FUN2003 vol.3

巻
頭
言
学長
臼井 嘉一
︿
学
位
﹀
修
得
を
祝
い
今
後
の
健
闘
を
祈
る
学士・修士の学位を無事修得され、わが福島大学を卒業・修了される皆さんに心からお祝
い申し上げます。そして学生諸君のこの<学位>修得を物心両面で支えて下さった保護者
の皆様に、
ねぎらいの言葉とお祝いの言葉を申し上げたいと思います。
さて皆さんの在学されたこの4年間(学部学士課程)及び2年間(大学院修士課程)は、わ
が福島大学が大きく変わる激動の時期でもありました。学部生の皆さんは1999(平成11)
というまさに1900年代最後の年に入学され21世紀最初の大学生としてその学生生活を
過ごしてこられました。その3年生4年生の時期は大学院生の皆さんが入学され大学院生
活を過ごされた時期でもありますが、その2001(平成13)年と2002(平成14)年は、わ
が福島大学のみならず国立大学全体を大きく揺り動かす改革提言が出された時期でありま
した。2001年6月には「国立大学の構造改革の方針」が出され「国立大学の再編・統合」
「民
間的発想の経営手法の導入」
「第三者評価による競争原理の導入」という方針が提起され
そして同年11月には「今後の国立の教員養成系大学・学部の在り方について」という報告
書が出されて「 教員養成系学部・大学の再編・統合 」方針が提起されました。さらに翌
2002(平成13)年3月には「新しい『国立大学法人』像について」という最終報告が出さ
れて「国立大学の法人化」方針の基本的骨格が明示されました。
以上申し上げましたように、
とりわけこの2年間は福島大学を含む国立大学全体で構造改
革構想が練られる時期であったわけですが、加えて私どもはこの中で、念願の「理工系学域」
創設を視野に入れた文部科学省との折衝をも進め、現行の「学部・学科・課程」制度から「学
群・学類・学系」制度への転換を決定して、
「新生福島大学」づくりに着手いたしました。
このような大きな「全学再編」
「大学改革」によってわが福島大学を大きくイメージチェン
ジして21世紀の大学づくりに着手したわけでありますが、
このような改革の土台にあります
のが、当然のことながらわが福島大学のこれまでの実績であり、それは皆さん自身学んでこ
られた「三つの学部」の研究・教育及び地域貢献の実績であります。
「経済学部」さらに「行政社会学部」の実績は、福島県のみな
ご承知のように「教育学部」
らず東北全体に深く根ざした教育文化の担い手や経済・経営及び行政・政策の担い手の人
材育成でありました。現下の経済・経営情勢の厳しさ及び少子化社会に伴う教員需要の低
下による厳しさ等によって、皆さんの中には未だ安定した職種に就いておられない人もいら
っしゃるかと思いますが、皆さん自身、
この福島大学で身につけられたことをしっかり自分自
身に生かされて、価値ある分野でその能力を発揮されることを心から念じております。皆さ
んの健闘をお祈りします。
1
大
学
改
革
副学長 中川 弘
﹁
国
立
福
島
大
学
﹂
か
ら
﹁
国
立
福
島
大
学
法
人
﹂
へ
前号では、本学は平成17年度から、
「2学群・4学類・12学系」という新制度により学生を
受け入れるべく文部科学省と協議を進めていることを紹介しましたが、同時に全国の国立
大学は、平成16年4月から「国立大学法人」に移行することが予定されているため、本学の
新制度は、
「法人」への移行と時期がほぼ重なることになります。
「国立福島大学」と「国立福島大学法人」とは何が違うのでしょうか。
「法人」という二語
のある無しで何が変わるのでしょうか。誤解を恐れずに言えば、基本的相違点は、国が設置
者であることには変わりはないが、運営は(大学としての裁量の幅・自由度が大きくなる)民
間的方法で、
というところにあります。―ただし法人としての大学は、設置者である国に対し
1期6年の「中期目標・計画」を提出してその認知を受けるとともに、6年後に達成度につい
て「評価」を受け、その結果如何で次期の財政配分が左右されるという「成績主義」とそれ
はセットされているのです。
学長、副学長、監査役等による「役員会」が大きな権限と責任を持つ組織として設置され
