研究論文 沈黙する精神病患者の前言語期転移の発見の試み 逆転移の

研究論文
沈黙する精神病患者の前言語期転移の発見の試み
逆転移のナラティブ
An Attempt to Discover the Preverbal Transference of the Silent Psychotic Patient
Narrative of Countertransference
要約
前言語期のコミュニケーションを言葉で認識することは容易ではない。そのため,面接の中で喚起する
感情やファンタジーは前言語期の転移を理解する上で非常に重要になってくる。本稿は,前言語期の,
語らない,また語れない患者の転移を,治療者の逆転移体験を基に探索することを目的としたものであ
る。治療者は患者と共に退行する中で、沈黙をベースに脅威,倒錯,共生,消滅していく不安,双子幻
想といった様々なファンタジーを展開したが,この過程で,患者は治療者にとって自我違和的対象から
自我親和的対象に変化していった。治療者のスーパーヴァイザーとの関わりは治療者と患者の関わりと,
また治療者の白昼夢や連想は患者の幻覚や連想と重なり,それらはまるで治療者と患者が互いに同調し
ているかのように思われた。さらに,治療者は,沈黙に触発されたファンタジーを基に様々な行動をと
ったが,そられは治療者の抵抗がどのように生じているのかを,また,患者の精神が沈黙の背後でどの
ように機能しているかという仮説を具体的に示す手がかりとなった。
キー・ワード:前言語期の転移・逆転移,治療者の退行,治療者の行動
Abstract
It is often not easy to recognize a preverbal transference by listening to the verbal communications.
Therefore, the feelings and fantasies that are evoked in the session with the preverbal patient are
paramount in understanding the transference. The purpose of this paper is to explore the
transference of a patient who did not and could not speak by narrating the countertransferential
experience. In the regression with the patient, the therapist developed different qualities of fantasies
based on the silence: menace, perversion, symbiosis, the anxiety of disappearing, and twin fantasy.
In this process, the patient was transformed from the ego-dystonic object to the ego-syntonic object.
The therapist’s experience with his supervisors closely resembled the relationship between the
therapist and the patient. Furthermore, the therapist’s daydreams and associations overlapped with
the patient’s hallucinations and associations suggesting that they were attuned. The therapist took
many kinds of actions based on fantasies inspired by the silence, which might have concretely
demonstrated how the therapist resisted to the analytic process and how the patient’s mind
functioned behind the silence.
Key Words: preverbal transference and countertransference, therapist’s regression, therapist’s
action
1
I. はじめに
ここ数十年でナラティブは人間科学の研究方法として心理学・社会学・精神分析学など
の領域に浸透し定着してきた。事象間の一貫性や連続性,因果関係,変化の過程などを中
心に,個々人が生き方にどのように意味を見出していくかを検討することによって,個人
という水準を超えた治療的・予防的価値が見出されている。ナラティブをどのように探索
するかは研究者によって異なっており,語られた内容に着目する者もいれば,語られ方(形
式)を重視する者もいる。Rogers(2007)は Lacanian の視点を取り入れ,意識的に語る
ことができるものには限界があり,否認や沈黙など直接語れないものに目を向ける事がど
れほど重要かを説いているが,こうした語られない部分の考察こそ,Freud の頃より論じ
られてきた主要なテーマであった。一次思考過程と二次思考過程,潜在夢と顕在夢,事表
象と言語表象など語られないものと語られるものの間に形成される関係性は個々人に特有
