110号(1月 - カトリック厚木教会

NO.110/ 2010.1 月号
カトリック厚木教会
〒243-0014 神奈川県厚木市 旭町 2-7-11
TEL.046-228-4164
FAX.046-228-4150
くるま座会議について
主任司祭
P・ブランチフィールド
新年おめでとうございます。
今年も厚木教会にとってまた皆さまにとって
て感謝の気持ちはあっても、それを素直に示す
も良い年でありますようにと心からお祈り申
ことは難しいことでしょう。たとえば、共同体の
しあげます。
ために何か仕事を頼まれても、意欲的に引き受け
昨年の11月29日(日)に厚木教会として始めて
る気持ちになれないかもしれません。このような
の「くるま座会議」を開きました、私たちの共同体
雰囲気を少しでも変え、信者同士が互いに話し合
である厚木教会は、同じ教会の玄関を出入りして
い支え合って、暖かく活気に満ちた共同体をつく
いるにもかかわらず、お互い顔を知ってはいても
っていけたらどんなに素晴らしいかとの思いで
名前までは知らないとか、教会の運営に関して教
「くるま座会議」を考えたわけです。
会委員会にもいろいろな部が有るのを知っては
昨年11月に行われた最初の「くるま座会議」で
いるが、各部のメンバーやそれぞれの部が実際に
は、9時30分のミサ終了後、11時50分ごろまで教
はどんな活動をしているかなどについてはあま
会に残ってくださった方々に対して、まず教会委
り知識をもっていないのではないかと気づきま
員会の典礼部、福祉部、宣教部を紹介してから、
した。
参加者を十数名ずつのグループに分け、各グルー
また、教会委員会のメンバーと直接話したこと
プで自己紹介し合ってから、交通整理をする人を
もない信者の方も何人かいることにも気づきま
一人置き、皆で自由に意見をざっくばらんに出し
した。このような状態では、皆様が共同体に対し
話し合っていただきました。
この会議の唯一のルールは、誰も
が気兼ねなく自身の意見を言えるよ
うに、それぞれの意見に反論したり
議論を仕掛けたりすることなどは控
えるということだけでした。
この「くるま座会議」についての反
応としては、参加してくださった
方々の評判は良く、
「このような場を与えてくださっ
て有難かった」とか、「こういう話
し合いの場をまた持ちたい」などの
意見が多くありました。私自身も本
当に良い場をもてたと思っていま
1
す。惜しむらくは、もっと多くの方々が参加し
した。
て、この雰囲気を味わってくれたらもっと良か
神父様のお国のアイルランドの古い習慣では、
ったのに…という思いは残りました。
24日の夜に家々の窓にろうそくを置くそうで
す。それは救い主が家の前を通られたなら、喜ん
次回の「くるま座会議」は1月31日(日)に開く
で家に迎い入れるためのしるしだそうです。
予定です。前回と同じような形で進めたいと思っ
ています。今度は、広報部と財務を
紹介する予定です。
私が願っていることは、このよう
な会議に一人でも多くの方々が参加
して、行く行くは教会共同体が一つ
の家族であることを理解し、皆さん
の一入ひとりが神様から使命を頂い
ていることを知っていただければと
思っています。この家族にはアウト
サイダーは一人もいません。この家
族にはお客さんは一人もいません。
みんな一緒に兄弟姉妹です。このよ
うな「ざっくばらんな会議」を通し
てお互いが知り合うことにより、皆様の共同体に
平和の挨拶の時も、「クリスマスにふさわしい
対して帰属感と責任感が深まってくるとしたら、
挨拶や握手をしましょう。」と、祭壇上で呼びか
これは何よりの神様からの恵みといえるでしょ
けられ、会衆も握手をしたり、いつもよりたくさ
う。
んの周りの人々と挨拶する姿が印象的でした。
聖体拝領の時も祭壇前の神父様と聖体奉仕者
のカリスのご聖体がなくなってしまいました。
クリスマスのミサが行われました
ミサ後は信徒司祭館でトン汁やお菓子、みかん、
温かい飲み物が用意され、なごやかに歓談する輪
があちらこちらで見られました。特に温かいトン
今年のクリスマスは 24 日午後6時300人、
汁は大変美味しかったです。
8時260人、25日午前0時65人、そして 11
中庭に焚き火が用意されてあったので心も体
時の子供中心のミサには200人が与かりまし
も温まることができ、火を囲んで今まで話したこ
た。
との無い方々と声を掛けることができました。
ミサでは、暗闇の中、侍者が祭壇のろうそくか
今回準備担当された5・6グループの方々に感
ら灯を移し、我々が持つ小さなろうそくへと灯り
謝したします。
が点火されて行きました。静けさの中、主の降誕
(広報部
を祝うミサが始まりました。
ブランチ神父様は、はじめに、「今日、初めて
教会にいらした方、この日ここへいらっしゃる事
