Kyushu Communication Studies, Vol.8, 2010, pp. 62-69 ©2010 日本コミュニケーション学会九州支部 【 特 別 企 画 】 焼酎とコミュニケーション ―CAJ九州支部第 16 回大会の特別講演に関する論考― 佐藤 勇治 (熊本学園大学) Shochu and Communication: A Commentary for the Special Lectures Presented at the 16th Annual Convention of CAJ Kyushu SATO Yuji (Kumamoto Gakuen University) Abstract. This is a commentary for the special lectures on “Shochu” liquor presented by Professor Emeritus Yasuhito Takeda and Professor Yoshihiro Sameshima of Kagoshima University. The lectures were given on October 11th, 2009 at the 16th Annual Convention of the Kyushu Chapter of the Communication Association of Japan in Kagoshima, Japan. The commentary is written from five perspectives on Shochu : history, communication, culture, locality and local development. It was found that Shochu was introduced to Japan more than 500 years ago by way of Thailand, and has become a popular liquor at present, though it used to be regarded as a low quality cheap liquor in the past. Shochu played an important role to smoothen communication among people and to create a common group spirit and friendship. Manners and wares of drinking as well as plays with Shochu have become a kind of culture. Though Shochu is produced in various places throughout Japan, it is featured by some locality such as the differences in raw materials of Shochu. The production and sales of Shochu influences various related areas in commerce, transportation, public service, and what not. In this sense, the development of the Shochu industry makes a great contribution to the prosperity of the local community. This commentary focused on the communication function of Shochu production, sales and drinking. As stated in the special lectures by Professors Takeda and Sameshima, Shochu plays a role of communication medium among people. The bond of the people created