発行:にほんごひろば岡本 〒658−0003 神戸市東灘区本山中町 4−18−22 078−453−5931 http://www.kabto-yama.ac.jp/hiroba/ 「み ん な い っ し ょ」 め あおば かふんしょう 目には青葉 よ き はつ 花粉症はホトンド消え じこう ことし はる 初ビアガーデン にほん はじ 良い時候となりました。今年の春が日本での初め はる かふんしょう くる じん ての春だというのに、花粉症に苦しむフィリピン人 がくしゅうしゃ すぎ か ふ ん にほん 学 習 者 がいました。杉花粉は日本だけではなく、み んないっしょなんですね。 はなし 「みんないっしょ」でひとつお 話 を……。さまざ こくせき ひと に ほ ん ご おし せい じ まな国籍の人たちに日本語を教えるとき、政治・ しゅうきょう はなし はっと おぼ 宗 教 の 話 はご法度といわれた覚えがありますが、 なが つ あ がくしゅうしゃ ちかごろ じ じ もんだい 長く付き合っている学 習 者 とは、近頃の時事問題が わだい のぼ せんじつ かんこく かた 話題に上ることもあります。先日、韓国の方と きたちょうせん ら ち ひがいしゃ はなし ぐんたい じ えいたい 北 朝 鮮 による拉致被害者の 話 から軍隊や自衛隊に はなし およ おり かのじょ はつげん てっぽう ぐんたい ほんとう 話 が及んだ折の彼女の発言です。「みんないっしょに鉄砲も軍隊もなくせばいいです。」本当に とお こっか こと しゅぎ かか きた みなみ ひがし にし はんもく その通りです。国家レベルでは異なった主義を掲げて、北だ 南 だ、 東 だ西だといって反目してい わたし くさ ね おも ても、 私 たちレベル、いわゆる草の根レベルの思いは「みんないっしょ」なのではないでしょう だれ せんそう のぞ か。誰ひとりとして戦争なんぞ望んではいません。 いっぽう やすくに たけしま てきたいしん あお と あ わたし また一方で、靖国や竹島(独島)がことさら敵対心を煽るニュースとして取り上げられるとき、私 ちゅういぶか う たいせいよくさんかいてき たちはそれをとても注意深く受けとめなくてはなりません。大政翼賛会的な「みんないっしょ」に おちい せかい じょうほう そ う さ どくさい せんそう いま とお 陥 ってしまってはいけないのです。世界には、情 報 操作による独裁や戦争が未だにまかり通って そんざい むえん しゃかい じょうほう あふ しゃかい いるところが存在します。それらとは無縁の社会、インターネットには 情 報 が溢れた社会にいる おも こ わたし し ま たいへん き け ん む と思い込んでいる 私 たちも、知らぬ間に、大変危険な「みんないっしょ」に向かっているやもし れません。 わたし つね う じゅうなん すこ うたが ようじんぶか 私 たちは常に、なにごとも受け入れられる 柔 軟 さと、なにごとも少しは 疑 ってみる用心深さ しんし みずか まな ねっしん も いちばんたいせつ あい と、なにごとも真摯に 自 ら学ぼうとする熱心さを持つべきです。そして一番大切なことは、愛だ じぶん あたま くさ ね あたま かんが このなつ なんていいません、自分の 頭 、草の根レベルの 頭 で 考 えることです。今夏のビアガーデンでは、 いじょう りゅうい い ぶ ん か こうりゅう はげ にんげん 以上のことに留意しつつ異文化 交 流 に励んでみてはいかがでしょうか。そうすればきっと、人間の こころ おくそこ おも つ ふるせなおこ 心 の奥底にある「みんないっしょ」の思いにたどり着けるはずですから。(古瀬尚子) 1 ◆にほんごひろば岡本 NEWS LETTER NO.24◆ 2006 年春 特集 ひろばレポート① 「おのみち日本語教室」訪問記 神戸松蔭女子学院大学 下田美津子 ごう かつしま ち あ き き じ おぼ かつしま こ う べ しょういん ニューズレター22号の勝島千晶さんの記事を覚えておられるでしょうか。勝島さんは神戸 松 蔭 じ ょ し がくいんだいがく に ほ ん ご きょういく せんこう だいがく じ だ い なが つづ そつぎょう 女子学院大学で日本語 教 育 を専攻し、大学時代に「ひろば」でボランティアを長く続けていた卒 業 せい きょうり おのみち かえ きぎょう ぎじゅつけんしゅうせい に ほ ん ご おし ちいき に ほ ん ご しえん 生です。郷里の尾道に帰って、企業の技術 研 修 生 に日本語を教えるかたわら、地域の日本語支援「お に ほ ん ご きょうしつ ちゅうしんてき かつどう せ と う ち はる あさ がつ にち のみち日本語 教 室 」 の 中 心的なメンバーとして活動しています。瀬戸内の春もまだ浅い 2月26日、 やくそく に ほ ん ご きょうしつ けんしゅうかい にしむら いはた にん い かねてから約束していた「おのみち日本語 教 室 」の研 修 会 に西村さんと井畑さんの 3人で行って きました。 に ほ ん ご きょうしつ ちが 「おのみち日本語 教 室 」は「ひろば」とは違い、 お の み ち し しょうがい がくしゅうか うんえい しゅたい ち い き に ほ ん ご きょう しつ 尾道市 生 涯 学習課 が運営 主体 の地域 日本語 教 室 で けんしゅうかい にん しょうがいがくしゅうか きょうしつ す。研 修 会 は「ひろば」の3人が 生 涯 学習課が 教 室 いたく けんしゅうかい こうし つと かたち に委託 した 研 修 会 の講師 を務 めるという 形 で行わ にしむら かつどう れました。まず西村さんが「ひろば」のこれまでの活動 うんえいほうしん し ご と ないよう しっぱいだん と運営方針、コーディネーターの仕事内容を失敗談も まじ はな つぎ ど 交えながら話し、次に「ひろば」でビデオ撮りしてお なんくみ たの かつどう もよう いた何組 かのマンツーマンの楽 しそうな活動 の模様 いはた しょう かい ぐたいてき に ほ ん ご を井畑さんが 紹 介しました。