ヒヒ 各日 、 。 書 法 帖 習 字 手 本 の こと 昔 の塾 は、 先 生 が漢 学 を 講 義 し な が ら弟 子 、 。 に書 き 方 習 字 も 教 え ま し た と く に亀 井 塾 では、 初 代 の南 冥 が 、 ﹁ 書 は君 子 の顔 な り﹂ つま り教 養 の 、 徳 を 積 んだ人 士 は 書 も立 派 に でき ると す るも の です。 こ の認 識 によ っ 、 て 学 問 が出 来 な が ら字 が拙 い者 に は習 字 の努 力 を 要 望 し ま し た。 こ の実 例 と し て、 秋 月 藩 の原古 処 、 、 に 詩 才 の抜 群 を 賞 し な が ら 書 が 。 、 劣 ると指 摘 し て いま す 古 処 は 素 、 直 に師 の教 え に従 って書 道 に励 み これ を家 族 と く に娘 の采 療 にも自 覚 さ せ ます。 今 日、 原 古 処 の筆 跡 と采 、 頭少 女 時 代 の書 が残 って いま す が 。 な る ほど と思 わ れ ま す と く に亀 井 、 昭 陽 長 女 少 乗 の筆 跡 を 原古 処 父 子 、 の資 料 と比 べると よ く わ か り 采 療 と少 乗 は同 年 でも あ り ま し た。 、 いま 能 古 博 物 館 ・亀 井 資 料 常 設 、 。 展 に 書 法 帖 を 多数 出展し ています ま ず、 亀 井 塾 幼 童 書 法 帖 。 折 り込 、 8 、 、 み 一片 の幅 9 伽 縦 2 御で全長 は 、 0 9 m4 5 伽です 内 容 は 唐 詩 五言 絶 、 句 一五詩 を 書 き 分 け 車 書 には必 ず 、 稽 書 を小 さく書 き 添 え 幼 童 に気 く 。 ば りを 見 せ ます 、 、 幼 童 は 四才 か ら 六 才 ま で 七 才 。 にな ると少 年 です 武 士 家 庭 では袴 、 を着 け小 脇 差 を 指 さ せ も う幼 童 で 。 な い責 任 を自 覚 さ せ ま し た 。 、 以上 に 広 瀬 旭 荘 の書 法 帖 流 暢 。 で美 事 な 行 書 体 内 容 は自 作 の偶 詩 と叙 事 詩 、 これ で作 詩 時 期 が推 察 さ 、 。 れ 貴 重 な資 料 にな り ま す 折 込 み 9 側、 6 m0 の幅 W 側縦 2 全 長 7 m6 c 。 広 瀬青村 書法 帖 温 和 な楢書 体 で 7 ヽ9 、 0 m。 一片 8.側 2 側 全 長 6 m5 c 万 延 元 年 ︵1 8 6 0︶ 十 一月 和 粛 堂 に 。 、 書 す と奥 書 あ り 。 0 長 三洲書 法 帖 行 書 体 1 ・5 伽× 8 9 側、 三洲 署名 と 2 。2 伽全 長 6 m0 、 印 長 三洲 は広 瀬 門 の秀 才 で豊 後 天 、 ケ瀬 出 身 父 の梅外 と共 に勤王志士、 。 長 州奇 兵 隊 に入 り活 躍 寸 暇 に書 法 、 帖 を作 り資 金 を 得 た と さ れ ま さ に 。 。 当 時 の作 品 の 一つです 署名 と印 。 長 府 松 噺 館 の奥 書 、 、 大 坂 中 井 類 山 作 太 字 の楢 書 体 0 。6 伽×︲ . で堂 々 の大 判 書 法 帖 1 4 2 側o 3 伽全 長 5 m7 以上 5点 の書 法 帖 を 展 示 し てお り 。 ま す こ の展 示 のた め 長 さ 9 mの展 示 ケ ー スを 新 設 し て全 展 開 でき る よ う にし ま し た。 ま た、 御 希 望 によ り 学 芸 員 が展 示資 料 を 取 り出 し てお 目 。 にか け る こと も でき ます 〒8 1 9 福 岡市西区能古5 2 2 2 6 ( 0 9 2 ) 8 8 3 2 8 8 7 館 物 博 古 姻 法人亀陽文庫 能 発 行 平成 3年 7月 30日 よ だ 館 物 博 古 9号 (1)第 (2) 平成 3年 7月 30日 よ 犬 と共 に 今 年 は 三月 か ら 四月 にか け て雨 ば 、 か り 初 め は柳 芽 を 養 う雨 だ と言 っ 、 て喜 ん で いた が 菜 種 梅 雨 の長 雨 に はも う あ き あ き し た。 毎 日 の雨 と風 と で、 と う と う花 見 も し な いま ま、 、 四月 末 の上 曜 が晴 れ 犬 の散 歩 を か 。 ね て能 古 行 き を 思 い立 つ 渡 船 に犬 、 を 乗 せ るか 問 い合 わ せ ると 檻 に入 、 れ た ら い いと言 う の で 知 り合 い の だ 動 物 病 院 か ら折 り た た み式 の檻 を 借 り た。 香 江 さ ん や徳 兵 衛 さ ん が いた 、 頃 は何 度 も能 古 へ遊 んだ が も う 二 。 十 年 余 行 った こと が な い 姪 浜 の渡 、 船 場 は 場 所 も家 も す っか り変 わ っ 。 、 て ど こか違 う所 へ来 た よ う だ 波 、 止 場 に立 つと風 が強 く 少 し 三角 波 。 が た っていた そ の海 の向 う に平 ら 、 な 能 古 島 が横 た わ り 人 家 の密 集 し 館 物 博 古 た港 の上 に小 学 校 が キ ラキ ラ春 の日 。 を 照 り 返 し て いた 、 向 う か ら 十 二時 十 四分 に折 返 す 。 渡 船 が次 第 に近 づ い てく る 船 が桟 、 橋 に着 く と 三 四台 の乗 用車 が先 ず 、 出 て あ と か ら 五十 人 ほど の乗 客 が 能 。 、 ぞ ろぞ ろ降 り てき た 今 日は土曜 日 こち ら か ら島 へ渡 る客 は約 二百 人 、 。 桟 橋 に長 く何 列 にも 並 ん で いた 、 私 たち は犬 づ れな の で 最 後 に乗 。 ろう と後 に待 った 犬 は ラブ ラ ド ー 、 ル ・レト リ バ ー 盲 導 犬 によ く使 わ 。 、 れ る犬 賢 明 にし てお と な し い 生 、 、 後 二年 半 の雌 犬 体 重 二十 六 キ ロ 。 淡 黄 褐 色 の短 毛 であ る や さ し い 、 眼 は黒 い アイ シ ャド ウを し て ま つ 。 げ は長 い 眉 は平 安 時 代貴 人 のか い 、 た丸 い薄 墨 の眉 に似 て ま た た く度 。 によく動 く ビ ロー ドを 思 わ せ る軟 ら か な垂 れ耳 、 尾 は カ ワウ ソのよう 。 。 にた く ま し い 名 前 は フィ ル 妻 と 、 私 が構 を 持 ち 娘 が犬 を つれ て開 札 口 にか か った が、 係 の人 は何 も 言 わ 。 な い 結 局 檻 は使 わ ぬま ま犬 は船 に 。 乗 ってし ま った フ ィルは始 め て の 、 船 だ った が デ ッキか ら白 波 を 見 お 。 ろし た ま ま じ っと し て いた 元 々 こ の犬 種 は カ ナダ の ラブ ラド ー ル半 島 、 の産 厳 冬 の海 で網 か ら こば れ る魚 。 を 回 し て漁 師 を け た犬 であ る 収 助 、 。 はじ め て見 る海 に 海 や川 を 好 む ど んな想 いか と私 は フィ ルの顔 を 見 。 て いた 古窯 辻 、 桟 橋 を 降 り 博 物 館 への道 し る べ 。 に従 って日ざ し の中 を 歩 いた 万山 、 新 緑 ど の家 にも つ つじ が真 赤 に咲 く。 垣 根 づ た い に這 った通 車 の蔓 か ら、 濃 紫 の花 房 が枝毎 に垂 れ ている。 。 石 段 を登 ると上 の道 へ出 た 観 音 様 へ詣 ると言 う お婆 さ ん たち に尋 ね る と、 境 内 を 通 って博 物 館 へ行 け ると 。 教 え てく れ た 、 受 付 で理事 長 さ んを 訪 ね ると 案 。 内 し てく だ さ ると言 う こ の庄 野 先 、 、 生 は 秋 月 で亀 陽 文 庫 を 開 き 筑 前 、 亀 井 学 派 の書 画 を 展 示 公 開 され て 。 いた方 であ る 受 付 か ら だ ら だ ら坂 、 の広 い道 を 晩 春 の陽 を背 に先 生 に 。 つづ いた 初 め に案 内 さ れ た のは連 房 式 登 り 、 、 窯 す でに天 丼 は落 ち 七 室 を 区 切 る火 道 の樽 と側 壁 と が残 るだ け。 こ 、 、 の古 窯 址 は 保 護 のため シー ト屋 。 根 です っぽり覆 わ れ ていた 先 生 に 、 よ ると 江 戸 期 有 田 か ら逃 げ てき た 一陶 工 が こ こ に居 つい て焼 いた窯 と 。 、 、 の こと ま た 窯 が も う 一つ こ の 上 の雑 木 林 の山 腹 に埋 って いるか も し れ な いと言 う。 こ の二 つの空小 で一 父 、 互 に焼 いた沢 山 の青 花 は 島 の廻船 業 者 によ って筑 前 米 と 共 に大 阪 や江 。 戸 へ運 ば れ た そう だ く ず れ残 った 、 窯 址 の側 壁 に 枯 れ た松 の切 株 が数 。 本 太 根 を張 って いた 窯 址 の内 外 に 、 焼 台 ハ マや ト チが発 堀 時 のま ま散 。 乱 す る よく見 ると赤 茶 け た窯 場 の 、 上 に 笹 の葉 の 一株 が あ た り にな じ ま ぬ緑 葉 を のぞ か せ る が、 窯 は発 堀 し ては や三年 にも な る そう だ。 、 先 生 の説 明 を う け 雑 木 の若 葉 道 。 