30 周年記念事業 西オーストラリア研修旅行報告 1. はじめに 2. 日程 九州支部創設 30 周年を記念する海外研修旅行は, 早々と 西オーストラリアに決まったように記憶している.約 30 表-1 行程表 月日 (曜日) 日 程 行 動 内 容 9月13日 (土) 10:00 福岡空港発 23:50 パース着 (シンガポール経由) 集合場所08:30 福岡空港国際線 福岡空港とシンガポール空港にて結団式 宿泊:パース(Mercure Hotel) 9月14日 (日) パース(Perth)→デナム(Denham) 現地ガイド同乗(ロブ,ユミ) ナンバン国立公園(ピナクル)視察 宿泊:デナム(Heritage Resort) を観てみたいとの希望である.また有袋類が特異な進化を 9月15日 (月) デナム(Denham) →カナーボン(Carnarvon) シェルビーチ,ハメリンプール視察 ストロマトライトの観察 宿泊:カナーボン(Gateway Hotel) 遂げた大陸でもあるし,火災のような高温に曝されて初め 9月16日 (火) カナーボン(Carnarvon) →トムプライス(Tom Price) 周囲の地形・地質を観察しながら移動 宿泊:トムプライス(Tom Price Hotel Motel) 9月17日 (水) トムプライス(Tom Price)周辺 AM:ハマスレーオープンピット視察 PM:カリジニ国立公園視察 縞状鉄鉱層のゴージを観察 宿泊:トムプライス(Tom Price Hotel Motel) 9月18日 (木) ピルバラ地塊を広域に観察 トムプライス(Tom Price) 宿泊:ポートヘッドランド →ポートヘッドランド(Port Hedland) (All Seasons Port Hedland) ら,直線距離でも 1,300km の大移動である.これを既定の 9月19日 (金) ポートヘッドランド(Port Hedland) →カラーサ(Karratha) →パース(Perth) ダンピアの鉄鉱石積出し港視察 カラーサ→パース(カンタス航空使用) 宿泊:パース(Mercure Hotel) 日時内に収めるのであるから,幹事は大変なご苦労だった 9月20日 (土) パース(Perth) 市内自由散策 宿泊:パース(Mercure Hotel) 9月21日 (日) パース→福岡 15:15 パース発 (シンガポール経由) AM:メッケリン地震断層視察 PM:パース空港へ 宿泊:機内 9月22日 (月) 08:05 福岡空港着 福岡空港にて解散式 億年前から生息して酸素を地球に供給したというストロマ トライト,酸素供給によって堆積したといわれる縞状鉄鉱 層,断片的な知識は持ちながらも,目にした事のないもの て開花する種子もあるらしい.また南十字星を観たいとの 希望もあった. 地図を開いてみると,これらを観るには南緯 32~20°ま で移動しなければならない.緯度 1 度が約 111km であるか ようである.当初は少ない情報の中を模索していたようで あるが,実に立派な資料集を完成してくれた.毎日,各担 当幹事が教師役になりながら,4 輪駆動バスで走り回る旅 行は並大抵のものではなかった.しかし,各露頭でハンマ ーを振るいルーペで覗き込む面々は,地質屋の中の地質屋 であると感じた.私はカメラ 2 台とビデオをぶら下げ,主 にファインダー越しに真っ赤な「ベンガラ色大陸」を切り 取ってメモリーに収めてきた. 参加者各自が多くのものを観察し,理解し,更には新た な疑問点をも発見したであろう.これを助けたのが充実し た幹事手作りの資料集であり,この点では九州支部の総力 の賜物と考える.また,怪我や事故も無く全員帰国したこ とは,最低限必要なことであり,その点においても成功で あったといえる.そう言う私は,風邪を治しきらずに旅行 に突入したため,薬を飲みながら皆さんに風邪のばい菌を 撒き散らし続けたことを,心からお詫び致します. ほぼ 5 年毎に続けてきた九州支部の海外研修旅行,次回 もユニークな企画が生まれることを願っている.また,ま とまりの良い九州支部であるからこそ,可能なこととも考 えている. 皆さんのご協力, 大変ありがとうございました. (団長 岩尾雄四郎) 図-1 行程図 オーストラリア大陸は平均高度が 340m と全大陸の中で 3. 参加者 もっとも低く,高度別の頻度分布では 200~500m に相当す 表-2 参加者名簿 氏 名 岩尾 雄四郎 岩内 明子 勤 務 先 佐賀大学理工学部(団長) (株)アバンス る面積が 42%に達する.これらのことから,オーストラリ ア大陸は,全体的に低地ないし起伏の小さい台地様の地形 が主体をなす大陸であるといえる. 大陸の東海岸域は温暖湿潤性気候または西岸海洋性気候 奥園 誠之 (財)高速道路技術センター の過ごし易い気候帯に属し,シドニー(Sydney) ,メルボル 遠座 昭 (株)建設技術研究所 ン(Melbourne) ,ブリスベン(Brisbane)といった大都市 黒木 久達 サンコーコンサルタント(株) 坂元 寿幸 八千代エンジニヤリング(株) 撰田 克哉 日本地研(株) 長谷川 怜思 八千代エンジニヤリング(株) 長谷川 洋子 をはじめ,この地域にほとんどの人口が集中している.東 海岸とは対照的に,西海岸域ではパース(Perth)を除いて 人口の少ない小さな街が散在する程度である. 行政的には連邦制を採用しており,ニューサウスウェル ス(New South Wales)州,クィーンズランド(Queensland) 州,西オーストラリア(Western Australia)州,南オース 花村 修 (株)九州地質コンサルタント 平田 和彦 (株)創建 牧野 隆吾 日鉄鉱コンサルタント(株) 別区域(The Australian Capital Territory)および北部 松迫 暁子 千代田工業(株) 準州(The Northern Territory)の 2 つの特別区に分けら 宮崎 精介 八千代エンジニヤリング(株) れている.ヨーロッパ人が最初にオーストラリア大陸に到 宮村 滋 アイドールエンジニヤリング(株) 来したのは 1606 年のことであり, その後全土がイギリスの トラリア(South Australia)州,ヴィクトリア(Victoria) 州およびタスマニア(Tasmania)州の 6 つの州と,首都特 矢田 純 (株)カミナガ 植民地となってからの歴史は 200 年余りである.