2010年度学科共通科目 「哲学・思想の基礎」 国際文化コース 「比較思想

2013年度学科共通科目
「哲学・思想の基礎」
因果関係の諸相
担当:山口裕之
http://web.ias.tokushima-u.ac.jp/shin-kokusai/
前回の小テストの解答
問1
• 因果関係について正しいものはどれか。
84%
① デカルトは、神も因果関係に従うと考えた。
② マルブランシュは、物体の間に因果関係が実在す
ると主張した。
③ スピノザは、法則に従う仕方で現象が推移するの
は神の力であると考えた。
④ ヒュームは、連続的におこる現象を観察した人間
の心の習慣だと主張した。
問2
• ポパーの主張は、
98%
① 反証主義
② 実証主義
③ 権威主義
④ 実在主義
問3
• ポパーは、「仮説が間違っていることは一回の反証
実験で証明できる」と主張したが、実際のところどう
か。
87%
① 高校生の実験ではダメだが、科学者が実験すれば
一回の反証実験で証明できる。
② 科学者の実験でなくても、仮説が反証されたら、科
学者はその結果に納得する。
③ 定説に反する実験結果はなかなか受け入れられな
い。
④ 真理は人それぞれであるので、実験結果を正しい
と受け取る人も信じない人も仲良く共存すべきだ。
問4
• 科学実験について、正しいものを選べ。
84%
① いくら条件を細かく定めても、その気になれ
ばいくらでも反論できてしまう。
② ある特定の科学者しかできない実験は「再現
性」がないので決して認めてはならない。
③ 実験条件を細かく定めておけば、誰も文句の
つけようのない精密な実験ができる。
④ 誰がやっても必ず同じ結果が出る。
問5
• マコーネルの犯した失敗は何だったか。
62%
① 揚げ足取りのような反論にいちいち誠実に
対応した。
② 決定的な実験で仮説が反証されてしまった。
③ 自分の論文を発表するための科学雑誌を自
分で作った。
④ 実験器具にお金をかけすぎた。
問6
• 「プラナリアの実験」の教訓は何か。
85%
① 仮説が間違いなのか、実験が間違いなのかを、実
験だけから示すことはできない。
② 仮説への反論にいちいち応対すべきではない。
③ 仮説の正しさは実験で検証できないことが示され、
ポパーの反証主義の正しさが明らかになった。
④ 科学的真理は結局、人それぞれである。
問7
92%
• 科学の専門雑誌について正しいのはどれか。
① 「ネイチャー」や「サイエンス」など、ランクの高い雑
誌に載った論文は尊重される。
② 論文の内容がよければ、載った雑誌が「ネイ
チャー」でも各大学の「紀要論文集」でも関係なく評
価される。
③ 名の通った科学者であれば、どのような雑誌にも無
条件に論文を掲載することができる。
④ 「ネイチャー」や「サイエンス」などのランクの高い雑
誌に掲載されるためには、有名学者の紹介状が必
要だ。
今日の話題
「因果関係の諸相」
ヒュームの「因果関係論」
• 物体の衝突を観察したときに、観察可能なもの
は、右からやってきた物体Aが、物体Bに接触したと
ころで停止し、同時にBが左へと動き出したことだけ。
=「力」そのものは観察できない。
• なぜ我々は「Aがぶつかったので、Bが動いた」と
いうふうに、因果関係を読み込んでしまうの
か?
ヒュームの答え
「何度か類似の現象を見ているうちに、
次の現象を予測する習慣が身につ
くからだ。」
=「心の習慣」としての因果関係の認識
→「法則」概念からの「原因概念の排除」に加担。
→「実証主義」の思想の成立へ。
前回の課題
• ヒュームの因果関係論でうまくいくだろ
うか?
• 「うまくいかない場面」として、具体的にどのよ
うなものがあるか?
• 因果関係について、どのように考えるのがよ
いだろうか?
経験によって必然的な因果関係を
認識することは難しい。
• 難しいかどうかでなく、可能か不可能化を問
題にしている。
ヒュームの因果関係論で
うまくいかない場合
• サイコロの目のように、結果が毎回変わ
る場合。
• 「確率的な因果理解」ということもある。
• 完全に偶然的な事象については、いかなる理論
によっても、そもそも因果関係が成り立つと言えない。
心の習慣だとすると、ひとそれぞ
れになる恐れがある。
• 物体AがぶつかったらBが動く、という現象を
100回見て、どのような「ひとそれぞれ」の解釈
がありうるのでしょうか?
