降誕節第 1 主日<東方の学者たち> 礼拝説教抄録 2014 年 12 月 28 日 1 主はわたしに油を注ぎ 主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして 貧しい人に 良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み 捕らわれ人には自由を つなが れている人には解放を告知させるために。2 主が恵みをお与えになる年 わたしたちの神が 報復される日を告知して 嘆いている人々を慰め 3 シオンのゆえに嘆いている人々に 灰に代えて冠をかぶらせ 嘆きに代えて喜びの香油を 暗い心に代えて賛美の衣をまとわ せるために。彼らは主が輝きを現すために植えられた 正義の樫の木と呼ばれる。4 彼らは とこしえの廃虚を建て直し 古い荒廃の跡を興す。廃虚の町々、代々の荒廃の跡を新しく する。5 他国の人々が立ってあなたたちのために羊を飼い 異邦の人々があなたたちの畑 を耕し ぶどう畑の手入れをする。6 あなたたちは主の祭司と呼ばれ わたしたちの神に仕 える者とされ 国々の富を享受し 彼らの栄光を自分のものとする。7 あなたたちは二倍の 恥を受け 嘲りが彼らの分だと言われたから その地で二倍のものを継ぎ 永遠の喜び を受ける。8 主なるわたしは正義を愛し、献げ物の強奪を憎む。まことをもって彼らの労苦に 報い とこしえの契約を彼らと結ぶ。9 彼らの一族は国々に知られ 子孫は諸国の民に 知られるようになる。彼らを見る人はすべて認めるであろう これこそ、主の祝福を受けた一 族である、と。10 わたしは主によって喜び楽しみ わたしの魂はわたしの神にあって喜び躍 る。主は救いの衣をわたしに着せ 恵みの晴れ着をまとわせてくださる。花婿のように輝きの 冠をかぶらせ 花嫁のように宝石で飾ってくださる。11 大地が草の芽を萌えいでさせ 園が 蒔かれた種を芽生えさせるように 主なる神はすべての民の前で 恵みと栄誉を芽生えさ せてくださる。 イザヤ書61章1~11節 1 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術 の学者たちが東の方からエルサレムに来て、2 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになっ た方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たので す。」3 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。4 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっている のかと問いただした。5 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。 6 『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で 決していちばん小さいもので はない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」 7 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。 8 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って 拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。9 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見 た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。10 学者たちはその星を見 て喜びにあふれた。11 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏し て幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 マタイによる福音書 2 章 1~11 節 1.外からの来訪者 わたしたちの教会の姉妹Hさんが、 このクリスマスに男の子の赤ちゃんを出 産されました。イヴの礼拝のすべてを終え て牧師館に帰って来た時に、Hさんのお 母上がお電話くださり、今入院して、深 夜頃には生まれると思う、というお話しだ ったのですが、クリスマスが明けて、無事 出産されたという連絡をいただきました。 