シュヴァンクマイエルによるウォルポール『オトラントの城』の翻案 ―ゴシック小説、シュルレアリスム、現代映画 学習院大学大学院博士前期課程 伊藤優子 セレンディピティとはよくいったもので、展示用ケースのガラス越し、見開きにされた 頁の次の一文に、目が留まった。 RADCLIFFE(Ann)1764-1823 ―《le Spectre-toqué.》(Lautréamont) (Breton, André and Paul Eluard. Dictionnaire Abrégé du Surréalisme . Paris: Galerie Beaux-Arts, 1938. 23.) 「気のふれた幽霊」、このラドクリフと対比させてサドはマシュー・グレゴリー・ルイスを 引き、ブルトンはそのサドを引き、また彼と同様ルイスさらにホレス・ウォルポールを引 いた。 シュルレアリスムに関連する美術展は、横浜美術館で 2007 年 9 月 29 日から 12 月 9 日 まで行われた『シュルレアリスムと美術―イメージとリアリティをめぐって』展、東京都 写真美術館で 2008 年 3 月 15 日から 5 月 6 日まで行われた『シュルレアリスムと写真―痙 攣する美』展と、日本国内において定点観測的に開催されている。フランスでブルトンが その中心的役割を果たし、夢や想像力を奉じた 20 世紀初頭の芸術運動であるシュルレア リスムであるが、18 世紀中期のイギリスに端を発したゴシック小説に親和性を見出したこ とを指摘する声はこれまでに決して多いとはいえない 1 。 しかし、今暫く近年の美術展開催動向を追うと、横浜美術館では同館上記の展示に続い て 2007 年 12 月 22 日から翌 3 月 26 日まで行われた『GOTH―ゴス―』展でファッショ ンや写真にインスタレーションと日本にまで波及・変容しさえある「ゴシック」が提示さ れ、また 3 展に先んじてラフォーレミュージアム原宿で 2007 年 8 月 25 日から 9 月 12 日 まで『ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展 アリス、あるいは快楽原則』 2 を行った チェコ・シュルレアリストの一、ヤン・シュヴァンクマイエルにはウォルポールによるゴ (1764 年)を翻案した シック小説の先駆的作品 The Castle of Otranto『オトラントの城』 短編映画 Otrantsk ý zámek 「オトラントの城」(1973‐79 年)があったのだった。 1 城の再建―ウォルポール『オトラントの城』とシュヴァンクマイエル「オトラントの城」 ウォルポールは、『オトラントの城』第 1 版序文ではイタリア語原典の翻訳者を名乗っ て 出 版 の 経 緯 ま で も 偽 る の だ が 、 第 2 版 序 文 で は 原 作 者 の 身 元 を 明 か し て “It was an attempt to blend the two kinds of romance, the ancient and the modern.”(9)と執筆意図 を語る 3 。祖父リカルドの代から簒奪者の血統にある現オトラント公マンフレッドが、そ の統治を終える最後の 3 日間に、古の予言“ That the castle and lordship of Otranto should pass from the present family, whenever the real owner should be grown too large to inhabit it. ”(17 斜体は本文による)があらゆる災厄を伴って具現化される過程を描いている。 マンフレッドは、空から突如降ってきた巨大な兜に押し潰されて息子コンラッドを失い、 娘マティルダの命を誤って剣で奪い、簒奪者の血統の最後の 1 人となり、妻ヒッポリタと 共に修道することを選んで隠遁する。正統な後継者セオドアは生き別れの父ジェロームと 再会し出生の謎を解いてオトラント公の座に就き、血統の近いヴィチェンツァ家のイザベ ラと結ばれる。 増加し多様化する近年のメディア、中でも映画で繰り返し描かれてきたのはメアリー・ シェリーの『フランケンシュタイン』 (1818 年)とストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』 (1897 年)の 2 作品であるが 4 、シュヴァンクマイエルはこのゴシック小説の始点に立ち返る。 彼は 1934 年に旧チェコスロヴァキア・プラハで生まれ、1954 年にプラハ音楽芸術アカデ ミー(DAMU)人形劇学科へ入学して演出法と舞台美術を学んだ。1964 年、初の特撮映 画 Poslední trik pana Schwarcewalldea a pana Edgara 「シュヴァルツェヴァルト氏とエ ドガル氏の最後のトリック」制作後にラテルナ・マギカの演出を辞め、フリーの活動に入 っている。芸術家、シュルレアリスト、アニメーション・映像作家、映画監督としては「映 画の錬金術師」と称される。主な長編映画作品は、 Nêco z Alenky 『アリス』(1987 年)、 Lekce Faust『 ファウスト』 (1994 年)、Spiklenci slasti『 悦楽共犯者』 (1996 年)、Otesánek 『オテサーネク』(2000 年)、 Šílení『ルナシー』(2005 年)などがある。シュヴァンクマ (1965 年)、Zahrada イエルには J.S.Bach: Fantasia g-moll「J.S.バッハ―G 線上の幻想」 「庭園」 (1968 年)、Jabberwocky「ジャバウォッキー」 (1971 年)などと短編も多く、当 局により制作を中断されながらも完成させたのが「オトラントの城」である。 ウォルポールと同様、シュヴァンクマイエルは「オトラントの城」に枠物語を採る。