(NPO法人静岡犯罪被害者支援センター発行「被害者遺族の手記」より抜粋) 娘は、出刃包丁で 33 か所も刺され殺されました。惨殺でした。この日 を境に、私たち家族は一変し、もう二度と家族5人に戻れません。 裁判の度に打ちのめされることが多く、その内容のお粗末さに私たち がいままで五年半やってきたことが何だったのか、何も理解していない 裁判官に怒りを覚えました。犯人のみならず、司法も敵。犯人が殺人を 犯した事への決着は、しっかりつけるべきです。それから犯人の更生を 考えるべきです。 犯人は、娘の前にも女性を 44 か所も刺す事件を起こしているのです。 今回また再び更生の余地があるようなことを言って誰が責任を取れるの でしょうか。 私たち家族は本当に幸せでした。こんな日がくるなんて夢にも思わず に毎日楽しく暮らしていました。大きな愛で私たち家族を包んでくれて いた主人は、今はいません。主人はどんなに無念だったでしょう。 主人は殺される理由のないまま身代わりの様に殺され、人権も何もな くなりました。でも加害者は、生きている限り人権という名の下で保護 されています。 主人や私たちが払ってきた税金を使って弁護士を雇い、食事をし、病 気の治療もする。そんな事は絶対納得できません。何で私たちは何も悪 いことをしていないのに、精神面でも苦しい思いをしていかなければい けないのでしょうか。 早朝の一本の電話によって、私たち家族は地獄へ突き落とされまし た。気が動転して、頭の中は真っ白、涙も出ませんでした。極限の悲し みの中では涙さえも出ないことを知りました。通夜、葬式を終えるとそ れまで現実として捉えることができなかった「もう会えない」という事 実に直面することとなり、悲しみと寂しさが覆い尽くしました。 翌年オウム真理教が逮捕されましたが、心は晴れませんでした。事件 の真実を知りたいと、民事裁判を起こしました。これが長い道のりの始 まりでした。裁判でテロと認定されているこの事件でさえ、12 年を経た 今でも結審したものはなく、被告人の人権ばかりが優先されているのに も、怒りを感じています。 「残念ですが、お亡くなりになりました。」警察官のその言葉が すべての始まりでした。 私は、その瞬間から現実からの回避症状を起こしていました。息 子にできる最後の事と、葬儀からその後の様々な手続も自分で行い ました。しかし元気すぎると感じるその行動は、周囲の人々には奇 異な姿に映ったかもしれません。息子を守れなかったというトラウ マが過剰反応を起こし制御不能に陥った苦痛を何度も経験し、自分 自身を真正面から見つめ直すのに四年もの歳月が過ぎていました。
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