を努力なさった方、1年のうち今日だけ教会にい
らした方もたくさんおられると思います。ようこ
そいらっしゃいました。」と歓迎の挨拶をされま
2
竹内)
ので、ここに、ご紹介します。
「まず、1~9までの数を思い浮かべてください。
ミニ・クリスマス会が開かれました
それに2を掛けてください。その数に6を足して
ください。それを半分にして、始めに思った数を
引いてください。」
12月20日、9時半のミサ後、フイリピンと
皆さん、頭の中で、一生懸命に計算していたよう
ペルーのコミュニテイの方達による、コンサート
でした。私は「4」を思いました。「4×2=8。
が行われました。
8+6=14。14÷2=7。7-4=3。」
まずはフイリピンの十数名(ラッセルと言う美
隣の方も前の方もみんな「へえー。」と感心して
しい民族衣装を着て)による、クリスマス・キャ
いました。皆さん3になったようです。
ロル。濱辺さん、井上さんも参加され、マリア・
今、現在残念な事に厚木教会の聖歌隊は休眠状
小関さんのエレクトーンの伴奏に美しい歌声が
態です。この事について聖歌隊関係者に伺いまし
披露されました。最前列の可愛いグレシア・アユ
たところ、練習の場所の確保ができないとの事で
ステ・あゆみちゃん(3歳)のしぐさに、大拍手。
した。
携帯電話やデジカメで彼女を写す方もいて、和や
来年は聖歌隊の復活を願っています。
かなひと時でした。
(広報部
竹内)
次はペルーの方達によるアカペラの合唱。
侍者会について
ミサの奉納の行列に参加した、テレキナ・アリサ
―いま、侍者会は歩み始めました―
さんとトグチ・エイミさんもニュースタドレス
(民族衣装)で参加。
ブランチ神父様が厚木に赴任されて、
初めての話し合いの中で、
「こどもたちの
世話をする人がいない、足りない。これ
ではこの教会の未来はどうなるの」と現
状の問題点を投げかけられました。
「侍者
会を作ろうね。」と呼びかけられたときど
うしようと身構えてしまいました。なか
なか行動に移せないままに、逡巡をして
おりましたが典礼部、教会学校の後押しがあり、
そして、最後に全員で「あめのみつかい」を歌
ある一つの行動の基本が見えてきました。
い今年のクリスマス会は終わりました。
わたしたちの共同体において大切にしなけれ
司会の成田副委員長が、クリスマス会の始めに、
ばならないことの一番目に日ごとのミサがあり
面白い数のマジックを披露してくださいました
ます。それぞれにミサに与る姿勢や行動は異なる
3
かもしれませんが、ミサは世界中みな同じであり、 るか、何ができるか、するか、具体的な姿はこれ
私たちの主の晩さんの記念を主とともに共同体
からみんなで考えてゆかなければならないと思
が捧げる大切な行いです。
っています。まず、子供たちと一緒に歩き始めて
ゆくことが大切であると考えております。
ミサについての勉強、合宿、遠足など
を通してこどもたちの交わりを深め、こ
の共同体の中でこどもたちの心地よい居
場所を築くために、共同体の一人ひとり
がこどもたちとかかわりを持ってともに
歩んでゆくことが大切であると考えてい
ます。
ご父兄の方々そして、子供たちのために
時間を使うことができる方たちの協力を
求めています。
侍者会担当:上田啓二
こどもたちの、信仰教育については初聖体クラ
スや教会学校でリーダーの奉仕によって行われ
てきておりますが、それと平行して侍者会を発足
させ、この大切な主の記念のミサの奉仕を通して、
仕える喜びと、主がともにいてくださる実感を体
梅村司教様厚木教会を来訪される
11 月 15 日(日)横浜教区長、梅村司教様による
験することは、少年期の信仰の土台作りに大きな
七五三のお祝いを兼ねたミサが執り行われまし
力になるとの確信が持てました。
た。当日は前日までの悪天候がうその様に晴れ渡
り、天から神様も祝福して下さいました。
まず、みんながわかりやすい侍者のテキスト
七五三の祝福申込者は 20 名でしたが、新型イ
「侍者の友」を作ることから始まりました。沢山
ンフルエンザの影響か、8 人のお子さんが司教様
の方たちの協力を得て、夏の終わりに完成しまし
からお祝いの
た。十分に準備できる時間も無かったのですが 9
祝福を受けら
月の連休を利用して、侍者の合宿を計画しました。
れました。説
何人参加できるか心配でしたが(誰も来なければ
教の中で、司
どうしよう!!)15 名を超える侍者が集まり、教
教様は次のよ
会で 1 泊する合宿がおこなわれました。(9 月 22
うに説かれま
日、23 日)
した。「信仰を
系統だって侍者の役割とその行いについての
子供たちに伝
勉強は初めてであり、みんな目を輝かせていろい
える難しさをそれぞれの方が感じているでしょ
ろなことを聞き、体験しました。元気な子供たち
う。ご両親やご家族の方々は子供たちが神様に見