ること、主に「経営」については外部からの人材を入れた「経営協議会」を設置すること、
「評
議会」と教授会(教員会議)は、主に教育に関わる問題を審議する役割を担うこと等々、管理
運営の仕組みが現在とは相当異なったものになる「法人の基本設計図」が示されています。
教官、事務官は、国家公務員であることに伴う身分上の呼称ですが、
「法人」後は非公務員
となるため、教員、事務職員と呼称が変わるだけでなく、法律等によって定められている国
家公務員としての「権利・義務」関係が、民間企業における「雇用者=法人と被雇用者」の関
係に様変わりします。そうした制度上の変化の下で、研究・教育の水準と質、事務職員の仕
事の水準と質を如何にして向上させていくか、
このことがいずれにしても今後の本学の将
来を左右する要石であることに変わりはありません。
新制度設計についての文部科学省との協議と、
「中期目標・計画」についての事前協議は
表裏一体の関係にあり、前者を先行させつつその結果を後者に折り込んでいくこと、
これが
今春新入生を迎える頃の「国立福島大学」の最大の課題になるといって良いでしょう。
巻頭言●P1
大学改革●P2
卒業生から●P3
在学生から●P5
退職者より●P6
私の授業づくり・学生の声●P9
研究室の窓●P10
表紙デザイン 広川豪/教育学部美術教育専修4年
2
卒
業
生
か
ら
「福島での大学生活」
[教育学部]
黒木 彩香
私にとって今まで縁もゆかりも無かったこの福島は、4年間を経て、その存在を
故郷と並ぶまでに大きくしました。授業や遊びを含めた予想以上の人との出会い・
出来事は、福島に来ることがなければ有り得なかったことです。そのことが、中学・
高校とは異なる、実に充実した4年間を送る要因となりました。ゆえに大学を去る
にあたり、福島に来た自分は正しかったと思うことができます。
入学当初は、初めて親元を離れ生活することや、福島という未知の世界にかなりの不安や寂しさを感じてい
ましたが、時がたつにつれ帰省回数は減りました。冬の厳しさ、夏の酷暑も今では笑える思い出です。本当は
福島に縁があったのかもしれません。
人生で最も自由で楽しい4年間を福島で過ごすことができて誇りに思います。お世話になった人全員と福島
に敬意を表します。ありがとうございました。
“災を転じて福となす”
[教育学研究科]
村上 陽子
「これが音楽棟かー、結構ボロいなー(苦笑)」と大学生活に期待し
ていた18歳の私は入試段階で少々がっかりさせられた。しかし、その
後何だかんだ言ってこの学び舎で6年も過してしまったのである。設
備が決して良いとは言えないが長閑なこの環境で、尊敬するN先生の
元、好きなピアノを勉強できた事が学生生活最大の収穫であった。そして、諸事情により高校の時点で音大に
進みたくても進めなかった代わりに、両親が大学院に進学させてくれたお陰で学部では分からなかったことを
学ぶ事ができた。おまけに教採の勉強をする時間もでき、ありがたいことに4月から教師になることができた。
先日恩師とお気に入りの飲み屋で語らっていた時、店員に「高校の音楽の先生になるの?音大出身?」とカウ
ンター越しに訊かれた。
“(高校の)音楽教師は音大出身”と大抵相場が決まっているのだろうが、教育学部出
身だからこその教師になるぞ、
と心に誓った夜であった。
感謝の気持ち(卒業にあたって)
[行政社会学部]
大橋 美香
この4年間を振り返り、
まず思うことは福大に入り皆に出
会えて良かったなということです。サッカーが好きで思い
きってサッカー部のマネージャーになったこと、日本代表
に惹かれ木球世界大会に出場したこと、着物の大会に出
場し思いがけず賞を頂いたことなど語り尽くせない程の素晴らしい経験と思い出で満ちています。とにかく、
やってみたいと思ったら良くも悪くも即動きだしていた4年間でした。
私がこのように何でもやってみようと動き出せたのは、やはり大学で出会った仲間、友人、恩師等々…に励ま
し支えられたからだと感じています。特に、マネージャーになりサッカー部の一員として同じ目標に向かえたこ
とは何にも換え難く、書き表せないくらい様々な思い出と笑いetc…が詰まっています。念願だった天皇杯優
勝の場に立ち会えて本当に良かった!