のものであり,個々の葛藤,ファンタジー,対象関係を形成し,ひいては,連続性と一貫
性をもったナラティブを形成する。
語られない部分は特に前言語期の問題として多くの分析家によって論じられてきており,
それは言葉の内容そのものではなく,転移・逆転移の関係(体験)を通して認識され理解
されてきた。McDougall(1978)は,精神的苦痛と肉体的苦痛に差がない前象徴期の患者
の「話し」が自由連想を伝えることよりも,苦痛を排除するために治療者に言いようのな
い何かを感じさせたり,行動をとらせることを主な目的とすることを指摘している。
Ogden(1991)は妄想分裂ポジション(Klein, 1946)の前段階として自閉隣接ポジショ
ン(autistic-contiguous position)という感覚器官(特に皮膚感覚)的境界の崩壊という
不安に特徴づけられた原初的転移を論じ,そこで生じる逆転移もまた感覚器官水準で生じ
ることを指摘している。Bollas (1990)は重度の精神病患者の治療において,治療者の
退行がいかに患者の内的体験を反映する媒体として重要かを論じており,治療者自身の内
的体験や自由連想に目を向けていく必要があることを論じている。すなわち,精神病患者
の前言語期のコミュニケーションは明確に指摘することは困難であるが,患者が非言語的
方法で情緒に満ちた雰囲気を作り出していることに気づくこと自体はそう困難ではなく,
治療者がそれをどう感受していくかということが重要となってくる。
本稿は,面接の大半を沈黙と行動によって過ごす統合失調症患者の語られない転移を,
治療者の逆転移のナラティブによって検証することを目的としたものである。
II. 事例 B
B は非英語圏の国から英語を第一言語とする国へ移住してきた 40 代後半の入院患者
(黒
人男性)である。母親の話によると,B は幼少時から外で友達と遊ぶことがなく,家で一
人絵を描いて過ごし,家族は B が何を考えているか分からないことが多かったという。家
族の都合で異国に移住することになったが,英語をあまり話せず理解もできなかったため
か大きなストレスを抱え,暴れることが多くなった。家族が心配し,B を病院に連れて行
ったところ,精神科医により慢性の統合失調症であるとの診断を受けた。家族は驚き戸惑
いながらも,最終的に B を入院治療させることに決めた。入院後,B は他の入院患者とは
ほとんど会話すること無く,多くの時間を一人で過ごしていた。思考障害を伺わせるよう
なまとまりのない会話,誰もいない所に話しかけ,足や腕についた何かを払い落とそうと
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するといった幻聴・幻覚が頻繁に観察された。
III. 面接過程
面接は週に 1 回 40∼50 分施設内で行われた。以下の面接過程は 2 年 3 ヶ月 103 回のプ
ロセスノートの記録を基に,その過程を 5 期に分け描写したものである。
第1期(#1 #10)
初回,B は比較的多く発言したが,一つ一つの発言につながりを見出すことは難しく,
話が膨らむということはなかった。面接場所に関しては,施設内の各部屋の用途(
「ここは
食事をするところ」
「ここは寝るところ」など)を説明し始め,そこには話をするだけの場
所はなかった。言葉にしろ,表現の仕方にしろ,考え方にしろ,治療者は,あらゆるもの
が区切られ,制限されており,そこには広がりや柔軟性が全くないような印象を抱いた。
二回目以降,B の 話しはさらに制限されることになった。面接時間には現れるものの,
何も話さない。治療者はこの沈黙をどう捉え,どう対処すれば良いか困惑し,B の言葉を
「待つ」というよりは困惑のために「引きこもる」ことになった。B は治療者を横目で見
ては,足を揺さぶったが,その目や足の動きに合わせて圧迫感のある不快な緊張が高まっ
ていくのを治療者は感じた。さらに B はしばしば幻覚を視たり,聞いたりするようになっ
た。徐々に,治療者は自分の存在そのものが B にとってはストレスの源泉であり,治療者
の言葉だけではなく,視線や足を組み替える動きすらも B に不快な刺激を与えてしまうの
ではないかと考えるようになった。また,B がそうした幻覚を発展させる度に,B の状態
を悪化させてしまったという罪悪感や無力感を痛烈に体験することになった。治療者は,
余計な刺激を与えればBが襲ってくるかもしれないというファンタジーを抱くようになり,
話しかけることに躊躇し,引きこもるように B からますます距離をとるようになった。
第 2 期(#11 #33)
治療者が B から引きこもるにつれて,B は治療者が全く存在しないかのように振る舞っ
た。治療者の言葉掛けに一切答えないどころか,治療者を見る事さえせず,最初から最後
まで寝ていることもあった。また,面接中タバコを吸いに外に出かけたり,面接そのもの
に来ないこともあったが,近くにいても,いなくても,B の眼中に自分がいないという感
覚に変わりはなかった。この何もしない状況は治療者にとって大変居心地の悪いものであ
り,大きな無力感を体験するようになった。大きなあくびをする B を見ては,自分が面接
を B にとってもっと有意義なものにすることができれば,
きっと B は退屈したり寝たりす
る必要はないのかもしれないと考えた。
B とつながりたいという思いは,B に何らかの影響を与えたいという願望になり,治療
者は面接中にいくつかの質問をするようになった。
たいていの質問や言葉掛けは無視され,
