「牛づくり、ものづくり、人づくり」の牧場経営

2004 年度第 3 回朝食会
環境を考える経済人の会 21
環境を考える経済人の会 21
2004 年度第 3 回(通算第 53 回)朝食会
ゲスト:中村哲雄氏(岩手県葛巻町長)
テーマ:ミルクとワインと新エネルギーの町、葛巻の挑戦
〜日本一の新エネルギー生産基地を目指して〜
「牛づくり、ものづくり、人づくり」の牧場経営
中村哲雄
本日はお招きいただき、日本の経済界の第一線でご活躍の皆さんの前でお話さ
せていただく機会をいただきまして、まことにありがとうございます。
「岩手県の山奥、葛
巻町のトップセールスマンの中村」と、いつも自己紹介をしています。
早速私どもの町を紹介させていただきたいと思います。
私は町長就任5年目です。その前は「くずまき高原牧場」に牛1頭を飼う創業時から 23
年間、役場職員として第3セクターに出向しておりました。その前は役場職員を5年やっ
ておりましたので、役場勤務 28 年、そのうち 23 年を牧場経営、その後の町長職は5年の
駆け出しのようなものです。
私どもの町には電車はございませんし、高速道路のインターチェンジもありません。温
泉もスキー場もゴルフ場もない。何もない 3,000 世帯、人口 9,000 人弱の山村が、どうし
てこのようなクリーンエネルギーの基地になり得て、今日のように、日本一のクリーンエ
ネルギー生産基地を目指す発想ができたかということについて、背景、歴代の町長がトッ
プリーダーとして何をやってきたのか、ということを含めてお話したいと思います。
まず、私が先ほど申し上げました通り、不毛の地に国の事業を導入して牧場が建設され、
役場職員として 27 歳のときにその牧場の経営を任され、今日までやってまいりました。毎
年、牛を 100 頭ずつ増やしてきて、現在は 29 年目ですが 3,600 頭ほどの牛を飼う牧場にな
っています。牛を 100 頭増やすということは、毎年 3,000 万円〜4,000 万円くらい資産を増
やすことと似ていますが、今では自分の牧場では足りなくて、青森県十和田市も含めて6
市町村に8牧場も借りています。牛は乳牛ですが、千葉県、茨城県、栃木県、山形県、新
潟県、福島県と、東日本6県の酪農家からお預かりして育てて、返すということをしてい
ます。失礼ながら人間の世界に例えると、
「岩手の方になんだか全寮制のすばらしい学校が
あるようだ。そこに自分の娘を預けよう。そうすると、立派な人間になって帰ってくるそ
うだ」というような、
「牛の託児所から女子大まで」という発育ステージの牧場経営をして
います。関東近県の生まれたばかりの子牛をお預かりして、2年間育てて妊娠させて返す
わけです。関東近県の酪農家側から見ますと、分娩の2ヵ月前に預けた牛が返ってきて、
子牛を産んで牛乳を生産し始めるという具合です。これが「機能分担」と称するシステム
で、東日本各県と私どもの牧場が結びついています。
牛づくり中心の牧場ですから、私も牧場にいる間は牛づくりを一生懸命やってきました。
牛は経済動物ですから、いろいろな点数がつけられたり評価されたりする品評会があるの
ですが、農林水産大臣賞をいただくような牛を6頭育てました。それが東日本各県の酪農
家に知れ渡って、
「うちも預けたい、おれも預けたい」ということになり、今はお断りする
のに困るくらいの牛が押し寄せてきています。その結果、0から始まって 20 数年で 3,600
© 2004 環境を考える経済人の会21
1
2004 年度第 3 回朝食会
環境を考える経済人の会 21
頭もの牛を飼えるようになったわけです。そのためには牛舎も増やさなければならないの
ですが、そうしながら事業を広げてきたのです。
その間、酪農も世界の荒波を受けるわけですから、いつかは倒産するかもしれないとい
う危機感を常にもっており、
「何かやらなければ、できることを何でもやってみよう」とい
うことで、私は牛づくりの他に、毎年一事業を起こしてきました。23 年間で 23 の商品を
開発し、23 の事業を構築しました。私が町長になってからは事業の数を縮小して、牧場で
は 14 種類の事業を展開しています。そのようなことで、毎年1品の商品を開発する。鶏を
飼って鶏肉を売る、鴨を飼って鴨肉を売る、羊を飼ってラム肉を売る、という具合に展開
してきました。パン屋を始めて、チーズ工場を始めて、というように毎年事業を構築して
まいりました。
また、人材教育もしておりまして、研修センターを運営しながら全国から訪れる若者を
育てて、全国に 160 人くらいの教え子が散らばって活躍しているというような、
「 牛づくり、
ものづくり、人づくり」をやってきました。
そうした後に町長になりましたけれども、町長になってからは牧場にいたころの経験を
生かしてやっています。牧場にいたころは「まず当たり前のことを他人よりも一生懸命や
ろう」としました。当たり前って何だというと、何事にも当たり前というものがあります。
牧場ですと良い土をつくっていると良いエサができて、それを 365 日食べさせていると良
い牛ができるという当たり前のことであり、それを一生懸命やろうということです。そし
て、
「一生懸命やったがために、全国から牛が集まるようになった、農林水産大臣賞をいた
だけるような牛ができた」というようなことを、役場職員には言っています。
それと、常に危機感、問題意識をもちながら事業展開してきて、それが今日の拡大につ
ながっています。現在、12 億 2,000 万円の売上げで、100 人くらいの職員がいますが、そ
れほどの規模になり得たということです。
21 世紀の課題である食糧、環境、エネルギーの問題に貢献する事業展開
次に「情報の量が仕事の質を決定する」ということについてお話します。これはさまざ
