7.宇宙はなぜこのような宇宙なのか:人間原理と宇宙論 著者:青木 薫 講談社現代新書、2013 年7月 20 日発行、760 円 1956 年、山形県生まれ。京都大学卒業、理学博 士。専門は理論物理学。数学・物理系の一般書か ら専門書まで、翻訳多数。2007 年度の日本数学会 出版賞受賞。著者は科学書の名翻訳家との定評が あるが、豊かな翻訳経験を生かして、本書を初め て書き下ろした。 次のサイトに、著者のホームページがあります。 http://homepage2.nifty.com/delphica/ 本書の目次 第1章 天の動きを人間はどう見てきたか 第2章 天の全体像を人間はどう考えてきたか 第3章 宇宙はなぜこのような宇宙なのか 第4章 宇宙はわれわれの宇宙だけではない 第5章 人間原理のひもランドスケープ 終章 グレーの階調の中の科学 1 私(本感想文の筆者:林久治)は、前回(第6回)の感想文において、「ホーキ ング、宇宙と人間を語る」(著者:Stephen Hawking と Leonard Mlodinow)を紹介 した。この本の感想文を書いている最中(2013 年7月 20 日)に、本書が出版され た。両書とも、「宇宙はなぜこのような宇宙なのか?」との問題を解説している。 ホーキング博士の本は内容が豊富すぎて、私の紹介文は大変長くなってしまった。 従って、それは私自身の「読書記録」にはなっているが、「一般の方に、この本を 分かりやすく紹介できた」との自信は私にはない。 一方、本書は大変分かりやすく、しかもコンパクトに書かれている。従って、本 書の感想文を書けば、「一般の方にも、この興味ある問題を分かりやすく紹介でき るのではないか」と思い、本書を通して「現在の宇宙論」を再度紹介したい。 前回にも書いたように、私はこのような問題に子供時代から大変興味を持ってい た。出来れば、「宇宙の起源」を研究する科学者になりたかった。しかし、私は大 学の数学がさっぱり分からなかったので、宇宙研究を諦めて化学研究の道を選んだ。 そういった事情で、私は定年退職後、宇宙論や宗教の勉強をしている。なお、本書 に対する私の注釈や感想を青文字で記載する。 第1章 天の動きを人間はどう見てきたか 本感想文では、「人間原理」と「現代の宇宙論」に焦点を絞る方針である。本書 において著者は、宇宙論の歴史的展開に関しても分かり易く解説している。第1章 で著者は、カルデアの知恵(天文学と占星術の体系化)、古代ギリシャの天動説、 コペルニクスの地動説などを要領よくかつ面白く解説しているが、詳細は省略する。 興味のある方は、本書をぜひ読んでいただきたい。 第2章 天の全体像を人間はどう考えてきたか 古代ギリシャのアルキュタス(BC428-BC347)は、「宇宙の果てとは何だろう か?」との疑問を持ち、次のようなパラドックスを問いかけた。「もしも宇宙に果 てがあるなら、なんとかしてそこまで行き、そこから外に向かって槍を投げると、 どうなるだろうか?槍はこの世から消滅するだろうか?それとも壁のようなものに ぶつかって、跳ね返ってくるだろうか?その壁はどのくらい厚いのだろうか?壁の 向こうはどうなっているのだろうか?」(p.68) 古代ギリシャに発達したユークリッド幾何学の観点からは、アルキュタスのパラ ドックスは「宇宙空間はどこまでも続いていなければならない」ことを示唆してい た。後で述べるように、19 世紀に確立された非ユークリッド幾何学の観点からは、 「空間に果てがないからといって、その空間は必ずしも無限でなくてもよい」こと が示されている。(p.69) 重力理論を確立したニュートン(1642-1727)は「空間と時間は両方ともに永遠に して無限であり、天地創造の対象外である。神が創造したのは物質世界だけだ」と 考えていた。ニュートンは自分の宇宙イメージを次のように語った。「もしも宇宙 の物質分布の広がりが有限だったら、重力の作用により、物質は質量中心に集まり、 一つの巨大な塊となってしまうだろう。それを避けるためには、物質は中心のない 無限空間に散在していなければならない。そのような無限の系では、1個の粒子 (一人の人間でも、1個の星でもよい)は全方向から無限大の力で引っ張られるの 2 で、無限大の力同士が打ち消しあって、釣り合いをとることができる。ただし、そ の釣り合いは大変デリケートなので、精密なバランスが成り立っていなければなら ない。」(p.72-73) ニュートンの当時最新の重力理論によれば、物質は奇跡的なバランスで無限宇宙 に分布していなければならず、そのことが「宇宙論的な神の存在証明」になると、 彼は確信していた。