xv 第 29 回山梨医科大学 CPC 記録 日時:平成 11 年 9 月 1 日(水)午後 5 時 15 分〜 6 時 45 分 場所:臨床講堂大講義室 司会:藤井秀樹講師(外科学 1),加藤良平助教授(病理学2) 消化管出血を繰り返し死亡したアルコール多飲歴を持つ 67 歳の男性 要 旨:患者は長期のアルコール多飲歴を有する 67 歳の男性。吐血,下血,黄疸を主訴として 来院した。内視鏡では胃噴門部の露出血管からの噴水状の出血を確認した。入院後,2 度の消化 管からの大量出血を示し,出血部位を確認できないまま 23 病日で死亡した。病理解剖の結果, 肝臓(1,120 g)は小結節状の肝硬変症(アルコール性肝硬変症)で,胃噴門部から食道下部にか けて静脈の拡張が強く認められた。消化管の大量出血は胃噴門部の静脈瘤破裂によるもので,直 接死因は出血性ショックとみなされた。 症例提示 板倉 淳助手(外科学 1) 症 例 : Y. H., 67 歳 , 男 性 ( ID148-451-1, AN1297) 主訴:吐血,下血,黄疸。 ピング,ボスミン局注,トロンビン沫を散布, この間 MAP15U,FEP13U の急速輸血を受け る。手術の可能性を考慮し同日当科紹介入院 となる。 家族歴:特記すべきことなし。 画像所見:図 1 〜 5 既往歴:平成 5 年より慢性肝炎を指摘され,禁 入院時血液検査所見:表を参照,HBsAg(−) , 酒,入院,食事療法を勧められるも拒否,平 成 7 年 8 月より腹水に対して利尿剤,アルブ ミン投与を受ける。平成 8 年 9 月食道静脈瘤 (Cb,Rc,(−),F2,Li,Eg(−))。 患者背景: 20 歳頃より日本酒 2 〜 3 合/日,喫 煙歴(−)。 HbsAb(−),HCVAb(−),HBcAbRIA15.48 (96’8/19) 入院後経過:来院時,急速大量輸液に伴うもの と思われる,うっ血性心不全の所見が認めら れ,意識レベルの低下(GCS Ⅱ),PaO2 の 低下が認められたため,直ちに挿管,人口呼 現病歴: 1999 年正月より全身倦怠感あり,1 吸器管理とし,血小板と FFP を中心とした 月 6 日午後中等量の吐血あり下部温泉病院を 輸血とアミノレバンを中心とした輸液を開始 受診,投薬を受け,翌 1 月 7 日精査加療目的 した。消化管出血に対しては,胃チューブよ にて鰍沢病院に紹介入院となる。Hb7.0 と著 りプロトンポンプインヒビター,マーロック 明な貧血を認めたため上部内視鏡を施行,胃 ス,ラクツロースの投与を行った。新たな大 角部に巨大潰瘍(A1)を認めるもこの時点 量出血はないもののビリルビンの持続的な上 では明らかな出血は認められなかった。翌 1 昇を認めたため,1/14 血漿交換を施行,同 月 8 日,午前 6 時頃より HRが 140 台に上昇, 日夕より再度大量の消化管出血を認め, 意識レベルの低下も認めたため,再度内視鏡 PaO2 低下,乏尿となるも輸血により回復。 を施行,噴門部直下の露出血管より噴水状の その後,徐々に出血量は減少,呼吸機能も改 出血(推定約 4,000 ml)を認めたためクリッ 善したため,1/26 家族の希望により抜管。 xvi 抜管後も意識レベルの改善はなく,再度胃チ 気管内より大量の血液を吸引,血圧,心拍数 ューブからの出血は増加,1/31 PM 2:30 大 の改善なく,PM 4:23 死亡確認。 量の吐血とともに血圧低下,挿管を試みるも 血液検査所見: 93, 12/7 96, 8/19 99, 1/8 99, 1/13 99, 1/15 99, 1/26 TP (g/dl) 7.5 6.2 3.7 5.2 5.1 7.0 Alb (g/dl) 4.1 2.3 2.5 2.7 2.7 2.7 CHE (IU/l) 0.47 65 ZTT (KU) 6.7 13.0 0.9 ? TTT (KU) 3.4 5.3 0.2 ? T.Bil (mg/dl) 2.3 1.7 3.7 D.Bil (mg/dl) ALP (IU/l) 1.0 219 0.6 223 55 1.6 134 106 145 143 5.5 1.6 12.6 15.8 40.5 8.3 255 331 LAP (IU/l) 151 71 28 58 84 Î-GT (IU/l) 606 134 11 34 65 LDH (IU/l) 574 322 3280 ? 