まな事業を通じて、岩手の山奥で次々と打ち出した新規事業が、たとえば牛乳を開発する、
今時、牛乳が足りないわけでもないのにどんどん売れていく。ヨーグルトも開発する、そ
れも売れていく。パンも開発する、それも売れていくというように、そうなり得るのはや
はり情報の量だと思っています。情報の量が仕事の質を決定するということを、牧場経営
をしながら自分が学んで、今、それを町づくりに生かしています。
私が就任したのはちょうど 20 世紀から 21 世紀にかわる時代です。20 世紀の負の遺産を
21 世紀に持ち越すことだと言われます。21 世紀は必ずしも輝かしい未来があるわけではな
くて、みんなで努力しないと地球が破壊され続けているということを唱えながら、では何
をすればいいのかということで、町が持っている多面的な資源と機能と人材を生かしなが
ら、地球規模での 21 世紀の課題である食糧という問題と、環境とエネルギーの問題に貢献
しながら、町が発展的な状況になれば最も幸せなことだという思いから、食糧という問題
は酪農、畜産、農業を一生懸命やることによって、9,000 人くらいの人口の町ですが、牛
乳だけで1日 120t生産していますので4万人分くらいの食糧を生産していることになる。
こういったものを守りながら 21 世紀を、食糧生産しながらやがて食糧危機が来るときに貢
© 2004 環境を考える経済人の会21
2
2004 年度第 3 回朝食会
環境を考える経済人の会 21
献しよう。それから環境の問題は4万 3,000ha の町ですが 85%が森林ということで、3万
8,000ha くらいの森林があるわけですが、山を守り育て、CO2 を吸収して地球規模での環境
保全に貢献しよう。毎年国の事業にもお世話になりながら、2億円くらい森林整備に投入
して、そこに雇用も創出され、山が手入れをされて活力が生まれ、そこに CO2 の吸収が旺
盛になる、という事業を展開しています。
さらにエネルギーの問題は 3,000 世帯の町で1万 7,000 世帯分の電気を風力発電などの
クリーンな発電でしています。さらに木質燃料ペレットは 1,500 世帯分の熱カロリーを供
給していることになります。このようにして、21 世紀の課題に貢献しながら町の発展的状
況を構築していこうという基本的経営方針の下に事業展開しています。
クリーンエネルギーに至る歴代町長の取り組み
それでは、歴代の町長、私までで6人の町長の話を少ししたいと思います。
私が 23 年勤務したくずまき高原牧場は陸軍の軍馬を育てる牧場でした。1,000ha ありま
した。戦争が終わってその必要がなくなったときに、葛巻町民は「この土地を国から買お
う」と思ったのです。よくぞ、そう思ったものです。当時、役場にはお金がなくて、町内
の一般家庭が今の貨幣価値でいうと3万円、5万円というお金を出し、役場では帳簿を作
ってそのお金を借りて、国に納めて 1,000ha の土地を購入しました。ところが終戦後から、
東京でも焼け野原で木材需要が高まりまして、払い下げを受けてすぐにこの山に生えてい
た木を伐って出荷をして、現金が手に入って、役場はそのお金を町民に返し、瞬く間に借
金はなくなりました。
その次の町長は、この山に植林をして、町民から町民税をいただかない町づくりをしよ
うと提唱しました。その植林をしながら、牧場の一角で山岳酪農技術開発センターを農水
省の支援をいただきながら建設しようという構想を立てました。
その次の町長は、前の植林を一生懸命やっている町長に対して、
「木は優良大径木、すな
わち 50 年、60 年と育てないといい金にならないんだ」と唱えていた議長がなるのですが、
全国の戦後の開拓入植地よりももっと生活の厳しかった 1,000mの山々を開発して、もっ
と食糧の増産を図ろうというのが昭和 40 年初めの国の構想です。北海道では根室地方の別
海、石垣島、あるいは八溝山系あるいは、九州の九重半田の高原とか、岩手は北上山系開
発と称して、そういう開発が行われました。そして、優良大径木を育てていくんだと言っ
ていた町長が、木を伐って牧場を造成していくんですね。その山岳酪農技術開発センター、
前の町長の構想を 10 倍に拡大して国からも 146 億 5,000 万円、今ですと 300 億円くらいに
なると思いますが、そうした資本を葛巻町に投下して 1,000mの山々に道路を通したので
す。これが実は今日のクリーンエネルギーの生産に結びついています。30 年前の話です。
30 年も前に誰もクリーンエネルギーなどということは考えていなかった、風車などとは誰
も考えていなかった。そのときは畜産を一生懸命やろうという思いで、畜産をやるために
牧場がほしい、牧場を管理するために道路がほしい、電気が必要だという思いで、山々に
牧場をつくるわけです。
その次の町長になりますと、牧場の管理は一生懸命やるのですが、快適空間もなければ
駄目だということで、ホテルをつくったりレストランをつくったり運動公園をつくったり
ということを、日本もバブルの時代で平成元年から 10 年までどんどんわれわれの地方でも、
© 2004 環境を考える経済人の会21
3
2004 年度第 3 回朝食会
環境を考える経済人の会 21
今地方交付税交付金が問題になっていますが、前年対比で2億円ずつ交付金が増えた時代
があります。これは国に税収が前年対比で3〜4兆円と上がった時代、3,200 ある市町村
に対して国は2億円ずつ上積みしてくれたものです。そういう時代があって、そのような
快適空間を構築できたというわけです。
その次の町長は平成7〜8年、つまり京都議定書の平成8年のころの町長は、ようやく