そして具体的な日本語 しえん ほうほう かつどう ほうほう しもだ きょうざいしょうかい きょうざいぶんせき に ほ ん ご きょうしつ あ 支援の方法について下田が 教 材 紹 介 と 教 材 分析をしながら、「おのみち日本語 教 室 」に合った おのみち しえんしゃ じぶん かんが だ 活動の方法を尾道の支援者のみなさんが自分たちで 考 えるためのいくつかのヒントを出していき ました。 に ほ ん ご しゅう かい しゅ 「おのみち」では『みんなの日本語』を使っての 週 1回のグループレッスンが主となっています きょうかしょ に ほ ん ご がっこう しゅうちゅうがた に ほ ん ご じゅぎょう きょうざい きょうし がくしゅう が、この教科書は日本語学校のような 集 中 型 の日本語 授 業 のための 教 材 なのです。教師と 学 習 しゃ かんけい たが し にんげんかんけい つく じょうほう こうかん 者という関係ではなく、もっとお互いを知り人間関係のネットワークを作って 情 報 を交換したり、 ちいき く ち え だ あ ば きょうざい 地域で暮らしたりするための知恵を出し合う場にするにはあまりふさわしい 教 材 とはいえません。 さいきん かくち に ほ ん ご きょうしつ すこ に ほ ん ご ぶんぽう じっせん う よ きょうざい しゅっぱん 最近は各地の日本語 教 室 での実践から生まれた良い 教 材 がたくさん 出 版 されています。ほん きょうじゅほうぎじゅつ きょうしつ に ほ ん ご がっこう きょうせい たの ば の少しの日本語文法と教 授 法 技術で 教 室 をミニ日本語学校ではなく 共 生 のための楽しい場にす きょうざい しょうかい こうべ みなとじま るためのいくつかの 教 材 があります。そこで 紹 介 した、神戸の「 港 島」 (ポートアイランド)で つく ち い き みっちゃくがた じょうほう も こ 作られた地域 密 着 型 のごみだし 情 報 などを盛り込 きょうざい んだ「わくわく」のようなユニークな 教 材 がヒント ひ おのみち ひと おのみち ひと になって、いつの日か「尾道の人の、尾道の人によ おのみち ひと きょうざい る、尾道の人のための」教 材 ができあがるかもしれ ません。 けんしゅうかい お わか ひと 研 修 会 が終わって、「おのみち」の若い人たちと ゆうしょく はな しゅうかく 夕 食 をとりながら話 せたのは 収 穫 でした。この けんしゅうかい せ わ し やくしょ しょうがいがくしゅうか 研 修 会 をお世話くださった市役所の 生 涯 学習課の かた た ふけん だいがく で じもと かえ しごと 方、他府県の大学を出て地元に帰って仕事をしてい 2 ◆にほんごひろば岡本 NEWS LETTERNO.21◆ かた かんが ゆうのう じょせい ふく じょせい ちから かん じぶん る方、そうした、ものを 考 える有能な女性たちを含めてここでも女性の 力 を感じました。自分の す ちいき ゆた きょうせいしゃかい か かのじょ おも つよ 住む地域をより豊かな 共 生 社会に変えていくのは彼女たちなのではないかという思いを強くしま した。 こんかい たび もくてき しえんしゃ ちゅうしんてきそんざい さ こ だ みきこ 今回の旅のもうひとつの目的は「ひろば」の支援者の中 心 的 存在であった佐古田幹子さんのお はかまい けんしゅうかい よくじつ おのみち ひろしま む さんようせん とちゅう げ し ゃ かつしま おとず 墓参りでした。研 修 会 の翌日、尾道から広島へ向かう山陽線を途中下車して、勝島さんと 4 人で 訪 はかしょ すいせん さ ちい ひみつ はなぞの くうかん さとやま ちか れた墓所は水仙やクリスマスローズが咲く小さな秘密の花園のような空間でした。里山に近いその たかだい す とり こえ ひ ひかり ほんとう みきこ 高台は澄んだ鳥の声と陽の 光 にみちて、本当に幹子さんにふさわしいサンクチュアリーのように おも 思えました。 かえ ひろしまえき いはた みせ ひろしま や も かえ しゃちゅう ひと 帰りは広島駅で井畑さんおすすめの店で広島焼きをお持ち帰りにしてもらい 車 中 の人となりま しんかんせん み ひとしごと お き ろ した。そして新幹線でよく見かける一仕事終えて帰路につくサラリーマンのおっさんのように、 かつしま かあ さま さ い お い さかな わたし かん せん ぬ 勝島さんのお母様が差し入れてくださった美味しいかまぼこを 肴 に 私 も缶ビールの栓を抜いた のでした。 2006 年春 特集 ひろばレポート② 「ニュージーランドの日本語事情」 山本温子 わたし がつ か がつ にち ご が く けんしゅう い あいだ ど 私 は 2月9日から 3月12日までニュージーランドへ語学 研 修 に行ってきました。その 間 に2度 こうこう じゅぎょうけんがく に ほ ん ご おし ほど Long Bay College という高校で 授 業 見学をさせてもらい、日本語を教えるアシスタントの しごと たいけん がっこう にち に ほ ん ご しょきゅう じょうきゅう 仕事を体験することができました。この学校は1日に日本語のクラスが5つあり、初 級 から 上 級 せいと まな にんずう めい めい に ほ ん ご までの生徒が学んでいました。1クラスの人数は 10名から 15名くらいでした。日本語クラスには けい ちゅうごく かん こく せいと かず おお アジア系( 中 国 や韓国 )の生徒 の数が多 いことが いんしょうてき 印 象 的 でした。 しょきゅう ひ ら が な 初 級 クラスでは せいと 平仮名 いろえんぴつ べんきょう の 勉 強 をしていまし ひ ら が な いっかく いろ わ た。