「ビール系飲料の競争戦略」 2006 年 10 月 流通科学大学・商学部・17 期生 学籍番号 37040596 桑木 悠太 38040301 小坂 勇介 38040760 伏原 準 37040766 曽谷 宙司 1 要約 現在、ビール業界は熾烈な戦いが繰り広げられている。ビールは日本においても歴史を 持っており、それだけに目まぐるしく業界地図が塗り替えられてきた。 日本のビール大手5社はアサヒ、キリン、サッポロ、サントリー、オリオンであり、各 社はこれまで世の中に多くのビール系飲料を送り出している。その中にはアサヒのスーパ ードライのような大ヒット商品もあるが、多くは世間に認められず早々と消えていく。そ れでも各社は試行錯誤を繰り返しながら、次々と新商品を送り出している。 消費者が選択するビール系飲料も変化してきており、ビール各社の主力商品は多様化を 続けている。ビール系飲料というと、ビール、発泡酒、第3のビールであり、この中でも 価格の安い第3のビールがビール系市場に占める構成比をどんどんと拡大してきている。 こうした中で、ビール、発泡酒、第3のビールの、どのジャンルに力を入れるか難しい ところであるが、いずれにせよ消費者に愛される商品を提案出来るかがきわめて重要であ る。 2 世界と日本のビールの歴史 ビールの歴史は古く、既にメソポタミア文明のシュメール人により大麦を使い作られて いた。紀元前 3000 年頃に古代エジプトにビールの製法が伝わった。これらの古代オリエン トのビールは、麦芽を乾燥させて粉末にしたものを、水で練って焼き、一種のパンにして からこれを水に浸してふやかし、麦芽の酵素で糖化を進行させてアルコール醗酵させたも のであった。大麦はそのままでは小麦のように製粉することは難しいが、いったん麦芽に してから乾燥させると砕けやすくなり、また消化もよくなる。つまり、ビールは元来製粉 が難しくて消化のよくない大麦を消化のよい麦芽パンにする技術から派生して誕生したも のと考えられている。その後、ビール造りの製法はエジプトから地中海を経て、ゲルマン からイギリス、北部ヨーロッパに至るまでヨーロッパ中へ伝播していった。そして、紀元 前 1500 年頃に「麦芽」による醸造が発見されてから、ビール造りは大きく進歩したとされ ている。紀元前 600 年頃の新バビロニア王国では既に様々な添加植物に混じってホップも 使われており、雑味を和らげるために、グルートと呼ばれる薬草類(アニスやハッカ、ニ ッケイ、チョウジ、ヨモギ、ホップなどのハーブ類)を味付けに使った「グルートビール」 が造られ始めた。 9 世紀頃からは、味や香りだけでなく防腐効果も認められて、ホップが主原材料の一つ として使われるようになりましたが、すぐには広まらなかった。11 世紀後半に入ってホッ プの使用によりビールの品質が飛躍的に向上することが認知され、ホップの使用が徐々に 広まった。15 世紀から 16 世紀頃には、ボヘミアを経由して、バイエルンで発展した低温 で発酵・貯蔵する下面発酵ビールが、9 月から 4 月の気温の低い時期に醸造されるように なり、1516 年にビール醸造業者に対して有名な「ビール純粋令」を布告してから、ドイツ 地方では、ビールは大麦、ホップ、水だけを用いて醸造されるようになった。 18 世紀後半にイギリスで始まった産業革命でもたらされた蒸気機関はビール工場の機 械化を推進し、ビール醸造を近代的な工業へと発展させた。また、19 世紀後半になると、 3 フランスのパスツールの「低温加熱殺菌法」により長期保存が可能になり、1880 年代にデ ンマークのカールスバーグ研究所のハンセンの「酵母による純粋培養法」により、優秀な ラガー酵母を単独分離・純粋培養出来るようになった。また、1834 年のドイツのリンデの 「アンモニア冷凍機」の発明により、従来冬の間に発酵させて貯蔵するしかなかった下面 発酵ビールが季節を問わず醸造出来るようになった。こうして、安定的な品質維持、大量 生産、長期保存が可能になった下面発酵ビールが世界の主流になってきた。 日本でビールが最初に飲まれたのは、1724 年にオランダの商船使節団が江戸に入府した 際に献上した時といわれている。その後、1853 年に江戸の蘭方医の川本幸民が露月町の自 宅でビールを醸造したといわれており、これが日本で最初のビール醸造だといわれている。 ちなみに解体新書で有名な杉田玄白などもビールを試飲・試作したといわれており、また、 1860 年の幕府の第一回遣欧使節の一人の玉虫左太夫がビールを飲んだという記録残され ており、明治維新の際に、岩倉倶視らの遣欧使節団もヨーロッパのビールについて克明に 視察していた。 