大学時代に出会えた方々に感謝の気持ちを込めて最後に一言。ありがとう!
3
クローン
[行政社会学部]
卒
業
生
か
ら
布施 俊博
すぐ隣でホームレスのおっさんがけんかを始めたので、場
所を移そうと思う。
反対側で演っていた二人組の女の子(かわいい!)が、
どう
いうわけか私の歌を聴き始めてくれている。自意識過剰気
味の私は、上ずった声で「青空」を歌う。歌い終える。と、すぐさま二人の内の一人が、「あの…」。おずおずと目
を合わせると、
「一弦のスペアあります?切っちゃって…。」彼女たちの欲していたものは、私の歌などではなく、
一弦だったのだ。無言で差し出した私の一弦を受け取ると、彼女たちは去っていった。
空きっ腹にレッドを流しこむと、私は「Knockin'on heaven's door」演り始めた。
―もう、銃はいらない。バッヂもいらない―
アクセ売りの、外国人のおっさんが、
ボロのブーツでリズムを取りながら…、
いっしょに歌ってくれている!
そのおっさん、歌い終わると、趣味の悪いドクロの指輪を私にくれた。
大学で学んだこと
[経済学部]
芝田 郁子
「あなたの夢は何ですか。」
「将来、
何になりたいですか。」と問われなくなってから久しい。しかし、
自己実現
要求が強く、
落ち着きがない私は、
常に自分に対して、
その問いを発しながら生きているようなところがある。
学士入学を思い立ったこともその現れである。新しい枠組みが必要となる変革の21世紀に適した医療・保健・
福祉のシステムとは何だろう。医療・保健・福祉にはマネジメントの視点が必要であるとはどういうことなんだろ
う。二つの疑問の答えを見つけ、
実際にマネジメントしてみたいと思った。幸いなことに、
就職と入学が、
同時に
すぐ実現した。
仕事も勉強も面白い。主婦業もある。時間が足りない毎日であるが、
楽しんでいる。
2年が過ぎ、
卒業を迎えようとしているが、
端緒についたばかりで、
成果と言えば、
夫への理解が深まったこと
かもしれない。彼の考え方の基礎にある経済的なものの見方に気づき、
理解できるようになってきたことである。
留学生活にあたって
[経済学部]
石峰
私は日本に来て5年になり、福島大学を卒業にあたって、留学生活を振返り、大
学に留学するのは何のためでしょうか?まず日本の先進的な技術や管理手段を学
び、優秀な成績で卒業してから、中国に力を捧げます。また、日本の学生と良好な
友人関係を作り、
日本文化をよく理解し中国に伝えていくことも学業を全うするこ
とと同じく重要な成果だと思います。
充実な留学生活には仲良し友達はいなくては行けないと思います。しかし、留学生と日本人学生は、それぞ
れの生活態度や関心事、勉強意欲、生活価値観などの違いがあります。例えば、大学生活の過ごし方について、
留学生は知的活動や資格技能を磨く活動などの生活を優先に送りたいと思う人が多いが、日本人学生は青春