との関わりは思った以上に体力が要ります。これ
守られて健やかに育っていくことを願っている
からも皆様のサポートをいただきながら計画し
でしょう。
てゆきますのでよろしくご協力をお願いします。
昨年親しい司祭が一つの出来事を語ってくれ
ました。それはその司祭が神学校で学んでいると
侍者会はできたばかりでどのように組織立て
きに、同級生が突然電話をよこして自分の兄弟が
4
今、危ない状況にあり、是非司祭に来て欲しいと
種をまくたとえ話:ある種は道端にまき、ある
のこと。今まで教会から離れていて親しい司祭が
種は土の少ないところにまく。種がいろいろなと
いないので、是非来てくれないかとの願いであっ
ころにまかれる。自分自身はどういうところに当
た。
たるのか、考え込んでしまう方が多い。場合によ
早速願いに応じていったら、危篤の人の病室に
っては道端であったり、水の少ないところであっ
入って見ると、驚いたことにその人は全身刺青で
たり、茨の中であったり、と自分を振り返って考
あった。そのとき、一瞬あとずさりしたそうです。
えるかもしれない。イエス様の教えでは、この種
今まで極道の限りをしてきたと語ってくれたそ
をまく人はいたるところにまき続けてくださる。
うです。葬儀の時には、それらしい人で埋めつく
この種をまく人をもって神様はこういう方だよ
さていたそうです。しかし、幼児洗礼であったそ
と語っています。神様はどんな人にも神のみ言葉
の人は、子供のとき毎朝ごミサに通っていたそう
を一生懸命まいて下さっている。そして、最後の
です。学校帰りにはご聖体訪問をするような環境
最後に実を結ぶように神様は働いて下さる。その
に育ったそうです。どこかで道を踏み外してしま
ことによって 30 倍 60 倍でなくもっと豊かに 100
ったが、最後の最後に子供のときに培われた信仰
倍の実をむすぶことを神様は期待しながら、待ち
を取り戻すことが出来たということです。この話
続けて下さっている。
を聞いたとき、神様の計らいは計り知れないと思
毒麦のたとえ話:知らぬ間に毒麦がまかれてい
いました。子供のときに培われたことは一生残る
る。毒麦と思って抜いてしまうと、もしかしたら
でしょう。子供たちの信仰教育を考えると教会で
よい麦まで抜いてしまうかもしれない。私達はど
の教育も大切ですが、家庭での信仰教育も大切で
れが毒麦か区別することは難しいかもしれない。
す。」
神様も私たちが実を結ぶまでじっと私たちを我
「以前はカトリック幼稚園や保育園の先生はカ
慢強く見て下さっている。たとえ話を通して神様
トリック関係者であったが、最近では場合によっ
はこういうお方なのだとよく理解出ると思いま
ては、信者でない方にもお願いしなければならな
す。私たちは神の似姿を宿った存在として創られ
い状況です。先生方に福音を学んでもらうために、
ています。 神様のまなざしを持って子供たちを
先生方の手引きを作り、子供たちにイエス様が語
見つめ信仰の道を歩いていけたらと思います。」
って下さいました神様について、子供たちに伝え
てもらえるようにしています。特にたとえ話を取
ミサ後、中庭でパーティーが行われ、司教様は
り上げて理解しやすいような内容にしています。
各テーブルを回られて、外国人の信徒の方々や、
日本人の信徒の方々
と談笑され、信徒と
の交わりを深められ、
また司教様を囲んで
の記念写真ににこや
かに応じられており
ました。
5
祭儀は日常的で葬儀ミサを信徒
が執り行うこともあるそうです。
将来の日本では?
ヨーロッパの神学校では、最
近インド人、アフリカ人、そし
てフィリピン人の神学生が多く、
将来日本に送ってくださる方々
もそのような国の人が増えてい
くでしょう。しかし世界に比べ
日本では司祭一人当たりの信徒
数は今でも多い。パリミッション会は司教様がお
世話になっていた頃は、フランス人だけでしたが、
12 時頃から 2 時間余り、信徒司祭館で司教様、
ブランチ神父様、そして教会役員会メンバーで昼
総長さんが代わって今では他の国の人も入るよ
食を頂きながら、和やかな雰囲気の中で司教様と
うになった。
お話をしました。はじめに役員の自己紹介をする
まだ横浜教区は恵まれており、教区司祭もそこ
中で司教様は一人ひとりに問い掛けをされ、厚木
そこ生まれており、日本にはほとんど教区司祭が
教会の活動状況を把握されているようでした。そ
いない教区(例:鹿児島、沖縄)もある。しかし、
の後で我々の疑問や質問に対して司教様は率直
司祭が足りないので、静岡県、山梨県、長野県で
に応答されておりました。役員にとって本当に有
は信徒中心で共同宣教司牧をやってところもあ
意義な時間を過ごすことが出来ました。主な応答
るが、そのような状況は他のところにも迫ってい
について以下に記します。
る。
1.今年は奄美大島に行かれたそうですが?