それ以前 矢野 健二 (株)ジオテック技術士事務所 については不明な点が多く, 更新世の 4 万~4 万 5 千年前 山本 茂雄 中央開発(株) (あるいはそれ以前)の氷河期に(海水面が降下した際に) アボリジニがニューギニア方面から渡来して先住民になっ 4. オーストラリアの地形・地質概要 たという説がある. 4.1 位置・地勢 オーストラリアは,オーストラリア大陸とタスマニア島 およびその他の小さな島々から構成される.面積は 7,686,850km2 で,日本の約 20 倍強の広さを有する.南半球 の南緯 10°~43°,東経 113°~153°の間に位置し,東 は太平洋,北はティモール海,アラブ海,西はインド洋, 南は南極海に面する. 大陸の東側にはグレートディバイディング山脈(Great Dividing Range)が海岸線と平行に弓状に連なっており, 大 陸 最 高 峰 で あ る 標 高 2,228m の コ シ ア ス コ 山 ( Mt. Kosciuszko)はこの山脈に位置している.この山脈から東 流する河川は南太平洋に,西斜面を流下する河川はカーペ 図-2 オーストラリアの地勢概略図 ンタリア湾(Gulf of Carpentaria)やグレートオーストラ リア湾(Great Australian Bight)に注ぎ,この山脈が大 オーストラリアは,世界でも有数の資源輸出国である. 分水界をなしている.グレートディバイディング山脈から 全国各地で大規模な鉱山開発が進んでおり,国の経済にお 大陸中央にかけては,大鑚井盆地(The Great Artesian いて重要な役割を果たしている.また,日本との関わりも Basin)と呼ばれる広大な扇状地性の低地が発達しており, 深く,鉄鉱石やボーキサイトなどの大部分はオーストラリ それ以西ではグレートサンディ砂漠(Great Sandy Desert) アからの輸入に依存している. やグレートビクトリア砂漠(Great Victoria Desert)とい った砂漠が広がっている.沿岸域を除き国土の大部分が乾 燥地帯あるいは砂漠からなる. 4.2 地質概要 オーストラリア大陸西側の大部分の地域は,いわゆるオ ーストラリア楯状地に属し,ピルバラ(Pilbara)地塊やイ ルガン(YilGarn)地塊などの先カンブリア系の地塊から構 成される.オーストラリア大陸の地質を概観すると,この 楯状地から東に向けて顕生代の堆積盆が順次形成されてい る.オーストラリアは,東部のグレートディバイディング 山脈で複雑な構造運動の影響が見られるが,それ以外の地 域では比較的安定しており,古い地塊であってもほとんど 変形・変成作用を被っていない場合もある. 以下に,今回の研修旅行の主な見学先となったピルバラ 地塊を構成する基盤岩類とマウントブルース層群(Mount Bruce Super-Group)についての概要を述べる.現生ストロ マトライト等の概要については,後述の旅行記を参照され たい. ピルバラ地塊は,西オーストラリア州の北西に位置して おり(図-3) ,南北に約 400km, 東西に約 600km の楕円形を 図-4 ピルバラ地塊の地質図 している. ピルバラ地塊は主に 37~28 億年の放射年代を示 す花崗岩類とグリーンストーンを基盤とし,これを不整合 ピルバラ地塊の最古の基盤は,従来ピルバラブロックま に覆う火山岩類・堆積岩類からなるマウントブルース層群 たは北ピルバラ花崗岩-グリーンストーン帯(The North から構成される(図-4) .また,マーブルバー(Marble Bar) Pilbara Granite-Greenstone Terrane)として一括されて 地域のノースポール(North Pole)付近の堆積岩からは, いたが,年代や地質構造が異なることから,以下の 3 帯に 世界最古のストロマトライトの化石や微化石が見つかって 区分されている(Hickman et al.(2001)など). いる.ストロマトライトは,光合成によって酸素を発生す る地球史上もっとも始原的な原核生物であるシアノバクテ リアによって形成された炭酸塩岩であり,地球大気中の酸 1) 東ピルバラ花崗岩-グリーンストーン帯(The East Pilbara Granite-Greenstone Terrane;EPGGT) 素の発生源として重要な意味をもつ.このストロマトライ ピルバラ地塊のうち最も古い部分である.オーストラリ ト の 層 序 ・ 産 状 な ど に つ い て は , Van Kranendonk et アで最古の放射年代は,EPGGT に属するワラウーナ層群 al.(2001)などに詳しい解説が示されている. (Warrawoona Group)の火山岩類から得られたもので,37.1 ±1 億年の年代を示す.EPGGT の最下部はクーンテルナ層 群(Coonterunah Group)であり,塩基性火山岩類を主体と する.その上位に,玄武岩主体でチャート・酸性火山岩類 を挟むワラウーナ層群が覆う.ワラウーナ層群は,前述の 世界最古のストロマトライトの化石を含むほか,鉱化作用 が特に著しく, 多くの金鉱脈や硫化物鉱脈が胚胎している. ピルバラ 地塊 さらに新しいユニットに,酸性火山岩類を主とするワイマ ン層群(Wyman Group) ,塩基性火山岩類を主体とし,数多 くの硫化物鉱床が胚胎するサルファースプリング層群 (Sulphur Spring Group)などがある. 2) 西ピルバラ花崗岩-グリーンストーン帯(The West Pilbara Granite-Greenstone Terrane;WPGGT) イルガン地塊 EPGGT より少し新しい 32.8~29.2 億年に形成された地塊 である.最も古いユニットは,玄武岩を主体とするローボ ルネ層群(Roebourne Group)である.この地層は 32.7 億 年の年代を示すカラーサ花崗岩類(Karratha Granitoids) の貫入を受けている.また,塩基性~酸性火山岩類が主体 をなすウーンド層群(Whundo Group)がショー断層帯(Sholl 図-3 ピルバラ地塊の位置 Shear Zone)を挟んでローボルネ層群と接している.両層 は,クリーバーバイル層(Cleaverville Formation)と呼 ブーゲーダ(Boolgeeda)の 3 つの鉄鉱層からなる.そのう ばれる幾層かの縞状鉄鉱層を挟む堆積岩類に覆われる. ち,鉄鉱石の採掘が稼行されているのは,マラマンバおよ びブロックマン鉄鉱層である. 特にブロックマン鉄鉱層は, 3) 中央ピルバラ構造帯(The Central Pilbara Tectonic Zone; CPTZ) 世界でも最大級の鉄鉱層であり,層厚 650m にも達する. 