by communication with Shochu drinking serves for cooperative actions of the people for any 62 project they may come up with, and contributes to further development and prosperity of the local community. Shochu is a major industry in Kagoshima and has a potentiality to step ahead with new perspectives toward the future. 0.はじめに 本論は 2009 年 10 月 11 日に鹿児島で行われた、CAJ 九州支部第 16 回大会において、 「歴史・ 伝統とコミュニケーション」の大会テーマの下、鹿児島大学名誉教授の竹田靖史氏による「焼酎 学とカラオケ学」1)、並びに、鹿児島大学教授の鮫島吉廣氏による「焼酎問わず語り」2)と題した 特別講演に関して、焼酎とコミュニケーションの観点から考察を加えたものである。 竹田氏は講演の中で、鹿児島の主要産業の一つである焼酎製造と、それを学問的に支援してき た鹿児島大学の焼酎研究とが有機的に結びつき、 「焼酎学」が鹿児島大学に誕生する経緯を説明し ている。焼酎学講座は鹿児島県内 110 社の蔵元と鹿児島県及び鹿児島県酒蔵組合連合会から 5 億 円の寄付を受けて、平成 18 年 4 月に鹿児島大学農学部生物資源化学科に設置された。 その目的は蔵元の後継者や技術者を学問的基盤に立って育成し、鹿児島県はもちろんのこと、 他の日本の諸地域、さらには世界の様々な地域での焼酎産業の発展に貢献することにある。また、 商品としての焼酎の製造と販売の振興に寄与するだけでなく、焼酎を通じた人と人との交流の促 進や、焼酎の飲み方や楽しみ方に関する文化の維持と発展に寄与することも目的とされている。 竹田氏はさらに、焼酎の楽しみ方の一環として「カラオケ学」が誕生し、放送大学の講座とし て活用されるまでになった経緯と、一つの例としてカラオケを通じて「食品学」を学ぶケースを 紹介している。一見何の関係もない焼酎とカラオケが結びつき、学問への新たなアプローチの方 法を示しているところに興味深いものがある。 もう一人の講演者である鮫島氏は、日本人にとって酒が人と人のコミュニケーションに果たし てきた役割を、室町・江戸時代に作られた「酒の十徳」を紹介して説明している。また、酒の功 罪についての酒餅論についても触れ、酒を飲むことの良さと悪さが昔から認識されていたことも 紹介している。さらに、酒は場の雰囲気作りに役立っているが、酒の種類によって微妙に違う雰 囲気の中でも、焼酎の作り出す雰囲気が「明るく賑やか」であると指摘している。 鮫島氏は鹿児島県における焼酎の歴史についても語り、昭和 29 年に鹿児島県大口市郡山八幡神 社の改修工事の際に発見された落書きから、1559 年には既に鹿児島に焼酎が存在し、焼酎をめぐ る神主と職人の感情のすれ違いのように、焼酎は人間関係にも影響を及ぼす存在だったことを明 らかにしている。 鮫島氏は講演の最後に、鹿児島の焼酎文化である「ダレヤメ」について紹介し、昔から鹿児島 では、家人が一日の疲れを癒し明日への活力を養うために焼酎を飲んだことと、客人をもてなす 為に酒席を設け、焼酎を徹底的に飲ませることを最高の接待とし、コミュニケーションの場にし ていたことを語っている。また、焼酎学の担い手らしく、締めくくりとしてダレヤメの条件を紹 介し、それに最もふさわしい酒が焼酎であることを示して講演を終了している。 竹田氏と鮫島氏の講演からわかることは、第一に焼酎が人間のコミュニケーションを円滑化あ るいは促進する潤滑油ないし触媒的役割を果たしてきたことがあげられる。第二に現存する資料 からわかるだけでも焼酎の歴史は 450 年以上もあり、この間に「ダレヤメ」のような独特の焼酎 文化が形成されてきたことである。第三には焼酎の製造と販売のために、鹿児島大学と蔵元と酒 63 造組合連合会並びに鹿児島県の関与という形で産官学の協力が進み、地元の経済発展に寄与する ことはもちろん、他地域や他国の発展にも役立ち、ひいては関連領域を巻き込んだ新たな学問的 発展にもつながっていることである。 