を 博 物 館 へ向 った 途 中 青 空 を バ ッ ク に、 穂 のよ う に垂 れ た裸 の花 が、 。 要る のよ う に枝 々 にゆ れ て いた あ たりは明 るい雑木 の疎林︵芽 ぶく木 々 、 の若 葉 も色 と り ど り 木 の下 にや せ 。 た わ ら び が伸 び て いた 南 冥先 生 、 博 物 館 はま だ新 し い濡酒な 二階建 。 山 腹 に建 つの で二階 が 一階 のようだ 、 、 入 口 に立 つと 右 手 は谷 若 葉 海 を 。 隔 て て百 道 の埋 立 地 が見 え る ひと き わ高 い のが マリ ンタ ワー、 そ の背 、 後 に油 山 さ ら に後 に背 振 連 山 が黄 。 、 塵 にか す む オ ルド ス の胡 沙 が 毎 。 年 福 岡 にも や ってく る頃 だ 受 付 を 入 って左 手 の部 屋 に古 高 取 の床 置 が 。 ず ら りと 並 ん で いた な か でも 鯉 の 、 瀧 のぼ り は 水 面 か ら 跳 ね た姿 で宙 。 にお ど る 次 室 は亀 井 南 冥先 生 以下 そ の衣 鉢 を つぐ人 々 の書 画 が か け ら 天 明 四年 ︵一七 八 四︶ 藩 は東 学 寛 政 十 年 甘 巣 館 は火 災 に 、 。 亀 井 家 も罹 災 し た 文 、 問 所 と し て修 猷 館 西学 問所 と し て 、 甘実館 を 設立 し 南 冥を甘巣館 教授 。 に任 命 し た 南 冥 の主 宰 す る甘 実 館 、 には 全 国 か ら俊 秀 が集 って盛 況 を 。 呈 し た し か し寛 政 四年 突 然 藩 命 に よ り蟄 居 ︵ 面 会 ・外 出 の禁 止 ︶ を 命 、 。 甘 実 館 教 授 も 罷 免 され た 、 ぜ られ 五十 六 歳 あ って全 焼 川 の浄 満 寺 にあ り、 、 昔 鹿 が いた ん です よ 藩 のお狩 場 で 。 、 五 六 百 頭 ぐ ら い いた ん です ね 藩 ﹁ 沖 縄 の猪 は今 も 多 く 、 たも の で 今 も 所 々残 って いま す か らご 覧 にな ってく だ さ い。 鹿 の棲 む 向 う側 は三 メー ト ル程 の垂 直 な 石 垣 、 で こち ら人 の住 む方 は 四十 五 度 ぐ ら い斜 に石 垣 を 築 い て います ﹂ 、 主 の鹿 狩 り は三十 頭 でやめ ていた の 、 、 に 秋 月 藩 主 が百 五 六 十 頭 も と っ 、 た ことがあ るそう で 秋月 に持ち帰 っ 、 て家 来 に分 け た が それ でも余 る の の十 倍 と いう所 も あ り ます と 同 じ よ う に能 古 の山 路 に洗 心 の情 。 を 覚 え る の であ ろ う 、 ︵ 本文中南冥先生 の略歴は 亀陽文庫 の しおり ﹁ 亀井南冥と 一族 の小伝﹂ によ っ た︶ 先 生 に接 し ま だ ま だ 日本 も捨 てたも 。 の ではな いと意 を 強 く し た 。 山 路 に野 いち ご が咲 く 廃 屋 の八 。 重 桜 も真 盛 りだ った 山 頂 の展 望 台 、 に立 つと脚 下 に玄 海 が ひら け 天 涯 。 万 里 の海 が かす ん で いた フ ィ ルは 。 先 にた って春 の山 路 を ゆ く ふ りか 、 え って我 々を 確 か め 左 右 に尾 を 振 りながらまた先 にた つ。犬 もまた我 々 彰 に つと め ら れ る真 摯 な生 き 方 に深 。 い感 銘 を 受 け た 小人 閑居す る日々、 も う 日本 も駄 目 か と 思 って いた が、 先 生 のご 温容 と亀 井 学 派 の研 究 と顕 垣 のよう に高 く な い です ね﹂ 、 私 た ち は先 生 と別 れ 犬 を 先 頭 に 。 、 山 頂 を め ざ し た 山路 を登 りな がら は フ ェン スで猪 垣 を 作 って いま し た 、 。 が 昔 の石 垣 も残 って いま し た 鹿 島 の人 口 。 こ そ で で町人 にも 与 え たと いう 記録 が あ り ま す﹂ ﹁も う いま せ ん か﹂ 。 ﹁も う いま せ ん 昭 和 二 十 年 の敗 、 戦 前 ま では いた ん です が 進 駐 軍 が 、 鹿射ち に来 て そ の場 でバーベキ ュー 。 にし て食 った そう です 毎 日 のよ う 、 に来 るも んだ か ら ま た たく 間 に全 。 滅 し た と言 いま す 村 長 が あ わ れ ん 、 で 手 を 合 わ せ て射 た ん よ う に頼 ん 、 だ そう です が 米 兵 は笑 ってき か な か った そう です ﹂ ﹁ 今鹿 がおれ ば 奈 良 の よ う な 名 物 にな り ます ね﹂ 、 亘 時 は そ んな こと を 考 え 奈 良 今 も門前 に 、 昭 飼い ﹁亀 井 南 冥 、 ﹁昔 は鹿 の棲 む 所 と 人 間 の住 む 所 と を 分 け て、 そ の境 界 に鹿 垣 を 築 い と が でき な か った そう です ﹂ 、 ﹁ 対 馬 には野 性 の鹿 が います か ら 。 あ れ な ら い いか も し れ ま せ ん 時 々 海 を 泳 ぐ鹿 を生 捕 った な ど と 聞 く こ と が あ りま す﹂ の鹿 を つれ てき た そう です が 馴 ら さ れ た鹿 は自 分 で生 き てゆく こ フこの 島 に は は新 緑 の山 を指 し な が ら、 と青 葉 山 が ま ぶ し か った。 先 生 博 物館 を出 る 鹿 の島 陽 両先生墓 所﹂ 。 の碑 が た つ 墓 は福 岡 市 今 十 一年 公 八 一 四︶ ま た火 災 に 。 、 あ い 焚死 した 七十 二歳 網室明韮m由] 者一﹁去 十 ﹂ 。 が版 刻 され た 、 文化 舒 によ って南 冥 化 三年 ︵一八 〇 六 ︶ 秋 月 藩 主 黒 田長 「 頭をあげて山月を望み 頭 をたれて故郷を思 う」 静夜思」の転結二句 (飛 は挙 の古字) 南冥書、李自の 「 安陪家伝世の書 。 れ て いた 、 南 冥先 生 は寛 保 三年 ︵一七 四 三︶ 。 、 島 の対 岸 姪 浜 に生 れ た 十 四歳 肥 、 前 の学 僧 大 潮 に師 事 つい で京 坂 に 上 り永 富 独 哺 庵 に進 歩 的 な医 学 を 学 。 、 んだ 二十 二歳 福 岡 城 下 唐 人 町 に 、 、 父 と共 に開 業 医 学 儒 学 と も に令 。 名 高 く多 数 の入 門 者 を み た 三十 六 、 、 黒 田藩 は士 分 に召 抱 え 四十 二 、 募! 嫁 鶴 紡 歳 歳 り 能 古 博 物 館 だ よ 9号 (3)第 の中 。 よ う やく サ ケも 沿 岸 か ら姿 を 消 す 、こ れ か ら は毎 年 の契 約 が でき 183 87 20,532 2,832 5,844 43 157 87 25,265 3,638 7,613 1 704 44 224 107 64,620 5,636 10,581 2 4,332 45 214 99 27、 757 3,561 12,775 8 24,801 大正2 215 48,227 6,893 13,144 原 題 ﹃真 翁 聞き が き ﹄ 42 ・好 事 魔 多 し ・明 治 帝 崩 御 と 不 漁 5,370 真 翁 銅 像 も のが た り 1,490 ・男子 三十 にし て立 つ ・大 阪 の 高 利 貸 か ら数 名 は常 雇 い の手 勢 を つく り た いと 思 いな が ら オ パ ラ に向 け出 航 し 。 た し か し、 好 事 魔 多 し。 ま さ に こ の 。 諺 の通 り の事 態 に際 会 す る 。 、 北 洋 の時 化 は 執 拗 であ る 天 候 8,900 今 55 。 119 ﹁ 樽新 ﹂ さ ん か ら 来 信 明 治 天 皇 が亡 く な ら れ る ほど の年 。 、 、 だ 不漁 も当 然 か と ぼく は思 った こ の中 で、 九 月 に形 のよ い鮭 が獲 。 れ た これ か ら 選 別 し て腹 も 上 手 に 。 取 って国 産 塩 で仕 立 てた 、 十 月 下 旬 例 年 にな く遅 い函 館 帰 。 着 にな った 東 北 農 村 か ら の出 稼 ぎ 。 、 には も う稲 刈 時 期 であ る 少 い漁 、 な がら 塩 サケ相場 は品薄高値 にな っ 。 た これ で出 漁 資 金 の回収 見 込 み が 、 。 ついた 帰 郷 す る人 た ち に 来 年 も 、 頼 む よ と給 金 と塩 サ ケ 二十 尾 を上 。 産 にす る 、 樽 新 さ ん送 り の特 選 品 は 函 館 で 、 女 工を 備 い 念 入 り に 一尾 づ つ藁 つ と にお さ め、 二千 尾 を 発 送 でき た。 、 十 一月 中 旬 帰 漁 後 の整 理 も 一段 、 、 落 し 出 漁 精 算 の作 成 中 に 東 京 来 網 建 てが でき た と思 う 間 も な く次 の 、 時 化 に見 舞 わ れ これ が ニ カ月 余 の く り返 し で、 全 員 凶年 と いう。 よう 、 やく漁 期 も 終 わ る九 月 にな って 三 。 回 の漁 獲 にな った 、 6 ﹁露 領 漁 業 統 計 ﹂ で は 前 年 比 4 、 % であ るが これ は カ ム チ ャ ッカ半 、 0 、 5 島 全統 計 で 東 海岸 6 % 西海岸 3 。 