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はしがき
本書は、2010 年度と 2011 年度に沖縄大学で実施した「地域幸福論」および「地
域活性化システム論」でのオムニバス講義をもとに、新たな執筆を加えてまとめ
ました。本学の副専攻「地域共創学」のテキストとして利用されることを意図し
ています。
副専攻「地域共創学」の目的は、地域とともに学びあう“地域共創・未来共創”
を掲げる本学から、地域の課題に対して総合的に対処することのできる人材を育
成することです。
この目的に沿って、
「地域幸福論」および「地域活性化システム論」は開講さ
れました。沖縄が抱える現状と課題を知り、地域の幸福な状態または活性化の方
向性について考え、実践していく人材の育成、および地域の知の拠点である大学
を活用して、市民、行政、企業等とともに、地域課題の解決に向けて議論をして
いく場づくりをめざしています。
このようなオムニバス講義の構成と講師陣は多彩となりました。
環境と観光、離島問題、福祉、精神文化、経済など、沖縄の地域社会に重要な
様々なテーマで、本学教員と、地域の現場で活躍される住民、行政、企業等の方々
が講師となり、学問と実践の双方からアプローチしてくださいました。今回、そ
の中のごく一部ではありますが本書に収録しています。今後、地域づくりの方法
論を学びその担い手となることをめざす学生や、学内外における講師の皆さまに
役立てば幸いです。
なお本講義は、2009 年度より法政大学、札幌学院大学、高知工科大学および本
学が連携して取り組む、地域の活性化を担う専門家「まちづくリスト」育成事業
の一環として実施しました。文部科学省「大学教育充実のための戦略的大学連携
支援プログラム」の財政支援を受けています。
編集者 沖縄大学地域研究所
寺井 敦子 著者一覧
桜井 国俊(さくらい くにとし)
沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学科教授
西尾 敦史(にしお あつし)
沖縄大学人文学部福祉文化学科准教授
Dileep Chandralal(ディリープ・チャンドララール)
沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学科教授
崔 珉寧(チェ ミンヨン)
沖縄大学法経学部法経学科准教授
古谷野 裕一(こやの ゆういち)
株式会社マブヤー企画 取締役副社長/チーフプロデューサー
比嘉 明彦(ひが あきひこ)
株式会社海邦総研 事業支援部研究員
目 次
はしがき
著者一覧
1.地域幸福論構築に向けての若干の考察 桜井 国俊 1
2.沖縄における環境保全型観光 桜井 国俊 17
3.
(ワークショップ)ふだんのくらしのしあわせ 西尾 敦史 33
4.多文化社会をいきるスリランカ-スリランカからみた
「地域幸福論」
-
ディリープ・チャンドララール 47
5.ゆたかさとしあわせの両立に向けて-資本主義と民主主義の関係- 61
崔 珉寧 6.
(公開講座)
「琉神マブヤー」における地域キャラクターのビジネス活用
古谷野 裕一 67
(パネルトーク)シンクタンクからみるローカルコンテンツの可能性
古谷野 裕一、比嘉 明彦 77
地域幸福論構築に向けての
若干の考察
桜井 国俊 沖縄大学人文学部
国際コミュニケーション学科教授
■ はじめに
3・11 の東日本大震災及び福島原発事故を契機に、我々は安全で安心なくらし
の重要性を再認識することとなった。日本社会のあり方の根源的問い直しが、今
求められている。福島に原発、沖縄に米軍基地といった形で過疎地に迷惑施設を
押し付け、都会の人々が物質的に豊かできらびやかな生活を送る従来の日本社会
のあり方に今さら戻るわけにはいかない。復旧・復興ではなく、新生が必要となっ
ている。
それでは、いかなる社会を構築すべきか。「地域幸福論」はこの問いに答える
ものでなければなるまい。より多くの人々が安全・安心と感じ、幸せと感じる地
域社会、誰かの犠牲のもとに別の誰かが安全・安心を感ずるのではない地域社会
をつくっていくことが求められる。
しかし幸福とは主観的なものであり、GNH(国民総幸福)の極大化を目指す、
あるいは最小不幸社会を構築するという理念は理解できても、GNH の計測、定
量化は極めて困難である。従ってここに記すのは、地域幸福論の構築に向けての
若干のヒントに過ぎない。
1.この事実をどう見るのか?
■ 事実 1:4 ヶ国青少年比較調査
(財)日本青少年研究所が 08 年 9 ~ 10 月に日本、韓国、中国、米国の 4 ヶ国
の高校生と中学生各 1000 人を対象に実施した調査結果が 09 年 4 月 5 日の朝日新
聞朝刊に掲載されている。この調査の中には「自分はダメな人間だと思うか」と
いう質問があるが、下図に示された結果は実に衝撃的だ。「とてもそう思う」「ま
あそう思う」
「あまりそう思わない」
「全くそう思わない」の 4 択で答える形になっ
ていて、日本の高校生は、
「とてもそう思う」と「まあそう思う」を足し合わせ
3 人に 2 人の高校生が自分はダメな人間だと思っているのである。
ると何と 65.8%、
この自己肯定感の低さは 4 ヶ国の中で突出しており、次の韓国の場合でも
45.3%、自分はダメな人間だと思う高校生は半数以下にとどまっている。自己肯
定感が最も高いのは中国の高校生で、12.7%、8 人に 1 人しか自分はダメな人間
だと思っていない。この格差は何だろう。豊かな日本に暮らす高校生の方が、精
1
神的にはあまりハッピーでないようだ。しかし、同じく物質的に恵まれた米国の
高校生の場合には、21.6%、およそ 5 人に 1 人だけが自分はダメな人間だと思っ
ており、日本の若者よりずっと自己肯定感
が高い。GNP と若者の自己肯定感は必ずし
も相関(あるいは逆相関)しないのだ。
幸福な地域社会の構築を目指すことに異
論はなくとも、何をもって幸福な地域社会
とするか、いかなる指標で地域総幸福を測
るかについては人それぞれの価値観があり、
合意形成は難しい。しかし、若者が自信を
喪失している社会は、あまり幸福な社会だ
といえないであろうから、「自分はダメな人
間だと思う」中学生や高校生の比率は、そ
の地域社会の幸福度を測る一つの指標とな
り得るといえよう。この指標の低さは、日
(朝日新聞 09.04.05) 本社会が真剣に見つめるべき課題である。
■ 事実2:沖縄の自殺率とDV
次に沖縄の自殺率についてみてみよう。これは、幸福な地域は、人生に絶望し
て自殺する人々の割合も低いであろうという仮定に基づく検討作業である。沖縄
は「癒しの島」とも呼ばれ、気候は温暖、人々は温厚でストレスフリーな社会、
「ハッ
ピーアイランド」と思われている。しかし現実はどうか。沖縄移住生活(http://
www.okinawaiju.net/data/#9)は次のように述べている。
・現実はそう甘くはありません。みなさん、これはよくわかっているはずです。
口をそろえて「住んだら住んだでいろいろあることはわかっている」とおっし
ゃいます。しかし、なかなか現実は住んでみないとわからない部分も多々ある
のです。
・そして実際に住むと、現実に住んでいる島民の方の抱えるものが見えてきま
す。そしてそのストレスの大きさに、ビックリなさるのです。
・現在、沖縄では自殺率が上昇しているそうです。なんと、男性の中高年の自殺
率が、全国で2位~3位だそうです。驚きではないですか?明るい日差しの中、
浅黒く焼けてニコニコ顔の人たち、その男性の中の何人もが、ストレスに耐え
きれずに自らの命を絶っていくのです。
・そしてこの自殺率の高さが、今長寿県沖縄の長寿を蝕んできているのです。実
際、この要因も関係して、男性の寿命は26位に下がっております(26ショック
と呼ばれています)。
・やはり、失業率の高さ、飲酒や運動不足から来る健康の衰え等、生きる気力を
なくす要因が多くなっているのかもしれません。
・しかし、それに対して女性の自殺率は非常に低いそうです。それこそ、全国で
1,2を争う低さだそうです 。
2
・うーん…、やはり沖縄、女性が強いようです。というか、男性が弱いのかも
しれません。甘やかされたりして、打たれ弱いのかもしれません。次項の DV
(家庭内暴力)も含め、我慢する強さなどが、もしかすると少し足りないのか
もしれないのです。その分、優しいともいえるのかもしれませんが。
・沖縄の男性の皆さん、生きていくのは確かにたいへんですが、お互い助け合っ
て頑張っていきましょう。それこそがゆいまーる(相互扶助)じゃないんですか?
・全国的な自殺死亡状況の男女比は7:3であるのに対し、 沖縄県は8:2と圧倒的
に男性が多くなっている。
DV(ドメスティック・バイオレンス)
・「沖縄の人って優しい」「温かい」「人間味がある」というイメージ、きっと
みなさんももっていると思います。また、先ほど「沖縄の男性は優しい」「男
女平等の考えが根底にある」という結果も紹介しました。実際に、優しい男性
はたくさんいます。多くの人は優しいです。
・が、今このDVが沖縄で非常に問題になっているんです。というのも、その報
告されている『裁判所が加害者へ接近禁止などを命じる「保護命令」件数』
が、なんと全国1位だったそうです。そして、「人権侵犯事件のうち、DVが
占める割合」が、全国平均の約3倍。要するに、日本でもっとも男性が女性に
暴力を振るう県という不名誉なデータがあるんです。
・沖縄の新聞、「沖縄タイムス」の社説はこう書いています。「男女をめぐる暴
力が、沖縄の社会や伝統的な家族制度の中に潜んでいるとするならば、その仕
組みにメスを入れ、意識を変えていかなければならない。」…あれっ?男女平
等な制度じゃないんですか?こう続きます。
・「沖縄の家族制度は男性原理に基づく位牌継承を基礎とする。継承者となる男
子の出産が強く期待されるなど、伝統的制度は、ときに女性への抑圧メカニズ
ムとして働く。」…あのー、全然平等じゃないような気がしますが…。男性原
理とか言っちゃってますが。
・「性差別の最も普遍的な形として表れるのがDVで、「男が先、女は後」「女
は男の言うことを聞くもの」とする思い込みは、若い世代にも残る。」…だめ
じゃん。ぜんっぜん平等じゃないじゃん。本土より男尊女卑じゃん。
・「男性優位の社会風潮に、「飲酒の習慣」や「経済的な不安」などが加わり、
母子の安全が脅かされているのだ。」
男性優位+飲酒+経済危機=DVってもう全然ダメダメじゃないですか。
・まあ、これは沖縄のほんの一部の人ですよ。大半は優しい紳士的な男の人たち
ですよ。
…たぶん。
3
2.どんな開発を目指すのか?
(Watkaen Development?)
筆者は、対途上国の国際協力を専門の一つとしている。国際協力を通じた途上
国開発のあり方を考える上で、筆者が常に立ち返る途上国の人々の視点(途上国
の人々には国際協力による開発はどのように見えているだろうか?)がある。そ
れが、下の 4 コマ漫画である。この「我々はどんな開発を目指すのか?」と自問
している 4 コマ漫画は、1990 年にソロモン諸島の首都ホニアラの書店で見つけた
パンフレットの中にあったものである。
出所:LINK No.6 JULY/AUG. 1988, Solomon Islands
4
1 コマ目は、豊かな自然の中で、刺激はないかもしれないが満ち足りた生活を
送っている村人たちのところに、先進国から開発計画(Development Plan)なる
文書を持った人間が訪れるシーンである。「森林資源を活用して豊かになりませ
んか」という誘いがなされ、森が伐採され、2 コマ目になる。木材伐採で地元に
落ちる利益は最終販売価格のわずか 2%であり、残りの 98%は流通経路に吸収さ
れる。わずか 2%ではあるが現金収入が発生したことから、男たちはそれを酒に
消費する。もともと酒がなかったこの社会では、適度に酒を飲むと言う飲酒の文
化、ルールがなく、男たちは金がある限り飲み続ける。男が担うべき家の補修作
業等がなおざりにされ、山も村も荒れ、女たちに過重な負担がかかっていく。そ
こに先進国から、今度は漁業権買取契約(Fishing Contract)なる文書を持った
人間が訪れ、「漁業権を売って豊かになりませんか」との誘いがかかる。この船
(SOLTAI)は日本資本のソロモン大洋漁業であり、ソロモンのマライタ島に漁業
基地をつくり、ツナ缶やネコ缶をつくって日本に送っている。3 コマ目ではさら
に金鉱開発など鉱物資源開発が先進国資本の手で進められ、その一方で村はさら
に荒廃していく。最後の 4 コマ目には、先進国に好きなように資源をむしり取ら
れ貧しくなった村に、お恵みとしての援助(World Aid)が来る。
この 4 コマ漫画は、
「我々はこんな開発を目指しているのか?」と自国民に問
うているのである。先進国がもちかける開発なるものが、先進国に一方的に有
利な商取引であり、公正な貿易ではないこと、お恵みとしての援助よりも公正
な貿易こそが彼らが求めるものであること、これがこの 4 コマ漫画のメッセー
ジであろう。
援助(国際協力)の主力は政府開発援助(ODA)である。日本の ODA の目的
は 1992 年の「政府開発援助大綱」において大きく 4 つ定められ、その第一は「人
道的見地」
(経済的に豊かな国日本にとって、貧困、飢餓などで苦しむ国々を助
けるのは当然のこと)であり、第二は「相互依存関係の認識」(日本は、食糧・
エネルギー等の対外依存度が非常に高く、途上国経済の安定は日本にとっても重
要)である。
(第三は「地球規模の環境課題」に応えること、第四は「国力に相
応しい役割」を果たすことである。
)
他の ODA 供与国においても、ODA の目的は日本のそれと基本的には共通する
ものが多い。問題は、こうした理念・目的の下に供与される先進国からの援助が、
受け手の途上国の側でどう見られているのかである。「人道的見地」からなされ
る援助は、受け手の幸福度の増進を目指して実施されているはずであるが、この
4 コマ漫画は、「まず公正な貿易を!」と主張しているのである。「我々を不幸に
突き落としておいて、その上でのお恵みとしての援助は納得がいかない」という
当然の主張がなされているのである。
5
3.われわれはどんな開発を行っているのか?それは持つのか?
次に見てもらうのは、沖縄大学名誉教授の宇井純氏(2006 年逝去)が沖縄大学
を退職した 2003 年に「沖縄タイムス」に「苦闘 16 年-島が溶けてなくなるぞ」
というテーマで記述した連載の 8 回目の「それは持ちますか」というものである。
6
ここで宇井教授が指摘し、批判しているのは、現世代の刹那主義であり、未来世
代への責務の放棄である。人は、目の前の物質的・金銭的豊かさを求めるあまり、
それが将来にわたって継続できるのかについて深く考慮せず、現世利益を追求し
がちである。沖縄の場合は米軍基地受け入れの見返りとしての高率補助という形
で、様々な公共事業が必ずしもその事業の必要性によってではなく、むしろ補助
の高率性によって選択され実施されてきた。しかし、ハコモノ建設に高率補助金
が出ても、その施設の維持管理費には補助はなく、名護市などのように北部振興
事業や米軍再編交付金などを集中的に受給してきた自治体の多くで財政が悪化し
ている。現世代の中でも持たない開発となっているのである。
このように持たない開発は、米軍基地がらみの高率補助による公共事業にかか
わらず沖縄のいたるところで見受けられる。下の写真は、世界で久米島にしかい
ない久米島の固有種クメジマボタルである。クメジマボタルは、久米島一の川で
ある白瀬川に育まれたホタルであり、白瀬川のたもとにはその清流を称えた琉歌
「白瀬走川節の碑」が建っている。若い女性の恋人を思う気持ちが表れた素晴ら
しい琉歌である。
(「白瀬走川に流りゆるさくら、すくて思里に貫ちゃいはきら」:
白瀬川に桜の花びらが流れてくる。掬って首飾りにして、彼の首にかけてあげた
い)
。しかしこの白瀬川は、今、赤土で埋まってしまっている。かつて久米島は
多くの水田に稲穂がたなびく島であったが、本土からの古々米の流入でコメ作り
が引き合わなくなったこと、干ばつがあったこと、キューバ危機を契機にキビ作
が奨励されたことなどにより、サトウキビへの転作が進み、赤土が出やすい島と
なってしまったのである。人間の暮らし方の変化が、クメジマボタルの生息環境
に著しい影響をもたらしたわけだが、このように赤土を流し続ける農業がいつま
でも続けられる農業であるのかどうか(持つのか?)が問われている。宇井純氏
の沖縄タイムスの連載のタイトル「島が溶けてなくなるぞ」は、早く沖縄に来な
いと赤土流出で島が溶けてなくなってしまうぞと沖縄に来ることを宇井氏に強く
勧めた沖縄国際大学の玉野井芳郎教授の言葉だったのである。
次に示す写真は、やんばるの森で進むイタジイの森の皆伐と止めどない林道開
発の状況を示したものである。やんばるの森は、世界自然遺産候補地の中核であ
り、国指定の天然記念物で県鳥のノグチゲラが営巣する森である。彼らは樹齢 40
年以上のウロのある木がなくなると巣をつくれなくなるといわれており、皆伐に
よる生息環境の破壊は深刻である。
建設された林道沿いは、乾燥化が進み、1 世紀前にハブ対策のために導入され
た移入種マングースの北部への侵入を容易にし、沖縄の固有種ヤンバルクイナの
捕食を招いているといわれている。また林道は、大きくなりすぎたペットの猫を
7
捨てる猫捨て街道ともなっており、野ネコによるヤンバルクイナの捕食(下記の
2001.12.19 付けの沖縄タイムスを参照のこと)は、林道を通過する車両による交
通事故と並んでヤンバルクイナ個体群の減少の重要な原因となっている。さらに
はこうした林道開発やパイナップル畑、サトウキビ畑などの農地からは、とくに
台風時に赤土流出が深刻で、沖縄のサンゴの海を劣化させる大きな要因となっている。
沖縄タイムス
2001.12.19
浸食が激しいパイン畑
東村 2006 年
赤土の堆積で側面が白化した
ハマサンゴ類(白保)
沖縄タイムス 2002.11.20 夕刊
4.人間開発指数
(Human Development Index )
とは何か?
GNH は、ブータンのように経済指標から見れば貧しい国であっても、経済指
標では測れない豊かさがこの国にはあるとして国民に誇りをもたせることを意図
して打ちだされたものであろう。確かに GNP(あるいは GNI)では、そこに暮
らす人々の幸せ、安全・安心、満足度といったものは表せないということは、冒
頭に見た日本、韓国、中国、米国の 4 ヶ国の高校生と中学生を対象とした調査結
果からも明らかである。自己肯定感は必ずしも GNP と相関しないということが
この調査から明らかになっているからである。
しかし、Happiness(幸せ)という主観的なものを計測することの困難性を踏ま
えれば、GNP(或いは GNI)から一挙に GNH の計測に向かうのではなく、も
う少し客観的な指標で生活の質(Quality of Life)を計測する試みがあってよか
ろう。そのようなものの一つが、人間の安全保障(Human Security)の考えと連
動して提起されてきた人間開発指数(HDI:Human Development Index)である。
そこでこの HDI についてみてみよう。
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人間開発指数は、その国の、人々の生活の質や発展度合いを示す指標として、
UNDP(国連開発計画)により提起されたものである。指数は、「長寿で健康な
生活」
、
「知識」、
「人間らしい生活水準」の 3 側面を統合して計算することとなっ
ており、計算手順は下図の通りである。ここで「長寿で健康な生活」は出生時平
均余命を指標とし、
「知識」は成人識字率三分の二、総就学率三分の一で計算す
る。そして「人間らしい生活水準」は購買力平価(PPP)で評価した 1 人当たり
の GDP を使用する。この 3 側面に等しい重みを与え、0(人間開発が最も遅れた
状態)から 1(人間開発が最も進んだ状態)の間の数値で表現している。世界各
UNDP(国連開発計画)の人間開発報告書に掲載されており、
国の HDI の状況は、
先の 4 ヶ国の 2010 年の HDI を表示すれば下表のとおりである。
国名
HDI の計算手順
HDI ランク 人間開発指数
2010
(HDI) 2010
日本
16
0.894
韓国
18
0.890
中国
75
0.718
米国
6
0.902
5. 人間の安全保障(Human Security )とは何か?
従来、安全保障とは国家安全保障(National Security)を当然のように意味した
が、国家という単位では一応は安全保障が実現されても、その国の中の個々の人
間が、内戦、犯罪、飢餓、対人地雷、環境破壊など生存にかかわる脅威、また、
けがや病気などの身体的なもの、失業や貧困など経済的なもの、差別や抑圧など
社会的なものなどの様々な暴力に脅かされている状況がある。このことを重視し、
国家のみでなく人間のレベルでの安全の達成に焦点を当てた課題の設定が必要と
いう認識から生まれたのが、
人間の安全保障(Human Security)という概念である。
UNDP(国連開発計画)の 1994 年「人間開発報告書」が開発の新たなパラダイ
ムとして提示したのを契機に広まり、95 年の「社会開発に向けての世界サミット
(社会開発サミット)
」を貫く概念となった。
1994 年「人間開発報告書」によれば、「人間の安全保障」は次の 7 種類の安全
保障で構成される。
• 経済の安全保障 • 食糧の安全保障
• 健康の安全保障
• 環境の安全保障
• 個人の安全保障
• 地域社会の安全保障
• 政治の安全保障
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また 1994 年「人間開発報告書」は、個人の安全保障を脅かす脅威には様々な
ものがあり、次のような脅威を例示している。
• 国家からの脅威(肉体的な拷問)
• 外国からの脅威(戦争)
• 別の集団からの脅威(民族間の緊張)
• 個人や集団から、ほかの集団や個人への脅威(犯罪や街頭での暴力)
• 女性への脅威(性的暴力、家庭内暴力)
• 弱い立場にあり、保護の必要な子どもへの脅威(児童虐待)
• 自己への脅威(自殺、麻薬使用)
そして、
「
『人間の安全保障』-様々な視点」という囲み記事(出所:人間開発
報告書 1994, p.23)で、次のような意見を紹介している。
●ガーナの 4 年生の女子生徒
「私が安全だと思うのは、夜、通りを歩いてもレイプされないってわかって
いるとき」
●タイの靴修理屋
「子どもらに食事を十分食べさせられれば幸せだし、安心です」
●ナミビアの男性
「略奪が怖い。命ごと奪われるんじゃないかって思うときもあるよ」
さて、沖縄県は国土面積のわずか 0.6%を占めるに過ぎないが、この狭小な島
に「日本の国家安全保障に不可欠」として在日米軍基地の 74%が置かれている。
これは、県民にとっての「人間の安全保障」を様々な形で脅かすこととなる。「国
家安全保障」と「人間の安全保障」が相克する構図になっているのである。具体
的には、復帰後米軍関係の犯罪が 5600 件発生しており、うち 560 件は凶悪犯罪
だという事実がある。一例として 2010 年 5 月 27 日那覇地裁裁判員裁判判決が出
た「タクシー強盗致傷事件」についてみてみよう。
• 2009 年 8 月 1 日、那覇市前島で在沖海兵隊キャンプ・キンザー所属 1 等
兵(犯行当時 18 歳)の少年が、タクシー運転手の喉にナイフをあてて強盗。
2 万 7 千円と 100 ドルを奪う。
• 動機は「上官に行動力をアピールするため」「ニュースになることで軍か
ら注目を集めることができると思った」というもの。
• 被害者の男性「今までに味わったことのない恐怖を感じ、喉の傷の痛み
も癒えていない」
。
• 判決:懲役 3 年以上 4 年以下の不定期刑。
このように、沖縄では、日本の国家安全保障のために、そこで暮らす人々の安
全で安心な生活が脅かされているという現実がある。これは、3・11 福島原発事
故で福島の人々が置かれた状況に類似したものである。したがって、沖縄に暮ら
す人々の視点から地域幸福論を構築する場合には、
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• 沖縄の人々が、米兵による理不尽な犯罪にさらされることなく安心して
暮らしていけること、
• 嘉手納での未明離陸、普天間の爆音などによって人々が静かな夜・生活
を奪われないこと、
など、人間の安全保障の視点が不可欠となる。人間の安全保障を国家安全保障
に対置していくことが求められるのである。
また、幸福な地域を構築するにあたって忘れてならないのは、現世代のみなら
ず未来世代の幸福実現にも責任をもつことである。言いかえれば、現世代は未来
世代の安全、安心の確保、人間の安全保障に責任がある。具体的には次のような
ことがいえよう。
• 世界的にも貴重な生物多様性豊かな沖縄の山と川と海を守ることは、エ
コツーリズムなどを通じて未来世代が生きていく上でのかけがえのない
資源基盤を保障することとなる。
• この素晴らしい自然を基地建設で破壊することは、未来世代にとっての
人間の安全保障の侵害である。
6. 名護市の逆格差論とは何か?