本論では、上記のような両氏の講演内容を踏まえて、それぞれの論点について考察を加えるこ とにする。考察にあたっては、歴史、コミュニケーション、文化、地域性、並びに、地域の発展 の視点を取り入れている。 1.焼酎の歴史 焼酎という言葉が初めて日本で見出された例は、鮫島(2009 年 10 月)や野間・中野(2003) が指摘しているように、鹿児島県大口市郡山八幡神社の改修工事が行われた 1559 年のことであ る 3) 。工事に携わった職人の施主に対する不満という形で表現された焼酎であるが、このことは 16 世紀後半には既に焼酎の製造と飲酒が日本で行われていたことを示している。小泉・角田・鈴 木(1998)は焼酎の製造について、14~15 世紀にシャム(現在のタイ)から沖縄へ蒸留技術が 伝わり、それから薩摩や奄美大島諸島を経由して本土へ広がったとする説が有力であると紹介し ているが、そうであれば 16 世紀後半の薩摩に焼酎が存在していたことも合点がいく 4)。 穂積(1977)は、焼酎の特徴について「酔いの軽快さ」とか「気がおけない酒」という表現で 表すと共に、 「白紙のような素直さであらゆる肴に適合する」と好意的に評価している 5)。この評 価からすれば、焼酎はその歴史の早い時期から、日本人の国民的酒として広く一般に愛飲されて いたと思うのが自然であるが、実態は野間・中野(2003)が指摘するように、ネガティブイメー ジで捉えられ「肩身の狭い思い」をしてきた 6)。つまり、焼酎は安価であるぶん質も悪い酒であ り、社会階層的には低所得層や身分の低い者の酒というイメージが、根強く形成されていたので ある。 現在ではこのようなマイナスイメージは払拭され、全国的に焼酎の需要が高まり、津々浦々の 酒店やスーパーなどで販売されるだけでなく、居酒屋やバーといった酒場でも人気のある酒とし て常備されるに至っている。その背景には、野間・中野(2003)が指摘するように、焼酎に対す る消費者意識の変化があり、そのような変化を生んだ例として、福岡市で焼酎ブームの先導役と なった医者・財界人・ジャーナリストなど知的職業人たちの焼酎志向が紹介されている 7)。どの ような肴にも合い、アルコール濃度もお湯や水で適宜調整でき、翌日に残るような悪酔いもしに くい酒というところが人気を呼んだ秘密のようである。 2.焼酎とコミュニケーション 酒は、古くは収穫において人間と農耕の神を結びつける「媒体の役割」を果たしていたとされ る(小泉他、1998)8)。酒を用いて豊作を農耕の神に祈り、豊作の折には酒を用いて農耕の神に 感謝の意を表したのである。日本人の場合は、収穫に加えて冠婚葬祭を意味する「ハレの日」に 関係者が集まり、共に酒を飲むことで「集団の連帯感」を確かめ合っていたことが三世紀の魏志 東伝に記されているそうである(吉澤、1991)9)。 吉澤(1991)は、社会の複雑化と共に何かと窮屈で摩擦も多い現代の人間関係を円滑にする、 「潤滑油」としての酒の効用に触れている 10)。同様のことを鮫島(2009 年 10 月)は、日本人を コミュニケーションが苦手な民族だとの前提のもとに、日本人は酒を緊張をほぐし打ち解けるた 64 めのコミュニケーションの道具として昔から活用してきたことを述べている 11)。 このように、酒は人間と神とを結びつけ、また、人と人との連帯感を醸成し、ギクシャクしが ちな人間関係を円滑にする媒体の役割を果たしてきたことがわかる。焼酎についても同様のこと が言えることは容易に推測できる。コミュニケーションという行為が人と人との心に橋を架ける ことであるとするならば、まさしく酒を造り家族や仲間と共に折にふれてそれを飲むという行為 は、相互のコミュニケーションをはかる行為を行ってきたことに他ならない。 3.焼酎の文化 酒は人間のコミュニケーションの円滑化や促進に重要な役目を果たしているうえに、文化も形 成している。それはコミュニケーションと密接な関係にある「もてなしの文化」と「遊びの文化」 に関わるものである。菅間(1984)は、本富安四郎の『薩摩見聞記』を引用して、無理強いして でも焼酎を客に飲ませるのが、薩摩での客を歓待するやり方であったと報告している 12)。