375 514 255 AST (IU/l) 104 90 1894 376 82 101 ALT (IU/l) 29 28 581 198 50 44 BUN (mg/dl) 12 7 80 137 104 55 CRE (mg/dl) 0.5 CK (IU/l) 227 Amy (IU/l) 197 Lipa (IU/l) CRP (mg/dl) Na (mEq/l) K (mEq/l) 52.2 1.1 138 4.2 Cl (mEq/l) 98 WBC (103/Òl) 11.9 RBC (106/Òl) 3.19 0.6 3.06 172 36 185 32 13.5 201.1 32 0.3 134 3.2 101 0.3 152 3.1 101 7.0 158 3.4 118 6.25 9.76 8.27 3.13 2.54 3.63 13.2 10.5 Plt (103/Òl) 44 33 7.4 2.11 407 64 Hb (g/dl) PT % 3.04 5015 ? 10.7 15 50 15.2 24.7 1.12 51 124 124 4.3 143 5.2 107 25.4 3.31 9.8 36 3.2 149 3.2 119 7.31 3.22 9.5 65 15.1 xvii 図 1. 鰍沢病院入院時上部消化管内視鏡所 見。胃角正中に凝血塊の付着した下 掘れ様巨大潰瘍(A1)を認める。 図 2. 同左。噴門直下の線状の浅い潰瘍。 いずれの病変からも明かな出血は認 められない。 図 3. 出血時緊急内視鏡所見。胃角部潰瘍 から明かな出血は認めない。 図 4. 同左。噴門直下に露出血管と噴水状 の出血を認めた。 図 5. 同上。クリッピングにて止血後の露出血管。 xviii 剖検目的: みならず,腎外のファクターが加わっているこ 1)消化管出血部位の確認(胃潰瘍以外,食 とを示す。この症例では,高度の消化器出血が 道静脈瘤,下部消化管などに出血点はない 起きたことが示されており,消化器出血による, か)。 BUN と Cr の解離と思われる。 2)肝臓の病理所見(肝機能データとの比較, アルコール性と診断できるか)。 3)他の重要臓器の検索(心,肺,腎,膵 等)。 赤羽賢浩助教授(内科学 1) 発言 肝硬変患者の消化管出血の原因として食道・ 胃静脈瘤の破裂が最も多いが,本症例の如く 胃・十二指腸潰瘍や急性胃粘膜病変からの出血 検査値分析 尾崎由基男教授(臨床検査医学) 99 年 1 月 7 日より 8 日にかけ,噴門部直下よ も認められる。この成因は,胃粘膜の攻撃因子 と防御因子の平衡の破綻によるものと考えられ り大出血があり,血圧低下,ショック状態を起 るが,肝硬変症例の胃粘膜血流は低下しており, こしている。1 月 8 日の生化学データでは, 粘液成分の減少,胃粘膜関門と指標とされる LDH3280,GOT1894,GPT581,T.Bil3.7, protein difference の低下がみられ,防御因子 D.Bil1.6,CPK5015 と多彩な変化を起こしてい の破綻がより強く関与していると考えられる。 る。I.Bil が高値であり,LDH も増加している さらに,特殊な病態として肝硬変に伴う門脈圧 ことより溶血も疑われるが,溶血では LDH が 亢進による内臓の充血,特に胃粘膜における充 GOT の数 10 倍になるはずである。よって,溶 血(portal hypertensive gastropathy)は食道・ 血があったにせよ,GOT と LDH の変化は赤 胃静脈瘤の破裂と同様の大量出血をきたし,保 血球由来のみでは説明がつかない。他の臓器の 存的治療による止血は極めて困難である。肝硬 壊死,虚血も考慮すべきであろう。C P K が 変患者では,予防的な胃粘膜防護薬,H 2 ブロ 5015 と高値を示し,受け持ち医は心筋梗塞を ッカーの投与が重要である。 鑑別診断に入れたとのことであるが,CPK の isozyme が測定してあったならば診断の手がか 病理所見と診断 岡田京子大学院生(病理学 1) りになった。いずれにしても,出血による重度 <病理所見>(剖検番号 1297) のショック,臓器の虚血状態があったことがう A.