生命と生命のかけ橋 for カンボジア

いのち
魅力あふれるひと 魅力あふれる徳島 「かがやく生命と時間のために」
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生命と生命のかけ橋 for カンボジア
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2009年7月4日in オーディーセントラル病院(プノンペン市)
カンボジアで不足する救急車の贈呈式 編
7月4日in 職業訓練センター(スバイリエン州)
日本の高校生のアイデアで、カンボジアの新商品を作ろう! 編
7月5日in スラム街(プノンペン市郊外センソック地区)
スラム街の子どもたちとスポーツと食の交流・夢まつり開催! 編
7月5日inトゥールスレン博物館(プノンペン市)
この国で避けては通れない事実・・・ポルポト派の悲劇を痛感 編
2009年度 社団法人 徳島青年会議所
「生命と生命のかけ橋 for カンボジア」実行委員会
2009年7月4日in オーディーセントラル病院(プノンペン市)
カンボジアで不足する救急車の贈呈式 編
(社)徳島青年会議所は、
カンボジアで不足
している救急車を1台贈呈し、7月4日、
カンボ
ジアの首都プノンペン市にて、現地時間朝8
時から行われた贈呈式に、徳島JCメンバー
35名が出席した。
カンボジアは、
アジア地域でワーストワンの交
通事故死亡率である上、慢性的に医療器具
が不足しており、中でも救急車は数えるほどし
か存在せず、
それを知った徳島JCが、今年度
の予算や県内事業所等に寄付金を募り、
日
本国内で救急車を購入し、6月、神戸港からプ
ノンペンに向けて運送したものがこの度無事
到着した。
贈呈式には、
カンボジア保健省長官エン・フッ
ト氏や、
プノンペン市副知事チャン・ソム・アン
氏、
プノンペン市保健局局長ソック・サクン氏
など国内の名士・来賓が集まり、壮大に執り
行われた。
式では、2009年度徳島JC理事長・山橋史宣
が「この救急車がカンボジアで輝く命と時間
のためにお役に立てることを願っています」と
現地語を交えて挨拶し、
その模様が7月7日の
カンボジア全国にニュースとして流れた。
今後、贈呈した救急車は、
プノンペン中心地
にあるオーディーセントラル病院で使用される。
救急車を贈呈したいと発案した、徳島JC・心
と心の国際交流委員会委員長・笹川英治は、
「この2月に、事業の現地調査として一度カン
ボジアを訪れて、
この国の劣悪な交通環境と
交通事故の多さに驚いた。今後は救急車だ
けでなく、
AEDや医療器具なども徳島から贈
ってゆけるよう、
今回の事業をつなげてゆきたい」
と語った。
001 徳島JC 2009.7/3-6 ● 救急車の車体には、青年会議所の文字と、
今年度のスローガンである「かがやく生命と時
間のために」の文字が。
●贈呈式後、調印式に臨む山橋理事長。
プノンペン市からは感謝状が丁重に贈られた。
また、
この日の夜の懇親会には、在カンボジ
ア大使の篠原大使にお越しいただいた。日
本政府の要人がこうして駆けつけてくれた
のも、JC活動の賜物だと思う。
7月4日in 職業訓練センター(スバイリエン州)
日本の高校生のアイデアで、カンボジアの新商品を作ろう! 編
救急車の贈呈式後、徳島JCメンバー35名と、
同行した徳島商業高校生2人がバスに乗り込
み、片道3時間かけて、
カンボジアで最貧地域
と言われるスバイリエン州へ移動。
目的は、
スバイリエン州の『職業訓練センター』
で働く女性労働者のみなさんへ、
日本でも売
れる可能性のある新商品の作り方を高校生
が指導するためである。
スバイリエン州の子どもたちは、貧困さ故に、学
校にも、
もろくに通えず、
また、働くところも地元
では限られていて、
プノンペンなどの大都市に
出稼ぎに行く人が多い。中でも若い女性は、
大都市の出稼ぎ先を斡旋するという悪徳業者
にだまされて、人身売買されていくというケース
が後を絶たないという現状。
そこで、
日本のNPO団体により建設された『職
002 徳島JC 2009.7/3-6 業訓練センター』では、多くの少女たちが手に
職をつけるべくトレーニングを重ねている。
とはいえ、
カンボジアはもともと繊維業(糸偏産
業)が伝統的に盛んで、首に巻くマフラー状の
“クロマー”など伝統品は存在しているが、今回、
徳島JCは「もっと日本で売れる商品を、彼女
たちに制作してもらい、継続的な経済活動とし
て何か援助できないか」を模索してきた。
そこで、
アイデアを借りたのが日本の女子高生
のセンスである。今回のカンボジア事業には、
2人の徳島商業高校生を同行し、彼女たちが
日本で流行っている髪飾り
(シュシュと呼ぶ)
等を、
カンボジアの生地で制作し、
日本で高校
生の力で販売するというスキームに着目。
まさに「中間マージンを搾取しない適正価格で
の販売=フェアトレード」の考えを、地元女性
労働者たちに指導させていただいた。
約2時間にわたる、
日本の女子高生による指
導で、女性労働者達は“シュシュ”の制作方
法も取得。この『職業訓練センター』で制作さ
れた“シュシュ”やバッグなどのフェアトレード
商品は、今後、
日本の徳島に輸出され、徳島
商業高校が中心となって、
日本で販売してゆく
予定である。
これら“シュシュ”などが日本で継続的に売れ
続ければ、彼女たち労働者にとって安定した
固定収入となり、
まさに「何かを与えるだけの援助」ではなく
「手
に職を付けてもらって、
その経済活動を援護」
するという、
カンボジアの労働者にも、
そして、
徳島の高校生にも意義のある活動となってゆ
くであろう。
● 貧しい人に安直に、魚を与えるな! 釣
り竿と釣り方を教えろ!
