通貨制度の選択と外国為替市場介入 1. 通貨制度と金融政策の関係 『入門・現代日本経済論-グローバル化と国際比較』第 3 章第 2 節参照。 2. 外国為替市場介入と通貨当局のバランス・シート 『入門・現代日本経済論-グローバル化と国際比較』第 3 章第 6 節参照。 外国為替市場介入の主体が通貨当局(Monetary Authorities)と呼ばれているのは、 国によってそれが中央銀行であるケースと政府(財務省など)であるケースがあるた めである。諸外国に中では前者のケースが多いが、日本を含む一部の先進諸国は後者 に該当する。ただし日本のように為替介入が財務省の専管事項とされ、中銀の意見が まったく反映されていない国は少ない(図表 1)。また、政府の影響力が強いアメリカ やカナダ、イギリスなどにおいては、近年ほとんど介入が行われなくなっている。 日本の外国為替市場介入は正式には外国為替平衡操作と呼ばれている。財務省のホ ームページには、「為替相場が思惑等により、ファンダメンタルズから乖離したり、 短期間のうちに大きく変動する等、不安定な動きを示すことは好ましくないことから、 為替相場の安定を目的として通貨当局が市場において、外国為替取引(介入)を行う ことがあります」と書かれている。しかし図表 2 に示されているように、過去の日本 の為替介入の大半は円安誘導を目的とした円売り・外貨買いであり、円買い・外貨売 り介入の実績はほとんどない。 図表 3 は為替介入と通貨当局のバランス・シート(貸借対照表)の関係を模式的に 示したものである。中央銀行が自己資金で為替介入を行っている国では、外貨準備も 中銀のバランス・シート上で管理されていることが多い。このタイプの国において為 替介入が実施されると、中銀のバランス・シート上で外貨準備(資産)と準備預金(負 債)が変動する。準備預金はベースマネー(マネタリー・ベース)の一部なので、そ のままでは市場金利とマネーサプライ(マネーストック)が変化してしまう1。そこ で中銀が民間金融機関を相手に国債や中央銀行債券を売買し、民間部門の資金量を安 定化させるオペレーションを行うことが多い。ベースマネーを一定に保ちながら行う 為替介入を不胎化された為替介入と呼び、ベースマネーの変化を放置する介入を不胎 化されない為替介入と呼ぶ。 1 ベースマネーとマネーサプライの関係については後の資料で復習する。 1 図表 1 主要国における為替介入の運営体制と実施状況 国・地域 介入の決定主体 介入の規模と頻度 介入に関する情報公開 経済規模 アメリカ 主たる権限は財務省(Department of the Treasury)にあ るが、連邦準備委員会(Board of Governors of the Federal Reserve System、FRB)が独自に介入を行うことも 可能。ただし慣例では財務省がFRBと協議した上で政 策を決定し、介入資金も折半。 1990年代以降、協調介入をのぞきほとんど実績なし。 近年は介入直後に公表。四半期毎の詳細な実績 を約1カ月後に下院に報告し、ニューヨーク連銀の ホームページでも公開。 336.0 ユーロ圏 欧州中央銀行(European Central Bank)とEurosystem。 ユーロ導入直後の2000年に数回実施されたが、その後 ただしEurogroupの意向に沿った介入であること、事前に は他国の依頼による協調介入以外に実績なし。 EurogroupとEconomic and Financial Committeeの代表に 通知することが条件。 介入実施の事実を直ちに公表。介入額は未公 表。 250.9 日本 財務省。日銀は財務省の代理人として実務にのみ参 加。 1990年代半ばからしだいに大規模化。ただし頻度はそ れほど高くない。 月次の介入額が月末に、日次の介入額が約2か月 遅れで四半期ごとに公表されている。 100.0 イギリス 政府(HM Treasury)。ただし中央銀行も金融政策の一 環として独自に介入可能。 1992年以降、政府、中銀とも協調介入以外の実績な し。 月次の外貨準備レポートにおいて介入の実績を報 告。 50.5 カナダ 政府。財務省(Department of Finace)が中銀と協議の上 決定。 従来は対ドルレートのボラティリティー管理を目的とした 少額・高頻度の介入が行われていたが、1998年に特段 の理由がない限り介入しない方針に変更された。その 後は他国の依頼による協調介入以外の実績なし。 介入の事実や目的、金額を直ちに公表。 30.9 オーストラリア 中央銀行 1983年にフロートに移行。1990年代初頭に高頻度・小 規模の介入から相対的に低頻度・大規模の介入へと方 針変更。