、 % と さ れ オ パ ラは西 であ る 、 七月 八 月 の末 頃 明 治 天 皇 崩 御 ︵ 。 二十 日︶ が伝 え ら れ た だ か ら文 句 が言 え る相 手 ではな いが 、 風 と海 の荒 れ は 仕 掛 け網 の損 傷 と 。 、 な り 網 を 失 う こと も あ る 網 の予 。 備 はあ る が仕 掛 け杭など は打 ち直す 業 数 位 佐 ︼ 貝 借 数 租 者 聯年 81,518 41 、 。 工夫 が必 要 と痛 感 さ せ ら れ る いま は専 ら缶 詰 づ く り の指 導 を 受 け て い る が、 塩 加 工、 塩 蔵 は昔 な が ら で変 、 化 が な い これ も 見 直 す べき であ る と考 え た。 、 樽 新 さ んと の出 会 い によ って 資 、 金 そ の他 出 漁 に つい て不安 が な く 。 ぼ く の思 考 に余 裕 が生 じ て いた 樽 新 さ ん の紹 介 者 であ る平 塚 氏 か ら ﹁ 相 談 が あ れば 遠 慮 な く ⋮ ⋮﹂ と 。 され て いるが、 いま は全 く な い た 、 だ今 年 の漁 を終 え て 樽 新 さ ん のオ パ ラ漁 区 に缶 詰 工場 の設 備 はど う か と聞 き た か った が、 まだ 早 いと自 制 し て いた。 樽 新 ・特 選 薄 し お さ け ﹂ 今年 は ﹁ 。 づ く りを 念 入 り にや る ま た在 来 の 塩 サケ に砂 のよう に塩 づ か いす る の 。 を 注 意 し てみ よ う と考 え た 、 、 悠 々と 準 備 万 端 整 え て 明 治 。 四十 五 年 第 五 回 の出 漁 であ る 漁 、 、 、 夫 作 業 員 も まず は ぼ く が集 め 。 た 二十 一人 の同 勢 であ る 全 員 が 一 、こ 缶 詰 生産数 漁獲額 ltFl 季 四∼ 五 カ月 の出 稼 ぎ にな るが 缶詰生 産者数 ( 千円) 漁獲量 (千尾) 租 借 漁区数 年末 回 の漁 で特 選 鮭 に し た 薄 塩 も の は 、 思 った 以上 に好 評 で 焼 き た て の鮭 、 身 を ほぐ し 熱 いご 飯 に のせ て茶 漬 。 け にす る これ に海 苔 を 加 え ると な 、 。 お よ ろし い と 、 塩 は ﹁日本 塩 が よく 輸 入 の岩 塩 。 は いけ な い﹂ 日 本 橋 で先 々 代 か ら 、 の食 品 卸 し業 ﹁食 通 ﹂ を 自 認 さ れ 。 る森 本 さ ん のご 意 見 であ る 、 いま ま で と か く下 等 食 品 にさ れ 。 て いた塩 サケも出 世 でき る そ のた 、 め に は 塩 の使 い方 も考 え る必 要 が 。 、 あ ると教 え ら れ た 漁 場 では や た ら に塩 を 使 う だ け で、 農 村 、 炭 鉱 な 。 ど労 働 者 向 け食 品 にし て いる ヒ ト 、 、 切 れ の鮭 で 朝 昼 晩 の三食 を 通 し し ま い に は骨 だ け に な って、 な お 。 塩 気 を し ゃぶ る こう し た先 入感 も あ って の塩 サ ケづ く り が現 場 の粗 雑 。 な仕 事 に つな が って いる の であ る 、 ぼ く は 漁 期 を 終 え ると 函 館 水 講 。 に通 い、 も う 三年 にな る 漁 獲 物 の 、 食 品 加 工 と保 存 に つい て 研 究 と新 明治期露領漁業 の統計 平成 3年 7月 30日 (4) よ だ 館 物 博 古 能 。 信 な んと十 一月 初 め樽 新 さ んご 死 。 去 であ る そち ら の整 理終 了次 第 に 上 京 願 いた いと いうご 遺 族 か ら の要 、 。 、 請 があ り 急 拠 出京 し た 、 、 樽 新 さ ん は 十 月 末 特 選 鮭 の到 、 着 を荷 捌 き さ れ た後 十 尾 ほど提 げ 、 。 て 伊 豆 の別 荘 に持 参 持 病 の心 臓 発 作 で四 日目 に亡 く な ら れ た の であ Z O。 、 、 仏 前 で 父 が新 鮭 を と ても 喜 び す べ て自 分 の思 い通 り に出 来 て いる と いわ れ た お話 を 聞 き、 これ こそ、 。 ぼ く にと って最 大 の言 葉 であ った 、 若 主 人 は そ こ で漁 区 の こと です 、 、 今 後 の こと も あ って い ま の が り よ だ 私 に は と ても 北 洋 漁 業 ま で 考 え が 、 。 漁 区﹂ は お約 束 通 及び ま せ ん ﹁ り 真 藤 さ ん に お 買 い戻 し 願 う と し 、 。 て 代 金 は五 千 円 でどう でし ょうか 館 物 博 突 然 の こと でご都 合 も お あ り と思 い 、 ま す が 来 年 の漁 期 が済 ん でお支 払 、 。 を願 え れ ば結 構 です と さす が東 。 京 日本 橋 の若 旦 那 だ な あ と 感 服 お 、 だ やか な話 ぶ り で し か も 条 件 も 若 古 輩 のぼ く に配慮 さ れ た こと が よ く わ 。 か る 温 情 ひし ひし と こた え るも の 。 があ った 感 謝 で承知 す るだ け であ Z O。 、 、 な お 辞 去 す る際 に これ は父 か ら の気 持 と し てお納 め く だ さ いと金 能 9号 (5)第 。 一封 ︵ 五 百 円 在 中 ︶ま でいただ いた 、 、 来 年 の漁 を 終 え次 第 き っと再訪 し あ ら ため て謝 恩 を表 明 し よ う と固 く 、 心 に決 め ひと まず 函 館 に引 き か え 。 す こと にし た 、 函 館 では ま ず平 塚 氏 に委 細 を 話 し た。 彼 も 事 の意外 に驚 き な が ら も 、 君 のため には最 善 だ これ か ら は自 、 。 前 でやれ よ と励 ま し てく れ た 。 を えた 函 に さな 館 小 事 務 所 構 。 年 を越 し た ぼ く も満 三十 才 ︵ 大 。 正 二年 。 一九 一三 年 の節 目 も 良 ︶ 。 い 孔 子 先 生 回 く ﹁三十 而 立 ︵ 三十 にし て立 つこ の言 葉 通 り で は な い 。 か 、 最近 は 漁区入札 の期 日がくり上 っ 。 、 てお り 二月 初 旬 にさ れ る 応 札 と 、 契 約 を 早 目 に終 え ハルピ ンの川上 さ ん に是 非 会 いた いと考 え た。 、 出 漁 資 金 を考 え ねば な ら ぬが 当 、 面 の漁 区 租 借 契 約 金 ︵ 約 一 二〇 〇 、 円 ︶ は樽 新 さ ん のお蔭 で 充 分 であ Z e。 、 今 年 ま では オ パ ラ漁 区 だ け でや る。 本 年 の出 漁 成 績 で三漁 区 にし た 。 い それ も東 海 岸 を考 え よう と 思 案 。 にし て いた 。 、 正 月 下 旬 ウ ラジ オ に出 発 、 、 二月 五 日 漁 区 入 札 に応 じ お よ 。 そ予 定 額 にお さま った 漁 区 も 最 近 は入 札 価格 を ロシ ア側 でせ り上 げ て 。 、 、 いる 日本 側 は 当初 に総領事 から 、 邦 人 同 志 で競 争 的 にし な い 契 約 漁 区 は同 一事 業 者 の継 続 租 借 を 相 互 に 、 優 先 す る 等 の指 導 が よく守 ら れ て 、 お り これ に ロシ ア当 局 の対 策 が感 じ ら れ る。 。 ハルピ ンに川 上 総 領 事 を訪 ね た 、 四十 一年 以来 の話 今 年 か ら自 分 漁 。 さ ん には、 は 区を た 得 報 告 上 君 川 、L 喜 予 定 通 り の路 線 を走 ったな あ ヽ 。 ん で貰 った 五 回 の出 漁 経 験 を大 切 に、 初 心 忘 る べか ら ず と し て将 来 に 。 、 いかす こと だ 慢 心 は禁 物 樽 新 さ 、 ん の若 旦 那 に学 ぶ べきだと訓 され て 。 次 の話 に移 ら れ た これ か ら世 界 の動 き も変 化 す る。 、 産 業 革 命 が終 って 労 資 の対 立 が国 。 、 際 的 に拡 大 す る こ の中 で ロシ ア 。 が 一番 立 ち お く れ て いる 単 に労 使 問 題 だ け でな く 民 衆 と政 治 の対 立 が 。 社 会 に出 る も う古 い君 主 制 は徹 底 し て追 及 さ れ る。 これ は、 露 領 漁 業 、 にも 影 響 が出 ると思 う の で 現 在 の 。 租 借 漁 区 零 細 は駄 目 にな ろう 大 同 、 、 団 結 企 業 化 を大 き く し ま た稼 働 。 内 容 の近 代 化 を積極的 にす る ことだ ロシ ア に大 変 動 が起 る可 能 性 、 そ の 原 因 の つは 日露 争 後 の社 会 民 衆 一 戦 、自 分 は考 え によ る決 算 でも あ ると ると 語 ら れ た。 川上 さ ん の こう し た予 言 はす べ て 。 、 当 る つま り は 大 正 三年 世 界 大 戦 、 の勃 発 そ の幕 尻 に起 る ロシ ア革 命 、 であ る が 残 念 な が ら ぼ く にそ の洞 。 察 は でき な か った 不勉 強 を 恥 じ な 、 が ら 川上 さ ん の話 が ぼ ん や り見 え る気 が し た。 、 。 