制度への移行期を迎え、追い立てられる様にして卒業、漸く、緑陰
民国と朝鮮民主々義人民共和国、中華人民共和国が成立、台湾への国
豊かな彦根に辿り着いた。
民党政府移転、東南アジア諸国は続々と独立した。欧州ではベルリン封
湖北の誇り高き井伊藩城下町は工場独特の匂い漂う石山とは空気
鎖、東西ドイツが夫々成立、アイルランド共和国独立、NATO成立、EUの
も家並みも全て異なるものであった。大津は京都疎水の取水口、何と
母体となるECSC誕生に続いての欧州復興マーシャルプランが終了、中
東ではイスラエル建国に続く中東戦争が勃発、イランの石油国有化、ス
エズ運河を英国が封鎖、エジプト共和国成立と続くが、その後60年間の
経過があっても今尚、紛糾を繰り返す構造は全世界に多々残っている。
然るに当時この平穏な城下町に居た学生にはそれらをテーマとして
議論した記憶が薄い。すべては卒業後働き始めてから勉強し直した。
初期の新制大学では通信情報手段脆弱、外国語は未熟、海外渡航
は制約多くて殆ど不可能であったが、60年経った今日の大学は外国
の大学との交流、内外企業インターン研修、産官学共同研究開発など
昭和27年度の授業料等の納入告知
色々出来る時代に在り、活躍を大いに期待している。
19
滋賀大学の誇りを持って
教育学部准教授 奥田
援史
1981年春、滋賀大学教育学部に入学した。本学の
持ってきてくれた。
ダンディーな先生だと想像していた
卒業生の恩師から祝いのメッセージが届いた。石山
が、期待はずれだった。教授会で、何人もの先生を思い
キャンパスは桜で一杯だった。木造の校舎は張り紙で
出した。学生の頃の像と全く違う先生の姿に驚き、ひとり
汚く、大学紛争の名残があった。
大学行きのバスはひどく
悦に入った。平日は教育、研究に、土日はサッカー部の
渋滞した。授業はとてつもなく退屈だった。サッカー部
顧問として忙しくしてきたが、体調を崩したこともあり、
に入 部した。日航 機 墜 落、大 韓 航 空 機 撃 墜、ホテル
出来る範囲の仕事をやらせていただいている。沢木
ニュージャパン火災、
グリコ事件、
と世の中は騒々しい
耕太郎の深夜特急を読み、一息ついている。
どうやら、
出来事があった。植村直己の妻が遭難直後に「冒険家
曲がり角に立っていると自覚している。
として、だらしがない」
と強情に言い放った。
こんな時代
滋賀大学で約20年間、学生として教員として過ご
に大学生活を送った。ただ、時間だけは余りあるほど
した。小学校、中学校でも本学卒業生の先生にお世話
あった。優等生とはほど遠い生活をし、夜になると、本や
になった。現在、わが子も本学卒業生の先生にお世話に
雑誌を読み漁った。青年期特有の悶々とした日々を
なっている。こうしてみると、僕の人生のほとんどに滋賀
過ごした。
大学が関わっていることに気づかされる。
本当に感謝の思い
1995年春、母校に赴任した。石山キャンパスは桜で
でいっぱいである。あと20年ほど勤務できる。滋賀大学の
一杯だった。校舎の入口で、サッカー部の学生が声を
発展に少しでも尽力できるよう努めたい。滋賀大学の学生
かけてくれた。研究室にいると、女子学生がコーヒーを
として教員としての誇りを持って、その覚悟は決めている。
生物地学研究所
平津ケ丘寮を望む
春の石山キャンパス
20
特 集
創立
Anniversary
周年に寄せて
経済学部、彦根、
そしてこの地での40年
経済学部教授 神山 進
本学が創立60周年を迎え、回想を掲載することになった。
降、平成5年の短期大学部の廃止まで、3年制の夜間学生の
60年というと、私は今年で満61歳を迎えるので、誕生して1
指導と教育に従事した。授業は夕方の5時30分より8時40分
歳にならない頃に、それまでの彦根高商を母体に新制大学
までの2時限で、夜中から朝方にかけて研究する私の夜型生
として創立されたことになる。私は昭和43年(1968年)に本
活にうまく適合していた。授業が終わって帰路に着く彦根城
学経済学部の学生となり、その後の大学院の一時期を除い
近辺の景色では、桜の夜景、
お堀の水鳥、城に生息する野鳥
て、本学の助手として昭和49年に採用されてから今日に至る
の合唱、
うだる暑さ、紅葉の城内、豪雪の夜道、雪に埋まる彦
まで、ほぼ40年の時間を経済学部および彦根の地で過ごし
根駅など、今でも記憶に鮮明なものが多い。
経済短期大学部
たことになる。
の教育理念は、
その後、経済学部・夜間主コースに受け継が
私の学生の時期は、
学生運動が最も激しかった時期であっ
れている。当時より今日に至るまで、有職者や一般社会人の
た。本学においても、大学封鎖、
デモ、機動隊とのにらみ合い
再教育・生涯学習の場として、
また経済的理由より昼間に働
などが頻繁に発生した。大学で授業ができず、近くの寺院や
かねばならない若者への学習機会の場として重要な役割を
教会などで授業を受け、
そこに投石を経験したこともあった。
果たし続けており、
そうした学生の問題意識や学習意欲は旺
私は学生運動に直接関わることはなく、傍観者としてのノン
盛である。
ただその一方で、定員確保などの理由のために、
ポリ的存在であった。
しかし、
どこに向かうという方向性はわ
必ずしも目的に適っているとはいえない学生も抱え込むこと
からなかったが、
自分と同時期の人間の強力なエネルギーの
になり、夜間教育の重要性との間で板ばさみを経験し続けて
ようなものは感じることができた。大学が封鎖されて休講に