絶対空間と絶対時間にもとづくニュートンの古典力学体系は絶 大な成功を収め、ニュートンの無限宇宙はそれから 250 年にわたり科学的宇宙像で あり続けた。しかしその宇宙は、神がたえず介入していなければ重力崩壊する宇宙 だった。(p.74) ドイツの数学者リーマン(1826-1866)は、幾何学的な空間のいたるところで、空 間が自由に伸び縮みできるような幾何学(リーマン幾何学とも、微分幾何学とも呼 ばれる)を創始した。リーマン幾何学を使えば、いたる所でぐにゃぐにゃに曲がっ ているような空間を扱うことができる。空間の各点での伸び縮みのようすがわかれ ば、その点における空間の「曲率」(空間の歪み具合)が決まる。曲率が大きいこ とは、空間の歪み具合も大きいことを意味する。曲率がいたるところでゼロなら、 それはユークリッド幾何学が成り立つ空間である。(p.79-80) アインシュタイン(1879-1955)は、ニュートンの無限宇宙に潜んだ深刻な問題に 立ち向かった。1905 年にアインシュタインは、ニュートンの絶対空間と絶対時間を 解体し、新たに「時空」という概念をもたらす「特殊相対性理論」を発表した。 1916 年に彼は、特殊相対性理論に重力を取り込んだ「一般相対性理論」を発表した。 それは、ニュートンの重力理論を包含するアインシュタイン版重力理論だった。 (p.74) 1917 年にアインシュタインは彼の重力理論を用いて、「一般相対性理論の宇宙論 的考察」という論文を発表した。この論文で彼は、リーマン幾何学にもとづく一般 相対性理論を使って、ニュートンの無限宇宙に潜んだ深刻な問題に対する答えを、 次のようにして出した。(p.80-85) ➀全体として宇宙の形を大雑把に捉えたいなら、空間の曲率はいたるところで一定 であるような宇宙を考えればよい。 ➁そのような曲率一定の空間は、わずか三つのタイプしかない。一つ目は、曲率が 正の空間で、その宇宙は(二次元空間でいえば、球面のようになっていて)「空間 的に閉じている」と呼ばれる。二つ目は、曲率がゼロの空間で、その宇宙は(二次 元空間でいえば、平面になっていて)ユークリッド幾何学が成り立つ平坦な宇宙で ある。三つ目は、曲率が負の空間で、その宇宙は「空間的に開いている」と呼ばれ る。 ➂もしも宇宙が空間的に閉じていれば、宇宙は有限であるが、果てもなく中心もな くなる。(これは、地球の表面が有限であるが、果てもなく中心もないことと同様 である。) ➃その「空間的に閉じた空間」に物質が均一に分布していると仮定すると、ニュー トンの無限宇宙に潜んだ「重力崩壊」を回避することができる。 アインシュタインの上記の論文は、アルキュタスのパラドックスやニュートンの 困難を解決した。従って、宇宙論の研究者たちは「物質は宇宙に均一に分布してい 3 る」、ないしは「宇宙はどこでも同じに見える」という仮定(「アインシュタイン の宇宙原理」と呼ばれる)をあっさりと受け入れた。(p.86) 今日、「宇宙原理」は現代宇宙論の基本となっている。宇宙にはどんな構造があ っても(太陽系、銀河系、銀河団、超銀河団、グレートウォール等々)いっそう大 きなスケールで平均すれば物質分布は均一になる。「宇宙は均一だ」と仮定すれば、 一般相対性理論の重力場方程式が非常に簡単になるので、宇宙を大雑把に捉えるこ とができる。しかし、アインシュタインは「宇宙は均一だ」との仮定を認めていな かったし(p.84 を参照)、非常におおきなスケールで宇宙がどうなっているかは、 今なお誰も知らないことを留意すべきである。(p.86-87) 1922 年にソ連の数学者フリードマン(1888-1925)が、次いで 1927 年にベルギー の物理学者でカトリックの司祭でもあるルメートル(1894-1966)が、「一般相対性 理論の重力場方程式は、宇宙空間が全体として膨張する可能性を含む」ことに気付 いた。素朴に考えれば、もしも宇宙が膨張しているなら、「宇宙は過去のある時点 で誕生した」ということになりそうだ。フリードマンは若くして亡くなったが、ル メートルのほうは「宇宙ははじめ巨大な原子のようなもの(彼はそれを、原初の原 子と呼んだ)だったが、次々と分裂を繰り返すことで膨張しながら大きくなった」 という、今日の「ビッグバン・モデル」の原型となるモデルを提唱した。(p.8889) 今日の我々はビッグバン・モデルに慣れ親しんでいるので、宇宙の誕生には驚か ないが、提唱された当時はそうではなかった。宇宙が「誕生した」というからには、 宇宙を誕生させる何者かが存在するに違いなく、それは「神」ということになりそ うだった。