学生たちの感想文から 学生たちは毎晩、一日のスケジュールを終えてから日記形式の感想文を書き、第 6 回訪日の記録とした。 以下ではその一部を紹介する。 日付:5月24日(月) 1日目 大学名:北京第二外国語学院 氏名:柳源 1.第一印象———自然美と建築美 空港に降り立って最初に実感したのは日本の湿潤な空気だった。この日はべた曇りで、ぽつぽつと小 雨まで降っていたが、日本に着いた興奮と高揚感が冷めるということはなかった。温帯海洋性気候のせ いか、呼吸も滑らかで、昨夜の睡眠不足が嘘のように気持ちが高ぶり、胸がはずんだ。 成田空港から都心までは1時間半の道のりだった。日本は植生被覆率が高いと聞いていたが、バスから 見る光景はまさにその通りだった。目にも鮮やかな緑や道路の両脇の木々が単調な道程に彩りを添え、 楽しい気持ちにさせてくれただけでなく、日本人の環境美化意識の高さを感じることができた。 バスが都心に入ると、高層ビルが徐々に増え始めた。有名な「レインボーブリッジ」を渡り、人工島 のお台場を遠くに眺め、空高くそびえる東京タワーを仰ぎ見た。日本の道路はきれいに区画され、交通 マナーがとても良かった。日本の建物はしっかりどっしりしているという印象を受けた。外壁が厚く、 窓が小さい。日本は島国で地震が多いので、どっしりとした建物が人々を危険から守っているのだ。 「多難興邦(困難や災難が国を興す)」というが、頻発する地震が日本の建物を強固なものにし、日本人の 粘り強い国民性を育んだのかもしれない。 2.丸紅――さまざまな分野で活躍する巨人、社会的責任を重視する日本企業 ホテルニューオータニにチェックインした後、休憩もそこそこに丸紅本社の見学に向かった。本社ビ ルに入ってまず感じたことはその清潔さと雰囲気の良さだった。1階の受付係の笑顔にも親しみを感じ た。人の出入りは多かったが、塵一つ落ちていなかった。15階の床にはふかふかの絨毯が敷き詰めら れ、壁に掛けられた油絵が美術館のようだった。廊下には休憩や待ち合わせのためのソファーが置かれ ていた。優雅で芸術的雰囲気に溢れ、人にやさしいオフィスであれば、社員が懸命に働こうという気に なるのも頷ける。企業の環境は即ち企業イメージであり、企業精神や文化の表れであり、企業の大切な 無形財産なのだと思った。 会社紹介のビデオや会社案内により、丸紅が幅広い事業分野を手がけ、新規分野にも積極的に参入 し、社会的責任を重視する会社だということが分かった。その後16階で行われた交流パーティーでは、 好奇心と緊張の入り混じる中、思い切って丸紅の木村千穂さんに次のような質問をしてみた。 問:日本企業はさまざまな分野に積極的に参入している。中国企業も同じように「走出去(海外進出)」を 実践しているが、中国企業が日本に学ぶべきところは何だと思うか。 答:中国企業は独自の技術開発を重視すべきであり、特色ある技術を持つことが競争力を高める重要な 要素になると思う。 問:日本企業はその社会的責任を重視しているが、収益が少ないか、または利益の出ない分野でも、社 会的意義のある場合は、その分野に参入することはあるのか。 答:利益の追求は企業活動の基本であり、社会的責任と利益を両立させるのが望ましい。利益のあげら れない企業に社会的貢献はありえない。利益を無視して、盲目的に社会的責任だけを追求する企業は生 – 41 – き残れない。 問:丸紅の企業理念の一つである「新」には「常に自己変革を図り、飛躍に向けて挑戦する」という意味 があるが、ここで言う変革には企業の性質に関する改革も含まれるのか。 答:当然、企業は情勢に応じて制度改革を行うことになる。新技術の研究開発や新分野への参入を重視 すべきであり、そうすることで初めて企業の先進性を維持することができる。 また、日本企業の雇用制度や社員の福利厚生についても質問してみた。木村さんの回答は非常に勉強 になった。中国企業には以下の面で日本企業に学ぶべきところがあると思った。①企業精神と文化の醸 成を重視する、②新技術の開発を重視する、③新分野への挑戦を重視する、④時代に即した企業制度改 革を重視する、⑤社員の福利厚生を重視する。中国企業もこの5つの「重視」ができれば、競争力が飛躍 的にアップすること間違いない。 日付:5月24日(月)1日目 大学名:北京工業大学 氏名:呉鑫 昨日、北京は夜から雨という天気予報を見て、突然、日本の雨はどんな感じだろうと思った。ザー ザー降るのか、それともしとしと降るのだろうか‥‥。東京行の飛行機に乗り込み、しばらく待った 後、飛行機は東京の方角を目指して勢いよく飛び立った。その時、心の中でこう呟いた。「東京。もう すぐ行くから待っていて‥‥」。 私の考えていたことが伝わったのだろうか。飛行機が日本の上空を飛ぶころには、下は厚い雲で覆わ れていた。そして、その雲を突き抜けて飛行機が着陸するときは、窓の外は予想通り雨でびっしょりと 濡れていたが、飛行機を降りるときには、その雨がすっかり上がっていた。北京では経験したことのな い空気の清々しさを感じた。 迎えのバスの前では運転手さんが早々と待機していて、荷物の運び込みを手伝ってくれたのが嬉し かった。空港を出ると、道路の両側の青々と茂った木が目に入った。樹齢何十年と思われる大木だっ た。北京ではまず目にすることのできない光景だ。日本では緑化が進んでいると聞いていたが、実際に 生い茂る木々を目の当たりにし、その環境意識の高さを実感した。また、日本は37.783万㎢しかない国 土に1億2千840万もの人々が暮らしているというガイドさんの言葉にさらに驚いた。これほどの人口密 集地でこのような緑化ができるとは、本当に素晴らしいとしか言いようがない。この点は中国も是非日 本に学び、取り入れるべきだと思った。 バスが東京に入ると、想像通りの都会が姿を現した。ホテルニューオータニ(ガイドさんは冗談に 「10星」ホテルだと言っていた)で短い休憩をとった後、第一の見学場所である丸紅に向かった。 実は、この訪日団に参加するまで丸紅という会社は名前も聞いたことがなく、なぜそんな無名な会社 を見学するのだろうかと不思議に思っていた。が、ネットで丸紅の名を検索してみて驚いた。丸紅は世 界の500強に名を連ねるだけでなく、大きな業績をあげている製造業はもちろん、投資・貿易・物流な どの分野でも事業を展開し、人々の生活のあらゆるシーンに係わる世界で活躍する企業だった。 今回の座談会を通じて丸紅という会社について理解することができた。特に「企業の社会的責任 (CSR)」重視を一貫して掲げている点が印象に残った。丸紅は各国で植林活動に取り組み、成長した木は 製紙に用いている。更に古紙回収にも力を入れ、回収された紙は再生紙として再利用されている。こう した取り組みは二酸化炭素排出量の大幅削減とコスト削減だけでなく、世界の環境改善に大きく貢献し ている。 – 42 – 科学的かつ効率的な実行力と英明な決断力がなければ、こうした大企業の今日の成功はあり得ない。 丸紅の効率的な管理手法は中国企業にとって学ぶべき点が多い。 「良いスタートがきれれば、それはすでに半分成功したようなもの」という言い方があるが、「走近 日企・感受日本」訪問団の初日も良いスタートがきれたように思える。これからの9日間、日本の文化や 考え方をしっかり学ぶと同時に、日本の企業や大学の人たちに中国の大学生の心意気を見てもらおうと 思う。 期待がふくらむ‥‥。 日付:5月24日(月)1日目 大学名:清華大学 氏名:楊雅嘉 北京の乾燥した晴天、東京の湿潤な雨空。わずか数時間という短い間に、アジアの2つの主要都市から 陽光と雨の両方の洗礼を受けることになった。35人の訪日団は全日空機で待ちに待った日本旅行の途に ついた。 清々しく澄んだ湿潤な空気、それが日本の第一印象だった。北京の乾燥した気候に慣れていた私は、 突然、故郷の四川によく似た湿った空気に触れ、なんとも言えない懐かしさを覚えた。日本人が細部に こだわるということは知っていたが、実際に体験してみると、それは聞きしに勝る細やかさだった。そ こで、私も細かいことから書いてみることにしよう。まず、バスの背もたれに付けられたドリンクホル ダーが印象的だった。それは中国のバスではなかなか見られないデザインになっていた。「人に優しい デザイン」ということがよく言われるが、こうしたバスの細かい設計から見ると、「人に優しい」とい うことは、完璧な状態だと思っても、さらに改良の方法があるかないかを考えるということなのかもし れない。次に、旅行会社の行き届いたサービスに感激した。電話をかけるときに必要な小銭まで準備さ れていたが、さまざまな場面でこうした温かい気配りが感じられた。 慣れ親しんだ場所から新しい世界に足を踏み入るとき、新しい環境への適応はこれまでの環境との比 較の中で進められる。日本は大きな通りも路地も、どこもまさに塵一つないという言葉がぴったりだっ た。ガイドさんが東京は雨が降れば降るほど車がきれいになると言っていたが、それは路面に埃が無い からだ。北京の雨が降った後の光景を思い出して、思わずため息が出てしまった。また、日本の家が びっしり密集している様子も想像以上のものだった。隣り合う家と家の間はわずかな隙間しかなく、そ の外観も中国とは大きく違っていた。日本では単純な立方形をした家などどこにもなく、もうこれ以上 できないというほど、空間を目一杯利用して家が建てられていた。土地が狭く地価の高い日本では、こ うした設計になるのも仕方のないことなのだろう。初めて中国の国土の広さという強みが誇らしく感じ られた。 ホテルにチェックインすると、休む間もなく丸紅へと向かった。丸紅はグローバルな大手総合商社だ が、グローバル化という流れの中だけで同社の規模と実力を説明するだけでは到底不十分なような気が する。なぜなら丸紅は1億円もの大金を使って絵画を購入することで、社員の資質向上を図ろうとする会 社だからだ。また、社員のための書道サークルや歌唱サークルなど、一見、経営効率の向上とは全く無 関係に見える活動を積極的に支援している。こうした姿勢が会社にどれだけの利益をもたらすかを説明 するための理論的な裏付けはないが、仮に私がこの会社の社員としたならば、会社は自分の家のように 近しい存在となり、そして家族のために懸命に働くのは当然だと考えるようになると思う。 – 43 – 日付:5月25日(火)2日目 大学名:北京第二外国語学院 氏名:黄芬 今日は日本の静謐な一面を実感した。