ロバート ・ヘリック作 - 奈良教育大学学術リポジトリ

奈良教育入学紀要 第45巻第1号(人文・社会)平成8年
lull. Nara Univ. Educ,. Vol.45, No, 1 (Cult.&Soc.), 1996
ロバート・-リック作
「粛みてかの人は神の国へ赴きぬ」を味読する
奥 田 喜八郎
(奈良教育大学英米文学教室)
(平成8年4月4日受理)
川崎寿彦は『イギリス文学史入門(1)』の中で、詩人ロバ-ト・ヘリック(Robert Herrick,
1591-1674)について、次のように簡潔に紹介しているのである。
ベン1家の1の子分は、ヘリックであった。イギリス南西部デヴォンシャーの美しい片田舎
に教区牧師として赴任してからは、ときどきロンドンに出かけて仲間の詩人たちと飲んで語
ることはあっても、そのはかでは田舎牧師の生活に満足していたようだ。自然を愛し、美し
い乙女たちを愛し、その想いを絶妙な古典的詩風の拝情詩群に写した。聖職者としてこの種
の生き方は、清教徒のもっとも忌むところであったから、清教徒革命でたちどころに職を
失った。しかし王政回復と同時に元の教区にもどり、長いおだやかな余生をその地に過ごし
た。彼の行情詩は『ヘスペリディーズ』 (Hesperidesa¥ 1648)と題する詩集にまとめられ
ている。題そのものが古典文学にくりかえしうたわれた地上の楽園を表わしていることから
も、個々の詩の内容は推察されるだろう。自然へのこまやかな愛情と、人生のはかなさへの
詠嘆をからみあわせる短詩、たとえば、 「黄水仙にささぐ」 ("To Daffodils")0 などは、日
本の拝情詩の伝統にも近く、わが国にも愛好者が多い。
これは長い引用文であるが、お許しを願いたい。詩人へリックを理解するために、もっとも要領
を得ていて、明確な評語であると思われるからである。
上記の引用文中の「ベン1家」 (Ben's Tribe)というのは、ベン・ジョンソン(4) (Ben
Jonson, 1572-1637)を取りまいていた崇拝者たち(5)のことである。この「ベン1家の詩人た
ち(6)」について、川崎寿彦はさらにこう紹介しているのだ。
ベン1家の詩人たちの平均的特徴はといえば、信仰においては英国国教会右派、政治的立場
は王党派寄り、教養は古典派、そして生きざまはおだやかな享楽主義であったといえるだろ
う。彼らが別名王党派拝情詩人(Cavalier7'lyrists)と呼ばれるのは、これらの資質を総
合したうえでのことである。
これは川崎寿彦の卓見である。ロバート・ヘリックという詩人の資質といい、傾向といい、趣向
などは上記の川崎寿彦の評語を見ると明らかである。しかし、もう1つ大事な側面がある。それ
は牧師としてのヘリックである。牧師として、ヘリックはイギリス南西部デヴンシャーの美しい
片田舎Dean Priorに着任したのは、 1629年であったという。当時、彼はたしか39歳のときで
あったかと恩うのであるが、その辺の事情を説明しているのが、ブルー・ガイド版の『イングラ
ンド』である。念のために、 『イングランド』のガイドブック(8)をひもといてみると、
From Dart Bridge the road goes on to (21 'Am.) Buckfastleigh (Hotel), a small
market town (2,700 inhab.), once famous for woollens. The late-Perp. church has
m
奥 田 喜八郎
14
good monuments. -At (23 Y2m.) Dean Prior Herrick (1591-1674) was rector in
1629-47 and again from 1662, and here he is buried (tablet and window in the
church). -The road passes (25m.) Syon Abbey, a Bridgettine nunnery since its
foundation by Henry V in 1414 (formerly at Isleworth), to reach (26 /2m.) South
Brent (r.) with a Norman church tower and font. BrentHill (1019 ft), 1 m. n., is a
good point of view and the romanic scenery of the Dean Burn Valley, 3 m. n., repays
a
visit,
For
the
upper
Avon
valley,
‥.
という説明が添えられているのである。
西部地方、中でもローマ時代から続くエクセクー(Exeter)を州都に持つデヴォンシャー
は、東部地方のケント(Kent)と並び称せられる美しい州である。その美は州の南北に広
がる寂参たる荒地の光景に負うところが大きいと言えよう。州南のダートムア
(Dartmoor)の野にはシャーロック・ホームズ物の『バスカーヴィル家の犬』 {TheHound
of the Baskervilles)にも登場する有名な刑務所があり、州北のエクスムア(Exmoor)は
リチャード・ブラックモア(Richard Blackmore)の小説『ローナ・ドゥ-ン』 (Lorna
Doone)の舞台になった荒野である。この2つの荒地に挟まれる地域は変化に富み地方色豊
かな土地で、コーンウォールの峻厳な風景と好対照をなしている0
これは舟川一彦訳の『イギリス風物誌(9)』の中にピーター・ミルワード氏が語っているデヴォン
シャーの土地柄の特色なのである。寂家とした荒地の光景といい、どこまでも続く荒野のなかに、
ポッンと陰のように建っている刑務所のある風景といい、また、この2つの荒地に挟まれた、変
化に富んだ地方色豊かな地域の1つ、 Dean Priorという村里に牧師ロバート・ヘリックは着任
するのである。重複するが、 Dean Priorに着任したのは1629年であるから、彼は当時39歳で
あった1629年から1647年まで、牧師として活躍していたというのであるから当時彼は56歳
になる。ヘリックはかれこれ17年間の布教生活を送っていたことになる。それから政変が起き
て、清教徒たちの時代(10)をむかえる。ヘリックはピューリタンたちに疎まれて、聖職者として
の職を失うこととなるのであるが、幸いにも王政回復をむかえることによって、彼は再び聖職者
としての職を得て、古巣Dean Priorに戻る。それは1662年のことであって、当時彼は71歳と
いう高齢者なのである。それから、亡くなる1674年まで牧師生活を送ったというのであるから、
すばらしい。高齢者となってもなお彼はかくしゃくと約12年もの間、牧師生活を送っていたと
いう。亡くなったのは1674年であるから、当時彼は83歳である。まさに彼は長命者である。そ
れはまさに高僧としての厳格な日々であったろう。また、反面、それはまさに詩人としての悠悠
自適ののどかな毎日であったのに相違ない。しかも彼は拝情詩人なのである。それも「アナクレ
オン詩風」好みの詩人である。
ロバート・ヘリックの拝情詩人としての特色は、彼の傑作Hesperidesという題そのものを解
明してみると一層明らかとなるだろう。念のために、 Dictiona叩ofPhrase&Fableをひもとい
てみると、
Three sisters who guarded the golden apples which Hera (Juno) received as a
marriage gift. They were assisted by the aragon Ladon. Many English poets call
the place where these golden apples grew the "garden of the Hespendes.
という。ヘスペリディースというのは『ギリシャ神話』の中に登場するヘラ(Hera)(idがゼウ
ス(Zeus)(12)と結婚したその日に、大地の女神からもらった「金のりんごの楽園」を明示する
詩人へリック作「粛みてかの人は神の国へ赴きぬ」
15
ことばなのである。この金のりんごの楽園を守ったのが4人の姉妹である。いわゆる、 Aegle(13)
と、 Arethusa(14)と、 Erytheia(15)、それに、 Hesperia(という4人の姉妹なのであるが、上記
の英文の引用文では、 3人の姉妹になっているのが気になる。それはそれとして、この4人の姉
妹が竜のLadon(17)の助けを得て、金のりんごの楽園を守ったのである。この金のりんごの楽園
のことを、 イギリスの詩人たち(18)は別に、 「ヘスペリディーズの楽園」 (the garden of
Hesperides)と名付けているのだ。
川崎寿彦が明示している「題そのものが古典文学にくりかえしうたわれている地上の楽園」と
いう「地上の楽園」というのは、つまり、この「金のりんごの楽園」を意味することに、注意し
ょう。そして、ここにフランスの英文学者ルダイ(豆mile Legouis, 1861-1937)(19)の-"He
belongs to the first through the Anacreontic flavour of his youthful poems ;"- という指
摘の一文を思い併わせてみると、ヘリックの拝情詩人の特質がより明らかとなるだろう。いわゆ
る、 "Anacreontic"というのがキー・ワードなのである。これは、 「アナクレオン(Anacreon)
の」とか、 「アナクレオン詩風の」といった意味を有する形容詞である。これはまた、別に、 「酒
と恋の」とか、 「陽気な」とか、 「恋愛的な」といった意味を有するのだ。つまり、アナクレオン
(Anacreon,(20) 570?-?485B.C.)という人物は、恋と酒を歌ったギリシャの拝情詩人であって、
この古代ギリシャの拝情詩人アナクレオンの作品をはやくから注目したのが、若き日の詩人ロ
バート・ヘリックなのである。川崎寿彦もまたいみじくも言い表わしているように、 「自然を愛
し、美しい乙女たちを愛し、その想いを絶妙な古典的詩風の拝情詩群に写した」という、いわば、
「絶妙な古典的詩風の拝情詩群」というのは、この古代ギリシャの行情詩人「アナクレオンの詩
風」そのものを明示していることにも、注目しよう。さらに、のちのイギリスの政変によって、
ピューリタンたちに大いに疎まれて、聖職者としての職を失ったのも、この酒と恋の拝情詩風が
災いしていることに、再度用心しておきたい。
拝情詩人ロバート・ヘリックが、牧師としての「生と死」観を踏まえて、 「人の死」をうたい
上げている-篇の短詩を以下に紹介しておこう.それを題して、 「粛みてかの人は神の国へ赴き
ぬ」 ("Upon His Departure Hence"):zdという。これは非常に軽ろやかな作品である.