いる。
学生運動時の経済学部封鎖(「陵水新聞」より)
なると、大学裏門近く
平成5年より、経済学部教員としての生活が始まった。
近年
のマージャン屋や食
の経済学部の変化、特に私の学生時代からの大きな変化
堂でたむろした事もし
は、女子学生の増加である。私が経済学部生の頃は、
もちろ
ばしばであった。
ん現在との定員数も異なるが、女子はわずかに数える程度
私の教員(かつては
の数名に過ぎなかった。
しかし現在では、一学年500名を越
教官)
として出発は、
える定員の中で、女子の数が200名に迫っている。いずれか
昭和49年の8月、本学
の近い時期に、女子の数が半数の5割になることも予想され
に併設されていた経
る。
このような男女構成比率の変化の中で、男子中心の硬派
済短期大学部の助手
的学風から男女がともに学ぶソフトな学風の経済学部に変
からであった。それ以
化しつつある。
スポーツや文化活動に関わる各種クラブ・同
好会・サークルに活躍する女子、就職活動において男子以上
に活発な女子、などもこのような変化の一環である。従来の
男性的視点に、
ソフトな女性的視点を融合させた新しい経
済学部が生まれつつある。
以上、
とりとめのない話になってしまった。創立60周年を
迎えて、滋賀大学経済学部が、彦根を中心にした地域に根ざ
した大学であり続けてほしいと願っている。決して規模を追
求するのではなく、
これまで世に送り出してきた数多くの人材
を宝にして、特色ある教育と研究、それに特色ある情報を発
学生時代の彦根駅(卒業アルバムより)
信し続ける大学であり続けてほしいものである。
21
1
Report 活躍する学生たち●
「環境学習支援士」会の活動
教育学部
教育学部
滋賀大学「環境学習支援士」会
私たちは、滋賀大学「環境学習支援士」会として、大学で学んでいることを社会に還元し
団体紹介
ていく為に、学生や社会人を対象に平成20年4月に会を結成しました。広報活動と組織の
基礎となる4つの部会を中心に多彩な活動を展開し、みんなの「環境学習支援士」会とし
て育てきました。
この1年の取り組みについて紹介します。
1
Report
びわ湖環境ビジネスメッセ
(2008.11/5∼7 場所:長浜ドーム)
【対象:企業人,一般市民】
2
Report
「学校支援メニューフェアー」
に初参加
)
(2009.1/22 場所:大津市ピアザ淡海
当会はじめての対外的活動としてこのメッセに大学の
教諭170人に出前授業紹介
支援で参加しました。
専門的な知識や技能を持つ企業・団体が行う出前授業や
会期の長いメッセなので、当番をきめて支援士会のメ
体験学習などの学校支援メニューを紹介する催しが開催さ
ンバーが交代で説明員を務めました。滋賀大学のブース
れ、県内の小・中学校、高校、特別支援学校の教諭ら約170人
の一角に当会の広報用タペストリーを掲げ、栞・機関誌
が参加、当支援士会も滋賀大学の紹介で初参加しました。
を配布し、環境学習活動方針や4つの部会(温暖化防止・
模型やパネルで実験の手順や授業の進め方を提案しま
びわこ・自然環境分野・学校地域環境教育)の活動や事
した。支援士会では、
「種の不思議教室」
「滋賀の伝統食と
業内容のPRをしました。
食文化教室」
「びわ湖の水とプランクトンの教室」を披露し
来 場 者 の 関 心 はまずまずで、なかには突っ込んだ質
ました。特に人気があったのは、本物の「種」を見てもらい、
問をする人もいました。ブースにて早速「大阪能率協会」
それぞれ飛散していく様を紙の模型で飛ばし種の繁栄の
から「びわ湖の環境保全活動について」の講演オファー
仕方など子供たちに分かりやすく関心を持ってもらうよう
が あり、他 に 進 学
に配慮した提案でした。
塾からの問合わせ
小学校の先生から、
「山の
もありました。
子学習」のテーマとしての質
問 があり様々な 分 野で「支
援士会」の出前講座ができ
22
長浜ドーム会場
での記念ショット
ーで出前講
メニューフェア
座紹介
ると自信を深めました。
環境問題解決に応える
学習リーダーとして活動を始めています
リーダーとして活動を始めています
3
Report
滋賀大学 特色GPフォーラム
(2008.11/29 場所:中講義室)
【対象:学生,一般市民】
4
Report
出前講座の紹介
【対象:企業人,一般市民】
びわ湖から学ぶ環境マインド
1.大阪能率協会(2009.1/28 場所:大阪産業創造館)
基調講演では、遠
びわ湖環境ビジネスメッセでの依頼結果を受けて講演
藤修一教授が、特色
を実施しました。タイトルは「びわ湖の環境の現状と保全
G P の申請 に 至る歴
活動」で、対象者は一般企業の方々です。講演は上山香織
史 的 背 景 、目 的 、内
さん(大学院生)
と会員の
容を写真や資料を
前田雅彦・吉川義一の3
紹介しながら講演さ
名で 実 施しました。理 解
れました。特別講演
発表する桑原さ
ん
を頂く為、琵琶湖の概要
は、ラムサールセン
デ ータのプレ ゼ ンテ ー
ターの武者孝幸副会長に、
ラムサールセンターが取り組ん
ションも行いました。
でいる「KODOMOラムサール」事業について紹介していた
だきました。
基調講演・特別講演を受け「世代を超えた体験学習をど
のように支援していくか」
というテーマで、川嶋宗継教授の
進行でパネルディスカッションが行われました。パネリスト
ーション
プレゼンテ
前田会員の