1870 年に横浜の山手居留地でアメリカ人のコープランドによって日本初の醸造所「スプ リングバレーブルワリー」が設立され、主に居留外人向けに販売した。また、1872 年に大 阪で渋谷庄三郎によって「渋谷ビール」が設立され、日本人として初めて本格的にビール の醸造・販売を行った。その後、1874 年に甲府で野口正章が「三ツ鱗ビール」を設立され、 1876 年には官営ビール事業として北海道で北海道開拓使札幌麦酒醸造所が中川清兵衛を 中心に設立され、翌年「札幌ビール」を発売した。こうして一時は 100 社前後のビール会 社が設立され、文明開花の流れの下でハイカラ族はビールを好んで飲んだといわれている が、逆にそれが故に、国産ビールよりも外国産のビールの方が持て囃されていたようだ。 その後、1900 年に北清事変が起こると軍備増強を意図して、それまでに清酒にしか課税 されていなかった酒税が 1901 年からビールにも課税されることになり、資金力の弱い小さ な醸造所は淘汰されるようになり、ビール業界は再編されるようになった。1990 年代後半 に米やトウモロコシなど麦芽以外の原料を多く使用する「発泡酒」が販売された。これは ビールと比べて税率が低いため、販売価格も抑えることができるというものである。その 後、政府の規制緩和政策の流れの中で、1994 年 7 月の酒税法改正で、ビールの年間最低製 造量が 2000 キロリットルから 60 キロリットルに引き下げられた。このためビールの製造 4 の門戸が広がり、新潟県巻町のエチゴビールや北海道北見市のオホーツクビールを皮切り に、各地で地ビールが醸造され始め、「地ビールブーム」が起きたのは記憶に新しいとこ ろである。 そして、2003 年の酒税法改正による発泡酒の増税以降、各メーカーは、より低価格(低 税率)である。麦芽を使わないビール風味の発泡アルコール飲料の開発を急いだ。これら は、「ビール」や「発泡酒」には属さず、「その他の醸造酒(発泡性)」や「その他の雑 酒」や「リキュール類」に属する。このため、新聞などのマスメディアが「第三のビール」 と名付けて、報道されている。以上が、世界と日本におけるビールの歴史である。 5 熾烈な戦い 日本のビール産業は、企業分割から戦後のスタートを切った。戦後間もない 1948 年、 当時のトップメーカーだった大日本ビールが GHQ(連合軍総司令部)から過度経済力集 中排除法に基づき二分割するよう指定を受ける。1949 年に東日本地域を中心とする日本ビ ール(現在のサッポロビール)と西日本中心のアサヒビールとに分割される。1953 年まで は原料の大麦に「出庫量」と呼ばれる割り当てが、キリンを含めたビール 3 社に対して実 施されていた。国による統制であったが、このため 3 社のシェアはほぼ横並びであった。 1954 年からは統制が解除され、自由競争になった。飲食店をはじめとする業務用に弱か ったキリンは、家庭用ビール市場に力を入れる。高度経済成長に乗り一般家庭に冷蔵庫が 普及するのに伴い、キリンのシェアは拡大していく。一方、業務用中心だった日本ビール とアサヒビールは、家庭市場には積極的に打って出なかった。 それまで飲食店で飲んでいたビールが家庭で飲まれるようになってきて、シェアは激変 した。1976 年にキリンは 63.8%もの最高シェアを上げる。しかし、あまりにもシェアが 高いため、独占禁止法からキリンは分割される懸念を有していた。 1970 年代前半から、シェアは固定される。キリンのシェアは 60%強、サッポロが 20% 前後、残りがアサヒと 1968 年に参入したサントリーというシェアが続いた。アサヒとサ ントリーは同じアサヒ系列の特約店だったが、サントリーが毎年ほぼ 1%ずつ増え、その 分アサヒが低下するという状況だった。シェアの固定化が壊れたのは、1987 年のアサヒビ ールの「スーパードライ」の大ヒットからである。 そうしたスーパードライの大ヒットには次のような理由が挙げられる。 ①味 スーパードライは辛口にするために、酵素力の強い麦芽と発酵力の強い酵母が使われた。 高発酵のため、アルコール度もそれまで一般だった 4.5%に対し 5%と若干だが高くなった。 こうして「キレ」、「辛口」、「生」、と味の差別化が徹底的に追及された。 6 ②デザイン アサヒは当時では珍しい、ネックラベルを貼り付けるというパッケージデザインの刷新 を図った。他のブランドとの違いを明確に実感させるため、銀色のパッケージを採用し、 視覚的違いを強調した。 ③CM 国際ジャーナリストの落合信彦氏を起用し、まったく新しいコンセプトのビールという ことを訴求した。 以上の理由などが挙げられるが、なによりもアサヒ従業員のスーパードライを世の名に 広めようとする努力がスーパードライの爆発的大ヒットに繋がった。スーパードライ発売 の翌年の 1988 年には、シェアは一挙に 20%の大台を超え、サッポロを抜いて業界第 2 位 の地位まで上昇した。 ビールは成熟産業といわれて久しい。業界にはさほど大きな変動もなく、シェアも 1% 前後で動くのがビール業界の常識でもあった。1%のシェアが移動するということは、わ かりやすくいえば、1987 年当事で大びん約 8 千万本が、別の銘柄と入れかわるというこ とである。スーパードライが登場するまで、1%か 2%のシェアの変化であっても、大きな 話題になっていた。それを考えるとスーパードライ発売以後のアサヒの大躍進は、ビール 業界関係者の思惑をはるかに超えた出来事であっただろう。 1985 年、シェア 9.6%で低迷し、いつ潰れてもおかしくないといわれていたアサヒが、 わずか 3 年で倍以上の 20.7%までシェアを伸長させたのである。ふつうの常識では考えら れない奇蹟に近い出来事であった。 1987 年、スーパードライが爆発的売れ行きを見せはじめると、翌 1988 年には、他社は こぞってドライ商品を投入した。なかでもキリンおよびサッポロのコンセプトやデザイン などが、あまりにもスーパードライと似すぎていたため、アサヒは知的所有権問題として 取り上げ、両社に正式に申し入れを行った。このことがマスコミに漏れ、ドライ戦争と報 じられたため、かえってスーパードライの知名度を上げる結果になった。 スーパードライの大躍進によって製造が間に合わず、新聞広告で異例のお詫び広告をう つ羽目にもなった。あまりに売れすぎたため、 「社員はスーパードライを飲むな」という社 7 長からの社命も下った。 スーパードライの大成功はアサヒの人間に自身と誇りを蘇えらせ、何事もやればできる んだという意識を持たせた。しかし、このことが、今度はスーパードライのような大成功 を何回でもできるはずだと錯覚することとなる。 1989 年に発売した「スーパーイースト」は関東テレビエリア限定販売で、約 300 万箱 の売上を達成したが、アサヒの人間は満足しなくなった。300 万箱といえば、つい 3 年前 のアサヒなら大成功と評価したはずである。全国規模の販売であれば、700 万箱前後の売 上をあげたことになるからだ。にもかかわらず、イーストは失敗だという人達が出てきた。 さらに、エスカレートして、アサヒはスーパードライに依存しすぎだ、他社のようにいろ いろな新商品をどんどん出すべきだといい始めた。また、別の人はアサヒビールが味とラ ベルの切替え作戦を始めた 1986 年以前の 4 年間すなわち、1982 年から 1985 年までの 4 年間で全ビールの年間売上はたったの 1%しか増えなかった。しかし、アサヒが味とラベ ルの切替え作戦を始めた 1986 年から 1989 年までの 4 年間で 29%も増大した。これはビ ールメーカーが新商品を積極的に出し広告活動を活発にして、ビール消費の拡大に努めた からビールマーケットが大きくなった。したがって、アサヒがビール業界でリーダーシッ プを取るためにも、これまで以上に新商品開発を進め、広告活動も一段と強化するべきで あると主張し始めた。 この考え方は間違いではないし、一見、正論に見えるが、見方を変えれば、こんな危険 な考えはない。一つ間違えば築き上げたブランド、育成した商品の陳腐化を自らの手で早 めかねないし、時には可能性のない新商品に経営資源を投入することになって、投資効率 の悪化につながり、結果として企業力を弱めるという自己崩壊につながっていく。 スーパードライ発売 3 年目の 1989 年は競合他社のドライ離れが一段と進み、新たな攻 勢はあったものの、結果はアサヒの勝ち戦の年となった。 アサヒは当初の狙い通り、スーパードライ特化作戦が功を奏し、売上箱数は 1 億台に乗 り、スーパードライも押しも押されもせぬ大ブランド商品に育った。その品種間比は 90% を越えた。一方、キリンのシェアはとうとう 50%の大台を割ってしまった。主力商品ラガ ーのリニューアルを行い、総数 27 品種もの新商品を投入しながら、シェアダウンを喫し た。 この頃サッポロは主力商品黒ラベルに代えてドラフトを投入したが、予想外の不振に驚 き、なりふり構わず、元の黒ラベルを復活させた。主力商品の切替え失敗ではシェアダウ 8 ンもやむをえない。