インハウスOBによる スペイン・ポルトガル旅行

インハウスOBによる
スペイン・ポルトガル旅行
(イスラムとキリスト教の戦いの跡、近代都市への変遷を巡る)
平成23年4月01日
井出 袈裟繁
「イベリア半島の歴史と大地」世界遺産の宝庫を巡る 7泊9日間の旅
~ 歴史・文化・宗教・建築・フラメンコ・ファド・太陽の国への誘い ~
1、
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日程表および集合場所・時間
詳細スケジュール
参加費用
旅行参加者名簿
旅行一般案内
観光名所概説
宿泊案内
協力会社他
1
1、日程表および集合場所・時間
平成23年9月12日(月)成田発 ~9月20日(火)成田帰国
行きは成田よりフランクフルト空港でトランジットし、夕刻バルセロナ(プラット国
際空港)へ到着する予定。空港から凡そ30分のドライブでホテルに着く。日本とス
ペインとの時差は夏時間のため7時間です。ご注意いただきたいのは後半で訪れるポ
ルトガルは因みに日本との時差は夏時間で 8 時間です。帰りはポルトガルのリスボン
空港より早朝のルフトハンザLHのフライトで出発、フランクフルト空港にてトラン
ジットし、正午過ぎのフライトで出発し、翌日、9月20日(火)の朝、成田に帰着しま
す。機中泊です。
集合場所・時間:
成田空港
第一ターミナル 南ウイング ルフトハンザ航空カウンター前
(スターアライアンス加盟、マイレージカードお忘れなく)
9月12日(月)
7時30分集合
2、詳細スケジュール
添付資料(1)のとおりです。
3、参加費用
388,800円+α/一人
444,800円+α/一人(ホテルシングル宿泊の人;追加56,000円)
内訳:
(1) 航空運賃(国際便)並びにランド費用(内訳 388,800円)
チェックイン荷物はエコノミークラス・20kg
ランド費用はホテル代(二人相部屋が基準)、食事代(記載されているもの)、
専用バス、日本語ガイド代等日程表下段に示すとおり。
(2) 諸費用
(内訳 α円)
空港税(成田、他現地空港)2,540円+未確定円
国際燃油サーチャージ 未確定円
但し、旅行傷害保険の費用は含みません。各自で付保お願いします。
4、旅行参加者名簿
旅行参加者は添付資料(2)のとおりです。
2
5、旅行一般案内
5、1
訪問国ジェネラルインフォーメーション
概要:スペイン:
イベリア半島のほぼ80%を占めるスペイン。北はピレネー山脈を隔てて
フランスと接し、南は地中海を挟んでアフリカと向かい合う。古くから多
くの民族が侵入し盛衰を繰り返してきた。紀元前三世紀、この地には古代
ローマが侵入しイベリア半島全体を制圧していた時代も記録されている。
ローマが去った後は西ゴート族による制圧、その後はイスラム軍による侵
攻が起きたが、なかでも800年にわたってイベリア半島の大部分を支配
したイスラム教徒は大きな影響を残した。この国における宗教闘争が他の
国のそれと大いに異なるのはイスラム支配下のキリスト教徒の処遇、レコ
ンキスタ後のイスラム教徒の処遇が寛容なことではなかったかと思う。レ
コンキスタというのはキリスト教徒がイスラムに制圧されていた国土を回
復取り戻す動きであるが、1492年にグラナダが陥落して、完成した。
さまざまな民族と文化が錯綜し、また地方によって風土や気候が異なるス
ペインは、多彩な個性で訪れる人を魅了する。
ポルトガル:
歴史的にはスペインと同じ道を歩んできているが、統合・独立を経て今日
を迎えているポルトガルは、日本との交流史も多い。レコンキスタの完了
はスペインより約200年前に達成している。日本との交流では鉄砲伝来、
フランシスコ・ザビエル、鎖国による出島への押込め、などが日本史にも
登場する国です。ユーラシア大陸の西の果てに位置する遥かなる国・ポル
トガル。大航海時代の栄華を彷彿とさせる美しい街並みや、豊かな食文化、
郷愁を誘うファドなど、この国にしかない魅力があふれている。
面積:スペイン
ポルトガル
人口:スペイン
ポルトガル
首都:スペイン
ポルトガル
政体:スペイン
ポルトガル
民族構成:スペイン
約50、6万km2(日本の約 1、3 倍)
約9、2万km2 (日本の約 4 分の1)
約4700万人(2009年)
約1070万人(2008年)
マドリッド
リスボン
議会民主制(17自治州で独自の政府を持つ)
共和制
イベリア・ケルト系 スペイン人(カスティーリャ人、
ガリシア人、アンダルシア人、カタルーニャ人、バスク
人などから構成される)
3
ポルトガル ポルトガル人(先住イベリア人、ケルト人、ゲルマン系、
フェニキア人、ベルベル人などの混血)
宗教:スペイン
カトリック教徒が圧倒的多数
ポルトガル
言語:スペイン
カトリック97%、その他
スペイン語(カスティーリャ語他)
ポルトガル
通貨:スペイン
ポルトガル語
ユーロ
