水球トップアスリートのキャリア意識

水球トップアスリートのキャリア意識
〜 ブルボン WPC 柏崎所属選手を事例として 〜
吉田 章(研究代表者)
青柳 勧(新潟産業大学)
1.緒 言
水球(Water Polo)は、19 世紀半ばにイギリスにおいて行われる様になり、その後ヨー
ロッパを中心として国際的に広められ、1900 年のパリ大会からオリンピック正式種目とな
っている。我が国には 20 世紀初頭に伝わり、主に大学を基盤とするチームによって競技
の中核が維持されて来た。
その中において日本体育大学は 376 連勝という実績を作り上げ、
スポーツ無敗記録としてギネス登録されるに至っている。
「水中の格闘技」とも呼ばれ、
ヨ
ーロッパでは国技としての地位を築いている国もある程に親しまれているスポーツである
が、我が国においては競技人口も少なくスポーツとしての話題に上る機会も少ない。オリ
ンピックにも、1984 年のロサンゼルス大会を最後としてその後出場の機会を得ていない。
しかしながら、そのような中においても水球の魅力と可能性を信じてひたすら競技に打
ち込み、我が国における水球競技の一層の定着と発展に貢献すべく身をもってリードしよ
うとしている選手がいる。若くして単身ヨーロッパに渡り、スペイン、イタリア、モンテ
ネグロといった国々でプロ選手として活躍した実績を持ち、日本でも水球を基軸とした生
活を実現すべく取組んでいる。
最近になって徐々にその成果が形となって現れる様になり、
従来の大学を基盤としたチームに対して地域を基盤としたチーム作りを実現し、平成 24
年度の水球日本選手権大会では僅か設立 3 年目での優勝を獲得した。またロンドンオリン
ピックでは、久々の出場が期待されたが惜しくもアジア予選で出場権を逸したものの、チ
ームの主力として活躍した業績は大きく、まさしくトップアスリートと呼ぶに相応しい存
在である。
この青柳勧選手をメインに、彼と共にプレイヤーとして、そして一緒になって水球の新
たな発展に人生を賭けようとして頑張っている選手達を対象として、マイナースポーツで
あるがこその特徴をつかむべくセカンドキャリアに関する調査を行った。
2.対 象
平成 24 年度の水球日本選手権を獲得した“ブルボン WPC 柏崎”は、我が国ではめず
らしい社会人を主体としたチームであり、その運営主体は“柏崎水球クラブ”となってい
る。2009 年にモンテネグロから帰国して新潟産業大学教員に就任した青柳が、ヨーロッパ
で学んだクラブチームの在り方をモデルに“ウォーターポロクラブ柏崎”を結成し、柏崎
に本社を置く製菓業のブルボン社とチーム命名権契約を結んだ。そして現在では、小学生
から社会人までの男女を含む全てのカテゴリーを有する水球クラブとして、水球に留まら
ず、地域に根ざしたスポーツのモデルケースとして注目を集め、地元においても「水球の
まち柏崎」としてのイメージを作り上げている。
この背景には、
1964 年に予定された第 19 回新潟国体夏期大会に水球会場として選ばれ、
柏崎高校体育科教員であった内田力氏による指導が始まったことに原点を発している。残
念ながらこの年の新潟地震によって夏季国体はまぼろしに終わってしまったが、水球に対
する熱意は冷めることなく継承され、2009 年の“トキめき新潟国体”では晴れて水球競技
会場として開催するに至った。
人口 9 万人の小規模都市ながら「底辺が小さくても、システムがしっかりしていれば高
く伸びる。マイナースポーツを強化するためのいい事例を作りたい。
」との信念を持ち、
自
身のセカンドキャリアを自ら開拓するといった意気込みを持って取組んでいる青柳選手を
はじめ、共に取り組んでいる選手の計 4 名を対象とした。以下に、それぞれのプロフィー
ルを示す。
1)青柳 勧:1997 年史上最年少(18 歳)で日本代表選出、筑波大学進学、2000 年 C.N Sant
Andreu(スペイン 1 部)を皮切りに、ASD Bergamo N(イタリア 2 部リーグ得点王獲得)
、
Systema Brescia(イタリア 1 部日本初セリエ A1プレーヤー)
、Budvanska Rivijera(モンテ
ネグロ 1 部欧州 LEN カップベスト4)とプロ選手として活躍、2008 年モンテネグロカッ
プ優勝、欧州チャンピオンズリーグ出場ベスト 16、ヤドランスカリーグ 5 位等、日本人
として初となる数々の実績を残して帰国。2009 年新潟産業大学教員に就任、2010 年ウ
