ニュース ローザンヌ・ユダヤ人伝道協議会 日本支部発行 197 2016.3 一部 ¥ 2016.3.01発行 〒541-0041 大阪市中央区北浜2-3-10 VIP関西センター3F TEL. 090-8168-3736 Eメール [email protected] ホームページ LCJEJAPAN.com 郵便振替 LCJE日本支部・00950-4-25633 P2 3 ハーベスト・タイム イスラエル学(21) P4 巻頭言 欧州のイスラム教社会とこれから ライフ・イン・メサイヤ・インターナショナル P5 シオンとの架け橋 石黒イサク 石井田 直二 P6 ―反ユダヤ主義― アルコ・イリスミニストリーズ 早川 衛 P7 ハティクバ・ミニストリー ミッション・宣教の声 主幹 黒田 禎一郎 P8 お知らせ 高瀬 真理 事務局より 昨年1月、ヨーロッパではフランスの出版社襲撃事件によって 12 人の犠牲者、11 月にはパリ同時多発事件では 130 名 もの死者を出し、テロ事件が増加しイスラム社会との緊張度が高まっています。そしてユダヤ人への攻撃も急増してきました。 2015 年、 ヨーロッパからイスラエルへ帰還したユダヤ人の数は過去最多の 9800 人となり、 2013 年の約 2 倍となりました。 特にフランスでは、2015 年 3 月までで、前年比 84%増の反ユダヤ的事件が起こりました。人種差別攻撃の実に 50%がユ ダヤ人攻撃でした。 昨年フランスからイスラエルへ移住したユダヤ人は約 8800人で、 イスラエル移住者出身国別で最多でした。 ◉フランスの「宗教の象徴」規制強化 フランスには多数のイスラム教徒が移住し、一部のイス ラム教過激派によるテロ事件が増加するに従い、法規制が きびしくなりました。たとえばイスラム女性のスカーフやベー ル着用です。 「へジャブ」と呼ばれる髪やのどを隠すスカー フと、 「ニカブ」 と呼ばれる目以外を覆うものがあります。コー ランは「美しきものは人に見せぬようにせよ」と説いていま すので、彼らは守っています。フランスでは 2011 年には法 律で、 公の場でベールを覆うことが禁じるようになりました。 ニカブの禁止法はフランスに続いてベルギーでも禁止され ました。昨年は小中学校や高校だけでなく、大学でも禁止 する法案が保守系野党から国会に提出されました。違反者 の罰則強化を訴える議員もいます。 このように強まる規制の背景には、スカーフはベールを 「急増するイスラム教徒の象徴」とみなす考え方があります。 この「宗教シンボル禁止法」に対するフランス国民の支持 率は 85%にも達し、10 年間で 20%も増えました。当然の ことながら、イスラム教徒側からは強い反発が出ています。 ◉移民 2 世の挑戦 一方、フランスには多数の難民が押し寄せています。し かし一連のテロ事件の犯人たちは、主に移民 2 世の若者 たちです。かつて植民地支配下にあった北アフリカ移民の 子どもたちです。地中海のコルシカ島では、昨年末、 「イス ラム教徒は出ていけ」と訴えるデモが吹き荒れました。回 教徒が集う礼拝所(モスク)の窓ガラスが割られ、聖典コー ランが焼かれました。島の失業率は本土より高く11%にも なっています。移民が職を奪ったと考える若者は多くいます。 このようなフランス社会で、移民排斥を訴える極右政党「国 民戦線」は全国で勢力を伸ばしています。 イスラム教徒を孤立させれば、行き場のない若者が過激 派に走る土壌を生みます。彼らがテロを起こせば、反イスラ ム感情を広げ、社会の亀裂はさらに広まります。その悪循 環を食い止めるには、移民 2 世の政治参加が不可欠と考え る若者たちが現れました。それがイスラム教徒民主連合(U DMF)です。ニザル・ブシャダ副代表(34 歳)は移民 2 世で、 「イスラム教徒が人口に見合った発言力を持つには、 政治を変えるしかない」と言います。彼の両親は 1970 年 代、チュニジアから移民しました。フランスは第二次大戦 後、植民地であったアルジェリア、チュニジア、モロッコか ら労働移民を招き入れました。フランス生まれの移民の子 は、継続的な居住が証明されれば成人前にフランス国籍が 取得できます。 イスラム教徒数は、今や 6500 万の仏国民の約 8%を占 め、人口比では西ヨーロッパ最多です。2050 年には 10% を超える見込みです。この新党(UDMF)は 2014 年の地 方選挙で、すでに結果を出しています。今後、イスラム教徒 数は増加することは明らかだけに、極右政党との摩擦は避 けることは容易ではないと思われます。 ◉今後のヨ―ロッパ 現況は中東難民(多くはイスラム教徒)と移住者が急増 加する中で、社会は大きく変革しつつあります。この現象 は移民の多い英国や、難民を一番多く受け入れているドイ ツでも同じです。今後、欧州域内の問題はさらに深刻さを 増し、問題の矛先はユダヤ人に向けられるでしょう。不満 のはけ口は歴史のスケープゴートであるユダヤ人に向けられ ます。お祈りください。聖書は次のように勧めています。 