ポルトガル
ユーロ
電圧:両国共
220V、50Hz。プラグは二本足の C タイプ
チップ:両国共
義務ではない。習慣としてはレストランでは5-10%
水 :両国共
水道水は飲用に可。しかし、ミネラルウオーターが無難。
トイレ:両国共
公衆トイレは少ない。有料の場合0,5ユーロ程度
時差:スペイン
日本と7時間(夏時間)
ポルトガル
税金:両国共
日本と 8 時間(夏時間)
付加価値税(IVA)が存在。旅行者には手続きをすれば還付
をうけられる制度がある。
ビザ:両国共
3ヶ月以内の観光では不要。パスポートは両国で多少の違
いがあるが出国時3ヶ月の残存有効期間が必要。
両替:両替は空港国際線到着ロビーの両替所にて、小銭用に必要最小限両替しよ
う。キャッシュは日本円、米ドル、ユーロいずれかで小額持参する。中級
以上のレストラン、スーパー、ショッピングモールなどでは問題なくクレ
ジットカード払いが可能ですが、小規模の食堂、食料雑貨店などでは利用
できない場合がある。但し、クレジットカードは暗証番号(PIN)を聞かれ
ることがあるので事前に自分のカードの PIN を調べておく必要がある。
国営ホテル:何故か両国には国営ホテルがある。その名称はスペインでは「パラ
ドール」、ポルトガルでは「ポザーダ」と呼ばれ共に古城や修道院などを改
造したものである。
世界遺産:スペインには41箇所、ポルトガルには13箇所ある。
5、2 訪問国の歴史
(1) スペイン
紀元前3世紀 ローマ帝国がイベリア半島に侵入、500年代まで支配。
6世紀 西ゴート王国支配、イスラム教徒の侵入まで続く。
8世紀 イスラム教徒がジブラルタル海峡を渡ってイベリア半島に侵入し、
以降800年間支配。
1492 年 8 世紀初めから開始されたレコンキスタがグラナダ陥落をもって
完成しキリスト教が長年続いたイスラム教からスペインを奪回。
4
同年、女王イザベルの認可の元航海にでたコロンブスが新大陸に
到達した。
1516年
カルロス 1 世、神聖ローマ帝国カール5世として即位。
1571年
レパントの海戦でトルコ海軍を撃破。(国王はフェリペ2世)
1588年
スペインが誇る無敵艦隊がエリザベス 1 世率いる英国軍に大敗。
1700年
ハプスブルグ家断絶。スペイン王位継承戦争(国王フェリペ5
世の即位を契機に勃発した)。
1805 年 トラファルガー海戦でスペイン・フランス連合艦隊が英国に敗退
1882年
ガウディがサグラダ・ファミリア聖堂を手がける。
1898 年 米西戦争でスペインは米州植民地をすべて失う。
第一次世界大戦 スペインは中立宣言。
1931年
スペイン共和国宣言、しかし、数年後にスペイン内戦へ。
1939年
フランコ将軍が内戦制圧し、彼の死す1975年まで独裁体制。
第二次世界大戦にも介入せず「スペインの奇跡」と呼ばれる高
度経済成長を成し遂げる。
1975 年 フランコ死去、独裁終了。ファン・カルロス1世即位し王政復古、
新憲法も制定され、民主化が進められた。
1986 年
EC 加盟。
1992年
バルセロナ・オリンピック。
2002 年
EU 通貨統合。
(2) ポルトガル
かなりの歴史はスペインと重複する。異なる点につき以下に記述する
1249 年 モーロ人の最後の拠点ファーロが陥落、スペインより早くレコ
ンキスタ完了
1438年
エンリケ航海王子(航海事業先駆者)ザグレスに航海学校設立
1549 年 フランシスコ・ザビエル来日、キリスト教伝教
1498年
ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を経由し、インド航路発見
1519 年 マゼランが香料を求めて、世界一周航海に出発。
1580年
フェリペ1世(スペイン王フェリペ2世)
ポルトガルがスペインに併合される。
1640年
ポルトガルがスペインより再独立。
1807 年 フランス軍ポルトガル侵攻、王家ブラジルに逃避。
1814年
英国軍がポルトガルの実権を握る。
1910年
王制崩壊、ポルトガル共和国成立。
1932 年 サラザールが首相就任、カトリックの一党独裁政治始まる。
1974年
カーネーション革命で独裁政権倒れ、民主化始まる。
5
1986 年
EC 加盟
1999 年 マカオを中国に返還
5、3
気温:
地形と海流が影響しあうスペインでは、地方によって大きく気候が異なる。スペ
イン東部や南部などの地中海沿岸地域は、年間を通して温暖で乾燥した地中海性
気候。マドリッドを中心とした中央部は、昼夜で気温の差が大きく、夏は暑く冬
は寒い大陸性気候。旅行に適したシーズンは一般的には4-10月。基本的には
日本のほぼ同時期と同じような服装でよい。ポルトガルは一年を通じて温暖な気
候。しかし、朝晩は急に気温が下がることもあるので、ジャケットやコートは必
須。薄いセーターなどがあると便利。
5、4
液体物持ち込み制限
