私は今まで - 岩井國臣

佐伯啓思の「正義の偽装」について
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はじめに
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目次
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第1章 自由主義と民主主義について
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第1節 究極の自由主義・・ジョン・グレイの「自由主義」
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1、ジョン・グレイの「政治哲学」を勉強するに当たって
2、 ジョン・グレイの「自由主義二つの顔」日本語版への序文
3、解説 ジョン・グレイの「自由主義批判の航跡とその思想的意義」(小林正弥・宮崎 文
彦)
4、内田樹の「日本辺境論」
5、「価値観」は何故人それぞれに違うのか
6、精霊万年
7、「暫定協定自由主義」と「スピリット(精霊)」
8、宗教、神話、祭りの「再魔術化」
9、 再魔術化の罠
10、私たちの感性でジョン・グレイの政治哲学を呑み込もう!
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第2節 佐伯啓司の指摘する民主主義の大欠陥
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第3節 これからの日本の政治・・・民主主義について考える
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1、民主主義国家について
2、古代ギリシャの民主政
3、ポピュリズム
4、今西錦司のリーダー論
5、セネットのポピュリズム
6、市場経済について
7、政治家よ!「関係子」たれ!
8、 ポピュリズムのゆくえ・・・対話と地域コミュニティ
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第2章 天皇
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第1節 佐伯啓思の指摘
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第2節 私の天皇論
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1、律令制と天皇の聖性の確立・・・藤原不比等の深慮遠望
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(1)律令制の確立
(2)天皇の「聖性」
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2、天皇と怨霊・・・天皇の周辺にも血生臭い出来事があった
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3、天皇の聖性と政治的権力
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(1) 足利義満の暴挙・・・天皇の聖性を蔑ろにした結果の不幸
(2)「空」なる天皇
(2、1)日本の「歴史と伝統・文化」の心髄 (2、2)日本の「歴史と伝統・文化」の象徴である天皇
(2、3)「違いを認める文化」の象徴としての天皇
(2、4)天皇について思うこと・・それは「空」!
佐伯啓思の「正義の偽装」について
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はじめに
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佐伯啓思の「正義の偽装」(2014年1月20日、新潮社)というまあ驚くべき本が出た。佐伯
啓思はものの見方が確かである。私が大いに教えられる思想家は中沢新一と佐伯 啓思の
二人であり、その二人の著書はほとんど全部読んでいる。今度はどんな本が出るのか、い
つも心待ちに待っているが、ようやく佐伯啓思の新しい本が出た。それが「正義の 偽
装」であるが、これは画期的な本である。あるべき政治形態として民主主義が世界を闊
歩しているが、彼は、民主主義に疑問を投げかけ、出版社をして「民主主義の断末魔が聴
こえる」と言わしめている。ともかくすごい本だ。カバーの裏にはこう書いてある。すな
わち、
『 何を信じたらよいか、何を信じるべきか。景気回復、東京五輪など楽観ムードが漂う
中、日本人の精神に何が起きているのか。「アベノミクス」という虚構、「憲法」という
誤謬(ごびゅう)、「復興」という矯飾、「天皇家」への警鐘・・・大震災後の出来事から
表出する国家のメルトダウン。民意や国民主権という幻想の下、幸福を一途に追求してき
た日本に今、民主主義の断末魔が聴こえる。稀代の思想家が真理を隠す「偽善の仮面」
を剥ぐ。』・・・と。
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実は、佐伯啓思は、少し前に、「自由と民主主義はもう止 める」(2008年11月, 幻冬舎)を
書き、それに関連して私は自由主義について私なりの考えを述べてきた。これから佐伯啓
思の「正義の偽装」(2014年1月20日、新潮社)の書評として民主主義 についての私の考え
を書いていくのだが、まずは、佐伯啓思の「自由と民主主義はもう止める」に関連して申
し述べてきた自由主義について私なりの考えを振り返っておきたい。
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佐伯啓思は、「自由と民主主義はもう止 める」のなかで『今日の先進国、特に日本の問
題は、自由の抑圧というより「自由の過剰」から、貧困というより「過剰な物的幸福の
追求」から、価値による束縛というより「価値の崩壊」から生じているんではないでしょ
うか。』・・・と言っているが、私は、日本における現在の問題が 貧困というより「過
剰な物的幸福の追求」にあるという彼の認識、つまり「貧困」と「自由」についての認識
は、多分、間違っていないように思われる。しかし、「貧困」の問題は政治と深くかかわ
り合って生じてきているのではないか。
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現在さまざまな形の貧困が顕在化してき ている。学生の就職浪人、ニート、ワーキング
プア、ネットカフェ難民、派遣切り、ホームレス、生活保護家庭など・・・の生活困窮者
がここ数年急増してき たが、この傾向は収まる気配はなく、深刻な社会問題になってい
る。贅沢でなくて良い、ある程度安定した生活を望むは誰しも同じだ。しかし、それが出
来ない。「自由」な生活が出来ないのは「不自由」なのである。新自由主義はそういう
「不自由」を放置してきた。放置してきたというのはやや言い過ぎかもしれないが、少な
くとも重視してこなかったのは事実だ。
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20世紀に入ってから、伝統的自由主義に対する修正の動きが明確になる。これが「福祉
国家」とよばれる動きであり、年金、失業手当、医療保険、最低賃金等の社会 保障・福
祉政策を充実させていった。他方、経済政策においてはケインズ主義に基づく国家の介入
が正当化されてきた。例えばアメリカのルーズベルト(FDR)政権は、従来の「自由主義」
的経済運営を修正し、ソーシャルセキュリティー制度の創設、連邦政府の大規模公共事業
による景気回復を図った。
このような高福祉・政府の経済介入、いわば「大きな政府」路線は、1970年 代の為替自
由化、オイルショック、それに伴う高インフレ、高失業によって修正を余儀なくされる。
特に、第二次世界大戦を期に世界の覇権を失い衰退一方で あったイギリス、ベトナム戦
争で疲弊した上にカーター政権の経済政策が失敗しインフレに見舞われたアメリカにおい
ては、福祉国家に代わって経済を回復させる新たな政策パラダイムが求められていた。
ここで登場するのが「新自由主義」であり、具体的にはアメリカ合衆国のレーガン政権
による「レーガノミクス」、イギリスのサッチャー政権による「サッチャリズム」であっ
た。
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新自由主義においては、経済への政府の介入を縮小し(所謂「小さな政府」)、規制緩和等
を通じて従来政府が担っていた機能を市場に任せることが行われる。ケインズ主義は
需要を政府がコントロールする「総需要管理政策」を指向するのに対し、新自由主義にお
いては供給サイドの活性化を目指す「サプライサイド政 策」が採られる。この場合、減
税により資金を民間に回し、規制緩和や政府部門の民営化等の手段によって民間経済を活
性 化させる方策が指向される。
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自由主義や保守主義というものも進化し ており、冷戦時代のイメージを引きずったまま
或は現在の姿をもとにした「批判」というものは、将来を議論する際にはよほど気をつけ
ないといけない。ホワイ トヘッドの「プロセス哲学」が明らかにしているように、保守
とは過在、現在、将来という歴史的な繋がりつまり「プロセス」を大事にする思想であり、
「改革 の連続性」を含意とする思想である。
自由主義や保守主義というものも進化している。そういう進化を前提として、私は、佐伯
啓思の言い方とは反対に「自由と民主主義をやめるな」と言いたい。 佐伯啓思が言うよ
うに、冷戦時代のイ メージをまだ引きずった形での「親米保守」というのは確かに語義
矛盾であるかもしれないが、将来は「親米保守」という言葉が自由主義や民主主義の理想
をイメージする言葉になっているかもしれない。佐伯啓思の著書「自由と民主主義をも
うやめる」はとても良い本だけれど、よほど注意しないと誤解を与える。 佐伯啓思と私
は気持ちは同じであるが、少し違うところもある。
「新自由主義」は、私に言わせれば、貧困問題を放置ないし軽視しがちであるという点
で、大きな欠陥を持っている。ポスト「新自由主義」は、ジョン・グレイの提唱する 「自
由主義」である。私は、それを「究極の自由主義」と呼ぶことにする。
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このあと「究極の自由主義」というものを紹介するが、その前に 佐伯啓思の「自由と民
主主義はもう止める」のなかで『今日の先進国、特に日本の問題は、自由の抑圧という
より「自由の過剰」から、貧困というより「過剰な物的幸 福の追求」から、価値による
束縛というより「価値の崩壊」から生じているんではないでしょうか。』という考えに関
連して、「幸福」ということについて触れておきたい。結局、政治というものは、国民み
んなを幸せにするためのものであるので、「幸福の方程式」というものが判ってないと政
治は間違いをおこす。
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私の「幸福の方程式」は、「地域コミュニティ」とその「風土」に関する十分な知識と智
恵がないと解けないのである。しかし、私の地域コミュニティ論と風土論 をここで述べ
ているといくら紙枚が あっても足りないので、ここでは「 世界でもっとも大切にされる
べき価値観とは、地域の人々とともに風土を生きるその充実感ではないか。」という問題
提起だけをしておくこととする。 「幸福の方程式」については、山田昌弘の著作『幸福
の方程式」(2009年9月、ディスカバー携書)によって勉強することとしたい。私の考えの
補強になっ ている筈だ。
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山田昌弘は、上記の著書で、「幸福」というものを「消極的幸福」と「積極的幸福」に大
別し、私たちは「消極的幸福」から脱却できなければ次の「積極的幸福」 に向かってい
けない旨主張している。「消極的幸福」とは、主として「貧困からの脱却」をイメージす
れば良いと思う。その「消極的幸福」については、山田昌弘の上記著作を読んでいただ
くとして、ここではあえて論じない。 ただし、今まで自民党が薦めてきた「小泉改革」と
いうか「新自由主義」の欠陥を正すた め、民主党の進めようとしていた「新福祉国家」
はそれなりに歴史的意義があったということだけは申し上げておきたい。 山田昌弘のい
う「消極的幸福」は、憲法でいう「健康で文化的な生活」のことであり、国はこれを保障
しなければならない。小泉改革はこの問題の意識が希薄で自民党は国民の信頼をなくした。
当然の帰結であ る。しかし、これは 「新自由主義」を押し進めた当時の自民党が悪いの
であって「自由主義」が悪いのではない。本来、保守というのは、「歴史と伝統文化」を
大事にしながらもそれに固執することなく、絶えず進化を続ける精神であり、自民党はそ
の精神を忘れてしまったようだ。河合隼雄の言い方をかりれば、「歴史と伝統 文化」を
大事にしながら、「矛盾システムを生き る」ことが肝要である。
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山田昌弘のいう「消極的幸福」は、憲法でいう「健康で文化的な生活」のことであり、国
はこれを保障しなければならない。イデオロギーの問題ではない。実現の方法について
は、「自由主義」の立場でいくのか「非自由主義」の立場でいくのかという政治的対立軸
があるとしても、目標そのものに政治的対立軸がある訳ではない。 自由主義の立場に固
執して「ポスト新自由主義」を構想する、それが私が「究極の自由主 義」と呼ぶ・・・
ジョン・グレイの「自由主義」である。もちろんこれは理想である。現 実ではない。し
かし、現実の政策を考える時においても、理想つまり今後向かうべき方向というもの が
定まっていないといけないので、まず最初に政策目標の理想について触れておきたい。今
後向かうべき方向は、イデオロギーとしては「究極の自由主義」であり、具体的政治目標
としては山田昌弘のいう「積極的幸福」である。 それでは、山田昌弘のいう「積極的幸
福」を勉強することにしよう。
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今までの近代社会における「積極的幸福」は物質的な豊かさを追い求めたものであった
が、これから「ポスト近代社会」においては、ゼロ成長の時代に突入するこ ともあり、
物質的な豊かさではなく、「新しい幸せの物語」が必要と彼は言う。そして彼は「新しい
幸せの物語」として三つの物語を提唱している。つまり、
1、自分を極めるという物語(美的感覚)・・・個人の内的感覚
2、社会に貢献するという物語(社会の成員感覚)・・・個人と社会の関係
3、人間関係のなかにある物語(物語の共有感覚)・・・個人と個人の関係
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さらに、それらの物語が成功する、つまり「幸福」を解く鍵として、「つながり」と「時
間」という二つの軸を重視している。つながりとは身近な人や社会からの承認で あり、
時間とは将来の見通しである。社会のなかで、将来にわたってそうであると確信したとき
に、長続きする「幸福」が得られるという訳だ。1の「自分を極めるという物語」も、 そ
の努力というものが身近な人や社会からそれなりに認められれば、幸福感はより大きく
なるであろう。
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フランシス・フクヤマという私の尊敬するアメリカの哲学者がいる。そのフランシス・フ
クヤマが「真の自由とは世界でもっとも大切にされて いる価値観を政治の力で守る自由
だ」と言っている。そこで私が思うには、世界でもっとも大切にされるべき価値観とは、
「地域の人々とともに風土を生きるその充実感」ではないだろうか。
私がいう「地域の人々とともに風土を生きるその充実感」とは、必ずしも 2の「社会に
貢献するという物語」だけを言っているのではなく、 1の「自分を極めるという物語」
も含まれるし、3の「人間関係のなかにある物語」も含まれる。要は、地域の人々ととも
に風土を生きれば良いのである。ところで、風土とは、オギュスタン・ベルクによれば
「歴史的なおもむき」や「自然的なおもむき」のことであるが、「おもむき」という言葉
のなかには、当然、時間軸が入っている。したがって、山田昌弘のいう「積極的幸福」
は、「地域の人々とともに風土を生きるその充実感」と言い切って良いと思う。
佐伯啓思の「正義の偽装」について
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第1章 自由主義と民主主義について
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第1節 究極の自由主義・・ジョン・グレイの「自由主義」
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本来、自由主義と民主主義とは別の範疇のものである。西洋では自由主義と民主主義とは
深く繋がりながら発展してきたので、西洋諸国の政治家も、この2つの言葉をほとんど置
き換え可能なものとして使っていることが多い。日本の場合もそうであり、民主主義のあ
り方を論ずるには自由主義を十分理解しておかなければならないし、自由主義のあり方を
論ずるには民主主義を十分理解しておかなければならない。そういう意味で、この節では
私が「究極の自由主義」と呼ぶジョン・グレイの「自由主義」を紹介しておきたい。
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1、ジョン・グレイの「政治哲学」を勉強するに当たって
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ジョン・グレイの『自由主義の二つの顔・・・価値多元主義と共生の政治哲学』(松野 弘
監訳、 ミネルヴァ書房、2006年9月)は、今、私たちがしっかり勉強しなければ ならない
必携の本であると思う。本書は、現代英国を代表する政治哲学者であり、 多彩な政治評
論活動を展開している、ジョン・グレイによる自由主義論の新展開である。今日の価値多
元的状況において、自由主義は普遍的価値の実現を支持す ることを放棄し、多様な価値
観の平和的共存の条件の追求に努めるべきであると主張する。 私は、地域づくりを進め
るにはどうしても哲学が必要と痛感し、それなりに勉強してき た。近代文明が混迷を深
める中、またわが国の政治が混迷を深めるなか、 今、確かな政治哲学が求められてい
る。私の今までの人生経験と多少勉強した哲学に照らし、ジョ ン・グレイの政治哲学は、
これからわが国の進むべき方向を指し示す唯一の優れた教科書 であると信じる。ジョン・
グレイの政治哲学を今読み返し、是非、皆さんに私の思いとともに彼の政治哲学を紹介し
たいと考えた次第である。このシリーズは私の勉強の痕跡でもある。
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ジョン・グレイの『自由主義の二つの顔・・・価値多元主義と共生の政治哲学』の書評の
代表的なものとして、まずここでは、 山下範久(北海道大学助教授)の書評を紹介してお き
たい。すなわち、
『 自由主義の最大の徳目は寛容だ。著者は、この自由主義的寛容には二つの系譜があ る
という。ひとつは、寛容の実践が最終的には単一の理想的な体制に収斂 (しゅうれ ん)し
ていくと考える系譜。もうひとつは、寛容の実践を、個別の状況に応じて平和的共存を目
指す政治的過程そのものとして理解する系譜である。 前者を捨て後者を純化する道を説
くのが本書の眼目である。
しかし、なぜ単一の理想的な体制を目指してはいけないのか。それは善というものが、
多様な歴史に根ざすさまざまな生活様式に根ざしたものであり、それらの多元的な諸善の
すべてを調和させることが論理的に不可能だからである。
こう書くと、著者は、よくある共同体主義の立場で自由主義を批判しているかに聞こえ
るかもしれないが、そうではない。なぜなら、善が文脈づけられるところの生活様式は、
ひとりの人間のなかにさえ多数のものがしばしば矛盾をはらんだまま共存しており、 個
人や、ましてや共同体といった単位で、一対一の整合的な対応があるわけでは全くないか
らである。
著者の議論は、自由主義が陥りがちな、いわば寛容の強制(多くの場合それは、自文化中
心主義に汚染されている)の矛盾を回避しつつ、社会の多様化が進む時代に、自由主義 を
再生させる方途を探るものである。単一の理想的体制が論理的にはありえないとしても、
現実の政治的過程において相対的な善悪の判断はできるし、するべきだという著者の主張
は、自由主義と無原則な相対主義とを区別するギリギリのラインだ。 19世紀の自由主義
の敵は国家だった。しかし今日の自由主義は、無秩序をこそ恐れるべ きだというのが、
新ホッブズ主義を標榜(ひょうぼう)する著者の時代診断である。たしかに、自由主義の修
辞に突き上げられた理想主義が無秩序を引き起こす病理は、現在の 私たちの眼前の光景
でもある。その病理への処方が、著者の言う通り、妥協的な共存への合意の積み重ね以外
にないならば、私たちに求められている政治的器量は不安なほど大 きい。』・・・と。
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さあ、それでは、 ジョン・グレイの『自由主義の二つの顔・・・価値多元主義と共生の
政治哲学』(松野弘監訳、 ミネルヴァ書房、2006年9月)の勉強を始めよう。まずは、日本
語版を出すに当たっての・・・「ジョン・グレイの序文」の勉強から始めたい。
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2、 ジョン・グレイの「自由主義二つの顔」日本語版への序文
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このたび、私の著作、『自由主義の二つの顔・・・価値多元主義と共生の政治哲学』 (松
野弘監訳)が2001年の「自由主義論」(山本貴之訳)に続いて、ミネ ルヴァ書 房から刊行さ
れることになり、大変嬉しく思う。本書では、「自由主義」に関する私の重要な所見が展
開されており、このように、日本語訳が出版され ることを光栄と考えてい る。ここで示
された考えや議論は、30年間の取組みの結果生まれたものであり、同時代にこの分野で支
配的であったものとはまったく異なる視点から、「自由主義」についての見解や政治哲学
の射程とその限界を示している。ここでは、私の見解が、近年の正統派とされるものとど
こで最も根本的に異なっているのかについて確認するとともに、私の所論に対するよくみ
られる誤解を解消していきたいと思っている。
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岩井國臣のコメント: 彼の30年間の取り組みについては、その著書を詳細に検討すれば自
ずと理解できるであろう。時間の余裕のある人は是非彼の全著書を読んでもらいたい が、
私の理解としては、「 Two Faces of Liberalism, (Polity Press, 2000)」の段階まで は「自
由主義」そのものに非常に批判的であった。かといって共産主義や社会主義に転向する気
持ちもなく、彼は真剣に悩んだものと思 う。その悩みのなかで、考え考えたあげく、再
び「自由主義」に立ち戻った。それが「暫定協定自由主義」である。私のいう「究極的な
自由主義」だ。
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前世代から政治哲学を形成してきた、アメリカのリベラル・リーガリズムの学派によれ ば、
自由主義理論が最も重視するのは、普遍的に受容可能な正義の諸原理を具現させるよ う
な政治システムを明確に記すことにある。
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岩井國臣のコメント:良い国にするにはどうすれば良いか? 世界のそれぞれの国にはそ
れぞれの「歴史と伝統文化」というものがあって、それにもとづいて「現在」の姿があ
る。 したがって、「自由」と「平等」を標榜する国家が民主主義国家であるとしても、そ
うでない国家の存在も認めなければならないだろう。これからの世界が「平和」であるた
めには、「自由」と「平等」のほかに「共生」の思想が必要だ。つまり,「平等」と 「共
生」を必要条件としながら、私たち日本国民としては、国 民生活及び企業活動の「自由」
な国家を創っていかなければならない。私の考える日本の「姿(かたち)」は、 「自由」、
「平等」、「共生」である。
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ところで、かって鳩山一郎及び鳩山由紀夫の唱えた「友愛」は、労働組合的な社会主義で
あって、「博愛」とは違う。民主党政権時代に小澤一郎の脱税問題で露呈したのは、鳩山
由紀夫総理大臣が公僕である検察より身内の小澤一郎幹事長を信用したいと言ってことか
らも判るように、鳩山由紀夫の唱える「友愛」は身内の論理である。「友 愛」より「博
愛」が良いが、政治哲学としては「博愛」より「共生」が良い。
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さて、 良い国にするにはどうすれば良いか? 「平等」と「共生」を大前提として、 国民
生活及び企業活動の「自由」を出来るだけ多く確保していくためには、当然国の役割とい
うものがあり、その役割を果たすための「国としての政治システム」が大事である。 「自
由主義」の立場に立った「国としての政治システム」を考える場合、二つの考え方が ある。
一つは「法律中心主義的自由主義」と「政治中心主義的自由主義」である。前者が 「リ
ベラル・リーガリズム」である。
二つの考え方の違いを説明しておこう。かっての小澤一郎の談合疑惑は証拠不十分で立憲
にならなかった。法律というのは、この例が示しているように、証拠隠滅があれば裁判所
の判断を仰ぐ段階に至らないし、また法律の網を潜って法律ぎりぎりの所で「悪」を
実行する場合もあり得る。法律中心主義に限界がある。しかし、ジョン・グレイが考え
るのは、そういうことでなく、裁判所の判決というのは、「白」か「黒」かの判断であっ
て、本来世の中というものはそういう「二項対立的な相対的な認識」で理解するべきもの
ではない・・・ということだ。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/2waraji.html
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私は口癖のように「両頭截断」といているのだが、ジョン・グレイもそういう哲学的認
識に立っている。
もちろん、「政治中心主義的自由主義」の場合、時の権力の・・・政策や思想あるい は
国会対策によって共生的なジャッジがなされない時がある。しかし、長い 目で見て、国
民には善し悪しの判断が出来る訳で、民主主義社会では最終的な議論の場である「国 会」
の様子を見て・・・何が善くって何が悪いかの判断は国民がする。そして、国民の意思は
選挙に反映される。国会の運営が悪くてもこれしか「自由」の進むべき道はない。
なお、ネット上で「法哲学と政治哲学」に関する小論文が見つかったので念のために紹
介しておく。
http://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/ReCPAcoe/43miyazaki.pdf
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私岩井國臣のコメントを長々と書いてしまったが、ジョン・グレイの「自由主義二つの
顔」日本語版への序文に戻ろう。彼は次のように述べている。
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「自由主義」を、理想的なレジーム(政治形態)に関する理論であると考えるよう な・・・
こうした見解(上記の・・・ 自由主義理論が最も重視するのは、普遍的に受容可能な正義
の諸原理を具現させるような政治システムを明確に記すことにある・・・とい う見解)は
目新しいものではない。
その種の意見は、ロックやカント、ミルにも見い出すことができる。しかし、ロールズ
やドゥオーキン、アッカーマン、そして初期のノージックの著作には、アメリカを起源と
するいくつかの独特の性格が含まれている。こうした現代アメリカの「自由主義」は反政
治的なもの(「政治中心主義的自由主義」でなくて「法律中心主義的自由主義」)であると
いえる。正義や正義の内包する権利の諸理論は国家の権威の限界を画するだけでなく、
同時に政治の領域から正義や権利についての問いを排除していくことが意図されている。
こうした「自由主義理論」の背景となっているのは、諸権利を審判し、こうした権利と矛
盾をきたす立法を排除することができる最高裁判所なのである。この構想では、政治哲学
者の役割は理想的な憲法制度を創設することにある。
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対照的に、J・Sミルは、 政治哲学の役割、が立法者の手引きとなるような原理を構成す
ることにあると理解していた。政治哲学の役割についてミルの独特な見解は、彼が哲学的
に継承してきたもの・・・功利主義に一部由来するが、修正主義者として、彼は権利とい
うものが倫理学や政治学において基礎となるとは決して考えなかった・・・しか しそ れ
はまた、最高裁がいかなるものであろうと、議会こそが究極的な権威を有するものであ
るというイギリス憲法制度の背景に対する批判的論及を行なったという事実からくるも
のでもあった。
「自由主義理論」についてのJ・S・ミルの考えは、J ・ロールズや彼の弟子たちに比べて
も、その起源からしても歴史的に不確実なものといえる。しかし、私はミルの「自由主義
理論」が倫理的・政治的な現実によ り近いものであり、そのために、より広く適用でき
るものであると考えている。ロールズとは異なり、ミルは明確、かつ、決定的な基本的諸
自由のリストを特定しようと試みるこというのは、彼は、中核となる諸自由というもの
がお互いに矛盾しうるものであり、それらの最上の組合せは、時間や場所、状況によって
変化するものなのだと理解していたからである。さらにロールズとは異なり、どのような
歴史的状況においても最上といえる諸自由を同定することは、ミルにとって政治的課題
であったといえる。確かに、周到な推論が必要とされ、理論、すなわち、功利主義が用い
られている。し かし、いかなるものであろうと正義や権利についての構想を適用するも
のなのではなく、その帰結は常に修正されうるものなのである。その本質的に「暫定的」
な特性において、何が最も重要な人間的諸自由であるのかを決定する行為は、政治の活動
に類するのであり、確かに政治の一部なのである。
さらに、ここにはもうひとつ、ミルの「自由主義」が近年、隆盛を誇っているロ ールズ
派のそれに対して優位な立場にある点がある。すなわち、ミルは、法によっては決して代
替不可能な・・・政治の不可欠性を理解し、受け容れているのである。
私にとって、ミルの「自由主義」はある意味では、より新しい類のものよりもすぐれたも
のであると思われるが、本書、『自由主義の二つの顔」ではミルを擁護する立場をとって
いない。この本では、「自由主義理論」の二つの伝統を区分けすることに関心を注いでい
るのであり、ミルは私が批判しようと考えている伝統に属しているといえる(もちろん、私
は「自由主義」には、ただ二つの側面しかないのだと考えてはいない )。ミルは、終局的
には、すべての人聞社会は価値や世界観について単一の組合せを採用するものだと信じて
いたのであり、歴史的に異なる状況下において最善であるさまざまな自由に関する彼の説
明は、こうした究極的な収紋への期待と結びつけられていたのである。
対照的にマイケル・オークショットやアイザイア・パ リーンは、価値や信条においてそう
した究極的な収倣を想定することはいささかもなかったし、この点で、彼らはホップス
やヒュームに遡ることのできる、「自由思想」の伝統に属している。ロックやカント、
ミルやロ ールズにとって、価値についての理性的な合意を具現する、「自由主義」が理想
的なレジームを構築することであるのならば、ホップスやヒュ ーム、 オークショットや
パーリンにとっては、常に異質なものであり続けるような、諸価値や意見の世界の問に
「暫定協定」を結ぶプロジェクト(構想)なのである。
「自由主義思想」に関するこのような対立的伝統は、政治哲学それ自身の構想が分岐して
いることを示している。ある立場においては、政治哲学は理論を進展させ、すべての理性
的な人びとの満足を引き出せるようにすることで、道徳的・政治的な衝突を克服し回避さ
せることを目的としている。他方、政治哲学は倫理学や政治学の最も根本的な対立に対し
て、理性的な解決を提供できるものとはいえず、ただ、そのような衝突を明らかにするだ
けという考え方もある。
私が常に擁護してきたのは、この分野における謙虚な立場ともいえる後者である。
この見解に対して与えられる一般的な誤解を払拭することを、私は有益と考える。「価値
多元主義」・・・人聞を繁栄に導くような諸要因は本来、調和的なものではなく、いかな
るものであれ、単一の公正な、もしくは、理性的な解決が不可能なような抗争を引き起こ
すが、多々あるものである ・・・は、「道徳的懐疑主義」でもなく、「価値相対主義」
の一種でもない。
「価 値多元主義」は普遍的な人間的諸価値を肯定しているが、それらが頻繁に抗争を呼
び、ときには、理性的な人びとが賛同できるような合意の一切がそこに存在し ないこと
もあることを力説している。「価値多元主義」は道徳的人間学におけるひとつの命題であ
り、そのようなものとして人間の本性に関するひとつの橋想を 基礎としている。
この点で、本書、『自由主義の二つの顔』で示した政治理論は、 R・ロ ーティが擁護す
る、「相対主義的自由主義」とも、M・オークショットの主唱する「歴史主義的保守主
義」とも異なる。
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岩井國臣のコメント: 「伝統」は大事にされなければならないが、「伝統」にも衝突の要
素があり、「伝統」における衝突の要素を重視するのがオークショットであり、その点
が、「伝統」は安定的だと考えるバーク違うらしい。この点については、次のホーム
ページの注書き(49)から引用したのだが、注書き(5)の著書を勉強すると良いらしい。私も
いずれ機会を見て勉強するとしよう。
http://www.chukyo-u.ac.jp/educate/law/academic/hougaku/data/40/1=2/doi.pdf
!
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同様に、バーリンの「自由主義的普遍主義」とも異なるものである。なぜならば、バーリ
ンは「消極的自由」が矛盾を生みうるものだと認めた一方で、それでもなお、「消極的自
由」は他の社会的、政治的な諸善に対して優越しているものだと主張していたからであ
る。
しかしながら、私がここで議論する一貫した価値多元主義者は、それが「消極的自由」で
あろうと、いかなる価値も普遍的に優越させるべきではなく、その代わりに、抗争する諸
価値の聞の「暫定協定」の獲得に努めるべきだということである。
!
岩井國臣のコメント:さあここで、誤解のないように言っておきたいのだが、それは、個
人や企業や団体は国そのものでないので、法律に違反しない範囲で何をやっても「自由」
であるということである。自由主義社会であれば・・・、もちろん国がそれをやってはい
けないが、個人や企業や団体については、強制的な干渉によって他人の 「自由」を奪う
こともまた自由である。国はある価値観を持って個人や企業や団体に対し、強制的な干渉
をやってはならない。国が他の社会的、政治的な諸善に対して優越してやるべき は・・・、
「不平等」をできるだけ無くすことと・・・戦争や災害などの外的要因による 国民の「不
自由」をできるだけ無くすことだけである。
!