をエンジョイする方が多いそうです。したがって、国際交流には、
お互いに理解する気持ちを持たなければなら
なりません。その上、相手方から良い点を吸収しようとする心も大切だと思います。
4
在
学
生
か
ら
体育会系サークル
[行政社会学部]
和田 秀克
私たち男女バレーボール部が4年生の先輩方を中心としたチームになってから早くも一年がたちました。
先輩方は練習中には私たちを励まし、
ときに厳しく、
ときに優しくチームを引っ張ってくださいました。また、
部活以外でも相談相手になってくださり、そしてチームのまとめ役をしてくださいました。
今年、春季・秋季リーグ戦、東北総体、
インカレがあり、特に秋季リーグではチーム一丸となって戦った結果、
女子部は東北二部リーグ優勝というすばらしい結果を残すことになり、
また、男子部は入れ替え戦まで苦戦
しながらも、東北一部リーグ6位残留を果たすことができました。
しかし、私たちは皆さんが引退された今、先輩方が残してくださった結果に満足することなく、女子部は一
部昇格、
また、男子部は一部リーグでの更なる躍進のために日々練習に励んでいます。
卒業生へ贈る言葉
ESSサークル員一同
早いもので、昨年の卒業式から一年が経ち、
また卒業シ
ーズンを迎えることになりました。昨年の、僕達ESSの最
も大きなイベントである、
“ Long Play(英語劇)”の中心
となった4年生の先輩方にとって、
この一年は、大学生活
最後の一年であると同時に、特に感慨深いものであったと
思います。
英語によるスピーチコンテストへの参加等、活動の単位が“個人”になる事が多いESSの中で、最も先輩方
と親密に関わることが出来るのは、
この“Long Play”であり、サークル員一丸となって、1つの物語を完成さ
せることの素晴らしさを学びました。僕達を指導してくれた先輩方が、劇修了後流した涙は今も忘れません。
これからは、僕達がこのESSの伝統行事を引き継いでいけるよう、サークル員全員で努力していきたいと思
います。先輩方がそうしてきたように。
御卒業おめでとうございます。そして、卒業後の先輩方の御健勝を祈って。本当にお疲れ様でした。心から、
本当にありがとうございました。
5
早春賦 ― 学生へのメッセージ ―
退
職
者
よ
り
安藤 勝夫
[教育学部] 汚濁と混沌の悪夢からさめて五十有余年
二十一世紀の幕明け
激動と苦難の歳月を刻みながら
東北の冬空には暗雲が重くたれこめ
いくたびかめぐり来る春
東北の春はまだ遠い
除夜の鐘の哀しいしらべに
厳冬の凍てついた土の下から
過ぎし日の追憶を重ねながら
豊かな春の泉を汲み取ることができるように
新しい時の流れに耳を澄ます
明日への力強い飛躍にむけて
その厳冬の闇の奥から
たゆみなく前進の旅を歩みつづけよう!
明日を告げる夜明けの鼓動が
この東北の母なる大地に
遠く近く聞こえはじめる
君たちの春を豊かに花開かせるために!