何を言っても Yeah と自動的な反応とも思えるような返事によって応じられたが,これ
はさらに治療者の無力感を掻き立てた。どう言葉をかけると,B は治療者を心地よく受け
入れられるのか,治療者は何と言えばいいのか,何と言えるのか,そうした技法的な問い
にひどく囚われるようになっていった。次第に,治療者の存在を完全に無視する B に対し
て,治療者は「それではまた来週会いましょう」と面接最後の言葉を比較的大きな声で言
ってみたり,言葉掛けの前に B の名前を呼んでみたりと自分の存在をアピールするように
なっていた。この時,治療者の頭の中は,治療者の言葉に反応する想像上の B でいっぱい
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になり,目の前で沈黙している現実の B は姿を消していた。
一方,B は積極的に治療者を無視し遠ざけ始めた。面接中,紙に人名を書き始め,非常
に満足そうな笑顔を浮かべる一方で,一切治療者には注意を払わなくなり,治療者にテレ
ビがあるリビングルームで待つように指示しながら,B 自身は別の場所でいつものように
紙に人名を書いて楽しんでいるということがしばしばあった。治療者は,B が自分は自分
で楽しむから,治療者は治療者で楽しんでくれと言っているように感じ,心理的距離は,
物理的距離に拡大していっているような印象を受けた。
これまで言葉による積極的に関わりよって,心理的・物理的距離を拡大してしまったと
いう印象から,治療者は B を観察し,B の言葉を待つことにした。しかし,何か価値のあ
る行動が観察できるかもしれないと,言語的やり取りで満足できなかったものを視覚的な
ものに求めた結果,治療者には覗き見をしているような倒錯的な気持ちが湧き始め,見て
はいけないという思いが強くなってきた。そうした中,B は,ジャケットに何かを見て,
それを懸命に振り落とし始めた。それはまるで,治療者の盗視的観察が B の幻視を活性化
させてしまったような,見ることが伝染してしまったようであった。また,治療者が質問
をすると,B は誰もいないところに話しかけたり,笑い出したりし始め,幻視同様,治療
者の言葉が B の幻聴を活性化させてしまったような印象を抱いた。結果,治療者は,話し
かけることも見ることもできず,口と目の感覚器官の自由を制限された感じになり,何も
話さず(B から目を逸らし)誰もいないところを見つめて面接時間を過ごすこととなった。
第 3 期(#34 48)
B は毎回面接で一言二言発言するようになった。
この頃,
B は I have eating,smoking,
and meeting と,面接を食事や喫煙と同等に捉えており,治療者は自分に対して何らか
のポジティブな関心が向けられ始めたのかもしれないという印象を抱いていた。B はしば
しば,例えば toumo や tendit といった単語を使って治療者に話しかけてきた。そ
れは何語なのか分からないだけではなく,
それで何を伝えたいかも全く分からなかったが,
B はそうした単語を何度も治療者に向かって発音し続けた。治療者は同じ言葉を繰り返す
事を求められているように感じ,できるだけ同じ発音になるように心がけ B の後に繰り返
し発音すると,B は満足そうにうなずいた。これに対して,治療者からの言葉かけは快適
なものではないように思われた。ある回では予約の変更について話を切り出したところ
…poor because…I’m…foreigner…I didn’t know that…I can’t speak… と述べ,治療
者は,はっきりと B の意図するところは分からなかったが,治療者の言葉が B を圧倒して
しまっているという印象を抱き,それ以上話せなくなってしまった。
また B は,面接の内外問わず,身体的接触,特に握手を求めてきたが,治療者は,最初,
身体的接触は治療的関わりではないという理論的・観念的理由で大きな抵抗を感じていた。
また当時あるスーパーヴァイザーからも握手に関して「患者とセックスをしたいのか」と
問われ,握手は言語化されるべきであるというアドバイスを受けていた。しかし,治療者
は面接にて B に握手の言語化を求めてみたが,B は相変わらず握手を求め,むしろ積極的
に治療者の手を握ってくるという事態を招くことになった。治療者は,B にはこの種の言
語化は期待できないと感じたため,言語化されえない身体的接触はどのようなものであろ
うと治療者には脅威として感じられた。しかし,一方で B の握手からは性的意味合いを感
じられず,むしろ,言葉を話せない幼児が自分の好意を示すコミュニケーションの手段と
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して握手を求めているような印象をも受けていた。実際当時 B はセッション外でも多くの
人に握手を求めており,握手が治療者に対する性的感情を特別含んでいるようには思えな
かったのである。この握手に対する違和感は,別のスーパーヴァイザーからの「この種の
幼児的動機に基づいた握手は拒む必要がない」というアドバスによって整理されることに
なった。すなわち,治療者は先のスーパーヴィジョンで握手の性的解釈を非難として受け
取り,権威を恐れる一方で,自分自身も B の握手を性的に解釈しようしていたこと,さら
に,教義的にそう解釈されるべきだと思っていたことに気づいた。恐れていたのは B の行
動そのものではなく,
先のスーパーヴァイザーであり,
自分の権威的な内的対象であった。
その後,治療者の B の握手に対する脅威は減り,握手に対しては B の手を軽く握る事で応