その後も何度か集中的な介入の実績あり。不 胎化措置には通貨スワップが利用されている。 リアルタイムの公表はその時々の当局の判断によ る。2011年から為替介入を目的とした日次の取引 データが一定のタイムラグを経て公表されるように なった(現在は1989年以降の統計が得られる)。 20.4 スウェーデン 中央銀行 2001年以来実績なし。 通常の金融政策と同様に理事会で審議。実施前 に介入の理由と予定期間などを公表。一定期間後 に詳細な実績を公表。 8.2 スイス 中央銀行 2011年9月に政策変更。1ユーロ=1.20スイスフラのを下 限を維持するために無制限の介入を実施中。 未公表。 7.6 ニュージーランド 通貨危機時の介入は政府、それ以外の介入は中央銀 行が決定。ただし事前に政府と中銀の間で外貨準備の 上限値と下限値を取り決めている。 従来は危機的状況にのみ介入する方針だったが、2004 介入のアナウンスメントは当局の判断による。ただ 年から中期的な為替変動の平準化を目的とした介入も し月次の中銀の純外貨取引額が約1カ月遅れで公 行う方針に変更された。その後はしばしば実績あり。 表され、介入の有無を推量することが可能。 2.7 (注)経済規模は日本を100とした値(PPPベースの実質GDP、2010年の実績による)。 (出所)Chiu (2003), D'Souza (2002), Hayward et al. (2002), Henning (2007), Moon and Rhee (2009), Newman et al. (2011), 各国通貨当局ホームページ資料などをもとに著者作成。 2 図表 2 10 日本の外国為替市場介入と公的外貨準備の推移 (兆円) (円/ドル) 160 為替介入(左軸) 8 140 円ドルレート(右軸) 6 120 4 2 100 0 80 -2 1991 1993 1995 1997 1999 2001 2003 2005 2007 2009 2011 2013 -4 14 60 (千億ドル) (円/ドル) 160 12 140 10 120 8 6 100 4 外貨準備残高(左軸) 2 80 円ドルレート(右軸) 0 60 1991 1993 1995 1997 1999 2001 2003 2005 2007 2009 2011 2013 (注)為替介入は正の値が円売り・外貨買い介入を表す(データは 1991 年 4 月以降) 。外貨準備 は金や SDR、IMF 出資金等を除く。 (資料)財務省「外国為替平衡操作の実施状況」 、IMF, International Financial Statistics 等のデータ をもとに作成。 一方、日本のように政府が為替介入の主体になっている場合、介入にまつわる資金 の出入りも政府会計の中で管理されていることが多い。このタイプの国において政府 が自国通貨売り・外貨買い介入を実施する場合、まず政府債を発行するなどして売却 用の自国通貨を調達し、それを対価として外貨を購入する。その結果、政府のバラン ス・シートの資産側に外貨準備が計上され、負債側に政府債等が計上される。政府が 中銀から直接自国通貨を調達しない限り、この種のオペレーションではベースマネー が変化せず、必ず不胎化介入となる。 3 図表 3 通貨当局のバランス・シート [A] 政 府 が 為 替 介 入 を 行 う ケ ー ス [B] 中 央 銀 行 が 為 替 介 入 を 行 う ケ ー ス 中央銀行のバランスシート 中央銀行のバランスシート 資産 負債 国内信用(DC ) 現金(C ) 準備預金(R ) その他資産(OA ) その他負債(OL ) 資産 負債 外貨準備(FA ) 現金(C ) 国内信用(DC ) 準備預金(R ) その他資産(OA ) その他負債(OL ) + 政府(財務当局)のバランスシート 資産 外貨準備(FA ) 負債 その他負債(OL ) = 通貨当局のバランスシート 資産 通貨当局のバランスシート 負債 外貨準備(FA ) 現金(C ) 国内信用(DC ) 準備預金(R ) その他資産(OA ) その他負債(OL ) 資産 負債 外貨準備(FA ) 現金(C ) 国内信用(DC ) 準備預金(R ) その他資産(OA ) その他負債(OL ) (注)[A]のその他負債は政府債、[B]のその他負債は中央銀行債であることが多い。日本では中 銀債は発行されていない。 日本の場合、為替介入に関する資金の出入りは政府の外国為替資金特別会計(外為 特会)によって管理されている。財務省が円売り介入を実施する場合、FB と呼ばれ る政府短期証券(Financing Bills)を発行し、円資金を調達する(図表 4)。