友 人 近 江 岸 弁之助 は いなか った 、 、 五年 前 彼 と 別 れ る時 オ レは手 、 紙 を 書 か な いか ら ね と言 った こと 。 を 思 い浮 べた ぼ く も筆 不精 し てい 、 たが 彼 は半年 の一 重 足でト ル コに行 っ 。 て いると いう 川 上 さ ん に次 い でぜ 。 ひ会 いた い男 であ った 、 福 岡 にも帰 り た いが 自 前 の出 漁 。 を し てか ら の こと にし た 、 大 阪 に廻 って ま ず出 漁 資 金 の金 。 策 であ る 。 。 大 阪 頼 光 と いう金貸 しを訪 ねた ま ず ﹁あ し た こ い﹂、﹁ あ さ ってこい﹂ 、 。 で 振 りまわ され た 。 次 に ﹁担 保 あ る か ﹂ な い と 答 え る。 二∼ 三 日し て行 く と 、 ﹁担 保 で き た んか いな﹂、 担 保 は初 め か ら な 。 、 いと言 って いる と 答 え る ﹁そ ん なら駄目 やがな﹂と言 いながら ﹁い っ 。 、 た い な ん に使 う んか いな﹂と聞 く 、 最 初 に ぼ く の証 明 書 代 り に露 領 漁 。 区 租 借 契 約 書 を 見 せ て話 し て いる 、 出 漁 資 金 に必 要 を 説 明 し た通 りだ と押 し か えす。 な お、 過 去 五 回 ぼ く が支 配 人 と し て出 漁 し た事 業 内 容 を く り か え し話 す 。 。 。 、 口つ︱ん 水 も の や な あ 二 三 日考 え て見 るが、 あ か んか も 知 れ ん 。 で⋮﹂ と いう 、 三 日目 に行 く と ﹁ま だ 考 え と ら 、 。 ん のや も う少 し 待 てん のか いな﹂ 、 と言 いな が ら ﹁ 銀 行 に話 し た んか ど う や﹂。 ﹁ 銀 行 に相 談 でき る く ら い 。 しう し 、 な ら こ こ に来 な い よ ﹂ ▼ た 。 、 調 子 で二 三 日お き に行 く ﹁ど こ 、 。 か ほか に行 くと ころな いのか いな﹂ 。 。 ﹁あ るな ら来 な いよ ﹂ ﹁い った い うち に こん時 は、 な に し て ん の や ﹂ と 聞 く。 ﹁魚 を 釣 ってる よ﹂、 と答 え 。 。 た ﹁な ん の魚 か いな﹂ と いう ﹁金 。 、 魚 だ﹂ と いう 事 実 ぼ く は頼 光 が 、 、 、 二 三 日し て こ い と言 う 二 三 日 は道 頓 堀 端 にな ら ぶ屋 台 掛 け の金 魚 。 す く い で時 間 つぶし し ていた これ で金 魚 屋 のお や じ数 人 に顔 な じ み が 。 出 来 て いた ほど であ る ぼ く は心 中 、 、 に 頼 光 の奴 北 洋 漁 業 の実 績 な ど 方 々 に問 い合 せ し て いると 晩 ん で い 。 、 。 た し か し 可 否 半 々と も考 え た 、 二月 に入 ると 東 北 地 方 か ら の季 節 労 働 者 と の契 約 を 始 め る必 要 が あ る。 出 漁 の備 船 は、 樽 新 さ ん第 一回 す べ て上 首 尾 三露 里 ︵一露 里 は約 一粁 余 ︶ の間 十 八才 。 かけた 現場 要 員 と し て大 正 六 年 初 め て西 海 。 岸 のオ パ ラと いう漁 場 に行 った 、 さ ま に意 気 満 々と し て出 伯 父 の真 藤 慎 太 郎 が カ ムチ ャ ッカ 、 に鮭 鱒 漁 場 を経 営 し てお り これ に ︵そ の 一︶ 、 、 毎 年 北 洋 の出 漁 期 が近 ま ると 日 ソ漁 業 問題 が新 聞、 テ レビ に報 道 さ れ る。 ま た、 北 洋 漁 場 の地 名 も出 る。 わ た し は青 年 時 代 、 それも 半 世 、 紀 以 前 にな る が カ ムチ ャ ッカ半 島 、 、 の西海 岸 に二回 東 海 岸 にも 二回 、 現 地 に渡 航 し た 都 合 四 カ年 に四回 こと が あ る。 ゴ 〓 一 〓 岡隅 馴 ﹂ 、 か ら使 用 し た昌 徳 丸 洋 式 三本 マス ト の継 続 を 話 し てあ るが、 これ にも 、 契 約 金 支 払 いが あ り そ のほか諸 資 。 材 の用意 も あ る 三月 十 日が ギ リギ リと思 う が、 す で に三月 五 日 であ っ 。 ﹂ ′ キ 。 初 め て の出 漁 であ る な んと し て も自 分 の力 です べてやりた いと思 う。 、 金 融 業 ・頼 光 は 近 江 岸 か ら聞 い て 。 いた だ け で初 対 面 であ る 、 三月 七 日 よ う やく頼 光 も決 心 し 。 、 た 条 件 は 借 入金 三千 円 に漁 期 後 、 、 の十 月 末 倍 戻 し 六 千 円 でよ いか と な った。 、 。 現 金 を 受 取 って 急 拠 北 海 道 へ 。 、 。 出 漁 昌 徳 丸 よ急 げ であ る 、 元 来 ぼ く は乗 船 す ると 風 向 き 次 第 でど う な るも の でも な いと覚 悟 し 、 て いる の で 呑 気 にか ま え る の であ るが、 こ の時 は例 外 。 一刻 も 早 く オ 、 。 パ ラ にと 船 足 を 気 にし た 、 。 幸 運 にも 好 漁 大 阪 に元 利 金 六 千 円 を十 月 十 日 に 、 。 完 済 さす が に頼 光 高 利 貸 し は 約 、 束 よ り早 い の で 利 息 を割 引 き す る と金 百 円 を 返 し た。 いま の百 円 はな 、 ん でも な いが 当 時 は高 級 官 吏 一月 。 、 分 の給 料 に等 し い 金 貸 し頼 光 も 。 よ ほど嬉 し か った の であ ろう 進藤英太郎 J ヒ 洋漁業現場 にて 大正 7 ・ 8 年 頃 (6) 平成 3年 7月 30日 よ だ 館 物 博 古 能 隔 を 置 い て北 方 キ ンカ川 に至 る間 に 、 十 五 カ所 の日本 人経営 の漁場 があ り 主漁期 ︵ 六 ∼ 九 月 ︶ にな ると夜 間 照 明 のカ ー バイ ト灯 が 一斉 に点 火 さ れ 、 て 昼 間 に水 揚 げ し た山 な す 鮭 鱒 を 、 徹 夜 で処 理す る の で そ の夜 景 は実 に壮 観 を 呈 し た。 、 同 年 は大 漁 の歳 であ った が 最盛 、 期 は水 面 に溢 れ て岸 に寄 る た め 手 。 鍵 で いく ら でも 取 る こと が でき た 、 本 来 の漁 法 は 漁 区 沿 岸 の海 面 に網 、 伯 父 の漁 仕 掛 け でと る の であ るが 場 では塩 さ け のほか に ﹁さ け缶 詰 ﹂ 、 の製 造 を し てお り こ のた め漁 区 内 の工場 に大 阪 方 面 か ら の ハンダ付 け 。 職 工を 呼 ん でいた 缶 詰 め の仕 上 げ は缶 蓋 の小 穴 を ハンダ でふ さ ぐ の で 。 ある と ころが、 北 方 のキ ンカ河 に寄 っ た堤 商 会 ︵ 後 に 日魯 漁 業 と し て北 洋 、 漁業大合同をす る︶ では 米国 のセー ル フレザ ー商会 によるオ ート メーシ ョ ンで缶 詰 仕 上 げ でき る機 械 装 置 を 輸 、 入 し てお り これ に自 家 発 電 も 設 備 。 す ると いう状 況 であ った こ の堤 商 会 の漁 区 は、 北 に 一二〇 キ ロの距 離 が あ るが同 漁 場 を 私 が実 、 見 し た のは 伯 父 の指 示 でキ ンカ無 、 線 中 継 所 へ 単 身 で行 か さ れ た か ら 。 。 であ る 一日六 〇粁を歩 いたと思 う 、ま た説 明 も 聞 、 、 途 中 二晩 を 漁 場 に三時 間 位 寝 、 か せ て貰 い 三 日目 に前 記 の堤 商 会 の ラ ンチ で大 き な キ ンカ河 を 渡 航 さ 、 せ て貰 った の で こ の往 復 の際 に堤 漁 場 の新 設 備 を 見学 。 いた も う 一つ驚 いた こと は、 キ ンカ河 の河 口浅 瀬 に大 き な鯨 が数 頭 乗 り揚 、こ れ に数 知 れ ぬ アザ ラ シも 同 様 げ にし た状 況 を 眺 め仰 天 し た こと であ 亥 0。 、 、 堤 商 会 漁 場 には 一泊 させ て貰 い 英太郎 さん自画 翌 朝 教 えら れ た草 原 の小 径 を 約 十 キ ロほど 辿 ると中 継 所 の建 物 が 見 え、 。 同 所 に三人 の露 人 駐 在 員 が いた 帰 、 途 穴 居 し て いる 四人 の日本 人 が い る のを 見 か け声 を か け た が、 全 然 応 、 。 答 が な い 後 に わ か った こと であ るが、 カ ムチ ャダ ー ルと いう現 地 の カムチ ャッカ漁場図 よ だ 館 物 博 古 能 9号 (7)第 、 土 人 で あ ま り にも 日本 人 そ っく り 。 の容 貌 を し て いた か ら の清 流 が裏 側 に十 五 メー ト ルほ ど の川 幅 で流 れ てお り これ に巾 着 網 式 に仕 切 ってお く と 一起 し 二∼ 三千 、 尾 の紅 鮭 が足 も 濡 ら さず 捕 獲 でき 、 大 正 七 年 カ ム チ ャ ッカ州 の首 都 ︵そ の二︶ これ は海 に面 す る漁 区 プ ラ スの水 揚 。 げ にな った 、 に油 田 が あ る の ではな いか と思 っ 。 