「あなたがたの言われた事が何も私に起こらないように、 私のために主に祈ってください。 」 (使徒 8:24) No.197 LCJE 日本支部発行 1 ◀アーノルド・フルクテンバウム博士著▶ 『イスラエル学』 (21)~組織神学の失われた環~ ハーベスト・タイム・ミニストリーズ 佐野 剛史 : 訳 本記事は、アーノルド・フルクテンバウム博士著『Israelology(イスラエル学)』の日本語訳です。本 書は、イスラエルの過去、現在、将来を論じ、これまで組織神学の盲点であったイスラエル論を体系化し た先駆的著作です。 【今回の記事について】 数回にわたって、モーセ契約(モーセの律法)を聖書的にどう位置づければよいかを学びます。モーセの律 法は今も有効なのか、また教会とモーセの律法はどのような関係にあるのか、そして安息日規定はどのように 解釈すればよいかなど、論争の多いテーマの聖書的真理が博士の明快な論理によって解き明かされていきます。 今回は、モーセの律法は今では無効になっていることを示した聖句の解説の2回めです。 B. 現在のイスラエル 4. モーセ契約とモーセの律法 b. モーセの律法はいまや無効(続き) モーセの律法が無効となったことを示す7つ目の聖句 は、2 コリント 3:2 〜 11 である。この聖句が標的にして いるのは、律法の中でもほとんどの人がここだけは死守 したいと思っている「十戒」である。まず見ておかないと いけないのは、パウロがモーセの律法について何と語って いるかである。7 節でパウロは、律法を「死の務め」と呼 んでいる。9 節では「罪に定める務め」である。ずいぶん 否定的な呼び方であるが、正しい認識である。3 節と 7 節でスポットが当たっているのは十戒であることは、 「石 の板」 「石に刻まれた」という表現からわかる。ここで言 われているポイントは、モーセの律法、特に十戒が代表 する律法の役割は「死の務め」 「罪に定める務め」だとい うことである。もし十戒が今も効力を保っているなら、こ の役割は今でも有効なはずである。しかし、律法はもは や効力を失っている。7 節と 11 節で「消え去った」と言 われているからである。このギリシャ語は「カタルゲオ」で、 「無効にする」という意味である。この聖句の焦点は十戒 なので、十戒はもはや消え去った、無効である、というこ とになる。ここでパウロが言わんとしていることは明確で ある。 モーセの律法、 特に十戒は、 いまや効力を失っている。 キリストの律法の優位性はこの点でも明らかである。キリ ストの律法は無効とされることがないからである。 契約神学とは違い、ディスペンセーション主義は十戒 が今も有効だとは主張しないので、釈義上の裏技を駆使 して土曜安息を守らなくてもすむように四苦八苦する必要 もない(十戒は安息日を「週の初めの日」 [日曜日]では なく、 「週の終わりの日」 [土曜日]と定めている) 。 これまでの内容を要約する。律法は 613 の命令から なる統一体で、そのすべてが無効とされた。キリストの十 字架以降で効力を保っている命令は一つもない。律法は、 2 LCJE 日本支部発行 No.197 神の義の基準や、人の罪深さ、それゆえ人が贖われる必 要があることを教える教材として使うことができる。また、 人となった神についての真理も教えることができる。救い 主としてキリストを指し示すこともできる(ガラテヤ 3:23 〜 25) 。しかし、強制力を伴う個々人に対する命令として は完全に機能を停止した。信者の生活を規定するルール ではもはやなくなったのである。 道徳律に関してはどうか。モーセの律法のこの部分を 守ろうとして、契約神学者たちはモーセの律法は今も有 効であると結論付ける。道徳律について、 ライトナーはディ スペンセーション主義の見解を次のように語っている。 神の道徳律は、神のご性質を反映した永遠の原則で ある。ディスペンセーション主義者も、神の道徳律がカ ルバリの十字架で終わったとは考えない。……しかし、 神の道徳律を十戒と同一視することもない。 この点について、マッキルキン(McQuilkin)はディス ペンセーション主義者の思いをこう綴っている。 「道徳 律とモーセの律法は同じものではない。罪過のゆえに 『付け加えられた』モーセの律法には、確かに道徳律 が含まれていた。しかし同時に、民法や刑法、衛生法、 行政法も含まれていたのである。道徳律はモーセ以前 にもあったし、十字架の後もある」 十戒で禁止されていることは、シナイ山でモーセとイ スラエルの民に十戒が与えられた時に禁止されたわけ ではない。その命令に反することは、それ以前の時代 でも悪であった。この原則は神のご人格から出ている ことで、神が永遠であるのと同じく永遠のものである。 道徳律はモーセに始まったわけでも、キリストで終わっ たわけでもない。道徳律とモーセの律法は同じものでは ない。道徳律は、モーセの律法が与えられる以前から存 在していた。アダムとエバは、モーセの時代よりもはるか 昔に道徳律を破っていた。アダムの前は、サタンがすでに 道徳律を破っていた。