数学は必然的な因果関係で証明する。
–数学は因果関係ではありません。
厳密な因果法則を把握できなくて
も、ある程度の予想ができること
が日常生活において重要だ。
• 「重要かどうか」「良いか悪いか」ということで
なく、真偽を問題にしている。
人間の行動の場合、予測できない。
• たいていの場合、人間の行動は予測できる。
• 付言すれば、「理由」と「原因」は本来は別の
概念。
– 人間は原因によってではなく、理由によって行動
する。
– 「原因」は物理的な概念だが、「理由」は意味的な
概念。
「予測が外れる場合」を考えている人が
多かった。
• サイコロの例や人間の行動の例。
• いままでうまくいっていた予測が外れる場合。
– AがぶつかってBが動くと思ったが、Bは固定され
ていたなどの理由で動かなかった場合。
– 100回目までうまくいったが、101回目で違う結果
が出た場合。
→これはまさしくヒュームが行った議論。
– 論理的には成り立たないはずなのに、なぜ人は
そこに因果関係を見て取ってしまうのか?
「心の習慣」理論が因果関係論としてうま
くいかない場合を考えてください、というの
が課題。
• 「カラスだから黒い」という心の習慣が、101羽
目の白いカラスによって間違っているというこ
とになったからといって、「因果関係とは心
の習慣である」というヒュームの説その
ものが否定されたわけではない。
はじめて目にする現象の場合。
• おそらくヒュームの因果関係論がうまく行かない一
番分かりやすい場面は、これでしょう。
• 人は、はじめて見た現象についても因果関係を読み
取ることができる。
• 歴史的な事件などのように、一回しか起こらなかっ
たことについても因果関係を当てはめて理解する。
• 「必然的な因果法則」などといわれるが、本来は「因
果関係」と「(因果)法則」は別なものだ。
→では、どのように考えればよいだろうか?
原因と結果とが直接的には
観察できない場合
• プレートのズレで地震が起こるなど、規模の
大きな現象の場合。
• 地球の公転など。
• これもヒュームの因果関係論では必ずしもう
まくいかない場合でしょう。
→では、どのように考えればよいだろうか?
なかなか鋭い回答
• ある子供が部活でケガをしてA病院に行ったら
悪化した。また別の子供が部活でケガをしてA病
院に行ったら悪化した。そういうことが3~4人続
くと、「A病院に行くとケガが悪化する」という因果
関係を認識してしまうだろう。
• しかし実は部活の顧問がけがをした子供たちに
も練習をさせていたことがケガが悪化した本当
の原因だった、ということがありうる。こうした場
合にヒュームの因果関係論はうまくいかない。
その2
• たとえば「ビールを飲むと太る」と言われてい
るが実は相関関係に過ぎず、本当の原因は
つまみを食べることである。因果関係を見出
すには知識が必要だ。あと、センスが必要だ
と統計の先生が言っていた。
→そのとおりですね。つまり、
ヒュームの因果関係論では、相関関
係と因果関係が区別できない。
ところで、相関関係とは何でしょう
か?
縦軸:日本人男性の平均寿命,
横軸:100世帯当たりのカラーテレビの保有台数
• ヒュームの因果関係論では、「すべ
てが相関関係」ということになる。
– 社会調査などの統計では、まずは相関関係しか
分からない。(因果関係を推定する解析技法もあ
るが)
→では、どのようにしたら「因果関係」について
の知識が得られるのだろうか?
ここまでのポイント
ヒュームの因果関係論がうまくいかない場合
• はじめて見た現象、歴史的に一回しか起こら
なかった出来事の因果関係。
• 原因と結果が直接的には観察できない場合。
• 相関関係と因果関係が区別できない。
→こうした場面についてもうまくいくような因果
関係論を考えなくてはならない。
では、どう考え直せばよいか?
• 因果関係についての知識を教えられることで
認識できるようになる。
→教える側の人はどうやってその知識を得たのか?
→いかにして知識は教えられるのか?
• 水面に物体を置いて、力の伝わり方を
波紋などの形で目に見えるようにすれ
ばよい。
→波紋が見えるのであって、力が見えるのではない。
• 物がぶつかったときの手の感触で「力」を認
識することができる。
→「手の感触」(痛みなど)は力そのものではない。
「力」とは何か?