じるようになった。そのうち B は治療者の右手(握手をする側の手)をじっと見つめるよ
うになり,面接や話は拒否しても右手だけは受け入れられているような印象を抱き,握手
は無力感や恐怖から希望やつながりへと変わったように感じられた。
握手は握手であり,その行動の意味を解釈することはその時点では難しいと感じられた
が,この解釈の自由のなさは他のことにも言えた。一人笑ったり微笑んだりする B に何が
可笑しいのかと聞いても何も反応はなかったが,可笑しいことを前提に「可笑しいですよ
ね」と言うとうなずいて応答した。また,目をこする B に何が B を眠くするのかと尋ねて
も何も反応しなかったが,
「眠いですよね」というとやはりうなずいて応答した。さらに,
ある面接に B はミルクを持ってきて飲み始めたが,なぜミルクが必要なのかという質問に
は「ミルク」としか応えなかった。ミルクはミルクであり,飲むという行為も,その行為
の必要性も,B にとってはすべて「ミルク」の一言で説明できるものであった。
その他,
治療者は B が言葉の意味を探索することを手伝う前に B に代わって言葉の意味
を考えねばならなかった。例えば,B が笑い出した際,B は People laugh me と言い
ながら笑い続けたが,治療者は,
「B が笑われている(People laugh at him)
」のか,ある
いは「B が笑わされている(People make him laugh)
」のかが分からなかった。同様に,
沈黙しあくびをしている B を見て,治療者が眠いのかと尋ねると B は tired と答えた
ため,治療者はさらに Tired of what? と尋ねると B は You are Tired と答えた。治
療者は,
「治療者が疲れている(I am tired)
」のか,
「治療者が B を疲れさせている(I am
tiring)
」のかがやはり分からなかった。文章の形だけを見れば,人が B を笑っているのか
もしれないし(People laugh at me)
,治療者が疲れている(You are tired)のかもしれな
い。しかし,文脈や状況を考えると,B が笑っているし,B が疲れているように見えた。
治療者は B の意味するところを正確に捉えようと聞いてみたが,やはりそれ以上の事は答
えなかった。B にとって主語と目的語の差はさほど重要ではないように思われ,徐々に治
療者もさほど重視しなくなった。
また,この頃 B はなかなかカウチに座らなかった。うろうろする B に「座りませんか」
と促すと,嫌だと言ったり,座る素振りを見せては結局座らないという行動を何度も繰り
返し,その度に治療者を見ては笑った。このやり取りは治療者にとっては楽しく,一つの
遊びであった。こうした関わりを通して,治療者は B の快楽の邪魔をしたくないという気
持ちが強くなり,食事や喫煙のように面接を自由に楽しんでもらえたらそれでいいと思う
ようになった。この時期の沈黙はプレッシャーのない実に心地の良いものであり,B のよ
く分からない言葉も,話せるだけですごいと思うようになり,治療者はまるで言葉を覚え
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始めた乳幼児の面倒を見ている母親のような気持ちになっていた。
第 4 期(#49 #76)
B は次第に握手を求めなくなり,治療者の横にも座るようになったが,B が寝る頻度は
以前より増し,一言も話さないという面接も多くあった。治療者は,次第に,話しかけて
も見てもいけないような,身体の自由を奪われた気持ちが再度湧いてきた。何も語らず,
誰もいないところを見つめる治療者の姿はまさにBそのものであるように思えた。
そして,
病院の他のスタッフに自分のこの姿はどのように映るだろうか,病院の来客者が自分を見
たらBと同じように収容されている患者だと思うのだろうか,
といった連想が湧いてきた。
これらの連想は治療者にとって大変心地の悪いものであり,自分は患者ではないと訴えた
くなる気持ちが強くなった。そして徐々にアカデミックな場で活躍する(例えば,優れた
論文を書いたり,優れた発表をしたりすることで周囲から賞賛されるというような)白昼
夢を見ながら多くの沈黙の時間を過ごすようになった。また,面接の中では,実際に一瞬
でも寝てしまうこともあり,夢と現実を行き来し,まどろみながら時間を過ごすことも多
くなっていった。
こうした治療者の沈黙の過ごし方は,B の時間の過ごし方によって変化していた。すな
わち,B がただ沈黙している状況においては,治療者は強い眠気に襲われ,まどろみなが
ら時間を過ごし,B が席を離れると治療者の意識ははっきりし始めるが,また B が席に戻
ってくると強い眠気に襲われたのである。まどろみは思考が止まってしまう感覚があり治
療者には耐え難いものがあった。一方で,B が席を離れると,治療者の意識ははっきりし
てくるが,治療者は B に苛立ち始め,B にカウチに座ってもらい,話をして欲しいと強く
願うようになった。そして,B のやっていることは全く時間の無駄であり,治療者のとこ
ろで話をした方が有意義な時間が過ごせると,B を非難する気持ちが強くなった。さらに
は,
「B の言葉をこれ以上待っても仕方がない,治療者が何か話しかけて,B にしゃべらせ
る必要がある」
と何らかの意図的で積極的な行動をとることによってBに影響を与えたい,
行動をとらせたい,B を変えたいという衝動が湧いてきた。こうした治療者の B に対する
願望や非難は次第に
「自分は何をやっているのだろう」