。 た こ の疑 問 は今 日も 抱 い て いる も し か し た ら、 五 十 年 も経 た今 日、 ソ連 の こと だ、 開 発 さ れ てナ ラチ ェ フの浜 は、 油 田 の町 にな って いる の 。 、 ではな か ろう か と考 え る ︵そ の三︶ 、 大 正 七 年 は 第 一次 世 界 大 戦 が あ り、北洋漁業 に出漁す る汽船 のチ ャー タ ーが出 来 な い の であ る。 伯 父 は、 仕 方 な く富 山 新 湊 の大 神 丸 と いう 三 。 本 マスト の帆 船 を契 約 し た こ の帆 船 で私 が カ ムチ ャ ッカ東 海 岸 の漁 場 、 に行 ったが な にし ろ こ の大 神 丸 は 絶 えず ポ ンプ で海 水 を 汲 み上 げ ねば 。 海 水 が 溜 ると いう ボ ロ船 であ った それ でも往 航 は追 い風 に恵 ま れ て 、 十 七 日間 で渡 航 でき た が 帰 り は不 吹 き 戻 され 漁 で積 み荷 も 軽 い の に向 い風 ば か り 、 、 で 四十 日航 海 で よ う や く函 館 の 。 街 が 見 え た ヤ レヤ レと喜 んだ のも 、 束 の間 本 土 方 向 か ら吹 き つけ る風 、 が暴 風 雨 今 日 で いう台 風 と な って 風 向 き も変 り青 森 東 方 に流 さ れ る始 。 末 であ る 西 に行 く と猫 柳 な ど にお お わ れ た小 、 川があり よく糠 の民を仕掛 け に行 っ 、 た が そ の海 岸 にギ ラギ ラと 一溜 り 。 の油 が浮 か ん で いる 海 に押 し流 し 港 の防 波 堤 が見 え るま で押 し流 さ れ 、 た のは よ いが な お 風 が 強 く肝 心 の 、 舵 が き か ず 廻 り こん で防 波 堤 に入 る こと が出 来 な い。 こ のま ま では突 や が て又 風 向 き が変 って 、 大 波 を 受 けな が ら函 館 て翌 日行 って見 ると 同 様 に増 減 も な く浮 溜 り が あ る。 難 破 し た船 が あ る 、 訳 ではな し 海 水 は綺 麗 で浮 いた油 。 、 な ど外 には見 当 ら な い 或 は 地 下 一週 間 は網 建 て の船 が出 せな い こと も あ り、 と く に こ の年 は酷 い不漁 に 。 終 わ った の であ る こ の漁 場 では、 二 つの謎 を 私 は今 も抱 い ている の で、 以下 これ を書 い 、 。 てお こう つは 昼 間 は聞 こえ ぬ 一 、 が夜 にな って寝 静 ま ると ﹁オ ー シ ヨイ、オ ッコイ ョー、 オ ーシヨイ、⋮﹂ と北 海 道 の漁 夫 が 三 羽船 を 漕 ぐ時 の 。 掛 け声 が聞 こえ てく る の であ る 浜 。 に出 ても船 影 一つ見 えな い 漁 夫 達 も 皆 聞 い てお り、私 の酷覚 ではな い。 、 波 の荒 い時 は テ ンポを 早 め て激 し く高 鳴 って聞 こえ る の であ る。 、 いま 一つは 漁 場 か ら 三十 米 ほど と か く海 面 漁 区 は、 一度 時 化 ると ペ テ ロパ ウ ロスク市 の ア ワチ ャ湾 か ら東 に約 百 キ ロ、 ナ ラチ ェフ川 か ら 西 へ三露 里 の漁 場 を 伯 父 か ら受 け持 。 た さ れ た 隣 接 し て河 日 の東 端 にイ ヮノ フと いう露 人 経 営 の漁 場 が あ っ 、 。 た こ の海 岸 では 真 藤 と こ の露 人 。 漁 場 の二個 所 だ け であ った 、 露 人 漁 場 には ア ワーリ アと ナ ー シ ャと呼 ぶ十 六 才 と十 八 才 の美 人 娘 も来 て いた。 こ の河 口 に直 面 し た漁 、 場 は必 ず露 人 専 用 の特定漁場 と され 日本 人 には 日露 漁 業 条 約 によ る規 則 で河 口か ら 三露 里 以上 離 れ た海 面 沿 岸漁区 でな いと租借入札 が出来 なか っ 。 た の であ る 、 理由 は母 な る川 に向 か う鮭 鱒 は まず、 河 回 に近 い陸 岸 に接 近 を 始 め る。 こ の間 に熱 烈な恋愛動作を演 じ、 河 口 では雌 雄 カ ップ ル にな って上 流 。 にさ か のぼ る こ のため 河 口近 く が 、 最 も 周密 な 鮭 群 と な り それ こそ労 力 少 な く 最 大 の漁 獲 を容 易 に得 る こ と が でき る。 こ の有 利 な 漁 区 は露 人 、 指 定 漁 区 と し て 日露 漁 業 条 約 の細 。 目 に規 定 さ れ て いた 、 な お 真 藤 漁 区 には ナ ラチ ェフ湖 平成 3年 7月 30日 (8) 。 堤 にぶ っ つけ ら れ るだ け であ る 船 、 長 は 急 い で二本 の ア ンカを 海 に投 じ た が高 波 で船 底 を 叩 き上 げ ら れ た 瞬 間 にプ ツリプ ツリと錨 綱 が切 れ て し ま った。 予 備 の二本 碇 を次 々 に投 、 げ 込 んだ が それ も ズ ルズ ルと 流 さ 。 れ 一本 は切 れ てし ま った 、 七 十 三才 と 聞 い て いた老 船 長 は 私 の顔 にか ぶ さ る ほど伸 び て いた頭 、 髪 を バ ッサ リと切 り 次 に上 半 身 を 、 裸 にし 胸 下 に油 紙 包 み の重 要 書 類 、 を手 でお さ え さ せ そ の上 か ら上 腹 り 部 にか け て晒 ︵さ ら し 木 綿 を いう ︶ をカ イ ッパイ身 体 がち ぎ れ ると思 う ほど強 く締 め つけ て幾 重 にも巻 き、 さ ら にそ の上 を荒 縄 でぐ るぐ る巻 き 、 。 にさ れ た 船 長 が言 う には 自 分 の ち ょん雷 時 代 と いう︶ 日 少年 時 代 ︵ 、 本 海 で乗 船 が遭 難 多 く の仲 間 が溺 、 死 し た が そ の時 の老 船 長 が お 前 は 、 若 いか ら助 か ってく れ と こ のよ う 。 にし てく れ た お かげ で自 分 は人 事 、 不省 で陸 に打 ち 上 げ ら れ た が 奇 跡 、 的 に人 工呼 吸 の結 果 命 拾 いし たと 。 語 った の であ る ど んな水 泳 の達 人 でも水 中 で頭 髪 が頭 にか ぶ さ ると体 よ だ 館 物 博 古 力 を消 耗 し助 か ら ぬ のだ と説 明 し て く れ た。 私 も わ か るよ う な気 が し て 。 心 強 く な ったも のだ 、 船 長 にも 言 った が ﹁俺 は 年 だ ﹂ 能 と 一言 か え さ れ た だ け であ った。 、 天 助 と言 う か 奇 跡 的 に 一本 の碇 、 が海 底 の岩 場 に でも引掛 か った のか 。 船 が止 ま って台 風 の通 過 に耐 え た これ で嵐 を 過 ご し 函 館 ド ック寄 り に 。 無 事 入港 でき た これ が大 正 七 年 九 、 月 大 被 害 を も た ら し た北 海 道 台 風 。 であ る 、 昭 和 二十 九 年 ︶ 北 海 私 は 先頃 ︵ 道 台 風 によ る青 函 連 絡 船 ﹁洞 爺 丸 ﹂ 、 の道 難 で思 った こと は 五十 年 前 の 。 老 船 長 の行 動 と そ の心意気 であ った 以上 ﹁北 洋 漁 業 体 験 談 ﹂ の筆 者 進 。 藤 英 太 郎 さ ん の紹 介 を次 にす る 、 。 本 名 は 真 藤 辰 五郎 明治 三十 二 、 年 十 一月 福 岡 市 薬 院 西 川端 ︵いま 。 大 名 2丁 目 ︶ 出 生 大 名 小 か ら福 岡 、 。 6 商 業 1回生 同 窓会誌 の福商通信 に 、 ″ 在 学 中 松 井 須 磨 子 の博 多 巡業 復 、 活 ″ を観 劇 し 早 く も せ り ふを 覚 え 学 校 の授 業 合 い間 に声 色 を使 い演 劇 。 達 者 を 見 せ たと いう 十 八才 で伯 父 真 藤 慎 太 郎 の北 洋 漁 、 、 業 に従 事 五十 年 後 東 京 新 聞 に求 め ら れ当 時 の体 験 談 を 寄 稿 され てい 。 た か ね て本 誌 のた め 写真 等 資 料 を お願 いし た横 浜 市 在 住 の御 息 女 嘉 世 子 さ んか ら 写真 と合 わ せ てご送 付 い 。 ただ いた 本誌 の ﹁ 真翁聞きがき﹂ は 東風吟詠会会長 和 田 桜 村 賊 ヰ 却 一申 帽 嚇 一 中 、 能 古 亀 陽文 庫 には 福 岡 が生 ん 、 だ 大 亀 南 冥 ・昭 陽 父 子 昭 陽 儒 井 、 門 弟広瀬淡窓 ・旭窓宝 の娘 少 栗 亀 門 の斡 墨遺 品 が 一堂 に展 示 され 、 てお り 我 ら詩 吟 を 学 ぶ者 にと っ 、 ては 何 よ りも貴 重 な資 料 と な っ 。 て いる わ が東 風吟 詠 会 では去 る五月 十 、 、 四 日 亀 陽文 庫 のご 好 意 によ り 、 そ の研 修 室 を 借 り て 創 立 三周 年 。 、 記念 大 会 を 開 催 した 本大会 では 、 前 記亀 門 の先 賢 達 を 中 心 に これ に関連 す る作 品 の吟 詠 に重 点 を 置 。 