『協力社会』における 基礎自治体の役割

**市町村アカデミー 市町村長これからの基礎自治体特別セミナー**
『協力社会』
における
基礎自治体の役割
東京大学名誉教授
今日のテーマは、
「
『協力社会』における基礎自治体の
ン・モデルを提唱します。スウェーデン・モデルでは、
役割」についてです。最初に「協力社会」について定
国家は家族のように組織化されねばならないということ
義しておきますと、他者が不幸になると自分も不幸に
が提唱されます。ここでいう家族とは、協力社会のこと
なってしまう。他者が幸福になると自分も幸福になる、
です。
そういう仕組みがビルトインされている社会のことを協
力社会と言います。
家族の中では、誰かが不幸になれば自分も不幸にな
る。誰かが幸福になってくれれば自分も幸福になる。そ
日本のように競争に浸った社会に生きていますと、
「情
ういう共同体的な人間関係が出来上がって協力社会にな
けは人のためならず」も誤解されていて、人に情けをか
る。そういう人間関係を取り戻さないとだめだというふう
けたら、そういうモラルハザードが働いてしまい甘えて
にかじを切っていきます。
しまうから、よくないという教えにすらなってしまいます。
さて、現在は世界的にも危機の時代です。一つの時
しかし私の考えでは、もう競争社会は終わったので、
代が終わろうとしている混乱の時代には、和が崩れて秩
これからは協力社会のほうにかじを切っていく必要があ
序が乱れます。こういうふうに秩序が乱れて、人と人と
ると思います。
が争いを始めるようになったらどうしたらいいか。それ
協力社会にかじを切ったスウェーデン
スウェーデンの子どもたちの教科書に載っている人で、
は、日本人の知恵に頼れというのが世界の常識であり、
スウェーデンの常識なのです。
世界の紛争を平和的に解決した例として、いつも挙
画家であり詩人であるスティーグ・クレッソンという人物
げられるのは、オーランド諸島問題です。オーランド諸
がいます。クレッソンの言葉を引用したいと思います。
島とフィンランドはもともとスウェーデン領だったのです
スウェーデンは第2次大戦後、豊かな国となり、人々
が繁栄と呼ぶ状況を生み出した。私たちは、あまりに簡
が、1809年にスウェーデンがロシアとの戦争に敗れてロ
シア領となっていました。
単に幸福になりすぎた。農業社会は解体され、私たちの
ところが、第1次世界大戦中にロシア革命が起きて、
国は新しい国になったが、毎日300戸の小農家が廃業す
フィンランドがロシアから独立します。そしてフィンラン
るスピードで農業国スウェーデンが終焉した。人々は、
ドは、オーランド諸島は我が領土だと主張します。
大きなコンミューンを信じ、都市には遠い将来にわたっ
て労働が存在すると信じた。
しかし、現実は、平安というものを使い果たし、新し
い国で他人同士となった。小農民が消滅すると同時に、
そこでスウェーデンは、オーランド諸島はスウェーデ
ン固有の領土であると主張します。スウェーデンとフィ
ンランドとの領土問題は決着がつかず、当時の国際連盟
に提訴されます。
小職人や小商店などが姿を消した。そういう小さな世界
国際連盟で裁いたのが、日本人の新渡戸稲造先生で
はもう残っていない。そういうものは何であれ、儲けが
した。彼は、私が勤めておりました東京大学経済学部、
少ないという理由だった。なぜなら、幸福への呪文は、
当時の東京帝国大学経済学部で植民政策の講座を担当
儲かる社会だったからだ、と言っています。
する教授でした。その新渡戸稲造先生は、東京大学の
スウェーデンは、ここで反省してかじを切り替えます。
2
神野 直彦
職を辞して、国際連盟事務次長に就いておりました。
もともとスウェーデンは、1929年の世界恐慌後、1932年
新渡戸稲造先生は、
「このオーランド諸島は、フィンラ
に首相になったハンソンが、皆さんご存知のスウェーデ
ンド領とする」と裁定しました。これを聞いて、フィンラ