2.温暖化のくらしへの影響と身近な防止活動
<大津市民活動センターと共催>
(2008.12/7 場所:明日都浜大津)
第1部
は講演いただいた遠藤教授、武者氏に、滋賀大学院生の
「近江のくらしと琵琶湖の環境」について堀越教授の講演
上山さん、学生の桑原さん、環境学習支援士会から秋山、
くらしの環境課題を足もとから考えて実践していくこと
佐瀬の4名が加わり活発な討
の大切さをお話されました。
論が行われました。
第2部
当 会 の 阿 知 波 肇さん「生ゴミの 堆 肥 化と活 用 につ い
て」、稲田幸さん「堆肥化資材の作り方と用途について」の
フォーラムのパネ
ルディスカッショ
ン
活動報告をしました。
矢橋帰帆
の上
フォーラム
山さ ん
員の
稲田会
活動事
島の出前
講座での
学習風景
例発表
23
2
Report 活躍する学生たち●
知り隊!教え隊!井伊直弼
経済学部 4 回生
経済学部
豊田 悟子
私たち谷口ゼミは、2008年6月から彦根市にて開催されている「井伊直弼と開国150
年祭」
(以下150年祭)の公募事業の一環として、
「知り隊!教え隊!井伊直弼」
プロジェクト
はじめに
を立ち上げました。井伊直弼大老の功績を多くの人に理解していただき、地元の方たちと
一緒に150年祭を盛り上げることを目的とし、2008年4月から活動を開始。Webサイト運
営、商品開発、PR活動、教育・福祉活動という4つの分野において地域貢献活動を行い、
現在もプロジェクトは進行中です。
1
Report
SNS運営
井伊直弼の再発見・発信
市民の視点と感覚から直弼への想いや尊敬の念を表
出できる場として、ブログとS NS(S o c ia l N e t w o r k i ng
Service)から構成されるWebサイトを開設しました。こ
のWebサイトでは誰もが日記風に直弼への想いを自由
に書き表すことができ、その場を共有することで直弼を
通して彦根の歴史と文化をより一層理解し、彦根への愛
着と誇りを持ってもらおうというのが狙い。歴史の教科
書で習った直弼についての知識だけでなく、市民の知識
と感性を束ねた直弼像を市内外へ発信して、知性と親し
Webサイト「知り隊!教え隊!井伊直弼」
みある直弼像を発掘することで、直弼が生まれ育った彦
http://naosuke.shiga-u.jp
根により多くの人が興味を抱き実際に彦根を訪れ、その
24
歴史と文化を肌で感じるきっかけづくりとしたいと考え
家18代当主、井伊直弼と開国150年祭実行委員会事務
ています。また、直弼の幼少期をイメージしたマスコット
局長、滋賀大学広報室など5名)により決定。上記Webサ
キャラクター『カモンちゃん』を創作しました。愛称は一
イトの招き猫の役割を担うとともにグッズ展開なども行
般市民から募り、応募総数82件の中から選考委員(井伊
うことで、経済効果への寄与を期待しています。
多くの人に彦根の歴史と文化を感じて
もらうためのプロジェクトを展開しています
2
Report
キャラクターを利用した
商品開発
4
Report
教育・福祉活動
滋賀県内の一般企業と提携し、クリアファイル、土鈴、
教育活動として、昨年11月に佐和山小学校をきぐるみと共
ハンカチ、巾 着 、ストラップ、耳 か きなどの 商 品 開 発 を
に訪問し、彦根の文化遺産と井伊直弼についての歴史交流
行っています。販売
を行いました。子供たちの歴史に対する関心を高め、歴史探
は滋賀大学彦根地
究のきっかけになればという思いを込めて活動しています。
区 生 協 、四 番 町 ダ
福祉活動においては、ひかり福祉会への支援を行いました。
イニング、彦根らぼ
「工房ふれっしゅ」にて
、夢 京 橋
らとりぃ社、
生産されている彦華堂
あ かり館 に 委 託し
クッキーに『カモンちゃ
ており、現在は新規
ん』のシールを添付し、
販 売 店との 委 託 契
さらにその新規販路を
約を交渉中です。
3
Report
井伊直弼の幼
少期をイメー
ジした
マスコットキ
ャラクター『
カモンちゃん
』
イベント参加
およびPR活動
開拓することで販売援
助、在庫過多の解消に
佐 和 山 小 学 校を
訪問
成功しました。
5
Report
今後の展望
『カモンちゃん』のきぐるみを制作し、昨年10月に開催され
私たち谷口ゼミは多方面にわたるプロジェクト展開を実
た「ゆるキャラまつりin彦根」に参加しました。他に、彦根城下
現することができ、様々な方面で評価していただきました。
町検定や滋賀大学キャンパスイルミネーションなど各イベン
150年祭は2011年3月まで開催されているので、引き続き
トにてPR活動を行っ
きぐるみやWebサイトを用いて150年祭のPRを実施してい
ています。
また、各メ
きます。さらに、
『カモンちゃん』の新商品開発や市内小学
ディアからも注目さ
校の訪問、彦華堂クッキーのさらなる販路拡大やクッキー
れ、これまで新聞報
受発注システムの構築、開港150年周年記念イベントを実
道26件、テレビ報道
施している横浜市との交流などを検討中です。
これまでの
4件、雑誌2件の取材
活動から一歩踏み込んだ内容でプロジェクトを進めるべ
を受けています。
く、今まで以上に精力的に頑張っていきたいと思います。
す
根」のよう
つりin彦
ま
ラ
ャ
キ
「 ゆる
25
今の研究
を
語る
方言から探る
ことばのしくみ
松丸 真大(教育学部准教授)
関西人はうっとうしい?