また、別の一般的な解釈では、「暫定協定」としての「自由主義」は、ただ平和に優先
権を与えるがために自由の優越を拒絶するものである。しかし、これもま た思い違いと
いえる。「暫定協定」の理論がホップスに何かしら負うものがあるというのは事実であ
る。・・・彼は確かにこうした優先権を平和に与えていた。 しかし、ホップスは価値一
元論者であったし、暴力的な死を人間の生における「最高悪」であると考えていた。対照
的に、価値多元主義者の立場では、「最高悪」は存在しない。 暴力的な死は非常な悪で
あるが、生涯を栄養失調の状態で送ることも、隷属を強いられることもまた、非常な悪な
のである。「暫定協定」は、超越的な価値でも、平和のことですらもなく、諸価値は常に
抗争に導かれるものだという主張である。
したがって、この理論にある政治的な特性は、ホップス的な絶対主義ではない。相矛盾
する諸価値が理性に適った和解に至るならば、どのようなレジームであって もよいわけ
である。最も基本的な道徳をめぐる対立には、いかなる正しい解決もない。しかし、解決
にはより良い解決とより劣った解決とがある。価値の対立を否定するようなレジームは、
理性に適った解決を求める探求を妨害するがゆえに、望ましいものではない。全体主義や
神権的な政治体制は、この意味では望まし くないものであり、いくつかの自由主義 レジー
ムにも同じことがいえる。 多くの政治理論家にとって、これは非常な疑念を抱かせる帰
結なのかもしれない。しか し、私にとっては回避することができないものなのである。
プラトン以来、政治哲学は 政治活動に対して基礎づけを 行うことを目的としてきたし、
それはいつも幻想を広める結果に終わるものであった。本書で例証されている政治哲学の
構想は、プラトンのそれとは 正反対のも のといえる。政治哲学は、人間の条件に特有の
幻想を払拭させることはでき ない。しかし、哲学者たちによって産み落とされた幻想を
修正することは可能ではないだろうか。
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最後に、本書に関心をもち、若き研究者の翻訳を指導され、刊行に尽力された、日本大
学文理学部教授松野弘博士、本書を積極的に企画として具現化された、ミ ネルヴァ書房
の杉田啓三社長、また、懇切丁寧な編集作業を行っていただいた、若き編集者、河野菜穂
氏にこの場を借りて感謝の意を表したい。
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2006年6月1日 ジョン・グレイ
ロンドン大学・ LSE 教授
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3、解説 ジョン・グレイの「自由主義批判の航跡とその思想的意義」(小林正弥・
宮崎 文彦)
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小林正弥・宮崎文彦の解説の要点のみを次ぎに紹介しておこう。
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ジョン・グレイの自由主義批判の航跡とその思想的意義を示す著作には「啓蒙の航跡......
近代の終わりにおける政治と文化」のほかに、話題作である「藁の犬......人類とその他の
動物についての考察」がある。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/warainu.html
!
それらに典型的に見られるように、啓蒙主義批判や近代批判、西洋中心主義批判、さらに
は人間中心主義批判に繋がっている。したがって、グレイの理論を理解し、適切に評価す
るためには、単に政治理論だけでなく、その思想の総体を見る必要がある。このような観
!
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!
点から考えるとき、グレイの理論的変遷は彼の視野の拡大による思想的進化と考えること
ができるのである。
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ジョン・グレイは、ロールズの人間概念に変わり、「個人主義・平等主義・中立主義」と
いう人間概念に基づいて、「ホッブズ的契約論」を提案する。それは価値多元主義という
状況において、寛容と平和的共存のために、対話、雄弁、交渉、圧力その他のすべての政
治的技術を通じて、「暫定協定」に到達・更新されるというものである。これは、ロール
ズ的契約論のように自由と分配について明確な主張をもたらさず、不確定で政治的実戦に
任され、必ずしも自由主義的とは限らない。
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岩井國臣のコメント: 正義論は教説ではなく1つの活動である。正義の原理(principles of
justice)については次の通りである。 「公正としての正義」はどのようにして達成可能か。
「最大幸福原理」のみを追求する功利主義の克服をめざしたロールズは、社会契約説を現
代の視点から再構成した「正義の二 原理」を提唱する。選挙権・被選挙権を保障する政
治的自由、言論・集会の自由、思想お よび良心の自由等の「基本的自由の権利」は平等
に分配されること(第一原理)。(1)公正 な機会均等を確保したうえで、(2)最も不遇な人び
との暮らし向きの改善を図り、社会的・ 経済的な不平等を調整する(第二原理)。この画期
的な分配原理こそ、<自由で平等な人びと が友愛の絆で結ばれた社会>を実現する出発点
になるだろう。
!
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終章「自由主義なき時代」の総括に「幸福をもとにした自由論」といった三つの主要な自
由主義のイデオロギー正当化戦略にはすべて欠陥があり、自由主義的諸原理の普遍性は
偽りであり、普遍的人間性や中傷的人格といった、自由主義的概念には虚偽性が存在して
いる。そこで、「この自由主義のイデオロギー化が失敗で あり、そして、失敗せざるを
得ないという点こそが、この本の諸章が明らかにした結論に他ならない。したがって、
「ポスト自由主義」においては、ポスト懐疑 主義(一般的懐疑主義に加えて、自己理解 の
歴史性を自覚する立場)的方法に基づいて、無謀な自由主義イデオロギーの行き過ぎか ら
自由主義的実践の歴史的遺 産を守ることが実践的目的となる。
このように、この著作では「自由主義」の思想の大半が放棄されている。すでに「単一
の伝統」としての自由主義という主張はなくなり、グレイは「自由主義者」 という立場
も放棄して、普遍主義的自由主義に反対する懐疑主義者になり、ここでホッブズ的な契約
論による「暫定協定」という考え方を提起した。もっとも、自由主義が完全に否定された
わけではなく、「自由主義的市民社会の歴史的遺産」は、「我々が知る道徳生活と政治生
活の基盤」である、という。そして、「ポスト自由主義の理論化の仕事は、我々の歴史的
遺産のもっとも深遠な要素である市民的結社の諸形態を明らかにすることである」と、述
べ、マイケル・オークショットの「市民的結社」の観念をグレイは評価している。
「ポスト自由主義」は文字通りに理解すれば「自由主義後」だから、グレイは自由主義を
なかば退けていることになる。グレイはその後の著書「新右翼を超えて......市場、政治、
そして共 通の環境」で、この路線をさらに進めて、一般的には「ネオ・リベラリズム(新
自由主 義)」と呼ばれることの多い、「新右翼」の政治思想を批判して、今度は明示的に
リベラリズムを離れ、保守主義に共感を示した。
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イギリスのサッチャー政権をはじめ、西洋の多くの地域で猛威を振るった「新右翼」の
理論として、シカゴ学派・バージニア学派・オーストラリア学派などのネオ・リベラリズ
ム(新自由主義)やリバタリアニズム(自由原理主義)を次のような観点から批判する。
!
(1)啓蒙の合理主義的教説を「懐疑主義的なはずの」 保守主義に持ち込んで、「暫定協定」
を目指す状況主義的指向に変えてアメリカで流行している権利論や正義論によってい る。
(2)経済主義に染まっているために、市民社会やその制度が共通の文化に支えられてい る
ことを無視している。
(3)それに関連して、歴史を無視し、法的・憲法論的思考に頼っている。
!
グ レイはこのような観点からの新右翼批判を「伝統的保守主義」からのものだ、とし た。
彼によれば、それはパスカル・モンテーニュ・ヒュームなどに見られるよ うな、人 間の
不完全性という観念を中心にしている。20世紀の「マルクス主義などの」新右翼もと も
に近代主義的なイデオロギーの幻想である。さらに興味深いのは、この著書の副題に示唆
されているように、グレイが近代主義を批判して環境問題に関心を向け、「緑の保守主義」
という表現を用いている点 である。彼は、最終章「緑の保守主義にとっての課題」で左
派の理論とは異なり、環境についてのエコロジカルな関心はイギリスやヨーロッ パの伝
統的保守主義 ときわめて整合的であるとしたのである。
これらの新右翼批判でも、グレイはそこに啓蒙主義を見て批判しているが、思想的にきわ
めて重要なのは「偽りの夜明け」の前に刊行された「啓蒙の航跡」である。ここでグレイ
は自由主義についての考察が完成したとし、その啓蒙主義を正面から批判している。彼は
「ネオ・リベラル」の影響はあまりにも強いので、伝統的保守主義に戻るのは不可能だと
し、「新右翼を超えて」における伝統的保守主義の主張を放棄する、さらに原理主義的自
由主義は、退けるだけでなく「ポスト自由主義」における自由主義的制度の歴史主義的擁
護論についても、それが西洋モデルを「普遍性に近いもの」として肯定している点を「い
まだ誤りであると思われる」と、述べて、元共産国などが新しい非西洋的制度を発展させ
る可能性を認める。
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そして、西洋的な自由主義だけでなく、他の文化的伝統などに立脚した政治のあり方を
認める「政治的多元主義」の立場を新しく打ち出す。これは、制度的には根本的な単位
を個人とする個人主義的な自由主義的市民社会の制度ではなく、単位をコミュニティにお
く政治的・法的な多元主義である。彼によれば「啓蒙のプロジェクト」(マッキンタイ ア)
に淵源を発する全ての政治的思想は疲弊しているのであり、特に大きな問題として、啓発
のプロジェクトを普遍的文明と考える西洋の文化的帝国主義は文化的差異を攻撃している
し、人間中心の発想が自然の世界を悪化させている。
この著作においてグレイは「ポスト自由主義」で擁護した「歴史的遺産としての自由主義
的制度」という発想までも放棄し、さらに「新右翼を超えて」における伝統保守主義の立
場も放棄して、多元主義を新たに採用した。もっとも、この(グレイのいう)多元主義は ア
メリカ政治科学で60年代を中心に栄えた(利益集団間の)多元主義ではなく、文化的差異を
尊重するという意味における「政治的多元主義」(グレイ自身の証言)であり、グ レイはそ
れを「多元主義的自由主義」ではなく、「暫定協定多元主義」とも呼んでいる。
!
グレイによれば「暫定協定」の自由主義こそが、現代に生き残ることのできる自由主義
である。その「暫定協定」の目的とは、「諸価値の衝突を和らげること」にあるのでは
なく、「諸価値の衝突を尊重する個人や生の諸様式を和解させ、共存に至らせること」に
ある。近年の主流派自由主義が主張するような「正義の基底性」などは必要とされない。
必要とされるものは「多様な生の諸様式が共存できるような共通の制度」である。
グレイにおいては、価値多元主義は何らかの倫理的要請をともなう主張として擁護されて
いるのではなく、現代(後期近代)における現状認識としてみなされている。
!
岩井國臣のコメント:つまり、グレイは価値多元主義が良いと言っているのではなく、現
在そうなっているのではないかと言っている。価値観で言っているのではなく現状認識と
して言っている。彼は、まあ言うなれば、「空」の境地というか融通無碍(ゆうずうむげ)
の境地に達したのであろうか。
!
グレイは「暫定協定」による多様な生の諸様式の共存を目指すものとして、「法」に対し
て「政治」の重要性を主張している。この意味において彼はまさしく「政治哲学」を展開
しているのである。
グレイが本書で主張しているのは「暫定協定の理論」を中心とする「ネオ・ホッブズ的
な」自由主義であり、「ポスト自由主義の哲学以外の何物でもない」と、述べているよう
に、彼は再び「ポスト自由主義」の立場に戻ったようにすら見える。コミュニタリアニズ
ムや共和主義については明示的に否定している。
!
この著作の一部から発展して執筆された「アル・カーイダと近代が意味するもの」で は、
アル・カーイダなどイスラーム過激派も近代の所産と把握しつつアル・ カーイダが 9・11
に破壊したものは、西洋社会に深く根付いた近代性や啓蒙主義の価値観であったと、総括
する。アル・カーイダは近代の革命幻想と同様に、 座礁するだろうとしつつも、グレイ
の力点はパクス・アメリカーナの批判や、近代化論やグローバル自由主義に対 する批判的
考察にある。
!
グ レイは自由主義の立場から出発しているだけに、その後の自由主義批判は内在的批判
となっており、迫力がある。いわばグレイは自由主義に対する内在的告発者 となってい
るのである。それゆえに自由主義ないし、リベラリズムを擁護する論者はグレイの議論に
反発することになろうが、これがグレイにとって不名誉なこ とではないだろう。ある意
味で、彼は「獅子身中の虫」のように自由主義の内部からその限界をあぶり出し、その失
敗を宣告する役割を果たしているといえよ う。
グレイは普遍主義的な自由主義の人間観とは異なった人間観が必要だと主張しており、
「藁の犬」でも人間論に踏み込んでいるので、新しい一つの哲学的見解や人間論を前提と
して、それに立脚する独自の政治哲学を展開する可能性も考えられる。
!
政治哲学を離れて、哲学全体の観点から考えれば、西洋中心主義・啓蒙主義・人間中心
主義などは、きわめて重要な思想的問題であり、今日の最先端の思想はこれらの問題に
正面から取り組んでいる。けれども、こと政治理論・政治哲学においては、相変わらず近
代的・西洋的・啓蒙主義的・理性的な自由主義の立場が主流であり、このような思想的
課題に取り組む理論家はさほど多くない。その中にあって、グレイはこのような思想的大
課題に果敢に挑戦している点で稀有な存在で ある。
!
たしかに、グレイの理論は体系的ではない。また「サッチャー政権からブレア政権へ」と
いった政治的変化に対応して、変遷が生じていることからわかるように、 時代とともに
理論的立場が変化するので、安定感や信頼性に欠けるところがある。しかし、この変化は
時代の展開に即した思想的深化とも考えることができるの であり、今日の思想的大課題
に取り組んでいることの価値は決して否定することはできない。いかに精緻な啓蒙主義的
自由主義から批判が加えられようとも、思想的立場の一貫性の欠如が責められようとも、
時代の最大の課題に思想的に挑戦する知的な誠実性とそこからくる洞察力を否定すること
はできないと思われるの である。
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4、内田樹の「日本辺境論」
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私は、「自由主義と民主主義」を論ずる上での基本教材として、ジョン・グレイの「暫定
協定自由主義」、私流にいえば「究極の自由主義」であるが、『自由主義の二つの顔・・・
価値多元主義と共生の政治哲学』 (松野弘監訳)の・・・「日本語版への序文」と 小林正
弥・宮崎文彦の解説を紹介する事によって 、ジョン・グレイの思想を詳しく説明した。
!
ジョン・グレイは、30年間に渡って、世界のすべての自由主義論者の 政治哲学を批判的
に研究し、遂に「暫定自由主義」という政治哲学 に辿り着いたのだが、それは今までの
自由主義とは根本的に異なるものであり、欧米社会にはなかなか受け入がたいかもしれな
い。しかし、彼の「暫定協定自由主義」という政治哲学は、私たち 日本人には当然の事
としてすんなり受け入れる事ができる。私たち日本人は、日常茶飯事 のごとくそうしてい
るからである。
!
これからその事について説明していくとして、最初に、念のため言っておくが、政治家や
有識者は当然「世界に通用する自分の考え」を持たねばならないのであって、 自分の主
義主張を大いに語らねばならない。侃々諤々の議論はやはり必要である。しかし、お互い
の主義主張が衝突したとき、やはり相手の立場も理解するとい う態度が重要である。そ
れがジョン・グレイのいう「暫定協定」、私流にいえば「共生」であるが、そういう妥協
が肝要である。
!
さあ、それではこれからジョン・グレイの政治哲学を私流に説明していきたいと思うが、
その前に、内田樹の「日本辺境論」(2009年11月、新潮社)の要点を紹介しておき たい。
!
内田樹は、『 日本社会の基本原理・基本精神は、「理性から出発し、互いに独立した平
等な個人」のそれではなく、「全体の中に和を以て存在し、・・・・一体 を保つ<全体 の
ために個人の独立・自由を没却する>ところの大和」であり、それは「渾然たる一如一 体
の和」だ、というのである。言いかえれ ば、「和の精神」ないし原理で 成り立っている
社会集団の構成員たる個人は、相互のあいだに区別が明らかでなく、ぼんやり漠然と一体
をなしてとけあってい る、というのであり、将にこれは、私がこれまで 説明してきた社
会関係の不確実性・非固定性の意識にほかならないのであって、わが国伝統の社会意識な
いし法意識の正確な理解であり表現である、と言うことができる。』・・・という川島武
宣(たけよし)の考えを紹介したあと、次のように言ってい る。すなわち、
!
『 主義主張、利害の異なる他者と遭遇したとき日本人はとりあえず「渾然一如一体」 の、
アモルフォスな、どろどろしたアマルガムをつくろうとします。そこに圭角 (けいか く)あ
るもの、尖ったものを収めてしまおうとする。この傾向は個人間の利害の対立を調停する
ときに顕著に現れます。 戦後制定された調停制度を普及させるために、委員たちに配布
された「調停かるた」とい うものがあったそうです。<かるた>に曰く。<論より義理と人
情の話し合い>、<権利義務などと四角にもの言わず>、<なまなかの法律論はぬきにして>、
<白黒を決めぬ ところに味がある>。一読してびっくりしたのは、これが 日々学内外のさ
まざまなトラ ブルに遭遇して、その調停にかかわるときに、私の口を衝(つ)いて出る言葉
そのままだ からです。川島はこのようなマインドは、 <和を以て貴しとなす>と日本最初
の憲法に掲げられてから変っていないと書いています。たしかに変っていない。それは確
信を込めて 申し上げられま す。」・・・・と。
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何故そのような国民性になったのか? その理由は、 内田樹は、日本語の世界で唯一と
いって良いその「言語構造」にある言っている。日本語は、ご承知のように、「表意文
字・漢字」と「表音文字・かな」からなっているが、実は、その二つの言語は、脳の中の
二つの相異なる部位で司(つかさ)どられているのだそうだ。一つの部位は「合理」を司ど
り、もう一つの部位は「情緒」を司どっているという訳ですね。考えるということは、言
葉で考える訳なので、言葉そのものに 情緒的なものがあれば、考えにも情緒的なもので
てくるのは当然で、合理主義一点張りではいかないのである。
!
内田樹は、日本人はそういう国民性というか遺伝子的要素を持っているので、それに徹し
ていけば良いというような趣旨のことを言っているが、その点については、私はやや意
見を異にする。私は、これからの国際社会において、日本は、ジョン・グレイの「暫定協
定自由主義」という政治哲学を擁護すると同時に、一般哲学の分野においても、合理的
で、かつ、日本人らしい「哲学」を打ち出していくべきだと思う。中沢新一や森岡正博な
ど日本の哲学者に大きな期待を寄せてい る。
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5、「価値観」は何故人それぞれに違うのか
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私は先ほど、内田樹の「日本辺境論」(2009年11月、新潮社)の要点を紹介したが、その考
えによれば、ジョン・ グレイの政治哲学が日本人の国民性に合っていることが十分理解
できるのではなかろうか。
それではいよいよジョ ン・グレイの政治哲学を私流に説明していきたいと思う。 私は、
これから世界が進むべき旗印は「自由、平等、共生」だと考えているが、「自由」 にし
ても「平等」にしても人それぞれに考えが違う。人それぞれに「価値観」が違うとい う
ことだ。そしてそれらの「価値観」が時により衝突して、政治的に大問題になることがあ
る。それを平和的に解決するするにはどうすれば良いか? その政治的解決方法が ジョ
ン・グレイのいう「暫定協定自由主義」ということだが、そもそも価値観というものが人
によって違ってくるのは何故なのか? それを日本人に判りやすく一言でいうとすると、
「風土」の違いである。つまり、人それぞれ育ったところの土地柄が違いますからね、と
いうことになる。
しかし、そんな情緒的な説明ではなく、ここでは「価値観」に関する「哲学」を説明する
こととした い。哲学的な説明は難しいが、 これからの時代、哲学的思考がないと日本人
は世界でやっていけないだろう。日本人なら情緒的な説明で十分理解ができるが、 哲学
的な説明をしないと世界には通用しないようだ。
!
では、「価値観」というものが何故人それぞれに違ってくるのか? そのことに関連する
哲学としては・・・プラトンの「コーラ」という哲学的概念がある。 生成の「場」とし
ての「コーラ」である。まずその説明をして、最後に日本人向けの情緒的な説明をするこ
ととしたい。 藤沢令夫という大先生がおられた。先生は、1956(昭和31)年京都大大学院
修了 後、九州大助教授などを経て69年に京大教授に就任、退官後の91年から 97年3月ま
で京都国立博物館長を務めた人である。先生は、古代ギリシャ哲学が専門で、特にプラ
トン研究で知られる。プラトン哲学の大家である。その先生の著に、「自然、文明、学
問・・・科学の知と哲学の知」(1983年9月、紀伊国屋書店)という本があって、それに、
『 プラトンの宇宙論が要請する根本 原理としては、原範型イデアと、生成の 「場」(コー
ラ)ないし「受容者」(ヒュポドケー)と、デーミウルゴス(創造 者)・・・これは、万有の動
と変化の根 源であるプシュケー+ヌウスの神話的象徴と解 せます・・・・と、この三つ
を考えることができます。』・・・・という説明がある。
でも、生成の「場」としての「コーラ」と言われただけでは、私たちには何のことか
さっ ぱり判らない。
!
!
ところで、私は前に、中沢新一の「精霊の王」(2003年11月、講談社)を勉強した。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/wa/seireo00.html
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その「精霊の王」という本の中にも(コーラ)の説明が出てくる。それは次のように述べら
れている。すなわち、
!
『 コーラは「母」である、とプラトンはいきなり宣言する。そして、それは「父」とも
「子」とも関わりのないやり方で、自分の内部に形態波動を生成 する能力を持ち、その
中からさまざまな物質の純粋形態は生まれてくるのであると語る のである。(中略) コー
ラは子宮(マトリックス)であると言われている。同じようにして、宿神もミシャ グチも
子宮であり、胞衣だと考えられていた。その中には「胎児」が入っ ていて、外界の 影響
から守られている。つまり、コーラは差異と生成の運動を同一性の影響から守り、宿神は
非国家的な身体と思考の示す柔らかな生命を、外界を支配する国家的な権力の思考 から
守護する働きをおこなってきたのだ。
こうして私たちは、プラトン哲学の後戸の位置にコーラの概念を発見するのである。 こ
の概念は、極東の宿神=シャグジの概念との深い共通性を示してみせるの だが、それ は
おそらく、かつてこのタイプの存在をめぐる思考が、新石器的文化のきわめて広範囲な
地域でおこなわれていたためだろう、と考えるのが自然では ないか。
コー ラという哲学概念のうちに、私たちは神以前のスピリットの活動を感じ取ることが
できる。西欧ではいずれこのコーラの概念を復活させる運動の中から、現代的なマテリ
アリズム(唯物論)の思考が生まれ出ることになる。その意味では、マテリアリズムそのも
のが哲学すべてにとっての「後戸の思考」だと言えるかも知 れない。』・・・・・と。
!
!
また、オギュスタン・ベルクというすばらしい地理学者がいる。このひとは、1942年生
まれのフランス人であって、パリ大学で地理学第三課程博士号および文 学博士号(国家博
士号)を取得後、1984 88年に、日仏会館フランス学長を勤めた人である。現在フラ ンス
国立社会科学高等研究院教授。風土学の領野を開拓し、画期的な独自の理論を構築 した
人である。この人の近年の著書に「風土学序説」(2002年1月、筑摩書房)というのがあっ
て、その中に、「神話にもとづいてプラトンは、場所(コーラ)を母に、存在を父に、生成
を両親の子に譬えているのである。」という説明があるが、これは中沢新 一の説明とほ
ぼ同じであろう。
!
!
さて、藤沢令夫の説明に戻ろう。原範型イデアとは何か? これがまたむつかしく、プラ
トン哲学を勉強できていない私などが人にこの説明をすることはできな い。私には、ホ
ワイトヘッドのいう「永遠的対象」の方が説明しよい。ホワイトヘッドの哲学は有機体哲
学と言われるが、すべてのものが変化する世界観から成り立っている。その変化の中で
名詞的に固定されているものが、ホワイトヘッドの考える「普遍」で、それを「永遠的対
象」というのだが、それがプラトンのい う原範型イデアのことである。それは、私の理
解では、存在というか出来事というか、そういうものの裏にある「真実」ないし「真理」
である。 そ の「永遠的対象」が場所(コーラ)に作用し、変化のエネルギーによって生成
という 両親の子が生まれる。場所(コーラ)は、生成の母であるとか、母の子宮で ある。
!
これはとてもわかり良い比喩だと思うが、そもそもプラトンはどういう背景から場所
(コー ラ)というものを考えるようになったのか? そもそも場所 (コーラ)とは何か?
私は前に、「景観哲学」の関連でオギュスタン・ベルクの「風土学序説」(2002年1
月、筑摩書房)を勉強したことがある。オギュスタン・ベルクの説明は奥が深すぎて判り
にくい。だから私流に、大雑把ではあるが、判りやすく、「コーラ」を説明してみたい。
!
神話とか民話とかあるいは歴史的な出来事を詳しく知れば、その場所に立ったときに何と
もいえない感慨を覚えるものである。その土地にしみ込んだ神話とか民話 とかあるいは
歴史的な出来事が私たちの頭の中に何らかの作用を及ぼすのである。私たちの知識が豊か
であればあるほど、また私たちの思いが真剣であればあるほど、土地が私たちに及ぼす
その作用は大きい。そして、その作用によって何かが生成するのである。そういう「生成
の場所」、それが「コーラ」だ。
!
さらに判りやすくするために、コーラとしての「粋場(すいば)」について少々触れてお き
たい。私は今日と埋めれ京都育ちであるので、「すいば」という言葉を 使っていた覚え
がある。「粋場」とか「好き場」と書くらしい。自分の特別に好きな場所であり、特に
仲のいい友達には教えてやりたいが、一般的には教えたく ない秘密の場所である。山で
あればウサギや狸を良く見かけたり、昆虫が採れドングリや栗が採れたりする。小川であ
れば泥鰌やフナがいっぱいいる、そういう場所である。そういう「すいば」について京
都大学名誉教授の 阪本寧男さんが書いているページがあるので、ここではこれを紹介し
ておきたい。
http://www.showado-kyoto.jp/files/minzoku_repo/minzoku20.pdf
!
「すいば」は個人にとってその人とその仲間にとってかけがえのない場所であるが、里
山がそうであるように、全体的には地域のコモンプレイスという性格もあって、地域に
とってもかけがいのない場所である。 私は、地域コミュニティには「すいば」が必要で
あると思う。京都には民族自然誌研究会というのがあって、いろいろと面白い勉強をして
いる。その会があると き「すいば」論をやったことがある(2000 年7月1日)。山田勇 氏(京
都大学東南アジア研究センター)が、「<すいば>と生態資源保全」と題して、1950年代
の京都衣笠金閣寺周辺での本人の「すいば」を紹介し、さらに「すいば」風 景の原要素
として、場・モノ・うれしさ・テリトリー・仲間が考えられることを述べた。 さらに、山
田氏は、ボルネオ、中国雲南省、カナダ、アマゾン・アンデス、パタゴニア、 フィンラン
ドでの生態資源保全についての調査の旅から、子どものときに経験した「すい ば」への
思い入れが、いろいろな地域においてその土地で生活に必要な資源を有効に生態保全して
いる人びとの土着の知恵と相通ずるものであることを報告した。この話は大変 いい話で、
余分なことは言わないでそのまま受け止めておけば良いのかもしれないが、私としては、
実は、コーラに関連してひとこと言いたいのである。 私は前に「文化というものの土地
への帰属性」について書いたことがある。 そこで言いたかったことを今ここの文脈で言
えば以下のとおりである。
100年200年経ったとき、何代もにわたって次々と子供たちはその「すいば」でそれぞれ
何かを体験し、何かを身につけ、何かを生み出して行く。その何かは人によってそれぞれ
異なるであろう。生み出されるものは必ずしも特定されないけれど、何かが生成している
のである。主役は人ではなくて場所である。主役は何かを生み出す場所である。す なわ
ち、「すいば」は「生成の場所」・「コーラ」であるということだ!
!
これは「生成の場所」・「コーラ」に関する一つの説明であったと思うが、今思うと、
情緒的ではあるが、奥が深くて、かつ、もっと判りやすい説明があるとなお良いと思 う。
そこで、ざっくり言って、「風土」と言い切るのは如何なものであろうか?
オギュスタン・ベルクスタンは、「風土」とはその土地の持つ「歴史的なおもむき」であ
り「自然的な向き」であると言っているので、とりあえず、「生成の場所」・「コー ラ」、
それは「風土」であり、その土地の持つ「歴史 的なおもむき」であり「自然的な向き」
であると言っておこう。
!
人それぞれに「価値観」が違う。では「価値観」というものが何故人それぞれに違ってく
るのか? それは人それぞれに経験する 生成の「場」としての「コーラ」、すなわち ・・・
「風土」つまりその土地の持つ「歴史的なおもむき」と「自然的なおもむき」 が相違す
るからであるし、人それぞれに習得する「永遠的対象」、すなわちプラトンのいう 「原
範型イデア」が人それぞれに相違するからである。
!
ここでの哲学的な説明は以上であるが、「風 土」つまりその土地の持つ「歴史的なおも
むき」と 「自然的なおもむき」 という説明は、哲学的な説明として説明したつもりでも
なお情緒的な域を完全には脱していないかもしれない。日本人には直感的にすんなり理解
できても、世界的には判りにくいのかもしれない。「風土」について、オギュスタン・ベ
ルクス タンを 超えた、奥が深く、かつ、もっと判りよい哲学的な説明が説明が必要なの
かもしれない。
!
!
!
!
6、精霊万年
!
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私は前に「景観哲学」を書いたことがある。その「はじめに」という文章の中で、次のよ
うに書いた。すなわち、
!
『「景 観10年、風景100年、風土1000年」という人が多くなって、この言葉は けっこう
有名になっているかと思うが、もともとは風土工学の先駆者・佐々木綱 が言い 始めた言
葉である。誠に言い得て妙な言葉だと思うが、ちょっと歴史的認識が足りないように思う。
鶴見和子がいうように、歴史が進化や段階を経ると見 るのではなく、古いものの上に新
しいものが積み重なっていくと見る視点(「つららモデル」)は誠に大事であって、歴史的
に日本の風景を語る場合、万年前の 風景まで遡る必要があるのではないか。かかる観点
から「何とか万年という場合、何といえばいいか?」、その点を中沢新一 にちらっと聞い
たことがある。その 時、中沢新一は即座に「精霊(スピリット)」と 言った。彼はそれほ
ど深く考えずに直感的に言ったのだけれど、私は、これこそ言い得て 妙な言い方だと思
う。 「 景観10年、風景100年、風土1000年 、精霊万 年」・・・。いいですね。風景に
は、「現実の風景」と「風土に根ざした風景」と「精霊 に根ざした風景」があるという
のが私の考えだ。盆栽や箱庭な どの縮景や見立ては、実際に見えるものの奥に、それよ
りさらに意味のあるものを感じ取ろうとするものである。 「現実の風景」から「風土に
根ざした風景」を 感じ取る。これは文化の問題であるが、 さらに「現実の風景」から「精
霊に根ざした風景」というか「古層の神」を感じ取ること ができれば、ハイデガーのい
う 「投企」が始まるかもしれない。もしそうなれば、そこ から新たに自分を捉えなおし、
新たな生き方を始めることができる。』・・・と。
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http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/keikan00.html
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それでは、中沢新一の著書(今回は「カイエソバージュ4・・・神の発明」、2003年
6月、講談社)から「スピリット」について、ここでの文脈に関連する部分のみを紹介し
ておきたい。
中沢新一は言う。すなわち、
!
『 「多様性の森としてのスピリット」の最大の特徴はと言いますと、その種類の多さと
いうことにつきるでしょう。なにしろ多種多様で、数が多いばかりではなく、種類もべら
ぼうにたくさんなので す。このことは、日本語の世界で「おばけ」とか「妖怪」とか言
われているものの多様さを考えてみれば、よくわかるでしょう。江戸時代の人はユー モア
たっぷりに、そういう スピリットの世界の「博物学」をつくって楽しんだりしていました。
「百鬼夜行」という ことばが示すように、つぎからつぎへと涌 (わ)いてくるのがスピリッ
トの特徴です。
こういう特徴は、どうも世界中で一般的なようです。オーストラリアの砂漠に住む人た
ちも、アマゾン河流域のジャングルに住む人たちも、極北の氷原にアザラシを追っている
人たちも、多種多様なスピリットの存在をよく知っていました。 キリスト教によって、
聖霊という特別な連中を残して、あとはスピリットなどすっかり駆逐されてしまったと思
われているヨーロッパでさえも、じつはスピリッ トは死に絶えてなどいません。イングラ
ンドのストーンサークル遺跡の近くにでかけてみれば、いまだってさまざまなスピリット
の活躍の様子を語り続けている人たちに出会いますし、北欧の 「トロール」と呼ばれる
スピリットの生活は童話や絵本になって子供たちに愛好されてい ます。
スピリットの存在は、人類に普遍的なのです。』・・・と。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/kami02.html
!
