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マタイ7:12 『黄金律』2011.10.30

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黄金律 2011年 10月 31日
2011.10.30 泉キリスト教会礼拝
『黄金律』 マタイの福音書7章 12 節
はじめに.
マタイの福音書7章12節のキリストのお言葉は、広辞苑の中にも「黄金律」の
項目があり、それは「人からして欲しいと思うことのすべてを人々にせよ」という
ことであり、これがキリスト教倫理の原理であると紹介されています。
しかし、このキリストのお言葉は、それをただ、倫理的な格言、金言として知っ
ているだけでは不十分です。
今朝は、このみことばの本当の意味を、それが語られている聖書の文脈の中で、
ご一緒に学び、このキリストのみことばをよく理解させていただきましょう。
→マタイの福音書7章 12 節
" それで、何 事 で も、自分にしてもらいたいことは、
ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。"
Matt. 7:12
Pa¿nta ou™n o¢sa e˙a»n qe÷lhte iºna poiw◊sin uJmi√n oi˚ a‡nqrwpoi,
ou¢twß kai« uJmei√ß poiei√te aujtoi√ß:
ou∞toß ga¿r e˙stin oJ no/moß kai« oi˚ profhvtai.
Pa¿nta paß ADJECTIVE n. pl. acc. noDegree all, every
o¢sa osoß PRONOUN correlative n. pl. acc. as many as, as much
qe÷lhte qelw VERB 2nd pl. pre. act. subjunctive to want、欲する
poiw◊sin poiew VERB 3rd pl. pre. act. subjunctive to do
ou¢twß outwß ADVERB noDegree thus, so, in this way
poiei√te poiew VERB 2nd pl. pre. act. imp. to do
as
(一)対人関係について教えている他の格言
イエスさまがマタイの福音書7章 12 節のみことばをお教えになる前に、対人関
係について教えている教えがありました。それは紀元前 200 170 年の頃に書か
れたトビト書(旧約聖書の外典)の中に書かれていました。「自分が嫌なことは、
ほかのだれにもしてはならない。」(旧約聖書続編トビト書4章 15 節)
もう一つは、紀元1世紀、イエスさまと同時代の人であり、エルサレム神殿が破
壊されるまでの頃、パリサイ派の中で最も偉大な指導者の一人といわれていた長老
ヒレルのことばです。「あなた自身にとって憎むべきことは、あなたの隣り人にも
するな。なぜなら、これが律法の全体であって、他のすべてはその注釈にすぎない。」
(タルムッド、訳文は榊原康夫氏「マタイによる福音書Ⅱ」による)
私たちの国では、昔からよく「他人に迷惑をかけるな。」ということを教えられ
て来ました。現代の日本では、子どものときからこのことを教えられ、そのように
しようと心掛けている人が少なくなって来ています。このことを教えられず、自己
中心的で勝手気ままな生き方をしている人たちが何と多くなって来ていることでしょ
うか!でも現代の社会には、まだ「自分にして欲しくないことは、他の人にもする
-1-
黄金律 2011年 10月 31日
な。」あるいは、「他人に迷惑をかけるな。」ということを教えられ、そのように
しようと心掛けているま と も な人たちがいます。対人関係、人とのお付き合いが
ほどほどによく保たれるように心を配っている人たちがおられます。
しかし、この人たちも、結局は、自分の生活領域の中で自分の幸せを守ろうとし
ているだけなのではないでしょうか?。キリストは私たちにもっともっと積極的な
生き方をするように求めておられるのです。
(二)対人関係についての黄金律の教え
キリストは、対人関係において、私たちに積極的な生き方をするように求めてお
られます。「何 事 で も、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのように
しなさい。」と仰せているのです。キリストは、あなたが人からして欲しいと思う
ことを人に対してしなさい、自分の方から、それらのことを積極的にして行きなさ
い、と命じておられるのです。
今年の 3 月 11 日の大震災と原発事故により、私たちの社会においてもう一度、
人間関係や絆の大切さが見直されるようになって来たとテレビなどで報じられてい
ます。多くのボランティアが被災者たちを助けるために駆けつけ、救援活動や復旧
作業に当りました。なお続けて、そのような奉仕を続けて行く必要があります。
ところで、私たちが他の人にこうして欲しいなあと思う願いは尽きることがある
のでしょうか?そう思う願いが尽きるようになることは、まあ、ないでしょう。
だから、イエスさまが「何 事 で も、自分にしてもらいたいことは、ほかの人に
もそのようにしなさい。」と仰せになるとき、私たちは自分が、他の人たちになす
べきことも、決して尽きることがないことに気付くはずなのです。
しかし、私たちは一寸やっただけなのに、すぐ、こう思ってしまいます。「これ
で、こちらは十分やった。あとは、先方の責任だ。」そう思うだけでなく、実際に
これが私たちの口からすぐ出てくるセリフでしょう。こういう考え方と、イエスさ
まのお言葉を比べて下さい。私たちの考え方は、何とケチくさいことでしょうか!