縞状鉄鉱層の形成過程には諸説あるが,ハマースレーベ 30.1~29.4 億年のマリーナベイズン(Mallina Basin) イズンのものは,一連の堆積シークエンス(黒色頁岩-チ の堆積物と花崗岩類で主に構成される.EPGGT とはショー ャート-縞状鉄鉱層)から,大陸棚上において海洋中の鉄 断層帯(Sholl Shear Zone)または不整合,WPGGT とはタ イオン(Fe2+)の酸化による沈殿に起因するものと考えら バタバ断層帯(Tabba Tabba Shear Zone)または不整合で れている(清川,2000) .いずれにしても,この時代にシア 接している.マリーナ盆地の堆積物は,西部では酸性~塩 ノバクテリアの大繁殖をきっかけとする大気中や海水中の 基性火山岩類および堆積岩類からなるホイムクリーク層群 酸素濃度が上昇したのは確かなようである. (Whim Creek Group)やブックインガラ層群(Bokingarra Group) ,その他の地域では主にタービダイト性の堆積物で 6) チューリークリーク層群 特徴づけられるデ グレイ層群(De Gray Group)などから 本層はブーゲーダ鉄鉱層に整合的に重なる浅海性堆積物 構成される.この堆積作用は,大陸間リフト沿いに 3 回に である.下部の頁岩層を主体とするクンガーアラ層 わたり生じ,29.5~29.3 億年の花崗岩の貫入とそれによる (Kungarra Formation)と上部の砂岩主体のカップット層 変形作用を受けている. (Kazput Formation)に区分されている.堆積年代は下位 マウントブルース層群は,ハマースレーベイズン (Hamersley Baisin)に堆積した火山岩類・堆積岩類から の火山岩類と上位の玄武岩より 24~22 億年の年代が得ら れている. (矢田 純) なる地質体であり,東西 400km,南北 200km の範囲に分布 している(図-4) .下位よりフォーテスキュ層群(Fortescue 引用・参考文献 Group) ,ハマースレー層群(Hamersley Group) ,チューリ 1) Hickman et al.(2001):Evolution of the west Pilbara ークリーク層群(Turee Creek Group)の 3 つの地層群に区 Granite - Greenstone Terrane and Mallina Basin, 分されている.北部では変形・変成作用をほとんど被って Western Australia, Western Australia-A field trip おらず,緩い南傾斜を示す.一方で,南部ではイルガン地 guide. Geological Survey of Western Australia, 65p. 塊との衝突による,基盤を巻き込んだ褶曲帯を形成してお 2) 石原舜三(2003) :西オーストラリアのピルバラ始生代 り,ドーム・ベイズン構造を呈している. 地塊に見る花崗岩類と金属鉱床:特に酸化/還元状態の 評価.地質ニュース,588 号,pp4-22. 4) フォーテスキュ層群 模式層厚 5,000m といわれ,広範に分布する洪水玄武岩, その間にはさまれた河川性あるいは浅海性堆積物からなる. 3) 清川昌一(2000) :マウントブルース超層群 西オース トラリア,ピルバラクラトン上に残る太古代・原生代境 界の地球変動の記録.地質ニュース,553 号,pp7-21. 岩相変化が著しく,北部では陸源~浅海堆積相,南部では 4) Van Kranendonk et al.(2001):Archean geology of the 枕状溶岩を主とし,浅海から比較的深い堆積相に移り変わ East Pilbara Granite-Greenstone Terrane, Western る.凝灰岩中のジルコンの年代から,27.7~26.9 億年に形 Australia-A field trip guide. Geological Survey of 成されたと考えられている. Western Australia, 134p. 5) ハマースレー層群 浅海性砂岩層,黒色頁岩などからなるジェリーナ層 5. 研修旅行記 ( Jerrinah Formation ) か ら 始 ま り , 厚 い 縞 状 鉄 鉱 層 第 1 日目(9 月 13 日) (Banded Iron Formation;BIF)の出現で特徴づけられる. (福岡→シンガポール→パース) また,鉄鉱層間には浅海性ドロマイトや火山灰・酸性火山 いよいよ待ちに待った西オーストラリア研修旅行の日が 岩類を挟んでいるが,陸源物質がほとんど含まれていない やって来た.参加申込を済ませてからもまだまだ先の話だ ため,本質的に「遠洋性」堆積物であると考えられている. と思っていたが,あっという間にこの日がやって来たとい 酸性凝灰岩・デイサイトなどから,26.5~24.5 億年の堆積 う印象である.朝晩はようやく秋めいてきたのか,半袖一 年代が得られている. 枚で程よい気温である.国際線行きのバスの中で山本幹事 ハマースレー層群を特徴づける厚い縞状鉄鉱層は,下位 と偶然一緒になったため,今日から担当幹事の役目も忘れ よりマラマンバ(Marra Mamba) ,ブロックマン(Brockman) , て‘一参加者’としてオーストラリアを満喫しようなどと 冗談交じりに会話を交わした. まもなくして定刻が来たため,予定通り 18 時 40 分にシ まず参加者一行は,8 時 30 分に福岡空港の国際線ロビー ンガポール航空 SQ215 便でパースに向けて飛び立った.シ に集合し,旅行会社より出国手続等の説明をいただき,航 ンガポールからパースまでのフライトはおよそ 5 時間であ 空チケットを受け取った.9 時過ぎには全員が出国手続を る.ここでも豪勢な機内食に加え,アルコールのサーブも 終えたため,集合したロビーにて簡易な結団式を行った. 付いている.オーストラリアの上空を飛んでいる間は,勉 この場で岩尾支部長の挨拶をいただいた後,記念すべき最 強会でもらった航空写真をもとに地形を想像することにし 初の集合写真の撮影を行った (期間中に 10 枚以上撮ったよ た.この便でも機内がかなり寒かったこともあり,そろそ うに思う) .もちろん,周囲からは何をやっているのかとい ろ長時間のフライトに嫌気がさしてきたが,なんとか 23 うような冷ややかな視線を受ける.その後,10 時 30 分に 時 50 分頃に予定通りパース空港に到着した. 福岡から合計 シンガポール航空 SQ655 便にて,経由地であるシンガポー 10 時間の空の旅であった. ルのチャンギ空港に向けて飛び立った. 