こうしてみると確かに押しつけがましい。
こんな言い方を
関西の人は、関西弁以外の方言を話す人たちから
「うっと
されたら
「いやいや初耳ですけど…」
とか「そんなこと知らな
うしい」
というイメージを持たれがちです。その理由には「話
いよ」
と思ってしまいます。
ところが関西人は❸の例を❹のよ
題を自分のものにしてしまう」
「自分の考えを押しつけてくる」
うなつもり
(つまり非難や確認の意味)で使っているわけで
というものが多いようです。本当にうっとうしい人がいるのか
はありません。❸が表す意味を標準語に翻訳してみると、次
もしれませんが、全員がそういうわけではありません。では、
のようになるでしょう。
なぜこのような誤解を受けるのでしょうか? このような疑問
❺昨日、彼女と石山駅前の平和堂に行ったんだよ。そうした
にことばの側面から答えることができるのが、方言学・日本語
らね…(略)説明の意味
学(国語学)
という研究分野です。私は、日本語の方言、その
このように、関西弁の「∼ヤンカ」は標準語の「∼じゃないか」
中でも方言の文法に興味を持って取り組んでいます。
の意味で使われる時と、
「∼のだよ」の意味で使われる時がある
のです。冒頭の誤解は、関西人が説明の意味のつもりで使って
原因は文法の違い
いる表現を、非関西人が非難や確認の意味で理解してしまうこ
さて、冒頭の関西人の話に戻りましょう。上のように誤解す
とによって生じている可能性があります。
これで私が「うっとうし
る原因の一つに、関西弁とその他の方言(特に標準語)
との
い」と思われる確率が少し減り
文法の違いがありそうです。例えば次の下線部の表現を自分
ました ね(ほっ)。この例のよう
自身の方言に翻訳してみてください。
に、同じ日本語を話していても
❶何するんだよ。危ないじゃないか! 非難の意味
コミュニケーション・ギャップが
❷ほら、同級生に松丸っていたじゃない?あの人、滋賀大に
生じていることがあるのです。
いるんだって。
南洋群島における調査の一風景
「いたヤン」のように、どちらも「∼
関西弁なら「危ないヤンカ」
日本語は一つではない
ヤン(カ)」に置き換えることができます。ここから《関西弁の「∼ヤ
方言を研究していると、我々が話す「日本語」
というものは
ンカ」=標準語の「∼じゃないか」》
という規則を作れます。
話し手によって少しずつ違っていて、万人に共通する「日本
ところが、一筋縄ではいかないのが言葉の面白いところで
語」
というものは無いということに気づかされます。
このよう
す。関西弁の「∼ヤンカ」には上の❶❷のような使い方に加
な多様性の中にも規則性を見出す作業は、パズルを解いて
えて、次のような使い方もあります。
いるようでとても面白いものです。同じ問題意識から、最近
❸昨日、彼女と石山駅前の平和堂に行ってんヤンカー。そしたら
は海外の日本語を調べたりも
なぁ、松丸先生にばったり会うてめっちゃ恥ずかしかったわぁ。
していますが、
この話は別の機
他方言を話す人は、
この「∼ヤンカ」の使い方を「押しつけがま
会に。
ことばのしくみを解明す
しい」
と感じるようです。試しに、上の❶❷から導き出した規則に
ることに興味を持たれた方は
したがってこれを「∼じゃないか」に置き換えてみましょう。
是非授業も聞きに来てくださ
❹昨日、彼女と石山駅前の平和堂に行ったじゃない。そうし
い。
たらね…(略)
26
確認の意味
滋賀大学でのフィールドワーク
(滋賀県高島市新旭町にて)
組織の枠を超えた
管理会計研究
大浦 啓輔(経済学部准教授)
私の専攻は管理会計であり、
とりわけ組織間管理会計と
みると、必ずしも管理会計技法やその思想が単一企業の
呼ばれる領域を専門としています。一般に会計学は、会計
内部に限定的に適用されているわけでないことが明らか
情報の利用者が企業の外部者か内部者かという区別に基
となってきました。たとえば、新製品開発におけるコストマ
づ いて、大きく財務会計と管理会計に大別されます。私が
ネジメントでは、開発プロセスの源流段階から原価を作り
専門とする管理会計とは、その後者すなわち企業内部者
込む活動が行われます。これは原価企画とよばれ、最終製
を対象とした会計であり、経営管理のための会計ともいわ
品のアセンブリーメーカーは、製品開発のかなり初期段階
れます。
「会計」といえば、簿記や財務諸表などを想像して
から部品サプライヤーと共同で開発業務に携わります。そ
非常に難解なイメージをもつ人も多いかもしれません。ま
して、時には部品サプライヤーの技術者がアセンブリメー
た「管理」
という堅苦しい言葉がその前に付くため、その実
カーに常駐することもあります。業種によっては、自社製造
態を把握しにくいのですが、意外と私たちの日常生活やビ
コストに占める外部購入費の割合が7割を超える場合も
ジネスに深く関連しています。
あるため、企業が単独でコスト低減を行うよりも効果的だ
歴史的にみれば,管理会計は19世紀に萌芽し、その後
というわけです。つまり、優れた他社と協調的な関係を構
の産業構造の革新と巨大企業の出現によって生成期を迎
築し、win-win関係を実現することが重要な成功要因とな
えたといわれています。そしてF.テイラーによる科学的管
るのです。
理法の提唱にともない、標準原価計算や予算統制といっ
しかしながら、現実にはそれほど簡単な話ではありませ
た実務を中心として、管理会計は発展してきました。目標
ん。単独の組織としては自己の利益最大化を前提とした行
を設定し、経営実績が予算数値からどの程度乖離している
動をとる一方で、他社との利害の不一致を調整するため
か、その差異を分析し、次期以降の中長期経営計画や予