そしてサントリーは善戦していたのだが、シェアアップとまでは果た せなかった。 1994 年頃になると発泡酒が発表された。キリンは 1998 年 2 月に発泡酒である「淡麗」 を発売し、当時の発泡酒市場ではトップであったサントリーのスーパーホップスを抑えて 淡麗がトップに躍り出た。この頃からビール・発泡酒市場での発泡酒の構成比がどんどん と高くなってきた。 スーパードライという大ブランドを築きあげたアサヒは発泡酒というジャンルに参入 することを渋っていた。スーパードライの販売減を恐れたからだ。しかし 2001 年、つい にアサヒが「本生」で発泡酒に参入した。本生はアサヒにとって初めての発泡酒であり、 1987 年発売のスーパードライ以来のメガヒット商品となった。そしてアサヒはついに発泡 酒を含むビール総市場でキリンを追い抜いた。 キリンは本来なら負けるはずのない戦いで負けてしまう。最も大きな敗因は 1996 年 1 月に打った主力ブランドの「ラガー」の生化である。ビール市場の最大ブランドであり、 最終工程で熱処理をしていたラガーを生ビールに変えたのである。1995 年春、アサヒは「生 ビール売上ナンバーワン」というコピーをスーパードライの CM に使う。アサヒにとって ラガーは強力な商品で、どうしても崩せない壁であった。そこで、CM を使ってキリンの ミスマーケティングを誘ったのである。そして、キリンはアサヒの挑発に乗ってしまった。 この結果、中高年を中心とした長年のラガーファンが、ラガーを離れてスーパードライへ と流れていき、シェア逆転を誘発する。ラガー生化は、戦後の産業界における代表的なミ スマーケティングとなる。アサヒしか見ていなかったから起こってしまった躓きであった。 2003 年になるとビールでも発泡酒でもない新しいジャンルの第 3 のビールである「ド ラフトワン」をサッポロが発売した。最初は九州北部 4 県での発売であったが、翌年全国 発売された。第3のビール、ドラフトワンは発泡酒よりも価格が安く好調に売上をあげた。 この年、12 月までに 1834 万 2 千箱を出荷した。これは当初の目標であった 1 千万箱を大 きく上回った。しかもノンリベートで展開したので商品に革新性があれば、安売りしなく てもメーカーも流通も利益を得られるのである。特徴的なのは、ビールや発泡酒は飲まな いけれど、ドラフトワンなら飲むという 20 代や女性を多く獲得した点だった。ドラフト ワンはビールや発泡酒を飲まなかった、女性や若者などの新規ユーザーを獲得、新市場を 開拓したのである。 ドラフトワンをすぐに追随してきたのはサントリーだった。サントリーは 2004 年 3 月 9 に「春風」を、6 月には「スーパーブルー」を発売する。新ジャンルである第 3 のビール がビール系市場に占める構成比は、いきなり 4.9 パーセントとなった。 2005 年、第 3 のビール戦争が勃発した。4 月6日キリンは第 3 のビールの新製品「のど ごし」を発売する。キリンは第 3 のビール参入を前にした 2 月、淡麗などの発泡酒をリニ ューアルさせた。のどごし投入により、発泡酒が影響を受けることを分かっていたので、 事前のリニューアルで商品力を強化させたのである。 前年に、ドラフトワンを先発として新ジャンルを立ち上げたサッポロには、発泡酒をケ アするほどの余裕がなかったのとは違い、キリンは周到に準備していた。新製品で万が一 にも欠品が生じぬよう、雑酒の生産免許申請はもとより、工場の生産体制を整えて臨んだ。 キリンは怒涛のように攻め、のどごしはドラフトワンが開拓した市場を侵食していった。 アサヒが第 3 のビール「新生」を発売したのは 4 月 20 日である。キリンよりも半月遅 い投入だが、4 社が第 3 のビール市場で揃い踏んだ。4 月の課税出荷量はのどごしの 360 万箱に対し、新生はわずか 11 日間で 270 万箱とものすごい勢いを見せる。ところが、気 温が上昇した 5 月、新生は失速した。のどごしとの距離は広がりドラフトワンにも抜かれ てしまう。新生は 4 月から 5 月にかけてアサヒの予想を上回る注文が殺到し、生産・出荷 が対応できない事態を招く。前年 2 月のドラフトワン発売時に、参入を即断して準備を周 到に重ねたキリンに対し、税制改正を視野に入れ決定を遅らせたアサヒの事前準備の違い が早くもあらわれた。 もっとも、失速の原因は準備不足だけではない。新生は製品自体の基本設計も、のどご しと違っていた。ドラフトワンを明確なターゲットとしたのどごしは、飲みやすさを打ち 出し、これまでビールや発泡酒を飲まない人々をメインユーザーとした。