現実には、ルメートルは信仰と科学という二つの道を切り離しておくこ とに心を用い、なおかつその両方を生涯追及した稀有な人物だった。しかし、キリ スト教文化圏の物理学者たちは、ビッグバン・モデルを歓迎するどころか、科学に 宗教を持ち込むものだと攻撃した。(p.89-91) まもなく観測方面から、宇宙空間が膨張していることを示す驚くべきデータが出 始めた。1929 年に米国の天文学者ハッブル(1889-1953)は、「我々から遠い銀河 ほど、我々から大きな速度で後退している」という観測結果を発表した。彼の観測 結果は、「ハッブルの法則」と呼ばれ、現在では宇宙論の基本となっている。(次 ページの図 7.1 に、「ハッブルの法則」に関する最新の観測データを示す。)1931 年に、アインシュタインはハッブルを訪問して、「宇宙空間が膨張しているという 観測結果を支持する」と言明した。(p.92) 林の注釈:20 世紀初頭、「望遠鏡でぼんやりと観測される多数の星雲は、我々の 銀河内にあるのか、それとも外部にあるのか」が大問題であった。ハッブルは地球 から星雲までの距離を測定する手段を考案し、1924 年に「星雲は、我々の銀河の外 にある別の銀河である」ことを発表した。現在では、地球から最も近い銀河は「ア ンドロメダ銀河」で、地球から約 240 万光年の彼方にあることが分かっている。 しかし宇宙の膨張が認められたからといって、ビッグバン・モデルが受け入れら れたということではなかった。例えば、ビッグバン・モデルに当時の観測データを 当てはめると、宇宙の年齢は約 20 億年であった。一方、地質学的研究から得られた 地球の年齢はそれより長く約 36 億年であった。また、ルメートルのモデルからは、 原初の原子が次々と分裂を繰り返すと、今日の宇宙にはどの元素もほぼ同じ比率で 存在しなければならない。ところが、現実の宇宙に存在する元素の 99.99%が水素 4 とヘリウムで(水素とヘリウムの比率は 10:1である)、彼のモデルは宇宙の現実 の姿を説明できなかった。(p.93-95) 図 7.1 様々な銀河の後退速度(縦軸)と距離(横軸)との関係を示す最新の観測 データ。この図は、「後退速度は距離に比例して大きくなっている」という「ハッ ブルの法則」を示している。この観測結果より、「地球から遠い銀河ほど、早い速 度で地球から遠ざかっている」ことが分かる。 ソ連から米国に亡命していた物理学者ガモフ(1904-1968)は、1948 年に「宇宙 が誕生して間もない高温高圧状態だったときには、物質はバラバラに分解し、最も 基本的な粒子になって飛び回っていた」という「火の玉宇宙」というアイデアを発 表した。当時知られていた基本粒子は、陽子、中性子、電子の三つだけで、それに 電磁力を媒介する光子を加えた四種類の粒子が、初期宇宙を飛び回っていたと、ガ モフは考えた。その後、宇宙が膨張するにつれて温度が下がっていったとき、これ らの粒子がどう振舞うかを計算すると、「今日の宇宙には、水素とヘリウムが豊富 に存在し、その比率が 10:1である」ことを理論的に証明した。(p.95-96) しかしガモフのアイデアは「初期宇宙は陽子(つまり、水素の原子核)が主要な 粒子である」と仮定しているので、「今日の宇宙に水素が沢山存在するのは当たり 前だ」という批判もあった。そんなわけで、ガモフが水素とヘリウムの存在比を上 手く説明できたからといって、ビッグバン・モデルの支持者がとくに増えたわけで はなかった。(p.97) 5 ガモフの弟子であったアルファー(1921-2007)とハーマン(1914-1997)は、ビ ッグバン・モデルで初期宇宙について何が言えるかを徹底的に研究し、次の結果が 得られた。(p.97-99) ➀ごく初期の高温高圧の宇宙では、すざまじい高エネルギー環境の中、物質はもっ とも基本的な粒子(陽子、中性子、電子)のまま、猛スピードで宇宙を飛び交って いた。 ➁その後、宇宙が膨張するにつれて温度が下がり、粒子たちの勢いも落ち、陽子と 中性子が結びついて、簡単な原子核が出来た。具体的には、もともとあった水素原 子核(陽子そのもの)、陽子と中性子が結びついた重水素(陽子1+中性子1)、 重水素に中性子が捕まった三重水素(陽子1+中性子2)、三重水素が崩壊してヘ リウム3(陽子2+中性子1)となり、ヘリウム3が中性子を捕まえてヘリウム4 (陽子2+中性子2)となった。そのさき少数ながらリチウム7(陽子3+中性子 4)とベリリウム7(陽子4+中性子3)ができた。 ➂しかし、電子(マイナス電荷を持つ)はまだ猛烈な勢いで飛び回っているので、 原子核(プラス電荷を持つ)は電気的引力で電子を捕まえることが出来なかった。 