Upon His Departure Hence
ThusI
Passeby,
And die:
AsOne,
Unknown,
Andgone:
Im made
Ashade,
Andlaid
Ith grave,
There have
MyCave.
Where tell
Idwell,
奥 田 喜八郎
16
Farewell.
ご覧の通り、これは珍しい詩形である。静かに口ずさんでみると、 「弱強調1歩律」 (Iambic
monometre)を用いている目新しい作品なのである。この「弱強調1歩律」というリズムは、
わずかに「折り返し句」 (refrain)としてイギリスの詩歌に使用される韻律であって、たとえば、
上記に紹介しておいたへリックの拝情詩「黄水仙にささぐ」 (注釈の(3)を参照)の中に、た
とえば、 -"Stay,Stay,"- とか、また、 -"Hasrun"- とか、また、 -"Wedie,"とか、さらに、 -"Away,"- といったふうに用いられるものなのである。アメリカの詩人ロ
ングフェロー(Henry Wadsworth Longfellow, 1807-82)-;22)もまた、この「折り返し句」を
作品中によく繰り返しているのであるが、あまりその例を見ない。それ故に、詩人へリックがこ
の短詩に試みている「弱強詞1歩律」の詩形はまさにIiterary curiosity(23)として、イギリスの
文学史に於いても非常に珍重されている小品なのである。
それでは、 「粛みてかの人は神の国へ赴きぬ」と題するこの-篇の短詩を精読してみることに
しよう。作品の一語一句に立ちとどまり、その意味をさぐり、わけ入り、じっくりと味読してみ
たい。これは、重複するが、 「弱強調1歩律」を用いて、 15行からなる短詩なのである。しかも、
一糸乱れることもなく、整然とうたわれているのは絶妙である。見事であるが、しかし、ところ
どころ詩人へリックの苦心の跡がうかがえる。たとえば、 10行目の"I'th'grave"である。これ
は正しくは、 "Inthegrave"とうたい上げるところ、それでは詩全体のリズムを壊すことになる
ので、 "Inthe"の「弱弱調」を思い切って、 "rth'"の「弱調」に短縮するのである。また、 7
行目の"I'mmade"は、正しくは、 "Iammade"とうたい示すところ、詩全体のリズムを思うと、
"Iam"の「弱弱詞」を"I'm"の「弱調」に短縮するのである。このような短縮はイギリスの詩
歌では決して珍しいことではない。それ以外に、この小品の脚韻にも詩人へリックの詩的な工夫
が施されているのだ。念のために、 -"I, by, die, One, -known, gone, made, shade, laid,
grave, have, Cave, tell, dwell, -well" と口ずさみ返してみると、特に、 4行目の"One"と、
5行目の"-known"と、それに6行目の"gone という脚韻は少し苦しい。というのは、それぞ
れの単語を発音記号で示してみると、 [wAn]、 [noun]、 [g〇n,g〇:n]といったふうにそれぞれ
の単語の母音が異なっているからである。
また、 10行目の"grave と、 11行目の"have"と、それに12行目の"Cave"という脚韻も問
題である。これらもまた発音記号で示してみると、 [greiv]、 [ha∋Ⅴ]、 [keiv]といったふうに
それぞれの単語の母音を見てみると、 1個所[haev]だけが異なっているからである。しかし、
"have"は、別に、 [hev]と発音することもあることを思い出してみると、それ程問題視するこ
とはない。つまり、脚韻というのは、 「同一の音」のほかに、 「類似の音」をも許容するからであ
る。 「類似の音」というのは、たとえば、 -"express/displace"- といったふうな脚韻(24)杏
意味する。念のために、発音記号で示してみると、いわゆる、 [ikspres]、 [displeis]といった
ふうに、母音が類似しているからである。同時にここは別に、以下に述べる「視覚韻」の効を奏
している脚韻なのである。
「脚韻」 (End rhyme)というのは、 「強勢ある母音以下全音が一致すること」が第1の条件で
ある。これを「完全脚韻」 (perfect rhyme)という。これに対して、上記のような類似の音の
ことを「不完全脚韻」 (imperfect rhyme)という。後者の「不完全脚韻」のルールを踏まえて
みると、 10行目、 11行目、 12行目の脚韻はこれで説明がつく。 11行目の"have"は[ha∋V]と
発音するのではなく、あくまでも[hev]と発音することが重要な条件なのである。このような、
詩人へリック作「粛みてかの人は神の国へ赴きぬ」
uri
微妙な音階はイギリス詩歌の特徴なのである。
問題なのは、 4行目、 5行目、 6行目の脚韻の見方である。少し厄介な説明になるのだが、筆
者はそれをこう見たい。重複するが、もう一度、 "One,'…-known" "gone と口ずさんでみると、
ここに詩人ヘリックは「視覚韻」 (Eye orVisual rhyme)を明示しているのかも知れない。こ
れもまた、 「類似の昔」と同様に、 「不完全脚韻」の中の1つなのである.これはまた、別に、
Spelling rhymeともいう。すなわち、読んで字のごとく、 spellingは同じであるというルール
なのである。これはまた、視覚的に脚韻の姿を見せているものであるが、しかし、発音はまった
く異なっている場合を意味する。たとえば、よく見掛けるものとして、 -"brood [bru:d]/
blood [bUd] とか、また、 -"Seven [s6vn]/even [i:vn] とか、さらに、 proved [pru:vd]/love [1avd] といったふうに調えるもの(25)である。しかし、上記です
でに述べたように、これはもちろん決してgood rhymeではない。この「視覚韻」のルールを
踏まえてみると、詩人へリックのうたい上げる4行目(One)、 5行目(-known)、そして6行
目(gone)という脚韻はこれで説明がつくかと思う。それぞれの単語の母音の発音はまったく
異なっているが、しかし、見た目にはそれぞれの単語の、 ①spellingが同じであるものと、 ②
ここにもまた類似の音が使用されているものであるというのが、筆者の見方なのであるO ①の
spellingが同じであるというのは、ご覧の通り、 4行目のOneと、 6行目のgoneの脚韻であ
るが、しかし、 5行目の-knownというのは、 6行目のgoneと母音がよく似た音の脚韻である
というのは筆者の意見である。前者の母音は二重母音である。後者の母音はそれに倣って、長母
音で口ずさむのが重要な条件なのである。
思うに詩人ロバート・ヘリックは「粛みてかの人は神の国へ赴きぬ」という小品を、 「弱強調
1歩律」を用いて厳粛に奏で上げているのである。時には、思い余って、 「類似の音」をうちな
らし、また、時には、想い余って、 「視覚韻」を綴るのである。普通は弔いの鐘というのは、悲
しく打ち鳴らすものであるが、しかし、詩人へリックのうち鳴らす弔いの鐘は軽ろやかで単調な
鐘楽に変えているのもまた、この小品の特徴なのである。
西洋の教会の鐘塔には5個から12個の調律した鐘が1組として吊り下げられている。それを
下から数本のロープを引いてうち鳴らすのである。もちろん、葬式のときに鳴らす鐘は陰うつに
して単調な鳴らし方をする。これを普通、 tollingという。また、結婚式などに打ち鳴らす鐘は
華やかで音楽的な鳴らし方をする。これをringingという(26)念のために、辞書(ISED)で調
べてみると、 I-も,. t. &i (of a bell) ring, or cause to ring, with slow, regular strokes.-
という説明が添えられている。 「ゆるやかに一定の間隔を置いて連続的に鳴らす」弔いの鐘の昔
である。入相の鐘の響きなのである。このように、長い間隔を置いてゆっくりと連続的に、しか
も、陰うつに悲しく、且つ単調にうち鳴らす鐘の音は、普通一般の葬式のときの鳴らし方である。
だがしかし、詩人へリックのこの小品の弔いの鐘の音は少し様子が違うようである。上記にすで
に論述しておいたように、脚韻の詩的工夫をもう一度注目し再度吟味しなおしてみると、この少
し様子の違う入相の鐘の音もまた明らかとなるだろう。 「類似の音」に託して、詩人へリックは
少し力みすぎたがために調子が少し狂ったことを明示しているのである。また「視覚韻」に託し
て、詩人へリックは亡き人を切に思う余り、悲歎にくれる余り思わず打つ手が少し狂ったことを
明示しているのだ。この狂った鐘の音がこの小品の特色である。なにはともあれ、弔鐘の音に合
わせて、詩人へリックは厳粛に、また神妙にこの小品をうたい上げているのである。一行一行
ゆっくりと長い間隔を置きながら口ずさむのが、この短詩を読むコツなのである。各行の、すな
奥 田 喜八郎
18
わち、 「弱強調」の強音節に合わせて、鐘のロープを引くのである。そして、ゆっくりと、長い
間隔を置く。また、ロープを引くに合わせて、次の強音節をゆっくりと口ずさむのだ。力みすぎ
た時の鐘の音に合わせて少し狂った調子で口ずさみ、また、うつ手が狂った時の鐘の音に合わせ
て感動的に口ずさみつつ、この-篇の短詩を読むべきだろう。しかも、それはあくまでも軽妙に、
である。
ご覧の通り、これは「弱強調1歩律」を用いて、しかも、それに「aaa/bbb/ccc/ddd/eee」
といった3行韻(trip rhyme)を5つ重ねた15行詩でもある。これに対して、深井龍雄氏は
『英詩を味わう-韻律美の構造』の中で、 「三歩格五行の詩をゆっくり読む場合に似たリズムだ
が--・」(27)と指摘し、それにつづけて、 「詩としての味わいは一歩格行の形でなければ出せない
」(28)と解説しているのである。深井氏の解説する「一歩格の形でなければ出せない」(29)というこ
の小品の読み方に同意するのであるが、しかし、深井氏は最終的に、 「次第に死の閉塞、狭い墓
穴の息苦しい感覚」(30)を表白している詩風であると説明しているのに、筆者は同意しがたい0
さらに、深井氏は「穏かに、流れるように別れを告げている」(31)とこの小品を読みおえている
のも、気になる。
それはそれとして、詩人ロバート・ヘリックは「粛みてかの人は神の国に赴きぬ」という長い