特に東北大学の静寂で美しいキャンパスが印象深かった。朝、 太陽が昇り、一日が始まる。人々は目が覚めるとそれぞれの職場へと急ぎ、夜になれば家に帰って休 む。静かな落ち着きの中にも活力が感じられ、静けさの中でこの都会は前進を続ける。人々は精巧な部 品のようにこの大都会という機械を前進させるのに余念がない。 見学したアルプス電気という会社もまた黙々と製造業を支える部品会社だった。紹介された部品はど れも精巧かつ丈夫で、柔軟性に優れ、「人に優しいデザイン」になっていた。こうした部品があるから こそ、精密なカメラや頑丈な自動車、家電が作れるのだと思った。また、1つのスイッチで3つのスイッ チを代替させる集約化や操作の簡略化という考え方には、中国も学ぶべきところが多いと思った。 午後に見学した東北大学は印象深かった。自然と上手に調和し、その景観を全く損ねることなく山間 部に建設されたキャンパスには独特の趣があった。東北大学の学生が三味線や琴などの日本の伝統楽器 を演奏してくれた。とても勉強になった。日本の学生の自国の伝統文化を学び、それを継承していこう という姿勢がすばらしいと思った。それでも舞台を下りれば、文化の違いはあっても同世代の大学生同 士、最近のテレビ番組や音楽の話など多くの共通の話題があった。日本の大学生と遠慮なく冗談を言い 合い、距離感は全く感じられなかった。東北大学と言えば、魯迅が学んだ学校として中国人にもよく知 られた大学だ。魯迅先生が授業を受けた階段教室や、添削入りの宿題、当時の成績表などを見て、魯迅 先生に親しみを感じると同時に、奇妙な感覚に襲われた。魯迅先生がこの見知らぬ異国の大学でたった ひとりの中国人留学生として孤独の中に学んだ心境は、一体どんなものだったのだろうか。今を生きる 者たちは自分の使命にどう立ち向かっていったらよいのか。日本にいる間に何か答えが見つかればよい のだが‥‥。 日付:5月25日(火)2日目 大学名:北京工業大学 氏名:余堃 日程の羅列のような日記はダメだと言われたが、今日は予定がびっしりで、内容も豊富だったので、 記述文のようになってしまい、日記としての意味が失われてしまう可能性がある。そこでまず簡単に今 日の出来事をまとめてみることにした。 1.新幹線に乗る(速い、沿線の風景もすばらしかった) 2.アルプス電気の見学(大手部品メーカー) 3.魯迅像の見学 4.東北大学での交流 5.仙台エクセルホテル東急に宿泊。周辺を散歩。 日本人の生活上のストレスの大きさが印象的だった。新幹線のドアが開くや、誰もが一目散に下車し ていた(それでも整然と順序よく降りていた)。夜の11時近く、ホテルを出て近所を散歩した。そんな 時間にもまだスーツを着て書類カバンを持ったサラリーマンがいた。 アルプス電気では、技術者が同社の技術について説明してくれた。アルプス電気が独自に設計開発し た機械の加工精度は1000分の25ミクロンになり、これは伝統的な機械大国であるドイツにも引けを取ら ない数字だという。精密機器や加工精度については、中国でも研究開発の必要性が高まっているので、 – 44 – 今後は活発な経済交流を通じて企業間の技術提携を進めていけば、いつか中国が世界の頂点に立つ日も 来るのではと思う。 東北大学で魯迅が学んだ階段教室を見学したとき、幸いにも、魯迅が当時よく腰かけ、江沢民前総書 記も視察の折に座ったという席に座ることができた。将来、東北大学がその座席について紹介するとき に、自分も有名になって紹介されるようになればいいがという思いが心をよぎった。 見学の後、東北大学と中国日本商会共催の歓迎会が開かれた。歓迎会では東北大学の日本人学生やた くさんの留学生と交流することができた。ずっとアメリカに留学したいと思っていたが、東北大学の様 子をいろいろ訊いてからは、日本に留学したいという気持ちが芽生えていた。東北大学や日本の大学全 体に見られる「研究第一」という雰囲気が特に良いと思った。アカデミックな雰囲気の中で学問や研究 に励むことは、単に面白いというだけでなく、それは多くの場合、ある種の悦びにも繋がる。 夜、ホテルに着くと、そのまま街へ散歩に出かけた。また雨に降られた。日本は本当に雨が多いとこ ろだが、とても清潔だ。前にも書いた通り、泥はねが一切ない。恐らく、それは日本では至る所に木が 植えられているからだと思う。 歓迎会では話に夢中になっていてあまり食べられなかった。お腹が空いてきた‥‥。 日付:5月25日(火)2日目 大学名:対外経済貿易大学 氏名:王犀通 今日は朝一番に日本の経済高度成長期の象徴とも言える新幹線に乗った。それほど感激しなかったの は、新幹線が「和諧号」の上のバージョンで、「和諧号」よりも速く、総延長が長く、歴史のある乗り物に すぎないということを知っていたせいかもしれない。しかし両者を冷静に比べてみると、わずかながら 違いがあることが分かってくる。新幹線は東京から日本全国に放射線状に広がり、鉄道・飛行機・バス と共に日本の中心部の公共交通網を形成している。一方、中国の中心とも言える北京‐天津及びその周 辺の一体化を図ろうとした場合、真っ先に解決しなければならないのが公共交通網の問題だが、コスト や土地収用などがネックとなってその発展が制約され、多くの課題を抱えている。 アルプス電気の親切な対応と行き届いた手配に心温まる思いがした。丁寧な説明で、これまであまり 知らなかった精密部品加工に関して理解が多少深まった。特に清潔な工場の環境と徹底した管理体制が 印象深かった。アルプス電気のこうした姿勢が同社を信頼できる部品メーカーへと成長させたのだと 思った。 魯迅先生のことを思いながら有名な東北大学を見学した。これは訪日団にとって最初の大学訪問とな る。塀がなく、5つのキャンパスが点在する東北大学の景観は、中国の大学のそれとは全く違っていた。 こうして大学を社会に開放し、大学の学びの精神を一般市民の生活に溶け込ませるというやり方には中 国も学ぶべきところが多いと思った。また、こうした方法は学生と社会の繋がりをより強固なものに し、学生が社会帰属意識を高め、社会性を身につけ、問題なく社会に出ていくためにも良いことだと思 う。 東北大学の学生との交流では、日本の若者や若い日本についていろいろ知ることができた。たくさん の共通の話題や互いに訊きたいことがあった。これからもこうした密接な交流の場が持てればいいと思 う。 – 45 – 日付:5月26日(水)3日目 大学名:中国人民大学 氏名:于淼 今日はまた那須塩原駅まで新幹線に乗り、東芝メディカルシステムズを訪問した。会社紹介の後、製 造現場に行って磁気共鳴画像診断装置等の精密医療機器の製造工程を見学した。医療機器のことはよく 解らない文系の私でも、東芝の先端技術と環境保護意識の高さを実感することができた。 見学では1回転0.35秒の磁気共鳴画像診断装置が印象に残った。中を見ると、装置の部品がすごい勢い で回転し始めてびっくりした。大きく重い装置が高速かつ安定して回転し、正確に元の位置に戻る。 東芝は環境保護にも力を入れている。見学のときに目にしたお社の土台も、全て工場で廃棄された端 材で作られていた。それは同社の未来に対する希望の表れであり、美しい未来に向けた願いを体現した ものである。 午後は日光東照宮に行き、郷に入っては郷に従えとばかりに神社を参拝した。手水場で手と口を清め て神への畏敬の念を表すという参拝前の儀式がとても気に入った。が、正直なところ、日本の古い建築 物はその緑陰とすっぽりと森に抱かれたような自然の景観以外、人の心を震わすほどの気迫に満ちた中 国の建物には到底及ばないと思った。古代中国の文明と智慧は他を圧倒する存在として輝きに満ちてい たが、産業革命以降、中国は世界の流れに対応することができず、他国に追いつかれ、遂には取り残さ れてしまう結果になってしまった。そんな中国がまた他国に追いつき追い越すためには、世界と友好的 に交流し、常に世界の動向に注意をはらい、それに対応していかなければならないと思う。 夜は鬼怒川の温泉旅館に泊まった。部屋はいわゆる畳が敷き詰められたそれだった。ベランダからの 景色が見事だった。清流が草木の生い茂る谷を勢いよく流れ、水が透き通るほどきれいだった。私たち は浴衣に着替え、温泉に入ろうとしたが、温泉に入るまでになんとも可笑しい一幕があった。何度行っ たり来たりを繰り返したことか‥‥。まず羽織を忘れ、次にスリッパに履き替えるのを忘れ、仕舞には 鍵まで忘れる始末だった。やっとの思いで指示された通りに部屋を出ることができた。ずいぶん慌てた が、みんなで笑い転げてしまった。楽しい思い出になった。 夕食は宴会場で和食を味わった。一列に並んだテーブルには蕎麦や刺身、味噌汁などの日本料理がき れいに並べられていた。どれも丁寧に作られていて、食べ方も凝っていた。食事をしながら団員同士の 親睦を深めることができた。それぞれの大学から素晴らしい出し物があり、先生や他校の学生から大き な声援と拍手をもらっていた。関団長と渡辺先生、それにガイドさんの3人も1曲披露し、みんなの距離 が一気に縮まったような気がした。 今日は楽しくゆったりできた一日、そして感謝と友情に満ちた一日だった。いつまでもこの友情が続 きますように。今回の訪日に尽力してくれた全ての人たちに感謝! 日付:5月26日(水)3日目 大学名:北京工業大学 氏名:付洪偉 いつの間にか今回の訪問も3日が過ぎた。時の経つのは速い。じっくりと味わう間もなく過ぎてしま う。今日の見学先の東芝メディカルシステムズでは、東芝の医療機器の進んだ技術を見ることができ た。日本と世界中の人々の健康のために、最良の医療機器を提供するというのが同社の理念だが、この 理念の下で最新設備の基礎研究と開発に取り組んでいる。東芝の工場を見学して、高度な刷新を続ける 医療機器の中にイノベーションがあることを実感した。中国人社員との交流では、同社の市場戦略と世 – 46 – 界の医療機器市場におけるポジションを知ることができた。全ての見学が終わる頃には、ほぼ同社の全 体像が描けるほどになっていた。東芝メディカルシステムズの生産ラインは人の配置に特徴があり、命 を尊重するという観点から一つひとつの生産工程に至るまで責任者が決められていた。 午後は日本風情の溢れる観光スポットを見学した。日本史の縮図とも言える日光東照宮には、その長 い歴史以上に、美しさという魅力があった。