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神野 直彦(じんの なおひこ)
【略 歴】
昭和58年 大阪市立大学経済学部助教授
平成4年 東京大学経済学部教授
平成8年 東京大学大学院経済学研究科教授
(平成15年10月∼平成17年9月 東京大学大学院経済学研究科長・経
済学部長)
平成21年 関西学院大学大学院人間福祉研究科・人間福祉学部教授
平成21年秋 紫綬褒章受章
【委員等】
地方財政審議会会長、社会保障審議会年金部会部会長、地方分権改革有
識者会議座長、税制調査会会長代理 他
【主な著書】
『システム改革の政治経済学』(平成11年度エコノミスト賞受賞)岩波
書店
『地域再生の経済学』(平成15年度石橋湛山賞受賞)中央公論新社
『財政学』
(平成15年租税資料館賞受賞)有斐閣
『教育再生の条件 ―経済学的考察』平成19年 岩波書店
『
「分かち合い」の経済学』平成22年 岩波書店
『税金常識のウソ』平成25年 文春新書
ンドは大喜びしました。ただし言語は、スウェーデン語
日本は東日本大震災で危機に見舞われたわけですが、
とし、スウェーデン語でスウェーデンの文化を子どもた
危機はものごとの本質を暴きだしてくれます。人間の社
ちに教えなければならないと、裁きます。
会の価値体系で最も重要なものは、人間の命だというこ
ヨーロッパでは、言語は決定的な意味を持っています。
とを学んだはずです。人間が生きるということと同時に、
EUの共通言語は23か国語ですが、EUで話される言語
生きとし生ける自然とともに生きることが重要だと。さら
のすべてが認められています。フィンランド語とス
に、人間の社会がこうむる共同の困難に対して、ともす
ウェーデン語は言語体系がまったく違いますが、言葉は
ると傍観者のような生き方をしてきたけれども、解決者
その民族のアイデンティティを示すわけですから、すご
として自分も参加することが大切だということを学びとっ
く大事にされています。
たはずです。
新渡戸稲造の裁定にはそのスウェーデン人も大喜び
します。つまり、紛争の全ての当事国の国民から感謝さ
自然環境と人間環境が危機にさらされる時代
れるような調停ができるのは、日本人しかいないという
では、いま私たちが生きている時代はどんな時代かと
のが常識なんです。そういうことを新渡戸稲造先生が
いうと、競争社会でやってきたパクス・アメリカーナの
やったので、フィンランドやスウェーデンに行かれると、
世界秩序が終わろうとしている時代です。アメリカは、
日本人は大歓迎されます。
世界の警察としての任務も果たさなくなっていますので、
ところが今は、日本人が出て行って裁定しようとする
と、当事国全てから憎まれるような裁定をせざるをえな
い状況になってしまっています。
秩序もそこら中で乱れています。
背景には、大量生産、大量消費でやってきた重化学
工業を基軸とする工業社会が行き詰まってきたことがあ
理由の1つは、今の日本の教育のあり方に関係してい
ります。環境制約からもこれは無理だと、1973年の石油
ます。例えば、新渡戸稲造を教え、内村鑑三を教えた
ショックで警告されたはずです。そこで、工業社会の問
クラークの言葉をなぜ途中で切るのでしょうか。
「少年よ、
題をどう解決していこうかというと、量を質に変えてい
大志を抱け」で切ってしまうのですね。以下に原文を書
かなければいけません。
いておきました。
今までの国家というものは福祉国家で、中央集権的に
Boys, be ambitious, not for money, not for selfish
国民が参加しないで所得を再配分できるような社会でし
accomplishment, not for that evanescent thing
た。それを今後は人間の知恵で革新していくシュンペー
which men call fame.
