7 伝道とは 7-1 イエスの働き 7-2 12弟子たち 7-3 大宣教命令

7
伝道とは
7-1 イエスの働き
7-2 12弟子たち
7-3 大宣教命令
7-1 イエスの働き
1、聖書によれば、イエスが本格的活動、
「教えを始められたとき、イエスはおよそ30
歳」(ルカ3-23)となっています。このときから十字架にかけられるまで、約3年余り
の間を、キリスト教ではとくに「公生涯」として、それまでの期間と区別しています。こ
の章では、この期間を、また3つの期間にわけて説明したいと思います。
教え伝えるることを、キリスト教では、宣教とか、伝道といいますが、他の宗教とどの
様に異なるか等も説明します。まず、伝道ですが、伝導と言う言葉はつかいません。伝道
はキリスト教独自の言葉です。ユダヤ教には伝道という考えはもともとありません。いま
でもユダヤ教が民族的宗教であるのに対し、キリスト教が世界的に広がりをもっているの
と対比すればわかりやすい思います。今は多くの新興宗教が真似ないしそのままつかって
いますが、始まりはキリスト教にあったのです。伝道とは信者獲得のために教義を説きひ
ろめることで、キリスト教のおおきな特徴はこの教えとと伝道、宣教が結びついていると
ころだとといわれています。別の表現をすれば、弟子造りだとも言われます。
2、イエスの伝道期間は大きく3つの期間に分けられます。
第1期 初期のユダヤ地方の伝道
第2期
ガリラヤ地方での伝道、とくに民衆から支持を得た期間でとくに名望時代とも
いわれています。
第3期 後期のユダヤ・ペレア地方の伝道、これを反対時代と名付けられています。
3、第1期 初期のユダヤ地方の伝道
まず、ユダヤ(イスラエル)の国の地図を見ていただきたいのですが、これは現在のイ
スラエルの地図とほぼ変わりはありません。有名な死海の北西にエルサレム、当時もユダ
ヤ国の首都でした。その下にイエスの生誕地であるベツレヘムがあります。このエルサレ
ムのあった地方をユダヤ地方(ユダヤ国の一地方)といっていました。
ユダヤの北にあるのが、サマリヤ地方です。当時はユダヤの人はサマリヤの人を異邦人
と呼び、付き合いをしませんでした。その北にあるのが、ガリラヤ地方です。ここに、ガ
リラヤ湖があります。イエスはこの湖の西側にあるナザレで幼少から青年期をむかえるの
です。この湖を中心にイエスはよく伝道活動をします。このガリラヤ湖と死海を結ぶのが、
ヨルダン川です。この湖も川も聖書ときりはなせません。この湖に水を注ぎ込むのが、北
にあるヘルモン山です。
したがって、ヘルモン山、ガリラヤ湖、死海の縦の線にガリラヤ地方、サマリヤ地方、
ユダヤ地方があり、その東をヨルダン川が流れ、その西側の端に地中海があるのです。地
中海の温暖さと、ヨルダン川の豊かさ、しかし、片や荒れ野があるという地理、気候条件
のなかで、伝道はつづけられました。この広さは日本でいえば、四国ぐらいの大きさと思
えばよいでしょう。しかし、2000年前の交通事情は大変なもので、すべて徒歩で行か
ねばならなかったのですから、移動には大変な時間がかかったと予想されます。
4、第1期、初期のユダヤ地方の伝道は6か月位の期間です。これはもっぱらヨハネの
福音書に記載されています。イエスの伝道活動は、3年余りと本当に短期間なのですが、
まづ何故3年間か、と言うと、過越の祭り(これは第4章でのべました。)を4回がイエス
の活動中でてくるからです。
4つの福音書(マタイ、マルコ。ルカ、ヨハネ)はイエスの活動について書いているの
ですが、時間をおって順序よく書いているわけでないので、どのような流れで伝道活動が
行われかは、それをくわしく研究した解説書の助けを借りなければわかりません。しかし、
イエスの伝道にかかせないのが、ヨハネです。このヨハネはあとにでてくる弟子のヨハネ
でなく、普通バプテスマ(洗礼)のヨハネといはれている人です。
「見よ。世の罪を取り除く神の小羊。
・・・この方がイスラエルに明らかにされるために、
私は来て、水でバプテスマを授けているのです。」(ヨハネ1ー29)ヨハネはイエスを見
て言うのです。イエスが伝道の開始にあたり、このヨハネから洗礼を受けるのです。そし
て、最初の弟子を獲得します。ヨハネの弟子だった、アンデレ、ヨハネです。次にアンデ
レは兄のペテロをイエスのもとに連れてきます。次にピリポが、次にナタナエル(バルト
ロマイ)が弟子になります。イエスの伝道活動は、ヨハネよる洗礼と弟子の獲得からはじ
まったことに特徴があります。
5、第1伝道期で有名な話を2つ紹介します。まずカナの婚礼での出来事です。カナは
イエスの育ったナザレの近くで北側にあるところです。そこで行われた婚礼に出席されま
す。そこで、婚礼の席でなくてならないブドウ酒がなくなっているので、水をぶどう酒に
