本日の集会・デモについて - RAFIQ 在日難民との共生ネットワーク

本日の集会・デモについて
2004 年より各団体が一つになって、面会活動を中心に、難民申請者や日本人と結婚した
人で支援できる人を対象に仮放免支援や在留支援をし、また入管に対し、医療や処遇の面
でも改善を求めてきました。私たちは、その取り組みにおいて「長期収容は人権侵害であ
る」「長期収容阻止」という方針を掲げて活動してきました。その成果として 2009 年春ご
ろまでには、対象者で仮放免の条件が整った人たちを順次仮放免できる体制を整えてきま
した。しかし、2009 年夏ごろからどんなに仮放免の条件が整っていても、仮放免許可が出
なくなりました。そのため収容が長期化となり、元気だった人も精神的に追い込まれて病
に倒れたり、もとあった病気を再発させてしまったりしています。
仮放免の不許可は西日本入管だけでなく、全国の入管収容施設でも見られ、収容が長期
化(6 カ月以上)していることが分かっています。ほかにも、難民申請者の再収容、再々
収容がなされています。
このような変化は、入管の方針転換を明らかにしています。方針転換による長期収容の
常態化の容認は、過去にあった自殺、自殺未遂の続出、収容所内での死亡事故、体調不良
者の続出といった悲惨な状況を招きます。事実、すでに深刻な事例が頻発し始めています
(申し入れ書案参照)。このような入管の方針転換による逆流を阻止するために、各団体
が協力し、昨年12月22日、長期収容者の仮放免を求めて一斉面会を企画しました。
しかし、長期収容による入管収容所の実態を社会的に暴き、人権侵害の事実を社会的に
訴え、社会的世論をつくりだしていかないと、長期収容を阻止できないとの判断から、本
日の集会・デモを企画しました。
本日の集会・デモ後も周りの多くの皆さんに、長期収容の実態と人権侵害の実態を訴え
ていきましょう。
2010年2月21日
入管問題かんさい支援ネットワーク(構成団体)
RAFIQ(在日難民との共生ネットワーク)
西日本入管センターを考える会
アムネスティ・インターナショナル大阪難民チーム
日中友好雄鷹会大阪府本部
TRY(外国人労働者・難民と共に歩む会)
日本ビルマ救援センター
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資料1(12月22日、一斉面会に時の西日本入管被収容者の声明文)
被収容者
西日本入国管理センター
茨木市郡山 1-11-1
大阪府 567-8550
2009 年 12 月
本編集者より
西日本入国管理センター
1-11-1 茨木市郡山
大阪府
失礼ながら
再抗議の表明
もし「この世でもっとも価値ある事があるとすればなにか」と聞く人がいれば、私はこう答えるで
しょう。はい、それは第一に自由であり、次に健康な状態であり、そして 3 番目は自分の家族と一緒に
暮らす事であると。しかし、不幸な事に貴方の政府はこれらを私たちから奪ったのです。それは入管が
私たちを摘発した日から、不当に大阪の入国管理センターに収容している今日まで続いています。私た
ちが不当と言うは、みなそれぞれ日本に留まりたい理由があるが故にこう申し上げるのです。入管に摘
発された者の中で、日本に留まるため、反抗したものはほとんどいませんでした。それは在留を諦めら
れない正当な理由があるためです。貴方が摘発する人々は2つのグループに分けられます。1つは大半
が既婚者で、また日本に親類がいる者です。もう 1 つは難民です。
既婚者。大半の人が子を持っています。子どもと一緒に暮らせれば、家族の中で子どももしっか
りと養育されます。子を持つ被収容者は自分の妻や愛するかわいいわが子と離れる事などできません。
どうして家族を置いて自分だけ母国に帰る事などできるでしょうか。私たちは自分たちの権利を勝ちと
