隠居夫婦の旅日記・2005 『ペナンはドリアン』

隠居夫婦の旅日記
ペナンは
ペナンはドリアン
(a Holiday in Penang)
2005 年 5 月 23 日(月)
あの“TSUNAMI”がなかったら、今年の寒の内に旅立っていた筈である。
スマトラ島沖地震の津波は、世界を震撼させた誠に忌まわしい災害であった。しかしプーケットな
ど他の島々に比べたら、ペナンは幸いにしてそれほど大きな被害を受けなかったようである。イン
ターネットでの現地情報では、既に日常の変わらない生活が島全体に戻っているらしい。
その為に出発が遅くなり、それだけに心待ちにしていた旅発ちの朝が遂にやってきた。
いつもの習慣通り、中日新聞の運勢欄“申年の項”に目をやった。
「鳳凰飛び来る象にて諸事勝ちを制し喜び多し」
久々の旅に出るにあたって、何とも有難いお達しではないか。いま流行の年金で暮す海外生活、
その可否を求める一ヶ月の旅の幕開けだ。
本日、一 Q&エイコは中部新空港=セントレアを飛び立つことに相成なった。
Ep01.(エピソード 01) Yes !
11:00AM 発、MH57 便に間に合わせるべく、早々とセントレアに着くも2時間前のチェックインカ
ウンターに地上スタッフの姿はなかった。
まもなく現れた女性職員は「マレーシア航空ですか?」と笑顔で問いかけてきた。
「Yes!」思わず成り行きでイエス!と言ってしまったのだが、当然ながら「Please show me your
ticket?」と英語で返されてしまった。
Ep02.コンビニおにぎり
機内中央座席に、イスラムのスカーフを纏ったマレー人の母子連れが座っている。
外国籍の航空機ではあるが、昼食にコンビニ仕様のオニギリがついてきた。
とくに観察する積もりでもなかったが、ふとあの母子に目をやると、オニギリを食するまでのプロセ
スに、案の定四苦八苦の様子である。
いやはや日本人でも困難のこと、ゆっくりやりなさい。苦心の末、やっとの思いで
セロファンと本体を分離、青海苔をオムスビにしっかり絡ませることに成功した。
やったね、が、次の瞬間思わぬ方向に事態が進展する。
せっかく包んだ海苔を少しずつ下に下にと剥しながら食べだした。ほっほう!海苔は食べ物と思
っていないのか?単にご飯を支える道具と思っているのかな?それとも海苔が嫌いなの?
確かめるのも大人気ない、疑問は尽きなかったが未解決の問題はそのまま闇に葬られることと
なった。
現在、マレーシア時間 13:05 分、MH57は高度 14000m、対地速度 880km/hで台湾上空を通過
中である。
Ep03. ガス点火せず
マレーシア時間 20 時、コンドミニアム到着。
Net World のTさんに、これからスタートするロングステイの生活について様々の説明を受けた。
いよいよペナンの暮らしが始まる事となった。
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今宵は長旅の無事を祝って?「そうめん」を食べる事になったのだが。さてさて!?
どうしたことか、何としてもガスが点火しない。
どうやら器具の故障ではなさそうである。残る原因はガスボンベ、どうも一番怪しいのが残量な
し・・だ。
T さんにその旨を連絡すると、夜分にも関わらず直ぐに飛んで来てくださった。
そして、夕飯にありつく資金として、財布に日本円しか持たない我々は、彼から50マレーシアリン
ギット=約1500円を拝借した。
Ep04. チャイニーズ!?
遅めの夕食は、Tさんから紹介を受けた近くのフードコート(屋台村)へ。何もかも、まったく分け
が解らないままテーブルに着く。何やら注文を取りに、店員らしきお兄さんが中国語で話しかけて
きた。Sorry…!?
ん~ん!?と、首を捻ってお兄ちゃんは何処かへすっ飛んで行ってしまった。
代わって、次に英語のお姉さんがやってきてくれた。それは飲み物の御用聞きだった。
①まずテーブルに着く、最初に飲み物の注文取りがやって来る。②食べ物はグルリと広場を取り
巻く多種多様な屋台へ出向き、そこで好みの料理を注文する。③注文品は各テーブルに配達さ
れる、直ちに代金の支払いをする。
以上のシステムは、ペナン最初の夜、冷や汗をかいた学習の成果である。
Hokken Mee(ホッケンミー=福建麺)は一杯 RM2.5=約60円だった。
ペナンで最初に味わったこの麺は逸品である、忘れることの出来ない一品となった。
5 月 24 日(火)
朝、熱帯名物のスコールが来たようだが、朝寝坊のせいで折角の初体験を見逃してしまった。
周辺の情勢偵察にコンドの門を出ると、道はところどころに水溜りがあった。それを見てきっと雨
が降ったのであろうと分別がついた。
Ep05. カラス攻撃
門を右に折れて間もなく、頭頂部にガツン!と衝撃が走った、と同時に黒い物体が眼前右方向
に飛んだ。それはカラスだった。
首の辺りが少し瑠璃色っぽく光って、日本で見るカラスよりちょっと小型である。
しかし、こいつは紛れもなくカラスであり、人間さまを恐れることなく果敢に攻めてくるところも日本
の奴と同じだ、と感心する。多分、街路樹の茂みで子育ての真最中なのであろう。
Ep06. 歩道は豪華タイル張り
この辺りは多くのコンドミニアム、病院、個人のお屋敷などが立ち並ぶ、言わば高級住宅街み
たいな地区である。車道と区分された歩道は確かにあるが、かなりの段差があったり、暗きょの
蓋が割れていたり、昨今の日本のような歩行者に優しい道路とは大違いである。
と、ある一軒の邸宅前を通りかかったとき、足元をすくわれ、一瞬の踏ん張りが無かったら、その
場にすっ転んでいたに違いない事態を体験することとなった。原因は歩道の高級タイル。そのお
屋敷の前だけが何と10センチ角、ツルツルのタイルでお化粧がされていたのだ。軽装で颯爽と
出かけた周辺偵察と散歩。履いていたビーチサンダルは底にギザギザがない。朝のスコールで
濡れたタイルに無抵抗で滑った。
公共構築物の筈である歩道を、デザイン上の好み通り勝手に自己流に変更可能や否や、マレー
シアの疑問が脳裏をかすめた。
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Ep07. ガス屋来る
ここペナンのガスと言えば、LNG=液化天然ガスのようである。昨日から頼んでおいたボンベ交
換は一向に現れる様子がない。再度のクレームに、夕刻になって黄色い大きなボンベを肩に担
いで、インド系のお兄さんがやって来た。
玄関の 2 重扉を開け、ニコリともしないお兄さんを迎え入れた。「ボンベ空じゃないの、多分!?」
と言うと、たった一言 ”Sorry!”
随分の小声だったので、陳謝の念は伝わってきたのだが。この場合、日本なら”ゴメンナサイ”を
5 回くらいは言わないと、社会通念上許されない場面なんだがな~、とこれも国民性、文化の違
いかと。
後で分かったことだが、LNG14kg 入りボンベ一本で RM13≒400 円弱と言うことである。産油国で
あるマレーシアならではの低価格だが、物価ショックはその後、あとを絶たないこととなる。
5 月 25 日(水)
ペナン初めての朝食。
昨日、近くのスーパーGiant で仕入れた品物が並んだ。コンド備え付けの大皿に、ソーセージ、サ
ラダ、エッグスクランブル、レイシ、持参のラッキョが 2 粒。それに食パン、ミルクココアとヤクルト、
その上日本茶、中々充実の食卓ではないか。料理をあまり得意としないカミさんが、精一杯頑張
った結果だ。
Ep8. Members Only!
3 日目の昼前、コンドを出た。いつも右に曲がっていたので、今回は左に曲がってみることにな
った。同じくして玄関から出てきた外人夫妻に、Hi!‥と声を掛けた。
奥さんがカナダから、旦那がイランからだと…ん?「友達!?」 NO、Married!と言う。ま、どっち
でもいいか。
病院の前を通りがかると、客待ちの TEKSI=TAXI が、乗らないか~?と声をかけてきた。No
Thanks!只今散歩中につき…。
と、ある民家風のガレージに、皆さんがテーブルを囲んでいる光景が目に映った。
よくよく見ると”Lunch Package RM1” と、横断幕の看板がある。お~っ!