生徒たちは色鉛筆で平仮名の一画一画を色分け ぬ か じゅん おぼ しょく して塗り、書き 順 を覚えていました。また、2 色 の つか せんせい い ひ ら が な だれ いちばんはや つく モールを使い、先生が言う平仮名を誰が一番速く作 きそ ることができるかを競いあっていました。モールを つか ひ ら が な おぼ ほうほう 使って平仮名を覚えるという方法はとてもおもしろ おも いと思いました。 ちゅうきゅう え つか けい 中 級 クラスでは絵パネルを使って「ます形」の れんしゅう おな い み えいご に ほ ん ご さが ご が く ば ん しんけいすいじゃく 練 習 をしていました。また、同じ意味になるような英語と日本語のカードを探す語学版神経 衰 弱 も あ すうじ こと み め おな さが むずか で盛り上がっていました。数字と異なり、見た目が同じものを探すわけではないので、かなり 難 し しんけいすいじゃく よ そうでした。あちらでは神経 衰 弱 のことを memory と呼んでいました。 ちゅうきゅう しゅくだい か く じ さくせい じ こ しょうかいぶん せんせい よ あ もう一つの 中 級 クラスでは、宿 題 で各自作成してきた自己 紹 介 文を先生が読み上げ、それを き だれ い あ す 聞いて、クラスの誰のことを言っているかを当てるということをしていました。みんな住んでいる ばしょ こくせき き だれ すいそく つぎつぎ こた さけ 場所や国籍を聞くと、それが誰なのかを推測して、次々と答えを叫んでいました。このクラスは ちゅうきゅう おお しょきゅう ちか こ おも 中 級 といってもレベルのばらつきが大きく、ゼロ 初 級 に近い子がいるかと思えば、すらすらと 3 ◆にほんごひろば岡本 NEWS LETTER NO.24◆ に ほ ん ご はな こ うんえい むずか 日本語を話すことができる子がいるなど、クラス運営がとても 難 しそうなクラスでした。しかし、 わたし けんがく ほか げんき かっぱつ はつげん いんしょうてき 私 が見学させてもらった他のどのクラスよりも元気がよく、活発に発言しているのが印 象 的 でし た。 わたし しょどう くも あい りゅう このクラスで、 私 は書道のデモンストレーションをさせてもらいました。「雲」「愛」「 龍 」と じ か かんたん せつめい とも み せいと いっしょうけんめい かんじ いう字を書き、それぞれ簡単な説明と共に見てもらいました。生徒たちは、みな一 生 懸 命 に漢字を ま ね か うつ ほ ことば さいきんべん 真似てノートに書き写していました。また、このクラスでは compliment(褒め言葉)をつい最近勉 きょう わたし じつえん 強 したらしく、 私 が実演していると、クラスのあちこちから「すごいですね〜」、 「とてもきれい ほ ことば き ですね」というような褒め言葉が聞こえてきてうれしくなりました。それでも、Japanese style と へんとう にほんじん なら かれ まえ して「いえいえ、そんなことはないですよ」という返答を日本人はするのだと習った彼らの前では、 わたし へんとう きたい わたし かれ みょう かいわ と 私 もその返答をすることが期待されていました。そこで、 私 と彼らの 妙 な会話のやり取りがし つづ わたし かれ かいわ ぞんぶん たの ばらく続きました。 私 も彼らもその会話を存分に楽しみました。 さいご じょうきゅう かいわ ひと 最後に 上 級 クラスについてですが、このクラスはナチュラルスピードの会話をほとんどの人が りかい けいご べんきょう れいぶん 理解できていました。このクラスでは敬語を 勉 強 していました。例文として「イギリスのエリザ いえ ぶん あ が な せんせい ベス女王から家をいただく」という文が挙げられました。このとき、 「女王」のふり仮名として先生 こくばん か もんだい はっせい ひとり おんな こ こ う じ えん が「じょうおう」と黒板に書いたところ、ある問題が発生しました。一人の 女 の子が広辞苑には きじゅつ い だ ただ 「じょうおう」という記述がないと言い出したのです。 「じょうおう」ではなく「じょおう」が正し しゅちょう じゅぎょう いちじ たし こ う じ えん しら いと 主 張 し、授 業 が一時ストップするということがおこりました。確かに広辞苑を調べてみると、 こう よ が な わたし 「女王」の項には「じょおう」と読み仮名がついていました。 私 もこのことにはびっくりしまし か せつめい ふ だ ん つか た。「じょうおう、じょおうでも可」というような説明ならまだしも、普段使っている「じょうお じしょ の たいへん おどろ う」が辞書に載っていないということは大変な 驚 きでした。 たいけん とお にほん き はっけん きかい え このような体験を通し、日本にいれば気づきもしないようなことを発見する機会をたくさん得る ゆ う い ぎ じかん す かんしゃ げつ た ん き りゅうがく ことができました。とても有意義な時間を過ごせたことに感謝しています。この 1 カ月の短期 留 学 じっしゅう とお に ほ ん ご きょうし おも に ほ ん ご きょうし や 実 習 を通して、ますます日本語教師になりたいと思うようになりました。これからも日本語教師 がんば べんきょう になるために頑張って 勉 強 していきたいと思います。 しえんしゃ はじ がくしゅうしゃしょうかい 支援者・学習者紹介 こんごう こ う ざ しゅうりょうご ねんまえ アを始めたのは講座 終 了 後 の2年前からです。ス おもしろ いっしょ いま コットさん(面白 いカナダ人)と一緒 に、今 も すいようび べんきょう がく しゅう おも ところ 水曜日に学 習 しています。