に、組織境界を超えて様々なコントロールの必要性が生じ
算策定に役立てるといったコントロール機能を担う管理
るためです。現在,私が最も興味をもち研究しているのは、
会計は、企業の経営管理システムにおいて重要な役割を
組織を隔てたコントロール・メカニズムがどのように機能
果たしているといえるでしょう。
し、管理会計がどのような役割を果たしているのかといっ
Plan-Do-Check-Actionという一連の経営管理サイクル
た問題です。
の中で実施される管理会計実践の有用性は、これだけ情
このような問題は、現代の経営環境下では、SCM(サプ
報技術が発達した現代においても色褪せるものではあり
ライチェーンマネジメント)をはじめ、EMS(Electronics
ません。
しかし、ほんの十数年前まで、管理会計実務は一
Manufacturing Service)、OEM(Original Equipment
つの企業の中で完結するものという前提が置かれていた
Manufacturer)、ファブレス経営、グローバルソーシング、
ように思います。管理会計研究も単独の企業内部に限定
アウトソーシング、シェアードサービスなどの新たなビジ
した分析がごく当たり前のように行われてきたのです。企
ネスモデル、あるいは戦略的提携や合弁事業などの新た
業にとっては予算データやコストデータは経営上の最も
な組織間関係のあり方とも関連しています。伝統的に単一
守秘すべき内容をともなうことからも、こうした考え方は
組織内に限定的であった管理会計研究の射程を組織の枠
ごく自然なものだったのでしょう。
を越えて広げることによって新たな視座を与えることが、
しかし、さまざまに蓄積された管理会計研究を眺めて
現在の私の研究上の目的となっています。
27
Re p
留学記
験
体
in AUS
t
S t u dy
bro
海外渡航によって
獲得したもの
シャルマ・ムニク(経済学部 4 回生)
私は、文部科学省の5年間の学士プログラムとして国費
留学生にインドで選ばれました。
日本語能力が高い学生も
応募した中で、
私が選抜されたのは幸運でした。
自立性を養
来日後、最も成長した面は、人格形成を通じ、
えたことです。
インドでは、家族と一緒に暮らし、意思決定に
家族のアドバイスを貰うことがほとんどでした。
日本に来て、初
めて、物事を自ら考え、判断するようになりました。
さらに、多国
籍の人々との交流、
アルバイト、
サークル、
インターンシップ等の
活動によっても自立性を養えた要因です。
なかでも、重要なの
は、
自国で体験できないものとしてアルバイトがあり、
これを通
的に行動してきました。
じて社会における働くことの意味と異文化価値観の理解とい
はじめに、留学生が日本語を勉強する機会を、
日本人学
う点で、
より一層、成長したと私は確信しております。
生には英語を勉強する機会として日本人学生と留学生の
交流会を作りました。
これは当時の私の聴解力を上達する
1.日本語学校での生活
ため、
より効率的な方法であると考えたからです。
私は、2005年4月、大阪外国語大学(現大阪大学)
で一
つぎに、講義にも慣れてきたと思い、課外活動を始めまし
年間日本語を学びました。勉強を含め、楽しい日々を過ご
た。
これは日本語で実のあるコミュニケーションを取り、
また、
し、休暇は伝統・異文化を理解するために京都、奈良等
チームワークも学べると考えたからです。
その内容と得たも
様々な地域を訪れ、
貴重なことを体験しました。
のは、
次のように挙げられます。
しかしながら、
ホームシックになることやカルチャーショック
アルバイト
を受けたこともありました。宗教的な信仰で、牛肉を食べて
英語の家庭教師とファーストフード店のアルバイトをしまし
はいけない、魚介類にも慣れず、
スーパーでは英語が通じ
た。
その理由は、
自分の日本語でのコミュニケーションスキル
ない、
さらに、
料理も出来ない私にとっては、
日本での食生活
を上達し、
日本での働く慣習を知りたいと思ったからです。
が大きな課題となったときがありました。
しかし、
徐々に日本の
サークル活動
食文化に慣れ、味噌汁、寿司が大好きになり、毎日を楽しく
大学のSIFE(Student in Free Enterprise)
というサー
過ごすことができました。
クルで、地域活性化プロジェクトに参加し
(2007年10月∼
2008年6月)
、
地域経済を知り、
貢献しました。
2.大学での生活
3つ目として、
インターンシップを通じ、地方銀行の内部構
私は、2006年4月に滋賀大学経済学部企業経営学科に
造を知り、チームプレーを実習しました。最も印象に残った
入学し、
わずか一年の日本語教育だけで大学の勉強が始
のは、与えられた課題に対して、
チームメンバーで熱心にそ
まりました。私は、
日本語の上達、科目でよい成績を獲得す
れに向かって力を合わせたことです。
ること、異文化コミュニケーションという3点を目標に取り組ん
できました。
この達成を成し遂げるために、一歩一歩、段階
このように行動をした結果、
2007年6月に、
滋賀大学経済
学部一回生成績優秀者として、2008年7月には、2008年
SIFE国内競技参加者として表彰され、上述の目的を達成
できたと、
私は信じています。
来日する以前の私を振り返ってみて、人格形成を通じた
自立性、言語の勉強と大学での勉強、
また、習慣・文化・価
値観の理解等を出来たことが人生でとても有意義な経験
であったと思っています。
28
海 外 研 究 報 告
夏季ヨーロッパ研修
菊地 利奈(経済学部准教授)
昨年夏、滋賀大学経済学部学術後援基金を受け、
ポルト
ガル北部に位置するポルト、