ォーターポロクラブ柏崎を結成し、2012 年の日本選手権優勝に導く。
2)永田 敏:高校時代から水球を始め、一般入試で筑波大学入学。大学 3 年生の時に日
本代表選出(福岡世界水泳)。大学 4 年生の時に日本選手権で優勝、卒業後 1 年間スペ
インのクラブチームに所属。帰国後はアクシオン福岡に勤務しながら日本代表として活
動。2010 年新潟県柏崎市に活動拠点を移しブルボン KZ に所属。2012 年オリンピック予
選敗退と日本選手権優勝。
3)舟崎 紘史:小学校 6 年から水球を始め、推薦入試で筑波大学に入学。大学 2 年生時に
日本選手権で優勝、大学 4 年生時に休学しセルビアにてチームに所属。その後大学院に
進学し、修了後、地元富山県に戻って教員、ジュニアチームの監督として指導に当たる。
2010 年富山県に活動拠点を置きながらブルボン KZ に所属。2012 年日本選手権優勝。
4)志水 祐介:熊本で中学から水球を始め、カデット、ジュニア、ユース日本代表選出。
推薦入試で筑波大学に入学。大学 1 年生の時に日本代表選出(ワールドリーグ)
。大学 4
年生の時には主将を務めて日本選手権、インカレ共に準優勝。卒業後は半年オーストラ
リアのクラブチームに所属。帰国後新潟県柏崎市に活動拠点を移しブルボン KZ に所属。
2012 年オリンピック予選敗退と日本選手権優勝。
3.方法と結果
トップアスリートとしての競技引退とセカンドキャリアに関する意識を把握するために
設けた質問 10 項目に対し、面談の上で調査を依頼した後に自由記述で回答を得た。ここ
では、その回答を個別に記述する。
(1)現役活動において、トップアスリートとしての意識はあったか
1)海外でプロ選手になることを意識していたので、常にあった。
2)トップアスリートという意識は特になかった。
3)意識は他の競技者に比べて低かったように思う。しかし、競技に対する向上心だけは常
に持ち続けていた。そのためにできる練習、食事等については意識をしていた。
4)多くの方に常に見本となるよう、日々の生活にも気を付けている。
(2)トップアスリートとしての現役中に、引退後のことについて考えたか、または考え
ないようにしていたか。
1)競技を終えた後どのような職に就くことができるのか不安なため、常に考えていた。
2)ブルボン KZ が設立される前までは漠然とではあるが、
「引退後は教員」と考えていた。
理由は両親や恩師の影響と、水球に関わるには教員の道しかないと考えていた。
3)引退後のことについては何も考えていなかった。できる限り現役生活を続けていたいと
考えていた。
4)考えないようにしていますが、実際は考えてしまう。今後のことにも徐々に計画を立て
ることで、自分自身も気持ちにゆとりができてくる。
「引退後は教員」と考えている。水
球を子供たちに指導し、多くの優秀な選手を輩出したいと考えている。
(3)引退の目安や時期については、自分で意識していたか。
1)競技の後、自分が納得のいく仕事が見つかったり、競技以外のやりたいことが見つかっ
たら引退しようと考えていた。
2)ブルボン KZ が設立される前までは、競技環境の問題等で 2010 年のアジア大会、もし
くは 2012 年のオリンピック予選までと考えていた。また教員採用試験も受けていたた
め、合格すれば引退とも考えていた。現在では、故障等がない限り 2016 年のオリンピ
ックまでと決めている。
3)引退を決断したのは、2005 年に代表選考会で落選したときです。それ以来、競技に対
するモチベーションは保てなくなった。しかし、ブルボン KZ が設立されてからは「日
本一」という目標ができたため、再びモチベーションは向上した。現在では、今年の日
本選手権を目安に考えている。教員業務、水球指導との兼ね合いからも、トップレベル
でプレーし続けることは困難である。
4)現在、自分自身では故障等がない限り 2016 年のオリンピックまでと決めている。もし
くは、日本水球委員会の環境変化が進まなければ考えるかもしれない。
(4)引退後の人生について、具体的な見通しや計画はあったか。
1)自分で会社を設立してビジネスをしようと考えていた。そのために具体的な準備も進め
ていた。
2)漠然とではあるが、
「教員」の道に進みたいという考えはあった。現在では、現職を続
けていく中で自分の将来について模索している状態である。
3)現役生活中には、全くといっていいほど引退後のことは考えていなかった。大学院を修
了した後に何をしたいのかが全く見いだせない状態であった。それは水球にのめり込み、
