1 「ユーロ危機」は欧州統合の危機か? 新潟大学人文社会・教育科学系

「ユーロ危機」は欧州統合の危機か?
新潟大学人文社会・教育科学系(経済学部)
准教授
藤田憲
1.欧州統合と「新自由主義」
EU 債務危機を契機として、
「新自由主義の総帥」とも称されるハイエク(F. A. Hayek)
の言説に改めて注目が集まっている。ハイエクは、戦間期以降一貫して、各国政府による
財政の膨張と債務の拡大が、物価の上昇と通貨価値の下落をもたらし、自由社会を不安定
化させると説いた。拙稿が指摘するように、出資者である中央銀行家の「クラブ」として
「ユーロ危機」対応の舞台と化している国際決済銀行(BIS)
(第 1 次大戦講和条約に基づ
くドイツによる賠償金支払いプロセスにおいて 1930 年発足)、および、欧州連合(EU)
(1993 年発足)や欧州中央銀行(ECB)(1998 年発足)とともに「トロイカ」体制の構
成主体として今次危機への関与を深める国際通貨基金(IMF)(1945 年発足)の実務的基
礎を築いたと評されるヤコブソン(P. Jacobsson)も、
「自由はサウンドマネー(健全通貨)
に宿る」と強調し、第 2 次大戦期の「総力戦」により抑圧された自由主義の「復権」を訴
え続けたという点で、広義の「新自由主義」を信奉していた (1) 。国際連盟(1920 年発足)・
BIS・IMF で要職を歴任した「国際金融人」ヤコブソンは、第 1 次大戦後の巨額賠償金支
払いに由来するドイツにおける財政破綻・ハイパーインフレーション・ナチズム勃興とい
う負の連鎖に、国際連盟・BIS で対峙した実務的経験を有する。かかる一連の苦闘を踏ま
え、通貨の健全性確保の観点からケインズ主義的財政出動を忌避するとともに 、新自由主
義的諸政策を支持・推進したのである。
「新自由主義」は、その内部に重要な差異を含みな
がらも、19 世紀的自由放任論からは一定の距離をおき、市場メカニズム活性化を企図とす
る国家の政策的関与の下で、
「インフレなき財政均衡」を目指す貨幣・信用論に基づいて構
築されたと言えよう。
第 2 次大戦後欧州統合をめぐる最近の実証研究は 、のちに「冷戦」概念の定着に貢献す
ることになるリップマン(W. Lippmann)を主導者の一人とする「自由主義の刷新を目的
とする国際研究センター」
(1938 年発足)、その後継組織としての「モンペルラン協会」
(初
代会長ハイエクの下、1947 年発足。)が擁する、ハイエクやリュエフ(J. Rueff)、フリー
ドマン(M. Friedman)らによる新自由主義的政策提言能力の高さを指摘する (2) 。1952 年
発足の欧州石炭鉄鋼共同体が自由競争市場で機能する価格メカニズムを通じた独占の排除
を掲げるなど、統合欧州建設過程には、当初から、ハイエクらが主導する新自由主義的経
済社会構造改革路線が明示的であった。そしてドル危機の展開に伴い欧州通貨統合が現実
の課題となった 1970 年代初頭において、高率の金・外貨準備による銀行券発行制約を通
じたインフレ回避、価格メカニズム復権を通じた自由・公正な競争条件構築を 意図する広
義の新自由主義マネタリズムが、欧州統合における「不動の理念」
(3) として定着したので
ある。
1989 年、東西「冷戦」の象徴としての「ベルリンの壁」が崩れた。翌年の東西ドイツ再
統一をきっかけに、欧州共同体(EC)
(1967 年発足)加盟 12 カ国は、1993 年の EU 発足、
さらに 1930 年代以来の BIS における中央銀行間協力を梃子としつつ、1999 年のユーロ導
入による通貨統合へと歩みを進める。11 カ国で発足したユーロ圏は、「ユーロ危機」 下の
2011 年 1 月、エストニアにおけるユーロ導入を受けて、その構成国数を 17 にまで増やし