アイルランドの首都ダブリン、
イ
ギリスのロンドンとケンブリッジを訪れました。
アイルランド文
学を研究する私にとって、
アイルランドやイギリスは「勝手
知ったる」
という気持ちがある土地ですが、南欧のポルトガ
ルを訪れるのは今回が初めてでした。
ポルトではアイルランド文学学会に出席し、研究発表をお
こないました。学会が開催された大学は小高い丘にたち、
眼下にポルトの街全体が広がり、遠くには輝く大西洋が見え
るという贅沢なロケーションにありました。
ポルトは古い港街で、世界遺産にも登録されています。
400 年の歴史を誇るトリニティ・コレッジ
(ダブリン)
「ポルトワイン」
という甘いワインは、
この街で作られていま
す。その昔ポルトワインを運んでいた船をかたどった遊覧船
ダブリンでは国立図書館や大学図書館で資料を集める
が、観光客を乗せゆっくりと街の中心を流れるドーロ川を大
ほか、文学館の特別展示や詩の朗読会に足を運び、情報
西洋にむかってすすむ様子は、
ポルトガルが世界に先立っ
収集に努めました。大学院生時代に暮らした街であるので、
て海外に進出し貿易で栄えたことを思い起こさせました。
なじみの古本屋で本を買い込んだり、お世話になった先生
方のレクチャーに出席したりもしました。
アイルランドの天気が
一年を通して悪いことはよく知られるところですが、昨年の
夏は、8月だというのにセーターにブーツ。夜はダウンジャケッ
トやコートといった出立ちでした。
さすがに例年はここまでひ
どくはないはずなのですが、一昨年と昨年は2年続いて「史
上最低の夏」だったようです。
イギリスでは、
ロンドンにある国立図書館とケンブリッジに
あるケンブリッジ大学図書館にて、資料を収集しました。改め
て、資料の量はもちろんのこと、資料が非常によく管理されて
いることに感心しました。特にケンブリッジでは、毎朝、古い街
並の狭い石畳の通りを抜け、
カム川を渡り、
ケンブリッジで暮
ドーロ川をゆくワイン貿易船をかたどった遊覧船
(ポルト)
らした作家や詩人た
ちに思いを馳せなが
ら図 書 館 へ 向 かう
時 間が、なんともい
えず贅沢でした。
有意義な海外研
究 の 機 会を与えら
れたことに、感 謝し
ています。
銅像の街とも呼ばれるダブリンにある詩人の銅像
カム川で昔ながらのパンティングを楽しむ人々
(ケンブリッジ)
29
滋 賀 大 学 の 新 し
滋
賀 大 学 の
い 動 き
[ 教育学部 ]
滋賀大学で開講する教員免許
̶教師の実践力向上をめざす講習̶
本年、平成21(2009)年度より、いよいよ教員免許状更新講習が始まります。昨年度は予備講習として150人規模で実施しまし
たが、本年度より本格実施となります。
これに伴い、受け入れる受講者を1,200人に拡大し、全学体制で教員免許状更新講習に
のぞみます。以下は、滋賀大学が取り組む更新講習の概略と特色です。
1. 概略
3. 開講時期・会場
2. 受講者
教員免許状更新講習は、教育職員
今回の更新講習は、平成23(2011)
滋 賀 大 学 の 更 新 講 習 は、8月5日
免許法改正により行うもので、文部科
年3月31日の時点で35歳、45歳、55歳
(水)から11日
(火)の夏期集中型で実
学大臣の認可を受けた大学、教育機
に達し、幼稚園、小学校、中学校、高等
施します。教育学部のある大津地区を
関が実施するものです。教員は10年
学校、特別支援学校の教諭及び養護
会場として大半の講座を開講します
間の有効期間を更新するため、
「教育
教諭にかかる普通免許状または特別
が、彦根地区でも選択講座の一部を
の最新事情に関する事項(12時間以
免許状を有する方が対象です。滋賀大
開講します。
上)」
と
「教科指導、生徒指導、その他
学では、滋賀県教育委員会と連携し
教育の充実に関する事項(18時間以
て、県下の現職教
上)」からなる30時間以上の免許状更
員の方が優先的
新講習を2年間で受講・修了しなけれ
に 受 講してい た
ばなりません。滋賀大学では更新に
だけるように考え
必要な30時間すべてを開講します。
ています。
昨年度の様子 1
(必修領域:新時代の教師)
平成21年度 教員免許状更新講習 実施日程
8/5(水)
大津地区
彦根地区
8/6(木)
必修
午前
午後
終日
8/7(金)
選択
選択
選択
8/8(土)
8/9(日)
8/10(月)
8/11(火)
必修 選択 必修 選択
選択
選択
※必 修 領 域:教育の最新事情
選択領域Ⅰ群:滋賀の教育課題
選択領域Ⅱ群:教科指導、
その他教育の充実に関する事項
30
状更新講習
昨年度の様子 2
(選択領域・選択Ⅱ群:琵琶湖と大地の科学)
4. 特色
6. 講座の編成
滋賀大学で開講する講座の一番大き
昨 年 度 開 講した 予 備 講 習 の 経 験
な特色は、選択18時間の講座を選択Ⅰ群
を踏まえて、受講者の負担を考えた
と選択Ⅱ群に分けたことです。選択Ⅰ群
講座編成にしました。まず、受講申込
として「滋賀の教育課題(情報教育、環境
み の 段 階で 選 択 講 座 の 希 望を第 1
教育、特別支援教育、多文化共生教育、心
から第3希望まで書いて頂き、出来る
と身体の健康、地域学習)」を開講し、選択
だけ希望に即した講座を受講して頂
Ⅱ群では「教科指導」、
「幼児教育」などを
けるようにしました。次 に、1 人 の 講
開講します。受講者の方には、選択Ⅰ群を
師 が 1日(6 時 間)続 けて講 義をする
必ず6時間以上受講していただき、選択Ⅱ
のではなく、1日目と2日目、午前と午
群と組み合わせて18時間としていただき
後というように2人の講師で3時間ず
ます。このことにより、滋賀県の教育課題