変えるというイエスにとり始めての奇跡がなされます。そのとき、
「母がイエスにむかって
『ぶどう酒がありません。』と言った。するとイエスは母に言われた。『あなたとわたしは
何の関係があるでしょう。女の方。わたしの時はまだきていません。」
(ヨハネ2-3・4)
聖書には通常の常識で読んでいくうち何度も、おもわず立ち止まることがしばしばある
が、この箇所もその一つではないでしょうか。自分の母を、「女の方」(新改約聖書)と呼
ぶとははたしてどんな立場に立てば言えるのでしょうか。新共同聖書は「婦人の方」と訳
している。どちかが適切ということでなく、この言葉を言う側の立場と聞く側の理解であ
る。我々、俗の世界ならば、こんな言葉を発する息子はとんでもないことになるでしょう。
イエスが大工の息子として、普通の家庭の生活を送っていたその時は、母と子と呼びあっ
ていたでしょう。
しかし、いまはイエスは公の伝道活動の生活に入いりました。神の国の建設のためすべ
てをささげる公生涯に入られたのです。母マリヤの心中はいかばかりだったでしょうか。
聖霊により、結婚していない前から妊娠し身重になり(現在のデキチャタ婚です。当時の
律法の厳しいユダヤ社会では激しい批判の目にされされたでしょう)
。その子が神の子とし
て生まれ、育った重責を一身に背負い、成長しいままた、我が子を理解できぬまま長い間
苦しみ、悩んできたことでしょうか。しかし、イエスは世情の関係でなく、神としての公
の立場と私人の人間としての立場のちがいを明確にされたです。マリヤの一人の人間とし
ての悲しみ苦しみ、そしてこれが真の喜びに変わるには少しの時間が必要になります。
しかし話はこれで終わりませんでした。イエスは十字架上で母とそばに立っている愛す
る弟子とを見て、「母に『女の方。そこに、あなたの息子がいます』と言われた。」
(ヨハネ
19ー26)ことからうかがえます。イエスが母の元から去って母が老後の不自由な生活
をすることにたいする配慮、心遣いが、愛がこの言葉からうかがえます。母を自分の弟子
にまかせたのです。それは、通常の親子の愛情を越えた、神としてのイエスの愛がほとば
しりを感じるではありませんか。そしてこの言葉のあと、母マリヤを含めた全人類のため
にイエスは十字架上で死ぬのです。そして、マリヤは以後イエスの信仰者になるのです。
6、第1期伝道で特出するできごとに、ニコデモとの話し合いがあります。ニコデモは
「ユダヤ人の指導者」
(ヨハネ3ー1)でした。ユダヤ人の議会をサンヒドリンと言います
が、その議員でした。日本でいえば国会議員にあたります。また、イエスから、あなたは
イスラエルの教師といわれましたから、ユダヤ教の学者=律法学者でもあり、当時ユダヤ
では尊敬された議員であり、宗教人であったのです。だから人目を避け夜、イエスのもと
にきます。
「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っていま
す。
」そして教えを乞うたのです。人間はどのようにすれば、生まれ変わることができるか
と。
イエスは言われます。
「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
ニコデモは言います。
「人は老年になっていて、どのようにしてうまれことができるのです
か。」老年とはニコデモ自身を指します。イエスは答えます。「人は水と御霊によって生ま
れなければ、神の国にはいることはできません。」「それは、信じる者がみな、人の子にあ
って永遠のいのちを持つためです。神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、
世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命をもつ
ためである。」「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためでなく、御子により世が
救われるためである。」「御子を信じる者はさばかれない。」(ヨハネ3-1~16)
難しい問答です。イエスは、のち、ほとんどの話を分かりやすく譬え話ではなされてい
ますが、学者には学者にあった話をされたのでした。学のある人にはそれらしく、ない人
にはそれらしく、話されるのです。人間世界ではこれが逆になる人が多いのが常ですが。
話は難しいですが、まずニコデモはイエスの奇跡の業(わざ)を見て、あのようなことが
できるのはどうすればいいのか、尋ねるのです。イエスの答えは奇跡を行うためでなく、
「神
の国にはいるためにうまれ変わることが必要だ」とまず答えるのです。ニコデモは「生ま