るため闘わなければなりません。もし、勝ち取れなければ、祖国に帰らねばなりません。帰らないとい
っても、入管は力づくで帰すでしょう。それは、日本政府が公的に人権を侵害しているということにな
りますが、日本社会には知られていません。
そしてもう一方の当事者である難民。かつて、私たちは自国の危険な状況から生き延びるために
日本にやってきました。日本に来たのは、日本がとても人道的な国だと思っていたためです。しかし難
民に対して、貴方の人々は私たちを逮捕し、無期限に収容したのです。私たち難民は今だに自国で脅威
があるため、自分たちの国に帰りかねているのです。その脅威は自分の命に関わるようなもっとも危険
なものでもあります。もしくは、国に帰れば、投獄されるかもしれません。しかしながら、ここ日本で
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私たちはいかなる暴行にも関与していないにもかかわらず、囚人となりました。このような処遇をする
のは日本が最初かもしれません。不幸にも、私たちはこの処遇を拷問だと感じています。なぜなら私た
ちは日本政府を前にあまりにも弱い立場にあるからです。
慎んで、心から私たちは自分たちの劣悪な状況を言い表し、最後に一刻も早い人道的援助を嘆願しま
す。私たち、違法なオーバーステイでここに収容された外国人らは以下に述べるような過酷な環境に置
かれています。
1. 医療
さらなる被収容者がここに収容された後に病気を患っています。多くの被収容者は様々な病気に苦
しみ、その大半の者には慎重かつ早期の診療と手術が必要です。
しかしながら、医者に診てもらったり手術をうけるまでに非常に長い時間がかかり、診療と手術
までは痛み止めを渡されるだけです。
しばしば過剰な量の薬をもらいますが、現在、そして未来も含め明らかに私たちの健康を害する
事です。
入国管理センターには常勤の信頼できる医者がいません。
いつも違う医者がやってきて、また違う医者がやってきてという状況です。私たちはこの事に対
する不満を訴えていますが、誰も気にしません。
2. 内部(管内の設備)
a. 食事:私たちに出される食事は量が非常に少なく、いつも同じメニューと具材です。あきらか
に体に必要なビタミンが取れませんが、私たちが訴えても職員は気にも留めず、このような食
事を食べるしかありません。
b. 生活必需品に高くつく事
朝昼晩の食事が無料なだけで、他の必要な品物は自分で買わねばなりません。
例:コーヒー、紅茶、砂糖、フルーツやその他のものを買うのにもここ購買の値段は、通常外
で売られているものと比べるとその 2 倍もします。
c.
テレホンカード
私たちは3千円する KDDI の会社のテレホンカードを使っています。3000 円で国内の固定電
話には 160 分、携帯には 35 分しか通話できません。このような収容所の中で、仕事もない被
収容者にとっては高すぎて賄えません。
3. 非人道性/不当で劣悪な処遇
a. 懲罰や懲罰房
何らかの事で状況の改善のために、嘆願や抗弁、要求をもとめる者があれば基本的に、寝るため
のシーツしかない隔離された部屋で厳しい罰を受けて終わるだけです。
b.長期収容
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被収容者は収容所の中での長期収容に苦しんでいます。いろいろな事情のある被収容者がいます
が、2年も収容されたままのものもいれば、その過程で母国に強制送還されるものもいます。
妻や子ども、母や日本人と血縁のある親類の者がいるにも関わらず、一般的に裁判所は結果を
長引かせるか、否決にしています。
そして庇護を求める者(難民)が放免される機会は今だなく、その代わりに長期に収容されま
す.
