患者の尊厳への思いを知るために: 患者尊厳尺度

■ 日本看護倫理学会第7回年次大会 会長講演
患者の尊厳への思いを知るために:
患者尊厳尺度国際版(iPDS)の開発
Measurement of patient s satisfaction and expectation of dignity:
development of the international Patient Dignity Scale: iPDS
太田 勝正
◉名古屋大学大学院医学系研究科
1 .はじめに
患者の「尊厳」。それは「安全」とともに看護、医療
においてもっとも重要なテーマの一つである。例えば
日本看護協会の「看護者の倫理綱領」の第 1条に、「看
護者は、人間の生命、人間としての尊厳及び権利を尊
重する」と示されるように、私たち看護職の行動指針
の当然とも言える基盤となっている。しかし、私たち
は日頃、どの程度患者の「尊厳」を意識し、その確
保・維持に積極的に取り組んでいるだろうか? 過去
の研究テーマを調べてみても、
「尊厳」(キーワード、
シソーラスとも)は看護における研究テーマの主流に
はなっていなかったことが、例えば、「疼痛」「権利」
「患者中心」などのキーワードと比べると論文数が少
ないことからも推察される。一方、患者の「プライバ
シー」、とくに患者情報に係わるプライバシー(情報
プライバシー)が、2005 年の個人情報保護法の制定
を機に注目を集めてきている。
2 .患者の情報プライバシーから尊厳へ
情報プライバシーは、1960 年代にWestinによって
1
唱えられた概念であり(Leino-Kilpi, 2000)
、わが国
2
では、船越(2001)が、伝統的なプライバシーの枠を
超えた、自己情報コントロール権を主軸とした情報プ
ライバシーの概念を示している。
情報化社会の到来を背景に、医療機関においても電
子カルテの導入が進むなど、患者情報の取扱いを巡る
問題が大きくなることが予想されたため、筆者らは
2000 年に「患者情報の共有化と情報プライバシー:
情報化時代における看護の課題」というテーマを立ち
上げてこの問題に取り組んできた。それをさらに「情
報プライバシーの視点からの患者情報の収集と共有の
あり方:尺度開発と全国調査」へと展開させる中で、
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2007 年に共同研究者により「入院患者の情報プライ
バ シ ー 認 識 尺 度(PIPS)」が 完 成 し た(Iguchi, Ota,
2007)3。PIPSは、(1)病名や検査結果など9項目の
「治療関連情報」、(2)名前や生年月日など6 項目の
「属性情報」、(3)睡眠習慣や食生活など4 項目の「日
常生活行動関連情報」、(4)価値観や家計の問題など 5
項目の「私生活関連情報」の4 因子24 項目(オリジナ
ルは25 項目)からなる、患者自身が自分の情報につ
いて医療関係者にどの程度知られてもよいと認識して
いるのか(プライバシー感の程度)を測定する信頼性
と妥当性が確認された尺度である。そして、この尺度
を 用 い た 全 国122 施 設(調 査 依 頼 は2,512 施 設)の
6,141 人の入院患者を対象とする全国調査を実施し
た。
た ぶ ん 2009 年 の こ と だ っ た と 思 う。 国 際 誌
Nursing Ethics編集長に就任した A. Gallagher 先生
と会う機会があり、いよいよこの尺度を国際版に発展
させるための意見交換を京都で行った。大きな自信を
胸に秘めながらPIPSについて説明をすると、
「なぜ、
(情報)プライバシーだけに注目しているのか。なぜ、
患者の尊厳全体に目を向けないのか」という質問が
返ってきた。イギリスの看護の現場では、患者の尊厳
をいかに保つかという問題がクローズアップされてお
り、例えば、2008 年に英国王立看護協会が行った調
査では、尊厳への配慮の重要性に気づき、尊厳に配慮
したケアを行いたくても十分にできない設備面の問
題、組織文化的な問題などが具体的に示されていた
4
(RCN, 2008)
。プライバシーは尊厳を構成する要素
の一つである。臨床の現場に、このプライバシーを含
むより大きな問題が存在していること、そして臨床現
場への成果の還元を考えれば、PIPS国際版の開発か
ら、患者の尊厳への思いを測定できる尺度開発に方向
転換する必要を感じた。
3 .患者尊厳尺度の開発
前述の英国王立看護協会の報告書には、「尊厳は、
複雑だが、看護における中核的な価値である。それ
は、人々が、自分自身および他人の価値について、ど
のように感じ、考え、行動するかに関することであ
り、尊厳をもって当たることは、価値のある個人とし
て、その人に敬意をもって接することである」と示さ
5
れ て い る(RCN, 2008)4。Griffin-Heslin(2005)
は、
尊厳を人としての尊重、自律性、エンパワーメント、
およびコミュニケーションという4 つの中核概念でと
6
らえ、また、Walsh & Kowanko(2002)
は、患者の
尊厳を構成する要素として、看護師の立場から身体的
なプライバシーの保護、気持ちへの配慮、ゆとり、人
としての尊重、アドボカシーを、そして、患者自身の
立場から、不必要な露出の保護、ゆとり、人としての
尊重、十分な配慮と裁量権などを示している。
尊厳に関するこれらの概念をもとに、以下のプロセ
スを経て患者尊厳尺度国際版の開発に取り組んだ。
1)国内調査
文献検討およびフォーカスグループインタビューを
もとに、47項目からなる尺度原案を作成し、2001 年
に 1 県8 医療機関の協力を得て442名の入院患者を対
象とする質問紙調査を行った。患者の尊厳への思い
は、尊厳に配慮したケアへの期待として質問した。そ
の結果、165 名から回答が得られ、因子分析の結果、
患者の尊厳への希望について、(1)一人の人間として
尊重すること(8 項目)、(2)患者の気持ちに寄り添う
こと(7 項目)、(3)話し方と内容に配慮すること(6
項目)、(4)患者を主体として対応すること(2項目)
の 4因子 23項目からなる患者尊厳尺度日本語版原案
を得た。
2)シンガポール調査
国内調査では、患者自身の尊厳への思いを「期待」
という視点でとらえていた。これは、わが国の医療機
関の状況を考えれば妥当であると考えたが、目を海外
