日本における低出生力水準と離婚母子世帯

関東学院大学『経済系』第 221 集(2004 年 10 月)
日本における低出生力水準と離婚母子世帯
Low Fertility and Divorced Fatherless Household in Japan
吉 田 千 鶴
Chizu Yoshida
要旨 日本における低出生力水準について,その原因や対策が様々に論じられてきた。しかし,家
庭内での資源分配を分析の観点に加えた検討は少ない。本稿は,家庭内の資源配分におけるバーゲ
ニングモデルを援用し,離婚した場合に女性が貧困状態に陥る可能性が高いことが,女性の予想
Threat Point を低下させ,夫妻間の資源分配で女性を不利な立場に立たせていると考える。実証分
析から,離婚した場合の女性にとっての期待効用の低さは,結婚・出生を選択する女性数を男性数
に比べて少なくするといえる。すなわち,離婚した場合に男性から女性へ適切な資源移転が行われ
ることは,結婚・出生を選択する女性数を増大させることを通じて,結婚・出生を選択する夫婦数
を増大させるといえる。
離婚した場合に女性が貧困状態に陥る可能性が高いことの理由のひとつには,ほとんどの離婚世
帯で男性から養育費などの移転のないことがある。公的機関が介入した離婚では金銭的移転の取り
決め割合が高いことは,離婚後に男性に移転を行わせることには政府の介入が必要であることを示
唆している。
キーワード
バーゲニングモデル,出生力水準,離婚,夫妻間の資源分配,結婚・出生
1.
2.
3.
はじめに
分析の枠組み
日本における離婚の現状
4. 都道府県別 TFR に関する実証分析
5. まとめ
謝辞
1.
はじめに
は,家庭内での資源分配において女性を不利な立
場に立たせると予想される。
本稿の目的は,第一に,日本における離婚した
日本における低出生力水準について,その原因
や対策が様々に論じられてきた。しかし,婚姻関
場合の母子世帯の経済的状況を分析し,第二に,
係が破綻した後の母子世帯の効用水準が結婚・出
その経済的状況が日本の低出生力水準の要因とな
産に与える影響を考慮した検討はほとんどなされ
りうるのか実証分析することにある。
ていない。
家庭内の資源配分については,利他主義モデル
2.
分析の枠組み
とバーゲニングモデルの二つに大別できる。バー
ゲニングモデルを援用すると,婚姻関係が破綻し
本稿の理論モデルは,金谷・吉田(2003)を援
た場合の期待効用水準はバーゲニング過程を通じ
用する。この理論モデルでは,男女は結婚した場
て,家庭内での資源配分に影響を与えるといえる。
合の家庭内資源分配について結婚前に契約を締結
すなわち,婚姻関係が破綻した場合に,経済的困
できないとし,離婚した場合には,離婚訴訟など
難から母子世帯の効用水準が大きく低下すること
で国家が介入して男性から女性への補償を強制す
— 32 —
日本における低出生力水準と離婚母子世帯
ると仮定する。
ある。結婚・出産ありの場合の効用水準は,P が
婚姻が解消された場合の所得移転に依存して,
上昇するほど男性では減少し,女性では増大する。
婚姻中の女性への所得移転 P が決定されると仮定
従って,式
(3)
(
,4)
が同時に成立し結婚・出生を選
する。この理由は,次のセクション「2.2 夫妻間
択する男女数が一致するのは,P が最適な水準に
での妻への移転」で述べる。
あるときである。
結婚と出産は同時に意思決定されると仮定する。
以上から,出生力水準は,結婚・出生を選択する
効用は transferable として,女性は出産・育児の
男性数,結婚・出生を選択する女性数および夫妻
ために一定の労働時間を失い,結婚・出産後男性
間での妻への移転 P によって決定されるとする。
は女性へ財移転 P を行う。
出生前と出生後における男女それぞれの効用水
結婚・出生を選択する男性数を表す曲線
準は下記で表せる。
(以下では男性の出生需要曲線とよぶ):
<結婚・出生なしの場合>
Dm = fm (Wm , Vm )
男性:um (Wm )
(1)
女性:uf (Wf )
(2)
Vm :男性にとっての子供の便益,
結婚・出生を選択する女性数を表す曲線
<結婚・出生ありの場合>
(以下では女性の出生供給曲線とよぶ):
男性:um (Wm − P, n)
Sf = ff (Wf , t0 , Vf )
Vf :女性にとっての子供の便益
(1)
女性:uf (P + (1 − nt0 )Wf , n)
(2)
Wm :男性の賃金率,Wf :女性の賃金率
n:子供数
夫妻間での妻への移転 P が最適な水準(P =
t0 :子供一人あたり育児のため女性が労働市場か
P )にあるとき,その水準は出生需要曲線と出生
ら退出している時間
供給曲線の交点を通過し,結婚・出生市場は均衡
結婚・出生なしの場合の効用水準よりも,結婚・
E
状態にあるといえる。
P が P E よりも高い場合には資源配分において
出生がある場合の期待効用水準が高い場合に,男
性または女性は結婚・出生を選択すると考える。
女性がより有利であり,出生供給過剰となる。こ
ただし,結婚・出生を選択した男性数と女性数が
のとき,出生力は出生需要曲線と P の交点によっ
一致しない場合には,結婚・出生を選択した数の
て決定される。逆に,P が P E よりも低い場合に
多いほうの性に結婚が成立しない人が生ずる。
は資源配分において男性がより有利であり,出生
需要過剰となる。このとき,出生力は出生供給曲
男性が結婚・出生を選択する場合:
um (Wm ) < um (Wm − P, n)