い た 九 州 三 絶 の 一た る 南 冥 作 ﹁鹿 児島 客 中 作 ﹂ 少 乗 の瑞 々 し い 、 、 園 圃 小 景 ﹂ 等 の瑶 韻 ﹁江 春 晩 望 昭陽︶ 招飲 頼 山 陽 の ﹁亀 井 元鳳 ︵ 、 、 賦 贈 ﹂ は 山 陽 が博多来遊 の折 り 昭 陽 と親 し く盃 を 交 わ し た時 の作 、 で 知 名 の儒 者 同 志 の交 歓 を 示 す 。 注 目 す べき七 言 律 詩 であ る さ ら 、 に 山 陽 は昭 陽 の案 内 で荒 津 山 に 、 曳 杖 詩 を 賦 し てお り こ の条 幅 は 。 、 当 文 庫 に所 蔵 さ れ て いる ま た 、 、 山 陽 は 少 栞 の墨 竹 画 を 見 て そ 、 の才 能 に驚 き 詠 懐 一首 を寄 せ て 。 いる これ ら の詩 が次 々 に熱 吟 せ ら れ てゆく時 、 作 詩 者 の御 霊 にも 通 じ た の ではな いか と 思 った の で 。 あ った 、 当 日 は 日夜 亀 井 学 の研 究 顕 彰 に努 め ら れ て いる亀 陽 文 庫 理事 長 、 、 庄 野寿 人先 生 亀井 家後 喬 早船 、 、 正 夫 氏 亀 井 准 輔 氏 以上 三人 に ご 臨 席 賜 り、 ご 講 話 、 ご 挨 拶 を 戴 。 いた 、 大 儒 南 冥 と か亀 井 学 と いう と 何 か遠 い存 在 に感 じ て いた わ が会 、 員 達 も そ の遺 品 や子孫 の方 を 目 、 の当 た り にし て 改 め て認 識 を 深 。 め、 親 近 感 を抱 いた よう であ る 風 光 明 媚 にし て古 来 防 人 の地 と し て万葉 集 にも詠 ま れ た ロ マンの島 、 に創 設 せ ら れ た 新 名 所 亀 陽 文 庫 、 に於 け る吟 詠 会 開 催 は か ね て私 、 の念 願 であ った が 今 日達 成 す る こと が でき た。 大 会 終 了後 は、 渡 、 船 場 近 く の料 亭 で懇 親 会 に移 り 、 新 鮮 な 魚 菜 に舌 鼓 を打 ち つ つ 清 、 雅 にし て意 義 あ る 一日を終 え 夕 、 陽 を 浴 び つ つ 帰 り の フ ェリ ー に 。 乗 り込 んだ の であ る の多 忙 で日 々 の睡 眠 時 間 が僅 か 四時 。 演 劇 で の スタ ー トと な った さ ら に 、 同志 座 に参 加 松 竹 専 属 を経 て戦 後 、 東 映 に 映 画 出 演 五 百 本 を越 え ら れ 。 、 た こ の間 東 京 と京 都 を か け持 ち 号 。 評 さ れ た 真 翁 御 死 去 後 の亀 陽 文 庫 に つい て数 々 の御 支 援 を いた だ い て いた が惜 し く も 昭 和 五十 二年 逝 去 さ 、 。 れ た 後 に真 翁 銅 像 の文 庫 移 建 は こ の間 の事 情 を 認識 さ れ る御 遺 族 に 、 よ るも の で これ は銅 像 板 に記 録 し 。 さ れ て いた頼 山 陽 が九 州 入 りす る 、 山 陽 の九 州 路 旅 程 の第 一目 的 は 、 亀井家 昭陽 と の 。 対 面 であ った 両 人 はく り か え し機 、ま 会 を 重 ね るが ず山 陽 の亀 井 家 訪 、 門 に際 し 父 昭 陽 に言 わ れ て少 乗 が 。 席 画 を披 露 す る これ に山 陽 が、 次 の題 賛 を 以 て和 し ﹁過 二充鳳 一 題一 登︵ た こと が山 陽 詩 集 。 に録 さ れ ている 女 少 乗 墨竹 己 竹 一揮 成 繊 指尖 辺龍 影横 胸中 有 レ 匠 心 何 似 爺 文 苦 高 棄 千 枝 逐次 生 昭 陽 の字 ︶ を 過 ぎ 九鳳 ︵ 鋤 一 其 の女 少 乗 の墨 竹 に題 す 繊 指 の尖 辺 龍 影 横 た わ る 胸 中 竹 有 り 一揮 し て成 る 匠 心 何 ぞ似 ん爺 が文 の苦 に 。 てお り省 略 す る 、 いま 銅 像 前 に立 つか た が た の多 くが、 あ あ、 進 藤 英 太 郎 さ ん の親 父 。 さ ん か と、 よく言 わ れ る 。 英 太 郎 さ ん の知 名 度 と いえ る 万 葉 千 枝 遂次 に生 ず 、 側 し な やか な指 先 は影 の動 きも早く 胸 中 す で にあ る竹 。 構図を 一気 に描く お 父 上 の文 章 は苦 心 が う か が え るが 貴 女 の竹 にお け る 、 万葉 千 枝 は な ん と素 早 く描 か れ る こと よ。 、 右 は 山 陽 の詩 によ って少 栞 墨竹 画 と そ の動 静 が う 。 かが え る 山 陽 の博 多 滞 在 は 四月 二十 六 日か ら 五 月 十 七 日ま で、 惜 し く も 昭 陽 の 、 ﹁ 空 石 日記﹂ 始 筆 が 九 月 一日 で そ 、 の記事 にな ら な いが 昭 陽文 集 ほか 。 で山 陽 と の応 対 は充 分 に見 ら れ る さ て、 空 石 日記 九 月 十 六 日記事 の 一 、 。 節 を 抜 い て わ が山 人 を 見 る 、 、 ﹁ 夜 帰 則雷山人 来 大 喜 命 酒 陶 高類玉玲擁 間 と いう 不 死 身 の ベ テ ラ ン スタ ーと 、 た いと待 って いた と さ れ るが な に よ りも 昭 陽 の目 当 ては少 乗 にあ らず 。 源 吾 即 ち雷 首 山 人 であ った 昭 陽 は 即 ち 婿 の源 吾 空石 日記﹂ 翌 年 の文 政 元年 九 月 から ﹁ 、 を つけ始 め るが こ の記事 に最 多 登 、 、 場 す る のは山 人 の雷 首 山 人 を略 し て山 人 と さ れ る人 。 であ る 、 山 人 は 亀 井 家 の医 術 を 継 ぐ存 在 、 であ るが 昭 陽 には全 く気 のお けな 。 い最 愛 の酒 相 手 にな る 昭 陽 が 父 、 南 冥 の不 遇 を 我 が 身 にも う け る 、 鬱屈 ︵ 気 ふ さ ぎ︶ と 家 学 によ る不 、 断 の努 力 な ど か ら生 じ る過労 は 昭 、 陽 を 飲 酒 に向 か わ せ るが 山 人 と の 、 対 酌 を得 ると 昭 陽 の酔 いは楽 し く 。 ま た睡 眠 を も た ら す ま さ に酒 を 百 。 薬 の長 にす るも の であ った 、 文 政 元 年 四月 か ね て昭 陽 に連 絡 註 ・玲暁は輝くように美しいさま。 本作は少乗の若書きと思われる。 、 現 場 を 語 ら れ る内 容 が少 な く 真 に 。 好 材 料 と掲 載 さ せ て いただ いた 、 、 英太 郎 さ ん は 大正十 年 北 洋漁 業 か ら北 海 物 産 ﹁松 前 屋﹂ の東 京 店 、 、 を 担 当 され たが そ の後 素 志 や む 、 な く 帝 国 劇 場 内 の劇芸研究所 に入 り 、 文 化 十 四年 ︵1 8 1 6 ︶ 元 旦 を 迎 え ると当 時 の習 慣 で人 々 は年 令 に 。 一才 を 加 え る これ で夫 君 源 吾 二十 。 、 少 乗 は 二十 才 であ る 前 年 末 九才 の十 二月 十 七 日結 婚 か ら十 三 日 で新 。 、 年 を 迎 え た こと にな る 元 旦 は 両 人 揃 って居所 井 原 村 の縁 故 な ど挨 拶 、 ま わ りを 済 ま せ 亀 井 家 に向 った と 。 思 われ る 、 井 原 村 と亀 井 家 の百 道 新 地 は 直 、 2 線 で1粁 ︵ 約 二里 ︶ 若 い 二 人 に は 、 徒 歩 で2時 間 の距 離 は さ はど苦 に 。 な るも の ではな い 、 道 順 は 唐 津 街 道 の周 船 寺 ︵いま 福 岡 市 西 区︶ に出 て街 道 が通 る松 原 、 道 を 真 っ直 ぐ今 宿 姪 浜 を 経 由 し た 。 であ ろ う 、 亀 井 家 では父 昭 陽 が いま や お そ し と新 夫 婦 と家 族 揃 って屠 蘇 を祝 い 葡 萄 は夏 日 に宜 し り よ だ 館 物 博 古 能 9号 (9)第 (10) 平成 3年 7月 30日 陶 然 と し て寝 に就 。 。 然 就 寝 六 夜 帰 る 則 ち雷 山 人 来 る 、 大 喜 し酒 を 命 ず く︶ 、 、 翌十 七 日 ﹁ 講 了 山人既頓食将発 、 強 留 之 小 酌 ⋮ ⋮﹂ これ を 訳 す と 昭 。 山 人 は既 に早 陽 は早 朝 講 義 を終 了 く食 事 を す ま せ正 に出 発 し よ う と し 。 て いる 強 い て これ を と ど め軽 く 一 、 と る。 な こ の後 、 少 乗 は亀 井 家 滞 在 が見 ら れ る の で夫 君山 人 は小 旅 行 に出 たと さ れ る。 以後 、 少 乗 は塾講義 に出席、 ま た夜 の詩 会 に出 る記事 が あ る。 、 少 乗 作 詩 を削 る と 昭 陽 記 録 も 見 、 え る が 削 ると は手 直 し の意 味 であ Z O。 、 な お 昭 陽 は九 月 中 に書 字 帖 四帖 。 を仕 上 げ て いる 杯 よ だ 館 物 少 栞 は父 昭 陽 著 述 を 精 写 し ている 、 が これ を 昭 陽 は遅 いと し て自 分 も 。 手 が け ている 、 、 、 十 月 八 日 雷 首 書至 の記事 あ り 。 、 彼 の他 行 が わ か る 少 茉 は 日 々 夜 。 も父稿 の ﹁ 蒙 史 ﹂ 写本 に励 む 、 ・ 雷首帰 十 月十 三 日 ︵ 前 文 略 Y・ 、 、 夜 会 左 氏 畢 興 雷 首 飲 以上 を 訳 す と、 十 月 十 三 日、 雷 首 が帰 る。 