c.公的手続き
公的なものはすべて、その過程で相当な時間がかかる傾向があります。仮放免を自分や、支援者、
弁護士で申請しても、結果がくるのに3カ月以上もかかります。
ほとんど場合、具体的な理由のないまま、不許可の通知がきます。こんなにも時間をかけた結果
が、「あなたの理由は根拠がありません」という簡素な言葉で返ってきます。
最後に私たちは、私たちの苦しみと悩みに貴方の思いやりのある配慮と助けをここで求めている事を
お伝えします。私たちの心からの感謝を先に述べるとともに、貴方の人道的な支援がある事を期待して
います。そして、私たちは心からこの問題に関心をもった機関や一般の国民の皆さんが私たちに力をく
ださることを願っています。
私たちはここ大阪の入国管理センターに収容されている被収容者です。
いま一度、申し上げたいのはこれは私たちの事を自分の家族や保証人に伝えるものでもあるということ
です。仮放免担当の職員は私たちの知り合いからの電話にでるのを避けています。どうか、この事にも
絶えず申し入れて頂けるようお願いします。
以下は署名です
(以下 B ブロック被収容者40人分直筆署名)
A ブロック被収容者(署名)
To Whom It May Concern
We the detainees of Osaka-fu Ibarakishi Immigration detention Center, would like to express our
feelings out, to inform you that our situation here in the detention is so awful, because of our
incapacity of helping ourselves out, or getting help from relatives or friends, even means of
communication here is so difficult, due to the expense of the phone system, many of us has been
incarcerated for long duration period without release, where by Immigration is not a prison, even the
prison has a limit time, or period for release, we need provisional release, since our cases are already
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in court of under the ministry of justice decision, except when we are here without reasonable fact to
be granted a release, we’ve been having a lot of stress, sleeplessness, sickness, pains, and many more
health problems, please we urgently need your helps and solutions to resolve the critical situation,
thanks.
関係者各位
私たち、大阪府茨木市入国管理局収容センターの被収容者たちは、私たちの収容所内での処遇環境が非
常に悪いということを伝えようと思います。この理由は、自助または、親戚や友人からの助けを得られ
ないこと、電話設備の費用が高いことから、収容所内でのコミュニケーション手段さえ困難であること、
私たちのうちほとんどが、入局管理局は刑務所ではないにも関わらず、放免なく長期間閉じ込められて
いることにあります。刑務所でさえ期間が決まっているか、釈放期間があります。私たちのケースはす
でに法務省の判断にゆだねられる裁判のもとにあります。放免が得られるための十分な事実がなくここ
にいる被収容者のケースを除いて、私たちには仮放免が必要です。過大なストレス、不眠、病気、苦痛
そしてさらなる健康上の問題を持っています。あなたがたの迅速な助けとこの状況への解決策を求めま
す。
大阪入管センターに収容されている女性たち
私たち大阪の入管センターに収容されている女性は私たちの思いと要求を伝えたいと思います。私たち
は本当にこの国の権威、特に法務省と、ここの外にいる皆さんに聞いてほしいです。
私たちは解放されることなく長期間収容所にいます。いつ外に出れるのかわからないその時まで、1年、