(3)
線と P の交点によって決定される。
この理論モデルから,ある地域 i の出生力水準
女性が結婚・出生を選択する場合:
TFRi は次の関数によって決定されているといえ
uf (Wf ) < uf (P + (1 − nt0 ) − Wf , n)
る。なお,理論モデルにおける女性の賃金率を,
(4)
実証分析では女性が結婚や出産を考える 20 歳代
(2)
から,
なお,式(1)
∂um (Wm − P, n)
< 0,
∂P
∂uf (P + (1 − nt0 )Wf , n)
>0
∂P
後半以降の生涯賃金に置き換える。なぜなら,生
涯の労働供給期間を 1,育児のため女性が労働市
である。
すなわち,結婚・出生ありの場合の効用水準は,
男性では P の減少関数,女性では P の増加関数で
場から退出している期間を ti0 (< 1)と考えてい
るからである。1 の期間労働供給して得られる賃
金は生涯賃金であると考えた。そして,夫妻間で
の妻への移転を Pi ,合計特殊出生率を TFRi であ
— 33 —
経 済 系 第
221
集
Pi が有意な負の影響をもつ。ti0 ,wfi は影響をも
らわす。
i
たず,wm
が有意な正の影響をもつ。男性の賃
(A)均衡状態にある場合:Pi = P E
金率は,男性が育児を担当しない場合,主とし
i
TFRi = fA (ti0 , wfi , vf , wm
, vm )
て所得効果が現れると推測できるので,正の影
響を持つ。
このとき,出生力水準は女性の子供に対する需
要と男性の子供に対する需要の両者によって決定
される。出生力水準に影響する変数は,女性が労
2.2
働市場から退出している期間,女性の生涯賃金,
女性の子供から得られる効用,男性の賃金率,男
夫妻間での妻への移転 Pi
夫妻間の資源分配決定メカニズムは,次の二つ
に大別される。ひとつは,夫妻が交渉によって決
定すると考えるバーゲニングモデルである。もう
性の子供から得られる効用である。
ひとつは,利他主義的な世帯主が分配を決定する
(B)Pi が低水準にある場合:Pi < P E
と考える利他主義的モデルである。
TFRi = fB (ti0 , wfi , vf , Pi )
本稿では,前者のバーゲニングモデルを援用す
る。図 1 は,夫妻間の効用可能性集合を図示して
このとき,男性の子供に対する需要が女性のそ
れを上回る状態にある。出生力水準は夫婦間の移
転水準と女性の属性にのみ依存する。
(C)Pi が高水準にある場合:Pi > P
TFRi =
i
fC (wm
,
いる。夫妻の効用水準(点 A)を決定する要因は,
次の 2 つである。
1 結婚が破綻した場合の夫妻それぞれの効用水
E
準(Threat Point)
:Th,Tw
2 夫妻間の交渉力(図 1 における直線 OA の傾
Pi )
き)
このとき,女性の子供に対する需要が男性のそ
Threat Point の定義は,離婚とするもの(Manser
れを上回る状態にある。出生力水準は夫婦間の移
and Brown 1980, McElroy and Horney 1981)や
転水準と男性の属性にのみ依存する。
結婚した状態での夫婦の非協力的関係とするもの
女性と男性それぞれの子供に対する選好(vf , vm ) (Lundberg and Pollak 1993)とさまざまある。本
の分布が地域によらず一定であると仮定する。選
稿では,Threat Point は離婚とする。
結婚直後の Threat Point を初期値 TwO とする。
好(vf , vm )は定数であり,地域別 TFR の説明変
i
数とはならない。ここでは,ti0 ,wfi ,wm
,Pi が
離婚した場合に夫から妻へ移転が行われると,夫
TFRi に与える影響を分析する。
妻の Threat Point は点 O’ へ移動する。夫妻間の
ケース A の場合:
交渉力は一定であると仮定すると,有配偶である
i
ti0 ,wfi ,wm
が有意な影響をもつ。Pi は定数 P E
場合の夫妻の効用水準は点 A から点 A’ へ移動す
の水準にあり影響をもたない。
る。妻の効用水準は上昇する。妻にとって,効用
水準が UwA から UwA へ上昇する。離婚しない状態
ケース B の場合:
Pi は有意な正の影響をもつ。ti0 ,wfi が有意な影
で,妻の効用水準が上昇すると考える。
響をもつ。ti0 の符号は負であると推測される。
離婚した場合に夫から妻へ移転が行われず,か
なぜなら,労働市場から退出している時間が長
つ,妻が家内生産活動に特化して労働市場におけ
いほど,子供の機会費用は増大するからである。
る人的資本が劣化した場合,妻の Threat Point は
wfi の符号は正負いずれにもなりうる。女性の
TwO に移動する。このとき,妻の効用水準は UwA
賃金率上昇の所得効果が代替効果を上回る場合
から UwA へ低下し,夫の効用水準は上昇する。
このように,離婚した場合の期待効用水準によっ
には正,代替効果が所得効果を上回る場合には
負であると推測できる。
ケース C の場合:
て夫妻それぞれの分配状況が変化することを通じ
て,結婚している場合の効用水準も変化する。以
— 34 —
日本における低出生力水準と離婚母子世帯
図 1 夫妻の効用可能性集合
下の分析では,夫妻間の妻への資源分配の状況を
3.1
離婚した場合の妻の期待効用によって推測する。
離婚した場合の子供の養育
夫から妻への移転についてその必要性が高いの
は,子供の養育を妻が行っている場合であるとい
3.