平成19年3月1日からテロ防止の観点から液体物の機内持ち込み制限が施行さ
れました。液体物(ジェルおよびエアゾールを含む、医薬品は除く)は手荷物と
して機内に持ち込む際には100ml以下の容器に入れ、さらに中身の見えるビ
ニール袋に入れるようにするなど制限が導入された。受託荷物(チェックインす
る荷物)には適用されない。詳細は次のURLを参照願います。
http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha06/12/121219_.html
5、5
成田入国時税関申告書
最近は成田空港に帰着の際、税関申告書の記載を要請されるようです。面倒です
が規定に従い対応しましょう。
6、観光名所概説
6、1
スペイン
スペイン
バルセロナ
バルセロナを都とするカタルーニャ地方は、スペインの中でも独自の歴史と文化
を育んできた地域だ。地中海交易で栄えた中世には、隣のバレンシア王国やマヨ
ルカ島を征服し、カタルーニャ語を普及させた。しかし、その後のスペイン統一
により衰退、1714年にはスペイン継承戦争の敗北を機に自治権を失ってしま
う。19 世紀半ばには再び発展が始まりカタルーニャ・ルネサンスと呼ばれる時代
を迎える。モデルニスモ(新しい芸術)という芸術復興運動が起こり、ガウディ
を始めとする建築家たちの作品が町並みに彩りを添えた。
聖家族教会(ザグラダ・ファミリア):世界遺産の一つ。ガウディ設計の未完の大
聖堂(着工は1882年、完成年は未定)。ガウディーが完成させたのは、東側の
「生誕のファサード(門)」とその4本の鐘楼。自然・写実主義が徹底され、キリ
ストの降誕を描く彫刻はとても石で出来たものとは思えない。内戦でかなり損傷
を受けたが日本人彫刻家、外尾悦郎氏によって修復された。また西側の「受難の
6
ファサード(門)」は、ガウディーの死後建設されたもの。完成すると12本の塔
がそびえる予定だという。
グエル公園:世界遺産。ガウディーのスポンサー役を果たしたグエルは実業家で
あった。彼はバルセロナ市街を見下ろす山の手に、60戸の宅地を造成し、イギ
リス風の田園都市を造る構想を持ったが、資金面で行き詰まり、その後公園とし
て生まれ変わったものだ。園内にはガウディー作品の特徴でもある破砕タイルの
装飾が多用され、広場や散歩道などはおとぎの国のような雰囲気。住宅は2戸完
成し、その内の一つはガウディーの住宅だった。現在は博物館となっている。
カサ・ミラ:世界遺産。建物の形から「ラ・ぺドレラ(石切り場)」とも呼ばれる。
徹底的に直線を排除し、ゆがんだ曲線を主調とするこの建物は山がテーマ。屋上
の煙突は、山の尾根から突き出た峰峰を表している。ガウディーは建設中に施主
と聖母マリア像の設置で意見がわかれ、途中から仕事から離れ、仕上げは弟子た
ちが行った。
カサ・バトリョ:世界遺産。ガウディーが増改築を手がけた住宅。この建物のテ
ーマは海。波打つ正面の壁には緑や青、茶の色ガラスと円盤状の白いタイルがち
りばめられている。海面に光が乱反射しているかのように輝く。建物の正面が海
面とすれば、内部は海面の下、つまり海底や海底洞窟が建築化されている。また
屋上の煙突は、煙が風に揺らぎながら上がる様子を表している。
カタルーニャ音楽堂:世界遺産。モデルニスモ(新しい芸術)建築の中で、最も
美しいとされるドメネクの最高傑作。花模様のモザイクタイルや彫刻が施された
建物正面、色鮮やかなステンドグラスやシャンデリアで飾られた大ホールなど、
ドメネクの美への追求が感じられる。特に内部のコンサートホールは天井と壁に
色鮮やかなステンドグラスが施され、舞台はパイプオルガンを包み込むように豪
華な彫刻で満たされている。現在もコンサートホールとして使用されている。
スペイン タラゴナ
紀元前3世紀にローマ人によって築かれたタラゴナは、当時100万もの人口を
有するイベリア半島最大の都市として、セビーリャ、メリダと並び栄えた場所。
ローマ人は町を建設する際に、必ず幾つかの公共施設を設置した。例えば、神殿、
競技場、広場、野外劇場、墓地などである。現在も町の至る所にローマ時代の遺
跡が残っており、当時の繁栄ぶりを見学できる。
ローマ遺跡群:世界遺産。上記のとおり幾つかのローマ時代の遺跡が今なお残っ
ており、2000年に世界遺産登録された。円形競技場を始めとし幾つか時間の
許す限り見学できる予定。タラゴナから約4kmの地には、紀元2世紀のローマ
時代に建設されたラス・ファレラス水道橋も見学したいものです。
地中海のバルコニー:タラゴナの観光場所の一つとされている小さな広場。地中
7
海を見下ろす崖に沿って、ヤシの木の植えられた遊歩道が続いている。ここから
バスターミナルのあるインペリアル・タラコ広場まで、約1kmにわたって目抜
き通りのランブラ・ノヴァが延びている。
スペイン バレンシア