題名をっけて、先ずこう歌い出すのである。 -"Thus I/Passe by, /And die:"-と。この
3行の大意は、恐らくは、 「このようにして私もまた生きて、私もまた死ぬ」という意味であろ
うかと思う Thusという副詞は主として雅語(literary)として用いられる語である。雅語は
僅語・俗語の反対語である。別に、雅言ともいう。これは上品な言葉であり、正しくてよい言葉
である。わが国では特に、和歌などによく使われる平安時代の言葉を想起するとよいのかも知れ
ない。思うに詩人へリックは、この雅語に託して、 「生と死」に対する厳格な牧師へリックの真
面目な一面と、 「死者」に対するカトリック教的なとでも言おうか、ギリシャ風の優美さを表白
しているのかも知れない。第1人称単数主格Iはもちろん詩人へリックその人である。人は、だ
れでもがこのようにして生きて、そして、死んでゆく。詩人へリック自身もまた同じである。自
分もまたこのようにして生きて、そして、このようにして死んでゆくものである。決して例外で
はないのだとうたい上げながら、詩人へリックは「人間はけっきょくは死ぬものである」
("Man is mortal.")というmortalityとimmortalityとをくっきりと一線を引いているのであ
る.つまり、元来はギリシャ・ローマ神話の中の「不老不死の神」に対する「人間の生と死」を
明示するのが、この小品の歌い初めなのである。 "Passe by"というPasseは古語である。現代
ではpassを用いる。それに、 byという副詞が付いて、 「ずんずん過ぎ去る」時間なり、生涯な
り、人生なりをはかなくうたい示す熟語なのである、と是非読みとりたい。いわゆる、辞書
(OED)の中に明記されている、 -"to go or proceed past; to move on without stopping;
to flow past"-といった意味を有するpasse byであると是非とも精読したい。
それとも、 passe byのbyは前置詞であって、 「-のそばを通り過ぎる」という意味の熟語な
のであろうか。一生に-回しか会う機会がないような、ふしぎな縁のことを「一期一会」という
のであるが、なにかそんな縁のことを明示しているとでも言うのであろうか。このような「一期
一会」観も、面白いのであるが、しかし、ここは矢張り副詞byの付いたpasse byであると恩
う。ここは矢張り、 「一期一会」観もまた捨てがたいのであるが、しかし、 「光陰矢の如し」と
いった人生観を示していると読みとりたいものである。月日のたっのはなんと速いものかと実感
をこめて詩人へリックは自分の生涯をかえりみて、切実に"Passe by"とうたい上げているので
詩人ヘリック作「粛みてかの人は神の国へ赴きぬ」
19
ある。また、同時に詩人ヘリックは「人生朝露の如し」といった「はかなさ」をも切切とうたい
伝えているのだと恩う。この「人生のはかなさ」を、上記にすでに紹介しておいた-篇の詩「黄
水仙にささぐ」を味読してみると一層明らかとなるだろう。この「はかなさ」観がのちの、ロマ
ン派の詩人たちに受け継がれていくのである。
ここにイギリスの年代記作者ダラーフトン(Richard Grafton,?-?1572)の一文(32)、すなわ
ち、 -"The Englishmen passed by without anye approchying."-を思い起こしてみる
と、詩人ヘリックのうたい上げる"Passe by"というbyは副詞であって、この熟語に託して、
グラーフトンの言う「イギリス人の特質」を明示していると精読する方がより面白いと思うから
である。
この3行を、吉竹迫夫は「かくてわれ/すぎゆきて/死ぬるかな」(33)と訳しておられるのだ。
深井龍雄氏の訳を見ると、 「かくのごと/われ時過ごし/死にゆく」(34)とうたわれているのだ。
両者のリズムを見くらべてみると、書竹訳は五五五の三句15音から成る。深井訳は五七四の三
句16音から成立している。筆者もまた吉竹訳にならって、 - 「かくのごと/われは生き/わ
れは死ぬ」 -というふうに五五五の三句15音でまとめてみたい。
そして、詩人ロバート・-リックは次の3行をこううたい上げるのである。 -"As One, /
Unknown, /And gone:"-と。この3行の大意は、恐らくは、 「人もまた、名も知られずま
まに、死ぬ」という意味であろうかと思う。曲者は、 Oneという代名詞の読み方である。ここ
にうたわれている代名詞Oneの0が大文字になっていることに、先ず注意されたい。深井訳を
見ると、 「名も知れず/去りし/者として」(35)というふうにうたわれ、また、吾竹訳では、 「ひ
そけくも/立ち去りし/ひとのごと」(36)というふうにうたわれているのである。この大文字の
Oneを、深井氏は「者」と訳し、そして吉竹訳では「ひと」となっているのはゆかいである。
という訳は、深井氏の場合、大文字のOneを「者」と訳すことによって、深井氏はその「者」
に託して、詩人-リック自身を暗示しているように思われるからである。それに対して、吉竹訳
では「ひと」になっていることによって、吉竹訳はその「ひと」に託して、詩人へリック以外の
人を、つまり、他人を明示していると思われるからである。もちろん「者」という語には「人」
という意味のあることもすでに承知しているつもりである。
「者」という語は、角川版『漢和中辞典』をみると、もと、葛とか、また、芯というのが古い
字形であったらしい。現在の字形がタになっているだけで、本来老とはなんら関係がないという。
clは箕(み)の形にかたどったものである。 ¥ (しょう)が音を表わし、木の燃えているという
意味で、焼からきているという。燃やす木を箕の中に儲(たく)わえるという意味であるようだ。
のちに借用して、ものの意味に専用しているという。それ故に者というのは人物・事・所などを
さしていうらしい。 「人」という語は、 hが古い形であるO これは立っている人を横からながめ
た形なのである。それ故に人というのは人間、また、自分以外の人、他人をさしていう語なので
ある。面白い。
「ひと」の同訓には、人・仁・者がある。人は、意味が広くて、知人、仁人といえば、その徳
のあるひとの意味である。また、仁は、仁徳のあるひとをいう。者は、 --する人、また、職業
を表わす接尾辞として、たとえば、 「医者」というふうに用いられる。
詩人ロバート・ヘリックがうたいあげるOneというのは、文語である。 「人」という意味で、
無冠詞で用いる。あとに形容詞、あるいは、形容詞句を伴う時に用いられる名詞である。たとえ
ば、 -He worked likeone mad. (「彼は狂気のように働いた」) -というふうに使用される
奥 田 喜八郎
20
oneなのではあるまいか。という訳は、次の行に、 "Unknown"という形容詞が用いられている
かのようにうたわれているからである。これは「(一に)知られていない(to)」という形容詞で
あるからだ。ここに言うOneは矢張り、どう精読してみても、自分以外のひとでなければなら
ないと患う。そして、 Oneの0が大文字になっているのは、 「絶対的存在」であることを表白し
ているものと恩われる。たとえば、 Oneaboveというと、それはtheHolyOne 「神」という意
味を有することを思い出そう。 「神」という、超人間的存在を意味するOneは当然、三人称単数
で受けることをもまた思い起こそう。大文字のHeで、それは「神」 ("God")をさすことがこれ
でうなずかれるだろう。
Goneという語は、 「去った」 「なくなった」 「死んだ」という意味を有する形容詞である。た
とえば、 -He is gone. (「彼は行ってしまった」) -とか、また、 -He is dead and
gone. (「彼は死んでしまった」) -といったふうに用いられる形容詞なのである。このbe
goneという形は、完了形havegoneの1種であることも承知しているつもりである。ここに言
うAsという語は当然ながら接続詞である。 「-のように」とか、 「-のとおりに」という意味を
有する接続詞である。これは「様態」をさす接続詞なのであるが、これを思い切って、筆者は、
- 「あるひとも/ひと知れず/死に果てぬ」 -と日本語にうつしかえてみたいのだが--o
なにはともあれ、詩人へリックはこの3行に於いても、 「人間はけっきょくは死ぬものである」
ということを強調しているのだと思う。しかも、そんなに深刻ぶることもなく、人間の死ぬべき
運命を当然のこととして、淡淡と明るく、軽ろやかに人間の免れえない死をうたい上げているの
は、見事である。これが詩人へリックの、ヘリックらしい、ヘリックならではの詩風である。彼
の詩の特色なのである。生と死をすでに超越しようとする牧師へリックであることを思い併わせ
てみると、これは当然の明るさであり、また当然の軽ろやかさであろうかと思う。もちろん、死
者に対する牧師へリックの敬度の念は、大文字のOneを見ると明らかであろう。自分以外の他
人の死もまた絶対的存在であることを明示しているのは印象深い限りである。絶対的存在として
の他人の死と同様に、自分自身の死もまた絶対的存在として荘厳にうたい上げているのも牧師へ
リックの、ヘリックらしい、ヘリックならではの宗教観に基づいた軽妙な歌い振りである。なに
よりも、詩人へリックのこの「軽妙さ」がこの小品の特長なのである。この「軽妙さ」をさして、
ミルワ-ド(Peter Milward, 1925- )氏はA Historical Survey of English Literatureの中で、
-"Herrick, who was an Anglican clergyman.(37)〟-とはっきり明記しながら、それにつ
づけて、 -"He even shows a semi-pagan attitude to human love and rustic beauty,
which stands in contrast with the severe Puritanism of John Milton.(38)" と指摘してお
られるのかも知れない。
また、 「殊にチャールズ一世の御代(39)においては、僧として遠くデグォンの片田舎にながされ、
その野花と若き女を礼讃」(40)してやまなかった詩人へリックを思い併わせてみると、この小品
の中にも漂っている「軽ろやかさ」もまた納得できようかと恩う。それ故に筆者は、上記に紹介