日本における離婚の現状
える。本節では,子供の養育が離婚後に夫妻どち
らによって行われ,その費用がどのように負担さ
1 協議離婚,
2 調停離婚,
3 審判
日本の離婚は,
れているかを検討する。
4 判決離婚,の 4 種類に分けられる。人口
離婚,
人口動態統計によると,日本における離婚のう
動態統計によると,離婚のうち協議離婚が占める
ち子供がある割合は,1950 年の 57.3 %,1985 年の
割合は,1980 年の 89.9 %,2000 年の 91.5 %と,こ
68.2 %,2001 年には 60.1 %と年によって多少の変
1 の協
の期間を通じて約 9 割である。日本では,
動があるが,ほぼ 60 %前後である。過半数の離婚
議離婚が大部分である。協議離婚とは,夫婦の合
では,子供が存在するといえる。
意によって成立し,裁判所などの公的機関が関与
子供がいる場合には,離婚の際に親権者を定め
しないものである。欧米では協議離婚にも何らか
ることとなっている。人口動態統計によると,親
の形で裁判所が関与することが,当事者の合意の
権者に夫が占める割合は 1950 年には 48.7 %であ
みによる離婚を認める日本とは異なっている(内
り,妻の 40.3 %を上回っていた。しかし,1960 年
田貴 2002)
。
代に夫妻の割合は逆転し,2001 年には夫の割合が
離婚の約 9 割が公的機関の関与なしに行われて
16 %,妻の割合が 79.9 %である。現在では,親権
いることは,離婚後の夫から妻への移転に関する
者は多くの場合妻であるといえる。ただし,親権
取り決めが口約束になりやすいという側面がある
者が必ず子の養育を行うとは限らない。子供の監
のではないだろうか。以下では,養育費の支払い
護を行うものは,民法上監護者と呼ばれ,親権者
状況と離婚後の女性の経済状況について述べる。
とは別に定められることができる。司法統計年報
— 35 —
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集
出所)厚生労働省「人口動態社会経済面調査報告 離婚家庭の子供」1997 年
図 2 定期金金額別女性親権者割合,日本,1997 年
によって監護者に占める妻の割合をみると,1952
あるものは 47 %である。金銭についての取り決め
年の 40 %から 2001 年の 96 %へ一貫して上昇して
が文書である女性親権者の割合は 24 %である。取
1)
り決めの状況は,調停離婚や審判離婚の場合では
いることがわかる 。
子供の養育に関わる直接的および間接的費用は,
同居して実際に養育している者が負担すると考え
これと異なる。司法統計によると,妻が子の監護
者となった場合で夫から妻への支払いの取り決め
られる。近年では親権者や監護者に占める妻の割
がある割合は,1997 年で 81 %である。この割合
合が高いことから,1950 年以降離婚した女性が負
は 1976 年の 66 %から 2001 年の 82 %へとほぼ一
担する割合が一貫して上昇しているといえる。逆
貫して上昇している。
に,離婚した夫は子供と同居していない場合が増
これらから,公的機関が介在する離婚では,養育
大していると推測される。その場合,夫の養育費
費に関する取り決めのある割合がより高いことが
負担は妻への養育費支払いという形でなされるだ
わかる。公的機関が介在しない協議離婚では,文
ろう。
書による取り決めがある女性親権者の割合は,公
「人口動態社会経済面調査」によると,1997 年
的機関が介在する場合の約 3 割に過ぎない。
6 月に協議離婚した者で 1997 年 1 月以降別居して
図 2 は,1997 年「人口動態社会経済面調査」に
いた女性親権者のうち,金銭について取り決めが
より実際の定期金額の受け取り状況を示している。
〔注〕
1)司法統計年報は協議離婚の状況を含まない点に注意
が必要である。日本の離婚の 9 割が協議離婚である
ので,大勢を反映しているとは言いがたい。
図 2 から,約 7 割の協議離婚した女性親権者が定
期金を受け取っていないことがわかる。定期金を
受け取っている女性親権者のうち,定期金の中央
値は 5∼10 万円にある。
— 36 —
日本における低出生力水準と離婚母子世帯
出所)最高裁判所事務総局「司法統計年報」1976∼2001 年
図 3 調停または審判離婚における妻が監護者である場合の夫から妻への月の支払額取決め分布,
1976∼2001 年,日本
以上から,公的機関が介在した方が,夫から妻
一方,調停または審判離婚における養育費の取
り決め金額の分布を示しているのが図 3 である。
への金銭の支払いについて取り決めが行われる割
図 3 から,取り決め額の分布について,4 万円を
合が高い。しかし,日本では公的機関が介在しな
超える場合が増加し 2 万円以下の場合が減少して
い協議離婚が 9 割と大部分を占め,離婚した場合,
いる。しかし,この期間,金額の中央値は,名目
子供がいるケースでも多くの場合男性は女性への
金額で 2 万円を超え 4 万円以下の階級で変わって
資源移転を行っていないといえる。
いない。この取り決めどおり支払われているかど
うかはこのデータからはわからないが,支払い金
3.2
離婚した場合の女性の経済状況
前節で夫から妻へ子供の養育費に関して支払い
額の中央値は協議離婚のほうが高いといえる。
図 4 は,母子世帯に占める離婚世帯割合,母子
がされていない場合がほとんどであることを述べ
世帯における養育費の受給状態,母子世帯年収を
た。次に,離婚した場合の女性にとって経済状況
示している。図 4 から,離婚による母子世帯割合
はどのようなものであろうか。
が一貫して上昇していることがわかる。これは親