ウエルタと呼ばれる肥沃な土地が広がるバレンシア地方は、オレンジと米の産地
として有名。西には海岸線に沿って美しいビーチが続き、地中海に浮かぶバレア
レス諸島とともに、スペイン有数のリゾート地となっている。地中海性気候のた
め温暖なバレンシア一帯は、コスタ・デル・アサアル(オレンジの花の海岸)と
も呼ばれ、オレンジ畑と米の田園風景が広がる。スペイン料理の代表として知ら
れるパエリャもバレンシア地方で生まれた料理だ。
またバレンシアは「火祭り」でも知られているスペイン第三の都市でもある。
カテドラル:モスク跡に14世紀末にできた大聖堂。
アルブフェラ湖:スペイン最大の稲作地帯。バレンシアから南に約12kmのと
ころにあり、周辺に日本のような水田風景が広がっている。
スペイン クエンカ
フカール川とウエカル川に挟まれた、岩山にある小さな町がクエンカだ。大地を
この二つの河川が浸食して出来た巨大な断崖の上に、あるクエンカは世界遺産に
登録されている。見上げればまさしく絶壁の上の要塞都市。中世においていかな
る敵の侵入も許さない防御力を誇っていた。背後の山々にも奇岩が連なり、その
不思議な景観から「魔法にかけられた町」の異名も持つ。
宙づりの家: 14世紀に王家の別荘として建てられ、18世紀末までは市庁舎と
して使われていた。現在は抽象芸術美術館として、20世紀後半のスペイン現代画
家の作品を展示している。今にも崩れそうな危ういバランスを保つこの建物は、ク
エンカのシンボルとなっている。
カテドラル:旧市街の中心にそびえる、13 世紀に建てられたゴシック様式の大聖
堂だが、内部の装飾にはルネッサンス様式も見られる。聖堂内には周歩廊が二重に
なっており、三連窓やアロンソ・ベルゲーテによって彫刻が施されたプラテレスコ
様式の扉などがある。
スペイン
マドリッド
イベリア半島のほぼ中央に位置する、スペインの首都マドリッド。豊かな緑と珠
玉の芸術作品が魅力の町。歴史と生活のぬくもりを感じさせる旧市街、政治・経
済の中心としてダイナミックに躍動する新市街を併せ持つ活気あふれる都市だ。
また数多くの美術館や博物館を有する観光都市でもある。気候は大陸性気候で昼
8
夜の気温差が大きく、町を出れば、どこまでも続く褐色のメセタ(卓状台地)を
有する地形の都市だ。
プエルタ・デル・ソル:
「太陽の門」という名の広場。北側にある熊と山桃の像は
マドリッドの紋章になっており、人々の待ち合わせ場所として何時も人がいっぱ
いだ。
王宮:スペイン王家の宮殿。一度火災で消失したが、国王フェリペ 5 世(フラン
スのベルサイユ宮殿で生まれ育ったブルボン王朝の第一代国王)が命じて再建さ
れ1764年に完成した。ベルサイユ宮殿にまねたつくりも見られ豪華な宮殿。
プラド美術館:スペイン王室の美術コレクション約300点を中心として、18
19年に開館。絵画のコレクションは8000点といわれ世界随一、パリのルー
ブル美術館と肩を並べる規模だ。因みに、収蔵品の中に略奪品が一点もないこと
もこの美術館の自慢。コレクションの基礎となるのは、スペイン王家所蔵のコレ
クションで、宮廷画家に描かせた肖像画やスペイン出身・在住の画家の作品が多
い。中でもエル・グレコ、ベラスケス、ゴヤの3大巨匠の作品は必見。美術館正
面ではベラスケスの像が迎えてくれるこの建物は、18 世紀スペインを代表する建
築家、ファン・デ・ビリュヌエバによる新古典様式で重厚・端正なものである。
尚、館内に入るにはチェックが厳しく、大きな荷物は預ける必要があり、ペット
ボトル持ち込み禁止、但し、カメラはフラッシュや三脚を使わなければ使用可能。
スペイン広場:王宮前のバイレン通りを北上したところ、グランビア大通りに面
した場所にあるスペイン広場。スペイン広場の北西、小高い丘の上には、エジプ
ト政府から贈られ移築されたデボット神殿もある。スペイン広場は小説「ドン・
キホーテ」の作者、セルバンテスを記念して1930年に造られた。中央にはセ
ルバンテス像が、ドン・キホーテとサンチョ・パンサの像を見下ろすように建っ
ている。像の背後のビルは「スペインビル」、その両側には1948年完成当時は
ヨーロッパ一の高さを誇ったマドリッド・タワービルがそびえる。広場は記念撮
影スポットとして人気がある。
スペイン
トレド
マドリッドから南に下ると、「ドン・キホーテ」の舞台となったカスティーリャ・
ラ・マンチャの平原が広がる。目に付くものはといえば、赤茶けた土地とブドウ
畑、そして羊の群れだけ。世界遺産登録されている古都トレドもそんな地域にあ
る。三方をタホ川に抱かれるような地形のトレドは、古代ローマ時代から要塞都
市として栄えてきた。1561 年に首都がマドリッドに移るまで、政治・経済の重要
な拠点として繁栄し、
「16 世紀で歩みを止めた町」といわれる。560年に西ゴー
ト王国の首都となったトレドは、711年から約400年にわたってイスラム教