知らず知らずのうちに建築と環境が見事に融和した風景の 中で深呼吸をしていた。また、きれいなおみやげがいろいろ売られていて、家族や友だちに素敵なおみ やげを買って帰ることもできる。 今日の一番の思い出は鬼怒川の温泉に入ったことだ。日本の温泉は有名で、日本人が温泉好きだとい うのは知っていたが、これまで温泉に入ってみたことはなかった。初体験には好奇心がつきものだ。初 めての温泉は少し熱すぎるようにも感じたが、それでも十分気持ち良かった。全身がリラックスし、一 日の疲れを癒してくれた。 今日はスケジュールがタイトで朝も早かったが、それぞれ特色ある見学のおかげで日本の生活と歴史 を体感し、日本人の生活習慣をより深く知ることができた。 日付:5月26日(水)3日目 大学名:清華大学 氏名:姜雨杉 朝、仙台のエクセル東急ホテルを出発し、新幹線で那須に向かった。那須は有名な温泉地ということ で、駅に着くや、みな次々に記念写真を撮った。 車で1時間ほど行ったところに東芝の工場があった。途中、日本のいわゆる農村を通ったが、その光景 は中国のそれとは全く違ったものだった。農村とは言うものの、家やインフラ設備は都会と変わらず、 貧しく発展から取り残されたというような感じはどこにもなかった。都会と農村の最大の違いは、農村 には道路の両脇になみなみと水の張られた稲田があるということぐらいだろうか。そしてまさにこの稲 田で香りと粘り気のある美味しいい日本のコメができるのだ。 今日の見学先は東芝メディカルシステムズだった。工場見学がとても印象的だった。生物を専攻して いて、医療に強い関心があるからかもしれない。到着早々、日本の平均寿命がとても高いということを 聞かされた。なんと男性は平均76歳、女性は84歳だという。これは日本の医療水準の高さによるところ が大きい。 工場ではX線、超音波診断装置、CT、MRIを中心とする医療機器を主に製造していた。市場シェアは 世界第4位(トップ3はフィリップス、シーメンス、GE)で、日本市場ではトップを走る。CTが同社の主 力商品だが、工場見学ではCORE64というCTの製造現場と運転中の空芯部のデモンストレーションを見 ることができた。同社のMRIには静音化、開放型という特徴がある。騒音に敏感な子供や老人に適し、 「人に優しい」設計の表れでもある。 工場見学では別の面で大きなサプライズがあった。それは案内役の社員が北京出身で、高校から日本 で学び、卓球のナショナルチームに選出されたこともあるという女性だったのだ。これには本当にびっ くりした。彼女のおかげで同社の見学が一段と興味深いものになった。 午後は日光東照宮を観光した。伝統的な日本の神社がいつ止むともない雨の中に佇み、その周囲を滴 るような緑の樹木が取り囲む光景は、見る者を清々しい気持ちにさせた。雨の日の空気はとても新鮮 で、歩いていると、周囲の景色が幻想的なものに思えてきた。日本の文化と景観をじっくり体験するこ とができた。 – 47 – 夜は鬼怒川の温泉旅館に泊まった。夕食前に温泉を満喫した。熱いお湯の中で身を沈めると、全身の疲 れがとれ、日本人の温泉好きが頷けた。夕食は嬉しいことに会席料理を味わうことができた。料理が一 品ずつ運ばれる中、訪日団全員が親睦を深め、一段と楽しい一日になった。一生忘れられない思い出に なるだろう。 日付:5月27日(木)4日目 大学名:北京第二外国語学院 氏名:保羅 温泉の旅を終え、身支度を整えて、今日の見学先であるキューピー五霞工場とキヤノン取手事業所へ と向かった。キューピーの工場見学はこれまでの見学で最も印象深いものになった。先進的な生産理念 と最先端の生産設備のほかにも、高い素養を持つ工場スタッフの姿に触れることができた。一番驚いた ことは、工場に一切廃棄物というものがなく、全て再利用するという点だった。キューピーは「おいし さ、やさしさ、ユニークさ」という目標を掲げて生産に取り組み、常に創始者の経営理念を尊重し、改 善を怠らず、発展し続けている。その生産ラインの先進性はまさに称賛に値するものだった。卵を洗浄 して割り、卵白と卵黄に分離する作業は一瞬のことだった。設備は全て自社開発したものだという。ま た、五霞工場やその他の工場には自社開発のTSファームが設けられていた。TSファームとは三角パネル と噴霧耕を利用した立体水耕栽培農場のことをいう。立体栽培は狭い空間を効率良く活用することがで きるほか、土を使わないので衛生的で、輪作が可能になる。また室内栽培なので虫がつかず、農薬も不 要で、天候に影響されることもない。更には全ての農産物に産地が明記されているので、どこで生産さ れたかが分かる。工場見学の後、キューピーで昼食を食べることになったが、当然、マヨネーズが用意 されていた。帰るときに工場見学の記念に団員の写真が印刷されたマヨネーズをもらった。 キヤノン取手事業所の見学で印象的だったのは「ポリバレント=多能工」という言葉だ。経験豊富で 高いオペレーティング能力を持つ多能工は、3時間以内に1人で100万人民元超の精密で複雑な機械を組 み立てられるという。多能工の存在は企業にとっては得難い財産になる。こうした優秀な人材の育成は 短期間でできるものではなく、決して簡単なことではない。 夜の日中経済協会のパーティーでは、以前、中日省エネ環境保護フォーラムで知り合った日本の友だ ちに再会し、とても懐かしかった。席上、関団長の挨拶を聞いていろいろと考えさせられた。この10日 余りの日程は効率的に無駄なくスケジュールが組まれ、日本の各界から「超」の字のつくほど厚遇を受け ているが、これは主催者である中国日本商会と日中経済協会、中日友好協会のおかげである。この場を 借りて関係者の方々に一言お礼を言いたい。「いろいろとお疲れ様でした。本当にありがとうございま した!」。 日時:5月27日(木)4日目 大学名:北京工業大学 氏名:邱騰菲 今日はハードスケジュールだった。午前中はキューピー五霞工場、午後はキヤノン取手事務所をそれ ぞれ見学、夜は日中経済協会の歓迎レセプションと盛りだくさんだった。特に印象に残った2点を書くこ とにする。 1.ユニークな生産方式 キューピー五霞工場の生産ラインはフルオートメーション化が進み、作業者の主な仕事と言えば、ミ – 48 – スがないかを監視することだけだった。その他の作業は原料の加工から最後の製品の箱詰めまで完全な ラインができていた。また、キューピーの社員は機械を自主開発することで生産効率のアップに取り組 んでいた。卵割機を例にとると、ロボットアームが卵を挟むと、その下についている鋭い刃が一瞬の間 に卵の殻を割り、卵黄と卵白が出てくるという仕組みになっていた。なお、マヨネーズの原料になるの は卵黄だけで卵白は必要ないので、下の卵受けには小さな穴が空いていて、そこから卵白だけが流れ出 て別の用途に使われるという。このように細部まで計算し尽くされた精巧な設計が高い作業効率を支え ているのだ。キューピー五霞工場の人たちの工夫と知恵に脱帽した。彼らは与えられた仕事をこなすだ けでなく、どうしたら生産効率がアップするかを常に考えて試行錯誤を重ねているのだ。 一方、キヤノン取手事務所はセル生産方式を採用していた。作業者はマイスター3級、2級、1級、 スーパーマイスターというように能力に応じてランク付けされ、スーパーマイスターになると、一人で わずか数時間のうちに複合機一台を組立ててしまうという。スーパーマイスターは数千個ものパーツと 数百に及ぶ作業行程が全て頭の中に入っているが、仮にこれらの組立手順を冊子にするとなんと3500 ページにもなるという。 この2つの工場はどちらも高い生産効率を誇っているが、これは自分たちが必要とする最適な生産方式 を模索し、柔軟にイノベーションを進めてきた結果なのだと思った。 2.心の触れ合い 日本に来て4日目になる。家族や親しい友だちと離れ、慣れない環境で知らない人たちと接するという のは、海外経験のない私にとってはある意味試練とも言えるが、今夜の歓迎レセプションで少しずつ寂 しさが薄れ、周りの人たちとも徐々に打ち解けることができるようになってきた気がする。日中経済協 会の人たちとも外国語ではなくて中国語で会話ができた。歓迎レセプションを開いて下さった日中経済 協会の皆さん、本当にありがとうございました。 日付:5月27日(木)4日目 大学名:清華大学 氏名:黄新我 早朝、鬼怒川を出発するとき、いくつかの残念な思いがあった。温泉にもう1回入ればよかった、面 白い鬼の記念スタンプも押さなかった、おみやげも買えずじまいだった‥‥。 道中、雨が降っていたが、眠くはなかった。 最初にキューピー五霞工場に到着した。食品会社を見学するのは初めてだったので、とても新鮮に思 えた。キューピーのロゴも可愛らしかった。 卵は卵黄、卵白、殻、薄皮の4つの部分に分けられるが、キューピーマヨネーズの原料に必要なのは卵 黄だけなので、他の部分はどうなるのだろうか。卵白は小麦粉と混ぜてパンの原料になることは常識だ が、殻と薄皮はどうなるのだろうか。ゴミとして処分してしまうのだろうか。いいえ!キューピーでは 原材料を100%余す所なく利用していた。 卵の殻は細かい粉状のカルシウム粉に加工してエコチョークや壁材に使うという。見学先の工場の壁 の塗装にも卵の殻が使われていた。また卵の殻と卵白の間にある薄皮の利用の研究も進められている。 静電気防止効果があることから、ズボンの加工に使われているという。中国ではゴミとして処分されて しまう物が、ここでは価値ある物として再利用されていることを知り、本当にびっくりした。 また、消費者の視点に立った設計もキューピー製品の素晴らしいところだ。例えば、ドレッシングの 瓶の蓋のプラスチックフィルムを破り易いように、右利き用と左利き用に2ヵ所切ってあるほか、蓋の – 49 – 上には目の不自由な人にも分かるようにと凸凹の点字が施されていた。このように細部にわたる心遣い は、社会の少数派や弱い立場にある人々に喜ばれると思うし、多数派の人たちも温かい気持ちになるの で、本当に素晴らしい取り組みだと思った。 次にキヤノン取手事務所を見学した。ここはカメラではなく、主にコピー機や複合機といったOA機器 を生産していた。工場は想像していた以上で、完全に国際化されていた。また、工場内は非常に衛生的 で、見学の際は帽子と靴カバーの着用が義務づけられていた。 夜の歓迎レセプションでは日中経済協会の方々と会った。