すなわち、「スピリット」は、世界の隅々に棲んでいる「多様性の森」なのである。そ
の「スピリット」の働きのお陰で私たちは「風土」としての特性「歴史のお もむき」と
「自然のおもむき」を感じることができるのである。どこの「スピリット」が善くてどこ
の「スピリット」が悪いということはない。ここにジョン・グレイの「価値多元主義」の
哲学的根拠がある。
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7、「暫定協定自由主義」と「スピリット(精霊)」
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場とは何か。清水博は「場の思想」(2003年7月、東京大学出版会)のなかで次のように言っ
ている。 すなわち、
『 場とは何かと聞かれたときに、私は次のように答えることが多い。「あなたの体を つ
くっている細胞の一つを想像してください。その細胞があなたの生命 (あなたの体全体 に
宿っている生命)をどのように感じるでしょうか。あなたがその細胞になったつもりで考え
てください。そのときにあなたが感じるもの、そ れが場なのです。」分かりやすく言 え
ば、場とはこの場合は自分を包んでいる全体的な生命の活き(はたらき)のことであ
る。 』・・・・と。
!
清水博によると、生物の細胞にはいろんな細胞があって多種多様である。そういう何億と
いう多種多様な細胞が一つの生命のなかで共に存在している。共存在している。清水博 の
定義によると、「共存在とは、異なる個性や生き方をする多様な存在者が一つの場を共
有して調和的に存在すること」だそうだが、何億という 細胞は一つの生命のなかでまさ
に共存在しているのである。ガン細胞というのは、調和を壊す細胞であるから、共存在で
きない細胞であるという言い方もでき る。生きているということは、共存在者が調和を
保ちながら一つの体に存在しているということである。共存在者が調和を保ちながら存在
しているところを「場」という。人間というものも、細胞の身になって考えたとき、多種
多様な共存在者が存在するひとつの「場」である。したがって、私たちは、「生きている
ということ」に感動するということは、細胞の身になってそういう「場」の神秘というも
のを感じるということである。
!
それを哲学的にいえば、純粋生命を感じるとか、絶対無の場所を感じるとか、純粋な述語
性を感じるとかいうのである。
まあ、むつかしいことはいい。しみじみと「生きていること」に感動すれば良いのであ
る。「生きていること」に感動し、ワクワクすれば良いのである。そういう体験を何度
かしていると、「純粋生命」とか「絶対無の場所」とか「純粋な述語性」とか共存在の神
秘を直感的に理解することが可能になるのではないか。ま た、そういう体験を何度かし
ていると、「共存在とは、異なる個性や生き方をする多様な存在者が一つの場を共有して
調和的に存在すること」であるということ が分別でき、違いを認めることが当たり前に
なるのではないかと思う。「共存在」である。一般的な言葉でいえば、「共生」である。
!
「共生の思想」は清水博いうところの「場の思想」である。是非、皆さんも、清水博の
「場の思想」(2003年7月、東京大学出版会)を読んで欲しい。
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清水博の「場の思想」(2003年7月、東京大学出版会)は大変むつかしい本だが、 大変役に
立つ本である。清水博先生は、1932年生れであるので私より6年上であ る。東京大学の
薬学部を卒業され薬学博士であるので、薬の先生かと思ったらとんでもな い。大学院時
代は化学物理学を学ばれ、ハーバード大学やス タンフォード大学でも研究生活をされた
ことのある生命学の大先生なのである。生命に関する学問をバイオホロニス というが、
先生の研究は生命というものを分子のレベルから解明しようとするもので、 もちろん世
界最先端の研究である。先生は、九州大学理学部教授の後、東京大学薬学部の教授、定年
後は金沢工業大学 で「場の研究所」をはじめられたりしている。その行きつ くところは
当然かもしれないが、もともと生命学の大先生が哲学書かと見まちがう本を出 されたの
であ る。これはもうどうしても読まなければならない。哲学を勉強するものの必読の書
だ。
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近代文明は行き詰まり、現在、新しい文明を創り出すまさに大転換期にある。人と人、そ
して人と自然の共存在の実現に、いまや「救済者」の出現が待ち望まれ ているのであっ
て、そこで問われるべきは、具体的にどうすればいいかということである。具体的にどう
すれば「共生の論理」にもとづく新しい文明が作られる かということである。そのこと
はいうまでもなく世界における最大の哲学的課題であるというべきだが、具体的な目標と
しては、私たち一人一人がコミュニティ的生命世界に生きるということであろう。それを
可能にするのは、いうまでもなく、「共生の論理」である。
!
私は、今後、西田幾多郎の「場所の論理」や中村雄二郎の「リズム論」と田邊元の「種の
論理」や中沢新一の「モノとの同盟論」、さらには森岡正博の「生命の哲学」など・・・
を統合する哲学として、清水博の「共生の論理」を採用したいと思う。
!
さて、清水博は、そういう「共生の論理」にもとづく文化、それは「違いを認める文 化」
だが、そういう文化を「場の文化」と呼んでいる。そして、日本は、歴史的には、 仏教
を基礎に普遍的な「場の文化」を生み出した経験をもつ世界でも特殊な国であると言って
いる。私もそう思う。私は、歴史をひも解けば容易にそういう「場の文化」や仏 教を基
礎とした普遍的な「違いを認める思想」に行き当たる。したがって、わが国の歴史 と伝
統文化を大切にするということは「共生の論理」にもとづく新しい文明を創造することに
他ならないと思うのである。
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政治は妥協である。ジョン・グレイの「暫定協定自由主義」である。しかし、政治家個人
個人はそれこそ「自由」に自分の主義主張を持って、侃々諤々の議論をして欲しい。し か
し、最後は妥協であって、相手の立場も理解し、できるだけ相手の意見を尊重しなけれ
ばならない。これからはグローバルな地球の時代である。 私たち日本人が内田樹のいう
ようにいつまでも「辺境の精神」でいて良い訳が無い。これからは、国際社会 にあって、
日本人のみ「沈黙は金」という 精神でやっていっではだめであろう。私は、 ジョン・グ
レイの「暫定協定自由主義」を政治哲学のレベルだけでなく、一般の「哲学」 としても
磨きをかけていく 必要があると思う。その鍵は、「スピリット」と「生命」で ある。中
沢新一や森岡正博などのすばらしい日本の哲学者に大いに期待したい。
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修験道はわが国の古代信仰(スピリットの世界)と結び付いた道教の流れと見ることができ
るし、密教は古代信仰(スピリットの世界)をそれなりに取り入れた山岳仏教だし、 徳一の
仏教は古代信仰(グレートスピリットの世界)と仏教の本格的な習合を図ったものと見るこ
とができる。私は、「スピリット」に関する哲学 的な奥の深い思索を重ねることによっ
て、自ずと「共生の哲学」が出来上がっていくように思う。「スピリット」は、 「価値
多元主義」を説明すると同時に、 ジョン・グレイの「暫定協定自由主義」がまさに適切
であるということを哲学的に証明し得る力を持っているように思われる。 では、ここで、
私が今まで書いてきた「スピリット」に関する文書を紹介しておきたい。
!
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/pspirit.html
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http://www.kuniomi.gr.jp/geki/wa/index.html
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この「暫定協定自由主義」と「スピリット(精霊)」というページを終わるに当たって、 最
後に、ジョン・グレイの「わらの犬」(2009年10月、みすず書房)から、彼が 「スピリッ
ト(精霊)」に関してどのようなことを言っているかを紹介し、「暫定協定自由主義」と「ス
ピリット(精霊)」とが深いところで繋がっているのではないか・・・と いうことを示唆し
ておきたい。彼はこう言っている。すなわち、
!
『 有史以前はもとより、歴史始まってこの方、人類は概して自分たちが多少とも周囲 の
生き物たちとちがうとは考えなかった。狩猟採集民族は狩りの獲物を人間に優るとは言わ
ぬまでも、まずは同等と見なしていたし、動物を神聖視して崇拝の対象とする古式の文化
は少なくない。人間と動物を隔てる溝は越えがたいという ヒューマニストの認識は 誤り
で、人間も動物も等しく自然の一員であると考える・・・「精霊信仰」こそが道理に か
なっていよう。』・・・と。
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8、宗教、神話、祭りの「再魔術化」
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私は先に、「 政治は妥協である。ジョン・グレイの「暫定協定自由主義」である。しか
し、政治家個人個人はそれこそ「自由」に自分の主義主張を持って、侃々諤々の議論を し
て欲しい。」と言った。政治は妥協だとしても、個々の政治家は、当然、侃々諤々の議
論をするために、自分の主義主張を持たなければならない。要は、最後まで我を張るな
ということだ。科学は違う。妥協は無い。真実あるのみだ。では、ジョン・グレイは科学
についてどう考えているか?
!
ジョン・グレイは、 最新の著書「わらの犬」(2009年10月、み すず書房)の中で、次のよ
うに言っている。すなわち、
!
『 ファイヤーベントも述べているとおり、現在では宗教、神話、魔術の領分とされてい
る考え方が近代科学を開拓した先人たちの世界観を支える親柱だったのである。 往時の
哲学者は何にもまして理性的なおこないとみなしたが、歴史は科学者が「科学的方法」の
原則をないがしろにしたことを証している。科学の起源のみならず、その進歩もまた理性
に背くことによってもたらされたのである。』・・・と。
!
!
そうなのである。私も、ジョン・グレが言う通り、現在の「科学原理主義」が間違ってい
ると思う。本来の理性、中沢新一のいう「流動的知性」に立ち返らなければならない。本
来の科学に立ち返 らなければならないのである。それが私のいう「再魔術化」である。
「再魔術化」こそ新 しい科学であり、新しい哲学を創りだしていくのだと思う。
!
!
西洋文明が行き詰まっている。
!
私はまえに、「七夕祭りの再魔術化」と題して一連の所感を書いたが、その中(「七夕祭
り」を思う)で次のように述べた。すなわち、
!
『 「再魔術化」とは、「自我」を「自然」から引き離し「自然」と「人間」を対立さ せ
てきたデカルト的な思考から解放されなければならないとするものである。 すなわち、
科学的合理性・批判的理性の帰結点として人間と自然を二分する発想がむしろ非合理になっ
ており、自然と人間が一体化した認識論こそが現在では合理的となっているのである。自
然との一体化、地球との一体化、宇宙との一体化・・・である。何をどう考えることはも
ちろん大事だが、何をどう感じるかとい うことの方がもっと大事である。子どもの教育
に当たって、「豊かな感性をどう養うか」を真剣に考えねばならない。そのため に、「再
魔術化」ということが今日的な課題として今将に問われているのである。』
!
『 1989年9月、カナダのバンクーバーでユネスコ主催の国際シンポジュームが開催さ
れ・・・・「21世紀への生き残りのためのバンクーバー宣言」がなされ た。その「宣 言」
は、<サバイバルに直面する人類><問題の起源><ヴィジョンの選択肢>の三部か らなってい
るのだが、ここでは第三部を紹介しておきた い。第三部では、緊急の具体的 な課題に応
えるための方策の手掛かりとして、ここに(1)有機的な大宇宙の概念に基づく生命リズムの
回復、(2)人類の自己 イメージの変革による人間中心主義からの脱却、(3)本来的には<体ー
心ー霊>から成るトータルな人間が、在来の体中心的な断片 化から逃れて、コスモスの緊
密な一部として自己を再発見すること、という三つのヴィ ジョンが採択された。 これに
ついては中村雄二郎の<汎リズム論>が背景になっているらしい。』・・・と。
!
!
中村雄二郎の<汎リズム論>については、彼には、「共振する世界」(1993年10 月、青土社)
など多くの著作があるので、それをご覧頂くとして、ここで は、財団法人塩事業センター
の「Webマガジン」に掲載されていた中村雄二郎へのインタビューから、 是非皆さん方
にご承知願いたいと思う点を紹介すること としたい。中村雄二郎は、次のように言って
いる。すなわち
!
『 リズム振動単体では共振は生まれません。リズム同士の「引き込み (entrainment)」
が必要です。たとえば、二つの振り子時計を同じ台の上に固定 しますと、振り子の振動
はやがてシンクロナイズします。これが「引き込み」で、引き込みによる共振、すなわち
「リズム振動」は、この宇宙や自然の中の至る所に見出せる、きわめ て遍在的な現象で
す。普通、私たちがリズムと言いますと、音楽的なものを思い浮かべますね。けれども、
絵画や彫刻にもリズムがあるんです。共振によって、人に感動を与えたり、 コミュニケー
ションを可能にしたりするわけです。共振がうまくいくかいかないかで、その領域での活
動の成果が問われる。リズムの共振の正否がコミュニケー ションできたかできなかった
かの分かれ道になる、そのくらいリズム、振動、共振は重要です。 』
!
『 話し合わなくてもわかりあえる―― それは、リズムの共振があるからです。リズムの
共振があれば、相互理解ができると思います。たとえば、世界各地で起こっている民族紛
争は、文化の相互理解が固有のリズムの理解にまで及ばないために生じているといえない
でしょうか。最近は、凶悪な少年犯罪の増加や学校内でのいじめの問題など、教育の場で
さまざまな問題が発生しています。世代間のディスコミュニケーションなども問題視され
ています。それも、私に言わせれば、リズムという概念に対する配慮のなさからきている
ものだと思います。現実に対してどう切り込み、アプローチしてい くかという考え方が欠
けてい るからではないでしょうか。現代社会の問題点は、急激な変動によって生活のリ
ズムが混乱していることです。人々は、自然の中で培ってきた生命的なリズム感覚を失い、
根源的な意味での本来のコミュ ニケーションを失っているように思えます。教育の問題を
始めとする多くの社会問題は、 ここから発生していると言っていいでしょう。 人と人と
の相互理解は、じつは想像しているほど簡単にはいかなくなっている。そう考 えていくと、
これまで考慮に入れてこなかった「リズム振動」の共振性が重要になってく るんです。「リ
ズム振動」の重要性をあらためて捉え直し、生命のリズム感覚をとり戻すことが、必要に
なってくると思います。さまざまな領域 でこのリズムというものの重要性 に気が付き始
めていると思います。21世紀の課題は、まさにリズムだと思っています。 』・・・と。
!
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宇宙との響き合い、自然との響き合い、人々との響き合い、これらはすべて「リズム振
動」の共振性によるということらしい。こうした中村雄二郎の<汎リズム論>はまことに
摩訶不思議な世界であるが、これが新しい科学であることは疑いが無いように思われる。
!
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9、 再魔術化の罠
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今後、ジョン・グレの思想とも関連して「再魔術化」ということが重要である。 これは
前に書いたものの再掲であるが、「再魔術化」に関する私のペーパーを 紹介しておく。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/tanaba02.html
!
!
ジョン・グレが言う通り、現在の「科学原理主義」が間違っている。したがって、私は、
「再魔術化」の必要性を主張しているのだが、再魔術化を図る場合、おり入りやすい罠が
ある。これにはよほど注意しないととんでもな いことになる。 世の中の出来事には、科
学的に考えて絶対に起こりえないと断言できるものがある。 しかし、実は、科学的に説
明できないけれど、ひょっとしたら起こりうるかもしれないと いうものもけっこう多 い。
その灰色の領域がくせ者で、科学的に起こりえない領域と灰色の領域の境目をどう認識す
るか、そこが大問題で、よほど注意しないととんでもないことにな る。
科学的に起こりえないにもかかわら ず起こりうるとするのはオカルトの世界であり、 こ
れは非科学的な世界である。灰色の領域はオカルト的であるかもしれないが非科学的な
世界ではない。科学的に起こりえない領域と灰色の領域の境目は、オカルトの世界、す
なわち非科学的な世界と必ずしも非科学的とは断言できない世界との境目である。非科学
的とは断言できない世界は、オカルト的かもしれないし科学的に説明できないけれど、
ひょっとしたら起こりうるかもしれない世界であり、科学的な世界に含めて良 い。すな
わち、科学的に考えて起こりうると断言できる世界だけを科学的な世界だと・・・硬直的
に考えるのは間違いである。科学的という言葉の意味を硬直的 に考えるのではなく、よ
り弾力的に考えるべきなのである。
!
魔術の世界は、そのような認識に立っ た上での・・・科学的な世界の事である。オカル
ト的な色彩を含んではいるが、非科学的な世界ではなく、科学的な世界なのである。再
魔術化とは、非科学的な世界を認めようとするものではない。そうではなくて、科学的
な世界をもっと広げようとするものである。
しかし、冒頭に述べたように、 再魔術化を図る場合、おり入りやすい罠がある。これ
にはよほど注意しないととんでもないことになる。世の中、あまりにも非科学的なことを
いう人が多く、 かってカール・セーガンが「科学と悪霊を語る」という本を書いて世の
中の非科学的な風潮に対し警鐘を鳴らした。共鳴しうる点が多かったので、かって私の
ホームページ(掲示板)に紹介した。10年ほど前の事である。七夕祭りとは直接関係な いが、
彼の見解はまさに科学的だと思うのであらためてここに再掲しておきたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/rire011.html
!
以上のようなことを十分 認識した上で、七夕祭りの魔術化をどう図るか。そこが大問題
で、私は、哲学者、人類学者、宗教学者、天文学者、地質学者、生物学者、生命形態学
者、考古学 者、歴史学者、文学者、詩人、音楽家など多くの学者や芸術家の活躍が必要
であると思う。とりわけ、私は、中沢新一の芸術人類学に大きな期待を寄せている。
したがって、私などの浅学未熟な者が 七夕祭りの再魔術化について思いを言うなど、誠
におこがましい限りであるが、未熟ながらもそれなりに勉強してきて、近頃、私の考えを
どうしても皆さんに聞 いてもらいたいという思いが募って来た。そこで勉強の成果を逐次
申し述べる事としたい。まず私の基本的な認識を言えば、次のとおりである。
!
『 私たちは、「地球の子ども」であ る。すなわち、私たちを生み出してくれたもの は、
この地球であり、母である。地球は母である。母は地球である。この事をどう考えるかが
七夕祭りの再魔術化 を図る場合のキーポイントとなるが、それにはプラトンの 「コーラ」
とか風土というものに対する理解が必要であろう。』
!
『 西王母と七夕の伝承との関係が、物 語的な伝承の段階になって初めて結合したもの で
はなく、両者の関係の基礎はより古い季節の祭礼の中にまで遡り得るものであったであ
ろう。古層の神に対する 信仰の構造に思いを馳せながら、さまざまな信仰というものの
構造を考えた上で、七夕祭りの再魔術化を構想すべきである。』
!
『 中村雄二郎の<汎リズム論>はもち ろんの事、三木成夫やJ・E・ベーレンの思想を 踏
まえながら、七夕祭りの再魔術化を進めていくべきだろう。彼らの哲学や思想をどう子
どもたちに語っていく のか・・・。難しい事をやさしく語るほど難しい事はない。しか
し、七夕祭りの再魔術化にあたっては、今後、そういう語り部を地域につくっていくべき
ではな いか。』
!
!
!
以上が前に書いたものの再掲であるが、先に述べたように、宇宙との響き合い、自然との
響き合い、人々との響き合い、これらはすべて「リズム振動」の共振性によるというこ
とらしい。こうした中村雄二郎の<汎リズム論>はまことに摩訶不思議な世界であるが、
これが新しい科学であることは疑いが無いように思われ る。 私は、この種の新しい哲学
によって、宗教、神話、祭りの「再魔術化」を図ることができるよう、中沢新一や森岡正
博らの日本の哲学者の活躍を大いに期待した い。私たちにで きることは、そういう「再
魔術化」の実践活動であり、科学原理主義を廃すると同時に非科学的なオカルトを廃し、
自然をよくよく見つめ、自然 というものに驚きを見出すこと である。中村雄二郎のいう
ように、ゲーテの「自然観」に学ぶことである。
!
ジョン・グレイは、老荘思想に傾倒しているようで、「わらの犬」では最後に「人生の目
的は、ただ見ることだけと考えたらいいではないか。」と言っている。まあそういう生き
方もあるかもしれない。しかし、私はもっと積極的であって、明恵のような生き方が最高
であると思っている。
!
!
!
10、私たちの感性でジョン・グレイの政治哲学を呑み込もう!
!
西洋文明が行き詰まっている。
!
私は先程述べたように、「再魔術化」とは、「自我」を「自然」から引き離し「自然」と
「人間」を対立させ てきたデカルト的な思考から解放されなければならないとするもの
である。すなわち、科学的合理性・批判的理性の帰結点として人間と自然を二分する発想
がむしろ非合理に なっており、自然と人間が一体化した認識論こそが現在では合理的と
なっているのであ る。自然との一体化、地球との一体化、宇宙との一体 化・・・である。
何をどう考える ことはもちろん大事だが、何をどう感じるかということの方がもっと大
事である。子ども の教育に当たって、「豊かな感性をどう養うか」を真剣に考えねばな
らない。そのため に、「再魔術化」ということが今日的な課題として今将に問われてい
る。
!
また、西洋文明の普遍的価値観に対して、価値多元主義というのがある。前者の哲学に
おいては、寛容が真理へと至る手段として正当化され、寛容は理性的合意の道具であり、
生の様式の多様性というものも、最終的には消え去るであろ うという確信がある。この
確信はデカルト以来の近代哲学の主流といって良い。他方、価値多元論の哲学において
は、寛容は平和の条件として重んじられ、互い に異なった生の様式は、善き生における
多様性の特徴として歓迎されている。ジョン・グレイの政治哲学はこの立場である。ジョ
ン・グレイの暫定協定自由主義は、私たち日本人の感性からすると良く理解できるが、は
たして西洋ではそう簡単には受け入れられないかもしれない。西洋人と日本人とでは感性
が違うからだ。
!
外 国人と日本人は感性が違うということは、多くの方にすんなり認めてもらえるだろ う。
私たち日本人の感性は、韓国人の感性と違うしアメリカ人の感性と違う。 もちろん 共通
するものもあるし、違うものもあるということだが、違いというものに注目した時、 国
によって感性というものがどのように違うのか? 私は今まで、そういう学問的な研究成果
を見たことがない。したがって、私の直観的な判断でしかないが、感性の地域分類として、
中沢新一のいう「環太平洋の環」とそ の他の国々で大括りすることとしたい。私 は、古
モンゴリアンで共通の感性が多いのではないかという仮説に立っているのだが、その仮説
が正しければ、古モン ゴリアンのネットワークをつくれるし、もしそうなれば、 そのネッ
トワークの力を借りながら、先住民族がそれぞれの国内に働きかけてその国の文 化を変
えてい くことが可能になる。古モンゴリアンの感性の普及を図るということだ。 私は古
モンゴリアンの感性は素晴らしいと思っており、中沢新一の「環太平洋の環」でグノーシ
スが始まるのではないかと期待している訳だ。それにはまず日本が、「歴史と伝統 文化」
に則りその感性に磨きをかけ、グノーシスを始めなければならない。
!
環太平洋の環:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/2honjin.html
!
グノーシス:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/sekai03.html
!
そのためには、日本人の感性というものの特徴を知らねばならないが、それには内田樹の
「日本辺境論」を良く理解するとともに、日本の「歴史と伝統文化」をよくよく勉強し
なければならない。その上で、日本が率先してグノーシスを始めるためには、インディア
ンの文化をよくよく勉強しなければならないと思う。つま り、自然観、女性感、経済に
対する思想、平和に対する思想、民主主義に関する思想など、日本はインディアンの文化
に学び、それに日本人ならではの磨きをかける必要がある・・・と思う次第である。
!
ジョン・グレイの政治哲学は、今まで縷々述べてきたように、私たち日本人の感性と馴染
みが良い。したがって、今まで縷々述べてきたことの最終結論として、「私たちは、私た
ちの感性でジョン・グレイの政治哲学を呑み込もう!」と言いたい。
!
グノーシスの現場はアジア太平洋地域、つまりAPECの地域である。遺伝子的に同じ感性
の先住民が存在する。アジア太平洋地域でグノーシスの最先端を行くのは日本である。
佐伯啓思の「正義の偽装」について
!
第1章 自由主義と民主主義について
!
第2節 佐伯啓司の指摘する民主主義の大欠陥
!
!
佐伯啓思は「正義の偽装」の中で民主主義に関連して次のように述べている。すなわち、
!
『 「価値」とは、通常は意識の下に隠されており、何か大事なことがあると思い出され
たように意識の上に浮上してきますが、通常はその多くが習慣になっているものです。だ
から、価値は「隠された文化」と呼んでもいいでしょう。ところが、戦後日本では、「価
値」は黒板に板書できるのです。それは額縁に入れられて飾られているのです。「憲法」
という額縁に堂々と入っているのです。たとえば第13条。「すべての国民は、個人として
尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については・・・最大の尊重
を必要とする。」すなわち、生命、自由、幸福追求についての個人の権利が最大限の価値
をもつ、とされている。そこへ第14条の「法の下の平等」と第9条の「戦争放棄」を加 え
れば、戦後日本の「公式的な価値」は明白です。これをもう少し集約して、戦後日本の
「価値」とは、個人の自由、民主主義(あるいは平等)、物理的な幸福追求(物的豊かさ の
追求)、それに平和主義といってよい。』
!
岩井國臣のコメント:個人の自由、民主主義(あるいは平等)、物理的な幸福追求(物的豊か
さの追求)、それに平和主義などという・・・憲法に書かれた価値は本当の価値ではない。
佐伯啓思はそう言っているのである。佐伯啓思は本当の価値は「隠された文化」で ある
と言っているが、日本の文化の心髄というものは隠されており、到底アメリカ人には理解
できないものである。日本の文化の何たるかを知らないアメリカ人が作った憲法原案なん
てものはおおよそ出来の悪いものとしか言いようがない。その出来の悪い憲法によっ て
行われている日本の民主主義は、本来日本が取るべき民主主義ではない。すなわち、現
在の民主主義はまがい物である。
!
『 戦後という時代のいやらしさは国民単位での自己欺瞞にあります。ごまかしと偽装に
あります。利己心や自己の事情や我が身かわいさは、誰にでもある。だけれども、それを
どこかで「はずかしいもの」として抑制する何かがなければならない。しかしそれに「政
治的正さ」を与えてしまっては、それを抑制するものがなくなってしまう。かくて日本人
の精神の劣化は極まってゆくのです。』
!
『 むき出しの利己心も欲望の解放も、そして、それを正義にしてしまう厚顔無恥も「本
当は」日本人の精神ではないと私は思う。日本人にとっての価値の基軸はどこにあるの
か、それを見いださない限り、この劣化に歯止めをかけることはできないのではないで
しょうか。』
岩井國臣のコメント:日本精神は、聖徳太子の思想と俊徳丸の思想の渾然一体となったと
ころにある。「聖徳太子」は、世界が強者だけで支配されてはならないと考える。世界
は、合理的な思考と大地の豊かさが、ひとつに結びついた「和」のなかにあるとき、はじ
めて潜在的な力を開花させる。秩序が作られねばならないとき、戦いを通じて敗者となる
者たちが出てくる。そうした敗者や弱者を排除しないで、自分の中に組み入れる度量を
もった政治を行うこと。そういう世界を作り出すことが、「聖徳太子」という名前を使っ
て表現された、日本人が目指していた政治の理想なのだった。「俊徳丸の思想」とは、折
口信夫の小説「身毒丸」で述べられている俊徳丸の考えである。それは、神に対する「恐
れ」を感じながら、なんとか神に認めてもらう生き方をしなければならないと考える思想
である。うちのおばあちゃんが「そんなことをしていたら罰が当たるよ!」としょっちゅ
う言っていたが、そういうことだ。これらのことについて、私は、「知られざる四天王
寺」で詳しく書いたので是非ご覧頂きたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/sitennouji.pdf
!
!
『 わたしは「民主主義」という政治体制はたいへん難しいもので大きな欠陥を孕んでい
ると思っています。「民主主義」がすばらしいものであるなどとまったく思いません。し
かし同時にまた、「民主主義」以外の政治体制を現状で採りえるとも思えません。とすれ
ば、何とか民主主義を使いこなしてゆくほかないのですが、どうも「日本」と「民主主
義」の食い合わせはなかなか難しいものを孕んでいるようにおもえるのです。』
!
『 今日の日本の政治状況はみるからに不格好なことになってしまっている。「われわ れ」
と同じ「庶民感覚」を期待しておき、しかも自分の利益や思いが実現されないときに は、
「決断しない」とか「責任を取らない」といって不平をならべるのです。』
!
『 「決断」はいうまでもなくまったく未知で不確実な未来へ向けてひとつの事柄を選び
取ることで、そこには先見性と強い意志がなければなりませんし、「責任」の方も、選択
の結果がいかなる事態を引き起こすかというある程度の因果関係の推論や予見がなければ
意味を持ちません。こうしたことを予見できるのは、人並みはずれた能力なのです。(中
略)つまり、指導者はわれわれとはいささか違った卓越した人物でなければならない、と
いうことです。』
!
『ところが他方で、われわれの理解する「民主主義」とは、「民意を反映する政治」であ
り、われわれの常日頃の思いや感情や不満が政治に反映されるべきだ、という。指導者と
は、われわれのいうことをよく聞き、われわれの不満を代弁してそれを解消してくれるは
ずの者なのです。端的にいえば、民主主義のもとでの政治とは、「庶民感覚」をもった者
で、できる限りわれわれに近い人であるべきなのです。』
!
岩井國臣のコメント:すなわち、「庶民感覚を反映する政治」と「責任の取れる政治」と
は「食い合わせ」が悪い。佐伯啓思はそう言っている。食い合わせの悪い食べ物の代表的
なものは「鰻と梅干し」だが、私は両方とも大好きだ。しかし、それらを同時に食べるこ
とは避けている。食い合わせの悪い食べ物は結構数が多いが、そういう食い合わせの悪い
ものを同時に食べてはいけない。体の調子が悪くなるのだ。それと同じように、食い合わ
せの悪い「庶民感覚を反映する政治」と「責任の取れる政治」を同時に求めていると、国
全体の調子が悪くなる。それらは別の次元の問題であり、互いに矛盾する問題だ。一般
に、矛盾する問題の解決は大変難しいが、佐伯啓思の指摘するこの問題の解決も大変難し
い問題である。
!
!
『 「決断」と「責任」の主体を作れば本当の民主主義が実現する、などというものでは
ありません。わたくしは、別に、「だから日本には民主主義など成立しない」といってい
るわけでもなく、また「だから日本人はダメなので」といっているわけでもありません。
ただ、「日本的なるもの」と「近代民主主義」の結合には何か基本的な難点があると思う
のです。そのことをしっかりと自覚しておく必要があるでしょう。』
!
岩井國臣のコメント:「日本的なるもの」と「近代民主主義」の結合には何か基本的な難
点があるという佐伯啓思の見解に私は賛成だ。憲法改正にあたっては、そのことをしっ
かりと自覚した上で、私たちは、「日本的なるもの」の結晶としての「日本型の民主主
義」を模索しなければならないのではなかろうか。後ほど述べるように、佐伯啓思は、日
本の政治形態として、政治の権力と天皇の権威との複合形態に思いを寄せているようだが、
私は、天皇の権威があまねく国民に浸透していくと、ひょっとしたら政治的食い合わ せ
の問題は解決するかもしれないと思う。佐伯啓思は示唆を与えているだけで問題解決の
方策までは言及していない。そこで私は、この際、「天皇の権威の下で責任ある民主政治
を行うにはどうすればいいか?」という問題提起をしておきたい。しかし、紙枚の関係も
あるのでここでは問題提起だけにとどめ、このことについては、別途機会を改めて書きた
いと思う。結盟団事件を念頭において、私の「リーダー論」を展開したいという訳だ。乞
うご期待!
