Page 1 第 分科会− 3 ライプニッツの 公式の発見 微積分法発見を通して

ライプニッツの
4
第 4 分科会− 3
公式の発見
微積分法発見を通して
埼玉県立松山高等学校 田沼晴彦
ライプニッツの微積分法の発見の一つのマイルストーンとなる『円の算術的求積』は、彼が 1673 年春から本格的
に数学研究を始めて、ほぼ 1 年半後の 1674 年夏までに完成していた。その直接的帰結である公式
1 1
4 =1 3+5
1+1
7 9
は、彼が生涯誇りとした成果であった。
1
11 + Numero deus impari gaudet
(1)
神は奇数を喜ぶ
この小論ではこれまで文献や研究を参照し、彼の微積分法発見ともいうべき『変換定理』の原型がこの過程でどの
ように見出さたのかを調べ、その発見を追体験してみたい。
る重要な成果となっている。
1
ライプニッツ 誰?
我々は日々、ライプニッツ流の微積分法を教えている。
ニュートンのそれは物理学の一部に y_ のような形で残って
いるが、彼のネームバリューに比べその知名度は低い。
確かにニュートンは、驚異の年 Annus
Mirabilis
やプリ
ンキピアなどの逸話は広く知られ、それらの研究も多い*1 。
一方ライプニッツは哲学者としての知名度はあるが、微積
分法をニュートンと同時代に発見しその先取論争を繰り広
げたくらいが知られてだけではないだろうか。
ライ プニッ ツ
helm Leibniz
パリのライプニッツ
1672 年 3 月末、26 歳のライプニッツは対フランス外交
交渉を担いパリを訪れた。ただこの交渉はすぐに頓挫して
しまった。しかし彼はそのままドイツには戻らず 4 年間フ
ランス滞在を続けていくことになる*4 。何よりも世界の知
的中心都市であるパリに魅了されてしまったのかもしれな
い。彼は豪勢に着飾り、パリ風のフランス語を練習しサロ
ンの寵児になるべく彼の心は浮き立っていた*5 。
1672 年秋、ライプニッツはパリ科学アカデミー会員で
あるホイヘンスに面会している。また 1673 年 2 月にはロ
Gottfried Wil-
(1646-1716) の数学
ンドンも訪問している。彼は算術計算機の開発や階差数列
に限った略歴を見てみよう。彼
の知識を吹聴したが、ホイヘンスからは親切に研究の方法
はライプツィッヒに生まれ同地
を示唆され、ロンドンでは不評を買ってしまった*6 。この
で法学を学んだ後、マインツ選帝
経験を契機にライプニッツは数学研究に邁進していくこと
侯の法律顧問となっている。外
交使節として
2
になる。
1672 年から 1676
その後バロウやメルカトールのイギリス数学、そして大
年をパリに滞在し、ホイヘンスの
知己を得、2 回のロンドン訪問を通し数学研究を始めた。
1674 年に『円の算術的求積』を書き、1675 年 10 月頃微
積分法の発見をなしている。その後宮廷司書としてハノー
ファに戻るが、1684 年より微積分法の論文の発表を始め
た。1700 年前後からニュートンとの微積分法発見の先取
論争が激しくなり、1716 年に死去している。
陸ではパスカルの正弦の積分などに刺激され、1674 年夏
には『円の算術的求積』を完成させ、その帰結としてπ公
式 (1) を得ている。それはきわめて短時間にライプニッツ
が数学の最先端に到達したことを示していた。
3
『円の算術的求積』
この『円の算術的求積』を得た
彼は生涯宮廷人でありハノーファという辺地に留まり
1674 年 10 月、ライプ
ニッツはホイヘンスにその詳細を記した手紙を送ってい
1675 年末には、ジュナル誌*7 の編集を
生涯を終えた*2 。その中から微積分法の基本定理の発見
る。さらに翌年の
し、ベルヌーイ兄弟、ロピタル、ヘルマンそしてヴァリ
担当していたラ ロックにも同様な手紙を書き送った。た
ニョン等の大陸の数学者たちとこの数学の発展と応用を、
だ前者の手紙の証明は、モーメントという力学概念を利用
誌を中心に繰り広げていった。それは