デ ィズニー映画さながらにチェコ語版の『オトラントの城』テクストを開くところから始ま 2 るが、間もなく博士によって閉じられ、テレビレポーターが『オトラント城』から予言の 一節を引く。少年の頃この作品に魅了された博士は、史実さらに地下廊や大兜の一部とい った物的証拠から、作品の舞台をチェコ・ナーホトのオトルハン城とする仮説を現地で解 説、レポーターの質問にも答え、テレビドキュメンタリーの収録が進んでいく。 博士は、小説の最も具体的な部分である城の描写と合致する城跡を探し続け、友人から 届いた絵ハガキから偶然この城を見つけたと語る。ここでは、舞台に関するウォルポール 『オトラントの城』第 1 版序文が巧みに言い換えられている。 I will detain the reader no longer but to make one short remark. Though the machinery is invention, and the names of the actors imaginary, I cannot but believe that the groundwork of the story is founded on truth. The scene is undoubtedly laid in some real castle. The author seems frequently, without design, to describe particular parts5 . ウォルポール『オトラントの城』の舞台とストローベリー・ヒルの近似性を指摘する声も あり 6 、シュヴァンクマイエルが文学研究をも取り込もうとする感さえある。 『オトラントの城』本編に相当する部分はウォルポールに忠実ではなく、動くコラージ ュないし初期アニメーションのような挿絵がシュヴァンクマイエルの映像では唯一カラー 映像で充てられる。セオドアとイザベラはわずかに月光の射す地下廊で出会うが、鮮明な 色彩の効果を狙ってか暗転は避けられる。この後も、蝙蝠が画面を瞬間覆いつくすことは あっても、決して暗転することがない。 シュヴァンクマイエルは、ゴシック小説には欠くことのない暗闇を徹底して視覚的に排 除するが、毒殺された善王アルフォンソの眼は強調して描いている。本作の制作中止を機 に、彼は妻であり制作・思想のパートナーであるエヴァ・シュヴァンクマイエロヴァーと 共に、1974 年から 1983 年にかけて「触覚の実験」を繰り返し行った。「触覚は美的知覚 から切り離されていたために世界との原初的な結びつきをとどめており、これによってわ たしたちは無意識の最深部へと差し向けられることになる。このような潜在能力をもつ触 覚は現代芸術に適した感覚となりうる。―この可能性をさまざまな角度からさぐる場所」7 、 それが実験記録を中心とする最初の著作『触覚と想像力―触覚芸術入門』(1983 年)であ る。客観的感覚である視覚と聴覚、主観的な感覚である味覚と嗅覚、シュヴァンクマイエ 3 ルにとって触覚はこれらの間で特別な位置を持つに至る。視覚を強調して足かけ 6 年を費 やした本作の制作期間と、触覚のシュルレアリストという現在の作風・嗜好への移行期間 は重なるのである 8 。 セオドアが大剣の騎士と決闘する場面は、洞窟から谷底まで広範囲を移動しながらの見 せ場で時間も長く割かれているが、飛翔距離など大袈裟で戯画的である。大剣の騎士を倒 した後、獣を食べて城外で生きながらえる姿に、ヘラクレスの苦行や騎士の竜退治を重ね て見せることで、英雄的な一面を強調している。出自に関する説明が一切ないまま堂々と 振る舞い、マティルダとイザベラの両人に求婚する姿は、簡略化したロマンスのような印 象を与える。 また、結果的にマティルダの死により回避されるものの、中盤でセオドアはマティルダ に求婚し受け入れられており、簒奪者の血統に侵食される将来が暗示される。注意してお きたいのは、この正統な後継者の系譜つまり男系の血統の強調である。コンラッドは、簒 奪者の血統で最初の犠牲者として、大兜の下から手足を覗かせ血を滲ませる。大剣の騎士 は、セオドアの刀を受けた左胸を晒す。男性の登場人物は生々しく血を流す一方で、父マ ンフレッドによってオトラント城内で刺殺されるマティルダなど、女性の登場人物は一滴 たりとも流さない。 モノクロ映像が古さを醸し出してドキュメンタリーの信憑性を衒ったものとするなら、 挿入されたカラー映像では本編の強調と戯画、そして視覚を介して触覚さらにいえば痛覚 に訴える生々しさが映し出されたものとなっている。 登場人物が操り人形の体を成すのは「オトラントの城」の本編部分に限らず、シュヴァン クマイエルの本作前後の作品でも同様にみられる。操り人形として挿絵にとどまらず人間 を使う例としては、後の『ルナシー』におけるドラクロア「民衆を導く自由の女神」の精 神病患者による活人画が挙げられるが、本作もある意味で博士が人間を操り人形に仕立て たドキュメンタリーである。レポーターが超常現象の説明は現実的でないと博士に反論す ると、突然彼らの頭上に鎧を着けた巨大な手が現れ、幕切れに一面黒地白抜きの字幕で「惑 わしに基づいて自らの実在を構築した全ての研究者に捧げる」とあり、鎧を着けて塔の模 型に腕を通して薄く笑みを浮かべる博士の姿が映し出される時、 「オトラントの城」に登場 する第3の人間すなわちカメラマンの存在を意識することになる。カメラマンは、物言わ ぬ語り手であり、記録者であり、再三ぶれるカメラワークでドキュメンタリー部分の捏造 を暴露する告発者である。さらにカメラマンはシュヴァンクマイエルが仮託する者であり、 4 博士自身がシュヴァンクマイエルに操られていることは明らかとなる。この献辞は、博士 だけに向けたものではなく、我々にも向けられた警句だろう。メタフィクション的な要素 が加味されて、「オトラントの城」はもはやドキュメンタリーの体裁さえ放棄する。 捏造という研究成果のフィクションは、ウォルポールによる原作の再話ないし実写化を 熱望する博士の見る夢である。シュヴァンクマイエルは夢について多く言及しており 9 、 彼は現代チェコにあって、ブルトンの主唱したシュルレアリスムに連なっている。