イエスさまは、対人関係の中で、私たちがとるべき方針、私たちの生き方をはっ
きり教えておられるのです。この黄金律の前に、私たちは、自分自身の考えのケチ
くさいこと、私たちの罪深さを認めざるを得ません。そして、そんな私共に対する
主イエスさまのご真実とご愛を、改めて深く覚えさせられるのです。
(三)黄金律と隣人愛
ここでもう一度、12 節のみことばを読み返して下さい。特にその後半に注目し
ましょう。 " これが律法であり預言者です。"イエスさまはここで、旧約聖書全
体の教えは、この黄金律につきる、と仰せているのです。
マタイの福音書の中に、イエスさまが同じような言い方で教えてくださっている
箇所があります。→マタイの福音書 22 章 37 40 節
" そこで、イエスは彼に言われた。
「『心を尽くし、思いをくし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
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黄金律 2011年 10月 31日
これがたいせつな第一の戒めです。
:39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』
という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
:40 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」"
マタイの福音書 7 章 12 節と 22 章のこれらのみことばを並べて見ればわかるよ
うに、7 章 12 節の黄金律は、22 章 39 節の「あなたの隣人をあなた自身のよう
に愛せよ。」との戒めを言い換えたものなのです。
ですから、黄金律はこの隣人愛をもって実践すべき教えです。黄金律は、この隣
人愛によって、はじめて実践できる教えなのです。
:38
<参考>→ローマ 13:8 10
" だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合う
ことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。
:9 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな。」という戒め、またほかに
どんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」 ということばの中に要約されているからです。
:10 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。"
神さまは、私たちの行いの動機を問題にしておられます。うわべや形式よりも、
心の中の動機を問題になさっています。私たちの行いは、自分が他の人にして欲し
いことを人にしてあげようという、隣人への愛に促されてのものでしょうか?
あなたの動機は愛ですか?動機は隣人への愛ですか?と問われているのです。
<参考>ローマ人への手紙の中で、そのことをパウロが尋ねている例があります。
→ローマ 14:15
" もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているのなら、あなたは
もはや愛によって行動しているのではありません。キリストが代わりに死んで
くださったほどの人を、あなたの食べ物のことで、滅ぼさないでください。"
ところで、社会生活の中での基準ややり方が教会の中に持ち込まれることがよく
ありますが、牧師や神学生や、ベテランの信徒の方々がそういうことをして、信徒
の方々を悩ませ、つまずかせてしまうことがあります。新約聖書の時代にも、そう
いうことがありました。コリントの教会の中で実際にあったことです。
→1 コリント 8:1
" 次に、偶像にささげた肉についてですが、
私たちはみな知識を持っているということなら、わかっています。
しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。"
ここで「愛は人の徳を建てる」というのは、「愛を実践する人の徳が建てられ、
その人が尊敬されるようになる」ということではなく、その愛によって「他の人の
徳が建てられ人間として信仰者として成長するようになる」ということなのです。
<参考>→ローマ 14:19
" そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、
お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。"
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黄金律 2011年 10月 31日
むすび.
黄金律は、また交わりの根本的原理です。このことを 7 章 1 節のみことばとの
関連の中で学ぶことができましょう。
→マタイの福音書 7 章 1 節
" さばいてはいけません。さばかれないためです。"
人をさばくのは、大抵の場合、自分の方からすべきことは棚上げにしておいて、
相手がなすべきことを先ず自分の方で期待し、要求しているときです。
それだから、「 何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのよ
うにしなさい。」とイエスさまが私たちに命じておられるのです。
また、この黄金律の直前のみことばをごらん下さい。
→マタイの福音書 7 章 11 節
" してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を
与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがた
の父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。"
神さまは、悪い者たちであり、罪人でしかない私たちをお救い下さり、愛してい
ていて下さり、しかも良いものを私たちに与えようとご準備下さっているのです。
このように、自分が実際に愛されていることを知っているのだから、だから、この
愛をもって黄金律を実践しなさい、と主が仰せているのです。
もう一度、私たちの信仰の原点であり、信仰の出発点であるキリストの十字架の
もとに立たせていただきましょう。
そこで、この愛されるはずのない者が愛されており、赦されるはずのない者が赦
されていることを改めて確認させていただきましょう。それは無条件の愛です。
神の子としていただけるはずのない者が神の子とされているのです。
これが旧約聖書 39 巻新約聖書 27 巻合わせて 66 巻の聖書全体が証している福
音です。
それだから、「 何 事 で も、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのよ
うにしなさい。」とイエスさまが私たちに命じておられるのです。
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