京都大学大学院訪問報告 1.日 時 平成27年11月11日(水) 14:00~17:00 2.参加者 1年生SGH生徒20名 3.訪問先 アジア・アフリカ地域研究研究科グローバル地域研究専攻 4.内容 (1)ゼミ訪問 ①専攻長・藤倉達郎教授の挨拶 アジア・アフリカ地域研究研究科は独立 大学院であり、様々な背景を持った大学院 生が集まっている。それぞれの大学院生の 研究を通して、大学院での研究がどのよう なものかを感じてもらいたい。 ②ゼミ発表1 タ イ ト ル :「 現 代 イ ン ド の 都 市 ス ラ ム と 子 育 て 」 発表者:南アジア・インド洋世界論講座 茶屋 智之 さん 発表内容: 現代インドの都市にはスラムが存在し ており、スラムに生活する人々は日本円 で 月 5000 円 か ら 1 万 円 く ら い の 収 入 を 得ている。スラムでのフィールドワーク を 通 し て 、「 現 代 イ ン ド に お け る 子 育 て の民主化―多様化する利害の調整を通 じた就学前保育の構築―」というテーマで研究をしている。ここでの「子育て の民主化」とは、子育て環境のあり方について当事者が声をあげて、制度を利 用できるようになることである。 今 回 は 事 例 と し て 、ビ ノ ッ ド( 仮 名 )と い う 男 性 を 取 り 上 げ る 。彼 は 25 歳 で 、 4 歳 と 5 歳 の 子 ど も と 23 歳 の 妻 の 4 人 で 生 活 し て い る 。ス ラ ム 内 で 服 修 理 店 を 営 み 、 月 収 約 3000 ル ピ ー で あ る 。 彼 は 憲 法 上 で 優 先 入 学 枠 へ 応 募 で き る カ ー ストで、カーストの中では低い立場である。小学校にしか通っていないため、 彼は自分の名前しか書けない。 ビノッドは自分の 5 歳の娘を保育園へ通わせたいと考えている。また、英語 教育を受けさせたいと考えている。候補として上がるのはまず私立保育園であ る が 、 こ こ は 月 謝 1500~ 8000 ル ピ ー で あ る た め 、 彼 の 収 入 で は 子 ど も 通 わ せ る こ と は で き な い 。 次 に NGO 運 営 保 育 園 で あ る が 、 こ ち ら は 月 謝 500~ 1000 ル ピーである。ただし、あまり教育を受けていない教員が指導にあたることもあ る。また、スラム内にも公立保育所はあるが、こちらには英語教育がない。最 後に、政府学校附属幼児クラスがあり、こちらは英語教育があり、無料の食事 も提供される。さらに、短大卒の教員が指導にあたっており、彼はここに娘を 通わせることを決めた。 と こ ろ が 、 彼 は 入 学 志 望 書 を 書 く こ と が で き な い 。 そ こ で 、 NGO の フ ィ ー ル ド職員に協力してもらい入学志望書を記入した。だが、入学志望書を提出した ところ、学校側から入学を拒否されてしまう。その理由を聞いてみたところ、 入学予定の学年が定員オーバーで受け入れることができないということであ っ た 。 そ こ で 、 彼 は NGO の フ ィ ー ル ド 職 員 と 相 談 し 、 年 齢 を 1 歳 偽 っ て 再 び 入 学志望書を提出した。さらに、偽装を成功させるため、出生届を添付せずに提 出した。彼は直ちに学校側に彼は呼び出されたが、校長との面談の結果、娘の 年齢を偽って志望書を提出することが認められた。最終的に、彼の娘は抽選に 通り無事入学をすることができた。 一方で、不正行為をすることなく正しく応募したネーハという女性は抽選に 落ちてしまい、子どもの入学を果たせなかった。 スラムには多様な形態の就学前保育制度が身近にあるが、 貧富の差や情報の 差、制度の不備などによって利用できない住民もいる。スラム住民は 様々な環 境の中で、より良い教育環境の実現を目指している。 質疑応答: <Q1> どうしても通えない子どもはどうなってしまうのか? <A1> 保育園に空きができるのを待つか、家事手伝いをして過ごす。 <Q2> 教員養成の制度はどうなっているのか? <A2> 教 員 養 成 の 制 度 は あ る が 、全 て の 教 員 が 適 切 な 指 導 を 受 け る わ け で は な い 。 <Q3> 研究対象のスラムはいつ頃できて、そこにはかつて何があったのか? <A3> 40 年 く ら い 前 に で き た ス ラ ム で 、 も と も と ジ ャ ン グ ル だ っ た 。 <Q4> 入学における不正行為についてどう思うか? <A4> NQO の 職 員 も ス ラ ム の 出 身 で あ る の で 、 不 正 行 為 は 悪 い と 思 っ て い な い 。 自分はポジティブな面もあるのではないかと考えている。 <Q5> なぜ、不正行為をしても捕まらないのか? <A5> 見つからないようにしているか、警察に賄賂を渡すから。もちろん、捕ま る人もいる。 ③ゼミ発表2 タ イ ト ル :「 現 代 パ レ ス チ ナ に お け る 聖 地 問 題 ~ エ ル サ レ ム を 中 心 に ~ 」 発表者:イスラーム世界論講座 山本 健介 発表内容: パレスチナとは、 「 聖 地 」で あ り 、セ ム 的一神教ゆかりの大地である。ユダヤ教、 キリスト教、イスラームの重なりがある。 宗教間の関係は時に対立・競合を生じな がらも、概して平和に共存してきた。 パレスチナの領域はイスラエルとパレ さん スチナ自治区を合わせた範囲である。面積は四国と三重県を合わせた程度しか ない。 エルサレム旧市街には主要な聖地があり、複数宗教の聖地となっている。ま ず、聖なる岩のドームはイスラーム、ユダヤ、キリストの聖地である。次に、 アクサー・モスクはイスラームの聖地である。さらに、ハラム・シャリーフ/ 神殿の丘はイスラーム、ユダヤの聖地である。嘆きの壁は西の壁はユダヤ、ブ ラークの壁はイスラームの聖地となっている。ダヴィデ王の墓標はユダヤ、イ スラームの聖地、最後の晩餐の部屋はキリストの聖地となっている。 エルサレム旧市街は多くの信徒が参詣するため、宿泊・食事の施設などがで き た 。 ま た 、 12 世 紀 頃 か ら 市 場 や 居 住 区 も 大 幅 に 拡 大 し て き た 。 この研究の背景は聖地問題と聖地問題の理解の 2 つがある。聖地問題とは複 数宗教の共通の聖地をめぐる競合である。聖地問題の理解とは聖地問題として 一般化することの問題で、個別の聖地をとりまく歴史的・社会的文脈を重視す る必要性がある。 この研究の問いは「パレスチナの聖地問題は、どのような領域で展開してい るのか」というものである。事例としてあげるのはエルサレムの聖地をめぐる 紛 争 ( 1967 年 ~ ) と パ レ ス チ ナ 人 の 抵 抗 運 動 ( 特 に イ ス ラ ー ム 運 動 ) で あ る 。 この研究の目的はエルサレムにおける聖地問題を、地域の文脈に沿った形で 理解し、その展望を見通すことである。 パレスチナ問題とはヨーロッパからのユダヤ教徒の移民とパレスチナに歴 史的に住んできたアラブ人(パレスチナ人)の民族紛争・領土紛争のことであ る 。イ ス ラ エ ル が エ ル サ レ ム を 占 領 し て 以 来 、 「 ユ ダ ヤ の 町 」と 化 し た こ と で 、 パレスチナ人の人口比率は低下し、町の性質は変わっている。それに対して、 パレスチナ人は聖地アクサー・モスクへの訪問を奨め、イスラームの聖地であ ることを主張したりムスリム商店での消費活動を通して旧市街での生活を支 援したりしている。さらにモスクや教会での保全活動を行い、伝統を保持・継 承している。 「非ムスリムがイスラームの聖地に入ることが問題なのか?」という点につ いては、イスラエルが聖地へのアクセスを管理している現行の体制が問題だと 考えている。 聖地問題は聖地の中だけでなく、聖地を中心とした発展した都市部全体を 1 つの領域や単位としている。また、宗教だけでなく、聖地の存在と不可分に結 びついてきた社会生活の伝統や聖地を軸として生活都市の歴史性を総体とし て保持し受け継ぐことも問題である。