そのブ ルトンが自動記述という手法に確信を得ることになったのは、“Limits not Frontiers of Surrealism”で述べるように、ウォルポールの見た夢である 1 0 。ウォルポールは、これに 大きな衝撃を受け、突き動かされるようにして『オトラントの城』を執筆したと、友人コ ールに宛てた書簡で告白する。 Shall I even confess to you, what was the origin of this romance! I waked one morning in the beginning of last June from a dream, of which all I could receive was, that I had thought myself in an ancient castle (a very natural dream for the head filled like mine with Gothic story) and that on the uppermost bannister of a great staircase I saw a gigantic hand in armour. In the evening, I sat down and began to write, without knowing in the least what I intended to say or relate 1 1 . ロンドンでは初めてとなるシュルレアリスム展を控えていたブルトンであるから、当地 での集客数を全く意識しない発言とは言い難い 1 2 。しかし、これに先立つ『シュルレアリ スム宣言』は自動記述を用いた『溶ける魚』の序文として本来書かれたものだが、その中 でルイスの『修道士[マンク][僧侶]』 ( 1796 年)を挙げて小説に与える不思議の効果を述べ、 一面的で余剰な筋があるとしながらも、精神の称揚と的確さと無垢な偉大さの 3 点を評価 している 1 3 。サドの中短篇小説集『恋の罪』に収められた「フロルヴィルとクールヴァル、 または宿命」の一節にみられるゴシック小説の影響 1 4 、そして元はこの小説集の巻頭に添 えられた「小説論」でのルイス評価 1 5 は、ブルトンへと確かに受け継がれている 1 6 。 本小論では、シュヴァンクマイエル「オトラントの城」と、ゴシック小説の始祖たるウ ォルポール『オトラントの城』第 1 版と第 2 版それぞれの序文と本編を対照し、枠物語の 5 巧みな翻案がなされていることを中心に考察した。また、ブルトンの『シュルレアリスム 宣言』と“Limits not Frontiers of Surrealism”でのルイス、ウォルポール、サドら三者へ の言及、またサドの「小説論」に触れ、シュルレアリスムがゴシック小説へと近接する過 程を追った。18 世紀を生きたウォルポールから現代チェコに生きるシュヴァンクマイエル へ、シュルレアリスムを接合点としてゴシック小説を再考する時、この試みによって今後 の研究の可能性を見出せるよう願いたい。 (5928 字) 国内では私市以降沈黙が続いているといってよい。私市保彦「暗黒の美学とフランス、 あるいはフランスにおけるゴシック小説の影響と発展」野島秀勝・小池滋ほか『城と眩暈 ―ゴシックを読む』国書刊行会、1982 年、235-264 頁。 2 シュヴァンクマイエルが日本で紹介されるのは本展が初めてではなく、アメリカ出身で 現在イギリス在住のブラザーズ・クエイによる短編映画 The Cabinet of Jan Švankmajer ―Prague’s Alchemist of Film「ヤン・シュヴァンクマイヤーの部屋」 (1984 年)のシアタ ー・イメージフォーラムでの上映(1988 年)においてである。長編 The Pianotuner of Earthquakes『ピアノチューナー・オブ・アースクエイク』 (2005 年)の同館での公開(2008 年)を記念した映画祭『ブラザーズ・クエイの幻想博物館』(同年 10 月 4 日から 17 日) で、再度上映された。 1 3 “There is a curious “lateral shift” in the techniques of the Gothic. Settings turn out to be part of characterization and methods of narration to be principles of structure.” MacAndrew, Elizabeth. The Gothic Tradition in Fiction . New York: Columbia University Press, 1979. 109. “Walpole uses an “editor” in Otranto to present an ancient manuscript containing a tale from a remote time and exotic place. This prepares the reader to follow his tale according to its own rules. We accept its weirdness and artificiality as a part of it, as a signal telling us how to understand it. Once it has been set up this way, the idea that the castle within the closed world of the novel is a symbolic manifestation of Manfred’s mind becomes possible. Here the “editor” is a sketchy figure and the chronicler a mere shadow in the mists of time. Consequently, when they produce the exotic setting of the story proper, they demand belief, not literal but figurative, in a world beyond the everyday.” ibid . 