れ変わることは、文字どおり母より生まれ変わることか」と、チンプンカンの質問をしま
す。学者といえど見方が誤ればなにも分からなくなるのです。
イエスは「うまれかわるためには、人間の努力や頑張りでなく、聖霊の助けがなければ
ならない」と答えます。そして、
「イエスを信じることにより、人間は変わることができる、
すなわち救われる」ことを説くのです。イエスが来たのは人をさばくためでなく、人を救
うためだというのです。この問答があり、イエスの十字架ののちニコデモもイエスを信仰
する者になるのです。
7、第2期
ガリラヤ地方での伝道、とくに民衆から支持を得た期間でとくに名望時代
ともいわれています。
歴史上に残る偉人と言われた人は、その活動の期間はある人は全生涯、ある人は20年
30年と長い期間であることが、特徴です。その点でもイエスはちがっていました。イエ
はわずか3年余り、しかしその与えた影響のおおきさは、その公の期間に関係がなく大き
いものでした。しかし、その3年余りのうち、前後1年を除いた2年が、民衆に受け入れ
られ期待、支持された期間です。ガリラヤ地方を中心に伝道活動がくりひろげられます。
ただ、4つ福音書が時間をおってイエスの活動について書いていないため、聖書を読む人
をとまどわせます。しかし、多くの人が聞いたことのある聖書の話は、この第2期の出来
事なのです
第2期のおもな出来事。
1、郷里ナザレの近くカナへ
2、郷里ナザレでの反対 (この章で説明します。)
3、弟子達への召命 (この章で説明します。)
4、第1回ガリラヤへの伝道旅行
5、安息日論争
6、12使徒の選定
7、山上の説教
(この章で説明します。)
(この章で説明します。)
(第7章で説明しす。)
8、第2回ガリラヤへの伝道旅行
9、多忙な日々
10、ナザレへの最後の旅
11、第3回ガリラヤへの伝道旅行
12、12使徒の派遣(この章で説明します)
13、5000人へ食物
(第9章で説明しす。)
14、ツロとシドンへ
15、デカポリスへ
16、ベッサイダへ
17、ピリポカイザリヤでのペテロの告白
18、変貌山でのできごと
聖書に出てくるイエスの第2期の活動の主なできごとですが、説教をし、奇跡の業をなし、
律法学者と論争し、そして弟子の訓練をするのが活動の中心です。ここでは、いくつかに
かぎり説明しよう。
8、 郷里ナザレでの反対
ガリラヤ地方は3回の伝道旅行がありました。その最初、郷里のナザレでの出来事です。
イエスは「ご自分の郷里に言って、会堂で人々に教え始められた。すると、彼らは驚いて
言った。
「この人は、こんな知恵と不思議な力をどこで得たのでしょう。この人は大工の息
子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダで
はありませんか。・・・とするとこの人は、これらのものをどこから得たのでしょう。」
「こ
うして、彼らはイエスにつまずいた。しかし、イエスは彼らに言われた。
「預言者が尊敬さ
れないのは、自分の郷里、家族の間だけです。」(マタイ13ー54~57)
人でも物でもあまり近づくとものは見えなくなる、知っているようで他人は何もしらな
い、こんな言葉がぴったりする出来事です。
「つまずく」とは、聖書によくでてくる言葉で
す。キリスト教独特の言葉かもしれません。教会ではよくつかわれます。つまずくとは、
けつまずく、前へよろけるの意味もありますが、むしろ途中で障害にあい失敗、挫折する
と理解すればいいと思います。イエスの教えを信じようとしたが、イエスの過去すなわち
大工の息子だったり、家族のことを良く知っていたので、そのこと知っていることが障害
になり、信じることができなかったと言うのです。
つまり、過去のことが障害だったのです。人間の悪い習慣に過去のことにこだわるとい
うのがありますが、そのこだわり故に前に進ことができないのです。そればかりか、ルカ
の福音書では、人々の怒りと反感の記事(聖書の中味を指して記事ということがあります。)
が書かれています。最初は「イエスをほめ」、「恵みのことばに驚いた」のですが、最後は
「ひどく怒り」「がけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそう」(ルカ4ー16~3
0)とするのです。
9、 第1回ガリラヤへの伝道旅行
「イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音をのべ伝え、民のあらゆる
病気、あらゆるわずらいを直された。こうしてガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダ
およびヨルダンの向こう岸からおおぜいの群衆がイエスにつき従った。」(マタイ4ー2