しておいた深井氏の指摘する、いわゆる、 「次第に死の閉塞」云々に対し異議を唱えたのである。
また、深井氏の「狭い墓穴の息苦しい感覚」云々に対しても同意しがたい旨を示したのである。
それでは、次の4行を精読してみることにしよう。詩人ロバート・ヘリックはこううたい定め
るのである。 -"I'm made/A shade, /And laid/I'th'grave,"- と。この4行の大意は、恐
らくは、 「私は亡霊となって、奥っ城の中に横たえる」という意味であろうかと思う。ここに言
う"ashade"というのは、念のために、辞書(ISED)をひもといてみると、数えられる名詞と
詩人へリック作「粛みてかの人は神の国へ赴きぬ」
21
して、 -aghostorspirit- と説明されている。これは普通名詞である。 「死後の霊」とか、
「幽霊」とか、また「亡霊」という意味なのである。この4行の前半の2行は当然、 -``I'm
made a shade" という一文なのである。ここに言う"I'm"は"Iam"の短縮である made
は、 make, made, madeの3つ目の過去分詞である。ここに言うmakeという動詞は、 「一にす
る」という意味を有する他動詞である。名詞を補足語として使用される他動詞である。たとえば、
-It is a pity that fellow was not made a soldier. (「あの男を軍人にしなかったのは遺憾
だ」) -とか、また、 -He was made Chamber-lain to the King. (〔彼は王の侍従に任命
された」) -といったふうに用いられるmakeなのである。例文の示すように、ここは「私は
死後の霊になる」とうたい上げられているのだと思う。また、後半の2行は、 -"And I'm
laid in thegrave," という一文であるIaidという語は、 lay,laid,laidと変化する3つ目の
過去分詞なのである。 「横たえる」という意味を有する他動詞なのである。ここに言うlayは
「ある場所に置く」という意味で用いられている動詞である。たとえば、 -The scene of the
table is laid in London. (「この物語の場面はロンドンになっている」) -といったふうに使
用される動詞なのである。ここに言う"I'th'grave"というのは、 "Inthegrave"の短縮である。
つまり、死後の霊の私は「奥っ城の中に横たえる」と高らかにうたい上げているのである。
はかに、たとえば、人や動物などが横たわることを、 lieという動詞を用いる。これは、 lie,
lay, lainと変化する不規則動詞である。上記の、 lay, laid, laid,と変化する不規則動詞とよく混
同しがちなので、気をっけよう。それはそれとして、深井氏はこの4行を、 「われ/幽鬼となり
/墓の下に/横たえらる」(41)と訳し、また、吉竹訳を見ると、 「われはもよ/かげとなり/はか
ぬちに/よこたわり」(42)とうたうのである。深井訳の「幽鬼」というのは、もちろん、死者の
魂のことである。これは別に、 「幽魂」という。それにしても"ashade"を「幽鬼」というのは
その字づらから見ても、あまりにもいかめしすぎる。恐ろしい限りである。だからと言って、吉
竹訳の示す「かげ」というのはどうも物足りない。もちろん「影向」ということばのあることも
十分に承知しているつもりである。これは仏教の世界で、仏がその身をこの世に現わす、という
意味を有することもすでに承知している。しかし、仏がその身をこの世に現わすという意味の
「影向」ということばは、詩人へリックの明示する詩境とまるで逆のアイディアを示している。
このような逆を暗示する書竹訳の「かげ」であることを思うに、影向も捨てがたいのであるが、
しかし、どうも気になる。その辺の事情を踏まえて、筆者は思い切って、この4行を、 「死んだ
のち/れいになり/おくつきに/よこたえぬ」と日本語にうつしてみたい。
それでは、最後の5行を一気に味読してみることにしたい。詩人ロバート・ヘリックはこうう
たいおさめるのである。 -"There have/My Cave. /Where tell/I dwell, /Farewell."- と。
ここに言うThereというのは、その前の"inthegrave"を指す副詞なのである。それでは一体、
お墓の中で、どうしたのかというと、詩人へリックは、 "IhavemyCave."と声高らかにうたう
のである。ここはとても大事な世界である。大文字で、 Caveがうたわれていることに大いに注
目して欲しい。という訳は、詩人へリックはこの大文字Caveに託して、 「この世とあの世」の
世界をくっきりと区別しているからである。英国国教会の聖職者へリックが「死者の霊魂の在り
方」を克明に描写しているからである。また、 「死者の霊魂はどのように救済」され、また「ど
のように昇天」してゆくものであるかをうたい上げているからである。 grave<43)とcave(44)と
の関係は非常に重大である。
Caveという語は「はら穴」、特に「横穴」を意味する名詞である。 「洞穴」といい返えてもよ
奥 田 喜八郎
ll
い。たとえば、 "the cave period"というと、それは「穴居時代」を意味する。また、 "cavedweller"というと、これは「穴居人」という意味であり、特に有史以前の原始人たちをイメー
ジする。通例、 caveというのは上方に口のある穴を明示する名詞であることに注意しておきた
い。
なにはともあれ、先ず順序を踏んで、彼らの"grave と"cave のイメージについて説明しよ
う。最初に思い出すのは、 「墓(grave)」にまつわる彼らの諺である。つまり、 -"We shall
lie all alike in our grave.(45)" という諺である。これは「貴膳や貧富の差をなくすところ」
は「お墓」であるという。いわゆる、ご存じの、 「お墓の中では皆同じ」という諺なのであるが、
この諺を踏まえて、詩人へリックはこの小品を厳粛に且つ淡淡とうたい上げているのである。こ
れはこの小品の前半をじっくり精読してみると明らかであろう。もちろん詩人へリックは先輩詩
人シェークスピア(William Shakespeare, 1564-1616)作『リチャード二世』 (KingRichard
Ⅱ)の中のリチャード王のせりふを下敷にしての小品である。第三幕第三場(46)の中で、リ
チャード王が、
My subjects, for a pair of carved saints ;
And my large Kingdom for a little grave,
A little little grave, an obscure grave : Or 111 be buried in the king's highway,
と語っている部分である。これは「世俗の栄光の終わり」を明示するせりふである。特に、 「こ
の大きな王国を小さいお墓にかえよ。それも小さい、小さいお墓に、しかもそれは名も知れぬお
墓に」というせりふは非常に意味深い限りである。という訳は、この「世俗の栄光の終わり」を
踏まえて、お墓は「愛の終わり」をイメージするものへと転換してゆくからである。たとえば、
イギリスの詩人マ-ベル(Andrew Marvell, 1621-78)作『はにかみがちの恋人へ』 ("To His
Coy Mistress")0.47)の中の、 -"the Grave's a fine and private place, /But none I think do
there embrace."-という詩行はその代表であろうかと患うo これは「墓というのはご立派な
静かな場所ですが、しかしそこで抱き合う人はまずありますまい」というように「愛の終わり」
も明示する。そして、この「愛の終わり」を踏まえて、次に墓は「肉体」をイメージするように
なるのだ。たとえば、エリザベス朝時代に人々がよく口にしていたというのに、 -What is
thy body but a swallowing grave.(48)-という常套語が今に言い継がれているようである.
これはもちろん、ご存知の、あのシェークスピア作『ヴィーナスとアド-ニス』 (Vinus and
Adonis)の中のせりふである(49)これは少し性的な表現であるが、つまり、 「あなたの体は人を
呑み尽す墓場でないというのなら、一体何だというのかね」というふうに「肉体」をイメージし
ているというのも、意味深い。
詩人ロバート・ヘリックのうたい上げる「墓」は、 graveである。墓は墓でも、 tomb(50>では
ない。 tombはtombの、彼らのイメージがあるようだ。当然、死体を容れるすべてのものと同
じく、女性、母性を表すものとして、 graveと同じである。だがしかし、 graveとtombの大き
なイメージの相違は、 「墓(tomb)」は「子宮(womb)」と関連していることである。 tombは
「魂が宿る肉体」と、 「肉欲」(51)をイメージするというのも、子宮との関連によるものであろう。
次に、 caveについて説明しよう。はら穴は、結論から述べると、 「魂の墓場」なのである。そ
れはあくまでも、 「復活する場所」(52)をイメージするものである。たとえば、 『旧約聖書』の
「創世記」 ("Genesis")の中で、アブラ-ムがマクベラに死んだ妻サラを埋葬するために、はら
詩人ヘリック作「粛みてかの人は神の国へ赴きぬ」
23
穴を求めている神のことばを味読すると明らかであろう。
4. I am a stranger and sojourner with you : give me a possession of a burying-place
with you, that I may bury my dead out of my sight.
5. And the children of Heth answered Abraham, saying unto him,
6. Hear us, my lord: Thou αγ古 a mighty pnnce among us: in the choice of our
sepulchres bury thy dead; none of us shall withhold from thee his sepulchre, but
that thou mayest bury thy dead.