普通に 考えれば、客の立場にたって客が嫌がることは避けるというのが一般的な対応であろうと思われ るが、薩摩では焼酎による酒席を設け、どんなに辞退されても焼酎を飲ませることが客に対する 主人の最大限のもてなしであり、客はそのような温情に酩酊するまで焼酎を飲むことで応えるこ とが、望ましいとされる文化が形成されていたのである。 酒を飲むにつれお互いの心の垣根が低くなると、一層の楽しみを求めて「遊び」に興じたくな るのは人情であろう。焼酎についても飲みながら行う様々な遊びが存在する。菅間(1984)は、 鹿児島では箸を使って遊ぶ「薩摩なんこ」を、熊本ではじゃんけんゲームの一種である「球磨拳」 を紹介している 13)。双方ともゲームに負けた者が焼酎を飲まなければならない。遊びが盛り上が るほどに人々のコミュニケーションはさらに活発になり、一層打ち解けた人間関係の形成に役立 つようになる。このように焼酎は遊びの文化の形成にも一役かってきたのである。 4.焼酎と地域性 一口に焼酎といっても、地域によりその材料とするものも、道具を含めた飲み方にも違いがあ る。言わば地域ごとの「個性」があるのである。このことを穂積(1977)は、「蒸留家たちはそ れぞれの風土の中で最も適した材料を選びだし、その風土に最も適した独特の技術を考案して、 それぞれ特徴ある焼酎をつくりだした」と述べている 14)。このように焼酎には地域性という条件 が加わることで、なお味わいのある「発展性のある文化資産」とでもいうような商品となってい るのである。 材料についていえば、鹿児島は薩摩芋を原料とする「芋焼酎」が中心であるが、熊本県の球磨 焼酎は米を原料にしている、また、この他にも長崎県の壱岐に発生し、宮崎や大分に広がった麦 焼酎のように麦を原料としているもの、あるいは宮崎県の五ヶ瀬から始まった「そば」を材料に した焼酎もある。このように、それぞれの地域の農作物の特徴が焼酎の原料にも反映されており、 味も素材の違いに応じて微妙に違っている。竹田(2009 年 10 月)が指摘するように、かつては 芋焼酎の臭いを気にする消費者もいたが、鹿児島大学の蟹江松雄氏の研究成果を活かした製造技 術の進歩によりこの問題も解決され、現在では芋焼酎を愛好する消費者も非常に多い。 焼酎の飲み方についても地域性がある。豊田(2005)は、鹿児島のダレヤメについてメソジス ト派の宣教師であったシュワルツが、1907 年に『薩摩国滞在記』の中で書いている記事を紹介し 65 ているが、その中には鹿児島では焼酎を飲むときは、男女や大人子ども、あるいは身分の上下な く飲むことが記載されている 15)。明治時代の後半のこととはいえ、これほどまでに「民主的」と もいえる形で焼酎を飲んでいたことは、他の地域には見られない特徴かもしれない。鹿児島の 人達の焼酎の飲み方については、菅間(1984)が 1925 年に佐喜真が書いた『シマの話』から一 部を引用して、大勢で焼酎を飲むときは一個の盃を回しのみすることで、人々の共同体意識を形 成していたのではないかと述べている 16)。このように鹿児島での焼酎の飲み方は、人々を民主的 雰囲気の中で、お互いの絆を強くする優れたコミュニケーション機能を担っていたと思われる。 焼酎を飲む道具についても地域の特徴がある。鹿児島では焼酎を入れる器である「黒じょか」 (漢字では「黒茶家」か「黒千代香」と書く)と、遊びを兼ねて飲酒に使う「そらきゅう」のセ ットがおもしろい。黒じょかは火袋の上に載せて焼酎を温める蓋付のやや平べったい形状をした 器である。色は黒である。この黒じょかに焼酎を入れて温め、そらきゅうに注いで飲む。そらき ゅうは、底に小さな穴が開いているお猪口であるが、焼酎をそらきゅうに注がれて「そら」と言 われたら、 「きゅう」と一気に飲み干すまで盃を下に置けないということから、この名前がある。 先述した鹿児島の「おもてなし」の心と習慣から生まれたものであろう。 球磨焼酎の産地である熊本県の球磨人吉地方には、 「ガラとチョク」と言われる酒器があり、焼 酎を飲むときに使われる。 「ガラ」とは、フラスコの胴体に細長い鶴の首のような注ぎ口がついた 酒器で、これに焼酎を入れて五徳にかけて温める。 「チョク」とは、小形のお猪口で燗酒の臭いが あまり鼻をつかない程度に工夫されたもので、これに焼酎を注いでもらい飲む。