図 4 は,母子世帯及び父子世帯の平均世帯年収
権者に占める妻の割合が増大していることを反映
(前年)を示している。図 4 から,1998 年の平均
していると考えられる。養育費を受給している離
年収が,父子世帯では 422 万円,母子世帯では 229
婚母子世帯割合は,1983 年 11.3 %から 1998 年の
万円と大きく異なることがわかる。女性の子供の
20.8 %へ増大している。しかし,1998 年において
養育に必要な時間が父子世帯と母子世帯でほとん
も,多数の世帯は養育費を受け取っていない。養
どかわらないならば,年収の格差は,おそらく人的
育費を受け取っていない母子世帯割合は,図 2 の
資本量や学歴,雇用機会等の差に由来すると考え
協議離婚による女性親権者の状況と類似している。
られる。以上から,離婚した場合の Threat Point
— 37 —
経 済 系 第
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集
出所)厚生労働省「全国母子世帯等調査の概要」1952∼1998 年
図 4 母子世帯に占める離婚世帯割合,養育費の受給状況,母子世帯年収
は,女性の方が男性よりも低いといえる。離婚し
ら 1 年後の都道府県別 TFR(合計特殊出生率)で
た場合の Threat Point に男女差が生ずる理由には
ある。子供を持つ決断をした時点と実際の出産に
次の二つが考えられる。一つが,有配偶であると
はタイムラグがあると考えられるために,説明変
きに育児を含めた家庭内生産活動に特化するほど,
数と TFR の時点に 1 年のラグを置く。
労働市場での人的資本が陳腐化することである。
「母子世帯の相対的貧困度」は,母子世帯以外の
二つ目が,前節で見たように,男性から女性へ移
世帯における生活保護被保護実世帯割合に対する
転がほとんど行われていないこことである。
母子世帯における生活保護被保護実世帯割合であ
図 1 でみたように,離婚した場合の Threat Point
る。これは,母子世帯が他の世帯と比べて,相対
が女性の場合低いことは,有配偶である場合の妻
的に貧困状態に陥る可能性を示している。「母子世
への資源移転が相対的に低いことを暗示すると考
帯の相対的貧困度」が高いほど,離婚した場合の
えられる。
女性の効用水準が低いと女性に予想させることを
通じて,夫妻間での妻への移転 Pi を低下させると
都道府県別 TFR に関する実証分析
4.
考える。
「母親の労働力率」は,子供(6 歳未満)をもつ
4.1
変数の定義と記述統計量
夫婦がいる一般世帯における就業する妻の割合を
第 2 節「分析の枠組み」に従い,日本について
示している。これは,第 2 節の分析の枠組みにお
実証分析を行う。分析に使用した変数は,表 1 に
ける「育児のため女性が労働市場から退出してい
掲げられている。従属変数は,説明変数の時点か
る期間 ti0 」を表す変数である。「母親の労働力率」
— 38 —
日本における低出生力水準と離婚母子世帯
表 1 都道府県別合計特殊出生率に関する重回帰分析に使用した変数の定義
変数
変数の定義
1 年後の TFR
説明変数の時点から 1 年後の合計特殊出生率
母子世帯の相対的貧困度
母子世帯における生活保護被保護実世帯割合/母子世帯以外の世帯における生
活保護被保護実世帯割合
離婚割合(動態)
離婚件数/ 15 歳以上有配偶女性人口
離婚割合(静態)
15∼44 歳女性;離婚人口/
(離婚人口+有配偶人口)
離婚と貧困度の交差項 1
母子世帯の相対的貧困度*離婚割合(動態)
離婚と貧困度の交差項 2
母子世帯の相対的貧困度*離婚割合(静態)
母親の労働力率
子供(6 歳未満)をもつ夫婦がいる一般世帯における就業する妻の割合
女性の機会費用
27 歳以降の期待賃金合計/ 20∼54 歳の期待賃金合計(現在価値)
男性の相対的所得
30∼34 歳男性平均年収/ 25∼29 歳女性平均年収
が高いほど,
「育児のため女性が労働市場から退出
いような地域社会では,婚姻の解消という選択肢
ti0 」は短いと考える。
は非常に高い社会的コストを伴い,個人にとって
「女性の機会費用」は,女性について,27 歳以
自由に選択できる選択肢ではない可能性が考えら
降の期待賃金合計(現在価値)を 20∼54 歳の期待
れる。この場合は,理論モデルの範囲外である。
賃金合計(現在価値)で除したものである。これ
また,この変数を加えるもう一つの理由は,離婚の
は,分析の枠組みにおける「女性の賃金」を表す変
リスクは,男女にとって Threat point の実現性が
している期間
数である。27 歳以降の期待賃金合計を利用してい
どの程度かを予測する指標にもなる。従って,離
るのは,結婚・出産を考えるのは,この年齢頃か
婚リスクは資源配分を左右することを通じ,出生
らであると仮定するからである。1997 年第 11 回
力水準に影響する可能性も考えられるからである。
出生動向基本調査によると,夫の平均初婚年齢は
離婚リスクを表す変数として 2 種類の説明変数
28.4 歳,妻は 26.1 歳であるので,平均的には 20
を使用する。ひとつが,「離婚割合(動態)」であ
歳代後半以降に結婚・出産すると仮定できる。ま
り,離婚件数が 15 歳以上の有配偶女性人口に占め
た,20∼54 歳の期待賃金合計で除しているのは,
る割合である。これは,都道府県別の離婚が発生
男女の賃金の相関は非常に高く,同時に実証分析
する割合を表しているといえる。もうひとつが,
に加えると多重共線性が生ずる恐れがあるためで
「離婚割合(静態)
」であり,15∼44 歳の女性につ
ある。生涯賃金と仮定できる 20∼54 歳の期待賃