7. And Abraham stood up, and bowed himself to the people of the land, even to the
children of Heth.
And he communed with them, saying, If it be your mind that I should bury my
dead out of my sight, hear me, and entreat for me to Eqhron the son of Zohar,
9. That he may give me the cave ofMachpelah, which he hath, which is in the end
of his field; for as much money as it is worth he shall give it me for a possession of
a burying-place amongst you.
これは第23章第4節から第9節までの神のことばである。さらに、第49章第29節以降にも
cave が明記されているのだ。
29. And he charged them, and said unto them, I am to be gathered unto my people:
bury me with my fathers in the cave that is in the field of Ephron the Hittite,
30. In the cave that is in the field of Machpelah, which is before Mamre, in the land
of Canaan, which Abraham bought with the field of Ephron the Hittite for a
possession of a burying-place.
31. There they buried Abraham and Sarah his wife; there they buried Isaac and
Rebekah his wife; and there I buried Leah.
32. The purchase of the field and of the cave that is therein was from the children
ofHeth.
上記の神のことばの示す通り、 「はら穴」は、そこにアブラ-ムと妻サラとが葬られ、また、イ
サクと妻リベカもそこに葬られた場所なのである。さらに、レアも葬られているのである。
「サムエル記上」 ("I. Samuel")の第22章第1節をみると、 -David therefore departed
thence and escaped to the cave Adullam: and when his brethren and all his fathers
house heardit, they wentdownthithertohim.- というふうに、ダビデがアドラムのはら
穴へのがれたことを明記しているのだ。さらに、第24章第3節に、 -And he came to the
sheep-cotes by the way, where was a cave; and Saul went in to cover his feet: and David
and his men remained in the sides of the cave.- というふうに、サウルがはら穴の中に
入った時、ダビデとその従者たちはすでにほら穴の奥にいた、と明記されているのである。これ
は非常に意味深い神のことばである。
「列王妃上」 ("I. King")の中にも、はら穴に関する神のことばが明記されているのだ。たと
えば、第18章第4節を見ると、 -For it was so, when Jezebel cut off the prophets of the
Lord, that Obadiah took an hundred prophets, and hid them by fifty in a cave, and fed
them with bread and water.- というふうに、オバデヤは百人の予言者たちを救い出して、
50人づっほら穴に隠して、パンと水をもって彼らを養った、と明記されているのだ。以上が
奥 田 喜八郎
21
『旧約聖書』の中に明記されている「はら穴」に関する神のことばである。
『新約聖書』の中にも「はら穴」に関する神のことばが明記されているのだ。たとえば、 「ヨネによる福音書」の第11章第38節以降を精読してみると、
38. Jesus therefore, again groaning in himself, cometh to the grave. It was a cave,
and a stone lay upon it.
39. Jesus said, Take ye away the stone. Martha, the sister of him that was dead,
saith unto him, Lord, by this time he stinketh : for he hath been dead four days.
40. Jesus saith unto her, Said I not unto thee, that, if thou wouldest believe, thou
shouldest see the glory of God?
41. Then they took away the stone from the place where the dead was laid. And
Jesus lifted up his eyes, and said, Father, I thank thee that thou hast heard me.
ここに「墓」と「はら穴」が明記されているのは意味深い。イエスはお墓の中に入られた。そこ
にはら穴があって、石がはめてあった。イエスは「石をとりのけなさい」といわれた。死んだラ
ザロの姉妹マルタが「主よ、もう臭くなっております。 4日もたっていますから」という。イエ
スはそんな彼女に、 「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」
と。人々ははら穴の石を取りのける。すると、イエスは目を天にむけて、 「父よ、わたしの願い
をお聞き下さったことを感謝します」といわれるのである。もちろん、死人は手足を布でまかれ、
顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた、と、更に、次の第44節にも記されていることなどを
思うと、 「はら穴」は「復活」のイメージを明示しているようである。この第44節の神のことば
というのは、すなわち、 -And he that was dead came forth, bound hand and foot with
grave-clothes; and his face was bound about with a napkin. Jesus saith unto them,
Loose him, and let him g0.-という。ここにいう"grave-clothes"という表現は面白く、意
味深い限りである。
最後に、ミトラ教(63) "Mithraism")の「はら穴」観について語っておこう。このミトラ教は、
のちのイギリスのカトリック教の殉教者モア(SirThomasMore,1478-1535)に大きな影響を
与え、文学史上最大の力作『ユートピア』 {Utopia)の理想郷と大いに関係があるからである。
なにはともあれ、太古の埋葬の場所としての墓は冥界-デス(Hades)を表す。埋葬されている
祖先を崇拝することから、 「はら穴」は冥界への入口となる。キリストは埋葬されたのち、 「古聖
所への下り」を行ったという。また、はら穴は原始的な礼拝の場所となり、ミトラ教では礼拝の
中心としてほら穴のはたす意義は大きいという。それ故に、礼拝所はほら穴を模して建てられ、
そこは復活の場所としての冥界という観念と結びつけられて、闇でおおわれているというのであ
る.それ故に、はら穴は「冥界」をイメージするという。たとえば、アーサー王はアバロン島の
はら穴を安息所としたことや、また、上記のアプラ-ムはマクベラのはら穴に死んだ妻サラを埋
葬したことなどを思い併わせてみると、 「冥界」のイメージもまたうなずけるだろう。また、 2
重のはら穴は、太陽信仰における「卵字化と復活の儀式」の場所であると明記されているのは、あ
の「イザヤ書」 ("Isaiah")の中に、である。日く、 -Which remain among the graves,
and lodge in the monuments; which eat swine's flesh, and broth of abominable things is
intheirvessels:-というふうにである。これは奇怪な感じを与えるかも知れない。
思うに、 「ほら穴」は「冥界」のイメージを明示しているという説は、もと、エジプトの「ほ
ら穴」 - 「冥界」説から起因しているのかも知れない。とくにエジプトでは、ほら穴は冥界とみ
詩人ヘリック作「粛みてかの人は神の国へ赴きぬ」
25
なされていた。たとえば、人は、沈む太陽と同様視していて、西の門から入り、東の門から出る
という。しかし、ほら穴の様子は全くわからないとされていることから「はら穴」 - 「冥界」説
が語り継がれてきたのかも知れない。
以上のようなgraveとcaveのイメージを踏まえてみると、詩人ロバート・ヘリックのうたい
上げる短詩「粛みてかの人は神の国に赴きぬ」の「死後の世界」もまた明らかとなるだろう。大
文字で、 Caveが声高らかにうたわれていることも、これで明白であろう。それにしても、詩人
へリックはあえて、 "MyCave"とうたい示しているのである。 「私のほら穴」という「私の」と
いう所有格は、無論、第1人称単数主格"I"の所有格である。それは詩人へリックその人を指す。
この"my"という所有格に託して、死者それぞれ自身のはら穴説をとなえていて、各人の信仰心
によっておのおののほら穴を所有していることを示しているのだと思う。
同時に、 「私の」というこの所有格は別に、呼びかけの語として読むのも楽しい。ほら穴に添
えて親しみを表白している詩行"My Cave"であると見るのもゆかいである。たとえば、 My Lord (「わが神よ」) -といったふうに使用されている所有格であると精読してみるのも、
心楽しい。それはあくまでも、聖職者へリックの信仰心の篤さを伝えていることは申すまでもな
いことである。思うに、詩人へリックのうたい上げる「はら穴」は申すまでもなく、 「神の国に
通じているはら穴」なのである。これはあくまでも、上記の「ヨ-ネによる福音書」の「はら
穴」 - 「復活の場所」という神のことばを下敷にしながら、詩人へリックはヘリック的に、ヘ
リックらしく、ヘリック独自の、 「死者の霊が昇天する」構図をうたい示しているのである。つ
まり、詩人へリックの「あの世」というのは、この「はら穴」の入口を境としているのだと思う。
そして、詩人へリックはその「はら穴」の住民となって初めて、この世の人たちと別れを告げる
のである。念のために、もう一度、この小品の最後の3行を口ずさんでみようか。 -"Where
tell/I dwell, /Farewell." それにしても、これは何という軽ろやかな歌い振りであろうか。
ここに言うwhereというのはもちろん、前の"My Cave"を指す。そこは無論、詩人へリッ