ター的ワークフェア地方政府に移していくことが重要で
文章は、
「少年よ大志を抱け」だけで終わっていませ
ん。not for money, not for selfish accomplishment(お
す。ここで言う「ワークフェア」とは、仕事をするため
の福祉のことです。
金 や 利 己 的 な 功 績 の た め でもなく)
、not for that
これをやるためには地方分権で進めるしかないという
evanescent thing which men call fame.(人が名声と呼
ことで、1985年にヨーロッパでは地方自治憲章をつくり
ぶはかないもののためでもなく)と言っています。肝心
ます。これは経済がグローバル化していくので、もはや
なところで切って省略してしまうと、子どもたちは誤解
国家という枠組みではグローバル化した経済に対応でき
します。クラークの言葉は、大きな志だということを忘
ません。そこで、国家の機能は超国民国家に移していこ
れずに、私たちは、この危機を乗り越えていかなければ
う、しかし、人間の生活は、地域社会に根付いているの
なりません。
で地方自治体に権限を移譲していって、地方自治体が
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守っていくことにしようという動きが出てきて、ヨーロッ
パ自治憲章ができあがりました。これが、グローバリ
ゼーションとローカリゼーションを合わせた、
「グローカ
リゼーション」という言葉の意味ですが、この言葉は英
和辞典にも載っています。
なぜそういう動きになってきたかというと、現在はミダ
そしてスウェーデンでは、子供たちに次のように教え
ています。
これまで私たちの生きてきた工業化社会では、人間の
欲求には2つあった。それは所有欲求と、ビーイング、
存在するという存在欲求の2つである。存在欲求とは、
スの呪いにとらわれているからです。世界で初めて金を
人間と人間が触れ合い、愛し合い、両親と触れ合うなど
貨幣に使ったのは、エーゲ海にあるミダス島と言われて
で満たされる欲求であり、あるいは人間と自然が触れ合
いますが、ミダスの王は、自分の触れるものが何でも黄
うことで満たされる欲求のことだ。これまでの工業化社
金になってほしいという望みを持っていました。ところ
会は存在欲求を犠牲にして、所有欲求を満たすような
が、その望みが実現したとき、恐るべき事実に気づきま
社会だった。
す。自分が口にする食べ物や、愛する娘の手も、触れる
と黄金になってしまうのです。
ところが、これから私たちが進まなければならない社
会は、今まで犠牲にしてきた存在欲求を追求していく社
ミダスの呪い、つまり儲かる社会が幸福な社会だとい
会にしなければならない。今まで所有欲求が重視され
うことに対して警告したのが、1991年にヨハネ・パウロ
てきたのは、人類の歴史にまとわりついていた欠乏、貧
2世がお出しになったレールム・ノヴァールです。レー
困を解決するためだったからだ。この欠乏がある程度克
ルム・ノヴァールとは法王が、世界のキリスト教徒と司
服された以上、私たちは、これまで犠牲にしてきた存在
教に出す回 勅 のことです。このレールム・ノヴァールを
欲求を追求していく必要がある、とスウェーデンでは子
出すに当たって、ヨハネ・パウロ2世は、私の恩師であ
供たちに訴えています。これは、社会的にも認知されて
る宇沢弘文先生を呼んで相談されました。
います。
宇沢先生のアドバイスを受けて出された回勅では、2
今まで工業化社会でつくった物、工業生産物は腐ら
つの環境破壊を指摘しています。一つは自然環境の破
ないので、蓄えることができる。つまり蓄積できることが
壊です。私たちは、気候変動に左右されずにどうにか
重要だったけれども、これからの協力社会は、知識社会
生きていこうとして農業をつくり出しました。しかし、私
と言われるように、蓄積が美徳ではなく、与えることが
たちは今や気候変動をつくり出して、自然のリズムを壊
美徳になる社会になるということです。人間の筋肉系統
しはじめたことは明らかです。緑を切ったら、日本人が
の能力よりも、神経・頭脳系統の能力が必要とされる社
維持してきた水田も全部だめになります。水と緑、そし
会になってくると、知識や情報は惜しみなく与え合わな
て大地に息づいているものを守らなくてはいけないわけ
いと発展しません。
ですね。
ところで、現在の競争社会の理論的な背景になって
そしてもう1つが人間環境の破壊です。人間の絆(き