モーセの律法はキリストの律法と同 じように道徳律を備えているが、モーセの律法から道徳 律が始まったわけではない。 モーセの律法に関して、ディスペンセーション主義の見 解に対する反論としてよく引用されるのがマタイ 5:17 〜 18 のイエスの言葉である。 17 わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと 思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就する ために来たのです。 18 まことに、 あなたがたに告げます。 天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決し てすたれることはありません。全部が成就されます。 この聖句を引用する契約神学者の論理はたいてい一貫 性を欠いている。ここでイエスがモーセの律法について 語っていることは明らかである。しかし、契約神学者は 自分が主張していることを自分自身が受け入れていない。 モーセの律法の命令を見渡せば、今ではその多くが何 らかのかたちで廃棄されていることは認めざるをえない。 祭司やいけにえに関する命令はその一例で、そのほかに も食物規定、服飾規定などの例を挙げることができる。 こうした変更点をどう説明しようとも( 「上位規定ができ た」 「もっと大きな意味で成就した」 「その本当の意味が 汲み出された」など) 、613 ある命令の大部分が書かれて いるとおりに適用されていないことは明らかである。 もし契約神学者の言う「モーセの律法」が道徳律だけ を意味するのであれば、このマタイ 5:17 〜 18 は引用で きない。次の 19 節では「戒めのうち最も小さいものの一 つでも」と言われており、道徳律だけではなく、613 の 命令をすべて含む律法全体について語っていることが明ら かだからだ。19 節にはこうある。 19 だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、こ れを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、 天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それ を守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大 な者と呼ばれます。 確かにイエスは律法を成就するために来た。しかし、 モーセの律法はイエスがこの世に来たこと、生きたことで 終わったわけではなく、その死によって終わったのである。 生きている間、イエスはモーセの律法の下にあり、自分に 適用される律法にひとつ残らず従わなくてはならなかっ た。マタイ 5:17 〜 19 はイエスが生きていた時に語られ た言葉で(19 節に注目) 、生きている限り、イエスはモー セが命じたとおりに(ユダヤ教のラビが解釈するようにで はなく)モーセの律法に従い通す必要があった。しかし、 生きている間でも、律法が廃棄されることはほのめかされ ていた。その一例がマルコ 7:19 である。 「イエスは、こ のように、 すべての食物をきよいとされた」 。これを読むと、 少なくとも食物規定は廃棄されていることは疑う余地が ない。契約神学者は、ここでも律法の大部分がモーセの 言うようには適用されていないことを認める必要がある。 律法は廃棄されたのか、そうでないのか。モーセの律法 は今も有効だとか、それはキリストの律法と同じものだと 言うことは、モーセの律法の内実を無視したもので、論 理的一貫性がなく、神学的に間違っている。 「成就する」というギリシャ語について言えば、マタイ はこの言葉を「預言が成就し、その役割を終える」という 意味で一貫して使っている。マタイ1:22 〜 23 でマタイは、 イザヤ 7:14 の預言は成就してその役割を終え、将来に 再度成就することはないという意味で、この言葉を使っ ている。 「成就する」は預言されていたことが実際に起こ ること、 「廃棄する」はそれに失敗するという意味である。 マタイ 5:17 の基本的な意味を、トゥサンは次のように 説明している この「成就する」という動詞は……マタイ 2:15 の言 葉と同じで「完全に確立する」という意味である。律法 や預言を破棄するのではなく、確立するのである。こ れをイエスは、 (1)厳しい律法の基準にご自分を従わせ、 (2)ラビ的解釈の迷路から律法の本来の意味を汲み出 すことで実現された。 ライトナーはこう結論づけている。 イエスが「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄す るためだと思ってはなりません」と言ったということは、 そのように思われる危険性や、一部の人からそのように 非難されたことがあったということである。 イエスは、ご自分の教えや働きによってパリサイ人た ちに何と言われるかご存知だった。自分には神の権威 があると教えておられたのだから、どういう反応がある かを知っていても当然である。