つまり、聖地問題は地域の人々の理解で は、聖地問題はその周囲の都市部までを含み、宗教・社会領域にまたがる複合 課題である。 結論として、聖地問題は宗教紛争ではなく、特定の聖地の内部に限られず、 宗教的争点だけではない。複合的課題のさらなる解明を進めることが必要であ る。聖地問題の解決に向けてパレスチナ人の社会生活を苦しめる占領の終結や 聖地におけるムスリムの権利の回復を行い、紛争当事者間の信頼関係を醸成し て共存への糸口を探りたい。 質疑応答: <Q1> 一般人も普段から闘争をおこすのか? <A1> 宗教の違いだけで闘争が起こる。接触するだけで闘争も起こるが仲良くす る時もある。 <Q2> アクサー・モスクはなぜ礼拝すると特別な御利益があるのか? <A2> 聖地だからこそ御利益があり、礼拝すれば天国に行けるという。 <Q3> 元からパレスチナに住んでいたユダヤ人はどんな人々なのか? <A3> いろんなタイプの人がいる。 <Q4> 日本は宗教に寛容であるという立場から、この問題に対し てどうすればよ いか? <A4> 宗教の寛容性は活かせるだろうが、この問題は文脈が複雑で難しい。 ただし、3つの宗教に属さない国として仲介的な活動ができるだろう。 ④ゼミ発表3 タ イ ト ル: 「バングラデシュにおける聴覚障害者をめぐる状況とコミュニケーショ ン問題」 発表者:持続型生存基盤論講座 山中 奈奈美 さん 発表内容: 研究の目的はバングラデシュにおける聴 覚障害者が置かれている現状を、主にコミ ュニケーション問題の観点から明らかにす ることである。特に農村地域に顕著に見ら れる聴覚障害者の孤立問題とその克服につ いて考察する。研究対象地域はバングラデ シュで、フィールドワークにも 2 回行って いる。 この研究での問いはまずバングラデシュの聴覚障害者はどのようなコミュニ ケーション手段を用いて人間関係を構築しているのかということである。次に ろう学校を通じた社会生活は、聴覚障害者が属する様々なコミュニティに対し てどのような影響を与えているのかということである。 バ ン グ ラ デ シ ュ の 聴 覚 障 害 者 は 500 万 人 前 後 で 、 よ く 聞 こ え る 方 の 耳 で 40 デシベル以上の会話を聴き取る聴力がないという定義になっている。ただし、 自分の聴力レベルを知っている人はわずかである。呼称は 5 つあるが、その中 に は ネ ガ テ ィ ブ ワ ー ド や ス ラ ン グ も あ る 。「 障 害 者 = 前 世 で 罪 人 」 と い う 迷 信 もあり、農村地域では日常的な差別や偏見が多い。 バ ン グ ラ デ シ ュ の ろ う 学 校 は 1911 年 に 初 め て 開 校 し 、現 在 33 校 あ る 。1~ 10 学年まであるが、中学卒業資格をとれるのは 1 校しかない。 手 話 の 普 及 は 2000 年 頃 か ら 急 速 に 進 み 、テ レ ビ で も 手 話 通 訳 が 毎 日 つ く よ う になっている。また、バングラデシュの手話はイギリス手話だけでなく、多く の手話が併用されている。留学先で習得した手話や布教活動として用いる手話、 利便性による手話の使い分けも見受けられる。 農村地域の実情について、ろう学校を事例としてみると、政府系ろう学校は 手話法を採択し、非政府系ろう学校はトータルコミュニケーションを推奨、口 語教育訓練施設は口語法を採択している。 家庭内コミュニケーションを事例としてみると、ホームサインとローカルサ インと呼ばれるものがあるものの、センテンスにした場合は 2 語が限界で、家 族にさえ深い感情の共有が困難である。結果、聴覚障害者は壮絶な孤独感を味 わう。だが、ろう学校で手話を習得して持ち帰り、家族に教えることで、コミ ュニケーションが円滑になる。つまり、公共的な場が私的な場の問題を解決し ている。 結婚を事例としてみると、バングラデシュの結婚事情は都市ではラブマリッ ジが浸透してきているものの、農村ではアレンジドマリッジがほとんどである。 聴覚障害者は聴覚障害者同士での結婚を望むが、親は健聴者との結婚を望むこ と が 多 い 。