ク自身の「魂の安息所」である。また「復活の場所」でもある。 「神の国に通じる」はら穴でも
ある tellという動詞は「語る」 「告げる」という意味を有する他動詞である。 tell good-byと
いうと、それはアメリカでは別れのあいさつをする、という。イギリスでは、 tellのかわりに、
bidを用いて、 bidgood-byeという。このbidという動詞は、 「祈る」 「希う」などの意味から、
たとえば、 bid welcomeとか、またbidfarewellとか、さらにbid morningなどといったふう
に使用される動詞なのである。 「歓迎の挨拶を述べる」とか、 「告別の挨拶を述べる」とか、 「朝
の挨拶を述べる」といったふうに、この動詞は文語なのである。これは文章だけに用いる特別な
言語である。わが国では平安時代の文法を基礎として発達した、いわゆる、和文・和漢混清文と
か、漢文書き下し文とか、候文などを思い併わせてみるとよいのかも知れない。このような文語
の動詞bidを用いないで、詩人へリックはあえて、ありふれた動詞tellを使用しているのも、
ヘリックらしい、ヘリック好みの、あの「軽妙さ」を明示せんがための詩的工夫なのである。こ
の詩人へリックの、この詩的工夫が、また、この作品全体のリズムにぴったりと調和し融合し、
統一するようにととのえられているのも見事である。この3行の脚韻はご覧の通り、完壁である。
これもまた、詩人へリックならではの、ヘリックらしい詩的配慮によるものであると言いたい。
この最後の5行を、深井氏は「そこにおのが/洞兄いだし/告げてよ、そこに/われ棲むなり
と/さらばよ」(54)と訳し、吾竹訳を見ると、 「はらあなを/わがものに/そこをLも/すみかと
す/いざさらば」(55)とうたわれているのである。ところで、深井訳の「洞兄いだし」というの
26
奥 田 喜八郎
をどう読めばよいのであろうか。 「ほらみいだし」と口ずさむべきか、それとも、 「どうみいだ
し」とでも読めばよいのか。それにしてもリズムの取り方は気になる。六六七七四の五句30音
であるのに対して、吉竹訳では、五五五五五の五句25音になっているのは見事である。筆者も
吉竹訳のそれにならって、 「てんごくに/つうじたる/はらあなに/棲みていう/いざさらば」
と日本語にうっしかえしたい。
ここに言うdwellという語(56)は、 「(一に)住む(at,in)」という意味を有する自動詞である。
これは文語的な語である。日常語は、 Iiveという動詞を用いる。 「すむ」の同訓は(57)、住・栖・
棲の3語である。住という語はもと、主が音を表わし、とどまる(駐)という意味を有する語原
からきているという。栖という語はもと、西が音を表わし、その上に来て留まるという意味を有
する語原(止または至)からきているという。とまり木の意味である。ひいて、烏のねぐら、さ
らに、すみかの意味となった語である。接という語はもと、妻(さい)が音を表わし、とるとい
う意味を有する語原(執)からきているという。鳥がとまるのにつかむ木、とまり木の意味から、
ひいて、すみかという意味となった語なのである。 3語をくらべてみると、住は居処を定めてと
どまりいるのに対して、楢と棲は鳥類のねぐらという意味で、転じて、そこにとどまりやどる、
という。このように3者の語感を調べてみると、詩人-リックのうたい上げるdwellという文
語的な語感を示すためにも、どちらが通訳なのか。棲棲というと、心が落ち着かないさまをイ
メージするのも気がかりだし、棲隠というと、かくれ住む、世の中からかくれて住むというイ
メージもまた捨てがたい。栖楢というと、忙しいさまをイメ-ジするのも気になる。住人という
と、その土地に住む人であり、住所というと、生活の本拠として定住する場所であるのもまた実
生活の匂いがして、いただけない。どうしたものかと思案の余り、もう一度、この小品をはじめ
から心して口ずさみ返してみた。すると、詩人へリックの別の詩的配慮に気がついた。それは、
詩人へリックがこの短詩の前半の"I''と、後半の"I"の相違を鮮明にうたい上げていることであ
る。つまり、私は私でも、前半に登場する"I"は、たとえば、 "ThusI"の"I"とか、また、 "rm
made"の"I"などは、重複するが、肉体を所有する「私」 -詩人へリックその人をイメージす
る主格なのである。それに対して、後半にうたわれている"I"は、たとえば、 "I dwell"の"I"
は、霊魂そのものを所有する「私」 -詩人-リックその人を明示している主格である。前者の
"I''はこの世にすむ「私」である。それに対して、後者の"I"はあの世にすむ「私」なのである。
思うに、 「あの世」と「この世」との区別がこんな所でこんな形で清明にうたわれているのであ
る。詩人の詩的配慮は絶妙である。しかも、どことなく淡淡とした明るさといい、軽ろやかさな
どは嫌味もなく、すばらしい限りである。物事にこだわらない、さっぱりとした転妙さはなによ
りもこの詩人へリックの得意とする詩境なのである。
Farewellという語は、 good-byeとか、 adieuという意味である。 「さらば!」という間投詞で
ある。しかし、 「さらば!」は「さらば!」でも、詩人へリックはあえてgood-byeを用いないで、
farewellという間投詞を使用しているのである。これはgood-byeよりも堅い言い方なのである。
adieuという語はフランス語である。アングロ・サクソン人たちにとってこのフランス語は当時、
文化の香りの高い優雅なことばであったのかも知れない。都会的な酒落た間投詞であっただろう
か。念のために、 adieuという語はもとラテン語のad+dieuから発達したものである。 ``(I
recommend you) toGod,"という原義を有するという。 good-byeという語はご存知のように、
"God be with ye"の一文を短縮したものである。 good-byeは別にgood-byともつづる。
farewellという語はfare+wellの2語から成るもので、もと、 「fare旅行せよ+well元気に」
詩人へリック作「粛みてかの人は神の国へ赴きぬ」
LIT
という原義を有するという。それはそれとして、詩人へリックはここに堅い言い方のfarewell
を用いて、この世の人たちと別れを告げているのである。とくに詩人-リックはこのfarewell
という間投詞に託して、 2度と再会することのない「永劫の別れ」を明示しているのだと思う。
今日では、 farewellはgood-byeよりも上品な間投詞であるからだ。つまり、詩人へリックは雅
語のfarewellを使って、この小品をうたい収めているのである。思うに詩人へリックはこの雅
語farewellに託して、聖職者ヘリックの厳粛な念(おもい)を懐いて「永遠の別れ」を告げて
いるのだ。しかも、詩人へリックはどこまでも「軽軽」な筆致で、この小品をうたい収めている
のである。これはイギリス文学史上、決して類を見ない、詩人へリック独自の「軽忽」な筆致な
のである。この「軽妙」な筆致が、なによりも詩人ロバート・ヘリックの独壇場であると、強調
したい。
以上、この-篇の小品を精読し味読しおえてみると、この小品の題目、すなわち、 "UponHis
Departure Hence" (「粛みてかの人は神の国に赴きぬ」)の意味もまたうなずかれるだろう。深
井氏はこれを「かの人の死出の旅に臨みて」と訳しておられる。詩人へリックのいう"Hence"
というのは、 「ここから」という意味を有する副詞である。これは、場所を示す副詞で、 from
hereという意味である。 hereというのはすでに上記に論述しておいたように、 "My Cave"を
指す。神の国に通じている「はら穴」である。これは決してgrave (慕)でないことに注意して
いただきたい。努努勘違いのないように。また、 "Upon"という前置詞はonと同意義に用いら
れる。多くの場合、おたがいに置き換えられることもある程である。どちらかというと、 onの
方は口語的である。また、 uponの方はどちらかというと語調が強い語である。しかし、いずれ
を用いるかは慣用上すでに決まっている成句がある。たとえば、 "upon myword"とか、 "Once
uponatime"とか、さらに、 "on thewhole"といったふうにである。だがしかし、 uponは元
来、 -たとえ古くからすでにその意義を失っているとしても、 -いちじ、 「高位」の意義を
有していた前置詞であったことを恩い出してみると、詩人へリックはあえてuponという前置詞
を用いて、そして、このuponという前置詞に託して、死者の魂が神の国に赴くその時の、云う
にいわれぬ静粛にして粛清な様子を高らかに明示しているものと思われるのであるが、これはい
かがなものか。重複するが、 onは口語であり、 uponは文語なのである。面白い限りだ。
この小品を評して、深井氏が、 「なんとも美しくまとめた、神技に近い絶品である」(58)という
卓見には敬服する。だがしかし、詩人へリック特有の「軽妙」な筆致に一言もふれていないのは
残念である。
最後にもう一度、心してこの小品を口ずさんでみることにしよう。
Upon His Departure Hence
「粛みてかの人は神の国に赴きぬ」
Thus I
かくのごと
Passe by,
われは生き
And die:
われは死ぬ
あるひとも
As One,
Unknown,
ひと知れず
And gone:
死に果てぬ
Im made
死んだのち
A shade,
れいになり
おくつきに
And laid
奥 田 喜八郎
28
Ith grave,
よこたえぬ
There have
てんごくに
My Cave.
つうじたる
Where tell
はらあなに
I dwell,
棲みていう
Fare we l l.
いざさらば
心して静かに原詩を口ずさんでみると、これは自然とうたいたくなる、まことに調子の軽ろやか
な小品である。まるでsong調(59)である。俗謡なのか。思うにこの小品の示すように、詩人ロ
バート・ヘリックの小拝情詩群は、その昔律法においても読者を魅了してしまうのだ。また、そ
の声調においても完壁である。なによりも、純粋にして且っ簡素で、美しく、そして歌謡風(60)
の小品であるのが絶妙である。
人間はかならず死ぬ.牧師ロバート・ヘリック自身もまたその例に洩れず、いつか死ぬ運命で
あることを自覚し、その自分の死の在り方をこんな詩型で、またこんなリズムで、しかも、そん
なに深刻振ることなく軽軽と表白しているのは見事である。それはまるで乙女たちに、花に、恋
に戯れているかのようである。
拙文の作成にあたって次の事典・辞書を参考にした。それぞれ付記しなかったものもあるので、お断りし
ておきたい。
* The American Heritage Dictionary of the English Language. 3 rd edition, executive ed. Anne H.
Soukhanow. Boston : Houghton Mifflin Company, 1992.
* The Anchor English-Japanese Dictionary, ed. Shibata Tetushi. Tokyo : Gakushu Kenkyusha, 1986.
* Iwanami's Simplified English-Japanese Dictionary, ed. Shimamura Morisuke, Doi Kouichi, and
Tanaka Kikuo. Tokyo : Iwanami Shoten, 1976.
* Idiomatic And Syntactic English-Japanese Dictionary, ed. A. S. Hornby, E. V. Gatenby, and H.