事前に話は聞いてはいたが,夜も遅いというのに入国審 査がかなり入念に行われる.スーツケースの中にハンマー が怪しげに映っていたのが悪いのか,中には荷物の中身ま でチェックされ,あれこれ取り調べを受けた人までいた. 無事に全員が入国審査を終えてターミナルを出た時は,深 夜 12 時半をすでに回っていた. 空港を出てしばらくバスで 走ると,世界で一番美しい街と形容されるパースの高層ビ ル群が見えてくる.大都会であるにも関わらず,中心部で も車や人通りはほとんど見受けられなかった.深夜でも人 ごみやタクシーでごった返す日本の街のような雑踏感は皆 無である.このような美しい街並みを通り抜けながら,明 日からの見学地に期待をふくらませ,宿泊先であるホテル 記念すべき 1 回目の集合写真 福岡からシンガポールまではおよそ 5 時間のフライトで へと足を向けた. (矢田 純) 第 2 日目(9 月 14 日) ある.機内ではエアコンが効きすぎていたせいでかなり寒 パース(Perth)→デナム(Denham) かったが,一同は音楽・映画鑑賞や旅行資料を読んだりし 1) パースからピナクルズへ て,各々過ごしていたようである.台風のおかげで進路に オーストラリア国内での第1日目は,パース(Perth)か 影響が出ることも懸念されたが,ほぼ予定通り 15 時 40 分 らデナム(Denham)までの約 1,000km におよぶ大移動であ 頃にシンガポールのチャンギ空港へ到着した.この空港で る. は,パースまでの乗換便の出発までしばらく時間が空くた この日に立ち寄るポイントは,パースから北約 250km の め,当初の予定どおり結団式の続きを行った.この場で今 ナンバン国立公園(Numbung National Park)内にあるピ 後の行程等の説明に加えて,今回の研修旅行に対する期待 ナクルズ(Pinnacles)である. や抱負を交えた自己紹介も行った. パースからデナムまでは,乾燥大陸オーストラリアの中 で地中海性気候に区分される地域に属している.降雨は, 秋から春の 5 月から 9 月に集中し, 年間降水量は概ね 600mm 程度である.パースの 9 月はまさに春たけなわで,九州で 言うと 4 月下旬ころに相当する気候であり,パース出発の 早朝はやや肌寒かったものの,車窓にはオーストラリア固 有のワイルドフラワー,黄色や紫の牧草の花が咲き乱れ, 羊が点在するのどかな風景の中,国道1号線を一路北上し た.途中,休憩で立ち寄ったロードハウスでは多くの参加 者がワイルドフラワーに関する書籍を購入し,地質だけで はなく,珍しい花々も見ながらのツアーが始まった. チャンギ空港での結団式の様子 2) ピナクルズ ナンバン国立公園は,広さ約 18,000ha で,第四紀の堆積 物である石灰質あるいは珪質砂を主体とする海岸砂丘によ たカルクリート層より下方に伸びる木根や割れ目に沿って って特徴づけられる.西オーストラリア観光の目玉の一つ 溶出した石灰分が下方へ移動し,この石灰分が砂丘の砂を であるピナクルズは,ナンバン国立公園内にあり,高さ 3 固化させ,石灰岩の石柱を作るという,前の説とは全く逆 ~4m の石灰岩よりなる柱状の奇岩(pillars)が林立して の説もあるようである. 非常に短いピナクルズ滞在時間での観察であるが,現地 いる. ピナクルズの形成は,諸説あるようだが,現地の案内板 を始めとして,概ね次のような説明が多い(図-5). ①海からの強い風によって形成された石灰分に富む海岸砂 では次のようなことが観察できた. ①多くの石柱で石柱の頭部と下端部が同じ大きさの柱状を 示し,裾が広がっていない. 丘から石灰分が溶出し,膠結することによって軟質な石 ②木根を中心に発達したような石柱が多く見られる. 灰岩が形成される. ③石柱の中には角礫岩状の岩相を示すものがある. ②石灰岩の上位を石英質の砂が覆うとともに,石灰岩の表 面に Calcrete(土壌中の水分蒸発により CaCO3 が沈殿) が生成.上部は植物により酸性化し,腐植土が形成され る. ③植物の根が,石灰岩層中に達する割れ目を作り,そこに 雨水が浸透して石灰岩が溶け出す.石英砂が割れ目を充 填する.④更に,植物が繁茂することによって下位の軟 質な石灰に根が張って浸食が進む. ⑤原生林の消失,砂漠化,砂の移動によりピナクルズが出 現する. 石灰質砂から 石柱の配列状況 なる海岸砂丘 頂部は直線状に配列しており,旧地形面(砂丘の面)を残して の生成と石灰 いる.多くは,頭部と下端部の大きさが同じである. 分の溶出に伴 う石灰岩化 Calcrete とそ の上位の酸性 土壌の生成 植物根の発達 と石灰岩の溶 出 更なる植物の 繁茂による石 灰岩の浸食の 進行 植物痕と思われる空洞を中心に発達する石柱 原生林の消 失,砂の移動 により現在の Pinnacles の 生成 図-5 ピナクルズの生成過程を示す模式図 (現地案内看板より) しかし,これと相対する考えとして,砂丘の上位を覆っ 石柱の接写写真 植物片が混じった角礫岩様 これら 3 つの現象は,現地の案内看板などに示されてい るような,浸食から取り残されてできたとする考えとは明 いうことで,本日担当の私たちは,見学地での説明のための 直前予習がばっちりの状態となった. らかに矛盾するように思える.むしろ後者の説にあるよう な,カルクリートの隙間から溶出した石灰分が,鍾乳石と 同じような過程でできたと考えるのが妥当なように思える. カナーボン 3) ピナクルズからデナム ピナクルズ見学後,美しいインド洋を眺めながらの昼食 シャークベイ (ランチボックス)の予定であった.しかし,インド洋か ら雨雲が近づき,天候が怪しくなったことから,ピナクル モンキーマイア ズ近くのロードハウスでの昼食となった.昼食の後,デナ ムへ向け, 海岸沿いの Indian Ocean Drive を一路北上した. ナンバン国立公園より北の海岸沿いには砂丘が連続し, 後背には広い沖積平野が広がっている.この地域はまだ地 中海性気候と思われ,平野は青々とした小麦畑と牧草地と なっている.更に北上すると海岸沿いの道路は,海岸砂丘 上を通り,右側の車窓にはインド洋を眺め,左側には点在 する潟湖が眺められる. デナム ファウアシル ハメリン イーグルブラフ プール シェルビーチ 30km ストロマトライト (旧電信関係の施設跡) その後,国道 1 号と合流する辺りから植生はブッシュ主 体となり, 徐々に乾燥地帯へ入っていくことが実感できた. (遠座 昭) 第 3 日目(9 月 15 日) デナム(Denham)→カナーボン(Carnarvon) 世界遺産に登録されているシャークベイ中央部に北北西 -南南東方向に細長く突き出るペロン半島のデナムの朝は, 図-6 シャークベイ一帯 3 日目見学地の位置図 さて,前おきが長くなったが,本日の行程は,デナムを出 発→イーグルブラフ Eagle Bluff→シェルビーチ Shell Beach→ハメリンプール Hamelin Pool→カナーボン(宿泊 地)である. 