佐伯啓思の「正義の偽装」について
!
第1章 自由主義と民主主義について
!
!
第3節 これからの日本の政治・・・民主主義について考える
!
1、民主主義国家について
!
民主主義国家であるかどうかの基準は、いろいろあると思うけれど、私は、フランク・
フクヤマの次の基準が良いと思う。イ、相対立する複数立候補者が存在する、自由で、無
記名で、定期的な男女普通選挙の実施。 ロ、普通選挙によって構成された議会が立法権
の最高権限を持っていることの憲法などの公式文書での明文化。 ハ、議会内における相
互批判的な複数政党の存在。 ニ、自由で多様な行政府批判を行う国内大手メディアが存
在し、それを不特定多数が閲覧できること。
!
世界には多様な民主国家が存在しているが、これらはおおむね共通して存在する基準で
ある。したがって、日本は、間違いなくこの基準を満足しているので、民主主義国家であ
る。
一 方、プラトンの考えを不用意にそのまま現在の民主主義に適用すると、「民主主主義
の成功のためには、国民の有権者全体が知的教育を受けられること、恐怖や怒りなどの感
情、個人的な利害、マスコミによ る情報操作や扇動などに惑わされず理性的な意思の決
定ができる社会が不可欠である。つまり徳を持つことである。逆の言い方をすれば、 民
主主義を無条件に広めると、知的教育を受けていないもの、恐怖や怒りなどの個人の感
情や利害損得に影響されやすい非理性的なものも有権者(政治家と選挙民)となり、結果と
して衆愚政治となりかねない危険がある」ということになってしまいかねない。この点
からすれば、おおよそ世界の民主主義国家と考えられている国家は、すべて衆愚政治に陥っ
ていることになる。したがって、現在の民主主義において、プラトンの哲人政治というか
強い政治を望む声も出てくるようなことになる。マスコミ亡国論などというものも衆遇政
治を忌避するところからでてくる。しかし、これらは間違っている。
!
では、プラトンの考えは間違っているのではないか? そうではない。そうではなくて、
古代ギリシャのが現在の民主主義国家基準に合わないだけのことで、当時の政治活動から
すればプラトンの政治哲学が必ずしも間違っていた訳ではない。間違っているのは、 プ
ラトンの政治哲学を不用意にそのまま現在の民主主義に適用することなのである。しか
し、現在、プラトンの哲人政治を望む声もなくはないので、私があえて「プラトンの民主
政治の考えは間違っている」と言うことをお許しいただきたい。
!
!
!
2、古代ギリシャの民主政
!
!
現代の民主主義・民主制・民主政は、古代ギリシアにその起源を見ることができる。デ
モクラシーの語源は古典ギリシア語の「デモクラティア」で、都市国家(ポ リス)では民会
による民主政が行われた。特にアテナイは直接民主制の確立と言われている。またヘロド
トスの『歴史』では更に寡頭制と専制を加えた三分類が登場し、プラトンやアリストテレ
スが貴族支配や君主支配の概念とともに整理した。ただし古代アテネなどの民主政は、各
ポリスに限定された 「自由市民」にのみ参政権を認め、ポリスのため戦う従軍の義務と
表裏一体のものであった。女性や奴隷は自由市民とは認められず、ギリシア人の男 性でも
他のポリスからの移住者やその子孫には市民権が与えられることはほとんど無かっ た。
しかし、後に扇動的な政治家の議論に大衆が流され、政治が混乱しソクラテス が処刑さ
れると、プラトン・アリストテレス・アリストパネスなどの知識人は民主政を「衆愚政治」
と批判し、プラトンは「哲人政治」を主張した。後にアテネ を含む古代ギリシア が衰退
して古代ローマの覇権となると、大衆には国家を統治する能力は無いと考える時代が長く
続いた。
!
さて、このような古代ギリシャの民主政は、フクヤマの基準に照らして言えば、現在で
いうところの民主主義国家とはいえない。したがって、プラトンの考えは、古代ギリシャ
については妥当な考えであったとして、少なくとも現在の民主主義政治を考える際には、
やはり間違った考えであると言わないといけないように思われる。
!
塩野七生など学識経験者で、今の政治に対し、哲人政治とまではいわなくても、強い政
治を望む声が少なくないのも事実だと思うが、そういう人の考えには、プラトンなど古代
ギリシャの知識人の考えが、潜在的に影響しているのではないか。かかる観点から、現在
の政治を考える場合には、哲人政治を理想とするプラトンの考えはやはり間違った考えで
あると、声高に叫ばなければならないと思われるのである。私は、哲人政治を理想とする
プラトンの考えは、現在社会においては抹殺しないといけないと考える次第である。
私は、かっての民主党政権が仮に衆愚政治に陥っていたとしても、日本の政治が衆愚政治
に陥っているとは思わない。リーダー不足はたしかではあるが、日本の民主主義はおおむ
ねうまく行っているのではないか。プラトンの考えるような知性を持った国民ではないけ
れど、日本の国民はそれほど馬鹿ではないということだ。
!
!
!
3、ポピュリズム
!
!
衆愚政治とポピュリズムは違う。衆愚政治とは、政治家の大半が知的訓練を仮に受けて
いても適切なリーダーシップが欠けていたり、判断力が乏しい人間に参政権が与えられて
いる状況である。その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停
滞してしまったり、愚かな政策が実行される状況をさす。また、政治家がおのおののエゴ
イズムを追求して意思決定する政治状況を指す。エゴイズムは自己の積極的利益の追及と
は限らず、恐怖からの逃避、困難や不快さの回避や意図的な無視、他人まかせの機会主義、
課題の先延ばしなどを含む。それに対し、ポピュリズムとは、ラテン語の 「populus(民
衆)」に由来し、民衆の利益が政治に反映されるべきという政治的立場を 指す。大衆主義。
ノーラン・チャートによる定義では、個人的自由の拡大および経済的自 由の拡大のどち
らについても慎重ないし消極的な立場を採る政治理念を指し、権威主義や 全体主義と同
義。個人的自由の拡大および経済的自由の拡大のどちらについても積極的な 立場を採る
政治理念である自由至上主義(リバタリアニズム)とは対極の概念である。
!
私は、ポピュリズムを、ニーチェのいう大衆のルサンチマンが生み出す大衆主義だと考
えており、プラトンの「哲人政治」とは対極のものであると思う。すなわち、ポピュリズ
ム(大衆主義)は、弱者の論理であって、強者の論理ではない。
報道において「衆愚政治」という意味で用いられることもあるが、その場合は、「今日
では、複雑な政治的争点を単純化して、いたずらに民衆の人気取りに終始し、真の政治的
解決を回避するもの」として、ポピュリズムは批判的に言及されることが多い。民意を離
れてデモクラシー(民主主義)は運用できないとしても、民衆全体の利益を安易に想定す る
ことは、少数者への抑圧などにつながり、危険であるからである。しかし、そういう行
き過ぎがあると、これからの時代、そういうマイナス面をできるだけ速やかに是正してい
かないと大衆受けしないのも事実であろう。
!
私は、日本の政治はようやくポピュリズム(大衆主義)になってきたと思う。ポピュリズム
は(大衆主義)は、弱者の論理であって、強者の論理ではない。民意を尊重する政 治、おお
いに結構なことではないか。
なお、ポピュリズムは、得てして衆遇政治に陥りやすい危険性を常に持っているので、衆
愚的な政治家を引っ張って、速やかに「民意」に落ち着かせる、そのような大リーダー が
必要であることはいうまでもない。大リーダーは、人柄がよく、先行きが見えて決断が早
く、そして結果について責任の取れる人である。今西錦司が言うように、人柄、洞察力、
責任が大リーダの条件だ。国民の目から見て決めるべきはさっさと決めてほしいのであ
る。小田原評議をしていても始まらない。そして失敗したときは責任を取ってほしい。
!
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!
4、今西錦司のリーダー論
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!
私は京都大学で大学生活を送ったが、その中心は土木工学科の村山朔郎研究室と山岳部
であって、素晴らしい多くの先輩と同僚、そして後輩に恵まれて、今日の私がある。その
なかでもいちばんご縁の深かったのが松尾稔君である。研究室も一緒だったし、山岳部も
一緒だったし、悪友という言葉が適当かどうかわからないが、大学時代の試験勉強も一緒
にやったし、しょっちゅう飲みにもいった。彼は親分肌で、いわゆるリーダーである。彼
と一緒の時は常に彼がリーダーであって、私はサブリ-ダーである。
大学を卒業してから、研究室の柴田徹先生を会長にして楽友地盤研究会という親睦団体
をつくってそれなりの勉強もやってきたが、その実質的な会長は松尾稔君であった。その
時代の勉強の成果は、「21世紀・建設産業はどう変わるか―建設エンジニアのパラダイ
ム転換」(楽友地盤研究会著、松尾稔監修、2001年2月,鹿島出版)にまとめられているので
関心のある方は是非ご覧戴きたい。柴田先生が亡くなってからは、松尾稔君が会長で名前
も楽友研究会に変えて今も集まりを続けている。それができているのも松尾稔君のお陰で
ある。松尾稔君は、名古屋大学の総長を長くやったし、土木学会長もやったこ とのある
立派な学者である。
!
!
今回の東日本大震災は日本が経験したことのない未曾有の大災害であり、これから日本
は価値観の大転換を図り、この国難に立ち向かっていかなければならない。私も残る人生
をかけてできることを精一杯やっていく覚悟であるが、価値観の大転換を図るためには、
今西錦司に学ぶことが多いし、また今西錦司の教えを受け継いでいる松尾稔君に学ぶべき
ことも多い。かかる観点から、2011年5月25日に松尾稔君との対談を行なった。そ れに
ついては、YouTubeにアップしてあるので是非ご覧いただきたい。
http://www.youtube.com/watch?v=pebArgmgfXw
!
この対談では、松尾稔君と私の仲であるのでいっさい敬語を使わないことにしたし、二
人とも京都育ちであるので京都弁でしゃべることとした。公に出すものとしてはあるいは
不適当であるかもしれないが、二人が仲の良い京都人であることに免じてお許しいただき
たい。この対談では、松尾稔君から、今西錦司のリーダー論について存分語ってもらって
いる。
!
岩井 今日はざっくばらんにねいろいろお聞きしたい。まず最初にね、二人とも山岳部 な
んだけど、僕の場合はね、卒業してからすぐに建設省に入ったからね、山の方も自然に途
絶えていった。あなたの場合は、ずっとね、大学に残ったからね。山とのご縁も切れず
に、山岳部の諸先輩方のご縁も切れずにやってきたし、特に今西さん(今西錦司)だとか、
桑原(桑原武夫)さんだとか、西堀(西堀栄三郎)さんだとかね、親しくしていたで しょ。可
愛がられたというかね。まぁ、そういうのがあるんですけど、特にその中で、 やっぱり
ボスはね、今西さんなんだよね。
!
松尾
!
完全にそう。
岩井 そう、僕も何度か会合に出たんよ。山岳部のね。その時にね、諸先輩おられるとね、
必ず今西さんが真ん中や。それで、その横に西堀さんがおったり、桑原さんがおったりし
たんですね。ところで、今西さんのリーダー論ってあるでしょ。松尾は松尾の自分のリー
ダー論があるかと思いますけど、まず、今西さんのリーダー論からね、ちょっと話しても
らえませんか。
今ね、ちょっとね、日本はリーダー不足なんですよ。会社もそう、政府もそう。良いリー
ダーに恵まれてないよね。やっぱりリーダーを育成せないかんなと僕なんかは思ってるん
だけど、リーダー論についてちょっと語ってくれませんか。
!
松尾 あのね、ともかくリーダーっていうのはね、組織であれ、社会であれね、これは最
重要や。しかし、今回の大災害に関連して言えばリーダー不足は深刻や。今回、名前を 上
げるのは差し控えるけども、当該の企業にしてもね、政府関係にしてもね、リーダー不在
というのは、いかに悲惨かということをね、もう、多くの国民が感じてると思う。
岩井も山岳部やから、よく知ってるようにね、山岳部の部室ではね、いつも皆んなが自
由に書けるノートがあった。あの中にね、毎日誰かが、リーダー論を書いていた。という
のは、なんでかというと我々の場合はやね、へまなリーダーと一緒に山に登ったら死んで
しまうわけやないか。
!
岩井
!
そうそう(笑)
松尾 山登りでは岩とか雪山やらやるからね。生命がかかってるわけやから、言われた
とおり動かないと死んでしまう。だから、それが身に染みてるわけやね。ま、そういう背
景があってね、特に山岳部の系統なんかではね、リーダーの良し悪しというのは常に頭に
置いておかんとイカン。で、そういう中で僕個人のことでいうとね、今、君が言うたよう
に、やっぱり山岳部で、君があげたような巨人というべきような人たちと親しくしていた
だいたというのはね、自分の人生観を決定づけた。と、僕は思うんやけどね。
!
岩井
!
なるほど
松尾 ま、その中に今、今西さんの話が出たね。で、今西錦司という人はね、これはもう、
ほんまもののリーダーや。失礼な言い方だし、違うと言う人いるかもしれんけど、俺の見
てる限りでは今西さんが永世リーダーで、西堀さんがね、サブリーダーで、クワハン ね。
桑原武夫大先生がマネージャーかな。そういう感じや。
岩井が今西さんのこと語れというけど、実を言うとね、今西さんのことを語るという資
格もないしね、本当は、そんな能力もないんやけど、それでも、まぁ知ってることを伝え
るとね、ともかく、僕は個人的にね、リーダーというのはこうあるべしということをね、
何回か聞いたんや。あの人は、ものすごい怖い人やったらしい。ちょうど卒業年次でいう
と昭和20年代の連中にしたらね、もの凄い怖かったらしい。しかし、僕なんかにはね、
もの凄い優しいねん。何でか言うと、孫くらいやから(笑) まぁ、孫というと語弊がある
けどね。非常に可愛がってもらった方でね。ともかくね、今西さんはリーダーというもの
がいかに重要かということを言われた。
僕、その頃のノートやメモを取ってあるんだけどね、書いてあることのひとつはね、人
柄ですよ。人格、人柄。人格というのは、かってに俺が後で考えて付けたんやけどね。実
は今西さんはね、人柄と言うてはるわ。人柄。それからね、二つ目は、順番はちょっと忘
れたけどね、先見性。先見性という言葉は使ってなかったかもしれんけど。
!
岩井/松尾(同時)
!
洞察力!
松尾 洞察力みたいなもんやね。洞察力。それから、三番目はね、これ、もの凄い大事 な
んやけどね、常に責任を取る覚悟。これを言うてはるねん。
それでね、僕はそれを人に語らんならん時があってね、どこかで読んだなと思ってね、
探したんや。なかなか見つからなかったけど、とうとう探し当てた。自然学の提唱という
ね、小さいインタビューに答えてはるんや。一九八六年のこと。今西先生はね、一九九二
年に亡くなってるはずやからね、本当に晩年の貴重な資料やね。その中に、やっぱり語っ
てはる、その三つを語ってはるんや。
それで、今、岩井ね。人をつくらなならんと言うたやろ。その資質が有る人間をね、育
てなあかんと。今西さんはね、どういうて言うてはったかゆうたら、リーダーちゅうのは
ね、生まれつきのもんやというのが、あの人の言い方やね。つまりね、人柄ってなものは
ね、生まれついてのものやというわけや。洞察力も。
そやけど、俺がよく今西さんに言われたのは責任や。責任取る覚悟が出来てるというの
はね、もう、相当にトレーニングを積まな出来まへんでと、いうことやねん。
!
岩井
!
あぁ、そうか。
松尾 そら、それぞれの立場があるやろ。あんまり、そんな詳しいこと言わはれへんだ け
ど、要するに、どういう時には、どういう責任を取ることができるるかっちゅうことを
ね、常に考えてやらなあかんと、いうのがね、今西さんの言い方やったと思う。
!
岩井 なるほど。 松尾 俺はそう思う。まぁ、それぐらいで良いと思うんやけどね。もう
一つだけ言うと くとね、加藤泰安って、もちろん知ってるやろ。
!
岩井
!
知ってるよ。
松尾 大登山家やな。僕らの先輩の。あの人の言い方するとね、リーダーというのは天才
型と努力型があるって言うんだよね。努力型っていうのはね、調整やってゆく人だって、
立派なリーダーになるわけやから、そらそれで、また良いやんか。そやけど、天才型の典
型が今西錦司やというわけや。
!
岩井
!
そうかもしれんなぁ。うん。
松尾 ともかく洞察力とかね、決断力とかにもとづいて、行動なんかの批判は、絶対許さ
んというわけだよ。そやから、こういう大将に付いて行く方としたらやな、もう、迷惑
至極というわけや。なんか批判でもしたら、そんなもん、ぶん殴られるくらいに怒るとい
うわけや。(笑) そやけど、言うたとおりになる、ちゅうわけや。結果が。それが、今西
さんや。クワハン、桑原武夫先生がね、「今西錦司序論」かな。なんかに書いてはるのが
あってね、ともかく、あれは、エゴイストじゃなくてエゴチストやちゅうことを言うては
る。
!
岩井
!
そら、どういう意味や?
松尾 エゴイストやったらね、これは利己主義者やろ? 誰にも好かれへんわいな。エ ゴ
チストちゅうのは、まぁ言うたら自惚れの物凄い強い人間やね。まぁ、一面で悪く言え
ば、自分の主張が物凄い強いとこがある。で、いい意味でのエゴチストであってね、もの
凄い、不条理やと言うわけや。何も説明しよらへんと。そやけど、なんか知らんけどね、
これについていかないかんという気分にさせる男なんやと(笑)。 それが今西や、ちゅう
わけや。それで、やっぱり若い時分にはね、怒ってね、人を叩いたりしたこともあったら
しいけどね。だけど、梅棹さんなんかが書いてはるもんを見るとね、あれぐらいの年齢に
なってくると、もう、人にそういう無礼なことをやる人では絶対になかったと。やっぱ、
京都人としてのね、貴重なマナーを守る人やったと、梅棹さんやらは書いてる。ただし、
この梅棹さんとクワハンの言うてることが全く同じことはね、やっぱりね、論理的にどう
やっていうことはなく、説明せんっちゅうわけや。そやから、何が合理的かということが
わからへん。例えば、知床の時やったか・・・白頭山かな、梅棹さんなんかが、こうこ
う、こういう理由で、こういうルートを通るっていうたら、今西さんは物凄い怒ってね、
もう勝手に行けということで自分だけ違うとこへ行っちゃった。ほいで、やっとこさたど
り着いたら、もうそこで「お前ら何してんねん」ちゅうて待ってはったというわけや
(笑)
!
岩井
!
ハハハ
松尾 そう言うのが、やっぱり天才型やね。しかしそれは、先見性、洞察力とかね、そ れ
から物凄い知識とかね、そういうものが背景にあるわけでね。
!
岩井 そりゃ恐らく先天的な物があると思うんだけども、やっぱり僕は全てがそうじゃ な
くって、先天的なものもあるけど、後天的なものもある。そう思う。特に小さい時のね、
幼児教育やね、僕は非常に大事じゃないかなと。責任感にしても、洞察力にしてもね、人
柄にしてもね、僕はやっぱり後天的なものも、無いわけではないと思う。
!
松尾
!
そりゃあ、その通りや。ところで今西さんは京都でも指折りの織物の息子やろ。
岩井 そうそう。
松尾 だからね、京都ちゅうのは、まぁ梅棹さんもそうだけど、町家のね、こうずーっ と
伝統的に身についていくルールみたいなものがね、
!
岩井
!
染み付いとるんやな。そういうとこあると思うね。
松尾 だから、守らなならんルールというのをきちっと守って、言葉遣いやらでもね、 乱
暴に言うちゃいかん時には絶対乱暴には言わはらへん。仲間内は別やけどね。それから、
今西さんほどの読書家はいないちゅうことも梅棹さんは書いてはる。今西さ んの読書は
物凄かったらいしいわ。
!
岩井
!
あの人ね、直感力がすごいでしょ。これも洞察力か。
松尾 それはさっき言うた(笑)一つ例をあげるとね、大学紛争があったやんか。その頃、
おれは京大の助教授やったけどな。まぁ、大変やった。何回かあったけどね。昭和四 十
三年ぐらいだったかなあ東大が入学式かなんか中止したわな。あの頃の紛争でね、どこ
の大学でも学長団交ちゅうのがあった。学長団交で、学長閉じ込めるみたいな格好で、離
さへんわけやんか。二日も三日も。。
!
岩井
!
あれは、岐阜大学の学長しておられた時かな?
松尾 その時に、錦(きん)さんはね、岐阜大学の学長やんか。これはは岐阜大のひとから
聞いたことやが、岐阜大の紛争は一日で終わったちゅうんや。京大なんか何日続いたかわ
からへんで。それでね、岐阜大の場合はなんで一日で終わったかちゅうことやんか。 それ
は、学生の側が出す要求みたいなものをね、要望いっぱい有るわけやな。それを今西 さ
んは次から次へとね、「ああ、いいよ」と言うてね、呑んでしまうというわけや(笑) そ
したら、事務局長とかなんやらがね、もう、びっくりしてやね、そんなことしたら困り
ますがな。ってなわけや。しかし全部呑んでしまって、それで、岐阜大はポンと終わり や。
!
!
岩井 やっぱり、洞察力というか直感力というか、何がどうなるという行く末をね、 ちゃ
んと見てはるわけやな。
!
松尾 そうや、お前の言うとおりや。それをね、俺は錦(きん)さんから直接きいたわけや。
この問題は、どこまで行くかという、見切りがきちっと、つけられるのがね、 リーダー
ちゅうもんや・・・と錦(きん)さんは言わはる。それが、洞察力やねん。
!
岩井
!
なるほど。なるほど。
松尾 そやから、この問題は、今度の場合でもどんな災害になるかちゅうことをね、 ばっ
と見切りがついたらね、もう、全然対応が違うはずや。大学紛争の話はね、学生が ワー
ワー言うてるんやけど、これはここまで行くというのが、パーンと判るわけなんや。 それ
やったら、それまでの間、ぐちゃぐちゃやってたら時間かかるだけやんか。と、いうのは
ね、俺が今西さんから直に聞いた話や(笑)
!
岩井 まぁ、兎に角、リーダーを育成しようと思って出来るもんじゃないかもしれんけど、
やっぱりリーダーに育って欲しいというかね、そういう風土を作っていかないかんのでね。
これから、僕は大きな課題ではないかと。
!
松尾 俺はそれに賛成する。岩井ね、ここは誤解があっちゃいかんのはねそこや。なんで
泰安の話をしたか。・・泰安って、こんな偉そうな言い方をしていると怒られるな先輩
に・・。加藤泰安の考えやが、ちゃんと書いたり言うたりしてはるのをわしは直に聞いて
るんやけど、天才型とやっぱり努力型があると。努力型の人もリーダーとして必要なんや。
で、努力型の人に、そんな物凄い高レベルのね資質を求めんかて、それなりのところで、
リーダーを果たせりゃいい。だけども、超トップになるような人は、資質を持ってなあか
ん。だから、岩井のそういう志は良いことやから、やっぱり、そこを区別してやね、 努
力型も大事や、せやけど・・・。
!
岩井
!
松尾
!
岩井
!
天才もおるよと。
そういう人がおるんやんか、天才型の人が。
やっぱり、そりゃ見つけなあかんな。
松尾 そう、見つけなあかん。それで、見つけてやぞ、そこで教えなあかんのは、責任 を
取る覚悟を教えなあかんねん。これはもう、錦(きん)さんに何回言われたかわからん。
!
岩井 これは別に今西さんのリーダー論、松尾のリーダー論に反対するわけではない。 も
ちろんそうなんだけどね。もう一つ、僕はね、あなたを見とってよ。松尾のやってること
を、ずーっと見とってね、思うのはね、人の面倒。あなたはね、よう、人の面倒みるわ。
こないだもね、東工大の元学長の木村孟さん、土木学会の会長。あなたも土木学会の会長
やったけどね。その木村孟さんと、あるところで話をしよったんや。でね、やっぱり松尾
に対する尊敬の念ちゅうかね。。あの人はね、あんた松尾稔やから、みーさん、みーさんっ
て言いよるよ。みーさんは凄いって言うんだよ。なぜ、木村孟さんが、そういうこ とを
言うのかなぁとつらつら考えたらね、あなたが色々面倒を・・まぁ、面倒見るって言った
らおかしいけどね、あの、やってるんだよ。それは、松尾の凄いとこやなっと僕は 思っ
てるんですよ。
!
松尾
!
いや。ありがとう。
岩井 松尾にさっきの三つは勿論あるとしてやね、且つ、松尾ほど面倒見のええ男はいな
いんじゃないかと僕は思ったりしてますのでね、それだけちょっと、付け加えときま す。
!
松尾
!
岩井
!
おおきに(大笑)それはね、時々言うてくれはる人があるわ。。
そやろ!
松尾 もう、忘れてしまってる人もあるんだけどね、やっぱり、それぞれの場でね、活躍
もして欲しいしな。だから、出来るだけね、もう、やりとうても、出来んようになるや
んか。そういう、出来る立場が有る場合もあるしね。まぁ、そういう時はまた、特にね、
一生懸命やってきたつもりやけど。岩井の考え。泰安がが言うてはる、努力型というか調
整型というかね、そういう人も僕はね、それぞれのポジションで、リーダーとしては、非
常に大事やと思うやんか。そやから、その人達は、その人達で大事なんだけど、まぁ、国
全体とかさ、あるいはもうちょっと小さくてもね、会社全体とかね、そういうようになる
と、非常に、組織が順調に行ってる時はね、いいんだけど、危機管理を迫られるというよ
うな時には、突出した天才型が必要やな。
!
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!
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5、セネットのポピュリズム
!
ポピュリズム(大衆主義)は、必ずしも理想的な姿ではないが、現在のところ、積極的 に肯
定できる社会思想である。私は、政治も進化していて、ようやくにしてこのような良 い政
治になったと考えている。これからも進化しつづける。現時点で言うと、政 治は良い姿
になっていて、プラトンのいうような「哲人政治」は時代に逆行した「カビの 生えた遺
物」でしかない。
リチャード・セネットというアメリカの社会学者がいる。1943年シカゴ生まれ。リー ス
マン、エリクソンらに師事し、20代半ばから都市論などを発表し注目を浴びる。73年よ
りニューヨーク大 学教授を務め、同大学人文学研究所を設立。現在はマサチューセッ ツ
工科大学(MIT)およびロンドン経済学校(LSE)教授としてロンドン在住。小説も発表し、
プロ級のチェロ奏者でもある。彼は、著書「不安な経済/漂流する個人―新しい資本主義
の労働・消費文化」(翻訳者森田典正、2008年1月、大月書店)の中で、次のように 言って
いる。すなわち、
!
『 私の主張の要点は人々の怠惰にあるのではなく、人々に職人的思考を難しくする政治
的風潮を経済がつくりだしたということにある。「柔軟な」労働を中心にして築かれた組
織において、何かに深くかかわることは、労働者をうち向きなものに、あるいは、視野の
狭いものにすると恐れられる。くりかえしていえば、ある特別な問題に必要以上の興味を
覗かせる者は、能力判定を通過しない。いまや、科学技術自体が関与を求めないのだ。』
!
『 「組織のフラット化」「短期的価値の追求」といった「グローバリゼーション」に伴
う一部の先端的な企業のあり方が広く「社会の趨勢」とされ、「プロテスタンティズム」
と衝突し、コミットメントが軽視され、政治でさえも商品のように消費されるようになっ
た、ということだろう。「関与を求めない」の意味するところがどこにあるか分からない
が、科学もまた、そうした「短期的価値の追求」に染まっている部分はあるだろう。科学
者も同じ社会に生きているのだから、当然それに影響される。問題はこの次にコミットメ
ントの復権、職人的価値の復活が「来る」のかどうかである。』
!
『 人々はウォルマートで買い物するように、政治家を選択してはいないか。すなわち、
政治組織の中枢が支配を独占し、ローカルな中間的政党政治が失われていないか。そし
て、政治世界の消費者が陳列棚の名の知れたブランドにとびつくとすれば、政治指導者の
政治運動も石けんの販売宣伝と変わりないのではないか。』・・・と。
!
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また、山口二郎は、ブログの中でリチャード・セネットの考えを視野に入れながら、次
のように言っている。すなわち、
!
『 現代の民主政治においては、各人の知的能力や政治的関心の度合いには無関係に政治
参加の権利が与えられている以上、大衆の気分が政治に大きな影響を与えることは不可避
である。』
!
『 ポピュリズム批判もかなり長い歴史を持っている。』
!
『 ポピュリズムの第1の特徴は、庶民(common man)の欲求と怨嗟を原動力として いる
点である。 第2の特徴は、指導者との直接的結合を目指すという点である。 第3 の特徴
は、単純な善悪二元論と敵と目されるものや異質なものの排除という発想であ る。』
!
『 以上がポピュリズムの基本的な特徴であるが、19世紀から20世紀中ごろまでの近代と
20世紀末以降のポスト近代とでは、大きな違いも存在する。基本的な前提としては、経
済的達成と、メディアの発展の度合いに関する大きな違いがある。 ここでいう近代とポ
スト近代という2つの言葉は、イギリスの政治学者、コリン・クラウチの『ポストデモク
ラシー』(近藤康文訳、青灯社、2007年)から示唆を得た概念である。クラウチは、20 世
紀に確立し、1970年代まで維持された、組織的政治参加の拡大+平等主義的福祉国家プロ
グラムのパッケージをデモクラシーの最盛期と捉え、1990年代以降、組織の弛緩と政治
参加の停滞、新自由主義的経済構造改革の展開、不平等の拡大などが結合したポストデモ
クラシー段階が始まったと捉えている。こうした歴史区分は、リーダーシップのあり 方や
庶民、大衆を政治的に動員する方法についても当てはまる。言い換えれば、20世紀後半
までのデモクラシー(ここでいう近代)と21世紀以降のデモクラシー(ここでいう ポスト近
代)を区別する必要がある。ポピュリズムはデモクラシー段階とポストデモクラ シー段階
の両方に存在するが、その内容は大きく異なる。』
!
『 近代のポピュリズムは、平等化のベクトルに沿って動いてきた。リーダーはコモンマ
ンの代表あるいは化身であった。そして、政治という活動は、価値獲得の手段であっ た。
19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカでは大企業の横暴に対抗する農民運動が活発
化したが、そのスローガンは「富の分け前をよこせ(share our wealth)」であっ た。まさ
に、価値を再分配し、社会の平等化を進める政治運動がポピュリズムであった。』
!
『 これに対して、ポスト近代のポピュリズムは、正反対のベクトルに沿って動いている
ように見える。まず、ポスト近代のポピュリズムは、差別のベクトルを内包している。た
とえば現在の日本ではグローバリズムがもたらす経済的不平等はなかなか政治争点化しな
かった。ポピュリズムは富の再分配や平等化とは結びつかない。むしろ、「公務員」対
「民間の低賃金労働者」、「都市の無党派層」対「農民、建設業者」という、全体の貧富
のスケールから見れば小さな差異が争点化される一方、「ヒルズ族」と「ワーキングプ
ア」の間に存在するような巨視的な不平等は放置される。』
!