回 顧
[教育学部] 伊藤 幸夫
昭和41年4月に初めて福島の土を踏み、それ以来37年間福島大学に御世話になりました。当時は学芸学部で、所属も
今の理科教育教室ではなく、数学教育と一緒になった「自然」という教室でした。理論物理専攻でしたので、教材研究とは
何か戸惑ったものです。
北海道から来て福島の夏の蒸し暑さには驚きました。そこで扇風機を研究室に備えようとしましたが講座費では買え
ないということで急拠ストロボを使っての回転数の測定のためという名目で手に入れたものです。一方暖房用の石炭運
びや石油運びも昔のこととなってしまいました。
計算機も変わりました。来る前は手廻し計算器が電動式に変わる頃でした。こちらに来て卓上式が出始め重宝しました。
しかし性能的には現在のポケットに入るものにも及びません。また昔は必需品だった丸善の七桁の対数表も完全に姿を
消してしまいました。
このような話をするのもこちらが年取った証拠か、皆様には長い間大変御世話になりました。
学生に望む
杉浦 勝男
[教育学部] 科学の先人達の中で諸君がよく知っている人物の一人に「ファラデー」がいると思う。彼は「静
電誘導」を考えるときに、
当時としては画期的なイメージ「電気的緊張状態(今で言う接近作用)」
を描き、ついには物質の誘電率を発見したそうである。また彼が始めて「電磁モーター」の実
験をした頃はオームの法則は知られておらず、電流と電圧の区別もはっきりせず、定常電流を
得ることもままならなかった、
にもかかわらず大電流を必要とするこの実験に成功いた要因の一つは、彼が大化学者デービ
ーの助手時代に「ボルタの電池」の作り方を習得し、高性能の電池を作ることが出来たからだと言われている。
彼はおそらく天才であったことは間違いないが、たゆみ無い努力を重ねて辛抱強く研究したこともまた事実であろう。私は
このことに深い感動を覚え、
勇気づけられる。諸君も真理の探求に当たっては、
よく努力し、
工夫し、
じっくりと関わって欲しい。
早坂 明夫
[教育学部] 「福島大学は不滅です」と言って大学を去りたいところですが、昨今の国立大学を取り巻く社
会環境はそれを許しません。これまでは国立大学は財政的基盤の一切を国に依存しながら、
「大
学の自治」、
「学部教授会自治」を主張し、社会情勢の変化への対応に鈍感であったように思い
ます。大学が社会発展の基盤組織であることを再認識し、大学構成員個人の考えと社会という
公の考えとの間のバランスをとり、大学を存続させる必要があります。これからの大学は高校生にとって魅力のある教育内
容や教育指導を提供すると共に、研究成果を持って地域社会に目配りしながらグローバルな国際社会へ貢献すべきと考え
ます。その教育環境の中で、学生諸君は学力と人格を磨き、社会から望まれる人材になることで、福島大学の存続の担い手
となって欲しいと思います。大学がこのような事態に至ったことの責任の一端を深く感じながら、虫のいいお願いを残すこ
とをお許し下さい。
6
退
職
者
よ
り
退官を前に思うこと
[教育学部] 鷲尾 多三郎
1970年に赴任し、それから33年間ドイツ語、外国文学、教養演習等を担当しました。着任当
時はいわゆる大学紛争がようやく収まりかけた頃で、
まだその余燼があちこちでくすぶってい
ました。特に本学では構成員自らの手で紛争を解決した経験が、激しかった争闘のいくつかの
場面とともに繰り返し語られたものです。続いて金谷川現キャンパスへの統合移転、
これを準
備する過程で本学は文字どおり民主的な福島大学へと生まれ変わり、
自由にものが言えるという恩恵を十分に享受させても
らったと思っています。そして今また大学は法人化と再編で大きく揺れ動いています。もちろん30数年前とは背景も性格
も大きく変わりました。21世紀は環境問題など人類がその存在を試される世紀、そんな予感がないでもありません。これか
らの大学の重要な役割の一つは、やはりそういう時代を担う若者を育てることでしょう。それには若い学生諸君自身のガン
バリとそれを可能にする大学の自由で活発な雰囲気がぜひとも必要だろうと、退官を目前にそんな期待を抱いています。
学生とともに過ごした14年
工藤 雅樹
[行政社会学部] 早いもので福島大学で考古学と博物館学を担当して14年が経過した。その間、行政社会学