昼飯セットで 1 リンギットだと・・・。
既にテーブルに着いていた近所の常連さんは、我々の姿に一瞬けげんそうな素振りであったが、
笑顔で頭を下げると同じ様に皆は微笑んでくれた。店のおばちゃんが焚いていた大鍋仕立ての
カレーライスを、お任せのトッピングでお願いした。食欲をそそる良い匂いがする。
確かに美味かった、しかも激安! 「RM2 for two parsons?」 しかし、おばちゃんは RM4 だと言う。
ん!? メンバーは1だけど、あなた方は2リンギットです。
2 名分代金 RM4を支払い外にでた。
と、「For Members Only 中華協会」門柱には確かにそのサインが存在した。
メンバー専用の食堂に全く気づかなかったのだ。それにも拘らず、何と寛容なことか、一人分60
円でも大満足だったカレー&ライス、上等な味だった。
ペナンの人々の心の豊かさが成せることか、と、また一つ嬉しい体験が加わった。
5 月 26 日 (木)
今日は朝から Goh さんのタクシーをチャーターした。
沖縄の親友に薦められていたバタフライファームと、その奥にあるフルーツファームへと向かった。
そこは世界有数の蝶類コレクションを誇る、と言われているのだが。意に反し、何かしら手入れの
行き届かないグリーンハウス内に、蝶が少しばかり舞っていた。反面、お土産の売店はというと、
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エアコンがしっかり効いて妙にきれいだ。懸命に品物を勧める店員に閉口し、早々と退出と相成
った。
タクシーはフルーツファームへと向かう。途中、道端にドリアンの売店があり、周辺の巨木にぶら
下がる無数のドリアンは威厳に満ちている。さすが果物の王!と感動さえ覚える凄みがあった。
しかしこの日、ドリアン初体験とはならず、又の機会へと持ち越しとなった。
Ep09. Uncle JAPAN!
フルーツファームでは、売店から少々の坂を上り詰めた農場で、文字通り多種類の熱帯果樹が
栽培してあった。その状況や様々なフルーツの謂れなどを、インストラクターが説明する”ツアー”
を随時催行していた。
料金を払い、そのツアーに参加することになった。お客は、イスラムの休日月間とかで、中東から
の訪問客が多くアラブの夫婦連れが 4 組、我々に加わった。あの黒い衣装で全身を包み、わず
かに開いた部分から覗くその目は実に涼しく、美しい。
勿体ない、なんで隠さないといかんのかな~・・と、カミさんが呟いた。
インストラクターのお兄ちゃんは、ボク英語が余り上手くありません、と、断った上、ほんとに熱の
こもった説明を一所懸命にしてくれた。好感が持てる青年だった。
その青年から“Uncle Japan”の愛称を賜った。彼は、説明に熱が帯びると、大声で Uncle Japan
を何度も口にした。アンクルジャパン!とは、我ながらちょっとした違和感を覚えつつ、一方でな
んと響きの良い言葉か…とも思えた。
中に、イスラムと思われる一組の若夫婦がいた。しかも、この若奥さんだけは、単にスカーフを軽
く巻いただけの姿だった。若旦那は“Maldives”とロゴ入りのキャップを被っている。モルジブへ行
ってきたの!?と気軽に声をかけた。
聞くと、サウジアラビアからのハネムーナーだった。お互い、デジカメのスイッチを押したりしなが
ら会話が弾んだ。彼らは大変陽気で、本国の砂漠に沢山実ると言う、Date Palm=ナツメヤシの
話などもしてくれた。ネームカードの交換をし、Email で写真を送る約束を交わした。
5 月 27 日(金)
5 日目ともなると、周辺徘徊も板についてきた。NW サロンへの道順も頭の中にあり、歩調はすこ
ぶる調子が良くなった。が、まだ一つ良く掴めないのが道路横断であった。ペナンの道路に、横
断歩道と信号は殆ど無い。大河の如く流れる車とオートバイを交し、道の向こう側に至る。ペナン
の俄か住民にとって、それは至難の技である。
Ep10. 道路横断は半分ずつ
ペナンの主要道路は、ほとんど全部片側通行と言ってよい。そして、片側 2 車線の半分ずつを
渡れば、以外に上手く行くことが分かってきた。まず、手前の半分、流れの隙をついて中央に立
つ、中央線上に立つ人間さまにお構いなく、彼らは猛烈なスピードで通過して行く。
最初は決死の覚悟の〝線上待機″であったが、これが以外に安全だった。つまりドライバーは、
日常茶飯事のこの光景に慣れっこなのだ。スイスイと小気味良くかわして行ってくれる。当然なが
ら次の半分も、流れの隙間を狙って決死の横断を敢行するのだ。2 車線両方ワンチャンスでの横
断は、何時まで待っても不可能、と思い知らされる。道路横断は何時でも何処でも半分ずつ、ペ
ナンの常識だった。
Ep11. 行き止まりの道
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閑静な住宅街、とある道を歩いている。右手に目的のビルが見えたとする。
しめしめと、当然右に曲がる。両側に並ぶ上等な住宅街を貫いて、道は間違いなく目標に向かっ
ている。尚前進する、と突然その道はプッツリと途絶える。
ペナン名物、行き止まりの道と言う。これもイギリス統治時代の名残なのか、土地造成における
近代都市計画の手法が、既にペナンには昔からあったのだ。道路は突然行き止まる、これもペナ
ンの常識だ。
Ep12. お天とさまは北の空
今日はよく歩いたものだ。今は雨季、南西モンスーンの時季ということで、もうちょっとスコール
に見舞われるものと覚悟していた。それが意外にも、少々雲が多めではあるものの、お日様は今
日もしっかりと照りつけている。そのお天とさま、実は北の空に輝いているのだ。
北緯3度ほどのペナン島。今頃の太陽は北回帰線辺りだから、北の空にあるのが当たり前のこと
なのだが。しかし、高い低いとの差こそあれ、一年中、南の空のお天とさましか知らない北半球の
人間にとって、北の空にある太陽にどうも合点がいかない。
太陽を左肩に見て真っ直ぐ歩く。北半球では、それは西に向かっている。だが、ここペナンでは実
は東に向かっていることになる。
5 月 28 日(土)
今日はペナン博物館を目指す。
途中、道順を尋ねた洋服屋のお姉さん方に、えっ!本当に歩くの?と言われながら。もとより暇
な日々をペナンで送る生活ゆえ、急がないのがモットーである。さんざん歩いた末、博物館にたど
り着く。
入館料 RM1≒30 円の館内はエアコンが行き届いていた。館はコロニアル風の威風堂々とした白
い建物で、ポルトガル統治時代からのペナン島変遷の歴史が、今に伝わる民具や画像などを駆
使し、実に細やかに展示されていた。
Ep13. 片道無料!?
博物館を後にして海岸沿い暫く行くと、フェリー乗り場に至った。対岸はマレー半島、バターワ
ース、マレーシア屈指の工業地帯である。
向こう岸に行きたくなって、チケットを買おうとしたが、売り場がどこにも見当たらない。係りのお兄
ちゃんらしきスタッフに尋ねると、それは「FREE!」と言う。無料!?