カジュアルなパ ッケージで女性や 20 代に親しみやすさを訴求した。 対する新生は、第 3 のビールでありながら、ビールに近づける味わいを追ったのである。 どことなくスーパードライに似たパッケージ、スーパードライ酵母の採用で本格感を打ち 出した。ドラフトワン、のどごしが新しい低アルコール飲料なのに対し新生はあくまでビ ールの代替品という位置づけであった。 夏場を迎えると新生はさらに失速し、一時はサントリーにも抜かれ、第 3 のビール市場 でアサヒは 4 位メーカーに落ちる。このため新製品「新生 3」を初冬の 11 月に投入した。 建て直しを余儀なくされてしまう。しかし売上はさほど伸びなかった。 2006 年 4 月 12 日、1 月〜3 月の第一四半期におけるシェアの逆転が判明した。割安価 10 格の第 3 のビールを伸ばしたキリンが首位に立ち、アサヒは 2 位に後退した。シェアはキ リン 38.4%に対し、アサヒは 36.0%である。サントリーは 11.7%と初めて 11%を突破す る。サッポロは公表していないが 13%と推定される。 市場全体で約 54%を占めたビールでは、スーパードライを擁するアサヒがシェア 48.8% と圧倒した。それだけに新生、新生 3 の不振が逆転につながった。その後、アサヒは新商 品「ぐびなま」、「極旨」を発売し巻き返しを図る。今後も、熾烈な戦いが繰り返されそう だ。 11 ビール用途別グラフ ビール・発泡酒市場のシェア推移 アサヒ キリン サッポロ サントリー オリオン 60 50 40 30 20 10 0 2006年1〜3月のサッポロとオリオンは推定 アサヒ キリン サッポロ サントリ オリオン ー 1990 年(平成 2 年) 24 50 17 8 1991 年(平成 3 年) 24 50 17 8 1 1995 年(平成 7 年) 36 48 19 7 1 2000 年(平成 12 年) 38 39 15 10 1 12 2003 年(平成 15 年) 40 37 15 11.5 1 2006 年(1〜3 月) 39 40 15 15 1.6 13 ビール・発泡酒の販売量・出荷量推移 アサヒ キリン サッポロ サントリー オリオン 2006年 2005年 2004年 2003年 2002年 2001年 2000年 1999年 1998年 1997年 1996年 1995年 1994年 1993年 1992年 1991年 1990年 1989年 0 50 100 150 200 250 300 (単位:百万箱、1箱は大瓶20本) 14 アサヒ キリン サントリ サッポロ オリオン ー 1989 年 110 225 90 40 1990 年 125 260 100 43 1991 年 130 272 105 42 1992 年 140 275 105 41 5 1993 年 130 273 105 39 5 1994 年 160 280 110 38 5 1995 年 160 260 105 39 5 1996 年 170 250 110 40 5 1997 年 180 225 105 45 5 1998 年 190 229 90 48 5 1999 年 200 222 81 50 5 2000 年 200 210 80 53 5 2001 年 220 203 83 51 5 2002 年 210 200 80 53 5 2003 年 205 180 70 51 5 2004 年 205 175 80 51 5 2005 年 195 178 75 51 5 2006 年 40 43 8 5 15 ビール・発泡酒の総出荷量推移 500 百 万 箱 400 300 200 100 0 2006年(1〜3月) 2005年 2004年 2003年 2002年 2001年 2000年 1997年 1996年 1995年 1993年 1992年 1991年 1990年 1989年 16 1999年 1998年 600 1994年 700 発泡酒 ビール 第3のビール 第 3 のビー 発泡酒 ビール ル 1989 年 480 1990 年 510 1991 年 530 1992 年 550 1993 年 540 1994 年 5 580 1995 年 15 560 1996 年 20 530 1997 年 30 520 1998 年 80 470 1999 年 100 450 2000 年 110 440 2001 年 180 370 2002 年 200 348 2003 年 200 280 2004 年 15 210 270 2005 年 35 215 265 10 40 40 2006 年(1〜3 月) 17 これからのビール業界 世界最高の酒税率に対抗するために生まれた発泡酒。