いるのはアメリカの生物学者であるハーディンという人
ずな)が破壊されていると。回勅では人間環境の破壊
が言った「コモンズの悲劇」です。これは、皆で分かち
が今進んでいるという事実に、人間はまだ気づいていな
合う共有のようなことにしてしまうと、それぞれ家畜は
いことを警告されています。
食べ放題という状況になり、ついにはコモンズ(共有)
協力社会は人間の存在欲求を大切にする
そうだとすると、私たちが協力社会のほうにかじを
の資源は枯渇してしまう。ところが、資源を私的な所有
にすると適切に管理されるので、コモンズの悲劇は働か
ないと言われてきました。
切っていかなければならないのですが、キーワードとな
そこで、コモンズの悲劇が本当に働いているのかどう
るのはスウェーデン語で言う「オムソーリ」です。オム
か、これはノーベル経済学賞を受賞した女性の社会科
ソーリとは、地方自治体などが提供する公共サービス、
学者が実際に行ったのですが、世界中にあるさまざまな
対人社会サービスのことです。
コモンズを調べた結果、どこにもコモンズの悲劇が起
オムソーリには、福祉や医療だけではなく教育も含ま
れます。オムソーリのもともとの意味は、
「悲しみを分か
ち合う」ということです。
こっていないことを発見しました。
コモンズに参加できるのは、その地域社会の構成員で
あり、顔見知りの関係になっています。したがって、コ
また、スウェーデンの人々が最も大切にしている行動
モンズは巧みに管理されていて、環境的な資源配分か
原理は、ラーゴムです。ラーゴムとは、
「ほどほど、ほど
ら言っても、自然資源を最もよく管理する仕組みだと言
よい」とか、
「中庸の徳」という意味です。極端に貧しく
われています。
なることも豊かになることも嫌うスウェーデン人独特の考
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え方です。
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国際コモンズ学会の会長は、マーガレット・マッキー
ンという女性ですが、岩手県・小繋で開催された研究
してしまいます。
会において、コモンズ、地域共同体を最も巧みに管理し
それでは職場はどうするかということですが、職場そ
ているのは日本人であって、コモンズの世界で最も優れ
のものを新たにつくる必要はありません。知識社会で情
た例は、香川県・満濃池の管理だと言っています。本
報化社会ですから、家庭にパソコンがあり情報を飛ばす
当のコモンズの悲劇とは、人間の協力社会としてのコモ
ことができれば、仕事ができます。1か月に1遍とか、1
ンズが働かない悲劇のことです。
週間に1遍といった頻度で、本社のある大都市に出てい
生活機能を呼び込むまちづくり
こうしたことからヨーロッパでは、先ほど言いましたグ
ローカリゼーションの一つとしてサスティナブル・シティ
という運動が起きていることは、皆さんもご承知の通り
です。
けば仕事ができてしまいます。情報がきちんと発達して
いるフィンランドやスウェーデンでは、情報を生かすこと
で人やモノを動かさなくします。そうすることで、皆が
定住できるようにしていこうとします。
さらに、スウェーデンなどでは、前近代の人間と人間
の結びつきをもう一度復活させるような動きが出てきま
1996年、ヨーロッパでは「ヨーロッパサスティナブル
す。これはポリセントリック、多心型という意味です。
都市」の最終報告書が出ました。工業によって荒廃し
地域社会は集中せずに分散化していたほうがいいという
た都市を、人間の生活の場として再生していこうという
考え方です。日本はこれと逆で、1か所に集めろという
運動です。
ことをやります。
特に注目すべきは、それぞれの地域には、それぞれ
私は、ポリセントリックな多心型が大事だと思ってい
の自然の顔があって、その自然に合わせるようにつくら
ます。なぜならその方が粘り(レジェエンス)が出てく
れた人間の生活様式があり、それを文化と言っています
るからです。1か所に集めてしまうと、危機の時にそこ
が、その文化を再生させることで、地域を再生させよう
がやられたら、もう終わりだということです。災害や戦
という動きが出てきていることです。
争が起きた時、1か所やられたら終わりですが、多心型
これまでの工業化社会の地域づくりでは、工場などの
では、危機に対する粘りが強くなるという発想です。
生産機能をどう呼びこむかが大事でしたが、これから重
従来の発想に立つと、例えば東京を目指して、岩手