穏やかに晴れ渡り,ヨットが浮かぶ淡いエメラルドグリー ン色の海と薄青色の空が広がっていた.海岸沿いを朝食前 1) イーグルブラフ に散歩すると釣り具屋(釣りのメッカらしい),スーパーマ デナムの町をバスで少し廻って説明を聞き,見晴らしの ーケット,文具店とならんで洒落たガラス張りの世界遺産 良い海岸を背景に集合写真撮影した後,イーグルブラフに のマークの「SHARK BAY Discovery Center」を見つけ,少し 向かった.ここは高さ 100m の崖(石灰岩など)が海岸沿い 感動したが,朝早いために開館前であった. に連続する景勝地である.遊歩道が整備されていて, 付近を 宿の食堂へ上がる階段脇には,ハメリンプールの変遷 (ス 踏み荒らさない措置がとられていたが,その遊歩道との境 トロマトライトを含む)が 4 枚の時代を追った復元図で詳 界に置いてある石灰岩の岩塊に, 皆の興味は集中した.この 細に説明されているプレートが掲げられていた.幸い,ガイ 石灰岩は,ウーライト(魚卵状石灰岩)であり,大きなも ド兼通訳のユミさんが内容を読んでくれたので,私たちが のは直径 4cm もあった.ウーライトは, 波打ち際のようなと 作成した本日の研修資料の内容と同じであることを確認し ころで鉱物や生物遺骸からなる核の周りに同心円状に沈着 た.なお,昨晩,夕食後食堂を出ると,横のバーラウンジで, 物・沈殿物が付着してできるが,暖かくて浅く,かつ海水 地質関係の研究者達がハメリンプールやストロマトライト 流動が激しい環境に限られて形成される岩石で,これほど についての勉強会をやっていたので(今日現地見学をする 大きなものは珍しい. ようだ),最後の1時間ほどを立ち聞きさせてもらった.活 また,ここイーグルブラフ一帯の海岸は,ジュゴンや野 発なディスカッションを聞きながら,NHK の地球大紀行で 生のイルカ・サメなどの世界最大の生息地であり,特に近 見たあのストロマトライトに来たんだという実感が湧いて くのモンキーマイアは野生のイルカが集まってくる岬とし きた.勉強会は,ちょうどハメリンプールの成立過程や現生 て世界的に有名な場所であるらしい.ガイド兼通訳のユミ のストロマトライトの生息水深での形態の違い,さらには さんが,ここまで来てモンキーマイアに行かない観光客は 地層中の化石のストロマトライトのラミナの形状判別から あまりいないもので・ ・という言葉にやや苦笑いしながら, 当時の環境解析をしているような内容の説明であった.と 私たちは足早にシェルビーチ,そしてストロマトライトの あるハメリンプールへと向かった. 厚さ 8m 程度,幅 30~100m,延長 100km 続く(シェルビーチ) 石灰岩の断崖(イーグルブラフ) 二枚貝 Fragum erugatum 貝殻の大きさ 1cm 以下 (シェルビーチ) ウーライト(イーグルブラフ) 2) シェルビーチ,ハメリンプール 滅を物語っており,きわめてすばらしい景勝地であるが,生 ここで,シェルビーチの形成について簡単に説明する. 物の適応能力を超えた環境変化が何を引き起こすかを目の シャークベイの湾奥部に位置するハメリンプールは,約 たりにする風景でもあった.また, 塩分濃度が高いといって 6,000 年前には外海と同じ塩分濃度の海水で満たされてい も,この環境に適応したエビやカニや魚も思ったより多く て二枚貝の Fragum erugatum が大量に繁殖していた.約 見られた.最近の研究で,二枚貝の貝殻の殻高殻長比が生息 4,000 年前の海進最盛期には,海水位が現在より 2m 程度高 時の塩分濃度に反映されることが分かっている.すなわち, くなった.これにより, ハメリンプールと外海との境のファ 比が 0.32 のとき通常の塩分濃度 34‰程度で,塩分濃度が 2 ウアシルが堆積物により高くなったために,外海からハメ 倍の場合は 0.35 とのことである.本日の見学地の貝殻を持 リンプールへの海水の流れが制限された.ハメリンプール ち帰って測ってみると,比が約 0.33 程度であったので,塩 では蒸発量が流入量を上回って海水位が低下し,塩分濃度 分濃度 45‰程度の時に生育していた貝殻であったと思わ が上がった(現在は普通の海水の 2 倍の 76‰)ため,二枚 れる.シェルビーチの表面を手ですくうと,サラサラと崩れ 貝 Fragum erugatum が死滅して,その殻が厚さ 8m,幅 30 落ちるが,堆積物の中の方は貝殻が結合して貝の地層 ~100m,延長 100km にわたって堆積し,真っ白なシェルビ (Hamelin Coquina)になっており,断熱材としてブロック状 ーチを形成した. に切り出されて使われていた. シェルビーチに足を踏み入れると,比高差 1m 程度の海岸 ハメリンプールの南畔にある旧電信関係の施設跡で昼食 線に平行に延びるマウンドが数列あった.それまで資料で をとったが,この建物の塀の一部はこの貝の地層のブロッ 見ていた写真では,平坦な砂浜(貝殻浜)が広がっていると クであった.現在は,地層の切り出しは禁止されているが, 思っていた.しかし,実際はかなり起伏があるな,という印 海岸には切り出される状況が再現されており,地表 1~2m 象が強く残った.貝殻は大きさ 1cm 以下で, たった1種類の 以内の比較的浅い部分からでもブロックとして切り出せる 貝殻が大量に堆積している様は,まさしく大量繁殖・大量絶 程度に固結していた. な気泡が海水面に上がってくる.藍藻(シアノバクテリア) が光合成によってつくった酸素の小さな泡だ.ストロマト ライトに触れることはできなかったが,酸素の無かった原 始地球の大気に,初めて酸素を送り込んだ生命の営みを垣 間見ることができて,私たちはとても満ち足りた気分にな った. 二枚貝の殻の地層が断熱材としてブロックで切り出され,塀や 壁として利用されている(ハメリンプール) この貝の地層が見られる海岸沿いこそ,現生のストロマ トライトの生息域であった.ただし, ストロマトライトの保 護のために,白いシェルビーチ部分から海側へは踏み込む 現生のストロマトライト(ハメリンプール) ことが禁止されており,ストロマトライトの観察は,海側に 張り出して設置されている桟橋状の遊歩道からのみ許され このストロマトライトを形成する藍藻類の光合成による ていた.