• 古典物理学では、
力は「質量×加速度」(F=ma)
• 「観察可能なもの」で定義されている。
=実証主義の思想。
• 現象の変化の規則性を定義している。
=ヒューム的因果関係観
しかし、そもそも「力」の概念は、単なる現
象の推移の規則性に還元できるのか?
ヒューム的因果関係観の問題点:
– はじめて見た現象、歴史的に一回しか起こらな
かった出来事の因果関係。
– 原因と結果が直接的には観察できない場合。
– 相関関係と因果関係が区別できない。
→同じことが、「力」の概念についても言えるこ
とになる。
• 物を動かすために自分で力を加えたと
き、力を認識できる。
→「物がぶつかったときの手の感触で「力」を認
識することができる」という意見と同じ?
• 受動的な感覚経験では、すべてが「感覚」という一元的な理
解にしかならない。
力の概念を、身体あるいは意志の能動性か
ら説明しようとする理論:
経験論哲学、なかでもメーヌ・ド・ビランの理論。
メーヌ・ド・ビラン(1766~1824)
• フランス革命期の哲学
者・政治家。
• コンディヤックなどフラ
ンス経験論哲学の影響
を受けながら、独自の
思想を展開。
• 著作「習慣論」「思惟の
分解」「心理学の基礎」
など。
ビランの因果関係論
• 「力」「因果関係」という概念の発生論。
– 我々がこれらの概念を形成するのはいかなる経
験からかということを、論理的に再構成する。
• まず、「私」の視点に定位する。
– デカルト的・経験論哲学的前提=私の存在は絶
対確実。
• 「私」が世界について理解していく過程を、論
理的に再構成する。
原初的経験
「私が存在すること」の認識
• 身体を動かそうという意志をもって努力する
経験
=「抵抗に対する努力」としての「自我」の意識
• ここに、「原因」概念や「力」の概念の起源
がある。
はじめに簡単にまとめておくと、
ビランの考えでは、
• 「私」とはまずは身体運動という結果に対す
る原因として見出されるものであって、「原因」
の概念は「私」というものと同時に成立する。
• そうした心身の因果関係を外的世界に投
影することで、世界についての因果的理解
が成立する。
*なお、この「原初性」とは、「生まれてからの経験の
順序で一番初め」ではない。
たとえば、ピアノを習い始めたとき、
すぐにはうまく弾けない。
→自分の指が思い通りに動かないから。
• そうしたとき、我々は、自分自身を、指を動か
そうと意志的に努力するもの、あるいは指の
運動の原因として意識する。
• 同時に、「指」というものをアリアリと認識する。
• こうした因果関係の認識は、法則的なもので
はなく、その場における一回的なものである。
ところが練習を重ねるうちに、
我々の指は思うままに動かせるようになってい
く。
=指は、動かすべき意志的努力の対象として
は意識されなくなる。
• 指が自由に動かせるようになると、外的対象
(この場合はピアノ)を操作することを直接的
に意志することができるようになっていく。
• このとき、「私」の意志はピアノの音の原因で
あると感じられる。
こうしたことはピアノだけにとどまらず、
さまざまな道具を使う場面にもあてはまる。
• 我々は新しい道具の使用に習熟するとき、同
時に自らの身体の操作に習熟しなくてはなら
ない。
• 身体の操作に習熟すると身体は我々の意識
に対して透明になってゆく。
• 道具もまた同時に、あたかも我々の身体の一
部のように我々の意識に対して透明になって
ゆく。
我々はそうした道具を使って
さまざまな対象を操作し変容させることができる。
• そのとき道具は「私」の側、すなわち操作すべ
き対象の変化の原因の側に立つ。
• つまり、道具と操作対象という二つの物の間
に因果関係が設定されるのである。
• こうしたプロセスによって、外的世界において
因果関係が成立していく。
考えてみれば、
これは科学の実験の場においてなさ
れているまさにそのことである。
• 科学者は実験において、ある対象を操作することで
何らかの変化を生じさせようとする。
• このとき、実験意図どおりに、つまり科学者の意志
に従って変化が生じれば、操作したものが原因の側
に立ち、その結果起こった変化が結果の側に立つこ
とが納得される。
• しかも、実験操作に習熟していくことで、
意図した通りの結果が自在に出せるよ
うになる。
• ここにおいて、対象を再現する技術が