『 ポスト近代のポピュリズムは、庶民の政治的受動性と結びつく。』
!
『 庶民はリーダーの権力基盤を強化している。そこにおいて庶民は、自ら行動するより
も、与えられた構図の中でリーダーが期待する役割を演じるという受動的な性格を持って
いるにすぎない。』
!
『 変化の不可逆性を認識しつつ、ポスト近代のポピュリズムが持つ陥穽をも見据えよう
というのがセネットの戦略であろう。彼は、現代の民主政治において、人々が市民から消
費者・観客に移行することによって、「能動的に受動的状態に入ろうとしている」という
逆説を見出す。その過程について、次の5つの要素を指摘している。第1に、政党・政治
家の打ち出す政策が相似的になる。第2に、だからこそ政党・政治家は本質的ではない争
点をめぐって対決を演じる。第3に、消費者・観客は、人間の持つ複雑性や曖昧さを受容
できなくなる。第4に、人々はより利便性の高い政治を信頼するようになる。第3、第4 の
要素が重なり合えば、人々は、複雑な政策論を拒否し、単純明快な解決(英語で言う
quick fix)を求めるようになる。第5に、継続的に供給される新しい政治製品を受け容れ
るよう促される。』
!
『 大量消費の資本主義文化に対抗する方策の1つとして、セネットは職人技(クラフト マ
ンシップ)の重要性を指摘する。安価な大量生産の商品が市場にあふれるからこそ、手 作
りの製品も市場での居場所を確保できる。同じことはメディアにも当てはまるであろ う。
メディアが視点をずらす可能性を提示できるかどうかに、ポスト近代の民主主義の可 能
性がかかっているということができる。』・・・と。
!
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問題は、政治家にも、セネットのいう職人技(クラフトマンシップ)が必要だというこ と
ではないか? また、政治も音楽やスポーツと同じようにひとつの文化だから、やは り
エリート教育が必要ではないか? その際には今西錦司の「リーダー論」が基軸になる
と思う。
!
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6、市場経済について
市場経済は、ポピュリズムを生み出す。ポピュリズムは、現在のところ、「民意!民
意!」と言いながら、本当に民意が反映しているのか? 以下、そのことを説明しよう。
!
市場経済社会とは、すべての生産者と消費者との関係で成り立っている。この場合、生
産者とは企業だけではなく、個人的に、物やサービスや芸などを売っている人を含んでい
るが、経済社会に与える影響力は企業の力が圧倒的に大きい。プロシューマという面白い
言葉がある。生産消費者 (せいさんしょうひしゃ、prosumer) もしくは生産=消費者、プ
ロシューマーとは、未来学者アルビン・トフラーが1980年に発表した著書『第三の波』
の中で示した概念だが、生産者 (producer) と消費者 (consumer) とを組み合わせた造語
であって、生産活動を行う消費者のことをさす。
!
清水博の関係子(メディオン)もそうだ が、両者が「響き合い」の関係にある。そういう響
き合いというものはあるのだが、第一 次的に主体をなすのは、関係子(メディオン)であり、
生産者(プロデューサー)であ る。
!
さて、企業は、生産物を売ってより多くの利潤を追求しようとする。そのために企業は
さまざまな戦略をたてる。企業の存続と成長は、現在から将来にわたる市場の動きと変化
の中で、それらの背後に ある基本的原則を踏まえて対応し、長期的に安定した利益をで
きる限り多く確保できる状態を、自らの働きかけを通じていかにして造りだせるかにか
かっている。このような存続と成長の基盤を競争企業より優位なものとして造りだそうと
することを、「差別的優位性の追及」などと呼ばれたりする。企業経営の本質は、「差別
的優位性」の追求であるといって も過言ではないだろう。
「差別的優位性」を追求する企業の経営戦略において中心的役割を果たすのが、マーケ
ティングである。マーケティングがその重要な役割を果たすには、現在から将来にわたる
市場の動きと流れの中で、活動の基本的方向を定める戦略と、それにもとづいてヒト・モ
ノ・カネという資源を用いて行う活動の仕組みを必要とする。 企業は現在から将来にわ
たって、財・サービスを商品として消費者に提供し、その見返りよりなる売上高から、そ
れを開発・生産・流通・することに要した費用を差し引いた利益を最大になるよう行動す
る。売上高は数多くの企業が提供する商品の中から、消費者が選択し購 買することによっ
て生み出される。企業が売上高を上げるには、商品そのものの質、価格、広告、それに販
売促進である。
このように企業が売上高を上げるために、消費者に対して働きかける活動がマーケティ
ングと呼ばれている。その働きかけは、上記の四つを基本的要素として組み合わせる こと
によってなされ、その組み合わせをマーケティング・ミックスと呼んでいる。
!
市場経済社会とは、すべての生産者と消費者との関係で成り立っているが、企業の力は
絶大で、企業の論理で動いているといっても過言ではない。消費者は、それに飼いならさ
れてしまっている。消費者は企業の生産したものを買うだけである。消費者は神さまなど
ということもあるけれど、消費者は結果を買うだけである。もちろん、結果として市場に
出てくる商品を買って、使ってみて善し悪しを感じてはいるが、生産に消費者の論理が働
く訳ではない。プロシューマとしての消費者は、生産にも携わるけれど、会社の中で働い
ているだけで、おおよそ消費者の論理が使われている訳ではない。消費者というものは、
弱いものである。生産者のあてがいぶちを生きているのである。それが市場経済社会の本
質だ。
!
市場経済社会で、消費者は、 結果として市場に出てくる商品を買って、使ってみて良し
悪しを感じるだけである。このことは、政治も言えることで、国民は政治家が作る政治的
な物や事をただ受け取って、その良し悪しをいうだけである。かかる観点から、政治家が
作る政治的な物や事は政治商品と言い代えてもいい。一般大衆は、生活用品をスーパーマー
ケッ トで買うがごとく、政治商品を買っているのである。したがって、一般大衆は、難
しい事は何も考えなくていい。とにかく気に入った物を買っておればいい。そして、後で、
良いとか悪いと言っておれば良いのである。こういう情けない状態も、結局は、市場経済
のなせる技である。市場経済社会である以上、それでしかたがない。
政治家は、企業がそうであるのと同じように、良い政治商品を一般大衆に提供していけ
ば良いのである。それがポピュリズムの本質だ。
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7、政治家よ!「関係子」たれ!
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第1章第1節で、東大名誉教授に清水博の『場の思想』(2003年・東京大学出版会)に触れ
たが、先生の本来の研究成果である「関係子」については触れなかった。しかし、この先
生のこの「関係子」という考えは、ポピュリズムを考える上で大変面白い、また判りやす
い概念であるので、ここでその説明をしたいと思う。
!
生命に関する学問をバイオホロニスというが、先生の本来の研究は、生命というものを分
子の レベルから解明しようとするもので、世界最先端の研究である。
先生は、九州大学理学部教授をされた後、東京大学薬学部の教授を務められ、定年後は
金沢工業大学で「場の研究所」なるものを始められた。この生命学の権威である清水先生
が、学術的な専門書に『生命を捉えなおす』という本がある。この『生命を捉えなおす』
(中公新書)の初版は1978年だが、その後研究が進み、増補版が出たのが1990年である。
とくに注目すべきは「関係子」という考え方で あろう。中村雄二郎は「メディオン」と
呼んだらどうかとアドバイスしたようだが、中村 のリズム論とも関係が深く、関係子が
発生するリズムの「相互引き込み現象」は清水博の画期的な発見である。関係子に関する
研究はこれからどんどん進み、生命の神秘がもっと 明らかにされるであろう。
!
関係子の着想は実に素晴らしいのだが、近著『場の思想』に、 その話が出てこないのは
誠に残念である。
清水博のイメージする「関係子」の概念について、要点を説明しておきたい。 私は今まで、
生命学という言葉を使ってきたが、清水博は、生命学とは言わないで、「生命関係学」と
呼んでいる。関係性というものの重要性を充分認識したうえでのことである。生命 システ
ムには、多様な複雑性とそこに自己組織される秩序があるというのが清水博の考え方であ
るが、この秩序は一義的なものではなく多義性に富んだものである。
!
では、秩序の多義性というものはどこからくるのか? 清水は、生命の働きを生成的、
関係的にとらえない限り、この問題は解けないと考えている。関係性の重視である。その
粒子がたくさん集まったとき、その状態によってグループとしてのさまざまな機能が出現
してくるのだそうだ。もちろん粒子ごとに特定の機能というものはあるのだが、グループ
としての機能はそれら個々の機能の合計ではなくて、全く別の新たな機能が出現してく る。
それはなぜか? 多くの粒子がどのような状態になっているか、それら粒子と粒子の 間の関
係性により、いろいろな機能が出現する。よって関係性というものが重要となり、 それ
に着目して研究を進める必要があるというのが清水先生の考えである。
!
劇場で役者が即興劇を演じる。観客がそれを見ている。そこには照明装置や音響装置な
ど劇場としてのシステムがある。即興劇を演じる役者は、あらかじめ劇場主、シナリオ作
家、演出家から必要な情報を与えられているが、いったん幕が上がると、あとはもう観客
と一体になってその場の雰囲気で臨機応変に演じる。それが即興劇であるが、清水は『生
命を捉えなおす』のなかでこう言っている。 「役者の演技は、大まかな筋という拘束条
件のもとで、大ざっぱに決められますが、具体的には役者同士の演技の相互関係によっ て、
選択されたり、つくられたりしながら劇を進行させていくのです。その演技は、全体 とし
て一つの筋を生成的に自己組織しながら展開していく必要があり、場違いな演技をす る
ことはできません。」
!
そこには環境とシステムは出てくるが、活動主体が記述されていない。そこでは操作情
報という言葉が使われており、情報を自己組織する活動主体というものを念頭に置いて、
清水はそれを関係子と呼んでいる。すなわち関係子とは、システムや環境から発せられる
さまざまな情報を受け取って、臨機応変に自らの活動に役立つ操作情報を自己生産するも
のである。つまり自己組織するとは、自己生産しながら自分の組織に組み込んでいくとい
うことである。要するに、関係子というのは、意味のある操作情報を自己組織するのであ
る。
!
!
関係子(メディオン。名付け親は中村雄二郎。)は舞台の役者、意味ある操作情報は観客。
政治で言えば、関係子は政治家、意味ある情報は大衆である。政治家にとって意味あ る
情報を大衆が発している。それを捉えて政治家は自己組織化するのである。ちょっと判
りにくいですかね。ざっくり言ってしまえば、政治家と大衆とが互いに響き合う、それは
とりもなおさず清水博のいう「生命原理」なのである。ポピュリズムというのはそういう
「生命原理」に合っている。ポピュリズム(大衆主義)における政治家というのは、大衆を
相手に「即興劇」を演ずれば良いのである。ポピュリズム(大衆主義)における政治家とい
うのは、大衆を相手に一生懸命「即興劇」を演じて、もし大衆から、大根役者と罵倒が浴
びせられたら、舞台から引っ込めば良い。そういう覚悟を以て、政治家という役者は、大
衆と響き合えるよう、一生懸命政治をやればいいのである。それがポピュリズムと いう
ものだ。
!
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8、 ポピュリズムのゆくえ・・・対話と地域コミュニティ
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ジグムント・バウマンの「コミュニティ・・・安全と自由の戦場」(訳者奥井智之、2008
年1月、筑摩書房)という本がある。サブタイトルの「安全と自由の 戦場」という意味は、
「安全と自由という二律背反的なものがせめぎあっているところ」 という意味であるが、
この本はコミュニティを考えるのに必読書かと思われるので、それ を下敷きにしながら、
以下に私独自のコミュニティ論を説明したい。まず上記著書の冒頭 に人びとの描いてい
るコミュニティのイメージを次のように述べている。すなわち、
!
『コミュニティは「暖かい」場所であり、居心地がよく、快適な場所である。それは、
ひどい雨から身を守ってくれる屋根のようなものであり、凍えるほど寒い日に手を温めて
くれる暖炉のようなものである。外では、街路では、ありとあらゆる危険が待ち構えてい
る。外出に際して、油断は禁物である。こちらから話しかける人、向こうから話しかけて
くる人に用心しなければならず、片時も警戒を怠ることはできない。しかし、内では、コ
ミュニティでは、私たちはリラックスできる。ここは安全で、暗い街角で不気味に迫って
くるさまざまな危険とは無縁である(たしかにここでは「闇の曲がり角」はほとんど見い
だせない)。コミュニティにおいて、私たちはみな互いに良く理解しているし、耳にした
ことは信用でき、たいていは安全である。当惑したり、困惑したりといったことは、ほと
んどない。私たちは、互いに決して「よそ者」ではないのである。時にはケンカをするこ
ともある。しかしそれは友好的なケンカであって、みなで、自分たちの一体性をこれまで
もより高め、楽しいものにしようとしているだけである。その一方で、協力して自分たち
の生活を改善したいという願いを共有しながらも、どうするのが一番良いかについて、意
見が一致しないこともある。しかし決して互いの不幸を願うことはなく、他のメンバーす
べてが自分の幸福を願っていてくれると信じることができるのである。
さらに言えば、コミュニティでは、互いの善意を期待できる。つまずいたり倒れたりし
ても、他のメンバーが、立ち上がるのを手助けしてくれる。からかったり、無様だとあざ
けったり、相手の不幸を喜んだりする者は、だれもいない。もし間違いをしでかしたとし
ても、必要ならば、打ち明けて、説明し、謝罪し、悔悟することもできる。人びとは共感
を持って話を聞き、許してくれる。結果として、ずっと悪意を持ちつづける者などいない
のである。そして悲しいときには、いつも誰かが手を握ってくれる。』・・・と。
そして、バウマンはその後で、
!
『「コミュニティ」は、今日では失われた楽園の異名で はあるが、私たちはそこに戻り
たいと心から望み、そこにいたる道を熱っぽく探し求めているのである。』と言っている。
!
!
すなわち彼は、コミュニティとは「想像のコミュニ ティ」であっていわばユートピアみた
いなものであり、「既存のコミュニティ」はそれとはほど遠いと言っているのだ。そして
彼は次のように言う。すなわち、
!
『コミュニティを 失うことは、安全を失うことを意味する。コミュニティを得ること
は・・・たまたまそん なことがあればだが・・・即座に自由を失うことを意味する。安
心と自由は、ともに等しく貴重かつ熱望される価値であるが、それらは、善かれ悪しかれ
バランスを保っている が、両者の間で調和が十分に保たれて、軋轢の生じないことはめっ
たにない。』
!
『安心と自由の間の論争は、そしてまたコミュニティと個別性の間の論争は、解決がつき
そうもないものであり、今後も長い間続くものと思われる。』・・・と。
!
そうなのである。私の問題意識はまさにそこにあって、現実には難しくとも、そういう
理想のコミュニティに向かって努力することが肝要である。私は、バウマンが楽園の異名
といったり、ユートピアみたいなものといったり、「想像のコミュニティ」といったりし
ている「地域コミュニティ」を、マイノリティを救済するNPOが存在するという大前提で、
私たちが現実に目指すべき理想のコミュニティと呼ぶことにする。私は、バウマンが言う
ように、地域コミュニティからはじき出されるマイノリティが出てこざるを得ないが、マ
イ ノリティが助けを求めて逃げ込む避難所がどこかにあれば、その地域社会は健全で慈
悲に満ちていると思う。私たちはそういう理想的な地域社会を「地域コミュニティ」を中
心に 創り上げていかなければならない。民主主義の原点は草の根の民主主義であり、ポ
ピュリ ズム(大衆主義)にもとづき民主主義を進化させるには、地域コミュニティにおける
草の根民主主義が不可欠である。しかし、その地域コミュニティには、別途マイノリ
ティーの 「駆け込み寺」のようなNPOが存在するというのが大前提である。
!
ところで、人びとが幸せにイキイキと生きていくには何よりも政治が大事だと考え、 そ
のために哲学の大系を作り上げた人はプラトンである。その後偉大な哲学者が出てはい
るが、すべてプラトン哲学の部分的な脚注だと言われている。私は今の日本の政治を ポ
ピュリズム(大衆主義) であると肯定的に捉えながら、その「ゆくえ」を心配している。今
上述したように、民主主義の原点が草の根民主主義にあるとすれば、民主主義がどうなる
か、 ポピュリズム(大衆主義)がどうなるか、そのゆくえはひとえに地域コミュ ニティが
今後どうなっていくかにかかっている。
プラトンの考えからいえば、まず政治家が問題提起をし、それをもとにさまざまな対話が
起こるのであって、対話の原点には政治家がいる。したがって、政治家たるものは、地域
の人々の幸せのために欠かすことのできない問題についてはそのための政策を発信しなけ
ればならない。政治家は、企業がそうであるのと同じように、良 い政治商品を一般大衆
に提供していけば良いのである。それがポピュリズムの本質だ。市場経済下におけるポピュ
リズムが成功するかどうかは政治家の質にかかっている。政治家は天下国家の事も考えね
ばならないし地域コミュニティの事も考えね ばならないが、何よりも大事なのはプラト
ンがいうように「哲学」である。プラトン以降 政治を語った哲学者は見受けられない。
政治を語った偉大な哲学者はプラトンをおいてほかにないのである。かかる観点から、「ポ
ピュリズムのゆくえ」を探る上でプラトン哲学 が不可欠である。プラトン哲学の心髄は
エロス論であると思う。では、プラトンのエロス論がどのように「ポピュリズムのゆくえ」
と関係してくるのか?
!
!
地域コミュニティというものは、必ずマイノリティがでてくる。これは避けられない。
地域コミュニティはマジョリティの住み良い地域社会のことであり、そこからはじき出さ
れたのがマイノリティであるから、地域コミュニティの問題を考える際には、マジョリティ
とマイノリティがともにイキイキと生きていけるような社会構造というものが問題となる。
したがって、政治家と住民はともにこの問題を考えて対話を重ねていかなければな らない。
!
私たちは身体を生きているが、それはとりもなおさず「エロスの原理」によって生き て
いることに他ならない。主体がすべての対象と向き合うとき、その対象が女性であれ男性
であれ、自然であれ、神であれ、すべての場合、「エロスの原理」が作用する。このこ
とは上述したとおりである。だとすれば、マジョリティとマイノリティがともにイキイキ
と生きていくための原理として「エロスの原理」は考えられなければならない。「エロス
の原理」のもとづく社会構造とはどのようなものか? そこが問題である。「エロスの原
理」を考えないと「理想的な地域コミュニティ」は作れないというのが私の基本的な考え
である。
私は、これから人びとがイキイキとした生活をしていく上で、地域の人々に求められる 知
性として「エロス」が基本的に大事であると思う。「エロスの原理」は、差異を認めた上
でそれを乗り越える原理である。愛、善、慈悲を生じせしめるものは「エロスの原理」
である。愛、善、慈悲は、自分自身が「対象」に働きかけてはじめて、「自分と対象との
響き合い」が起こり、その現象の中で生成される。まず「対象」を見つけてそれに向かっ
ていかなければならない。そういう志向性の中に愛、善、慈悲は生成される。
!
地域コミュニティにおける対話は民主主義の原点である。ポートランドがその模範だが、
数多くのNPOがあり、政治家と住民の対話が大変うまくいっているので、地域コミュニ
ティがうまく機能していれば住民はイキイキと生活ができる。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/eros14.pdf
!
!
ポートランドは参考にすべき点は多いと思う。しかし、理想をいえばその他にも考えねば
ならない事がある。 現実には難しくとも、 理想的な地域コミュニティを作るために私た
ちは努力をしなければならないのである。私が考える努力の方向は、三つある。ひとつは
「地域通貨」である。二つ目はマイノリティを支援するNPOが地域コミュニティに多数あ
ることであり、三つ目は、「エロスの神」が地域コミュニティ或いは域外に多数存在する
ことである。まずはこれらのことについては、別途書いたので、是非それをご覧頂きた
い。
「地域通貨」:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/youyaku1.html
!
「マイノリティを支援するNPO」:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/youyaku2.html
!
『「エロスの神」を祈ろう!』:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/youyaku3.html
!
これらは、「理想のコミュニティ」を作り、ポピュリズムをより進化させるための必要条
件だ。そして、「理想のコミュニティ」を作るということは、実 は、現在世界的に蔓延し
ているニヒリズムから脱却する唯一の道であり、国全体がイキイ キと社会経済活動をし
ていく上で欠くことのできない問題である。
!
「ニヒリズムと地域コミュニティ」の問題については、是非次をご覧頂きたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/youyaku4.html
!
!
先に述べたように、近代社会では、多くの人が場所や大地から切り離され、地に足のつか
ない「根なし草」となって価値観を喪失し社会をふらふらと浮遊しだすのである。人々は
地域のコミュニティなど伝統的コミュニティから切り離され、宗教や地域社会、或は企業
や政党といったものを媒介にしては、人はもう結びつかないのである。 ニヒリズム から
脱却する、すなわちイキイキした社会を作るには、私は、故郷(ふるさと)における 地域社
会を基本として、さまざまなコミュニティを育て、 都市とのさまざまなコミュニ ケーショ
ンを高め、都市とのさまざまなネットワークを作っていくことが肝要であると考える。そ
のために政治家が果たすべき役割は大きく、地域の人々と政治家の対話がきわめて重要
である。かかる観点から、 次に、「政治家の対話」についてプラトンの考えを紹介した
い。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/youyaku5.html
佐伯啓思の「正義の偽装」について
!
第2章 天皇
!
!
第1節 佐伯啓思の指摘
!
!
佐伯啓思は「正義の偽装」の中で天皇に関連して次のように述べている。すなわち、
!
『 明治憲法は、統治の基本、国民(臣民)の権利、義務などを天皇の名で示した。その た
めに憲法の正当性天皇制度に委ねられ、天皇制度の正当性は日本の歴史そのものに帰着
する。しかもそのことを人々が共通の価値として了解する限りで、憲法の正当性は保たれ
るのです。もっといえば、どうしてそれが可能だったのか。それは、君主である天皇は、
日本の場合、同時に神につながる系譜のなかに位置し、しかも祭祀の長であり、世俗世界
を超越した存在だったからです。つまり、憲法は、なかば超越的な次元から降ろされてき
ており、その超越的な次元と世俗を媒介するものが天皇だった。そこに人々がひれ伏す理
由もあるのです。そして繰り返しますが、そのような天皇の理解が日本の歴史そのものだっ
た、ということなのです。この基本構造こそが、日本の「国体」の軸であり、その軸から
すれば、近代憲法とは異なった憲法理解をわれわれはしなければならないことになります。
かなり以前に、ある高名な政治学者が、半ば冗談、しかし半ば本気で、「日本の憲 法は
本当は聖徳太子の十七条憲法でええんや」といったことがあります。今日の憲法学者から
すればとんでもない意見でしょう。しかし、その意味は、それこそが日本で最初に成 立
した「国のかたち」にかかわる文書であり、その上に積み重なった歴史の中にしか日本
の憲法は描けない、ということなのでしょう。十七条憲法の「憲法」は、「いつくしきの
り」と読みます。「重みをもった法」という意味です。なかなかよい言葉ではありません
か。』
!
『 日本の場合、「公」は「政治」と「祭祀」の両義的な意味をおびた「まつりごと」に
ほかならず、それは「武」ではなく「文」の領域になるのです。これに対して、「武力」
は「私」のものです。それは私領を守り、一族郎党を食わせる不可避の手段でした。(中
略)武士とは、何よりもまず、一族郎党の私領を確保し、その「一所」を命を懸けて守っ
た存在でした。命を懸けるのは、「私」の家(イエ)のためだったのです。そして、ここ に
一線が引かれていた。天皇・貴族は、「公」の側に位置し、武士は「私」の側にいた。
「政治」は「公」のものであり、そこに「私」が入り込むべきではなかった。「公」は
「文」、つまり「文化」と結びつき、「私」は「武」、つまり根源的な生と結びついてい
た。(中略) 政治は「公」の事項であり、それは「武」を伴うものではなく、広義の
「文」として行われる。その中心にあるのは、天皇の祭祀である、という形式は守られて
きた。この「形」を守ることが社会秩序の基礎だったのです。』
!
!
『 (橋下氏や石原氏などの例を見てつくずく思うが、)今日の日本の政治は、「作家的なも
の」すなわち「私的なもの」、「感覚的なもの」を「政治的なもの」すなわち「公的 な
もの」へとほとんど遠慮会釈なく持ち込み、しかも、それを媒介しているのが、大衆の
情念や好奇心である、といってよいでしょう。』
!
岩井國臣のコメント:「明治憲法は、統治の基本、国民(臣民)の権利、義務などを天皇 の
名で示した。そのために憲法の正当性天皇制度に委ねられ、天皇制度の正当性は日本の
歴史そのものに帰着する。」という佐伯啓司の指摘は極めて重要な指摘である。我が国
は、律令国家という国としてのきっちりした形が定まって以来、天皇を中心に歴史を刻ん
できた。したがって、天皇は、我が国の歴史と伝統文化の象徴であり、天皇の正統性は、
佐伯啓司の指摘どおり日本の歴史そのものに帰着するのである。
!
『 しかもそのことを人々が共通の価値として了解する限りで、憲法の正当性は保たれる
のです。もっといえば、どうしてそれが可能だったのか。それは、君主である天皇は、日
本の場合、同時に神につながる系譜のなかに位置し、しかも祭祀の長であり、世俗世界を
超越した存在だったからです。つまり、憲法は、なかば超越的な次元から降ろされてきて
おり、その超越的な次元と世俗を媒介するものが天皇だった。そこに人々がひれ伏す理由
もあるのです。そして繰り返しますが、そのような天皇の理解が日本の歴史そのものだっ
た、ということなのです。この基本構造こそが、日本の「国体」の軸であり、その軸から
すれば、近代憲法とは異なった憲法理解をわれわれはしなければならないことになりま
す。』
・・・と。
!
佐伯啓司のこの一連の指摘はまことに重要な指摘であり、これから行 われるべき憲法改
正に当たっても私たちは、このことを十分認識しなければならない。
!
日本の国の形、「国体」というものは、天皇の権威と政治の権力の複合形態である。この
認識がもっと国民の間に浸透していけば、西洋型民主主義とは一味違う日本型民主主義が
成熟していく、と佐伯啓司は言っているのだ。私もまったく同感だ。識者の中にも、こう
い う歴史認識がなく大統領制を思考する馬鹿な人がいる。日本の歴史をもっと深く勉強
して もらいたい。
!
佐伯啓司は、『 天皇・貴族は、「公」の側に位置し、武士は「私」の側にいた。「政 治」
は「公」のものであり、そこに「私」が入り込むべきではなかった、そしてこの 「形」
を守ることが社会秩序の基礎だったのです』・・・と述べているが、私は、天皇の 権威
というものがどういうものなのか、よくよく考えねばならない問題であると考える。 政
治の公は、天皇の権威に裏打ちされてこそそのようになるのだと思う。それがなけれ ば、
得てして政治は私的なものになりかねない。日本の場合、政治権力の横暴を抑制するのは
天皇の権威である。
!
次に私の言いたいことは、形式というものの持つ働きである。形式というものは、ただ単
に形式の習得にとどまらず、その形式が意図するところのものが、自然に身についたり、
自然に理解できるようになるものだが、それが儀式的な場合は、その儀式が意図するとこ
ろのものが、関係者の心にそれなりに響くものである。その人の心次第によっては、その
人の意志を変えるかもしれない。天皇に限らず、権威が行う儀式というものは、人々の心
に大きな作用を及ぼし、公のために尽くす精神を生じせしめる。
天皇の行われる行事はさまざまだが、人々の心に大きな作用を及ぼし、公のために尽くす
精神を生じせしめているのだと思う。天皇の行われる行事や儀式のいくつかを体験し、私
はそのことを強く思う次第である。
!
再度申しああげる。佐伯啓司の言うとおり、天皇は、日本の「歴史と伝統文化」の象徴で
あり、天皇の正当性は歴史そのものの中にある。このことを憲法に明記しなければならな
いのだ。天皇が行うさまざまな行事の形式が生きている。天皇と国民とのコミュニケー
ションをもっと増やすべきであろう。
!
!
佐伯啓思は「正義の偽装」の中で天皇に関連してさらに次のように述べている。すなわ
ち、
!
『 日本の「統治機構」は、南北朝時代を除き、皇室と貴族という宮廷と、武士による幕
府は基本的に分離され、幕府をひらく武士は、夷狄(いてき)をうち、社会秩序を維持す る
「武士」の独占者になる。しかし、それを任命するのは、あくまで天皇なのです。ここ
に日本の「統治機構」の大きな特徴があります。天皇という「権威」と政府という「権
力」の分離であり、天皇の「権威」によって支配者(政府)の「権力」が正当化されるとい
う構造です。こうして「私的」なものである「武」は「公的」なものに転化するので す。』
!
!
『 天皇が祭祀者であるために宗教的な次元(超世俗的な次元)に関わるからであり、し か
もそのことが「世襲」によって継承されるからに他なりません。この「祭祀性」と「世
襲性」が天皇に独自の権威を与えたのです。
!
『 世俗の政治秩序は「私的」な力の争いによって成り立っている。ようするに、無限の
「自我」や「我欲」によってたえず動揺しているのです。しかし真の社会秩序は、こんな
頼りないものではなく、もっと変わりなく安定し永続する原理によって担保されていなけ
らばならない。そこに世俗の時々の状況を超えた権威が必要であり、それは世俗を超越し
た次元からくるとするほかない。そこで、「神」がでてき、「先祖」がでてくる。「祭
祀」が必要となり、「司祭」が生み出されるのです。さもなければ、「我欲」と「エゴ」
の私的な確執はとどまるところをしらず、政治の動揺はそのまま社会の動揺になってしま
うからです。どこかで、この「私的事情」という「エゴ」を抑えなければならない。それ
が、天皇という権威であった。ひとたび政治の舞台へあがるや、いかなる権力者も天皇の
「臣下」となることではじめて「エゴ」を抑えなければならなくなるのです。こうして
「私」から切り離された「公」が成立した。福沢諭吉も「帝質論」で述べていますが、こ
の世襲的な皇室制度による権威と世俗的な政治制度の分離こそが日本の統治の大きな特徴
だった。権威と権力を分離させることで、支配者(為政者)は替わっても社会秩序の根本 は
変化せずに継続されるのです。』
!
岩井國臣のコメント:以上の天皇の「権威」の持つ意義は今も変わっていない。
!
!
佐伯啓思は「正義の偽装」の中で天皇に関連してさらに次のように述べている。すなわ
ち、
!
『 西洋の世辞論でいう共和主義(リパブリカニズム)とは「公的なもの(レス・プブリ カ)と
いうように、あくまで「私的な事情」を抑えて国家の「公的な事項」へ奉仕するという政
治なのです。国家の大事に関わる「公」が「私」より優位にたつ。そしてそのためには、
強い「公共心」や徳義を持った「市民」が要請されるのです。これは、古代ギリ シャや
ローマの都市政治のなかから生み出されてきた大変長い伝統を持つもので、この上に民主
主義なる制度がのせられているのです。だから、民主主義が「私」の利益追求の上 にたっ
た政治制度であるとしても、その背後に、「公」への奉仕という共和主義が控えている。
西洋の政治文化はこの二重構造になっているのです。』
!