自分の目標を達成したいという一心で競技をしてきていたので、その後については考え
る余裕がなかった。
4)漠然とではあるが、
「教員」の道に進みたいという考えはあります。現在、中学校で常
勤として働くことができ、とてもやりがいのある仕事だと改めて実感している。
(5)現職着任のきっかけと背景について
1)オリンピックに行きたいという夢を諦められず、計画をしているところに、大学教員と
してのお話を頂いた。
2)株式会社ブルボンがネーミングライツ等で支援して頂けることが決定し、その中で 1~
2 人であれば雇用も可能という事で採用して頂いた。
3)2005 年に日本代表選考で落選し、選手としてのモチベーションを保つことは難しくな
った。その際に、指導者として水球に携わっていきたいと考えるようになった。シニア
チームを強化するためには、ジュニア期の育成が重要であると考え、地元富山県に戻っ
てジュニアチームの選手育成をしている。また、それと同様に重要課題である教育とい
う側面からも携われるよう、専任教員を目指して学校現場からも指導を行っている。
4)教員の仕事に就きたいとお願いしていたところ、多くの方の力をお借りし、新潟県復興
加配という形での採用が決定した。
(6)現役活動中にやっておけばよかったと感じること
1)未だ現在も現役中ですが、もっと多くのプロ選手及び監督から様々な話を聞いていれば
よかったと思っている。
2)人脈づくり、論理的な考え方、自分が行っているスポーツ以外のことについても関心を
もつこと。
3)水球の選手としての活動には年齢的、経済的に限界があるため、その後の生活をどのよ
うにしたいか、そのために必要な資格等をどのように取得するか、水球以外の面で多く
のことを考えておく必要があった。これは、今後の指導に充分に活かし、競技だけでは
なく、競技を終えた後までを考えなくてはならないということを指導していきたい。
4)人脈づくり、英語の語学力、教育に関する知識。
(7)現役活動を通してこそ獲得できたと思っていること。
1)競技の感覚。あとは苦労したからこそ成し得た自信や経験です。
2)人脈。海外遠征や国際試合等を通じての異文化経験。
3)国内外を問わず多くの友人、師に出会うことができた。これは、水球競技に携わってい
なければ体験することは不可能であった。
4)人脈。海外遠征や国際試合等を通じての異文化経験。責任感。
(8)これからの指導者や組織に対して望みたいこと。
1)強化の本質をしっかりと知り、内容のある強化を臨みたい。また、自分たちをしっか
りとした物差しで客観的に評価して頂きたい。
2)組織に対しては、
「日本がオリンピックに出場するためにはどうするべきか」を真剣に
考えた上で人事や基本方針などの組織運営を行ってほしい。組織がそのような基本方針
を示すことで、指導者も指導者ごとにバラバラな指導を行うのではなく、一貫した指導
を行うようにしてほしい。
3)日本代表のスタッフを充実させることにより、各パートでの強化を図ってもらいたい 。
また、全国大会で目立つ選手だけではなく、全国へスカウトを派遣し、タレントを発掘
する必要がある。また、ジュニア期から代表合宿を重ね、一貫指導をしていくことが重
要である。
4)組織に対しては、
「日本がオリンピックに出場するためにはどうするべきか」を真剣に
考えた上で人事や基本方針などの組織運営を行ってほしい。選手を一番大切にする組織
であって欲しい。
(9)これからのアスリートにアドバイスしたいことは。
1)セカンドキャリアというものは、人に世話になり道を造ってもらうものではなく、自
分で作っていくものです。現役を終えてから将来のことを考えたり、迷ったりするので
はなく、セカンドキャリアのために競技を続けた方がよいのではないかと思います。
2)引退するまで競技だけを行い、社会常識がない人間にならないよう、できる範囲でいい
ので引退後に向けた活動を行いながら競技を行う事です。
3)競技を続けられる限り努力をしてほしい。ただし、選手が競技を続けられる環境や周り
のスタッフは、選手たちが最高のパフォーマンスが発揮できるようにサポートすること
が必要である。ただし選手は、自分たちがサポートに値するだけの行動を心がけなくて
はならないという自覚をもつ必要がある。
4)夢を諦め、違う道を進むことも正解だと思います。ただ最大限のチャレンジをせずに夢
を捨てると一生後悔してしまいます。夢を追いながら人生設計を忘れなければ、最終的
には同じ道につながると私は思います。