つを担当し、合せて6時間とする編成
と教科指導について充分な理解をしてい
にしました。
ただけると考えています。
7. 最後に
5. 連携大学
滋賀大学の更新講習は、現場教師
滋賀大学と県下の大学、短期大学
が日頃の教育実践をふり返り、教師
で連携・協力して更新講習を行いま
の実践力を少しでも向上できること
す。大津地区では、滋賀短期大学(幼
をめざして開講します。そのために、
児教育他)、びわこ成蹊スポーツ大学
昨年度実施した予備講習の成果を踏
(体育他)の講師の先生方と滋賀大学
まえ、講座担当者が開講講座の内容
のスタッフが協力して開講します。
平成 21 年度教員免許状更新講習チラシ
を充実させるよう取り組みます。
滋賀大学の教員免許状更新講習の詳細は、以下のホームページを参照してください。
http://menkyo.edu.shiga-u.ac.jp/
31
滋 賀 大 学 の 新 し い 動 き [ 施設管理課 ]
滋
賀 大 学 の 動 き
平成 21年度に着工、竣工する
滋賀大学の施設整備は、平成20年3月に策定された「施設整備マスタープラン」に基本的に沿った整備が計画的に進められ
つつあります。
この「施設整備マスタープラン」には、
まず、
「安全・安心な教育研究環境の再生」、
「快適なキャンパスアメニティ
改善」、
「学生支援」、
「教育・研究支援」、
「地域連携・支援」、
「機能改善」
さらに「環境」への積極的な配慮に取り組む「環境共生型
キャンパスの実現」などの具体的な整備方針が示されています。
平成21年度は、
これらの基本方針に沿って、いくつかの計画が事業化されました。
彦根地区で行われる施設整備工事
略しますが、食堂スペースの増設、多
老朽化が進んでいます。
目的ホール等の整備によるアメニティ
研究棟、第2研究棟、校舎棟、図書館
附属図書館本館は、耐震性能向上
改善に加え、耐震改修が行われます。
棟、体育館等の空調方式を全面的に
のための補強を行います。書庫の床
工事期間中は、食堂機能は停止し、生
見直し、マルチ方式の個別空調設備機
は、炭素繊維補強工法にて補強の上、
活協同組合により弁当等の販売が行
器に更新いたします。現在、稼動してい
電動式の集密書架を設置し、収蔵能力
われ、喫茶や売店は営業されます。
る重油焚ボイラ設備を廃止し、老朽化
を高め、施設の有効活用を図ります。
○課外活動施設新設
の進んでいる蒸気配管を撤去し、
ライ
○附属図書館本館改修
(5月中旬着工、11月下旬竣工予定)
また、老朽化した空調設備を全面更新
(4月中旬着工、7月下旬竣工予定)
すると共に、内装リニューアル等により
「学生支援」のひとつとして、現在、大
し、
アメニティ改善を行います。
アメニティ改善も図ります。
学会館2階を利用している軽音楽部等
この工事は、部屋単位あるいはフロア
さらに、環境・省エネルギー対策とし
の文系サークルのスペースとして、隣
単位での工事で、個々の部屋の使用者と
て屋上緑化を行います。
接の小グランドに新たに課外活動施
日程を調整しながらの作業となります。
この工事に伴い、図書館は6月中旬
設(プレハブ工法2階建285m2)2棟を
から10月上旬までの間は大合併教室
建設します。
また、中島グランドにも体
○電話交換機設備更新(彦根団地)
に機能を移転し、一部のサービスを縮
育系課外活動施設(プレハブ工法2階
情報化時代としての機能に欠け、さ
小して運営することになります。
建285m2)1棟を建設し、学生のための
らに修繕部品の入手も困難な状況に
○大学会館改修
施設の充実を図ります。
あるため全面更新を行い、
リダイアル
○ライフライン再生(空調設備更新)
発信もできることになります。
(7月中旬着工、1月下旬竣工予定)
この事業の概要については、前号
(Vol.29)にて掲載しており、
ここでは省
(5月初旬着工、11月下旬竣工予定)
施設基盤を支えるインフラ設備で
滋賀大学附属図書館棟改修工事 完成予想図
32
フライン再生を行い環境対策を実践
(9月上旬着工、11月下旬竣工予定)
○ヨット艇庫増築
(7月上旬着工、10月下旬竣工予定)
は、空調設備の充実が特
長期にわたり琵琶湖岸に放置状態と
に望まれております。本学
なっていたヨット等の整理保管のため、
は昭和50年代に再開発整
滋賀県や彦根市との連携協力により、県
備されましたが、空調の整
の管理地の占用許可等を得てヨット艇
備は進んでおりませんで
庫を増築することとしました。
この事業
した。中央式の重油焚き
はヨット部OB会による寄付と、平成20年
蒸気暖房設備と後付の冷
度剰余金の活用により実施されます。
房設備という状態であり、
施設整備工事
大津地区で行われる施設整備工事
おわりに
属幼稚園についてはこの他にも改善
平成21年度に着工、竣工する施設
(6月上旬着工、11月上旬竣工予定)
を要する箇所が散在しているためさ
整備工事は、
ここに紹介しました事業
この事業の概要については、前号
らに具体的な改修計画を立案中であ
の他にも、多様な財源により何件かの
(Vol.29)に掲載しておりますのでここ
り、
「アメニティ改善」に向けた整備を
計画的修繕工事等が実施される予定
では省略しますが、教育学部の顔とし
行う予定です。
です。計画が具体化されれば、その都
てのシンボリックな外観と、充実した
○ライフライン再生
(膳所団地受水槽設備更新)
度学内周知をいたします。騒音、振
○教育学部創造学習センター新築
内部機能により、学生が主体的に利
活用できる空間とし、
「学生支援」と
(6月中旬着工、10月中旬竣工予定)
動、臭気等なにかとご迷惑をおかけ
することとなりますが、
ご理解、
ご協力
飲料水等を供給する受水槽設備の