この「ガラとチ ョク」を酒器として、先述の「球磨拳」という「じゃんけん遊び」に興じながら焼酎を飲むのが 人吉球磨地方の伝統であったとされている。このように鹿児島であれ熊本であれ、焼酎を飲む道 具の面でも地域の特徴があり、そのことが焼酎の楽しみ方をより深いものにしている。 5.焼酎と地域の発展 竹田(2009 年 10 月)によれば、鹿児島県では焼酎の製造・販売は年間 1600 億円を売り上げ、 毎日 1 億円を納税する県の基幹産業となっている。この事実から容易に想像できることは、焼酎 という一つの消費財を通じて、地域の様々な産業が結びつき、鹿児島の地域経済を牽引する力と なっていることである。およそ一つの産業が発展するためには、その関連産業まで含めた広い裾 野が必要であるが、鹿児島の焼酎産業の場合もそうであり、地域の発展におおいに貢献している。 焼酎を製造するためには原料となる芋なり米なりが必要であるが、これは物流コストや品質保 証のことを考えると、余程価格が安く上質な原料でない限りは、他地域からよりも地元農家から 調達するのが一番望ましく、従って焼酎産業の存在は地元農業の発展にも貢献することになる。 また、焼酎の流通に携わる卸・小売業界の存在と消費場所としての居酒屋やバーなど飲酒ができ る店も必要である。さらに製品がよく売れるように消費者と製造者をつなぐ広告宣伝活動も必要 である。この広告宣伝活動にはマスコミと言われる新聞、テレビ、ラジオ、雑誌、インターネッ トに加え、県庁や市役所などの行政機関における広報担当部門の力も必要となる。そして、これ らのいずれにも人が必要であり、それが市民の雇用を生み出し、労働に対する対価として市民が 得た収入は消費に回り、経済を循環させる力ともなる。このように焼酎産業から派生して様々な 業界が関連しあい、地域経済の発展に貢献しているのである。 焼酎と地域の発展を考える場合に、学問との関係も大切なポイントである。鹿児島大学の「焼 66 酎学」のように、焼酎に関する製造技術の問題はもちろんのこと、焼酎の歴史や文化の領域にま で科学の光をあて、学問としての体系化を進め且つ新たな課題に取り組むことは、大変有意義な ことである。こうすることで、焼酎産業の技術や品質の向上が行われ、そのことによる競争力の 強化、あるいは後継者の育成などの面で長期的な地域経済の発展を後押ししてくれるのである。 鹿児島の焼酎に関して言えば、この学問的支援もあり、日本の他地域に比較すると今後益々の発 展が期待されるところである。 6.結び 本論では竹田氏と鮫島氏の特別講演を基にして、焼酎について歴史、コミュニケーション、文 化、地域性、地域の発展という視点から考察を試みた。普段身近にありながらも、調べたり考え たりすることのなかった焼酎について学ぶ良い機会であった。 焼酎の歴史を紐解くことで、元々の蒸留技術は海外からもたらされたものであること、500 年 ほどの長い歴史があること、長い飲酒の歴史の割には安い低質な酒のようなネガティブなイメー ジが伴っていたが、近年はプラスのイメージに転じ、国民的酒として愛好者が増えていることも 知ることとなった。 コミュニケーションという観点から見ると、焼酎が人の輪と和を作り、共同体的意識の醸成や 協力関係の形成など、人と人を結ぶ重要な媒体として機能していることがわかった。その延長上 で酒席を通じた「もてなしの文化」と、酒席での「遊びの文化」が形成されていることも、焼酎 が単なる飲み物ではなく、人間生活の大切な文化の一部となっていることもわかった。 焼酎の製造・販売に携わる蔵元は鹿児島県だけでも 110 社もあると言われるが、全国的な規模 でみると相当な数にのぼる。この数からも類推できるが、焼酎といっても全国均一な商品ではな く、地域による違いが存在することも知ることができた。焼酎は材料の違い、飲み方の違い、使 用する道具の違いなどが、産地による地域特性をもたらし、焼酎の存在に奥行きを与えている。 材料に芋を使うのか、米を使うのか、あるいは麦や蕎麦を使うのか。誰隔てなく一緒に飲んだり、 同じ盃で飲んだり、遊びを交えて飲んだりといった飲み方の伝統。酒器の形状や構造の違いにも 地域による違いがあるのである。 焼酎は、その製造と販売が地域の発展にも大いに貢献していることも確認できた。