111. 4 Kavka, Misha. “The Gothic on Screen.” The Cambridge Companion to Gothic Fiction. 6 Ed. Jerrold E. Hogle. Cambridge: Cambridge University Press, 2002. Kaye, Heidi. “Gothic Film.” A Companion to the Gothic . Ed. David Punter. Malden: Blackwell, 2001. 180-192. 5 Walpole, Horace. The Castle of Otranto: A Gothic Story . Ed. Lewis,W.S. Introd. Clery, E.J. New ed. Oxford: Oxford University Press, 1998. 8. Lewis, W.S. “The Genesis of Strawberry Hill.” Metropolitan Museum Studies 5 (1934): 57-92. 7 赤塚、40 頁。 8 シュヴァンクマイエルが手がけ、上記の展覧会と同時期に邦訳出版されたのは江戸川乱 歩原作の『人間椅子』であった。 6 9 「夢の世界の生き物や事物の具体化とも呼ぶべきものが、シュヴァンクマイエル芸術を 貫く基本原理のようなものであると考えてよいのではないか。」赤塚若樹『シュヴァンクマ イエルとチェコ・アート』未知谷、2008 年、19 頁。また、チェコ小史および同国におけ るシュルレアリスムの展開は同書に詳しい。 10 “The production of such a work[ The Castle of Otranto ], about which we have the good fortune to have information, approaches, indeed, nothing less than the surrealist method and adds once more to its complete justification.” Breton, André . “Limits not Frontiers of Surrealism,” Surrealism . Ed. Herbert Read. London: Faber and Faber, 1936. 14. 11 Lewis,W.S., ed. The Yale edition of Horace Walpole’s Correspondence . 48 vols. New Heaven: Yale University Press, 1937. 1:88. 12 “… the Gothick motifs, drawn from the age of chivalry, could be used to redress the levelling tendencies that followed in the wake of the French Revolution … In 1800 the Marquis de Sade revealed an equally political interest in the Gothick novel, reading Ann Radcliffe and Lewis as partly unconscious response to the revolutionary upheavals that had recently shaken Europe. Thus, tug and counter-tug from the beginning weave a tradition of cultural appropriation in the history of critical opinions about the Gothick romances.” Sage, Victor. The Gothick Novel: A Casebook . Houndmills: Macmillan, 1990. 13. “André Breton, … while clearly developing a Freudian analysis in his comments on the eighteenth-century English Gothick as the ancestor of modern surrealism, and in 7 doing so takes up the Marquis de Sade’s comment―that it is a collective myth―and reapplies it. Breton was in part attempting to sell surrealism to the English and his comments should be seen in the context of the Surrealist exhibition which he was taking to London.” ibid . 23. 13 「文学の領域では、ただ不思議だけが、小説のような下位のジャンルに属する作品や、 概して裏話の性質をもつすべてのものを、みのりゆたかにできるのである。ルイスの『マ ンク』こそは、そのことのみごとな証明だ。