こちら - 神戸大学MBA

浪速のビジョナリーカンパニー
フィギュアメーカー「海洋堂」の
WIN-WIN経営
2003 年度 神戸大学大学院経営学研究科社会人MBAコース
ビジネスシステム応用研究/「特異な企業間関係」の事例研究
チーム食玩王/グループ 2
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赤司 信隆 (031B202B)
加藤 正明 (032B215B)
柴原 啓司 (034B228B)
西小路 千晶 (031B241B)
村木 美紀子 (033B254B) (五十音順)
2003 年 8 月 2 日(土)発表
目 次
はじめに
第1章
食玩市場の俯瞰
1-1
食玩というもの
1-2
食玩市場の動向
1-3
海洋堂の業績変遷
1-4
提携企業の動向
第2章
海洋堂とフィギュア
2-1
海洋堂がフィギュアに注ぎ込むもの
2-2
海洋堂の成長の軌跡〜4 つの成長段階
2-3
海洋堂の成長マトリックス
第3章
海洋堂をめぐる企業間関係
3-1
チョコエッグ誕生〜フルタとの提携
3-2
チョコエッグ成功の理由
3-3
さらばチョコエッグ〜フルタとの決別
3-4
フルタとの提携解消後の企業間関係の広がり
第4章
海洋堂に学ぶオタク精神とWIN-WIN経営
4-1
問題提起:真のWIN-WIN経営とは
4-2
事例:タイムスリップグリコ
4-3
グリコとフルタ:提携の構図の相違点
4-4
海洋堂の企業間関係から学ぶこと
4-5
まとめ
はじめに (研究の動機)
海洋堂(大阪・門真市)は、1964年、現社長の宮脇修氏(74)が大阪・守口市で小さな模
型店として創業した。既存大手メーカーのプラモデルを販売するだけの仕事内容に飽き足ら
ず、80年代にオリジナル商品の企画開発、製造、販売を開始する。試行錯誤でもの作りに打
ち込んできて一部マニアには高く評価されてきたが、「数年前までは、商いにならず火の車だ
った」(宮脇社長)という。それが、今や社員40人規模ながら、年商は3月決算では前年度か
ら倍増の30億円の見込みである。
成長の秘密は<フィギュア>の製作。フィギュアとは本来、パテや粘土などを使って製作し
た模型のことをいうが、この研究でとりあげる市場ではプラスチック、ソフトビニールなどを成
型・着色した人形をさすことが多い。現在、会社を引っ張る長男の宮脇修一専務(45)は、「フ
ィギュアのような作り物を楽しむ歴史風土が日本にはなかった」と分析する。それが、たまご
型チョコなどにつける(中に仕込む)おまけ、食玩がブームとなりそのおまけであるフィギュア
を開発・製作することで海洋堂のビジネスが軌道に乗ったのだ。
おまけ製作会社に海洋堂を選んだ菓子メーカー・フルタ製菓としては、おまけの魅力で商品
の販売促進に成功した。おまけ製作担当の海洋堂にとっても、自社だけではおそらく成しえな
かったであろう急成長が、フルタ製菓との出会いによってもたらされた。そして、このフルタと
海洋堂の提携商品「チョコエッグ」が事実上、食玩ブームの火付け役となり、若者から40代ま
でをまきこむ一大市場を築き上げることになった。
新商品の発売日に大のおとながコンビニに行列をつくるまでのヒットとなったおまけ付き菓
子「チョコエッグ」がここまで大きな成功をおさめた理由はなにか。フルタと海洋堂の提携が互
いにもたらしたものはなにか。企業規模からいえば「従」にあたる海洋堂が「主」側のフルタに
対してアドバンテージを握っているように見えるこの企業間関係を成立させているものはなに
か。海洋堂の経営スタイルからわれわれが学ぶことができるものはなにか。これらがチーム
で研究に取り組むことにした最初の興味と動機である。
参考「スポーツニッポン」2003/04/02
第1章
1-1
食玩市場の俯瞰
食玩というもの
食玩が扱うテーマはありとあらゆるジャンルに及んでいる。動物であれば、野生生物からペ
ット、爬虫類、果てはツチノコまで。海洋生物や鳥類、恐竜もある。キャラクターものも国産の
懐かしい漫画キャラクターから、映画、児童文学名作の主人公、ディズニーまで多種多様。戦
車、戦闘機といったプラモの定番やSFテレビ番組に登場する乗り物、JRの車両、工事用車
両。昨今では生活シーンや歴史に題材を得たものも現れている。食玩ではないが美少女系
の人気も根強い。
また、一般的に食玩はたまご型のチョコレートにくるまれている。チョコを割るとパーツに分
かれたフィギュアが現れ、自分で組み立てる。フィギュアの大きさは5センチから10センチ程
度だ。夏場はチョコレートが溶けやすいため、秋冬がメインの商売時期になる。チョコの替わ
りにキャンディーを使用するメーカーもある。また、中身が見えないことが重要という割り切り
のもと、チョコではなく単に箱に 少量の お菓子とともに入れられている商品も多い。
最も新しい動きとしては、食玩メーカーが相次いで、60〜70年代の宇宙開発を題材にした
商品を発売し、この夏から秋にかけ、「食玩(しょくがん)宇宙戦争」が始まる。
フルタ製菓は「チョコエッグ宇宙シリーズ」(税別150円)を9月に発売する。アポロ11号や
スペースシャトル、火星探査機バイキングなどフィギュアは全17種で、米航空宇宙局(NAS
A)の資料に基づいて制作したという。食玩メーカーのハートも「宇宙ミステリーフィギュア」(価
格未定)を秋に出す予定。こちらは宇宙をめぐる不思議現象をテーマにする。このほか、タカ