会場は少々窮屈だったが、日本の参加者は みな中国語がとても上手だった。総務部長の関誠さんは面白い方で、中島さんという「お父さん」もとて も気さくで親しみやすかった。 夜、ニューオータニに戻ると、部屋が4628号室から4631号室に変更されていた。どうすれば温総理 に会えるのか、みんなで策を練った。 今日1日の発見:①賑やかな東京のことが少し分かった。②日本人の細かい気配りには驚いた。例え ば、キヤノンで記念撮影をする際に準備されていたテーブル。③ディテールが成功のカギを握るという が、日本人はその良いお手本だ。③日本人の行動原則は他人に迷惑をかけないこと。 日付:5月28日(金)5日目 大学名:中国人民大学 氏名:顔霊珊 みずほ銀行グループは日本の三大メガバンクの一つだ。今回はみずほコーポレート銀行国際為替部と 市場営業部を見学できるチャンスに恵まれた。社員がテキパキと忙しそうに働き、一人で数台のパソコ ンを相手に一刻一秒を争う為替の処理をしていた。銀行全体の効率が非常に高く、速いリズムで仕事が 行われていた。 みずほコーポレート銀行ではグリーン金融――「赤道原則」(金融業界のファイナンスに関する環境 社会配慮についての評価と管理指標)が印象的だった。省エネと環境保護は日本企業が掲げる理念の一 つであり、国際経済が目指す方向でもある。みずほコーポレート銀行はアジアで初めて赤道原則を採択 した銀行で、将来を見据え、エコ事業の先駆者となることを目指している。「赤道原則」とはファイナ ンス案件のリスク評価に環境リスクと社会リスクの評価指標を取り入れ、プロジェクト実施者の能力を 評価することにより、投資家の環境や社会に対する配慮を促そうとする取り組みだ。 「グリーン金融」や「赤道原則」の説明を初めて聞いたときには、利益を追求する企業がなぜ多くの コストをかけて収益がはっきりしないプロジェクトを進んで手がけるのか、また環境保護の実践では ハードルが高く設定され、さまざまな企業努力が求められるはずなのにと腑に落ちない思いでいたが、 これは双方向のインタラクティブなものだということが昼食会の席の話で分かった。赤道原則は10年程 前にNGOよって提唱され、シティバンクやドイツ銀行といった主要銀行が採択したのを機に世界的な広 がりを見せた。日本は当時、半ば圧力に屈し、競争という必要に迫られて採択せざるを得なかったが、 同時にそれは企業価値の創造に有利だということが後で分かったという。環境への支出は大型海洋開発 プロジェクトの資金などに比べたら微々たるもので、理念の多くは企業と環境が相互に作用し合った結 果だと言える。企業の環境意識を高めるためには、単にスローガンを掲げるだけでなく、外部のシステ ムによる制約が非常に重要な意味を持つということを、中国も学ぶべきだと思う。 午後は中国大使館に行って程大使に会った。大使はとても親しみやすい人だった。中国の伝統文化で ある「家」とはこういうことかとしみじみ感じた。五星紅旗のはためく大使館の中で大使と親しく話をす – 50 – ることができ、有意義な時間を過ごすことができた。大使からは「日本の優れた技術を学ぶと同時に、日 本が歩んできた失敗を繰り返すことなく、中日友好(帰国後に中国の人々に日本企業の素晴らしい点を 伝えること)に力を尽くすように」という話があった。 最後のディズニーランドは童話の世界そのままを現実の世界に再現したものだった。それにゲームや アトラクションが加わり、いつまでも遊んでいたいと思った。子供たちの笑い声が溢れ、ポップコーン の甘い香りが漂う夢のような世界にすっかり子供時代に戻ったような気がした。アトラクションの「ス プラッシュ・マウンテン」は、出航、順調な航行、そして激流に飲み込まれ、最後にゴールに到達する までの大冒険で、童話の世界そのものだった。 ディズニーランドのフィナーレは盛大なパレードだった。お城の上に色とりどりの花火が咲き乱れ、 愉快な音楽が鳴り響いた。この夢のような世界に渋々別れを告げた。 日付:5月28日(金)5日目 大学名:中国人民大学 氏名:胡暁 1.みずほコーポレート銀行 経済学専攻ということもあり、近代的な金融機関を訪問できるのを楽しみにしていた。みずほコーポ レート銀行は業界の模範生であり、日本企業が海外事業を展開する上での有力な後ろ盾にもなってい る。今回は外貨建金融商品を取り扱う部門を見学させてもらった。投資銀行は業務が忙しいとは聞いて いたが、みずほコーポレート銀行の社員が実際にこなしている作業量の多さには驚いた。一人で6台のパ ソコンに向かい、世界の20余りの市場の市況データを処理・分析し、刻々と変わる動向を見ながら、企 業に融資や投資のための最新情報を提供し、情報を価値あるレポートにまとめ上げるという。 みずほコーポレート銀行は「赤道原則」を採用する組織のメンバーである。この組織は環境社会に配 慮したプロジェクトへの融資を進め、世界の60余りのメガバンクで構成されている。企業融資に対し制 約や罰則を設けて資金が環境保護と省エネ分野に利用されることを保証し、環境に不利なプロジェクト に対しては融資しないようにしている。 ここで一つ引っかかるのが、環境に配慮した事業への融資は収益に影響が出るにもかかわらず、なぜ こんなにも多くの銀行がこの取り組みに参加しているのかという問題だ。が、いろいろと銀行の責任者 と話をしているうちに、みずほのコストと収益に関する分析は長期的視点に立っているということが分 かった。企業が目の前の利益を犠牲にするということは、彼らがより長期的ビジョンを持っているとい うことの表れなのだ。現在、環境保護は主に国が中心となって進められているので、環境を企業理念と して掲げていれば、新しい国の市場を開拓することもでき、長期的に見れば、収益にもつながることに なるという。 2.在日本中国大使館 程永華大使に会うことができた。大使はとても気さくな穏やかな人で、官僚然としたところがなかっ た。アットホームな雰囲気で程大使との会話も弾んだ。ホームシックになったらどうすればいいかとい う質問まで飛び出した。 程大使は日中国交正常化後に日本に派遣された第一期留学生だ。大使がこれまで歩んで来た道のりを 聞いて、中日両国が戦争の痛みを乗り越えて再び歩み寄り、相互に信頼関係を築くことがいかに難しい かということを知った。日中関係はこれまでさまざまな問題と関係修復を経験してきた。どん底、氷河 期から「氷を割る旅」、「氷を溶かす旅」と数々の荒波を乗り越えてここまでやってきた。これら全て – 51 – の出来事が今日の中日両国の平和と友好関係がいかに得難く尊いものであるのかを物語っている。 日付:5月28日(金)5日目 大学名:清華大学 氏名:王和 今日の出発時間はいつもより遅かったが、SDメモリーカードを買った時に、ビジネスセンターにバッ クを忘れてしまい10分遅刻してしまった。迷惑をかけてしまい申し訳なかった。梁先生は清華大学の学 生4名が遅刻したのでとても怒っていた。ガイドの呂さんと渡辺さんにも叱られた。二度と遅刻しないよ うに気をつけなくては! 10時ちょうどに日本の三大メガバンクの一つ、みずほコーポレート銀行の本社ビルに到着した。ビル は14階建てで東京のど真ん中にあった。市場営業部の人の案内で8階の営業フロアを見学した。相当な 面積で、数百人の社員が働いていた。皆4-6台のディスプレイが置かれたデスクの前に座っていた。 ディスプレイにはいろいろな指数、為替レート、利率がその他の情報とともに表示されていた。どの人 も画面を見たり、デスクの紙で計算をしたり、ブローカーからの電話に対応したりと、見るからに忙 しそうだった。外為部の山田さんの話によると、業務時間は朝7時から夜7時までだというが、残業は しょっちゅうとのことだった。このように狭い空間で緊張を強いられる仕事をするというのは、ずいぶ んストレスの溜まることだと思った。なぜ、もっと広い快適なオフィスにしないのか不思議に思った。 お互いの声が届く距離にいなければならないからか‥‥。 午後は中国大使館に行って程永華大使に会った。程大使はとても気さくな方で、その実直な話ぶりに はえらぶったところが全くなかった。私たちが簡単な自己紹介をした後、大使は日中関係の新たな局面 や大使の日本に対する思いを話してくれた。また日本の中国人留学生の状況や大使館の外交活動につい ての話もあった。程大使の答えはとても明確で、実質的な内容のものだった。学生たちの質問にも誠実 に対応してくれた。程大使のように賢く、有能で慕われる人間になりたいと思った。 日付:5月29日(土)6日目 大学名:北京第二外国語学院 氏名:趙鄭 今日は初めて徒歩で目的地に向かった。また今日は一日中ハイヒールを履かなくてもいい初めての日 でもあり、それだけでもウキウキした気持ちになった。 ホストファミリーを待っている間、みんな少し緊張していたようだった。最初に現れたホストファミ リーの女性はとても綺麗な人だった。その後、次々と仲間がホストファミリーに引き取られて行くのを 見ているうちに、最後に一人取り残されたらどうしようと焦ってきた。自分でもよく分からないが、そ う思えば思うほど惨めな気持ちになって、涙が出そうになった!どうしてそんな気持ちになったのか自 分でも分からなかった。その後しばらくして、私のホストファミリーの樋口さんが現れ、幸い最後の一 人にならずにすんだ。緊張している私を気遣い、樋口さんがいろいろ話かけてくれた。樋口さんは中国 にも行ったことがあり、私の拙い日本語も何とか理解してくれたが、どうしても解らない時は中国語で 話すこともできた。 新宿で買い物をしている時に日本の政治について訊いてみた。一般の日本人が現政権をどう思ってい るのか知りたかったからだ。中国と日本では立場が違うので、当然、その見方も違うはずだ。この他に もヤクザや暴走族、日本のドラマや漫画によく出てくるトレンディーな話題やホストクラブなどについ – 52 – ても訊いてみた。 お昼は学校帰りの樋口さんの二女の萌さんと合流した。揚げたてを出してくれる店で天ぷらを食べ た。昨日、みずほコーポレート銀行での昼食の時に食べそびれてしまっていたのでちょうど良かった。 食後は萌さんが買い物に付き合ってくれた。ブラブラ街を歩いていると、ちょうど「花園祭」をやってい た。ずっと食べてみたいと思っていたたこ焼と、萌さんの好きな水飴を一緒に食べた。 遅くなって帰宅した。