一番人気「麒麟淡麗」を発売する キリンビールでは、発泡酒と新分野(「のどごし生」等)を足した擬似 ビールの総量がビ ールを抜き、うちの両親も安さにつられ「発泡酒というビール」だと勘違いして飲んでい る。健康志向に乗って「カロリーオフ」「プリン体 カット」等と、まるで病人向けの発泡 酒も出回り、従来のビールと置き換わりつつある。キリン、アサヒ、サッポロ、サントリ ーにどういうつもりなのか聞いた。 わたしの親のように、発泡酒とビールの違いもよくわからず、安いから得だと思って飲 んでいる消費者も多いのではないだろうか。安さのみを強調した酒のディスカウントショ ップのチラシが毎朝入ると、それも自然なことなのだろう。 キリン、アサヒ、サッポロ、サントリー各社に、まずは違いをどう説明すればいいのか 聞いた。 「缶の形や容量が同じなので、わかりづらいということがあるかもしれませんが、ビー ル、発泡酒と缶にも表示させていただいておりますので、たいへん申し訳 ありませんが、 それを気をつけて見ていただきたいと思いますが。お好みの商品が決まっておりましたら、 スーパードライならビール、本生は発泡酒と名前で覚えていただくという形がよろしいか と思います」 「両方とも原料に麦芽を使用してはいるのですが、使用の割合の違いによりましてビー ルと発泡酒が違ってまいります。 (味のほうは)ビールよりも発泡酒のほうがすっきりして 飲みやすい傾向になっています」 サントリー「ザ・プレミアム・モルツ」が「モンドセレクション最高金賞 2 年連続受賞」 とテレビCM等で盛んに宣伝されている。だが、日本の法体系では発泡 酒とされながらも、 プレミアムモルツより、ずっと世界的には有名な日本の地ビールがある。数々の賞をとっ ているには、それだけの理由がある。 全米で販売されている日本の地ビール 「15 年前にクラフトビールを飲んだときは、おいしいとは思わなかったんですね。それ がビールの原料である麦芽やホップ、歴史を知れば知るほど、味覚まで変わってきました」。 18 木内酒造専務の木内洋一さんが、そう語る。 クラフトビールとは手造りビールのことをいう。日本では地ビールと呼ばれることが多 い。大量生産のビールが主流である日本のビール市場にあって、ネストビールはクラフト ビールの典型である。酵母も生きている。 かつては、年間の製造数量 2,000 キロリットル以上の生産および販売見込みがなければ 新規参入が認められなかったが、1994 年細川政権時代の規制緩和策のひとつとして年間 60 キロリットルまで引き下げられた。このことで各企業がビールに参入をはじめた。 消費者は、新たな味に期待を込めた。生ビールと比較してうまさの違いを感じながらも、 ビール原料は 100%海外に依存、生産量も少ないためにコストも割 高。そのため市販大手 のビールと比べ高いビールとなった。その結果、一度は飲んでみたものの、地ビールは、 消費者に浸透しなかった。 地ビール勃興期の勢いは、いまはない。その中にあって、茨城の地ビール・常陸野ネス トビール(木内酒造)は、全米でも販売されるなど元気だ。 ワールド・ビア・カップ金賞受賞 サントリー「ザ・プレミアム・モルツ」が「モンドセレクション最高金賞2年連続受賞」 と盛んに宣伝されている。たしかに味は切れ味シャープでフルーティなビールだが、フィ ルター処理をしているビールなので、ビール酵母は入っていない。 世界のビール業界では、モンドセレクションよりも、 「ワールド・ビア・カップ」 (World Beer Cup)のほうが有名だとも言われている。アメリカのブルーワーズ協会主催の世界的 なビール・コンペティションである。 アサヒビール<2502>は明日 20 日、ビール風飲料「第3のビール」市場に参入する。サ ッポロ<2501>、サントリーが先陣を切り、キリン<2503>が追随し、最後にアサヒが登場 する形は、発泡酒市場と似た構図。ビール大手4社の「第3のビール」が出そろう形で、 競争は激しさを増しそうだ。 アサヒにとって第3のビール・第1弾となる「新生(しんなま)」の発売を控え、池田弘 一同社長は 19 日、気勢を上げた。豪華クルーザーで東京湾沖を巡りながら行われた試飲 会は、ホームページ上の応募に当選した 120 人が詰めかけ、同商品のCMに出演する俳優 の織田裕二さんと池田社長と共に「乾杯」する派手な演出ぶり。第3のビール市場参入の 門出を祝った。 