ラも海洋堂の制作で8月18日に「王立科学博物館」シリーズ(税別280円)を発売する。サタ
ーン5型ロケットの打ち上げなど8種。プロデュースした評論家の岡田斗司夫さんは「子どもた
ちに、科学技術への健全なあこがれを持ってほしい」という。
いずれもターゲットとする客層は、アポロ11号の月面探査を子ども時代に体験した30代
以上の男性。食玩のひとつのキーワード「大人買い(玩具にもかかわらずこどもでなく大人を
ターゲットとすること)」を期待している。
参考「朝日新聞」2003/07/29
1-2
食玩市場の動向
富士経済による調査「02 年商品マーケティング便覧品目編」によると、食玩市場調査規模
は 1994 年に 338 億円規模だったが、02 年は 590 億円、03 年には 625 億円を予測してい
る。伸長率では 94 年を 100%とした場合、174.6%となっている。
幼児や子供向けの普遍的な玩具をメインに、ラムネ菓子やキャンディーを貼付したかたち
で量販店の菓子売り場で販売されてきた玩具菓子は 96 年までは少子化が進む中にありなが
ら、消費者の経済力の相対的な向上から微増推移を維持してきた。
ところが 97 年になると一気に 23%増(127.2%)という数字を達成する。これは大ヒットキャ
ラクター「ポケットモンスター」が誕生し、玩具菓子にも採用されたことによる。(これを契機に
玩具菓子にも人気キャラクターを採用する傾向が高まった)。
翌 98 年は前年の高成長の反動で市場は伸び悩んだが、99 年に再び活気を取り戻す。い
わゆる「たまご型チョコ」の登場だ。中身を開けてみるまでは何がでてくるかわからないという
おまけ付き菓子の要素をもち、形自体に新規性があるのが基本的な特徴。従来のこども向け
あり、人気キャラクターのフィギュアあり、コレクターアイテムありという選択肢が広がり、大人
がコレクションするに堪えられるレベルに高まった「たまご型チョコ」によって市場は再び2ケタ
成長する。
00 年、01 年は「たまご型チョコ」の中でコレクターアイテム足りうる海洋堂のフィギュアをコ
ンテンツにしたフルタ製菓の「チョコエッグ」が社会現象となるなど、「チョコエッグ」のひとり勝
ち状態となり、市場全体の伸びはやや鈍化した。
そして 02 年、フルタ製菓と海洋堂が袂を分かつかたちになり、結果的に海洋堂作によるコ
ンテンツは菓子メーカー各社に提供されることになった。これにより、食玩市場は一気に新し
い方向に走り出した。03 年現在、海洋堂が提携する菓子メーカーは 5 社を数える。
食玩市場の販売額推移
80000
70000
60000
50000
40000
30000
20000
10000
単位:100 万円
0
1994
1996
1998
2000
2002
2004
参考「食玩キング1月号」日之出出版、富士経済調査
タマゴ型チョコシェア推移
2003(予測)
2002(見込)
タマゴ型チョコ
その他
2001
2000
1999
0%
50%
100%
参考:富士経済調査
1-3
海洋堂の業績推移
海洋堂・フルタ製菓提携による「チョコエッグ」の爆発的ヒットが顕在化するのは 00 年前半
である。売り上げ個数でみると発売の 99 年9月が 60 万個、10月・11 月 30 万個、12 月 40
万個と推移し、年明けから一気に1月 70 万個、2月 100 万個。秋から 01 年春にかけては毎
月 300 万個を売り上げ、01 年秋から 02 年にかけては多い月では 600 万個にもなっている。
売上げ高では、98 年3月決算が858,295千円。99 年3月1,090,529千円。00 年3月
1,470,000千円。01 年3月1,370,000千円。02 年3月163,300千円というように、
01 年に一旦下降する以外は近年毎年 20%前後の伸びを示している(01 年の下降理由は不
明)。利益額では、99 年3月決算5,000千円。00 年3月10,000千円。01 年3月22,685
千円。02 年3月219,000千円という伸びで、中で 01 年から 02 年にかけては 965%の伸長
率となっている。同時期の売り上げ伸長率が 119%であることを考えるとロイヤリティ契約の
見直し、生産コスト(後述)の改善、あるいは土地譲渡など、なんらかの劇的要素があったこと
が推察される。
海洋堂の業績推移
「出所:東京商工リサーチ」
1800000
1600000
1400000
1200000
1000000
800000
600000
400000
200000
0
単位:千円
250000
売上高
利益
200000
150000
100000
50000
0
1998
1999
2000
2001
2002
1-4
参入企業の業績推移
現在、食玩市場には 9 社以上の企業が参入していると思われる。代表的な6社の動向を概
観し、業績をまとめたものが下のグラフである。注目に価するのはフルタ製菓と、玩具メーカ
ー・タカラの比較である。フルタ製菓は海洋堂と組んで食玩市場を切り拓いたものの方向性
の違いから提携解消に至り、その直後から海洋堂と関係を結んだのが玩具メーカー・タカラで
ある。
バンダイ
タカラ
0
カバヤ食品
日本フェレロ
5000
フルタ製菓
コナミ
10000
15000
明治製菓
その他
20000
2001
2002(見込)
2003(予測)
参考:富士経済調査
単位:百万円
<フルタ製菓>