このように、原子核と電子がバラバラに飛び回っている状態のことを、プラズマ状 態という。プラズマ状態では、電磁力を媒介する粒子である光子は、電荷を持つ原 子核と電子に絡め取られて自由に進むことが出来ない。 ➃宇宙はさらに膨張を続け、それにつれて温度が下がり続けた。そして宇宙誕生か ら約 40 万年後に、温度が下がって勢いが落ちた電子は原子核に捕まって、中性の原 子を形成した。それまでプラズマ状態に絡め取られていた光子は、束縛を解かれて 自由に進むことができるようになった。これを「宇宙の晴れ上がり」という。 ➄「宇宙の晴れ上がり」のときに自由になった光の波長は 0.001mm程度で、宇宙 空間の中を突き進んでいた。その後宇宙の膨張につれて、この光の波長が伸び、今 では波長が1mm程度のマイクロ波になっているはずである。 このようなマイクロ波を検出することが出来れば、ビッグバン・モデルの正しさ を示す証拠になったはずだった。しかし、電波天文学という分野がまだ誕生してい なかった当時には、そのような実験に興味を持ってくれる実験家はいなかった。20 世紀半ばのこの時期、宇宙論の研究は他の分野に比べて停滞していた。ガモフら三 人は他のホットな分野に研究テーマを変更してしまい、彼らの業績は忘れ去られて しまった。(p.100-101) 第3章 宇宙はなぜこのような宇宙なのか アインシュタインの究極の問いは、「宇宙はなぜこのような宇宙なのか?」とい うことだった。それを現代物理学の言葉でいえば、「あれこれの物理定数は、なぜ 今のような値になっているのだろうか?」ということになる。「物理定数」とは、 いつ、どこで、誰が測定しても同じ値になる物理量のことである。たとえば、基本 的な力の強さや、基本粒子の電荷や質量の値などである。(p.110-112) 20 世紀には物理学大きく進展し、我々の宇宙の意外な本性が次々と明らかになっ てきた。(p.112) ➀原子はそれ以上に分割できない素粒子ではなく、原子核と電子からなる。 6 ➁原子核もまた、陽子と中性子というより基本的な粒子からできている。 ➂陽子と中性子も素粒子ではなく、それぞれは三つのクォークからできている。 (p.196)現在までに、クォークを始めとして、p.199 の図 5-2 に書かれているよう な多種多様な素粒子が次々と発見されている。 ➃従来知られていた二つの力(重力と電磁力)に加え、新たに「強い力」と「弱い 力」が発見されて、自然界の力が二つから四つに増えた。 ➄重力と電磁力はマクロな世界を支配して、作用する距離は無限大である。それに 反して、「強い力」と「弱い力」は原子核のサイズ程度の近距離でしか作用せず、 マクロな世界には表れない。「強い力」は、陽子と中性子を原子核の内部に繋ぎ止 めるのに使われる。「弱い力」は、原子核の崩壊を引き起こすのに使われる。 ➅林の補充説明:原子や分子より小さいスケールのミクロな物質の運動や性質は、 ニュートンの古典力学では説明できず、1920 年代に発達した「量子力学(量子論と もいう)」で扱わなければならないことが分かった。量子論には、「存在確率」と か「不確定性原理」とかの、古典力学にはない奇妙な現象が表れる。 著者は、「もし物理定数が今の値ではなかったとしたら、宇宙の姿はがらりと変 わってしまうであろう」ことを、色々な分かり易い例を用いて説明している。そん なわけで、物理学者にとって「物理定数がなぜ今のような値になっているのだろう か?」と問うことは、「宇宙はなぜこのような宇宙なのか?」と問うことに密接に つながっている。(p.114-116) 英国の物理学者エディントン(1882-1944)は、一般相対性理論の予言を日食観測 で証明したことで有名であるが、彼は「一般相対性理論も量子論も真に基礎的な理 論ではなく、より基礎的な理論(彼の言うところの根本理論)を作れば、様々な物 理定数がなぜその様な値になっているかを解明できるはずだ」と考えた。彼は根本 理論を作る研究に深くはまり込んでいったが、成功しなかった。(p.125) 量子力学の創始者の一人である英国のディラック(1902-1984)は、「物理定数 (特に、重力の強さ)はじつは定数ではなく、時間とともに変化する」という大胆 な仮説を提唱した。しかし今日では、高精度の測定結果から「重力の強さは時間と ともに変化する」という「ディラックの仮説」は、少なくとも我々に観測できる宇 宙の範囲では、ほぼ否定されている。(p.127)(林の感想:「誕生したばかりの初 期宇宙における重力の強さが、現在の値と同じであった」ことは確認されていない はずで、私は「もし違っていれば、現在の何かに影響している可能性がある」と思 っている。) 