沖縄で地域幸福論の構築を模索するにあたっては、当然のことながらこのテー
マをめぐる沖縄における過去の取り組みを踏まえておくことが求められる。その
ような取り組みの一つとして、名護市の逆格差論を取り上げねばなるまい。第一
次名護市総合計画・基本構想(1973 年)は、逆格差論と呼ばれる考えを次のよう
に提起している。
• 今、多くの農業、漁業(またこれらが本来可能な)地域の将来にとって
必要なことは、経済的格差だけを見ることではなく、それをふまえた上で、
むしろ地域住民の生命や生活、文化を支えてきた美しい自然、豊かな生
産のもつ、都市への逆・格差をはっきりと認識し、それを基本とした豊
かな生活を、自立的に建設していくことではないだろうか。そのときは
じめて、都市も息を吹き返すことになるであろう。
• まさに、農村漁業・地場産業の正しい発展は、人類の使命と言うべきで
あろう。
こうした名護市の取り組みを象徴するのが名護市庁舎である。「名護写真集 「市制 10 年と市庁舎」というタイトルで、「昭和 55
名護ひとびとの 100 年」は、
年に名護市は市制 10 周年を迎え、時代は 80 年に入った。名護市庁舎の建築は、
沖縄の風土を捉え、地域の自治を表現し、外に向かって「沖縄」を表明すること
を基本テーマに、全国公開設計競技方式で実現した。ユニークな庁舎建築として
全国的に注目され、昭和 57 年日本建築学会賞を受賞した。」としている。逆格差
論との関係で、宮城康博氏は『沖縄ラプソディ』で、この名護市庁舎について次
のように述べている。
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• ユニークな造りで有名な名護市の市庁舎は、名護市の総合計画の概念の
中核にある地域主義を反映した趣旨に基づき行われた、1979 年の全国公
開二段階設計競技において最優秀に選ばれた「象設計集団+アトリエ・
モビル」の案を基にして設計施工された。1981 年に竣工し、同年の日本建
築学会作品賞を受賞している。
(宮城康博『沖縄ラプソディ』68 頁)
• 海と国道側に面した立面はまっすぐに切り立って、すべて形態が違うシー
サーが立ち並びある種の結界をつくり出している。その逆の市街に向か
う空間には、大きく広場を設け、広場を囲むようにテラスが段々に構成
され地域に向かって大きく開かれている。最上階には土による断熱が施
され、小さな池も配置されている。空調機器に頼ることを極力排する工
夫が施されている。
(宮城康博『沖縄ラプソディ』68 頁)
• 自然の風を入れてクーラー等を使わないというコンセプトは、十年余を
経て自治体の行政が肥大化するのに比例して増える書類や書棚で風の道
をふさがれ機能不全を起こしていた。真夏の風が吹かない日などは訪れ
る市民や職員はさぞ暑いだろうと案じられた。
• 逆格差論の精神を中核に据えて造られた市庁舎にも、2000 年のサミット
開催後に政府から廉価で譲り受けたクーラーが入った。
(宮城康博『沖縄ラプソディ』69 頁、72 頁)
さてその後沖縄では、1995 年 9 月の米兵による少女暴行事件以降、米軍基地問
題に関する議論が沸騰し、96 年 4 月日米両政府は普天間基地返還に合意する。し
かしその後、普天間返還には県内移設が条件であることが判明し、名護が移設候
補地とされていく。この事態を前に実施されたのが 97 年 12 月 21 日の名護市民
投票であり、反対の意思表示がなされた。しかし国は地元住民のこの意思表示を
無視し、北部振興資金や米軍再編交付金などを通じた基地受け入れの見返りの公
共事業で、基地反対の声を押しつぶしていく(新潟県巻町では、住民投票によっ
て原発建設が見送られたが、名護市では、住民投票の結果を無視して辺野古移設
が強行されようとしてきた)。県や市の行政も基地移設受け入れに塗り替えられ
ていく。こうした中で、基地受け入れへの褒賞の側面をもちつつ実施されたのが
2000 年の沖縄サミット(会場は名護市)であった。
しかしこうした北部振興は立派なハコモノこそ次々とつくりだしたが、県内一
の高失業率は改善されないままであり、ハコモノの維持管理費がかさんで名護市
の財政は悪化の一途をたどった。基地受け入れで地域振興が進んだという実感が
全くないというのが今や多くの名護市民の実感である。こうした背景のもとに、
2010 年 1 月 24 日の名護市長選において「辺野古の海にも陸にも新しい基地はつ
くらせない」という公約で稲嶺進氏が勝利することとなった。稲嶺市長は、就任
挨拶で、
「30 年先のやんばるの拠点都市として、風格と品格ある名護市の姿を見
据えつつ、子どもたちに夢・挑戦・感動を与えるまち、若者には安定した仕事と
起業のチャンスを提供できるまち、高齢者や障がい者には安心と安らぎが保障で
12
きるまち、そして、市民が夢と希望をもてる日本一の特色あるまちづくりで注目
を浴びる名護市を目指してまいります。」と述べている。この就任挨拶は、新た
なる装いのもとに逆格差論を再構築し実施していく決意表明とみることができよ
う。今後の展開に期待したい。
7. ワラル事件で考えたこと
ここで、話題を変え、ペルーで 1991 年に起きたワラル事件について地域幸福
論との関係で考えてみたい。筆者は、1979 年から 84 年まで 5 年間 WHO で勤務
したが、事務所はペルーの首都リマであった。そのため、ペルーで深刻な社会問
題となっていた極左武装組織のセンデロ・ルミノーソ(Sendero Luminoso、輝け
る道)について、特に彼らが活動する基盤となっていたペルー農村部の貧困につ
いて強い関心を持ってきたためである。筆者は、ペルーのあまりの治安の悪さの
故に 84 年に WHO を退職し、日本に戻って JICA の国際協力専門員となっていた
が、その 7 年後にワラル事件が起きた。 ワラル事件とは何か。これは、ペルーの首都リマの北 100km のところにあった
国際協力事業団(JICA)のワラルの農業試験場がセンデロ・ルミノーソによって
1991 年 7 月 12 日に襲われ、筆者の同僚の国際協力専門員の中西さんを含む日本
人農業技術専門家 3 人が殺害された事件である。ワラルの農業試験場に勤務して
いた日本人専門家はいずれもスペイン語が堪能な農業技術者であり、しかも 3 人
のうち 2 人は青年海外協力隊 OB で、どのような過酷な環境でも耐えられる選り
すぐりのメンバーであった。日系大統領として就任したばかりのフジモリ大統領
が、貧困に喘ぐペルーの農村に希望をもたらすべく日本の協力を得て実施する最
前線のプロジェクトであるがゆえに、同じく貧しい農民に「希望」を与えること
で運動を拡大しようとするセンデロ・ルミノーソの襲撃対象となったのである。
この事件から筆者が得た結論は、どんなに貧しくとも、子どもに自分よりよい
未来があると信じられれば親は頑張るが、それが信じられないときには、自暴自
棄となり、テロリストの声がサイレンの歌声に聞こえ惑わされることとなる、と
いうものである。貧困こそがテロの温床であると確信したのである。
8. 幸福な地域の条件
ワラル事件を通じて学んだことは、
「子どもにたちによりよい未来があると信
じられること……これこそが幸福な地域であるための不可欠の条件である」とい
うことである。ペルーで学んだあと一つ重要なことは、人は、たとえ貧しくとも、
またたとえ公助がなくとも、より幸せになろうと自助・共助を通じて努力するし、
て こ
その自助・共助を支援する仕組みがあれば、それが梃子の役割を果たし、未来の
希望に向かって社会の歯車が回り出すということである。
て こ
梃子の役割の重要性をとくに感じさせたのがバングラデッシュのグラミン銀行
(Grameen Bank)だ。グラミン銀行は、経済学者のムハマド・ユヌスが 1983 年に
13
創設したバングラデッシュにあるマイクロファイナンス機関で、「グラミン」と
」という単語に由来する。貧困層を対象に比較的低金利
いう言葉は「村(gram)
で無担保融資を主に農村部で行っている。利用者の 97%は女性で 5 人が 1 組になっ
て借りるが、連帯責任はない。銀行の常識では絶対に貸さない、担保とすべきも
のを何ももたない貧困層に無担保で融資したことがコロンブスの卵となり、いま
や多くの国で同様の取り組みが行われている。また貧困緩和に果たした貢献が評
価され、グラミン銀行とムハマド・ユヌスは 2006 年にノーベル平和賞を受賞し
ている。
ところで、グラミン銀行と同様のマイクロファイナンスが日本で可能かという
と、その展望はあまり明るくない。それは、グラミン銀行が貸付対象としていた
貧困層コミュニティには相互依存関係(社会関係資本)があり、これが担保となっ
ていたのだが、日本の貧困層にはこれが大幅に欠如しているからである。新自由
主義経済の下で格差が拡大し、自己責任論の横行で貧困層が個に解体され共助の
仕組みが弱体化する中で、右肩上がりの時代が終わったことから貧困の連鎖が始
まっているからである。今や日本の少なからざる人々が、子どもによりよい未来
があるとは信じられなくなっているのではないだろうか。
そこで、最後に、幸福な地域の条件の候補を幾つか試論的に示しておく。
● 地域に暮らす人々が、それぞれにおいて、また地域社会全体として、
子どもたち(未来世代)によりよい未来を実現しようと努めていること。
● 地域に共助のネットワークが存在することにより、自助によって、子ども
たちによりよい未来を与えることができると信じられること。
● 人々が地域の中で自分の居場所をもち、地域の一員であるとの感覚をも
てる関係性があること。
● 地域の未来の姿を、地域外の他者(政府や大企業等)によって押しつけ
られることがなく、そこに暮らしている人々自らが選びとることができ
ること。
設問
設問1 地域総幸福(GNH)の数値化を図るとすれば、あなたが提案する指標
は何でしょうか。
設問2 東日本大震災はシングル女性の結婚観に影響を与えたといわれています。
非常時に最も頼りになって安心感を与えてくれるのは一緒に暮らすパー
トナーだとして、震災後、結婚に踏みきったり、結婚相手を真剣に探し
始めた女性が増えたそうです。3・11 後に、あなた、あるいはあなたの
まわりで、価値観や行動の面で何か具体的に生じている変化はあります
か?もしあれば、その変化の意味を地域幸福論の観点から論じてください。
14
設問3 米軍基地受け入れの見返りとしての北部振興事業や米軍再編交付金によ
る開発は、結局地域振興にはつながらないというのが 2010 年 1 月の名
護市長選に示された名護市民の民意でした。しかし、その一方で国頭村
安波区は、2011 年 6 月、普天間飛行場代替基地の受け入れの意向を表
明しました。背景には、普天間問題の打開策を示すことで国から振興策
を引きだし、深刻化する人口減少や遊休農地の解消につなげたいとの過
疎地の痛切な思いがあるといわれています。やんばるの住民になったつ
もりで、幸せなやんばるをどう築くか、あなたのプランを描いてください。
用語解説
政府開発援助:
国際貢献のために先進工業国の政府及び政府機関が発展途上国に対して行う
援助や出資のこと。英語:Official Development Assistance、略称:ODA。
人間開発指数:
その国の人々の生活の質や発展度合いを示す指標である。パキスタンの
経済学者マプープル・ハクによって 1990 年につくられた。1993 年以降、
国連年次報告の中で各国の数値が公表されている。発達状況、先進性を表
す指標として、生活の質を測っているので、値の高い国が先進国と重なる
場合も多く、先進国を判定するための新たな基準としての役割が期待され
ている。英語:Human Development Index、略称:HDI。
人間の安全保障:
従来の「国家の安全保障」という概念と対比される、個々の人間の安
全を保障すべきであるという安全保障の考え方である。英語:Human
Security。
逆格差論:
1970 年に 1 町 4 村が合併して名護市になるときに打ちだされた、いわゆ
る「格差是正」ではない名護市の将来像。格差があるとすればむしろ逆で、
経済の成長を追いかけることで、自然を破壊し水俣病のようなものをつくり
だしてしまった日本本土の方が問題なのであり、名護市、ヤンバルの方が豊
かではないのかという考え。
グラミン銀行
バングラデッシュにある銀行でマイクロファイナンス機関。「グラミン」
という言葉は「村 (gram)」
という単語に由来する。本部はバングラデッシュ
の首都ダッカに所在する。経済学者ムハマド・ユヌスが 1983 年に創設した。
マイクロクレジットと呼ばれる貧困層を対象にした比較的低金利の無担保
融資を主に農村部で行っている。英語:Grameen Bank。
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沖縄における環境保全型観光
桜井 国俊 沖縄大学人文学部
国際コミュニケーション学科教授
■ はじめに
沖縄県の主要産業は豊かな自然や独自の歴史・生活文化を生かした観光業である。し
かし近年、観光客の増加等により、フィールドの荒廃等の問題が発生し、重要な観光資
源である自然環境の保全とその持続的な活用(wise use)が喫緊の課題となっている。
この講義では、まず環境保全型観光としてのエコツーリズムの発祥の地コスタリカの
取り組みを紹介し、次いで、筆者が委員長としてかかわった沖縄県における平成 18 ~
20 年度の「環境保全型観光促進事業」調査の成果から、やんばる玉辻山・西表島仲間
川の事例を紹介する。三番目に、地球温暖化問題が沖縄の観光開発にもたらす影響につ
いて考える。最後に、生物多様性と沖縄観光の未来について考える。
COP10、COP16 と沖縄の観光
会議名
開催時
開催地
COP10
2010 年 10 月
名古屋
COP16
2010 年 12 月
Cancún,
México
条約名
CBD
(生物多様性条約)
FCCC
(気候変動枠組条約)
目 的
生物多様性の保全
地球温暖化の防止
(注)CBD、FCCC は、地球環境保全のために 1992 年ブラジルのリオデジャネイロで開催
された地球サミットで制定されもので、双子の条約と呼ばれる。生物多様性の保全と地球
温暖化の防止は、沖縄の観光産業の持続可能な発展にとって死活的に重要である。
1. コスタリカのエコツーリズムに学ぶ
筆者は、エコツーリズム発祥の地であり、日本と同様に平和憲法をもち、かつ
日本と異なり本当に軍隊をもたない国コスタリカに学びたいという沖縄大学の学
生 11 名、教員 2 名、ならびに沖縄の市民 17 名、計 30 名とともに、2004 年 3 月
にコスタリカを訪問した。この時のコスタリカ訪問は、筆者にとっておそらく 10
回目ぐらいの訪問であったが、エコツーリズムについて学ぶために訪れたのはこ
のときが初めてである。
■ エコツーリズムとは
エコツーリズムとは、豊かな自然を守り、資源としても生かしたい、そんな思
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いを形にしたものである。従来の旅(マス・ツーリズム)は、旅行者の快適さや
旅行業者の利益を追求するあまり、自然や昔からそこに暮らす人々の文化を壊し
てきた側面がある。エコツーリズムは、旅人には自然の豊かさを楽しんでもらう
一方で、その自然と住民の生活や文化も守るという考え方に立脚している。理
想どおりつくられたエコツアーでは、少人数で環境を傷めないように配慮された
コースを行く。ガイドは、体験的にその環境を熟知している上に、動植物の生態
や自然保護についても講習を受けた土地の人たちである。自然に負担をかけず、
観光収入が地元の人々の生計を支え、環境保護にも使える。
■ モンテべルデ自然保護区の歴史
さて、我々はエコツーリズム発祥の地といわれるモンテべルデ自然保護区を訪
れた。モンテべルデ自然保護区の歴史は、1951 年にアメリカのアラバマ州からク
エーカー教徒が移住してきたことに始まる。時代は冷戦の様相を強め、朝鮮戦争
のただ中であった。その 2 年前の 1949 年には、コスタリカでは平和憲法が採択
され、軍隊が放棄されていた(コスタリカ憲法第 12 条)。クエーカー教徒たちは、
アメリカの徴兵政策に反発し、軍隊を廃止したコスタリカに理想郷を求めて、人
里離れたモンテベルデの地を踏むのである。彼らは酪農で暮らしていたが、のち
に科学者たちがこの地の生物多様性に注目することとなる。そこで地元に設置さ
れた基金により 1972 年に森林一帯が買い取られ、自然保護区が設置されるので
ある。現在でもモンテべルデは大型ホテルでリゾート化しないように配慮されて
おり、モンテベルデへの道は未舗装であり、大型バスは入れない。
■ 生物多様性の国コスタリカ
環境 NGO のコンサベーション・インターナショナルは、生物多様性が高
く、同時に人間活動による大きな絶滅圧力にさらされている地域として世界中に
34 ヶ所の生物多様性ホットスポットを選定しているが、コスタリカはその一つで
ある。地表面積のわずか 0.03%を占めるに過ぎないコスタリカに、世界の動植物
種の 5%が存在するといわれている。チョウだけみても、世界のチョウ類の四分
の一が存在する。このように生物多様性が豊かなのは、狭い国土の中に、高地・
低地、乾燥地・湿潤地と多様な気候が存在すること、そして南北アメリカの地峡
地帯に位置し、この地峡は地球の歴史からみればごく最近つながったことから、
南北アメリカ両大陸の生物が移動に際して、それぞれが自分に格好の生態学的地
位(ニッチ)を見つけることができたことにあるといわれている。この豊かな生
物多様性を生かしたエコツーリズムに基づく観光収入は、いまやバナナの輸出を
抜いて外貨収入のナンバーワンである。かつて中米諸国は、バナナぐらいしか産
業がないとして半ば軽蔑の意味も込めてバナナ共和国と呼ばれていたが、いまや
国のイメージは一変した。
しかし、そこに至る過程では激しい自然環境破壊の歴史があった。コスタリカ
が西欧社会に「発見」されたのは、1502 年のコロンブスの最後の航海によってで
18
ある。そのとき、コスタリカの国土の 99.8%を森林が覆っていたといわれる。そ
れが 1983 年には、何と 17%にまで低下した。近年の森林破壊の大きな原因となっ
たのは、牧場開発であり、その背後には南北問題がある。安い牛肉を求めた米国
のハンバーガーチェーンによって、中米で次々と牧場開発がなされ、それが中米
の森林破壊をもたらしたのである。この南北関係は、ハンバーガーコネクション
と呼ばれる。我々は、モンテべルデ自然保護区を訪れる際、太平洋側からアプロー
チしたが、モンテべルデに近づくにしたがい、多くのはげ山を目にした。これは、
牧場開発のために伐採されたが、そのまま打ち捨てられた場所である。カリブ海
から吹いてくる湿気を含んだ風はモンテベルデの山地で雨と霧を降らし、熱帯雲
霧林を形成する。しかし、そこを過ぎて太平洋側にくると乾いた風となり、ひと
たび森林伐採すると容易には緑が回復しないのである。のどかな牧場風景に見え
るものも、実はこうした森林破壊の跡なのである。
■ 生物の一大データベース作成を担う INBio
コスタリカのエコツーリズムや生物多様性を語るとき、忘れてならないのが
INBio(Instituto Nacional de Biodiversidad、生物多様性研究所)である。これはコ
スタリカの生物多様性の保全と賢明な利用の実現を目的として、政府、大学、国
際機関、企業、NGO などの協力のもとに、1989 年に創設された非営利組織である。
国内の保全エリアに生息する生物の台帳づくりを最も重要なテーマとしており、
これまでに昆虫 210 万点、植物 15 万点の採集がなされている。INBio の生物の台
帳づくりで重要な役割を担っているのは地元住民から選抜されたパラタクソノモ
(parataxónomo、生物の分類に従事する準技術者)である。彼らは、生物採集と
標本作成にかかわる作業員で、専門の分類学者(西語でタクソノモ taxónomo と
言われる)の下でスタッフとして働いている。パラタクソノモは、保全エリア周
辺に住む地元の人から学歴・性別を問わずに選抜・登用され、基本的な知識と実
技中心の半年程度の研修を受けて養成されている。パラタクソノモは、保全エリ
アと地元住民との共生関係を築く上で重要な役割を担っており、また自然保護区
でのガイド育成にもつながっている。
沖縄は、世界自然遺産への登録にも値するやんばるの森をもちながら、その自
然を喪失する前に徹底的に解明しようとする INBio にあたる組織がない。途上国
のコスタリカにあって、彼らよりずっと豊かなはずの先進国日本に、やんばるの
自然を解明し守る組織がないとのは皮肉というべきであろう。
■コスタリカから沖縄へのメッセージ
自然を生かした持続可能な観光開発の先進地として沖縄がコスタリカに学ぶべ
きものは多い。我々のコスタリカ訪問で学んだことは数多いが、第一には、優れ
たガイドの養成が顧客満足度を高める上で不可欠だということがある。森の中で
鳥の声が聞こえれば即座に望遠鏡をその鳥に向け、持参した図鑑でその鳥の名前、
特徴などを説明しつつグループの全員に観察の機会を与える。動物園ではなく完
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全な自然環境の中でミツユビナマケモノを見つけ、ユーモアも交えながら解説す
る。参加者が見たいと熱望していた鳥ケッツァールを見つけてみせる等々、我々
の旅の成功はガイドの力量によるところが大きい。100%完全ではないが、認定
された者しかガイドができない仕組みは、ガイドの質を保証する上で重要な役割
を果たしている。その点、沖縄では、ガイドの質保証の仕組みがなく、泡盛の歴
史や製法も満足に説明できないガイドもいると聞いている。
あと一つ参考になったのは、地域の生活文化・産業のツアー・プログラム化で
ある。コスタリカの代表的産業であるコーヒーについて、その歴史や栽培、加工、
さらにはコーヒー農園での生活などコーヒーにまつわる様々な情報をひとまとめ
にし、それをコーヒー園の中で演劇仕立てで展開するのを見学するツアーであ
る。これは有機コーヒーを世界に販売している Britt という会社が提供している
ツアー・プログラムであり、最後には有機コーヒーの試飲コーナーがあり、気に
入ったらお土産に購入し本国に発送してもらうことができる。沖縄でも泡盛や黒
糖、製塩、さらにはサバニ漁など、伝統産業のツアー・プログラム化にさらに工
夫の余地があるのではなかろうか。
三番目に参考になったのは、おそらくこれが最も重要と思われるが、自然保護
のための自然保護ではなく、知る、保護する、利用するということを三位一体の
ものとして進めていることである。まず自ら(自然・歴史・生活文化)を知る
(conocer)ということを徹底追求し、保護する(salvar)、利用する(usar)を加え、
三つの活動を組み合わせている。日本では、ややもすると自然保護のみが強調さ
れるが、知ることなくして守ることはできず、また利用してそれで暮らせるとい
う要素がなければ、人は動かない。沖縄における三位一体のアプローチを考えて
みる必要があるのではないかというのが、コスタリカから沖縄への最大のメッ
セージであるといえよう。
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望遠鏡を即座に
セットするガイド
屋外でミツユビ
ナマケモノを観察
ケッツァール
知る、保護する、利用するの三位一体
2.環境保全型観光促進事業(玉辻山・仲間川)の成果
沖縄県では、豊かな自然・歴史・文化を活用したエコツーリズムが盛んになっ
てきているが、近年、観光客の増加等によりフィールドの荒廃等の問題が発生し、
重要な観光資源である自然環境の保全とその持続的な活用が喫緊の課題となって
いる。そこで沖縄県では、環境負荷や環境容量などに留意したエコツーリズムの
システムを構築し、持続可能な観光振興に資することを目的に、平成 14 ~ 16 年
度にエコツーリズム推進事業を実施した。エコツーリズムの推進体制の整備とガ