3.40年前の日本には外国人の神父様が沢山い
たが、どうして多かったのでしょう?
今年も夏休みとして奄美大島の近くの島に 1 週
間ばかり行きました。そこに住んでいる人はほと
その頃、中国にいた多くの司祭が共産化に伴い
んどが 75 歳以上の人で、若い人は少ししかいま
日本に逃れてきたためで、そのお陰で静岡県には
せん。廃屋になった家が多い。島には信号が一箇
教会が多く建てられた。長野県の伊那谷の教会に
所しかなく、携帯もつながらない。司教様はそこ
はスペイン管区の司祭が沢山入ってこられた。一
で泳いだり、魚を釣ったりして三食自炊でゆっく
つの教会に複数の司祭がいた時期もあった。
り過ごしました。普段はほとんど休みが取れない
4.8月に行われた「平和旬間の集い」は如何でし
ので、夏休みだけは必ずとるようにしている。
たか?
司教館の食事は月曜から金曜は作ってもらう
が、土日は自分で料理を作っている。今は神学校
分科会を見て回ったけれど、あれだけいい企画
では必修科目として1年間料理の実習がある。ま
があったのにもったいない気がした。もう少し前
た、年をとられたシスターが神学校の食事を作っ
宣伝があればと残念に思った。「外国人の雇用の
ている。
問題と派遣切り」などは大変関心が持てた。今回
は第七地区が担当したので、少なくとも神奈川県
2.パリ外国宣教会のシェガレ神父様の話では、
地区にはもっと関心を持ってもらいたかった。第
フランスの郷里の教会では神父様は一人で30
七地区での反省として今回の問題点を整理して
から40の教会の司祭を兼任しているので、集会
他の地区に発信した方が良いです。司教様も地区
6
自身からこのようなことを受けたということで
マでミサに与かるとき日本人は一般的に
他の地区にそのことを伝えたい。この行事を以前
はイタリア語はできないので、心の中で日
は地区持ち回りで開催していたが、それが難しい
本語で「主の祈り」を唱えることが良いで
ということで「正義と平和協議会」が主体になっ
しょう。
てそれに協力してくださる地区にお願いすると
日本で行うミサの中で「主の祈り」は中
いう形で開催されている。ただ「正義と平和協議
心的なことなので、日本語の「主の祈り」
会」が“正義と平和”について糾弾することに力
だけにした方が良い。
点が置かれ過ぎると参加することにしり込みす
る人が出てしまう。このようなことも問題点とし
最後に、2008 年 10 月に行われた司教様司式に
て出して欲しい。
分科会を行う上でのノウハウを次に企画する
よる堅信式について掲載の広報「あつぎ」105 号と
2009 年 8 月に行われた「平和旬間」について掲載
ところに提案して引き継いでもらいたい。
の広報「あつぎ」109 号を司教様にお見せしたとこ
5.国際ミサに関して、
ろ、ご覧になり持ち帰られたことは広報部員とし
(1) 国際ミサということで、ことばをいろいろ
てこの上ない喜びを感じました。
(広報部
駆使すれば良いというわけではなく、山手
山内)
教会では日本語の「主の祈り」が難しいと
きには、最近はラテン語でしている。皆さ
んにラテン語の「主の祈り」をできるよう
待降節の黙想会が行われました
に努力してもらっている。
(2) ミサの中で様々なことばで「主の祈り」を
唱えることは?