新エネルギーの芽がでてくるわけです。京都議定書以降の日本の風力発電業界がにわかに
動き出し、日本ではどんなところでクリーンエネルギーが生産できるのか、海岸はいい風
が吹いているのではないか、高い山はいい風が吹いているのではないか、ということで、
全国各地を調査し始めるのです。風力発電の機械は、たとえばわれわれのところで昨年建
築したものは羽根が 33mもありますが、そのような 33mのものを運び込むためにはいい道
路が必要になります。そうすると、海岸はいい風が吹いているけれども、本当に道路が通
っているところは観光地で、国定公園、国立公園です。そのようなところに風車は建てら
れない。そうではないところは道路がない。そうすると海岸線は無理なのです。そこで山
はどうかというと、牧場には必ず道路が通っていて電線がある。それで牧場が目をつけら
れます。それで私どもの町にもエコ・パワー社という当時は小さな会社、現在は 103 本風
車を回している会社ですが、進出してきて、調査をさせてくれ、建設させてくれというこ
とになりました。
そうしたときに、町は時の町長をはじめ少し右往左往します。そのときちょうどタイミ
ングよく町会議員が自費でヨーロッパに視察旅行に行くのです。目的を何にするかという
ことで、
「町に今、風力発電をやらないかという会社が来ている。なにやらヨーロッパが先
進地らしい。私たちも風力発電を勉強しに行こう」というように議員たちが思うのです。
今では有名になりましたステファン・ケンジ・スズキさんという方は岩手県の東山町出身
なのですが、この人がデンマークに風の学校というものを開設していて、よく日本人が行
ってお世話になっているのですが、私たちの議員もその人の講義を聞いて、近隣の木質バ
イオマス、畜産バイオマス、風力発電を視察して、
「クリーンエネルギー」をぎっしり詰め
込まれて帰ってきました。町が右往左往しているのに「これからの時代は風力発電、クリ
ーンエネルギーの時代だ」ということをプッシュするのです。そして時の町長も決断して
3基の風車を受け入れました。それが平成 11 年6月です。
私はその8月に町長に就任するのですが、その3基の風車を建設するときに、NEDO か
ら支援があるのですが、NEDO はいきなり「風車を建てたいのですか、では半分、3分の
1を援助しましょう」とはなりません。「もう少しエネルギー全体のことを研究しなさい」
となるわけです。それは新エネルギービジョンなのです。
太陽光発電、水力発電、畜産バイオマス発電の新エネルギービジョン
風車が建つ3ヵ月前の平成 11 年3月に、葛巻は新エネルギービジョンを策定しています。
ではこの新エネルギービジョンなるものは全国 3,200 ある市町村でどれくらいの市町村が
策定しているかというと、わずか 27%です。5年経った今でも 27%しか策定していません。
ですから、非常に先駆けです。新エネルギービジョンを策定し、そのビジョンに基づいて
3基の風車を建設する。そのビジョンは太陽光発電、水力発電、畜産バイオマス発電もや
るというように計画してあります。東北大学の齋藤教授のご指導いただいて策定しました。
© 2004 環境を考える経済人の会21
4
2004 年度第 3 回朝食会
環境を考える経済人の会 21
したがって、そのビジョンがあって3基の風車ができて、そこからクリーンエネルギーと
いうものに対して私どもが強い関心を持ちながら町づくりの一環として取り組んでいくこ
ととなります。
その後、葛巻中学校に太陽光発電を導入し、電源開発が既存の風車があるのとは別の牧
場で風況調査をし、その結果、日本でも有数の風が吹いているということで、建設を決断
するわけです。それが3年前です。2年間の風況調査を、50mの鉄塔を建てて、プロペラ
をつけて行いました。年間平均風速何mか、5m以上吹いていれば商売になるということ
なのですが、8mくらい吹いていました。建設が終わって昨年(平成 15 年)12 月 1 日に稼
動しました。この 12 基の風車は、一番高いところが 93mです。タワーが 60mで 33mの羽
根が回っているということです。今、世界で回っている事業ベースの風車では一番大きい
風車です。1,750kW という風車が 12 基回っています。これが完成して、先ほど申し上げた
3,000 世帯の町で、一般家庭ベースで 1 万 7,000 世帯分の電力を供給できる町となったわけ
です。
葛巻町は家畜が多くて、家畜の排泄物が毎日 650tも出ますので、ビジョンに基づいて
畜産バイオマス発電の構築を検討しました。農水省から半分の1億 1,000 万円の支援を受
けて始めました。牛の排泄物からメタンガスを発生させ、ガスで発電機をまわして、それ
で電気を起こすという仕組みです。今度はさらにそのガスを研究するプロジェクトチーム
ができて東北大学の野池先生、グループ総括は清水建設の研究部、プラントの建設はオリ
オン機械、そしてガスの開発、濃縮圧縮ボンベ注入は岩谷産業が行う、そして燃料電池の
開発は三洋電機が行う、というように、こうしたコンソーシアムを組んで町と畜産開発公
社(牧場)が一体となって研究に乗り出し、今年で4年目になります。生研センターから
100%の支援をいただき、燃料電池開発に取り組んでおりますが、先月初めて家畜の排泄物
からメタンガスを発生させ、メタンガスから水素を取り出して燃料電池の開発に成功しま
した。このようなガスの研究もあわせて行っています。
雇用創出につながる木質バイオマスエネルギー(発電)への取り組み
そのようなことで現在は風力発電、畜産バイオマス発電、ガスから燃料電池の開発、太
陽光発電に取り組み、さらに木質バイオマスエネルギーですが、酪農と林業を基幹産業と
する本町では、、先ほど申しましたとおり、山と森を非常に大切にしながら林業を振興して