「日本の動物コレクション」「ペット動物コレクション」などでチョコエッグの売上高を 87 億円
(01 年)まで伸ばし前年度 30%増を記録。しかし、海洋堂との関係が解消された上に、ディズ
ニーキャラクターがトミーに移管されるなど苦しい展開。
<タカラ>
02 年に海洋堂との新規契約に成功、チョコQブランドで参入した。コレクターズアイテムの
立役者・海洋堂の名前を前面に出し、PRイベントやSPキャンペーンも積極投入している。
<バンダイ>
チョコエッグの勢いに押され、いったんは「ワンダーカプセル」を生産中止。「仮面ライダー」
「ウルトラマン」「ガンダム」などのキャラクターで子供向けから大人向けまで幅広く展開。
<カバヤ食品>
キャラクター路線、コレクターズアイテムでは他社に遅れをとったが、「レゴ」シリーズが好調。
着実なプラス推移を維持している。
<明治製菓>
「バースデーテディ」で上位にランクインを果たしたが第2弾以降が不調。
<日本フェレロ>
「キンダーサプライズ」の販売権を02年にカンロから江崎グリコに移管している。スヌーピ
ーフィギュアで手堅く安定成長。
<コナミ>
01 年に「超人伝説ヒーロー」で好スタートを切り、その後も「サンダーバード」で進撃中。
第2章
2-1
海洋堂とフィギュア
海洋堂の成長の軌跡〜4 つの成長段階
1964年、海洋堂は模型小売店として創業した。創業者、宮脇修は特に模型が好きであっ
たわけでも得意であったわけでもない。当時、息子の修一(現海洋堂専務)がちょうど小学校
に上がる時期で、それまで30数回の転職を繰り返して生計を立てていた修は 何か安定した
商売を始めなければ。 と、手打ちうどん屋をやるか、ちょうど人気が上昇していた模型の店を
やるかを、一本の木刀に託したのである。木刀が北西に倒れればうどん屋、東南に倒れれば
模型店と決めて、木刀を天井からつるした糸を切った。その結果が模型屋であったのである。
しかし、一旦商売が決まるとそれに自分の全神経を集中させて望むのが修であった。わず
か7万円の資金で始めた1坪半の店を、3年の間に10坪の店にまで成長させた。そこには海
洋堂の経営を支える人々、例えば修の一番の理解者である妻(財務担当)や、松屋町の問屋
の従業員で模型プロである通称みどり姫、海洋堂の親衛隊でほぼ店員の役割を果たす小学
生のたー坊やその仲間たちの存在が欠かせないが、修自身も他のプラモデル屋がかつて考
えたことがないような様々なマーケティングプランを立ててどんどん実行に移していった。例え
ば、創業初期の小売模型店内には、模型の完成品を効果的に配置して創作意欲をたかめる
ために、日本で始めてガラスのショーウィンドーを店の入り口に作ったり、 模型を売るのにそ
れを走らせるところがないのは無責任 と、店の 2/3 を船の模型を浮かべて遊べるプールを作
ったり(冬はその上にパネルを敷いて戦車用のジオラマにした)、600個近い模型を自力で集
めて模型業界で初めてプラモデルの展示会を実施したり、 売ったプラモは完全に作らす と
ばかりにプラモデルの塾を開設したり、帆船模型のロープ張り作業を従来2ヶ月から10日で
やることを可能にする工具を自ら考案したり、模型の啓蒙活動誌を創刊したり(もともと修は
小説家志望でもあった)と、ありとあらゆるアイデアを生み出してはそれを実行することによっ
て顧客満足、顧客層拡大を果たし、 大阪に海洋堂あり といわれるほど、全国から顧客が集
まる模型店に創り上げた。
海洋堂の沿革、及び成長の奇跡をまとめると以下のようになる。
海洋堂の沿革
1958年、国産プラスチックモデル誕生。60年代中盤には社会的なブームを引き起こすまでに成
長。70年代中盤には、世界で一番とまでになっていた。
1964年
宮脇修(現海洋堂館長/代表取締役)が模型小売店「海洋堂」創業
1966年
模型業界で初めてプラモデルの展示会を実施
1968年
帆船の完成品販売を開始
1970年
帆船製作の為の海洋堂オリジナル工具の開発を開始
1973年
啓蒙活動誌「商いの手帖」創刊
1975年
帆船模型の販売に限界を感じてやめる。全国キャラバン開始。
1977年
海洋堂ホビー館開設。
スロットレーシングカーの巨大サーキットを作成。
1980年代初頭 ガレージキット誕生。
1981年
オリジナルプラモデル「ガレージキット」製造販売開始。
1984年
プラモデル販売を止め、ガレージキットの製造・販売に移行
模型店からメーカーへ
1985年
株式会社の改組
長男:宮脇修一氏、専務取締役就任
ハリウッドSFX製作者 クリス・ウェイラスとの交流
1996年
フルタ製菓「ポケットモンスター」のおまけ原型を製作
食玩との関わりが始まる
1999年
海洋堂企画・製作による「日本の動物コレクション」がおまけに入った
チョコエッグがフルタ製菓より発売開始
2001年
フルタ製菓で内紛
海洋堂製作のおまけがグッドデザイン賞を受賞
2002年
フルタ製菓との提携解消
タカラと提携開始。「日本の動物コレクション」などをおまけとする「チョコQ]
がタカラより発売される。
2003年
グリコと提携「タイムスリップグリコ」、北陸製菓「アルプスの少女ハイジ」な
ど、様々な製菓メーカー、それ以外のメーカーとの提携事業が広がる。
海洋堂の成長戦略
B2C
B2B(+B2C)
ガレージキット
模型ビジネス
食玩
世界のミュージアムショップを
海洋堂のモノたちで
埋め尽くす
株式会社へ改組
日本一の
プラモ屋にする!宮脇修一氏専務就任
帆船販売