「祭」でお腹一杯食べてしまったので、夕飯はあまり食べられなかった。食後は 萌さんとアニメ談義に花を咲かせ、趣味には国境がないなと思った。寝る直前まで萌さんの「コレク ション」を見せてもらった。中国ではお目にかかれない貴重なものばかりだった。 日付:5月29日(土)6日目 大学名:北京第二外国語学院 氏名:冼安琪 今日はホームステイの日だ。まず日中経済協会に集合し、ホストファミリーが迎えに来るのを待っ た。みんなが次々とホストファミリーと対面するのを見ているうちに緊張してきた。 私を迎えに来たのは三菱商事に勤めている近藤恵美(めぐみ)さんと妹の泉美(いずみ)さんだ。二 人は行きたい所はないか訊いた後、自分たちが立てた計画を教えてくれた。荷物は二人が先を争うよう に一番重たいものを持ってくれ、電車でもまず私を座らせてくれた。ほんの些細なことだが、日本人の 温かさと優しさを感じることができた。 電車に揺られて有名な古都鎌倉に着いた。歴史ある鎌倉の町並みはとても美しく、町の至るところに 神社やお寺があった。まずは鶴岡八幡宮へと向かった。参拝のときに願い事をしてみた。鶴岡八幡宮を 出ようとした時、偶然、二組の新郎新婦に出くわした。初めて見る日本の伝統的な結婚式だった。新婦 の白無垢姿がとても綺麗だった。 鶴岡八幡宮を後にし、泉美さんがよく行くという和食レストランに案内してもらった。食事の時に泉 美さんが十数年前に天津の南開大学に留学していたことを知った。泉美さんは中国史を勉強したという ことで、流暢な中国語を話す。最近は恵美さんも中国語を勉強し始めたという。二人とも中国文化が好 きなのだ。このような家にホームステイできて本当に良かったと思った。 夜、三姉妹の両親の家に行った。三姉妹の末っ子は「望美」(のぞみ)さんという。3人とも普段は両 親とは別々に暮らしているが、私のためにわざわざ実家に泊まることにしてくれたのだ。お父さんもお 母さんも温かく迎えてくれ、わざわざ私の泊まる部屋まで用意してくれていた。その日は少し寒かった ので、いずみさんが暖かい服を貸してくれた。お母さんは腕によりをかけて暫く揚げていない天ぷらを 揚げてくれた。どの料理もお母さんの真心が一杯に詰まっていてとてもおいしかった。 食後はみんなでお喋りをした。和気藹々として、少しも居心地の悪さを感じなかった。まるで前から この家族の一員だったような気さえしてきた。 いずみさんとのぞみさんが夜遅くまで明日の予定についてインターネットで検索してくれた。昨日ま で一面識もなかった他人の私のためにしてくれていると思うと、また胸が熱くなってきた。 日付:5月29日(土)6日目 大学名:対外経済貿易大学 氏名:趙家悦 今日は「走近日企・感受日本」訪日の6日目であり、日本人の家に泊まるホームステイ一日目だ。これ – 53 – までの日程は学習、交流、見学がメインだったが、今日と明日の2日間は日本の家庭生活を肌で感じる良 い機会だ。この数日考えていたことや疑問の答がこのホームステイで見つかるかもしれない。 午前9時30分、ホストファミリーの人が続々と日中経済協会に迎えに来てくれた。いよいよホームス テイの始まりだ。なんとホストファミリーのご主人が出張で迎えに来られないということで驚いたが、 ご主人以外の家族全員で迎えに来てくれたのにはもっとびっくりした。 この家庭はご主人、奥さんと3人の子ども、子どもの年は私とほぼ同じで、長女が大学3年生、長男が 大学1年生、二男が高校1年生だった。ホームステイの一日目は言葉の壁が大きかったが、予定などはお 互いに慣れない英語を駆使して何とか理解することができた。私の拙い日本語に怪しげな発音の英語、 時には筆談とジェスチャーを交え、そして時にはバックから電子辞書を引っ張り出したり、iPhoneを 使ってネットから写真を探し出したりと、毎回あの手この手で一生懸命思いを伝え合い、お互い解り合 えた瞬間は思わず会心の笑みがこぼれた。 一家4人に付き添われ江戸東京博物館、靖国神社そして原宿、渋谷のビジネス街を見て回った。彼たち の優しさと細やかな気配りは言うまでもないが、長女と話しているうちに、一般の日本人が日中関係を どう考えているのかが少しずつ解ってきた。 やはり言葉の壁があったので話した内容はそれほど多くはなかったが、温総理の訪日に始まり、日本 のここ数年の首相についてや、数年前の日中関係が政冷経熱の状態にあったこと、第二次世界大戦が日 中両国に与えた影響など、多少センシティブな問題もあったが、私たちのこれらの問題に対する見方は ほぼ一致していた。若い世代としてできることは、グローバル化の進む世界の中で、中日両国をより良 い方向に導いていくことだと思う。過去の歴史を変えることはできない。大切なことはこの問題をどう 認識するかだ。彼女の話では、ほとんどの日本人が日本の中国に対する侵略戦争の事実を認めていると いう。これをベースに中日両国が互いの理解を深め、互いに許し合うことができれば、中日友好の新時 代が必ず切り開けると思った。 おしゃべりの最後に、実はホストファミリーの皆さんが、今日の午後に靖国神社に連れていくのを躊 躇していたことを知った。靖国神社に行くことで私の日本に対するイメージが悪くなるのではないかと 心配していたのだ。ホストファミリーの人たちのこの心配は、中日友好を真剣に考えているからこそで あり、中国人が日本人をどう思っているか気にしているゆえのことだった。 日本のこうした状況を中国共産党予備党員の一員としてとても嬉しく思った。一部の極右勢力を除い た一般の日本人は中国人に対してとても友好的であり、これが中日両国関係を支える礎になるのだと思 う。 今日は内容の濃い話ができてとても充実した一日だった。明日も今日以上に中日友好の輪が広がれば いいのだが‥‥。 日付:5月29日(土)6日目 大学名:清華大学 氏名:趙赫 今日はホームステイの初日だ。ホームステイは初めての経験だった。 ホストファミリーに会う前はとても緊張し、どんな家族だろうと期待に胸がいっぱいになった。 ホストファミリーとは、小さな可愛い3人の娘さんが「趙赫さん、日本へようこそ」と書いた手書きの 絵を手にしての対面だった。日本の家庭の温もりともてなしの心が嬉しかった。 家に向かう地下鉄の中で私の故郷のことが話題になった。故郷は豆腐が有名だと言ったのを聞いて、 – 54 – 途中、食料品を買うためにスーパーに寄っときに、わざわざたくさんの豆腐を買ってくれた。いろいろ な種類の豆腐の名前を教えてもらった。家に帰ると、日本式の豆腐料理を食べさせてくれた。 午後はHIPPOというファミリークラブにみんなで行った。そこは大人と子ども合わせて20人くらいが 一緒になってゲームをしたり外国語を学んだりするところだった。ホストファミリーは毎週ここに来て 子どもたちと一緒に遊んでいるという。3人の子どもはここで中国語、フランス語、ドイツ語、スペイン 語など7つの言葉を習っているそうだ。中国の一般家庭は英語を習わせるだけで精一杯だが、日本の家 庭にはたくさんの言葉を学ばせる環境がある。これが中日両国の教育レベルの違いなのかもしれないと 思った。 夜、みんなでお喋りをしていると、お母さんが私の携帯を見たいと言った。携帯を見せると、今度は カメラを見せて欲しいと言い、結局、私の全ての電子機器をお母さんに見せることになった。お母さん はうれしそうに手にとってあれこれ見ていたが、おもむろに裁縫箱を取り出してきた。その時はちょう どお父さんと話をしていたので、お母さんと一番下の娘さんが一緒に何か縫い始めたのに気がつかな かった。お母さんと娘さんが12時になっても寝ないので理由を訊くと、なんと私のために携帯ストラッ プを作ってくれているという。嬉しさで胸が一杯になった。ホストファミリーの家では、まるで自分の 家にいるようなアットホームな雰囲気で過ごすことができた。 明日はみんなで海辺にピクニックに行く。とても楽しい経験になるだろう。 日付:5月30日(日)7日目 大学名:中国人民大学 氏名:敦奎利 今日は訪日7日目、一番楽しみにしていたホームステイの最終日だ。朝、携帯の目覚ましの音で目が 覚めると、ちょうど山田さんが私を起こしに来てくれたところだった。洗顔をすませダイニングへ行く と、山田さんの奥さんが朝食を用意してくれていた。美味しい朝食をたっぷりと食べ、ホームステイの 最終日が始まった。 山田さんは私が日本語専攻で、日本文学にとても興味があるのを知り、日本でよく知られている古本 屋のブックオフに連れて行ってくれた。好きな小説をいろいろ選んでレジへ行こうとすると、山田さん が記念にと言って代わりに代金を払ってくれた。その後、車で横浜の海辺に向かった。内陸育ちの私に とって海は憧れの場所だ。その日は肌寒く風も強かったが、みんなで貝殻を拾いながら砂浜を散歩し、 楽しく一時間余り過ごした。それから山田さんは有名な横浜中華街に案内してくれた。私が四川料理が 好きなことを知り、昼食は高級中華レストランの重慶飯店でということになった。中華街の重慶飯店と いっても、料理の味付けは日本人好みにアレンジされていた。中国ではあり得ないことだが、重慶飯店 ではタンタン面でさえも少し甘めの味付けになっていた。中華街の他の料理もどれも日本人好みの味付 けになっていた。食後は3D映画館で日本の3D映画を見た。最後に山田さん一家がニューオータニまで 送ってくれたが、車の中は別れの寂しさに包まれ、車がニューオータニの駐車場へ入ったときには、そ れまで堪えていた気持ちが一気に込み上げ涙が出そうになった。このまま車が停まらずにどこかへ行っ てしまえばいいのにとさえ思った。最後に別れを惜しみながら再会を約束した。 今日はちょうど温総理訪日の日に当たり、街中に中国国旗が掲げられていた。外国で見る自分の国の 国旗は何とも懐かしく、誇らしい気持ちになった。また、偶然にも温総理もこのニューオータニに泊ま るという。温総理に会える可能性はほとんどないが、同じホテルに泊まれるだけでも光栄だと思った。 – 55 – 日付:5月30日(日)7日目 大学名:北京工業大学 氏名:董峥 今日は朝早くから山内さんと新宿に繰り出した。新宿は若者が集まる街ということで、とても興味深 かったが、真面目な山内さんは居心地が悪そうだった。また、こうして街をブラブラするというのも山 内さんにとっては苦痛ではなかったかとも思う。それにも拘らず、山内さんは疲れた素振りなど少しも 見せずに、私が行きたい場所を訊いて、そこに連れて行ってくれた。