1年と数か月です。囚人は私たちよりもましです、なぜなら彼らはいつ自由になるのか知っているから
です。私たちは犯罪者ではありませんし、私たちにはなぜ自分の国に帰ろうとしないのかの理由があり
ます。何人かは日本人男性と結婚していて、何人かは難民で、何人かは子供がいるなどの理由がありま
す。
私たちの事情や問題は知られていて、すでに裁判にかけているかもしくは以前の決定で法務省下にあり
ます。私たちは仮放免かもしくは最終決定を求めています。
私たちは何度も仮放免をお願いしているが、手に入れられていません。私たちはどんないい理由を出せ
ば仮放免を得るのかわからない。私たちのだす理由はすべて意味がないのです。私たちはたくさんのス
トレスや病気を抱えていて、いい治療もなく睡眠不足です。私たちは激怒したり、感覚がなくなったり、
いらだったりして多くの健康上の問題を抱えています。私たちは夫や小さな子どもと長い間離れ離れで
す。これは本当につらくて、私たちは内心で diyinol です。
私たちの夫は仕事が忙しかったり、距離が遠かったりで、会いに来ることができません。私たちのほと
んどは違う都市から来ていて、来れるのは土日休日を含めてセンターが閉まっています。
ここでの費用について。テレホンカード:カードを買うのが大変になっています。そして私たちは家族
や友人(この場や海外)と連絡を取り合わないといけない、というのも彼らはここでの私たちの生命や
健康をとても心配しているからです。そして悪いことに親戚や友人は私たちに電話がかけられないので
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す。電話は一方向です。だから私たちは彼らを安心させるためにも頻繁に電話をかけます。そのために
私たちにはカードに使うお金が必要になるのです。そしてカードは一枚 1000 円で(携帯で)11 分です。
“高すぎます。”
私たちは時々食べ物を買います。なぜならいつも同じような、しかも冷めた食事ばかりで、何人かはこ
こでの食事を楽しむことができません。だから自分で食べ物を買うのです。私たちはすべての必需品を
自分で買わないといけません。そのためにお金が必要になり、今とても大変です。
私たちはこんな風な生活をしたくありません。私たちはプロセスの中の次のステージを始められるよう
に至急最終決定や仮放免を要求します。
結局、私たちはこの手紙を入管の管理や規則に抗議して書いているのではありません。私たちは私たち
の思いや、過ごしている大変な生活のことを通して考えてもらうことを、ものすごく必要としているか
らなのです。
以下 署名
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資料2 西日本入国管理センター 主な事件
2001年3月31日、未明、中国人男性、抗議の自殺未遂。
男性は、2000年3月1日、同センターに収容される。
男性は、少年の頃の怪我により、左股関節が膠着し、四級障害者。腰痛の持病があった。しかし、
センターは、なんら適切な診療措置をせず、一年以上に渡り、畳の部屋に拘禁し、男性の腰痛は悪化。
男性は、適切な診療措置を講じないセンターに抗議して、シーツを破り、大人の人差し指の大きさの
紐を二本つくり、それを編んだ縄で首吊り自殺を図る。その晩、眠れなかった同室の同僚が気付いて、
ぶら下がっていた男性の足を抱え、男性は一命を取り留めた。
2001年5月
ダカ氏へのセクハラ、暴行事件
2001年10月
中国人梱包強制送還事件
2001年10月30日
ベトナム人首吊り自殺
2002年4月8日
中国人への暴行傷害、肋骨の亀裂骨折及び腰の捻挫
2002年4月25日
中国人への暴行
2003年7月~9月
アフガン、クルド難民の連続自殺未遂及び常勤医不在問題など。
2003年11月
妊娠六ヵ月の妊婦を約一ヶ月収容
2005年4月15日
西日本入管内で倒れたベトナム難民 搬送先病院で死亡
2008年1月1日
インド人自殺
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資料3 入管法成立の背景と同法第五章退去強制手続きについて
現入管法(出入国管理及び難民認定法以下入管法)の前身である出入国管理令は1951年10月4日
公布、同年11月1日施行され、1952 年 4 月 28 日(サンフランシスコ講和条約が発効した日)法律と
しての効力が付与された。同日、悪名高い「外国人登録法」も公布された。
日本敗戦時、在日朝鮮・韓国人は約 230~240 万人、台湾出身を主とする在日中国人は約5万人いたと
言われている。このような大量の在日朝鮮・韓国人の存在は、1939年に「国民徴用令」が出され、