徒の支配下におかれた。1085年のアルフォンソ 6 世の再征服後も、1492
9
年にカトリック両王によって追放されるまで、この地の経済を握っていたユダヤ
人とともに多くのイスラム教徒が居残ったという。イスラム統治時代には、イス
ラム教、キリスト教、ユダヤ教という3つの宗教が共存したことで、トレド独特
の文化と街並みを生んだ。
エピソード:トレドの奇跡
トレドの街並みは、細い通路が複雑に入り組んで迷路のごとき様相を呈してい
る。その昔、この街の悩みは飲料水の確保だった。街が高い岩場にあり、皮肉な
ことにスペイン四大河川の一つ、タホ川の豊かな水流が街の周辺を取り巻いてい
る。川の水面から王宮アルカサル前の広場まで90mの落差がある。そこで、フ
ェリペ2世に仕えた機械技師ファネロという人が巨大な水車と真鍮の水桶を組
み合わせた塔を24基、斜面に沿って組み上げて河川の水を高い岩場の街に汲み
上げることに成功した。この時の巨大な石組みは今も残っているという。
カテドラル:ここはスペインカトリックの主席大司教座がある総本山で、フェル
ナンド 3 世の命によって1226年建設開始、1493年に完成したフランス・
ゴシック様式の大聖堂です。その後、増改築を繰り返してきておりオリジナル部
分は少なくなっている。見どころは、エル・グレコの「聖衣剥奪」などの有名画
が展示された聖具室や、イサベル女王の王冠が見られる宝物室など。中央の聖歌
隊席や内陣祭壇の装飾もじっくり鑑賞したい。
エルグレコ絵画(エル・グレコの家):エル・グレコが住んでいた住居付近の廃墟
を、1906年にベガ・インクラン侯爵が買い取って修復したエル・グレコの家。
エル・グレコが生きた時代16-17世紀の調度品や家具を置き、彼のアトリエ
や住居を復元した場所(本人は実際にはここには住んでいなかった)。建物の一部
は美術館になっており、エル・グレコの傑作「トレドの景観と地図」や、晩年に
描かれた十二使徒の連作などを展示している。
サント・トメ教会:14世紀のアラブ建築に影響を受けたムデハル様式の塔をも
つこの教会は、エル・グレコの傑作「オルガス伯爵の埋葬」を所蔵することで有
名。画面は上下に分かれていることが特徴で画面の下部は、聖アウグスティヌス
と聖ステファヌスが地上に下りて伯爵の遺骸を埋葬しているところを表したもの
で、その周囲の人物は当時実在した人たちであるといわれている。一方、上部は
雲上のキリストと聖母マリアに伯爵の魂が天使によって捧げられている場面が描
かれている。
スペイン
ラ・マンチャ
誰もが一度は耳にしたことのある小説「ドン・キホーテ」。その舞台となった広大
な赤土の大地に広がるブドウ畑、青い空をバックに並ぶ白い風車。それがラ・マ
ンチャ地方だ。
10
白い風車:物語では、ドン・キホーテがやせ馬ロシナンテにまたがり巨人と間違
えて戦いを挑むという風車。風車がある主な町に、カンポ・デ・クリプターナや
コンスエグラなどがある。ドン・キホーテが風車群を巨人ブリアレオと見間違え、
槍を小脇に、愛馬ロシナンテにまたがって突進したという風車は、もはや動かな
いが前者の町に今も町を見下ろす丘の上にある。
スペイン
グラナダ
スペインと聞いてイメージするもの、、
、フラメンコ、闘牛、白い村。これらが目
前に迫る場所、それがアンダルシア地方だ。8世紀初めから約800年にわたり
イスラム教徒に支配されたこの地方には、コルドバのメスキータやグラナダのア
ルハンブラ宮殿などイスラム時代の遺産が残り、今でもアラブのエキゾチックな
香りが漂う。そして、一年中降り注ぐ太陽の光と、明るく陽気な人々、ここには
スペインの魅力と個性全てが凝縮されている。近くの地中海沿岸はコスタ・デル・
ソル(太陽の海岸)とよばれるリゾートだ。グラナダについてもう少し言及する
と、ここはコルドバが1236年にキリスト教徒に奪回されてからは、ナスル朝
グラナダ王国の首都となり、イベリア半島におけるイスラム最後の砦として繁栄
を極めた。そして1492年のグラナダ陥落まで2世紀半にわたり、レコンキス
タの暴風にさらされながら、終末の宴ともいうべきアルハンブラ宮殿を築き、そ
こに華燭の炎を燃え上がらせた。
アルハンブラ宮殿:世界遺産。イスラム教支配がグラナダ王国のみとなった 13 世
紀前半、ナスル朝ムハンマド 1 世により着工。城塞アルカサバが造られてから、
約170年かけて宮殿は完成した。がしかし、1492年のグラナダ陥落で王族
は宮殿から追放された。最後の王ボアブディルは、カトリック女王イサベルに城
を明け渡し、臣下とともに北アフリカに逃れた。イスラム芸術の結晶、アルハン
ブラは城塞アルカサバ、宮殿(王宮)、庭園、ヘネラリフェ(次で説明)
、そして
興味深いのはカルロス 5 世宮殿などから構成されている。カルロス 5 世宮殿は、
王宮の隣に立つルネッサンス様式の宮殿であるが、レコンキスタ完了後にカトリ