!の考えである。
この日、
『職業訓練センター』を後にし、
『職
業訓練センター』で働く少女たちの実家も
見学させていただいた。
十分な収入のない家庭では結婚もできず、
ある少女も『職業訓練センター』ができるま
では、飴玉を紙に包む仕事をしていたそうで、
収入は終日仕事をしても50円にも満たなか
ったとか。
我々、徳島JCメンバーも、同行した徳島商
業高校生も、彼女たちのリアルな暮らしを目
の当たりにすることにより、
ますます日本に
帰り、
「彼女たちが作った商品を必死で売
っていかなければ」と、改めて決意を固め、
スバイリエン州を後にした・
・
・。
7月5日in スラム街(プノンペン市郊外センソック地区)
スラム街の子どもたちとスポーツと食の交流・夢まつり開催! 編
プノンペン郊外にある貧しいセンソック地区
のスラム街にて、地元の子どもたちと、
スポー
ツと食をテーマにした交流を図った。
徳島JCメンバー35人と、同行した徳島商業
高校生2人、
そして、地元スラム街の子どもた
ち約100人が4チームに分かれ、
《日本カンボ
ジア混合・障害物競走》や《綱引き大会》で
午前中、汗を流した。
お昼ご飯には、徳島名物である“たらいうどん”
を、
日本から持参した中力粉を、地元こどもた
ちと一緒に練って、生地から制作。初めて食
べる日本のうどんに、
とても興味深く、
そして美
味しそうに満喫してもらった。
そして、現地の保護者たちから、
日本のうどん
のお礼にと、地元の麺類(そうめんみたいな麺)
003 徳島JC 2009.7/3-6 を大量に作っていただき、
まさに「麺による国 ンリリース》を敢行した。
この《七夕バルーンリリース》
際交流」の一時を楽しんだ。
デザートには、地元のスイカを使った《スイカ とは、長さ約1mの円筒形の
風船にヘリウムガスを入れ、胴体にある短冊
割り大会》で盛り上がり、
その合間には、
この
形の白い空白に、油性マジックでそれぞれの
カンボジア国際事業に参加できなかった徳
島JCメンバーから託された色鉛筆やクレヨンで、 願い事を書いて、空へ飛ばすという手法で、
徳島市では毎年7月7日に開催されて定番と
子どもたちとお絵かきタイム。
この色鉛筆やクレヨンは、
そのままこのスラム なりつつある。ちなみに材質は、天然ゴムでき
に寄付してきたので、今でも地元子どもたちが、 ており、地上に落ちても土に戻るという環境
日本を想いながらお絵かきを楽しんでくれてい に配慮した物を使用。
バルーンの短冊には、
「外国に行ってみたい」
ると信じる。
「夢まつり」のフィナーレは、
この日が7月5日と 「医者になりたい」など、子どもたちの夢を乗せ、
いうこともあり、
日本の伝統行事である“七夕” そして中には「二十歳まで生きたい」という切
実な想いも乗せ、
カンボジアの青空高く、バ
に挑戦。ただの“七夕”ではなく、
これも徳島
・
・。
で生まれた新しい七夕スタイル《七夕バルー ルーンは舞い上がって行った・
7月5日inトゥールスレン博物館(プノンペン市)
この国で避けては通れない事実・・・
ポルポト派の悲劇を痛感 編
楽しかった「夢まつり」の後、
どうしてもカンボ
ジアという国を語る上で避けては通れない事
実を目に焼き付けるため、徳島JCメンバーは『ト
ゥールスレン博物館』に移動した。
ポルポト派(クメールルージュ軍)により、行わ
れた悲劇を繰り返さないよう、博物館として解
放さてれているのが、
ここ『トゥールスレン博物
館』である。
1975年4月17日、ポルポト派は、
プノンペンへ
侵攻し、
ここから4年間、
カンボジアにとっての
本当の悲劇が始まった。
ポルポト派がまずしたことは、新国家建設のた
め協力者を募ることだった。前体制下の将校、
医師、教師、技術者、僧侶などの知識階級者
は名乗り出るよう命じられ、ポルポトの下新国
家建設という理由で集められた。
しかし、彼らに待っていたものは、強制収容所
に連行され、
ひどい拷問を受けたうえ、無残に
殺されることだった。農村に連行された市民も、
すべての自由が奪われ、過酷な労働といつ殺
されるかわからない恐怖の中過ごすことになった。
少しでも不審な点があれば、一族すべてが強
制収容所に送られ、殺された。
こうしてわずか数年の間に、総人口800万人
足らずというこの小さな国で、200万とも300万
ともいう尊い命が失われることになったのだ。
これは、今からわずか30年前の出来事、今回
このカンボジア国際交流事業に参加したJC
メンバーのほとんどが小学生だった頃の話だ。
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● 思えば、今回の事業テーマとなった「救
急車の不足」や「産業の未熟さ」
「スラム
街の貧しさ」も、
すべてポルポト派による有
識者の虐殺による弊害が、今もなお続い
ているともいえる。現在のカンボジアの状
況を知る上で、決して避けては通れない過
去がある。日本で暮らしていると、ついつい
忘れがちであるが、決して「平和」とは当た
り前のことではないのだ。
われわれ徳島JCメンバーは、改めて平和
について、
日本という国の行く末について、
そして、国際人としてJCマンとして、深く深
く考えさせられながら、
この国を後にした・
・
・。