イドラインの作成が、ここから始まった。次いで平成 18 ~ 20 年度には、玉辻山
(東村・大宜味村)、仲間川(竹富町西表島)をモデル地域として、環境保全型観
光促進事業を実施した。その目的は、
モデル地域(玉辻山・仲間川)において、フィー
ルドの保全方法や適正な利用ルール、行政・観光業者・研究機関の役割分担等を
検討し、保全管理体制の構築のあり方を明らかにしていくことである。沖縄県で
はこうした先行事業の成果を踏まえ、さらに平成 20 年度より、「持続可能な観光
地づくり支援事業」が進められている。
筆者は、平成 18 ~ 20 年度の環境保全型観光促進事業の調査委員会委員長を務
めたので、その経験を踏まえ、モデル地域(玉辻山・仲間川)における事業で明
らかになったことを以下に述べる。
■玉辻山
まず、やんばるの大宜味村と東村の村境にある玉辻山(山頂は大宜味村)であ
るが、小さい子どもでも登れて見晴らしのよい山として、多くの入山者が訪れる
山である。東村には、西表に次いで全国で 2 番目、沖縄本島で初めて設立された
エコツーリズム協会(1999 年 5 月 31 日設立)があり、玉辻山や福地ダム、慶佐
次川のマングローブのカヌー体験などを織り込んでエコツーリズムを展開する業
者が存在する。しかし近年のオーバーユースによりとくに頂上部の荒廃が激しく、
大宜味村は山頂部を立入禁止にした。登山路の浸食も激しく、とくに雨天時の入
山による影響が大きい。そこで、利用ルールの申し合わせ、入山者数の無人計測
の実施、荒廃状況のモニタリング、浸食部の現地資材を活用した修復などが試行
された。しかし、モデル事業終了後にモニタリングや修復事業を継続的に実施す
る組織やその費用負担については、明確な提案がなされるところにまでは至らな
かった。
玉辻山から見た玉辻小
荒廃した頂上部
山頂部立入禁止の立て札
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ガリ浸食
タイヤ痕
複線化
現地資材を
活用した V 字谷の修復
荒廃状況のモニタリング
琉球竹を利用した補修
■仲間川
先に玉辻山のところで触れたように、西表島には日本で最初に設立された西表
島エコツーリズム協会がある。まず同協会のホームページから協会設立の経緯を
みてみよう。
沖縄の本土復帰当時、八重山は開発の圧力の中にあり、土地は買収され、観光
開発も盛んに行われた。「このままでは島が失われる」と危機感を感じた島の青
年たちと研究者が、1975 年に「西表をほりおこす会」を結成し、島おこし運動を
始めた。その中で提案されたのが、島の自然や文化を保全しつつ、それらを生か
した観光、すなわち今でいうエコツーリズムだった。以後、15 年余り地道な活動
が続けられ、1991 年には、環境庁によってエコツーリズム資源調査が行われた。
その成果をもとに「ヤマナ・カーラ・スナ・ピトゥー西表島エコツーリズムガイ
「西表をほりおこす会」の有志や、
ドブック」が 1994 年に完成する。それを契機に、
当時の「竹富町観光協会青年部」のメンバーが中心となって「西表島エコツーリ
ズム協会設立準備会」を結成し、以後多くの島民を巻き込みながら、2 年間の勉
強期間を経て、1996 年 5 月 15 日に協会設立の運びとなった。復帰から四半世紀
をかけて、西表島は、自らの手で島を守り発展させていく活動を続けてきたので
ある。そしてさらに 2010 年 3 月、さらなる活動の展開をめざし、特定非営利活
動法人格を取得、事業内容、規模ともに拡大させ、活動を発展させていこうとし
ている。
仲間川は、西表島で(そして沖縄県で)最大の河川であり、マングローブでの
カヌー体験、サキシマスオウノキ見学、さらには干潟でのシオマネキ観察など、
西表島における最大の観光スポットである。ここで注目されるのは、仲間川地区
で観光事業を営んでいる 5 業者が、マングローブの保護等のために保全・利用ルー
ルを自ら策定したこと、2004 年 6 月に沖縄振興特別措置法に基づく保全利用協定
22
第 1 号として知事の認定を受けたことである。日本エコツーリズム協会は、事業
者自らが策定したルールを自治体が認める本手法は汎用性のある仕組みであると
して、2005 年に第 1 回エコツーリズム大賞の特別賞を授与している。仲間川の保
全利用協定を締結しているこれら 5 業者と西表島エコツーリズム協会は、土砂の
移動やマングローブ幼木の成長、周辺干潟のカニ類分布調査などのモニタリング
調査を実施し、環境の保全と利用に向けたルールと管理ツールをつくり、実践し
てきた。
さて、こうした背景のもとに仲間川をモデル地域として 2006 ~ 2008 年度の 3
カ年にわたって実施された「沖縄県における環境保全型観光促進事業」では、低
潮位での遊覧船運航の制限、仲間川保全利用協定締結 5 業者によるカヌーの利用
総量規制という新たなルールの導入、観光客を巻き込んだ参加型の自然環境モニ
タリングなどが実践され、報告がなされた。低潮位の際の遊覧船運航は、マング
ローブを損傷する恐れがあり制限が必要であるが、それをいかに観光客に理解し
てもらうかがポイントである。黄色く塗ったミーバイ岩が見えたら折り返すとい
う判断基準の「見える化」を行い、入域制限についての説明責任を果たしている。
また、カヌーで干潟観察を行う観光客を対象に、彼らの踏圧がどれだけシオマネ
キの数に影響しているかを観光客自身が調査するという参加型エコツーリズムを
企画している。これもまた、観光客に仲間川の自然の貴重さを理解してもらい、
学んだとの実感をもってもらう上で有益な手法といえよう。
今後の課題としては、仲間川の保全管理のためにモニタリング調査の実施と集
計分析を行う組織の確立、西表の観光事業者は川だけでなく、海や山のガイドも
していることから、地域全体の管理を考えていくことなどがある。
サキシマスオウノキ観察用
のウッドデッキ
マングローブ林観察
カヌー ・ ツアー
折り返し判断基準の
「見える化」
観光客参加型モニタリング
コドラート法による
シオマネキの穴の数の測定
(平成 20 年度「持続可能な観光地づくり支援事業」より)
23
3. 地球温暖化問題と沖縄
はじめにで述べたように、生物多様性の保全と地球温暖化の防止は、沖縄の観
光産業の持続可能な発展にとって死活的に重要である。そこでこの節では、地球
温暖化問題が沖縄の観光産業にもつ意味を明らかにする。
まず、沖縄では地球温暖化が現実の問題であることを明らかにしておく。長崎
海洋気象台によれば、那覇の熱帯夜(最低気温 25 度以上の夜)は確実に増加し
ており、75 年間で 37 日増加して 2006 年には 104 日となっている。また温暖化に
より、今後 100 年でさらに 40 日以上増加するとの予測がなされている。
■トリプルパンチに見舞われる沖縄
さて温暖化は海水を膨張させるが、那覇においても確実に海面が上昇してい
。また海水温の上昇は、同時にサンゴの白化を招き、
る(過去 40 年間に 11.8cm)
2008 年 9 月 10 日付け朝日新聞の朝刊が 1 面トップで報じたように、日本最大の
サンゴの海である石西礁湖において、2003 年から 2008 年までの 5 年の間に、な
んと 7 割のサンゴが消失している。台風銀座の沖縄を守っているのは自然の防波
堤であるサンゴ礁であるが、それが今、急速に劣化している。加えて地球温暖化
は、台風の大型化をもたらしている。2005 年にアメリカのルイジアナ州を襲い、
1,700 名を超える死者、100 万人を超える避難民を出す大惨事となったハリケーン
「カトリーナ」
(最低気圧 902hPa、最大風速 78m/s)は我々の記憶に新しい。国連
機関の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、その第 4 次報告で、熱帯低気
圧の中でも大型のカテゴリー 4 と 5 が占める割合が年々増加していることを明ら
かにしている。ルイジアナを襲ったときのハリケーン・カトリーナがカテゴリー
5 である。このように地球温暖化は、海面の上昇、自然の防波堤の劣化、そして
台風の大型化を招くこととなるので、台風銀座の沖縄にとってはまさにトリプル
パンチとなる。
那覇の海面 40 年間に 11.8cm
上昇 (琉球新報 08.07.30)
石西礁湖のサンゴ 5 年で
7 割消失(朝日 08.09.10)
台風の巨大化
(大型の熱低の割合の増加)
IPCC 第 4 次報告
■沖縄で予測される影響
温暖化による沖縄への影響は以上にとどまらない。IPCC は 2100 年までの 100
年間の間に、最大で 59cm の海面の上昇がありうると予測しているが、これだけ
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上昇すれば沖縄の砂浜はほとんど消滅するというのが IPCC に所属する海岸工学
の専門家の予測である。サンゴもまたマングローブもこれだけの急激な海面上昇
にはその成長が追いつかないといわれている。サンゴもマングローブもなく、白
い砂浜の消失した沖縄は観光地としての魅力を大幅に喪失することとなろう。
温暖化はさらに人々の健康に大きな影響をもたらす。すでに多くの人々が実感
しているように熱中症が増加することとなろう。クーラーの使用頻度の増加は電
力使用量を押し上げるが、これは地球温暖化をさらに加速するという悪循環を招
く。またマラリアが沖縄に戻ってくる。加えてお隣の台湾にまで来ているデング
熱が沖縄でも流行ることになろう。マラリアもデング熱も蚊が媒介する伝染病で
ある。さらには、社会基盤への影響も無視できない。海面上昇によって防波堤な
かさ
どの防災施設の機能と安定性が低下するので、堤防の嵩 上げが必要となるが、外
かさ
洋に面した堤防の場合、1m の海面上昇に対し 2.8m の嵩上げが必要と言われてい
る。高齢化が急速に進み、社会福祉予算が膨らまざるを得ない中で、それと競合
するこうしたインフラへの投資を今後の日本社会・沖縄社会はなし得るだろうか。
日本でもそのような疑問がある中、ツバルやモルジブなどの太平洋の島々や、
ガンジス川の低地に世界一の人口密度で人々が暮らしているバングラデッシュな
どの国々では、とうてい対処できず、世界の大きな不安定要因となっていこう。
■温室効果ガスの排出量が急増する沖縄
こうした事態に対処するため、先進諸国は気候変動枠組条約(FCCC)に基づ
き 1997 年 12 月にいわゆる「京都議定書」を取り交わした。日本が国際社会に対
して行った約束は、1990 年を基準年とし、第一約束期間(2008 年~ 2012 年)ま
でに温室効果ガス排出量を 6%減らすというものであった。しかし日本の排出量
は、2000 年には 1990 年の 8% 増しとなってしまったのである。そして沖縄では、
下図に示されるように、この間に何と 31% も増加してしまったのである。
沖縄県の温室効果ガス排出量
90 年代に 31%増加
2010 年を目標年とした
新たな目標も達成できず
沖縄は日本一の肥満県
琉球新報(06.01.25)
このため沖縄県および那覇市は、2000 年度を基準とし、2010 年を目標年とす
る新たな排出量削減目標を定めた。沖縄県の場合は、2010 年までに 2000 年度値
に対して 8.0%を削減、那覇市の場合は、2010 年までに 2000 年度値に対して 9.9%
を削減というのがそれである。しかし上図に見られるように、この新たな目標も
25
実現には程遠い状況である(琉球新報 08.12.04)。沖縄には製造業らしい製造業が
ないため、温室効果ガスを一番出しているのは運輸部門であり、とくに自家用車
である。自家用車を使わないでも便利に移動ができる公共交通機関の整備が今後
の大きな課題である。
こうしたことから、沖縄ではモノレールの延伸、LRT の導入など、鉄軌道導入
「鉄
の議論が盛んになされている。内閣府沖縄担当部局の 2010 年度振興予算には、
軌道の可能性を含めた将来の公共交通システムのあり方の調査費」3000 万円が計
上された。戦前の沖縄には、那覇から嘉手納、糸満、与那原までの軽便鉄道があっ
たが、沖縄戦で破壊され、戦後は 27 年間の米国支配で米国型のクルマ社会となっ
た。歩かないことから、沖縄県民は男女ともに他県に比べ段違いで肥満であり、
健康上の大きな問題ともなっている。3・11 の東日本大震災からの復興の必要性
が生じたことにより予算的には厳しい見通しとなってはいるが、本土各県におい
て国が鉄道を整備したように、沖縄においても鉄軌道の整備は国の責務であろう。
■カーボン・オフセット旅行の取り組み
ところで、地球温暖化問題が深刻化し、人々の間にその重要性が認識されるよ
うになると、訪れる手段がほぼ航空機に限定される沖縄は、環境意識の高い市民
から敬遠される恐れがある。とくに離島県沖縄のそのまた離島である八重山にそ
のことが言える。そこで石垣市商工会では 2008 年度に「環境負荷低減国民運動
支援ビジネス推進事業」(石垣エコアイランド推進事業)として、CO2 削減のた
め観光客自らが植林を行うエコツアーを「植樹型カーボンオフセットツアー」と
して売りだしている。
カーボン・オフセットの仕組み
石垣市商工会が 2009 年に打ち出した
カーボン・マイナスツアー
石垣市商工会は、2009 年度にはさらに踏み込み、カーボンマイナスツアー・ハッピー
エイト(エイトは八重山の八を意味する)というのを売りだした。これは、ニュージー
ランド政府から購入した「森林吸収源による排出枠」を小口化して旅行者に割り当て、
旅行で排出する CO2 を相殺する(カーボン・オフセット)とともに、旅行先の石垣
島で植林することで、排出量を「マイナス」にするというものである。これからは、
環境意識が高く、環境保全のためのコストは負担しようという層を対象に、リピー
ターをひきつけるような質の高い観光を提供していくことが重要となろう。
26
■沖縄の食文化・草花の活用
さて、沖縄のあと一つのイメージは長寿県であるということである。沖縄はか
つては男女ともに全国一の長寿であったが、近年は、26 ショックといわれるよう
に男性は全国 47 都道府県の中で 26 位にまで低落した。沖縄の伝統野菜(ゴーヤー
やナーベラー、ハンダマーなど)の消費を拡大し、県民自身の健康増進を図ると
ともに、沖縄の伝統食を沖縄観光の魅力の一つにまで高めていく必要がある。日
本は食糧自給率(カロリーベース)が 40%と先進国の中でも極めて低く、他国か
らの大量の食糧輸入はいわゆるフード・マイレージを増加させ、温暖化につながっ
ている。地産地消が重要である。この点沖縄は、自給率が 27%とさらに低く問題
である。
下図に見るように夏場の県外産野菜の比率が高く、地元の一次産業振興の観点
からも問題である。これは夏場の生育に適した野菜が少ないことに原因があるこ
とから、沖縄大学では近隣諸国において候補となる野菜を探し、中国の油麦菜が
おきだいな
適切と判断し、種の導入を行った。これは今、「沖 大菜」という名称で知られつ
つある。
また、県民が日々暮らすまちそのものを緑豊かなまちに変えていくことも重要
である。沖縄県では北部のやんばるの森を伐って次々にダムをつくり、南部の都
市部に送っているが、これ以上のダム建設はやめるべきである。小さなサイクル
の雨水利用を促進し、川に流さずトイレの雑用水等に利用し、余った雨水を地下
に還元していけば、地下水位は上昇し街は涼しくなる。そこにハイビスカス、ブー
ゲンビリア、ジャスミン、サガリバナ等の沖縄ならではの樹木や花々によるまち
ぐるみの緑化を進めていけば、まち全体が人々の暮らしやすいまちになる。それ
は同時に、訪れた観光客にとってまちそのものが魅力あふれる街となるのである。
まさに「住んでよし、訪れてよしのまちづくり」である。首里城や国際通りなど
いくつかのスポットだけが魅力という現在の那覇を克服することが重要だ。
夏場は県外産の野菜が主
沖大菜の栽培
夜開花するサガリバナ
4 生物多様性と沖縄観光の未来
地球上には、1 千万種~ 3 千万種の多様な生き物(動植物)が生息していると
考えられているが、近年、たった 1 種の生物ヒトによって、地球上のその他の生
物種が急速に絶滅しており、絶滅速度は今や年に 4 万種といわれている。
27
● 約 6500 万年前
(恐竜時代)
・・・・・・0.001 種 / 年
● 1600 ~ 1900 年・・・・・・・・・・・0.25 種 / 年
● 1900 ~ 1960 年・・・・・・・・・・・・・1 種 / 年
● 1960 ~ 1975 年・・・・・・・・・・・1000 種 / 年
● 1975 年以降・・・・・・・・・・・・40000 種 / 年
2010 年は国際生物多様性年であり、10 月には名古屋で COP10 が開催された。
これは、このまま推移すれば、生物多様性がもたらす様々な便益(生態系サービ
スと呼ばれる)が損なわれ、人類の存立基盤そのものが脅かされるとの国際社会
全体の危機感に基づくものである。
■やんばるの生物多様性
沖縄は、東洋のガラパゴスとも呼ばれるほど生物相が豊かである。ガラパゴス
は大陸に一度もつながっていたことのない海洋島であるが、沖縄はかつて中国大
陸とつながっていた大陸島である(南北大東島や小笠原諸島は海洋島である)。
1000 万年前~ 150 万年前の間に大陸とつながったり離れたりを繰り返すうちに、
大陸から渡ってきた動植物が琉球弧のそれぞれの島の環境に適応進化し、狭い地
域に多様な生物相が生まれたのだといわれている。中には、やんばるのヤンバル
クイナ、ノグチゲラ、久米島のクメジマボタルやキクザトサワヘビなどのように
世界にこの島にしかいないという一島一種の生物もある。
ヤンバルクイナ
28
ノグチゲラ
クメジマボタル
前述の通り、環境 NGO のコンサベーション・インターナショナルは、生物多
様性が高く、同時に人間活動による大きな絶滅圧力にさらされている地域として
世界中に 34 ヶ所の生物多様性ホットスポットを選定しているが、日本はコスタ
リカと並びその一つである。その日本の中でもとりわけ生物多様性が高いのが沖
縄のやんばるである。やんばるの面積は全国の 0.1%に過ぎないが、単位面積当
たりの動物種数は全国の 51 倍、維管束植物数は 45 倍以上と言われている。カエ
ルだけ見てみても、全国の種数の 26 %がやんばるに生息している(やんばるに
10 種、全国に 39 種)。
■急速に劣化する沖縄の自然
こうした沖縄の生物多様性は、2010 年 10 月の COP10 が明らかにしたようにそ
れ自体がかけがえのない価値であると同時に、生態系サービスと呼ばれる様々な
便益を地域社会にもたらす。重要な観光資源であるというのはそのうちの一つで
ある。しかしながら沖縄では、多くの公共事業が米軍基地受け入れの見返りとし
て高率補助を受けて実施され、止めどない開発が進んでいる。やんばるの森は保
護するどころか皆伐が進められ、ノグチゲラが営巣できる巨木がなくなり、また
台風時の赤土流出の大きな原因となっている。県アセス条例では、新設林道事業
は「長さが 2km 以上」の場合、アセスが必要となるが、セグメンテーションと呼
ばれる典型的なアセス逃れが横行し、工区 1.99km 以下に細分化し、各部分が複
数年度にわたってコマギレに実施されている。
皆伐されるイタジイの森
林道建設にあがる反対の声 (2)
沖縄タイムス 07.07.20
林道建設
沖縄タイムス 01.12.19
林道建設にあがる反対の声 (1)
沖縄タイムス 07.05.27
沖縄タイムス 02.04.19
29
沖縄観光の魅力は、特色ある歴史や生活文化ももちろんであるが、何といって
も亜熱帯の素晴らしい自然(青い空、碧い海、白い砂浜、海陸の豊かな生物相)
にこそある。グリーンツーリズムやブルーツーリズムを含めた沖縄のエコツーリ
ズムは、この素晴らしい自然なしには成立しえない。その自然資源が、今、地球
温暖化と、無秩序な公共事業による生物多様性の喪失によって急速に劣化してい
る。エコツーリズム先進地のコスタリカに学ぶと同時に、沖縄から全国に発信す
る先進事例をつくりあげていく必要がある。そうした先進事例としては、たとえ
ば、2008 年に施行されたエコツーリズム推進法に基づき、渡嘉敷村と座間味村と
からなる慶良間諸島の周辺海域で 2010 年から実施されることとなったダイバー
の立ち入り人数の制限がある。沖縄における海の生物多様性保全の試みの一つで
ある。こうした試みを地道に積み重ねていくことにより、沖縄における環境保全
型観光の可能性を切り開いていくことが求められる。
慶良間におけるエコツーリズム推進法
に基づく「総量規制」の取組
(琉球新報 2009 年 10 月 6 日)
30
設問
設問1 現時点での那覇観光で魅力ある場所は、首里城、識名園、国際通り、
公設市場、壺屋、漫湖など点でしかない。これを線へ、さらには面に
まで発展させていくあなたの長期戦略を「住んでよし、訪れてよしの
まちづくり」というコンセプトに沿って展開せよ。
設問2 知床、白神山地、屋久島に次いで小笠原諸島が日本で 4 番目の世界自然
遺産として登録された。やんばるの亜熱帯の森は、世界自然遺産登録に値
するといわれているが、米軍の北部訓練場の存在により、日本の自然保護
の法的な担保がないことが登録の際の障害になっている。他方、フィリピ
ンのルソン島では、熱帯林の伐採が日本企業などの手で進み、残っている
のはかつて米軍基地があったスービックなどだけであるといわれている。
やんばるの場合にも、米軍基地の存在が無秩序な林道建設への歯止めと
なっているのではとの声もある。こうした点を踏まえつつ、やんばるを世
界自然遺産として登録するためのあなたのシナリオを提起せよ。
設問3 観光はイメージ産業である。在日米軍基地の 74%が集中するといわれる
沖縄では、基地と観光が共存できるのかという大きな矛盾がある。この
ため沖縄は、9.11 の米同時多発テロ事件の風評被害を受け、観光客減、
そして客単価切り下げによる観光収入大幅減が生じた。このため「いこ
うよ!おいでよ!沖縄」、「だいじょうぶさぁ~沖縄」などのキャンペー
ンが展開されたが、問題の本質的な解決とはなっていない。エコツーリ
ズム発祥の地といわれるコスタリカのモンテベルデが、平和憲法にひか
れて米国のクエーカー教徒が入植したことからその歴史が始まったのと
対照的である。あなたの基地と観光の共存のシナリオ、あるいは矛盾脱
却のシナリオを提起せよ。
用語解説(ウィキペディア・フリー百科事典等から引用)
1. エコツーリズム
エコツーリズム(ecotourism)とは、自然環境の他、文化・歴史等を観
光の対象としながら、その持続可能性を考慮するツーリズム(旅行、リク
リエーションのあり方)
のことである。エコツーリズムを具体化したツアー
をエコツアーと呼ぶ。またツアーにおける情報提供をガイダンス(インター
プリテーション)という。
2. 生物多様性ホットスポット
生物多様性ホットスポット(Biodiversity hotspot)とは、地球規模で
の生物多様性が高いにも関わらず、人類による破壊の危機に瀕している地域。
3. ハンバーガーコネクション
多国籍企業が熱帯林(とくに中南米)を切り開いて放牧を行い、ハンバー
31
ガー用の安い牛肉を生産し、アメリカ合衆国などに輸出すること。 生物多
様性が高いにも関わらず、人類による破壊の危機に瀕している地域。
4. サンゴの白化現象
サンゴの白化現象とは、造礁サンゴが共生藻を失って、透明なサンゴ組
織を通して白い骨格が透けて見え、白くなる現象である。白化したすぐ後
はサンゴは生きているが、白化した状態が長く続くと、サンゴは共生藻か
らの光合成生産物を受け取ることができなくなり死ぬ。
5. エコツーリズム推進法
地域の自然環境の保全に配慮しつつ、
地域の創意工夫を生かした「エコツー
リズム」を推進するため、2007 年 6 月 20 日に、超党派の議員立法として
可決成立した法律。以下の 4 つの具体的な推進方策を定め、エコツーリズム
を通じた自然環境の保全、観光振興、地域振興、環境教育の推進を図るもの
である。
(1)政府による基本方針の策定
(2)地域の関係者によるエコツーリズム推進協議会の設置