ている。自国通貨をユーロと固定させている旧フランス領アフリカ植民地諸国などを含め
1
た「事実上のユーロ圏」は、現 EU 加盟国数 27 を上回り、40 を超える。
「ユーロの傘」に
守られることを望むクロアチアによる 2013 年の EU 加盟が決定しており、EU 加盟国であ
りながらユーロを導入していないデンマークも、ERM2(ユーロ導入の条件となる欧州為
替相場メカニズム)に基づき自国通貨の対ユーロでの変動を一定範囲に抑制している。
EU 加盟 27 カ国(EU27)経済全体が深刻な債務危機に苦悩する今日、空間的・時間的
視野を可能な限り広げ、より多様な観点で欧州統合の将来を展望する必要があろう。 具体
的には、欧州通貨統合を国際金融史的に切開し、ユーロという類例のない地域主義的単一
通貨の存在意義を確認したい。ユーロ圏は域内総生産( GDP)、人口ともに日本の 2 倍を
超える。現金通貨としてのユーロの流通高はすでにドルのそれを凌いでいる。第 2 の基軸
通貨たるユーロの将来が世界の関心事であることは、論を待たない。
2.EU における新自由主義的財政ルールの機能不全―「安定・成長協定」運用の実際
ユーロ圏加盟国の債務過剰に由来する危機回避を目的として合意されたのが、EU 条約
に基づく「安定・成長協定」(1998 年運用開始)である。市場メカニズムの発効による経
済社会構造改革を通じたユーロへの信認確保を政策的意図とするこの協定は、単年財政赤
字の GDP 比 3%以下への抑制、累積政府債務の GDP 比 60%以下への抑制、および同協定
違反時の是正手続きなど、新自由主義的財政ルールを規定している。では、2009 年秋の政
権交代後ギリシャにおける財政危機露呈を発端とする「ユーロ危機」との関連で、
「安定・
成長協定」が危機抑止機能を果たせなかったのはなぜなのか。
2009 年 10 月の政権交代を契機に暴露されたギリシャ財政統計の不正は「想定外」で、
たとえ協定が厳格に運用されていても防ぐことは難しかった ろう。また、ユーロ導入後に
過剰な財政赤字を計上したのがイタリア・ギリシャなどの重債務国ばかりでなかったこと
も問題を複雑にしている。たとえば、
「ルール主義」に基づき「安定・成長協定」導入を主
導したドイツが深刻な景気停滞に陥り、2005 年まで 4 年連続で財政赤字 GDP 比 3%超を
記録していたし、フランスも同様の協定違反状態に陥った。結局 EU 財務相会合は、ユー
ロ中核国のドイツ、フランスを「制裁」する決議を採択できなかったばかりか、2005 年に
は、協定違反を助長しかねない「運用柔軟化」を決定し たのである。各国の財政負担につ
ながるマクロ経済不均衡も看過された。アイルランド、スペインの財政危機は、不動産バ
ブル崩壊で税収が急激に落ち込んだことに加え、金融システム対策費が膨張したために起
きた。両国とも、危機前には好景気で、財政収支は黒字か均衡を計上していた にもかかわ
らず、危機は勃発したである。
それでは、グローバル金融経済危機の一環として捉えた 「ユーロ危機」は、EU27 の財
政・債務状況にいかなる影響を及ぼしたと言えようか。今年 4 月 23 日付で EU 統計局が
公表した、2011 年における EU 加盟各国の財政状況に関するニュース・リリース(62/2012)
をてがかりとして考察する。このリリースが、
「ユーロ危機」の深刻さを金融市場参加者に
再認識させたことは記憶に新しい。以下で、その内容を概観したい。
2011 年 EU 経済圏においては、2007 年に始まり特に 2008 年 9 月のリーマン・ショッ
クで顕在化したグローバル金融経済危機の影響を受けて 、域内実質 GDP 成長率が 1.5%に
留まった。一方で、EU27 共通の新自由主義的財政ルールとして前述の「安定・成長協定」