20 世紀のなかば、ミクロな世界についての研究が進展して、膨大な量の新事実が 発見され、理論家たちは様々な新概念を導入していった。しかし、「四つの力の強 さも、様々な素粒子の質量や電荷も、なぜそんな値なのか」という問題を解決する 糸口はなかなか掴めなかった。1965 年に米国のベル研究所の二人の若い研究者(ベ ンジアスとウィルソン)が、初期宇宙の「晴れ上がり」のときに自由になった光 (じつは、マイクロ波)を偶然に検出した。彼らの「宇宙背景放射」の発見により、 「ビッグバン・モデル」が宇宙論の最有力候補に躍り出た。なお、彼らの論文には ガモフ・チームの予言は記載されておらず、ガモフらの先駆的な研究はすっかり忘 れられていた。(p.127-137) 7 米国の物理学者ディッケ(1916-1997)は、ベンジアスとウィルソンに「君達が検 出したマイクロ波は宇宙背景放射である」と教えた人物であるが、彼は 1961 年に 「人間原理的考え」を初めて提唱していた。彼は「我々の宇宙の年齢は偶然ではな く、人間の存在により縛られている」と主張した。なぜなら、宇宙が若すぎれば、 恒星内での核融合によって生成される炭素などの重元素が星間空間に少ししか存在 しなくなって、生命が発生できなくなる。逆に、宇宙が年を取りすぎれば、太陽の ような恒星が少なくなってしまう。従って、人間が住み得る宇宙の年齢には一定の 制約がある(年齢は 100 億年くらいが適当)。(p.142-143) 1974 年に、オーストラリア出身の物理学者カーター(1942-)は、「人間原理」 を「弱い人間原理」と「強い人間原理」に分類した。カーターの「弱い人間原理」 は、ディッケの「人間原理的考え」と同じことを意味する。(p.145)しかし、今日 では「弱い人間原理」は、ごく普通の言葉で次のように説明できる。「我々人間が 宇宙誕生後のある時期に生きているということは(時間的な条件)、我々がちょう どよい大きさの恒星(つまり、太陽)からほどよい距離にある惑星(つまり、地 球)上に生きていること(空間的な条件)と同様、普通の科学を超えた特別な説明 を必要とすることではなく、あらゆる観測に必ずついてまわる観測選択効果のため である。」(p.150) つまり、ビッグバン・モデルが描き出す「宇宙の進化」が広く受け入れられてい る今日から見れば、「弱い人間原理」は「観測選択効果のマズイ表現」であると、 本書の著者は言っている。著者は「人間は存在できる時期と場所に居るので、カー ターの弱い人間原理は問題にならない」とも言っている。しかし、カーターの「強 い人間原理」は今も大いに論争の種になっている。(p.153) カーターは「強い人間原理」について、次のように述べた。「宇宙は(それゆえ 宇宙の性質を決めている物理定数は)、ある時点で観測者を創造することを見込む ような性質をもっていなければならない。デカルトをもじって言えば、我思う、ゆ えに世界はかくの如く存在するのである。」彼の「弱い人間原理」は先ほど見たよ うに、観測選択効果で説明できるようになった。しかし、彼の「強い人間原理」は 「この宇宙の中で、人間は存在可能な条件が満たされた時期と場所に存在してい る」という話ではすまず、「そもそも我々の宇宙はなぜこのような宇宙だったの か」という問題にかかわっているからである。(p.155-156) 第4章 宇宙はわれわれの宇宙だけではない 前章で説明した「強い人間原理」について、カーターは「強い人間原理を認めれ ば(つまり、人間がこの宇宙に出現できるためにはという、目的論的な条件を課せ ば)、例えば重力の強さは、かくかくしかじかの範囲に収まらなければならないと いうかたちで、物理定数の値を絞り込むことができる」と主張した。(p.158) しかし、宇宙(universe)は、uni という通り一つなのだから、「われわれ人間 は、たくさんある宇宙の中で、自分たちが存在できるような宇宙にいるだけだ」と 言うわけにはいかず、観測選択効果を持ち込む余地はない。つまり、もし「強い人 間原理」が有効だということになれば、正真正銘、「目的論」が復活することにな りそうだ。20 世紀も後半になって、「科学は新たに神の存在証明を成し遂げた」の 8 だろうか?「そんな馬鹿な!」というのがほとんどの科学者の反応だった。 (p.158-159) ところが、カーターは意外な方向に話を進め、「物理定数の値や初期条件が異な るような、無数の宇宙を考えてみることは、原理的には何の問題もない」と言い出 した。そのような無数の宇宙を取り揃えた想像上の集合を、カーターは「世界アン サンブル」と呼んだ。