「自分は何のためにここにいるのか」
,
「自分はいない方が良いなのではないか」
,
「自分はただ時間を無駄にしてしまっているの
ではないか」という無力感や自己非難に変化していった。
一方,何も話さないという状況でも,B が紙に人名を書いているときは,治療者は白昼
夢を見ながら過ごしたため,ストレスがないどころか,楽しい時間であった。眠気は耐え
難いほど不快であり,無力感を感じれば感じる程,この白昼夢から得られる快楽(他者か
ら賞賛されるというファンタジー)は治療者にとって貴重なものであり,
「自分がやってい
ることは無駄ではない,意味があることなのだ」と思える時間であった。そして,優れた
論文を書いて周囲から賞賛されるという白昼夢は,B が自分の書いたものを幻覚対象に見
せて満足そうにするという様子と重なり,治療者は B もまた欲求不満の状態に晒されてお
り,治療者同様に自分で自分を満たしているのかもしれないという連想に至った。
第 5 期(#77 #103)
治療者の白昼夢とBの幻覚が同じように機能しているかもしれないという仮説によって,
治療者は B のペーパーワークにより注目するようになっていった。B がペーパーワークを
始めるのは,ほぼ決まって,治療者がある種の緊張やフラストレーションを感じた後であ
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った。紙には同じ名前(毎回書かれる名前は異なるが,B によるとそれらは全て B 自身の
名前であるという)が丁寧に書かれ,一つずつ線で区切った後,さらに,一つずつ丁寧に
消された。区切られた名前が消されるというのは,治療者に「墓」をイメージさせ,まる
で B が自分自身を葬っているような印象抱き,ぞっとするものを感じた。しかし,一方,
この作業を行っているとき,B は常時笑みを浮かべており,最終的に,それは幻覚対象に
見せられるのであった。はっきりと B の意図は分からないものの,それが何であれ,B に
とっては重要な活動であり,この活動を通じての満足は必要であるように思われた。
自分の書いたものをどのように思うかと B に尋ねてみると,良いと思うと答えたため,
治療者もそう思うと同意し,B が大切にしているものに対する理解を示した。この種の同
意に B は非常に満足そうな表情を浮かべ,治療者に積極的に関わってくることが多くなっ
てきた。例えば,治療者が B にカウチを勧めるように,B は治療者に椅子を勧め,治療者
が話すことを勧めてきたように,B はタバコや飲み物を勧めてきた。治療者は B が治療者
の真似をしているような印象抱き,治療者もまた B の真似をするようになった。B が笑う
と,その理由が何であれ,質問や解釈ではなく,治療者もまた笑うことによって応答した。
笑う治療者をみた B はさらに大きく笑い,B の発言量は,依然制限されてはいるものの,
確実に増していった。
また,B がよく書けたと評価したものに,治療者が Yes, it’s beautiful とコメント
をしたところ,B は満足そうに微笑み,しばらく経った後,治療者に You are beautiful.
You are beautiful… と話しかけてきた。さらに続けて, That’s good reason…I rejected
communication…I worked in my country…I forgot everything…I don’t know
anything…Anything! Japonese, Japonese…I like Japonese,.. That’s good reason
と語った。全てを忘れてしまい,何も分からないという B の言葉は,治療者が沈黙の中で
眠気に襲われながら感じていた,自分が何者であるか,何をしているのか分からなくなる
という不安につながり,B に対して哀れみの感情が強く湧いてきた。
またこの頃から B は治療者に質問をするようになってきた。B の質問には主語や目的語
がなく,はっきりと意味することが分からなかったため,治療者の方で主語や目的語を足
すという作業を行っていた。例えば, eat before coming? と聞かれた際には, Did I eat
breakfast before coming here? と言い足してみた。もしかしたら,B が聞きたかったこ
とは,
「何を食べたか( What did I eat? )
」だったかもしれないし,時間(when?)や場
所(where?)を尋ねている可能性もあった。しかし,そうした質問によって期待される答
えは B にとってはまだ複雑すぎるように感じ,治療者は Yes や No で答えられるような
極めて単純な質問文を第一候補としていた。実際,単純疑問文での(yes や no で答えられ
るような)質問には B は反応するが,いわゆる 5W1H の(いっぺん通りには答えられな
い)疑問文には全く応じなかったのである。また,治療者が答える際にも,その質問の動
機などを尋ねるのはまだ無理であるという印象があり,単純に Yes や No で答えていた。
主語や目的語がなくても,質問してくるという行為そのものに治療者は B とのつながりを
感じることができた。
また,B は徐々に治療者に自己の要求を伝え始めてきた。例えば,ある回では指をこす
りながら money, money Two dollars と金銭を要求し,別の回では Hold on! と
治療者にどこにも行かないように指示してきた。こうしたある特定の行動を要求する指示