『 日本へ共和主義がもちこまれればどうなるか。天皇をはずせば共和主義になるかと思
いきや、まったくそうはなりません。もとよりここには、ギリシャ・ローマ以来の「レ
ス・プブリカ」の伝統はありません。「皆のもの」という「公」の伝統はありません。だ
から「公」を獲得するすべてを失った「私」が政治の舞台へそのまませりだしてしまうの
です。「国民のため」とか「国へのご奉公」などといっても、どうしても「私的事情」が
政治の舞台を跋扈し、権力闘争の様相をおびてくる。政治は、「文」という「形」の重視
ではなく、政権の争奪という擬似的な「武」によって動いてゆくのです。しかも、西洋で
は峻別される「共和主義」と「民主主義」が日本ではほとんど同一視されてしいます。 「公
のもの」を優位におく共和主義と「私の事情」から出発する民主主義が日本では混同 さ
れ、民主主義が「公のもの」という建前をとりながら、実はとことん「私の事情」で動
く、ということになってしまうのです。だから、「公」の舞台にあって、その内実は激し
い権力争い、という事情になってしまう。』
!
岩井國臣のコメント:プラトンは、その著「国家」(藤沢令夫訳、1979年4月、岩波 書店)で、
自分自身の霊魂論を踏まえながら国家論を展開しているが、プラトンの基本的な思想 は、
『国家は、「知 恵」があり、「勇気」があり、「節制」をたもち、「正義」をそなえて
いなければならな い。』というものである。プラトンは、勇気ある国家とは国民が命を
かけて戦争を戦う勇 気を持っている国家ということであろう。国家のために命を捧げる、
これほど崇高な精神はないだろう。だからこそ、古代ギリシャでは指導者たるものはこぞっ
てレスリングの訓 練に励んで身体を鍛えたのである。プラトンは、オリンポスの祭典に
出場はできなかったがそれなりのレスラーであった。 共和主義というのは、国民に命を
かけて国を守る勇気を求めるものである。2004年の アメリカ大統領選挙でベトナム戦争
での兵役の有無が争点になった。アメリカの大統領選挙になると、多くの争点が浮上して
くるし、また選挙戦略も選挙結果に大きく左右するので予想は難しいが、大方の予想は
ブッシュ不利という予想であった。結果的にはブッシュが圧勝するのであるが、選挙の途
中において、 ブッシュの兵役 「忌避」疑惑が持ち上がったのである。当時、アメリカに
は徴兵制があった。兵役逃れをしたかも ということで、国家への忠誠をないがしろにし
たとみなされるのである。さらに民主党の大統領候補決まったジョン・ケリー上院議員は
ベトナム戦争の英雄ということで、ブッ シュには分が悪くなったと言われている。アメリ
カでは、指導者の場合、国への忠誠心が 大きな問題になるのである。 アメリカの共和主
義は、もちろん古代ギリシャからの思想を受け継いでいるが、建国時に おいて独特の思
想が加味され、現在に至っている。
!
独特の思想とは、アメリカインディア ンの影響である。星川淳によれば(『小さな国の大
いなる知恵』、ポーラ・アンダーウッ ド/星川淳、1999年、翔泳社)、アメリカの建国の
父といわれる人たちは、初代から 第5代の大統領に到るまで、インディアンのイロコイ族
の影響を受けており、アメリカの 独立宣言やその憲法には、イロコイ族の思想が色濃く
反映されているという。合衆国憲法 制定会議の起草メンバーたちは、「インディアン・ク
イーン」という居酒屋で熱い論争を 交わしたという。そして、アメリカ建国の足どりはイ
ロコイ族に「手を引かれるようにし て」進んだのである。 「トクヴィル、平等不平等の
理論家」(宇野重規、2007年6月、講談社)という本 がある。それによれば、フランスの偉
大な政治家・トクヴィルは、アメリカ建国期のあと 大した政治家がいないのに、アメリ
カという国がそれにもかかわらず問題なく動いてい る、という事実に驚いたらしい。す
なわち、アメリカの政治体制は、かならずしも 政治 家の個人的有能さに依存せずに運営
されているという事実こそ、トクヴィルが着眼したポ イントであった、それが宇野重規の
見立てでもある。その原動力は、上記の著書では「タ ウンシップ」と呼んでいるが、ア
メリカのデモクラシーはもともとボトムアップで出来上 がっているのである。すなわち、
市民の意識として自立の精神が前提になっているのであ る。イロコイ族の影響はともか
くとしても、アメリカの西部開拓魂というのは自立の精神 である。
!
アメリカのケネディ大統領の就任演説 の一節に、「国が君たちのために何ができるかでは
なく、君たちが国のために何ができるかが問題だ!」という言葉がある。アメリカが建国
時に打ち立てたのは、いまでいうところの「共生の思想」に基づく「共和国(Republic) で
あった。共和主義というのは、個人が個人であるための社会をみんなで築いていこうと
いう思想にほかならない。 実際、北米に暮らした経験があればだれでも、向こうの人た
ちがいかに自分の属する集団やコミュニティーをよくしていこうとする努力を普段から行っ
ているか を感じとることができる。たとえば、家庭の中では小さな子供にも皿洗い やゴ
ミだしの役割を与えて、家族というひとつの社会を支えあうことを早くから学ばせる。学
校でも、自分たちの学校をいかに誇りの持てる学校にしていくかということを常に考えさ
せ、スポーツであれ、美術であれ、演劇であれ、音楽であれ、その年にもっとも 貢献し
た生徒を表彰することをよくやる。そうした表彰の対象として、とくにcitizenship award
という賞を設けている学校も少なくない。citizenというのは市民という意味であるか ら、
そこでは優れた「学校市民」として、だれ彼(彼 女)隔てなく友人関係を構築したり、親身
にクラスメートの相談にのったり、イベントの企画や片付けを率先してボランティアした
り、というような学生が選ば れるのである。
!
個人が自分に認められている権利を主張したり行使したりするだけでは、その人はcitizen
とは認められない。citizenという概念には、個人が自 分の属する集団やコミュニティー
の 中で義務や責任を果たすことが期待されている。冒頭引用したケネディの演説は、北米
に根強いこうした思想的伝統を見事に表現しているのである。 日本にはこういう歴史的
精神がまったくないので、私は、佐伯啓思の指摘はまったくその 通りだと思う。
!
!
大事なのは伝統である。アメリカはアメリカなりに「歴史と伝統文化」があるし、中国は
中国なりに「歴史と伝統文化」があるし、日本は日本なりに「歴史と伝統文化」がある。
その国の統 治構造というものは、その国の「歴史と伝統文化」にもとづいて作られるべ
きものである。アメリカは、建国精神にもとづいて出来上がった「民主共和主義「が良い。
中国は、 その長い「歴史と伝統文化」にもとづいて出来上がった「天命政治」が良い。
日本は、や はり長い「歴史と伝統文化」を持っており、その「歴史と伝統文化」にもと
づいて出来上 がった日本の歴史的精神をもっている。それにふさわしい統治構造は、「天
皇を中心とした政治構造」である。
!
佐伯啓思は、このような基本的考えから、天皇制の基本構造について次のように述べてい
る。すなわち、
!
『 第一に、天皇の位は血統による世襲である。 第二に、天皇は人であると同時に神格
を帯び、「聖性」と関わる。そこから、天皇が 「神」として奉られると同時に、神をま
つる祭祀の長であるという独自の性格がでてくる。 第三に、天皇は形式上は政治の主宰
者である。しかし自らは政治を行わず、もっぱら 祭祀儀礼を執行し、権威を担保する。そ
の結果、日本の統治システムは、一方で天皇という聖性を帯びた「権威」と、他方で実権
を持つ政治的な「権力」が分離するとともに、その「権力」 の正当性は「権威」によっ
て付与される。』・・・と。
佐伯啓思の「正義の偽装」について
!
第2章 天皇
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第2節 私の天皇論
!
!
1、律令制と天皇の聖性の確立・・・藤原不比等の深慮遠望
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(1)律令制の確立
!
天武天皇の命で701年に完成した「大宝律令」に天皇の尊称が初めて明記され、その天
皇を中心にした政治組織が完成したのである。律令選定に携わったのは、刑部親王・藤原
不比等・粟田真人・下毛野古麻呂らであるが、その中心的役割を果たしのは藤原不比等で
ある。大宝律令の発令は、660年代の百済復興戦争での敗戦以降、積み重ねられてきた古
代国家建設事業が一つの到達点に至ったことを表す古代史上の画期的な事件であった。大
宝律令において初めて日本の国号が定められ、天皇を中心とした堂々たる国家が成立した
のである。
7世紀後半以降、百済の滅亡など緊迫する東アジアの国際情勢の中で、倭国は中央集権化
を進めることで、政権を安定させ、国家としての独立を保とうとした。そのため、近江令、
飛鳥浄御原令を制定するなど、当時の政権は、唐・朝鮮半島の統治制度を参照しながら、
王土王民思想に基づく国家づくりを進めていった。その集大成が大宝律令の完成であった
という訳だ。
この律令制度によって、天皇を中心とし、二官八省(太政官・神祇官の二官、中務省・式
部省・治部省・民部省・大蔵省・刑部省・宮内省・兵部省の八省)の官僚機構を骨格に据
えた本格的な中央集権統治体制が成立した。
!
藤原不比等は、天智天皇から藤原氏の姓を賜った藤原鎌足の子である。文武天皇2年(698
年)には、不比等の子孫のみが藤原姓を名乗り、太政官の官職に就くことができるとされ
た。不比等の従兄弟たちは、鎌足の元の姓である中臣朝臣姓とされ、神祇官として祭祀の
みを担当することと明確に分けられた。このため、不比等が藤原氏の実質的な家祖と解す
ることもできるのである。
!
太政官(だいじょうかん)とは、日本の律令制における司法・行政・立法を司る最高国家
機関を指す。長官は太政大臣(だいじょうだいじん)。通常はこれに次ぐ左大臣と右大臣
が長官としての役割を担った。
太政官は、平安時代になると、摂政や関白が天皇の代理として政治を執り行ったため、相
対的に地位が低下したが、国政に関する最高機関として機能し続けた。武家社会の時代に
入っても、鎌倉時代には政務機関として機能していたが、室町時代になると次第に形骸化
が進み、単純に格式を表す職名になった。明治維新で律令制が廃止されるまで存在した。
!
天皇が幼少または病弱などのために大権を全面的に代行する摂政とは異なり、関白の場合
は最終的な決裁者はあくまでも天皇である。摂政関白は「天皇の代理人」であるため、天
皇臨席などの例外を除いては、太政官の会議には参加しない慣例があり、天皇と太政官の
間の政治的なやりとりを行う際には関白が事前にその内容を把握・関与することで国政に
関する情報を常に把握し、天皇の勅命や勅答の権限を直接侵害することなく天皇・太政官
双方を統制する権限を有したのである。これを摂関政治という。
関白の主要な職務は太政官から上奏される文書を天皇に先んじて閲覧する内覧の権限と、
それに対する拒否権を持つことであった。
!
1016年(長和5年)に後一条天皇が即位すると道長は摂政となったが、間もなくその子の
頼通にその座を譲った。その後も道長の外孫が天皇となることが続き、頼通は50年以上
にわたって関白の座を占め続け、摂関政治の最盛期を築いた。
!
白河天皇が堀河天皇に譲位して院政を開始したことや、師実・師通の父子が相次いで死去
し御堂流が主導権を握れなかったこともあり、摂関政治の時代は終焉を迎えた。
!
鎌倉時代以降は政治の実権が朝廷から武家に移り、朝廷内での権力も治天の君が中心とな
る体制が築かれたため、関白職の政治への影響力はますます薄れていった。
!
江戸時代の関白職は禁中並公家諸法度にて幕府の推薦を経ることが原則とされ、天皇第一
の臣にして公家の最高位たる関白職は実質的に幕府の支配下にあったといっても過言では
ない。
!
!
!
!
(2)天皇の「聖性」
藤原不比等は歴史上いちにを争う偉大な政治家である。その藤原不比等の深慮遠謀につい
て、私の力作がある。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yamatai07.pdf
私は、その文書の中で、不比等の功績のうち三つに焦点を当てていろいろと書いた。すな
わち、不比等は、阿多隼人の存在を警戒しながらも、彼ら海人族の文化については、その
吸収に重大な関心を持って、いろいろと手を打った。その一つは阿多隼人の有する呪力で
あり、もう一つは天照大神に関する神話と伊勢神宮の創建である。三つ目は、物部一族や
秦一族の率いる職能集団の統括である。それらは、上記の文書を読んでいただくとして、
ここでは、天照大神について紹介しておきたい。
シャーマニズムは、古モンゴリアンの文化である。日本はその文化の中にある。卑弥呼も
台与もシャーマンである。その伝統を復活させたのは、不比等である。不比等は、伊勢神
宮をして、天皇の祖神として天照大神を祀ると同時に、天皇をシャーマンにしつらえたの
である。これは、卑弥呼や台与の祭祀の復活であって、政治的権力は藤原氏にある。不比
等はそれを主張したかったのである。それが、記紀の基本的な姿勢である。不比等は、天
皇を前面に押し立てながら、己の権威を保持しようとしたのである。これは、素晴らしい
考えであると思う。天皇を支える腹心が権力闘争に明け暮れてはいけない。それは、今も
変わりはない。わが国の国是は、あくまでも天皇を中心として、まとまっていく国なので
ある。そのような国是を作ったのは不比等である。そう意味から、私は、記紀の素晴らし
さを高く評価したい。そのような評価をした上で、記紀を分析検討しなければならない。
記紀における神話や物語は、大きな歴史的価値を有している。
!
台与の祭祀と伊勢神宮を中心とする現在の神道とは、基本的な断絶はないのだが、藤原不
比等によって、伊勢神宮が建立され、天照大神が誕生した。これは大改革と言って良いほ
どの素晴らしい変革であり、日本の国是がここに定まった。では、不比等によって誕生し
た天照大神について、その神格を説明したい。
!
天照大神とは、そもそもどのような神か? その神格を明らかにしなければならない。こ
れはもう哲学の問題だ。記紀における神話をもとに、哲学的思考を重ねなければならな
い。それは、どうもヒルコとの対比の中で、考えねばならないようだ。その点について
は、河合隼雄がいちばん核心部分に迫っているようだ。
http://iwai-kuniomi.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-f2d4.html
!
それにしても、藤原不比等は、何と奥深い戦略を考えたものだと思う。彼は、自分の氏神
としての鹿島神宮を物部氏から奪い取ると同時に、天照大神を祀る伊勢神宮を作った。そ
して、それと同時に、記紀において天照大神を中心に神々の物語を作った。いわゆる日本
神話の誕生である。
!
日本にはさまざまな神がいる。不比等の頃の豪族は、それぞれにおのれの祖神を祀ってい
た。それらの神々を大事にしながら、かつ、天皇を中心に全体の秩序立てを図る神、それ
が天照大神である。女性の太陽神、天照大神でなければならないのである。河合隼雄が言
うように、男性の太陽神ではダメなのである。
本音と建前、それをうまく使い分けるのが日本人独特の知恵である。今ここでの脈絡から
言えば、本音は各豪族の祖神。各豪族は本音で祖神に祈りを捧げながらも、建前として
は、天皇の祖神、天照大神に祈りを捧げ、天皇に忠誠を誓うのである。これによって、朝
廷の権威は揺るぎないものになる。不比等は、何と巧妙な社会構造を考え出したものであ
ろうか。これが、河合隼雄の言う中空均衡構造である。
中空均衡構造については、私の論考があるので、それを紹介しておきたい。
http://iwai-kuniomi.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-8dca.html
!
このようにして、日本はすべて大和朝廷、実質的には藤原氏ということだが、中央権力の
集中管理することとなった。藤原氏万全の体制が出来上がったのである。不比等ほど深慮
遠望に長けた人は歴史上そうはいない。彼によって日本国の骨格ができたと言ってもけっ
して言いすぎではない。
!
なお、文武天皇2年(698)には、不比等の子孫のみが藤原姓を名乗り、太政官の官職
に就くことができるとされた。不比等の従兄弟たちは、鎌足の元の姓である中臣朝臣姓と
され、神祇官して祭祀のみを担当することと明確に分けられた。このため、不比等が藤原
氏の実質的な家祖と解することもできる。
!
日本では古来神祇を尊んで祭祀を重んじたため,古代中国の令制にはない神祇官を太政官
とは別に置いた。しかし現実には太政官の八省と同格であり,その権能は小さかった。神
祇官の長官は神祇伯といい,従四位下相当官。これは、太政官の常置の長官たる左大臣(正
二位または従二位相当)よりはるかに低く、左大弁・右大弁(従四位上相当)、大宰帥(従
三位相当)、七省の長官たる卿(正四位下相当)より下である。
天皇の「聖性」は、天皇の皇祖神である「天照大神」と神祇官による宮中「八神殿」にお
ける祭祀によって確立した。そして、それらの神々は史記の編纂によって誕生したのであ
る。天皇の「聖性」の付与が史記編纂の目的といえばちょっと言い過ぎであるが、史記編
纂にはそういう目的もあったのである。これら一連のことがらはすべて藤原不比等の深慮
遠謀によってなされたのである。天皇の「聖性」は藤原不比等の深慮遠謀によって確立し
た、このことが私のいちばん言いたいことである。
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神祇官と「八神殿」については、次にやや詳しく説明したので、それを是非ご覧頂きたい。
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http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hassinden.pdf
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2、天皇と怨霊・・・天皇の周辺にも血生臭い出来事があった
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十数年前に「陰陽師」(おんみょうじ)という映画があった。これは滝田洋二郎監督、野
村萬斎主演で製作された、夢枕獏原作の陰陽師・安倍晴明の活躍を描いた伝奇小説『陰陽
師』の映画化作品であるが、平安時代における心の世界を良くとらえていると思う。
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平安の時代、それは闇が闇として残り、人と鬼が共に生きていた時代。闇に潜(ひそ)む
鬼たちは人の心にまで息づいていた。鬼たちは時に歌に詠まれ、時に歯をむき、人に思い
を揺さぶっていく。この時代、多くの神社仏閣が建立されたのも、それら鬼、怨霊、もの
のけの祟りから逃れるためであった。そして、それらの人々が信じた目に見えぬ妖(あや)
しきものたちを世のことわりをもって制するものたちがいた。人の相を観(み)、星の相
を観(み)て、天地あまねくに通ずるものたち。彼らこそ、人を平安の闇から陽へと導き
し、陰陽師(おんみょうじ)と呼ばれたものたちであった。
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北野天満宮の創建のきっかけとなった菅原道真の怨霊はあまりにも有名であるが、光仁天
皇が苦悩した淳仁天皇の怨霊というのがある。しかし、それを説明する前に、「いかみの
怨霊」について触れておかねばなるまい。私がかって作ったホームページをご覧戴きたい。
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最近は誠におぞましい事件があとを立たないが、それらおぞましい事件の中でも親が子供
を殺す、子供が 親を殺すという事件ほどおぞましい事件はない。母親の気持ちとしては、
自分は殺されてもいい、子供だけは何とか助けて欲しい・・・というのが当たり
前・・・。それが、事もあろうに、自分も殺され、最愛の子供も殺される。しかも・・・・
自分が信頼していた夫に・・・である。怨めしい。夫が怨めしい。こ れが怨みをはらさ
いでか・・・。これが「いかみの怨霊」である。
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http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/i-onryou.html
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奈良時代から平安時代の初期は鬼とか妖怪とか怨霊だらけといっていい。鬼や妖怪や怨霊
がうじゃうじゃ・・・。 その中でも天皇の怨霊がいちばん恐ろしいものであったのはい
うまでもないことである。その最たるものが 「淳仁天皇の怨霊」である。「いかみの怨
霊」に悩まされる光仁天皇の心中は、淳仁天皇の怨霊と「いかみの怨霊」がともに自分に
祟るのではないかと非常な不安に陥っていたと思われる。その「淳仁天皇の怨霊」につい
ては、私のホームページがあるので、是非、次をご覧戴きたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/jyuonryou.pdf
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さて、平安時代と言えば、どうしても「早良親王の怨霊」について話さなければならない。
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平安遷都は桓武天皇によってなされた。その弟が早良親王である。英明の誉れ高く11歳
で出家、大安寺の僧となったが、還俗し、桓武天皇が即位するや皇太子となった。 桓武天皇は、御承知のように、社会、政治、宗教など諸般の改革を求め、都を奈良から長
岡に移すことにした。
これは我が国における今の事情と良く似ているかもしれない。けだし、何ごとも古くなる
とそれなりに垢がたまって、もはや新しい時代の流れについていけなくなるようだ。革袋
をかえないと中身は変わらないのかもしれない。
その長岡遷都の責任者である桓武天皇の寵臣・藤原種継(たねつぐ)が殺された。犯人と
して、大伴継人(つぐひと)と大伴竹良(たけら)が捕まった が、その背後に早良親王
がいるとして、早良親王は罪を厳しく責められた。濡れ衣を着せられたとの説もあるがす
べて闇の中だ。ともかく、早良親王は、乙訓寺 に幽閉された後、淡路に流罪となり、そ
の船の中で憤死する。
以後、早良親王の霊は様々な祟りをする。すなわち、皇太子安殿親王(あてのしんのう)
の長患いが打ち続くし、暴風雨、地震、旱魃(かんばつ)、虫 害、寒冷による凶作、そ
こから生じる悪疫の流行・・・・・、それらすべての原因は、早良親王の怨霊の祟りであ
ると考えられた。当時の陰陽師(おんみょう じ)が占卜(せんぼく)によって断定したの
である。
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桓武天皇は遂に延暦13年(794)、造営中であった長岡京の地を捨てて都を京都に移
した。京都は、陰陽師(おんみょうじ)に言わせれば、風水にか なったいわゆる四神相
応の(しじんそうおう)の地であり、桓武天皇はそこへ逃げ籠ったのである。そこでまず
必要とされるのは早良親王の鎮魂であった。鎮魂 のための諡(おくりな)・崇導天皇が
与えられ、崇導神社が建てられた。
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その崇導神社において毎年5月5日に行われる大祭、これが珍しい祭りで、「早良親王の
怨霊が行く」のである。
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今私は「天皇と怨霊」というテーマでこれを書いている。朝廷なり天皇が怨霊によって
その存続が危なくなるという問題を取り上げている。これは政治問題といえば政治問題で
ある。朝廷なり天皇の存続がいちばん危なくなったのは、菅原道真の怨霊によってであ
る。
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「北の天神縁起」などによると、菅原道真が死んで幾月も経たないある夏の夜、道真の霊
魂が比叡山の僧坊に現れて、尊意(そんい。道真が仏教を学んだ師)に向かって、これか
ら都に出没し怨みを復讐ではらす決意を述べ、邪魔をしないようお願いをしたのだそうだ。
その後、道真の怨霊は暴れまくることにな る。
その後数年経った908年10月、道真配流の首謀者のひとり藤原菅根(すがね)が5
4才でなくなったが、都では道真の怨霊の祟りだという噂が流れた。そして、翌年、道真
の怨霊はいよいよ核心に迫っていく。
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以上の出来事は『北野天神縁起』などで浄蔵と道真の霊が対峙する場面として著されてい
るが、決して浄蔵と道真の怨霊との対決というようなものではなく、無実の罪で流罪となっ
た道真の正当性を語るために、若くして当代一の霊力を持った浄蔵が引き合いに出されて
いるのである。どれほど浄蔵が有名だったかがわかるであろう。
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そこでまず「浄蔵」について、私のホームページを紹介することとしたい。じっくり読ん
でいただき、浄蔵という人がどういう人であったのをまずご理解いただきたい。
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http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/jyouzou.pdf
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今私は「天皇と怨霊」というテーマで律令制度の危機を語ろうとしているのだが、その場
合、まず菅原道真の怨霊がどのように鎮められたのか、またどうして歴史上もっとも平和
な平安時代という時代が作られていったのかを考えねばならない。その鍵を握るのは「天
神信仰」である。
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http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/tenjinsin.pdf
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歴史上天皇を中心とする朝廷、つまり律令制度というものがいちばん危なくなったのは「平
将門の乱」のときである。この危機を乗り切るためには、朝廷はなりふり構わぬ対策を講
ずるが、最大の功労者は「浄蔵」である。このことについては、私のホームページを是非
ご覧戴きたい。
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http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/masakado.pdf
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3、天皇の聖性と政治的権力
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(1) 足利義満の暴挙・・・天皇の聖性を蔑ろにした結果の不幸
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私は、天皇にとって歴史上最大の危機は、「平将門の乱」の時であると考えている。この
時は、既に書いたように、浄蔵ら天台密教僧の呪力によって事なきを得た。日本の長い歴
史の中で、政治的権力が完全に武士に握られた武士の時代にあっても、天皇の聖性は武士
によってもおかされる事なく、天皇の聖性と政治的権力ははっきり分離されてきた。ただ
一つ例外があるとすれば、足利義満の場合である。しかし、一見天皇制に危機があったと
見えるだけで、私は、 足利義満の場合であっても、天皇制そのものが危機にさらされた
とは考えていない。確かに 足利義満は恐れ多くも天皇の地位を簒奪しようとするが、所
詮足利義満の行為は私利私欲によるものであり、彼に天命の下る筈もない。足利義満の行
為は天皇の聖性を蔑ろにした暴挙というほかない。仮に、足利義満が天皇の地位の簒奪に
成功していたとしても、それは一時的なことで、公家や地方豪族の支持も得られず、結局
は、天皇制は続いたであろうと私は考えている。それほど天皇の聖性というものは歴史的
に確立されているのである。
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それでは足利義満とは何者かというところから、足利義満の暴挙に関するこの話を始めよ
う。
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1367年11月に足利義満の父・義詮が重病となる。義詮は死期を悟り、義満に政務を委譲
し、細川頼之を管領として義満の後見・教導を託した。朝廷は12月3日に義満を正五位下・
左馬頭に叙任した。12月7日に義詮は死去し、義満が第3代将軍として足利将軍家を継い
だのだある。足利義満は、南朝最大の勢力圏であった九州に今川貞世(了俊)と大内義弘
を派遣して、南朝勢力を弱体化させ幕府権力を固めたいった。さらに京都の支配を強化す
るために、1370年に朝廷より山門公人(延暦寺及びその支配下の諸勢力及びその構成員)
に対する取締権を与えられた。そして、1374年には日野業子を室に迎えた。邸宅を三条
坊門より北小路室町に移し、幕府の政庁とした。移転後の幕府はのちに「花の御所」と呼
ばれ、今日ではその所在地により室町幕府と呼んでいる。義満は、朝廷と幕府に二分化さ
れていた京都市内の行政権や課税権なども幕府に一元化するとともに、守護大名の軍事力
に対抗しうる将軍直属の常備軍である奉公衆を設け、さらに奉行衆と呼ばれる実務官僚の
整備をはかった。1382年には開基として相国寺の建立を開始し、翌年には自らの禅の修
行場として塔頭鹿苑院も創建する。1385年には東大寺・興福寺を参詣、1388年には駿河
で富士山を遊覧、1389年には安芸厳島神社を参詣するなど、視察を兼ねたデモンストレー
ション(権力示威行為)を行っている。この頃足利義満は、康暦の政変、土岐康行の乱、
明徳の乱などを巧みにのりきって、権力強化を図っている。摂関家の人々にも偏諱を与え
るようになるなどその勢威はますます盛んになり、掣肘できるものは皆無に等しかった。
また、これまで院や天皇の意思を伝えていた伝奏から命令を出させ、公武の一体化を推し
進めた。これら異例の措置も三条公忠が「先例を超越した存在」と評したように、公家側
も受け入れざるを得ず、家礼となる公家や常磐井宮満仁王のように愛妾を差し出す者も現
れた。そして遂に、足利義満は南北朝合一を成し遂げるのである。
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1392年には南朝勢力が全国的に衰微したため義満は大内義弘を仲介に南朝方と交渉を進
め、持明院統と大覚寺統が交互に即位する事(両統迭立)や諸国の国衙領を全て大覚寺統
の所有とする事などの和平案を南朝の後亀山天皇に提示し、後亀山が保持していた三種の
神器を北朝の後小松天皇に接収させることに成功するのである。南北朝合一が実現し、58
年にわたる朝廷の分裂を終結させたのである。これを明徳の和約という。そして、自己の
権力を確固たるものにした義満は、1394年には将軍職を嫡男の足利義持に譲って隠居す
るのであるが、政治上の実権は握り続け、同年、太政大臣にまで昇進する。
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かくして、足利義満は名実共に最高の権力者になったが、ここで天皇との関係が問題になっ
てくる。宿願の「明との勘合貿易」を行うためである。
