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フランスにおける「移民」の歴史化
-国立移民歴史館設立をめぐる議論を事例に
中條健志(CHUJO Takeshi)
大阪市立大学都市文化研究センター
ドクター研究員
[email protected]
発表の目的
2007年に開館したフランス国立移民歴史館設立をめぐる
政治家、研究者の議論を分析し、「移民の歴史」が語られ
るなかで、フランスにおける「移民」にどのような意味づけ
がなされているかを明らかにする。
問題提起
・フランスの「移民」とは何か?
・なぜ「移民の歴史」が語られるのか?
前半:フランスにおける移民と統合
後半:移民歴史館設立をめぐる議論の分析
1.「移民」と「外国人」
フランス国立統計経済研究所による定義
移民 immigré
=外国人として国外で生まれ、フランスに居住する者
※ フランス人として国外で生まれた者は含まれない
※ 外国人としてい続けることも、帰化することも可能
外国人 étranger
=フランス国籍を持たず、フランスに居住する者
※国内で生まれた者も含まれる(例:帰化前の未成年等)
※原則として出生地主義をとるフランスだが、出生と同時に自動的に
国籍が付与される訳ではない(一定期間の居住が条件)
2.人口
6318万人(2006年)
※6535万人(2012年)
全人口に占める割合:外国人(5.8%)、移民(8.1%)
364万人
513万人
→ 2007年、12万9千人の外国人がフランス国籍を取得
※その内、約半数が帰化による (その他は婚姻等)
3.1.歴史
①ヨーロッパからの移民(19世紀~20世紀初め)
・1830年(7月革命とアルジェリア侵略)以降、近隣ヨーロッパ
(イタリア、スペイン、ドイツ、ポーランド)から政治亡命者を受け入れる
・同時に、労働力としての移民がはじまる
※1851年、国内の外国人数が初めて調査される
※1881年、100万人が入国
主な出身国
イギリス、イタリア、スイス、スペイン、ドイツ、ベルギー
※帝政ロシアや、その支配下にあったポーランドからも
※知識人、芸術家、迫害を受けたユダヤ人も含まれた
3.2.歴史
②「受け入れ国」として(20世紀初め~第2次大戦)
・民間企業による外国人労働者の募集・採用がはじまる
・他国との労働者受け入れ協定が結ばれる
※イタリア、チェコスロヴァキア、ポーランド
・政治亡命者の受け入れがより積極的に
※アルメニア、イタリア、スペイン、ドイツ、ロシア
・1931年、300万人の外国人が居住
→ 全人口の7%
※この割合は、今日までの最高値
・1940年~1944年のドイツ軍による占領期
→ 移民の受け入れはほぼ停止されていた
3.3.歴史
③高まる労働力の需要(1945年~1975年)
・2度の戦争による若者人口の減少と、出生率の伸び悩み
・1946年の人口調査では、外国人人口がやや減少
※戦後の帰国や帰化にともなうもの
・産業発展にともなう、「栄光の30年」とよばれる経済成長
期と労働力需要の高まり
・冷戦を背景として、軍事政権下にあった共産主義国から
の政治亡命者も移住
・非合法で入国する移住者も増加
・仏領アルジェリア(~1962年)に限り、自由な往来が許可
・170万人の外国人(1947年)が340万人(1975年)に
3.4.歴史
④増加から定住へ(1975年~現在)
・1970年中ごろから、移民の増加傾向が頭打ちに(2000年頃まで)
※背景にあったもの
→ 経済危機、労働市場の変化、失業の増加・慢性化
・受け入れは厳しく制限され、おもに家族呼び寄せや政治亡
命に限り、入国・居住が認められた
・一方で、労働人口の高齢化や、特定の産業分野(公共事業
やホテル・飲食業など)における労働力不足にともない、外国
人労働者の需要は一定数維持された
・2001年、EU圏はあらたに120万人の移民を受け入れた
→ アメリカやカナダよりも多い数値
国籍別にみた移住者の変遷(1851年~2008年)
全人口、移民人口、外国人人口の変遷
EU各国の国外出生者数と主な出身国(2008年)
フランスに
おける
移民の出生国
(1999年)
(2006年)
4.「移民」とは何か?