思いもかけない 所 で 今号はひろばで 勉 強 している「ジュニア」を ぶんぽう とくしゅう 「この文法がわかりません」「どうしてこうなる 特 集 しました。 き なんかい あじ のですか」と聞かれるスリルを何回も味わってき にしむら み き こ ざ わ きょうこ み か ★ 小澤 恭子 さん・西村 美紀 さん・西村美佳 さ りゅうすけくん ん・西村 龍 介君 ました。 ちゅうごくしゅっしん はる (中 国 出 身 ) がつ さくねん がつ ちゅうごく にほ ん この春4月からは、昨年9月に中 国 から日本に こ にしむら み き さい み か 来られた西村美紀さん(18歳)、西村美佳さん(15 すてき りゅう すけ くん 素敵なティーンエイジャー いぜ ん きょうみ に ほ ん ご きょうし べんきょう がくしゅう 以前 から興味 のあった日本語 教師 の 勉 強 をし ねんまえ しま い おとうと ど よ う び 歳)、西村 龍 介君(13 歳)の姉妹と 弟 と土曜日 に ほ ん ご きょうし ようせい こ う ざ こと に学 習 する事になりました。 ねんかん ちょうじょ たくなり、3年前に日本語教師養成講座を 1年間 やさしくしっかりしている長 女 の美紀さんは、 じゅこう に ほ ん ご がっこう 受講しました。「にほんごひろば」でボランティ かよ き じじ ょ 日本語学校に通っています。とても気のつく次女 4 ◆にほんごひろば岡本 NEWS LETTER NO.24◆ ちゅうがくせい せい と の美佳さんは中 学 生 です。シャイでユニークな ちょうなん しょうがくせい ョナルスクールの生徒でもあります。そうです、 えが お かのじょ 長 男 の龍介君は 小 学 生 です。3人とも笑顔 の すて き かて い かんこくご がっこう えい ご にほんじん 彼女は家庭では韓国語、学校では英語、日本人と い に ほ ん ご こく ご わし ゃ は日本語を話す trilingual(3 カ国語話者)なのです。 素敵な、生き生きとした「ティーンエイジャー」 が い こ く ご がくしゅう てきれいき さい よく、外国語 学 習 には適齢期があり、4歳から です。 さい さいてき い かのじょ み 12歳までが最適であると言われますが、彼女を見 ぶぶ ん た た かわ ているとうなずける部分も多々あります。乾いた みず す こ あたら スポンジが水を吸い込むように、いろいろな 新 し ちし き ひ び きゅうしゅう おも い知識を日々すばやく 吸 収 しているように思わ れます。 か こく ご さて、このように書くと周希ちゃんが 3 カ国語 わし ゃ たん こく ご はな かんきょう さい 話者なのは単に 3 カ国語を話す環 境 と 12歳とい わか ねん れい う と う若い年齢のおかげだと受け取られがちですが、 かげ かのじょ なみなみ ひ び どりょく その陰 に彼女 の並々 ならぬ日々 の努力 がうかが し がっこう しゅくだい たいへん おも い知れます。学校の宿 題 で大変だろうと思いつつ、 に ほ ん ご じか ん じゅうぶん わたし せつめい わか りょう がくしゅう ふあ ん てい ど しゅくだい かんぜん お かんしん の 量 の 宿 題 もいつも完全にやり終え感心させら れませんので、私 の説明が解らないのでは、学 習 はや わた 「もし時間があれば、してね。」と渡したある程度 まだ日本語でコミュニケーションが 十 分 にと に ほ ん ご なか むずか ぶんぽう こんどう スピードが早 すぎるのでは、という不安 の中 で れます。日本語の 難 しい文法もあまり混同するこ べんきょう となくスムーズに理解するのは、彼女の 賢 さゆえ はじ りか い がくしゅう 勉 強 を始めたばかりです。3人と 学 習 していて たの こま じっさい もんだい かもしれません。しかし実際問題として、周希ち こた まち が ゃんのように母国語 以外 の言語 で 勉 強 をするの ふた り ねえ は並大抵の苦労ではないことは確かです。 ぼ こ く ご いが い ます。龍介君が自信なさそうに答えたり間違えた なみたいてい りすると、美紀さん美佳さん、二人のお姉さんが どう じ ふ なか よ む せいかい かしこ こと とても楽しいのですが、一つだけ困った事があり じし ん かのじょ おし げん ご くろ う べんきょう たし ほんとう 同時に振り向き正解を教えてくれるのです。本当 まえ に仲の良いきょうだいです。ちなみにこの前のレ ちゅうごく いちばん ゆうめい ひと ッスンで、「中 国 で一番有名な人はだれですか」 しつもん たち もうたくとう ま じ め という質問に、お姉さん達は「毛沢東」と真面目 こた わら に答えました。弟の龍介君はニッコリ笑って「ぼ く」でした。 これからの学習がとても楽しみです。 なかがわ よ り こ ★中川代利子さん・洪周希(ホン・ジュヒ)さん (韓国出身・女子) つぎ わたし じ し ん すこ はな では次に 私 自身のことについても少しお話し しょうらい おお い み わたし わたし に ほ ん ご ははおや べんきょう ねんまえ かんこく おんな こ あし や りょうしん にん かいがい おとうと ど よ う び むすめ おっと すこ か ふ にん けっこん ねんかん たいざい く ごぜんちゅう さい 海外に赴任させられることでしょうか。結婚して にほ ん きこ く すぐにイギリスに 6年間滞在し、日本に帰国して、 ン・ウォンギ君)の 4人で暮らしています。にほ おかもと むす こ いわゆる転勤族です。ただ少し変わっているのは 歳の 女 の子です。芦屋にご 両 親 と 弟 さん(ホ くん わたし てんきんぞく き 紹 介 しましょう。2年前に韓国からやって来た 12 さい さい 母親でもあります。 私 の 夫 はサラリーマンで、 私 と日本語を 勉 強 している、洪周希ちゃんを しょうかい しゅ ふ ましょう。