原則として自国語で唱えるのが一般的
でしょう。ローマで教皇様のミサの時には、
基本的にイタリア語で行われ、朗読や共同
待降節 12 月 11 日(金)と 12 月 13 日(日)のミサ
後、山口道孝神父様(鎌倉雪ノ下教会
協力司祭)
による講話がありました。今回は 10 分前後の体
祈願はそれぞれのことばであったりする。
験的お話の後、話された内容に関して黙想を行い、
「主の祈り」はミサの中で中心的になるこ
それを4回繰り返し、約 1 時間の黙想会となりま
となので、イタリア語もしくはイタリア語
した。
が難しいときにはラテン語で唱える。
山口神父様
何故イタリア語が使われたかは、イタリア
は、ブランチ神
は過去に大きく植民地化しなかったこと
父様が藤沢教
による。(イタリアはチェニジアやリビア
会の主任司祭
など対岸のところを少し植民地化したこ
だったとき、中
とはあったが、そこではイタリア語は使わ
高生でたいへ
れていない。)英語でもフランス語でも差
んお世話にな
しさわりがあるのでしょう。大きな修道会
ったそうです。叙階後 20 年近くなり、その間、
では、例えば英国から、フランスから、ま
長らく海外援助関係の担当をされたり、現在も、
たは米国から総長が出たりしないで、小さ
幾つかの NGO を通して、アジア諸国、特にベトナ
な国から出るように配慮されている。
ム、インド、フィリピン、ミャンマーなどの少数
外国でミサに与かるとき、例えば、ロー
民族や東ティモールの医療プロジェクトなどに
7
関わっておられ、年間 70 回近く飛行機に乗られ
それは NHK、朝日新聞といった日本の記者たちの
るそうです。
名刺だった。この老人は、日本からの訪問者にお
茶を進め言った。「あなたたちが8番目です。あ
以下に講話の概要を記します。
の大虐殺の後、ここを訪ねてきた日本人は・・・」、
2 月 11 日(金)黙想会(個人的な体験談)
「ここへもっと多くの日本人に来て貰いたい。そ
(1)日本に貧しい子どもたちがいるとしても、
して、一緒にお茶を飲みながら、ここで何があっ
飢え死にするような子どもは非常に少ない。でも、 たのか知ってほしい」と。
アジア、アフリカの子どもたち、特に少数民族の
赦しようのない辛い体験を強いられながらも、
子どもたちの中には、ひじょうに厳しい状況に置
やられた側から和解を求める。良いクリスマスを
かれている子たちがいる。戦争や自然災害に対応
迎えられるように私たちも勇気を持って、他者と
する能力を有していない政府が世界に 90 カ国以
和解をするということを神様は望んでおられる
上も存在している。
のだと思う。→黙想
神父様が学生時代に滞在されたタイ・カンボジ
ア国境近くにあったカンボジア難民キャンプで
(3)フィリピンで、22 歳の友人の女性から、日
の出来事。約 3 万人の難民が収容される中、約 650
本人の男性なら 60 歳でも 70 歳でも良いから紹介
人の孤児がいた。その中に、チャンタラという 3
して欲しいと頼まれた。「どうして」と聞くと、
歳の女の子がいたが、トラウマによって笑うこと
彼女が家族全員を養っているが、8歳の妹が深刻
も、話すことも出来ない状態だった。トラウマの
な病気になってしまった。その妹の足を切断しな
原因は、クメール・ルージュによって、自分の目
いため手術をしなければならない。その手術代が
の前で、両親、兄姉が残虐なやりかたで殺害され
20000 ペソ、日本円で4万円かかる。しかし、彼
たからだった。しかし、ある日、チャンタラが神
女の収入は、1 日 400 ペソ、交通費を抜くと 240
父様に近づいてくるようになり、突然、飛びつい
ペソしか残らない。途方に暮れる彼女は、なんで
てきて笑った。それから、彼女は少しずつ声が出
もするという気持ちになっていた。別れ際に彼女
るようになり、友達もできて立ち直っていった。
が言った。
「身を売っても神様怒らないよね」、そ
のときどう応えればよいのか分からなかった。
他者の痛みを感じ分かち合えるようになるた
めに、どうしたらよいか?→黙想
世界には 68 億人の人がいて、そのうちの 12 億
人以上が満足に食べることのできない貧困層で
(2)極端な例:ずいぶん前のことで、日本の大
ある。この事実を、私たちは忘れてはいけないと
学 生 と 中 国 河 北 省 の 北 担 村 ( 北 京 か ら 200 ~
思う。
250km)という村を訪れた。レンガ作りの家並み
もう一つの例:横須賀三笠教会に来ていたフィ
のなかでおばさんが座っていたので話しかけた。
リピン人女性の話し。30 歳を過ぎた彼女に、20
すると直ぐに、私たちが日本人であると分かり、
歳そこそこの日本人のボーイフレンドができ、妊
狂ったように「日本人帰れ」と叫びはじめた。1942
娠してしまった。彼女は、ビザとパスポートを取