・「フランスと移民」のイメージ
:移民国家? 移民の国?
→身体的特徴(肌の色等)の多様さがしばしば語られる
:移民問題?
→ 犯罪(若者による「暴動」)が移民によって起こされる?
・移民の子どもたち、あるいはそれ以降の世代の存在
→ 出生地主義により、彼(女)らの多くはフランス国籍
→ フランスで生まれ育ち、フランス語を(/も)話す
・「移民」と名指すことの問題
→ 移民系、第二世代、第三世代といった表現の問題
→ レイシズム(人種差別)や排外主義につながり得る
5.1.国立移民歴史館
CITÉ NATIONALE DE L’HISTOIRE DE L’IMMIGRATION
2007年10月7日に開館 パリ市東部(12区)
1931年の国際植民地博覧会の際に建造
1960年から「アフリカ・オセアニア美術館」として利用
5.2.開館までの経緯
1990年:「移民博物館協会」が、歴史家や活動家、関係者らによって
設立される
→ 1980年代からの反レイシズム運動の高まりを背景に
2001年:ジョスパン首相(当時)が博物館設立の検討をはじめる
2002年:シラク大統領(当時)が設立計画を発表
2003年4月10日の統合各省連絡会において、国立移民歴史館プロ
ジェクトが立ち上げられる
2004年7月8日:ラファラン首相(当時)が、設立を公式発表
5.3.設立の目的
歴史館設立計画において掲げられた使命(mission)
・博物館学的・学術的性格をもった独創的な文化施設であり、移
民の歴史、芸術、文化にかんする代表的な収集品の保管と公開
を目的とする、移民の歴史と文化の国立博物館を構想し、運営
する
・国家が管理する移民の歴史と文化の国立博物館の所蔵物目
録に登録された文化財を、国益に適うよう保管、保護、修復し、
国家的収集品の充実化に寄与する
・資源センターにおいては、経済的、人口統計学的、政治的、社
会的側面を含む、移民の歴史と文化や、移民出身の人びとの統
合(intégration)にかんするあらゆる資料と情報を収集し、とりわけ
デジタルな手段を通して、それらを公衆や専門家に発信する
・とりわけ類似した目的をもった団体、地方自治体、学術・文化
機関、企業、組合組織から成る協力ネットワークを、国全体にお
いて発展させ、リードする
※下線は報告者による(以下同じ)
5.3.設立の目的
統合各省間連絡会(2003年4月10日)
「否定的にみられることが非常に多い移民の表象が、意識的か否
かにかかわらず、差別的な態度をもたらしている。それは、時には
彼ら自身や彼らの子孫たちによって内面化され得るだけに、いっ
そう統合の足かせとなっている。したがって、そうした表象がもたら
す個人や集団の態度や、彼らがおこなう振る舞いを根本的に修正
することが不可欠である。」
問題とされているもの
・ 移民の否定的な表象(représentations)
・それによる、差別的な態度(attitudes discriminatoires)
・彼ら(移民)やその子孫が、それを内面化(intériorisées)し得る
目的とされているもの
・個人や集団の「態度」や「振る舞い」を修正(modification)する
統合について
統合高等評議会による定義
人びとの差異を否定、強調せずに考慮し、出自が何であろう
と、規律を受け入れ、自らがその構成員となるこの社会で生活
する機会をかれらに与えるもの。
≠同化
(出身国の文化や慣習を放棄して、受け入れ国の文化や慣
習を取り入れ、別の存在になること)
→「差異」(différences)という前提
→「規律」(règles)がホスト社会から課せられる
5.4.設立の構想
移民の資源・記憶センター構想ミッション(2003年4月~2004年7月)
ジャック・トゥーボン(元文化相)が議長に任命される
ラファランによる、トゥーボンへの任務通知状(2003年3月10日)
「フランスは、市民の共同体(communauté de citoyens)に集まった、あらゆる
世界(tous horizons)からやってきた個人の集合(le rassemblement)と混交(le
brassage)の上で少しずつ築かれてきました。」
「『フランス式』統合の共和国モデルは、こんにちあらたな風(un nouveau
souffle)を探し求めています。」
移民歴史館設立の前提