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に対し治療者は,関わってきているというその行動自体は嬉しく思うものの,その内容に
対しては,言葉で応じることが難しいと思っていたため,圧迫感を感じた。実際,どうし
てお金を欲しいのか,なぜ治療者から欲しいのかということを聞いてみたが,その種の質
問には応じなかった。それどころか,結果,B はその質問後お金を要求することを止めた
が,治療者は B が答えられないような質問をすることで,B に要求を撤回させ,黙らせて
しまったような印象を抱いた。
IV. 考察
逆転移には,治療者自身の個人的葛藤から生じるものと,患者の転移に応答して生じる
ものがあることはフロイトの頃より知られており(Stern 1924)
,Spotnitz(1985)は前
者を主観的逆転移,後者を客観的逆転移と呼び,治療者の抵抗(前者)と投影同一化に対
する反応(後者)を分けた。また,一方で Spotnitz は逆転移が,転移の水準(自己と対象
が分離していない自己愛転移から,両者が分離した対象転移)やそれに伴う情緒(陽性/
陰性)に同調しながら発展することを論じている。この理解は逆転移の源泉を示唆するだ
けではなく,治療者と患者が互いをどのように認識しているかを示す手がかりともなる。
ここでは,
逆転移を検証することによって,
B の語られない転移を考察してみたいと思う。
1.客観的逆転移と主観的逆転移から考察する B の精神機能水準
B のコミュニケーションが制限されているという感覚は,例えば,一つ一つの発言につ
ながりを見出すことの難しさ(第 1 期)
,話をしたり見たりすることの制限(第 2 期)
,質
問は yes or no で答えられるものでなければならず,動機や理由,思考や感情を尋ねるよ
うな開かれた質問の難しさ(第 3 期)
,面接の拒否(第 4 期)
,主語と目的語の不在(第 5
期)など,全面接を通して確認できるものであった。これらを通して,治療者は,B との
関わりに大きな制限を感じた。例えば,治療者は,話しかけることも見ることもできず,
口と目の感覚器官の自由を制限された感じになり,何も話さず誰もいないところを見つめ
て面接時間を過ごした(第 2 期)
。また,治療者は,頭の中で治療者の言葉に反応する想
像上の B に注意を払うあまり,目の前で沈黙している現実の B を事実上無視していた(第
2 期)
。こうした行動に伴っていた感情は「恐れ」であり,危害を与えられてしまう,また,
与えてしまうという感覚であった。これは治療者の普遍的な感情・態度というよりは,B
との関わりに特有のものであり,B の投影同一化の影響が大きい,いわゆる客観的逆転移
に分類されるように思われた。
これに対して,治療者は「自分の存在をアピール」することを目的とした B の名前の呼
びかけ(第 2 期)や「身体的接触に対する抵抗」から生じた握手の言語化の要求(第 3 期)
など,B の示す制限を無視するような行動を多々取った。これらに共通することは,B に
影響を与えたいという願望に基づいた治療者の行動と,それに対する B の沈黙以外の行動
(払いのけなければならないような幻覚を見たり,
物理的に距離を取ったりといった行動)
での応答であった。こうした治療者の関わり方とそれに対する B の反応は,2 人のスーパ
ーヴァイザーとの取り組み(第 3 期)を通して検証された。すなわち,一人目のスーパー
ヴァイザーの「患者とセックスをしたいのか」という握手の解釈は,治療者が元から抱い
ていた(B に対するというよりは)理想的治療というファンタジーと合致するものがあっ
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た。治療者はスーパーヴァイザー,ひいては自己の権威的な内的対象に従い同一化するこ
とによって,間違ったことをしていると指摘されるような権威的脅威を避けた。この治療
者の権威的内的対象に対する態度は B との関係に持ち込まれ,自己を権威的にアピールす
ることによって B を屈服させようとしていた。上記のような B の投影同一化や B が面接
を eating や smoking と並べてスケジュールを組んでいる(第 3 期)ことを考えると,面
接が性器期水準よりも口唇期水準のものである可能性は示唆されていた。それにも関わら
ず,身体的接触=セックスという紋切り型の理解を持ち込み,患者に影響を与えることを
目的とした行動は治療者の権威に対する個人的葛藤の現れであり,探索を目的とした治療
への逆転移抵抗(主観的逆転移)であったように思われた。
また,二人目のスーパーヴァイザーとの取り組み後,B が治療者の右手(握手をする側
の手)を無言で見つめ,断片的であれ話を始めたり,椅子に「座る・座らない」の遊びを
行ったり,互いに真似し合うなど,コミュニケーションの幅が広がったことを考えると,
身体的接触がより幼児的動機に基づいたコミュニケーションであると理解を修正したのは
妥当だったように思われた。
2. 自己愛逆転移から考察する B の葛藤
上記のような客観的逆転移や主観的逆転移が認識されえたのは,言い方を換えると,
「客
観的」や「主観的」と言えるだけの心的距離が治療者と B の間にはあり,治療者が B の知
覚を B のよう体験することに抵抗していたためだったのかもしれない。以下,客観的逆転
移と主観的逆転移の両方を含むが明瞭に区別することができない,より原初的水準の自己
愛逆転移を考察してみようと思う。
上記のような形で主観的逆転移抵抗に取り組んだ後,沈黙はプレッシャーのない実に心