(10)理想の人生とその障害になっているもの。
1)年功序列などの縦社会だと思う。人としての能力をまず評価できる社会ではないのが日
本だと思います。それが障害になる人、だからこそ良いポジションに居続けることがで
きる人がおり、効率が悪い。
2)本人が納得できるまで競技活動を行うことができ、引退後は次のキャリアにスムーズに
進むことができるのが理想の人生と思います。その障害として、日本代表もしくは代表
候補選手については、大学卒業後の就職先の斡旋や、社会人の競技環境等の整備が、水
球委員会の組織として行われていないことがあります。チームスポーツにおいて、この
ようなことを選手個人で行うのは不可能であり、組織として行う必要があると思う。
3)競技者が、大学卒業後もプレーが続けられる環境作りが必須である。また、代表選考の
あり方、監督をはじめとするチームスタッフの編成方法を明確化しなければならない 。
現在は、選手側とスタッフ側での大きな隔たりが生じ、大きな不信感が生まれている。
4)私は水球が少しでもプロスポーツ化に近づき、多くの選手が納得できるまで競技活動で
きるのが理想の人生と思います。その障害として、日本代表もしくは代表候補選手につ
いては大学卒業後の就職先の斡旋や、社会人の競技環境等の整備が、水球委員会の組織
として行われていないことがあります。また最近では日本代表になっての憧れ、喜びを
持つ選手が減っています。それは水球委員会の選手の保護、代表のメリット等を行って
いないただのクラブ活動になっている。チームスポーツにおいて、ほとんどの球技スポ
ーツではこのような現状はありえません。このようなことを選手個人で行うのは不可能
であり、組織として行う必要があると思っている。
4.特別インタビュー
その他として青柳選手には、特に水球を通して見たヨーロッパ事情や将来的課題につい
てインタビューを試みた。
<ヨーロッパでの水球事情について>
・ヨーロッパでは様々な企業がスポンサーとなり、チームも多様性を持っている。水球の
指導者はクラブチームの幹部であったり、ジュニアチームの監督としてクラブ経営に携
わりながら給料を得ている。
・水球選手としての選手寿命は長く、40 才前後までプレイすることが珍しくない。その間
を社会的能力の育成期間としてとらえている。彼らの多くは、年齢の進行に伴いレベル
を下げながらプレイを継続している。また兼業プレイヤーの場合が多く、それを就職試
行期間としているようだ。大学卒業と共にプレイをする機会が無くなる我が国では、大
きな課題となる。
・イタリア、モンテネグロ、クロアチア、ハンガリー等では、国の代表クラスとなればス
ポーツ年金が支給され、メダリストともなれば月に 10〜20 万円程の年金が一生支払わ
れる。
・引退時期が長いと、トッププレイヤーの場合だとその間に貯金をすることができる。そ
の資金で、引退後に不動産業やレストランを開業したり、ブランドビジネスを始めたり、
中には放送局を買収した選手もいた。選手寿命の短い選手は、一般企業に就職すること
になる。
・ヨーロッパでは学校を基盤としたスポーツはなく、地域クラブに対するスポンサーシッ
プによる運営で維持されている。水球の場合、女子もほぼ共通しており、これらの地域
では国技としての扱いを受けている。
<我が国における水球事情について>
・企業スポーツとして団体種目の支援には難しさがある。チームスポーツとしての水球の
支援には多数の企業間協力を必要としている。キーワードは、何といっても「地域貢献」
である。
・一般的な企業スポーツの形である半日仕事・半日専門活動と言った形ではなく、ブルボ
ン KZ では、それぞれの会社でフルタイムの仕事を行い、あくまでも自分の趣味活動と
して夜間に練習を行っている。従ってプロのようにお金と直結した感覚はない。
・日本がオリンピックに出場できていないのは、社会人選手がいないことによる理由が大
きい。その最大の理由は、代表選手となった場合の拘束時間によるものである。スポン
サーシップとしてのダイレクトな資金提供よりも、会社の名の下に会社の業務の一環と
して派遣して欲しい旨をお願いしている。マイナースポーツ強化のためのシステムとし
ては、このような土壌作りが大切である。
・ブルボン KZ は、意図的にプロにはしなかった。選手は水球からお金を得ているのでは
なく、それぞれの職場から得ているものであり、ブルボンの資金はチム運営費に充てて
いる。これらの理念の現実化が、日本代表への強化に繋がるととらえている。そして第