に盛り込まれた財政収斂基準によれば、EU 加盟国は、単年財政赤字(government deficit)
を GDP 比 3%以下、累積政府債務(government debt)を GDP 比 60%以下、とすること
2
を求められるにもかかわらず、ユーロ圏(euro area)構成 17 カ国(EA17)における財
政赤字・政府債務統計、EU27 における財政赤字・政府債務統計は、
「ユーロ危機」対応が
いかに困難であるかを再提示する諸数値で埋め尽くされていた。今次グローバル金融経済
危機の勃発以降、EU27 で幅広く選択された需要喚起・金融機関「救済」を主目的とする
緊急避難的財政出動の結果、EA17 における GDP 比財政赤字は、危機発生初期の 2007 年
における 0.7%から 2010 年には 6.2%へと悪化し、2011 年には 4.2%へと若干の改善を示
したものの、全体としての協定違反の状態に変化はない。EU27 に関しても同様であり、
2007 年の 0.9%から 2010 年の 6.5%への悪化を経て、2011 年には 4.5%へと若干の改善
を記録した。一方、累積政府債務残高については、その深刻さが増すばかりである。EA17
における GDP 比政府債務は、2007 年末における 66.3%から 2011 年末における 87.2%へ
と悪化し、EU27 においては、59.0%から 82.5%へと悪化した。
2011 年 GDP 比財政赤字の数値を財政危機深刻度の指標として順位付けすると 、次のよ
うに整理される。なお、GDP に変化がなければ、歳出が歳入を上回る状態としての財政赤
字の拡大が、GDP 比財政赤字に関する数値のマイナス幅を拡大させることは指摘するまで
もない。第 1 位:アイルランド(-13.1%)、第 2 位:ギリシャ(-9.1%)、第 3 位:ス
ペイン(-8.5%)、第 4 位:イギリス(-8.3%)、第 5 位:スロヴェニア(-6.4%)、第
6 位:キプロス(-6.3%)、第 7 位:リトアニア(-5.5%)、第 8 位:フランス、ルーマ
ニア(-5.2%)、第 10 位:ポーランド(-5.1%)。2011 年に財政収支状況が相対的に良
好であった国を指摘するならば、第 1 位:ハンガリー(4.3%)、エストニア(1.0%)、第
3 位:スウェーデン(0.3%)、第 4 位:フィンランド(-0.5%)、第 5 位:ルクセンブル
ク(-0.6%)であった。なお「欧州の女王」メルケル首相率いるドイツが第 6 位となり、
面目躍如の-1.0%を記録している。EU27 のうち 24 カ国で GDP 比の数値が改善し、悪
化が確認されたのは 2 カ国であった(変化なしが1カ国)。
次に、2011 年末時点における GDP 比政府債務の数値についても、危機的状況の深刻性
という観点から順位付けする。14 の EU 加盟国が財政収斂基準である「GDP 比政府債務
60%以下」を逸脱した。第 1 位:ギリシャ(165.3%)、第 2 位:イタリア(120.1%)、第
3 位:アイルランド(108.2%)、第 4 位:ポルトガル(107.8%)、第 5 位:ベルギー(98.0%)、
第 6 位:フランス(85.8%)、第 7 位:イギリス(85.7%)、第 8 位:ドイツ(81.2%)、
第 9 位:ハンガリー(80.6%)、第 10 位:オーストリア(72.2%)、第 11 位:マルタ(72.0%)、
第 12 位:キプロス(71.6%)、第 13 位:スペイン(68.5%)、第 14 位:オランダ(65.2%)。
2011 年末時点における GDP 比政府債務の数値が相対的に良好な国については、第 1 位:
エストニア(6.0%)、第 2 位:ブルガリア(16.3%)、第 3 位:ルクセンブルク(18.2%)、
第 4 位:ルーマニア(33.3%)、第 5 位:スウェーデン(38.4%)、第 6 位:リトアニア(38.5%)、
第 7 位:チェコ(41.2%)、第 8 位:ラトヴィア(42.6%)、9 位:スロヴァキア(43.3%)、
10 位:デンマーク(46.5%)のような順位付けが可能である。
EU 加盟国の単年財政赤字・累積政府債務に関する諸数値からは 、新自由主義的財政ル
ールの機能不全を受け、大半の加盟国が「安定・成長協定」違反と認定される「ユーロ危
機」下においても、2011 年 1 月 1 日付けで 17 番目のユーロ圏構成国となったエストニア、
ユーロ圏を代表する国際金融センターに躍進しつつあるルクセンブルクという二つの小国
における良好な財政・債務状況が浮き彫りとなっている。
3
3.「ユーロ危機」を好機とする欧州統合の「深化」
結びに代えて、BIS が今年 6 月 24 日付で公表した年次報告をてがかりとしつつ、欧州
統合の「深化」を展望したい。各国中央銀行を出資者とする 1930 年創設の BIS は、第 2
次大戦期も休まず年次報告を刊行し続けている。スタイルの確立者こそ、創設期 BIS に経
済顧問として着任し 25 年にわたって年次報告を執筆し続けた前述のヤコブソンであった。
今年度版 BIS 年次報告は、ユーロ圏における銀行同盟創設によってユーロを取り巻く圧
力が緩和され、長期的に存続可能な状態に導く時間的余裕が得られる可能性があるとの見
方を示し、ユーロ圏の銀行監督を一元化する銀行同盟の創設、預金保険制度の共通化や銀
行破綻処理基金の創設へ弾みをつける内容となっている。 BIS 年報によれば、銀行ルール
を共通化することでユーロへの信頼感を醸成し、銀 行破綻を警戒した預金の流出を防ぐこ
とができる。実際、ギリシャの銀行では、2010 年の初めから3割近くの預金が流出してい
る。
BIS 年報の伝統的主要テーマである中央銀行に課された 金融安定と経済成長支援の重責
については、グローバル金融経済危機に際した中央銀行の断固とした対応で、 BIS 創設期
1930 年代の世界的大不況の二の舞は避けられたと指摘。ただ、低金利で時間稼ぎはできる
ものの、銀行の不良債権処理や家計債務の削減へのインセンティヴも低下するとし、景気
回復時に構造問題を解決しなければ、次の危機につながるリスクがあるとの見方を示す。
世界経済については、悲観的な見通しを明らかにしている。金融・経済の弱さの根本原因
を解決しなければ、中央銀行に対して実行可能な政策以上のものを求める声が広がって超
緩和的金融政策を巻き戻すことが困難となり、最終的には中央銀行の信認と自主性が損な
われると指摘した。 各国政府に対しては、中央銀行への圧力を取り除き、国家財政への信
頼感を後押しするため積み立て不足に陥っている年金・社会保険や「肥大化した」公的部
門の問題解決を迅速に行うよう促している。
BIS が年報で「ユーロ危機」緩和の起爆剤と指摘する銀行同盟については、実現すれば、
ユーロ圏内のいずれの国の銀行が破綻しても、ユーロ圏加盟国が共同で資金負担する枠組
みが整うことを意味し、財政統合が一歩前進する。域内で財政統合を討議する機が熟して
きたと判断した EU は、6 月末の首脳会議で、BIS 年報の公表と歩調を合わせるかのよう
に、財政統合の試金石としての金融行政の一元化を提案した。これまで各国が個別に手掛
けていた銀行監督のほか、預金保険制度を集約するこの提案の青写真は、 BIS 理事会にお
いて「ユーロ」生誕に深く関与した元フランス銀行総裁ドラロジエール(J. de Larosière)
によって描かれたものである。戦後期欧州統合が 1950 年のフランス外相シューマン(R.