こうした心遣いがとても嬉しかっ た。 新宿の後は学生が多く集まる街、渋谷に向かった。この2つの街で日本の若者の日常生活の一面とライ フスタイルを垣間見ることができた。おみやげをたくさん買うことができたのも大きな収穫だった。 道中、山内さんと中国の発展ぶりから始まり、日本の政治体制、青少年のやる気の問題や両国の福利 厚生制度についてまでずいぶん話が盛り上がった。山内さんは中国の人民代表大会制とアメリカの議会 制度のそれぞれの長所と短所を分析できるほどの知識を持っていたが、とても謙虚な方で、自分の考え を人に押し付けるようなところがなかった。これも日本人独特の気質なのではないかと思った。中国人 もこのような日本人の気質を見習い、驕りを捨てて謙虚な気持ちになれば、それまで見えなかったもの が見えてくるのではないだろうか‥‥。 その後、ホテルに向かい、2日間のアッという間のホームステイが終了した。山内さんとはこれからも 連絡を取り合うことを約束した。短いホームステイだったが、一生の思い出になった。 日付:5月30日(日)7日目 大学:北京工業大学 氏名:欧陽麗婷 明日は8時に起きようと約束したので、寝過してはいけないと思い、目覚まし時計を2個かけて寝たと ころ、7時半過ぎには目が覚めてしまった。興奮していたのかもしれない。 布団を片付けると、朝食の時間になった。ホストファミリーの人たちがフィリピンに4年間住んでい た関係か、それとも日本式の朝食はどれもこうなのか、いろいろなおかずやご飯が並べられ、バラエ ティーに富んだ朝食だった。ホストファミリーの心遣いが感じられた。 昨晩話し合って今日は浅草に行くことになっていたので、朝食後10時に出発した。ホストファミリー の息子さんは、今日はサッカーの練習があるということで、お母さんと一緒に自転車に乗って息子さん の練習を見に行った。日本の道路で自転車に乗るのは新鮮な体験だった。吉祥寺近辺は歩行者も少な く、朝のきれいな空気が気持ちよかった。 サッカーを見てから浅草に出かけた。 地下鉄の出口でお母さんがボランティアサービスセンターに行き、浅草の中国語版パンフレットをも らって来てくれた。お母さんのこの細やかな気配りがとても嬉しかった。 共に過ごした時間は短く、アッという間のことだった。別れのときが終に来た。ニューオータニでホ ストファミリーと別れるときには名残惜しい気持ちで胸が一杯になった。ホストファミリーは「また日 本に来る機会があったら、是非自分たちを訪ねてほしい、そして、これからもずっと連絡を取り合いた い」と言ってくれた。 ホストファミリーの人たちを送って玄関まで行ったときも別れがたい気持ちを引きずっていた。振り 返りながら私が見えなくなるまで手を振ってくれた。私のホストファミリーの人たちに対する思いと同 – 56 – 様、彼たちの目にも私への思いが溢れていた。みんなのこの気持ちがずっと長く続きますように‥‥。 そしてこうした中日間の友情や思いが広がっていきますように‥‥。 日付:5月30日(日)7日目 大学:対外経済貿易大学 氏名:高影 物質的なものから精神的なものまで――最高の贈り物 朝9:30、やっと目を覚ました。もともと9時に起きる予定だったのに、ホストファミリーのお兄さん とお姉さんは、疲れている私を気遣って起こさなかったのだ。自分の家を出てからだいぶ経つ。故郷か ら北京へ、そして北京から日本へとやって来たわけだが、懐かしいわが家での月日が戻って来たような 気がした。高校時代、母はかわいそうだと言って起こしてくれなかったので、よく遅刻していた。当時 はいろいろと不平不満もあったが、今考えると、あの頃は本当に幸せだったと思う。両親が近くにいな ければ、何時に寝て何時に起きようが、気に掛けてくれる人はいない。目覚まし時計は5個必要‥‥。そ うでもしないと自分では起きられないから。大学生活では自然に目が覚めるまで寝ていられるというよ うなことなどなく、寝坊すれば朝食は食べられない。でも、今日はホストファミリーのお兄さんとお姉 さんが、嬉しいことに朝早くから朝食を準備してくれていた。 朝食を済ませてから近くのスーパーを見て回り、犬の散歩をして、地元の老舗で名物の日本そばを食 べた。途中、お兄さんが笑いながら私に「犬を連れて散歩している姿は素敵な日本の奥様のようだね」 と言ったときには、自分が本当に日本の生活に溶け込み、まるでこれが私の元々の生活であったかのよ うな感じがしてびっくりした。「奥様」という言い方はちょっと変な感じがしたが、住宅街でホスト ファミリーのお兄さんやお姉さんと屈託なく散歩していると、本当にここで暮らしている住民の一員に なったような気がしてきた。 午後、ホストファミリーと別れた後、元の38名の大ファミリーに戻った。その後一行はお台場に行 き、トヨタのテーマパークやヴィーナスフォート、レインボーブリッジの夜景を楽しんだ。楽しくてい つまでも遊んでいたかった。 今日はもう訪日7日目だ。日本での滞在期間は決して長くはないが、バラエティーに富んだスケジュー ルのおかげで、38人全員すっかり打ち解け、毎日行動を共にするのが当然のようになっていた。3日後 の別れのことを考えると少し怖いような気持ちになる。今は残りの一日一日を大切に過ごすことだけを 考えよう。 日付:5月31日(月)8日目 大学:中国人民大学 氏名:敦奎利 今日は訪日8日目。美味しい朝食を食べた後、エレベータのところに集合して8日目の日程が始まっ た。 今日の午前中は国会議事堂の見学、午後は早稲田大学の見学と親睦会が予定されていた。国会議事堂 ではまず参議院を見学したが、案内係りの人が熱心に参議院と衆議院の違いや日本の二院制、参議院の 議席数について説明してくれた。その後、国会議事堂の食堂に行き、参議院議員の山根隆治先生と昼食 をとった。山根先生は私たちを歓迎し、代表団の学生も中日関係などについて山根先生に質問した。山 根先生は質問に丁寧に答え、自分の考えを話してくれた。 – 57 – 昼食後、次の見学先までに時間があったので、関団長とガイドの呂さんが皇居の見学を決めた。皇居 前広場に玉砂利が敷き詰められているのは暴漢防止のためだという。日本の皇居と中国の宮殿の最大の 違いは、皇居が豊かな緑の木々に覆われている点だ。 美しい皇居を堪能した後、世界有数の学府――早稲田大学に向けて出発した。ガイドさんの案内で大 学のキャンパス、図書館、演劇博物館などを見学した。東北大学における魯迅のように、日本の著名な 文学者坪内逍遥がこの早稲田大学で教鞭をとり、演劇博物館を建てて日本の伝統芸能である能や狂言を 上演していたという。その後、政治経済学部のゼミに参加し、早稲田大学の学生たちと上海万博のメ リットとデメリット、就職プランについての踏み込んだ討論を行い、それぞれの意見を発表し合った。 ゼミの後に日本の学生たちと夕食をとりながらの交流が印象に残った。早稲田大学の校風は東北大学に 比べより豪放磊落という印象を受けた。夕食会は賑やかな談笑の中で終了した。 今回、日本の大学生と2度交流する機会があったが、日本に留学するぞという気持ちがまた強くなった ような気がする。語学力のアップはもちろんのこと、自分自身を鍛えるという意味でも、日本に留学す るのは良いことだと思う。 日付:5月31日(月)8日目 大学:中国人民大学 氏名:趙俊娜 今日、国会議事堂に行ってその荘厳さを実感することができた。参議院本会議場を見学していたとき は、突然、古典と現代との融合を感じた。木製構造の部分にはすべて彫刻があしらわれ、優雅な照明の 下で長い間蓄積してきた智慧と文化が煌めいていた。職員の説明を聞いているうちに、ここで繰り広げ られているのは、議事堂の建物のように旧いものではなく、現実のことなのだということに気がつい た。 今日の午後に温家宝総理が出席して会議が開かれる議長応接室に行った。格調高い重厚な感じのする ソファーに座り、おそらく温総理が座るであろう長テーブルに触れたりしていると、光栄と興奮の入り 混じった気持ちが涌いてきた。 スケジュールが順調に進み、時間が余ったので、団長とガイドの呂さんが急遽見学先を一カ所増や し、皇居を見学することになった。皇居は中国の華麗で堂々とした宮殿とは違い、まるで隠遁の賢者の ように緑の木々の間に威厳ある城壁が見え隠れし、城壁の外を囲む砂利道を歩く音は長い歴史を語りか けて来るようだった。皇居と道を挟んで向かいに立ち並ぶ高層ビルが面白いコントラストをなしてい た。クラシックとモダン、荘厳さと柔軟さ。いつまでも見ていたい気持ちになった。 夕方、世界的に有名な早稲田大学を見学した。早稲田大学の英文表記の頭文字は「W」だが、門の フェンスから図書館、ソファーの配置から建物に至るまでキャンパスの中はさまざまな「W」の文字で 溢れていた。案内役の女子学生について演劇博物館、教室棟,図書館を見学した。彼女の英語は流暢と いうわけではなかったが、誠実さとその熱意に感動した。早稲田大学の学生たちとの交流会では、万博 のメリットとデメリット及び大学生の就職プランという2つのテーマについて討論した。日本の学生は万 博の高額な出費を問題視する一方、世界各国の展示を通じて巨大なビジネスチャンスと経済成長がもた らされるだろうと考えていた。生涯プランに関しては、日本の学生も中国と同様に就職難という問題に 直面し、終身雇用における昇進ストレスや労働強度の高さという問題の前で、さまざまなメリットとデ メリットをバランスさせざるを得ない状況にあった。私たちの討論グループの中には日本語専攻の学生 がいなかったので、英語を使っての討論となり便利だった。学生たちはそれぞれ自分の意見を述べ、和 – 58 – やかな雰囲気の中でみんな徐々に打ち解け、友だちのようになっていった。友だちと言えば、今回の日 本訪問では本当にたくさんの収穫があった。世界有数の企業に勤務している先輩や同年齢の大学生、そ れにホームステイのお兄さんやお姉さん、弟、妹と友だちになることができた。こうした貴重な友情は 一生大切にし、守っていく価値があると思う。 日付:5月31日(月)8日目 大学:中国人民大学 氏名:楊鐸 ホームステイから戻ったばかりということもあり、その話題で盛り上がったが、それも束の間、車は 国会議事堂に到着した。温総理の訪日でホテル周辺はパトカーだらけだったが、沿道に中日両国の国旗 が掲げられ、異国の地で祖国の温かさを感じることができた。 