夜 、 博 古 十 月 十 四 日 ︵前 文 略 ▼︰畳 屋 瀬 兵 首 と飲 む 左氏 ︵ 春 秋 の こと︶ 会 講 を 終 え て雷 、 と る。 な 能 、 十 月 十 四 日畳 屋瀬 、 衛 始 鯨 三物 日 近 来 寓 博 多 ⋮ ⋮雷 首 、 、 日 僕 欲 間 又 右 ヱ門 消 息 久 央 講 往 叩之 ⋮ ⋮ 以上 を 訳 す と 兵 衛 が鯨 三 ツ所 ︵ 尾 の身 ほか美 味 な 。 鯨 肉 を 取 る︶ 物 を く れ た 自 分 は近 、 、 、 来 博 多 に泊 って いる と雷首 曰く 。 僕 は又 右 ヱ門 を 訪 ねた いと思 います 、 長 ら く便 りを 得 て いま せ ん の で 平 戸 に行 って様 子 を 見 た い の です ⋮ ⋮ と。 働 畳 屋 は、 西 海 の捕 鯨 王 と 呼 。 ば れ る益 富 家 の屋 号 であ る 、 、 瀬 兵 衛 は そ の 一族 中 の者 か 次 、 の又 右 ヱ門 云 々 は 益 富 家 主 人 の こ と であ る。 因 に、 益 富 家 は亀 井 家 を 、 代 々主 治 医 と し てお り 毎 年 又 は再 、 三 平 戸 生 月 島 に往 診 し て健 康 診 断 、 、 を し てお り 雷 首 の亀 井 家 入 婿 は こ の重 要 任 務 を 継 い で いる。 、 十 月 十 五 日 ⋮ ⋮中 略 ⋮ ⋮雷 首 日 、 、 先 生 下 血 不 無 酒 毒 故 約 偶 日飲 奇 日否 、 夜 半 骨 寒 、 、 十 月 十 五 日 雷 首 曰く 昭 陽 の痔 。 出 血 は酒 毒 が無 い ではあ りま せ ん こ のた め偶 数 日 は飲 酒 、 奇 数 日 は 一 、 。 切 飲 酒 し な い こと にしまし ょう と 、 、 昭 陽 は これを 聞 い て夜 半 骨 が 。 寒 い思 いを し た と解 され る のであ る 、 、 十 月十 八 日 昭陽 は 午後 七杯飲 ん 、 で いた酒 を 雷 首 に言 わ れ 二杯 を 減 ︵ 福 岡 市︶ 蓑 原 ヨネ 盤 保 片桐寛子働 近 江 福雄 永 日 蘇 水 長谷川陽 三 村上 靖朝 田部 六弥太 向井 盛信 西嶋 洋 子 速水忠兵衛 三好 恭 嗣 山 田由 紀 乃 広瀬 猛 大櫛 孝子 重松 主 義輝 星野 金 子 坂 田 泰 溢 椎葉 和郎 藤木 充子 岡本 金 蔵 工 置 貞 正 2︶ 一 貝 何命は 一 生車 片倉 静江 横山 智 一 △,紳聖身件螢十 吉 原 湖水 安藤 光保 和 国 慎 治 都筑 久馬 吉村 陽子 鹿毛 義勝 安部 利行 久保 〓 言蔵 鍋山 駿 一 石橋 観 一 岩 下須美子 山 口 朱 美 天谷 千香 子 笠井 徳 三 二 宅 珀石子 北 原 主 早子 小 日 一郎 古 野 開也 財 部 一雄 竹中 弘 起 山内重太 郎 小柳陽太 郎 柏 久 四 土ね二 吉同回 田上 紀 子 上 日 良 一 松 尾 久 片 岡 洋 一口 青木 繁 樹 岩 重 一一郎 星野万里 子 和 国 一雄 俵 信 夫 中 畑 孝 信 森藤 芳 枝 石川 文 之 江 日 博 美 花 田 菊 子 末松仙太 郎 官 徹 男 G︶ 池 田 邦 夫 浦上 健 斉藤 拓 柴 野美 智 恵 安永 友 儀 久芳 幸 子 士口田 法 湿彰 那須 博 江島 寿 人 吉 長 秀 子 磯崎 啓 子 桑形 シズ エ 鬼塚 義 弘 亀 井 准 輔 G︶ 清 田 友 彦 松薗 守 一 岩 重 一郎 安川 民畝 度瀬 忠 野 田和 博 2︶ 死子 野田 一 黒川 邦 彦 馬奈 本 文 衛 安松 勇 一 西 村 忠 行 の︶ 桑野 次 男 青柳 繁 樹 中村 紀 彦 士日い仰 静ヨヤ μ 百田 孝 花 田 範 之 金江た ま 子 木戸 龍 一 西 島 道 子 官︶ 西 川 盲︻澄 宮崎 和 子 山 口 孝 一 板木 継生 池上 承 混子 野間 フキ 宮崎 集 柳山美 多 恵 大 石 中心生 村上 昭子 長 正彦 西 正 害い 桃崎 悦 子 鬼木 善 夫 土 屋 正直 大庭 祥 生 原 重 則 働 ・石 橋 七 郎 7︶ 森 岡 栄 ・三 角 健 市 伊 奈 義 之 ・甲 本 総 太 大 串 梓 i序 洋 子 古 賀 清 子 ・前 田 静 子 伊 藤 泰 輔 ・田 代 直 輝 春 日 市▼ 後藤 和 子 ︵ 川 浪 由 紀 子 ・脇 山 涌 一郎 横 溝 清 ・原 曽田子 太宰府市▼ 有吉林之 助 ︵ 大 谷 桂 介 ・石 田 秀 利 奮 丁 蔵 日 は つよ 古賀 キ 吉 塚 隆 一 ・吉 田 案 山 子 佐 藤 か ね 子 ・浅 野 加 代 永 測 純 一 と 不兼 仁 子 中 村 ひ ろ え ・野 田 明 子 安 住 美 代 子 ・長 沢 悦 子 松 尾 マキ 子 ・平 岡 浩 分現 紫 郡 ▼ 結 城 慎 也 西 村 久 夫 ・荒 井 昇 与都 鋪 堂 郎 ・上 野 イ ヨ 山 口 藤 枝 ・大 串 ハ マ 子 官 嶋 秋 子 ・八蓉 勢 併 宇 寺 島 輝 子 ・︵ 柏 屋 郡︶ 櫛 田 正 己 ・櫛 田 猷 子 神 崎 憲 五 郎 ・青 木 良 之 助 松 本 雄 一郎 ・︵ 宗 像 市︶ 原 田 國 雄 ・木 村 秀 明 竹 中 誠 二 ・松 澤 ア ツ 子 酒 井 カ ツ ヨ ・佐 野 至 二 浦 末 雄 ・具 島 菊 乃 宮 崎 春 夫 ・井 手 大 床 島 静 ・富 田 英 寿 即次 上 高取 八 山 鬼丸 お 由 比 土 早祐 ・︵ 柳 川 市︶ 庄 野 陽 一 ・︵ 八 女 郡︶ 大 牟 田市 ▼ 獄 村 魁 ︵ 杉 原 守 ・︵ 直 方 市︶ 傘現 穂 町 ︶。大久保津智夫 木 下 勤 ・︵ 鞍 手 郡︶ 飯 塚 市 ︶。小 山 一 死治 ︵ ヽ ま│■ヽ 芸ヽ ド 努革革│とヽ まちヽ まヽ まヽ 蜜ヤふ窓法(慈ヽ 蕉捺1芸 張ヽ 4携 1張 革│じ 革募テ▼枝無孫蕉ま│ぶ浜4rl冴 鴻ジ,■,セ点無孫1盗 1張 掛胡浮,チ ツゼ■かを tム志t蕉 慈畜│ぶr■ ジヽ サ│サ サウ ラ│,々 ″│夕▼去″ラ々ウヽ湧ヽ 森 盲本 五日 織 田喜 代 治 渡辺 俊江 林 十九楼 ︵ 大 野城市 ︶ 即子 大 西 打 ︵ 筑紫 野市 ︶ 大森 打 即子 西村 国 典 竹浜 いち 子 本木 康 枝 松本 久 子 坂本 斉 子 田中 ゆ き 枝 村上美 恵 子 矢 野 杏 子 佐 々木 謙 西尾 弘 子 添 口 耕 造 田中 文 子 坂井 勝 己 古川 ミチ 渡部 良子 酒井 俊 寿 斉藤 良 一 安武 一 房子 大島 成晃 ︵小 郡 市 ︶ ︵甘 木 市 ︶ 泉 栄 井 上 清 G︶ 田中 ト ク エ ︵小 石 原 ︶ ︵糸 島 郡 ︶ 川測 学 松延 茂 我朗 古賀 圭 山本 利 行 ︵苅 日 町 ︶ 久保田正夫 J I ︿助田単︵士︲ ︶ ︵力 じ 五杯 にし た。 夜 、 左 氏 春 秋 の会 講 し た後 、 十 枚 を 写書 し、 疲 れ た の で 。 夜 酌 三杯 し て就 寝 す る し か し、 こ の以 後、酒 の記事 なし。 、 、 十 月 二十 八 日 玉蘭本 春牛来破我文 、 。こ の訳 は 奥 村 玉 思 以 酒 来 故 酒之 蘭 ︵ 博 多 富 商 の奥 村 玉 蘭 の こと︶ こ れ に絵 師 石 丸 春 牛 の両 人 が 酒 を 提 げ 。 て来 た の であ る 。 禁 酒 の書 付 を 破 る 思 う に客 が 酒 を持 ち来 った の で酒 を 飲 ま さ な いと 、 いう法 はな く よ って 一緒 に飲 んだ 、 。 の であ る と 、 十 月 は 昭 陽 習 字 帖 五 冊 を作 って 。 、 、 いる 昭 陽 書 と く にそ の書 法 帖 習 字 帖 を 昭 陽 に求 め る者 は多 か った こと が わ か る。 相 応 の謝 礼 を 得 る こ と も あ り、 こ の記 事 も あ る。 こ のた ◎ た く さ ん のお手 紙 を 頂 き ま し た 、 の で そ の中 か ら紙 面 の許 す 限 りご 紹 介 さ せ て いただ き ま す。 o島 々 に見 え か く れ ゆく船 見 ゆ る め昭陽を疲労 させる ことも相当 であ っ 。 た と思 わ れ る 4 、 少 乗 は ほと んど実 家 泊 り が多 く 。 雷 首 の医 業 も忙 し い こと が わ か る 、 、 な お 少 乗 は父 の夜講義 にも出席 し 。 荘 子 と春 秋 の会 講 に参 加 す る こう し た、 生 活 の中 で結 局 は、 夫 、 君 雷 首 も 百 道 の亀 井 家 移 転 を 決 心 し、 文 政 四年 二月 、 井 原 村 を 引 き払 う の であ る。 生 家 の好 音 亭 も解 体 し 。 て百 道 亀 井 家 内 に移 築 す る 、 以後 しば ら く 昭 陽 の日記 によ っ 。 て少 栞 を 語 る こと にす る 筆者よりおことわり=本稿前号は少乗 ほか登載人物 の年令を現代 の満年令 に改 め ています。しかし、登場する関連人物 、 す べて往時 の数え年 であるため 今号か ら旧式 に戻ります。 6 姪 浜 川柳 会 よ り会 誌 第 8号 ︻山 口 市 ︼ 平 野 尊 識 様 ︻春 日市 ︼ 相 部 千 恵様 ほか の皆 様 よ り お手 紙 を 頂 き ま し た。 あ り が と う ご ざ います 。 寺 川 泰 郎 著 ﹃小 鹿 田 焼 の変 遷 ﹄ 〃 ﹃亀 井 家 学 の真 髄 ﹄ 也 良 崎 峰 火 跡 に立 つ 佐 世 保 市 北 原 保 彦 ・嘉 子 o潮 騒 の届 く若 葉 の遊 歩 道 唐津 市 横井 く に 横 井 様 か ら は通信 費 にと のお心 だきました し た。 