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足利義満は明との正式な通交をかねてから非常に強く望んでいた。しかし1374年の遣使
では、明側は南朝の懐良親王を「日本国王良懐」として日本における唯一の正規な通交相
手として認めていた事と、天皇の臣下との通交は認めない明国の方針であったため、幕府
の交渉は実らなかった。1380年にも「日本国征夷将軍源義満」名義で交渉を始めようと
試みるが、これも天皇の家臣との交渉は受けないとの理由と、宛先を丞相にしたという理
由で入貢を拒まれている。そこで義満は太政大臣を辞し、出家した。これにより義満は天
皇の臣下ではない自由な立場となった。
足利義満は、民国との勘合貿易をあきらめきれず、1401年には、「日本国准三后源道義」
の名義で博多の商人肥富(こいとみ)と僧祖阿を使節として明に派遣する。懐良親王の勢
力はすでに没落しており、遂に、明の皇帝・建文帝は義満を日本国王に冊封した。同時に
明の大統暦が日本国王に授与され、両国の国交が正式に樹立された。日本国王が皇帝に朝
貢する形式をとった勘合貿易は1404年から始まり、また明に要請されて倭寇を鎮圧して
いる。遣唐使の廃止以来、独自の政策を採っていたわが国では、明皇帝の臣下となる朝貢
貿易に対して不満や批判が公家たちに多くあったが、義満の権勢の前では公の発言ができ
ず日記などに記すのみであった。
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足利義満の次男に義嗣という人物がいる。母は室町幕府評定衆摂津能秀の娘である。義満
には子女が多く、長男の義持を除き男子は寺社掌握策に従って有力寺院の門跡に入れられ、
高僧となった。義嗣も幼少にして三千院に入室し、稚児となった。そのまま行けば、義嗣
もきっと高僧になったと思われるが、人生というものは判らないものである。こともあろ
うに、義嗣は父・義満の野望の渦に巻き込まれて、不幸な死に方をするのである。
日野業子(康子の叔母)に先立たれた足利義満の後室となり、北山第南御所に住したこと
から南御所と称された。1406年に、後円融天皇の皇后で後小松天皇の生母である通陽門
院藤原(三条)厳子の崩後、義満は天皇一代で諒闇(天皇の服喪)が2度あるのは不吉で
あるという理由から、関白一条経嗣と通じて室である康子を天皇の准母とした。小松天皇
は、先帝・後円融天皇と生母・厳子二人の崩御(ほうぎょ)によって2度喪に服したので
あるが、足利義満はその虚を突いたのである。足利義満はまさに悪知恵に長けた人であっ
たようだ。
そして、嫡妻日野康子を准母となし皇位簒奪計画が実行段階に至ったと判断した義満は、
皇位継承者として義嗣に白羽の矢を立 て、還俗させて康子の猶子とし、北山第南御所に
住まわせたのである。
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以後義嗣は南御所若公と称された。義嗣は、藤原忠実に倣って童殿上(童形での参内)を遂
げ、義嗣と命名されて従五位下に叙された。その年、義満は後小松天皇に北山第行幸を仰
いだが,この儀式は義満が上皇として天皇を迎える朝勤行幸に倣い、かつ義嗣を次期天皇
として諸人に披露するものであった。義嗣は天盃を受けて廷臣蹲踞のなかで舞踏し、この
行幸中左馬頭に任官、還幸、従四位下左中将に上る。翌月内裏で親王元服に準拠して元服、
参議、従三位に叙任。以後公家から若宮と称され、後小松から受禅を待つばかりとなった
が、1408年5月6日義満が急死し簒奪は未遂に終わる。
そこで義嗣の不幸が現実化する。義嗣は従二位権大納言に上るが将軍足利義持との間に不
信を生じ、北畠満雅の乱と上杉禅秀の乱に謀反を唆された。義嗣は、神護寺に出奔したが
捕らえられ、幽囚ののち殺害される。
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(2)「空」なる天皇
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(2、1)日本の「歴史と伝統・文化」の心髄 奈良時代(ならじだい)は、日本の骨格ができた極めて画期的な時代であった。
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奈良時代とは、710年に元明天皇が平城京に都を移してから、794年に桓武天皇によっ
て平安京に都が移されるまでの約80年間をいうが、この8世紀の初めに、国号を倭から
「日本」と改めたと中国史書にみえる。
この遷都には藤原不比等が活動したが、律令国家制度についてもその完成は藤原不比等の
手になるといってもいい。奈良時代の前・飛鳥時代の「飛鳥浄御原令」「大宝律令」が、
日本国内の実情に合うように多方面から検討され、試行錯誤の結果、遂に藤原不比等の手
によって律令国家という天皇中心の中央集権国家が完成したのである。
藤原不比等の目指した律令国家は、いうまでもなく中臣神道が精神的支柱であり、天皇中
心の中央集権国家とはいうものの、藤原一族の絶大な権力を作り上げるものでもあった。
藤原一族の横暴は長屋王の変にその極に達したが、そこが日本の歴史のおもしろいところ
で、河合隼雄のいう「ゆり戻しの現象」が始まる。主役は、聖武天皇と良弁のコンビであ
る。二人とも藤原であって藤原でない。そこが実におもしろい。そして、さらにおもしろ
いというか、不思議にさえ思えるのは、その良弁が明恵に繋がっているという点である。
明恵も藤原であって藤原でない。
私は、日本の「歴史と伝統・文化」の心髄は、その「ゆり戻し現象」だと考えている。日
本の「歴史と伝統・文化」の心髄は、山口昌男のいう「両義性社会」と言っても良いし
(参考1、参考2、参考3)・・・・、中沢新一のいう「対称性社会」と言っても良いか
もしれない。私は、私流に・・・「違いを認める文化」とか「両頭截断」 と言っている
のだが、この場面では、「ゆり戻し現象」と言った方が判り良い。藤原不比等の手によっ
て律令国家という天皇中心の中央集権国家がまさに完成し た・・・その時に、聖武天皇
と良弁のコンビによって、「ゆり戻し現象」が起こって、わが国は「両義性社会」という
か「対称性社会」が維持されるのである。 藤原不比等が、紀記を背景につくり挙げた「中
臣神道」に対抗して「東大寺の仏教」が誕生する。
すでに触れたように、東大寺は不思議な寺院である。寺院としての性格は、明らかに律
令仏教であるが、山林仏教としての性格もすでに色濃く帯びている。その点は、日本の「歴
史と伝統・文化」の心髄というものを認識する上で大事な点である。
日本の「歴史と伝統・文化」の心髄は何かと河合隼雄に聞いたら、河合隼雄は「心髄がな
いのが心髄だ」と言っていたが、私は、日 本の「歴史と伝統・文化」の心髄は大事な時
にきっちり「ゆり戻し現象」が働くことにあると考えている。わが国は、ヨーロッパやア
メリカのような非対称な社会ではない のである。
わが国では、大事な時にきっちり「ゆり戻し現象」が働くのである。明治から終戦までの
軍国主義に対して、今は、その「ゆり戻し現象」として平和主 義が定着している。今もっ
とも大事なことはわが国の自主憲法を創ることだが、しかし、それは、現在の平和憲法を
下敷きに・・・最小限の修 正を施すだけでいいのではないか。大事なことは、日本の「歴
史と伝統・文化」の心髄というものを意識して、明治とははっきり決別することだ。靖国
問題についても、表面的な議論だけでなく、日本の「歴史と伝統・文化」の心髄というも
のをはっきりさせて・・・もっともっと奥深い議論をしなければならないのではないか。
国家というものは権力体によって統治される。権力体は、明治維新以降は立法と行政と司
法の三権に分立され、それを、通常、国家権力と呼んでいる。 それまでの武家社会では
幕府である。統治されるのは、一言でいえば、国民であるが、個々の国民のほか、企業、
社団法人、財団法人、非営利団体等を含む。統 治するものとされるもの、これを二元論
的に呼ぶとすればどう呼ぶのがいいか。いろいろと探してみたが、統治体と被統治体とい
う以外に、今のところ言葉がないようである。したがって、今後、私は、権力体のことを
統治体、統治される国民のことを被統治体と呼ぶことにする。統治という行為に焦点を絞っ
ての呼び方 である。ここでは、統治という行為に焦点を絞って、国家構造のあり方を考え
てみたい。
日本神話の構造は、基本的にはトライアッド構造でだが、それは「グウチョキパー構造」
ではなくて、二つの相対す るものとその中間的の存在の・・・トライアッドである。そ
の中間的存在は、理想をいえば、無為であればあるほどいい。無為を理想とする思想、そ
れは老荘の 思想でもあるのだが、河合隼雄は、そういう思想は日本にも古来からあった
世界観、宗教観であると言っている。河合隼雄はそういう無為の存在を中心としてトライ
アッドを「中空均衡構造」と呼んでいる。アメノミナカヌシという無為の中心が、すべて
の創造の源泉と考えられている。河合隼雄もいうよう に、自然とともに生きる民族の理
想とする国家構造はトライアッドな中空構造である。そこで、私は、トライアッドな中空
均衡構造(以下、中空構造と呼ぶ)と いうものを念頭において、これからあるべき理想
の国家構造というものを検討することを提唱したい。 河合隼雄は、その著「神話と日本人の心」(2003年7月18日、岩波書店)の最終章
で、「日本神話の構造と課題」と題して今後の日本の進むべき方向を模索している。そし
て、結論的には、次のように言っている。
『ここで、われわれが課題とするのは、言うなれば、中心統合構造と中空均衡構造の両立
ではないだろうか。両立しがたいものを両立させるには、どの ようなモデルが考えられ
るか、という疑問が生じてくる。これについて、筆者はずいぶん長らく考え続けてきたが、
おそらく今世紀においては、ひとつのモデル やひとつのイデオロギーによって、人間につ
いて、世界について考えるということは終わったのではないかと思う。』・・・と。
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また、『中空均衡構造と中心統合構造の併存とは、両者を無理して「統合」することを試
みず・・・云々』とも述べているが、河合隼雄は、中空均衡構 造で象徴される日本の生
き方と中心統合構造で象徴される欧米の生き方のどちらに偏することもできないと考えて
おり、その考えを両者を「統合」するモデルや イデオロギーはもはや見つからないと考
えているのである。
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河合隼雄は、京都大学の創立100周年の記念講演会で特別講演をして、これからの時代
私たちは「矛盾システム」を生きていかなければならないと述べた。「矛盾システム」を
生きる。良い言葉である。私もそうだと思う。現 状は確かにそうだと思うが、将来はど
うか。河合隼雄は、中沢新一の「モノとの同盟」という考え方や「光と陰の哲学」をどう
見ているのか。その点を聞いてみ たいところだが、私は、未来に対する希望はけっして
捨ててはならないと思う。私は、「矛盾システム」を生きながら何とかそれを乗り切る知
恵こそ大事で、そ れが民族としての英知であると思っている。民族としての英知、それは
「歴史感覚」からしか学び得ない。民族としての英知は必ず存在している。見えないだけ
だ。しかし、「歴史感覚」をもってよくよく見れば・・・、見えないものが自ずと見えて
くるのではないか。今必要なのは、「矛盾を乗り切る平衡感覚」である。それは「歴史感
覚」そのものである。私も、私なりの「歴史感覚」から、今の「矛盾システム」は何とか
乗り切れるのではないかと直感している。私はよく「両頭截断」ということを言うが、そ
れは 「矛盾システム」を何とか乗り切ろうということである。「矛盾システム」を乗り切
るところに新しい発展がある。中沢新一は、人類最古の哲学としての「神 話」にスポッ
トを当て、「モノとの同盟」ということをいっている。私は、中沢新一など素晴らしい学
者の手によって、必ず未来の地平は拓けてくるものと考え ている。
河合隼雄は、さらにこう述べている。『現代日本人の課題は、神話的言語によって表現す
るならば、遠い過去に棄て去られたヒルコを日本の神々のなか に再帰させること、と言
えるだろう。しかし、それはほとんど不可能に近いことだ。少々の対立があっても全体に
収める中空均衡構造に収まらなかったからこ そ、ヒルコは棄てられたのだ。ヒルコを不
用意に再帰させると、中空均衡構造は壊滅してしまう。』・・・と。ヒルコは不用意に再
帰させるわけにはいかない が、何とか中空構造をある程度温存しながらヒルコの再帰を
企てれないかと、河合隼雄は考えている。しかし、私にいわせれば、ヒルコは、好むと好
まざるにか かわらずもうとっくの昔に再帰している。今や日本でも思いのまま自由奔放
にのさばっているのではないか。ヒルコの詳細については、河合隼雄の著書「神話と日本
人の心」を見てもらいたいが、要するに、ヒルコとは、中空構造そのものに反する神のこ
とで、アマテラスの対極にある男性の太陽神のことである。河合隼 雄のイメージとしては、
多分、市場原理主義或いは科学万能主義の神ということだろう。
まあ、ヒルコがどのような神であってもかまわない。それによって日本の中空構造が壊滅
することはない。断じてない。したがって、ヒルコの再帰など 企てる必要はさらさらな
い。というより、もうすでにとっくの昔に市場原理主義や科学万能主義は世界を席巻して
おり、日本もその猛威にさらされている。それ でも日本の中空構造はびくともしていな
い。今後とも壊滅する心配は少しもないと思う。
!
私は前に、老松克博の「漂泊」という概念(「漂白する自我」、老松克博、1997年1
0月、新曜社)に触れて次のように述べたことがある。すなわち、
!
『 日本の文化を貫く特徴として「漂泊」というものがある。俳句や能、歌舞伎、浄瑠璃
など日本の代表的な文化には漂泊的なものが多い。「漂泊」は、私たち の行動パターン、
つまりライフスタイルとの関係で言えば、「今が一番大事」という仏教で言うところの「無
常観」、そういう世界観を持って生きていこうとす る生き方である。悪くいうと刹那主
義になるかもしれないが、すべてが起こっては消えていく中で、そこに生きる意味、価値
を見出していこうとするもの、それ が「漂泊」だ。老松克博氏によれば、西洋の「定住
的な自我」に対し、日本人の自我には漂泊的な部分が多い。私たちは私たちの文化を生き
ていかなければならないが、それはとりもなおさず日本人の自我の特性・・・「漂泊」を
生きていくということだ。その際、大事なことは、「共振」ということだ。漂泊を生きる
には、今の言葉で言えば「縁(シンクロニシティー)」というものを信じることが大事で
あり、そ のためには旅にでて、いろんなものと「共振(シンクロナイズ)」して、「縁」
というものを実感することである。「袖触れ合うも他生の縁」。・・・仏教で言うところ
の「無常観」の中から逆に積極的な生き方が見出されていく。「共振」は、離れていて関
係がなさそうなのに通じ合うということだが、それは定住的な ものの見方からはでてこ
ない。「共振」は「漂泊の旅」の中にある。』・・・と。
日本人は、中村雄二郎に言わせれば、「述語の世界」に生きているということだが、よく
言われるように、日本人はあまり自己主張をしない民族である。これは何故か???
岸本英夫によれば、それはどうも「自然環境に対する親近性」からくるらしい。岸本英夫
は、日本人の基本的パーソナリティ特性として日本人の直感性と日本人の内向性のほかに、
日本人の「自然環境に対する親近性」を挙げ、次のように説明している。すなわち、
!
『 自然に対する親近性は、日本の風土的条件によるものであろう。日本は、自然に恵ま
れている。日本は、温帯に位して、気候は温和、降雨量は多く、水は豊富で ある。肥沃な
土地で、農耕が行なわれ、十分な生産を保証した。これを、たとえば荒涼たるアラビアの
砂漠に文化を展開したセム民族の感興条件と比べてみれば、大変な違いである。亜剌比亜
砂漠に住む人々は、生命を戦いとらなければならなかった。生きるためには自然と戦うこ
とが必要であった。日本の住民は、自然と協力していればよかった。自然に身をまかせて
いれば、生きることができた。したがって、自然に対して、おのずから親しさを感じた。
自然の恩恵に対し て、感謝の態度を持つようになった。このようにして、自然に対する親
近感が、基本的なパーソナリティ特性となったと考えられよう。』・・・と。
!
そうなのだ。日本人の自然観は、「人は自然の一部である」というものであり、自然と
対立するものではない。自然はさまざまな姿を持つが、その森羅万象のす べてが親近感
をもって心の奥に感じられる感覚、それが中沢新一のいうスピリットだと思うが、そうい
う日本人の感受性、それは日本人の自然観から来ている。 そういう感受性からは俺が俺
がという自己主張は出てこない。 対立よりも協調。いろんなものと「共振(シンクロナ
イズ)」することが大事なのであって、 そもそも日本語は主語がはっきりしな場合が多
いのである。要は、日本人の感受性も問題である。日本人の感受性の問題については、前
に書いたことがあるの で、次をご覧戴きたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hukuza2.html
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(2、2)日本の「歴史と伝統・文化」の象徴である天皇 !
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なぜ天皇はわが国国民統合の象徴なのであろうか。わが国の象徴であるから・・・という
ことでは、答えになっていないとは言わないが、論理的でないように思われる。富士山は
わが国の象徴と考えることもできるが、富士山がわが国の象徴であるからといって富士山
をそのままわが国国民統合の象徴と考えるわけにはいかない。わが国の象徴であることが
ただちにわが国国民統合の象徴には結びつく訳ではなさそうである。何故か。この点につ
き少し考えてみよう。
ところで、なぜ天皇はわが国の象徴なのであろうか。『 そりゃあ決まっている。わが国
は、天皇とともに歴史を刻んできたし、天皇とともに伝統を作ってきたし、文化をつくっ
てきたからだ。 』・・・と答える人が多いかもしれない。しかし、こういう言い方はお
かしい。
わが国を、わが国民と置き換えてみよう。はたして、わが国民は、天皇とともに歴史を刻
んできたであろうか。はたして、わが国民は、天皇とともに伝 統や文化をつくってきたで
あろうか。なんとなくそのように思うかもしれないが、深く考えればこういう言い方のお
かしいことが容易にわかるはずだ。たとえ ば、アイヌは日本人であるが、はたしてアイヌ
は天皇とともに歴史を刻んできたであろうか。はたして、アイヌは天皇とともに伝統や文
化をつくってきたであろ うか。そうでないことはすぐに判る。
「歴史と伝統・文化」というものは、それぞれの地域にそれぞれのものがあるのであって、
「違い」がある。「多」である。いっぽう、日本の「歴史と 伝統・文化」というときは、
それぞれの地域の「歴史と伝統・文化」の共通点をいうか、代表的なものをいうことにな
るだろう。共通点にしろ、代表的ものにし ろ、「一」である。「歴史と伝統・文化」と
いうものは、本来「多」であり「一」である。「わが国」とか「わが国民」というものは、
ひとつがあるだけで、 「一」である。「多」ではない。
したがって、『わが国の象徴』という言い方は、国全体を意識し地域性というものを意
識しない言い方であろう。いっぽう、『歴史と伝統・文化」の 象徴』という言い方は、
「歴史と伝統・文化」というものが本来「一」であり「多」であることから、国全体を意
識し、かつ、地域性というものも意識した言い 方であると言えよう。地域性というもの
は大事である。「違い」すなわち「多」というものは大事である。「違い」すなわち「多」
があるからこそ、統合の価値 が生じてくる。国民というものは「多」であるが、天皇は
「一」であり「多」である。「空」と言って良いのかもしれない。天皇は「一」であり
「多」であるものの象徴でなければならない。
以上の観点から言って、憲法の第1条については、『天皇は、わが国の象徴・・・云々』
と言うより、『天皇は、わが国の「歴史と伝統・文化」の象徴・・云々』と言ったほうが
良い。天皇は、「空」であるからこそ、「一」であり「多」であるものの象徴でなければな
らないのである。天皇は「空」である。それが私の年来の主張である。
第1条を書く際に論理的に明らかにしなければならないことは、天皇の象徴性を支える基
盤が何か・・・ということである。次にこの点を考えてみよう。
議論のたたき台として、私は、赤坂憲雄の象徴天皇論をとりあげたい。まずは赤坂憲雄の
言っていることを紹介しておきたい。
『 わたくしたちはすでに、戦後まもない時期の津田左右吉や和辻哲郎の一連の論考の中
から、その後の象徴天皇制を基層においてささえる、もっとも 重要なイデオロギーの源
流を掘り起こしてきた。津田は国家や宗教との結びつきを否定し、天皇がもっていた伝統
的な権威はあくまで精神的なものであるとし、 <国民的結合の中心であり国民的精神の
生きた象徴であられるところに、皇室の存在意義がある>(「建国の事情と万世一系の思
想」)と語った。和辻はやはり 国家や国体との結びつきを否定し、天皇のおびる権威の
宗教性を巧みに表層から沈めたうえで、<国民の全体性の表現者>(「国民統合の象徴」)
として、<文 化共同体としての国民あるいは民衆の統一(同上)の象徴としての天皇のイ
メージを語った。ふたりの思想家が、国家や宗教とはきりはなされた、文化的・精神的な
象徴の位相に、新しい時代の天皇のあるべき場所をひき絞っていったことは、むろ ん偶
然ではあるまい。国家・宗教から文化・精神への転換をはたすことによって、天皇という
制度は戦後社会に生き延びてゆくわずかな方途(みち)を見出した のだ。あるいは、ふ
たりの思想家によって生き延びてゆく可能性を託されたのが、文化と精神という場所であっ
たといってよい。』(赤坂憲雄「象徴天皇という 物語」1990年9月、ちくまライブ
ラリー46)
『 しかし、歴史の中の天皇が、<何よりもまず、祭りをする人であり、この国の最高祭
司としての宗教的権威を、ながく承けつたえてきた存在>(村 上重良「天皇の祭祀」)で
あり、そのおびる宗教的権威ゆえに、歴史上つねに政治的権力=国家を掌握した勢力によっ
て担ぎあげられる「玉(ぎょく)」のよう なものであったことは、やはり否定しがたい。
天皇は常民大衆の精神的な帰依の対象として、あるいは、日本文化の生ける象徴として、
千数百年の歴史をくぐり 抜けつつ存続させられてきたわけではない。天皇はつねに・す
でに、常民大衆からはるかに遠い雲上界にいて、宗教や国家とともにあったのだ。伝統文
化のにな い手としての天皇など、所詮、宗教や国家の隙間からこぼれ落ちた表層のイメー
ジにすぎない。』(同上)
赤坂がいうように、たしかに、天皇は常民大衆の精神的な帰依の対象として、あるいは、
日本文化の生ける象徴として、千数百年の歴史をくぐり抜けつ つ存続させられてきたわけ
ではないし、天皇はつねに・すでに、常民大衆からはるかに遠い雲上界にいて、宗教や国
家とともにあったのであろう。そして、赤坂は、伝統文化のにない手としての天皇なんて
ものは単なるイメージにすぎないのであって、そんなものは実際に存在したわけではない
と主張する。もちろんそう だろう。伝統文化のにない手を文化的権力と呼ぶとすれば、
天皇は、文化的権威であっても文化的権力ではない。天皇の権威は、政治的あるいは宗教
的にもそうであるが、文化的な側面においても権力に作用するのであって、常民大衆の精
神に直接作用するのではない。天皇はつねに、常民大衆からはるかに遠い雲上界に いて
さしつかえないのである。
天皇の象徴性を支える基盤は、わが国の「歴史と伝統・文化」にある。したがって、憲法
の第1条については、『 天皇は、わが国の「歴史と伝統・文化」の象徴 』と書かれな
ければならない。これが私の主張である。
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私は今、天皇はわが国の「歴史と伝統・文化」の象徴であるといったが、この点について
は、大いに議論のあるところであろう。もし私の主張が的を 得たものかどうかは、もち
ろん、今後の学術的研究に待たなければならない。私は、直感でそういっているに過ぎな
いが、何故そういうのかは若干の説明が必要 だろう。
さて、すでに述べたように、明治時代というものは、明治天皇の父君である孝明天皇が何
者かに暗殺され、明 治天皇が新政府の頂点に君臨することによって、わが国は強くなって
いく。富国強兵をなし、列強諸国に伍してやっていけるようになったのも、そういう新体
制 のお陰であり、私は、明治維新の歴史的必然性というものをひしひしと感じるのであ
るが、わが国がそういう歴史を歩むことができたのは何故であろうか。
そこが天皇制を考えるときのいちばんの問題であり、もし私のいうように孝明天皇の暗殺
を歴史的必然性と考えるのなら、この問題はわが国の「歴史と伝統・文化」をどう考える
かという問題に帰する。
私は、わが国の「歴史と伝統・文化」を「流動的知性」にもとづく「違いを認める文化」
だと考えており、そういう歴史的認識に立つならば、西欧列国 の植民地になるかどうか
の瀬戸際にあって、やはり、わが国の国体を守るために当然の力が働いたと考えざるを得
ないのではないか。明治維新は歴史的必然で あったと考えざるを得ない。孝明天皇の暗
殺も歴史的必然であったと考えざるを得ないのである。私たちは「違いを認める文化」を
生きているのであり、それが 外部の力によって損なわれるとき、私たちは自ずと結束し
てそれを守るのである。私たちはそういう国民であると思う。
天皇制というものを考えるとき、もっとも参考になるのは、網野善彦の「異形の王権」(1
986年、平凡社。1993年、平凡社ライブラリーに収録。)である。
網野は、その著書のなかで、『 ・・・「権威づけの装置」の一つとして、儀礼を「家業」
としつつ、天皇は江戸時代を通じてその地位を保ちつづけ た。なぜそうなったか、南北
朝から戦国の動乱のなかでなぜ天皇が消滅しなかったのか。これはなお未解決の問題をい
わざるを得ないが、それがさきの権威の構 造の転換の仕方に関わっていることは間違い
なく、さらにまた後醍醐による「異形の王権」の出現と、その執念が南朝として、細々と
ではあれ存続しつづけたこ とに多少とも規定されていることは否定できない。室町幕府
がついに南朝を打倒し切ることができず、北朝との合一という形で動乱を収拾せざるを得
なかった事 実を、われわれは直視する必要がある。室町期以降、天皇家が生きのびた直
接の出発点がここにあるとすれば、そこに後醍醐の執念の作用を認めないわけにはい か
ないのである。そして後醍醐は、非人を動員し、セックスそのものの力を王権強化に用い
ることを通して、日本の社会の深部に天皇を突き刺した。このことと、現在、 日本社会
の「暗部」に、ときに熱狂的なほどに天皇制を支持し、その権力の強化を求める動きのあ
ることとは決して無関係ではない、と私は考える。』・・・・ と述べている。
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その通りである。参考にすべき点が多く、今後しっかりと網野の「異形の王権」を勉強し
なければならないと思う。しかし、その本で残念なのは、わが 国の歴史になぜ「異形の
王権」が誕生したのか・・・・その点がどうもはっきりしないことだ。まだ学問的には未
解決ということかもしれないが、たとえ学問的に未解決であったしてもある程度は思想と
して語っておく必要があるだろう。
わが国では、天皇も国民も「違いを認める文化」を生きてきた。「和の文化」を生きてき
たといってもいい。それは、両極端を嫌うことでもある。つね に振り子の原理が働いて
いる。したがって、「歴史と伝統・文化」にもとづく天皇という権威が武士による権力に
よって消えかかろうとするとき、天皇は、非 人、河原者、遊女、芸能民、鋳物師、木地
屋、薬売り、海民などの・・・まあいうなれば権力の周縁部にいる人たちの力を借りて、
武士の権力に立ち向わざるを えないし、またそれらの人びとも天皇を積極的に守らなけ
ればならないのではないか。天皇というものは、権力とも一体不可分であると同時に非権
力とも一体不 可分である。どちらに偏してもいけないのではないか。「空」でなければ
いけないのではないか。
中沢新一は、「網野善彦を継ぐ」(中沢新一、赤坂憲雄共著、2004年6月、講談社)
のなかで次のようにいっている。
『 カントローヴィッチ(1895∼1963。ドイツ領ポーランドに生まれてアメリカ
に亡命した世界的な歴史家。その著「王の二つの身体」は西欧 中世政治思想や王権観念
の歴史のすぐれた研究として評価されている。)がいうのは、王が生き死にする身体、具
体的な身体のことですね。これは歴代天皇のこ とです。もう一つは、天皇が死んでも持続
していくような法人としての天皇ですね。これがだいたいヨーロッパの王権を考えるとき
の、二つのテーマですね。そ れ以上は考える必要がない。
ところが天皇制では、もう一つの身体を考えなければいけなくなってくる。それを「精霊
の王」では、ぼくは「翁としての体」と表現したわけですけれ ども、芸能的な構造として
表現される身体性ですね。この芸能をとおして表現される身体性というものの根源をたどっ
ていくと、これはとても深いところへ降り て行ってしまう。近代的思考が普通、天皇制
を処理できると考えている天皇、つまり王権性と天皇を結びつけて処理できる天皇という
ものは、この第三の身体に 及んでいないんですね。
ところがこの第三の身体が、現実の政治場面ではなばなしく活動したことがあって、それ
が後醍醐天皇の南北朝動乱期にあらわれてきた身体だと思うん ですね。網野さんは、こ
の身体のことを強調した。今後、日本人が天皇制というものを存続させていくか、消滅さ
せていこうとするのか、そういう決定をすると きの前提材料を歴史学は研究しなければ
ならないけれども、そのためには天皇制がいちばん深いところで、いったいどこまでつな
がっているのか見届ける必要が あるというのが、網野さんのスタンスだったと思います。
「異形の王権」が見い出したのは、この根っこがものすごく深いところでつながっている
ということでした。それはどういうところへつながっていった かと言うと、どうもこれ
は自然につながっている。それは温泉を支配したり、滝を支配したり、山を、あるいは森
を支配したりする。アジールとしての森ですよ ね。そういうアジールを支配するような天
皇というのがそこに出てきちゃう。そうすると、「無縁・公界・楽」(網野善彦、197
8年、平凡社。1996年、 平凡社ライブラリーに収録。同著で網野氏は、「無縁」「公
界」「楽」の場は民衆生活の中に生み出された自由・平和・平等の場であり理想郷への志
向を示して いるとし、そこに貫かれる「無縁」の原理の現象形態、作用の仕方の変遷を
たどることで、人類史・世界史の基本法則を捉えることが可能になると宣言してい る。)
が問題としていた人間の自由の根源というものと、天皇のもう一つの身体性というものが
そこでつながっちゃうわけですよね。これを今までの歴史学者 も、天皇制を批判する側
も、本当に問題にしてきただろうかと、そのことを「異形の王権」は、問題にしたかった
のだと思います。』・・・と。
明恵の「あるべきようは」によって、象徴天皇が誕生した。「物言わぬ天皇」である。
「空の天皇である。中沢新一に言わせれば「精霊の王」(講談社、2003年11月)と
いうことにな るが、それがわが国の国体であり、世界に冠たる天皇制という制度がすで
に鎌倉時代に確立した。私は、明恵の「あるべきようは」によって、武士は武士らしく、
天皇は天皇らしく生きなければならないのだと思う。
天皇も公家も、将軍も武士も、百姓も町民も、わが国民はみんな「違いを認める文化」、
「和の文化」を立派に生きなければならない。自分の考えを相 手に押し付けてはいけな
い。相手の考えを尊重しなければならない。相手の立場を尊重しなければならない。将軍
や武士が天皇や公家をないがしろにするような ことがあってはならない。そういう無意
識が後醍醐という「異形の王権」を生んだのだと思う。
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(2、3)「違いを認める文化」の象徴としての天皇 !