波打ち際にこんもり盛り上がって帯状に切れ切れ 酸素は,まず原始の海の中に溶け込んでいた大量の鉄と結 に連なる黒っぽい岩塊がストロマトライトである.形状と びついて海底に沈殿させ,今回の研修で訪れるハマスレー しては,潮間帯にみられる連結長椅子状やカリフラワー状 を始めとする大規模な縞状鉄鉱床が形成されている.今回 のストロマトライトである.表面は硬そうにみえるが,実際 の研修 3 日目にストロマトライトを観察できたことで,地 はスポンジの様に柔らかいと資料に書いてあったので,ぜ 質時代を追った研修行程がたてられていると理解した. ひ手で感触を確かめたかったが,桟橋の上からではとても ハメリンプールを後にし,カナーボンへ向かって国道 1 無理であった.「足を持っててあげるから」と平田さんが親 号線をひたすら走ることになった.研修資料に添付されて 切に言ってくださったが,他の観光客もわりと多くいる中 いる西オーストラリアの地図をみる限りでは,国道 1 号線 では,そう簡単にお言葉に甘える訳にはいかなかった. はシャークベイの海岸に沿って走るものと思っていたが, 海水の溜まった所では,ストロマトライトの表面にはご そこは広大なオーストラリア,地図上の海岸線と国道との く小さな乳白色の糸状の藍藻(シアノバクテリア)がみられ 僅かに見える距離でも優に数 km 以上内陸側にあたり,ずっ たが,よく見ていると,小魚の集団が藍藻(シアノバクテリ と遠くに海岸線が見えたのが 1 箇所だけあった. ア)を片っ端から食べているのを目撃した.地球温暖化によ 途中見晴らしの良い所でストップし,集合写真を撮った り海水位が上昇し,外海の海水が大量にハメリンプールに が,この丘から見える台地はごくごく起伏が少ない台地が 流入して塩分濃度が低下し 60‰を下回るとストロマトラ 地平線までずっと続いていた. (このあたりはまだ海岸沿い イトは形成されなくなる可能性があると指摘されているが, の中生代以降の堆積物分布域ではあるが,4 日目以降の内 その前に高い塩分濃度に適応した魚の餌となっているとは 陸部のピルバラ地塊には行っても行っても,起伏の少ない 思いもしなかった光景であった. だだっ広い大地が広がる風景が続くのが印象的であった. 1 日 1 回しか干満のないハメリンプールでストロマトラ いわゆる「楯状地」の地形が実感できた) イトを観察するには干潮時がいいよ,というアドバイスを カナーボンにはまだ明るいうちに到着し,古い貨車等が 九州大学の清川先生より事前に頂いていた.幸い,干潮時の 展示されている野外の鉄道博物館に寄った.何となく西部 ようではあったが,この日は満月の大潮であり,既存の写真 劇の時代にタイムスリップしたような光景であり,異国の で見るより何だか全体的にストロマトライトが海水面より 地に来たと実感した.博物館の中に記帳ノートがあり, めく 干上がっていたような気がした. ってみたが,日本人の名前は全くなかった.この地をこの しかし, バスに向かって帰り始めた時に,潮溜まりで極小 さい泡が時折あがっているのを見ることができた.しばら く目をこらして見ていると,プクッ,プクッと,非常に小さ メンバーで訪れることができた記念になればと思い,日本 語で記帳してきた. また,このカナーボンもシャークベイに面する町であり, 博物館の駐車場の傍らにある屋根付きの小屋の壁には世界 Basin,Ashburton Basin,および Hamersley Basin と呼ば 遺産のシャークベイに関するカラフルなパネルが展示され れる,古生代から始生代にまでさかのぼる地層群が分布し ていた.世界遺産であることもあるのだろうが,シャークベ ている.今日のルートの前半は,これらのうちの Southern イやハメリンプールに関しては,ちょっとした立ち寄りス Carnabon Basin が基盤をなしているが,表層部には第四紀 ポット的な場所にもしっかりした内容のパネルや看板が設 更新世~完新世の砂・シルト・粘土が堆積しており,広大 置されていた.常駐している管理人等はほとんど見かけな な砂漠地形を形成している.やっとみえてきた起伏はこれ かったのだが,それら展示物の管理がわりと行き届いてい らの Dune(砂丘)であった.地質図や衛星画像で見ると,長 て,周辺の清掃もきちんとなされている状態であるのが印 さ1km から 10km にもおよぶ砂丘が無数に広がっているが, 象的であった. 現地では高さ 10~20m,幅数 10m 程度の高まりが壁のよう 最後に,バスの中では牧野さんが作成して参加者全員に に続いているだけであった. 配ってくれた衛星写真に道路を入れた地図が大活躍し,説 明するのに大変助かった.無理を言って作成して頂いたの で,大変感謝しております. (岩内明子,松迫暁子) 第 4 日目(9 月 16 日) カナーボン(Carnarvon)→トムプライス(Tom Price) 4 日目は, カナーボンからトムプライスまでの大移動の 1 日であった. 昨日調子の悪かったバスのエアコンを修理し, カーナボンのモーテル(Gateway Hotel Motel)を出たのは朝 8:00 過ぎであった.今日の移動距離は 722km に及ぶ. カナーボンを出発してしばらくは,荒涼とした平原が広 がっている.見渡す限り山は見えない.ただひたすら真直 砂丘を分断するハイウェイと対向してくるロードトレイン ぐな国道 1 号線(NW Coastal Highway)を北上するのみであ る. カンガルーの死体を見なくなったと思っていたら,しば カナーボンの町の近くでは,道路上や路肩にカンガルー らくすると巨大な蟻塚が現れてきた.オーストラリアの大 の死体が多数転がっていた.オーストラリアでは,車のバ 地と同じ,赤茶色をした蟻塚が,数百 m おきに点々と立っ ンパーにカンガルーバー(通称ルーバー)と呼ばれる鋼製の ている.大きさは様々であるが,概ね直径 2~3m,高さ 3~ ガードが取り付けられている.昼間木陰でくつろいでいた 4m 程度である.熱帯乾燥気候に変わってきたのだろうか. カンガルーが,夕暮れから夜間になると活動を始め,道路 カナーボンを出発して約 5 時間,移動距離約 350km,北 に飛び出してくるのである. カンガルーが車に衝突すると, 上する国道 1 号線から,トムプライスに向かう州道 136 号 下手をすればヘッドライトが割れ, 数百 km にわたって人家 線(Nanutarra Wittenoom.Rd))へ入る直前で,右手前方にや もドライブインもないこの地では致命的な事故となる.