2016 年第 3 期 13 課「私たちはどのように待てばいいのか」 9 月 24 日 A 私達はどのように待てばよいのか?イエス様にとっての待つこと(マタイ 24 章-25 章) マタイ 24 章で、イエス様は再臨を予告する印について語られました。 マタイ 25 章で、イエス様は再臨にどのように備えるべきかを教えられています。 — 注意し、前もって備え、自分自身の霊的状態に気を配りなさい。(1-13 節) — 才能と神様から授かった資金を神様の働きに投資し増やしなさい。(14-30 節) — 最も小さき者(助けを必要としている人々)の世話をしなさい。(31-46 節) B リバイバルと改革(待つ間のリバイバルと改革)ペテロにとっての待つこと(ペテロ 第二 3:14) ペテロは私達の純粋な頭脳を挑発し、私達に予言書(旧約聖書)、イエス様と使徒 たち(新約聖書)の教えを学ぶように招いています。 ペテロが描いているリバイバルと改革は、 個人的な悔い改めと準備、「しみも傷も なく」生きること、そして使命と奉仕に生きることを含みます。 C 仕事に取り掛かる(待つ間の教会の使命)ヤコブにとっての待つこと(ヤコブ 2:1426) ヤコブは待つことには行動を伴うと言っています。教会と教会員は果たさなければ ならない使命を持っています。それは、永遠の福音を世界中に宣べ伝える事です。 私達は、その使命を、説教と、教えと、癒しにより果たします。私たちは全人的な 回復(身体的、精神的、そして、特に霊的ないやし)を救うべき魂にもたらさなけ ればなりません。 よりよいこの世と永遠の命の人生を通して。 D 種を蒔いて刈り取る(待つ間に最後の収穫に備える)パウロにとっての待つこと (コリント第一 3:6-8) 教会の使命は、全世界に福音を宣べ伝えて、最後の収獲を迎えるという 確かな 終わりを指し示しています。 収獲に到るには長い道程があります。まず、畑が整えられなければなりません。 そして、種が蒔かれ、土地に水がまかれて世話されなければなりません。 最後に、収獲が集められるのです。 私達ひとりひとりがその行程の一部を担って います。私たちは聖霊によって導かれています。 全ての人間の心と魂に対する戦いが戦われており、神様は私達に人々が神様を選ぶ 助けをするように呼ばわれているのです。 E 待つことは終わった。ヨハネにとっての待つこと(黙示録 21:1~4) 黙示録は二つの都市についての物語りです。バビロンの住民たちは罪を愛し、 エルサレムの住民たちは神様を愛しています。 罪から離れて、天国の市民に変えられるために、バビロンから出なさいとの呼びか けがあります。それは、聖霊の働きと、キリストの血による奇跡です。神様は私達 を罪びとから家来に変えて下さるのです。 大争闘の終わる時、喜びの歓声がエルサレム中に響きわたるでしょう。すべての 涙は拭われるでしょう。私たちは神様のかたちに回復されて、神様とともに、喜び を持って、永遠に生きるのです。 私は神様の恵みによってそこにいることを望んでいます。あなたは望まれますか?
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