私 は主婦で 21歳の息子と 18歳の 娘 の 将 来 、大きな意味があるように ねん ご べんきょう ねんかん たいざい その 5年後にはアメリカに6年間滞在しました。 んごひろば岡本 で土曜日 の午前中 に 勉 強 してい か かんこくじん おも かた このように書くと、「いいなあ」と思われる方も ます。周希ちゃんは韓国人ですが、インターナシ 5 ◆にほんごひろば岡本 NEWS LETTER NO.24◆ たし い ぶ ん か なか いらっしゃるかもしれません。確かに異文化の中 にほ ん ちが かんが かた かた ふ で日本とは違う 考 え方、とらえ方に触れ、いろい しげ き う ろな刺激を受けることもできました。しかしその いっぽう しゅっさん いく じ 一方で、イギリスにおいては出 産 と育児、アメリ こど も きょういく もんだい かくとう ひ び カにおいては子供 の 教 育 問題 と格闘 する日々 で こど も しゅうじつ もありました。アメリカでは子供たちは週 日 には げんちこう かよ まいしゅう ど よ う び あさ ゆう アメリカの現地校に通い、毎 週 土曜日は朝から夕 がた に ほ ん じ ん がっこう 方まで日本人学校に通いました。ですから、周希 こんなん み りか い ちゃんの困難 さは身 をもって理解 することがで かのじょ こく ご こく ご きます。彼女は 2 カ国語のみならず、3 カ国語と かくとう 格闘しているのですから。 いっ か らいねん がつ かんこく き きこ く 周希ちゃん一家は来年1月には韓国に帰国する よて い かのじょ にほ ん たい ざい いま に ほ ん ご かのじょ しょうらい おお い き こ く ご なが に ほ ん ご ゆうじん お がみ けんちく スを参考にしたり、また、折り紙建築やなぞなぞ きょうみ べんきょう ひ ほうほう ため クイズなど興味 を引 くようないろんな方法 を試 あるように、韓国へ帰国後も長く日本語の勉 強 を つづ きょうし さんこう み 勉 強 したことが彼女にとって 将 来 大きな意味が かんこく しょうがっこう 今 は小 学 校 の教師 をしている友人 のアドバイ 予定です。彼女が日本に滞在し、そして日本語を べんきょう かれ に来てくれている彼に、ほっとしています。 じか い おも かだ い しながら、次回への課題につなぐことで、少しず 続けていってほしいと思います。 がくしゅう ほうこう あら つ、より学 習 しやすい方向にもっていければと新 きやまかずこ まいにち げ ん ご しゅうとく さい ★木山和子さん・洪元基(ホン・ウォンギ)君 たなチャレンジの毎日です。言語 習 得 には 10歳 (韓国出身・男子) から 12歳が一番効果的だと言われています。 今10 さい いちばん こ う か て き さい い くん いま じか ん だい じ にほ ん 歳のウォンギ君には、この時間を大事に日本にい こくさいこうりゅう たの あいだ とお がくせい じ だ い こくさい こうりゅう たいしょく き おも やく げんじつ む た つぎ がくしゅう び たの わたし じゅこう あ まな 役に立つのであればと、次の学 習 日を楽しみにし ている 私 です。 て日本語教師養成講座を受講しました。ところが に ほ ん ご なか よ い、と思っています。このひろばでの学びがその た。3年前、退 職 を機にその想いを現実にしたく に ほ ん ご きょうし ようせい こ う ざ つく おも きょうみ 遠 い学生 時代 より国際 交 流 に興味 がありまし ねんまえ ともだち る 間 に友達をたくさん作って仲良くなってほし ささやかな国際 交 流 を楽しんでいます ふくざつ いざ日本語と向き合ってみるととても複雑で、そ おし むずか さかもときょうこ じっかん ★坂本喬子さん・文亨鎮(ムン・ヒョンジン)君 れを教えることはさらに 難 しいとつくづく実感 そつぎょうご おな せんぱい おかもと さくねん (韓国出身・男子) しました。卒業後同じクラスだった先輩に「にほ しょうかい がつ んごひろば岡本」を紹 介 いただき、昨年7月より せ わ ドラえもん大好き お世話になっています。 こんかい がくしゅうしゃ かん こくじん 文亨鎮君はインターナショナルスクールの2 今回の学 習 者 は韓国人の洪元基(ホン・ウォン くん さい しご と かんけい おとこ こ ねんせい とお とお がつ に ほ ん ご げんざい がっこう えい ご じた く つか がくしゅう べんきょう わ とじょう とうしょ かた ともだち わたし すがた に ほ ん ご いえ いそが しょうがくせい いちばん す あそ だい す かんこく けんどう ではサッカーを日本 では剣道 とバドミントンを なら まいしゅう す 習っています。もう一つ好きなものはテレビのア と大変かな?」との不安もあったのですが、毎 週 やきゅう えい ご にほ ん りか い ふあ ん じょうず は友達と遊ぶこと。またスポーツも大好きで韓国 のような教え方で理解してくれるのか、「ちょっ たいへん ねん 勉 強 する 忙 しい小 学 生 ですが、一番好きなこと も、いずれの言葉もまだ学 習 の途上で、当初は 私 おし らいにち 学校 では英語 と日本語 を、家 ではハングルを といったように 3 カ国語を使い分けています。で こと ば おどろ がっこう かんこくご ールの 4年生で、学校では英語を、自宅では韓国語 こく ご かんけい が日本語が 驚 くほど上手! 来日されています。現在インターナショナルスク ねんせい しご と お父さんのお仕事の関係で、来日して 1年です の仕事 の関係 で 2004年 1月 からファミリーで らいにち えが お 年生。笑顔がとてもかわいい少年です。 ギ)君、10歳のかわいい 男 の子です。