FB は満期 3 か月程度の割引債であり、満期が迫った国債と実質的に同じ商品である。ただし FB や国債が事前に定められたスケジュールに則って発行されるのに対し、為替介入は機 動的に実施する必要がある。そこで介入時にはいったん FB を担保として日銀から円 資金を借り受け、後にそれを市中販売して返済するという手続きが採られている。 4 図表 4 外国為替市場介入と外国為替資金特別会計の関係 国内金融市場 円調達 FB 発行 円売り 外国為替市場 外国為替資金特別会計 ドル買い 米国債等に 投資 海外金融市場 財務省が為替介入によって購入する外貨のほとんどはドルである。購入したドルは いったん日本政府が民間銀行や外国中央銀行に保有するドル口座などに振り込まれ、 後に一部をユーロ等に兌換した上で欧米諸国の国債や公的機関債などに投資されて いるようである。日本の為替介入は円売り・外貨買いに偏っているため、過去 20 年 余りの間に外為特会が保有する外貨準備が累増し、他の先進諸国の数十倍に膨れ上が っている(図表 2)。それにも関わらず、日本では他の先進諸国に比べて外貨準備の運 用状況に関する情報公開が乏しく、具体的な運用状況を知ることは難しい。 図表 5 は 2012 年 3 月末時点の外為特会のバランス・シートの内訳を示したもので ある。講義資料「為替レートと金利の期間構造」において短期の円借入金を用いて長 期の外貨投資を行うことに大きなリスクが潜んでいると述べたが、外為特会ではそれ に近いことが行われている。図表 5 の負債の大半は FB によって占められ、平成 23 年度末時点の残高は 117.5 兆円に上る。これらの FB の償還期間は原則として 3 か月 程度であるため、平均残存期間は 1-2 か月のはずである。一方、資産のうち 89.1 兆 円が外貨資産によって占められ、その大半が外国政府債等の有価証券である。有価証 券の中で満期が 1 年以下のものは 12.9%しかなく、満期が 1-5 年のものが 58.8%、5 年超のものが 28.3%を占めている。 5 図表 5 外国為替資金特別会計のバランス・シート 資 産 負 債 外貨(89.1 兆円) FB(117.5 兆円) その他(24.7 兆円) 債務超過分(12.7 兆円) その他(9.1 兆円) (注)時価会計による貸借対照表。平成 23 年度末現在。 (出所)財務省「平成 23 年度外国為替資金特別会計財務書類」をもとに作成。 図表 5 を見ると、外為特会は 12.7 兆円の債務超過になっている。日本政府の会計は 円建てで行われているため、為替レートが変化すると外貨資産の円評価額が変化する。 円高時には外貨資産の評価額が下落するが、円高が一時的なものである限り、外為特 会が債務超過に陥っても問題がないという意見もありうる 2。しかし以下で解説する 理由により、外為特会が一時的にであれ債務超過に陥るのはきわめて不自然である。 ここで講義資料「為替レートと金利の期間構造」で学んだカバーなしの金利裁定式 を思い出してもらいたい。満期が同一の日本とアメリカの長期国債の利回りをそれぞ れ iL および iL* と書き、来期の為替レートの期待値を S1e と書くことにすると、カバーな しの金利裁定式は S1e S0 iL iL* S (1) である。 S1e が来期の直物レートと一致するかどうかは限らないため、 S1e S1 となる こともあれば S1e S1 となるだろう。しかし予想にバイアスがない限り、t=0 と t=1 の間の期間を十分に長く取れば、その時々の予想誤差が相殺され、 2 平成 23 年度決算の適用レートは 1 ドル=77 円、1 ユーロ=99 年など、現在に比べると相当 円高だった。 6 S1 S0 iL iL* S0 (2) という関係が成立するはずである。 次に(2)式の右辺の iL* を左辺に移行すると S1 S0 * iL iL S0 (3) となる。円の長期資金を借り入れてドルに兌換し、ドル建ての長期資産に投資する人 にとって、この式の右辺が借り入れコスト、左辺が総合利回り(キャピタル・ゲイン +インカム・ゲイン)に相当する。 ただし外為特会の場合、上述したように、右辺の資金は長期債務ではなく短期債務 である。短期債の利回りはもともと長期債の利回りに比べて低いが、日本では日銀の ゼロ金利(ないし極端な低金利)政策によってきわめて低利に抑えられている。した がって、(3)式の右辺を超短期の国債である FB の利回りに置き換えると、 S1 S0 * iL iS S0 (4) という不等式になり、右辺はゼロに近い値をとる。