3・25)
「イエスは彼らに言われた。さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよ
う。わたしは、そのために出てきたのだから」(マルコ1ー38)
イエスの伝道の目的が、福音をのべ伝えることにあるとは、何度も確認することですが、
いつも大勢の人たちと一緒でした。その中には、当時は忌み嫌われた、罪人と言われた、
娼婦や税金の取り立て人=取税人もいました。そのことは批判する律法学者に「医者を必
要とするのは丈夫な者でなく、病人です。わたしは正しいひとを招くためではなく、罪人
を招くためにきた」
(マルコ2-17)とこたえるのです。
「また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそう
に思われた。そのとき、弟子に言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫
の主に収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」
(マタイ9ー36~38)
と伝道の目的が収穫(天国を求める人たち)のための働き手すなわち弟子造りにあること
もあきらかにされています。
イエスの伝道に群衆がいつもいました。また、群衆とはどれくらいの数をさすのでしょ
うか。5000人に食事をあたえる記事が聖書にありますが、当時は女の人、子供は数に
入れないと習慣(聖書の記者もその習慣に従っています。
)がありましたから、5000人
の実数は女の人、子供を加えると約2万人位になったかもしれません。とにかく大変な数
字でした。信仰はできるだけ、少人数と考えている人に一つのヒントになるかもしれませ
ん。
10、 安息日論争
第3章の律法の箇所でも述べましたが、イエスは律法主義者との対決、論争のなかで、
この安息日をめぐることが、一つの焦点でもありました。ユダヤ人やユダヤ教にとり、モ
ーゼ10戒のひとつでもある「安息を覚えて、これを聖なる日とせよ」を絶対的にまもる
ことが要求されたのです。そしてそれを極端に解釈しました。
たとえば労働の禁止です。荷物を運ぶことは労働にあたり禁止されました。その荷物の
中身まで事細かに決めました。たとえば、荷物とは一口飲める牛乳一杯と言う具合です。
1キロ以上歩くことも禁止。火をつかうことも禁止等、実際生活に非常に束縛を及ぼす定
めをどんどん作ったのです。実際は安息日の前に食事の用意がなされたのでしょうか。律
法を、神からの恵みでなく、人間を不自由にするものとして、形式化、儀式化したのです
イエスは、その偽善に対して挑戦されたのです。律法学者、パリサイ派の人に対する、
神の名による偽善、不法をゆるさなかったのです。イエスは人間の命と律法の安息日を守
ることがどちかが大切か、を身をもって実践し、安息日にあえて病人の癒しをするのです。
イエスは言います。
「安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うこと
なのか、いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか」
(マルコ3ー4)律法学者た
ちは答えることができません。
「安息日は人のために設けられたものです。人間が安息日の
ためにつくられたのではありません。」(マルコ2ー27)
7-2
12弟子たち
1、
「イエスがガリラヤ湖のほとり歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペトロと呼ば
れたシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だった
からである。イエスは彼らに言われた。
『わたしについて来なさい。あなたがたを、人間
をとる漁師にしてあげよう。』彼らはすぐに網を捨ててしたがった。」(マタイ4-18
・19)
人間をとる漁師、なんと素晴らしい表現でしょう。言葉の天才、言葉の魔術師と、並の
人に対してならこう言いたくなるような的確な表現です。イエスはペトロの悩みを瞬時に
して見破り、ペトロがなにをしたいのかに、答えられたのでしょう。このまま漁師で終わ
っていいのか、自分はなにをすればいいのか、悶々とした日々のなか、イエスに出会った
のでしょう。ただちに疑問は解消されました。イエスはペテロ、あなたの進む道はこれだ
、と一言でこたえられ、疑問を解消されたのです。人間をとる漁師、これは悩み多き現代
社会、混沌した現代社会にも必要な人ではないでしょうか。これを教会では召命といって
います。イエスは伝道のために弟子造りをされたのです。それも最初からです。