年、日本軍の三光作戦(殺しまくる、奪いつくす、
られていて、仕事以外あまり外に出ずアパートに
焼き尽くす)の一つとして、この村の農民たちを
閉じこもっていた。入管の目を気にして病院の定
地下壕に追い落とし、全員が穴の中に入ったこと
期健診にも行くことを拒んでいた。あるとき、日
を確認した後、日本兵が毒ガスを投げ入れた。犠
雇いをしていたフィリピン人の医師に彼女を診
牲者は、1000 人を越えた悲惨な事件のあった村だ
察してもらうことができた。すると、問題はない
った。被害者でその当時村長をしていた李さんが、 が、赤ちゃんは双子だった。そして数か月後、産
財布から 7 枚の名詞を取り出し、神父様に見せた。
気付いたと彼女から電話がかかり、大至急、病院
8
を手配し、タクシーを送って病院に急ぐように指
さげるひょうたん一個分の水が、全員1日に消費
示を出した。結局、病院に着く以前に、タクシー
する水量と分かった。後日、そのひょうたん一個
の中で最初の赤ちゃんが生まれた。さらに、病院
分の水量を測ってみた。ちょうど 350cc だった。
に到着した途端、二人目も出てきてしまった。日
人は一日に 50 リットルの水が無いと命が持た
本の医療の現場で、専門的な用語を使える通訳は
ないと言われている。しかし、現在、深刻な水不
ほとんどいない。日常会話のできる外国人であっ
足に陥っている国は世界に 35 カ国もあり、水を
ても、病状やその原因、また、治療方法などを理
奪うための戦争が起こると言われている。このよ
解するのは難しい。通訳にとっても同じことが言
うな状況の下、私たちは、毎日、こうして生きら
える。日頃、助けてくれる日本の友人が少なく、
れることに心から感謝しているだろうか。ある人
医療制度やその他の法律の情報も入り難い。こう
が言っていた。女性の登校率を上げると、幼児死
したひとたちがたくさん日本で暮らしている。3
亡率は下がると。しかし、女性だからという理由
年前に、彼女は子ども二人を残して亡くなった。
で、学校に行けないこどもたちが世界にたくさん
肝臓がんだった。子どもたちは、施設に預けられ
いる。
た。日本の社会全体が、外国人に対してとても冷
そうしたことも含めて、貧しいひとたちのこと
たい。私たちもこうしたひとたちの痛みを知ろう
を考え、私たちが生活のあり方を見直しながら何
という気持ちをもつ必要がある。
か出来ることはないでしょうか?→黙想
それぞれの場で、私たち一人ひとりが果たせる使
12 月 13 日(日)黙想会
命とは何でしょうか?→黙想
世界の人口は 68 億人、その中で満足な食事に
(4)行動を起こした一つの例:数年前、聖心会
ありつけないひとたちが15億人、清潔な水を得
のシスター二人と共に、ベトナムの山岳地帯に住
られないひとたちが10億人いると言われてい
む少数民族を訪問した。カンボジアの国境に近い
る。毎日 22 万人の人口増加があるが、3秒に一
ところで、ベトナム戦争中、ホーチンミン・ルー
人の割合で餓死している。
トをつぶすため、アメリカが山岳地帯に詳しい彼
私たちにとってひと事なのか、そうした状況に
らに資金を流し、CIAに協力させられていた。
あるひとのことを考えずに過ごして良いのでし
しかし、戦争終結と共にアメリカは去り、ベトナ
ょうか?
ム共産党政府から復讐を受ける形になってしま
った。
(1)ベトナムの HIV(エイズ)に関して、10 年
前に、180 人前後の感染者がいるという報告があ
約 120 の村々には、殆ど学校と医療施設がなく、
ハンセン病が蔓延している。時々、日本から薬を
った。しかし、現在、HIV 感染者は、30万人近
持ってその村々をまわるが、働ける者は町に行っ
い。貧しい人が麻薬の注射器を回し使いして、HIV
ているため、老人と小さな子どもだけが残ってい
が蔓延している。ホーチミン市の病院では、あま
る。村に残っている大人の90%以上はハンセン
りに多くなってきた HIV 感染者への面倒を診るこ
病を罹っていて生活環境は極悪といえる。薬など
とが難しくなってきている。HIV は、嘗てのハン
を配り、帰路につこうとすると、その村のリーダ
セン病と同じ扱いを受け、家から追い出されて路
ーが、聖心会のシスター二人に黒い小さなひょう
上生活を強いられているケースも多い。麻薬中毒
たんをプレゼントしてくれた。その中には、きれ
者で HIV に感染している若者たちが、田んぼの中
いな水が一杯に入っていた。このひょうたんは、
の隔離された土地で共同生活している例もある。
毎朝、多少元気のある村人が、村の全員のために
また、母体から HIV に感染してしまった多くの子
ひょうたんに水を詰め持たせている。腰に各々が
どもたちも、3年サイクルで命を長らえている。
9
カトリック教会は、必死で生きているこうした子