お父さん ねん ひろばの最年少 なか げん き いちばん き い ニメで、中でも ドラえもん が一番のお気に入 野球のユニホーム 姿 でカッコよく元気にひろば 6 ◆にほんごひろば岡本 NEWS LETTER NO.24◆ も かん じ ば り。持っている漢字のテキストもドラえもんワー たの つか たことをこの場 でたくさん使 ってみたいという べんきょう きょうしつ ルドで、楽しみながら勉 強 しているんです。 じ ゆ う ど たか ことでした。ボランティア教 室 では自由度が高い ゆ つ さき おな いろいろ ので、行き着く先は同じでも色々なアプローチが ありますよね。 じぶ ん なに かんが ここで自分は、何をすればいいのだろう?と 考 わたし えい か い わ なら ころ おも だ えたとき、私 が英会話を習っていた頃を思い出し しょきゅう ゆび お ぶん く た ました。初 級 では指を折りながら文の組み立てを せんせい つた リードしてくれた先生、なんとか伝えようとあれ こと ば さが じか ん ま せんせい これ言葉 を探 している時間 を待 ってくれた先生 な かずおお などなど……投げかけられたトピックは数多く、 す しょうかい あつ 好きなアーティストの 紹 介 などは熱くなりまし せんじつ こうぶつ し 先日、ドラえもんの好物 どらやき を知らな ひとくち た いというのでプレゼントしたところ、一口食べて えが お ひょうげん 笑顔いっぱいで おいしい を表 現 してくれまし た。 べんきょう がつ ひろばでの 勉 強 はこの 3月からスタートした べんきょう なか あそ と い ばかりです。勉 強 の中に遊びやゲームを取り入れ たの まな かんが て楽しく学べることを 考 えながらやっています。 たいざいちゅう に ほ ん ご べんきょう 滞 在 中 は日本語の 勉 強 はもちろん、いろんな い ぶ ん か たいけん ほ わたし おも せいちょう じか ん つく おも なか ければいいなと思っています。 亨鎮君が成 長 していく中で、これらのことがき かたち いんしょうぶか た。 私 たちも、そんな印 象 深 い時間を作ってい 異文化を体験して欲しいと思っています。 ぐたいてき やく だ かれ かい わ なか いま 具体的 には、彼 らが会話 の中 で「今 ならこの っとなんらかの 形 で役立つことでしょう。 こうぶん つか み 構文使えるのかな?」というタイミングを見つけ てんかい かんが てもらえるような展開を 考 えています(これがな むずか かなか 難 しいのですが……)。 し え ん し ゃ しょうかい 支援者紹介 こと かいしゃく かた やっている事に 解 釈 をつけると堅 っくるしく あたま なか せか い じっさい みぢ か なりますが、それは 頭 の中での世界、実際は身近 ひらまつ わだ い ひさし ★平松 か い わ れんしゅう よう たの な話題で会話(練 習 )をするんですけど。要は楽し 久 さん たが じ こ しょうかい はんちゅう くなきゃね。まだまだお互い自己 紹 介 の 範 疇 、 いんしょうぶか じかん つ つく ネタは尽きません。 印 象 深 い時間を作りたい はじめまして、平松 あまがさきじん あま もう せいいっぱい せ きっすい こん ご こ けんがく い ね ん ど しゅんき ぬす こ う べ だいがく か い じ か が く ぶ さて、18年度春季 がくせい きょうし かん リ パク かた いけ ん しど う せいねん かいがい きょうりょくたい に ほ ん ご 青年海外 協 力 隊 に日本語 おう ぼ い ち じ せんこう おこな 教師で応募していまして、もうすぐ一次選考が 行 ましたが、今回、神戸大学海事科学部の学生で韓 こくじん すす よろしくお願いします。 したりネタを仕入れたり(盗んだり??)してい こんかい がくしゅう ないよう ねが さんこう しばらくの 間 、ひろばを見学しながら、参考に し すす 今後も 学 習 内容、進め方などのご意見やご指導、 尼 崎 人 、尼っ子です。(写真右が平松さん) あいだ の 精一杯背伸びして、ペンを進めてきましたが、 久と申 します。生粋 の じつ たんとう さい に ど め ちょうせん 国人 の李 さんと朴 さんを担当 することになりま われます。実は再チャレンジ、二度目の挑 戦 にな した。 ります。協 力 隊 の中での人気 職 種 、難関ですが、 きょうりょくたい かれ に ほ ん ご はな がっこう なか おうえん なら に ん き しょくしゅ がんばります。応援してください。 彼らのニーズは日本語を話したい、学校で習っ 7 なんかん ◆にほんごひろば岡本 NEWS LETTER NO.24◆ でしたが、ノーラクさんのお友達のプラモーさん しえんしゃ がくしゅうしゃ はとても元気で、私の友人とずっとおしゃべりを 支援者・学習者のひろば しながら一番前を歩いていました。感心して聞い てみると、自宅の近くの裏山を毎日散歩してから ●六甲山ハイキングだより 第2弾 出社していたらしく、数カ月で10kgもダイエット 4月23日日曜日、六甲山へ行ってきました。 したそうです。やはり何事も継続が力ですね。 昨年の六甲全山縦走登山の話をノーラクさん ようやく天狗岩に到着したときは昼前で、休憩 にしたところ、彼女が「私も六甲山に登りたい!」 と写真撮影をしました。とても景色が綺麗でラハ と言い出したのがきっかけで、今回の登山は実行 ールさんはしんどいながらもずっとカメラのシャ されました。全山縦走の後、冬になってしまった ッターを切りまくっていました。まだ、桜も少し こともあり、若干、冬眠気味だったので、春の訪 残っていて、場所によると梅も咲いていました。 れとともに登山も再開しました。メンバーはノー しかし、何といってもツツジとアセビが満開でし ラクさんとラハールさん、ノーラクさんのお友達 た。