間もなくゲートが開いて乗船開始、10 分間隔で運行されるフェリーは車とバイク乗りが1F に、2F
に人が乗る構造になっている。
海上から見るジョージタウンのビル群は壮観そのもの。ゆっくり進むフェリーであるが、船上から
の大パノラマを見惚れている内にマレー半島に着いた。
そこ、バターワースを見渡しても、殺風景な景色が広がっているだけだった。写真を 3 枚ほど撮っ
て、ただちに引き返すこととなった。
折り返しの乗り場には、なんとチケット売り場があり、RM1.2 だと言う。
窓口のスタッフに 2 人分 RM2.4 を差し出すと、そっくりそのまま〝RM2.4″がコインで返ってきた。
支持に従い自動改札機にコイン投入をすると、ストッパーが開く仕組になっていた。
恐るべきマレーシアの合理性。なるほど~!と思い知らされたのは、片一方でのみの
料金徴収システムだ。ペナン島⇔マレー半島間の通行は、通勤、通学、買い物など殆ど 100%が
往復の利用と断言していいだろう。どちらの側から見ても、行きっ切りで戻ってこない乗客は皆無
だろう。
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あるバックパッカーがペナンを通り過ぎて、次の目的地に向かったとしたら、RM0.6 が徴収漏れと
なる。反面、バターワースからペナンに別の旅人が入ると、その人が損失を穴埋めしてくれる勘
定だ。しかし、こんな徴収誤差は無視可能の範囲だろう。
更に、切符の代わりにコインを使う合理性、地球に優しいマレーシアのシステムに感動を覚えた
一幕であった。
10 分間隔、24 時間営業のフェリーは、殆ど満席。20 分間ほどの航行であるが、片道 15 円という
料金は、何としても格安なのだ。
本日、5 万円のマネーチェンジを敢行した。Rate は JP\1が RM0.0351、50000x0.0351=1175
(RM)。1175 リンギットの懐は極めて豊かだ。フェリー埠頭からタクシーに乗って、スーパーGiant
までやって来た。
10リンギットの料金に RM50 札を出すと、運ちゃんはお釣りが無いという。仕方なく Giant に飛び
込み 10 リンギット札 5 枚にして貰った。
昼食はスーパー隣の日本食レストラン“楽市”で、幕の内風の弁当を食べることに。
ペナンに来て初めての日本料理だ。RM25≒750 円也、これはペナン標準とはかけ離れた昼飯代
で、何故か随分高いな~と思えた。頭の中の物価認識が、既にマレーシア仕様になって来ている
証拠か。
この日夕方、初めて猛烈なスコールを見た。コンドの窓に稲妻が映った。窓越しに道路をみると
相変わらずの交通量。バイクもまた何時も通りの流れだが、この豪雨の中、懸命にバイクを手で
押して歩いている人がいる。
スコール上がりの涼しさに誘われて、いつもの屋台へ夕飯に出かけた。ドリンクの注文を取りに
来たお兄ちゃんに又、中国人と間違えられた。この頃になって、すっかりペナン風住民になって来
たのか、よく中国語で話しかけられるようになった。
31 日(火)からクアラルンプールへの 2 泊 3 日の旅に出る。GARDEN INN のロビー奥に、高速バ
ス“NICE LINER”のチケット売り場がある。夕食の帰り道、チケットを購入した。
#5/31 日 9:30AM Penang⇒KL Executive クラス@RM50(B.F&Lunch つき)
約 5 時間の高級高速バスの旅が 1500 円、しかも朝食+昼食つきとは何とも嬉しい。
5 月 29 日(日)
Fishing へ。
朝、ガイドの Ong さんが迎えに来てくれた。聞くと、お兄さんが漁師とのこと。
先日、フルーツパークの帰途、Goh さんが案内してくれた、バツ・フェリンギ奥にある漁師村から船
がでた。
旧式の木造船ながら、波切りの良い先が鋭く尖った形をしている。船着場のどの船も全く同じ彩
色が施してあって、舳先は真っ赤に塗ってある。これは“山立て”の為の最も理想的な色具合だと
思った。
手釣り仕掛けの餌は冷凍の小エビ。エサ取りの雑魚が多く、投げ入れても全く無反応のうちに、
すぐに餌が無くなってしまう始末である。その正体は“ギマ”であった。
カワハギの様なオチョボグチで実に上手く掠め取っていくものだ。それでも、カミさんは 25 ㎝級の
キスを数匹上げて大喜びだ。キスにしてはかなりの大物と言えよう。
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Ep14. 海の猿
フィッシング終了時、モンキービーチと呼ばれている、殆ど人のいない浜に上陸してバーベキュ
ーをする算段になっていた。海岸に沿って、ココ椰子の茂る熱帯特有の砂浜。そこに椰子の実が
一つ、まるで何か物語にでも出てくる様に、白い砂浜に寄せくる漣波に揺れていた。
モンキービーチの由来通り、昼食の BBQ を楽しんでいる我われを遠巻きにして、可愛い小猿が
一匹、二匹、と何処からともなく現れてきた。とうとう一つの群れとなった。どうやら、デザートのフ
ルーツのお裾分けを期待している様子である。
ニホンザルとは違い、かなり小型の種で尾が長い。野生猿らしく人間への警戒を怠ることがない。
我われとの距離を、ちゃんとわきまえているようだった。姿かたちから、彼らはカニクイザルの一
種ではないかと思った。
5 月 30 日(月)
Tさん推奨“旨いもん屋”の一つ、サロン近くのイタメシ屋へ昼食に行った。その名も、”Bella
Italia” シーフードパスタとガーリックバターのパンが実に美味であった。コーヒーも自慢通りの良
い味がした。
Ep15. これ食べてください
隣の席に母親と息子の 2 人連れが座っていた。そのテーブルに供されたのはパスタではなくピ
ザだった。大きな釜で焼き上がったばかりのピザは、狐色にコンガリとほんとに美味そうだった。
パスタの味に舞い上がってしまっていたのか、ウエーターの
イタリア人に「あれ美味そう、ね・・」と、小声で言った積もりだったのだが、それは、母の耳にも届
いてしまったようだ。
「これ、食べてください」大きくカットした二切れのピザは我々のテーブルの上に
置かれた。母がニッコリ笑っている。とうとうご相伴に預かることとなってしまったのだ。この旅の
ために作った、特製ネームカードに“ARIGATOH!”と書いて手渡した。またまた出遭ったペナン
の優しさが、心の奥に刻まれることになった。
Ep16. 棚からマンゴー
その帰り道、ラッキーがもう一つ重なった。住宅街の曲がり角、一軒のお屋敷の前を通りかかっ
た。庭先に、緑色の実が無数にブラブラ下っているではないか。
一見してマンゴーと分かったが、庭に居た家人に「これマンゴーですか?」「黄色くなったら食べら
れるの?」と話したら、ちょっと待って!と言うや、家の中に飛んで行って、その手にはなんとマン
ゴーがあった。
どうぞ!と、頂いたそれは未だ熟していなかったが、これがもの凄く芳しい香りを放った。以後、部
屋に帰るたびに強烈過ぎるマンゴーの甘い匂いに悩まされることになったが、これも又、それとな
く自然なペナン流の親切を心に感じた出来事であった。
5 月 31 日(火)
クアラルンプールへ 2 泊 3 日の小旅行へ。
NICE LINER のターミナルになっている〝GARDEN INN″を 9:30AM 定刻発。
あいにく小降りの雨の旅立ちとなった。ペナン大橋手前にある、もう一つのターミナルへ寄り、そ
こで新たに数名が加わった。乗客総数は 20 名ほどとなり、空席がほぼ埋まった。リクライニング
シートの、日本流で言うデラックスバスだ。2階建てで、1F は荷物室になっている。
一人当たりの料金が RM50 だから、バス会社の収入は 50x28x20≒28000 円。400kmほどの行程
の高速料金、燃料代、車掌と運転手の手当て、こんな売上げで採算が採れるのか、低コストの物
価を誇るマレーシアでも、ちょっと厳しいのではないか。
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いやいや、デラックスではない普通クラスのバスもあって、それだと 23 リンギット、約 650 円だ。余
計な心配ご無用、と言うことか。
今、午前10時25分、早々と昼食の焼きソバと天然水のボトルが配られた。勿論、これも料金の
内、それに、先ほど出発前には GARDEN INN のラウンジで軽い朝食とコーヒーのサービスもあっ
た。
Ep17. 合羽が逆
小雨降るペナンの道路は、何時もの様に車とバイクの洪水だ。バイク乗りの姿に暫し目を奪わ
れた。それは、全てのライダーの異様な格好だ。と言っても着ている合羽が〝前後逆だけ″のこ
とだが。
これが実に堂々としたもので、凛と胸を張り、前後逆さまの合羽姿で疾走する大量のバイク。逆
合羽はスコールに対抗する生活の知恵なのだが、それは単なる知恵を超えて、大衆のもの凄い
エネルギー、強力なパワーを感じる光景なのである。