要なのは、生活機能を呼び込むことです。つまり、これ
県から海岸通りとか中通りとかを整備して、いかに早く
からは知識とか情報とかサービス産業が、重視されます。
東京に行けるかということをやります。でも、工業化社
そうなると、環境とか文化によって、まちづくりが行わ
会の前は、そうではなかったはずです。昔は山の幸と海
れます。その優等生と讃えられる場所の一つが、フラン
の幸を交換しなくてはいけませんから、遠野から太平洋
スのストラスブールです。
岸につながる道がきちんとできていました。
ストラスブールの街の中には、自動車は入れません。
今回の東日本大震災で津波に襲われた時に、何が動
全部LRT(軽量軌道交通)を生かし、空気や水をきれい
いたのか。それは皆、遠野が基地になって、全部動い
にしていく。さらに、アルザス・ロレーヌ固有の文化、
たわけです。つまり、近代的で合理的なものは、危機に
グーテンベルクやパスツールが生まれた街の文化を再生
陥った時に、役に立たなかったのです。
していくことを進めました。
危機に強い多心型の地域をつくろうというのが、ヨー
その結果、ストラスブールは子どもたちを育てたい街
ロッパの考え方です。もう量を追求するのではなく、質
ということになり、住みたい街だと皆が考えるようになり
を追求しようと。量を質に変えれば、その人に合ったも
ます。やがてEUの議会がストラスブールに移され、フ
のをつくり出す事が可能です。つまり、多品種少量生産
ランスでエリートを教育する高等行政学院(ENA)もス
になっていきます。今後は、そういう経済になるというこ
トラスブールに移されます。さらに、大学や研究所など
とです。
が集まり、人口23万人のうち5万人が大学生ということ
量を質に置き換えるものは何でしょうか。それは、人
になっています。人がどんどん集まってくるようになるの
間の知恵であり、情報です。慢性肺炎のペースメーカー
です。
は、4,000万円ぐらいします。極めて大量の知識や情報
スウェーデンの例では、高齢化率が28%を超えると、
大変なことになるので、そうなったら子供を誘致すれば
を投入してつくられますが、自然に存在する物量のわず
かしか使用しません。
いいという発想になります。そのために、ここで子供を
これも実際にスウェーデンの子供たちに教えているこ
育てたいという街をつくる必要がある。噴水をつくり、
とですが、自然科学で最も重要なのは、エネルギーの第
周りに保育園をつくり、緑にして遊び場をつくり、自然の
一法則と第二法則だと教えています。
中で子供たちが育って美しい星座を見られるような街に
エネルギーの第一法則とは、エネルギーの量は一定
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で、生産することも消費することもできないというもので
ような意味での知的能力だけではありません。人と人が
す。第二法則とは、条件によってエネルギーの質は高い
協力するための感情、シンパシー、こういう神経系統の
方から低い方へと無限の均衡運動を起こすというもので
能力がとても重要になります。
す。
ここで、私が考えている量の経済から質の経済に変
エネルギーの質というのは、少し抽象的ですが、例え
えていくための戦略をお話ししますと、まず第1の戦略
ば熱エネルギーは、暖めることぐらいしかできませんが、
は、その人の人間的な能力を向上させるということです。
電気エネルギーは暖めるほか、コンピュータを作動させ
たり、電気分解したりできる質の高いエネルギーです。
この間まで日本に来ていた世界的なエネルギー学者で
村があるのですが、そこでは針金で曲げて盆栽をつくる
あるエイモリー・ロビンスは、家の中を電気で暖めようと
のですね。強引に型にはめて曲げていく。それが教育だ
することは、
「電気のこぎりでバターを切るのと同じくら
と思われています。
い愚かなことだ」と言っています。これからの時代は、
それに対して、今からやらなければいけないことは、
質の高いエネルギーである電気は、電気でしかできない
教育を盆栽型から栽培型に改めることです。植物を栽
ものをやらせるべきだということです。
培するように伸ばしていく、どういう能力があるかわか
アイルランドに行っていただければ、屋根の上にある
らないので、植物が伸びたいように伸びていきなさいと
黒いパネルを見ることができますが、それは電気に変換
いう教育です。いつでもどこでも、ただでやり直しがき
するパネルではありません。太陽の熱エネルギーを集め