した証明が書かれ、後者では微積分法発見へつながる『変
まさに、我々の微積分法そしてニュートン力学*3 を形成す
換定理』が記されてあった。ここではホイヘンスへの手紙
Ata Eruditorum
を中心に、ラ ロックへの手紙との差異を調べてみた。
*1 www.amazon.om の books で \Newton" と入力すると 29,696
項目が、\Leibniz" では 4,331 項目が検索される。ニュートンは
ライプニッツの 7 倍の知名度があることがわかる。
*2 ライプニッツは、無許可で勝手に旅行を繰り返してはいる。それ
は候との軋轢の原因でもあった。
*3 『ニュートンの力学 (プリンキピア)』と『ニュートン力学』とは異
なる。後者はライプニッツたちが展開し、現象を微分方程式で表
4-3-1
し積分により解を得るという近代科学のスキームを形成した。
*4 ライプニッツはパリ滞在許可の条件としてマインツ候からは無給
が条件となっていた。
*5 [7℄ 第 9 章 恋するライプニッツ より
*6 しかし計算機の計画によりソサエティ会員に推挙された。
*7 パリ科学アカデミーの研究論文誌
第 4 分科会− 3
ライプニッツよりホイヘンスへ
3.1
1674 10
P N の AC からのモーメント*10 を m とする
ax
m = PN x = p
2ax x2
) y=m
* 命題 I より
月
この手紙には、1 つの定義と 10 の命題が書かれてある。
我々はその骨子となる命題とその証明方法*8 を見ていく。
(
P N は無限に小さい ! P N の和は弧 AB AB の AC からのモーメントを M とする。
BC に対し、AC = AL = y; AD
ax
とするならば、y = p
である。
2ax x2
=x
(
命題 I
図 1 の接線
3.1.1
M
#
!
証明
/
弧
IV
AB の AC から量ったモーメントは弓形 ABA
の倍に等しい。
図 3 において
4NP V 4MBD ! NP : NV = a : a
! NP (a x) = a NV
! NP x = (NP NV ) a
よって弧 AB の AC から量ったモーメント M は
M
(
= m = NP x
= (NP NV ) a = aNP aNV
= a AB a BD = 2 (扇形 MAB 4MAB)
) M = 2 弓形 ABA
M = 2T2
1
3.1.5
5
命題
!
P N : QR = a : BD
QR = 1 とする。また BD =
a
PN = p
2ax x2
p
2ax
4
2
図4
V
倍に等しい。
3.1.6
命題
T1 = 2T2
VI
彼はここで一転して、メルカトールがその著書『対数技
法 Logarithmotehnia (1668)』で展開した長除法による無
x2
限級数を論じていく。
y 4 + y 6 y 8 + y 10
y2
は
1 + y2 である。
y2
*8 読みやすくするため、ライプニッツのオリジナルの証明を簡略化
あるいは変更している。
*9 ライプニッツは「学術の共和国において権威ある人により適切な
名前を与えてもらいたい 」と書いている。
78
6
(
ら量られた弧 AB のモーメント Moment に等しい。
4P NV 4BMD !
7:
部分 ADEA の面積 T1 は弓形 ABA の面積 T2 の 2
図2
命題 II
図 3 において、図形 AEDA の面積 T1 は、軸 AC か
証明
3
79
;
0
<
x
(
*
証明
B; (B1 ); T; (B2 ); (B3 ) : : : の 接 線
に対し、AC = AL; A(C1 ) = A(L1 ); AS =
AN; A(C2 ) = A(L2 ); A(C3 ) = A(L3 ) : : : と
し無名曲線 AE (E1 )K (E2 )(E3 )F を定義する。
命題
3.1.4
定義する。
円周上の点
3.1.3
$
'
,-
図3
x
.