全長14kmのペナンブリッジを渡っているバスは、ジョージタウンとバターワースの両方の街を見
渡して走る。見上げると、雲の切れ間に青空が覗きだしていた。
Ep18. 突っかけサンダル
バスは2時間程走ったころ、IPOH 辺りでレストエリア入った。トイレ休憩20分、とアナウンスが
あった。その若い車掌は、イスラムのスカーフに、バスのツートーンカラーと同じ明るい紫色の上
下ジャージ姿、足に“突っ掛けサンダル”を履いていた。
ちょっと異様な色彩コーディネートである。会社からの支給と思われるが、ジャージ姿にサンダル
は、日本なら乗客が許さないだろう。20 分休憩を宣言しながら、50 分経過した 12 時丁度、バスは
再び走り出した。
高速道路のドライブインには、必ずイスラムの礼拝堂が用意されている。一日 5 回あると言う礼
拝時刻が、果たして何時なのか知らないが、たぶん彼女のお祈りタイムに合わせて、このバスは
運行されているようである。
売店には、それは豊富に熱帯果物が所狭しとばかりに並んでいた。マンゴー1kg で
RM6=180 円。氷で冷やしたビニール袋入りのマンゴー2 種類、一口サイズに切り身にして売って
いた。一袋 60 円。食べやすいように、ご丁寧にも竹串までついてきた。
オレンジ色の方が甘く、イエローグリーンの方は少し酸味があった。
バスが走りだして、ここは何処かな?と、隣の席のオバさんにマレーシア全図を広げて聞いてみ
た。「よく知らない」と、確かな答えは返ってこなかった。そして、ここの売店は高いよ、と言われた
がもう買ったあと、あとのまつりだった。
午後、KL の KTM ターミナルにバスは無事到着。
この夜はこの旅最大の目的、クワラセランゴールの Firefly=蛍見物だ。Jet Asia の Pang さんと
PM5 時、ザ・フェデラルのロビーで待ち合わせの約束をする。
ワゴン車に乗って約一時間半、夕闇が近い Firefly Park の小さなレストランで夕食をとった。公園
といっても、ひなびた村のひなびた所といった風情で、他に見物客の姿など殆どない。
そんな中、若い女性が 2 人、日本語で話していた。とある旅行社の社員とガイドのお嬢さんで、ロ
ングステイプログラムの企画のため、この地を訪れているとの事であった。公園の夜店で″Kuala
Selangor″のロゴ入り野球帽を購入する。15 リンギットであった。
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肝心のホタルのことだが、それはそれは見事!と言うしかない夢幻の世界だった。
日本の蛍より小さく、瞬きのピッチが超高速だ。その数、筆舌に尽し難し。セランゴール川の両岸、
マングローブに群がるホタル観賞は、岸に沿って電動モーターの船が音一つ立てず川面を進む。
暗闇の中の静寂空間、光だけの幻想ショー。それはまさに、天然の電飾クリスマスツリーだ。ただ
し、この映像、余ほど高級なデジカメか、写真の専門知識がないと撮影不可能だろう。あたり前だ
がストロボフラッシュ厳禁。
もちろんストロボによって雰囲気は台無し、同行者の顰蹙を買うこと間違いなし。それにストロボ
焚いたら尚さら写らないことになる筈だ。
6 月 1 日(水)
クアラルンプール市内観光へ。
37 年前、この地を訪れた際に出会った HAM の Ong さんは、元気なら 70 歳ちょっと前くらいになら
れている事だろう。ガイドの Pang さんに頼み、当時交換したハムの交信カードにある、住所近くに
車を回してもらった。
暫し佇んで辺りを見回した。必死にあの頃の記憶を辿ろうとしたが、やっぱり浦島太郎だった。ど
うしても思い出せない、とうとう手掛りさえ掴めなかった。仄かな期待はあったが、この件は残念
な結果に終わってしまうことになった。NW サロンの Wendy さんを始め、八方手を尽くして戴いた皆
さん、どうも有り難うございました。
ひと通りの KL 市内観光は、37 年前の昔を辿ることでもあった。白い国会議事堂は、記憶にある
当時のままだった。
丘の上に、もっともっと高く聳え立っていた筈だが、何故かちょっと小振りに見えた。周囲の樹木
が大きくなった様な気がするし、あの当時と比べ物にならない巨大ビルが、周りに立ち並んだ所
為でもあろうか。
Ep19. アボガド&マヨネーズ!?
今朝、Federal Hotel での BF、Buffet のサラダバーにライトグリーンのドレッシングが容器一杯
に盛られていた。その彩り具合から、アボガドにマヨネーズを煉り合せた、柔らか目のペースト風
ドレッシングと思われた。そして、それは大変美味しそうに見えた。
ペナンでは不足気味だった野菜に大喜び、多めに盛り付けた野菜の上に、そのドレッシングをた
っぷりと乗せた。テーブルについてパクリ!と。わ~っ!その緑はアボガドにあらず、紛れもない
ワサビであった。
午後、カミさんと2人で市内散策に出た。ホテルから遠くない距離に、KL タワーが見える。坂道を
2 つ程越えて、タワーの足元についた。
見上げると恐ろしく高く感じたが、頂上へのエレベータは超高速で、あっという間に 175mの展望
台に連れて行ってくれた。眼下に広がる高層ビル群は、深い緑の森と程よく織り合って素晴らし
い眺望である。ここでも 37 年前の KL が甦ってきたが、それは比較にならない程に発展を遂げた
大都会の、かく在るべき姿だった。
実際、このタワーの根元の森、この都会のこの森に、野生猿の生息を目撃した。猿たちは木立を
伝い、豊富に実っている果実をもぎ取っては口に運んでいた。
Ep20. 椰子が降ってきた
KL タワーからホテルへの帰途、小さな坂道に差し掛かった。眼前数メートルに、いきなり“ガシャ
ーン!”と異常音が響いた。巨大な大王椰子の枯れ枝が、駐車中の
乗用車のフロントガラスを直撃したのだった。ガラスは、まるで銃撃を受けた様に
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ひび割れが放射状に広がっている。
これって、交通事故?自然災害かな?保険金はでるのだろうか!?余計な心配が頭をよぎった。
周りの人々は、別に驚いた様子ではなくただ微笑んでいたが、車の持ち主が帰ってきたらどんな
顔をするのやら。
夜、The Federal 横のガーデンテラスにある、SUSHI TOKYO は22リンギットで
誠に美味であった。カミさんも絶賛の天麩羅は、パリッと揚がっていた。何よりご飯の米が上等だ
った。ひょっとしたらコシヒカリかも知れない。
食後、挨拶に来てくれた若者の完璧な日本語に驚いた。日本人と思ったのだが、中国系マレー
人で、日本の大学に留学していたと聞き納得した。今はオーナーの父親に代わって店を切り盛り
している。機会あれば、訪れたい店がまた一つ増えた。
6 月 2 日(木)
KL から馬六甲=マラッカへ。
クアラルンプールから東へ、つまりシンガポールの方向へ約 160km 余り行くと、古い港町マラッカ
に至る。小高い丘の上に立つ教会は、大航海時代最初の支配者、ポルトガルからオランダ、やが
て大英帝国へと、歴史の波に翻弄された経緯さながらに、朽ち果ててしまいそうな姿を今に残し
ていた。階段を登りつめた右側に、純白のフランシスコ・ザビエル像があって、透きとおる青空に
その白が際立っていた。
中庭の片隅に、長髪のギター弾きが居た。日本人かと見紛う風体の彼は、我々の姿を見つけた
のか、間髪を入れずに“松山千春”の曲を歌いだした。
足元の地面に新聞紙が置かれ、その上に中国人民元の紙幣が一枚、押さえの小石が乗せてあ
った。
思いがけなく、日本の演歌を聴かせてもらったお礼にと、我われも気持ちばかりの5リンギットを
そっと置かせてもらった。すると、彼はその歌に興味をしめしていたカミさんに向かって、一緒に歌
わないかと誘った。もとよりカラオケ大好きのカミさんのこと、大喜びでデュエットと相成ったが、そ
れを見ていた幾人かの観光客が、遠巻きにして笑っていた。
丘の上から、マラッカ海峡の水平線が見える。海賊の出没や、その巾が狭く船舶の航行に難儀を
する海である。対岸はスマトラ島、つまりインドネシアなのだが、まったく晴れ渡った日でも、絶対
にその島影すら見ることが出来ないと聞いた。地図で見ると大変狭い海峡も、実は 200km の距離
があるという事である。
Ep21. 初体験ドリアン
KL からマラッカへの途中、高速道路を降りた国道沿いに、今が旬とあってドリアン満載のトラッ
ク止まっていた。思い思いに臨時開業している売店の一つに立ち寄った。ガイドの Alvin さんが、
一番美味そうなヤツを一つ選んでくれた。その場で真二つにし、初体験!未知の物体を食してみ
る事になった。
う~ん!?美味でもあり、そうでもない様でもあり、やっぱり首を傾げる風味だった。ただ、口に運
ぶ際、言われている様に変な臭いを放つものではなかった。これは意外であったが、その風味を