いて,離婚人口と有配偶人口の合計に対し離婚人
金合計を 1 にノーマライズすることで,この問題
口が占める割合である。これは,都道府県別に離
を避けている。
婚経験者の割合を示しているといえる。
「男性の相対的所得」は,30∼34 歳男性平均年
表 2 は,分析に使用した変数の記述統計量を示
収の 25∼29 歳女性平均年収に対する割合である。
している。表 2 から,
「母子世帯の相対的貧困度」
これは,「男性の賃金率」を表す変数である。「男
の都道府県平均値は,1980 年の 10.8 倍から 2000
性の賃金率」そのものを使用していない理由は,
年の 5.05 倍へ低下している。この期間,母子世帯
女性の賃金率の場合と同様である。
の経済状況は向上してきたといえるが,貧困状態
実証分析では第 2 節の分析の枠組みで述べた変
から脱しているとは言いがたい。なぜなら,2000
数以外に,離婚リスクを表す変数を加える。理論
年時点で,母子世帯は他の世帯よりも 5 倍生活保
モデルは,婚姻の解消について個人は自由に選択
護を受けているからである。図 1 における女性の
できるという暗黙の前提を置いている。しかし,
Threat point は,貧困状態に近い位置にあると考
離婚リスクが極めて低く,離婚がめったに生じな
えられる。このことは,離婚した場合貧困状態に
— 39 —
経 済 系 第
221
集
表 2 都道府県別合計特殊出生率に関する重回帰分析に使用した変数の記述統計量
年次
1 年後の TFR
母子世帯の
相対的貧困度
離婚割合(動態)
離婚割合(静態)
1981 2001
1981
1986
1991
1996
2001
平均
1.62
1.79
1.79
1.62
1.51
1.42
S.D.
0.20
0.13
0.13
0.14
0.14
0.14
最小値
1.00
1.41
1.37
1.18
1.07
1.00
最大値
2.38
2.28
2.27
2.02
1.86
1.83
1980 2000
1980
1985
1990
1995
2000
平均
8.30
10.80
10.52
8.43
6.67
5.05
S.D.
3.88
4.04
3.76
2.82
2.61
2.54
最小値
1.73
4.11
5.12
3.76
2.92
1.73
最大値
25.68
25.68
24.77
16.19
14.96
12.06
平均
0.0055
0.0045
0.0051
0.0046
0.0057
0.0076
S.D.
0.0017
0.0012
0.0013
0.0011
0.0012
0.0014
最小値
0.0027
0.0027
0.0034
0.0030
0.0039
0.0053
最大値
0.013
0.0089
0.010
0.0088
0.010
0.013
平均
0.046
0.029
0.040
0.045
0.050
0.064
S.D.
0.016
0.0076
0.010
0.012
0.012
0.013
最小値
0.017
0.017
0.023
0.026
0.032
0.044
最大値
母親の労働力率
(%)
女性の機会費用
男性の相対所得
0.107
0.058
0.077
0.085
0.094
平均
40.00
40.62
40.65
40.50
38.87
0.107
39.35
S.D.
10.73
11.41
11.33
11.26
10.28
9.58
最小値
21.01
21.01
21.67
21.13
21.56
23.01
最大値
68.99
67.07
68.99
67.79
63.26
61.02
平均
0.64
0.58
0.6
0.57
0.69
0.78
S.D.
0.080
0.014
0.016
0.011
0.013
0.010
最小値
0.55
0.56
0.57
0.55
0.66
0.76
最大値
0.81
0.63
0.65
0.60
0.73
0.81
平均
1.57
1.65
1.62
1.58
1.52
1.47
S.D.
0.090
0.079
0.067
0.054
0.043
0.060
最小値
1.31
1.47
1.49
1.45
1.43
1.31
最大値
1.83
1.83
1.78
1.70
1.62
1.65
陥る可能性が高いことを通じて,有配偶の妻への
の労働供給は上昇しているとはいえない。
また,
「母親の労働力率」について,最小値は増
資源移転は低い状態にあることを暗示する。
「女性の機会費用」は 1990 年を除き,ほぼ一貫
加傾向にある一方で最大値は低下傾向にある。「母
親の労働力率」が低い都道府県では,旧厚生省の
して上昇しているといえる。
「母親の労働力率」は,平均値では低下傾向にあ
エンゼルプラン等をうけ,保育サービスの充実が
る。女性人口全体の労働力率を年齢階級別に見た
図られている可能性も推測できる。一方,
「母親の
場合,20 歳代後半や 30 歳代前半のいわゆる子育
労働力率」が高い都道府県では,保育所の待機児
て期の女性の労働力率は上昇している。この傾向
数増加が問題になっていることから,保育サービ
と反するのは,20∼30 歳代の女性労働力率は,こ
スの供給制限が母親の労働供給を低下させる要因
の年齢の未婚者割合増大の影響により,上昇して
となっている可能性も考えられる。
いる可能性があるためと考えられる。「母親の労働
「離婚割合(動態)
」の平均値は,1980 年の 0.45 %
力率」の変遷からは,6 歳未満の子供をもつ女性
から 2000 年の 0.76 %へ,1990 年を除きほぼ一貫
— 40 —
日本における低出生力水準と離婚母子世帯
して上昇している。
「離婚割合(静態)」の平均値