すなわち、外為特会では時間が経 つにつれて収益が積み上がることが自然であり、債務超過が発生する理由は乏しい。 それでも図表 5 のような債務超過が発生していることには、主として以下の二つの 事情が関与している。第一の理由は、財務省の説明とは裏腹に、為替介入が必ずしも 為替相場のファンダメンタルズ(均衡値)からの乖離を矯正する方向に行われておら ず、むしろファンダメンタルズからの乖離を助長する方向に行われていることである 3 。為替介入が実勢レートを均衡レートに近づけるように実施されていれば、実勢レ ートが均衡レートに比べて円高になった時にドルを買うことになる。その場合、しば らくして実勢レートが均衡レートに近づいて円安になった時点でドルを売却すれば、 大きな収益が上がるはずである。しかし、逆に実勢レートが均衡レートに比べて円安 の時にいっそうの円安を目指してドル買い介入を行った場合、後に急激に円高が進み、 ドル資産の円評価損が大幅に目減りすることになりかねない。 もう一つの原因は、外為特会を含む日本政府の会計が時価会計の原則に則って行わ れておらず、外為特会の収益が一般会計に流出していることである。最近でこそ時価 3 講義資料「購買力平価と実質為替レート」第 3 節参照。 7 会計の考え方を取り入れた財務諸表も公表されるようになっているが4、今日でも各 年度末の決算は簿価会計にもとづいて実施されている。外為特会の場合、(4)式の中で 各会計年度中に実際に資金が動く iL* と iS の分は年度末の決算損益に反映されるが、外 (S1 S0) / S0 の分は無視されている。過去に円はドル 貨資産の簿価と時価の乖離を表す (S1 S0) / S0 は負の値になる年が多く、 やユーロに対して漸進的に増価してきたので、 平成 23 年度末時点で外貨資産の為替評価損の累積値は 41.3 兆円にも上っている。 先に見たように、iS はほとんどゼロだから、外為特会の決算収益の大半は(4)式の iL* に相当する外貨資産の利息収入によって占められている。しかし(3)式において iL が一 (S1 S0) / S0 が減少することから分かるように、外貨資産のインカ 定で iL* が上昇すると ム・ゲインを表す iL* とキャピタル・ゲインを表すは (S1 S0 ) / S0 はどちらかが増えると どちらかが減少するという関係にある。したがって円高が進んで外貨準備の為替差損 が拡大する年には外貨資産の利息収入が増加しているはずであり、それを用いて為替 差損を少しでも相殺しておく必要がある。しかし財務省はそれをせずに利息収入をそ のまま決算収益に算入し、その大半を翌会計年度の一般会計歳入に繰り入れてきた。 過去の一般会計への繰入金総額は 20 兆円余りに上り、それが外為特会の慢性的な債 務超過の一因になっている。 なお、上記において iS* の分をインカム・ゲインと呼んだが、これらは米国債のクー ポンやドル預金の利息など、いずれもドルで得られる収入である。それを一般会計に 繰り入れて使用するためには円に兌換して持ち帰る必要があるが、それをすると円高 を招くという理由から、財務省はすべてのインカム・ゲインを米国債等に再投資して いる。しかしそのままでは一般会計に繰り入れる資金がなくなってしまうので、実は その分の FB を別途発行して市中から円資金を集め、それを翌年度以降の一般会計に 繰り入れている。すなわち、図表 5 の FB の全額が為替介入のために発行されたわけ ではなく、外為特会から一般会計に資金を融通するための発行されたものも少なくな い。一般会計は FB のような短期債務によってその時々の歳出を賄うことを厳しく禁 じられているが、外為特会が事実上その抜け道を提供しているわけである。 外為特会の経理の問題は旧民主党政権時の事業仕分けにおいても指摘され、制度の 抜本的改革が求められた。しかし外為特会から一般会計には毎年数兆円の繰り入れが 行われており、すでにそれなしでは一般会計の予算編成が立ち行かない状況になって いる。その後、民主党から自民党への政権交代が実現したが、旧自民党政権が現行の 会計規則の下で外為特会を膨張させてきた当事者だったことを考えると、その内部か ら改革の声が上がる可能性は低いと考えられる。 4 図表 5 の基礎となる財務諸表は平成 19 年度から公表されている。 8 ※外為特会のしくみと問題点の詳細に関しては、熊倉正修(2011) 「我が国の為替市場介入と 外国為替資金特別会計の問題点」 『世界経済評論』第 55 巻第 6 号(通巻 662 号)を参照。 9
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