マタイ 5:17 〜 19 の教 えには、以上のような背景がある。 マタイ 5:17 〜 19 は、 「モーセの律法は今も有効で、 信者の生活原則を教えている」と解釈するよりも「聖書 の無謬性を教えている」と理解する方がよい。17 〜 19 節で、キリストはご自分とその教えが律法とどういう関 係にあるかを簡潔に語っている。キリストは、 「律法と 預言者を廃棄するためにではなく、成就するために来 た」と宣言された(5:17) 。さらに、律法がすべて成 就することは天と地が続くのと同じぐらい確かなことだ と強調している(5:18) 。イエスは、律法の解説に入る 前に、ご自分が今から教えようとしていることは旧約聖 書と完全に一致していると明言されたのである。 イエス自身が証言するように、イエスは律法を成就 するために来られた。 「律法の中の一点一画でも決して すたれることはありません」と言われているからである。 イエスが来たのは、たとえごく一部であっても、律法や 預言者を破棄したり無効にしたりするためではなかっ た。イエスの目から見れば、最も小さいと見える命令で も、最も偉大とされている命令と同じ権威を持っていた からである(5:19) 。 (続く) No.197 LCJE 日本支部発行 3 ネット上に各地の 最 新 情 報を ライフ・イン・メサイヤ・インターナショナル日本委員 石黒 イサク 21世紀の現在、 国境を越えて瞬時に情報が世界を駆け巡る時代です。確かに福音宣教の大きな手段であり、インター ネットを使用することが日常化しています。しかし便利さとともに、細心の注意を払わなければならない危険が同居 していることも事実です。迫害や妨害の危険にさらされている人たちは、以前にも増して情報化社会に警戒しています。 名前や顔が公開されることは、彼らにとって命がけのことになりかねないからです。ユダヤ人伝道に関わっている者と して、私たちは常のそのような人たちに対しての配慮を忘れてはなりません。 しかし以下に紹介するライフのスタッフたちは、その危険を承知の上で、あえてネット上にこれらの働きを紹介して います。彼らの働きが祝福されて、一人でも多くの人にメシアの福音が届けられることを祈るとともに、彼ら忠実な働 き人たちの保護・安全のためにも、皆様に祈りをお願いする次第です。 ◉フランスにて 同時テロなどが起き、ユダヤ人に対する執拗な迫害・嫌 がらせが続いているフランスに於いて、福音宣教はなかな か困難であります。彼らはそれでも熱心に宣教を進めてい ます。更に最近、ライフのスタッフは、ウェブサイトを公開 しはじめました。(http://lifeinmessiah.fr/) 暗い影が あり、恐れや懐疑心のある人たちの中にも、真剣に人生の 意味を求める人たちが、福音に心を開きはじめているのは、 とても嬉しいことです。興味のある方は、どうぞアクセス してみてください。 ◉香港にて 去る 1 月 13 日、ライフの香港チームメンバーが、ラビ とその家族を自宅に招待して食事を共にしました。これは 数ヶ月前から行われていることで、今回が 4 回目とのこと です。アジア人のクリスチャンの家に、ユダヤ人のラビが家 族を連れて何度も訪れていることは、驚きであるとともに、 神様の素晴らしい導きがそこでも進められていることの徴 であります。 ◉イスラエルにて かねてより私が 紹介している、薬物中毒 者たちのリハ ビリ施設の働きもインターネットで見ることができます。 www.avivministry.com このアヴィヴ・ミニストリーのオ フィシャルサイトでは、信仰の立場や過去のニュースレター とともに、アヴィヴセンター、ベェル・シェバセンター、 ハイファ女性センターなどそれぞれ働きの様子を、動画も 交えて紹介しています。 横たわっている人々、街角で醜態をさらしている人たちに、 飲み物などをもって行って話しかけ、彼らを施設に来るよ うに誘います。 代表のビッカス牧師は、 「これらの人たちは、ここに居 る間は、薬物やアルコールから解放されて、とても生き生 きとしています。しかし、ここを離れたら、すぐ元の生活 に戻ってしまう人たちも多くあり、このような所がもっと 必要です。 」と訴えています。イスラエル於いて、クリスチャ ンが運営するこのような施設はまだまだ少数です。さらに 女性のための施設は、ほとんど無いのが現状です。真の 神様から離れ、闇の中にいる人たちには、悪魔の強い束 縛からの解放が必要です。ここに来る人たちは、日常の必 要な助けを受けるばかりではなく、霊的に人間として必要 な助け、教えを受けています。最近さらにフェイスブックに も公開をはじめました。 https://www.facebook.com/avivministry/ ◉ニューヨークにて イン・サーチ・オブ・シャロームの働きもますます拡大し ています。最近は広告をグーグルやフェイスブックなどの ウェブ上に出しているとともに、ニューヨーク市ブルックリ ンにある、正統派ユダヤ人密集地区で積極的において、こ の働きの案内を配布しています。 “インマヌエルハウス”と いう名前の、ライフ・イン・メサイヤの伝道所がそこにあり ますが、たびたび興味を抱いた正統派の人たちがその場所 を訪れています。 ライフのスタッフや、全米各地から応援に来るボランティ アの兄弟姉妹たちによって、路上でのパンフレット配布や 個人伝道なども継続的に行われています。 【ライフ・イン・メサイヤ・インターナショナル】 Life in Messiah International 安息日以外の毎日、開放されているこれらの施設では、 毎月何百人もの人々が出入りします。だらしなく道ばたに 4 LCJE 日本支部発行 No.197 P.O.Box 5470 Lansing, IL 60438 U.S.A. Phone : (708) 418-0020 http://www.LifeInMessiah.org Email : [email protected] Facebook (http://www.facebook.com/pages/ Life-In-Messiah/120915979267) @lifeinmessiah (https://twitter.com/LifeinMessiah) 十二小預言書に学ぶ(7)ナホム書 イスラエルの救いと諸国民の処罰 シオンとの架け橋 石井田 直二 十二小預言書のシリーズも後半に入りました。ナホム書の主題はアッシリアの首都であるニネベに対する神 の裁きです。アッシリアはイスラエル王国(北王国)を滅ぼした国です。ヨナ書の中では悔い改めにより滅び を免れたニネベの町でしたが、 それから約 1 世紀を経て書かれたナホム書では厳しい裁きを宣告されています。 そしてこの町は、ナホムの預言通りに新バビロニアに滅ぼされてしまうのです。 ◉悔い改めの機会は限られている ヨナ書の寛大な処置に比べてみると、ナホム書で繰 り返される断罪の言葉は際立ちます。 「主は罰すべき者 を決してゆるされない」(1:3)、 「二度としかえしをする 必要がないように敵を全く滅ぼされる」(1:9)、 「彼は全 く絶たれる」(1:15) などの言葉は、悔い改めの余地を 残さないような厳しい調子です。 これを背景にヨナ書を読むと「あるいは神は御心を かえ、その激しい怒りをやめて、われわれを滅ぼされ ないかもしれない。だれがそれを知るだろう」という、 ニネベの王の言葉が、とても重いものであることがわ かります。 悔い改めは、いつでも許されるわけではなく、その 機会は限られているのです。神の処罰が始まったら、 もう悔い改めは許されません。ペテロは神が「ひとり も滅びることがなく、すべての者が悔い改めに至るこ とを望み、あなたがたに対して長く忍耐しておられる」 (II ペテロ 3:9)と記しています。神は処罰をなるべく 遅らせ、人々に悔い改めの機会をお与えになるのです。 ◉ニネベの処罰とイスラエルの救い ナホム書の前半では、ニネベに対する厳しい宣告の 間に、イスラエルの救いがちりばめられています。イス ラエルに対しては、 「主は恵み深く、なやみの日の要害」 (1:7)、そして「わたしはあなたを苦しめたが、重ねて あなたを苦しめない」(1:12) などと慰めが語られます。 「あなた」の指すところが、頻繁に入れ替わっています。 旧約聖書で繰り返されるのは、イスラエルの不信仰に 対する神の怒りと処罰です。しかし、イスラエルよりも はるかに悪い諸国民に対しても「怒ること遅い」主は、 じっと怒りをこらえておられるのです。 「さばきが神の 家から始められる」(I ペテロ 4:17) とペテロが書いて いるように、神の民が先に裁かれ、次に諸国民が裁か れます。この順序はとても重要です。 諸国民に対する神の怒りが臨界点に達して、ついに 諸国民に怒りの鉄槌が下される時、イスラエルに対す る裁きの時は終わります。イスラエルの救いの日は、諸 国民に対する処罰の日でもあるのです。 私たちはイスラエルの救いを祈っていますが、それ が異邦人に対する厳しい処罰と表裏一体であることを 忘れてはなりません。もしも、日本がニネベと同様に 厳しい裁きを受けるとすれば、私たちは「イスラエル の救いを祈ってさえいれば祝福がある」と楽観しては いられません。 ◉ニネベはなぜ裁かれたのか ナホム書から、神の怒りがニネベに下された理由を 知ることができます。 「主に対して悪事をはかり、よ こしまなことを勧める者が、あなたのうちから出た」 (1:11) と主はニネベを非難されます。これは重大な言 葉です。この悪い人物が単数形で書かれているところ を見ると、たった 1 人でも悪事をはかる人物が出ると、 町や国が罰を受けるのです。たぶん、その人物は多く の人に悪事を勧めたので、神のご計画を大いに妨害し たのでしょう。 さらに、3 章では周囲の諸国民に対する悪事が痛烈に 糾弾されます。イスラエル王国を滅ぼしたことよりも、 さらに大きく取り上げられているのが、それ以外の諸 国民を苦しめたこと。ナホム書を読むと、イスラエル だけが偏愛されているように錯覚しがちですが、そう ではありません。 ◉問いかけで終わる 2 つの書 ニネベに関する 2 つの書、ヨナ書とナホム書には奇 妙な共通点があります。どちらの書も読者に問いかけ る疑問文で終わっており、答えがありません。神はヨナ 書の最後で「この大きな町ニネベを、惜しまないでい られようか」と問いかけ、ナホム書の最後では「あな た(ニネベ)の悪を身に受けなかったような者が、だ れひとりあるか」と問いかけておられます。 答えの無い 2 つの問いは、いずれも諸国民に対する 神の愛を示します。神は諸国民を愛されるがゆえに、 害悪をふりまくニネベを滅ぼさざるを得ませんでした。 イスラエルの国が回復された現在、神の諸国民に対す る裁きの時もまた近づいています。悔い改めたニネベ と、悔い改められなかったニネベ。疑問文で終わる 2 つの書は「あなたの国、あなたの町はどちらなのか」 と問いかけているかのようです。 私たちは、イスラエル回復のために祈ると同時に、 異邦人、とりわけ日本の悔い改めのためにも祈らなけ ればなりません。 No.197 LCJE 日本支部発行 5 神の民は、主が示した方法に従い行進しているのか? (その 1) アルコ・イリスミニストリーズ代表 世界は混沌としている。未解決の問題が山積みとなっ ている。例えば、シリア難民に関する報道の数は減少し た。しかし、それは、問題が改善したことを意味するも のではない。日々、新たな問題が生じ、世界中の問題は 増加の一途をたどっているのが現実である。世界は、いっ たい、どこへ向かっているのだろうか。行き先を見失い、 荒野を右往左往していたイスラエルの民のように思える。 出エジプトを成し遂げたイスラエルの民は、約束の地 へ向かった。その地にイスラエルの神、主の国を建設す るためであった。そして、その国の首都がエルサレムであ る。聖書は、ヨハネの黙示録で終わる。その最後の 2 章 (21 章と 22 章 ) は、天から下る新しいエルサレムに 関する記述で占められている。つまり、聖書が人類に示 すゴールは、そのエルサレムということになる。それは、 地上のエルサレムの他に天のエルサレムがあることを示 している。 聖書の中にエルサレムが初めて登場する箇所は、ヨ シュア記 10 章 1 節であり、次のように記されている。 さて、エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヨシュアが アイを攻め取って、それを聖絶し、先にエリコとその王 にしたようにアイとその王にもしたこと、またギブオンの 住民がイスラエルと和を講じて、彼らの中にいることを 聞き、大いに恐れた。それは、ギブオンが大きな町であっ て、王国の都の一つのようであり、またアイよりも大きく て、そこの人々はみな勇士たちであったからである。 このエルサレムの王は、ヨシュア記 10 章 26 節に書か れているようにヨシュアによって殺された。しかし、ヨシュ アの死後のイスラエル人の戦いについて記された士師記 1 章 8 節には、次のように記されている。また、ユダ族はエ ルサレムを攻めて、これを取り、剣の刃でこれを打ち破り、 町に火をつけた。さらに、士師記 1 章 21 節には、次のよ うに記されている。ベニヤミン族はエルサレムに住んでい たエブス人を追い払わなかったので、エブス人は今日ま でベニヤミン族といっしょにエルサレムに住んでいる。 上記のとおり、ヨシュアによってエルサレムの王アドニ ・ ツェデクは殺された。しかし、士師記のエルサレムに関 する記載は、彼の死がエルサレムに係る戦いの終結では なかったことを教える。つまり、エルサレムの王が死ん だ後も、エルサレムに係る戦いが続いた、ということで ある。そして、今も地上のエルサレムを巡る戦いは続い ており、それは、新天新地の現れる直前まで繰り広げら 6 LCJE 日本支部発行 No.197 早川 衛 れる、と聖書は預言している。それでは、戦いとは何を 意味するのか。また勝利するための戦い方とは、どのよ うなものなのだろうか。 人々がエジプトの国を出て二年目の第二月の一日に、 主はシナイの荒野の会見の天幕でモーセに告げて仰せら れた。「イスラエル人の全会衆を、氏族ごとに父祖の家 ごとに調べ、すべての男子の名をひとりひとり数えて人 口調査をせよ。あなたとアロンはイスラエルにおいて、 二十歳以上の者で、すべて軍務につくことのできる者た ちを、その軍団ごとに数えなければならない。」 (民数記 1 章 1 ~ 3 節) このみことばは、イスラエルの神である主が、出エジ プトの二年目の第二月から、イスラエルの民をイスラエ ルの地で戦わせるため備え始めたことを示すものであ る。戦いのために不可欠なものがふたつある。行進と休 息である。主は、イスラエルの民を戦いのために備え始 められた時、荒野での行進の方法と休息の方法とを彼ら に教えた。荒野を行進し始めた 20 歳以上のイスラエル 人男性の中で約束の地に入り得た者は、ヨシュアとカレ ブだけであった。そのカレブが、85 歳になった時のこと ばは、次のとおりであるが、実に興味深い。 