まだ名前は決まっていないそうですが、 お母さんの腕に抱かれた赤ちゃんに、お 姉ちゃんになったMちゃんが、うれしそう に頬を寄せている写真が送られてきまし た。家族皆で赤ちゃんを囲んで喜んでい る様子が伝わってきます。 人間は、この世界に生まれてきたと き、これ以上ないほどに人を引きつけます。 泣くこととミルクを飲むことのほか何もでき ないのですから、何もかも世話をしなけ ればなりません。必死に声を上げて目に 留めてもらい、与えられるものを必死に 得ようとします。満たされればぐっすりと眠 ることができます。わたしたちが新生児を 見るときに、わたしたち自身の原点を見る ことができます。 礼拝堂後方に、クリッペを飾ってい ます。「飼い葉桶」を意味するクリッペは、 聖書のクリスマス物語に登場するさまざ ま人物や動物たちを木彫りの人形で再 現したものです。今年は、小学生の子ど もたちが並べてくれました。飼い葉桶の 主イエスを囲んで、マリアとヨセフ、背後 には天使ガブリエルがいます。馬小屋に は、ろばなどの動物がいます。羊飼いた ちや羊たちが訪ねてきます。そして別の 方向から、らくだと共に東方の学者たち がやって来ます。古くから、この学者たち は、「黄金、乳香、没薬」(11 節)という 3つの贈りものから3人の博士(あるいは 王)として描かれてきました。 最前列の学者は、飼い葉桶の主 イエスに近づき、身をかがめて拝みます。 よく見ると、このうちひとりは、黒い肌色を しています。学者たちは、芸術作品の中 で、しばしばこのようにして、ヨーロッパ、 アフリカ、アジアの代表として描かれてい ます。彼らは聖書を知らない非ユダヤ人 です。 家畜小屋の中で、ふたりの夫婦の 間に男の子が生まれたという小さな出来 事は、この拡大した世界からの来訪者を 呼びました。クリスマスは、疑いもなく、世 界の壮大なドラマです。国家や民族の 枠を超え、それどころか、宇宙的な存在、 天的な存在がいくつも登場します。 2.マタイのクリスマス物語 新約聖書には、4つの福音書があ りますが、その中の3つの福音書に、イ エス・キリスト誕生の物語が伝えられて います。3つの福音書のクリスマス物語 は、それぞれに特徴があります。エリサ ベトとマリア、2人の女性の受胎告知か ら始まるルカ福音書の物語は、主イエス の母マリアにスポットライトを当てています。 未婚の十代のむすめが歌う「マグニフィ カート」(頌歌)は、圧倒的な力に満ちて います。 「わたしの魂は主をあがめ、わたし の霊は救い主である神を喜びたたえます。 身分の低い、この主のはしためにも 目 を留めてくださったからです。今から後、 いつの世の人も わたしを幸いな者と言 うでしょう、力ある方が、 わたしに偉大 なことをなさいましたから。その御名は尊く、 その憐れみは代々に限りなく、主を畏れ る者に及びます。主はその腕で力を振る い、思い上がる者を打ち散らし、権力あ る者をその座から引き降ろし、身分の低 い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満 たし、富める者を空腹のまま追い返され ます…」(ルカ 1:47~53)。 一方、マタイによる福音書のクリス マス物語は、ルカのトーンとは明らかに異 なります。マタイは、主イエスの父ヨセフに スポットライトを当てて語り始めますが、ヨ セフ自身は歌を歌うどころか、ひとことも 言葉を発しません。「聖母子画」が数多 く描かれているのに対し、父親としてのヨ セフの姿は背後に隠れています。6 世紀 ごろまで、ヨセフはクリスマスの絵画の中 には登場しなかったと言われています。 マタイは、クリスマス物語にネガティ ヴなイメージを残します。東方から訪ねて 来た学者たちを出迎えたのは、ヘロデ王 でした。「ユダヤ人の王としてお生まれに なった方は、どこにおられますか。わたし たちは東方でその方の星を見たので、 拝みに来たのです」(2 節)。ヘロデは不 安 を 抱 いた とあり ます 。「 エルサ レムの 人々も皆、同様であった」(3 節)ともあ ります。後に、エルサレムの人々がキリス トを拒み、エルサレムがキリストの十字架 の場所となることが暗示されています。こ の町が、これから生まれてくる王が十字 架におかかりになる場所であることなど、 学者たちは知るよしもありません。 3.バビロン—苦難の歴史から 東方のから来た星術の学者たちは、 謎に包まれた人たちです。