「ジェラルド・ペニーを讃えて」

「ジェラルド・ペニーを讃えて」
アーモスト大学学長
アンソニー・W・マークス
於:ジョンソン・チャペル
2006 年 9 月 4 日
(1) 一世代前、勉学と友情を求めてこのすばらしい大学に1人の若者が入学しました。その
人は、ニューオーリンズ出身のアフリカ系アメリカ人であり、父親は郵便配達を仕事として
いました。彼の名前はジェラルド・ペニーといいます。この大学は、彼に入学を許可し、また
ジェラルドはその決定を額面どおり信じました。だが、大学はそれにともなう困難な課題に
まだ十分な関心を払っていなかったのです。
(2) アーモスト大学には、開校して間もない頃から、アフリカ系のアメリカ人が入学してき
ましたが、これは賞賛に値することです。1826 年卒業のエドワード・ジョーンズはこの国で
はじめて大学を卒業したアフリカ系アメリカ人の1人でした。 1915 年卒業のチャールズ・
ハミルトン・ヒューストンは、米国の分離教育廃止を訴えた弁護士であり、サーグッド・マ
ーシャルの恩師でもありました。1925 年卒業のウィリアム・H・ヘイスティ判事は、最初の
アフリカ系アメリカ人の連邦裁判所判事でした。1926 年卒業のチャールズ・ドリューは、最
初の赤十字血液銀行を設立しました。
(3) ご存じのように、彼らの中の幾人かは、侮辱という代価を払ってアーモストの教育を勝
ち得ました。学生寮で、白人学生がアフリカ系アメリカ人学生と同室になりたければ、教務
部長は、白人学生の親から許可状をもらう必要があった時期がありました。当時としてはご
くありふれた差別的傾向を示しながらも、この大学は、黒人あるいはアメリカで当時支配的
であった文化の外部から来た人たちが、あたかもその文化がもつ行為規範に同意している
かのように行動している限りは、まったく問題がないかのようにふるまっていたのです。
(4) 1977 年卒業組のジェラルド・ペニーがやってきたとき、おそらく彼は、どのような場
合にそうした行為規範に合致しており、どのような場合に逸脱しているかをまだ知らなか
ったのでしょう。あるいはおそらく、すべての規範を受け入れることで、かのニューイング
ランドのストイシズムをすぐにも真似たのかもしれません。そのストイシズムとは、弱点と
見なされるかも知れないことについては口にしないことが品格のあることだというもので
した。彼が入学を許可されたアーモスト大学はその教育で高く評価されていました。ですか
ら、彼が、このような経験豊かな教育機関であれば、学生に対し彼らができないことは要求
しないだろうと考えたとしても、もっともなことです。とはいえ、ほんとうのところは、私た
ちには分かりません。
(5) 1973 年秋、ペニーがやってきたとき、彼がここで自分に降りかかることになる試練を
十分理解していなかったことは明らかです。また、あきらかに大学側も、理解していません
でした。それゆえ、第1学期の初めに伝えられた連絡事項の中で、大学は、入学してきた新入
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生の一人一人に、水泳のテストに合格するよう求めたのです。しかし、大学は学生たちが泳
げるかどうかを事前に調べていませんでした。単に、全員プールに入るように求めたのです
(6) この単純明快な規則を突きつけられて、ジェラルド・ペニーは大学のプールに入りま
した。おそらく彼と同じ立場にいる学生なら誰でもそうしたことでしょう。しかし、水泳に
親しむ機会がないような環境からやってくる学生はきわめて希だったのです。
(7) 彼がその事態をどうしたら切り抜けられると考えたか、私たちには分かりません。すべ
ての新入生がそうであるように、キャンパスでの最初の一日における人や行事の交錯する
中で自分なりの身の処し方を探し当てながら、ジェラルド・ペニーはおそらく、泳ぐという
この要求を、できて当然と自分に期待されている事柄のうち、彼にはなじみのないもののほ
んの一つに過ぎないものとして受けとったのでしょう。プールに入ると、底は見えるものの
恐ろしいことに足の立たない水の中で、彼はたぶん、自分をアーモスト大学合格まで導いた
知力と忍耐力が、なんとかこの事態を切り抜けさせてくれるだろうと信じたのでしょう。そ
の瞬間まで、彼のもっとも頼りになるものであった自らの勇気と精神力が、自分を支え、そ
して救ってくれると信じたのでしょう。
(8) しかし勇気も精神力も彼を救うことができませんでした。果敢にも2、3往復した後、
その日、プールの深いほうの端で、なにが起きているのか飲み込めない仲間たちの目の前で
ジェラルド・ペニーは溺死しました。
(9) アダム・クレイトン・パウェル Jr.の言葉によれば「自らの過去を否定するものには未
来はない」ということです。
(10) 私が言いたいことは、いまになって思えば、もしわれわれがもっと注意深くあろうと
していたなら、ジェラルド・ペニーはいまも生きているかも知れないということなのです。