部はもちろん、教育学部の学生も含めて多くの学生と毎年県内外の古墳や集落遺跡などの発
掘調査・測量調査にあたってきた。学生時代の調査体験を基礎に、各県・市町村の教育委員会・
埋蔵文化財調査センター・博物館などで専門調査員や学芸員として活躍している卒業生も少な
くない。また福島大学だけではなくさまざまな大学の卒業生で各調査機関で実績のある人が社会人として大学院に入学し
てきた。そして卒業生たちは折につけて大学や調査現場に顔を出してくれ、何かと在学生の相談にのってくれている。私の
古代東北についての研究も、学生諸君との調査成果をふまえて厚みを増すことができたのである。こんなことを振り返るに
つけて、福島大学には感謝の気持ちでいっぱいである。
願わくは新体制のもと、多方面で学生とともに学ぶスタイルが一層展開することを。
ビジョンをもち実行のために、信念と勇気を
[経済学部] 下平尾 勲
昨日のように今日も、今日のように明日もという思いで生活しているうちに、戦時・戦後の混
乱も、高度経済成長も遠い昔のこととなり、
まもなく、第二の成人式を迎えます。本学には人生
の半分近い29年間お世話になり、感謝しています。420名のゼミナール生を送り出し、卒業生
が多方面で活躍しており、教師冥利につきる思いであります。しかし、学問研究には定年はあり
ません。ところで、本学に目を向けますと、新しい大学を生み出す苦悩の時代がはじまっています。独立行政法人化、自然系
学部新設等。変化の時代には、地方大学とは何か、大学はどうあるべきかをよく分析し、少し大きめのビジョンをもつこと、そ
の理由づけと意義について、わかりやすく、大胆に、従来の考え方とどこが区別されるかを説明すること、世論を喚起しなが
ら、みんなで相談し、決め、実行していくことが肝要です。大学の存在は研究にもとづく教育にあります。それは人の行為で
す。人の行為の本領は意志にあり、意志の本質は目標をもった信念と勇気にあります。大学の原点は何かを考え、高い理想
をもって行動を起こすことが最も大切かとおもいます。皆さんに期待しています。
7
福大よ、限りない発展を!
退
職
者
よ
り
熱海 正一
[施設課] この3月定年をむかえ退職することになりましたが、
振り返ってみると「正に才月の流れは早い」
の一言につきます。昭和37年7月に就職して41年、大して仕事もせず、病気らしい病気もせず、
同じ職場(施設課)によくもまあ通ったものだという思いと、
もう車を飛ばし通うことはないのだ
という思いが交錯している昨今です。時折、若い時分にあった転勤の話を受け入れ転勤してい
たらどういう世界があったのかと思わないでもありませんが、今そう思っても詮ないことです。
この41年の間に、大学も大きく変わりました。森合団地【経済学部】
(現県立美術館・図書館)、
浜田町団地【教育学部】
(現教育学部附属中学校・県立東高等学校)から金谷川団地へ移転統合、
木造校舎から高層の鉄骨鉄筋コンクリートの建物へ、2学部から3学部へ、情報処理センターを中心に高速情報ネットワーク
も整備されました。これら教育・研究を支える基盤である施設整備に関われたことは小生の財産であり誇りでもあります。
さて、福島大学は全学再編・理工系学域創設、独立行政法人化と大学にとって大きな激動・変革期の正念場となってきてい
ますが、全教職員の意識改革のもと総力を結集し「新生福島大学」の早期誕生をそして限りない発展を祈りますとともに、
みなさんが元気でますます活躍されることを祈念申し上げ、退職の辞といたします。
長い間、ほんとうに有り難うございました。
去るにあたって
[附属養護学校] 大槻 茂
私は昭和39年4月に学生課に採用され、当時の学生課は教務係と学生係の2係で職員数も課長を含め4人だけのきわ
めて家族的な職場でした。以後数回の学内異動を経て、
この3月に附属養護学校で定年を迎え、
退職することになりました。
この間、それぞれの職場においてまがりなりにも大過なくやってこられましたのも偏に、皆様方からのご指導、
ご助言等
の賜であると思っております。
在職中の思い出として印象強く残っているもののひとつに、昭和43∼45年ころの学長辞任要求や学舎移転統合の問