あえて例えると、アボガドとバターを捏ね合わせ、蜂蜜を少々加えてみました、と言うのが一番近
い感じかな、と思った。
もう一つ、ドリアンの所見をつけ加えておく。食べ残したドリアンは車の中に持ち込み厳禁である。
ビニール袋に入れたくらいでは、その悪臭は防御不可能。持ち帰る場合、何か密封できる容器を
用意する必要があることが判明した。
10
マラッカより KL へ5時 PM に帰着した。途中、ガイドさんに高速道路の通行料金を尋ねてみた。片
道 160km の高速料金は RM12 =350 円ほど、因みにガソリン1L は、最近値上げがあって RM1.4
=40 円とのことだった。
Ep22. 白人の子供
6 時 PM 発車予定のペナン行きバスは、既に KTM ターミナルに入っていた。他にシンガポール
とかジョホールバル行きのバスもいる。例によって、出発前のラウンジではクッキーとコーヒーの
サービスがあった。定刻を 8 分過ぎて、やっと出発のコールがあり KL を発った。
すぐ前の座席に、シドニーから来た家族 4 人連れが座っていた。11 日間のホリデーをペナンで過
ごしている最中で、KL にはショートトリップとのことだった。
息子 2 人のうち、上が 7 歳と言った。シートの隙間からこっちを覗く彼に、十八番の手品を見せて
やったのが運のつき。その後、2 時間にわたって付き合わされる羽目になった。
一番閉口したのが、子供向け TV 番組のキャラクターの話し、何を言われてもお手上げだった。降
参気味の六十爺さんに、尚も堂々と歯向かって容赦なしだった。
その彼も、イポーを通過する頃になると、シートに寄り掛かって静かになった。その夜遅く、バス
はペナンに無事到着。バスを降りる際、両親には大変感謝されたが、いろいろと多様な体験をさ
せて貰った一日が終わった。
6 月 3 日(金)
GAMA と KOMTAR に初めて行く。
ガマはその古びた外装に比べ、中は見間違えるほど見応えのあるデパートだ。さすが元日系デ
パートのノウハウか、ハード面だけは完璧に見えるのだが。しかし、こっちのデパート、従業員が
2~3 人集まってはペチャクチャと楽しそうだ。ソフト面の導入は、もうちょっと先のことになるのか
な。
KOMTAR は迷路の様で、余程慣れないと迷子になってしまいそうになる。もう一つ、コムターの向
こう側、ちょっと目立たないところにプレンギンモールがある。こっちはヤング向けの品揃えで、華
やかさが一段と光っている。
その Grand フロワーに B2B という手造りパン屋を見つけた。トレーに好みのパンを取り、レジで会
計する際に飲み物を注文する。カミさん共々、アイスレモンティーがお気に入りとなり、以後近くに
来ると必ず寄るようになった。
6 月 4 日(土)
公共インフラ未整備、人に優しくないのがペナンの道路である。その歩道で、ついに自損事故
が発生した。事もあろう、安全のはずの歩道上に、何故か親指ほどのボルトが 4 本、数センチも
突き出ていた。その罠に、カミさんが掛かってしまった。
ぐぁっ!という異常な声と共に、その場につんのめったのだ。幸い、少しの打ち身とかすり傷で済
んだが、ペナンでは胸を張って歩くべからず。下を向いて歩く方が無難である。
NW サロンに寄ったあと、ガーニードライブを歩く予定だったが、あいにくスコールが来てしまった。
Complex1F のチャイニーズレストランで昼食をとることにした。
海老サラダ、春巻、炒飯など、すべてが美味かった。店主夫妻の笑顔が印象的だった。
この日は国王の誕生日で、TVがその祝賀行事の模様を放送している。
Ep23. ゴミ、分別不要!
マレーシアに分別なし。野菜クズと一緒にガラス瓶やペットボトル、はたまた切れた電球や缶詰
11
の空き缶まで、全部ひっくるめて捨てなさい。と、言われても、日ごろから分別作業に慣らされた
者にしてみると、些かなりと心が痛む。日本でも、ちょっと前まで同じことをやっていたのに。恐る
べきは習慣、いや恐ろしきかな洗脳、か。
6 月 5 日(日)
Logan Lye 病院前の客待ちタクシーで、ペナンヒルに向かった。
Railway ステーション周辺が何やら混雑している。“Ticket now for 5:30PM”なんと 2 時間待ちでは
ないか。学校が休暇中で子供たちが多い。その上、日曜日とあっては、この人出も仕方のないこ
とか、この日に決めた方が間違っていた。
すぐさま引き返しを決断したのだが、駐車場のタクシーは全てブッキングのもの。
あてもなく300mほど歩いたところで、突然タクシーが止まった。なんとさっき乗ってきた運転手が
笑っていた。ペナンヒルで拾った客を少し奥の方へ送って、ジョージタウンへ帰るところだった。と
ぼとぼ歩く我々を、偶然発見したのだった。
幸運の再会、それはお互いにとってラッキーだった。途方にくれて歩くリスクと空車で帰るリスクが、
上手く噛み合った瞬間だった。Evergreen Hotel の近くまで送って貰ったが、感謝を込めて、料金
に5リンギットを上乗せした。
ガーニードライブの海岸では、数人が釣りを楽しんでいた。暫らく見ていたが、一向に釣れる様子
はない。海岸に打ち寄せる波は、何故か白っぽい灰色をしている。ペナンの生活も既に半分、今
日で 2 週間が経過した。
6 月 6 日(月)
NW サロンへ Mail チェックに。
途中、市場に寄りランブータン、マンゴスチン、モンキーバナナなどを仕入れる。
マンゴスチン 1kg=RM3、ランブータンは 1 束でRM4だった。コンドに帰り着いた際、ランブータン
の一束を何時もの感謝を込めてカミさんがガードマンに手渡した。いつもはシカメ面のオジさんだ
が、この時ばかりは、ちょっと驚いた真顔になって
”for ME !? ”と叫びながら微笑んでくれた。
6 月 7 日(火)
きょう午前は何もない日だった。
午後、コムター60階の頂上、展望台へ登ってみることにする。ジョージタウンの殆ど何処からでも
見えるランドマークだ。いつかはテッペンへと思いつつ、大袈裟だがやっとその時がやってきた。
KOMTAR-1Fのインフォメーションで、頂上へ至る方法を尋ねると、「チケットはここで売ってい
ます」だった。@RM5x2=10リンギット。
超高速エレベータは三菱製で、ガイドが盛んに日本製の高性能を強調した。説明通りの1分以内、
たった 48 秒でTOPに至った。
頂上展望台はレストランになっていた。レジのオバさんに、いきなりコーヒーor ティー?と聞かれ
て戸惑った。RM5は高いな~と思っていたのだが、コーヒー代込みの5リンギットだったのだと、
頂上に行ってから判明した。なんか、ちょっと得した様なマレーシアの意外が、又ひとつ加わっ
た。
眼下にコンドミニアムを確認。お~!ずいぶん近くに見えるものだ、と驚いた。
コムター界隈にある、マネーチェンジャーを回った。あっちこっち歩いて、1 万円につき、RM349
~352の巾を見つけた。当然、352へ戻って山ちゃん夫妻のホテル代金支払い等に充てるため
12
の 5 万円を換金した。
帰りにGAMAへ寄り、チキンなど当面の食料品を購入する。オリエンタルの前を通りかかると、い
つものお兄ちゃんが向こうの方から愛想よく笑っている。
6 月 8 日(水)
赤道直下で初ゴルフ。
ペナンでゴルフは無理。想像を絶する過酷なゴルフだった。その証拠に、日ごろより足腰を鍛えて
いるカミさんが根をあげた。この日、何時もより暑い日だったのかも知れないが、上がり3ホール
は気絶寸前だった、とカミさんが嘆いた。
スパイクシューズ不可、ポロシャツ着用でないとダメ、結構うるさい事を言う。
Bukit Jamble GC=ブキ ジャンブルGCの会員は、かなり名誉なことらしい。ステータスとしては、
ナンバーワンのクラブとの事だ。
先導に白バイ 6 台、後方にパトカーを従えた黒のセダンが、サイレンを轟かせてクラブハウスに
到着した。州知事ご一行様とのことだったが、権力のもの凄さを拝見させてもらった。
格安品のボールで 1 ダース=RM45、貸クラブ=RM60、貸シューズ=RM15などの他、キャ
ディのチップ@25x2=RM50 も必要だった。ペナンの諸物価と比べて、相当な高額出費が重な
った。
同様に、スコアーも多数だった。ゴルフは赤道でするものにあらずと、後悔先に立たずだが夫婦
一致の感想である。
Ep24. Machine Gun=マシンガン
コムター周辺に貴金属店が多い。どの店も見るからにピカピカでゴージャス。中に入るのは遠
慮させて貰っているが、何れの店も金銀のアクセサリーがガラスケースにいっぱい詰まっている。
その店先に、マシンガンを小脇に抱えたガードマンを見かけることがよくある。日本人には馴染め
ない、一瞬ギョッとさせられる光景だ。警察や軍でもない民間のガードマンが軽機関銃を持ってい
る。
これ、本物かな?弾は入っているか?もし間違って引き金引いたら…どうなるの!?