ック王の孫にあたるカルロス 5 世が新婚旅行でアルハンブラ宮殿に宿泊した際に、
建設を決めた宮殿。
ヘネラリーフェ庭園:1319年ナスル朝の夏の別荘として建設されたもので離
宮と庭園からなる。かつては太陽の丘にはいくつもの庭園があったが、唯一つ残
されたのが最も美しいヘネラリフェであった。バラが咲き乱れ、清涼感ある水音
がする「アセキアの中庭」は中央に約50mのアセキア(掘割)があり、堀の両
脇から水が噴出しアーチを描く。ここの水はシエラ・ネバダ山脈の雪解け水を持
ってきているといわれる。ここは「水の宮殿」とも呼ばれる。
11
スペイン
ミハス
グラナダよりセビージャに向かう途中ミハスに立ち寄る。
白い村:アンダルシアの地にぽっかり浮かぶ白い家並み。山の斜面や裾野に白壁
の家々が広がる風景は印象的だ。海抜420mの斜面の町からは地中海と裾野に
広がる町を一望できる。サン・セバスティアン通りが最も美しく人気の撮影スポ
ットだ。元々、白い村はカトリック王に敗れたアラブ王国の残党が、表向きはキ
リスト教に改宗した旧イスラム教徒(モリスコ)たちが、隠れ住んだ場所といわ
れる。
闘牛場:ミハスのコンスティシオン広場から南へ坂を上がったところ、正面に闘
牛場がみえる。1900年に造られたもので、世界最小ともいわれる楕円形の闘
牛場だ。闘牛場そのものはスペイン各地にたくさんあるが、素朴で小さいことで
屈指のもの。
スペイン
セビージャ
ビゼーのオペラ「カルメン」や「セビリアの理髪師」の舞台として知られるセビ
ージャ。ローマ時代に属州ヒスパニア・バエティカの主要都市として栄え、西ゴ
ート王国の首都が置かれたこともあり、ジブラルタル海峡を渡ってきたモーロ人
に征服された歴史もある。以降500年以上にわたりイスラム文化繁栄の舞台と
なった。ダイナミックな歴史を持つだけに、街並みは華やかで、スペイン第 4 の
都市としての風格を備えている。セビージャはフラメンコと闘牛の本場でもある。
アルカサル:イスラム時代には城塞として使用され、その後はキリスト教王の王
宮となった。現在の建物のほとんどはカスティーリャ王ペドロ1世の時代のもの
だが、歴代の王たちによって増改築が繰り返されたため、さまざまの建築様式が
混在している。一番の見どころは14世紀に完成したペドロ1世宮殿。精微な漆
喰細工やアラベスク模様が施され、イスラム芸術の粋を感じることが出来る。こ
れらの装飾はアルハンブラ宮殿の職人たちが手がけたものだ。漆喰細工の「乙女
の中庭」、ヒマラヤ杉の円形天井を頂く「大使の間」は、ムデハル様式の傑作だ。
カテドラル:イスラム教とキリスト教が共存する、ゴシックとルネッサンスの混
合する様式の奥行き116m、幅76mの巨大な聖堂。ヴァチカンのサン・ピエ
トロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール寺院についで世界第 3 位の規模を誇る。
イスラム時代のモスクを基礎に、1402年から約一世紀もの歳月をかけて建造
した。高さ97mのヒラルダの塔はかって祈りの呼びかけが行われたミナレット
(尖塔)だったが、16世紀にカテドラルの鐘楼塔に改築され、セビージャのシ
ンボルとなっている。先端はヒラルダ(風見)といわれるように、風を受けると
ブロンズ像が回転するという。内部には聖霊の降臨を表すステンドグラス、アル
フォンソ5世の墓がある王室礼拝堂、15世紀の聖歌隊席、内陣祭壇、コロンブ
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スの墓、などがある。
6、2 ポルトガル
ポルトガル
エヴォラ
スペイン国境を越え、緑の田園風景の中にある、アレンテージョ地方の中心都市、
ローマ時代の城壁に囲まれた町、それがエヴォラ。ローマ時代からこの地方の中
心として栄え、ルネッサンス期には大学も設置された学芸の都でもある。ローマ、
イスラム、キリスト教、それぞれの時代を物語る建造物が一つの城壁の中に混然
と同居し、まるで町全体が美術館のようだ。1986年には歴史地区がユネスコ
の世界遺産に登録され、観光地としてますます人気が高まっている。
ディアナ神殿:2-3世紀にかけてローマ人によって作られた、コリント様式の
神殿。月の女神ディアナに捧げられたものと推測されている。中世には要塞とし
て使われたおかげで、イベリア半島に残るローマ神殿の中では、比較的保存状態
がよい。円柱の土台と柱頭にはエストレモス産の大理石が、柱身には御影石が使
われている。
ポルトガル
リスボン
エヴォラ歴史地区観光後、大西洋に注ぐテージョ川をわたり、河口から12km
上流の右岸に位置する、ヨーロッパ大陸最西端の首都リスボンに向かう。大航海
時代の栄華を彷彿とさせる美しい街並みや、豊かな食文化、郷愁を誘うファドな
ど、ここにしかない魅力があふれているリスボン。歴史をたどれば、8 世紀にジブ