く教育をしなくてはいけません。スウェーデンでもドイツ
て、それをヒートポンプで暖かくしたり冷たくしたりする
でも、大学生の平均年齢は30歳を超えています。
ということです。そして、地域、集落の明かりはバイオ
なぜこういうことが必要かといえば、これまで30年間
マス発電を使いますが、これは非常に小さな発電で済
かかった変化が、現在は時間の圧縮により10年間で起き
みます。大規模発電は、電気分解やコンピュータ向けに
てしまうからです。今まで学んだことが10年間で陳腐化
使っていく。それが、これからの経済の動かし方になる
するとなると、いつでもやり直さなくてはいけません。で
と思います。
も人間は本当にすばらしくて、いつでも、やり直しがきく
こういうことをしないと、どうなるか。もう、自然が持
んですね。
たないんです。自然資源の制約からいって、私たちは量
こういうふうに人間の能力を向上させると、経済も成
を質に置き換えていくしかありません。その量を質に置
長します。これからの経済は、いかに安く賃金を払って
き換えるのは、人間の知恵ですが、知恵は惜しみなく与
量を高めるかということではなく、いかに生産性を高め
える、協力し合うということが欠かせません。つまり、
るかがポイントになります。
人的環境と自然環境を生かせないと我々はだめだという
ことです。
第2の戦略は、人間的な能力に加えて、健康であるこ
とです。そのためには医療に加えて、環境をよくしない
日本は東日本大震災の前には、電気エネルギーの約3
といけません。温暖化が進むと、熱中症で死ぬ危険が
割を原発に依存していました。原発をあきらめろという
増すだけではありません。今まで赤痢菌の毒素を出さな
ことは、電気が3割少なくてもすむようなライフスタイル
かった大腸菌が、温暖化で毒素を出すようになります。
や文化をつくれるかが問われるわけです。
しかも、環境と医療は、技術革新の宝庫にもなります。
それでは、電気の使用量が3割少なかった時代はい
そして第3の戦略は、協力し合える、そういう人的な
つかというと、まさにバブル時代です。では、20年前か
資本の凝集力が、その地域社会にあるかどうかというこ
らどこで、電気の使用量が増えているかといえば、それ
とです。
「地域力」とよく言われますが、地域力という概
は全部情報関連なのです。
念はその地域にいる人々の人間的な能力に加えて、その
情報関連のところに、質の高い電気エネルギーを集中
して、暖めるなどというところには電気を使わないという
意思決定をして、3割分の電気をつくり出さないといけ
ないわけです。
知識産業への転換を図る地域のための3戦略
量の経済から質の経済に変えていかなければいけな
いとしたら、私たちはどうしたらいいでしょうか。人間的
な能力を高めなければいけません。私たちが考えている
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日本の教育観は、きわめて盆栽型です。つまり日本の
教育は、無理をするということです。自宅のそばに盆栽
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地域社会に生じている共同の困難を解決する能力を指
します。
では、こういう3つの戦略が必要だとして、政府がや
らなければならないことは何か。産業を支えるための前
提条件となる、インフラストラクチャーをつくることです。
そのインフラとは、道路や橋をつくることではなく、新し
い産業に冒険してもらっても大丈夫ですよという、福祉
などの充実が重要になってきます。
例えば、先ほど強調した教育についてですが、その
国の財政が教育にどの程度お金をつぎ込んでいるかを
働きに出て、女性が家庭内で労働するパターンですから、
見ると、OECD加盟先進国平均ではおよそ5.4%です。
男性が失業したら失業保険、年取って働けなくなると年
中でも知識社会で伸びているスウェーデンとかデンマー
金、病気になれば医療手当と、賃金を補完すれば、あ
クは6、7%になっています。これに対して日本は3.6%
とは無償労働する女性がいたのです。
です。これでは、敵うわけがありません。
さらに社会保障と経済パフォーマンスにも注目したい
しかし、知識集約化された社会になってくると、女性
の職場は急速に拡大します。そうなってきた時に公共
と思います。社会的支出の対GDP比は、日本とアメリカ
サービスが十分行われていない。それは、地方自治体
は20%以下です。これに対して、フランス、ドイツ、ス