プラ模型
販売
1964 1968
食玩
原型製作・販売
大型レーシング
サーキット
1976
ガレージキット販売
1981
1985
フルタ製菓
ポケットモンスター
原型製作
1996
チョコエ
発売
1999
商いをする限りは、顧客のためにいつも夢を描き、それを実現する責務がある
−創る楽しみを全ての人に−
2003
上の図に示されるように、海洋堂は当初プラ模型販売店として創業し、それを商いの核とし
て成長を続ける。途中、アメリカ製高級帆船のプラ模型キットを完成品にして独自のブロンズ
加工を施し、50 万円ほどの高級置物として販売した時期や、ラジコンカーが流行ったときには
大型レーシングサーキットを作ってその使用料で儲けた時期などがあったが、基本的にそれ
らの事業は全て模型を核とするものであった。しかし、模型の小売販売ビジネスに限界を感じ
1984年にはそれから完全に撤退することを決断、1981年から始めていたガレージキットと
いう事業に専念することになる。ガレージキットとは、マニア向け模型製品の総称である。アニ
メのキャラクターなどをリアルに再現したようなもので、基本的には顧客の要望に応じてオー
ダーメイドで製作されるようなものであった。このように、海洋堂の顧客はあくまでも特定のマ
ニアが中心であったが、フィギュア製作にかけては他を凌ぐこだわりと精巧さがあったため、
ほぼ独占的にオタクビジネスを展開することを可能とした。1985年には株式会社に改組し、
海洋堂の店を手伝いながら自らも大の模型ファンとして育ってきた息子の修一氏が専務取締
役に就任、創業者修氏は当時設立したホビー館の 館長 として社長業務を引き継いだ。
海洋堂、特にその創始者の宮脇修氏は、模型店主として 創ることへのこだわり が人一倍
強い。それは自分が模型マニアであるというよりは、徹底して顧客主義に徹した結果であった。
模型を作ることの喜びをどのようにしたら感じてもらえるか、顧客(子供)にとって模型の果た
す役割とは何か、顧客が模型に求めるものは何か、というような問いを常に自らに投げかけ、
それに応えることを次々と実現していった。現在も海洋堂のキャッチフレーズ(経営理念)とし
て掲げられる 創る楽しみを全ての人に という言葉に表されるとおり、修氏は金儲けよりも顧
客に模型(ホビー)を通じて喜びを感じてもらえるよう、自らが常に大きな夢を描き、それを実
現することを目指してビジネスを精力的に展開していった。そのことが、熱狂的な海洋堂ファ
ンを形成することを可能とし、又、それらの海洋堂の顧客(入り浸るマニア)の一部が後にフィ
ギュアの原型師(フィギュアのもととなる原型を作成するプロ)として育っていった。動物創りの
天才でチョコエッグのフィギュア作成の立役者である松村しのぶや、今や美少女フィギュアの
世界的原型師といわれるボーメも海洋堂の顧客から居候を経てプロに転向した人材である。
これらの天才原型師たちが、正に今日の海洋堂を支える戦略資産であり、他のメーカーには
決して真似のできない競争優位源泉となっている。どうして彼らは海洋堂に固執するのか?
それは、何よりも修氏や修一氏が彼らの一番の理解者であり、彼らがフィギュアに熱中できる
環境をおしみなく提供してきたからである。
現在の海洋堂の事業内容をまとめると以下のようになる。
海洋堂の事業内容
1.食玩・カプセルトイ企画開発部門
2.ガレージキット企画製造販売部門
3.イベント企画運営部門
最近の業績
博物館展示品の製作
■NY自然史博物館「アロサウルスvsパロサウルス」
■SFX用造形(ゴジラ’84のイメージモデルの製作)
装飾工芸品
■ 帆船モデル・ディスプレイ用ディオラマ等
各種プレミアムグッズ製作
■講談社「アフタヌーン」
■新潮社「コミックバンチ」各誌のプレゼント商品の製作
誌上通販への企画協力
■徳間書店「ハイパーホビー」
■ワールドフォトプレス「フィギュア王」
■大日本絵画「モデルグラフィックス」
各種媒体への立体物の製作
■雑誌「ファミ通」「コペル21」表紙立体物の製作
■「トヨタ・カローラセレス」CM用モデル製作
■「週刊日本の天然記念物」付属模型制作
イベントの企画・製作
■1992〜 東京晴海国際見本会場にて、夏・冬年2回
開催の「ワンダーフェスティバル」を運営・主催
(1996年より会場を東京有明ビッグサイトに移して開催)
■1993年 「ディノ・アライブ イン OSAKA」企画
実物大ティラノサウルス・トリケラトプス恐竜ロボット製作
食玩ビジネスとのかかわりは、1996年にフルタ製菓から受注した、「ポケットモンスター」
シリーズの原型製作が最初である。当時はただベンダーとしておもちゃの原型を製作すること
だけのおつきあいであった。1999年に発売され記録的大ヒットとなった「チョコエッグ」もフル
タ製菓と海洋堂によって実現したものであるが、これは「ポケットモンスター」と事情が異なっ
ていた。詳しくは後述するが、卵形チョコの中に入れるフィギュア(おまけ)に関しては全面的
に海洋堂が企画を担当することになり、又、そのフィギュアにKAIYODOの版権をつけたので
ある。このことにより、海洋堂は版権使用料としてチョコエッグの売り上げに比例するロイヤル
ティー収入を得ることを実現した。食玩のおまけ原型製作者のベンダーという立場から、製菓
メーカーであるフルタの提携パートナーとしての地位まで成長したのである。松村しのぶが製
作するフィギュアの人気で「チョコエッグ」が爆発的にヒットしたことにより、海洋堂は大きく成