題等が発生したいわゆる大学紛争があります。このときに全学協議で確立された三者自治の精神や統合の三原則は、今
は遠い昔のように感じられます。
しかし、
これからもこの精神や原則を大切に、今後の独立行政法人化、大学再編、学部増設等の諸問題を乗り越えて、福
島大学がますます発展されますことを心から祈念しております。
かわったこと、かわらないこと
渡邉 武房
[附属図書館] 浜田(11)・森合(5)・金谷川キャンパス(22)、合わせて38年(1965.4-2003.3)の間、1
ライブラリアンとして過ごしてまいりました。その間、図書館は静かにですが大きくかわりました。
そんななかで私もいくつかの仕事に取り組みました。
「かわったこと」は、快適な住環境になったこと、ほぼ全件がパソコンで見られるようになった
こと、電子資料も登場し、各種サイトも有力な情報源となったこと、75万冊にも増殖し、二大文庫が加わったこと、県内ネット
ができ、市民がやって来るようになったことなどです。学内から、自分たちの図書館を作るといった意識がうすらいできたこ
とは残念なことです。
たえず利用者との接点からフィードバックして仕事を見直すこと、資料・情報に鋭敏なアンテナをあげておく努力、これら
は「かわらないこと」として続けられることでしょう。
4月からは有明の森(テニス・全日本シニア本戦出場)を目差します。お元気で。
8
私
の
授
業
づ
く
り
・
学
生
の
声
火山と災害 ― 授業概要と学生アンケートの結果 ―
[教育学部]
長橋 良隆
みなさんは、2000年に噴火した火山の名前を全て挙げることができますか、
日本には活火山がいくつあると思います
か。地表に噴出したマグマの温度は何度ぐらいだと思いますか。私の授業は、火山に関するアンケートから始まります。
有珠山と三宅島の噴火から2年余りしか経っていないのに、実際に災害にあわなかった人は、
「そんなこともあったな」
という程度の記憶しかないでしょう。日本には約110個の活火山があります。ぴんとこないかもしれませんが、世界の活
火山のうちのおおよそ1割が日本にあります。日本の面積を考えると大変なことです。
授業内容は、火山が地球のなかでどのように位置づけられるのか、火山の噴火過程と噴火現象を理解し火山噴出物が
地表環境に及ぼす影響について学びます。図・表の資料がB4で20枚、
びっちりと文字で埋まっている用語集がB4で10
枚、
これら全てを授業の一番最初に配布します。学生は、次回の授業のところの資料と用語集に目を通しておくことが必
須になっています(なかなかそうはいかないみたいですが)。授業では、図・表類の資料をOHPで説明する形式で進めて
おり、板書はあまりしません。スライド・ビデオを結構な頻度で使いますし、簡単な実習を行うこともあります。また、岩石や
火山灰などの実物も見てもらいます。火山の噴火現象は非常に多様で、その規模にも非常に大きな幅があります。実際に
火山噴火が起こったときには、住民・行政・マスメディア・科学者がそれぞれの役割を全うしてまたお互いに協力して対処
しなければなりません。このことを単なる言葉だけの理解でなく、論理的かつ想像力たくましく自分で考えることができ
るようになってほしいと願っています。
さあ、
どんな授業だと想像しましたか。下に、
この授業についての学生アンケートの結果があります。受講届けを出した
人数は79名で、毎回50名程度の出席でした。なぜかアンケートをとったときには、出席者が少なかったです。回答した人
のうち、約7割が90%以上の出席率だと答えています。授業時間以外の勉強は、ほとんどしなかった・まったくしなかった
人が約6割でした。授業に対する参加意欲は、非常に意欲的・ある程度意欲的と答えた人が6割でした。アンケート結果の
解釈は、読者のみなさんにそれぞれおまかせするとして、私からのコメントを少々付け加えておきます。
学生への対応で評点が低いのは、遅刻してきた学生にいちいち小言を言ったからでしょうか。板書・OHPについての評
点が低いのは、板書自体が少ないこととOHPを映写するスクリーンが小さいからでしょう。最後に、授業内容の理解、
この
評点が最も低い。授業者の認識と学生の理解度との間にはやはり隔たりがあるということでしょうか。分からないままに