六甲山には色々な種類の草花がありますが、 と私の友人2名の計6名でした(村上先生は風邪の この時期はこの2種類が代表的です。ラハールさ ためお休みでした)。 んはこちらも忘れずしっかり写真に納めていまし た。 その後六甲山オリエンタルホテルの裏側に出 て、途中、みよし観音という像を見学しながら、 舗装された道を30分くらい歩いてゴールの六甲 ガーデンテラスに到着しました。ここのレストラ ンで昼食を取り、下山の話をしていると、ノーラ クさんが「もう歩きたくない……」と弱音を言い 出したので、今回は六甲ケーブルで下山してきま した。多分思ったより登りがしんどかったんです 当日の朝まで小雨が降っていたのですが、10時 ね(笑)今度はめげずに徒歩で下山しましょう に集合した時には止んでいて気温も高く、雨上が ね! りで空気も澄んでいてとても歩きやすいコンディ ションでした。今回はJR住吉駅からバスで渦森橋 まで行き、そこから六甲山に入って、寒天橋、天 狗岩を経て六甲ガーデンテラスまでの2時間くら いのハイキングでした。 初めはノーラクさんともラハールさんとも楽し くおしゃべりをしながら歩いていましたが、歩き 出して30分もしないうちに口数がどんどん減っ て無言になってきました。しばらく運動をしてい なかったので、なるべく楽なコースを選んだつも りでしたが、登っていくにつれて、自分の体重が 大人になると毎日忙しくて、なかなか運動する 増えていることを重力に実感させられました・ ・・。 機会がありませんが、こうやって春の陽気の中、 ノーラクさんもラハールさんもかなりしんどそう 自然を満喫するのはとても気持ちがいいです。こ 8 ◆にほんごひろば岡本 NEWS LETTER NO.24◆ ラム君と初めて出会ったとき、彼は小学 5 年生、 れからいい季節になります。また時期をみて登山 を企画しますので、参加希望の方がいましたら、 私は大学に入学したばかりでした。最初のころは いつでも声をかけてくださいね!(三木知津子) 会話をしていても、一つの単語や表現方法につい て何度も言い換えたり、意味説明をしなければな 【学習者紹介】 ノーラク・サティカーンさんはタイのバンコク 出身で、日本企業にお勤めのキャリアウーマンで す。来日は2002年4月です。理系で頭脳明晰。学 生時代は数学と生物が得意だったそうです。とて も優しくて積極的。授業でも自分から質問文を考 えて一生懸命練習しています。 ラハール・バリワンギさんはインドネシアのジ ャワ島のスラバヤ出身で、2004年9月に来日。神 戸商船大学(現神戸大)海事科学部の留学生で、 らず、話が中断してしまうことがしょっちゅうで 船の解析などの研究を行っています。 写真を撮るのが大好きで、いつでもどこでもカ した。しかし、そんな中でも、お互いに好きなこ メラを持ち歩き、シャッターチャンスを逃しませ と、好きな食べ物、今日のできごと、ベトナムの ん。とても穏やかで面白く、インドネシアでも日 こと、ベトナムの従妹や友達の話などを身振り手 本でもニックネームは「ドラえもん」だそうです。 振り、時には絵も交えて伝え合ってきました。は じめのころはベトナムでの思い出話が中心だっ た私達の会話に、日本の小学校での話が加わり出 ●ラム君との思い出 ファム ゴッ バオ した頃からラム君の日本語が飛躍的に上達して ラム君と出会ってから 4 年近くが経とうとしています。出会った当初は私 いったように思います。日本での生活を受け入れ、 の方が大きかった背の高さも、いつの間にか追い 友達を作り、その友達と話をして自分の意志を伝 抜かされてしまいました。また、国語の教科書を えたり、相手が何を言いたいのかを真剣に考えた 読むことで精一杯だった日本語力も日本語能力 りすることが日本語の上達につながっていった 検定試験 2 級に合格するまでになりました。ラム のだと思います。クラスの友達とどんなことをし 君はこの 4 年間で体も精神力も日本語力も本当に たのか、今何を勉強しているのか、体育ではどん 成長したように思います。 なことをしたのかというようなことを、目をきら きらさせながら一生懸命話して聞かせてくれた ことが懐かしく思い出されます。 ラム君との思い出の中で、もう一つ印象深いこ とは二人でしたゲームです。これは五目並べのよ うなゲームで白黒の丸で陣地争いをするもので す。ラム君がまだ日本語を上手く操れないときに、 必死で知っている表現を使ってルールを説明し てくれた姿が思い出されます。その日以来、私達 は、ほとんど毎回欠かさずに対戦してきました。 対戦結果については、最初の頃こそ私の負けが続 9 ◆にほんごひろば岡本 NEWS LETTER NO.24◆ いていましたが、今ではお互いに勝ったり負けた りという互角の戦いを繰り広げています。最後の 授業の日にも対戦しましたが、一勝一敗と引き分 けで終わりました。いつかまた会うときに決着を つけようと約束しています。 ラム君はこの夏、ベトナムに帰ります。ベトナ ムに戻ってからも日本語の勉強は続けていくそ こうれい うです。「また日本に来たいんだ」と話してくれ ことし ◆恒例 ました。ラム君が日本とベトナムとの掛け橋にな はなみ 今年もお花見できました! (2006 年 4 月 1 日 ひろばの近くの公園) る日も、そう遠くないかもしれません。ラム君と 出会え、共に日本語を勉強してこられたことをう れしく思います。(山本温子) ●岩野優さん 卒業おめでとう!! 水曜日に鄭麗珍さんと学習している岩野優さ んが今春、神戸松蔭女子学院大学をめでたく卒業 されました。 こと し はな み ある ぷん こうえん 今年のお花見はひろばから歩いて 10分の公園 おこな てん き よほ う しん まんかい で 行 いました。天気予報を信じて? じしゅう 満開ではな あめ かったのですが、次週になると雨みたいなので、 すこ はださむ ど よ う び けっこう かは ん ふぜ い 少し肌寒い土曜日に決行しました。