国会議事堂の見学では日本の政治制度を知ることができた。日本は旧憲法の時代から両院制度が採ら れ、すでに120余年の歴史がある。衆議院480名と参議院242名の議員で構成され、衆議院は小選挙区と 比例選挙区という二つの方式で議員が選出される。衆議院は4年に1度選挙が行われるが、与党は支持率 を背景に衆議院を解散することができる。衆議院は法律の制定、予算の議決、内閣総理大臣の指名選挙 などにおいて優先議決権を有することが憲法で規定されている。衆議院で可決された決議は、参議院の 同意を経てから効力を発し、両院で異なる議決をした場合、その議案は無効になるか、または双方で20 名のメンバーを組織して協議し互いに譲歩して可決するか、或いは衆議院で再審議して可決し強制執行 するという方法がある。この制度を採用すると、決議に時間がかかり過ぎるという問題があるが、選挙 によってもたらされる影響を防ぐことができる。また、十分各意見を反映させることができるほか、こ れにより政策決定が過激になるのを防ぐこともできる。 国会議事堂の見学を終えた後、皇居を見学した。皇居の面積は天安門より広かった。皇居の周りはお 堀で囲まれ、二重橋によって外部とつながっている。皇居の中に入ることはできない。皇居は青々と 茂った樹木に覆われていたが、この点こそが皇居の故宮と大きく異なる点である。故宮は暴漢の侵入を 防ぐために大部分の木を伐ってしまったということだが、日本の皇居は東京の緑化エリアになってい る。皇室の安全を守るために皇居の周りは玉砂利が敷き詰められている。暴漢が近づいて砂利を踏めば 音がしてその侵入に気がつくというわけだ。また、皇居に続く道路には黒の砂利が敷き詰められている が、それは皇族の威厳のように思えた。 午後は日本有数の私立大学である早稲田大学を訪問した。早稲田大学は128年前に大隈重信によって 創立され、現在の学生数は55,000名、そのうち学部生は45,000名だが、これは中国の大学とは正反対の 現象だ。中国では大学院生の数が相当多いが、本当の意味で学問を志している研究者はそれほど多くな い。こうした違いは両国の企業がどんな人材を欲しているかの違いによって生まれる。中国では就職の 際は主に学歴や専門が合っているかどうかを見るが、日本では基本的に学部卒で充分であり、しかも企 業は学生の専門については特に重視するということはなく、個人の学力や業務能力に注目する。 早稲田大学では白木教授の教室を訪問し、クラスの学生30名と討論を行った。まず2010年上海万博の メリットとデメリットについて議論した。日本の学生はメリットとして国民の意識を向上させ、社会の 発展を促したことを挙げ、デメリットとしてはインターネットの普及によって万博はもはや必要ないと いう意見があった。主催者側以外の視点から万博をどう見るかという意見が参考になった。その後、就 職プランに関する中日の違いや共通点について討論した。中国の学生の就職活動は生活の快適さや家族 の意見に左右されることが多いが、日本の学生は会社に一生を捧げるに値する将来性があるかどうかを – 59 – 考える傾向にあることが分かった。こうした具体的な問題についての議論を通じて、中日文化の根本的 な違いを感じることができたのが大きな収穫だった。 日付:6月1日(火)9日目 大学:北京第二外国語学院 氏名:滑美琴 訪日団の日程もあと2日を残すだけとなった。朝、まず東京タワーに行き、その後秋葉原に行って家族 におみやげを買った。お昼は「両国」に行って相撲の力士が普段食べている「ちゃんこ鍋」を食べた。 店の外では通りを歩く力士を見ることもできた。これも日本理解と体験ということになるだろう。午 後はANAを見学した。いつも乗っている飛行機を運航させるために、どれだけ多くの人が準備している か、どんな準備をしているかを初めて知った。また、至近距離で初めて飛行機の装置を見ることができ た。ANAの見学ではサービス精神とそれに向けた努力が最も印象に残った。 明日は帰国ということで、日中経済協会と日本商工会議所の人たちが歓送会を開いてくれた。見学先 の企業や学校からも代表が参加した。もちろんホストファミリーの人たちも大勢出席した。出席者リス トの中に吉永さんの名前があったので、会場に入ってからずっと彼を探していたが、見つからなかっ た。丸紅の人に訊いてみたところ、「吉永さんは仕事があって今日は来られないだろう」と言われ、 ちょっとがっかりした。柳さんのホストファミリーも丸紅に勤めている人だったので彼らと話をしてい たが、ずっと会場の入口が気になっていた。歓送会では大学ごとに訪日の感想を発表することになっ た。1時間余り過ぎた頃、「吉永さんはもう来ないだろうな」と諦めかけたちょうどそのとき、そばに いた丸紅の重美さんが「吉永さん、もうすぐ来れそうだよ」と言った。それを聞いた途端、胸が一杯に なった。さっき心の中で願った「ミラクル」が起こったのだ。思わず涙が溢れ出た。そして、そこには ずっと会いたいと思っていた吉永さんのいつもの「元気」な姿があった。吉永さんはたくさんの写真を 持って来てくれていた。それは2日前のホームステイのときに撮った写真だった。吉永さんは写真を全部 焼き増ししてくれていたほか、日本情緒溢れる風呂敷をプレゼントしてくれた。このおみやげを渡すた めに、吉永さんは残業が終わるや会社から駆けつけて来てくれたのだ。「ギリギリ、間に合ってよかっ た」と言った。吉永さんは涙を浮かべている私を見て、ポケットからハンカチを2枚取り出し、1枚を私 にくれた。感謝の言葉はいくら言っても言い尽くせない。吉永さんは解ってくれたと思う。今日もまた 記念写真を撮った。最後に吉永さんをエレベータのところまで送って行き、泣きながら手を振って別れ を告げた。 帰国したらすぐにメールを送ると吉永さんに約束した。 「吉永さんとご家族の皆さん、10日間の中で一番心温まる思い出をもらい本当に感謝しています。本 当に有難うございました!お会いできる日を楽しみにしています。頑張ります」。 日付:6月1日(火)9日目 大学:対外経済貿易大学 氏名:張乾 本を買うこと以外、買い物にはあまり興味がない。今回もクラスメートにおみやげを買う以外、買い たいものと言えば本くらいだ。今日は一般の書店ではなかなか見かけない専門書が、早稲田大学の書店 にはたくさん置いてあったのが印象に残った。こうしたことからも早稲田大学の優秀さが充分伝わって くる。実務的なことで有名な早稲田大学さえこうなのだから、学術的なことで有名な東京大学や京都大 – 60 – 学には、きっともっとたくさんの専門書が置いてあるに違いないと思った。 また、細かいことだが、日本にいる中国人についても考えた。今、大きな商店や電器量販店にはどこ も中国人や中国語のできる店員を置いている。それは中国人や中国系の人たちが日本でどんどん買い物 をして日本の観光収入の多くを担っているからであり、多くの商店が中国人客の気を惹くことに躍起に なっている。それとは対照的に、書籍やコンサートなどの文化事業に携わる中国人が非常に少ない。こ うした状況についてはいろいろと考えるところがあった。 午後は全日空機体メンテナスセンターを見学した。これが最後の企業訪問になる。訪日団が利用する 飛行機は往復とも全日空ということもあり、全日空の優れたサービスはすでに身をもって体験している ので、この見学を楽しみにしていた。メンテナンスセンターのサービスは素晴らしかった。自然な親切 さが印象的で、たくさんの記念品をもらった。 まず企業文化と沿革、メンテナンスセンターについての紹介があり、次に工場を見学した。メンテナ ンス工場は、本来ならば、これまで見学した他の工場と同じように撮影禁止だが、写真を撮りたいとい う私たちの気持ちを理解してくれて、公開しないことと商業的目的に使用しないことを条件に、個人的 な記念撮影を許可してくれた。こうした配慮と私たちを信頼してくれたことが嬉しかった。ANAの企業 理念や特色が一段と理解できたような気がした。 これですべての企業見学が終わり、大部分の日程が終了した。今回さまざまな経験をしていろいろと 考えさせられた。各企業を訪問してそうした気持ちがより強くなった。 夜の歓送会は最も避けたいプログラムだった。なぜなら歓送会は別れを意味するから。体験したこと のすべてがこの国を離れがたいものにしていた。 歓送会ではこの10日間に知り合った人たちとまた会うことができた。例えばキューピーの小林さん、 日中経済協会の中島さん、早稲田大学の学生たち、そして私が一番会いたかったホストファミリーの平 井さん。こういう別れの場面はとても苦手だ。気持ちをコントロールすることができない。1泊2日の触 れ合いがこんなにも強く心に残るとは‥‥。日本の人たちの健康と一日も早くまた会えますように。互 いの友情が永く続きますように。 歓送会では私たち対外経済貿易大学の学生は歌を歌った。真心のこもった曲に会場が沸いた。 私と日本の友人との 友情の花が この土地に永遠に咲くなり‥‥ 日付:6月1日(火)9日目 大学:対外経済貿易大学 氏名:時嘉邑 今日の午前中は都内見学とショッピングだった。東京タワーに上り、美しい東京のパノラマ(残念な ことに、視界が悪く、富士山は見ることができなかった)を堪能した後、有名な秋葉原の電器街に行っ て日本の電気製品やアニメ天国の状況を見学した。 午後のANAの見学はとても印象的だった。日本航空が経営危機に陥って以来、全日空は日本でナン バーワンの航空会社となったが、これは全日空の一流の事業内容とサービスによるところが大きい。 ANAの機体メンテナンスセンターで一機の飛行機が無事に飛ぶためには、百人以上の人が手抜きのない 厳しい作業をしていることを知り驚いた。全日空が乗客に提供しているものは単なる安全だけではな い。そこにより楽しいものをという考え方がある。その実践としてANAは機体表面にペイントを行って – 61 – いる。中で最も有名なのが「ポケモン」シリーズと「FLY! パンダ号」だ。巨大なピカチュウが飛行機の 垂直尾翼に描かれているのを見て、思わず乗りたいと思った。 ANAのこうした方法はとても賢いやり方だと思う。飛行機という移動宣伝手段を活用して親しみやす い企業イメージを確立するとともに、日本という国のイメージ戦略も担っている。この機体ペイントは 日本のソフトパワーをさらに強いものにし、国としてのイメージ作りにも貢献している。