ラルタル海峡をわたりイベリア半島を征服したアラブ人、そのイスラム勢力から
レコンキスタ(国土回復運動)によって、ポルトガルではファロが陥落し、スペ
インより250年早くレコンキスタを達成し、1255年リスボンはポルトガル
王国の新しい首都に制定された経緯がある。エンリケ航海王子も指揮下、造船や
航海術を発展させ、喜望峰やインド航路の発見、ブラジル到達など数々の金字塔
を打ち立てた。アジア、南米からの香辛料や金、宝石類はポルトガルに富をもた
らした。1755年にはリスボン大地震もおこり、栄華を極めたリスボンの町は、
徐々に衰退してゆく。地震で壊れた町はその後観光都市へと変遷発展している。
ジェロニモス修道院:世界遺産。リスボン中心部からテージョ川沿いに6kmほ
ど西にあるがべレン地区だが、ここにはこのジェロニモス修道院他次の二つの観
光スポットがある。エンリケ航海王子が船乗りたちのために建設した礼拝堂を基
に、大航海時代全盛の1502年、マヌエル1世の命で造られた修道院。栄華を
極めた大航海時代の象徴であり、ポルトガル建築の最高峰といえる。修道院はサ
ンタ・マリア聖堂を付属に持つ。この修道院最大の見どころは、中庭を囲む55
m四方の回廊だ。石灰岩を用い、緻密な彫刻を施したアーチは繊細優美。
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発見のモニュメント:エンリケ航海王子の死後500年を記念して建てられた記
念碑。高さ52mの帆船をイメージした船の先端には、エンリケ航海王子がカラ
ベル船を手に立ち、その後ろにヴァスコ・ダ・ガマ、カブラル、マゼランなど船
乗り、宣教師、地理学者など27人の偉人たちの像が並ぶ。
べレンの塔: 世界遺産。大航海時代の栄華と船乗りたちの祈りの象徴。ポルトガ
ルが勢力拡大に邁進した時代、16世紀に建築された砦。マヌエル 1 世の命によ
り1515年に着工、1521年に完成。元はテージョ川を行き交う船を監視し、
河口を守る要塞としての役目を担っていた。6階は王族の居室、4階は「国王の
間」、3階は兵器庫、2階は砲台、1階は潮の満ち干を利用した水牢だった。尚、
2階テラスには聖母マリア像が建つ。司馬遼太郎はこの塔を「テージョ川の公女」
と呼んだ。
クリストレイ:テージョ川の対岸に、高さ110mの巨大なキリスト像が、両腕
を広げて建っている。ブラジルのリオ・デ・ジャネイロにあるキリスト像を模し
て、1959年に完成したもの。台座の塔の中にはエレベータがあって、キリス
トの足元まで上がることが出来る。
ポルトガル
シントラ
リスボンの西28km、緑の木々にしっとりと覆われたシントラ山系、ところど
ころに見え隠れする豪奢な城館。深い緑の山中に、王宮を中心として貴族のお金
持ちの別荘(夏の避暑地)が点在する。かつてイギリスの詩人バイロンは、シン
トラを「この世のエデン」と称した。この美しい文化的景観は 1995 年に世界遺産
登録された。
ぺナ宮:ドイツのルートヴィッヒ2世はかの有名なノイシュヴァンシュタイン城
の建築を命じたが、ぺナ宮殿建築の命を下したのはそのいとこにあたるフェルデ
ィナント2世。ドイツから建築家を呼び寄せ、1850年に完成したこの城は、
イスラム、ゴシック、ルネッサンス、マヌエルなど各様式の寄せ集めではあるが、
それがまた奇妙な魅力を生んでいる。アメリア女王の部屋、トルコ人のサロン、
礼拝堂などが見ものだが、何といっても素晴らしいのは、標高500mの山頂か
らの展望。
ポルトガル
ロカ岬
北緯 38 度 47 分、東経 9 度30分、海抜140m、ヨーロッパ大陸(ユーラシア
大陸)西の最果ての地。水平線の彼方に、未知とロマンと、どこか郷愁に似た気
持ちを覚える風景が広がる。切り立った断崖、海風を受ける石の十字塔、灯台、
荒涼とした野原。寂しくなるほどシンプルな風景の岬だが、その先端に立ち、遥
かな大西洋の水平線を見据えて風に吹かれていると、大航海時代に人々が抱いた
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気持ちと似た限りない夢とロマン、冒険心が沸き起こる。ここには、ポルトガル
の詩人カモンイスが詠んだ詩の石碑がポツンと建っている。訳は「ここに陸尽き、
海始まる」
6,3
エンターテイメント
スペインとポルトガルの特徴あるエンターテイメントとホテルについて追加情報
を纏めてみる。
フラメンコ:インド北部からアンダルシアに定住したロマ族のジプシーたちの伝
統的な踊りとアンダルシアの民謡、ユダヤ人の歌が融合して生まれたのがフラメ
ンコの始まり。ジプシーたちは長く迫害された歴史を持ち、そのような背景から
自分たちの心情を歌や踊りで表現するようになった。19 世紀、民族舞踊へと発展
を遂げる。今ではスペインを代表する民俗芸能となっている。タブラオと呼ばれ
る店で観ることが出来る。フラメンコはバイレ(踊り)、カンテ(歌)とトーケ(ギ