Wakefield. Tokyo : Kaitakusha, 1979.
* Kenkyushas New English-Ja♪anese Dictionary, ed. in Chief Yoshio Koine. Tokyo : Kenkyusha,
1982.
* England, ed. Stuard Rossiter. London : Ernest Benn Limited, 1979.
* Dictionary of Symbols and Imagery, ed. Ad de Vries. London: North-Holland Publishing
Company, 1974.
* Ibid, trans. Keiishirou Yamashita. Tokyo : Taishukan, 1994.
* Dictionary of Phrase & Fable, ed. Rev. Dr. Brewer. London : Cassell & Company Limited.
* The Holy Bible, containing the Old and New Testament, trans. His Majesty's Special Command.
London : Collin's Clear-Type Press.
* Bible, held. Japan Bible Society, American Bible Society, and British & Foreign Bible Society.
* The Kenkyusha Dictionary of English and American Literature, ed. Saitou Isamu, Nishikawa
Masami, and Hirai Masaho. Tokyo : Kenkyusha, 1992.
* The Concise Columbia Encyclopedia, ed. Judith S. Levey and Agnes Greenhall. New York:
Columbia University Press, 1983.
* Iwanamis Japanese Dictionary, ed. Nishio Minoru, Iwabuchi Eitarou, and Mizutani Shizuo.
Tokyo : Iwanami Shoten, 1971.
* Kadokawas Kanwa Chu Jiten. ed. Kaizuka Shigeki, Fujino Iwatomo, and Ono Shinobu. Tokyo :
Kadokawa Shoten, 1964.
詩人へリック作「粛みてかの人は神の国へ赴きぬ」
29
注
( 1 ) Kawasaki Toshihiko, A Historical Survey of English Literature (Tokyo : Kenkyusha Shupansha,
1986), p.52.
(2) Hesperides: Greek Mythology. 1. The nymphs who together with a dragon watch over a
garden in which golden apples grow. 2. A garden, situated at the western end of the earth,
in which golden apples grow. [Latin, from Greek pi. of hesperig; feminine of hesperios, of the
evening, western.] (from The American Heritage Dictionary of the English Language, p. 847.)
(3) To Daffodils
Fair Daffodils, we weep to see
You haste away so soon :
As yet the early-rising Sun
Has not attained his noon.
Stay, stay,
Until the hasting day
Has run
But to the Even-song ;
And, having prayed together, we
Will go with you along.
We have short time to stay, as you
We have as short a Spring;
As quick a growth to meet decay
As you, or anything.
We die,
As your hours do, and dry
Away
Like to the Summers rain;
Or as the pearls of morning's dew
Ne'er to be found again.
(4) Ben Jonson: 1572-1637, English dramatist and poet, known for his linguistic brilliance. An
actor, he produced his first important play, Every Man in His Humour, in 1598 and Every Man
Out of His Humour in 1599. The Poetaster (1601) satirized fellow playwrights. After
collaborating with CHAPMAN and MARSTON on Eastward Ho! (1604), he entered his great
period, marked by the comic masterpieces Volpone(1606), Epicoene(1609X The Alchemist(1610),
and Bartholomew Faxγ(1614)-all characterized by biting satire and intriguing plots. A
moralist, he sought to teach improvement through exaggerating the foibles and passions
(humours) of his characters. Jonson became a favorite of JAMES I and wrote court
MASQUES, as well as two Roman tragedies, Se/anws(1603) and Catiline(1611). After The Devil
Is an Ass(1616), his dramatic career declined. Jonson's nondramatic poetry includes the
collections Epigrams(1616);The Forrest(1616), notable for the songs "Drink to me only with
thine eyes" and "Come my Celia, let us prove"; and Underwoods(1640). Jonson had many
followers, generally known as the "sons of Ben." (from The Concise Columbia Encyclopedia, p.
438)
(5) The sons of Ben: Thomas Carew, 1595?-1639?, English poet. He was briefly a diplomat and
then a favorite of GHARLES I. One of the Cavalier poets, he is best known for courtly,
amorous lyrics like "Ask me no more where love bestows, as well as for "An Elegy on the
Death of Dr. Donne" and the highly erotic "Rapture. Richard Lovelace, 1618-57?, English
Cavalier poet. An ardent royalist, he was imprisoned under Oliver Cromwell and died in
extreme poverty. He is remembered chiefly for two much-quoted lyrics, "To Althea, from
Prison" and "To Lucasta, Going to the Wars." His poems were published in 1649 and 1660.
John Suckling 1609-42, English Cavalier poet, gallant at the court of CHARLES I, wit, and
gamester, said by John Aubrey to have invented cribbage. Fragmenta Aurea (1646) collected
his poems, plays, letters, and tracts. He is best known for the lyric "Why so pale and wan,
fond lover?" Robert Herrick, we know him very much in this paper. They are very famous
sons of Ben. (from Okada Tadanoki's A Brief Outline of English Literature p. 13.)
(6) Kawasaki, 1986: pp.51-52.
( 7 ) Cavalier means a supporter of Charles I of England in his struggles against Parliament. Also
奥 田 喜八郎
mi
called Royalist. The Cavalier Poets is the group of 17 th-century English poets associated with
the court of Charles I. (from The American Heritage Dictionary, p. 305)
( 8 ) Stuart Rossiter, England (London : Ernest Benn Limited, 1979), p. 207.
(9) Peter Milward, England and the English trans. Kazuhiko Funakawa (Tokyo: Taishuukan,
1983), pp.30-31.
(10) A Puritan is a person who wishes to make clean or purify everything around him. In England,
during the reign of Queen Elizabeth I, a group of Protestants became known as Puritans. They
did not wish to keep the forms and rules of the Church of England, the government church.
This group of dissenters could be divided into three smaller groups. The first wanted to
change (purify) the form of worship within the Church. They did not like the use of
vestments (the clothes worn by priests) or the Book of Common Prayer. They were known
as Puritans. The second group wanted the Church of England to be under a presbyter, an
elected elder. They followed the teachings of John Calvin (1509-64), and later started the
Presbyterian Church in England and Scotland. The third group, known as Separatists,
believed that a church established by the government was wrong. They wanted to separate or
break with the Church of England.
Puritan ideas were religious, but they were related to what was happening to the country as
well. As the large feudal estates disappeared, the middle or merchant class grew in numbers in
England. These merchants were against the trade regulations set up by the land-owners. The
Puritans wanted greater freedom in their business. Instead of producing just enough to meet
the demands, they wanted to produce more goods to make profits. To make themselves
known in the country, the Puritans dressed severely in simple clothes of dark colours. They
wore their hair cut close to their heads. For this they were named "Round Heads. These
farmers, merchants, and professional men sometimes became fanatics who looked down upon
those around because of their own "pure and sinless" way of life, (from Britannica Junior
Encyclopaedia, p. 357)
(ll) Hera: The Greek Juno, and wife of Zeus. The word of Hera means "chosen one," haireo. (from
Dictionary of Phrase & Fable, p. 399)
(12) Zeus : The Grecian Jupiter. The word of Zeus means the "living one," (Sanskrit Djaus, heaven ;
Latin Jupiter.) (from lbid., p. 975)
(13) Aegle: Greek Mythology. One of the Hesperides. A water nymph who was changed into the
lake by Artemis. A mother of the Graces. [Latin, from Greek Aigle. (-radiance). ]
(14) Arethusa: Greek Mythology. One of the Hesperides. A wood nymph who was changed into a
fountain by Artemis. [Latin, from Greek Arethousa. (-waterer). j
(15)
Erytheia二One
of
the
Hesperides
(-the
four
sisters)
who
together
with
a
dragon
watch
over
a
garden in which golden apples grow. [Latin, from Greek Erutheiα.]
(16) Hesperia : One of the Hesperides. [Latin, from Greek Hesperiα.]
(17) Ladon : A dragon who together with four sisters watches over a garden in which golden apples
grow. [Latin, from Greek Ladon._
(18) William Shakespeare (1564- 1616) emphasizes in Love's Labour's Lost that "climbing trees in
the Hesperides." (iv. 3). And Robert Greene (1558?-92) also states, like this: "Shew thee the
tree, leafed with refined gold, /Whereon the fearful dragon held his seat, /That watched the
garden called Hesperides." in his Friar Bacon and Friar Bungay (1598).
(19) Emile Legouis, A Short History of English Literature trans. V.F. Boyson and J. Coulson
(Oxford : The Clarendon Press, 1986), p. 159.
(20) Anacreon : fl. c. 521 B. C, Greek Lyric Poet, celebrator of love and wine. The Anacreontic, in his
詩人へリック作「粛みてかの人は神のMへ赴きぬ」
31
style, were written from Hellenistic to late Byzantine times.
Hellenistic civilization, spread of HELLENISM through the Mediterrancean and Near East
and into Asia after ALEXANDER THE GREATs conquests. While the Greek city-states
stagnated, their culture flourished elsewhere, notably at ALEXANDARIA. The city's influence
on art, letters, and commerce was so great that the era is sometimes called the Alexandrian
age. PERGAMUM and other cities were also important. Navigators extended the known
world and commercial wealth was reflected in ornate, grandiose architecture. Social divisions
were extreme, but education was more widespread than ever before, with Greek the language
of culture. A division between popular and learned writing appeared. The libraries of
Alexandria and Pergamum were great learning centers, and writers like CALLMACHUS,
LUCTAN, and THEOCRITUS flourished. Philosophical disputation abounded, with SIOICISM
and Epicureanism especially important. The highest achievement of the age may have been
the preservation of Greek culture for the Romans. As Rome overshadowed the Mediterranean
world, Hellenistic civilization was absorbed rather than extinguished, (from The Concise
Columbia Encyclopedia, p. 372.)