いる町です。20 年も前、オイルショックのころに、全国に 200 工場の計画があったと聞い
ているのですが、現在も稼動しているのは2工場しかない。そのうちの1工場が町内の民
間会社、葛巻林業株式会社にあります。それがまさに、今注目を集めている木質燃料ペレ
ットです。
私どもの町には第3セクターでワイン工場もあります。ワイン工場の暖房は、建物自体
は林野庁のモデル木造施設ですから木質ペレット燃料です。昨年の4月1日にオープンし
ました介護老人施設の熱源は、ボイラーを二つ設置してペレット燃料を使用しています。
そのペレット工場と介護施設が目と鼻の先にあり、生産する施設が使用する施設に隣接し
ています。さらにその介護老人施設では太陽光発電もやっていて、木質バイオマス系の視
察のちょうどタイミングのいい場所にあります。
林業を一生懸命やっていて、林業の端材でチップを作るのですが、チップをつくる皮と
© 2004 環境を考える経済人の会21
5
2004 年度第 3 回朝食会
環境を考える経済人の会 21
か木片を、前は廃棄物としてあちらへ捨て、こちらへ捨て、としていたのですが、それを
このペレット化する機械を当時三井系の会社が導入し、ペレットを作っていたのです。一
時、灯油が安くなり、この事業も休業する事態がありました。そのころ、私はまだ牧場で
牛飼いをしていましたので、牛もベッドはやはりふかふかしていた方が良くて、このペレ
ットになる前のもやもやした木の皮を粉砕したものを家畜のベッドにして、家畜の糞尿が
それに吸収されて、それを堆肥にして土に返した。それが非常にいいものですから、私は
このペレットが売れなくて困っていた時代に牧場でたくさん使ってあげました。そうした
こともあって、その工場は閉鎖することもなく今まで続いて、今は生産が間に合わないく
らい、岩手県知事の部屋、もちろん私どもの役場にもペレットストーブがあるのですが、
そのようなことで CO2 を排出しない熱源としてのペレット燃料が注目されています。
このように今、クリーンエネルギーを手に入れることができました。クリーンエネルギ
ーを手に入れた次は、木質バイオマス発電です。というのは、風力発電は1万 7,000 世帯
の電気をおこすにしても、ほとんど雇用が生まれません。風が吹けば 100 で、吹かなけれ
ば0という非常に不安定な電力です。そこで、木質バイオマス発電は材料さえストックし
ておけば安定的な電気をおこすことができます。そして山を手入れしながら林業の振興に
もなり、雇用も創出されます。そうしたことから木質バイオマス発電施設を手に入れたい
という夢を持っています。また、くずまき高原牧場は 30 万人の方が年間に訪れるようにな
りましたが、この牧場の電力をすべて風力発電と畜産バイオマス発電と木質バイオマス発
電、さらに太陽光発電も組み合わせて、一般の電力を買わずにすべて自分たちで、クリー
ンエネルギーで賄えるようなモデル的な牧場にリニューアルしたいという構想も持ってい
ます。
というように、葛巻がクリーンエネルギーの生産日本一を目指してということを言える
のは、まず畜産を一生懸命やっていたがため、風力発電が導入され畜産バイオマス発電が
あり、林業を振興していて 20 年も前からペレット燃料があったというような経緯です。
風力発電が地域にもたらす経済効果ですが、3基の風車は3億 4,000 万円の建設費でし
た。半分が NEDO からの支援で、町には年 200 万円の固定資産税が入ります。それから
12 基の電源開発が建設した風車は総建設費が 47 億円です。町には 17 年間の年平均 3,000
万円くらいの固定資産税が入ります。そのような地域経済にもたらす効果があり、町民の
電力が安くなるというものではなくて、100%東北電力に販売するというかたちです。雇用
はそれほど生まれないということもあります。
町はクリーンエネルギーを導入しながら、地球規模のエネルギー、環境問題に貢献しな
がら発展的状況を構築しようという思いで、このクリーンエネルギーに取り組んでいると
いうことです。
質問の時間を多めに取りたいと思いますが、盛岡から八戸まで新幹線が延長され、東京
駅から2時間 40 分、新幹線の「いわて沼宮内駅」から 20 分でくずまき高原牧場に到着し
ます。そこには畜産バイオマス発電とガスの研究施設があります。そこから 90 分で太陽光
発電、木質バイオマス発電、といったすべてが見られるという地域ですので、ぜひ皆さん
に一度おいでいただければ、私がご案内申し上げたいと思います。どの点に皆様方が興味
をお持ちか、ご質問いただいたほうがいいと思いますので、私の話を終わらせていただき
ます。
© 2004 環境を考える経済人の会21
6
2004 年度第 3 回朝食会
環境を考える経済人の会 21
三橋規宏
ありがとうございました。中村町長から葛巻町の自然エネルギーの非常にすば
らしい取り組みについてご報告いただきました。私から一つお伺いしたいのですが、葛巻
町では若い人たちはどれくらいいるのでしょうか。やはり高齢者が多いのですか。
中村
高齢化率は約 32%くらいです。1年に1%くらい上がっていく感じです。私が就任
したときには 27%でした。若者ですが、第3セクターの牧場の従業員 100 人、ワイン工場
26 人、ホテル 21 人ということで、第3セクターで 157 人の雇用を創出し、その中の 70 人
が U ターン青年です。それから、外部から葛巻に来たいということで来ている方は、研修
生や酪農ヘルパーとか、10 人くらいの若者が常時県外から来ています。
国からの補助なしでは自立不可能な日本の中山間の町村
加藤秀樹
シンクタンク「構想日本」の代表をしている加藤です。たしか葛巻は町村合併