妻が労働市場から退出している期間 ti0 を代表す
は,1980 年の 2.9 %から 2000 年の 6.4 %へ一貫し
る説明変数は,「母親の労働力率」である。これ
て上昇している。これらから,離婚リスクは上昇
は,統計的に有意な正の影響をもつ。「母親の労働
しているといえる。
「離婚割合(静態)
」によると,
力率」が高いほど,子供数は多いといえる。
「母親
2000 年は 1980 年の 2 倍になっている。
の労働力率」が正の影響をもつことは,妻が労働
市場から退出している期間 ti0 が負の影響を持つこ
4.2
重回帰分析結果
とを意味する。なぜなら,母親の労働力率が高い
(1)出生水準と妻への移転
ことは,育児のために妻が労働市場から退出して
表 3 は,1981∼2001 年の都道府県別 TFR に関
いる期間が短いことを示唆するからである。
する重回帰分析により,各説明変数の推定係数を
さらに,
「男性の相対的所得」を加えたモデル 2
示している。実証分析のモデル 1 では,理論モデ
においても,上述の 3 つの変数の符号および統計
ルから導かれる 3 つの変数(夫妻間での妻への移
的な有意性は変化しない。
転 Pi ,妻の賃金 wfi ,妻が労働市場から退出してい
以上から,夫妻間での妻への移転 Pi が統計的に
ti0 )を代表するすべての説明変数が,0.01
有意な正の影響を持ち,女性の賃金率 wfi および妻
る期間
の労働市場退出期間 ti0 のみが統計的に有意な影響
水準で統計的に有意な影響をもつ。
夫妻間での妻への移転 Pi を代表する説明変数
i
を持ち,男性の賃金率 wm
は統計的に有意な影響
は,
「母子世帯の相対的貧困度」である。これは,
をもたないといえる。ここから,分析の期間日本
都道府県別 TFR に対し,統計的に有意な負の影響
は女性の出生供給が男性の需要を下回る状態(
「分
をもつ。「母子世帯の相対的貧困度」が高いほど,
析の枠組み」の節で述べたケース B)にあったと考
その都道府県の TFR は低い。他の世帯に比べて
えられる。もし,女性供給が超過である状態(
「分
母子家庭が貧困状態に陥る可能性が高いと思われ
析の枠組み」の節で述べたケース C)であったな
る地域ほど,平均的な子供数が少ないといえる。
ら,夫妻間での妻への移転は負の影響をもつと推
「母子世帯の相対的貧困度」が統計的に有意な
測される。均衡状態(
「分析の枠組み」の節で述べ
負の影響をもつことは,夫妻間での妻への移転が
たケース A)であるなら,夫妻間での妻への移転
子供数に対し正の影響を持つことを意味する。な
Pi が統計的に有意な影響を持たないはずである。
ぜなら,
「夫妻間の妻への移転」の節で述べたよ
うに,夫妻間の妻への移転は,妻が離婚した場合
の Threat Point に依存する。離婚した後貧困に陥
(2)離婚のリスクと「母子世帯の相対的貧困度」の
TFR に対する影響
表 3 のモデル 3 およびモデル 4 は,それぞれ「離
る可能性が高いことは,Threat Point が低水準に
あることを通じて,妻への移転を低水準にする。
婚割合(動態)」あるいは「離婚割合(静態)」を
よって,
「母子世帯の相対的貧困度」が高いこと
実証分析に加えた場合の結果を示している。
は,妻への移転 P を低下させることを通じ,TFR
モデル 3 およびモデル 4 において,
「母子世帯の
を低下させる。夫妻間での妻への移転 Pi は,統計
相対的貧困度」と「離婚割合」の交差項が統計的
的に有意な正の影響を子供数に対してもつと考え
に有意な負の影響をもつ。また,両モデルにおい
られる。
て,
「母子世帯の相対的貧困度」と「離婚割合」は,
妻の
wfi
水準を代表する説明変数は,
「女性の機
それぞれ統計的に有意な正の影響を持つ。
会費用」である。これは,統計的に有意な負の影
これらの結果から,1 年後の TFR に対し,
「母
響をもつ。
「女性の機会費用」が高いほど,子供数
子世帯の相対貧困度」が及ぼす影響の符合は,離婚
は少ないといえる。女性の機会費用が負の影響を
割合の水準に依存するといえる。離婚割合がある
持つことは,妻の
wfi
が子供数に対し負の影響を
持つことを意味する。
水準を越えると,
「母子世帯の相対的貧困度」が及
ぼす影響の符合は負になる。この「母子世帯の相
— 41 —
経 済 系 第
221
集
表 3 都道府県別合計特殊出生率に関する重回帰分析による変数の係数推定値,1980 2000 年,日本
モデル 1
従属変数:1 年後の TFR
Coef.
母子世帯の相対的貧困度
−0.0069
モデル 2
S.E.
P
0.0024
0.005
Coef.
−0.065
モデル 3
モデル 4
S.E.
P
Coef.
S.E.
P
Coef.
S.E.
P
0.0025
0.012
0.030
0.0066
0.000
0.016
0.0044
0.000
6.24
0.93
0.000
−0.56
0.12
0.000
0.080
0.000
離婚割合(動態)
74.56
10.71
0.000
貧困度と離婚割合の交差項 1
−6.80
1.27
0.000
離婚割合(静態)
貧困度と離婚割合の交差項 2
母親の労働力率(割合)
女性の機会費用
0.53
−2.19
0.080
0.000
0.55
0.61
0.000
男性の相対所得
0.086
0.000
0.58
0.089
0.000
0.50
−2.20
0.61
0.000
−2.95
0.60
0.000
−2.40
−0.083
0.12
0.504
−0.056
0.11
0.622
0.56
0.000
0.032
0.12
0.749
0.024
0.023
0.310
年次ダミー 80 ref.