そして、彼は「もしも宇宙が無数にあるのなら、強い人間原 理は、知的な観測者が存在できるような宇宙は、世界アンサンブルの部分集合に過 ぎないとの当たり前のことを言っているにすぎない」と述べた。(p.159)しかし、 カーターがこの論文を発表した 1974 年当時、「無数の宇宙がリアルに存在する」と 考える根拠はなかった。(p.161) 強い人間原理を使って物理定数の値を絞り込むというアプローチは、一時期みご とに成功すると喧伝され、「ファイン・チューニング(微調整)」の論法として、 人間原理をめぐる話には必ず登場した。人間原理の文脈で「微調整」が使われると きには、「物理定数は、われわれ人間をこの宇宙に登場させるという目的で、今の ような値に高い精度で微調整されている」というニュアンスを帯びる。(p.165166) そんな「目的」をもって物理定数の値を「微調整」したのは、おそらく「神」と いうことになるだろう。(p.166)私が前回(第6回)に紹介した「ホーキング、宇 宙と人間を語る」の本では、次のように書かれていた。米国では、憲法が学校にお ける宗教教育を禁止しているので、そういった類の考え方は「インテリジェント・ デザイン」(知的デザイン)と呼ばれる。明文化されていないが、「その設計者と は神である」ことが暗に示唆されている。 本書の著者は「微調整」に批判的である。(私は、「微調整」が好きである。) しかし著者も、次のことはみんなの意見は一致していると書いている。それは、 「基本的ないくつかの物理定数の値が、ほんの少しでも今の値とちがっていたなら、 この宇宙はまるでちがうものになっていただろう」ということだ。例えば、重力が もっと強かったら、この宇宙はブラックホールだらけの世界になっていただろう。 逆に、重力がもっと弱かったら、我々の宇宙に見られる様々な構造(銀河系、太陽 系、地球など)はできなかったであろう。本章で著者は、次のように書いている。 つまり真の問題は、物理定数が「人間(または、知性をもつ存在)に微調整されて いるかどうか」ではなく、端的に「なぜこの値なのか?」ということである。 (p.167-168) この問いに対する有力な答えを紹介する前に、本書は 1980 年代に観測と理論の両 面で起こった大躍進を解説している。本書は、ビッグバンにおける「インフレーシ ョン・モデル」や素粒子物理学における「標準モデル」を分かりやすく紹介してい る。ここでは、それらの詳細は省略する。興味のある方は、本書をぜひ読んでいた だきたい。 第5章 人間原理のひもランドスケープ 素粒子物理学における「標準モデル」は、真空のエネルギーが無限大になってし まうという途方もない問題を含むことを別にしても、二つの問題を抱えている。一 つは、重力を取り込めていないこと、そしてもう一つは、素粒子の質量や、力の強 9 さといった基本的な量を導き出すことができず、実験データを使用していることで ある。(p.222) そんな「標準モデル」の難点を克服する、いわゆる「究極理論」の有力候補と目 されているものに、「ひも(ストリング)理論」がある。「ひも理論」では、大き さのない点状粒子の代わりに、ひものような(つまり一次元の)エネルギーが基本 構成要素になる。そのひものサイズは桁はずれに小さいので(原子核が 10-8cm程 度なのに対し、ひもは 10-33cm程度)、今日ある加速器ではひもを見ることはで きないし、おそらく将来にわたり、ひもそのものを見ることはできないだろう。 (p.222) そんな小さいひもがピクピクと動き回る運動状態のちがいとして、「標準モデル の表(p.199 の図 5-2)に載っているすべての粒子の質量をはじめとして、粒子の 様々な性質に対して、実験から貰ってきた値を使用するのではなく、それらの値を 理論的に計算できるのではないか」という可能性があることが、「ひも理論」の第 一の魅力である。(p.223) もう一つの「ひも理論」の大きな魅力は、重力が初めから理論の中に取り込まれ ているように見えることだ。重力場の粒子である「重力子(グラビトン)」らしき 性質をもつひもの状態が、最初から理論に含まれていたのである。「標準モデル」 にどうしても取り込めなかった重力が、最初から「ひも理論」に組み込まれている ことは、物理学者にとっては大きな魅力になる。(p.223) 要するに、「ひも理論」は、四つの力を「ひも」という一種類のものだけで記述 し、しかも実験から値を貰ってこなくても、あらゆる粒子の性質を理論的に説明で きる可能性をもっている。もしもそれが説明できれば、「宇宙はなぜこのような宇 宙なのか」を「ひも理論」は説明できるということになる。