しないのでしたね。私はその方が正しい選択だと思いますが、ただ、敢えて意地悪な言い
方をしますと、今お話いただいたのは全部大変先進的な取り組みでいいことだと思うので
すが、すべて町の第3セクター事業ですね。どうやって町自体が自立していくのかという
ことを、ぜひ伺いたいと思いました。それから、どの事業も何らかの国を含めて補助があ
るわけですから、それを期待せずに事業が成り立っていかなければいけないわけですね。
ですから、そういう意味でも、私が言う「町」というのは町役場あるいは第3セクターで
はなくて、町としてそういう事業を含めて雇用を創出して事業を成り立たせていくかとい
うことを伺いたいと思います。その際に、町の人たちは私の印象ではあまりこの中に登場
しなかったのですが、どういう役割を果たしているのか。この会は経済人と NGO/NPO と
の交流の会ということが本来の趣旨ですが、そういう町の中で NGO/NPO 的に活動してい
るということはあるのかどうか、ということについて教えてください。
中村
その通りです。町が自立する、すなわち職員の給与もすべて賄えたり、町民へのサ
ービスを住民の力で賄えればいいのですが、今、日本の中山間地帯で、3,200 市町村の内
の 2,500 くらいが町村なのですが、これらの町村が自立しているか、自分の町村の税金や
事業ですべてを賄えるかというと、それはほとんど不可能な構造になっています。
これを論じているとこれだけで時間が足りなくなってしまうのですが、単純な話、田舎
は空気と電気と水を供給し、人材までも供給しているわけです。今ごろになって私の同級
生世代が東京でリストラになって戻ってくるんですが、もう仕事はないしお金のかかる状
況になって帰ってくる。つまり働き盛りのころは首都圏で働いて首都圏に税金を納めてい
る。そしてリタイアしてから故郷に帰ってくるという同級生が、最近多くなりました。日
本全体がそのような構造になっています。たとえば、今年は 57 億円の予算を組んだのです
が、税金収入は5億円弱です。職員は現在 200 名おり、全体で 12 億円くらいの給与を払っ
© 2004 環境を考える経済人の会21
7
2004 年度第 3 回朝食会
環境を考える経済人の会 21
ています。会社経営という視点から言うと、自立というのは不可能です。このような状況
の中で、これまでは国からの交付金によって町は成り立っており、この構造が三位一体改
革の中でどのようなかたちになっていくのか、まだよくわからない状況です。ですから、
今のご質問に対しては、このような状況ですので自立できないとお答えするしかないとい
うことです。補助に頼らずにこれまでのことをやってくるということは、到底考えられな
いことです。
町の人々の関わりという観点のご質問ですが、NPO 法人は体育協会一つ、そしてお配り
した町長新聞にあります JR の駅舎を町が無償で JR からお借りして、NPO 法人に駅舎の管
理運営を委託しようという計画があります。比較的に NPO の立ち上げなども少ない状況に
あります。
大企業の資本と地方の資源とを連携させてクリーンエネルギー事業を構築
松下和夫
今の加藤さんの質問にも関連するのですが、自然エネルギーの関係で、葛巻町
が地元の支援や自然状況を生かして、なおかつ国が用意した補助金や、大手の風力発電会
社の資金を組み合わせて、風力発電、太陽光、バイオマス等を開発したということは、そ
ういう意味では成功してきたと思うのですが、ただ新聞記事等にも書かれていますが風力
発電は非常に収益性で厳しいと言われています。それから雇用を生み出していないという
こともおっしゃっていました。また太陽光発電も同じ事情があると思いますが、そういっ
たことについて、先ほどこの朝食会が始まる前にお伺いしたところでは、風力発電につい
ては新エネルギー特別措置法によって入札制度になってきて、電力会社が買い入れる価格
が非常に抑えられてきていて、町独自で風力発電を開発しようとしても非常に難しいとい
う状況があると聞きました。そういった国の制度、政策についてどのようにお考えか。本
来は先ほどのお話にもあったように地元の雇用を興したり、地元の技術を生かしたり、地
元の人たちが出資してその出資した結果が地元に返るような、そういう地元で循環する仕
組みができればいいと思うのですが、現在の取り組みは資本は外部から大手が来て、機械
も外国から来て、雇用が生まれないで、固定資産税だけは入りますが、だんだん風力発電
の売電が厳しいとお聞きして、ちょっと心配しているのですが、このへんについてどのよ
うにお考えかお伺いしたいと思います。
中村
今のお話は風力発電3基を平成 11 年に建設したころは、当時の通産省(現・経済産
業省)の指導で、電力会社は「最初の3年間は 14 円で買いなさい、後は 11.5 円で買いな
さい」と 17 年契約でこの事業は成り立っていました。平成 12 年の4月1日から電力の自
由化、エンロン社が日本に進出する時代になりまして、そのころから電力会社は国の指導
の単価で買うということを廃止し、入札に切り替えました。その次に電源開発が建設した
12 基の風車の時は入札で、まず落札しないと建設計画が進まないということで、落札して
から建設を始めるということに変わりました。その結果、正確ではないのですが、12 基の
風車の電力は 9.20 円くらいで東北電力に売電されています。その後、岩手県の遠野と釜石
の間にある山に、トーメンが 43 基の風車を建設中です。この入札価格は6円台と聞いてい
© 2004 環境を考える経済人の会21
8
2004 年度第 3 回朝食会
環境を考える経済人の会 21