ま っと山らしきものが見えてきた.Mt.Alexander である.や た,カンガルーが飛び出してきて中途半端に車のスピード っと砂漠地形を通り過ぎたようである. この付近より先は, を落とすと,カンガルーがフロントガラスを突き破って激 原生代~始生代の Ashburton Basin,および Hamersley 突し, 人命を落とす大事故になりかねない.ガイドさんによ Basin に突入する. れば「カンガルーをみたらアクセルを踏み込み,道路外に はね飛ばす」ことが大事だとのことであった. 13:00, 州道 136 号線に入る直前で 2 軒目のロードハウス Nanutarra Roadhouse に到着した.ロードハウスの手前に カナーボンの町から遠ざかるにつれ,カンガルーの死体 Ashburton 川が流れており,河川沿いに本日 2 つ目の岩石 を見なくなった.おそらく,長距離を移動してきた車が町 露頭が現れた.1 つ目はこの直前に見た道路沿いの花崗岩 に近づく頃,ちょうど夕方近くになり,カンガルーの活動 の小山である. 開始時間と重なって,カンガルーひき逃げ事故が多発する Mt.Alexander を含む地域は,原生代の約 20~17 億年前 のだろう.現地では「魔の 5 時」といわれている.車は郊 に形成された Morrissey Metamorphic Suite と呼ばれる 外では 100~110km/h で走っていて, いちいち片づけること Paragneiss Migmatite,Quartzite お よ び Muscovite- もしないらしい. biotite adamellite granite で構成されており,河川沿い カナーボンを出発して 2 時間ほど経つと,地形にやや起 の岩石は花崗岩類であった. 伏が現れてきた.カナーボンからトムプライスに至る地域 河川には橋梁が架かっており,奥園先生が防災の目で観 は,西から東に向かって,Southern Carnabon Basin,Edmund 察されていた.橋脚が貧弱で亀裂も見られ,オーストラリ 簡単な食事と休憩の後,再び行軍である.ここからは原 生代~始生代の Ashburton Basin,および Hamersley Basin の世界で, いよいよ縞状鉄鉱層(BIF)で代表される 「PILBARA 地塊」に突入するぞと思いきや,さすがに大陸である.広 大な安定地塊が広がり,遙か遠方に広大な台地状あるいは テーブル状の山地が望めるだけである.準平原が広がって おり,当然道路沿いには露頭となる切土のり面など発生し ないのである. Ashburton 川の後方に広がる Mt.Alexander 遠方に広がる台地状の山塊 夕方近くになりようやく,数少なくかつ本日最後の露頭 にありつくことができた. 始生代の約 27 億年前に形成され た Fortescue Group に属する,Mount Roe Basalt と呼ばれ Ashburton 川に架かる橋梁 る,メタ玄武岩あるいは玄武岩質角礫岩で,現地のものは 角礫岩と思えた.さすがに鉄さび色が強い!! アの関係者によると思われるクラックのチェック跡もあっ たとのことで,長さ 35m にも及ぶロードトレインの荷重に は耐えられないだろうとのことであった. しばらくの露頭観察後,すぐそばのロードハウスで軽い 昼食をとった.食事はピクニックランチと称してパンにハ ム,チーズ,野菜,オリーブを各自で挟んだ簡単なサンド イッチで,広大なオーストラリアの原野によくマッチして いた.カナーボンで仕入れたワインも少々‥‥. Fortescue Group の Mount Roe Basalt 本日最後の露頭を観察した後,鉱山町であるパラブルド ゥ(Paraburdoo)でバスに給油をし,一路トムプライスへ向 かった.宿に到着したのは 19 時過ぎであった.なおパラブ ルドゥは,カナーボンを出発して 635km,初めて通過した 「町」である.この間に信号などありもしない.ちなみに パースの北 350km の町ジェラルトン(Geraldton)から北方 サンドイッチを片手に‥‥ では,国道 1 号線は 3,000km もの間信号などないとのこと であった.また,北上するにつれ,気温の上昇と乾燥を感 じるようになり,気候の変化と大陸の大きさを感じる一日 位別に展示がなされており,一番品位の高いもの(High であった. grade ore)は鉄含有率が 61%以上で赤鉄鉱,磁鉄鉱が主体 (黒木久達,牧野隆吾) のものだそうである.次は鉄含有率が 51~61%の鉱石(Low 第 5 日目(9 月 17 日) grade ore)で,含有率 51%以下は廃棄され,露天掘りを埋 トムプライス(Tom Price)周辺 める材料にも使われるとのことである. 5 日目は,パースを出発して 1,500km 余り,いよいよピ ルバラ地塊の縞状鉄鉱床(Banded Iron Formation,BIF) を見ることになる.本ジオエクスカーションの目玉の1つ でもある.朝起きてみると,昨日までの地平線まで見渡せ るような荒涼とした平原とはうってかわって,辺りの山々 は一面赤褐色の断面をみせ,街中の路面も心なしか赤味を 帯びているようにみえる.トムプライスのホテル(Central Road Hotel)に宿泊していた我々は,ホテルに併設されて いる食堂で朝食をとり, 午前 10 時からのマイニングツアー (Mining Tour)に参加した.出発起点はホテルのすぐ脇の インフォメーションセンターである. 本日視察を行うハマスレー地域は,マウントブルース超 ブロックマン鉱山 オープンピット全景 層群(Mounnt Bruce Super-group)と呼ばれている太古代 (始生代)後期~原生代前期(23~28 億年前)の地層が分 ちなみに鉱山のヤードは 8km×14km で,1 ピットにつき 布し,本地層は,明日視察するグリーンストーン・花崗岩帯 60 万 t~90 万 t の鉄鉱石が採取でき,本鉱山では全部で 10 上に不整合で堆積している.今日はマウントブルース超層 ピットあるそうである.1 日稼動しなかったら 1 時間に 5 億 群のうち,厚い縞状鉄鉱層で特徴付けられるハマスレー層 円の損失,スケールが大きいが故に損失額もまた巨大であ 群(Hamersley Group)を見ることになる. る.設備関係はオートメーション化され,そのメンテナンス には細心の注意が払われているのだろう. 