&
無名曲線 Anonyme の定義
無名曲線 Anonyme *9 AEQK (E )F を図 2 のように
)
(
2ax
%
図1
4AOC 4BDM ! AO : BD = AC : BM
4ACO 4BCG ! AO = BG また BM = AM
p
! BG : BD = AC : AM ! x : 2ax x2 = y : a
) y = p ax 2
3.1.2
+
(
"
= m = y = 図形 ADEA の面積
) M = T1
4-3-2
*10 モーメント
Moment とは 力
いる力学概念。
y 12 などの無限に続く和
距離 。天秤の釣り合いなどで用
第 4 分科会− 3
証明
2
= 1 +y y2 11
y2
1 + y2
y2
y2
2
= 1 y y4
1
y4
y4
3.1.9
命題 IX
半径 a = 1;
AC
= AL = b; b < 1 とすれば、
彼はここで「幾何学者によく知られた事実」として
扇形 AMBA の面積
つぎの展開を主張していく。
1
1
命題
3.1.7
=1 + y + y + y + y
y4
y2
1 + y2
4
8
12
16
などより
3
b
T3 = 2 5+7
3
9 + 11
13
などに等しくなる。
= 1 とするならば
証明 命題 I より、半径 a
2y2 = 2
1 + y2
LE =
などとなる。この
y4 + y6
y2
y 8 + y 10
y 12
LE のすべての和 (0 < y < b)
命題
をつぎにとる。このときライプニッツは「あらゆる
(
y 2 の和は 中略
い。
」*11 と述べ
部分ALEA
b3
)y の最も大きい b に対し 3
=2 3
b7
b9
5+7
b11
9 + 11
b13
3.1.10
13
命題
b3
5
直径の円周に対する比は
1 : 14
命題
証明
命題
VIII
らば
ホイヘンスへの手紙では、円に固有の性質としてつぎの
命題を示している。
長方形
ADE と長方形 MAS の和は、2 AL a
に等しい
AD = x; AL = y =
証明
! ADE = p
2ax
p
x
ax
=2 p
2ax x2
= 2 AL a
a
9
など
4+4
3 5
4
7
3.2
など
IX において、4 分円すなわち b = 1 とするな
1 円の面積 = 1 1 + 1
4
3 5
1
7
など
円周
2 の長方形。
ライプニッツよりラ ロックへ
1675
など
年末
ホイヘンスから約 1 年後にラ ロック宛に書かれた手紙
では、弓形 ABA の面積が無名曲線による部分 ADEA の
R n
yn+1
y dy =
という知識は、表現に差異はあるもの
面積 T1 の
1 となる命題 II、IV、V の部分が、後の『変換
2
定理』と呼ばれる方法に置き換えられていた。
n+1
の幾何学者にはよく知られた事実であった。
b13
b
7+9
1 円の面積 = 円周 * 半径 = 1
4
8 1 円の面積
直径 : 円周 = 2 : 8 4
= 1 : 4 1 31 + 15 71
ax
2ax x2
MAS = a DB = a 2ax x2
2
p
! ADE + MAS = p ax 2 + a 2ax x2
*11 この時代
X
となる。一方、円の面積 = 半径
p
ax2
2ax x2
b11
b7
b
3+5
MAB = b
となる。
が成り立つことを主張した。
3.1.8
b9
VII より ADE + MAS = 2b * a = 1、
扇形
b5
b7
よってつぎの式を得る。
に等し
= LE
3
b
11
5 + 7 9 + 11 13
1
一方命題 V より弓形 T2 = T1 、
2
1
また、4MAB = MAS より
2
1
1
扇形 MAB = 弓形 T2 + 4MAB = T1 + MAS
2 2
3
xb
1
b5 b7 b9
b
= 2
3 5 + 7 9 + 2 MAS
= 12 (ADE + MAS )
3
b5 b7 b9
b
+
3 5 7 9
* xb = ADE
1 とし、BC = AC = AL = OD = b
ただし b < 1 とする。ならば Anonyme 曲線の部分
ALEA の面積 (T3 ) は
b13
b5
= xb 2 3
円の半径を
b11
b11
VI で導いた図形 AMBA の面積 (T3 ) を用い
て、図形 ADEA の面積 (T1 )
T1 = ADEL T3 = x b T3
彼はつぎに図 4 の面積 T3 を項別積分により求めていく。
b9
9
b
7+9
命題
VII
b7
b7
などとなる。
b5
5
b
3+5
証明
= y2 1 + y4 + y8 + y12 + y16
y 4 1 + y 4 + y 8 + y 12 + y 16
= y2 y4 + y6 y8 + y10 y12
3
b
b3
= 1b
4-3-3
部分 ADEA の面積は弓形 ABA の面積は倍である。
第 4 分科会− 3
証明
図 5 において
4BB B 4ACC !