そ の た め 、ア レ ン ジ ド マ リ ッ ジ は 孤 立 を 助 長 す る 一 因 と な っ て い る 。 一方で、農村地域のろう学校に通っていない聴覚障害者の中には、自己の障害 や他の聴覚障害者に対して嫌悪感を抱いている人もいるという。 聴 覚 障 害 者 の 就 職 と 社 会 進 出 は ど う な っ て い る の だ ろ う か 。 Badu と い う 29 歳の男性はグラフィックデザイナーとして活躍している。ろう学校と普通学級 の高校を卒業している。現在の月収は平均月収の約 5 倍となっており、同僚と は 筆 談 で 、 社 長 と は 手 話 と 口 話 で コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン を と っ て い る ま た 、 Keya Company と い う 化 粧 品 や 日 用 品 の 有 名 な メ ー カ ー は 、全 従 業 員 約 8000 人 の う ち 10 分 の 1 の 約 800 人 が 聴 覚 障 害 者 で あ る 。社 長 の 実 体 験 を も と に 聴 覚 障 害 者 を 多く雇用しているという。 結論として、バングラデシュの聴覚障害者はそれぞれの状況の中で、多様な コミュニケーションの方法を用いて、意思伝達を行っていた。それに加え、近 年 の 手 話 の 普 及 に よ り 、聴 覚 障 害 者 の 言 語 的 基 盤 が 拡 大 し て い る 。そ れ に よ り 、 聴覚障害者の間だけでなく、健聴者との間のコミュニケーションの可能性も少 しずつ拡大しつつある。 ろう学校はろう者のコミュニティだけではなく、ろう者以外をも含む複合的 なコミュニティの構築に貢献している。ろう学校が持つ存在意義は、福祉的枠 組みを超え、言語の獲得にとどまらず、アイデンティティの獲得、人間らしい 暮らしと営み、コミュニケーションの円滑化、結婚、就職など多岐に及ぶ。 バングラデシュ社会は国家主導の福祉政策に頼らず、人々のつながりによっ て自主的な互助の実践が成立している。この社会を肯定的に捉え、喜捨や富の 分配といった南アジア的要素も考察しつつ、福祉概念の再検討を行う。 質疑応答: <Q1> 都市と農村の携帯電話の普及にはどれくらい格差があるのか? <A1> 都市ではみんな携帯電話を持っているが、農村では一部の人だけである。 <Q2> 教育の普及はどれくらいか、例えば識字率は? <A2> 識字率は意外と高く、英語を話せる人も多い。 <Q3> 聴覚障害者以外の障害者への保護はどうなっているのか? <A3> 視覚障害者への支援は聴覚障害者よりも進んでいる。 <Q4> 健聴者は聴覚障害者との結婚をどう思っているのか? <A4> 障害者といえども収入が多かったり家が裕福であったりすればよいと考え ているようだ。ただし、健聴者との結婚を望む人もいる。 ⑤教員・大学院生との懇談 ゼミ発表の後、本校生徒と教員・大学院生との懇談を行いました。懇談ではア ジア各地のお菓子や飲み物をいただき、生徒達は興味津々という感じで味わって いました。 懇談の最後で、教員・大学院生による自己紹介と研究紹介、続いて本校生徒が ゼ ミ 参 加 の 感 想 を 発 表 し た 。 生 徒 達 は 「 フ レ ン ド リ ー な 人 が 多 く て 驚 い た 」「 外 国 に 行 っ て み た く な っ た 」「 ア ジ ア に 興 味 を 持 つ こ と が で き た 」 と い っ た 感 想 を 発表しました。 5.最後に 大学院でのゼミ発表は生徒にとって初めての体験でしたが、しっかりと発表を聞いてい ました。また、どの発表でも何人かの生徒は積極的に質問をしており、発表にうまく参加 できたようです。大学院生に進路相談や職業相談などをしている生徒もおり、将来の進路 を考える上で今回の訪問はよいきっかけとなったと思います。 生徒にとって非常にハードな1日ではありましたが、有意義な経験になったのではない でしょうか。
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