に向けると、そもそも患者の尊厳がどの程度保たれて
いるのかという疑問には答えられないものであった。
さらに、尊厳に配慮したケアへの期待が、患者の不満
から生じているものか、あるいはよりよい看護に向け
ての期待を反映したものであるのかを区別することが
できない。そこで、はじめは「期待」という 1次元で
測定していた尺度を「期待」と「満足度」の 2次元で測
定できるように再構成し、英語版調査票を作成するこ
ととした。その際、前述の日本語版原案の開発過程で
脱落した項目についても改めて項目としての妥当性、
必要性を吟味し直し、それに文献検討による新たな項
目を含めて項目をすべて見直し、最終的に 36項目の
英語版調査票を得た。なお、尊厳の構成概念は、基本
的には日本語版と同じである。
調査を行う国の選定に当たっては、尊厳やプライバ
シーと言う概念が時代や文化などによっても変化する
ものであることを踏まえて、英語を公用語の一つとし
ながら多民族国家として発展を遂げたシンガポールを
選択した。そして、2012 年にシンガポール国立大学
の教員の協力を得て、1 施設ではあるが430 名の患者
を対象とするパイロット調査を実施した。その結果、
363 件の有効回答が得られ、(1)respect as a human
being(人間としての尊重)
、(2)respect for personal
feeling and time(思いと時間の尊重)
、
(3)respect for
privacy(プライバシーの尊重)
、
(4)respect for justice
and fairness(正 義 と 公 平 の 尊 重)、(5)respect for
autonomy(自律性の尊重)の5因子で構成される尺度
(患者尊厳尺度国際版 international Patient Dignity
Scale: iPDS)の第1 版を得た。なお、尊厳への期待
は 36項 目 の 内 の 30 項 目(ク ロ ン バ ッ クα=0.953)、
尊 厳 に 配 慮 し た ケ ア へ の 満 足 度 は29 項 目(ク ロ ン
バックα=0.936)で構成された。
3)ロンドン調査
上記のiPDS第1 版の結果をもとに、英国サリー大
学で看護倫理に関心のある研究者や大学院生を交えた
セミナーを開催してもらい、意見交換および専門家か
らのアドバイスを得た。その結果を踏まえて一部項目
の表現上の見直しと英国内の事情にそぐわない1 項目
(安全のための身体拘束に関する質問)を削除した修
正版を用いた調査を行った。対象施設は、1施設に限
られたが、500 名の入院患者を対象とする調査を進め
ている(この原稿をまとめている現時点では、調査は
完了)。データ解析の結果、尊厳に配慮したケアへの
満足度は、シンガポール調査の結果とほぼ同じ 5因子
(クロンバックα=0.947)で構成されていた。一方、
尊厳への期待について因子数は同じく 5 因子である
が、シンガポール調査結果の第 3 因子(プライバシー)
と第4 因子(公正)が一つの因子として統合され、ま
た、「思いと時間の尊重」から「個人としての尊重」と
いう新たな因子が独立するなど、若干の因子構造の違
いが生じていた(クロンバックα=0.956)。現在、確
定的因子分析によるモデル適合性の検証を行っている
ところである。
筆者らが開発に取り組んでいる患者尊厳尺度国際版
iPDSは、(1)日本人が開発している「日本発」の国際
版(英語版)尺度であり、(2)患者の尊厳について、
尊厳への期待と尊厳に配慮したケアへの満足度という
2 つの側面を同時に測定できるなどの特徴を備えたも
のである。さらに、この iPDSを様々な国の臨床現場
でより広く活用できるようにするために、「患者の尊
厳を評価するためのベンチマークツール」としての改
良、および、尊厳に関する思いを自ら的確に表現する
ことが困難な認知症患者に適用できるようにするため
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に、家族と担当看護師の回答をもとにできるだけ正確
に患者の思いを推定するための尺度の改良と評価法の
検討を進めている。
私たちは、看護の専門職として、あるいは看護の教
育研究者として常に臨床現場に目を向け、そこにある
問題に取り組んでいかなければならない。このiPDS
が日本にとどまらず、世界の患者が遭遇している尊厳
に関わる問題を改善、解決していくために役立つこと
を期待する。
文 献
1. Leino-Kilpi H, Scott PA, Välimäki M, Dassen
T, Gasull M, Lemonidou C, Arndt M. Patient s
autonomy, privacy and informed consent.
Amsterdam: IOS Press; 2000. pp.88.
2. 船越一幸.情報とプライバシーの権利:サイバー
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スペース時代の人格権.東京:北樹出版;2001.
pp.120‒123.
3. Iguchi H. Ota. K. Development of instrument
to measure patient perception of information
privacy, Patients Information Privacy Scale
(PIPS),and the Conventional Privacy
Checklist(CPC)
,Jpn J Med Info 2007; 26
(6)
:
367‒375.
4. Royal College of Nursing. Dignity at the heart
of everything we do. 2008.
5. Griffin-Heslin VL. An analysis of the concept
dignity. Accident and Emergency Nursing.
2005; 13: 251‒257.
6. Walsh K. Kowanko I. Nurses and patients
perceptions of dignity. International Journal of
Nursing Practice. 2002; 8: 143‒151.