・「あらゆる世界」の人びとの「集合」と「混交」
⇒ フランスに住む人びとの「多様性」が認められている
・統合の「あらたな風」
⇒ これまでの統合では対応できない
5.4.設立の構想
「センターの最初の目的は、移民現象にかんする眼差しと見方、つまり、
受け入れ社会(la société d’accueil)だけでなく、到着者(des arrivants)や彼らの
すぐ下の子孫(descendance)からの視点を進展させる(faire évoluer)ことにあり
ます。そうした移民出身のフランス人(Français issus de l’immigration)の人びと、
特に、しばしばアイデンティティ不在(déshérence identitaire)の状態にある最
近の世代(les générations les plus récentes)に向けられることになるのは、特に
重要な合図(un signe important)です。
歴史館の目的
・「受け入れ社会」(フランス)と「到着者」(移民)およびその「子孫」からの、
「移民現象」への視点を「進展」させる
・「アイデンティティ不在」の状態にある「最近の世代」の「移民出身のフラ
ンス人」への「合図」を送る
⇒ 「移民(系)」の存在を重視
5.5.設立の構想
移民歴史館設立計画書(2006年3月)
「フランスにおける、19世紀以降の移民の歴史にかんする
情報を収集、保護、活用し、アクセス可能なものにするた
めの公的施設である。このことは、フランス社会における
移民たちの統合過程を再認識(reconnaissance)し、フランスに
おける移民にたいする眼差し(regards)やメンタリティー
(mentalités)を進展させる(faire évoluer)ものである。」
・移民史をつくることが、統合を「再認識」し、移民にたい
する「眼差し」を進展させる。
⇒ 統合や移民にたいする見方=見直されるべきもの
6.移民とアイデンティティ
・2007年5月16日、ニコラ・サルコジが大統領に就任
→ 移民・統合・国家アイデンティティ・共同開発省が創設
※選択的移民政策の促進、家族呼び寄せ条件の厳格化、統合政策の促進、
「国民」のあり方にかんする議論などをすすめた(2010年11月に廃止)
⇒ 内務省、労働省、外務省という3つの管轄が初めて一本化さ
れ、移民政策が強化
⇒ 政策だけでなく、「アイデンティティ」にかかわる領域に政治
が介入
・同省の創設を受け、5月18日、移民歴史館の設立を準備する
学術委員会のメンバー12人のうち、8人が辞任を表明
※歴史学者7人、人口統計学者1人
6.移民とアイデンティティ
『リベラシオン』(2007年5月19日付)
「民主国家の役割は、アイデンティティを定義することではありま
せん。」
「両者(=移民と国家アイデンティティ)のこうした接合
(rapprochement)は、移民をスティグマ化する言説のなかにあるもの
です。」
(ジェラール・ノワリエルとパトリック・ヴェイユ両者のコメントとして、抜粋の形で掲載)
『ル・モンド』(2007年5月22日)
「民主国家の役割は、アイデンティティを定義することではありま
せん。省(の名称)において『移民』と『国家アイデンティティ』とを
結びつけることは、共和国の歴史に未だかつでありませんでし
た。現大統領による(移民省の)創設によって、それは、フランス
とフランス人のなかに移民を、また彼らの存在さえも「問題」
(problème)として刻むことになります。」
(辞任した8名連名の声明として掲載)
問題とされているもの
・「移民」と「アイデンティティ」の「接合」
⇒ フランス人としての国家アイデンティティを定義することは、
移民のスティグマ化をもたらす。
⇒ アイデンティティに適合しない存在は「問題」とみなされる。
7.まとめ
・フランスの「移民」とは何か?
→ 古くから市民の共同体としてのフランスを築いてきた存在。
→ 入国者だけでなく、彼(女)らの子孫たちも含まれる。
・なぜ「移民の歴史」が語られるのか?
→ 移民にたいする否定的なイメージをのりこえるため。
→ 移民の統合が見直されるべきものであるから。
→ 移民たちが抱えるアイデンティティの問題をのりこえるため。
・「移民」を実体的な存在として捉えることはできない。
⇒ 統合によるスティグマ化
⇒ 歴史館という試みそれ自体がもつ移民の問題化