長したと共に、海洋堂ブランドを確立した。
2-3
海洋堂の成長マトリックス
海洋堂の成長マトリクスをまとめると以下のようになる。
海洋堂の成長マトリクス
中国生産効率化
新市場
出版社
飲料メーカーなど
既存市場
食玩
数百万個単位
B2C
提携による
新市場開拓
アクションフィギュア
ガレージキット 千・万個単位
百個単位
既存製品
大
製品の大きさ・価格
新事業
小
食玩をきっかけとするB2Bビジネスによって一気に海洋堂の市場アクセスが広がった
株式会社に改組当時のビジネスの中心であったガレージキットやアクションフィギュア(手足
が動くフィギュア)は、基本的に顧客の要望に応じて製作されるものであり、それらの生産数
は百個から千個、多くて万個単位であった。製品の大きさも通常のオモチャレベルの大きさか
ら等身大のものまで、比較的大きなものであった。又、価格も千円から数万円というように高
価であり、あくまでも大人のマニアを対象とするものであった。しかし、食玩ビジネスに進出す
ることによって海洋堂の対象となる市場は大きく拡大した。それまでの、マニア・オタクといわ
れる非常に限定した顧客から、子供、主婦、会社員など一般の市場にまで拡大したのである。
それを可能とした理由には、まず製品の価格がある。食玩の単価は数百円程度で、殆どが2
50円から350円程度のものである。よって一般消費者にも非常に身近で買いやすいもので
あった。また、その低価格を可能なものにしている要因として中国でのフィギュア生産がある。
食玩の新規顧客は海洋堂が創り出す異常に精密なフィギュアの魅力を発見し買ってゆくわけ
であるが、その非常に精密なフィギュアの大量・低価格生産を可能にしているのが中国のフィ
ギュア工場である。一つの工場に7000人以上の工員が働いており、海洋堂の行き届いた品
質管理のもと、工員が原型から作り出されたフィギュアに全て手で彩色を施しており、非常に
微妙な色合いや質感を再現している。又、食玩のフィギュアは非常にサイズが小さいため、従
来の大型フィギュアのように保管スペースをとらずコレクションが容易であるということも食玩
市場拡大の重要なポイントである。このことが、一般消費者にも次々に食玩を買ってフィギュ
アを集めるという行動を起こした。このようにして形成されていった食玩という新しい市場領域
は成長を続け、現在は菓子のみならず、雑誌や飲料にまで小型フィギュアが付けられるよう
になっている。この食玩・小型フィギュアブームの立役者が海洋堂であり、現在食玩ビジネス
は同社の主力事業となっている。プラ模型やガレージキットなどの顧客を相手にしていたとこ
ろから(B2C)、食玩を通じて提携というビジネス(B2B)に事業領域を拡大したことが、海洋
堂に大きな飛躍をもたらしている。
第3章
海洋堂をめぐる企業間関係
3-1 フルタ製菓との提携〜チョコエッグ誕生
フルタ製菓と海洋堂のもともとの出会いは、「ポケットモンスター」の食玩原型の下請けが
始まりであった。ポケットモンスターの立体造形物は版権元の監修が厳しく、少しでもオリジナ
ルに似なければ容赦なく NG が出ることから、それに困っていたフルタ製菓に手を差し伸べた
のが海洋堂であった。それ以降、フルタ製菓とは着かず離れずの関係を保っていた。
1999 年のフルタ製菓との商談時に海洋堂の宮脇専務が中国のフィギュア生産工場から持
ち帰ったカプセルトイを見せて提案を行った。「これはオーストラリアのおもちゃで、このカプセ
ルの中にオーストラリアの動物のフィギュアが入っている。あまりできの良くないフィギュアだ
から、うちで精巧に作って食玩として売り出せば日本でもいけるのでは。」と。しかし偶然にも
フルタ側もまったく同一のカプセルの中に入るフィギュアを探していたことがその場で明らかと
なった。そのときのことを宮脇専務はこう語る。
「そりゃぁびっくりしましたわ。フルタさんが例のカプセルとまったく同じカプセルをカバンから
出してきて、それをカパカパ開けはじめて。中身はなんやわけのわからん、昔のグリコのオマ
ケをさらに出来損ないみたいにした、安っぽいビニール製の変な乗り物とか動物とか入ってて。
で、『これはイタリア産の、卵型のチョコレートの中に入ってるカプセルなんです』というわけで
す。」
ちなみに、フルタがこの手の卵型チョコレートの存在を知ったのは、96 年ぐらいのことだっ
た。ヨーロッパでは既に定番商品として文化の中に根付いており、フルタ製菓としてはそれを
日本でも販売することができないものかと長らく画策していたというのだ。
但し、日本という国の体質上、プラスチックのカプセルが食べ物の中に直に入っているよう
な商品は、衛生面や心理的な部分で敬遠される可能性があるとの考え方が製菓業界にはあ
り、どうしても最後の一歩を踏み出せないままでいた。そんなおり、カンロがヨーロッパ産の
「キンダーサプライズ」という卵型のカプセルトイ入りチョコレートを 98 年にテスト販売を行って
た。その際に流通面での問題が生じないことがわかったので「それならば!」ということで、99
年の 1 月、イタリアの製菓メーカーから既存の商品を輸入し、パッケージだけ日本で刷った卵
型チョコレートを販売することとなった。その結果、商品としてのできは上々だったが、中身の
トイ(フィギュア)のできが良くないことにより、商品自体に対する評判はあまり芳しくなかった。
そこで、日本オリジナルのコンテンツを探す必要性が出てきたのである。