子どもは、心の中にあることを正直に出せる。
どもたちを支えるよう、例外的に共産党政府から
でも、私たちは、世間体を気にし、本当にするべ
依頼されている。遠いところで起きているとはい
きこと、いうべきことをできないでいるのかもし
え、私たちがこうした問題に無関心でいてよいの
れない。
だろか。世界でおきていることを自分の事として
自分と神様との関係が、共同体の中で養われ強
考えなければいけないように思う。実際、資源や
められていくとすれば、そこにすばらしい共同体
外交を含め、私たちの生活に関係することがたく
ができあがっていくと思います。教会での当番や
さんある。
担当など、自分は何のためにやっているのか、い
神様は、私たち一人ひとりに、同じではない違
やいやするのではなく、自分は共同体の中でどん
うメッセージを送っている。自分は何をすること
な役割を果たすよう呼ばれているのか黙想して
を神様から期待されているのか、自分らしく黙想
みましょう。
してみてください。
(3)ミャンマーの少数民族の話。少数民族であ
(2)教会共同体のメンバーは、誰々がこう言っ
るカレン族の9割は、クリスチャンでその中心の
たから、また、何々をしなければという義務的な
一つが、首都ヤンゴンから千キロ南にくだった地
行動ではなく、教会のためにどうすればよいのか、 域にある。民族間の争いが続いているため、生活
教会に来て良かった、共同体のメンバーでよかっ
の基盤となる畑のあるところから強制的に別の
たと思えるためにはどうするのがよいのか考え
場所に移住させられ、耕作を続けるために闇にま
る必要がある。以前、クリスマスの時期にベトナ
ぎれ数時間歩いて畑に行くひとたちもいる。しか
ムのメコンデルタ地帯に行った。そこはジャング
し、いてはいけないところにいるということで政
ルが多く、ベトナム戦争中には、ベトコンとアメ
府軍の兵士に打ち殺されることも少なくない。
リカ軍が激戦を繰り広げたところ。その中に幾つ
その一帯に4つの孤児院があり、それぞれ50
かのカトリック村があるが、それらはみな戦争中、 人前後の子どもたちが収容されている。年間50
アメリカ軍や南ベトナム政府軍に協力させられ
0人の子どもたちが、親を失っているとも言われ
たため、共産化した現在、逆に弾圧を受けている。
ている。今年の初め、新潟教区の菊地司教様と二
その教会でちょうどクリスマスのミサにあず
つの孤児院を訪ねた。そのとき、子どもたちに質
問した。
「お父さんかお母さんが亡くなったとき、
かった。短い説教の後、子どもたちによるご降誕
「こ
の聖劇が行われた。マリアに連れ添ったヨゼフが、 そこにいたひと」全員が、手を挙げた。次に、
「部屋はないか」と宿屋の主人とかけあう。しか
こは良いところですか」全員が「良いところ、楽
し、「どこにも空き部屋などない」と断られ、そ
しいところ」と応えた。
「それではなぜ楽しいの」
れでも、3回ヨゼフは、宿屋の主人に頼もうとす
と聞くと「安全だから。ご飯が食べられるから。
る。マリア役の女の子は、苦しそうに最高の演技
友だちがいるから。そして、勉強出来るから」と
をし、ヨゼフが「彼女は本当にここで倒れてしん
4つの応えが返ってきた。この中の5歳になる男
でしまうかもしれない」とセリフをいった瞬間、
の子は、50キロ離れた自分の村からたった一人
宿屋の主人役の年下の男の子の表情が変わった。
で歩いて来たと知った。
そして、「そんなに苦しいんだったらなんでここ
私たちは、今、こうして平和に生活できている
で劇なんかやってるんだ。直ぐ僕の家に連れて行
ことを感謝しているだろうか?また、神様に喜ん
ってあげるから、休まないと」と言った。それを
でいただけるように私たちは何かしているだろ
聞いた会衆は全員立ち上がり、大きな拍手が沸き
うか?
起こった。
キリストの誕生を祝う準備として、まず、感謝し
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ているか、何に感謝しているか黙想してみましょ
う。
第42回横浜教区一粒会大会概要報告
(4)アフリカ、カメルーンの若い司教様に関す
秋晴れに恵まれた 2009 年 10 月 12 日体育の日
る話。自分の教区がとても広く、まだ訪ねていな
(月)静岡県裾野市不二聖心女学院にて開催され
い地域もたくさんあった。ある時、教区内の最も
ました。参加者は約850名、当教会からは7名
遠く、カトリック信者がほとんどいないところで
が出席されました。
複数の伝染病が猛威をふるった。そこで、若者た
ちを集め、何か良い案がないか話し合っていると、
担当されたのは、静岡東部地区(伊東、熱海、御
殿場、三島、沼津、富士)の方々でした。
ある20代の若い看護師が、自分がそこへ行って
も良いと名乗りを上げた。そして、彼女はその村
”召命とは何か?