年次ダミー 85(1985 = 1)
0.023
0.309
0.023
0.376
0.022
0.144
年次ダミー 90(1990 = 1)
−0.23
0.024
0.000
−0.23
0.026
0.000
−0.23
0.024
0.000
−0.24
0.025
0.000
年次ダミー 95(1995 = 1)
−0.075
0.068
0.275
−0.082
0.069
0.237
−0.0047
0.066
0.943
−0.072
0.063
0.256
年次ダミー 00(2000 = 1)
−0.011
0.12
0.929
0.0012
0.12
0.992
0.068
0.11
0.553
−0.022
0.11
0.845
2.93
0.37
0.000
3.06
0.42
0.000
3.04
0.39
0.000
2.75
0.39
0.000
定数
0.024
0.021
0.032
Adjusted − R2
0.7290
0.7284
0.7747
0.7820
Pro > F
0.0000
0.0000
0.0000
0.0000
観測値数
235
235
235
235
対的貧困度」が持つ影響の符号が反転する水準は,
が低い状況に移行していった。
図 5 の lineA および lineB は,実証分析結果か
モデル 3 において「離婚割合(動態)
」が 0.0044,
モデル 4 において「離婚割合(静態)
」が 0.028 で
ら推定される TFR への影響の符号が逆転する水
ある。
準を示している。lineA は「離婚割合(静態)
」が
表 2 から,それぞれの離婚割合の変遷をみると,
TFR に与える影響の符号が反転する「母子世帯の
1980 年以降,
「離婚割合(動態)
」の平均値はこの
相対的貧困度」の水準(11.2)を示している。lineB
水準(0.0044)を上回っている。従って,モデル
は,
「母子世帯の相対的貧困度」が TFR に与える
3 から,平均的には,
「母子世帯の相対的貧困度」
影響の符号が反転する「離婚割合(静態)」の水
が高くなるほど,TFR は低下するといえる。都道
準(0.028)を示している。LineA および lineB で
府県別にみると,すべての都道府県がこの水準を
分けられた 4 つの領域を右上から時計回りに領域
a,b,c,d と呼ぶ。各領域では,TFR に対し「母
こえた離婚割合となるのは,2000 年である。
一方,
「離婚割合(静態)
」の平均値は,1980 年に
この水準(0.028)をこえており,以降一貫して上昇
子世帯の相対的貧困度」および「離婚割合(静態)
」
が与える影響の符号が異なる。
している。モデル 4 においても同様に,平均的に
図 5 の lineB より上方に位置する領域 a および
は母子世帯の相対的貧困度が高くなるほど,TFR
d は,
「離婚割合(静態)
」が上述の水準(0.028)よ
は低下するといえる。すべての都道府県がこの水
り高く,離婚リスクが高い状態であると解釈でき
準をこえた離婚割合となるのは 1995 年である。
る。これは言い換えると,周囲に離婚を経験した
モデル 4 の「離婚割合(静態)
」および「母子世
人がある割合以上存在し,離婚が現実的な選択肢
帯の相対的貧困度」について,1980 年,1990 年,
としてありうる状況であるといえる。領域 a,d で
2000 年の 3 年間,各都道府県の散布図を図 5 に示
は,
「母子世帯の相対的貧困度」は,TFR に対し負
す。図 5 から,1980 年の分布は,2000 年と比べる
の影響をもつ。「母子世帯の相対的貧困度」が悪化
と全体的に「離婚割合(静態)
」が低く,かつ「母
すると,TFR は減少する。つまり,
「母子世帯の
子世帯の相対的貧困度」が高い状況であった。す
相対的貧困度」の悪化は,Threat point の低下を
なわち,離婚のリスクが低いが,離婚が生じた場
通じて,夫妻間での妻への移転を減少させ,TFR
合の母子世帯の効用水準は低い状況にあったとい
を減少させる。これは,表 3 のモデル 1,2 と一致
える。1990 年をへて 2000 年に向けて,
「離婚割合
する結果である。領域 a,d では,前述の「ケース
(静態)
」が高く,かつ「母子世帯の相対的貧困度」
B:この期間日本は男性の需要超過状態にあった」
— 42 —
日本における低出生力水準と離婚母子世帯
図 5 都道府県別母子世帯貧困度 vs 離婚割合(静態)
;15∼44 歳女性
な選択肢といえない可能性が高く,これは本報告
という結論を否定しない。
図 5 において領域 a,d に位置している都道府
が援用する理論の範囲外であると考えられる。
県数は,1980 年の 24 から,1990 年の 46(滋賀県
離婚のコストが非常に高い場合には,逆に個人
を除く都道府県)を経て,2000 年の 47(全都道府
は離婚のリスクを避けようとするだろう。
「子はか
県)へ増大している。すなわち,1980 年から 2000
すがい」といわれるように,子供の存在が離婚リ
年の期間,日本では「母子世帯の相対的貧困度」の
スクの回避に役立つ可能性も考えられる。そうで
悪化が TFR を減少させる領域へ移行し,1995 年
あるなら,「母子世帯の相対的貧困度」が悪化し,
には,すべての都道府県が lineB より上方の領域
もし離婚が生じたならば女性がより貧困に陥りや
a,d に位置した。
すい状況は,離婚リスクを回避するための出生を
次に,図 5 の lineB より下方に位置する領域 b お
促進する可能性も考えられる。
離婚リスクを回避するために出生が促進される
よび c は,
「離婚割合(静態)
」が上述の水準(0.028)
より低く,離婚リスクが低い状態であると解釈で