直接的貢献 だけでなく、物流や広報宣伝など関連分野にも影響を与えている。また、焼酎が学問として大学 の中に位置づけられることで、科学的方法と知見に基づく製造技術と品質の向上、そのことによ る競争力の強化、後継者育成など多面的な貢献ができている。 これまで上記のような焼酎をめぐる論考を行ったが、全体を通じたキーワードは「コミュニケ ーション」であるとの結論を持って、本論を終わることにする。そもそも焼酎という酒が生まれ る背景には、歴史的にみると農作物の収穫をめぐる人間と神とのコミュニケーションの媒体とし て酒が必要であったことと、村落共同体としての協力関係を築くためには「酒」を通じたコミュ ニケーションが必要であったことがある。焼酎そのものが日本で誕生するのは 500 年ほど前だと しても、その前段階として上記のようなコミュニケーションのための酒の必要性が存在していた わけである。 焼酎の製造と販売が行われるようになると、目的が客人のもてなしであれ、家族や親戚の祝い 事であれ、あるいは地域社会の連帯意識と協力関係の形成であれ、焼酎を介した関係者間のコミ 67 ュニケーションが大いに役立ったわけである。そこには焼酎がどんな肴(食事)とも相性がよく、 比較的廉価であり、アルコール濃度の調整もやり易く、遊びも含めた打ち解けた雰囲気をもたら してくれたことが大いに関係していると思われる。 焼酎があるところに人の集まりがあり、相互のコミュニケーションが始まる。その集まりの中 からお互いをよく知るようになり、そこから新たなアイデアが生まれたり、そのアイデアの実現 のための共同作業が始まったりする。もちろんコミュニケーションは酒なしでもできるが、焼酎 が間に介在することで、人々の心の垣根は低くなり、より自由な心でコミュニケーションをとる ことができるようになる。 地域社会の一層の発展のためには構成員相互の話し合いと協力関係が不可欠であるが、その絆 を結ぶ大切な働きを焼酎が果たしているのである。まさしく、焼酎はコミュニケーションを促進 し社会的な成果をあげることを支援する大いなる「貢献者」なのである。これからも焼酎産業が 関連領域も含めて益々発展し、人を結び、経済力も高め、文化の発展にも貢献し続けることに期 待したい。 謝辞 本論考を執筆するにあたり、その素材を提供していただいた竹田靖史氏と鮫島吉廣氏に感謝の 意を表する。 註 1)竹田靖史(2009 年 10 月) 『焼酎学とカラオケ学』日本コミュニケーション学会・第 16 回九州支部大会特別講 演資料。 2)鮫島吉廣(2009 年 10 月) 『焼酎問わず語り』日本コミュニケーション学会・第 16 回九州支部大会特別講演資 料。 3)野間、中野、2003、p. 11。 4)小泉、角田、鈴木、1998、p. 134。 5)穂積、1977 年、pp. 92-93。 6)野間、中野、2003、p. 9。 7)野間、中野、2003、p. 61。 8)小泉、角田、鈴木、1998、p. 4。 9)吉澤 淑、1991、p. 110。 10)吉澤 淑、1991、p. 114。 11)鮫島吉廣、2009 年 10 月。 12)菅間、1984、p. 146。 13)菅間、1984、pp. 188-189。 14)穂積、1977、p. 100。 15)豊田、2005、p. 187。 16)菅間、1984、p. 185。 引用文献 小泉武夫、角田潔和、鈴木昌治(1998)(編著) 『酒学入門』 、講談社。 鮫島吉廣(2009 年 10 月)『焼酎問わず語り』 、日本コミュニケーション学会・第 16 回九州支部 大会特別講演資料。 菅間誠之助(1984)『焼酎ルネッサンス-焼酎のはなし-』 、技報堂。 竹田靖史(2009 年 10 月)『焼酎学とカラオケ学』 、日本コミュニケーション学会・第 16 回九州 68 支部大会特別講演資料。 豊田謙二(2005) 『南のくにの焼酎文化』、高城書房。 野間重光、中野元(2003)(編著)『しょうちゅう業界の未来戦略-アジアの本格焼酎-』、ミネ ルバ書房。 穂積忠彦(1977) 『焼酎学入門』、毎日新聞社。 吉澤淑(1991)『酒の文化誌』 、丸善。 69
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