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天皇は、時により権力闘争に巻き込まれながら、その時代その時代に応じた姿で日本の歴
史を生き抜いてきた。したがって、天皇の歴史を語ることは日 本の歴史を語ることに通
じる。つまり、天皇を中心に歴史が刻まれてきたと言っても過言ではなかろう。大和朝廷
を中心に歴史が刻まれてきたと言っても同じことだ。もっと正確に言うならば、天皇につ
ながる人びととともに日本の歴史が刻まれてきたということだろう。日本の歴史というも
のは、天皇との係わり合いの 中で推移してきた。政治的権威に裏打ちされながら、天皇
家はかくも永く続いてきたのである。天皇を中心とした永い歴史というものがあって、は
じめて、現在の日本があるし、未来の日本がある。
さて、歴史があるからこそ伝統・文化がある。歴史と伝統・文化は一体のものである。し
たがって、歴史という代わりに「歴史と伝統・文化」という言 葉で言い替えても差し支え
ないだろう。上記のように、日本の歴史というものは天皇との係わり合いの中で推移して
きた。したがって、『 天皇は、わが国の 「歴史と伝統・文化」の象徴である。』と言
い得るのである。
日本の歴史のもっとも誇りうるものは何か。それは日本の歴史の底流を流れる日本民族の
精神文化であろうが、私が思うに、それは「違いを 認める文化」である。日本の「歴史
と伝統・文化」の心髄は「違いを認める文化」である。天皇は、わが国の「歴史と伝統・
文化」の象徴であるが、これを言い 換えれば、天皇は「違いを認める文化」の象徴でも
あるということだ。わが国は「違いを認める文化」の象徴である天皇を戴いている。「空」
の天皇である。こ れは何とすばらしいことか。
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ところで、21世紀になり、日本人がかつ て美意識の拠り所にしていた「わび」、「さ
び」、「風流」などといった、造形的な美しさに加わった感受性の重要性が問われている。
私は、現代社会におい て・・・そういった「日本人の感受性」がよみがえる事が世界平
和をつくり出していくし、フランシス・フクヤマがいうような「歴史の終わり」ではな
く、未来の世界文明を切り拓いていくと考えている。
「日本人の感受性」は、日本における四季折々の自然又は気象、そして複雑な地形や地質
といった自然・・・・、それらに順応した生活に起因するのであろう。日本人は、そうい
う生活の中で、豊かな自然の姿や形に美を見いだし、人の手で再び自然を写し取ったり「見
立て」や「借景」といった日本人独特の自然に対する接し方を会得し て、やがて日本人
独自の美意識を育み、日本文化を支える美学が成立したのである。自然を観察する日本人
の細やかな情緒性が野辺に咲く山草、雑草や小動物に も目を向け美の対象とした。すべ
て自然のお陰である。
そういった「日本人の感受性」をフラクタル幾何学によって分析すれば、自然における
「非対称アシンメトリー原理」にあることが判っている。ちなみに、対称がシンメトリー
に対して非対称アシンメトリーと言うが、自然の構造はフラクタル構造であり、そこには
「非対称アシンメトリー原理」が働いているのである。茶の湯文化の茶室の曲がった柱、
形がいびつ、ひび割れたうわぐすりが均一でない陶芸作品などは、すべて、非対称アシン
メトリーであり、フラクタル構造で表現できる。
地球上の自然がすべてフラクタル構造であるのはもちろんだが、宇宙の構造がどうもフラ
クタル構造らしい。竹 内薫は、その著書「宇宙フラクタル構造の謎(1994年5月、
徳間書店)」で、『 世の中すべてフラクタルになっていると言っても過言ではない。(中
略) 我々の住んでいる巨大な銀河宇宙だってフラクタルになっている。それどころか、
万物の根源であるミクロの素粒子だってフラクタルになっている。』・・・ と言っている。
フラクタルの発見は20世紀最大の発見と言う人もあるぐらい、フラクタルに関する科学
はすばらしい。そのフラクタル理論が「日本人の感受 性」の秘密を解きあかしてくれるの
である。フラクタルには、黄金比に深い関係があり、結果として非定形の美にも黄金比が
含まれていると言われている。日本文化は、非定形文化であり、「フラクタル文化」といっ
てよい。
日本人は、古代から、ありのまま自然と響きあって、日本人独特の感性を育ててきた。感
性だけではない。考え方、すなわち思考もそうだ。レビーストロースの「野生の思考」と
いっていいだろう。
私は、日本の「歴史と伝統・文化」の心髄は・・・・、「違いを認める文化」だと言って
いる。「違いを認める」ということは、上記の文脈でいえ ば、「非対称アシンメトリー
原理」が働いているということであり、中沢新一のいう「流動的知性」が働いていること
である。「流動的知性」が働いているという点から言え ば、「わび・さび文化」と言っ
ても或いは「イキの文化」と言っても、それらは同じことでもある。それが「日本人の感
受性」である。
以上のように、「わび」、「さび」、「風流」、 「粋(イキ)」などといった「日本人
の感受性」の問題は、日本の歴史的な大問題であるばかりでなく、未来の世界文明が切り
拓かれるかどうかの人類の大問題 である。こういうと、誇大妄想的な・・・と思われる
方も少なくないであろう。そこで、以下において、山折哲雄の著書「日本文明とは何
か・・・パクス・ ヤポニカの可能性(平成16年11月、角川書店)」
フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」という問題意識が、急激に歴史の上に登場して
きているが、山折哲雄はこれに関して次のように述べている。
『 私の疑問というのは、こうだ。フクヤマ氏のいう通り共産主義の崩壊と冷戦構造の消
滅によって、 たしかに「リベラルな民主主義」が最後に生き残りうる統治形態として歴史
の最後の段階に浮上してきた。それはそれとして認めるとしよう。しかしながら氏の い
うその「リベラルな民主主義」は、これまでの多くの歴史観がしばしば主張してきたよう
に、はたしてこの地球上の各地に噴出してきた「民族」的な紛争要因 と「宗教」的な紛
争要因までをも克服し、制圧することに成功するであろうか。近代文明が発展し、近代化
のための諸装置がととのえられていくにつれて、それ らの紛争要因を、完全に根絶すると
ころまではいかないにしても、せめて馴致(じゆんち)しコントロールすることに成功す
るであろうか、という疑問である。
考えてみるまでもないことだが、これまでの歴史観や文明史観の多くは、それが社会主義
の理論にもと づくものであれ、そうでないものであれ、「近代」の段階に入る過程で前
近代的な「宗教」と「民族」の要因がいずれ克服され、極小化の方向をとるのだ、と主
張してきた。けれども、そのような歴史記述の常道は、今後もそのまま生きつづけていく
のであろうか。そのような楽観的な「近代」歴史観は、その歴史解釈の 真実性をこれま
でと同じように今後も維持しつづけることができるのであろうか。
われわれは冷戦構造が崩壊したあとの世界の歴史的動向が、パレスチナ紛争、チェチェン
紛争、湾岸戦 争やイラク戦争をみるまでもなく、世界の各地で民族と宗教による絶望的
な対立の状況を生みだしていることを知っている。これまでの楽観的な近代史観や文明
史観が危殆(きたい)に瀕(ひん)している現場をみせつけられ、そのような歴史観を再
検討せざるをえない状況に立たされているのではないだろう か。』
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『 コジェーブは、「動物性」に逆行しつつある「アメリカ的生活様式」の普遍化、世界
化に警告を発 していたのだ。(中略)・・ そして驚くべきことに、そのように書きつけ
た直後に、かれは「日本」の問題なるものをもち出している。「アメリカ的生活様 式」
とは正反対の道をすすんだ「日本の文明」のモデルをわれわれの眼前につきつけるのであ
る。能楽や茶道や華道などの、日本特有のスノビスム(上品振舞 い)というテーマがそ
れである。(中略) 能楽や茶道や華道などの日本特有のスノビスムの頂点(これに匹敵するものはどこにも
ない)は上層富 裕階級の専有物だったし今もなおそうである。だが、執拗(しつよう)
な社会的経済的な不平等にもかかわらず、日本人はすべて例外なくすっかり形式化された
価値に基づき、すなわち「歴史的」という意味での「人間的」な内容をすべて失った価値
に基づき、現に生きている。(中略)
最近日本と西洋世界との間に始まった相互交流は、結局、日本人を再び野蛮にするのでは
なく、(ロシア人をも含めた)西洋人を「日本化する」ことに帰着するであろう。 』
『 眼前に迫りくる世界のグローバリゼーションの大波に抗して立ちつづけようとすると
き、すでにわ れわれ自身があのサバイバル・セオリーにがんじ搦(がら)めになっている
自画像がみえてくる。「最後の人間」からの脱出口を探し求めて右往左往しているわ れわ
れの自画像だ。 とすればわれわれははたして、かつて平安時代の三五〇年、江戸時代の
二五〇年において実現されたあのパクス・ヤポニカの戦略を今日こ の手で取りもどすこ
とができるのか。明治無血革命を可能にした思想的エネルギーを新たに回復することがで
きるのか。そのように思い屈するとき、この時代の 強大な風圧の下からあの無常セオリー
の旋律がきこえてくる。「平家物語」の無常の旋律である。(中略)
生き残り戦略と無常戦略の対決、そして相互克服の問題である。「歴史の終わり」をの
り越えていく第 三の道にかかわる問題といってもいい。それによって「最後の人間」観を
塗りかえる転機をつかむことができるかどうか、ということだ。換言すれば、ここでい
う生き残り戦略と無常戦略の相反する旋律が、今後はたして調和のとれた二重奏を生みだ
すことに成功するかどうかということである。(中略) われわれは今日、まさに世紀の分岐点に立たされていると思わないわけにはいかないの
である。 』・・・・と。
山折哲雄が言う「無常の旋律」というものは、私は、結局、「わび」、「さび」、「風
流」、「粋(イキ)」な どといった「日本人の感受性」の問題・・・・に通底する問題
であると思うのである。そして、そういった「日本人の感受性」というかわが国の「違い
を認める 文化」が、世界平和をつくり出していくし、フランシス・フクヤマがいうよう
な「歴史の終わり」をもたらすのではなく、未来の世界文明を切り拓いてい く・・・と
考える次第である。
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その「違いを認める 文化」の象徴が天皇である。
!
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(2、4)天皇について思うこと・・それは「空」!
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以上今まで、天皇の聖性という観点からいろいろ書いてきて、今、天皇について思うこ
と・・それは「空」ということである。したがって、(2、1)から(2、3)を束ねて
『「空」なる天皇』というタイトルにした。ここでは『「空」なる天皇』という一連の考
察の最終稿として、そもそも「空」とは何かを考えてみたい。「空」なる天皇が私たち国
民の力の源泉であるという事がはっきりしてくるであろう。
!
私は、国家の統治構造のあるべき姿を「中空均衡構造」と言っているのだが、ここにも
「空」という文字が含まれている。では、そもそも「空」とは何なのか? 中沢新一は
「空」を「力の充溢した空間」と言っているが、「空」という言葉を使うときは、否定的
な「空」つまり「無」なのか、肯定的な「空」つまり「有」なのか、そこはきっちり意識
しておかなければならない。
私は、多分、中沢新一とはちがって、天皇というものを少なくとも理想的には肯定的な
「空」と考えている。何もないときは無力というか普通に見える けれど、いざ国の危機
存亡というときはそれを乗り越える力を発揮する・・・そういう存在を天皇の理想像とし
ているのだが、はたして私が「空なる天皇」という とき、そういう意図が透けて見える
だろうか。いつに「空」の概念にかかっている。「空」の概念が国民の間にどの程度定着
しているかにかかっている。
さて、私は、中沢新一の著書「精霊の王」に関する一連の勉強のうち、第一章において次
のように述べた。
『 私は、かって、中沢新一の「モノとの同盟」という考えを紹介し、その中で、「モ
ノ」と「タマ」についても勉強をした。上 の文章では、「空」は「力の充溢した空間」
と言っているが、これはまさに「タマ」そのものではないか。私たちは、仏教哲理に弱い
し、「空」の概念を身につ けていない。何となしに判ったようで判らない・・・そんな
感じだと思うが、「翁」つまり「宿神」を理解するには、まずは「空」の概念を身につけ
ることがい ちばん大事なことかもしれない。「空」は何も無い空間ではない。何も無い
ように見えるけれど、実は、「力の充溢した空間」なのである。ここがいちばん肝心 な
ところである。
このようにお考えいただければいいかもしれない。プラスの電子とマイナスの電子が一
杯充満している としよう。外見上プラスマイナス0、すなわち「空」であっても、その空
間には電子は充溢している。だから、その内包空間から多くの電子が外へ飛び出すこと
もある。その電子が外に飛び出し、何らかの不可思議な形を作ろうとしている・・・・そ
の様子が「翁」であり「宿神」である。 』・・・・と。
プラスは「陽」であり、マイナスは「陰」である。ものごとはすべて「陽」か「陰」であ
る。善があれ ば悪がある。美があれば醜がある。二元論で理解するのがわかりやすいの
だが、実は、真実はそうではないらしい。善であり悪である。善でもないし悪でもな い。
二元論であるあるテーゼを肯定したのち、それを否定して、最初のテーゼとはまったく逆
のアンチテーゼを考え、さらにそれも否定して、テーゼとアンチ テーゼを新たに統合す
るというかアウフヘーベンして、ジンテーゼをつくり出すやり方は弁証法。そういう弁証
法的な思考方法を、私は、禅語の一部を引用して「両頭截断」といっている。
禅では、よく「馬鹿になれ」とか「幼児のごとく」とかいう。これも弁証法的な思考法で
あり、大いに 勉強をして賢くならなければならないのだが、さらに進歩すればその利口
さが見えなくなって、馬鹿のように見えたり幼児のように見えたりする。私は、馬鹿に 見
えたり幼児のように見たりするようでは、まだ修練が足りないのだと思う。普通がいい。
「空」は、普通にしか見えないが、普通ではない。利口でもあり馬鹿 でもある。利口の
要素はいっぱいあるし馬鹿の要素もいっぱいある。そこは臨機応変。利口にならなければ
ならないときは利口になる。馬鹿にならなければなら ないときは馬鹿になる。臨機応変
である。ものすごい力を発揮すべきときはものすごい力を発揮するのである。そういう人
がいちばん偉いのだと思う。利口そう に見える人はあまりたいした人ではないのではな
いか。「空」とは利口の要素がないのではない。利口の要素はいっぱいある。一方、馬鹿
の要素もいっぱいあっ て、利口か馬鹿か判らない。利口か馬鹿か判らないが、そこは臨
機応変、利口でなければならないときは、誰にも負けない利口さが発揮される。「空」か
ら利口 がいっぱい飛び出してくるのだ。「空」は「力の充溢した空間」なのである。
私は先に、国の統治構造に関連して、中空均衡構造と いうことをいったが、天皇は「空」
であることが望ましい。禅風にいえば、天皇は馬鹿のようになることが望ましいし、幼児
のようになることが望ましい。天皇 は、わが国の「歴史と伝統・文化」の象徴、そして
わが国民の象徴である。したがってわが国国民の統合の象徴である。天皇は、何にもない
空ではなく、何でも ある「空」でなければならないが、それも国民次第である。「力の
源泉」としての「空」であることが望ましいが、それも国民次第である。
中沢新一は、「主権者」に関連して、次のようにいう。
『 正統なる「主権者」を、現実の権力者たちの間を廻って探し求めるのは無駄なことだ。
そうした 「主権者」たちは、国家が出現して以来、地上を支配し続けてきたが、彼らの
すべてが偽物なのだ。世界をなりたたせている「力の源泉」の秘密を知っている者 は、
そこにはいない。歴史のゴミ捨て場、記憶の埋葬場にこそ、それはいまもいる。』
『 古代の王たちから現代のグローバル資本主義にいたるまで、偽の「主権者」たちによっ
てつくりあ げられてきた歴史を終わらせ、国家と帝国の前方に出現するはずの、人間たち
の新しい世界について、もっとも正しいヴィジョンを抱きうるものは、諸宗教の神 では
なく、長いこと歴史の大地に埋葬され、隠されてきた、この「世界の王」をおいて、ほか
にはない。』・・・と。
中沢新一が言っている上記の文中、偽の「主権者」という言葉があるが、これは天皇を含
めて言っているのだと思う。この点につき、私は、さすがの中沢新一にも何か思い違いが
あるように思われ、残念である。
私の考えでは、天皇は、わが国の「歴史と伝統・文化」の象徴であり、「世界の王」であ
る必要はまっ たくない。「力の源泉」に満ちている必要はない。それが望ましい姿だと
しても、そうなるかならないかは国民次第である。つまり、そこに「力の源泉」があろ
うがなかろうが、天皇は天皇なのだ。そこに「宿神」が祀られていようがいなかろうが、
天皇は天皇である。わが国の民が、一人でも多く「宿神」を祀り、一人でも多く「力の源
泉」に深い祈りを捧げることは、 これからの世界平和にとって極めて大事なことである。
しかし、そのことは自ずと天皇に反映することであって、天皇がこうでなければならない
とか、ああでな ければならないとか、そういうことではない。私たち国民が「歴史と伝
統・文化」を生きている以上、天皇はそのままで天皇である。天皇は、私たち国民の象徴
なのだから・・・・。
それでは、「空」を「力の充溢した空間」であるという仏教哲理について、少々勉強して
おきたい。 私は先に、『 プラスは「陽」であり、マイナスは「陰」である。ものごと
はすべて「陽」か「陰」で ある。善があれば悪がある。美があれば醜がある。二元論で
理解するのがわかりやすいのだが、実は、真実はそうではないらしい。善であり悪である。
善でもな いし悪でもない。二元論であるあるテーゼを肯定したのち、それを否定して、
最初のテーゼとはまったく逆のアンチテーゼを考え、さらにそれも否定して、テー ゼと
アンチテーゼを新たに統合するというかアウフヘーベンして、ジンテーゼをつくり出すや
り方は弁証法。そういう弁証法的な思考方法を、私は、禅語の一部を引用して「両頭截
断」といっている。』・・・と述べた。
!
今地球環境が問題になっているが、地球の持続的発展を前提に、現在のビッグバン理論を
もとに宇宙の力を考えてみよう。この世界の「モノ」はす べて変化している。循環的な
変化もあるし、どのような変化をしていくのかわからないような変化もあるが、ともかく
すべての「モノ」は変化している。生物の 死と誕生もその変化のひとつであるし、森の
多産性もその変化のあらわれである。道具は壊れるが、しかし新しい道具が生れ出てくる。
もちろん人間が創り出し ているのであるが、よくよく考えてみれば、人間の創り出す力
なんてものはたいしたものではない。無から有を創れないからである。ガラスにしても鉄
にしても この地球が創り出したものではないか。いな、その地球すらはじめかあったも
のではなく、宇宙の創造力が創り出したものである。すべて宇宙の力である。ビッ グバン
による宇宙の変化の力がすべての「モノ」に及んでいるのである。「モノ」には、現実に
は見えないけれどたしかに変化の力がある。人間がそうであるよ うに、いつどのような
姿に生まれ変わるかはわからないけれど、この宇宙から消えてなくなってしまうというこ
とはない。必ずいつかはないかの形で生まれ変わ るのである。再生するのである。しか
もその変化は進化発展的である。すなわち、本来、「モノ」には「タマ」による多産性の
力があるのである。その「タマ」 の力は私たちには見えない。密封の容器に隠れている。
このタマは「たまご」や「かひ」のような容器の内部で成長をとげ、やがて殻を破ってこ
の世界にあらわれてくる。「あらわれる」が 「ある(存在)」であり、このようなタマの密
封・成長・出現の全プロセスには、いささかの否定性も関与していない、というところが
重要なのであ る。
私は、今ここで、ビッグバンによる宇宙の変化の力を、「タマ」の力と見立てている。物
質の最小単位は、原子である。原子は、陽子と電子からできている。このことと陰陽の考
えとは直接関係がないのだが、話としてはわかりやすいので、プラスは「陽」であり、マ
イナスは「陰」であるとしておこう。
ところで、ものごとはすべて「陽」か「陰」である。善があれば悪がある。美があれば醜
がある。二元 論で理解するのがわかりやすいが、そのように考えれば、陰陽の一杯つまっ
た容器は、電気的にはゼロである。ゼロでありながら物質の素(もと)である陰陽が 一
杯つまっているのである。このような例え話は適切でないかもしれないが、ゼロの容器に
一杯ものがつまっているということの理解はこのような例え話で可能 になるのではない
か。一杯あるものがゼロということは確かに判りにくい。華厳哲理では、「多は一であり、
一は多である」などというが、「空」の説明は実に 難しい。何とかわかりやすい説明が
ないかと苦労しているのだが、さて、如何なものであろうか。
!
では、いよいよ仏教哲理における「空」について勉強をしておこう。
天台仏教の核心である「一心三観」という思想がある。それは、竜樹の「中論」という書
物に詳しい が、「どのようなものであれ縁起なるものは、われわれはそれを空性と呼ぶ。
それは仮説であり、また中道である。」というものである。ここに仮説とは、言葉 によっ
て仮に述べた存在のことで、一般的なもののことである。仮説とは、仏が凡夫を導くため
の方便として、言葉を用いて仮に現象世界を知らしめている、と いうのが竜樹の意図であっ
たと考えられている。
この「一心三観」という思想については、次に、立川武蔵の「空の思想史」(2003年
6月、講談社)から核心部分を抜粋しておきたい。
『 天台において「空」は無というよりは根源という意味の方が強い。さまざまなものの
形や働きがそ こから現れてくる根本を空という。その根本においては、それぞれのもの
の形や働きは見られないという意味での「無」ではあっても、もろもろのものの元は存
する、と考えられる。「空」に至るならば、それぞれのものはその形や働きを鎮めて根本
の「空」に帰入するのである。その根本を天台大師智ぎは「如」という 語によって説明
している。「如」とはもろもろのものの本然のすがたをいうのであって、「無」というよ
りはむしろ「有」なのである。
天台教学において、「中」とは、「空」と「仮」との調和をいう。つまり、根元としての
「空」と、そこから現れてきた現象としての「仮」が矛盾することなく成立している状態
を指すのである。』
『 このように、「空」と「仮」の円融を強調したのが天台仏教であったが、華厳仏教
は、一と多、部 分と全体、特殊と普遍などの円融を主張した。根源的な何ものかの存在
を認めており、その根元的な何ものかが場面に応じてさまざまなすがたを現すと考えてい
るところでは、この二つの仏教哲理はほぼ同じものと考えてよい。インドの空の思想にお
いて、空性が実体視されることは意識して避けられたのであるが、天台 や華厳の仏教に
おいては空性はある種の実体あるいは根元とみなされるようになった。』・・・・と。
中沢新一は言う。『 このタマは「たまご」や「かひ」のような容器の内部で成長をと
げ、やがて殻を破ってこの世界にあらわれてくる。「あらわれる」が「ある(存在)」であ
り、このようなタマの密封・成長・出現の全プロセスには、いささか の否定性も関与し
ていない、というところが重要なのである。』・・・と。ここに、タマは、「力の源泉」
であって、「空」であり「宿神」である。また、 「翁」でもあるのである。
「力の源泉」としての「空」、それは「多の根元」であり華厳では「法界(ほ うかい又
はほっかい)」というが、そういった根元的なものを地域として祀っていかなければなら
ないのではないかと思う。本来根元的なものは一つであるかもしれないが、形として祀る
ものはいろいろあっていい。一は多である。多は一である。これが華厳の教えである。い
ずれじっくり・・・華厳の哲理・・・を勉強 したいものである。 華厳といえば、何と
いっても明恵である。 明恵を語らずして華厳を語ること勿れ! また私は、このリニューアルされた新しいホームページで、「空の天皇」というテーマ
で・・・「天皇 を中心としたわが国のありよう」を語ろうとしているのだが、どうもそ
の鍵は明恵がにぎっているように思われる。私は今まで、私の私的なホームページ「桃源
雲情」でいろいろと明恵について語ってきた。しかし、いよいよ本格的に明恵を語らねば
ならないときがきたようだ。
!
さあ、それでは最後に『「空」に関するダライ・ラマの教え』を紹介しておきたい。「空」
とはすごいですね!
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/ku/dararama.html
おわりに
佐伯啓思の「正義の 偽装」 (2014年1月20日、新潮社) は画期的な本である。あるべき政
治形態として民主主義が世界を闊 歩しているが、彼は、民主主義に疑問を投げかけ、出版
社をして「民主主義の断末魔が聴 こえる」と言わしめている。ともかくすごい本だ。彼
に言うことには、私たち日本国民は、特に政治家はそうであるが、注目をしなければなら
ない。そして、自分の精神の糧にしてほしい。
佐伯啓思は、「正義の偽装」の中で、日本の政治について、次のように言っている。すな
わち、
『 戦後日本の 「価値」とは、個人の自由、民主主義(あるいは平等)、物理的な幸福追求
(物的豊かさ の追求)、それに平和主義といってよい。』
『 利己心や自己の事情や我が身かわいさは、誰にでもある。だけれども、それを どこ
かで「はずかしいもの」として抑制する何かがなければならない。しかしそれに「政 治
的正さ」を与えてしまっては、それを抑制するものがなくなってしまう。』
『 むき出しの利己心も欲望の解放も、そして、それを正義にしてしまう厚顔無恥も「本
当は」日本人の精神ではないと私は思う。日本人にとっての価値の基軸はどこにあるの
か、それを見いださない限り、この劣化に歯止めをかけることはできないのではないで
しょうか。』
『 わたしは「民主主義」という政治体制はたいへん難しいもので大きな欠陥を孕んでい
ると思っています。「民主主義」がすばらしいものであるなどとまったく思いません。し
かし同時にまた、「民主主義」以外の政治体制を現状で採りえるとも思えません。とすれ
ば、何とか民主主義を使いこなしてゆくほかないのですが、どうも「日本」と「民主主
義」の食い合わせはなかなか難しいものを孕んでいるようにおもえるのです。』
『 「日本的なるもの」と「近代民主主義」の結合には何か基本的な難点があると思う
のです。そのことをしっかりと自覚しておく必要があるでしょう。』・・・と。
また、佐伯啓思は「正義の偽装」の中で、天皇について、次のように言っている。すなわ
ち、
『 明治憲法は、統治の基本、国民(臣民)の権利、義務などを天皇の名で示した。その た
めに憲法の正当性天皇制度に委ねられ、天皇制度の正当性は日本の歴史そのものに帰着
する。しかもそのことを人々が共通の価値として了解する限りで、憲法の正当性は保たれ
るのです。もっといえば、どうしてそれが可能だったのか。それは、君主である天皇は、
日本の場合、同時に神につながる系譜のなかに位置し、しかも祭祀の長であり、世俗世界
を超越した存在だったからです。つまり、憲法は、なかば超越的な次元から降ろされてき
ており、その超越的な次元と世俗を媒介するものが天皇だった。そこに人々がひれ伏す理
由もあるのです。そして繰り返しますが、そのような天皇の理解が日本の歴史そのもの
だった、ということなのです。この基本構造こそが、日本の「国体」の軸であり、その軸
からすれば、近代憲法とは異なった憲法理解をわれわれはしなければならないことになり
ます。かなり以前に、ある高名な政治学者が、半ば冗談、しかし半ば本気で、「日本の憲
法は本当は聖徳太子の十七条憲法でええんや」といったことがあります。今日の憲法学者
からすればとんでもない意見でしょう。しかし、その意味は、それこそが日本で最初に成
立した「国のかたち」にかかわる文書であり、その上に積み重なった歴史の中にしか日本
の憲法は描けない、ということなのでしょう。十七条憲法の「憲法」は、「いつくしきの
り」と読みます。「重みをもった法」という意味です。なかなかよい言葉ではありません
か。』
『 日本の場合、「公」は「政治」と「祭祀」の両義的な意味をおびた「まつりごと」に
ほかならず、それは「武」ではなく「文」の領域になるのです。これに対して、「武力」
は「私」のものです。それは私領を守り、一族郎党を食わせる不可避の手段でした。(中
略)武士とは、何よりもまず、一族郎党の私領を確保し、その「一所」を命を懸けて守っ
た存在でした。命を懸けるのは、「私」の家(イエ)のためだったのです。そして、ここ に
一線が引かれていた。天皇・貴族は、「公」の側に位置し、武士は「私」の側にいた。
「政治」は「公」のものであり、そこに「私」が入り込むべきではなかった。「公」は
「文」、つまり「文化」と結びつき、「私」は「武」、つまり根源的な生と結びついてい
た。』
『 今日の日本の政治は、「作家的 なもの」すなわち「私的なもの」、「感覚的なも
の」を「政治的なもの」すなわち「公的 なもの」へとほとんど遠慮会釈なく持ち込み、
しかも、それを媒介しているのが、大衆の 情念や好奇心である。』
『 君主である天皇は、日 本の場合、同時に神につながる系譜のなかに位置し、しかも
祭祀の長であり、世俗世界を 超越した存在だったからです。つまり、憲法は、なかば超
越的な次元から降ろされてきて おり、その超越的な次元と世俗を媒介するものが天皇
だった。そこに人々がひれ伏す理由 もあるのです。そして繰り返しますが、そのような天
皇の理解が日本の歴史そのものだっ た、ということなのです。この基本構造こそが、日
本の「国体」の軸であり、その軸から すれば、近代憲法とは異なった憲法理解をわれわ
れはしなければならないことになりま す。』
『 世俗の政治秩序は「私的」な力の争いによって成り立っている。ようするに、無限の
「自我」や「我欲」によってたえず動揺しているのです。しかし真の社会秩序は、こんな
頼りないものではなく、もっと変わりなく安定し永続する原理によって担保されていなけ
らばならない。そこに世俗の時々の状況を超えた権威が必要であり、それは世俗を超越し
た次元からくるとするほかない。』・・・と。
以上が「正義の偽装」で佐伯啓思が述べている事柄の要点であるが、皆さんはどのように
思われるであろうか? 驚きをもたれる方もおられるであろうし、目から鱗が落ちた感じ
を持たれる方もおられるかもしれない。ひょっとしたら違和感を感じる方もおられるかも
しれない。しかし、私は、佐伯啓思の考えとほとんど同じである。そこで私は、佐伯啓思
だと大いなる敬意を表しながら、私なりの「政治論」と「天皇論」を書いた。それがこの
論文である。その要点は以下の通りである。
天皇は、わが国の『「歴史と伝統・文化」の 象徴』である。『「歴史と伝統・文化」の
象徴』という言い方は、「歴史と伝統・文化」というものが本来「一」であり「多」であ
ることから、国全体を意識し、かつ、地域性というものも意識した言い 方であると言え
よう。地域性というものは大事である。「違い」すなわち「多」というものは大事であ
る。「違い」すなわち「多」があるからこそ、統合の価値 が生じてくる。国民というも
のは「多」であるが、天皇は「一」であり「多」である。「空」と言って良いのかもしれ
ない。天皇は「一」であり「多」であるものの象徴でなければならない。
天皇の象徴性を支える基盤は、わが国の「歴史と伝統・文化」にある。したがって、憲法
の第1条については、『 天皇は、わが国の「歴史と伝統・文化」の象徴 』と書かれな
ければならない。これが私の主張である。
わが国では、天皇も国民も「違いを認める文化」を生きてきた。「和の文化」を生きてき
たといってもいい。それは、両極端を嫌うことでもある。つね に振り子の原理が働いて
いる。したがって、「歴史と伝統・文化」にもとづく天皇という権威が武士による権力に
よって消えかかろうとするとき、天皇は、非 人、河原者、遊女、芸能民、鋳物師、木地
屋、薬売り、海民などの・・・まあいうなれば権力の周縁部にいる人たちの力を借りて、
武士の権力に立ち向わざるを えないし、またそれらの人びとも天皇を積極的に守らなけ
ればならないのではないか。天皇というものは、権力とも一体不可分であると同時に非権
力とも一体不 可分である。どちらに偏してもいけないのではないか。「空」でなければ
いけないのではないか。
明恵の「あるべきようは」によって、象徴天皇が誕生した。「物言わぬ天皇」である。
「空の天皇である。中沢新一に言わせれば「精霊の王」(講談社、2003年11月)と
いうことにな るが、それがわが国の国体であり、世界に冠たる天皇制という制度がすで
に鎌倉時代に確立した。私は、明恵の「あるべきようは」によって、武士は武士らしく、
天皇は天皇らしく生きなければならないのだと思う。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/myouearu.pdf
天皇は、時により権力闘争に巻き込まれながら、その時代その時代に応じた姿で日本の歴
史を生き抜いてきた。したがって、天皇の歴史を語ることは日 本の歴史を語ることに通
じる。つまり、天皇を中心に歴史が刻まれてきたと言っても過言ではなかろう。大和朝廷
を中心に歴史が刻まれてきたと言っても同じことだ。もっと正確に言うならば、天皇につ
ながる人びととともに日本の歴史が刻まれてきたということだろう。日本の歴史というも
のは、天皇との係わり合いの 中で推移してきた。政治的権威に裏打ちされながら、天皇
家はかくも永く続いてきたのである。天皇を中心とした永い歴史というものがあって、は
じめて、現在の日本があるし、未来の日本がある。
さて、歴史があるからこそ伝統・文化がある。歴史と伝統・文化は一体のものである。し
たがって、歴史という代わりに「歴史と伝統・文化」という言 葉で言い替えても差し支
えないだろう。上記のように、日本の歴史というものは天皇との係わり合いの中で推移し
てきた。したがって、『 天皇は、わが国の 「歴史と伝統・文化」の象徴である。』と
言い得るのである。
ところで、日本の歴史のもっとも誇りうるものは何か。それは日本の歴史の底流を流れる
日本民族の精神文化であろうが、私が思うに、それは「違いを認める文化」である。日本
の「歴史と伝統・文化」の心髄は「違いを認める文化」である。天皇は、わが国の「歴史
と伝統・文化」の象徴であるが、これを言い 換えれば、天皇は「違いを認める文化」の
象徴でもあるということだ。わが国は「違いを認める文化」の象徴である天皇を戴いてい
る。「空」の天皇である。これは何とすばらしいことか。
以上述べたとおり、天皇は、わが国の「歴史と伝統・文化の象徴」である。天皇は私たち
国民とともにある。「天皇の祈り」というものは、私たち国民の幸せを願ってのもの、国
家の安寧を願ってのもの、世界の平和を願ってのものであるに違いない。私たちが天皇の
ことを思って祈るということはないかもしれないが、私たちは、少なくとも、「天皇が祈
る人」であるということは十分認識しておくべきであろう。東日本大震災の後も、不幸な
死に方をした人々のために、現地で「祈り」を捧げられた。第二次世界大戦で不幸な死に
方をした戦士のためにも、靖国神社に参拝して「祈り」を捧げたいと思っておられるに違
いない。それを邪魔しているのは日本の政治だ。 目下、政治が間違っているために、天
皇は靖国神社に参拝できないでいる。そういう状況は天皇のご意志に反する。誠に残念な
ことだ。天皇が心安らかに靖国神社にお参りし、第二次世界大戦で亡くなった戦士の霊を
慰める、その状況を作ることが現下の政治家に課せられた責任である。靖国問題が終わら
ない限り戦後は終わらない。靖国問題を解決するために、政治家の猛反省を促したい。