主テーマは
へ向かった。それから2年、その村から伝令がや
-生活におけ
るキリストのあかしを通して召命を
ってきた。彼女がマラリアに罹り亡くなったとい
”あなたも行って人に伝えなさい”
う知らせだった。
-
ルカ10-3
7に基づきます
■
司教は、生前、彼女を一度も訪ねなかったこと
ー
を悔やみながら、遺体を引き取るため遠いその場
所へ若者たちと向かった。村に着くと、そこには
■
遺体と共に、村の長と全村人が立っていた。司教
祈りのつどい
静粛な祈りと聖歌(全員参加)
あなたも行って人に伝えなさい
開会挨拶
一粒会本部委員長
-
枡田英郎氏
長年に亘り本業である眼科医として奉職、殊
は、「本当に残念です。でも、今、私は皆さんに
にカメルーンでの医療奉仕を通じ、祈りの輪、神
何かできることがありますか」と話しかけた。す
との交わりの体験を語られました (注1、注2
ると村の長が尋ねた。「あなたに伺いたいことが
参照)
あります」。「彼女の神様は誰ですか」。司教はそ
の質問の意味が取れずもう少し説明するように
■
頼んだ。そして、長が続けた。「彼女はここにい
分科会
ー大人ー
”召命とは何か」
る2年間、決して彼女の神様について語りません
講堂にて
---
私の召命
--
このテーマにしたがって、シンポジウム、パネ
でした。でも、村の全員が、彼女の言葉を通して
ル討論形式で実施されました。 進行役は聖パウ
彼女の神に語りかけられました。彼女の手を通し
ロ修道会澤田豊成神父様、清泉小学校シスター堂
て、彼女の神に触れて貰いました。そして、彼女
平房江さん、神山復生病院看護士
の存在を通して、彼女の神に出会いました」。司
富士教会信徒
教はそれに感激し、キリスト教の話をした。
井坂玲子さん、
横山レイカさん、藤沢教会
宮内
毅助祭(藤沢教会)の五名の方々によります。
そして、翌朝、司教一行が村を去ろうとすると、
職能的専門の立場から神様との関わり、抵抗し
長が司教に尋ねた。「昨日司教様は私たちに何か
きれない神様の御力に導かれたこと、修道者、司
できることはありますかと聞いてくださいまし
た。今、村人全員、いただきたいものがあります」
。
関わり、福祉活動、行政との軋轢の中で神の声が
「彼女と同じ神様を下さい」。こうして、この部
聞こえたこと、ミサ奉仕中の司祭の言葉によって、
族全員がキリスト教の洗礼を受けた。信仰は、生
神学校に導かれていたこと、臨終の患者さんを看
きることを通して伝えていくのだと思う。
(広報部
祭へ不思議な力で導かれていたこと。外国人との
取り、ホイヴェルス神父様の”最上のわざ”の真意
山内)
が理解できたことなど、体験を通じ、”神の声に
11
耳を傾け、それに応える勇気によって、召命が生
異動情報
(2009.10.1~2009.12.31)
成され且つその延長上に司祭、修道者への召命が
ある”と結ばれました。
”私自身の召命とは何?”テーマへのソルーショ
教会事務へのお届出時に掲載を希望されな
ンの一例として:
い方の情報は割愛しています。
澤田神父様のお兄様が神父様を目指しておられ
挫折、それを見て神に導かれた。
個人情報のため削除
(澤田神父様)
■
分科会
静岡教会
ー子供の部
---
濱田神父様、山手教会
敬称略
(注2)
谷脇神父様方
のご指導によります。
ー
講師の方々の神様との関わりなどのお話を
伺うこと。
ー
感じたこと、疑問などをもとに
ー
”どのように自己を神様にささげたら?”
”祈りの手カード”作成によっての表現です
エアチン・オボス神父様による奉納の歌、踊りの
練習
■
大会ミサ:-
子供とともにささげるミサ
-
生徒全員が一堂に会し、ミサ聖祭に与かること
が可能であること、空調設備更新を含め2008
年6月更新された聖堂で梅村司教様、はじめ37
名の司教団司式によってささげられました。
特記すべき点は、アフリカ、ペナン共和国から
来日されたエチアン・オボス神父様ご指導による
タムタム(太鼓)のリズムによる歌と踊りによる
編集後記
奉納でした。
今号から竹内恵子さんが広報部員として加わ
平和に満たされ大会が無事終了しました。
り、次号からもう一人女性が加わります。一方、
準備ならびに当日の奉仕をされた静岡東部地
私(山内)と広報部長の永田さんは退任します。
区各位、施設提供を快諾いただいた不二聖心学院
永田さんは昨年 4 月頃からお仕事が超多忙になり、
各位に深く感謝の意を表します。
残念ながら広報部活動ができませんでした。この
タイミングで広報部に 2 人加わることで、新年度
注記:
も継続して広報「あつぎ」を発行できる見通しが
注1、一粒会だより
注2
カトリック
09年12月
2009年12月号に細目
横浜教区報
”司祭年にあたり
あり参照方願います。
64号
つき、神様のお恵みに感謝しています。
20
当面、私は裏方で力になれればと思っています。
”に細目記事が
(広報部
(広報部:永田、山内、竹内、植木)
植木)
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