今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げら れた時からこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五 年間、主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせ てくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳に なります。 (ヨシュア記 14 章 10 節) カレブは、荒 野を 45 年間歩いた、と言うのだ。そ の 45 年間の中には、イスラエルの地を歩いた期間が含 まれている。彼は、みことばが示すとおり、主に従い通 した男である。それでは、彼は、どのように歩いたので あろうか。彼は、主が示した方法に従い歩き、休息した はずである。その方法は、民数記 2 章に記されている。 その方法には、主のメッセージが示されているはずだ。 その方法に従い行進し、休息することが、勝利につなが るはずである。 神の民イスラエルは、そして、私たちは、今どのよう な方法で行進し、休息しているのだろうか。つまり、ど のような方法で戦っているのだろうか。今回は、ここで 筆を置かねばならないが、次回は、主が示した行進と休 息の方法について記すこととしたい。 恩寵・憐み ハティクバ・ミニストリー代表 高瀬 真理 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と 認められるのです。ローマ人への手紙 3 章 24 節 私は信仰者として生きる以前「宗教音楽」というジャン ルに対し、相当な嫌悪感をもち、演奏することすら拒ん でいたことを思い出します。さらに作曲家の意思を無視 し、自分勝手に「解釈」し、好きなように演奏すること に自信を持っていました。私にはその様な演奏姿勢を手 本としている人がいたのです。世界的な指揮者でありま した「アルトゥール・トスカニーニ」 「W・フルト・ベングラー」 両氏の演奏姿勢に大変敬服していました。 お二人には非常に失礼な「あだ名」がつけられていま した。アルトゥール・トスカニーニ師には「アウトロー・ トスカニーニ」 。フルト・ベングラー師には「フルト・メン クラウ」というものでした。 お二人に共通することは、作曲家の意図を全く酌む ことなしに、ご自分の一方的な解釈により押し通す。と いうことです。 仮に A 作曲家が「F」強い音の意。 と書 けば「P」弱い音で演奏する。また、速く演奏する場所 を極端に速く演奏するか、遅く演奏する…等々。アウト ローは、法律を破る物…総譜(スコアー)をみながらそ の通りに従わない。ですから、オーケストラのメンバーは、 その様な指揮者が指揮棒を振れば、 「面食らう・フルトメ ンクラウ」のです。 私は、とてもその姿勢に魅かれて、真似をさせていた だき、私にもあだ名がつきました。「コンビニバイオリン」 現在信仰を持たせていただき、その時々の事を思い起こ すときなんとも恥ずかしく、穴に入りたいような気持に なります。と同時に、聖書の中にも様々な「あだ名」を もつキリストの弟子の姿に大いに励まされました。 特にペトロ(ペテロ)は、キリストがバルヨナ・シモン につけたあだ名で、その意味はギリシャ語で「岩」。ヘブ ライ語だとケファ(ケパ)となります。キリストに「あな たは岩である。わたしはこの岩の上に教会を建てる」と 言われたことから、このあだ名がつけられました。キリ ストは、ユダヤ人であろうが、日本人であろうが、どうし ようもない「岩」のような者を愛してくださっていること に感動を覚えます。 へブル賛美の中に「主に感謝せよ」というタイトルの 讃美歌があります。この歌詞の中にヘブライ語で「恩寵・ 憐み」という意味を持つ言葉が含まれています。 それは 「ヘセド」というヘブライ語です。ヘセドの日本語訳は「憐 み」契約に基づく親愛の関係を言うのです。神の民に対 する神様からあふれ出る「愛」。その愛に呼応し心より 喜び、感謝する態度の事を言うのです。 もう一つ「ヘーン」というヘブル語があります。この言 葉の意味は日本語では「恩寵」。ギリシャ語では「カリス」。 英語では「グレース」と言います。この言葉の意味は、 選ばれるに値しない民が神によって選ばれた事を言い表 しています。そしてイエス・キリストの生涯、特に死と復 活を通して示された神の愛を言い表す言葉でもあります。 アヴェ・マリアという歌詞には、ラテン語で「gratia・ 恩寵」という言葉が用いられています。選ばれるに値し ないマリアという少女が、神の選びによりキリストを身ご もる。これこそ究極の神の恵みではありませんか。言葉 に言いようのない喜びが、旋律となって今なお名曲とし て世界中で親しまれています。 2016 年も、神に敵対する人間が出てくるであろうと 思います。しかし、主は以前の私を「救い」に導いてく ださったように等しく神に背を向ける者たちを憐み、愛 してくださっている事に感謝します。「今は」鉄砲を持っ たり、ペンを用いたり、他の神々を信じたりして反キリ ストの霊(サタン)の思うつぼに動かされています。