しておくのはすごく気持ちが悪いと思うのですが、授業者・学生とも努力を続けるしかないですね。
「地圏環境科学(地学概論Ⅲ)」の学生アンケート結果(回答者数38名)
5段階評価
設問 1
4.3
2
3.7
3
4.5
4
3.9
5
3.6
6
4.1
7
3.8
8
3.1
9
4.0
10
3.8
11
3.8
12
3.6
100
80
60
40
20
全くそう思わない(良くない)
どちらともいえない(普通)
あまりそう思わない(あまり良くない)
ややそう思う(良い)
0(%)
強くそう思う(非常に良い)
設問
1
2
3
4
9
授業への熱意が感じられた
学生への対応は適切であった
授業の準備がしっかりなされていた
話は聞き取り易かった
5
6
7
8
板書・OHPなどは見やすかった
教科書・参考書・資料などは適切であった
シラバスに沿って授業が行われた
授業の内容は良く理解できた
9 授業の場では学習する雰囲気は保たれたか
10 授業の場の大きさや設備は適切であったか
11 受講者は適切であったか
12 総合的にみてこの授業内容に満足しましたか
研
究
室
の
窓
[行政社会学部/英語コミュニケーション]
真歩仁しょうん
あなたの中学校または高校にはAET(英語指導助手)
という方がいらっしゃいましたか。AETとは主に英語圏の
国々から、
日本のほとんどの学校に臨時的に派遣され、英
語教師と一緒にティームティーチングをやっている人です。
1987年以来、いわゆる「国際化」、
また皆さんの英語能
力が上達するようにと、地方公共団体が総務省、外務省、
文部科学省、
および財団法人自治体国際化協会(CLAIR)の協力の下に「JETプログラム」を実施しています。
もちろん、多くの成功、そして問題もあります。このプログラムは毎年600億円以上を費やすうえに6000人
以上の人が採用されているのでやはり賛否両論です。
私は1995から97年までこのプログラムに参加して、98年から福島大学でJETの問題について研究し始
めました。JETの現状を吟味するため、2000年に全国的なアンケートを実施し971名の英語教師と431名
のAETから回答を集めました。アンケートの内容は英語教師・指導助手の役割、教師達の英語教育観、言語学
習・指導の考え方、その他の問題点についてであり、5600ページにものぼる大切なデータを得ました。これ
をもとに、
これからの日本における英語教育を発展させるために文部科学省へ働きかけると共に、英語教育に
携わる人々の意思の向上に期待したいと思っております。
[経済学部/会計学]
村田 英治
このところ企業会計がマスコミでも、
かまびすしく取り上げられるようになりました。歴史が示すように、会
計が注目されるのは、たいがい宴(バブル)のあとです。景気が沈むと、経済活動を制御すべき会計制度の
粗が見えてくるからです。
今日の状況が過去の歴史と異なるのは、企業会計の国際化が急速に進んでいることです。国際的に会計
基準を統一することは度量衡を換算するように容易いものではありません。会計の目的は、企業のパフォー
マンスを測定することにありますが、会計基準はどちらかというとスポーツの競技ルールに似ていて、決め
方によっては特定のチーム(企業、産業、あるいは国)に有利になったり不利になったりします。そのため、会
計基準の設定プロセスは、すぐれて政治的な様相を呈することになります。
会計学は、単なる計算技術と見られがちですが、社会科学の一分野とされる所以は、一つには、
このような
ところがあると思われます。
企業会計をめぐる最近の出来事
2001年1月 IASCの改組によりIASB(国際会計基準理事会)発足。
8月 民間の基準設定機関として企業会計基準委員会発足(日)。
10月 エンロン、簿外取引による会計操作発覚(米)。
2002年6月 ワールドコム、38億ドルの粉飾決算発覚(米)。
7月 企業会計の信頼回復のため企業改革法が成立(米)。
8月 「固定資産の減損に係る会計基準」公表(日)。
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2003年3月1日
福島大学広報委員会
http://www.fukushima-u.ac.jp/