以上のことより、フルタ製菓はその卵型チョコレートの中に入れるフィギュア探しを海洋堂に
自ら持ちかけたわけではなく、偶然に宮脇専務がまったく同一のカプセルを別件の打合せ席
上に持ち出してきた為に「チョコエッグ」のストーリーが始まったのである。
3-2
チョコエッグ成功の理由
その後、海洋堂のフィギュアの入った「チョコエッグ」が発売され、発売当初から月 60 万個を
売上げ、現在までに 1 億 2000 万個以上が売れる超ヒット商品になった。では、その成功の理
由はどこにあるのであろうか。もちろんチョコエッグの中に入っているフィギュアが主要因であ
ることに間違いは無い。そのフィギュアが持つ魅力は「小さくて、尽くされていて、精密である」
ことに集約されている。小さな玩具は大型フィギュアに比べコレクションしても保管スペースの
問題は少ない。海洋堂の動物に対するこだわり、モノへの愛着が「尽くされている」フィギュア
を実現した。また、リアルなものを再現することへの海洋堂のこだわりが「精密である」フィギ
ュアを生み出したのである。
一方、フルタ製菓がこの成功に無関係であったわけではない。チョコエッグのフィギュアの企
画を全面的に海洋堂に任せることを認めたところが、成功への重要な要因となった。よって海
洋堂はモノ創りへのこだわりを確保でき、博物学者である荒俣宏氏に「チョコエッグ動物は博
物学の夢を実現した」と賞賛されるまでに至った。
ここでは、従来の製菓メーカー(バイヤー)とオマケメーカー(ベンダー)の関係ではなく、バイ
ヤーがベンダーの技術力を認め、むしろイーブンな立場であるパートナー関係を築いたことに
よって成功がもたらされたといえる。
最後の成功の要因は「おまけ」であったことである。実際はこの「おまけ」を目的に買ってい
るとは言っても、単なるお菓子の付属物として「無料でついてくる」感覚が受け入れられたの
だ。もし、これがチョコのおまけではなく、普通にフィギュアとして選んで買うことが出来たら、
たとえコンビニにいっぱい並んでいたとしても、いい出来だと感心することはあっても、お金を
払って買う人がどれだけいるであろうか。
チープなお菓子に付いているチープなはずのおまけが、出来だけはチープではなかったと
いう落差。そこに感動があったのである。いや、そこにしか感動は無かったともいえる。でなけ
れば、海洋堂で 10 年間恐竜や魚や動物を作りつづけてきたチョコエッグの立役者の原型師、
松村しのぶ氏の作品が数百個、いや、数十個単位でしか売れなかったと言う事実に説明が
つかないではないか。チョコエッグが爆発的に売れた後、海洋堂の動物シリーズや恐竜モデ
ルが急に売れ始めたり、問い合わせが増えたりしたのだろうか。否、1500 円の塗装済み完成
品の動物でさえ、海洋堂ホビーロビー(海洋堂のフィギュアを扱っている専門店)で売上が上
がったという話は無い。
フィギュアで商売をしている海洋堂からすれば、この「フィギュアは好きだけど、お金を出して
まで欲しいとは思わない」と言う現実は、実に厳しいものがある。だが、こうした事実を受容し
ているからこそ、海洋堂はほかのモデルメーカーよりも一歩先を進むことができ、今回のよう
な成功をもたらしたのではないだろうか。
3-3
さらばチョコエッグ〜フルタとの決別
フルタ製菓との提携により「チョコエッグ」という超ヒット商品を生み出した海洋堂であるが、
フルタ製菓との蜜月はそう長くは続かなかった。そう、提携の解消である。主な原因はフルタ
側の不節操さが引き起こしている。例えば、海洋堂に無断で企画内容変更したり、企画案の
持込を行うと同じアイデアの企画が別のところで立ち上がっていたり、生産用原型の社外流
出まで、さまざまな揉め事が起こってしまった。しかし、海洋堂はフルタとの関係を何とか修繕
する方向でバランスを取ろうとし続けた。なぜならば「海洋堂はチョコエッグを大切にしたい。
ここまでチョコエッグを育ててくれたエンドユーザーを裏切ることはできない。」といった顧客主
義が海洋堂には脈々と流れているからである。ところが、決定的な事件がおきてしまう。フル
タ側の海洋堂の窓口である古田常務が人事内紛劇により退社し、別会社移ってしまったので
ある。そのことから、チョコエッグの商標権はフルタ製菓に、開発生産ノウハウは古田元常務
の新会社エフトイズに、チョコエッグを構成するファクターが完全に分断されてしまったのであ
る。そうなるとフルタ側は「エフトイズ抜きで今後とも一緒に」となり、エフトイズ側は「フルタ抜
きで・・・」となってしまう。海洋堂としては、妥協点を見出してこれまでどおりの開発を続けた
かったが、エフトイズ側の譲歩は得られたものの、フルタ側は「エフトイズとかかわっている連
中は、海洋堂だろうが、なんだろうが切り捨てる」といった態度にでた。これが提携解消の最
終的な引き金となった。結局、古田常務が去ったあとのフルタは海洋堂をパートナーとしてで
はなく、あくまで下請け業者一つとしてしか見ていなかったということが明らかとなった。
3-4
フルタとの提携解消後の海洋堂の企業間関係の広がり
フルタとの提携解消により、海洋堂は莫大な数が売れるチョコエッグを捨てなければならな
い。しかし、提携解除は悪いことばかりではなかった。フルタと提携が解消されると共に外部
からの多くの提携の依頼が舞い込んでくることにより、寡占化された感のあった食玩市場が
拡大化に繋がったと言える。