一次の目標は柏崎での実現(2016)であり、第二次の目標が全国各地での実現(2020,
2024)と考えている。
<セカンドキャリアに関して>
・日本人は、一般的に組織に頼っていることが多い。そして非常識で世間知らずの選手が
多い。これらはヨーロッパでは 2 部チームに多い形である。セカンドキャリアは全て自
己責任であり、選手期間中に社会学習をすべきである。チームの中で人間教育をしてい
る所もあるが、ブルボン KZ の場合には、地域との関連から学習している。
・ 20 代頃には、自分の競技年齢について考え、一時は焦ったこともあった。選手として、
年齢によるハンディはないと思う。身に付け、養った実力を示すこと、それは競技以外
にも通じる力となり、必ずやオファーが来ることになるだろう。引退の時期は関係ない。
考えながらプレイできる選手として、人としての器を教育されたり、自ら形成したりし
て大きくすること。中でも対話力、行動力、企画力が最も大切だと考える。
・自分の専門競技以外のことに関する知識を持たないと、自分のレベルも上がらない。例
えば、数字が出る競技と出ない競技の違いもある。水球選手としては、判断力を養い経
験を積み重ねることが大切である。セリエ A のスーパースターなどは、ある程度の実力
と人脈を獲得している。それに対して日本人は、運にたよりすぎている。自分自身の経
験として 2004 年 24 才の時に、イタリアで得点王になった時であっても何のオファーも
来なかった。
・自分自身のキャリアとしては、帰国後しばらくは地方巡業指導を行っていた。その中で
新潟国体強化アドバイザーのお話を受け、まさしく人脈の関係から新潟産業大学に採用
されることになった。
<将来的課題に関して>
・マイナースポーツとしての種目強化は、スカイツリー型と考えている。ピラミッド型に
は大きな底辺が必要となる。少ない底辺からいかに頂点を高くするかといった発想と方
法が重要である。
・具体的には、FC バルサ(バルセロナ)をモデルとしている。一人一人のソシオ(ファ
ン)による市民からの資金提供が、選手としての意識形成の源となる。ヨーロッパでは、
代表としての Reword(収入)がない場合には、代表を辞退することが珍しくない。こ
れからも日本代表を目指して活動して行くが、ブルボン単独での資金基盤では限界に近
付いている。
5.まとめ
水球競技という歴史はあるものの、競技人口と普及の観点から我が国ではマイナースポ
ーツとして位置づく種目であるが、トップアスリートとしての存在に変わりはないものと
考える。今回の対象となった 4 名は、いずれもしっかりとした高等教育を経ているといっ
た経歴を有していることから、比較的広い視野を持ち、迷いの無いキャリアを歩んでいる
ととらえることができる。そして水球の一層の普及と強化のために、自らが指導者となっ
て後進の指導に係わる職業(教員)に就こうとしている所に共通点を見つけることができ
る。中でも青柳勧選手は、足掛け 8 年に及ぶヨーロッパ生活を通してより広い視野を有す
る様になり、主体性に基づいたしっかりとしたビジョンを有していた。しかしながら個人
の努力でできる範囲には自ずと限界があり、特に我が国における水球競技を統括しコント
ロールする組織に対する期待と不満が全員から提示されたことは、その意味する所に大き
なものがある。
今回の調査事例となった“ブルボン・ウォーターポロクラブ柏崎”は、地域社会と一体
となって運営されかつ競技実績も上げている所から、全国の自治体からも数々の視察が入
っているスポーツクラブである。それはスポーツ基本法に示されている “地域スポーツク
ラブ”とは趣を異にするものであり、ヨーロッパ型のスポーツクラブをダイレクトに当て
はめようとしているものである。そこでは、半世紀以上に及ぶ伝統と新しい流れとしての
進化、そして何よりも地域に根ざした活動としての支援と理解があってこその成り立ちで
あり、今後の我が国におけるスポーツ振興を進める上においてモデルとすべき一例になる
ものと言える。
今回の調査から得た結論として言えることは、1)社会人アスリートとして活躍できる
環境の充実を図ること。2)引退後のセカンドキャリアを意識させ、自己責任としての意
識を形成させるような指導が必要なこと。3)我が国における学校を主体とした従来のス
ポーツ環境にこだわらず、地域に根ざした新たなスポーツ場面の創出を図ること。4)該
当するスポーツを統括する組織が、公平性と正確性を持って責任ある運営を進めること。
以上を確認することができた。