ます。したがって、平成 15 年度中の落札価格は1kW あたり6円台になっているというこ
とです。これまで 11.5 円の風車をどれくらい持っているかで、6円台の風車を管理運営で
きるかというような、トータルでのコスト計算で今建設している人たちはやっているので
すが、ところが今度は、風力発電の機械も輸入で非常に安価で入るようになってきている
という状況もあります。
しかし、このような厳しい時代の中で市町村が独自で乗り出すというのは、大変厳しい
状況にあるということと、雇用が生まれない、ということ。15 基の風車があるのですが、
一人は会社からの人、もう一人は高校卒業後雇用された人の二人で管理しています。入札
になって売電単価が非常に安くなっているので、私どものような地方自治体では難しいと
いうこと、私が唱えたいのは、やはりヨーロッパのようにとまではいきませんが、新エネ
ルギーの導入に関しては国民的合意が必要だということです。東北電力をはじめ、グリー
ン電力制度(毎月 500 円ずつ理解のある方々が電力料金とは別に納められる制度)があり
ますが、こういったことがもっともっと普及してご支援をいただくような状況にならない
と、新エネルギーというのはなかなか進めにくいという状況にあるのは確かです。
ただ、最近は機械を売る側の会社が地方に進出してきて、施設を 10 億〜20 億円投資し
てセットして、材料を提供してもらえば発電して売電して、十分やっていけますよという
話もあります。たとえば鶏糞発電というのは、養鶏農家がニワトリの糞を毎日 10t車で 20
台分持ってきてくれれば、発電をして、4〜5円で売電しても十分見合うという話もあり、
地方は今、大企業と地方が持っている機能や資源とを連携、あるいは商品としながら、ク
リーンエネルギーの事業を構築していく時代だなと認識しています。
木質バイオマス発電を林業活性化の起爆剤に
丹羽宗弘(CUC 政策情報学部教授:オブザーバー参加) 私の質問は林業に関することで、
日本の林業は非常に不振であるということで、林業の活性化がないと日本のバイオマス利
用の活性化にいたらないのではないかと思うのですが、これは、現在と将来的に見ていか
がなのでしょうか。
中村
林業は確かに山の材料が非常に安いということで低迷をしています。バイオマスが
一つの活路だと思っています。先ほども申し上げましたように木質バイオマス発電所が仮
にあったとしますと、そこに材料を提供するために森を整備することになって、雇用が生
まれたり、そこで発電もできたりということで、木質バイオマス発電がすばらしい地域産
業になるという思いはあるのですが、現状では木質バイオマス発電というのは、まだ風力
発電の 100 分の1にも満たないくらいです。日本では風車はすでに 600 基も回っています。
ところが木質バイオマス発電というと、どこかにあるかなというレベルなのです。600 分
の1と言った方がいいかもしれません。そういった意味で非常にコストが高いのです。た
とえば、葛巻の3基の風車は3億 4,000 万円で 1,200kW の発電量です。しかし 1,200kW の
発電を木質バイオマス発電では 10 億円です。いろんな方々からご提案をいただいて、ただ
いま勉強中です。今のところ、そういうコストですから、われわれがそれを手に入れると
© 2004 環境を考える経済人の会21
9
2004 年度第 3 回朝食会
環境を考える経済人の会 21
いうことは非常に難しくて、やはり企業とジョイントして、企業が葛巻町に木質バイオマ
ス発電所を建設してくださり、私どもはそれに一生懸命材料を供給するという機能分担で
やっていければと思います。林業の振興には、この木質バイオマス発電による新エネルギ
ーは活性化につながる起爆剤だと、今もっとも期待が持てるのはこれだと思っています。
三橋
林業の場合には、山の管理が非常に必要ですね。それはかなり雇用がつくれるんじ
ゃないかと思いますが、これは永続的な雇用につながらないのでしょうか。
中村
葛巻の場合はこの数十年、150 人弱の森林組合の作業班があります。3万 8,000ha
の山で、毎日 100 人強が山の仕事に従事しているということがございます。葛巻町産材は、
JIS マークをとれる、木をスライスしてボンドで貼り付けて長さも幅も高さも強度も確保
できる集成材の技術が葛巻町にはありまして、いま、埼玉県の浦和に藤島建設という会社
があるのですが、2,000〜3,000 万円の住宅を 200〜300 戸建設している会社ですが、今度
500〜600 戸の住宅を葛巻町産材だけで建設したいということで、話を進めています。そう
いった意味で、比較的葛巻の林業は希望が持てるし、これまでずっと 100 人以上の雇用を
続けてきたという経緯はあります。
食糧と環境とエネルギーに一生懸命取り組むことで次の時代も開けていく
海野
ともかく一番にすばらしいと思ったのは、くずまき高原牧場をここまで食糧供給基
地として発展させたということと、環境、エネルギーをここまでやってきたということで
す。その中で町の自立とか雇用というのは、僕自身の印象では次の 10 年ではないかという
感じを受けました。
10 年間ぐらいボルネオ島で年に 1 回の講演を行っています。それは、「熱帯雨林を伐採
して、または焼畑農業をやって、というのを毎年繰り返すのはよくないよ」ということを
話して、産業を育成することによって新たな雇用を考えなくてはいけないという講演をし
てきたわけですが、今日のお話を聞いて、次の展開、日本の葛巻のような町がどんどん出
てくる、それをさらに次に進んでどのようにお考えになっているのかなというところを、
マレーシアでかつて自分がやってきたことと重ねて、どのようにお考えかお聞きしたいし
たいと思います。