(3)地域のエコツーリズム推進方策の策定
(4)地域の自然観光資源の保全
主務大臣は、環境大臣、国土交通大臣、農林水産大臣、文部科学大臣。
政府はエコツーリズム推進のための基本方針を作成し、市町村は地域ごと
の全体構想を作成して主務大臣の認定を申請することができる。法施行は
2008 年 4 月 1 日。
6. フード・マイレージ
フード・マイレージ (food mileage) は、「食料の ( = food) 輸送距離 (
= mileage) 」という意味であり、食料の輸送量と輸送距離を定量的に把握
することを目的とした、指標ないし考え方である。食糧の輸送に伴い排出
される二酸化炭素が、地球環境に与える負荷に着目したものである。食品
の生産地と消費地が近ければフード・マイレージは小さくなり、遠くから
食料を運んでくると大きくなる。
7. 生態系サービス
人類は、生態系によって提供される多くの資源とプロセスから利益を得
ている。このような利益は、まとめて生態系サービスと呼ばれており、次
の 5 つの種類に分割することができる。
●(供給)食品や水といったものの生産・提供
●(調整)気候などの制御・調節
●(文化)レクリエーションなど精神的・文化的利益
●(基盤)栄養循環や光合成による酸素の供給
●(保全)多様性を維持し、不慮の出来事から環境を保全すること
32
(ワークショップ)
ふだんの くらしの しあわせ
西尾 敦史 沖縄大学人文学部
福祉文化学科准教授
■ はじめに
「社会福祉」を仕事にしている、あるいは勉強しているというと、「えらいね」
とか「大変だね」とか言われることがある。なぜだろう。
なにかとくべつに立派な人、奇特な人がやっているのが「福祉」だというイ
メージがあるのだろうか。
「私にはとてもできないけれど、誰かが高い志でやっ
てくれる、それはありがたい」と感じている人もいるはず。それは身近ではない、
遠い福祉のイメージ、「他人事」の福祉といえる。遠くにあって閉鎖的な「施設」
のイメージがあるのかもしれないし、福祉に救貧・救済という概念が付随してい
るせいなのかもしれない。アメリカでも“welfare”は生活保護をイメージさせる
言葉だという。こうした「福祉」にまつわる救貧的イメージが歴史的に生成され
てきたものであれば、新しい社会の文脈の中で、「福祉」のあり方が変わってい
くことも、また創りだしていくこともできるはずだ。
福祉は、本来「しあわせ」を意味する。漢字を分解すると、「福」はラッキー・
幸運で、それが「祉」
、示すへん=神さまのいる場所に、止=とどまる、ことを
意味するから、しあわせであれという祈り、しあわせがとどまってくれるように
という願いといえる。
そんな中で、近年「福祉」を「ふだんの くらしの しあわせ」ととらえ、身
近なしあわせから、福祉をとらえなおそうという動きが広がってきた。そこで、
遠くの出来事ではなくて、
まさに私(たち)の日常的な生活の中で感じられる「し
あわせ」を見つめることからはじめてみよう。
33
1. ふだんのくらしのしあわせダイヤグラム
つぎのワークに取り組んでみよう。
1)まず、私が感じる「ふくし」(ふだんのくらしのしあわせ)を挙げてみてほしい。
2)その中でのベスト6を挙げて、6か所の箱の中に記入してほしい。単語でも短
文でもかまわない。
3)その6つのワード(指標)について、今の私が感じている「ふくし度」(しあわ
せ度)を記入してみてほしい。「とってもしあわせ」だと感じるものは、ダイヤ
グラムの一番外側で 10 点、「そこそこしあわせ」の場合は、たとえば 5 点だと
すると中間点あたりに、「あまりしあわせを感じられていない」場合は、中心点
に近い場所、1 ~ 2 点という具合に。
4)つぎに6つの点をつなげてみてほしい。どんな形になっただろう。これが「ダ
イヤグラム」。
5)感想をシェアしてみよう。ダイヤのカタチも大きさも一人ひとり違うはず。
図 1 ふくし(ふだんのくらしのしあわせ)のダイヤグラム
感想を書いて、シェア(共有)してみよう。
34
さて、あなたの「ふだんのくらしのしあわせ」には、どんな項目が挙がって、
そのカタチは、大きさはどうなっただろうか。隣や前後の学生と交換してみてほ
しい。自分のしあわせと他の学生のしあわせは、同じだろうか、違うだろうか、
共通の項目はどのくらいあるだろうか。
どんな「ふくし」項目が多いのか気になるところだが、図 2 は、ある授業でワー
クを行った際の学生(19 歳から 20 歳前後)の回答をまとめたものだ。
「睡眠」がトップになっている。これは意外な感じがする回答だ。バイトや授
業で十分睡眠時間がとれていないことが反映しているのかもしれない。第 2 位以
降は、
「食事」
「家族」
「友人」
「お金」
「遊ぶこと」
「恋愛」などと続く。これらのワー
ドをみると、一人(個人)で感じられるものもないこともないが、やはり他者と
のかかわりの中でしあわせを感じているのではないかということがわかる。「友
人」や「恋愛」はそもそも他者がいなければ成立しない。
睡眠、つまり寝るときは、誰も基本的には一人である。しかし、しあわせな睡
眠をイメージするとき、そこには、安全で、安心して、ぐっすり眠れる快適な環
境が必要条件であることは確かである。私たちは、やはり人や環境とのかかわり
の中で「しあわせ」を感じているといえるかもしれない。
もう一つ気づかされることは、しあわせが非常に多様であること、個人によっ
てしあわせを感じる時間も場面もそのしあわせ度も違うということである。しあ
わせが異なれば、その実現の方法も、支援の仕方も多様にならざるをえない。
図 2 「ふだんのくらしのしあわせ」ワークで挙がった回答項目
(西尾、U 短期大学、2005 年、対象学生 123 人)
このことは、とくに近年の福祉が画一的なサービスではなく、個別性に基づく
支援、そして個人の尊厳が重視されるようになったこととも関連している。国民
の最低限度の生活水準を保障する憲法第 25 条の「生存権」だけでなく、一人ひ
とり異なるしあわせを求める権利、
憲法第 13 条の「幸福追求に対する国民の権利」
が尊重されるようになってきたこととも関連している。
35
2.生活機能が下がってしまった
つぎに、私の「生活機能」が下がってしまう出来事が起きたと想定してみよう。
(例:交通事故で身体障害となる、高齢になり認知症になる、子どもが生まれて
子育て中(ゼロ歳)など、自分で状況を考えてほしい。)
そうなったときに、自分の「ふくし度」はどうなっているだろうか。自分なり
に想像してみて、その点を書き入れ、また線でつなげてみてほしい。ダイヤグラ
ムには、二つのダイヤが描かれているはずだ。そのダイヤのカタチは、どのよう
に変化しただろうか。さっきの「ふくし度」より、大きくなっただろうか、小さ
くなっただろうか。
生活機能の低下に伴った
「ふくし度」
の変化について、
大きくなった指標
(+)
、
小さ
くなった指標
(-)
をそれぞれ挙げてほしい。
大きくなった指標(+)
小さくなった指標(-)
それはなぜだろう。
どうしたらいい?私だったらどうするだろうか。
生活機能が低下することによって、「ふくし度」も低下するのが当たり前のよ
うに思われる。ワークの「どうしたらいい?」という問いは、やや抽象的である
が、低下した「ふくし度」をどうやって回復したらいいか、生活機能が低下した
状態であっても、しあわせを高めていくことはできないか、という視点で考えて
みるとよい。それは、自分の力でやるのか、家族や友人の手を借りるのか、それ
とも社会サービスや制度を活用するのか、いろいろな手立てがあると思われるが、
自由な発想で考えてみてほしい。
36
表1 生活機能の低下に伴う「ふくし」度の変化 (授業の学生の感想の一部)
+(高くなったもの)
(指標)
すいみん 一人の時間 本
部屋の掃除 音楽 太陽
いきつけのラーメン屋に行く
金曜の夜ごはんを食べる 星空がきれいに見えたとき
家族 健康への意識
-(低くなったもの)
(指標)
買い物 写真を撮る ドライブ
車窓の景色を味わう お酒
風呂 まったり 音楽 映画
バイク 車 おしゃべり 親友に会う 体調 格闘技
(その理由)
(その理由)
寝る時間が増える。
障害により行動範囲が狭くなる。
ひまな時間が増える。
外出が困難になる。
障害になってしまったショックで家
金銭的にも苦しい。収入がなくなる。
そういう気分になれない。
に引きこもり、寝ること、
ライブに行けなくなる。
日なたぼっこにしあわせを感じそう。
より手軽にできることへ傾倒するよ
うになる。
(西尾、U 短期大学、2005 年、対象学生 123 人)
一方で、ふくし度が高くなった項目(指標)はなかっただろうか。生活機能の
低下によってしあわせ度が高まるというのはどういうことだろう。不思議な感じ
がするが、そこに何か大切なものがあるような感じがしないだろうか。ある学生
は「価値観が変わる」と言った。「生活機能が下がったら(障がいをもったら)、
6項目のしあわせの項目も変わってしまうはずだ」
という学生もいた。
「いやいや、
障がいをもったからといって、変わってしまうのはおかしい、よくない」と考え
る人もいた。
この議論で面白いのは、
私自身の生活の中の「ふくし」を考えていくことで「価
値」とその変化、転換に気づかされるということである。これは、幸福度という
ものを考える際にも示唆的である。そこには、価値の変容、人間が生きる価値へ
の問いかけがある。
つぎに、
「どうしたらいい?」という質問に対して学生が考えたアイディアの
いくつかの紹介しておきたい。
○がまんする。自然のなりゆきだからどうしようもない。子どもが大きくな
るのを待つ。
(受容)
○頑張る。積極的に自分で行動できるように車いすを動かす練習をする。で
きないことをできるようにする。
(努力・リハビリ)
○「生きている」ということを感じて生きる。新しい趣味をつくる。新しい
自分の自信につながるものを見つける。当たり前のことを幸せと感じられ
る感受性を培う。価値観を変えればいい。こんな生き方がノーマルになれ
ばいい。
(価値の転換)
37
○地域や公が支えていければいい。みんなで協力していくといい。 家族と育児
を共同していけばマイナスにならない。だんなと交代で子育てする。(共同)
○他人に頼る。ストレスをためないで、両親に相談したり自分なりの発散を見
つけること。できるだけ周りの人を頼って一人ですべてをやろうとしない。
自分の親に見てもらう。(関係づくり)
○バリアフリーを発展。家のリフォーム。車いすでも出かけやすい環境に。
カラオケが車いすでも入れるといい。社会の偏見がなくなればいい。
(環境)
○バリアフリーのお店の情報がわかればいい。赤ちゃんと一緒に楽しめるよ
うな食事・ショッピングができたらいい。子育て中の母親たちとコミュニ
ケーションをとっていろいろな情報を収集する。(情報)
○行きたいところへの送迎サービスがあればいい。介助してくれる人と一緒
に行く。周りに助けを求める。一日だけ子どもを預けられる施設をつくる。
(サービス)
○お互いに話すことを大切にしていく。お互いに頼り合って仲を深めていく。
仲間を見つける。同じ障害をもった人を見つけて友達になる。
(仲間・ピア)
社会福祉では、こまっていること=「必要」に対して、助けになるもののこと
を「資源」という。資源には、
「自助」「共助」「公助」の領域があり、社会政策
的には、それらは「家族」「市場」
「社会的ネットワーク」「国家(政府)」などの
分野に分類することができる。
「受容」「努力」や「価値の転換」は、自助の意識レベルの問題ではあるが、社
会とも相互に関連している。価値は自分だけで形成することができないからだ。
「リ
ハビリ」も自助領域が中心ではあるが、やはり、周りの支援や制度は必要になる。
「仲
間・ピア」は、別の言葉でいえば、
「自助グループ」あるいは「セルフヘルプグループ」
の機能である。より自助的ではあるが、同じ立場、境遇の仲間の存在は共助的で
もある。こうしたピアが相互にもつ援助の力に注目し、その力を高めていくことを、
ソーシャルワークでは「エンパワメント支援」として重視するようになってきて
いる。それ以外の「サービス」や「情報」などは「共助」から「公助」の領域に
広がっており、このような分類で支援のあり方を考えることは、福祉というもの
を多面的に、また立体的に、さらには政策的に理解することに役立つのである。
3.ICF(国際生活機能分類)
先ほどのワークで「障がい」ではなく、「生活機能」という用語を使ったのに
は理由(わけ)がある。
それは、「障がい」をすべての人に共通の経験としてとらえる必要があるため
であり、WHO による障がいの定義が改定されたことが背景にある。2001 年に改
定されたその定義を ICF という。
ICF(International Classification of Functioning,Disability and Health)は、WHO
(世界保健機構)が 2001 年 5 月の総会において採択した人間の生活機能と障がい
38
に関する分類である。
1980 年にまとめられた定義 ICIDH(International Classification of Impairments,
Disabilities and Handicaps)は、多様な障がいを「機能障害」(impairment)、「能力
「社会的不利」
(handicap)という3つのレベルに整理して把握
障害」
(disability)、
する役割を果たしてきた。しかし、この分類の欠点は、図 3 のように矢印が一方
向で、機能障害が能力障害を引き起こし、それによって社会的不利を被るという
ようなマイナスの連鎖だけを想定させることから、根本的な見直しが求められて
きたのである。
図 3 1980 年の WHO による障害定義(ICIDH)
改訂された ICF の第一の特徴は、ICIDH が「障害」をマイナス面から分類す
るという考え方が中心であったのに対し、それをプラス面から肯定的にみる視点
に転換したことである。従来の「機能障害」、「能力障害」、「社会的不利」という
「活動」(activity)、
分類は、人間の「心身機能・構造」
(body functions & structure)、
「参加」
(participation)という用語に置き換えられ、それらの次元のすべてを包括
する用語として「生活機能」
(functioning)という全く新しい概念を登場させた。
「健康状態」(health conditions) に変わっ
また、
「疾病」
(deceases)であったものが、
た。これは「健康状態」は「疾病」を含むという考え方であり、同様に「生活機能」
も「障害」をその中に含んでいるという考え方を基盤にしている。
このような転換は、障害者というと障害しかもっていない、患者というと病気
しかもっていないのではなく、「すべての人間は、健康の衰退を経験しており、
それゆえ、なんらかの障害を経験している。障害とは特定のマイノリティに起こ
ることではなく、ICF は、障害の経験をメインストリームとして、また普遍的な
人間の経験ととらえる」のであり、
「ICF は、障害のある人だけに関するものと
の誤解が広まっているが、ICF は、すべての人に関する分類」といえる。
ICF の第二の特徴は、生活機能に対しては、個人のもつ特徴とともに、環境の
影響が大きいとの認識に立って、新たに背景因子(contextual factors)を加えた点
である。この背景因子は、環境因子(environmental factors)と個人因子(personal
factors)から構成されており、環境因子には、支援機器、家族などの人的環境、
社会の意識や態度、法制度や医療・福祉・教育などのサービスが含まれている。
第三には、批判が多かった機能障害→能力障害→社会的不利という一方向的関係
について再検討が加えられ、人間の生活機能と障がいが、健康状態と背景因子に影
39
図 ICF の基本的な概念 (WHO、2001 年)
響される各構成要素 (components) 間において、図 4 のように、すべての要素が他
のすべてと関係しあうという相互作用のモデルとして説明されている点である。
背景因子の評価においては、
「促進因子」(facilitators)と「阻害因子」(barriers)
という、プラスとマイナスの両面から評価し、それが「生活機能」と相互に関係
しあう作用として理解される。その具体例として「視覚障害者のための凸凹舗装
がなされていない場所で舗道の縁石をカットして段差をなくすことは、車いす使
用者にとっては促進因子としてコード化されるが、視覚障害者にとっては阻害因
子としてコード化されることになる」例などが挙げられる。
第四の特徴は、人間の生きている次元を3つの側面に分類したことである。「心
「活動」
(activity)、
「参加」
(participation)
身機能・構造」
(body functions & structure)、
という3つの領域は、それぞれ人間の「生物レベル」(biological)「個人レベル」
(individual)「社会レベル」(social) の3つの次元に対応している。これは、人間の
生活領域を分割してみるということではなく、3つの次元を統合して評価する視
点であり、従来、対立のあった「医学モデル」と「社会モデル」との統合を目指
しているためである。
「医学モデル」の方は障害という現象を個人の問題ととらえ、
専門職による個別的な治療を必要とする対象とみるが、「社会モデル」では、障
害を社会によってつくられた問題とみなし、基本的に障害のある人の社会への完
全な統合の問題としてみる、という根本的な違いがあるのである。
このように、ICF の分類の特徴を学んでくると、ICF は、しあわせを理解する
際にも、それを阻害する要因や、実現する手助け(資源)を理解する際にも役立
つ概念であることがわかる。
40
4.小確幸
エーリッヒ・フロムは、
「生きるということ」
(1977)の中でつぎのように書いている。
人間には両方の傾向が存在する。一方は持つ―所有する―傾向であって、
その強さの根拠は究極的には生存への欲求という生物学的要因にある。他
方はある―分かち合い、与え、犠牲を払う―傾向であって、その強さの根
拠は人間存在の独特の条件と、他人と一体となることによって孤立を克服
しようとする生来の欲求にある。すべての人間の中にこの二つの矛盾した
努力が存在するので、社会構造、すなわち社会の価値と規範が、この二つ
のいずれが優位となるかを決定することになる。
本の原題は、
“To have or to be?”であり、わかりやすく二者択一の命題、つま
り持つこととあること、どちらを人間存在の基盤にするかと問うているのである。
さて、自分自身の欲求について考えてみてほしい。
「持つ~所有する」
欲求には何があるだろう。あなたは何を所有したいと考えているだろうか。
もう一つの欲求、「ある~分かち合う」欲求には何があるだろう。自分はどうありたい
と願っているだろうか。また、だれかと分かち合いたいことはあるだろうか。
この人間の存在様式としあわせとは、どのように関係しているのか、考えるこ
とは興味深いテーマである。より多く所有していることが、しあわせなのか、そ
れともよりよくあること、分かち合うことがしあわせにつながるのだろうか。
先ほどのダイヤグラムで考えたしあわせ項目はどうだろう。あなたのしあわせ
はどちらにより多く関係しているだろうか。挙がった項目をみる限り、「お金」
などの項目を除いて、多くは「ある」ことに関係しているのではないか。「恋人」
や「彼氏・彼女」の数を自慢することができても、「食事」も「恋愛」も所有す
ることはできない。よりよく「分かち合う」ことが「ある」こと、自身の存在に
大きなかかわりがあるのである。
41
そんなことを考えていると、村上春樹の「小確幸」が思いだされた。
このことばが最初に登場したのは、「ランゲルハンス島の午後」(1986 年)とい
うエッセイ集の中だ。村上春樹の造語である。小確幸は、「ある」しあわせの一
つの感じ方といえるのではないか。
「引出しの中にきちんと折ってくるくる丸められた綺麗なパンツが沢山詰まっ
ているというのは人生における小さくはあるが確固とした幸せのひとつ(略して
小確幸)ではないかと思うのだが」とある。「おろしたてのコットンの匂いのす
る白い T シャツを頭からかぶるときのあの気持ちもやはり小確幸のひとつであ
る。
」とも書いている。
生活上の身体感覚における快感とでもいうもの、これはもう一つの「ふだんの
くらしのしあわせ」といえる。
「うずまき猫のみつけかた」
(1996 年)には、こんな小確幸も出てくる。
生活の中に個人的な「小確幸」(小さいけれど確かな幸福)を見出すた
めには、多かれ少なかれ自己規制みたいなものが必要とされる。たとえば
我慢して激しく運動した後に飲むきりきりに冷えたビールみたいなもの
で、「うーん、そうだ、これだ」と一人で目を閉じて思わずつぶやいてし
まうような感興、それがなんといっても「小確幸」の醍醐味である。そし
てそういった「小確幸」のない人生なんて、かすかすの砂漠のようなもの
にすぎないと僕は思うのだけれど。
小確幸は、一人で感じる確かな幸せだ。村上春樹の小説の「ぼく」は孤独な青
年であることが多い。しかし、その小説の中には、登場人物が食事する場面が異
常に多いことを内田樹は指摘している。小説の中で、一人での食事は味気なく、
恋人との食事は、とてもおいしそうに描かれている(小説の食事をどれだけ真似
てつくってみたかわからない)。食事というのは、何より他者とともに生きるこ
との基本であることを村上春樹は知悉していて、登場人物のその孤独な生き方は
どこかで他者を強く意識しているのではないかというのである。
私たちが生きていく上で、ふだんのくらしのしあわせ、小確幸を実感して生き
ることは、確かに一つの人生の楽しみ方ではないかと思うが、どうだろうか。
5.宮沢賢治の「ほんとうのさいはひ」
宮沢賢治は、「注文の多い料理店」の序文の中で「これらのちいさなものがた
りの幾きれが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになること」
をねがっていると書いている。宮沢賢治は、人間や動物や石ころや、あらゆる自
然環境と、非常に高い感度で交感することができた天才だったが、その部分が全
体であり、全体が部分であるような感覚は、広大な宇宙のような作品世界にちり
ばめられ、今も現代の私たちを挑発し続けている。
賢治はまた、
「みんなのしあわせ」ということを身体の奥深いところで考え続
けたが、
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と書
42
いたのは今から 85 年ほど前のことだ。
この言葉は、賢治が「生徒にりっぱな農民になれと教えるだけではいけない、
自分も土をたがやし、農民といっしょに苦楽をともにしよう」と、花巻農学校の
ら す ち じ ん
教師を辞めて一人暮らしを始め、
「羅須地人協会」を設立、荒れ地の開墾を始め
たころのこと。冷害に苦しむ農民のために、肥料の相談にのり、芸術を取り入れ
て苦しい労働から解放したいという、たった一人の運動実践を始める決意を記し
た「農民芸術概論綱要」の中にある言葉である。
私は、実はこの言葉はちょっと息苦しい考え方ではないかと思っていた。そこ
まで自己犠牲的にならなくてもいいのではないか、もっと自分自身の幸せを大事
にしていいのではないかと。
しかし、最近の日本(だけでなく世界でも)で起きていることは、賢治のこの
言葉が、理屈ではなく深いところで私たちをとらえているように思えてならない。
ある人は「チムグリサ」と言った。それにとても近いのではないかと感じる。
沖縄大学の学生が、2011 年の 5 月、東日本大震災の直後に岩手県の大槌町に
ボランティアとして出かけたのだが、「募金もしたけど、気持ちがおさまらない」
「心が痛い」
「何かできることはないか」というのが学生たちの切実な思いだった。
そして、
「何か与えられると思って行ったけど、与えたものより与えられたもの
が大きい」
「力になれて自信になって勇気をもらった」「人間のあたたかさ、生