のほどよろしくお願いいたします。
期待されています。
適切な維持・保全は、安全・安心の確
本学では、平成20年度政府補正予
○学生寄宿舎(平津寮)耐震改修
保のためにも必要不可欠です。インフ
算事業として採択された4件の事業の
(6月下旬着工、12月下旬竣工予定)
ラ設備の更新として以前から課題と
実施により、耐震対策が必要な面積
平成19年度に個室化のための工事
なっていた膳所団地の受水槽設備の
の58%が完了することになります。
こ
を行い、現在はほぼ満室状態となって
更新が、平成20年度政府補正予算事
の他にも耐震対策が必要な建物が存
います。今年度は耐震性能向上のた
業における
「ライフライン再生」
として
在しますが、引き続き耐震性の低い
めの補強を行い、老朽化した外壁の
予算化され、改善整備が実現すること
建物から計画的に対策を行うこととし
塗装改修等を実施します。
となりました。
ています。繰り返しとなりますが、今後
○附属小中共用校舎改修
○電話交換機設備更新
(石山団地他)
も大学構成員のすべての皆様のご理
「アメニティ改善」に寄与するものと
(6月下旬着工、12月下旬竣工予定)
平成19年度政府補正予算事業とし
解、
ご協力をお願いいたします。
(9月上旬着工、11月下旬竣工予定)
て、平成21年1月に竣工した附属小学
彦根団地同様に、経年劣化が著し
校校舎改修に引き続いての改修であ
いことから電子交換機の全面更新を
り、耐震性能向上のための補強を行
行います。新しい機能を備えた基盤設
い、内部の機能改善を行います。生徒
備が装備されます。
の安全を考慮し、夏休みに集中的に
また 、膳 所 団 地、あ
工事を実施する事となります。
かね団地の電話交
附属学校(特別支援学校も含む)に
換 機 設 備 に つ いて
ついては、
この事業により全ての耐震
も更新を計画してい
化が完了し、大規模地震発生時の児
ます。
童、生徒への安全は確保出来ます。
○附属幼稚園職員室等改修
(6月下旬着工、9月下旬竣工予定)
狭隘な職員室の改善と、機能強化
を図るための模様替えを行います。附
教育学部創造学習センター完成予想図
33
CLUB CIRCLE
経済学部
陵水新聞会
∼ 大学とともに発行60年 ∼
私たち陵水新聞会は、主に経済学部の学生を対象
当会の発足は古く、第1号発行は約60年前に遡り
とした新聞の作成を行っています。
『新聞を通じて学
ます。以来多くの先輩方の手によって記事が作られ、
生に有益な情報を提供し、学生生活の向上に貢献す
各時代の滋賀大学と学生の姿を伝えながら今日に
る』
という目的のもと発足し、現在は年間計8回新聞を
至っています。これまでたくさんの方に協力をいただ
発行しています。
いたおかげで、今年は創刊300号を発行することが
主に新聞に取り上げる内容は本学の学生や先生方
できました。
の活動を紹介するもので、学園祭や講演会などの行
私たちはこれまで先輩方が残されてきた滋賀大学
事や各部活動の様子などを記事にしています。また編
の軌跡と現在の滋賀大学の姿を将来に伝えるため、
集員がそれぞれアイディアを持ち寄り、市内の飲食店
支えてくださるたくさんの方と協力しながら共に学び
紹介や、社会で活躍されている本学卒業生の紹介と
合い、取材や編集の技術を高め合いながらこれからも
いったオリジナルの特集記事も作成しています。
より良い新聞づくりを目指していきたいと思います。
作業の様子
取材の様子
過去の陵水新聞
34
近江
の
散歩
伊香具神社の12本足の鳥居
谷田 博幸(教育学部教授)
JR木ノ本駅で下車し、飯浦方面へ向けて西
れるだろうが、同社ではこれを伊香式鳥居と称
へものの20分も歩くと、古戦場として名高い
しておられる。記銘がないため正確な建立年代
賤ヶ岳の東の山麓に伊香具(いかご)神社はあ
は不詳だが、渡辺市太郎の『 名蹟圖誌近江寳
る。白鳳10年創建と伝えられる式内社で、かつ
鑑 』に既にその姿が見られるから、遅くとも明
ては伊香郡の総鎮守であったという。ここに私
治29年以前に遡ることはたしかだ。一見ジャン
が密かに近江三鳥居の1つと称している鳥居
グルジムと見紛うばかりのこの異様な鳥居が何
が存在する。写真に見るように、所謂神明式の
故この地に建立されたのかは謎だが、これが全
靖国鳥居を基本として、左右に小さな脇鳥居を
国でも他に例のない珍しい折衷様式の鳥居で
配し、さらに2本の柱の前後を稚児柱各4本で
あることは間違いない。日本一柱の多い鳥居を
支えるという、神明式三輪形両部鳥居とでも呼
拝んだ後は、木之本地蔵で知られる浄信寺の
ぶ他ない異容を呈している。足が12本でまさ
参道にある菓匠禄兵衛に立ち寄り、日本一美味
に「タコならぬイカだわい」などと言ったら叱ら
い草餅に舌鼓を打つのもよいだろう。
広報誌『 』
第30号
読者アンケートご協力のお願い
広報誌『しがだい』
をご愛読いただきまして、誠にありがとうございます。
読者の皆様の声をより誌面に生かすため、率直なご意見ご感想をお聞かせ下さい。
なお、
「読者アンケート」
にご記入頂いたお客様の個人情報は、今後の広報誌編集の参考にさせていただくためにのみ使用し、他の
目的には一切使用致しません。
ご回答はホームページからお願いします。
滋賀大学公式HP
[ http://www.shiga-u.ac.jp/ ]から
「大学紹介」→「広報誌しがだい」
35
滋賀大学広報誌
Vol. 30
発行日 平成21年7月
発 行 国立大学法人 滋賀大学
編 集 滋賀大学広報部会
〒522-8522
滋賀県彦根市馬場一丁目1-1
TEL : 0749-27-7524
E-mail : [email protected]