0
00
0
AC
0
=
4
B 0 B 00
AC
BB 0
続けた*12 。パリで過ごした 20 代後半の 4 年間はまさに彼
4ABB = 12 BB AC = 21 B B AC
0
0
0
0
00
の青春であったのだろう。ページの背後から高揚した彼の
= AL = DE; B B = D D より、
1
= 2 DD DE
4ABB = 12 DD DE
! 弓形 ABA = 21 部分 ADEA
AC
さらに
4ABB
0
0
00
0
気分が伝わってくるようだった。
ライプニッツは、このとき身に着けたバロック風の派手
0
0
0
バロックなライプニッツ?
個人的なことではあるが、冬休み中ライプニッツを読み
な衣装や大きな鬘のスタイルを生涯変えようとはしなかっ
た。それは晩年、まったくの時代遅れとなり若い貴族たち
から失笑を買っていたのだが。
ただ彼はパリ時代を懐かしんでいたのかもしれない。ホ
ここで用いられた方法は、円だけでなく一般曲線をその
イヘンスやアカデミーの科学者たち、そしてロイヤル ソ
接線から導かれる新しい曲線に変換し求積する方法であ
サエティの人々との交流、そこで彼は時代の最先端へと躍
る。ライプニッツが接線と面積の関連性に気づく重要な発
り出ていったのだから
この小論で、ライプニッツの初期の微積分法の形成を調
見であった。ラ ロックへの手紙はその最初の応用である。
D
=
> EE
>
べてみた。やがてライプニッツとその弟子たちの流れが、
@
微積分法という世界を変革する数学を形成していく。しか
CE
>E
しそこには研究されてはいるが一般には知られていない
ことがらも多い。ただこの時代に展開された彼らのドラマ
A
C
は、我々の数学が決して実用だけではない、知ることへの
大きな魅力を秘めているように思える。
B
?
Referene
[1℄
図5
3.3
1985 E.J. エイトン著 渡辺正雄 原純夫 佐藤文男 訳
工作舎 1990
[2℄ 科学革命をリードしたバロックの哲人 工作舎 1997
第 2 巻 数学論 数学原亮吉 佐々木力 三浦伸夫
第 3 巻 数学 自然学原亮吉 横山雅彦 三浦伸夫
[3℄ 数学講座筑摩書房 1975 第 18 巻 数学史 伊藤俊太郎
ライプニッツの独自性
L
G
H
N
F
Q
P
M J
O
原亮吉 村田全
K
I
ライプニッツの普遍計画− バロックの天才の生涯
[4℄
ライプニッツ―普遍数学の夢 (コレクション数学史)
林知宏 著 東京大学出版会
図6
ライプニッツの『変換定理』は、図 6 の一般的曲線の部
分 AP CA の面積が、点 P の接線の y 切片により描かれる
1
変換曲線 ARS 下の面積の に等しいと主張している。
2
バロウやパスカルの幾何学的方法を、ライプニッツは、
この『円の算術的求積』を手始めにサイクロイドや双曲
線 など一 般曲線の 求積に 応用して いく。その 過程で幾
何学は一貫性のある微積分法の記号により置き換えら
れ、それらが幾何学と等価なあるいはそれ以上に可能性
[5℄
ライプニッツと円周率 林知宏 数学文化
vol.1 No.1
pp.49-58 日本評論社 2003
[6℄ カッツ 数学の歴史 V.J. カッツ 著 高橋秀裕 他 訳 共
立出版 2005
[7℄ 宮廷人と異端者 M. スチュアート著 桜井直文 朝倉友
海 訳 書肆心水 2011
[8℄ The Most Teahable Mortals MathPages.om www.
mathpages.om/home/kmath335/kmath335.htm
[9℄ Pasal and
を 持つ手 法である こを理 解してい った。彼は この時期
tations
Leibniz:
Mathematial
Sines,
Cirles,
Intentions
and
Transmu-
quadrivium.info/
MathInt/Notes/Transmutation.pdf
「眼前に大海が開かれている」と記している。それは無限
小幾何学から微積分法への大きなパラダイムの変化を予感
2003
[10℄ Leibniz in Paris 1672-1676 His Growth to Mathematial
Maturity J.E.Hofmann Cambridge Unv.Press 1974
した彼の言葉であったのだろう。
*12 主に [1℄ と [7℄。後者はスピノザとライプニッツの関係を推理小説
4-3-4
風に仕立てた興味深い 1 冊。推薦!