Schuman)の宣言に基づく仏独国境地帯石炭・鉄鋼の共同管理を起源としていることもあ
り、欧州統合の「精神」を継承する形で、大手銀行を共同監督する構想への抵抗感は比較
的小さい。しかし、さらに統合を「深化」させ、EA17 が国債を共同で発行することには、
なお賛否が入り交じる。欧州南部では利回り低下に伴い財政負担の 軽減が期待されるが、
欧州北部では利回り上昇に伴い財政負担の増大が懸念されるからである。ユーロ圏共同債
の発行が、ドイツにとって最大 445 億ユーロ(4 兆 5000 億円)の負担増につながるとの
試算も存在する。単純計算するとドイツにおける税収の 10%超に相当することから、メル
ケル首相が共同債発行容認に傾いたとしても、有権者を説得しきれるかどうか不透明だ。
このようにユーロ圏を筆舌に尽くしがたい不透明感・閉塞感が覆っていることは、敢え
て指摘するまでもない。しかし「欧州人」政策担当者に、欧州統合の契機となった「第 2
4
次 30 年戦争」下欧州におけるそれを凌ぐとの認識はない。1914 年の第 1 次大戦勃発から
1945 年の第 2 次大戦終結までの危機を「30 年戦争」と一括する多くの「欧州人」にとっ
ては、「欧州人」統合の象徴たるユーロを強襲する今次「ユーロ危機」さえ、「第 1 次 30
年戦争」(1618~1648)後の「ウェストファリア体制」という「近代」欧州国民国家間緊
張関係の超克に資する、「ポスト・モダン」時代の一大好機にすぎないのである。「ユーロ
危機」下 EU の戦略的「成長」資金調達に関して、国際金融センター・ルクセンブルクに
本拠を構える欧州投資銀行(EIB)(1958 年発足)へのかつてない重責の付与も決定され
た。欧州経済共同体(1958 年発足)域内におけるマクロ経済不均衡の是正を目的として設
立された EIB。同行には、ケインズ(J. M. Keynes)の「超国家銀行」設立構想を継承す
るトリフィン(R. Triffin)やトリフィンを経済学的ブレーンとするユーリ(P. Uri)ECSC
経済局長ら、
「モネティスト」によって主導された発足の経緯が存在する (4) 。
「新自由主義」
を統合欧州建設の旗印に掲げる EU は、今、歴史的岐路に立っている。
(1)
拙稿「欧州通貨統合と旧フランス領アフリカ植民地の包摂―フランス銀行による「リス
クの集中管理」政策との関連において」藤田和子・ 松 下 冽 編 著 『新自由主義に揺れるグ
ローバル・サウス―いま世界をどうみるか』ミネルヴァ書房、2012 年を参照されたい。な
お欧州通貨統合の国際金融史的起源について、1930 年代 BIS を舞台とする萌芽期国際的
通貨当局者間協力に求める研究が進展している。筆者を含む研究グル ープによる共訳書(エ
リン・ヤコブソン(吉國眞一・矢後和彦監訳)
『サウンドマネー―BIS と IMF を築いた男,
ペール・ヤコブソン』蒼天社出版,2010 年(Jacobsson, E., A Life for Sound Money: Per
Jacobsson-His Biography, First Edition , Oxford, 1979)),同グループ主宰者による単著
(矢後和彦『国際決済銀行の 20 世紀』蒼天社出版,2010 年)を挙げておく。
(2) さしあたり、Gillingham. J., European Integration, 1950-2003: Superstate or New
Market Economy? , Cambridge, 2003. と権上康男編著『新自由主義と戦後資本主義―欧
米における歴史的経験』日本経済評論社、2006 年を挙げておく。
(3) 権上康男・石山幸彦「総括」権上康男編著『新自由主義と戦後資本主義―欧米における
歴史的経験』日本経済評論社、2006 年、p.413。
(4) 拙稿
「ヨーロッパ経済共同体設立交渉とピエール・ユーリ―海外領土問題をめぐる仲介」
木畑洋一編『ヨーロッパ統合と国際関係』日本経済評論社、2005 年、および、拙稿「ピエ
ール・ユーリと共同体論」小野塚知二・沼尻晃伸編著『大塚久雄『共同体の基礎理論』を
読み直す』日本経済評論社、2007 年を参照されたい。
5