きる強さ、謙虚さを教えられた」という感想、感慨をもって帰ってきた。学生は
出かける前の学生とは明らかに変わっていた。「学ぶということは変わることだ」
と言ったのは林竹二だが、学生たちの身体経験を通した苦しい気持ちは、やはり
賢治が考えた「しあわせ」とつながっているのではないかと思っている。
さて、賢治の童話には、みんなのさいわいのために、自分の命を犠牲にする話
が繰り返し登場する。
「銀河鉄道の夜」では、主人公ジョバンニは旅の終わりを
予感させる、つまり親友のカムパネルラとの苦しい、胸が張り裂けてしまうよう
な永遠の別れを前に、こう語っている。
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一
緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸(さいわい)の
ためならば僕のからだなんか百ぺん灼(や)いてもかまわない。」
「僕もうあんな大きな暗(やみ)の中だってこわくない。きっとみんなのほんと
うのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」
この「さそり」
、というのは、話のすこし前に出てくる。
虫などのいろんな命を食べることで生きていたさそりが、いたちに食べられそう
になったときに、命をすてて、まことのみんなの幸(さいわい)のためにからだ
をおつかいくださいといって、そのからだが、まっ赤なうつくしい火になって燃
えてよるのやみを照らした、というエピソードである。
ここでの「みんなのさいわい」は、
自分のからだを燃やし尽くすほどの自己犠牲、
献身の究極の形としてのみ実現するという考え方である。つねに他者のことを考
43
え続け、そのしあわせのために生きていく、その究極のあり方として自己犠牲も
いとわない、焼身するまでの献身は美しい炎に転化するこのテーマは、「よだか
の星」にも共通してみられるものだ。それは、永遠の別れを目前にした悲しみの
中で、ただ一つの希望となる。
もう一つ、賢治の代表作といわれる童話に「グスコーブドリの伝記」がある。
映画化されて、2012 年 7 月に公開される。この物語は、主人公や内容を書き直し
ながら、10 年もの歳月をかけて書かれ続けたが、それぞれの作品には、その時々
の賢治の生き方が反映している。そして完成した物語には、賢治のサラリーマン
体験が大きく関わっていたという。
主人公、グスコーブドリは、飢饉で家族を失ってしまう。その後、火山局で働
くことになる。そこに異常気象がやってきた。このままでは飢饉になってしまう。
これを防ぐために大気を温めるために、火山を爆発させなければならない、それ
には誰かが犠牲になってボタンを押す必要がある。グスコーブドリは自ら犠牲に
なって国を守る。こんなストーリーである。
最初のころの草稿に賢治は、みんなの犠牲となったブドリを、人びとがほめた
たえ、死んだ後に「みんなはブドリのために喪章をつけた旗を軒につけました」
と書いていた。しかし、賢治はその文を書き直した。それは、書き加えるのでは
なく、その部分を消したのである。ほめられなくてもいいと…。
賢治のいう「さいわい」とは、他者のためを思い、他者のさいわいのために行
動することの見返りとして得られる心の安寧状態といえるのではないか。
このような自己犠牲は、じつはあまり評判がよくない。一方的な献身に、私た
ちはどこか不信感を抱いてしまう。なぜなら、人間社会は基本的にはギブアンド
テイクで成り立っており、貸借のバランスが働くからである。何か贈られれば、
心苦しくなり、お返ししなければ気が済まない。奉仕活動としてのボランティア
に、どことなくうさんくさいイメージがつきまとうのは、ボランティアする側が
何も報酬を得ることがないのに、無償の奉仕を提供することへの根本的な疑いで
ある。一方的な犠牲には、どこか裏の隠された意図が働いているのではないかと
勘ぐってしまう。そこには、戦争への犠牲、奉仕を強制した、強いられた記憶も
影響していることは間違いない。
しかし現代は、マーケットが経済活動のみならず、私たちの生活のあらゆる領
域に浸透し、すべてを金銭価値で判断し、すべての時間を時給換算で考え、損得
勘定で行動することが当然のようになってしまった。こうした感覚が私たちの経
済生活の隅々までを支配している。そのような拡大したマーケット化社会の中で
は、無償の行為はかえって異化される。私たちが感じるしあわせの根底には、や
はり損得勘定では割り切れない人間の古い記憶に根ざす無償の行為があるように
感じられる。
37 年間という短い人生の終わりの数年間、賢治がサラリーマンをしていたこと
はあまり知られていない。東北砕石工場の営業マンとして、石灰などの肥料や建
44
築材料を売り込むセールスの仕事をしていたのである。賢治は花巻の裕福な家の
長男だったから、お金のために働いたのではない。人びとのため、とりわけ一緒
に働いていた労働者のため、その暮らしをよくしたいという思いからであった。
有名な「雨ニモマケズ」は、このサラリーマン時代にいつも携行していた鞄の
中の手帳から偶然発見された。この時期の賢治が、肺結核に苦しみ、一時的に回
復したり、倒れてしまって帰郷するということを繰り返しながら、それでも人の
ために働きたいという強い気持ちが、
「雨ニモマケズ」の、例えば「丈夫ナカラ
ダヲモチ」というところに強くにじみ出て、今も働いている私たちを励まし続け
ているのである。
「東ニ病気ノ子供アレバ 行ツテ看病シテヤリ」にある、「行って」という言葉
には、出かけて必要な人のそばで自分が用いられたいという強い願望が感じられ
るが、この「行って」は、いたたまれず、大震災のボランティアに駆けつけた学
生たちの心のあり方とも強く響き合っている。
そして、
「ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サ
ウイウモノニ ワタシハナリタイ」は、評価や承認のためではなく、まず人びと
のために自分が用いられる、その内面の喜び、しあわせを、確かな手ごたえとして、
きわめて質実にそして切実に表現していて、今もそのような思いを抱いているが、
うまく言葉では表現しきれない私たちの心をとらえ続けて放さないのである。
設問(ワークを振り返って、もう少し考えてみてほしい)
設問1 私の最近の小確幸はなんですか。
(小確幸は 41P を参考に)
設問2 再び、
村上春樹の言葉から。彼はエルサレム賞の授賞式(2009 年)で、
「卵」
(個人)と「壁」
(システム)を対比させて、徹底的に「卵」の側に立つ
と宣言している。そして、
「もし、私たちに勝利への希望がみえること
があるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さら
に魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じるこ
とから生じるものでなければならない」と語っている。
「かけがえのない」
しあわせ、
「魂を互いに交わらせることで得ることのできる」しあわせ、
というものを考えてみてほしい。
設問3 内閣府の「幸福度に関する研究会」に参加している心理学者・内田由紀
子は、日本人は、身近な人(例えば家族など)からの「支え」
「親しみ」
「安
心」が、同じく社会学者・宮本みち子は、
「サークル」「職場や学校」「地域」
などの社会との結びつきが、しあわせにとって重要であると考えている。
あなたが考えたしあわせにより強く関係しているのは、この要素の中の
どれだろう。そして、それはなぜだろう。
45
(参考文献)
エーリッヒ・フロム、
佐野哲郎訳
(1977)
『生きるということ』紀伊國屋書店
『銀河鉄道の夜』岩波書店
宮沢賢治、
谷川徹三編
(2003)
『ランゲルハンス島の午後』新潮社
村上春樹
(1986)
『うずまき猫のみつけ方』新潮社
村上春樹
(1996)
(2008)
『宮澤賢治 あるサラリーマンの生と死』集英社新書
佐藤 竜一
(2007)
『村上春樹にご用心』アルテスパブリッシング
内田 樹
世界保健機構
(WHO)(2001)
『ICF 国際生活機能分類-国際障害分類改定版-』中央法規
46
多文化社会をいきるスリランカ
―スリランカからみた「地域幸福論」―
ディリープ・チャンドララール
Dileep Chandralal
沖縄大学人文学部
国際コミュニケーション学科教授
■ はじめに
―スリランカの民族、言語、宗教―
スリランカは地理的に南アジアといわれる地域に属している。近隣諸国は大国インド、
パキスタン、小さい国ネパール、ブータン、バングラデシュ、スリランカがあり、より
小さい国だとモルディブがある。スリランカはそれらに隣接しているわけではなく、イ
ンドからわずかに離れている島国である。特徴としてあげられるのが「多文化社会」。
これはスリランカに限らず、インドをはじめ南アジア地域全体にいえることである。
スリランカは面積では九州よりやや大きく北海道より小さい国で、人口二千万人の
中に複数の民族、言語が存在している。主な民族として、シンハラ人(74%)、タミル
人(14%)、ムスリム人(7%)で構成される。その他、かつてスリランカはポルトガル、
オランダ、イギリスの植民地になっていたので、ヨーロッパ系の人々も存在する。
それぞれの民族によって言語が異なるが、公用語はシンハラ語とタミル語である。シ
ンハラ語は語系的に北インドから由来した言葉で、インドのヒンディー語に似ている。
それに対してタミル語は南インドから由来した言葉である。スリランカでは、タミル人
およびタミル語を話す人びとは少数派だが、インドではスリランカの全人口よりも多く
の人びとが用いている。また植民地時代にインド、スリランカから世界各国に移住した
人も多数いるので、シンハラ語よりもじつはタミル語のほうが国際的であり、マレーシ
ア、シンガポール、南アフリカなどでもタミル語が使われている。
植民地時代の影響で英語も広く使われている。英語は憲法上「Link language」として、
民族同士のつながりを保つために重要な言語として認められている。場所によっては実
際の公用語が英語であるともいえる。そういう点では、シンハラ語、タミル語だけを話
す人に不利な面もある。
スリランカでは、誰でも一つは宗教をもっている。「あなたの宗教はなんですか」と
問われて答えられない人はいない。宗教をもたないのはおかしいことと考えている。そ
のなかでも約 7 割は仏教徒で、国家的な宗教ともいえる。2 割はヒンズー教、他はカトリッ
ク系とイスラム教の人がいる。
47
1. 多文化社会をいきるスリランカ
スリランカほどの小さい国で、このように多民族、多言語、多宗教をもつのは
いろいろな面でたいへんなことである。たとえば、学校はどの言葉で教育を受け
させるのか。母国語を大切にする意味から、独立してからはシンハラ語あるいは
タミル語で教育を受けることになっている。この二つのなかでどう選ぶかという
と、母国語や家族の言語に応じて学校が分かれている。同じ地域に、シンハラ語
中心の学校とタミル語中心の学校がある。これがスリランカにとって大きな課題
の一つである。
独立と同時にできたスリランカ国旗にも、民族構成があらわれている。一番大
きな四角の中、ライオンが刀をもつ姿で代表されるのはシンハラ民族で、ライオ
ンの伝説から由来している。オレンジ色はタミル民族、緑色はイスラム教を信仰
するムスリム民族である。
ヒンドゥ教の寺院
イスラム教の協会
ヒンドゥ教寺院の建物の上には、ヒンズー教の神様が彫刻されている。スリラ
ンカではふつうは仏教徒の寺院とイスラム教徒の教会は分かれているが、この写
真にあるイスラム教の教会には、イスラム教徒に限らず
他の宗教を信仰する人も拝みにくる。理由には歴史が関
係しており、このような特別な教会がいくつか存在する。
入口には岩があり、タミル語で由来が刻まれている。
これは「スリーパーダ」と呼ばれる有名な山で、スリ
ランカではすべての人びとにとって聖地である。パーダ
とは「足跡」を指し、英語ではアダムスピーク(アダム
の山)という。仏教では、お釈迦様がスリランカを訪れ
たときにこの山を登ったので、岩の上に足跡が残ってい
ると信じられている。またイスラム教ではムハンマドの
48
足跡、ヒンズー教ではシヴァ神の足跡、そしてキリスト教ではアダムの足跡と信
じられている。このようにそれぞれの信仰をもって、ある季節になると多くの人
びとが山に登る。
スリランカはインドの影響を受けて文化を育んできた。しかし島として独立し、
独自の発展もしてきた。北インドから来た王子がシンハラ王朝を建国し、3 世紀
にインドのアショーカ王の息子が島に渡り仏教を伝えた。この 3 世紀頃からス
リランカの社会に変化がみられ、6 世紀にはインドの仏教はほとんどなくなった
が、スリランカではそのまま残っている。その後はずっと王国であったが、15 世
紀からオランダ、ポルトガル、18 世紀からイギリスの植民地におかれた。そして
1948 年に独立国家となった。
独立後にスリランカが直面した大きな課題は、民族問題である。とくにシンハ
ラ民族とタミル民族の間に、国のかたちをどのようにするのか、政治、経済をめ
ぐって対立が起きた。単純にいうと、それぞれの民族が自らにもっと権利を与え
てほしいという運動がずっと長い間あった。そして、そのような民主的な運動で
はついに自分たちの権利は獲得できないと思った一部の人びとが武装闘争を行っ
た。これが国の軍隊との戦いとなり、民族間の紛争が長年にわたって続いてきた。
3 年前にこの紛争が終結をむかえて、ようやく平和になったところである。
2.スリランカの精神文化と物質文化
これはスリランカのお寺にある「ストゥーパ」という
建築物である。中には入れない。人びとはこの周りを、
経を唱えながら歩き拝む。日本でいうと仏舎利塔のよう
なものといえる。中には、お釈迦様や弟子たちの体の部
分が保管されていると信じられている。その歴史は本に
は記されているが、実際にどのように造られたのか、ま
た中に何が入っているのか誰も確かめることはできな
い。どのお寺にもストゥーパがあり、王朝時代に造られ
た有名なストゥーパも多く残っている。
スリランカの文化を紹介する上でもう一つ重要なのが
「ため池」である。ストゥーパを造るために掘った穴が、ため池として農業に利用
されている。ストゥーパの隣には、どこにもこの写真のようなため池がある。雨が
少なく、また降る季節(モンスーン)も決まっているために、貴重な水源として農
業に利用され大切にされてきた。なかには海
のように大きく、向う岸が見えないため池も
存在する。農業の他にも、飲み水や風呂に利
用されるため池もある。
ストゥーパは精神的なよりどころのシン
ボルとして、一方ため池は経済的成長のシ
ンボルとして互いに関係している。
49
3.寺と僧侶の役割
キャンディの仏歯寺
これはスリランカでは有名なお寺で、日本語では仏歯寺という。お釈迦様の歯
が祀られていると信じられている。このお寺はお坊さんが管理しているが、世話
をする人間が王様になれるとまで考えられていた。スリランカは大統領制だが、
今でも、選挙で選ばれた大統領はまずここにお参りに行く、たいへん崇拝されて
いるお寺である。
この寺では、毎年大きな祭りも催されている。祭りには象が参加して街中をま
わる習慣がある。象に伝わる特別な言葉を扱う人もいる。スリランカにおいて象
は神様のような存在であり、象徴的な存在として崇められている。写真で象の背
中の上に乗せているのは小さい仏舎利塔。子どもが生まれたら、母親が赤子を抱
き寺の象の周囲をまわることで、子どもが元気に育つと信じられている。
一方、象との対立もある。スリランカでは経済発展のためにジャングルがどん
どん伐採され、居場所を失った象が村を徘徊するので、農業を営んでいる人びと
50
との間で対立が起こるようになった。居場所や親を失った象を保護するための孤
児院も造られているが、これは地域の観光資源にもなっている。
このような精神文化の伝統がいきわたっているのは、お坊さんのおかげである。
お釈迦様の誕生が紀元前六世紀頃、スリランカに渡ってきたのは紀元前三世紀で、
現在に至るまで教訓を守ってきた。十世紀までは本が存在しないためお経を全部
覚え、その後の儀式や村の祭りなどでは、その伝統や活動は本を通じて受け継が
れてきた。
スリランカでは 7 歳になると、一定の条件を満たせば小さいお坊さんになれる。
村の人たちによって選び育てられ、勉強と修行をして、その子どもたちはやがて
大きいお坊さんになる。日本のように、お坊さんの子どもがお坊さんになるとい
うことはない。村のリーダーとして大きな尊敬を集め、人びとはお坊さんのいう
ことを聞くため、政治家たちもお坊さんに都合の悪いことは避ける傾向がある。
このお坊さんたちが伝えてきた仏教文学のなかで、「ジャータカ物語」という
のがある。このジャータカ物語は、
もともとは 550 の物語があったといわれている。
今 500 くらいの物語が残されている。ジャータカという言葉は、お釈迦様が何回
も生まれ変わり修行をして、やっとお釈迦様になったという意味である。大乗仏
教のように誰でも仏になれるというのではない。何回も修行を重ねて仏陀になる。
この物語には数々の教訓が入っており、小さい頃からスリランカ人はジャータカ
物語を通して道徳を学んでいく。
■仏教の教え
物語の一つに兎の話「ササ・ジャータカ」がある。昔、お釈迦様は兎として生
まれ変わった。食事の時間になると食べものを探しに行った。鳥が川で魚をとり、
猿は木からマンゴーをとり、兎は草を食べようとしたとき、そこにお客さん(神
様)があらわれた。兎が本当に修行をしているか確かめるためだが、神様の姿で
あらわれると確かめることはできないので、乞食の姿をしてあらわれて兎のとこ
ろへ行き、「何か食べものをください」と頼んだ。兎は、人にものをあげるなら、
自分のえさ(草)をあげるよりもっといいものをあげようと考えた。そこで「火
を熾してください」と頼むと、火に向かって飛んだ。「私の肉を食べてください」。
神様はすぐさま止めて、「私は乞食ではない。たいへん申し訳ないが、あなたの様
子を確かめるために来たのです」と告げた。神様は兎の行動にたいへん感動して、
世界中の人びとにこの兎の姿が見えるように、月に兎の形を描いた。今でも月に
兎を見ることができるのは、この出来事のおかげだとスリランカでは信じている。
この話の教訓として、ものを与えること(布施)は素晴らしい行為だという考
えがいきわたっている。スリランカでは、お寺に食べものをもっていく。また、
お坊さんを家に呼んでご馳走をする。5 月の満月は、スリランカではお釈迦様の
誕生日と信じている。5 月の満月の 3 日間は、街のいたるところでテントを張り、
食事、
果物、
ドリンクなどを誰にでもすべてただでふるまう習慣がある。みなさん、
もし機会があるなら 5 月の満月の日を選んでスリランカへ行ってください。5 月
の満月の日、スリランカではすべて食事はただです。
51
52
WORLD GIVING INDEX, A MAP OF CHARITY
SOURCE: http://filipspagnoli.wordpress.com/2011/02/05/human-rights-maps-118-world-giving-index-a-map-of-charity/
このインデックスは、
「与える」ということに着目して、153 カ国を対象に行っ
た 2010 年の世界調査である。内容として 3 つの基準があり、①お金を与えること、
②人のために時間を与えること、③見知らぬ人をサポートすることである。この
図は結果におけるランキングを示している。円が大きいほどパーセンテージも大
きい。そのなかで 1 位は 2 カ国、オーストラリアとニュージーランドがトップだ。
続いてアイルランド、カナダ、スイス、アメリカ、イギリスである。ほとんど欧
米の国がトップを占めている。アジアの国でトップテンに入るのはスリランカ(8
位)だけ。日本は 119 位である。なぜここまでランクが下がったのだろうか。
世界のODA(政府開発援助)において、発展途上国に対し日本は最も多くの
援助をしている。スリランカのGDP(国内総生産)は低い。つまり、この調査
結果で示される「与える」という行為はお金だけではない。時間を捧げたり、見
知らぬ人を助けたりすることを含む。その意味で、スリランカは欧米と比べても
ランキングの上位に入る。
調査でわかったことは、金持ちの人ほど「与える」行為が多いということでは
ない。このホームページに詳しく書かれているが、「Happier people are more likely
to give money and charity than those people are wellbeing」つまり、幸せな人ほど人
に「与える」ことが多いということだ。人に与えることによって自分が幸せであ
ると感じる。そしてもらった人も幸せになり、今度はその人が与えるという、ポ
ジティブ・サークルになっていく。スリランカについては、このような特別な分
析がなされている。この幸福感は仏教の教えによるものであろう。
左の方はスリランカでは誰でも知っているアーリヤラトネ氏である。1958 年、
世界でまだNGO(非政府組織)という言葉が知られていない時代に、「サルボ
ダヤ」という団体を設立した。このNGO団体は、お金の代わりに労働力を「与
える」ことで、貧しい村で人びとを助ける運動を行った。
右の方は、私の先生でもあり隣村のリーダーである。この村は非常に貧しい村
で、沖縄の陶芸(やちむん)をスリランカにもっていき、その村の発展に努めよ
うということを現在話し合っている。まだ実現はしていないが、この計画につい
て村人たちに説明しているときの写真である。その村には水道もないため、沖縄
にあるNPO団体アジアチャイルドサポートが、水道設備のために助成金を出し、
村人たちが工事を行った。
53
■アイバンク
訳すと「目の銀行」であるが、スリランカでは、自分の目を盲目の人に与えよ
うと生前にサインをする。自分が亡くなったときに人に与える。世界中に、スリ
ランカ人の目の移植を受けた人がいる。スリランカでは、体の部分を与えること
はごく普通である。お釈迦様も生前は、体の部分を与えたとジャータカ物語で語
り継がれている。この影響もあり、与えることにおいて一番立派なのは体の部分
だといわれている。
これには因果応報の考え方、仏教やヒンズー教では生まれ変わるということを
信じているので、今度生まれ変わるときはもっと幸せになるようにという信仰も
あるだろう。
「本願」と「神霊信仰」という二つの信仰があるが、一つは自分が救われるよ
うな修行をする、つまりできるだけお釈迦様が歩んだ道に近づけるようにという
こと。もう一つは神様を尊ぶこと。いろんな宗教があるが、それぞれの神様を尊
ぶことを通じた多くの祭りがスリランカにもある。
■プージャPuja
(供養)の意味
プージャの意味は「捧げる」ということで、自分より上の人に捧げるほど望ま
しい。たとえば、お坊さんやお釈迦様に捧げることをプージャという。お金では
なく花を捧げることもあれば、果物など最初に収穫したものをお寺に捧げること
もある。その後に自分で口にする。
また、プージャは皆で行う。どんなに貧しい人でも、誰か亡くなったときには
家にお坊さんを呼んでご馳走をするが、これは一人ではできない。親戚だけでな
く村の人皆が協力し合う。
英語の文を一つ引用したい。最近読んだスリランカの小説の一節である。
The waiter was back quickly.
The folder was once again placed before them. Inside were two notes – a thousand
and a five hundred.
Both Mala and Ramya looked at the boy.“Some mistake. You have bought the
money back.”
“No… No… No mistake”. The waiter lowered his eyes and trying not to draw
attention to himself, spoke softly.