中村
次の時代へ向けての構想ということでよろしいでしょうか。先ほど申し上げました
経営の基本方針、淡々とやっていくことが次の時代にも貢献できることではないかと思い
ます。食糧と環境とエネルギーの問題に貢献しながら、町民が一生懸命やっていれば、次
の時代が開けていくと思います。
先ほど、先人の努力、行為もお話しましたが、やはりその時々の目の前の課題を一生懸
命やっていれば、次の時代に対応すべきことが開けてくるというように思っています。10
© 2004 環境を考える経済人の会21
10
2004 年度第 3 回朝食会
環境を考える経済人の会 21
年後はこういう時代が来るから、それに向けてこういうことをやろうというような手法は、
葛巻町は今までも取ってこなかったし、私が町長に就任してからもそういうことはなく、
今の課題に一生懸命取り組んでいることによって、次の時代がそれに継続して、いきなり
10 年後が来るわけではないので、という思いで、あくまでも食糧と環境とエネルギーの問
題に貢献しながら、町の発展的状況を構築したいという基本的考え方は変わりません。食
糧の問題は今、何と何が課題で何を一生懸命やればいいか、環境問題は何が課題で、何を
今やればいいか、というように考えながらやっています。
海野
先ほどの加藤さんの質問で、資金的に国家からの補助金を相当投入しているという
指摘があって、松下さんから雇用の問題という質問があって、そういうことで質問をさせ
ていただいたのですが、さっきの林業のお話もありましたし、いろんな形で展開されてい
ますが、町の活性化、町づくりということは人・もの・金とよく言われますが、人の面に
ついてはどのようにお考えになっているのかというところをお伺いしたかったのですが。
中村
それぞれの事業を着実に伸ばして、若者の定着を図る、事業を進める上で人間は教
育されるんですね。何かをやろうということで人間がそれぞれ、その場面ごとに仕事から、
周囲から教育され、人づくりがなされていくと思っています。私自身も事業を通じて育て
られた人間だと思っています。先ほどの自立、補助金の話ですが、余談になりますが 10
年以上前の、平成 11 年よりも前の町長というのは、「国からいかに補助金をもらってこら
れるか」ということが、一つの力量でありました。今、首長に求められるのは、
「何を切れ
るか」ということになりました。そういったことをどれくらいできて自立した町づくりが
できるかというようなことが問われている時代です。補助金も限りなく削減方向です。そ
うした時代ですし、補助金をもらって何かをやるという発想はほとんどわれわれの念頭に
はありません。それで私は先ほど来申し上げておりますように、そういうものを事業にし
たい企業と町がジョイントして事業展開していく時代だと思っています。
丹羽
町としての、将来こうなるだろうというような、環境へのハザードに対しての町の
姿勢というものが、環境事業を通して町の人たちにどのように伝わっているのか、それに
ついてお伺いしたいと思います。
中村
先ほど、新エネルギービジョンは全国でまだ 27%程度だというお話をしましたが、
私どもはすでに「省エネルギービジョン」なるものを策定しまして、これも全国の先駆け
です。このように、省エネルギーの問題、また環境については中ほどに「葛巻の環境は未
来の子供たちへの贈り物」ということで、小中学生を中心に環境についての取り組み、た
とえば葛巻小学校の環境への取り組みは、全国の環境への取り組みを東京のビッグサイト
で発表する機会があったのですが、そこでも発表したこともあります。
© 2004 環境を考える経済人の会21
11
2004 年度第 3 回朝食会
環境を考える経済人の会 21
また、大雨で河川が氾濫して災害が起きました。そこにはカワシンジュガイとかハナヒ
ョウタンボクとかの希少動植物がたくさんいて、子供たちを中心に地域をあげてその動植
物の移植し、貝を何千とみんなで回収し、カゴに入れて別の川で管理して、河川が改修さ
れてからまた放すとか、いろいろな環境への取り組みをしまして、これが河川改修の全国
発表会で環境に配慮した河川改修ということで私どもの役場職員が発表して最優秀賞をい
ただきました。中学生はもちろん校庭の一角に設置された太陽光発電を朝夕見ていますが、
確実に、次世代の環境への取り組みの考え方、姿勢は伝わっていると思っています。
地方自治体が NGO/NPO の発想をもつ時代
三橋
今の中村町長のお話を聞いて、いろんなご質問がでましたが、私の印象を少し述べ
させていただきたいと思います。
よく言われるように高度成長期には最後尾を走っていたわけですが、時代の風が逆に吹
き出して振り返ってみると先頭を走っていた、という状況が、今、全国で起こっています。
この葛巻町も、振り返ってみたら自然のままの環境が残されていた。風がよく吹くとか、
牧草が育つとか、太陽がさんさんと降り注ぐとか、そういうものに付加価値をつける形で
新しい地域興しをしていきましょう、というようなことだったと思うのです。
それと、もう一つ、先ほども質問があったように、これからの地方自治体をいろいろ見
ていますが、昔は知事をはじめ市町村長の「長」というのは中央の役人あがり、自治省と
か建設省とか、そういうところを卒業した人がなっているケースが多かったですね。それ
は、今ほど中村さんがおっしゃったように中央からお金が持ってこられたから、そういう
人たちが天下ったわけですね。それに対して中村町長などに象徴されるように、
「もう、中
央からどんどんお金を取れる時代ではないのだ。中央もお金がなくて四苦八苦しているん
だ」ということです。そうすると、なにも中央から人が来てくれる必要はないわけです。