定式化され、それこそが法則的知識の
定式化でもある。
• たとえば、「プラナリアが学習する」という知識の成
立とは、「プラナリアを学習させる」という行為に習
熟することと表裏一体である。
• 「実験の再現可能性」とは、みんなが同じ実験を練
習して、みんながそれをできるようになるということ
である。
• 他方、意図どおりの変化が生じなければ、実
験は失敗であり、因果関係を捉えそこなった
と考えられる。
• みんなが習熟できないような行為(実験)が、
「間違った実験」とされていくようになる。
• 操作可能な関係が因果関係であり、操作に
よって再現できない(できそうもない)関係が
相関関係である。
• たとえば、テレビを操作することで寿命を延ばすこと
はどう考えてもできそうにない。
実際問題として、
物と物との間には、考えようによっては無
限の因果的な関係が見出しうる。
• たとえば、「ボールAが当たったので、ボールBが動
き出した」というような現象でも、「音が出る」「摩擦で
熱が出る」「ボールにホコリがくっつく」など、さまざま
なことが帰結する。
我々はそうした多様な帰結のすべてを認
識することなく、一部だけを取り上げてい
る。
• こうした選択の基準となるのが、「意図した結
果かどうか」という点である。
まとめ
• メーヌ・ド・ビランによれば、因果関係につい
ての原初的経験とは、心身間に感じられる、
運動を起こそうという意志と身体の運動との
あいだの関係である。
• それを外的対象どうしの関係に当てはめるこ
とで、物の間の因果関係を想定する。
• 対象を操作するときの意志(意図)に即して因
果関係が設定される。
• 行動の習熟が法則的理解を導く。
ビランの因果関係論は、
• 人間の「意志」から「原因」の概念の発生を説明する
ものである。
• その点で、ヒューム同様に「人間の側の読み込み」
と言えばそうも言える。
• しかし、ヒュームの場合には単に観察することで認
識する、という理論だった。
• ビランの場合、対象を操作することで認識する、
つまり、対象を巻き込む形で理解が成立すると考え
る点で、「単なる人間の側の読み込み」にとどまる理
解ではない、といえる。
本日の小テスト
問1
因果関係について正しいものはどれか。
①因果関係は必然的であり、法則的である。
②ある現象においてその気になればほとんど
無限の因果関係を設定することができる。
③歴史における出来事の継起は、因果関係と
はいえない。
④人間が行動するのも物理的な因果関係に
従ってである。
問2
ヒュームの因果関係論として適切なものはどれ
か。
①人間は因果関係についての認識を持ってい
ない。
②現象の継起の規則性を観察した人間の心が
抱く習慣である。
③人間は因果関係を直接知覚することができ
る。
④因果関係は神が設定した法則である。
問3
ヒュームの因果関係論でうまくいくのは、どのよ
うな場合か。
①力を「質量×加速度」と定義する場合。
②一回的な因果関係を認識する場合。
③ランダムな現象を認識する場合。
④人間の心身関係を説明する場合。
問4
「力」の概念について、正しいものはどれか。
①我々は触覚によって力を直接的に認識する
ことができる。
②我々は波紋などを見ることで力を直接的に認
識することができる。
③古典物理学では、力は「速度×時間」で定義
される。
④我々は触覚や波紋などの「原因」として力を
想定してしまう。
問5
メーヌ・ド・ビランについて正しいものはどれか。
①デカルトの影響を強く受けた。
②フランス革命で処刑された。
③本職は政治家であった。
④ドイツ観念論の影響を受けた哲学者である。
問6
メーヌ・ド・ビランの因果関係論について正しい
ものはどれか。
①非物質的な「心」が物質である「身体」の運動
の原因となることは謎である。
②我々は自らの存在を、「抵抗に対する努力」
として意識する。
③我々は触覚によって力を直接的に認識する
ことができる。
④我々は現象を観察することで因果関係を認
識できる。
問7
メーヌ・ド・ビランの因果関係論について正しい
ものはどれか(2)
①現象の継起の規則性を定式化することで因
果関係の認識が可能になると考える。
②相関関係と因果関係の区別がつかなくなる。
③「原因」という概念が、いかなる経験に由来す
るかを明らかにしようとする理論である。
④物体間の因果関係を、「力」の概念の原初的
経験と考える。