“I had two sisters. They worked in a garment factory. One was killed – raped and
killed – three years ago. She was walking alone in the night to her boarding in
Katunayake. The other eloped with a bus driver. I don’t know where she is. Take
this money back. Please think of the meal as a gift… from a brother…”
二人の女性がスリランカのピザハットに行った。二人の女性の職業は裕福な家
の人の介護である。会社は儲けているが、従業員である二人はわずかな給料し
かない。メニューを見ると、一つのピザが彼女たちの給料の 20 倍くらいもする。
54
値段が高いのでどうしようかと迷ったが、
「今日くらいは」と考え注文をした。
そして会計のとき、1200 ルピーとチップをウエイターに渡した。彼がお釣りをもっ
てきたが、彼女らが渡したお金がすべて戻ってきた。間違いだと思い聞くと、ウ
エイターは「ノー・ミステイク」と言う。
じつはウエイターには、服工場で働いていた二人のお姉さんがいた。一人は夜
道を歩いているときにレイプされて殺された。もう一人はバス運転手と駆け落ち
した。姉はもう二人とも家におらず、
彼は寂しい。
「お金は取っておいてください。
この食事は兄弟からのギフトと思ってください」と彼は言った。
私はこの小説を読んだとき、「あり得るだろうか?」と自問した。そして、スリ
ランカでは「あり得る」と思った。私は長く日本に住んでいるので、ときどきこ
のようなことを疑うことがある。考えてみたらスリランカではよくある話である。
4.スリランカ社会
スリランカで一番大事なことは、人とのつながりである。村の生活、子育て、
病気にかかったときの支援など、政府よりも人びとが協力し合う。スリランカで
は病気にかかると、多くの人が見舞いに来る。スリランカに住んでいる友人の話
では、入院すると次々と人が見舞いにくるので休むことができないという。私の
弟が入院したとき、入院の話を聞いた村の人たちはバスをチャーターして弟の見
舞いに行った。スリランカではこれは普通のことである。
働き方も日本とスリランカでは違う。よく経済が成り立っているなと不思議な
ほど、スリランカ人は働かない。8 時間働くことは決まっているが、出勤時間は
だいたい 10 時くらいになる。10 時 30 分になると、会社でも役所でもお茶の時間、
3 時になるとまたお茶の時間である。夕方 4 時頃になるとシャッ
昼食時間は 1 時間、
ターを下ろす。帰宅が夜の 6 時、7 時になるのは遅いほうで、9 時になるまで働
く人などはいない。それでも経済が循環している。
またスリランカ人は話し好きである。日本人なら眉をしかめるかもしれないが、
仕事をしながらでもおしゃべりをする。話し好きのスリランカ人は元気だ。どこ
でもよくしゃべる。おしゃべりによって癒され、いろんな問題が解決されると思
う。真面目に働くのではなく、お客さんや知らない人とでも冗談を交わしながら
働くことを好む。効率さよりもむしろ、皆で協力し合って働く。
幸福感には宗教も大きく絡んでいるが、その宗教行事も一人ではできない。社
会的行事を行うためには、皆に協力してもらう必要がある。こじんまりした生活
は、スリランカでは難しい。なかには迷惑と思う人もいるかもしれないが、スリ
ランカではこのような生活の仕方である。
55
5.沖縄スリランカ友好協会について
昨年の7月に、
「沖縄スリランカ友好協会」が発足した。目的は、スリランカ
と沖縄を考える機会と、お互いの発展につながる交流を目指すことである。発展
途上国であるスリランカと日本の関係においては、与える側と与えられる側、つ
まり援助する側と援助される側の関係が一般的である。私は日本に長く住んでい
て、もうすこし対等な関係づくりができないかと考えた。沖縄の教育機関や行政、
NPO 団体などと連携をとりながら交流事業を発展させていこう。また、同じ島
国として異文化や国境を越えて、互いの伝統、文化を尊重しつつ、共通の社会的
発展を共有しようという目的をもって発足した。
活動は、沖縄とスリランカの文化、自然、歴史などについて勉強会の開催をして
いる。また、スリランカに対する認知度を高めるイベントを開催している。沖縄で
も、日本でも、スリランカでどんな生活をしているのか、何を食べて、どんな言葉
を使っているのかほとんど知られていない。幸いにも日本語を話すことのできるス
リランカ人の私を通して、スリランカの認知度を高めたい。私の他にも、沖縄在住
のスリランカ人大学院生と IT 関係の仕事をしているスリランカ人らとともに交流
イベントを行っている。
この友好協会をつくる一番のきっかけとなったのは、昨年出版した「王への道」
という本だ。これはスリランカの画家による歴史物語の絵本で、王様時代の話であ
る。この本を英語、日本語、シンハラ語の三ヶ国語を使って書いた。これはおそら
く日本で初めてのことだと思う。戦争の話、王様の話、それから王様と庶民の話が
でてくるこの伝説を、日本人とスリランカ人に向けて書いた。
次のようなストーリーである。王様同士が戦いに行く前にお姫様たちに約束を
する。「戦いに勝って戻りますので安心してください」。勝ったら白い旗、負けた
ら黒い旗をあげることになっていた。戦いに勝ったが、役割を任された人は酒に
酔った勢いで黒い旗をあげた。お姫様たちは王様が負けたと思い悲しんで、岩の
上から飛び降りた。この様子を見た王様は、自分だけ生きていても仕方がないと
悲観し自殺した。城に残ったのは一人の赤ちゃんだけである。そこで、庶民の女
性がその赤ちゃんを村に連れて行き育てあげた。
物語が終わるのは、月日が流れてまた争いのため
に王様がいなくなり次の王様をどうして選ぶかと
いうときに、導かれた象がひざまずいて挨拶した
相手が、かつての赤ちゃんその人で彼が王様になっ
た。王様になるまでには、庶民生活のなかで多く
の苦労や差別を受けたエピソードがあり、王への
道は簡単な道のりではないことがわかる。そのこ
とをスリランカ人にも訴えたいと思ってこの本を
つくった。
出版にあたり、私のゼミの学生や、地域研究所の
方、一般の方、沖縄の友人などで実行委員会をつく
56
り、2010 年 7 月 3 日に「王への道」出版記念パーティとして「スリランカの夕べ」
を開催した。そこで本の紹介だけでなく、これから定期的にスリランカとの交流が
できるようにと考えて、沖縄とスリランカの友好協会を発足するに至った。それか
ら一年間、会の目的に沿っていろいろな活動を行ってきた。
Vision, Passion and Action!
6.アジアの架橋 沖縄・スリランカプロジェクト
これまで毎年 5 名ほどの大学生をスタディツアーという形でスリランカに連れ
て行っていた。スリランカの村へ行き、実際に自分たちの目でスリランカの様子
を見るということをやってきた。
一度スリランカからも招きたい。言葉の問題もあるし非常に難しいだろうと
思っていたが、話してみたらいくつかの団体が「一緒にやりましょう」というこ
とになり、国立渡嘉敷青少年交流の家が中心となって文科省に企画書を提出した。
それが「アジアの架橋(かけはし)沖縄・スリランカプロジェクト」として案が
実現することになった。具体的には、2011 年 10 月 22 日~ 31 日までスリランカ
の公立中学生 20 名を沖縄に招き、青少年交流の家、スリランカ友好協会、沖縄
大学の学生、同世代の渡嘉敷中学校と金城中学校の生徒たちと交流をする。
目的は「命と平和を育んできた歴史・文化を語り合い、学びあい、未来へとつ
なぐアジアの架橋として、国際的な視野に立ち活動ができる青少年を育成するこ
と」と掲げている。スリランカではなかなかそういう余裕がない。国際的な視野
といっても、海外へ行く機会など全く考えられない状況がある。今回沖縄に来る
子どもたちは、そのような子どもたちだ。エリート校ではなく、スリランカの普
通の公立中学校の子どもたちを選んで招く。
日程には、学校体験、自然体験、海洋研修などがある。日本の自然を学び、また
文化体験やホームステイによる生活体験も含まれている。このような一週間の滞在
を通して、スリランカの子どもたちは異文化理解と国際理解に努めることになる。
頁上部の絵は、スリランカ国旗のライオンと沖縄のシーサーをイメージしてつ
くったデザインである。スリランカの国旗には刀をもつライオンの姿があるが、
このデザインを描いた本学卒業生の女性がいうには、武器である刀をもたせるよ
57
り、
スリランカの文化に合うのは蓮の花だ。その蓮の花をもつライオンとシーサー
を合わせたイメージでこれをつくった。
このような考え方ができるということ。国旗にこだわるスリランカ人からは、
このアイデアはでてこないと思う。このような新しいアイデアやイノベーション
は交流から生まれる。スリランカの中学生が来るときにこのデザインでTシャツ
をつくる予定であったが、今回は間に合わなかった。私はこれをスリランカにも
もっていって紹介したい。
また、スリランカの中学生が来たとき少しでも話せるようにと、現在、週一回
数人が集まってスリランカの言葉を学んでいる。日本ではなかなかない機会であ
る。そこまで交流に熱心な人たちがいることを私はうれしく思っている。
今日ここで話したようなスリランカのよさが、沖縄にもなにか参考になればと
思う。沖縄にも様々なよさがある。私が毎年スリランカに帰ったときには、学校
などいろんなところの講演で、沖縄のスライドを見せて沖縄のよさを紹介してい
る。そのようにお互いのことを知ることで、新しい発想が生まれ、お互いの発展
につながるような交流をつくろうとしている。
最終的には、精神面物質面を含めて、心身ともに健康に幸せになるような生活
と、人とのつながり、つまりお互いに交流と協力をすることでしか私たちの幸せ
は得られないのではないだろうか。
私は学ぶことを、ビジョン vision、パッション passion、アクション action の三
つに分けている。ビジョンは目標をもつこと、パッションは情熱・やる気、アクショ
ンはその行動を起こすこと。ビジョンだけをもっていても、行動に移さないと意
味がない。この三つを合わせると、自分自身楽しく、人にも貢献できるよい人生
になるのではないか。
沖縄スリランカ友好協会設立報告
ディリープ・チャンドララール
沖縄とスリランカの間に目に見えない関係の糸が引かれています。皮
肉なことにこの糸はアメリカを通して引かれてきました。
19 世紀にアメリカは日本に着目し、東インド艦隊司令長官ペリーを日
本に派遣しました。1853 年 5 月、ペリーが日本との交渉の前に、琉球に
来航したことが有名です。Ceylon Government Gazette によると、ペリー
が琉球に来航する前に 1853 年 3 月 11 日スリランカの南の港ゴールに到
着しました。15 日にゴールを出港し、シンガポール経由で 26 日に那覇港
に来航しました。
次は、1951 年の対日平和条約が審議されたサンフランシスコ講和会議
を通してです。セイロン(当時スリランカの国名)代表ジャヤワルデナ
大蔵大臣が日本の主権回復に役立てようと思い、「憎しみは憎しみによっ
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てやむことなく、愛によってやむ」という仏陀の言葉を引用しながら、
演説を行なったことが有名です。歴史の皮肉ではありますが、そのサン
フランシスコ講和条約の発効日である 4 月 28 日が沖縄にとって“屈辱の
日”になっています。サンフランシスコ講和条約の発効によって日本が
主権を回復したと同時に、沖縄が日本本土から切り離され、米軍占領下
におかれました。
今まで、沖縄の状況も含めて日本事情を多元的視点で伝え、日本とス
リランカ、そして沖縄とスリランカの相互理解を深める交流を進めて来
ました。沖縄とスリランカの間に偶然ながら歴史的なつながりだけでは
なく、植民地の経験や自然、気候、人柄などの面での共通性もあります。
また、近年様々な形での交流・協力関係ができつつあります。琉球大学
農学部を中心に、
スリランカからの留学生(大学院生)も増えてきました。
毎年、沖縄大学の学生を中心にスリランカスタディツアーを実施してい
ます。従来の「援助する側・援助される側」という関係を越えて互いの
発展につながるような交流を進めたいと思っています。
沖縄大学大学院・現代沖縄研究科の沖縄・東アジア地域研究専攻の分
野では「精神文化のつながりから見るアジアのライフサイエンス~スリ
ランカの村落社会の信仰と精神文化を通して~」というテーマで研究し
ている院生がいます。スリランカの日本語普及の背景を調査し、卒業論
文にまとめようとしている学生もいます。文化交流、教育・学術交流な
ど様々な形での交流を視野に入れて、沖縄とスリランカの友好関係と相
互理解を深めていければいいと思っています。
さらに、スリランカとの新たな交流の出発点として、7月3日に沖縄
大学で『スリランカの夕べ』が開催されました。その目的の1つは、私
がまとめた『王への道~エレファントロックの伝説~』という本を日本
で出版したこと(文芸社)を記念し、スリランカの伝説を朗読の形で紹
介することでした。また、新たな交流組織として沖縄スリランカ友好協
会を設立するという大きなねらいもありました。
イベント自体は学生、教職員、友人による『スリランカの夕べ』実行
委員会が主催したもので、参加人数が 200 名を越えました。留学生によ
るスリランカの伝統舞踊や歌の紹介、沖縄空手道場での練習成果発表、
スリランカ料理などもあり、沖縄では初めてスリランカ交流の扉が開い
たということで参加者からエールをもらいました。
私は、主に沖縄スリランカ友好協会の設立目的と本の出版の経緯を説
明しました。スリランカでもこの伝説が完全な形で発表されていないの
です。村の長老に聞き取り調査をして話をまとめましたが、その5、6
年後に長老が亡くなりました。伝説の記録・保存に貢献することができ
て嬉しく思っています。本はスリランカの有名な画家(Dee Ga Somapala)
59
による絵を入れて、日本語、英語、シンハラ語の3ヶ国語で発行されて
いるので、どの国の読者にも楽しめる形になっています。
30 年間近く続いた内戦の終結を迎え、民族同士の和解過程に入ってい
るスリランカにとって、この伝説の活用が大切な意味をもっていると信
じています。その理由は、説話内容に戦争の話や民族間の融合につなげ
られる話も入っているからです。その意味で、この伝説を日本人だけで
はなく、スリランカ人にも読んでもらいたいですが、現地からみると値
段の高さが大きなネックになっています。今年のスタディツアーには伝
説の発祥地の村や学校を訪ね、物語を通した交流も含まれています。出
発したばかりの会なのでご指導、ご鞭撻お願いしたいです。
沖縄スリランカ友好協会事務局は沖縄大学のチャンドララール研究室
に置かれています。
☎ 098(832)6564。
メ ー ル は [email protected] で す。 『日本スリランカ友の会会報』より
設問
設問1 私たちは地球市民としていきるために様々なことを学び、考えて行動
しなければならない。そこで基本となる一つの視点は、地球には様々
な文化が存在し、そのような文化の間には様々な関係、交流があると
いうことである。沖縄という地域にはどのような異なった文化が存在
し、どのような関係、交流をつくってきたのか、考えてみよう。
設問2 それぞれの国の物語はそれぞれの立場によって、あるいは共有する文化
によって異なった観点から出来事や人間関係を描いたり、異なった価値
観を伝承したりする。沖縄にはどのような価値観を共有する物語がある
のか、考えてみよう。
設問3 課題解決には夢やビジョンを共有し、協力していく必要がある。たとえ
ば、「わが社にとって重要な課題はなにか」という認識が社員一人ひとり
によって違ってくる。その意味で、ビジョンづくりや共有が大切である。
将来どんな生き方をしたいか、あるいはどんな社会に生きたいか、その
ビジョンを描いてみよう。
用語解説
ジャータカ物語:
お釈迦様が前世に修行していたときの出来事をあらわす物語。前世や来世の因
果関係を明らかにしながら仏教の教えをわかりやすく説いたものである。
60
ゆたかさとしあわせの両立に向けて
−資本主義と民主主義の関係−
崔 珉寧 沖縄大学法経学部
法経学科准教授
■ はじめに
−大学生に理解してもらうためには
本稿の目的は、筆者が所属している大学の学部生に資本主義と民主主義の関係
をより深く理解してもらうためのわかりやすい説明を述べることである。本稿は、
筆者が行う講義の補完資料として書かれたものであり、講義に参加する前後に目
を通していただくことによって全体の話の流れをもう少し理解してもらうことが
できるのではないかという思いから作成されたものである。
学部生を対象に経済学を専門とする人々がもつような深い理解を求めるといっ
た欲張った意図をもっていなかったにもかかわらず、理解を進めるというこの
ちょっとした目的がそう簡単には達成できないということを知るまでにはそれほ
どの時間がかからなかった。ここ五年間の間に、本学のすべての学科を対象とし
た 90 分間のオムニバス講義を数回行ってきた。筆者の研究領域が経営学のイノ
ベーション論であることから、戦後 60 年ほどの日本企業のイノベーションの歴
史やここ 20 年ほどのグローバリゼーションの進化プロセスの話を今まで行って
きた。たとえば、「グローバル資本主義と世界危機」(2009 年)、「グローバリゼー
ションと日本社会のゆたかさ」
(2010 年)、「地域活性化戦略における中国経済の
理解」
(2012 年)といった年に一回限りの講義がそうである。上述したような講
義をこれまで 10 回ほど行ってきているが、毎回講義を終えたのちに強く思うこ
とは、こちらからのメッセージがなかなかうまく伝わっていないのではないだろ
うかということであった。経済学と経営学といった関連領域を専門にしている学
生も受講者に含まれているが、これらの領域を超えてしまう受講者であれば、同
一の社会科学の領域であったとしてもこちらから伝えようとするメッセージがな
かなか届かないようであった。 90 分間の講義が中盤にかかってゆくと、受講者の
反応はまるでそれぞれの頭の上にいくつもののはてなマークが浮かんでいるよう
な表情へと変わっていくのであった。
筆者が残念な気持ちになることと、また深く反省しなければならないと思うと
ころは、このお粗末なコミュニケーションのレベルであった。先に述べたように、
幅広くさらに深い理解を求めるような欲をだしたわけではなく、経済現象が我々
の生活に深くかかわっている現在の同時代を生きる大学生の教養レベルとして、
物事を少しでもクリアに見ていくための知識と考え方を伝えたかったのである。
また、たとえ経済学と経営学などを専門としていない受講者でも、世界中の人々
61
が世界の平和と環境保護に大きな関心をもっていることと同じように、ビジネス
マインドと経済学の知識を身につけてもらいたいのである。
以上のような背景をもって、少しでも経済と企業の動きをロジカルに理解して
いただくための工夫と努力を行っているのが筆者のオムニバス講義であり、これ
らを簡単にまとめたものが本稿である。オムニバス講義におけるいくつかのメッ
セージが伝わることにおいて、少しでも本稿が役に立てばと願うところである。
では次項で、我々の問題意識のスタート時点である現状を確認することにしよ
う。問題視されているポイントを確認したのち、これらが発生する仕組みを車の
メタファー(たとえ話)で理解する努力を行う。最後の結論と皆さんに投げかけ
られる設問では、これらの問題点を同じように抱えている同時代の当事者として、
いかなる考え方と行動を行うべきなのかを皆さんそれぞれ深く悩んでもらいたい。
1.99 パーセントはウォール街を占拠せよ −所得格差と社会両極化 現実は、ときにわれわれの予想をはるかに超えるほどの複雑なものであったり
する。複雑なものを複雑なままとらえることももちろん極めて大事であるが、そ
の前にこれらを構成しているそれぞれのパーツを個別に理解することも必要であ
る。我々が目指していることこそ、いくつかのパーツを少し理解することである。
そのため、本稿では誤解を恐れずに複雑なものをできるだけシンプルにし、理解
を促進することを最優先としてやや強引なたとえ話を行うことを事前に断ってお
きたい。
受講者の多くが共通してもつ一つの疑問は、おそらく以下のようなことであろ
う。過去 3 ~ 4 世紀の間、一握りの国と地域を除く世界多くの国々に急速に普及
した資本主義体制は、そもそも我々にとってよいものであるのかそうではないの
か、ということであろう。アメリカ、日本、ドイツ、フランス、イギリスといっ
た一部の先進国のこれまでの活躍を振り返ってみると、また 1970 年代後半から資
本主義制度を採用することによって大きく生まれ変わった中国経済の発展ぶりを
眺めていると、後進国が中進国、途上国、先進国となっていく推進力こそが資本
主義体制の積極的な導入であり、我々の経済的なゆたかさを増やしてくれる大事
なものこそが資本主義の進展であると考えるだろう。しかし、資本主義が我々に
多くのメリットをもたらしてくれると理解している一方で、フランスの若年失業
者のデモ、日本の年越し派遣村、中国のアリ族、韓国の 88 万ウォン世代、アメリ
カのウォール街占拠デモといった世界各地で深化している所得格差と社会両極化
問題をみていると、はたして資本主義とは我々がただ単に歓迎すべきものなのか
と考え直すのである。これこそ我々が取り上げる今回の問いであり、この問題を
どのように考えていくべきなのかが我々に与えられた今回の作業課題である。
この資本主義体制に対する理解とスタンスが明確でないことから、場合によっ
ては一部の人々が、世界中で進展している極端な貧富の格差、地域発展の不均衡、
先進国と貧困国との埋まらないインバランスを直視し、資本主義は我々の社会に
おいてそれほど有益なものではないのではと考えたりするのである。たしかに、
62
世界各地に普及しつつある資本主義は、ここ 20 年間の間に急速に進んできた経
済のグローバリゼーションに加速され、不均衡な資源分担、耕地の減少、水不足、
いつまでも残る最貧困地域、海洋生物の減少、気候変動、環境汚染、生物種の絶
滅、パンデミックの脅威といった経済の領域を超える世界のあらゆる危機にまで
影響を及ぼしているであろう。アメリカの社会生物学者のエドワード・ウォルソ
ンが「人間は考えられるすべての手段を用いて、地球の資源を富に変換した」と
指摘しているように、
「産めよ、増やせよ」と我々の約 1 万 3,000 年の人類の歴史
は、それこそ経済的なゆたかさを求め続けてきた歴史であったであろう。この結
果、現在我々は、環境、人口、貧困、戦争の四つの大きな問題を抱えている。ま
た、進展した資本主義体制がこれらに深くかかわっていることも事実である。た
だ、我々がここで考えなければならないことは、資本主義の進展がこれらの問題
に深くかかわっているからといって、単にそのスピードを緩めようとし、制度採
用の度合いを低くしようとすることは、議論の余地が残るということである。こ
れこそが我々が今回悩まなければならない大事なポイントである。
では、我々が望ましいと思う、経済的なゆたかさと社会的なしあわせのバラン
スのとれた社会とはどのようなものなのか。このようなユートピアを求める議論
は多角的な視点と分析が必要となる極めて複雑な作業となるが、ここでは容易な
理解を最優先課題としてシンプルに考えることにしよう。たとえば、1999 年 10
月 26 日の第 173 回国会における鳩山内閣総理大臣の所信表明演説を取り上げて
みよう。
「市場における自由な経済活動が、社会の活力を生み出し、国民生活を豊か
にするのは自明のことです。しかし、市場にすべてを任せ、強い者だけが
生き残ればよいという発想や、国民の暮らしを犠牲にしても、経済合理性
を追求するという発想がもはや成り立たないことも明らかです。 私は、
『人
間のための経済』への転換を提唱したいと思います。それは、経済合理性
や経済成長率に偏った評価軸で経済をとらえるのをやめようということで
す。経済面での自由な競争は促しつつも、雇用や人材育成といった面での
セーフティネットを整備し、食品の安全や治安の確保、消費者の視点を重
視するといった、国民の暮らしの豊かさに力点を置いた経済、そして社会
へ転換させなければなりません。
」
おそらく上述した状況が、経済的なゆたかさと社会的なしあわせのバランスの
とれた我々が望む社会であろう。このような社会を実現させるためには、資本主
義と民主主義という二つの制度設計が必要となるだろう。シンプルすぎることも
あるが簡単に置き換えると、資本主義が経済的なゆたかさを支え、民主主義が社
会的なしあわせをもたらしてくれるということになる。経済的なゆたかさと社会
的なしあわせのバランスは、資本主義と民主主義のバランスを意味することにな
る。この二つの制度がそれぞれ適切な度合いで進展してくれると我々はどちらか
に過度に偏らない望ましい社会を手にすることができるようになるが、非常に厄
63
介なことに、資本主義とは細かいコントロールを施さなくても一人歩きができる
反面、民主主義はまるで子どもを育てるように細心の注意を払いながら我々が常
に深く関与しなければならないということである。この点がインバランスの大事
な原因の一つであり、グローバリゼーションが進むとさらに状況が悪化する要因
である。
話をもっと進めると本稿の目的を達成できない恐れがあるので、ここで資本主