むしろ地元をよく知っている、地元で育った人が首長になったほうが、いろんな付加価値
ができてくる。今のこの葛巻町の取り組みなどを見ていると、葛巻町も一つの NGO/NPO
という位置づけで地方自治体、市区町村の存在を捉えていく時代になってきているのでは
ないかと思います。
地域の活性化というようなことで住民も含めた取り組み的な形で、これからはむしろ地
方自治体、特に市区町村の長というのは、行政の代表というよりはむしろ NGO/NPO の代
表というような位置づけでいろんなことをやってもらいたいし、住民の見る目もそういう
ようなかたちで、地域を構成する一構成団体なんだという、昔の行政で「こうしろ、ああ
しろ」というような中央からの方針を押し付けるという時代ではなくなってきているとい
う感じがします。
それと、補助金等でも、一方では温暖化対策として新エネルギー開発は必要ですよとい
うことになると、経済産業省にしても環境省にしても、いい提案をしているところにはお
金を出したいという観があります。そういうところを探しているわけです。だからそれは
むしろ実験として葛巻町がそういうことをやっていれば、むしろそこにお金を使ってもら
いたいと、その中央のお金の使い方もだいぶ違ってきているように思います。だから、お
願いして補助金をもらうというよりはむしろ、
「こういう提案があるんだけれども、お金を
© 2004 環境を考える経済人の会21
12
2004 年度第 3 回朝食会
環境を考える経済人の会 21
出したらどうでしょうか」というような、従来の地方自治体ではなく NGO/NPO の発想で
すね。そう位置づけて、葛巻町の将来、地域づくりを私たちは見ていく必要があるのでは
ないかと思います。
塩田泰之
大林組の塩田です。非常に有意義なお話をありがとうございました。一つお伺
いしたいのは、町の方々の意識の問題です。今お話を伺っていますと、葛巻町は行政の非
常に強いリーダーシップでここまでいい結果が出たのではないかと思うのですが、環境を
中心に町の人たちがどういう意識をもたれているのか、どのように意識が変わってきたの
か、あるいは町民の方々がやれる事業、生活の形態とか、そんなことに現れているのか、
具体的に何か事例をお話いただければと思います。
中村
さきほどちょっとお話した子供たちにもずいぶん浸透しているというのが一つです。
それと、産業廃棄物の捨て場になる恐れが 16 年くらい前にありました。八戸市に注ぐ
147km の一級河川があるのですが、その水源地が葛巻の風車のふもとにあります。そうい
う水源地の町としての環境保全を考える。産業廃棄物など持ち込まれてはとんでもないと
いうことで、環境に対する意識の強い町民がいることは確かです。それに、
「あの町長はち
ょっと怪しいんじゃないか」と産廃関係で怪しまれて落選した町長もいます。その町長も、
決して「私は賛成して産廃施設を造る」と言ったわけではありません。
「俺も反対だ」と言
ったのですが、
「なんかちょっとおかしい」というだけで、落とされたというくらい、町民
の環境に対しての意識が強いということです。
風車を3基建てたときから、町民の環境とエネルギーに対する意識が変わってきたとい
うこと、私が「町の経営の基本方針は食糧と環境とエネルギーだ」というように諸会合で
話をしたりしますので、そのことはやはり自分たちの行為とかが地球規模での課題に貢献
していることなんだなということも徐々に浸透しています。
今年は、財団法人地球・人間環境フォーラムのアレンジで日中韓のワークショップを葛
巻で開催してもらいまして、さらに環境についての問題を町民が強く意識する機会があり
ました。平成 12 年には全国風サミットが葛巻で開かれ、町外の方が 500 人、町内の人間が
100 人参加して、クリーンエネルギー、環境問題、風力をセットにしたシンポジウムを2
日間開催し、そのときも環境とエネルギーに対する大きな考え方、認識を深める機会があ
り、普通の山村、町村よりははるかに環境とエネルギーに関しての認識、意識は強い町民
が育っているのではないかなと思っています。
三橋
食糧についてですが、葛巻町の場合、食糧の自給率は 100%を超えているのですか。
中村
先ほど申し上げましたが、牛乳だけで毎日 120t生産していますので、牛乳は4万
人のカロリーに匹敵し、人口は 9,000 人ですから、それだけの食糧を生産していることに
© 2004 環境を考える経済人の会21
13
2004 年度第 3 回朝食会
環境を考える経済人の会 21
なります。そのほかに米も野菜も作っていますので、十分賄えている状況です。
三橋
今、日本全体の食糧の自給率はカロリーベースで 40%くらいしかなく、これからの
食糧不足の大きな問題になっているわけですが、日本全体ではそうだけれども、地域によ
っては 100%必要な食糧を自給しているところはたくさんあるわけですね。ですから日本
全体で見て、将来、いろいろ食糧不足の問題が起こってきた場合、一つのモデルにもなれ
るわけですね。そういう点、
「食糧自給率 100%」も一つの大きなセールスポイントになり
得るのではないかと思います。
日本の場合は、エネルギーにしても、自然エネルギーの割合は 2010 年でいくら努力して
も3%くらいがやっとではないかとか、食糧自給率は 40%とか、全体でいろいろ議論して
しまうけれども、地域によってはそうではないところがいっぱいありますよ、ということ
で、そういうところが元気を持って新しい時代のモデルを作っていくというような提案の
仕方が、これからは非常に重要になっていくのではないでしょうか。そういうようなこと
で、今回のお話は非常に参考になったと思います。
© 2004 環境を考える経済人の会21
14