フルタ製菓とガッチリ組んで進めてきた海洋堂であるが、提携解消後新たにタカラ、ロッテ、
クインビーガーデン、サッポロ飲料と提携し、提携を強化させたのがグリコ、UHA 味覚糖であ
る。食玩とは違う業種である角川書店、講談社、徳間書店、小学館の出版会社とも提携し、さ
らにはソニーとも提携するまでに至っている。このことが、結果として食玩市場を広げる作用と
して働いたといえる。
3-5
B2C から食玩界の核的存在へ
海洋堂は現在の食玩界の核的存在になるまでに、4 つの段階を踏まえて来たと言える。
第 1 段階:海洋堂が直接エンドユーザーに売っているだけ商売
第 2 段階:フルタとの 2 社間提携関係
第 3 段階:複数製菓メーカーとの提携関係
第 4 段階:菓子以外の業種との提携関係
このように、オタク客のみを相手とした商売から複数業界・複数企業から提携を求められる
ビジネスへ、4 年間で 3 段階の劇的な変化を遂げている。
第4章
4-1
海洋堂に学ぶオタク精神とWIN-WIN経営
真のWIN-WIN経営とは
これまで見てきたように、海洋堂は提携先を増加・拡大させることにより、着実に成長を
遂げてきた。また、提携先企業も海洋堂のフィギアを自社商品とうまく組み合わせることに
より業績を伸ばしている。
しかし、このような両者の成功を人気の高いフィギアメーカーとお菓子メーカーの提携に
よる効果だけで説明できるだろうか。提携の裏側には、どのようなドラマがあったのだろう
か。
海洋堂との提携により、大きく業績を伸ばしたグリコとフルタ製菓の事例を比較すること
により、真の WIN-WIN 経営の法則を導く。
4-2
事例:タイムスリップグリコ
タイムスリップグリコはコンビニエンスストアを中心に発売から 1 年間で 2400 万個売れ、
50 億円近い売り上げを得た。単独のお菓子として例外中の例外の記録である。しかし、そ
の誕生の裏には、グリコの「おまけの元祖」としてのこだわりと海洋堂の「作りたいものを作
る」というこだわりの激しいバトルがあった。
江崎グリコ社長の江崎勝久氏は99年秋、フルタ製菓が発売した「チョコエッグ」のヒットに
怒りまくったという。なぜなら、「チョコエッグ」に「おまけのグリコ」のお株を奪われたからだ。
江崎社長はすぐさま「学ぶべきところは学べ。マネでもいい」と担当者に檄(げき)を飛ばし
た。
もともと、江崎グリコは「創意工夫」を社是とし、創業以来オリジナルを大切にしている。そ
れだけに勝久の「マネでもいい」という発言は、自己否定につながるおそれがある。しかし、
創業事業への脅威が、社内の雰囲気を変えた。
直ちに菓子事業本部菓子開発企画部マネージャーの山崎進一氏は海洋堂との接触を
図った。海洋堂は当時「チョコエッグ」の動物フィギュアで有名になりつつあったが、まだま
だマイナーな存在であったため、海洋堂専務の宮脇修一氏は江崎グリコの来訪に驚いた
という。
しかし、山崎氏が海洋堂に持ち込んだのはかつてのグリコの復刻版であったため、「それ
は海洋堂でなくてもできる。あんまりやりたくないですね」と、宮脇専務は冷たくあしらったと
いう。
それでも山崎氏は粘り強く足を運び、宮脇氏が「鉄人28号」を盛り込むことを提案してき
た。江崎グリコが当時テレビ番組を提供していたからだ。そして「テレビ」、「自動車」、「冷蔵
庫」とアイデアが次々膨らみ、歯車がかみ合い始めた。
ダミーができてきたとき山崎氏は、「すごい。面白い。さすが」と海洋堂の技術力に舌を巻
き、社長の勝久氏も「ようできとる」と、フィギュアにしばらく見入ったという。
参考:「日刊工業新聞」2003/06/11
4-3
グリコとフルタ:提携の構図の相違点
≪提携の構図≫
このように、ヒット商品であるタイムスリップグリコは生まれた。この提携の裏側には、江
崎グリコの「おまけ戦略」の変化と「商品開発プロセス」の変化があったといえる。
子供向けの「グリコ」は少子化の影響や菓子の多様化により、売り上げを減らしていた。
60 年代のピーク時と比べて、今は 5 分の 1 の個数しか売れておらず、年間の売上高は 10
億円を少し下回る程度であった。江崎グリコの 2002 年度の連結売上高 2687 億円から考
えれば貢献度は低いといえる。
しかし、同社の創業事業なだけに、グリコを復活させるのは江崎勝久社長の命令でもあ
った。最初は子供向けに開発していたが、他社の玩具つき菓子が大人に売れていたこと
から、2 年前、まずは大人向けに路線を切り替えた。この路線変更を迫ったのが「チョコエ
ッグ」であり、新商品に命を吹き込んだのが「海洋堂」であった。
従来の商品開発は、自社開発であり、アイデアへこだわるあまり、新商品投入のタイミン
グを逃していることが多かった。また、「グリコのおまけ」も、ベンダーとしての仕入先へ仕
様を伝えて作らせる方式をとっていた。
これに対して「タイムスリップグリコ」の開発プロセスはまったく異なる。「マネでもいい」と
いう社長の檄により担当者が海洋堂を訪ね、両社の「もの作りへのこだわり」を闘わせた
結果、思いがけないヒット商品が生まれた。
≪グリコとフルタの違い≫
第3章では、海洋堂をめぐる企業間関係において、フルタ製菓との「チョコエッグ」が重要
な位置を占めていることを述べた。「チョコエッグ」は、海洋堂の存在を一般に知らしめ、そ
の後の提携先の拡大に大きく貢献したが、フルタ製菓の業績は「チョコエッグ」の爆発的な
ヒット以降低迷している。一方で、江崎グリコは「タイムスリップグリコ」以降も確実に業績を