なお、召命(しょうめい)とは、神のまねき、つまり神から命令をさしますが、神であ
るイエスから弟子になりなさいと命令されることです。現在キリスト教の牧師、伝道師は
召命を得てそれぞれの立場についているのです。付け加えるなら、カトリックと異なりプ
ロテスタントは、牧師と一般信徒との間に本質的違いを認めません。これを万人司祭制と
いい、牧師の聖職と一般信徒の一般職のあいだに区別を設けないのです。したがって、一
般信徒の職業もつくことも召命があたえられてそれぞれの職業についていることになるの
です。サラリーマンとしての召命、営業マンとしての召命、経営者としての召命と言う具
合です。
2、それにしても、イエスの弟子になった人たちはなんと素直なひと達でしょう。イエ
スに出会いすぐに弟子になったペテロたちにつづいて、ヤコブ、ヨハネも弟子になります
が、「すぐに」(マタイ4ー22)イエスに従います。マタイの福音書の筆者でもある、
マタイ自身も、イエスに「わたしについてきなさい。」と言われた。すると彼は立ち上が
って、イエスに従った。」
(マタイ9ー9)イエスの弟子になった人達は、イエスの招き
にただちに、そして、なにも捨てしたがったことが、特徴です。家族も仕事も財産もさっ
ぱり捨てたのです。イエス自身、寝るところもなかったのですから。
また、イエスは後日弟子にいいます。
「まことに、あなたがたに告げます。わたしのた
めに、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受
けない者はありません。」
(マルコ10-29)
「だれでもわたしについて来たいと思う
なら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
」(マタイ1
6ー24)
伝道の際の覚悟を弟子にいい、身をもってご自身も実践されたのでしょう。イエスは伝
道活動をするに対して束縛するあらゆるもの、そしてもっとも切りがたいものから自由に
なれと、いいたかったのでしょう。なお12弟子の12の数字はイスラエルの12部族の
12と一致しています。また、12弟子は特に使徒として特別の役割をイエスから与えら
れています。
3、
「12使徒の名はつぎのとおりであった。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄
弟アンデレ、ゼベダイの子ヨコブとそのヨハネ、ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人
マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオテ
・ユダである。」
(マタイ10ー2~4)マタイの福音書に出てくる、イエスの12弟子
の名前です。
聖書の主人公はイエスに尽きますが、
、聖書を読む上で、特に新約聖書を読む上で弟子
の名前を知っておくことは理解の上で大いに役立つと思います。1がペテロ、2がアンデ
レ、3がヨコブ、4がヨハネ、5がピリポ、6がバルトロマイ、7がトマス、8がマタイ
、9がヤコブ、10がタダイ、11がシモン、12がイスカリオテ・ユダです。
12使徒の名前は、マルコ、ルカの福音書にも出てきますが、じつは微妙に違います。
マルコの場合は、1がペテロ、2がヤコブ、3がヨハネ、4がアンデレ、5がピリポ、6
がバルトロマイ、7がマタイ、8がトマス、9がヤコブ、10がタダイ、11がシモン、
そして12がユダとなっています。
(マルコ3-18)
ルカの福音書の場合は、1がペテロ、2がアンデレ、3がヤコブ、4がヨハネ、5がピ
リポ、6がバルトロマイ、7がマタイ、8がトマス、9がヤコブ、10がシモン、11が
ヤコブの子ユダ、12がイエスを裏切ったユダ。
(ルカ6-14~16)
特に聖書は使徒という特別の名称を与えています。使徒とは日本語においても、その使
命のために命をなげうつとの意味がありますが、この12人は1人を除いて文字どおり身
命をなげうってキリスト教の宣教のため、聖書の真理を伝えるため、全生涯をささげるの
です。イエスは特に弟子の中から、使徒として、特別の使命を与えたのです。そして、使
命の全う出来るように、
「イエスは12弟を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお
授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直すためである。
」(マタイ10ー1)
4、12弟子の経歴
(1)シモン・ペテロ (元漁師)
第12章で説明します。
(2)ヤコブ (元漁師)
ゼベダイの子、ヨハネの兄弟。激しい性格から、ヨハネとともに、
「ボアネルゲ
」