地の良いものになり,治療者には,まるで言葉を覚え始めた乳幼児の面倒を見ている母親
のような気持ちが湧き始めた(第 3 期)
。ところが,次第に治療者の万能感は膨れ上がっ
ていき,沈黙する B に対して「B の言葉をこれ以上待っても仕方がない,治療者が何か話
しかけて,B にしゃべらせる必要がある」
「B に何らかの意図的で積極的な行動をとること
によって影響を与えたい,行動をとらせたい,変えたい」と怒りと支配欲に満ちたサディ
スティックな衝動を抱きはじめた(第 4 期)
。その後,その攻撃衝動は自己に向けられ,
治療者は大きな無力感と混乱を覚えたが,これは,全面接を通してよく感じていた「自分
が何者であるか,何をしているのか分からなくなる」
(第 2 5 期)といった治療者のアイ
デンティティに関する不安に関係していたように思われた。治療者が治療者としてのアイ
デンティティを喪失していくことは Searles(1986)が論じるように,精神病患者の治療
において,比較的共通した体験なのかもしれない。しかし,
「全てを忘れてしまい,何も分
からない」
(第 5 期)という B の混乱にみられるように,B にとって「分からない」とい
うのは一つの主要なテーマであり,治療者の体験は B が原初的水準で体験していることに
呼応しているように思われた。すなわち,治療者同様,B もまたサディスティックな衝動
を自己に向け,アイデンティティを壊すことによってその衝動を発散している可能性が仮
説として考えられた。この仮説は,別の側面からも支持されるかもしれない。B が紙に書
いていたのはアイデンティティの具体的な現れである自分の「名前」であり,それは書か
れた後,一つずつ B によって消されていた。治療者はそれに対して,B が自分で自分を墓
に葬られていくような連想を抱いていた(第 5 期)
。また,この自己のアイデンティティ
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の破壊は,自分が何者かという混乱を生じさせる一方で,治療者がプレッシャーのない沈
黙の中で体験したような緊張の緩和(第 5 期)をも B にもたらしているように思われた。
この自己破壊的葛藤は,精神病患者に多く見られるものとして論じられてきた(連結へ
の攻撃:Bion 1959, 自己愛防衛:Spotnitz 1985, 歴史の不連続性:Ogden 1990)が,こ
のBのアイデンティティを破壊していくという過程もまたBの自己と対象を分離させると
いう心的成長を阻害している一方で,
自己を生かすのに必要な心的活動のように思われた。
3.ナラティブの舞台としての沈黙
これまで見てきたように,面接が進むにつれて,治療者にとって沈黙の意味は変化して
おり,
沈黙は様々なファンタジーを作り出し,
それに沿った行動を引き起こす場となった。
これらの治療者の行動は,言葉にできないものを具体的に体験し,認識・言語化していく
きっかけであり,この過程には欠かせないものであったように思われた。
第 1 期では沈黙は脅威に満ちたものであった。
沈黙になるとBは横目で治療者を見ては,
足を揺さぶり始め,さらには幻覚まで見始めた。この一連の流れを通して,治療者は自分
が B を過度に退行させており,B の状態を悪化させていると考えた。B が足を揺さぶり,
幻覚を見たり聞いたりすればするほど,治療者自身もそうした状況に敏感になり,B も治
療者も非常に脆弱な対象としてそこに存在していたように思われた。脆弱であるが故に,
容易に壊してしまうという,また壊されてしまうという脅威に怯え,沈黙は治療者が「引
きこもる」場となった。
第 2 期はこの脅威への反動から始まったように思われた。B は治療者がまるで存在しな
いように振る舞い,治療者もまた想像上の B に(理論や技法に)囚われるようになり目の
前の B に対して注意を払わなくなった。さらに,これは言葉によって存在を意図的に且つ
過度にアピールするという治療者の行動につながり,結果として B との距離を拡大してし
まうことになった。その後,言葉を控え,観察に重点を置いたが,視るという行為にその
価値が過度に集中し,治療者は観察に倒錯的な感情を抱くようになった。すなわち,沈黙
は治療者の倒錯的エナクトメントの場となっていた。
第 3 期は,握手の拒否という治療者の行動がどのような意味を持つのかをスーパーヴァ
イザーとのやり取りを通して体験的に学ぶことになった。それによって B の精神水準が治
療者の想像以上に原初的水準で機能していることが示唆された。実際,B の表現には主語
と目的語の区別がなく,主語は目的語であり,目的語は主語であった。一つの対象が複数
の意味を持つことは難しく,それは抽象概念が使えない,具体物だけに支配された乳幼児
のような印象抱かせた。沈黙は沈黙であり,それ以上でもそれ以下でもない。複雑性のな
い単純明快な主体と対象のストレスのない共生状態がそこにあったように思われた。
しかし,
第 4 期においては,
身体的接触を含めたあらゆるコンタクトや動きがなくなり,
主体と対象の共生状態は,まどろむ眠りを通して,両者の完全なる融合による消滅に向か
っているように思われた。これは,治療者にとっては,自分が何者かという治療者として
のアイデンティティが喪失していく過程として体験され,沈黙は,刺激(ストレス)がな
い death の状態というよりは,死んで行く dying の過程であり,治療者にとっては大きな
苦痛となった。治療者には,生き残りをかけて,どうにかして B に影響を与えたい,治療
