2010 年 12 月 26 日(日) 、27 日(月) 4 ローマ人への手紙 1:1~7 「あいさつ(3) 」 1.はじめに (1)パウロの自己紹介(1 節) ①しもべ、キリスト・イエスの ②召された、使徒として ③選びだされた、神の福音のために (2)挿入句(2~6 節) ①パウロの情熱がこの挿入句を作り出した。 ②福音の内容が要約されている。 ③6 節の「このパウロから」というのは補足した言葉である。 ④福音の内容 *神が作者である。 *天地創造の前から計画されていた。 *御子に関することである。 (3)きょうは、5~7 節を扱う。 ①挿入句の残りの部分(5~6 節) ②宛先へのあいさつ(7 節) 2.メッセージのアウトライン (1) 「神の義」を宣言する器 (2) 「神の義」の内容 (3) 「神の義」に与った人々 (例話)検察の信頼が失墜した事件 *村木厚子・厚生労働省元局長の無罪が確定した郵便不正事件 *証拠改ざん・隠蔽(いんぺい)事件 *大阪地検特捜部の元主任検事や前特捜部長らが逮捕された。 *検察トップの大林宏検事総長(63)が年内に辞任する意向を固めた。 *村木厚子氏にとっては、名誉回復の機会となった。 *「神の義」とは「神の名誉」であり「神の栄光」である。 3.メッセージのゴールは、啓示された「神の義」の大枠を理解すること。 1 2010 年 12 月 26 日(日) 、27 日(月) 4 ローマ人への手紙 1:1~7 このメッセージは、啓示された「神の義」の大枠を理解するためのものである。 Ⅰ. 「神の義」を宣言する器 1. 「私たち」という言葉 (1)ローマの信者を含めた「私たち」ではない。 (2)使徒たち全員を含めた「私たち」の可能性はある。 (3)パウロ個人のことを示す「私たち」であろう。 ①ギリシア語ではよくある使用法(あるいは、編集的複数形とも言う) ②僭越な印象を相手に与えないための婉曲法 ③「わたくし‐ども」 (私共) 「ども」は接尾語。自称。単数・複数にかかわらず用いる。自分、または自分の 家族・仲間などをへりくだっていう語。 2. 「このキリストによって」 (1)キリストに 2 性があることは、前回確認した。 ①人間性 ②神性 (2) 「dia」の第一義的意味は、 「通して」である。 ①父なる神の御業が私たちに届けられるための管であり、手段である。 ②旧約聖書では大祭司が神と民とをつなぐ管となり、手段となった。 ③日本人が「仲介者」の必要性を感じないのは、神を地上レベルに引き下ろして いるから。 ④体験的にも「キリストを通して」ということは真理である。 (3)私たちが受けるすべてのよきものは、キリストを通して与えられる。 3.パウロがキリストを通して受けたもの (1)恵み(カリス) ①罪人に与えられた神の憐れみ、一方的な愛のこと。 ②神の聖さが人間に影響を与え、信仰による救いを得させること。 ③パウロも、一般的な意味での恵みを受けた。 2 2010 年 12 月 26 日(日) 、27 日(月) 4 ローマ人への手紙 1:1~7 ④さらに、使徒としての使命を果たすための力を受けた。 (2)使徒の務め(使徒職のこと) ①パウロにとっては、恵みは使徒職の土台である。 ②使徒は神の代理人(シャリアハ)である。 ③パウロは神の代理人として語るのである。 *パリサイ派の学びの中心は、暗記である。 *自分の師の名によって、師から受けたことをそのまま次の世代に伝える。 *日本的宗教観との違いは明白である。 「宗教とは人間の知能による発明であり、人々に受け入れられた時、それが 広まる」と多くの日本人が考えている。 (3)恵み(権威)と責務の関係に注目しよう。 ①恵み(権威)なき責務はなく、責務なき恵み(権威)もない。 ②これは人生における真理であり、クリスチャン生活にそのまま当てはまる。 Ⅱ. 「神の義」の内容(原文の語順に従って解説する) 1. 「信仰の従順をもたらすため」 (1)律法による義を求める熱心さではない。 ①ロマ 10:2 「私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は 知識に基づくものではありません」 ②かつてのパウロがそうであった。 (2)信仰から出てくる従順のことである。 ①パリサイ的ユダヤ教とは異なった原理である。 ②信仰は神への従順を生み出す。 2. 「あらゆる国の人々の中に」 (1)新共同訳、口語訳ともに、 「異邦人」と訳している。 ①ギリシア語では「エスノス」 。 ②彼は、ローマの教会にユダヤ人信者と異邦人信者がいたことを意識している。 3 2010 年 12 月 26 日(日) 、27 日(月) 4 ローマ人への手紙 1:1~7 (2)パウロのメッセージは、2 重の意味で革命的であった。 ①「信仰の従順」を説いた。 ②異邦人も招かれていることを説いた。 3. 「御名のために」 (1)訳語の問題 ①新改訳は、直訳をしているだけ。 ②「その御名を広めて」 (新共同訳)では、弱い。 (2) 「神の栄誉と栄光のために」が正しい訳である。 ①詩 106:8 「しかし主は、御名のために彼らを救われた。それは、ご自分の力を知らせるた めだった」 ②エゼ 20:14 「しかし、わたしはわたしの名のために、彼らを連れ出すのを見ていた諸国の民 の目の前でわたしの名を汚そうとはしなかった」 ③イスラエルの民は、地上における神の代理人である。 *彼らの使命は、異邦人の中にあって神の栄誉を示すことである。 *しかし、彼らはその使命を果たすことに失敗した。 (3)パウロは神の代理人(シャリアハ)として召された。 ①イスラエルの民が失敗したことを、パウロは忠実に行おうとしている。 ②それは、異邦人の中にあって神の栄誉を示すことである。 ③神がいかにして妥協なしに異邦人を救うか、というのが「神の義」である。 Ⅲ. 「神の義」に与った人々 1. 「あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々 です」 (6 節) (1)ローマの信者たちも、同じ福音を信じて救われた。 ①イエス・キリストによってこの世から呼び出された。 (2)パウロの三段論法に注目 ①パウロは異邦人に対して使徒としての権威と責任を与えられた。 4 2010 年 12 月 26 日(日) 、27 日(月) 4 ローマ人への手紙 1:1~7 ②あなたがたもまた、異邦人の中にあってイエス・キリストによって召された。 ③従って、私にはあなたがたを導く権威を責任がある。 2. 「ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ」 (7 節 a) (1) 「すべての」 ①ユダヤ人信者も異邦人信者も ②男も女も、富んだ者も貧しい者も、奴隷も自由人も (2) 「神に愛されている人々」 ①愛する理由があるからではない。 ②従順だからでもない。 ③神の性質のゆえに、愛されている。 (3) 「召された聖徒たち」 ①聖徒は「ハギオス」である。 ②3 つの使用法 *地域教会の会員(使 9:32、41) *普遍的教会の会員(1 コリ 1:2) *信者個人(エペ 1:18、コロ 1:12、黙 13:10) ③欠陥がないという意味ではない。 ④選び分けられた、神のご用のために選ばれたという意味である。 3. 「私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にあります ように」 (7 節 b) (1)伝統的なユダヤ人のあいさつの形式である。 ①パウロ書簡のあいさつの特徴である。 (2) 「恵み」と「平安(シャローム) 」という 2 つの言葉 ①この中に、霊的・肉体的祝福がすべて詰まっている。 ②「恵み」の作者は、父なる神である。 ③「平安(シャローム) 」をもたらしたのは主イエス・キリストである。 *神と人の和解 *ユダヤ人と異邦人の和解 *人と人の和解 5 2010 年 12 月 26 日(日) 、27 日(月) 4 ローマ人への手紙 1:1~7 結論: メッセージのゴールは、啓示された「神の義」の大枠を理解すること。 1.パウロの自己認識は、神の代理人(シャリアハ)である。 (1)彼の関心は、神の義がいかに啓示されたかを伝えることにある。 (2)異邦人が救いの外に置かれているなら、神の義がなったとは言えない。 (3)異邦人の救いは、神の義の実現である。 2.パウロは、旧約聖書に啓示されていた神の義を認識していた。 (1)創 49:10(ヤコブの預言) 「王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロ が来て、国々の民は彼に従う」 (2)詩 2:7~8(メシア的詩篇) 「わたしは【主】の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。 『あなたは、わた しの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。わたしに求めよ。わたしは国々をあなた へのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える』 」 3.新約時代になって啓示された「奥義」がある。 (1)パウロは神の代理人として、神の計画の全貌を開示しようとしている。 (2) 「奥義」の内容 ①イスラエルの民のつまずき ②異邦人の救い(アブラハム契約への接ぎ木) ③イスラエルの民のねたみ ④イスラエルの民の民族的救い (3)ロマ 1:16~17 がテーマである。 「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じる すべての人にとって、救いを得させる神の力です」 6
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