(p.223) 「ひも理論」の研究が進むにつれて、「宇宙には、我々の宇宙とは別のありよう もあるかもしれない」という可能性が浮かび上がった。その可能性は、「ひも理 論」が記述する宇宙の空間次元と関係している。「ひも理論」がうまくゆくために は、空間次元は三次元ではなく、九次元(後には、十次元に増えた)でなければな らない。だが、その増えた六次元はどこにあるのだろうか?(p.224) もしもその増えた次元が小さく丸まっていて、実験では検出できないのだとすれ ば問題はない。(「見えない次元はどんなふうに小さく丸まっているか」の分かり やすい例が、p.225 の図 5-4 に記載されている。)重要なのは、その増えた次元が どんなふうに丸まっているかによって、宇宙の性質が違ってくることである。 (p.224-225) 従って、余分な次元の丸まり方の違いにより、違った宇宙が出来上がることにな る。そんなわけで、「ひも理論」によれば「宇宙は我々の宇宙のようになるとは限 らず、宇宙には沢山の可能性がある」という話になりそうだ。(p.225) 「ひも理論」は、我々の宇宙がこのような宇宙である必然性を示すことが出来ず、 他の可能性も出てきてしまうというのは、「究極理論」としては非常に困ったこと である。しかし、ひも理論研究者は楽観的で、「いつかきっと、沢山ある宇宙の設 計図の中から、我々の宇宙に対応するものが見つかり、その設計図が選ばれて、そ の他の設計図が捨てられた理由が分かるだろう」と考えていた。(p.225-226) 10 ところが研究が進むにつれて、宇宙の設計図の数はどんどん増えて、百万種類に もなってしまった。これでは、「ひも理論」は当初喧伝されたようなシンプルでエ レガントな理論どころか、「複雑怪奇なモンスターになり下がった」と悪口を叩か れる始末だった。(p.226) 2000 年には、「ひも理論」から出てくる宇宙の設計図の種類は、10500個を下ら ないことが示された。これはもう、事実上、無限ともいえる、途方もなく大きな数 である。唯一無二の宇宙を描き出すはずの「ひも理論」が、宇宙にはほとんど無限 の可能性があることを示したので、「ひも理論」の研究者は失望するのが筋だった はずである。(p.226) ところが、この悪い知らせを聞いて、歓喜したのは「ひも理論」の提唱者の一人 であった、米国のサスキンド(1940-)であった。実は、彼はしばらく前から「人間 原理は、宇宙を理解するための重要な鍵を握っている」と感じていた。「ひも理 論」が描きだす宇宙は、壮大な倉庫に収納された既製服に似ている。「ひも理論」 から出てくる宇宙の設計図が百万種類程度しかないうちは、「沢山ある宇宙の中に、 我々の宇宙にぴったり合う宇宙がたまたまあったのだ、とは言えない」と彼は考え ていた。在庫服のバリエーションが少なければ、自分の希望にぴったりした服は見 つからないからである。(p.227-228) しかし、宇宙の設計図が 10500通りもあるとなって、サスキンドは「それだけあ れば十分だ」と思った。宇宙の設計図がほとんど無数にあるということは、「強い 人間原理」が怪しげな「目的論」から単なる「観測選択効果」になるということを 意味する。サスキンドはこのような「多宇宙ヴィジョン」を「人間原理のひもラン ドスケープ(風景)」と名付けた。彼が人間原理の問題提起、「我々の宇宙がこの ような宇宙である理由を、人間を抜きにして説明することができるか?」を真正面 から受け止めていた。(p.229-230) A.宇宙の誕生に対する従来の考え方 一般相対性理論 素粒子の標準モデル 計算 現在の宇宙 量子力学 創設 最終理論 現在の物理定数 借用 計算 微調整 人間原理 (又は神) B.宇宙の誕生に対する多宇宙ヴィジョンの考え方 一般相対性理論 我々の物理定数 量子力学 創設 基礎理論 (ひも理論?) 図 7.2 我々の宇宙 計算 計算 物理定数の 無数の 無数の組み合わせ 異なる宇宙 「宇宙はなぜこのような宇宙なのか」に答えるための処方箋(林が作成) 11 終章 グレーの階調の中の科学 前章では、「強い人間原理」が単なる「観測選択効果」になってしまったという ことが説明された。「我々の宇宙がなぜこのような宇宙なのか?」という問いに対 する答えは、「我々は、知的生命が存在可能な宇宙に存在しているだけであって、 この宇宙がこのような宇宙なのはたまたまである」ということになりそうである。 かくして「人間原理」をめぐる問題は大きく変質した。今日では、「人間原理」を めぐる論争の真の争点は、「多宇宙ヴィジョンは科学なのか」ということなのであ る。