者というアイデンティティを取り戻したい,誰が治療者で,誰が被治療者なのかをはっき
りさせたい,主体と対象を区別したいという衝動が喚起され,B は慢性の病人(bad)で
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あり,自分は万能な治療者(good)であるという対象の分割が生じた。また同じく言葉が
交わされない状況でも,
B が幻覚対象と楽しそうにペーパーワークに取り組んでいる時は,
治療者も同じような白昼夢を見て自分を満足させていた。すなわち,沈黙も,自分が死ん
でいくような苦痛を伴う時間と心地の良い白昼夢を伴う時間に分割されており,沈黙は治
療者の原始的防衛機制の反映であったように思われた。
第 5 期,イミテーションという身体的動作は治療者と B が双子や鏡であるようなファン
タジーをもたらした。それまで沈黙は受動的に発生し,治療者は治療者としてのアイデン
ティティを奪われていたような感覚があったが,相手を双子や鏡のように真似するという
行為は,
そうした受動的ポジションから能動的ポジションへの心的活動の移行を可能にし,
沈黙すらそれは能動的な活動となり得た。B は治療者の,治療者は B の真似をすることに
よって面接自体が活性化し,お互いがお互いを取り入れているような印象を抱いた。
4.治療者の退行過程の考察
治療者にとって沈黙は脅威,倒錯,共生,消滅していく不安,双子幻想と,様々な感情
やファンタジーを発展させる土壌となったが,これらは治療者の退行水準と治療進展の関
係における臨床的示唆を含んでいるように思われる。すなわち,患者がどれだけ退行でき
るかは,治療者がどれだけ退行できるかにかかっており,互いの退行水準が一致し,逆転
移が転移を映し出す媒体となるくらいシンクロするという過程は,前言語期の病理を理解
するだけではなく,治療的作用を持つように思われる。
今回治療者がBとの間で体験した沈黙での上記のファンタジーはどれも自己と対象が分
離していない状態で生じたものと考えられるが,このうち最初の「脅威」や「倒錯」では
対象は自我違和的に認識されている。言い方を換えると,自我違和的であるが故に(B は
治療者の自我ではなく内的対象であるという知覚に基づいているが故に)
脅威を抱いたり,
倒錯的になることが可能になったと言える。Racker(1968)は,治療の初期段階におい
て,治療者が患者の自我に融和的に同一化できると治療関係は促進されるが,治療者が患
者の内的対象に同一化すると関係が阻害されてしまうことを論じている。今回の「脅威」
や「倒錯」はまさに後者のものであり,治療者の抵抗である「主観的逆転移」であった。
一方,同じ,自己と対象が分離していない状況であっても「共生」はそうしたストレス
のない自我親和的な状態であり,両者にとって治療は安全な場になったように思われた。
この状態から生じてきた治療者の「消滅していく不安」とそれに伴う原初的防衛機制から
は,自己を語らない B の自己愛における問題を反映しているかもしれないという仮説が得
られた。第 5 期の「双子幻想」は同じく自我親和的知覚に基づいた体験であったが,治療
者は患者に融合し中にいるというよりは,外にいる似た者,双子的/鏡的存在であった。
自我違和的な立場から自我親和的立場(融合状態と双子状態)を経て,治療者と B のフ
ァンタジーはシンクロしていたように思われ,逆転移が転移を映し出す媒体として機能す
るような自己愛状態への退行は B との治療関係の特徴であった。この退行は,行動を伴っ
た治療者の逆転移抵抗(自我違和的立場では主観的逆転移抵抗が,自我親和的立場では自
己愛逆転移抵抗)を作り出しが,その行動は両者がどのように関わっているかを具体的に
示す指針となった。別の言い方をすると,行動は言葉にならない抵抗を認識し,解決する
ための具体的材料であり,抵抗を解決することによって治療者は治療的に退行できたよう
に思われた。
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V.まとめ
本論では,治療のほとんどを沈黙で過ごす患者との面接過程を治療者の感情や思考を中
心に綴った。B のファンタジーは直接 B から語られる事はほとんどなく,B‒治療者間に生
じた沈黙の力動を理解するためには治療者の連想を吟味する必要があった。沈黙は治療者
の退行に沿って様々なファンタジーを活性化させ,行動を起こす舞台となった。その治療
者の体験(ファンタジーや行動)を通して,B が支配欲に満ちた攻撃衝動を自己のアイデ
ンティティを破壊することで解消しており,それが B の心的成長を妨げ,B を自己と対象
の差のない退行した状態に留め続けている可能性が示唆された。また,そのような状況の
下,イミテーションは B が取り入れやすい対象として機能し,治療者は B の中から外に分
離するという,自己と対象の分離を促す過程を示唆した。こうした一連の流れは,治療者
が B にとって自我違和的対象から自我親和的対象になるという退行的移行であり,治療者
自身の行動を通して具体的に B の転移を体験するという過程であったように思われた。こ
れらは仮説であり,さらなる探索と吟味が必要であるが,前言語期の力動の多くが言葉に
よって支持されるわけではないことを考えると,こうした治療者の退行に伴う連想や身体
的感覚,行動といったものにより注意を払い続けることが必要であるように思われる。
文献
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