その一部として朝鮮人労働者の重要産業への強制連行の、また日本の過酷な植民地支配によって朝鮮で
生きていけなくなった朝鮮・韓国人が職を求めて渡日したことの結果である。在日朝鮮・韓国人は終戦
後、日本の植民地支配から解放された祖国に続々と帰還して行った。
1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発した。米軍の介入、中国の義勇軍派遣など、朝鮮戦争は東西
両陣営の支援を受けた激しい戦争となった。朝鮮半島は内戦の戦火に覆われ在日朝鮮・韓国人の帰還は
困難となった。中には内戦を逃れて再び渡日するものも現れるようになった。
朝鮮戦争勃発時、約65万人の在日朝鮮・韓国人、在日中国人約1万人が日本に在留していたと言わ
れている。当時日本に在住していた「外国人」(当時は日本国籍者であった。在日旧植民地出身者が日本
国籍を一方的に突然剥奪されたのは 1952 年のサンフランシスコ講和条約発効の翌日であった)のほとん
どは、これら日本の旧植民地出身者であった。
当時の「外国人」とは具体的には彼等を指しており、出入国管理令及び外国人登録法が対象とした「外
国人」とは日本の旧植民出身者であった。
当時の緊迫した状況と政治課題が、テッサ・モーリス‐スズキの論文「冷戦と戦後入管体制の形成」
にいきいきと書かれている。
「在日朝鮮人の民族教育の権利に対する要求は、1948 年の『神戸事件』で頂点に達し、その中で占領
当局により非常事態宣言が発令され、大勢の抗議者が逮捕された。斉州島での『四.三事件』とほぼ時
を同じくして起こった『神戸事件』を SCAP(連合国最高司令官)は、民族教育をめぐる特異な闘争という
よりも、東アジア全体に広がる保安上の危機の一部ととらえた。」「占領文書の中には、例えば、武田
薬品の社長や阪神電鉄の社長による大量退去強制を支持する一般向け発言からの引用が収められてい
る。・・・阪神電鉄の社長は、『日本にいる全ての朝鮮人の退去強制』への熱意をあらわにし、左翼的
な朝鮮人の韓国への送還が収監や拷問、処刑という、非常に現実性の高い見通しを懸念している様子は
見られない。『追放された者が祖国でどう扱われるかについて、我々は予想できない。だが、我々はそ
うした義務に縛られる必要はない。ただちにこれらの不穏分子を一掃し、・・・・国家体制を安定させ
なければならない』」「1950年12月、日本の各新聞は、日本と韓国両政府が『共産主義者その他
好ましからざる朝鮮人の祖国への』大量送還で合意したという記事を掲載した。しかし、メディアは、
『この措置の実行に必要な法的専門的要件』が依然として見落とされており、追放措置の対象となる『共
産主義者その他の好ましくない朝鮮人』の正確な数がまだ把握されていないと指摘した。送還をできる
だけ速やかに実施するようにとの吉田茂首相の再三の催促にもかかわらず、法的専門的要件は、日本政
府が予想したより複雑であることが判明した」もちろん送還計画は在日朝鮮・韓国人の一致した激しい
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反発を招いた。「ある抗議者は、大量退去強制案を、『ヒトラーより実施されたユダヤ人の追放』にた
とえ」抗議し、またあるグループは「内戦の苦しみのさなかにある国への強制送還は死刑宣告も同然で
あると抗議した」(同論文より)。
こうして、出入国管理令の準備は、朝鮮戦争勃発の翌年、激しい内戦が続くさなかに、在日朝鮮・韓
国人の大量退去強制問題が政治問題化した情勢のもとで準備される。
現在では「出入国管理」という言葉を聞いても、すぐさま在日外国人の退去強制は頭に浮かばない。
しかし、当時の緊迫する情勢下において危機感を強める日本の支配階級にとって「出入国管理」とは在
日朝鮮・韓国人の退去強制問題であった。
それゆえ出入国管理令及び外国人登録法は、「外国人」を政治的治安対象として位置づけてつくられ
た法律である。出入国管理令は、入管に「締め出し・捜査・退去強制」に必要な全ての権限を与え、「望
ましくない外国人」を迅速・実効性をもって排除・退去強制できる法律として入管法第5章の「退去強
制手続」が作成された。入管法第五章は全く改正されないまま現在に至っている。
入管法第五章によって、警察・検事・裁判官が持っている権限を外国人の退去強制手続きにおいて入
管に与えている。入管は違反調査・身柄拘束(逮捕)、審査、認定・判定・裁決の全ての権限を一手に
握っている。
外国人収容所は、入管法第五章を法的根拠として存在し、外国人をどのようにでもできる権限と裁量
権をもって、第三者機関等の監視の一切ない密室で人権侵害が繰り返されている。
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