いったい何が原因で、私たちの無知という水の中に、ジェラルド・ペニーが、いたましくも
飲み込まれていったのか。この事実に、このコミュニティーはずっと向かい合うべきだとい
うことを私は訴えたいのです。
(11) 私たちの大学は学びに捧げられた教育機関ですので、私たち自身から、そしてその他
の人々から、この事故を隠そうとはせず、むしろ、それを記憶にとどめることを選びました。
この勇敢な若者を自らの歴史の一部としたのです。私たちは、彼にまつわる記憶を、オクタ
ゴンの中に「ジェラルド・ペニー’77 黒人文化センター」という形で記念しているのです。
(12) あの衝撃的な午後から、この大学はずっと成長しました。私たちは、さまざまな伝統、
母国、人種、民族、関心と能力をもった人たちからなるコミュニティーを形成することに、ず
っと上達しました。互いに学び合うことで成長してきたのです。
(13) このゴールは、あなたがた未来のリーダーに対するわれわれの教育を方向付けていま
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す。しかし私たちの教育は、私たちが教育機関として模範とするものにもまた依拠していま
す。コミュニティーとしての最も高い理想を私たちが実現することで、私たちは自分たちの
社会に良い影響を与えるのです。
(14) このミッションに向けての私たちの前進を喜びつつも、私たちは、なおやり遂げてい
ないものを探求し続けるのです。熟慮と共感という点では進歩しましたが、なお学びうるこ
とが何かを知るために、人を傷つけるおそれのある私たちの思いこみを吟味すべきなので
す。
(15) アーモストでのジェラルド・ペニーの死の意味を深く心に刻みましょう。私の経験で
は、自分たちを当惑させたり、おびえさせたり、あるいは深く悲しませることに立ち向かう
ことで、私たちはもっとも多くを学ぶのです。そしてもしこの教育機関が誠実で、学問に尽
くすべき場所であるならば、私たちは、めいめいに私たちの歴史に向きあっていかなければ
なりません。
(16) 私のあなた方へのメッセージは次の通りです。私たちが必ずしもすべて同じではない
という事実は、単にこの大学の好ましい一面であるだけではなく、それはかけがえのない強
みなのです。私たちはまさにその強みを作り上げるために、多少の対価を払いつつも、多様
な人たちを意図して選び、集めたのです。私たちがあたかも全員同じであるかのようにあっ
たり、あるいはそのようにふるまうよりも、より多くを学べるが故に、私たちはこの多様性
を作り出したのです。
(17) 皆さん、このことはまさに、あなたがたがお互いに他者の違いを無視してはならない
理由の一つなのです。スポーツ選手は友愛と自己規律を教えることができます。芸術家は美
とその鑑賞の仕方を教えることができます。ボランティアは共感と市民性を教えることが
できます。アーモストは、こうした活動領域のすべてを発展させていくつもりです。しかし
ここにいるあなた方は、単に、この多様性のある集団の一員であるという点で貢献している
だけでなく、また大学のために役立つだけの存在であるのでもありません。あなたがたいっ
しょになって、自分たち自身の教育に役立つべきなのです。
(18) この慎重に選び抜かれた才能、経験そして考え方をもった人々の集まりに導かれるこ
とで、ここにいるあなた方は精神的リーダーとして成長するのです。
(19) そのために、いっそうグローバルに結びついた社会にあって、この大学はあなたがた
1人1人に、これまでにまして多くの資源を投じます。ご両親がアーモスト大学の授業料を
全額支払っている学生に対しても、ご両親が支出するのとほとんど同じぐらいの資金を投
じています。
(20) あなたがたの学びの成果を最も大きくすることは、この教育機関の最優先事項です。
この目的を果たすために、あなたがたの先生は、あなたがたの違いを教育に活かそうと努力
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します。大学教育は、あなた方にとって大きな節目になる時期に行われます。いまは、目前に
広がる世界であなたが演じることになる自己のあるべき姿 self-definition にむかって歩を進
めるとともに、あなたがたの固有の資質が花開し、研ぎ澄まされていく時期なのです。
(21) それゆえ、あなたがたの先生は単に、出来合いの「基準」にあなた方が自動的に適合し
ていくと思っているわけではありません。そのような思いこみは、あなた方の違いがもつ利
点を否定してしまうでしょう。またそれは、有害でもあります。
(22) たとえば、あなた方一人一人の素質の違いと、2010 年卒業組の学生が通っていた 360
校を超える高校間での教育方針の違いの双方から影響によって、あなた方は、全員、それぞ
れに違った方法で学んでいくのです。多様な機会を提供することは、それに見合う多様な準