肉眼的所見 かがわれ,溶血や心筋梗塞が併発したと考える 1.外表:身長: 160 cm,体重: 46.2 kg,腹 より,骨格筋,心筋,肝臓,腎臓に強い虚血変 部と両側手背部に軽度浮腫。腹囲 72.5 cm。 化が起きたと考える方が妥当ではないであろう 全身に強い黄疸を認める。眼球結膜に黄疸, か。93 年 12 月のデータでは,GOT104, 眼瞼結膜に貧血。瞳孔左右ともに 6 mm。 GPT29,ÎGTP606 とアルコールによる肝障害 表在リンパ節は触知せず。 が示されているが,96 年 8 月には Alb2.3 と低 2.体腔液:胸水左 40 cc 黄色透明,右 200 cc 下し,また血小板 3.3 万,ChE65 と肝機能がさ 黄色透明。心嚢液 20 cc 黄色透明。腹水 らに増悪したことが推測される。このように, 既にアルコール性肝障害で機能低下していたも 200 cc 黄色透明。 3.胃:緊満しており内容は新鮮血が充満。 のが,99 年 1 月の重度の虚血状態によりにさ 胃角部小弯に 3 × 1.5 cm 大の潰瘍を認め, らに悪化し,I.Bil の増加が起きたと考えられ 中心に露出血管も伴う(A)。ECJ 直下小弯 る。 よりに,1 cm の線状潰瘍を認める(B)。そ 99 年 1 月 8 日以降,Cr,BUN 共に上昇して の近傍後壁よりに,3 mm 大の露出血管を いるが,BUN が Cr の 40 倍以上となっている。 伴う潰瘍(C)と 3 ヶ所の clipping を認め このことは,腎臓に実質的な変化があることの る。噴門部大弯を中心に前後壁粘膜に点状 xix 出血を認める。 4.食道:下部〜中部粘膜にかけ,3 条の静 脈の蛇行,拡張を認め,ECJ 直上粘膜に全 周性のびらんを認める。 5.肝臓(1120 g):表面は凹凸不整,辺縁は る。器質化血管は動脈で,内膜肥厚を伴い 内弾性板の断裂を認める。ECJ 直下小弯よ りの線状潰瘍(B)は,U1-Ⅲの潰瘍である。 潰瘍(C)は U1-Ⅱの潰瘍であり,静脈と思 われる器質化血管を含む。3 ヶ所の clip- 鋭。割面は緑色調で,最大 3 mm までの小 ping 部のうち 1 ヶ所のみ標本を作成した 結節性の肝硬変を認める。 が,粘膜下に拡張した静脈を認める。 6.腎臓(左 225 g,右 220 g):左右とも軽度 黄疸腎。被膜剥離は容易。皮髄境界は明瞭。 右腎に重複尿管が見られる。 2.食道:下部食道にびらんと静脈の拡張を 認める。 3.肝臓: P-P および P-C の fibrosis が見られ, 7.肺(左 640 g,右 500 g):両肺ともに広 偽小葉を形成している。線維性隔壁の幅は 範に鬱血が見られる。特に後方に強い。気 部位により様々であるが,多くは薄い。偽 管支内にも広範に粘膜内出血を認める。 小葉は最大 3 mm までで,micronodular 8.脾臓(200 g):脾腫と著明な鬱血を認め な肝硬変を形成している。pericellular る。 fibrosis が見られる部位もあり,小葉内の 9.心臓(410 g)・血管系:左室壁 16 mm ・ クモ膜線維化が見られる。肝細胞変性は強 右室壁 5 mm と軽度肥厚。冠動脈,心筋に く,風船様腫大,水腫変性,泡沫変性を認 は著変なし。大動脈には石灰化を伴う中等 める。アルコール硝子体はごく少量認めら 度の動脈硬化がある。 れる。脂肪変性は軽度。ところどころ偽胆 10.胆道系:胆嚢内腔は大量の胆汁を容れ, 緊満している。胆嚢粘膜に adenomyosis を 認める。胆汁排泄試験は陽性。 11.膵臓:著変なし。 12.小腸:粘膜面には出血源は認めないが, 十二指腸〜回腸上部に比較的新しい血液が 貯留している。 管形成を伴う再生性の線維化を認める。肝 細胞内や毛細胆管内に胆汁栓を認める。 4.腎臓:左右とも軽い鬱血がある。硝子化 糸球体が散見される。尿細管中に胆汁栓や 硝子円柱が見られる。 5.肺:左肺は鬱血が強い。肺胞腔内に赤血 球と肺胞内マクロファージの浸潤を認め 13.大腸:上行結腸の回盲部付近に 6 〜 る。胸膜に軽度の炎症がある。右肺には軽 7 mm 大の憩室を 6 個認める。下降結腸に い肺水腫が見られ,肺胞内マクロファージ 9 mm 大の有茎性 polyp を 1 個認める。