可能性は,「離婚割合(静態)」が TFR に与える
きる。領域 b,c では,
「母子世帯の相対的貧困度」
影響からも推察できる。領域 c,d において「離
が悪化すると,TFR は増大する。これは,表 3 の
婚割合(静態)」は,TFR に対して正の影響をも
モデル 2 から結論されるように,出生の需要超過
つ。
「離婚割合(静態)
」が上昇すると,TFR が上
状態(ケース B)にある場合について理論から予
昇する。領域 c,d では,
「母子世帯の相対的貧困
想される符号と一致しない。この理由の一つには,
度」が領域 a,b よりも低い。離婚した場合の効用
周囲に離婚を経験した人がほとんどいない状況で
水準が,相対的に悪くないといえる。この状況で
離婚を選択することは,社会的コストが大きく,
は,子供を持って離婚した場合でも効用水準はそ
離婚を現実的な選択肢として考えにくいことがあ
れほど悪くないので,子供を持つデメリットは相
ると思われる。この場合には,離婚が個人の自由
対的に小さい。他方,子供を持つことが離婚リス
— 43 —
経 済 系 第
集
離婚後に男性に移転を行わせることは,政府の
クを減少させるならば,子供を持つことのメリッ
トの方が,デメリットを上回ることもありうる。
221
介入が必要である。なぜなら,家庭裁判所が介入
「離婚割合(静態)」上昇は,離婚リスク上昇を通
しない協議離婚が約 9 割を占める日本の現状で男
じて,離婚リスクを回避するための出生を促進し
性からほとんど移転が行われていないことは,男
ている可能性が考えられる。
性は移転の自発的インセンティブを持たないこと
なお,都道府県別「離婚割合(静態)
」が,個人
を示しているといえるからである。
の「離婚リスク」を表すと解釈することには問題
そして,母親の労働力率の向上が子供へ対する
もある。マイクロレベルのデータを使った検討が
需要を増大させることは,保育支援政策が子供数
今後必要になるだろう。
増大に有効であることを示している。
5.
謝辞
まとめ
実証分析の結果から,1980 年から 2000 年の間,
日本は「離婚割合」の上昇に伴い,
「母子世帯の貧
本研究は関東学院大学経済学部経済学会特別研
究費を受けています。ここに謝意を表します。
困度」が悪化するほど TFR が低下するという状
況に移行しているといえる。また,実証分析の結
果は,1980∼2000 年の期間,日本では女性の出生
供給が男性の出生需要を下回る状態にあったこと
[参考文献]
[ 1 ]McElroy, Marjorie B. and Horney, Mary Jean,
“Nash-Bargained Household Decisions: Toward
a Generalization of the Theory of Demand”, International Economic Review, 22(2), 1981, 333–
349.
を示唆している。
このように需要と供給が均衡しない原因は,夫
妻間における妻への移転が低水準にあるためであ
ると考えられる。子供を抱えて離婚した場合に女
性が貧困状態に陥る可能性が高いことが,女性の
予想 Threat Point を低下させ,夫妻間の資源分配
で女性を不利な立場に立たせているといえる。
離婚した場合に女性が貧困状態に陥る可能性が
高いことの理由には次のふたつが考えられる。第
一に,ほとんどの離婚世帯で男性から養育費など
[ 2 ]Manser, Marilyn and Brown, Murray, “Marriage
and Household Decisionmaking: A Bargaining
Analysis”, International Economic Review, 21
(1), 1980, 31–44.
[ 3 ]Lundberg, Shelly and Pollak, Robert A., “Separate Spheres Bargaining and the Marriage Market”, Journal of Political Economy, 101(6),
1993, 988–1010.
[ 4 ]金谷貞男・吉田千鶴「配偶者間資源分配に基づく少
子化厚生分析」,日本経済学会 2003 年度春季大会
報告,2003.
の移転がないことである。第二に,「母親の労働
力率」が平均的には低下傾向にあることが,有配
偶女性が家庭内生産活動に特化し,労働市場に関
する人的資本に対する投資をほとんど行わず人的
資本が陳腐化している傾向を示唆する。この傾向
は,女性の予想 Threat Point を低下させ,夫妻間
の資源分配で女性を不利な立場に立たせると考え
られる。
離婚した場合,男性からの移転が十分に行われ,
[ 5 ]内田貴,
『民法 IV 親族・相続』
,東京大学出版会,
2002.
[ 6 ]厚生労働省,「社会福祉施設等調査報告」,1980∼
2001.
[ 7 ]厚生労働省,
「人口動態統計」
,1950∼2001.
[ 8 ]厚生労働省,
「人口動態社会経済面調査報告 離婚
家庭の子供」
,1997.
[ 9 ]厚生労働省,
「全国母子世帯等調査の概要」,1952
∼1998.
とって離婚した場合の予想 Threat Point は低下し
[10]厚生労働省,
「第 11 回出生動向基本調査」
,1997.
[11]厚生労働省,
「賃金構造基本調査報告」
,1980∼2000.
[12]最高裁判所事務総局,
「司法統計年報」
,1952∼2001.
ない。このことは女性の出生供給を増大させ,均
[13]総務省,
「国勢調査報告」,1980∼2000.
女性の人的資本の陳腐化が補われるなら,女性に
衡状態に近づけることができる。
— 44 —