「E型肝炎の患者増加」の記事に関してのコメント

神緑会事業
地域における疾病ならびに医療等に関する研究調査として「兵庫県
におけるE型肝炎感染実態調査」を実施し、学術誌に下記の如く掲
載しました。
研究代表者 市立加西病院診療部長兼
消化器科部長 北嶋 直人
神緑会学術誌 25 巻 19-21
26 巻 17-20
27 巻 18-21
今回、新聞記事を参考に下記追加してもらいました
タイミングが大幅に遅くなってしまいましたが、昨年の11/30に神戸新聞に掲載されて
おりました「E型肝炎の患者増加」の記事に関してコメントさせてもらいます。記事の内容は、
日本国内のE型肝炎患者報告が増えていること、通常では起こらない慢性化を臓器移植
後の患者で確認したこと、輸血も感染の原因になり得ることでした。しかしながら、E型肝炎
の主たる感染ルートは、豚を中心とした動物の肉を生あるいは加熱不十分な状態で食べ
ることと記載されており、10数年前に我々の施設での貴重な経験が思い出されました。し
ばし、昔話にお付き合いいただければ幸いです。
E 型肝炎はそれまで、発展途上国における汚染された水からの経口感染で、日本で
は輸入感染症と捉えられていました(後のウイルス学的検索の結果、既に 100 年以上前か
ら日本に入ってきていて土着していたことが判明し、「日本には E 型肝炎は存在しない」と
いう間違った思い込みが、肝炎の専門家の目すら曇らせていたことが明らかとなりました)。
しかしながら、2001 年に国内固有株感染例の存在が証明され、2002 年より感染連鎖に動
物が関与していること(zoonosis)の間接的証拠が集積され始めていました。
そのような状況の中、2003 年に急性肝炎を発症した親子が相次いで加西病院に入
院となったことから物語は始まります。両者に共通点が無いか、主治医が詳細に病歴を取
り直していく中で驚くべき事実が判明しました。二人とも「知り合いの猟師から野生の鹿の
肉をお裾分けしてもらい、発症の 1~2 ヶ月前に生で食べた」というのです。さらに、同じ鹿
肉を食べた人が他に 5 人いることが判明したために調査を進めた結果、そのうち 2 人にも
肝障害を認めて、結果的に E 型急性肝炎の集団発生と判断されました。
本事例において極めて幸運であったのは、鹿肉の「食べ残し」が冷凍保存されていた
ことです。同時期に3回食された鹿肉のうち1回分からのみHEVが検出され、しかもその肉
を十分量食べたか否かが急性E型肝炎発症と完全に一致しました。さらに、急性E型肝炎
を発症した4人の患者血清から得られたHEVと鹿肉から得られたHEVの塩基配列を分析
したところ、すべての塩基配列が完全に一致したのです。世界中で探し求められていた
zoonosisの直接証拠が、対照も含めたcontrolled studyの形で得られたことになりました
(Lancet 362; 371-73, 2003)。
その後の地域住民を対象とした調査で、鹿の生肉を食べたことのある人の方が一度
も食べたことのない人よりも、過去にE型肝炎に罹ってことのある率が明らかに高いことを
判明し、今回対象とした地域では鹿の生肉摂取がE型肝炎の感染において主要な役割を
果たしていることが明らかになりました(J Med Virol 74; 67-70, 2004)。また、近隣で捕獲さ
れた鹿に対する調査では、179頭中わずか1頭のみ(0.6%)からしかHEVが検出されず、
我々の予想に反し鹿への感染は極めて稀であることが判明しました。この地域では鹿肉
を生で食べる習慣が広く拡がっており、多くの住民が頻回に食する機会を有していたため
に感染機会が増えたものと考えます(臨床消化器内科 21:593-599, 2006)。
その後、神緑会からご支援を受けて、2008年から「兵庫県におけるE型肝炎感染実態
調査」を3年間行うことが出来ました。成因不明の急性肝炎症例を3年間集積したところ、
108症例が登録されましたが、このうち3例(2.8%)のみがE型急性肝炎であり、兵庫県に
おける急性肝炎の中でE型肝炎が占める割合は極めて低率であることが確認された。また、
野生猪におけるHEV感染定点観測の結果、猪417頭のうち70頭(16.8%)がHEV-IgG抗
体陽性であり、そのうち16頭(3.8%)は血液中からHEV RNAを検出しました。HEVの主た
るリザーバーは豚であり、その次に猪などの野生動物が挙げられています。その後、同様
のデータは日本の他の地域およびヨーロッパ各地からも追認されています。
勤務医が置かれている状況は極めて厳しく、日常業務に追われる毎日ですが、一人
一人の患者さんを丸ごと捉えてその病態をじっくりと検討することは、一般病院の勤務医
でなければできないことです。なかなか診断がつかない症例こそが重要であり、最新の医
学情報を身につけた上で、一歩踏み込んで病態を解明する努力をすることが出来れば、
大きな発見につながるチャンスをつかむことが出来ると考えています。