…私がいいたいのは、この本がはじめからお わりまで、世にも純粋なかたちで、地上をはなれたいと渇望する精神の一面だけをもっぱ ら称揚していること、しかも、当時の流行であったロマネスクな筋たてによる一部の無意 味なところをのぞけば、的確さと無垢な偉大さの点で、この本がひとつの模範になるとい うことだ。」アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』巌谷國士訳、岩波書 店、2007 年、27-28 頁。 14 「ある晩、心優しい愛すべき妻は、夫のそばで信じられないくらいほど陰気なイギリ ス小説を読みふけっていた。それは、その頃たいへん評判になっていた小説だった。」サド 「フロルヴィルとクールヴァル、または宿命」『恋の罪: 短篇集』植田祐次訳、岩波書店、 1996 年、90 頁。植田による解説では、この引用部分は 1787 年の初稿から見出されると いう。同 438 頁。 15 「さて、ここで私たちは、魔術と幻想がほとんどすべての価値をなしている、あの新 しい小説の分析をしなければなるまい。これらの小説の筆頭には、あらゆる点から見て、 ラドクリフの華々しい想像力の奔放な飛躍よりも一層すぐれている、あの『僧侶』を置く べきだろう。しかしこれについて論じていると、あまりに長くなりすぎる恐れがある。私 たちはただ、誰が何と言おうとも、このジャンルが絶対に無価値ではないということを認 めておこう。すなわちそれは、全ヨーロッパが影響を蒙った、革命的動乱の免れがたい結 果となったのである。悪人が善人の上に及ぼし得る禍のすべてを知りつくした者にとって は、小説は読むに退屈なものとなったと同様に、作るに困難なものともなった。もっとも 高名な小説家が一世紀かかってやっと描くことのできた悲運逆境を、みながみな、たった 四、五年のうちに経験しつくしてしまったのだ。だから、読者の興味を惹くに足るような 作品を作り出すためには地獄を援用しなければならず、この暗黒時代における人間の歴史 を探ることによってのみ容易に得られる知識を、空想の国に求めなければならなくなって 8 しまったのである。それにしても、こうした小説手法には、何と多くの不都合が生じるこ とか!『僧侶』の作者はラドクリフより以上に、その不都合を回避しなかった。ここに、 どうしても二つの場合のどちらかを生ぜざるを得ない事情があった。それは空想的な場面 を展開するならば、もはや読者の関心を惹くことができず、さりとて空想の幕を上げなけ れば、どう考えても真実らしくなくなってしまう、といった二つの場合である。私たちは、 この障害のいずれとも抵触しないで目的に達するような、見事な作品がこのジャンルでう まれることを期待する。そうなったら、手法上に言いがかりなどつけないで、喜んで当作 品を一個の手本と見なすだろう。」マルキ・ド・サド「マルキ・ド・サド選集Ⅱ(彰考書院 版)小説論」『澁澤龍彦翻訳全集 2』澁澤龍彦訳、河出書房新社、1996 年、127-128 頁。 16 “The truth, which the Marquis de Sade was the first to disentangle in his Idée sur les romans , is that we find ourselves in the presence of a style which, for the period in which it was produced, illustrates ‘the indispesable fruit of the revolutionary upheaval to which the whole Europe was sensitive’. Let us realise the importance of this fact. The attention of humanity in its most universal and spontaneous form as well as in its most individual and purely intellectual form, has here been attracted not by the scrupulously exact description of exterior events of which the world was the theatre, but rather by the expression of the confused feelings awakened by nostalgia and terror.” Breton, André . “Limits not Frontiers of Surrealism,” Surrealism . Ed. Herbert Read. London: Faber and Faber, 1936. 113. 参考文献 Bradley, Fiona. Surrealism . London: Tate Gallery, 1997. Breton, André . “Limits not Frontiers of Surrealism.” Surrealism . Ed. Herbert Read. London: Faber and Faber, 1936. 93-116. Breton, André and Paul Eluard. Dictionnaire Abrégé du Surréalisme . Paris: Galerie Beaux-Arts, 1938. Buchan, Suzanne H. “The Quay Brothers: Choreographed Chiaroscuro, Enigmatic and Sublime.” Film Quarterly 51.3 (1998): 2-15. Hames, Peter ed. The Cinema of Jan Švankmajer: Dark Alchemy. 2nd ed. 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