の責任なのですね。
ウェーデンなどは30%近くまでいっています。そこで経
どういうことになるのかというと、日本で起きているよ
済成長と関係があるかどうかを見ていただくと、実は無
うに労働市場は2極化します。主として女性ですが、家
関係です。フランス、ドイツのように社会保障を充実さ
庭内で無償労働をしながら労働市場に出ていく人、そし
せても経済成長をしない国もある一方で、アメリカのよ
て主として男性ですが、家庭内労働からは解放されて
うに社会保障を低くしてもまあまあ経済成長をしている
労働市場に出ていく人に分かれます。
国もあります。
労働が2極化すると、賃金の格差が出てきます。さら
さらに経済成長と格差・貧困との関係をジニ係数で見
にいつまでたってもサービス産業のほうに転換できない
ます。ジニ係数が高ければ、格差の大きいことを意味し
ので、発展途上国との賃金競争になり、賃金をもっと下
ます。そうすると、日本は0.321で格差はきわめて大きい
げろという議論になるということです。
と出ます。もちろんアメリカが一番高く、日本はアメリカ
についで高い国となっています。
この状況を克服しようとすると、地方自治体が育児や
養老というサービスを提供していくことが欠かせません。
ここで何が言いたいかというと、社会保障が大きけれ
それが実は、再三申し上げているように優秀な人材が集
ば格差や貧困を少なくすることはできるが、社会保障を
まり育つということにつながります。なぜなら、そういう
小さくすると、経済成長をすることができるとしても、格
地域には皆、住みたいと思うからです。
差や貧困が必ず生まれるということです。
今、日本人が信じているのは、豊かな人がより豊かに
さらに社会保障の中身(政策分野別社会支出の対
なるような政策を打てば、おこぼれが滴り落ちていって
GDP比)を見ていきます。
「高齢者現金」というのは、
貧しい人々も豊かになるという「トリクルダウン」の考え
年金のことです。これと保健医療、この2つについて、
方です。
日本はまあまあなんですね。
しかし、それは効果がないということは、もう何度も
ところが問題なのは、日本の場合、年金と保健医療
経験したはずです。むしろそうではなくて、それぞれの
以外が極端に少ない状態にあることです。それ以外の
地域で大地から泉が湧き出てくるような地域おこしをす
中身には、
「家族現金」と言われる子ども手当・児童手
ることが大切で、そうすれば新しい知的な産業が出てく
当があります。この家族現金は、スウェーデン1.49%、
ることにつながります。
ドイツ1.09%に対し日本は0.43%しかありません。
結論として、コモンズを再生しながら、お互いに助け
さらに「高齢者現物」と言われるサービス給付があり
合っていく社会と地域をつくりましょうということです。
ますが、これは介護を含む高齢者への養老サービスを
日本人は室生犀星が言った、
「ふるさとは遠くにありて思
提供していくことで、このサービスは地方自治体でしか
うもの」だと思っています。日本人は、ふるさとは見捨
できません。サービスを提供する時に一番重要なのは、
てていて、後で資金援助すればいいという考え方です。
普遍主義ということです。高齢者現物を国際比較すると、
しかし、スウェーデンでやっているふるさと存続運動は、
スウェーデン4.26に対して日本は1.45です。
さらに、
「家族現物」という項目ですが、これは育児・
保育サービスです。スウェーデンが1.86、ドイツが0.75な
のに対して、日本はドイツの半分の0.36です。
産業構造がなかなか変わらない日本の課題
「ふるさとは近くにありて守るもの」であり、
「近くにあり
て愛するもの」だということです。
最後に1929年の大恐慌の時に、アカデミー主演女優
賞に輝いたメアリー・ピックフォード、この人はアメリカ
の女神であり、良心とも言われた人ですが、彼女の言葉
で締めくくりたいと思います。
日本がこういうやり方をしているとどうなるのかという
「間違いを犯しても、やり直す機会は必ずあります。
と、産業構造が知識産業の方に変わっていかないので
なぜなら、私たちが失敗と呼ぶものは、転んだことでは
す。その結果、経済成長もしません。さらに、格差や貧
なく、転んだまま起き上がらないことですから」
困も多くなります。重化学工業の時代の家族像は男性が
今日は、ありがとうございました。
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