備を必要とします。しかしここにいるあなたがたの先生は、あなた方が如何に学んでいくの
か-そしてその学び方もまた急速に変化していくのですが-そうしたことを先生自身が学
ぶことを自らの楽しみとしています。私たちは皆等しく強さと弱さを併せ持っていること
を知ることで、あなた方一人一人と力を合わせ教育を行っていく責任を私たちは引き受け
ます。
(23) もちろんここに入学してきた 2010 年卒業組のメンバーもまた、この責任を引き受け
たのです。自分を認めてもらいたい場合はもちろん、指導を必要とする場合にも、正直にな
りなさい。あなた方がここにいるのは、そのためなのです。
(24) そして、あなたがたが向上するにつれ、大学はすぐにも快適なところになるわけでは
ないこともまた覚えておいてください。むしろあなた方は、あなた方の間でできるかぎりの
多様性を作り出していくべきなのです。ジェームズ・ボールドウィンの言葉を引用すれば
「教育のパラドックスは、こういうことである。すなわち、人は、意識的になるにつれ、自らを
教育している社会を吟味しはじめる・・・人類的課題を問い、そしてそうした疑問ととも
に生きていけるようになる。これが自らのアイデンティティを確立する方法である。」この
考え方こそが、精神教育の理念であり、私たちの伝統の中心部にあるものなのです。
(25) 皆さん、それゆえ、あなた方が自らのアイデンティティを確立するようになるにした
がい、胸襟を開き、互いに刺激し合い、そして互いを尊重するよう強く望みます。互いに他の
人の問いかけを不寛容な態度によってないがしろにすることを私たちはいさぎよしとはし
ません。それは、この自分を正直に開示するという精神があるからです。異質な者に対する
不寛容という偏狭さが、男性が女性に対して、白人がアフリカ系の人やラテン系の人あるい
はアジア系の人に対して、スポーツマンがそうでない人に対して、通常の人がゲイの人に対
して、リベラル派が保守派に対して、富める者が貧しい者に対して、あるいはこれらの逆の
ケースにおいてそうした偏狭さが見られようと、私たちの考えに変わりはありません。
(26) 私たちは小さな大学です。それゆえ、自分たちの無知をより安全にお互いにさらけ出
すことができるのです。そのような規模の大学だからこそ、互いに難しい問題をぶつけ合え
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るのです。しかし小さなコミュニティーであっても、特権にかかわる諸問題はなお議論する
ことが難しいものです。他者の目には、当然と考えるには幸運過ぎるように映る所持品や休
暇旅行に、多くの人は面食らいます。不利を克服してきた人は、その奮闘を理解してもらえ
るだろうかと懸念するかもしれません。また物的に恵まれて育ってきた人は、そうした彼ら
の奮闘に対してどのように適切に応対したものだろうかと思案するかもしれません。重ね
て言いますと、もし私たちがこのような差異を無視するのであれば、互いに学べることはあ
りませんし、それどころか傷つけてしまうかもしれないのです。
(27) 2010 年卒業組の皆さん。あなたがたが、お互いに対して有しているこうした責任は、
さらに、あなたがたの学問的研究のコアともなっていきます。もしあなたがたが、自分の成
績を下げることを恐れて間違うことにしり込みし、自分の得意な分野にしか目を向けない
なら、そのような選択はあなたの臆病さの、つまりさらに新しい力を身につけることへの恐
れを覆い隠すものの、印ととられかねないことを知っておいてください。そのような人は、
残りの人生もこうした考えで生きることになるでしょう。そうであればこそ、容易に手に入
るものではなく、興味の尽きないものを選ぶようにしてください。
(28) そして、すでにうすうす感じられているかもしれませんが、あなたがアーモストに携
えてきた期待のすべてが充たされるとは限りません。すべての選手がレギュラーになった
りあるいはスターティング・メンバーになるわけではありません。高校で優秀な成績を収
めたこと、そしてこの大学に合格したことは、それ自体としては、たとえば医師になろうと
志を高く持っている人みんなが医学部進学資格試験に容易にパスすることを意味しません 。
教育者として私たちがそんな振りをすれば、私たちはあなたがたを失望させるでしょう。も
しあなたがたがが、ある分野で援助を受けたり、別の分野で援助を与えたりせず、それとは
違ったふうに振る舞うなら、自らを失望させることになるでしょう。あなたを新しい方向に
向かって駆り立てるために、未知の才能と興味の対象を希求してください。
(29) お互いからまなぶことはもちろんですが、ジェラルド・ペニーの記憶のおかげで、と
りわけどうして良いか分からないときには誠実に自分自身をさらけだすことの大切さを学
びました。2010 年卒業組のみなさん、みなさんが疑問を感じているときは、その疑問にたい
する答えをこの部屋のなかのほかの人たちも知りたいと待ち望んでいる可能性が高いとい