中国もこうし たことを日本に学んではどうかと思う。この「一挙多得」の方法を一度試してみてはどうだろうか。 夕刻、宿舎であるニューオータニに戻り、中国日本商会、日中経済協会、貿易研修センターが訪日団 のために開いてくれた歓送会に出席した。歓送会の会場で王珺さんと再会した。 王さんは日本の大学院の留学の手引きというおみやげを持って来てくれた。ホームステイしたとき に、将来日本に留学したいという夢を話したので、わざわざ資料を集めてくれたのだった。とても嬉し かった。私も準備していた感謝の手紙を手渡した。自分の気持ちを表すために詩を作った。王さん一家 とはたった2日間生活を共にしただけだが、私の気持ちの中ではとっくに友だちになっていた。壇上に上 がってのスピーチでは、王さん一家が元気で幸せに暮らせることを祈った。 今日の感想:楽しかった! ANAは乗客に楽しい空の旅を提供することを目指している。歓送会では楽しく語り合った。中日両国 の国民がずっと楽しく暮らしていければいいと思う。 日付:6月2日(水)10日目 大学:北京工業大学 氏名:董崢 もうすぐ日本を離れ、帰国の途につく。昨晩はガイドの呂さんからしっかり寝るように言われていた が、いろんな気持ちが交錯してなかなか寝つかれなかった。窓の外を眺めていると、日本への思いが 次々に湧いてくる。別れはいつもこうだ。別れは美しく、人をセンチメンタルにする。 日本での最後の食事を済ませ、重い荷物を持って成田空港に着いた。おみやげを買ってNH955便に乗 りこみ、飛行機は6時に離陸した。窓外の慣れ親しんだ日本の町を見ていると、またあの離れがたい気持 ちが湧いてきた。農村の上を通過したときには東北大学の周りの絵のように美しい景色を、工場の上を 通過したときにはキューピー五霞工場の職員が手を振ってくれたことを思い出した。また高いビルの上 を通過したときにはみずほコーポレート銀行の人が丁寧に金融について説明してくれたことを、市街地 の上を通過したときには私につきあって街をブラついてくれたリュックを背負った山内さんの姿が思い 出された。今回の訪日では数多くの思い出とともにいろいろなことを教えてもらった。日本企業が内包 する企業文化は世界中の人々を惹きつけてやまない。日本の社員が懸命に仕事に励む姿は消費者に安心 感を与え、その良好な上下関係については中国の指導者も参考にしてほしいと思った。また日本の森林 カバー率の高さはどの国にとっても羨ましいことであり、日本人の環境意識の高さはすべての地域、世 界の隅々まで伝えていくべきものだと思う。そして日本人の謙虚で穏やかな態度や誠実さもすべての人 から尊敬されるべきものだと思った。わずか10日間の旅だったが、訪日団のほとんどの学生がこの美し い国が好きになり、また日本に来たいと思っている。もちろん日本の人たちも是非中国に来てほしいと 思っている。そのときは日本人に負けないような心のこもったもてなしをして、本当の中国、美しい中 国を見せてあげたいと思う。 中国に帰ったら、今回日本で経験したすべてを家族や友だちに話して聞かせたいと思う。私がここで 見たこと、聞いたこと、そして感じた、偽りのない真の日本を伝えたいと思う。7月から渡航手続がさら – 62 – に簡単になり、両国の往来も増えるということだが、中日関係がより緊密になることを願っている。中 国と日本がさまざまな分野でともに素晴らしい未来を創造していくことを確信している。これからも一 生懸命勉強し、日中間の絆としての役割を果たしていきたいと思う。より高い次元の中日友好に貢献が できるように頑張りたい。 中日両国の友情の花がすべての中国人と日本人の心の扉を開いてくれますように‥‥。 日付:6月2日(水)10日目 大学:対外経済貿易大学 氏名:潘揚洋 今、36,000フィートの上空にいる。飛行機は日本を離れ、祖国に向かって飛んでいる。この10日間の 旅を振り返ると、まるで夢をみていたような気がしてくる。 本当にすばらしい夢のような時間だった。10日間、完全にいつもの生活から離れ、今まで知ってい たすべてを置いて、見知らぬ国にやって来て、面識のなかった人たちと一緒に生活をともにした。朝早 くから夜遅くまで毎日のスケジュールはびっしりと組まれていたけれども、何の悩みもプレッシャーも なく、気持ちはこれまで経験したこともないほどリラックスしていた。訪問した先々で温かい歓迎を受 け、どの夕食会でも心のこもったもてなしを受け、毎回の交流では質問に丁寧に答えてもらい、毎日 安心して主催者側が手配してくれたスケジュールを楽しみ、どの場面でもどの地方でも身に余るほどの 歓待を受け、日本人の友情と温かさを感じ、心の中はいつも感激と感動と名残惜しい気持ちで一杯だっ た。「これは本当に普段着の日本人なのだろうか。日本に対して好印象を持たせるために、わざとこん なに親切に友好的に見せているのではないか。中国の指導者が視察をするときのように、すべて準備さ れたうわべだけ取り繕ったものであって、この背後に誰も知らない真実の日本があるのではないだろう か」と、時々疑ってみたりすることもあった。しかし、この10日間日本で過ごし、日本人と接する中 で、とりわけ一般の家庭や日本の学生との交流を通してこれは真の友好であり、日本人の本当の優しさ だということを知った。大多数の日本人には中国人への敵意や蔑視などというものはなく、あるのは誤 解から生まれる疑惑であって、多くの一般庶民はその人がどこの国の出身かで差別しているわけではな いのだ。中国人であろうと、日本人であろうと、韓国人であろうと、みんなが真心と友好的心で話をし さえすれば、誠意をもって接しさえすれば、いい友だちになれるのだ。どこの国や地域から来た人もみ んな同じ人間であり、みんな善良で純真な心を持った人間だ。私たちはまず同じ人間であり、その後に 中国人、日本人というのがついてくるべきだと思う。人間性は国境を越え、種族を越え、歴史をも越え る。今回の訪日で多くの日本人と接し、いろいろと考えるところがあった。自分が日本人の家に泊まる なんて、これまで考えたこともなかった。日本の大学生と一緒に酒を飲み、言いたいことを遠慮なく言 い合うなんて、想像もしなかったことである。日本人と別れるときにこんなにつらい気持ちになるなん て、今まで考えたこともなかった。でも、これらすべてが本当に起こったことなのだ。中国人である私 が多くの日本人と、人生のある時点で出会い、付き合い、互いに感動し、互いに別れを惜しんだ。みん な同じように感じる、同じ人間なのだ。 昨日「人生のある時を一緒に過ごすことができてとても嬉しい」と歌ったように、日本行きのチャン スをつかむことができて本当に幸せだと思った。21歳の年に一生忘れることのできない思い出をつくる ことができた。帰りの荷づくりで困ったことが起こった。買い物をしたときのレシート、大判の封筒、 ポリ袋でさえも日本での思い出がありすぎて捨てられなかった。この大事な一分一秒の時間も無駄にし ないために、毎日たくさんの写真を撮り、たくさんのビデオを撮り、たくさんの日記を書いた。この思 – 63 – い出を大事にし、この温かさと感動を永遠に記憶し、身近にいる一人一人とこの思い出と感動を分かち 合いたいと思う。私という一人の中国人が、日本でたくさんの人から親切にされたことを彼らに伝えた いと思う。中国人でも日本人でも、善悪を判断する能力、親切な心と誠意さえあれば、私たちはいつま でも友だちでいられるということを彼らに是非知ってほしいと思う。 10日間の夢はじきに覚め、現実の生活の待つ中国に戻る。私たちの祖国は日本と比べるとまだまだ 後れているが、自分たちの努力によって、中国人も日本人と同じように裕福で、自由で健康的な生活を 送ることができたらと思う。正直なところ、これまで日本に対してあまり良い感情を抱いていなかった が、今はこの国とこの国の人々を心から尊敬している。歴史問題や領土問題によって政府間には時々軋 轢が生じるかもしれないが、一般庶民の間には恨みはないし、人間性こそが全てに勝ると信じている。 中日両国が永遠に平和で友好的に付き合っていくことを願っているが、もし、ある日意見の食い違いや 衝突が現実に起こったときは、私は揺るぎない戦争反対主義者として、平和を実現するために奔走し、 平和を訴えていこう。なぜなら祖国と私自身にこんなにもたくさんの素晴らしい思い出をくれた国と再 び誤解したり傷つけ合ったりするようなことは絶対見たくないから‥‥。 こんな心温まる夢を見させてくれてありがとう。私たちがずっと友だちだということは決して夢など ではない。 日付:6月2日(水)10日目 大学:清華大学 氏名:陳叡 ついに最終日。明日の今頃は大学で授業を受けているはずだ。この10日間の生活を振り返ってみる と、いろいろなことが思い出される。有名企業や工場を見学し、日本の大学を訪問し、大学生と交流 し、ホームステイもした。これらの活動を通して日本人の親切さを知った。 今回の日本訪問は見学というよりも、個人的には自分を再発見する旅だったと言える。滞在期間中、 日本人の生活習慣を知り、気力充実した日本人を感じ、そして大学訪問では日本の大学生の情熱と活力 を感じることができた。自分たちと日本の距離に気づいただけでなく、身近にいるクラスメートとの差 にも気づいた。代表団の他の団員は自分よりも明るく、社交的だった。学校で一番大事なことは成績だ ということは認めたくはないが、潜在意識の中にそうした思いがあったことは否定できない。勉強さえ できれば、他のことは短期的にはそれほど重要ではないと考えていた。しかし、今回の旅行によって自 分自身を分析するようになった。確かに、一定の範囲内では、成績はその人の実力を表す一つの手段に なるが、ある一定レベルに達した後は、成績は一つの判定基準にすぎず、しかも非常に一面的な基準で しかない。自分で気づき、創り出していくべきものがまだまだたくさんある。 だんだんと分かって来た。万巻の書を読み、万里の道を行くということの意味は、象牙の塔の中にい る私たちが普段接しているのは、単に本に書かれた知識だけであり、本以外の広い世界が私たちの将来 にさらに大きな舞台を用意してくれているということだったのだ。人生には考えなければならないこと がたくさんある。 – 64 –
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