◎ 「文 化 の みち橦 木 館 」開 館 ! 文化のみち橦木館館長 兼松はるみ ● 名古屋陶業の繁栄を伝える建築遺産 「前の坂が昔はすごく急だったから、荷物をひいた馬車が(制御できなくなって)店に飛び込んで くることがあったなあ」 大正生まれの父が、子どものころのそんな思い出を話してくれたことがあります。実家は善光寺 街道の旧坂上町から旧大曽根町に下る途中の糸屋。今は自転車で上がってもそれほど苦になら ない坂道が、戦前はかなり急坂で、滑らないように石畳であったと聞きました。 坂を往来する馬車が積んでいたのは、皿や茶碗がぎっしり入った木箱だったのかもしれない、と 思うようになったのは、「文化のみち」と名付けられたエリアに興味をもって、あれこれ調べはじめて からのことです。 明治の半ば、美濃・信州へ通じる街道や堀川に近く、船積みにも便利な名古屋市東区界隈に 目をつけた森村組(ノリタケの前身)は、全国の絵師を集結して、橦木町に大規模工場を建設。森 村組を中心に工場、問屋、商社などが参入し、陶磁器の一大集積地となっていきました。昭和 9 年 の輸出陶磁器関係業者分布図によれば、この地域の業者は 650、従業者数は 13,883 名に及ん でいます。 文化のみち橦木館(旧井元邸)が建てられたのは、まさに名古屋陶業が最盛期を迎えようとして いた大正末から昭和のはじめにかけて。主の井元為三郎は明治 30(1897)年、「井元商店」を創 業。陶磁器加工問屋として業務を拡大し、サンフランシスコやシンガポールなどに支店を構えるま でになっていました。 敷地面積約 600 坪。当時最先端のアールデコの意匠をもつステンドグラスを玄関周りや居間に はめこんだ洋館、天井の高い堂々とした作りの和館、京都から移築された茶室に、蔵 2 棟が並び立 つ。そんな大邸宅を一代で建てるほどのサクセスストーリーには、このような時代背景があったので す。 24 JAPPI NL 2009.8 写真1: 当時の商談の模様 写真2: 昭和 9 年、ロサンゼルスでの井元為三郎。名古屋陶磁器貿易商工同業組合の第 4 代組合長を務め、 陶磁器産業の発展に大いに貢献した。 (写真 1・2 提供:井元産業株式会社) ● 新しい文化の生まれる場所に ほとんど改造・改築されることなく、その時代の建築様式を見事に伝えている旧井元邸は、平成 8 年名古屋市有形文化財に指定されました。 同年 1 月から、名古屋住環境会議(1990 年頃から活動していた 200 余名からなる市民グループ。住環境 にかかわる問題提起や提案を行っていた) のメンバーを中心とする 5 組の店子が数年間使われていなか った屋敷を借り上げ、店子たちは事務所や店舗(喫茶&ギャラリー)として使いながら、奥座敷や庭 を公開。「橦木館」と名前をかえ、『まちんなか演劇祭』につながる演劇やワークショップ、コンサート など、平成 15 年末までに様々なイベントが行われました。 写真 3: 中庭でのフォルクローレコンサート 25 JAPPI NL 2009.8 その後も市民グループが自主的に管理運営することで、まちに開かれたスペースとする試みが 続けられ、平成 19 年、名古屋市が取得。暫定公開の後耐震工事を経て、平成 21 年 7 月 17 日 に正式開館したのです。 写真 4: 開館式のテープカット(7 月 17 日) 左より 吉田隆一 名古屋市議会議長 河村たかし 名古屋市長 井元明正 井元産業㈱社長 建物の生きてきた「歴史」、そこで営まれてきた「生活」、そして市民がつくりあげてきた、家を舞台 にした様々な自由 な発想の「試 み」。そうしたすべての土台の上 に「文化のみち橦 木館 」はありま す。 これからますます、新しい出会い、新しい文化が生まれる場であってほしいと、心から願っていま す。 写真 5: : 洋館 1 階『珈琲館 いもとホール』。四季折々に姿を変える庭を眺めながら、おいしい珈琲や手作りのケー キが楽しめる。 写真 6: 洋館 2 階展示室1。井元家ゆかりの家具、陶磁器、名古屋陶業関連の本などが展示されている。 写真 7:和室 1。広々とした和室を借りて、展示会やコンサートなども開催することができる。 文化のみち橦木館 〒461-0014 名古屋市東区橦木町 2-18(文化のみち二葉館より西へ徒歩 3 分) TEL 052-939-2850 月曜休館(祝日の場合はその直後の平日) 開館時間 午前 10 時~午後 5 時(貸室は午後 9 時まで使用可) 入館料 大人 200 円(各種減免あり) 定期観覧券(1 年券)大人 800 円 26 JAPPI NL 2009.8
© Copyright 2024 Paperzz