ター)が一体になって一つの世界を表現する。
闘牛:18世紀ごろ、ロンダで発祥したスペインの近代闘牛。それまでのスタイ
ルと異なり闘牛士は馬から降りた。現在スペインの国技である闘牛は、豊穣を祈
願して神に牡牛を捧げる儀式がその起源といわれ、祭りには欠かせない。闘牛士
たちには三種類いる。ピカドール(槍方)、バンデリーリョ(銛旗士)とマタドル(闘牛士)でこの順に登場し牛と戦い、最後、マタドールが牛の止めをさすの
だ。一方、ポルトガルにも闘牛がある。ポルトガルの闘牛はスペインとは異なる
ルールで行われ、また違った楽しみ方が出来る。ポルトガルでは18世紀の貴族
の衣装を着て馬に乗ったカヴァレイロが牛と戦う、本来のスタイルが今も続いて
いる。また、観衆の目の前で牛が殺されることはポルトガルの闘牛では禁止され
ている。
ファド:起源は明らかではないが、大航海時代、植民地のブラジルに連れて行っ
たアフリカ人たちの音楽が、植民地からの産物とともにリスボンに入ってきたの
が始まりといわれる。ファドとは人生を意味するポルトガルの伝統歌謡。19 世紀
初頭には、アフリカやアラブ、ブラジルなどの音楽に影響を受けながらリスボン
の下町で自然に歌われるようになった。人生の喜びや悲しみ、郷愁の想いなどを
奏でる、ポルトガル人の心の歌。
国営ホテル:スペインとポルトガルには中世の古城や修道院、貴族の館などを改
装した国営ホテルがある。スペインでは「パラドール」とよばれ、全国に93箇
所あり、その多くが歴史的に価値ある建物を利用したものだ。一方、ポルトガル
では「ポザーダ」とよばれ、全国で45軒ある。歴史とロマンが香る空間で、贅
沢な一夜を過ごせるホテルだ。
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6、宿泊案内
今回の旅行では移動が多く各地のホテルに殆ど一泊ずつで忙しいが以下のホテルに宿
泊予定です。
バルセロナ: 1泊 Barcelo Atenea Mar ホテル 4星
Paseo Garcia Faria 37-47
08019 Barcelona, Spain
http://www.barcelo.com/Barcelohotels/en-GB/Hotels/Spain/Barcelona/AteneaMar/
バレンシア: 1泊 Holiday Inn Valencia ホテル 4星
Solher Alameda Sl, Paseo De La Alame
46023 Valencia, Valencia, Spain
http://www.holidayinn.com/hotels/US/en/hd/Spain/Valencia-hotels/
マドリッド: 1泊 未確定
グラナダ: 1 泊
Los Angeles ホテル 4星
C/Cuesta De Escoriaza 17
18008 Granada, Spain
http://www.hotelclub.com/Los-Angeles-Hotel-Granada/
セビージャ: 1泊 Gran Lar ホテル 4星
Plaza De Carmen Benitez 3
41003 Seville, Spain
http://www.Larhotel.com/
リスボン: 2泊 Corinthia Lisboa ホテル 5星
Av. Columbano Bordalo Pinheiro 105
1099-031 Lisbon, Portugal
http://www.Corinthia.com/en/Lisbon/home/
7、協力会社他
今回の旅行では、次の会社に企画・実施にあたり特別なご協力をいただいております。
感謝申し上げます。
総合手配:(株)阪急交通社 東日本営業本部 東京団体支店・営業二課
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〒153-8589 東京都目黒区青葉台3-6-28 青葉台タワー5F
TEL:03-6745-7370
担当:巴 正憲 様
http://www.hankyu-travel.com/
現地ランド手配:上記の旅行会社経由でお願いしているものです。ご参考までに。
Gullivers Travel Associates
http://www.gta-travel.com/
日本における関連会社:Gullivers Travel Agency Co., Ltd.
Gullivers House
〒108-0074 東京都港区高輪2-16-41
http://www.gta.co.jp/
添付資料:
(1) インハウスOB SP 旅行日程表
(2) 参加者名簿
(3) スペイン王家の系図
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