義と民主主義、さらにグローバリゼーションとの仕組みを車のメタファーで理解
する努力を行うことにしよう。
2.車のエンジンとブレーキ−資本主義と民主主義の関係
若者の車離れが進んでいることから車に興味をもつ学生が少なくなっている現
状ではあるが、今回は、わかりやすいたとえ話の題材として車をとりあげて、資
本主義と民主主義の話を進めていこう。スマートフォン、家庭用ゲーム機、アパ
レルのメタファーが利用できるようになると、別の機会で活用することにしよう。
では、車にエンジンをかけて出発しよう。
皆さんはそれぞれ車に乗り、出発地から目的地に向かおうとする。出発地と目
的地とは、簡単にいえば、途上国から先進国へもしくは現在のステータスから望
ましいと思われる未来のステータスとなるだろう。車が我々に提供してくれる機
能の一つは、短い時間で出発地から目的地まで的確に移動させてくれることであ
る。この機能を経済的なゆたかさと考えよう。一方で、我々が車による移動に求
めなければならないもう一つの機能は、安全性である。事故を起こさず安全に目
的地まで移動できるということも大事であり、これを社会的なしあわせと置き換
えて考えよう。我々が乗っているこの車を我々が所属している社会として考える
と、我々が願うバランスのとれた社会とは、的確な移動性と信頼できる安全性を
同時にもちそなえた車ということになる。どのような車をつくっていけばよいの
かが、いかなる社会をつくっていけばよいのかということになる。
我々が所属している社会として考えている、この車の移動能力と安全性能を高
めようと我々は努力を続けていることになる。この二つの機能を高めるために必
要となるのが、それぞれ車のエンジン技術とブレーキ技術であると考えよう。エ
ンジンのコストやパフォーマンスが高まれば、車の移動能力がよりよいものとな
る。この車のエンジンを、ここでは資本主義として置き換えておこう。一方で、
ブレーキの機能が高まれば、的確にスピードを落とすことができ、また必要なと
きにきちんと止まることができるので、車の安全性能が向上する。車の安全性能
が高まるということは、車のドライバーと歩行者の安全を守ることができるとい
うことになる。エンジンのように、この車のブレーキをここでは民主主義として
置き換えよう。
我々は、エンジンとブレーキのいずれの技術も同時に高めることができればと
願う。この二つは極めて密接な関係をもち、エンジンは優れたブレーキを必要と
し、ブレーキは優れたエンジンがあるからこそ活躍できるわけである。イノベー
64
ション研究の大家であるシュムペーターは、「自動車のブレーキは、より速く走
るためにあるのだ」と、この二つの関係の大事な洞察を提供した。つまり、エン
ジンの性能を高める研究開発にはブレーキの高度化が必要となり、同じようにブ
レーキの性能向上には優れたエンジン技術が必要となるわけである。我々の今回
の課題である、資本主義と民主主義の関係の理解は、上述したようなエンジンと
ブレーキの関係であると理解してもらえばよいであろう。
もう少し話を進めて、ここにグローバリゼーションを含めてみよう。今回の車
のたとえ話からすると、グローバリゼーションは車が走る高速道路に置き換える
ことができるだろう。我々が利用している車の道路の状態がよくなっていくと、
エンジンとブレーキの機能はさらに活躍できるようになる。オフロードがオンロー
ドになり、高速道路になり、車両認識センサーが埋め込まれた次世代の道路へと
進化するとすれば、移動能力と安全性能はさらに高まることとなるだろう。すな
わち、この三つの要素はお互いに深く関連しているのである。話が複雑になるので、
高速道路であるグローバリゼーションは別の機会にゆだねることにしよう。
ただ、ここで考えなければならない最も大事なことは、エンジン、ブレーキの
それぞれの技術開発スピードが異なるということである。実際の自動車産業の研
究開発現場ではこのようなことがそれほど起きたりしないだろうが、エンジンは、
市場メカニズムもしくは見えざる手というものによって、より多くリターンを求
めた自発的な技術開発競争が発生しどんどん性能を高めていくのであるが、民主
主義のブレーキは自律的な市場メカニズムがうまく機能せず、限られた資源の適
切な配分と有効なインセンティブのスピーディな調整が効かず、開発レベルが著
しく遅れることとなる。単純化させるために高速道路を除いて考え、エンジンは
勝手に技術開発が行われ性能がどんどん向上するが、ブレーキの場合、意図的か
つ積極的な介入なしではなかなか進展がないのである。
この結果、我々は移動能力と安全性能を同時にもちそなえた車を手にすること
ができず、安全性の確保のために意図して車のエンジン開発スピードを落とそう
とするのである。しかし、我々が本当に行うべきことは、エンジン開発を遅らせ
ることではなく、ブレーキ開発を総力で進めるべきなのである。残念ながら現実
では、エンジン開発のスピードを遅らせるべきであるとの見方が一部で存在し、
またそのように実行している場合も存在するのが現状である。これこそが我々が
考えなければならないことである。
3.おわりに
−望ましい車をつくるためには 前項で車のたとえ話で行った二つの制度の説明がはたしてどれほど伝わったの
かという不安が残るものの、ここでエンジンとブレーキを資本主義と民主主義に
戻して少しまとめを行うことにしよう。
パーフェクトな制度ではないものと知りながらも我々が積極的に採用している
資本主義の優れている点は、以下の二つであろう。一つは、ヒト、モノ、カネ、
情報といった限られた資源を的確にさらに瞬時に配分してくれる点である。余計
65
な配分および調整コストを追加しなくても、市場メカニズムというものはこれら
を有効に実行してくれるのである。資本主義を採用した過去数世紀間の技術と経
済と生活レベルの向上の歴史がこれらを説明しているだろう。もう一つの大事な
資本主義の強みは、参加する人々のインセンティブをも的確に調整してくれるこ
とである。資本主義ではない計画経済では、経済の規模が拡大するとヒエラルキー
による的確な資源配分が困難になることと同時に、人為的に行おうとすると極め
て高いコストと時間を要するインセンティブの調整問題に直面することになる。
したがって、我々はパーフェクトな制度ではないことを熟知しながらも、優れた
この制度を活用しているのである。さらにつけ加えるとすれば、資本主義は自己
進化の可能性が高いとのことになるであろう。
一方で、民主主義の制度に目を向けると状況は異なっていく。民主主義は資本
主義ほど自律的な調整メカニズムをもたないため、子どもを育てるようにと先述
したように、ていねいな制度設計と持続的な調整作業が必要となるのである。さ
らに、グローバリゼーションが進めば進むほど、行わなければならない技術レベ
ルと作業量は増していくであろう。
この二つの制度がもつ大きなギャップこそが、経済的なゆたかさと社会的なし
あわせのインバランスを生む大事な原因であり、我々が行わなければならない努
力とは、資本主義の減速化ではなく民主主義の高度化である。車のエンジンの開
発スピードを緩めるのではなく、ブレーキの開発スピードを今すぐ高めていかな
ければならないということである。
設問
設問1 なぜ経済的なゆたかさと社会的なしあわせのインバランスが起きてし
まうのか。
設問2 資本主義と民主主義は、それぞれお互いの機能をいかなる形で支えてい
るのか。
用語解説
メタファー:
隠喩、暗喩ともいい、伝統的には修辞技法の一つとされる比喩の一種。
パンデミック:
感染症が世界的規模で同時に流行すること、世界的に流行する感染症のこと。
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(公開講座)
「琉神マブヤー」における地域
キャラクターのビジネス活用
開催日時:2010 年 12 月 18 日(土)13:00 ~ 16:00
*
第一部 講 師 : 古谷野 裕一氏(マブヤー企画チーフプロデューサー)
第二部 パネルトーク :「シンクタンクからみるローカルコンテンツの可能性」
、古谷野 裕一氏
パネリスト : 比嘉 明彦氏(海邦総研事業支援部研究員)
司 会 : 緒方 修(沖縄大学地域研究所所長)
古谷野 裕一 1.琉神マブヤーとは
「琉神マブヤー」は、2008 年 10 月スタートのテレビ番組をもとに展開している
キャラクターです。番組化する際に考えたのは、「子どもたちが憧れるヒーロー
が活躍する物語の中に、沖縄の人が忘れかけている独自の文化・歴史をふんだん
に盛り込もう」ということでした。メインキャラクターの「琉神マブヤー」は沖
縄のシーサー、サブキャラクターの「琉神ガナシー」は龍をモチーフにキャラク
ター開発を行いました。現在は、キャラクターが増えてヒーロー 3 体、対する悪
のキャラクター 6 体で展開しています。テレビ番組「琉神マブヤー」は、出演者
が県内の俳優さん、番組も県内の制作会社でつくっています。
* 肩書きは公開講座当時。
67
2.企画背景
「琉神マブヤー」がどのような形で立ち上がってきたのか。株式会社南西産業
という、観光土産の卸業を本業に営んでいる会社が企画の発端です。那覇空港や
国際通り、ホテル売店などをおもな商売先として観光土産を展開しています。こ
の南西産業の畠中社長が、沖縄のキャラクターグッズをみていくと、男の子向け
のキャラクターが少ないことに気がついた。キティちゃんやキューピーちゃんに、
シーサーを被せた女の子向けのキャラクターは結構あるが、男の子向けのキャラ
クターがどうも少ない。そこで男の子向けのキャラクターをつくろう、どうせな
ら沖縄のロイヤルティをもった、沖縄オリジナルのキャラクターを立ち上げてみ
ようと考えたのが、プロジェクト立ち上げのきっかけとなりました。
この流れの中に、沖縄の芸能集団「笑築過激団」の座長、玉城満さんという方
がおり、この玉城さんが畠中社長の学生時代の一年後輩にあたります。玉城さん
と畠中社長が 2007 年の年末に飲み屋で話をしていた。「琉神マブヤー」という名
前は、このときに玉城満さんによって命名されました。沖縄の方言で魂のことを
「マブイ」と言います。この沖縄の魂ということを、メインキャラクターの名称
に据えました。
3.プロジェクト準備
2007 年末の段階で名前だけが決まった、さてこれをどうしようか。日本全国を
見渡したところ、仮面ライダーなど東京でやっているところ以外では、秋田県に
「超神ネイガー」というローカルヒーローがありました。私たちより 3 年先に立
ちあがっています。
「超神ネイガー」として実際にアクションもされている、海老名さんという方
が秋田県にいます。海老名さんは、元は新日のプロレスラー。タイガーマスクに
憧れてプロレスの道に進んだといいます。練習中に怪我をされて東京から故郷の
秋田に戻り、スポーツジムの経営をされていました。その海老名さんが、スポー
ツジムの経営をしながら筋力トレーニングをする中で、小さい頃に憧れたヒー
ロー、タイガーマスクのことが忘れられずにいた。そこで自分でそのヒーローを
つくってみようということで、
「超神ネイガー」というのをご自身で立ち上げら
れた。ネイガー周辺のキャラクターは、スポーツジムの生徒さんだそうです。自
前で衣装をつくり、自分たちで車を運転して秋田のいろんな地方に出掛けて興行
をされていた先駆者の方です。
これが成功をあげているということで相談をしましたところ、我々の方のプロ
ジェクトに協力していいよと言っていただきました。こうして秋田の「超神ネイ
ガー」関係者のバックアップもいただけることになり、
「琉神マブヤー」プロジェ
クトは立ち上がりました。
当初は、南西産業の一事業としてコンテンツの立ち上げをやっていたわけです
が、テレビ番組の制作やキャラクターショーの興行といった、本業とは関わりの
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ない分野の仕事が付随してきたため、2009 年に「マブヤー企画」という別会社を
つくりました。地域のイベントへの出演やコンテンツ制作、DVDの販売などソ
フトウェア関係をマブヤー企画で行う一方、関連グッズのロイヤルティやグッズ
自体の販売を南西産業が担当して、本業である観光関係の卸ルートを使って販売
することにしました。大きくこの二つの会社、プラスいくつかの会社が集まった
形で「マブヤープロジェクト」として現在進めています。
4.プロジェクト実行
このマブヤープロジェクトでは、テレビ・ラジオでの放送、キャラクターショー、
グッズ販売、この三つを一挙にまわしていこうということを当初から考え、行っ
ています。資金や人材が潤沢にあるわけではありません。立ち上げ当初が一番苦
しい時期でもあります。
(1)TV 番組制作
キャラクターを立ち上げるにあたって、プロジェクト一年目は沖縄県内での
認知を目標にしました。キャラクターグッズを立ち上げるにしても、ブランドづ
くりが必要です。県内の人がわからないようなキャラクター商品はあり得ませ
ん。ですから、一年目は県内での認知をいかに高めるかということに徹しました。
2008 年 10 月のテレビ番組放映に、無理矢理にでもこぎつけたのはこのためです。
実際にテレビから流れてくる映像を子どもたちが見る。そしてそのキャラクター
ショーを直近でやりますから、テレビで見たヒーローが近くのイベント会場に来
て、子どもたちは実物のヒーローを見ることができる。ヒーローを身近に感じます。
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子どもたちは、ヒーローがローカルかどうかはあまり意識しないで、たとえば仮
面ライダーを見るのと同じような扱いで沖縄のヒーローを見てくれるだろうと考
えました。
しかもそのストーリーの中に沖縄の方言、文化を取り入れることによって、親
世代の方が「なんだ、これは?」と興味をもつ。テレビで流れてくるのは通常、
東京で制作されたヒーロー物で、最近ではストーリーも難しくなっています。そ
こに、ストーリーとしてはどちらかというとシンプルな形で、沖縄の文化を「マ
ブイストーン」といったものに置きかえた。それを悪が奪うと封印される。たと
えば沖縄から音楽がなくなるとか、
方言がなくなるとか。そういうものをヒーロー
が取り戻して沖縄の文化を守る、というわかりやすい設定にしました。そのこと
によって、方言がヒーロー番組に入ってきた。すると番組を見ている子どもたち
がお母さんに「今何て言ったの?」または「『石敢當』って何?」と聞くことで、
家の中で沖縄独自の言葉や文化がヒーローを通じて話題になります。それをテレ
ビで見て、身近なキャラクターショーで見る、というところで県内での認知を図
ろうという試みを一年目に行いました。
これが 2008 年の 10 月から 2009 年 9 月までの間です。このテレビ効果および
地道なキャラクターショーの効果で、沖縄県内では 98%の認知率となりました。
県内のある大学による調査結果です。
そのような沖縄県内での認知を経た後、二年目は本土に向けた情報発信を徐々
に試みました。本土からみると沖縄は 1%のマーケットです。ビジネスをする上
でも東京でやるのとは全く桁が違う。資金が潤沢にあるわけでもない。人を介し
て、東京のキー局で仕事をされているプロデューサーやディレクターの方にお話
をしながら、キー局発信の情報番組に取り上げていただく努力を重ねてきました。
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私自身が以前は東京でベンチャービジネスの立ち上げやメディア系の仕事をして
きた人脈を使って、2009 年の夏ごろから、少しずつですがいろんな局をまたいで
情報番組で取り上げていただくことができました。
これにも背景があります。私自身は 2008 年 3 月にこのプロジェクトに参画した
のですが、6 月に制作発表をし、10 月にはオンエアを始めました。おそらく前代
未聞のスピードと思います。なぜかというと人件費圧縮のためです。準備する期
間をいかに少なくするか。地方においては、資金がないゆえにスピードを上げざ
るを得ない事情があります。その反面、勢いがあったからこそ立ち上げることが
できた、結果的にはよかったという面もありました。だらだらやっていると、す
ぐに一年二年、準備にかかる人件費だけで大きな費用がかかっていたと思います。
こうして短期間で立ち上げるためには、ローカルのテレビ局と交渉をしてスポ
ンサーを集めて、とやっていると時間がかかる。それでは困る。自分の人件費も
圧縮し、制作会社には本当に必要な最小限のものを通常の三分の一のコストで制
作依頼し、これにご協力いただけることになった。そしてそのタイミングで、テ
レビの放送枠を購入するという新手に出ました。放送局が企画を立ち上げてスポ
ンサーを募り、番組を制作してオンエアする、というのが一般的な流れです。我々
の場合は、自らが制作した番組を電波を買って放送するという異例の形であり、
それをたまたま琉球放送さんで放送しました。
このような関係で、我々の場合はいわゆるローカルの一企業がつくった番組で
あるため非常に身動きがとりやすかったという背景があります。いわゆる系列局
の縛りというものがなかった。これによって、東京のいろいろなキー局の情報番
組で取り上げていただけることになったということがあります。
本土向けに情報発信をしていったとき、「スーツデザインのクオリティが高い
ね」と言っていただけることが多かったのですが、このスーツデザインと実際の
製作は、秋田の「超神ネイガー」の方に委託して行いました。沖縄県内で一から
つくりあげていこうとすると、やはり時間がかかってしまいます。ついては時間
短縮を図り、また我々より 3 年先に進んでいた「超神ネイガー」がつくり上げて
きたノウハウを活かしたい。パートナーシップでやっていくことで、我々にとっ
ては、いいものがはやくできることにつながりました。
全てを沖縄だけで完結しようとすると、時間が長くかかり、またクオリティ等々
にも課題があることをビジネス上感じます。沖縄は人件費が安いからといって、
安く仕上げようと自前で全部やろうとすると、逆に高くついてしまうということ
があります。安い人件費で 12 ヶ月かけてやるのと、いくらかお金をかけて数週
間でやってしまうのと結果的にどちらが安いか、効率がよいか。
私たちには、比較的ニュートラルな形でビジネスを立ち上げていこうとする側
面がありました。地元 7 割:内地 3 割。あるいは、地元 8 割:内地 2 割。これく
らいのバランスでやっていくのがいいのではないかというのが経験知です。地元
を中に取り入れながら、一方で何が何でも地元にこだわらないでやった方がベ
ターな場合もあるというのが私の持論です。それが結果的に、スーツのクオリティ
の評価につながったと思います。
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(2)TV 番組放送
2008 年 10 月スタートのテレビ番組「琉神マブヤー」の放送時間は、朝 6 時 45
分から 15 分間。早朝の番組放送となりました。地方のローカル局ですので、土曜、
日曜日の朝 7 時以降は、全国ネットの番組が入っていて、ローカルで扱える時間
帯というのは非常に限られます。ゴールデンタイムの時間帯も難しいし、朝の子
ども番組の時間帯も東京の番組で占められている。実際この早朝の時間枠しかな
かったという中、
「大丈夫なのか?」という不安の声はありながらも、とにかく
放送をスタートさせました。
これが 6.9%の視聴率を得ました。同じ時間帯の朝日系列の番組は 2%台でした
ので、この視聴率はよい数字でした。この流れで、「『琉神マブヤー』と踊ろう」
という 3 分番組を制作しました。マブヤーの主題歌を幼稚園児と一緒に踊ろう
という企画番組ですが、たまたま、日曜日の 13 時 56 分から 3 分間というお昼過
ぎの時間帯を取ることができました。これが視聴率 17.7%。この時間帯ではトッ
プの数字です。それから 2009 年に、「『琉神マブヤー』外伝」という番組が琉球
放送のライセンスで制作されました。日曜日 10 時 30 分からの番組で、視聴率
16.3%。現在は、「琉神マブヤー2(ターチ)」を毎週土曜日 10 時 30 分から放送
しています。タイトルにも沖縄の方言を使っています。
(3)DVD
DVDは、沖縄県内の二社だけに販売しています。本土の卸メーカーには、あ
えてまだ出荷していませんし、アマゾンにも本編は出していません。あくまでも
県内消費にこだわって、県内の卸二社と、我々のオフィシャルPBショップでの
取り扱いをしています。2009 年 8 月に発売し、2010 年 11 月現在で 2 万 8 千枚の
DVDを販売しています。一般的にDVDの売り上げが落ち込み、バラエティ系
の番組DVDでは東京で発売しても通常 3 千から 5 千枚いけばヒットといわれる
中で、2 万 8 千枚は非常に大きな数字になっています。しかも沖縄県内での消費
です。これは観光ルートにも流したので、このうち県外の方が何割買っていただ
いているかはわかりませんが、売上は確実に沖縄に入っているということがいえ
ると思います。
(4)音楽
このようなコンテンツづくりに、沖縄のいろんな役者や音楽アーティストの方
に携わっていただきました。沖縄はたいへん芸能が盛んなところで、役者やミュー
ジシャンの方に実力がおありです。ただ、これをどうやってビジネスにつなげる
のかというところの裏方がなかなかいない。映像制作に関しては、音楽が鍵にな
ると立ち上げ当初から思っていました。
県内トップクラスのミュージシャンの方々に、作曲と演奏、歌唱に参加いただ
きました。主題歌の歌唱はアルベルト城間さん、エンディング曲は古謝美佐子さ
ん、しゃかりチアキさん。音楽全般の作曲を上地正昭さんに担当していただき、
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三線は沖縄県内の若手民謡歌手よなは徹さん。バックコーラスには、ベトナム戦争
時代に基地のまちコザで活動されていたロックバンドで、元コンディショングリー
ンの川満勝弘さん、同じくギターは元マリー with メデューサの長嶺良明さんと、
そうそうたる沖縄ミュージシャンの方々に、演奏と歌唱を固めていただきました。
一方、歌詞については作詞専門の方ではなく素人の方にお願いし、かつ方言を
交えた主題歌をつくりました。まわりの演奏家はプロで作詞は素人という、すご
くギャップのある崩れたバランスでいこう。そのことで、マブヤーの音楽に温か
みがでて親しみがもてるんじゃないかと考えました。主題歌も、悪役の歌もあり
ますが、
どちらも方言で歌うので、
解説がつかなければほとんどわかりません。
「な
んだ、これは?」となるのですが、あえてそういう曲づくりをしました。
(5)キャラクターショー
キャラクターショーは今も毎週行っています。過去の実績では、2008 年のイベ
ントは計 7 回、2009 年は 155 回、2010 年は 11 月末現在で 231 回のステージをこ
なしています。これまでは東京のキャラクターによるイベントショーが沖縄県内
でも行われていましたが、実際これだけのキャラクターショーを我々が実施する
にあたっては、どのような価格帯で行えるのか、マーケット調査を行いました。
キャラクター事業を継続していくことを前提に、それなりの利益も取らなくては
いけない。ショーを実施することにかかる原価構成をしっかり行った上で、その
コストで最大限に表現するにはどうしたらよいかを考えました。
よくあるヒーローショーでは、アクションがあって悪者退散でおしまいですが、
たとえばオープニングで悪者による歌のコーナーがあったり、ライブ感をもたせる
ために悪者に関してはセリフを全てアドリブで対応しようということで、悪者の 2
キャラクターだけはマイク装着で生でやっています。それ以外のキャラクターは事
前にセリフを収録して進行通り行いますが、ここでライブ感を入れることによって、
東京のパッケージもののショーにはない内容になる。ショーにも方言を多用して、
悪者のライブでの台詞には、お父さんお母さん世代に笑っていただく要素が演出さ
れています。お父さんお母さんも楽しめて、子どもたちもかっこいいヒーローをみ
て楽しめるショーになっているのかな、というふうに思っています。
5.プロジェクト展開
「オフィシャルパートナー」と呼ぶスポンサーには一年ごとについていただいて
います。当初、2008 年の最初のテレビ番組放送のときには、ローソン様一社でした。
通常一社のスポンサーではテレビ番組はできません。前述のようなコスト圧縮の工
夫で乗り越え、現在は 2009 年、2010 年ともに十社のスポンサーについていただく
結果につながっています。
ローソン様に関しては、先ほどお話しした「超神ネイガー」との関係があります。
秋田の方では、すでに「超神ネイガー」の 5 分もののテレビ番組のスポンサーにつ
いておられました。秋田県内では、ローソンの店内キャンペーンでもネイガーキャ
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ラクターの利用実績があり、営業情報がローソン社内で公開されていました。そし
て、このネイガーが関わったプロジェクトが沖縄でも立ち上がるという情報が沖縄
のローソンに入っていたことから、制作発表の場にお越しいただき、番組のスポン
サーについていただけたという経緯です。
いろんな形でキャラクター商品も出てきています。商品の分類では、「オリジナ
ル商品」たとえばストラップなどのフィギアといった定番的な商品については、グッ
ズを担当している南西産業の方から出しています。一方、各スポンサーによって製
造されている「ライセンス商品」というのがあります。それぞれのスポンサーの方