(雷の子)とよばれていました。アルパヨの子ヤコブと区別するため大ヤコブ
と呼ばれました。
(3)ヨハネ (元漁師)
ヤコブの兄弟。ヨハネの福音書、ヨハネの黙示録を書く。
(4)アンデレ (元漁師)ペテロの兄弟。
(5)ピリポ
アンデレと同郷。
(6)ナタナエル
バルトロマイとも言う。
(7)マタイ (税の取立人)マタイの福音書を書く。
(8)トマス
「疑りのトマス」というありがたくないニックネ-ムがある
(9)ヤコブ アルパヨの子、マタイの兄弟。小ヤコブと言われた。
(10)ユダ・タダイ
ヤコブの子
(11)シモン
熱心党と言う政治結社に属する。
(12)マッテヤ
イスカリオテ・ユダに代わり使徒になる。
兄弟は、ペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネ、マタイとヤコブの3組だった。おなじ名
前はヤコブで、ゼベダイの子とアルパヨの子の場合、次にユダで、ヤコブの子のユダ・タ
ダイとイスカリオテ・ユダである。同じ名前が2組もいたことになります。
5、12使徒の選定後、イエスは12弟子を2人1組にして伝道につかわします。
「ま
た、12弟子を呼び、ふたりずつ遣わし始め、彼らに汚れた霊を追い出す権威をお与えに
なった。また、彼らにこう命じた。
「旅のためには、杖1本のほかは、何を持って行って
はいけません。パンも、袋も、胴巻きに金も持って行ってはいけません。くつは、はきな
さい。しかし、2枚の下着を着てはいけません。」
(マルコ6ー7~9)
2人1組で活動するとは、なんとグットアイデアでしょう。2人1組による活動の特徴
は、なんといってもお互いの長所が伸ばされる、互いに学びながら前進できる、1+1=
2で納まらず、3にも4にもなる、しかし、困難は2人で半分の50%になるそんな利点
があげられます。神はアダムにたして、助けてとしてエバを造られましたが、2人1組は
このように、お互いが助けてとして活動することができる。困難な活動に立ち向かうとき
は、現在でも会社なのでよく取り入れて方法ですが、それだけでなく、新興宗教もその布
教によく用いられていますと聞きます。
また、イエスは伝動活動のための心構えとして、なにも持たないことと命ぜられました
。これ又、困難なことに立ち向かう心構えでしょう。お金等の物があれば、その物に最後
にたよってしまう、人間の弱点もイエスは、十二分に分かっておられたのでしょう。
「働
く者が食べ物を与えられるのは当然だ」
(マタイ10ー10)とし、その代わりに「彼ら
に、すべての悪霊を追い出し、病気をなおすための、力と権威とをお授けになった。」
(
ルカ9ー1)それから、神の国を宣べ伝え、病気を直すために、彼らを遣わされたのでし
た。宣べ伝えるとは、もともと宣伝の意味があるのですから、伝え広めることに重点があ
るとにるべきでしょう。
12弟子の最後 (聖書には記載がない)
1、シモン・ペテロはシリヤ、コリント等最後はロ-マにいき、
そこで殉
教します。彼の処刑されたとされている場所にあの有名なロ-マカトリック
の中心、ヴアチカンのサン・ピエトロ大聖堂がたっています。
2、ヤコブは最初の殉教者となります。
3、ヨハネはサマリヤ、エペソ中心にを伝道、最後はパトモス島に流刑。し
かし、最後はエペソで天寿を全うしたといわれています。唯一の例外です。
4、アンデレはポントス、トラキヤ、ギリシャに伝道。アカヤ地方のパトラ
で殉教します。
5、ピリポはギリシャ、アジア地方を伝道。ヒエラポリスで殉教します。
6、ナタナエルはペルシャ、インドに伝道。アルメニアで殉教
7、マタイはイラン、ペルシャ、エジプトに伝道。殉教します
8、トマスはインドに伝道。インドで殉教します。
9、ヤコブはペルシャに伝道。殉教します。
10、ユダ・タダイはアッシリヤ、ペルシャに伝道。殉教。
11、シモンはエジプト、ペルシャ、メソポタミアに伝道。殉教
12、マッテヤ(ユダに代わる)はエチオピアに伝道。殉教。
7-3 5大宣教命令
1、イエスの遺言ともいうべきものに、5大宣教命令があります。4つの福音書と使徒
の働きの書のなかにあります。それぞれ見ていきましょう。
(1)マタイの福音書には、
「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、
子、聖霊の御名によりバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべ
てのことをまもるように、彼らに教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも
、あなたがたとともにいます。」
(マタイ28ー19・20)
(2)マルコの福音書には、