真っ昼間、大勢の人通りの中で、まさか強盗はなかろう。これが所謂、抑止力なのだ。
6 月 9 日(木)
今日はほんとうに何もなかった日。
昨日の熱帯ゴルフの後遺症から、ほぼ全身に筋肉痛があり、何処にも出かけることもなかった。
あり合わせの食材で、カミさんが朝から晩まで三食を賄った。とりわけ、昼の素麺が一番のご馳
走だった。暑い時期の日本人に絶対に無くてはならないのが素麺だろう。まったりとして一日中、
TVを見て過ごす。
昨夜、バンコクでのサッカー、W杯予選は良くやった。これで日本のドイツ行きが決まり、NHKも
朝からそのニュースで持ちきりだ。しかし、昨晩のNHKワールド放送は、何故かこんな大きな試
合中継をしなかった。100CHある衛星TVから、英語の生中継を見つけて何とか観戦出来たのだ
が。
6 月 10 日(金)
再びペナンヒルへ。
病院前の TAXI を捕まえて、月曜日のリベンジ Penang Hill へ再度の挑戦だ。
幸い、チケット売り場は、この前の様な混雑はない。「しめ、しめ」と思ったが、
13
ケーブルカーは 2 両編成の超小型だった。往復 4 リンギットの Penang Hill Railway は大昔の開業
当時から、一切改良なしの骨董品だった。
大して多くない乗客を詰めに詰め込み、まるでラッシュアワーの通勤電車だった。
くもの巣の張った扇風機が天井で回っているが、車内は蒸し風呂状態。幼い子供がむずかって
泣き叫ぶ。超鈍行のケーブルカーは、途中の駅で乗換えが必要だった。全部で約 30 分かかった
が頂上駅に辿り着いた。
あいにく霞がかった曇り空、そのため下界の眺望は晴れやかではなかった。遠くのコムターも霞
の中、コンドミニアムに目を凝らしたが、さすがに判然としない状態だ。しかし、700m余り登ってく
ると、やっぱり清々しい。
アップルとハニーデュメロンのフレッシュジュースは、それぞれRM2だった。注文が入る度に絞る、
本物のジュースだ。
カミさん共々ひと息ついているテーブルに、涼しい風が流れている。こんな山頂の売店の場合、
日本の観光地だったらボッタクリ値段のはず。たった 60 円の良心的生ジュースは、殊のほか口
に爽やかだった。
頂上の道ばたに、椰子の葉細工を作る職人がいた。1リンギットの Glass Hopper を一匹求めて、
写真を撮らせてもらった。ライトグリーンの椰子の葉は、バッタの羽根色にピッタリ、生き生きとし
て"いい仕事"の手細工だった。
6 月 11 日(土)
お土産探しに、スーパー巡り。
コムターとガマを回った。この旅も残すところ 1 週間余り、後ろからペナンが追いかけてくるような
気がする。
いつも感じることだが、旅に出た最初のころは時間がゆっくり過ぎて行く。ところが、帰りが近づく
につれて、残り時間が後ろから迫ってくるのだ。そんな訳で、そろそろ何か土産物探しを始めるこ
とになり、ガマの食品売り場ではココ椰子煎餅、BOH の紅茶などを買った。
コムター後ろのプレンギンモール1F に“すし金”なる回転寿司を見つけた。外から見るだけだった
が、土曜日とあって客が沢山入っている。
Ep5. 突然変わった!
マネーチェンジャーを数軒回った。345、351、350 リンギットなど、例により店毎に違う JP
¥10000 あたりの交換レートだ。
当然ながら、コムターのフロアを一周して RM351 の店に引き返した。鉄格子の下から 4 万円を差
し出して、交換を頼んだその瞬間、店のオヤジは 351 を 350 に代えてしまった。
ん!何で~!?文句を言うと、Rate 表のコピーを取り出し、懸命になって JP¥が下がっているか
らと…言う。
4 日前、山ちゃんのホテル代金支払い用の時は、RM352 だったのに。確かに円が安くなっている、
けど今日は土曜日、為替市場は開いていない。なんで今頃になって変わったの、と疑問が残った。
結局、1 万円あたり 1 リンギット=30 円の為替差損に涙を呑むこととなってしまった。合計 120 円
の損失が発生した。
6 月 12 日(日)
日曜日、NHK のど自慢の放送が始まった。
いま午前 11 時 15 分、日本時間で午後 12 時 15 分だ。ソファに横になり、こうして南紀勝浦町から
の“NHK のど自慢”中継を見ていると、7000 キロの余りの隔たりをとても感じない心地がする。
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TV は YBxオリックスの野球中継になった。ピンポーン!とチャイムが鳴り、玄関には何時も管理
事務所に居る、インド系のお姉さんが立っていた。その両手に、バスケットに盛ったランブータン
があった。
“誰から!?”と尋ねると“ボスから”だと言って微笑んだ。ホ~ォ!ちょっと嬉しいプレゼントを貰
った午後だった。
夕方、久々に Hokken Mee が食べたくなって、いつもの屋台へ出かけた。14 リンギットのステーキ
もミディアムレアで注文した。調理に取り掛かったオバサンが、ボコボコと凄い音を立てて肉を叩
いている。
おやおや、どんなステーキが出来上がるのか楽しみになってきた。が、案の定、思案的中のステ
ーキは大変硬いシロモノだった。しかし、そのサーロインステーキは、逞しいオバサンシェフの真
心のこもった味がした。
Ep26. ひったくりバイク
それは突然、ほんの一瞬の出来事だった。
屋台村からの帰り道、決して明るいとは言えない ROGAN 通りを半分ほど来たところで、後ろを振
り向いてカミさんが叫んだ。
“おとうさんカバン!”と同時に、高速で背後より接近してきた犯人の左手が、ヌッ!と伸びてきた。
それは、右手のバッグを左手に持ち替える瞬間と見事にシンクロされていた。バッグを奪おうとし
た男の左手は、そのまま空を切った。無灯火、小太りのバイクの男はその場を走り去った。
カミさんの咄嗟の一言で、幸運にも難を逃れた一瞬だった。これまでペナンでの 3 週間、恐怖を抱
くような事とは全く無縁だった。評判どおりの安全なところと思っていた矢先のこと。後にも先にも、
これ一回で勘弁願いたい出来事であって欲しいものだ。用心が肝要!肝に銘じる夜であった。
6 月 13 日(月)
夕方、山ちゃん夫妻来る日。
今朝は意外に涼しい。月曜日は、いつものおばさんが掃除に来てくれる日だ。
そろそろ時間かな、と思って外出しようとしたら、ニコニコ顔の彼女が玄関に現れた。
NW サロンへメールチェックに行った。そこで K さんご夫妻にお会いした。なんと同じじコンド7F に
お住いだと伺ってびっくり。立派な口髭を備えたひょうきんなご主人と、才色兼備の奥さん。今後
とも、宜しくお願いいたします。
ペナンはいいところ、とちょっと前、確かに電話で山ちゃんに話した。
パスポートさせ持たない彼が、まさか本とに来るとは思わなかった。その山ちゃんが奥さんとやっ
て来る。
夫妻を空港に出迎えるため、Goh さんのタクシーを頼んだ。
PM6:45 分、MH1148 は定刻通り到着した。モニターTV の“NOW LANDED”でひと安心、パッセン
ジャー通路の向こうに、2 人の元気な姿を見つけて、もう一安心の胸をなでおろした。KLIA のトラ
ンジットはやっぱり難しいのだ。
Evergreen のチェックインを済ませて、歓迎ディナーは海岸沿いの屋台村、NORTHAM CAFE へ
出向いた。浜辺の屋台は地元の人々にも人気のスポットだ。今宵も大変賑わっていた。あらため