で我々のキャラクターを使って商品化していただいているものです。これも有形無
形のものがあって、たとえば伊藤園さんのジュースといった形のあるものと、形の
ないサービス商品、たとえば旅行商品や定期預金などもライセンス商品として存在
しています。そうしていろんなアイテムが、2008 年末から約二年の間に、廃版を
含めて 300 アイテムほどに達しています。
このようにグッズの数もずいぶん出てきましたので、今年 2010 年 10 月 1 日に、
豊見城市にあるTOMITONという商業施設の中に、「マブヤーオフィシャル
ショップ」を開設しました。ここでは、オリジナル商品からライセンス商品の紹介
を含めてアンテナショップ的に、撮影などで使ったいろんな小物を展示しています。
6.問題点
こういう形で、ローカルのコンテンツでビジネスを立ち上げて 2 年余りに至るわ
けですが、問題点としてはまず、立ち上げのときの費用捻出にたいへん苦慮しまし
た。お金がないことをわかりつつやりました。沖縄型産業関連の助成申請をしたこ
ともあります。テレビ番組制作、イベントショー、キャラクターブランドをつくっ
て沖縄県内のメーカーと一緒に商品開発するということで申請したところ、見事落
選。さてどうしたものか。ついては、コストを圧縮する形でやるしかない。DVD
の売上を配分する等の二次利用の形を、制作会社や出演者の皆さんがご了承、ご賛
同くださったおかげで、どうにかプロジェクトを立ち上げることができました。沖
縄のユイマール、持ち寄りの精神でなんとか実現にこぎつけた、その最初の苦労は
そうそうたるものでした。
あと問題点として挙がっていたのは、プロジェクトチームの維持です。たとえば年
間 250 回ものキャラクターショーに出ているので、この人員と給料を確保する必要が
あります。また、これを維持するための営業を取って企画を練っていかないといけない。
これをプロジェクトの一年目は、私を入れてスタッフ二人でやっていました。二人で
キャラクターショーの営業から、番組づくり音楽づくりまでやっていました。二年目
からは 3 人体制に増やし、今年 2010 年の 6 月からは 6 名体制にした結果、これだけの
ショーやテレビ番組作りなどを行ってきています。人数が少なければ継続するための
営業ができず、人数が多ければそれだけの費用がかかってきます。チーム体制の維持
をするためのバランスをどのように保つのかが問題点の一つでした。これも関係者皆
さんのご協力によって、徐々にですが改善していっているのかなというところです。
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7.活性ポイント
「琉神マブヤー」というローカルコンテンツが、地域の活性化に結びついてい
る実例としてご紹介をしてきました。
県内の食品・飲料メーカー、流通小売業においては、マブヤーコーナーができ
るなど販売における金銭の流れが生まれています。教育や金融、運輸などサービ
ス分野においても、マブヤー関連のサービス商品、たとえばマブヤーと一緒にで
かける旅行ツアーなどがあります。
コンテンツ制作に関しても最初の立ち上げはたいへんでしたが、現在放送中の
パート 2 についてはそれなりの制作費をかけて制作し、出演者の皆さんにも出演
料を得ていただくことができています。沖縄のテレビ局では、ドラマ制作が一本
もないというのが現状です。ニュースと情報番組以外に、沖縄ローカルでつくら
れたドラマというのはありません。コンテンツ業界にとって、沖縄はもっともっ
と活性化していかなければならないのが実情であると考えています。
ローカルコンテンツを立ち上げてきた中で実感する成功のポイントとしては、
やはり地方色を意識した演出と、テレビという飛び道具を使いながら、キャラク
ターショーで地域をまわるといった地道な活動を行ってきたこと、それから異業
種を横断したコーディネートに取り組んだ点があると思います。たとえば先ほど
の旅行商品では、スポンサーと一緒に商品づくりに携わって形にしていくという
ことをやってきました。旅行はわからないからといって任せてしまうのではなく、
わからないながらも企画まで入って、スポンサーと一緒にやっていく。トータル
コーディネートです。
東京でやろうとすれば 10 億位の資金がないとつくれないものが、地方では小
さくつくって大きくすることができそうな可能性をもっているといえます。まだ
実際に私たちはできておりませんが、その可能性があるということはいえると思
います。
あと、サプライズをいかにつくるか。来年は、東京のとあるファッションショー
に、悪役のクーバーがモデルとして出る予定です。年明け早々には、沖縄のクラ
ブイベントにもダンサーとしてあらわれます。「えっ?!」「なんで?!」と意表
を突くありとあらゆるところにどんどん出ていって、若者の目にも触れる。子ど
もたちの目にも触れる、それから大人の方々にも触れる、そういったいろいろな
チャンスをサプライズで仕掛けていけたらと思っています。そういう意味では、
子どもからおじいさんおばあさんまで、全ての世代に対するマーケティングを
行った結果ともいえます。
それから繰り返しになりますが、地元にこだわりすぎないバランス感覚。東京
に全部丸投げでやろうとすると、いいものはできてもコストがかかるし沖縄色も
なくなる。反対にすべて自前でやろうとすると、沖縄色は満載でもクオリティと
してどうか、求めるものを達成するまでにどれだけの時間がかかるか、結果的に
コストがどうなのかということを考えないといけない。このバランス感覚です。
地元ならではのものを活かしながら、他地域のよいものは取り入れていく、ただ
75
し取り入れ過ぎない。そこが重要だと思っています。
将来の夢としては、沖縄から近い海外であるアジア圏に向けて、このコンパク
トなモデルを展開していきたいと思っています。仮面ライダーなど東京のものは
そのまま輸出されますが、我々は大手にはない柔軟な対応ができます。沖縄のマ
ブヤーが沖縄の文化を取り入れてきたように、今度は海外のその国の文化をキャ
ラクターに落としこんだコンテンツづくりを、沖縄の企業としてやってみたいと
思い描いています。
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(パネルトーク)
シンクタンクからみる
ローカルコンテンツの可能性
パネリスト : 比嘉 明彦氏(海邦総研事業支援部研究員)
古谷野 裕一氏(マブヤー企画チーフプロデューサー)
司 会 : 緒方 修(沖縄大学地域研究所所長)
比嘉 明彦(海邦総研事業支援部研究員)
:
金融機関は基本的に過去の定量的な数字、決算書をベースに審査をしてお金を
貸し出すという業態のものです。ただしビジネスというのは生きものですから、
いわば未来をみていく形、新たな構成分野については、サポートを入れて新規ビ
ジネスの支援をしていく必要があります。そうしたサポートを担うのがシンクタ
ンクのコンサルタントの役割です。金融機関の関連会社ではありますが、中立的
な立場から銀行サイドの考えとは切り離して、そのビジネス自体がどういう方向
に向かっていくのが一番よいのかという点について提言をしていくことが大事で
あり求められます。今回まさにそうしたプロジェクトを担わせていただいたのが
南西産業さんとの仕事でした。
先ほど第一部での話にありましたが、南西産業は観光土産の卸業から新規事業
としてコンテンツ業を実施していくことになりました。この話がメインバンクで
ある沖縄海邦銀行に出向いて相談があったのですが、銀行ではノウハウがないこ
ともあり、シンクタンクのほうで対応ができないかという流れになったのが 2007
年の年末でした。
それ以前からも南西産業さんからは観光卸業に関するさまざまな経営相談があ
りましたが、金融機関では事業主の資質というところを非常に大事に考えていま
すが、南西産業の畠中社長さんはその定性的な部分でたいへん高い評価を得てい
ました。なぜなら、金融機関はさまざまな相談をされる経営者から資質やその会
社の方向性をうかがえるからです。これは決算書類などだけでは決して得られな
い情報ですし、金融機関を頼り、相談をされていると、信頼関係も生まれると
いうものです。そして新規事業に関連する人的なネットワークも加味しながら、
2008 年に入って資金調達にかかる事業計画書の作成支援などを私の方で担当して
きました。2008 年 3 月には、沖縄にプロデューサーである古谷野さんに来ていた
だき、その給料も払いつつ、6 月には那覇空港で制作記者発表をしたい。といっ
た流れができてきて、具体的な事業立ち上げプロセスにおいて、資金的にどうし
ていくかということを当初は社長と二人、2008 年 3 月からは古谷野さんと三人で
話し合いながらやってきたわけです。
経緯が長くなりましたが、
こうした「マブヤープロジェクト」という実際のロー
カルコンテンツの立ち上げに、シンクタンクのコンサルタントとして携わってき
77
た経験の中から、ビジネスとして事業を継続させていく上で重要ないくつかのポ
イントについてディスカッションできればと考えています。
コンテンツというと映像やアニメ、音楽というものなどが広くとらえられます
が、現在、県内のローカルコンテンツについて定量的、統計的な資料はありません。
ですので、県内ローカル 2 紙の琉球新報さん、沖縄タイムスさんの有料データベー
スから、「映像系」「興業系」「音楽系」三つのキーワードで抽出された記事の推
移をまとめたのが下記の資料です。
グラフでみると、それほど伸びている業界ではないということがわかります。
映像では、情報・バラエティを別にすると、持ち込みのコンテンツ番組はマブヤー
企画の一社のみで、テレビ放送業におけるコンテンツ制作はゼロです。コンテン
ツ制作の業界は非常にさびしい状況といえます。
さらにコンテンツ産業の事業所をみてみると、放送業から興業場まで入れて全
国に 41,350 カ所の事業所がありますが、そのうち 40%以上を東京が占めている、
いわゆる東京一極集中型です。その中で沖縄は 1%に満たない。沖縄県民の 138
万人、1%未満の市場に対して、コンテンツ事業もまた 1%未満の業界であるとい
うのが状況です。
78
全国的に見てもコンテンツ産業のファイナンスについての状況は恵まれていな
い中で、どのように努力されて「マブヤープロジェクト」がこのような結果を残
してきたか。沖縄においてコンテンツビジネスが決して盛り上がっているとはい
えない状況の中で、かなりの覚悟と努力さらにはタイミングや運があったといえ
るところも大きかったのかなと考えさせられる資料です。統計的にわかったのは
このようなことです。
緒方 修(沖縄大学地域研究所所長)
:
第一部の古谷野さんのお話にありましたが、沖縄県内テレビ局によるドラマ制
作がゼロであるというのは由々しきことです。ニュース等は比較的がんばってつ
くっていますが、それでも自社制作率は 5%位じゃないでしょうか。95%は東京
キー局からもらっている状況です。
一方、ラジオの場合は 7 割位を自社制作でつくり、3 割を中央からもらっている。
いってみれば沖縄のラジオは非常に元気があるという状況です。それには、沖縄
が車社会であるという背景があります。たとえば、東京ではラジオの聴取率は 7%
くらいですが、沖縄では 10%以上という状況があります。138 万人のうちの 10%
ですから約 14 万人ですが、常時流れているメディアとしては無視できない数字
だろうと思います。
先ほど、
「琉神マブヤー」のテレビ放送が放送時間枠、放送権の買い取りとい
う今どきないようなやり方をされて始まり、それから徐々に、現在ではたいへん
大きなスポンサーを獲得されたということをうかがって驚きました。テレビは時
間に制限がある「限界産業」という言い方をしますが、広告に使える時間が決まっ
ています。そのテレビにおけるスポンサー広告にとって、何よりも大事なのがコ
ンテンツです。そのコンテンツの展開が、現在うまくいっているということがい
えるのだと思います。
79
Q1.本土認知について
古谷野 裕一(マブヤー企画チーフプロデューサー):
現在行っている具体的な仕掛けは映画です。沖縄県内から始めて、本土でも上
映しようということで動いています。本土で何館スクリーンを開けられるか。そ
の規模は今後、映画配給会社さんと相談していくのですが、ここに向けたプロモー
ション展開がその前にあります。テレビ局が担う部分で、映画公開前にプロモー
ションの一環としてテレビ番組を放送する。その準備を仕掛けているところです。
テレビ版の放送をどれだけ日本中の地上波で放送できるか。そしてこのタイミン
グで、今はあえて県外で封印している、テレビ版DVDライセンスの日本国内へ
の発売を開始します。
テレビが放送され、レンタル版が全国のTSUTAYAに並び、どれだけの世
帯数に放送されるか。これが、現在行っている日本本土におけるプロモーション
の結果だと考えています。本土向け認知は若干遅れながらも、このような動きで
進めています。
比嘉:
沖縄から県外にうまく展開していった事例の一つに、乾燥梅干しの「スッパイ
マン」さんが挙げられるでしょう。これはタレントの木村拓哉さんがテレビで「う
まい」と言ってくれたことをきっかけに、駅にある売店のキオスクなどで販売さ
れています。あそこで売り場を取れている、いわば本土で定番的に市民権を得て
いる県産品は「スッパイマン」さんだけではないでしょうか。「もずく酢」もあ
りますが、原料は 99%沖縄産ですが、加工は県外企業ですので完全な県産品では
ありません。
沖縄では沖縄の方が共感できる理由があるから、「琉神マブヤー」が選ばれて
市民権を得ているわけですが、日本国民に知ってもらう場合には、もう一つフッ
クを効かせる仕組みが大事になってくるだろうと思います。可能性としては、コ
ラボレーションの活性化にあると考えています。たとえば、アパレルブランドと
(マブヤーと)のコラボレーションを支援して、東京コレクションのデザイナー
ズブランドの発表会のランウェイにマブヤーのキャラクターを登場させました。
大いに盛り上がりましたし、ファッション業界紙や業界のホームページで話題に
なっています。
映画の制作はプロジェクト形式で進んでいますし、プロモーションにおいては
専門分野のテレビ局、代理店のネットワークでかなりのパブリシティ、広告がで
ています。それにプラスして、何らかのコラボレーション、あるいはキーマンに
よってうまくマブヤーを押すきっかけがあると、波及的に話題が大きくなる。そ
のきっかけがうまくミックスされると、幸運にも恵まれることで市民権を得られ
る確率も上がるでしょう。連鎖的にこの確率を上げていく仕掛けが合致したとき
に、タイムリーに話題が得られて、結果的に劇場のスクリーンがどれくらい獲得
できるかということにつながるものと考えます。
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ベンチャー企業のローカルブランドが全国民の市民権を得るというのはそれほ
ど難しいことだと思います。システム的に何かあるというのではなく、確率的に
は非常に厳しい世界です。だからこれは成功したかしなかったかという問題では
なく、やることに意義があって、その中で成功の確率を上げることにどれくらい
チャレンジできるか。これがまた、次のローカルブランドの展開につながると思
います。今後の沖縄ブランドの県外、あるいは海外進出の一つの手段として確立
されるべき方法のひとつだと考えます。
Q2.海外展開について
古谷野:
2008 年に「マブヤー企画」を立ち上げた当初から、当時の記者発表資料の中に
もあるように、アジア、とくに東南アジアに出たいという想いをもっていました。
東京で仕事をしていた経験から、沖縄におけるビジネスのパイというものは大体
察しがつきます。沖縄は小さな島ですので、外に出ていくしかないだろうという
ことがわかっていたわけです。沖縄から東京へ行くのと沖縄から香港へ行くのは、
時間的に同じという地理的な理由と、東南アジアと沖縄との歴史的なつながりを
掘り下げてみたいという想いがありました。
一般的に、仮面ライダーやウルトラマンなどは東京でつくったものをそのまま、
番組販売の形で輸出するやり方です。メジャーなコンテンツは、そういったある
意味効率的なビジネスができます。我々が考えたのは、大手ができないことは何
か。柔軟に対応しようと。たとえば、タイの文化を取り上げたキャラクターを、
タイ企業とジョイントベンチャーでつくる。沖縄との交流の歴史などをドラマの
中に入れながら、ニューヒーローを海外バージョンでつくるのです。こういうこ
とは大手にはできないし、また絶対にやりませんが、我々はやろうと思えばでき
る柔軟さをもっています。
ありとあらゆる形で外へ出ていって、ビジネスの水平展開をやっていきたいと
いうことを、立ち上げ当初から考えていました。今年に入って、台湾でのテレビ
番組放送の契約が始まりました。さらに仕掛けていこうと考えています。
比嘉:
「クール・ジャパン」と称されるように、コンテンツビジネスはその潜在力と経
済波及効果から、日本の国家戦略の一つとしても期待されています。しかし、諸外
国によって違う権利関係をどうするかといった法整備は遅れています。また、海外
にも通じるプロデューサーとなるとその数は多くないと言われています。海外展開
する上では、コンテンツビジネスに限らずそのあたりが問題になってきます。
沖縄県においても、ハブ事業として香港、台湾といったところに輸出を実施し
ているもののなかなか難しい状況です。私が関わった水産業の海外展開でも、た
とえば水産加工品を香港にもっていくにしても、現地の関係者との連携事業でな
いと展開していきません。直接的なビジネスのやりとりはできない状況です。具
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体的にどうすればよいか、という有効なツールや解決策がない。これは日本全体
における問題です。
逆に、韓国や中国の企業の方が、上手に日本のマーケットの中に入ってきてい
ます。WEBにしてもスマートに分けて展開していたり、最新のツールを使ったり、
そして在日関係者のネットワークを活用されるなど、日本のマーケットについて
非常によく勉強されています。対照的にたとえば中国で活躍して市民権を得てお
られる日本人がどのくらいいるのか。その方々とそのくらいネットワークを形成
してビジネスを展開しているかというと、具体的な事例はあまり聞こえてきませ
ん。有効な手立てというのは、国レベルまたは県レベルでの法律面の整備も含め
て戦略的にやっていかないと、コンテンツの海外展開は難しいと考えています。
マブヤー企画さんの場合でいうと、そういう事情は把握された上で、現地に入
り込んでいるキーマンと接触をするなどの手順を踏んでいらっしゃいます。強み
である「琉球交易」という橋渡し的なコンテンツの作り込みをしていけば、マー
ケットをつくっていけるだろうとは考えています。
Q3.コンテンツファンドについて
古谷野:
現在組み立てているマブヤー映画に関しては、コンテンツファンドの活用は考
えておりません。映画においては、配給会社、宣伝を担うテレビ局、コンテンツ
ホルダーの我々、といった 3 本柱が整うと、あと音楽会社や出版会社、協賛企業
という形で取り巻きができてきます。コンテンツの中身で賛同してくださる県外
の企業様が幸いいらっしゃったので、コンテンツファンドありきではなく組み立
てることができたというところです。
比嘉:
金融機関の動きでいうと、金融庁や日本銀行が指定する成長分野の業種の中に
コンテンツ業界が含まれています。沖縄県内でも琉球銀行、沖縄銀行、沖縄海邦
銀行の三行において融資枠を設けています。ファンド(基金)枠を活用した融資
です。ただしヒアリングをしている段階では、コンテンツ事業は信用供与が非常
に難しい業界であると感じました。通常お金の貸出には、仮にその事業がうまく
いかなかった場合の手当ての方法についての手順を踏みますが、コンテンツ事業
はその部分が難しい業界です。お金をもっている企業が成長するということでも
ありません。国が成長分野に挙げ、積極的に支援をすべきといういわば号令がか
かった中で、実際に実行されて成功事例があるかというと、ほとんどないに等し
いのが実情です。
沖縄県内のベンチャー企業については、マブヤーブランドは特段このファンド
を使う予定がないというお話ですので、新たなコンテンツを起こしたところがこ
のファンドが使われる場合に、それを積極的に検証していきたいというのが業界
の動きかと思います。コンテンツにお金をつけるというスキーム自体、今世界的
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にも各国で注目されているものです。ただ、成功事例はまだないといってよいと
思います。
Q4 人材育成について
古谷野:
専門分野を育てていくというのは、省庁等のタテ割り行政がありますので難し
いのかと思います。そこで、たとえばコンテンツをつくる人に補助金を出してみ
ても、
「あれもつくりたい、これもつくりたい」と、つくりたいモノのアイデア
はたくさんあるのですが、できあがったものをビジネス的にどうやって販売する
のか、その販売ネットワークをどうつくるのかということをあまり考えない。そ
うなれば、できあがったものが流行るか流行らないかは一か八かです。成功事例
がほとんどない、という結果にもつながっているのだと思います。
ついては、そういう業界や作品の個々に投資をするのではなく、たとえば沖縄
県にいる若い人に、東京やニューヨーク等世界を見させるような人材育成にお金
を出した方がよいのではないかと思います。その回収には 10 年かかるかもしれ
ない。ただ、それをどこかのタイミングでやらないと、沖縄の中だけの情報や経
験に基づいてビジネスを組み立てることには限界があるんじゃないかと思いま
す。非常に難しいとは思いますが、業界をまたいだ人材育成に対して、補助金等
の支援を創生できたらと個人的には思っています。
比嘉:
昔、社内ベンチャー制度というのが流行りました。たとえば、南西産業さんの
ようにコンテンツビジネスを立ち上げたいといった場合に、社長さんがそれを支
援するとします。ただそこで問題なのは、社長は自分が社員に越えられるのをこ
わがるケースです。組織という形態の中では、ビジネス感覚に優れて、事業をう
まく成功する人材がいる場合に、よく上司や同僚からやっかみが生まれるという
問題があります。社内ベンチャー制度でいえば、ほとんどの企業で失敗している
のは、こうした事情によるところが多いと考えています。そういうときに、私の
ような外部の第三者であるコンサルタントが間に入って、価値評価に対する指標
化など、バイアスがかからない仕掛けをすることでうまくいくことがあります。
うまくいっているのは、社長よりもむしろ優秀な社員がいらっしゃるところです。
そういう企業では新しいビジネスが生まれ、資金もうまく回っていきます。
ところが、投資をした人材が自分の好きな分野だけを向いていると、社長や外
部の金融機関は、人材育成に投資ができなくなります。それが、古谷野さんがおっ
しゃっていたような「バランスのとれた」プロデューサー感覚でないとだめだと
いうことです。いくらアイデアがよくてそれで儲けが出たところで、ビジネスで
ある以上継続性がないと、結局何のための投資なのかということになる。社内の
成長部門を支援するのは社長の「みぎり」、保証です。保証をした人が責任をか
ぶることになります。
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OJTといって、優秀な人の下に部下を付けて「カバン持ち」をさせるという
のがありました。しかし日本では、本土の大手企業でもこのカバン持ち文化がな
くなり、OJTが消えて、全てが成果主義になっていることが問題視されていま
す。カバン持ちをさせて、人材を育てるだけの体力が企業になくなったともいえ
ますが、カバン持ちをさせる文化、そして幅広い世界を見せる企業文化の部分に、
たとえば行政からの支援があればと思います。しかし、幅広い世界を見た後にど
ういう手順で一人前になっていくかというところまでを支援しないと意味がない。
正直、時間はもうないと私は思います。カバン持ちを手弁当でやって、その中で
自分でリスクを負い、果敢に挑戦するくらいのことをしないとだめだと思います。
私自身は、マブヤープロジェクトは自主研究として当初かかわりました。なぜ
ならコンテンツ事業に対して銀行からの相談で紹介を受けましたが、社内の決裁
「なぜコンテンツを支援するのか」
「前例がないし、もっ
は得られなかったのです。
と違う分野があるだろう」という声がありました。「この事業は絶対に成功する
可能性が高い。アイデアや社長のやる気がこれまでと違う。ついては自主研究で
もいいので報酬は他で稼ぐから」と宣言し参画しました。結果的にプロジェクト
に参画したことは私の中で大変貴重な経験と、そして大きな成功体験に身を置く
ことができました。そういうことです。だからずっとパートナーシップでチーム
の維持ができている。完全にプロジェクトが成功したとは思っていませんが、こ
うしたことから、若いうちに「自主研究をする」といった時間は大事なんじゃな
いかと思います。しかし結果がある程度ついてくる案件とついて来ない案件があ
ります。ついて来ない案件が大半でしょう。そうした中でも自らが果敢に挑戦を
していくこと、そして上司などが認めてやることと、それが人材育成におけるま
ずは近道ではないでしょうか。
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ȁȁȁȁ TEL 098-832-5599ȁFAX 098-832-3220
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