(21) Tatsuo Fukai, Metrical Appreciation of English Poetry (Tokyo : Nan'un-Do, 1994), p. 27.
(22) Longfellow speaks of "Beware!", like this :
I know a maiden fair to see,
Take care!
She can both false and friendly be,
Beware Beware
Trust her not,
She has a bosom as white as show,
Take care!
She knows how much it is best to show,
Beware! Beware!
Trust her not,
She is fooling thee!
She is fooling thee!
She has two eyes, so soft and brown,
She gives thee a garland woven fair,
Take care!
She gives a side-glance and looks down,
Beware! Beware!
Trust her not,
She is fooling thee!
Take care!
It is a fool's-cap for thee to wear,
Beware! Beware!
Trust her not,
She is fooling thee! (from The Poetical Works of
H. W. Longfellow. (London & Glasgow : Collin's
And she has hair of a golden hue,
Clear-Type Press), pp. 474-475.)
Take care
And what she says, it is not true,
Beware! Beware!
Trust her not,
She is fooling thee!
(23) Yoshitake Michio, My Favorite English Poems (Tokyo : Chuukyou Shutupan, 1981), p. 12.
(24) Ibid., p. 41.
(25) Ibid., p. 42.
(26) Peter Milward, Seasonal Poems of England noted Kawasaki Toshihiko. (Tokyo: Nan'un-Do,
1980), pp.106-107.
(27) Fukai, 1994: p.29.
(28) Ibid.
(29) Ibid.
(30) Ibid.
(31) Ibid.
[坦Ill >i'\郎
:_L)
(32) This is quoted from OED {The Oxford English Dictionary).
(33) Yoshitake, 1981 : p. 13.
(34) Fukai, 1994: p.27.
(35) Ibid.
(36) Yoshitake, 1981 : p. 13.
(37) Pewer Milward, A Historical Survey of English Literature (Tokyo : Kenkysha, 1980), p. 57.
(38) Ibid., p. 58.
(39) Charles I: He, (1600-49, r.1625-49), was the son and successor of James I. Upon his
accession, he offended his Protestant subjects by marrying Henrietta Maria, a Catholic French
princess. Also, the foreign ventures of his favorite, the duke of Buckingham, were
unsuccessful and expensise. His reign soon became the bitter struggle between king and
Parliament for supremacy that resulted in the English civil war. Charles supported the
Anglican bishops under Land. Parliament, largely Puritan, controlled money grants and
developed the tactic of withholding money until its grievances were redressed. Charles
dismissed Parliament in 1625 and 1626, but called it again in 1628 and signed the Petition of
Right in return for a subsidy. After 1629 he ruled without Parliament. Givil and religious
liberties reached a low point, and large emigrations to America took place, A crisis was
reached when Charles's attempt to force episcopacy upon Scotland resulted in the Bishops
wars. Eventually the Long Parliament (1640) was called. Led by John Hampton, Pym, and
Vane, it secured itself against dissolution and effected the death of the earl of Strafford, the
abolition of Star Chamber courts, and the end of arbitrary taxation. Fear of the king of
Catholics mounted, and civil war broken out. Defeated at Marston Moor (1644) and Naseby
(1645), Charles surrendered to the Scottish army (1646) and finally fell into the hands of the
English. He was tried by a high court controlled by his enemies, convicted of treason, and
beheaded. Often stupid and obstinate, Charles brought about his own downfall as much by his
weakness of character as by his religious and political beliefs. His son is Charles II. (from The
Concise Columbia Encyclopedia, p. 156.)
(40) Hirata Tokuboku, Lectures on the History of English Literature ed. Shimada Kinji, Takesawa
Keiichiro, and Ogawa Kazuo. (Tokyo : Nan'un-Do, 1981), p. 4.
(41) Fukai, 1994: p.28.
(42) Yoshitake, 1981 : p. 13.
(43) Grave: A hole dug in the ground for the burial of a dead person; the heap of soil or the
monument over it. [Middle English, from Old Englishgraef. (-to dig.)_
(44) Cave: A hollow place in a hill-side or a cliff; a large hole (esp. a natural one) in the ground.
[Middle English, from Old French, from Latin cave from neuter pi. of cavus, hollow.]
(45) Vries, 1974: p.224.
(46) William Shakeaspeare's The Dramatic Works of William Shakespeare, ed S. W. Singer, F. S. A.,
volume IV:KingRichard U (London: George Bell & Sons, 1892), p.437.
(47) Vries, 1974: p.224.
(48) Ibid.
(49) Ibid.
(50) Tomb: A grave, esp. one with a monument over it. [Middle English, from Old English tombe,
from Late Latin tumba, from Greek tumbos, sepulchral mound, to swell]
(51) Vries, 1974: p.469.
(52) Ibid., p. 88.
(53) Mithraism: According to OED, Mithraism is the religion of the worshippers of Mithras.
詩人へリック作「粛みてかの人は神の国へ赴きぬ」
33
Mithras is one of the chief gods of the ancient Persians, in later times often identified with the
sun. His worship was introduced amongst the Romans under the empire, and spread over most
of northern and western Europe. Also applied by Thomas More (1478-1535) to the Supreme
Being of "Utopia.
Mithra: god of ancient Persia and India. In the 5th cent. B.C. he appears as the principal
Persian deity, god of light and wisdom. His cult expanded to become a worldwide religion,
called MIIHRAISM. In the 2nd cent. A.D. it was more general in the Roman Empire than
Christianity, to which it bore many similarities. Mithraism taught the dualistic struggle
between the forces of good and evil and offered hope of immortality through the practice of
rites and a system of rigorous ethics. It declined rapidly in the late 3d cent. A.D. (from The
Concise Columbia Encyclopedia, p. 552.)
Mithraism : A religious cult of Persian origin, especially popular among the Roman military,
that flourished in the late Roman Empire, rivaling Christianity, (from The American Heritage,
p.1158.)
Mithras: Mythology. The ancient Persian god of light and guardian against evil, often
identified with the sun. (from lbid.)
「ミトラ教」:ミトラの祭儀。ミトラ(Mitra)は、ベルシ了では光明神、太陽神、豊能神、軍神、
来世の審判神である。インドでは、太陽神・宇宙の支配者・法律の主であったが、リグ・ヴェ-ダ時
代には独立性を失い、ヴァルナ神の随伴者となり、ミトラヴァルナ(Mitrdvarna)と称された。ベル
シアのミトラは、前3世紀頃に最も盛んに崇拝され、ベルシアの国威に伴って西アジアに入り、バビ
ロニアを経て、アレクサンドロス大王時代ロ-マヘ伝来した(前67)といわれる。ミトラはバビロニ
アでは同民族の信ずる太陽神シャマシュ(Shamas)と似ていたため迫害されなかった。ギリシア人は
太陽神ヘリオスと習合し、ローマでは時に軍人が信じた。ミトラ教の神殿は、多く地下の洞穴にあり、
その教義は、罪よりの清め・現世の苦悩に報いる来世・悪との戦い・精進-の努力・世界の終末・霊
魂の不滅・肉体の復活を主とし、供儀・聖餐.休浴・苦行を重んじた。ロ-マの帝政時代には、ネロ
がこれに入信を願い、 3世紀の皇帝はミトラ教の宮廷祭司を置き、アウレリウスはこの宗教の儀式を
公式のものとした。また、ディオクレティアヌスは、ガレリウス、リキニウスとともにミトラ神のた
めに神殿を献げた。この間、キリスト教の側からは、表面的な儀式・教義の現似にもかかわらず、テ
ルトゥリアヌス大帝のキリスト教公認(313)後、ミトラ教は次第に衰え、背教者ユリアヌスの一時的
異教復興後、ついに絶滅した。 [from The Encyclopedia of Christianity (Tokyo : Kyobunkan, 1963),
p.1035.]
(54) Fukai, 1991 : p.28.
(55) Yoshitake, 1981 : p. 13.
(56) Dwell : (lit. or old-fashoned) live, as to dwell in the country. [Middle English dwellen, from Old
English dwellan, to mislead.]
(57) Kaizuka, Fujino, and Ono, 1964: p.54.
(58) Fukai, 1991 : p.29.
(59) Hirata, 1981 : p.294.
(60) Ibid., p. 513.
:i.1
Explication de Texte Applied to Robert Herrick's
Poem "Upon His Departure Hence
Kihachiro Okuda
(Department of English & American Literature, Nara University of Education, Nara 630, Japan)
(Received April 4th, 1996)
This paper is intended to meet the need for fuller and simpler explanation of the
method of enjoying reading English Poetry. As the title indicates, it is a primer for
reader who wants to maintain and cultivate an active, critical mind, to become
increasingly sensitive to the beauty and inspiration of Robert Herrick's best poem. In so
doing the author attempts to follow the tradition of Kazumi YANO and Kinji SHIMADA,
that is to say, to produce a text-book that can also be read `for pleasure as well as profit'
by those who in their university days suffered those things which most of my own
generation suffered.
It is generally said that Robert Herrick stands situated in the middle between the
Cavalier and Anghca poets. He is also a country parson in Devonshire. He writes well
about the English country and its flowers. His love-songs are so sweet, as well.
Especially, it is very interesting for him to mention 'death'so often, and so lightly in the
religious poems in His Noble Number. The subject of this paper is attempted to
appreciate the poem titled "Upon His Departure Hence" in great detail, with particular
emphasis on symbols and imagery of `grave'and `cave'based upon the Holy Bible and so
forth.