粘 の浸潤を認める。気管にはびらんがあり, 膜面には出血源は認めず,内容も血性では ない。 14.膀胱:著変なし リンパ球,形質細胞浸潤,浮腫を伴う。 6.脾臓:鬱血が強い。マクロファージの浸 潤も見る。 15.前立腺:著変なし 7.心臓:梗塞や線維化の所見はなし。 16.甲状腺(12.3 g):著変なし 8.大腸:憩室は筋層を欠く仮性憩室であり, 17.副腎(左 10.5 g,右 6.8 g):軽度皮質リ ポイドの減少。 18.精巣(左 19 g,右 20 g):著変なし 19.骨髄:赤色髄 B.組織学的所見 1.胃:胃角部小弯の潰瘍(A)は,U1-Ⅳの潰 瘍で,潰瘍底に器質化した露出血管を認め polyp は過形成性 polyp である。 9.骨髄:過形成骨髄。特に赤芽球の過形成 が目立つ。 <病理診断> 1.胃出血(噴門部静脈瘤破裂) 2.アルコール性肝硬変症(小結節型) 3.多発性胃潰瘍 xx 図 6. 胃,潰瘍 A ・潰瘍 B ・潰瘍 C を示す。 噴門部に 3 ヶ所の clipping がある。 図 7. 肝。最大 3 mm までの小結節性の肝硬変 を認める。緑色調が強い。 図 8. 胃潰瘍 A。潰瘍底に器質化した動脈と思 われる露出血管を認める。47 倍 図 9. 胃潰瘍 C。潰瘍底に器質化した静脈と思 われる露出血管を認める。144 倍 図 10.肝。薄い線維隔壁に囲まれた 3 mm 以下 の偽小葉形成が見られる。ところどころ 偽小葉の中心が壊死に陥っており,大量 吐血の際の肝細胞虚血性壊死と思われ る。57 倍 図 11.肝。風船様腫大,水腫変性,泡沫変性 の加わった肝細胞。アルコール硝子体 も少数ながら認める。( )1,440 倍 xxi 胃角部小弯 3 × 1.5 cm 大 ECJ 直下小弯 ECJ 近傍 1 cm 大 3 mm 大 4.黄疸腎 5.右肺水腫 体上部小弯ないし後壁側より,噴出性出血が観 察され,かつ大きな潰瘍を合併していない場合, まず噴門部静脈瘤よりの出血,次に dieulafoy 潰瘍を考えなくてはならない。 肝硬変の大量出血症例は,全身状態の悪化に 直接死因:静脈瘤破裂による出血性ショック より,外科的に止血処置を行なうことは困難な <考察> ことが多く,内視鏡的に止血せず,保存的治療 剖検時に 3 ヶ所の胃潰瘍が確認され,内 2 ヶ のみとなった症例は,出血死にいたるか,救命 所の潰瘍底に露出血管が認められたが,ともに しえても肝血流量の減少より,肝不全を併発す やや時間の経過した器質化を伴っており,少な ることも少なくない。 くとも今回の経過中の大量出血の原因血管では 特に,食道,胃静脈瘤よりの大量出血におい ないと思われる。また,3 ヶ所の clipping にも て,内視鏡的止血処置を行なえなかった大部分 出血の原因血管は認められなかった。噴門部の の症例では,出血死となるか,門脈圧の減少に 粘膜下に拡張蛇行した静脈が見られたこと,2 より自然止血しえても,その後 1)肝血流量の 回目の出血が自然止血したこと,剖検時に明ら 減少による肝不全,2)循環状態改善のための かな出血源を確認できなかったことより,経過 輸血,3)門脈圧上昇による再出血,4)肝不全 中の 3 回の出血はすべて噴門部静脈瘤の破裂に の悪化の 1)〜 4)を繰り返し,肝不全死となる よるものではないかと考える。肝臓は組織学的 かである。 にもアルコール性肝硬変症の所見を示してい る。 食道,胃静脈瘤の内視鏡治療には,静脈瘤の 硬化療法と結紮術がある。いずれの治療法にお いても,門脈塞栓を合併した肝臓癌症例を除い 考察 山本安幸院長(長坂中央クリニック) 今回の症例の臨床的問題点は,初回内視鏡時 の出血源の診断にあったと思う。全身状態不良 てほぼ 100 %の止血率が得られ,両治療法を組 み合わせることにより,静脈瘤を完全消失させ ることも可能である。 時に,内視鏡により,凝血に満たされた胃内の 今回の症例は,出血時における緊急内視鏡が 出血源の検索は,困難を極めることは言うまで いかに難しく,いかに大事であるかを教えてく もない。 れる貴重な症例だと思われる。 肝硬変の吐血症例において,内視鏡により,
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