て、ペナンの底力を食文化に見る思いがした。
6 月 14 日(火)
15
NW のTさんとペナン一周観光の日。昨日お会いした7F の K さん夫妻も同行。
3 組 6 名の賑やかなツアーとなった。
フルーツパーク手前、国道沿いにドリアン林とその売店がある。この日、ドリアン 2 回目の体験を
させて貰うことになった。ドリアンは 3 回食べると病みつきになる、と言われている魔性の果物だ。
2回目に食べたドリアンの種子、記念にポケットに忍ばせた。さてあと1回、その機会は何時何処
で実現するものか、と、その想いが馳せ巡る。
その後、昔の風情が残るマレーの部落を通り、油椰子の林などを間近に見物した。巨大な観音
様の立つ寺、蝙蝠の棲む寺、金箔に願いを込めて祈るタイ寺院などを回った。
昼食はTさん自信のお薦め店、Fish Head Curry の 77 レストランだった。
“魚の頭カレー”とは初めて耳にするカレーだった。
その頭は確かに真鯛の様であり、カレーライスとは凡そ縁遠い鯛の頭が、なんでこんなに旨いカ
レーになるのか、とメンバー全員、驚きの顔を見合あわせた。ガーニードライブの 77 レストラン、し
っかり記憶に留めるべき世界の名店とする。
夜、”EDEN”の Dinner Show は山ちゃん夫妻の息子、K 君の篤い志により実現した。
タクシーをチャーターして EDEN に颯爽と乗り込んだ。
Well, We have a reserv…と、言いかけたところで、Mr,Bannow!?と、先を越された。流石、一流レ
ストラン、受付の案内係りは客の名前を既に頭に入れていた。
かくして、一人前 RM100=3000 円也の超豪華ディナーは、日本人が最後まで食べられる分量を
遥かに超えていた。
6 月 15 日(水)
予定のフィッシングがキャンセルに。
マラッカ海峡波高し。今朝、Pick Up の予定時刻にガイドの ONG さんがコンド前の
道路に車を止めて待っていた。
ゴメンナサイ、船が出せません波が高すぎです。と、申し分けなさそうである。自然相手の魚釣り、
仕方がありませんよ。と、納得の返事。
ホテルで待つ山ちゃんに、その旨を告げるため Evergreen に向かう。フリータイムにしてあった明
日を今日に振り替えることになった。従って今日がフリーだ。折角のフリータイム、山ちゃん夫婦
には、海外の大冒険をしてもらう事にして、直ぐにロビーで分かれた。
言葉の壁を乗り越えて、面白い体験をする。いや、させられる。海外旅行の醍醐味は、思わぬハ
プニングや出会いなどだ。それらは、楽しい記憶として何時までも残るのだ。
6 月 16 日(木)
朝一、ONG さんより電話。フィッシング OK!とのこと、やれ嬉しや。
さて、如何なる釣果に? 今日、沖に出る船長は ONG 兄さんの助手だった若者だ。
先回、キス釣りの際はお手伝いさんだったが、今回は船長で弟子を一人連れていた。
かなり沖に出たところに、黄色いブイが浮いていた。漁礁のパヤオではなく、それは航行用ブイの
様だ。どうやら、その浮標に船を係留して狙うらしい。
サビキを投入するや、10 ㌢ほどの小アジが鈴なりになって上がってきた。助手の若者が、アジを
背がけの生餌にして、ロッド 5 本を潮に乗せ流した。
ブイを狙う仕掛けは、ハリスにワイヤー、12号以上の道糸の随分な大物仕様だ。
冷凍ムロアジをぶつ切りした餌に、直ぐに何かがヒットした。強烈な引きに、山ちゃんは竿を必死
16
に支えている。
40 ㌢ほどの SNAPPER=鯛の仲間が、船長のタモ網に納まった。ヒットするのは全て同じ鯛だっ
た。釣果は、30~40 センチの鯛 10 枚ほど、ほか小鰺が少々。残念ながら、カマス狙いで流したタ
ックルにヒットはゼロだった。
少々気分の優れなくなった俄か漁師 3 名のために、早々に切り上げてモンキービーチを目指した。
ビーチに上陸すると、皆な元気満々!楽しいランチタイムに時を忘れた。帰りに、獲物の鯛を 3 匹、
サロンに届けた。
後のメールにて、美味しく戴いて下さった様なので、鯛も喜んでくれた事だろう。
Ep27. 逃げた魚が釣れた
釣りの最中、非常に稀な事態が発生した。糸を切って逃げた魚が、また釣れてきた。昔、沖縄・
西表島の沖で、同じ様なことが起きた。そのときは針だけを咥えていたが、今回はハリス1mをつ
けたままだった。浮標の下のロープで擦れて、さっき切って逃げたヤツだと直ぐに分かった。奇蹟
の様な出来事に 2 度までも遭遇した。
6 月 17 日(金)
PAYA 島へ。
パヤ島に向け高速船が港を出た。先がシャープ尖った大型船で、100 人以上の乗客で満席だ。
後部の階段を上ると、360 度展望のデッキになっていて、元気のいい白人の若者グループが大
はしゃぎしていた。
3 日前、我々も釣りがキャンセルになった同じ日、パヤ行きの船も海が荒れて途中から引き返す
事態だったらしい。幸いにして今日の波は静かだ、穏やかな海が何処までも広がっている。
だがしかし、間もなくして顔色の優れない人たちが現れはじめた。黒いビニール袋を両手にした
顔面蒼白の、出来れば見たくない光景が船中に伝染していった。
殆どが東洋人で、白人は何食わぬ顔で平然としている。イギリスから来た隣の熟年夫婦も、なん
の兆候を示すことは最後までなかった。夫婦はこの船でランカウイまで行き、そこで数日間を過ご
す予定とのことだ。日本は物価が高く、行きたくても行けない所、だと言った。ステッキを携えた、
いわゆる英国紳士ご夫妻で、ゴルフや航空会社いた頃の昔話を聞かせてもらった。
黒ビニール袋を両手に、異常事態の乗客を乗せたまま、船は 2 時間弱でパヤ島のフローティング
デッキに接岸した。船上からは小さなテント張りの小屋に見えたが、船から降りるとそこは大きな
室内ドームであった。海に浮いているとは思えない、広々としたスペースには沢山のテーブルが
あり、それはグループ毎に上手く配分されている様だった。
われわれグループを代表して、山ちゃんの奥方がひと肌脱いでくれた。それで何とかグループの
面目を保つことができた。何故なら、ここに来て海に入らないなんて事は、映画館に行って昼寝し
ている様なものだからである。
インストラクターはシュノーケリングの息遣い、足ヒレのつけ方、水中眼鏡の調節まで、大げさな
身振りを交えて親切丁寧に教えてくれた。
観光客の投げるパンなどの餌をあてにして、おびただしい数の、多分スズメダイが
透き通った海に群がっている。海の色と魚の色が交錯して、刻々と動く抽象画を観る思いであっ
た。
別の場所に、想像を絶する数の小魚に混じって、悠然と泳ぐ鮫の影もあった。餌付けされた鮫と
は言え、2~3メートルもあろうシャークは不気味である。
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船上のランチは Buffet 式、孤島とは思えないほどの種類がボリューム豊かに並んでいた。海に
入らない分を取り返すべく、思いっきり大盛りのランチを堪能させて貰った。しかし、ここまで来て
海に入らず、とは情けない。深く反省の PAYA 島だった。
帰りの船上デッキには、相変わらず元気な白人の若者たちがいた。日焼け止めを塗りたくったベ
トベトの身体を、思いっきり照りつける赤道上の太陽に晒している。
ヤケドにならんかな~!?ちょっと心配な光景だ。
美しい海面のあちこちに、建材の残骸や窓枠らしきものが漂っている。あれから半年が過ぎてい
るが、まさかその時の…漂流物なのかと?