初回出荷数は 100 万ケースがヒット商品の相場と言われており、アサヒ「新生」は、出 19 荷が 200 万ケースを超えた。同社が発売した発泡酒の新商品「本生ゴールド」の初回出荷 数 150 万ケースを大きく上回った。一方で、先行するサッポロビールは5日、プリン体や カロリーなど健康配慮型の新製品「スリムス」の発売を発表、参入企業を迎え撃つ構えだ。 ビール酒造組合などが発表した3月の出荷量(課税ベース)によると、ビール・発泡酒 などの総出荷量が前年同月比も 8.1%減と低迷する中、「第3のビール」は同 55.1%増と、 大幅な伸びを記録。 「第3のビール」はビール市場全体の約8%を占める市場は、アサヒの 参入で 15%まで成長する見通しだ。 「第3のビール」市場の拡大に伴い、発泡酒に代わる売上げを期待されているが、ビー ル業界が抱える課題も少なくない。 大手4社は今年から小売店に対するリベート(販売奨励金)を廃止、酒類卸会社は小売 店にビール卸値の値上げを要請した。アサヒの池田社長は、こうした取引制度の改変につ いて「一部量販店の問題もあるが、99%うまくいっている」と話すものの、スーパー大手 のイオン<8267>などの反発もあり、不安は拭えない。 また、06 年度税制改正で、第3のビールの増税などを含め、酒税法の抜本改正が議論さ れる見通しとなっており、 「第3のビール」のウリである安さが阻害される恐れもある。池 田社長は「このような大衆の商品に税をかけること自体がおかしい。財政事情もあると思 うが、減税の実施をお願いしたい」と「増税反対」の姿勢を強調。自民党でも6日、国会 議員らでつくる「発泡酒を愛する会」などの合同会議を例年よりも早く開くなど、増税を 検討する財務省との折衝が今秋にかけて激化する見通しだ。 国内ビール大手各社の 2006 年6月中間期の連結決算が出そろった。今年上半期のビー ル系飲料(ビール、発泡酒、第3のビール)の販売量(課税ベース)で、キリンビール<2502> がアサヒビール<2502>をわずかな差で追い抜き、5年ぶりに首位に。業績面でも、キリン が上回り、2強がデッドヒートを繰り広げる状況が浮き彫りとなった。 キリンは、売上高が前年比 5.7%増の 7827 億円、営業利益が同 19.9%増の 449 億円、 純利益が同 27.1%増の 189 億円と、いずれも中間決算ベースで過去最高を更新した。 昨年春に「のどごし生」で参入した第3のビールの販売量が対前年比2倍と堅調、市場 縮小が著しい発泡酒でも2月発売の「円熟」の好調などで対前年比 1.9%のプラスを確保。 国内酒類の好調で、診療報酬の改定に伴う医療事業の減益を吸収した。 一方、アサヒビールは、売上高は前年比 1.2%増の 6644 億円、営業利益は同 7.1%減の 286 億円、純利益は同 23.8%減の 144 億円だった。 20 「新生」など発泡酒の販売量が同 36.2%の大幅減となり、5月の「アサヒぐびなま。」 投入などで同 46.4%増だった第3のビールや6年ぶりのプラスとなったビールの好調で もカバーし切れず、酒類単体では減収減益。子会社化で連結対象となった食品・薬品会社 の売上高が上乗せされたため連結ベースで増収は確保したが、販管費の増加や減損質が減 益につながった。 荻田伍社長は、決算説明会でキリンに上期で首位を奪回されたことに「腸(はらわた) の煮えくりかえる思い」と総括。 「下期は何とかビール、新ジャンルの商品を出しながら反 転攻勢する」と強調し、通期で売上高が前年比 4.1%増の1兆 4880 億円、営業利益が同 5.8%増の 955 億円、純利益が同 12.9%増の 450 億円と、いずれも過去最高益更新を達成 する決意を示した。 2強の明暗を分けたのは、第3のビールと発泡酒。ともに業界最後発として 05 年4月 に第3のビールの新商品を発売したが、キリンは破竹の勢いでシェアを伸ばし、 「ドラフト ワン」で独走するサッポロからトップを奪った。一方、アサヒは3番手に甘んじた。 また、1─6月の販売量が前年比 15.5%マイナスとなった発泡酒市場で、アサヒが市場 縮小の影響を直に受けたのに対し、キリンでは「円熟」が「淡麗」「淡麗グリーンラベル」 に次ぐ第3の柱に成長し、業績を下支えした。 その一方で、アサヒは6月、拡大が続くプレミアムビール市場に新商品「プライムタイ ム」を投入、秋には第3のビール「極旨」、発泡酒でも新商品を発売し、通期で6年連続と なる首位死守に向け攻勢を強める。荻田社長は「乱売を仕掛けて、シェアを奪回する意図 はない。