「それから、イエスは彼らにこう言われた。『全世界に出て行き、すべての作られた者
に、福音を宣べ伝えなさい』」(マルコ16ー15)
(3)ルカの福音書には、
「その名によって、罪の許しを得させる悔い改めがエルサレムから始まってあらゆる国
の人々に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらのことの証人です。さあ、わたしは、わ
たしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あてたがたは、いと高き所
から力をきせられるまでは、都にとどまっていなさい。」
(ルカ24ー47~49)
(4)ヨハネの福音書には、
「イエスはもう一度、彼らに言われた。『平安があなたがたにあるように。父がわたし
を遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。』
」(ヨハネ20ー21)
(5)使徒の働きの書には、
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あてたがたは力を受けます。そして
、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となりま
す。」(使徒の働き1ー8)
2、証人とは、証(あかし)の人ということです。この証人は、ギリシャ語で殉教者と
いう意味があります。このイエスの命令とも言うべき言葉(1~5)にしたがって、12
弟子(後ユダに代わり使徒職についた、マッテヤも)ほとんどが、宣教のために殉教する
のです。唯一ヨハネだけが例外です。
イエスの宣教命令に殉じた人は、この2千年の間にどのくらいなったのか、想像もつき
ません。恐らく何十万、何百万人(大げさでなく真実です)の方々が殉教し、命を落とさ
れたことでしょう。今日宗教と殉教とがとりざたされていますが、キリスト教はもっとも
、激しくまた静かに宣教伝道の為に命を捨てられた数かかぎりない人々の上にできあがっ
ている宗教と言えますし、それが現在もつづいているのです。現在21世紀の世界でも、
殉教者がもっとも多いのはキリスト教の伝道師、宣教師また信者であることを付け加えま
す。
「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。
」こんにち、イスラム教の自
爆テロがマスコミに大きくとりあげられますが、世界の各地で、キリスト教の伝道宣教の
結果、流される命と血は、ほとんど取り上げられていないのが、事実なのです。例えば、
イスラム圏でのキリスト教の伝道は、死を覚悟してしか行ないえません。キリスト教国と
言われる国々は、100%信教の自由が保証されていますが、イスラム圏では、建前とは
別に100%にみめられません。それは、未だ、経済活動とは別に社会主義国である、中
国や、文字どおり共産主義国の北朝鮮も同じで、100%認められていません。毎年多く
の宣教師や伝道師が逮捕され、投獄されています。そして、ひそかに処刑すらされている
のです。しかし、伝道は、静かに、深く、根気よく続けられているのです。死をものとも
せず。
「全世界に出て行き、すべての作られた者に、福音を宣べ伝えなさい」
3、日本も戦国時代にカトリック、イエズス会による宣教の結果、60万人~75万人
もの人がイエスを信じたといわれています。なかには高山右近をはじめ戦国大名商人も多
くいました。それも非常に短期間のうちにイエスを信じたのです。当時の日本の人口が約
3千万人位だと言われていますから、いかに伝道の結果が凄かったかわかります。
しかし、秀吉の時代になり、宣教禁止、弾圧の結果約20万人が殺され、徳川家光の時
代に残り40万人~55万人が殺されまた背教(キリスト教を放棄すること)したと言わ
れています。江戸時代の有名な5人組制度はキリスト教監視のためのものでした。一国で
これほど多くの殉教者が出た国もめずらしいとされています。日本のキリスト教も多くの
殉教者の上に立てられているのです。
4、日本のキリスト教会、とりわけプロテスタンの教会はリバイバル(信仰復興)をも
とめて日夜伝道に励んでいますが、その信者の数は余り増加していません。教会では1%
、0.3%の限界(日本人の1%がクリスチャン、0.3%が教会の礼拝参加)と言われ
ています。2004年現在、日曜礼拝者数はわずか25万人という情報があります。世界
のキリスト教先進国では不思議なことだと言われています。お隣の韓国では国民の25%
以上が、クリスチャンで、建前とは別に信仰の自由を認めていない、中国ですら、秘密の
家の教会(ハウスチャーチ)として公でない信者が 8000 千万とも1億ともいる、と言われ
ているのですが。