ペナンの島影が段々と濃くなってきた。バツ・フェリンギに林立するホテルやコンドも、くっきりと見
えてきた。海上からのガーニードライブやジョージタウンの雄大な眺めにも改めて感じ入った。
6 月 18 日(土)
HAT YAI=国境を越えてタイへ
HAT YAI は、何故かハジャイと発音するらしい。明日の帰国が迫って、実質的には今日が最後の
一日とも言える。
早朝 7 時の約束で、ガイドの Wily さんがベンツのワンボックスで迎えに来てくれた。
ペナン大橋を渡り高速道路をタイに向かう。〝TORAY〝の工場が見えた、ここにも日本があった。
ベンツは一路北西に驀進する。やっぱり油ヤシのプランテーションが圧倒的、椰子畑は延々と続
いている。
マレーシア北部の都会、アロースターを通過すると景色が一変した。田園風景が眼前に広がった。
稲が青々として、田植えを終わった丁度今頃の日本と変わらない情景だ。田んぼの中に点在す
る家々は、全てココ椰子に囲まれているのだが、その椰子を景色から外すと、それは日本になる。
同じ農耕民族として、この豊かな田園風景は心の原点と言っていいだろう。
国境手前のレストランで一服した。ついでに TB=タイバーツへの両替を済ませた。
RM1≒TB10 だった。いままで馴染んだリンギットを丁度 10 倍にした単位だ。
今日一日、タイでの物価をイメージするのに大変ありがたい。大枚一万円を約 3500 バーツに交
換した。
国境のパスポートコントロールは、マレー側厳格、タイ側簡便、と言えた。両国間の利害関係がそ
れを表していた。この国境を出入りする経済は、明らかにタイ側有利に働いているのだろう。事実、
タイ側の道ばたにはマレーに入る通行客を狙った、米屋や洗剤屋が軒を並べていた。
タイ領に入ると、その景色が大きく変わった。看板がタイ文字はもちろん、丸いはずの電柱が四
角かった。電線は地下埋蔵式ではなく、それは見苦しい日本方式だった。
せっかくの青空を埋め尽くす、蜘蛛の巣状の電線は日本の街角と同じだ。
埋蔵方式のマレーシアや先進国で思い知らされる、日本の恥ずかしいクモの巣電線がタイにもあ
った。
ハジャイの街は実に賑やかだ。タイ国第二の大都会といわれているだけあって、活気に溢れてい
る。第一、若者が多い。新旧渾然一体、絶妙なバランスを保ちながら発展している様に見える。
真新しいホテルやデパートに接して、迷路が続く庶民の市場がしたたかに生きている。凛として立
つノボテルの前で、天秤棒を担いだ婆ちゃんが、掛け声も勇ましく草餅を売っていた。
沖縄・牧志市場の何百倍もの活力をそこに見た。道路に沿って、延々と続く物売りの屋台を駆け
巡った。3500 バーツの小遣いは、タイにあっては巨額なものだと思い知らされた。
18
山ちゃん夫妻が 1 時間 250 バーツ=750 円のタイ式マッサージを受けて、大大満足のリフレッシュ
だと言った。
タイ仏教は確かに庶民の中にある。釈迦涅槃像のある仏教寺院に参内した。やはりここでも、若
者達が平伏す祈りを奉げる姿を目のあたりにした。われわれも、寸志のお布施を差し出し、濃い
オレンジ色の法衣を纏った坊さんに心からの手を合わせた。
6 月 19 日(日)=最終日
ペナン最終日。7:30AM、髭を剃る。勢いよく回っていた充電カミソリは、いつもより念入りな為か、
ついにプシュプシュと電池が切れしまった。左側の頬に若干の剃り残しあるも、良しとする。
午前 8 時の約束で、山ちゃん夫妻にエバーグリーンでの朝食をご馳走になった。
その後、みんなで見納めにジャイアントやコムターなどを回ることになった。ジャイアントでは民芸
品のバスケットを発見、思わぬ土産ものをゲットできた。プレンギンモールでは、やっぱりいつも
のパン屋に、足が向いてしまったのであった。
時間もあるし、コンドまで歩こうとするが雲行きが怪しく、コムター前のタクシーを
拾う。それは大正解だった、コンド帰着時にはスコールの来襲となった。ペナン最後のスコールの
洗礼だ。
空港には 7 時 PM 着で OK だ。
その前に、4 時 PM のピックアップでペナンに名残を惜しむ、植物園の見学を Khoo さんにお願い
した。
NW のTさんにお別れの挨拶を済ませる。ほんとに、いろいろお世話になりました。奥さん、お子さ
んたちにも宜しく…と。
Khoo さんのワゴンでペナン植物園へ。
”アッソウカ゛や〝キャノンボールツリー″にびっくりする。キャノンボールは初めて見た奇怪な植
物だ。
広大な園内で、雨上がりのジャングルトレッキングをした。森の小道が雨に濡れて滑りやすかっ
たが、その分、ジャングルを織り成す植物たちの活き活きとした息吹を感じた。次の機会には時
間をかけてゆっくり歩いてみたいものだ。
熱帯の花が咲き乱れる英国式のガーデンに、花嫁衣裳の新婚カップルが 2 組現れた。
すれ違いざまに〝congratulations〝と投げかけると、新婦が〝thank you″と笑った。
夕食に頼んだスチームボートは、日本のシャブシャブみたいなもの。ペナン名物とのことだが、出
発の日まで縁がなく最後の最後で、やっと初体験となった。
ペナン最終の夕食も、やっぱり美味であった。食い倒れの大阪、と言うが、ペナンは食い倒れず
に旨いモンが思う存分食べられる。食い道楽の天国である。
KLIA は真夜中のトランジットだ。23 時 45 分:MH56は定刻に離陸した。
上昇中の左の窓に、クアラルンプールの大夜景が遠ざかっていった。眼下は星屑を散りばめたよ
うな KL の灯りだ。いよいよ明早朝、セントレアで旅の終わりを迎える。
ペナンはドリアン。
ドリアンは 3 回食べると“病みつき”になるとの定説がある。嫁を質に入れてでも
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“喰らう”もの、とも言われる魔性の果物。The King of Fruit と言われている。
あの、凡そ果物らしくない奇怪な形、強烈な匂い、ベトベトして全く美味そうに見えない果肉、とて
も食べ物と思えない物体を、マレー人は旨いという。
なにか有る、きっとなにか在る。近寄り難いものに近づこうと、好奇心が擽られる…。
最初は「ん~ん?」2 回目に食べて「う~ん!」。
この度のペナンで、2 回のドリアンチャンスに恵まれた。あと一回!3 度目のドリアンに期待が膨ら
む…。
ペナンも然り、ペナンはドリアンではないかと思う。
食べる前のドリアンに、些かの疑問を抱いたように。ペナンも又、なにかを秘めている島だ。食す
るほどに魅せられると言われるドリアン。
ペナンもまた然り、と。
なにか感じ入った今回の旅。ペナンはドリアンなんだ、と。
隠居夫婦の旅日記は、これからもまだまだ ゛続く″予定である。
Kazhisa & Eiko=一 Q&エイコ
[email protected]
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