マリアテギとアヤ・デ・ラ・トーレ―1920年代ペルー社会思想史試論

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ラテンアメリカ・カリブ研究
著者自身による新刊書紹介
『マリアテギとアヤ・デ・ラ・トーレ―1920 年
代ペルー社会思想史試論』(新泉社、2012 年)
- 神奈川大学・小倉英敬
筆者は、1970 年代の大学学部時代からホセ・
カルロス・マリアテギの研究を始め、マリアテ
ギと並列して論じられることの多いビクトル・
ラウル・アヤ・デ・ラ・トーレとアプラ運動に
関する研究も同時に開始した。当初は、社会主
義運動への関心からマリアテギ研究に集中し、
これを生涯の研究としようと思い、2002 年に
『アンデスからの暁光 マリアテギ論集』
(現代
企画室)を出版したが、その後現代的に見ても
ポピュリズム運動が果たす歴史的役割を再認識
し、その結果ラテンアメリカにおけるポピュリ
ズム運動の先駆であったアプラ運動とその創始
者であるアヤ・デ・ラ・トーレの研究をも並行
的に扱った著書を出版しようと思い立った。
世界資本主義システムは、現在脱「新自由主
義」化の段階に移行しつつあり、脱「新自由主義」
筆者が研究を開始した当時は、アンドレ・グン
化と多極化が国際社会の大きな流れとなりつつ
ター・フランクなどの従属論が注目され始めて
ある。世界資本主義システムは 18 世紀後半に
いた頃であった。アプラ運動に関しても、1973
欧米諸国に勃興して世界的に拡大し、グローバ
年に米国のピーター・クラーレンがペルー・ア
ル化していったが、非欧米諸国に本格的に拡大
プラ党の起源に関する研究を発表し、他方アル
し、周辺部資本主義社会を形成したのは「帝国
ベルト・フローレス・ガリンドが 1977 年に同様
主義」段階においてであった。
の視点に立って山岳部南部における資本主義化
この時期にラテンアメリカ諸国では、欧米を
のプロセスに関する共同研究を発表していた。
起源とする外国資本の支配が拡大した。南米の
このようにして、1920 年代のペルー思想史が漸
ペルーにおいては、外国資本の進出と一次産品
く世界的な視点から始められるようになった。
(農鉱産物)生産の国際市場への統合に伴って
そして筆者も、マリアテギとペルーにおける
大土地所有が拡大し、海岸部北部では砂糖・綿
初期社会主義運動、並びにアヤ・デ・ラ・トー
花生産の国際市場への統合、山岳部南部では羊
レとアプラ運動を論じる枠組みとして、世界シ
毛生産の国際市場への統合によって、大きな社
ステム論の方法論を用いることにした。その背
会変動が生じ、海岸部北部では独立農や地方小
景には、下記のような筆者の歴史観と時代認識
商人などの旧中間層の没落が生じるとともに、
がある。
山岳部南部では先住民農民の共有地喪失による
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先住民農民の反乱や、地方都市部への移動が生
(6) マリアテギのマルクス主義思想の特徴
じて、さらには文化変容をも生じさせることと
(7) インディヘニスモ論争
なった。
第 3 章 アヤ・デ・ラ・トーレの思想とアプ
本書は、世界資本主義システムの周辺部への
ラ運動の形成
拡大によって非欧米諸国においてはどのような
(1) アプラ運動の形成
社会変動、政治的な変化、文化変容が生じ、そ
(2) ヨーロッパ滞在とアプラ運動の思想的基
してその結果どのような社会思想上や社会運動
盤の形成
上の変化が生じたのかを解明することを目的と
(3) アプラ運動の形成時期
して、マリアテギとアヤ・デ・ラ・トーレの二人
(4) 国際共産主義運動との訣別
の思想家の登場によって生じた思想史上の動向
(5)「メキシコ計画」
と、彼らの指導によって生じた大衆運動の発生
(6) アヤ・デ・ラ・トーレの思想
プロセスに見られる社会運動史の特徴を検証す
(7) ペルー・アプラ党の結成
ることによって、世界的な現象の一例を示した。
このような意図が十分表現できたかどうか、
まだまだ方法論を十分に活かした形で論じきれ
なかったと今も感じているが、それでも世界的
な視野を置き去りし「タコ壺」的な研究に陥り
がちな日本におけるラテンアメリカ研究の現状
に一石を投じることは意義があるのではないか
と考えた。
本書は以上のような問題意識から構成は次の
ようにした。
第 1 章 ペルーの資本主義化と寡頭支配制
(1) ペルー沿岸部北部における大土地所有制
の拡大
(2) ペルー山岳部南部における大土地所有制
の拡大
(3) 寡頭支配制の成立
(4) 寡頭支配制への批判
第 2 章 マリアテギの思想形成
(1) ヨーロッパ渡航前
(2) ヨーロッパ体験
(3) アヤ・デ・ラ・トーレとの関係