著 者 寺 川 泰 郎 氏 よ り ご 寄 贈 いた 。 り と うご ざ いま あ が 遣 いか ら お志 と郵 便 切 手 を 頂 き ま し た。 池 田謙 介 ︵ 福 岡︶ 久 本 三多 ︵ 福 岡︶ 花 田積 夫 宿 図 2 ︶ 平 田真 輝 ︵ 福 岡︶ 福 岡︶ 橋詰和元 ︵ 福 岡︶ 西 尾敏 明 ︵ 村 上 五 一︵ 福 岡︶ 安 部 栄 一︵ 福 岡︶ 側 笠 組 博 多 ち く わ ・側 魚 嘉 権 藤 税 理 事 務 所 協 通 配 送 隅 大 牟 田 運 送 働 山 谷 運 送 伺 側 三島 設 計事 務 所 西 尾 ト ラ ック 運 送 側 日 西 物 流 側 愛 宕 建 設 工 業 隅 九州 三菱 ふそ う自 販 閣 笠 忠夫 ︵ 福 岡︶ 福 岡︶ 松 尾嘉 助 ︵ 権藤成文 ︵ 福 岡︶ 福 岡︶ 今林 昇 ︵ 南誠次郎 ︵ 福 岡︶ 山 谷悦 也 ︵ 東 京︶ 三 島 庄 一︵ 福 岡︶ 福 岡︶ 西 尾秀 明 ︵ 原 重 則 ︵ 福 岡︶ 福 岡︶ 野村 六郎 ︵ 宮 崎 慶 一︵ 福 岡︶ 、 ※新規 の御加入 ︵ 先号以後 七月十 日ま 、 で︶ は 右 の地区ごと に記載 いたし て 、 おります ので 何卒御芳名を御確認下 さ い。 ありがとうござ いました。 友 の会 年間 3千円 、 館 の活動 館誌購読と催事企画 に参加︶ ︵ 自然と文化 の小天地創造 客 海裾残 伊 藤 茂 倉辱 ∪C 白水 義晴 ︵ 東 京︶ 菅 直登 ︵ 福 岡︶ 大里 由 三男 ︵ 福 岡︶ 岡垣 町︶ 花 田加 代 子 ︵ 池 田 謙介 ︵ 福 岡︶ 高 原 敬治 ︵ 太宰府︶ 中村 登 ︵ 福 岡︶ 野 口 一雄 ︵ 福 岡︶ 奥村 宏直 ︵ 福 岡︶ 福 岡︶ 村 上 五 一︵ 多 々羅幸 雄 ︵ 千 葉 ︶ 七熊 太郎 ︵ 長 崎 ︶ 永 田 蘇水 ︵ 福 岡︶ 安陪 光 正 ︵ 福 岡︶ 浮 羽 郡 ︶・吉 瀬 宗 雄 野 田 正 明 ・︵ 二郎 ︵ 北 九 州 市 ︶。平 野 厳 ,片 桐 一 知 足 久 美 子 ・石 垣 善 治 。︵佐 賀 県 ︶ 中 山 重 夫 ・甲 本 達 也 ・佐 々 木 信 子 福 水 フ ミ 代 ・山 下 郁 夫 ・池 田 裕 保 堀 田 和 子 ・︵ 大 分 県▼ 橋本 敏 夫 H 県︶ 山 向 熊 本 県 ︶。浜 北 哲 郎 ・︵ ︵ 大 阪 府︶ 大 塚 博 久 ・平 野 尊 識 ・︵ 小 山 宮 夫 ・大 櫛 孝 太 郎 ・︵滋 賀 県 ︶ 小堀定泰 ︵ 愛 知 県 ︶・杉 浦 五 郎 こ ・︵ 庄 野 健 次 。︵神 奈 川 県 ▼ 中 野 自田子 一 雪 T 山根 貞 与 ︵ 東 京 都▼ 片桐 一 ︵ 千 葉 県 ︶・森 久 ・︵宮 城 県 ︶ 田 中 信 彦 ・︵ 北 海 道▼ 船越谷 嘉 一 、 。 一 証=0は 日倍数ご負担 ︵︶は前納年数 です 益男︵ 佐 賀︶ 武 泰 宿 □ G︶ 福 岡︶ 芳秀 ︵ 敬吉 ︵ 飯 塚︶ 福 岡︶ 光治 ︵ 俊隆 ︵ 東 一 示︶ 昇︵ 福 岡︶ こ 正 直 父牟母 ︵ 福 岡︶ 恒之 ︵ 太宰府︶ 正治 ︵ 靖邦 ︵ 福 岡︶ 法 虚子 ︵ 太宰府︶ 正夫 ︵ 福 岡︶ 直彦 ︵ 直 方︶ 正︵ 長 崎 ︶ ︻ 協賛会員 ︵ 個人こ 緒方 立石 出光 木原 梅日 西村 今林 江崎 小川 大坪 荒木 七熊 早船 庄野 七熊 法人こ ︻協 賛 会 員 ︵ 働 九 大 み や び 房 伺 主 早 室自 一 流 通 共 済 欄 物 流 シ ス テ ム 働 橋 詰 工 務 店 側 東 洋 特 殊 機 工 閣 福 岡流 通警 備 保 障 側 タ イ ム社 印 刷 側 ぶ努革湧弾弾拶賢供浴設松恐稼1愁 練擦練1孫 監態転丸熱意懇者蛇転t姿松稼遂▼境努 浅拐激鵠奈蕉転短 ご 紙 ︵ 送料加入者 閣欄円幽 送金 は振替 用。 負担︶をご利 用を下 さ い 用紙 はご連絡 。 次第 お送 りします 、 当博物館 の活動 また絵画 ・古文書資 。 生益仮をお寄せ下さい 料など当館 に皆様 のい 個人︶年 間 1万円 協賛会 ︵ 〃 ︵ 法人︶年間 3万円 、 集 施設整備等 の資 一 鋼雛嫌が難酬瓢 一 納入方法 = 便振替 福岡3H60970 郵 財団法人 能 古 博 物 館 、 、 右 の会費受領 は そ の都度本誌に掲載 。 以後会費相当期間を名簿 にします 1法 ジ帯癖分残秀我務淡松漆濫遂蛇範魚練蘇憲1窓 察監齢 楽 然松,残容努統粘 浅繰 .蘇 絶 協Ⅲ 捺ま妖掛革務機残努湯濃法総i愁 (総謙愁艦総轟 鑑鑑盤酷慧鹸隷熱鰈鮭課1譲激鑑ヽ 法総総懸 慾態 ヽ 練練擦1然 酸愁ヽ 意 練練臨 終 蕉系蕉蕉薫捺監tFf r蕉蘇畜ま薫捺蜜練承t蕉 よ だ 館 物 博 古 能 9号 (11)第 優 雅 な 文 房 飾 り の紹 介 ︲ 、 、 2 約1 糎︶ 昔 の文 机 は 横 幅 四尺 ︵ 。 0 縦 幅 一尺 六 寸 ︵ 約 5糎 ︶ 、 机 上 の右 側 に 硯 を 中 心 に図 示 の 、 書 用 具 を 常 に配 置 一つの常 態 飾 り 。 にし ま し た こ の飾 り のポ イ ント は 。 、 硯屏 です 硯屏 は 書 用 具 の中 で直 、 接 に役 立 つも の ではあ りま せ んが 硯を中心 にした 文一 房具 の配置 ! ! ! ! !! !! ! ! !! ! ! ! ! 本 号 執 筆 者 の紹 介 安 陪 光 正 氏 ﹁ 能古博物館を訪 ね て﹂ 元国立福岡中央病院神経精神科部長 退江堂油山病院副院長 庄 野 寿 人 氏 ﹁ 書法帖 の話﹂ ﹁ 真翁銅像物語働﹂ ﹁ 闇秀亀井少 乗伝 例﹂ 働亀陽文庫理事長 、 、 尚 本誌掲載 の写真 は 杉山謙氏撮影 によるも のです。 、 又 先号前 田淑氏紹介 にお いて福岡女 子短期大学 は福岡女学院短期大学 の誤り 。 。 でした 訂正し ておわび いたします 圃倒団 、 二度目 の夏を迎 え 当誌も今後 は収蔵 、 品 の解説 に より重点を お いていきた い と思 います、ご要望をお聞かせください。 〒819 福 岡市西区能古522-2 6(092)883-2881・ 2887 FAX(092)883-2881 印 刷 タ イ ム社 印 刷 株 式 会 社 開 館 9:30∼ 17:00(入 館16:30ま で) 休館 田 毎 週月曜 (月曜が祝 日の場合 は次 の 日) 12月29日∼ 1月 2日 入館料 大 人300円 ・中高生200円 交 通 姪 浜 能古行渡船場→ フェ リー(10分) →能古 (徒歩 5分 )→博物館 、 変 化 は こう し た静 のた たず ま い 用 。 具 も な くな り つ つあ り ま す 、 書 道 は盛 ん です が こ のよう な 用 。 具 の飾 り は見 ら れ な く な り ま し た とく に、硯屏、墨床 と筆架など目立 っ 。 てな く な り ま し た ・能 古 博 物 館 ご 案 内 ・ う ことも あ り ま す。 こ の配 置 は、 な ん でも な いよ う で 、 。 す が 使 用 順 にな って います 、 手 紙 そ の他 の書 き も の に際 し て 、 用紙 用 箋 が机 の中 央 に置 か れ ます と、 机 の中 央 に座 し た主 人 公 は、 用 、 、 紙 の上 に まず 文 鎮 を 次 に水 滴 を 、 取 って硯 に水 を 次 は墨 床 にあ る墨 。 、 を使 い 筆 を取 り ま す 以上 す べ て 、 硯 のま わ りを 左 から右廻 り に使 用し 。 元 の位 置 に戻 さ れ ています 硯 屏 だ け は不動 です が、 さな が ら主 人 の動 、 作 用 具 の動 き を 端 然 と 眺 め て いる 。 だ け です 、 古 来 硯 屏 は用 具 を 超 越 し た存 在 、 、 で 配 置 の中 心 的 道 具 にされ 硯屏 、 が な いと道 具 配 置 に締 ま り が な く 一 房具 飾 り︶ 、 いま 亀 陽 文 庫 ・能 古 博 物 館 は本 、 館 中 央 展 示 室 の亀 井 常 設 展 では 亀 、 井 学 派 の書 書 法 帳 の出 展 に合 わ せ 。 て書 道 具 を 展 示 し て います こ の中 で、 硯 屏 な ど 用 具 飾 り ︵ 文 数 種 類 を並 べ てお り ま 。 う 、 ど で す 御 一見 下 さ 。 い 係員が説 明 も い たし ます。 松竹梅」 透か し彫 り硯屏 「 こ の飾 り立 て の中 では重 要 な 存 在 に され ま す。 硯 屏 を 頂 点 に、 一直 線 に 、 、 、 水 滴 硯 を 並 べ こ の左 に文 鎮 右 、 側 の少 し上 に墨 床 ︵墨 お き ︶ さ ら 、 に右 下 に筆 架 ︵ 筆 か け︶ を 配 置 こ 。 れ に大 小 筆 を お き ます 筆 架 の代 わ り に筆 筒 ︵ 筆 を 立 て て入 れ る︶ を 使 こ のため専 ら美 術 品 と さ れ主 人 公 に眺 め愛 され る有 り 用 で 。 あ ったと 思 わ れ ま す 優 雅 な 。 道 具 の 一つです 、 最 近 の住 ま い 生 活 様 式 の 硯屏(中国清代) (12) 平成 3年 7月 30日 り よ だ 館 物 博 古 能 第 9号
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