(p.235-236) 「多宇宙ヴィジョンは科学ではない」と考える人たちの最大の論拠は、「他の宇 宙を直接的に観測することは、未来永劫けっして出来ない」という点にある。彼ら は「見ることも触ることもできないものの存在に頼って、この宇宙の性質を説明し ようとすることは、観測と実験にもとづく科学の方法とは言えない」と主張する。 (p.236) もちろん、観測や実験は科学の根幹である。その点に異論を唱える科学者はいな い。しかしその一方で、科学の理論には、直接的には観測できないものがしばしば 登場するのも事実である。例えば、「クォーク・モデル」の提唱者であるゲルマン (1929-)は、当初、「クォークは数学的構築物であって、実在物ではない」と考え ていた。しかしその後、クォークは分厚い証拠に支えられて実在性が認められてい る。(p.237)(「クォーク・モデル」は、私が前回(第6回)に紹介した「ホーキ ング、宇宙と人間を語る」の本に書かれていた「モデル依存実存論」の典型的な例 である。) 基本粒子や力の性質を「たまたま」に頼らずに説明すること、そしていつの日か 「最終理論」が完成した暁には、宇宙はこうでしかありえなかったことが証明でき るはずだし、証明できなければならない、という思いが、20 世紀を通じて物理学者 を駆り立ててきたのだった。してみれば、「無数の宇宙の中には、たまたまこんな 宇宙もあったということだ」と言ってすませるわけにはいかない、という気持ちは 著者にはよく分かっている。(p.240) 本書の著者は、「この場合の『たまたま』は理論のお手上げ状態を意味しない」、 と述べている。「むしろ、宇宙の設計図は沢山ありうるということ、そして-ここ が重要なのだが-それらの背景には共通する基礎理論があり、様々な宇宙の性質を 具体的に調べることさえ出来そうだということは、大きな進展である」とも述べて いる。(p.242)(私(林)は著者のこの考えに賛成である。前ページの図 7.2 に、 「宇宙はなぜこのような宇宙なのか」に答えるための私が纏めた処方箋を示す。) それでも、「ほかの宇宙などという、永遠に手の届きそうもないものを持ち出す のは科学的とは言えないのでは?」と、納得の行かない人々もいるだろう。「いつ かは白黒をハッキリさせられるのが科学というものだろう」と彼らは言うだろう。 しかし、本書の著者は「本当にそうなのだろうか?本当に科学は白黒をハッキリさ せられるものだろうか?私はその考えに懐疑的である。というのも、科学において は、何かが絶対的に白であることを保証してくれるような、疑うべからざる真理 (宗教なら啓示に相当するようなもの)は存在しないからである」と述べている。 (p.245-246) 12 原子やクォークやブラックホールの実存性は、今ではほとんど白に近いといえる。 それに比べて「多宇宙ヴィジョン」は、はるかにグレーの色味が濃い。どこまで行 っても白黒確定せず、それぞれの結果はどの程度信用できるか、どんな根拠に裏づ けられているかと、絶えず足元を確認し続けなければならないのが、科学である。 著者は「その意味で、科学はつねにグレーの階調の中にある」と述べている。 (p.246) 最後に、著者は次のように述べている。20 世紀の物理学はめざましい進歩を遂げ た。それだけに、いつかは(ひょっとするとそれほど遠くない将来に)あらゆるこ とに白黒をつけられるのではないかという意識が、全員とはいわずとも多くの物理 学者の心に生まれたのは事実である。しかし、その考えはちょっと性急過ぎたので はないだろうか?宗教的真理とは異なり、科学的知識は永遠に白黒確定することは ないのかもしれない。むしろ永遠にグレーの階調の中にあるからこそ、科学知識は 深まり、広がるのではないだろうか。(p.247-248) 以下に、私(林)の感想を少し書きたい。私は 1950 年代(中・高校生の時代)に、 「宇宙はどのようにして誕生したか?」などの宇宙に対する疑問を沢山持っていた。 しかしながら当時の科学は、そのような素朴な疑問にさえ答えられなかった。その 後の半世紀で(本書に書いてあるように)、「私が少年時代に抱いた宇宙に関する 様々な疑問」に対する「答えの方向性」が、見えてきたようである。本書により私 は、その間の進歩の状況を楽しく学ぶことができた。(グノーシス流に言えば、自 分の存在意義がよく認識できた。これで、安心して死ねる。)私は著者に心から感 謝している。 (記載:2013 年8月6日) 13
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