伸ばしてきている。
同じ「食玩」市場における「提携」であっても、このように明暗を分けるのはなぜだろうか、
海洋堂とグリコと海洋堂とフルタの企業間関係にはどのような違いがあるのだろうか。
われわれは、商品開発をしようとするメーカー側が、「おまけ」であるフィギュアを提供す
る海洋堂を、「パートナー」として扱うか「ベンダー」として扱うかによって、新製品の成否が
分かれると考える。
すなわち、「タイムスリップグリコ」は、おまけで大人に「夢」や「癒し」を与えたいグリコと、
海洋堂の「もの作りへのこだわり」との鬩ぎあいの中から生まれた。このときの海洋堂は、
グリコにとって「おまけを提供するベンダ−」ではなく「商品開発のパートナー」であった。両
社のパートナーシップが、自社開発では生まれなかった「イノベーション」を生み出したので
ある。
一方「チョコエッグ」は、商品がヒットしていく過程において、フルタは海洋堂を「フィギュア
を提供するベンダー」としてしか見ていなかったのではないか。「チョコエッグ」のヒット後、フ
ルタと海洋堂は、おまけにするフィギュアの内容や原型の流出問題などでトラブルが多くな
る。海洋堂の宮脇修一専務は以下のように語る。
「ぼくらにとっては一つの大きなバクチでした。フルタ製菓さんとの事情については本の中
に書いたんですが、要するに、ただ製品を作って納めるだけの下請けにはなりたくなかっ
た。たかがお菓子のおまけでも、どこにも負けないものを作っているという思いが、ぼくらに
はある。海洋堂がすばらしいフィギュアを作ったから「チョコエッグ」のヒットにつながったん
だと。」
4-4
海洋堂の企業間関係から学ぶこと
従来の日本企業は、右肩上がりの経済下において、「作れば売れる」環境にあったため、
下請け企業を商品開発の源泉として重視してこなかった。しかし、「ものあまりの時代」にお
いて、メーカー側は自社開発により新しいアイデアを生み出すのに苦慮している。このよう
な環境下においてこそ、ベンダーの技術力や競争優位性に着目し、対等な立場での商品
開発が有効ではないか。
指令
メーカー
提案
ベンダー
メーカー
イノベーション
ベンダー
提案
企画主導権
企画主導権
≪従来型≫
≪海洋堂型≫
上図のように、従来型では、メーカーからの指令に基づいてベンダーは仕様どおりに作
ることが求められてきた。この場合において、商品企画主導権は、メーカー側に重点があ
る。これに対して海洋堂型では、メーカーとベンダーが対等の立場にあり、お互いの技術
力や競争優位源泉に基づいて提案が行われるために、イノベーションが生まれやすい。
したがって、自社だけで商品開発を行うよりも、ベンダー側の技術力や開発力を取り入れ
ることができるだけでなく、まったく予想しなかったイノベーションの創造が期待できるので
ある。
東大阪の中小部品メーカーが、NASAや米企業に対して部品を提供するという動きが見
られるのも、上記のような海洋堂の事例から説明が可能ではないかと考える。
4-5
まとめ
以上から得られたわれわれの結論「WIN−WIN関係」は以下のとおりである。
WIN① ベンダーはこだわりを持ち、独自の価値を提供できるパートナーになるべき
海洋堂の宮脇専務は以下のように語る。
「はっきり言ってバカな集団ですが、それでいいと思ってる。造形原理主義とか造形真理
教とか言っているんですが、「こんなんが欲しかったんや!」と思うようなフィギュアを、とこ
とん妥協せずに作る。そのためには、こちらが持ち出しになるような仕事もしてきたし、組
んでくださる企業にも質の高さを要求します。商売は組んだ相手の企業におまかせして、
ぼくらは好きなものを世の中に生み出せればええかと思うてます。」
このように、利益度外視で無鉄砲とも取れる職人気質が、現在の日本企業に必要なので
はないか。海洋堂の事例は、メーカーからコスト削減やISO取得等の厳しい要求への対応
に追われて、近年の日本企業が忘れかけていたものを思い出させる。
WIN②メーカーは商品開発の源泉がベンダーにもあることを認め、提携により協力関係
を築くべき
江崎グリコの山崎マネージャーは次のように語る。
「社長のハッパがなければ海洋堂に足を運んでいない。」
日本のメーカーには商品開発は自社開発でという意識が強い。しかし、海洋堂の事例か
ら、社内の意識改革やヒット商品は企業外部からももたらされることがわかる。また、グリコ
のお菓子メーカーとしてのプライドが、海洋堂のもの作りとのこだわりとの間で相乗効果を
生んだ結果とも言える。
さらに山崎氏は語る。
「当社のおもちゃはもともと子供に夢を与えるためのもの。今の子供に夢を与えるのは、
大人が懐かしがる商品を出すよりずっと難しい。」
タイムスリップグリコの新商品は今後も投入するが、同時に、今年中に子供向けのグリコ
の立て直しを図る方針である。そうでなければ、本当の意味で「おまけつきグリコが復活し
た」とは言えないからだ。このように、自社ブランドに対するこだわりを持つメーカーでなけ
れば、単にベンダーと対等に提携を行ったところで、ヒット商品は生まれないことは言うま
でもない。
以上
≪参考文献≫
「創るモノは夜空にきらめく星の数ほど無限にある 海洋堂物語」 宮脇修 講談社
「海洋堂クロニクル」 あさのまさひこ 太田出版
「海洋堂通信」 主婦と生活社 2003 年 4 月 10 日 PP.8−11 PP.90−98
「造形集団海洋堂の発想」 宮脇修一 光文社新書
「食玩王」1月号・7月号 日之出出版