成長を図るためには商品を育成しなければならない」と説明し、危機感をにじま せた。 キリンの加藤壹康社長は、決算説明会で「他社の新商品についても一時的には効果は出 るが、結果的には弱い既存品を持っていると共倒れになる危険性を持っている」と述べ、 アサヒの新商品攻勢を暗にけん制。 「むやみに価格競争、新商品をバンバン打って出ること は計画していない」と続け、“ひとり勝ち”の第3のビールと発泡酒を軸に、通期で年初目 標より 480 万ケース上方修正した 1 兆 8960 万ケースの販売計画を達成することを強調し た。 アサヒビール<2502>は6日、発泡酒の新商品「贅沢日和(ぜいたくびより)」 (オープン 価格)を7日から発売すると発表した。 豊かな麦の味わいを作り出す「リッチ酵母」や貯酒期間を従来の 1.3 倍に設定する「長 21 期熟成製法」などを採用し、上質感をイメージしたやわらかなコクを実現したという。テ レビ CM には女優の長谷川京子さんを起用した。 同日、東京都目黒区の目黒雅叙園で開いた発表記者会見で、荻田伍社長は「飲みやすい だけでは少し物足りないというお客様のために、どちらかというとビールに近い飲み応え やうまみを追求した」と新商品をアピールした。30−40 歳の男性を主なターゲットに、年 内だけで 150 万ケース(1 ケースは大瓶 20 本換算)の販売を目指す。 需要期の夏までに投入することが多い新商品をこの時期に出すのは異例で、10 月にも第 3のビールの新商品「極旨」を出したばかり。同社は 2006 年上期のビール系飲料(ビー ル、発泡酒、第3のビール)の販売量(課税ベース)シェアでキリンビールにわずかな差 で抜かれ5年ぶりに首位を返上したことから、24%とキリンの半分程度のシェアに甘んじ る発泡酒のテコ入れで、6年連続となる年間首位の死守に向け攻勢を強めたい考えだ。 荻田社長は「来年1月のスタートを見据えて、新しい商品提案をした」と話しているが、 “スッキリ系”の既存商品「本生」とは一線を画した“コク路線”の新商品投入による年内の 巻き返しに意欲を示した。シェア動向については「新商品がお客様から評価を得て、売上 げに結びつけば結果が出るだろう」と語った アサヒビール<2502>は 16 日、ビール風の新ジャンル飲料『アサヒ極旨(ゴクうま)』 の発売を記念した街頭イベントを、東京都千代田区の東京国際フォーラム地上広場で行っ た。 『極旨』は、17 日から全国で発売される。ビールに似せた低価格の新ジャンル商品は「飲 みやすさ」を売りに、若者をターゲットにした商品が多いが、アサヒは「コク」や「飲み ごたえ」を追求。40 代前後の男性を中心としたヘビーユーザー層に訴えていくという。 同商品の CM で競演しているタレントの哀川翔さんと、勝俣州和さんが会場に姿を現し、 商品の感想を語った。哀川さんは「うまいと思わなかったら CM なんてできない」と味の 良さを強調、勝俣さんは「『極旨』を今年の流行語にしたい」と意気込みを述べた。 飲酒運転が社会問題化していることを受けて、商品の代わりに記念グッズとして「ゴク うまグラス」が配られた。荻田伍社長が「状況を考えて、当面は自粛する」と話した上、 サンプリング会場では“お知らせ”として、 「未成年者と運転前の飲酒は法律で禁じられてい ます」とのアナウンスが流れていた。 いまや、 「ビール」は、われわれの日常生活の中にすっかり溶け込んだ存在である。そし て、消費者の中にはビールの味、ブランド等にこだわりを持っている人が多い。そうした 22 顧客のニーズに応えるため、これからも様々な創意工夫を凝らす企業間の激しい競争関係 が続くであろう。 <参考文献> 日本経済新聞社「ビール最終戦争」 2006年7月 日刊工業新聞社「たかがビールされどビール」 ネスコ「アサヒビール大逆転」 2005年9月 1999年 http://www.geocities.jp/beerforum/bhistory.htm http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%AB livedoor ニュースから引用 http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2436286/detail http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2383820/detail 23
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