抜 け目のないサタンの攻撃より、クリスチャンが防衛手段 として唯一勝利できる有効手段は執り成し、祈ることで はないでしょうか。 私たちは、 ともすると時事問題に翻弄される弱さを持っ ています。どこそこで「テロ」がありました。教会が「モ スク」に変りました。あるところで大きな地震あるいは 嵐がおきました。多くの尊い人命が失われていく様を問 題にしない。という事ではなく、どのような事象も神様 の目線で受け止め本来私達の「目的」は何であるかをサ タンの煙幕で、盲目にならぬようしっかり目を開き前を 向いて歩き続けないといけないと思います。 神の恩寵と憐みを受け取ったクリスチャンが、さらに 力強く主のみ前にユダヤ人の救いを執り成し祈るお互い でありたいと願っています。今月も一人でも多くのユダヤ 人が救われます事を願い、祈ろうではありませんか。 ★是非ご参加ください! 東京祈り会/毎月第二土曜日 13 時 30 分〜 大阪祈り会/毎月第二金曜日 18 時 30 分〜 皆様のご参加をお待ちしています。 No.197 LCJE 日本支部発行 7 LCJE日本支部事務局レター LCJE は、ユダヤ人伝道団体の情報交換ネットワークです。加盟しているユダヤ人伝道団体それぞれの 立場・活動を尊重して、機関紙などに情報を掲載しています。しかし特定の立場・教理などを、LCJE と して支持するものではありません。読者におかれましては、個々の見識によって提供される情報を判断し てくださいますよう、お願いいたします。 2016年度祈祷会予定 3月 11日 12日 場 所 大阪(6:30より) 東京(1:30より) 4月 8日 9日 5月 13日 14日 会 場 北浜スクエア(VIP関西センター8F) 御茶ノ水クリスチャンセンター 8F 811号室 【大阪祈り会にご参加される方へ】 祈り会の曜日が第二木曜日から、第二金曜日へ変更となり、会場は8Fを継続してお借りすることになりました。 【東京祈り会にご参加される方へ】ご注意ください。通常祈り会の会場は、811号室ですが、変更される場合がります。 階下の掲示板をご覧になってご参加ください。 ❖ 2016 年 3 月「イスラエルの平和の祈り」❖ 公正を守り、正義を行え。わたしの救いが来るのは近く、 わたしの義が現れるのも近いからだ(イザヤ 56:1 ) ①世界中に住むすべてのユダヤ人が、メシア・ ⑥ユダヤ教徒とキリスト教徒とが、接近し、話 イエスを信じてどんどん救われます様に。 し合い、理解し合う事が出来ますように。 ②神の都エルサレムから憎しみを除き、世界中 ⑦聖書預言通りに、離散しているユダヤ人が、 の人々が喜び集まる場所にして下さい。 世界中からどんどん帰還してきますように。 ③ネタニヤフ首相が聖書に尋ねて神の知恵を求 ⑧帰還者を、国民が愛で迎え、国が支え、彼ら め、国政を導き、国民を守る事が出来ますよ が安心して定住し、国に仕える事が出来ます うに。執り成しの祈りは聴かれています。感 ように。 謝します。引き続き油断することなく、イス ⑨膨大な数の難民たちを、助けるため、国連と ラエルを囲む暴力からの守りがありますよ EUの指導者に知恵と力と協力の心を与えて うに。 下さい。 ④ガザとシナイ半島と地中海から、ハマスやI Sの攻撃を受ける事がないようにお守り下 さい。 ⑩ユダヤ人伝道の働きや、集会が多く開催され、 大きく祝福されますように。 世界のキリスト教会と信徒に大きな覚醒と悔 ⑤ユダヤ人への伝道が祝福され、世界に、メシ い改めが起こり、大リバイバルが起こります アニックジューがどんどん増えますように。 ように。 感謝 笹谷姉 LCJE日本支部2016年1月度会計 収入・献金 科 目 金 額 科 献 金 155,000 事 大阪祈り会席上献金 10,000 目 金 額 費 8,500 NEWSレター製作費 50,120 郵 費 43,300 郵便振替手数料 3,700 計 165,000 送 費 7,750 賃 借 ・ 管 理 費 21,600 高熱費・共益費 8,076 交 7,000 信 通 り 旅 会 経 合 費 費 4,000 計 155,446 高 9,554 150,461 翌 月 へ の 繰 越 160,015 差 前月よりの繰越 務 通 祈 合 事務局よりのお知らせ 支出・現金 8 LCJE 日本支部発行 No.197 引 残 LCJE 日本支部では、皆様からの声、そして証や、記 事の投稿をお待ちしています。LCJE 日本支部までお知 らせください。よろしくお願いいたします。 E メール▶ [email protected] 編集後記 今月号も手に取って読んでいただき心より感謝申し上 げます。今月も【テロ】等が実行されませんように切に 主に祈り続けたいと願っています。編集作業は大変です が、神様のご計画の一部を先読みできる幸いに感謝し ています。今月も一人でも多くのユダヤ人が救われます ように。 LCJE 事務局長 高瀬真理
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