占星術師を 指す言葉は、聖書のギリシャ語で「マギ」 という言葉ですが、「マギ」は、聖書の他 の箇所では「魔術師」(使 13:8)などと 訳されて、否定的な意味合いを持って います。ここでは、「マギ」たちが異教の 人たちであることには変わりありませんが、 しかしクリスマスの中心人物として肯定 的に語られています。彼らは、星の研究 や夢の解釈をして人の運命や世の情勢 を占うバビロニアの占星術師でした。 バビロニア(首都バビロン)という地 は、イスラエルにとってよい場所ではあり ません。旧約聖書史上もっとも大きな苦 難と呼ばれた出来事の舞台が、このバ ビロンでした。神殿のある都エルサレムが 陥落して、イスラエルのおもだった人たち は皆、バビロンに連れられ捕囚とされまし た(紀元前 6 世紀)。イスラエルの人たち は、祖国を失い、神殿を失いましたが、こ の悲劇は新しいライフスタイル、新しい礼 拝を生み出します。後に「会堂」(シナゴ ーグ)礼拝と言われる礼拝です。 この地での暮らしは、偶像礼拝の 誘惑との闘いでもありました。バビロンは 異教の神々を拝し、異教的な風習を持 っていました。この中心にいるのが、「マ ギ」という存在です。彼らは賢者であり、 学識者でした。捕囚の民は、少なからず バビロニア人の影響を受けています。同 じように、バビロンの人々も、イスラエルの 人たちの言葉を聞いていたはずです。宗 教指導者間の対話はなくても、市民レ ベルでは、イスラエルの人々が、朝夕祈 り、安息日には働かないことを知っていた でしょう。救い主を待ち望む信仰を、バビ ロンの人たちに話さなかったとは考えにく いと思います。 イスラエルの人々は、辛い喪失と 屈辱を経て、捕囚から解放されます。長 い間見ることのなかったエルサレムに帰 還していきます。エルサレムは、神の祝福 を受け継ぐものとされるという約束を聞い て歌います。イザヤ書 61 章には、「エル サレムのマグニフィカート」と呼ばれる讃 歌が収められています。「わたしは主によ って喜び楽しみ わたしの魂はわたしの 神にあって喜び踊る」(イザ 61:10)。キリ ストの母マリアのマグニフィカートと共鳴 する美しい歌です。神の祝福の約束は、 イスラエルが「国々に知られ 子孫は 諸国の民に知られるようになる・・・これこそ、 主の祝福を受けた一族である、と」(イザ 61:9)。また、エルサレムは「主の祭司と 呼ばれ…国々の富を享受」(イザ 61:6) する、というものです。イスラエルは諸国 の人々に知られ、ここに諸国の宝がささ げられると預言者は語ります。 4.礼拝の目的 5百年以上の時を経て、マギたち はやって来ました。「黄金、乳香、没薬」 という宝を携えて旅をし、薄暗い家畜小 屋に入りました。学者たちは、「ひれ伏し て幼子を拝」(11 節)んだと伝えられて います。この場面も、多くの画家によって 好んで描かれてきました。飼い葉桶に横 になった赤ちゃんの前に、高貴な身分の 大人たちがひざまずき、ひれ伏すシーン は、大変印象的なものです。 「拝む」(プロスクネオー)という言 葉は、マタイ福音書の中でただキリストに 対してのみ使われる言葉です。ユダヤ 人ではない異教のマギたちが、キリストを 礼拝します。この人たちの目的は、最初 からはっきりと告げられていました。「わた したちは東方でその方の星を見たので、 拝みに来たのです」(2 節)と言いました。 ヘロデ王は、「ユダヤ人の王」の誕生に 大きな関心を示しましたが、それは新し い王を抹殺するためでした。ヘロデ王に よって集められた民の祭司長たちや律 法学者たちは、マギたちが言っていること に関心を持ちませんでした。宗教指導者 たちは、み子の誕生に際して礼拝するこ とはなかったのです。 しかし、マギたちは、キリストを拝みま した。長く過酷な旅に費やした時間も労 力もすべてこの場所にたどり着くためでし た。この場所でマギたちは、さらに、持参 した最上の宝のすべてをささげてしまうの です。 わたしたちにとって、礼拝とは何で あるでしょうか? 神の言葉を聞くこと、 讃美を歌うこと、信仰を告白すること、懺 悔を祈ること、執り成しを祈ること…さまざ まな場面が礼拝にはあります。礼拝とは、 しかし、拝むことです。何か知識を蓄積 することではなく、何かを達成して高みに 昇ることではなく、神のみ前に自らのすべ てを差し出し、ひれ伏すことです。み子が 飼い葉桶の中に示しされた大いなる謙 遜と柔和のうちに、この礼拝から、新しい 歩みへと遣わされるのです。 (祈り)
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