うことを知るべきです。そうした不確かさをやり過ごす平易な道はありません。さらに、激
動するこの世界にあって、この大学における多様性はもちろん、地球上にみられる多様性は
あなたがた一人ひとりを鼓舞するにちがいありません。みなさん、解決の鍵は、あなたがた
の多様性は同時にあなたがたの他者に対する最高の贈り物だということにあるのです。
(30) ジェラルド・ペニーの犠牲がわれわれを導いてくれものが、このことなのです。すな
わち、われわれの一人ひとりが、自らのために、各自が何を出来るか、そしてまだ何を知らな
いかを心にしっかり抱いて、意識して多様性のあるコミュニティーを作り出すことが求め
られているのです。
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(31) そうしたコミュニティーを意図して作るよう求められているのです。それは私があな
たにそう求めるからでも、漠然と想定されている義務からでもありません。むしろ、各人が
全人的存在へと成長していくために、このコミュニティーに自らのアイデンティティを結
びつけるよう求められているのです。
(32) 他者に同化したりあるいは孤立したりすることによってではなく、めいめいがここで
自らを作り上げていく力強くまた多様な方法を十分に心に刻むことで、あなたがたはアー
モスト大学に命を吹き込むのです。
(33) この心躍るような多様性の真の価値を理解し、なおそれを自ら選びとることを学ぶこ
とで、生涯にわたる交友関係を築くのです。アーモストにおける私たちのこの意識して作ら
れた多様性は、また私たちの社会のためにもなります。というのは、まさにそのような意識
ある理解を切望する多くの声が世界中から届いてくるからです。
(34) 2010 年卒業組の皆さん、多様性を基礎としてコミュニティーをいかに築くかは、われ
われの世界の、そしてわれわれの時代の大きな挑戦課題です。もしアーモストにおいてわれ
われがそれをしないのであれば、これ以外の場所ではそれはもっと難しいことが分かるで
しょう。
(35) 私は、この挑戦に十分応えるための方法すべてについて知っているわけではないこと
を告白します。しかしこの恵まれたそして才能あふれる小さなカレッジには、いくつかの道
しるべがあります。ジェラルド・ペニーの痛ましいしかし強烈な記憶は、私たちに対し、い
っそう多くの道しるべを作っていくよう働きかけます。あなたやあなたの同級生が泳げな
いのに泳ぐことを大学が求めるようなことがあってはなりません。無知という水は深いの
です。このことを知ることで、互いに尋ねあい、お互いに認め合いましょう。救いを求め、ま
た救いの手を差し伸べることは、リーダーシップの最初のステップなのです。
(36) 2010 年卒業組の皆さん。つぎのパラドックスを心にとどめながら、ここアーモスト大
学において、皆さん自身を一新してください。そのパラドックスというのは、すなわち、あな
たと全然異なっていると思った人たちと関わりあうことで、あなたのもっとも大きな潜在
力を発揮できるということです。そして自らの個としてあるべき姿にむかって努力するに
つれ、あなたは人類的問いかけを発し、ボールドウィンが言ったように、あなたがその一部
をなしているより大きなコミュニティーからあなたが学んだ答えを受け止めなければなら
ないということです。
(37) それが、うわべだけでなく、生き生きとした個人の多様なコミュニティーという実践
を達成するやり方なのです。お互い知らないふりをするときではなく、互いに向き合いなが
ら問いかけ、そしてお互いをより深く理解しあうことによって、あなたがたはこの場所を血
の通ったものにするのです。あまつさえ、あなたがたは精神的に充足した人間となることが
出来るのです。
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(38) そこで、ジェラルド・ペニーを追悼するにあたって、私は、あなたがた一人ひとりにと
って、オープンであり挑戦的であることが、あなたがたの第 2 の天性となることを祈ってい
ます。ここでの出会いによって自分が変わることを待ち受けている場合でさえ、オープンで
あり挑戦的でいていください。そうすれば、このキャンパスを超えて広がる世界に心を開い
て関わり、そして敬意をもってそれに挑んでいくことを第 2 の天性とすることができるでし
ょう。
(39) あなたがたをここに迎えたことは、まことに悦ばしいことです。私たちは、大きな望み
と大きな高揚感とともに、あなたがたの問いかけを歓迎します。そしてそれによってあなた
がたが学び、またこのキャンパスを超えて広がる世界を作り替えていくのを支援します。
(40) さあいっしょに、私たちのなすべきことにむかって、無知という水からあがりましょ
う。アーモストへようこそ。
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