(4) アナルコ・サンジカリストとの関係
(5)『アマウタ』誌の創刊
第 4 章 ペルー社会党(PSP)の結成と社会
主義運動の展開
(1) ペルー社会党(PSP)の結成
(2)PSP とコミンテルンの路線対立
第 5 章 クスコにおける共産主義グループの
形成
(1) クスコにおける大学改革運動
(2)1920 年代クスコのインディヘニスモ運動
(3) アプラ・クスコ支部の結成
(4) クスコ共産主義細胞とペルー共産党(PCP)
第 6 章 1920 年代における「ヌエボ・
インディオ」観
(1) ペルー社会の変動と文化変容
(2) 山岳部南部における先住民の動向
(3)「ヌエボ・インディオ」論
(4)「ヌエボ・インディオ」と「チョロ」の関
係性
第 7 章 ペルー・アプラ党(PAP)と寡頭支
配層
(1) ペルー・アプラ党(PAP)とサンチェス・
セロ政権
(2)PAP とベナビデス政権
(3)PAP と軍部
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ラテンアメリカ・カリブ研究
(4)PAP と寡頭支配
他方、本書の「あとがき」に書いたように、現
在『ラテンアメリカ 1968 年論』の執筆を進めて
おり、1 年後には完成する予定である。1968 年
には、ベトナムにおけるテト攻勢、米国、フラン
ス、日本等の先進資本主義諸国における「若者の
叛乱」
、チェコスロバキアにおける民主化運動と
ワルシャワ条約機構軍による圧殺、中国におけ
る文化大革命の変化、パレスチナ情勢等々と全
世界的に社会運動が盛り上がったが、世界シス
テム論からの理解が十分に行われていない。そ
の原因の一つとして、1968 年に途上諸国におい
て生じた諸事件の研究が遅れていることがある
と考えられる。そのため、筆者は紹介されるこ
との多いメキシコの学生運動をはじめ、ペルー
におけるベラスコ左翼軍事政権の登場、キュー
バにおけるパディージャ事件、チリにおける人
民連合(UP)にいたるキリスト教左翼の動向、
パナマにおけるトリホス政権の登場、ブラジル
におけるカルロス・マリゲーラの都市ゲリラ運
動の登場、アルゼンチンにおけるモントネロス
の活動活発化、ウルグアイにおけるトゥパマロ
スの活動活発化を取り上げて、それを「中間層」
の動向が背景に生じた現象であることを論証し
つつ、各国における資本主義的発展の中で「中
間層」がどのような位置を占めていたかを、世
界的な「中間層」論をも整理した上で論じよう
としている。
ばならないとの認識が持たれてきている。この
ように、
「中間層」の重要性に関する認識は進ん
できたが、その研究は十分には行われてきてい
ない。過去 20 年間にアジア諸国の急成長を基
盤に「中間層」が再び注目されてきているが、
資本主義的発展の諸段階において「中間層」が
どのような役割を果たしてきたかに関する研究
が極めて遅れているのが実情であろう。
筆者は『ラテンアメリカ 1968 年論』の中で、
「中間層」論から論じるという方法論をとるこ
とによって、
「1968 年現象」の世界的な意味合
いを再考できるであろうし、さらに世界システ
ム論の修正や強化に役立てればと考えている。
最後に付言すれば、
『ラテンアメリカ 1968 年
論』がラテンアメリカの 1960 年代同時代論で
あるとすれば、1999 年 2 月にチャベス・ベネズ
エラ政権の登場から始まった脱「新自由主義」
化を目指す諸政権の登場も、新たに論じられる
べき同時代現象であると考えられるので、
『ラテ
ンアメリカ 1968 年論』に続く著作として『21
世紀ラテンマメリカにおける脱「新自由主義」
現象論』的な著作の執筆を予定している。
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『教育における国家原理と市場原理―チリ現代
教育政策史に関する研究』(東信堂、2012 年)
- 斉藤泰雄・国立教育政策研究所
<なぜチリなのか>
1990 年代、ラテンアメリカ諸国では新自由
「中間層」は 19 世紀にはマルクスによって
主義に立脚するさまざまな社会政策が導入され
上下に階層分化する階層であると指摘されたも
た。教育政策もその例外ではなかった。いわゆ
のの、その後の歴史プロセスからは旧「中間層」
る教育の市場化、民営化の潮流である。それは、
は上下に階層分化するものの、資本主義の発展
1980 年代の経済危機の後、この地域への影響力
や近代化に伴って新「中間層」が生まれるため
をさらに拡大させた世界銀行や国際通貨基金、
「中間層」が死滅することはなく、逆に資本主義
米国の国際援助機関等の提唱するものであった。
的発展のためには「中間層」を増加させなけれ
世界銀行の発表した教育政策論関係の文献を詳