河畔の風情は うんどうじょうつき こうえん ありませんでしたが、運動場付 の公園だったので、 あそ たの ボール遊 びやジャンケンゲームなどをして楽 し みました。 ぐ え ん グエン ば はな み 岩野さんは今後中国の北京外国語大学の日本 お バオ く お っ く あか はじ クオック さんの赤 ちゃんも初 よくじつ り に ち め て の お 花見 に 翌日 離日 す る お ば あ ち ゃ ん と いっしょ 語教育に携われるそうです。今後のご活躍をお祈 たの 一緒に楽しんでいましたよ。 らいねん りします。 はな み さて、来年はどんなお花見になるでしょうか? きた い いま ぼう ず つく 期待して、今から「てるてる坊主」を作りましょ みんなのひろば う。 10 ◆にほんごひろば岡本 NEWS LETTER NO.24◆ ひょうご に ほ ん ご こん ご ◆ 兵庫 日本語 ボ ラ ン テ ィ ア ネ ッ ト ワ ー ク けんしゅうかい じょうほう こうかん みつ かくにん て、今後も情 報 交換を密にすることを確認しあっ さん か へいかい 研 修 会 に参加して て閉会しました。 がつ (2006 年 4 月 22 日) か ど よ う び こう べ しな が た 6月24日(土曜日)神戸市長田ピプレホールで そうかい ひら な ご や がいこくご ネットワークの総会が開かれます。名古屋外国語 しえ ん げんじょう かだ い だいがく お ざ き あきひと せんせい 「支援グループの現 状 と課題」をメインテーマ かくきょうしつ よう す こま はな あ に ほ ん ご がくしゅう し え ん に各 教 室 の様子 や困 っていることなどを話 し合 きょうしつ なや し み ん かつどう 大学 尾崎 明人 先生 に よ る 「 市民 活動 と し て の かだ い ほうほう けんしゅうかい 日本語 学 習 支援(課題と方法)」の研 修 会 もあり かか きぼうしゃ いました。どの教 室 も同じような悩みを抱えてい しゅっせき くだ ますので、希望者は出 席 して下さい。 ■お知らせ■ ●にほんごひろば岡本 2006 年度第 7 回 総会 6 月 3 日(土曜日)午後 1 時〜2 時 皆様のご協力、ご支援のおかげでひろばも 8 年目を迎えることができました。2006 年度総会を 6 月 3 日(土曜日)午後 1 時から開催します。2005 年度の活動報告・決算監査報告、2006 年度役員選出・活 動方針案・予算案等の議事を行います。みなさまの出席をお願いします。 ●七夕まつり 7 月 1 日(土曜日)午後 12 時ごろ〜3 時ごろ たなばた か ざ り お がみ つく ねが ごと ふで か ゆか た き まっちゃ た いろいろ 七夕飾りを折り紙で作ったり、願い事を筆で書いたり、浴衣を着たり、また、お抹茶を立てたり、色々 たの ま けいしょく よう い むりょう かぞく ともだち さそ 楽しいことが待っていますよ。軽 食 を用意します。無料です。ご家族やお友 達 を誘 ってきてください。 ●ひろばの夏休み 8 月 12 日(土曜日) 8 月 16 日(水曜日) ※注意 がくしゅう 8 月 19 日(土曜日)学 習 はあります。 にほ ん こくみん しゅくじつ やす み 9 月 23 日(土曜日)は日本の国民の祝 日 なのでお休みです。 ●支援者交流会(予定) 8 月 5 日(土曜日) 学習日が水曜日と土曜日、また、クラス学習ではなくマンツーマンの学習形態をとっているひろばで す。支援者間の交流がなかなかできませんでした。学習支援上の疑問点や悩みなどざっくばらんにお話 していただける会にしたいと思います。みなさまの参加をお待ちしております。 ●バーベキューパーティー(予定) 10 月 7 日(土曜日)芦屋奥池遊びの広場 ●教科書・参考書ぞくぞく 今まで、1 冊ずつしかなくて、貸し出しができなかった、辞典類が複数冊入りました。どんどん活用 して下さい。 11 ◆にほんごひろば岡本 NEWS LETTER NO.24◆ 『初級を教える人のための日本語文法ハンドブック』 『日本語文型辞典』 『日本語文法ハンドブック』 《新しく購入した教科書等》 『新基準対応日本語能力試験対策 日本語総まとめ問題集 2 級』漢字 『新基準対応日本語能力試験対策 日本語総まとめ問題集 2 級』読解 『新基準対応日本語能力試験対策 日本語総まとめ問題集 2 級』実践 『日本語で歌おう』 『日本語集中トレーニング 初〜中級』CD付 『中級レベルわかって使える日本語』 CONTENTS ★特集 2006 年春 ひろばレポート①「おのみち日本語教室」訪問記 2006 年春 ひろばレポート② 下田美津子………2 「ニュージーランドの日本語事情」 山本温子…3 ★支援者・学習者紹介………4 小澤恭子さん・西村美紀さん・西村美佳さん・西村龍介君 中川代利子さん・洪周希(ホン・ジュヒ)さん 木山和子さん・洪元基(ホン・ウォンギ)君 坂本喬子さん・文亨鎮(ムン・ヒョンジン)君 ★支援者紹介 平松 久さん……7 ★支援者・学習者のひろば………8 六甲山ハイキングだより 第2弾 ラム君との思い出 ★みんなのひろば………10 岩野優さん 恒例 卒業おめでとう!! 今年もお花見できました! ★お知らせ………11 にほんごひろば岡本 2006 年度第 7 回 総会 七夕まつり ひろばの夏休み 支援者交流会 バーベキューパーティー 教科書・参考書ぞくぞく 〔編集後記〕 今号はひろばの「ちびっ子学習者」を紹介しました。3 カ国語を勉強している環境に負けず、日本をたくさん見て感 じて欲しいですね。ラム君は昨年 12 月のスピーチ大会でアメリカに行きたいと言っていましたね。色んな国を見て、素 敵な大人になって下さい。元気でね。ひろばに習字の色紙を残してくれましたよ。(I・M) 12
© Copyright 2024 Paperzz