一枚の写真を見て

川崎ジュニア文化大賞
「一枚の写真を見て」
東大島小学校 5 年 櫻井 ひかり
川崎から車で一時間三十分「海はいいなあ」祖父母は海のすぐ近くに住んでいます。月に一度は、両親
に連れられて遊びに行きます。行けば必ず、海できれいな石や貝がらを拾ってきます。夏にはもちろん海
水浴をします。私にとって祖父母の家へ行くことは、祖父母に会いたいのはもちろんですが、そのほとん
どは海へ遊びに行くことなのです。
私の住んでいる川崎は、地図でみると、多摩川に沿って海まで続く、とても細長い町です。三年生の時、
私の通う川崎区の東大島小学校と麻生区にある岡上小学校との交流で、初めて北部へ行きました。自然が
たくさん残っている、とてもすてきな町でした。同じ川崎でも、私の住む南部は、車と工場がとても多い
所です。遊ぶ所といえば公園です。近くに小さな公園がたくさんあり、ブランコやシーソー、そしてジャ
ングルジムがどこにでもあります。またゴミ処理の熱を利用した温水プールがいくつもあるので一年中泳
ぐことができます。他にも映画館やテニスコートなど、色々な施設がそろっていてとても便利です。でも、
私は海で泳いだり、山歩きのできる自然のたくさんある所がとても好きなので、祖父母の住む町や、岡上
小学校のある町をとてもうらやましく思っています。
以前に、理科の自由研究で野草の研究をしたことがあります。野草を採集するために、多摩川の六郷橋
から大師橋を通って河口近くまで歩いてみました。そこにはたくさんの野草があり、一面お花畑のような
所もありました。花のある野草が群生していたのです。うれしくてしばらくそこで遊んでいました。私の
家の近くにも、こんなにたくさんの花が自然に咲いている所があると気づいて、本当にうれしくなりまし
た。でも、川の水はちょっとにごっていました。父は「これでも昔と比べるとすごくきれいになった」と
言っていました。昔とは三、四十年前のことだそうです。その頃は工場の汚れた水が直接川に流れこみと
てもいやな臭いもしていたそうです。今は川に沿ってサイクリングコースができ、私も時々家族でサイク
リングをしています。でも、まだゴミが捨ててあったり、水も汚れているので、とても川の水に足をつけ
て遊ぼうという気持ちにはなれません。
「いつかこの辺がもっともっときれいになって、お弁当を食べて水
遊びができる所になったらいいなあ」といつも何となくですが、思っていました。
二ヶ月程前のことです。東扇島にあるマリエンへ巨大ホオジロザメのはく製を見に行きました。そのサ
メは川崎港へ漂流したもので、ホオジロザメの仲間の中でも最大級のものだそうです。とても大きなサメ
でびっくりしました。その時、二階の展示コーナーにあった一枚の古い大きな写真を見て、両親がとても
驚いていました。私もすぐ、見に行きました。するとそれは、昭和六年頃の扇島海水浴場の写真だったの
です。昭和六年といえば祖父母が生まれた頃だそうです。今では倉庫や工場がたち並び、トラックばかり
が走っている所なのに、みんな楽しそうに水遊びをしているのです。とても不思議な感じを持ちました。
特に母は、驚くというより感動したそうです。母が子供の頃、近所のおじさんに「おじさんが子供の頃は、
よく観音川で泳いだ」とか、
「近くに海水浴場があった」などという話をよく聞かされていたそうです。で
も「へえ」とは思ったけど、お話だけでは実感がわかなかったそうです。それがその写真を見て初めて「本
当だ!」と感じたそうです。もともと川崎の海で泳ぐということを考えたこともなかった私には、写真を
見ても不思議さばかりで実感がわかないものでした。その後二、三回その写真を見る機会があり、のりを
養殖していた話や、あさりがいっぱいとれたという話も聞くことができました。私の中で「川崎でも海で
泳げたんだ」と不思議な思いで見ていたものが、「また、泳げるといいなあ」「泳ぎたいなあ」という気持
ちに変わってきました。今ではそれが、今まで何となく感じていた「私の家の近くの多摩川で水遊びが出
来たらいいなあ」という思いと重なり、とても大きくなっています。両親ともよくその話をしています。
海や川をきれいにするために一番大切なことは、まず水を汚さないこと。周りばかりをきれいにしても、
水が汚れていては、海も川も死んでしまいます。父は「便利さと引きかえに海や川を汚した時期もあった
けど、それがまちがいだと気づいた時から、みんな水を汚さないように努力してきたんだよ」と話してく
れました。多摩川の水も川崎の海へ流れこんでいるのです。海と川は一つなんです。私の育ったこの川崎
が美しい水の多摩川と、みんなで海水浴のできる海がある、すてきな町になることを夢みて、私も水を汚
さないように、努力しようと思いました。