1) ブロックマン鉱山ツアー オープンピット視察 鉄鉱石運搬トラックは 200t 運搬可能であり, トラックの ハマスレー層群中の縞状鉄鉱層は,マラマンバ(Marra 自重(200t)をあわせると,400t もの重さになる.トラック Mamba),ブロックマン(Brockman) ,ブーゲーダ(Boolgeeda) はオイルタンク容量が 570ℓあり,GPS 搭載,エアコン完備, の 3 層からなるとされており,本日のマイニングツアーで 簡単に運転ができ快適そのもの,女性ドライバーもいると は,このうちの代表的なブロックマン縞状鉄鉱層を見た. のことである. 清川(2000)によると,ブロックマン縞状鉄鉱層は規則正 しく成層した縞状鉄鉱層から構成され,黒色頁岩 (マウント マックレー頁岩)に重なるとされており,全層厚が 650m に も及ぶ世界最大の鉄鉱層であると記載されている1). ツアーのバスは,緩い坂道を登りながら Rio Tinto 傘下の ハマースレイ・アイアン社(Hamersley Iron)が経営する ブロックマン鉱山にはいる.親会社の Rio Tinto 社は,この 西オーストラリア州で多くの鉄鉱山を保有しており,この 鉱山は 1992 年より開発,世界第 2 位の鉄鉱石産出者という 巨大グループである. そして展望台から露天掘り(オープンピット)を見て, そのスケールの大きさにしばし呆然とする.法面勾配は 1 鉄鉱石運搬用トラック いかに巨大かがわかる 割 2 分,あるいは 1 割程度なのだろうか?, 全面むき出しで ある.採取底盤とおぼしきところには真っ黒な頁岩が見え, また,ツアー案内者によると,労働者の勤務体制は FIFO これが下位の黒色頁岩に相当するものなのか.はるか彼方 ジョブ(Fly In Fly Out)と呼ばれており,3 日間昼間勤務 に視線を泳がせると,あちこちに BIF と思われる赤茶けた (12.5 時間)-1 日休み-3 日間夜間勤務(12.5 時間)で, 山容が見渡せ,一体この辺りにどれくらいの BIF が眠って この間の宿泊費及び食事代は会社持ちなのだそうである. いるのか?想像を絶する風景である.展望台では,鉱石の品 但し,この勤務の間,子供が病気だろうと何であろうと,鉱 山から離れてはならない.さらに FIFO ジョブが明けると,1 ここで BIF の Gorge を背景に集合写真をとり,崖沿いに歩 週間の休みとなり,大半の労働者は空路パースに戻る.飛行 道を下り川までおりた.ハンマーを振るいたい衝動を抑え 機代はもちろん会社持ちとのことである.給料はトラック つつも,露岩をよくみると,白色の透明感のあるチャ-ト ドライバーで 820 万円スタート,最高で 1000 万円!これを (珪質岩)や石英脈と,暗灰色の鉄鉱層(国立公園内のため 高給ととるか,当然とみなすか?私には全くわからないが, ハンマーが使えない) が数 cm 間隔でリズミックに互層して この赤茶けたオープンピットで人とほとんど会話すること いるのがわかる.これらはほぼ水平に整然と堆積しており, なく黙々と仕事に従事できるかどうかは自信がない.しか 一部に緩い褶曲が認められるものの,日本の中・古生界にみ も案内者は,こうも付け加えている.「FIFO ジョブ従事者は られるチャ-トのような著しい褶曲構造や,断層で切られ 離婚率が極めて高い」. ているような構造は見当たらなかった. ツアーバスは,選鉱設備や運搬のための貨物列車の脇を 通り過ぎる.一面赤茶けた風景.もしここが日本のような温 ここでしばし小休止, 水着をもっている者は 25 億年前の BIF を背に水遊びに興じた. 帯地域であったなら,機械設備は瞬く間に錆びて,メンテナ ンスにも莫大な費用がかかるに違いない. 我々は巨大なオープンピットに別れを告げ,12 時過ぎに トムプライスに戻ってきた.ここで軽めの昼食をとり,午後 からはカリジニ国立公園内にある,Weano Gorge へ向かっ た. Knox Gorge チャ-ト(珪質部)がブーディン状に変形 選鉱設備,沈砂池全景 さらに,これでもかと約 17km 離れた Knox Gorge へ向かっ た.Gorge に見とれるうちに日が傾き始めたが,まだ日没ま 2) Gorge 見学 カリジニ国立公園(Karijinin National Park) トムプライスから約 80km 余り,途中サファリロードさな で時間があるということで,最後に約 35km 離れた Dales Gorge へ向かった. がらの未舗装の道路に変わり,上下に揺られながらカリジ ニ国立公園内に位置する Weano Gorge に着いた. Gorge の高さは一体どれくらいあるのだろう? 200m か, いやそれ以上? これが本やパンフレットに載っている BIF の峡谷.午前中にみたオープンピット同様度肝を抜か れつつ,この風景を形容する言葉が見当たらない. Knox Gorge 展望台にて 集合写真 Dales Gorge では約 15 分かけて峡谷の底まで下りた.そ こには転石であるが,角礫状の珪質岩も認められ, ゆっくり とした静穏な環境下ではなく,一部は斜面を転がりながら (?)堆積したことがうかがえた. Weano Gorge 縞状鉄鉱層の峡谷 垂直にそそり立つ崖 ここでは崖の最下部に相当する箇所で淡褐色の珪質頁岩が, 約 20~最大 50cm 程度の厚さで分布していた.この珪質頁岩 も淡赤褐色の珪質頁岩とチャ-ト質の部分とが数 cm 間隔 で互層し, その一部は角礫状~細礫状となっており,上下の 地層に比べ堆積構造が乱れている箇所も見られた. ものであることを付け加え感謝したい. 鉱山を経営する Rio Tinto 社の巨大なエネルギーは,7 日目(9 月 19 日)の鉄鉱石積み出し港であるダンピアで再 び体感することになる. 丁度ジオエクスカーションも中日にあたり,トムプライ スの夜は更け,きれいな星空を眺めながら筆を置く. (宮村滋,矢田純) 引用文献 1)清川昌一(2000) :西オーストラリア,ピルバラクラトン 上に残る太古代・原生代境界の地球変動の記録,地質ニュ ース 553 号,pp.7-21 第 6 日目(9 月 18 日) トムプライス(Tom Price)→ポートヘッドランド(Port Hedland) Dales Gorge 角礫状の珪質岩(転石) 1) はじめに 9 月 18 日,オーストラリア研修を開始して早 6 日目であ る.この日はトムプライスを出発し,ポートヘッドランド へと移動した. この日は Fortescue 川右岸の平原地帯の地形を観察しな がら通り抜け,北部ピルバラ地帯で始生代(Archaean)の花 崗岩体の露頭を調査しつつ,Wodgina 鉱山周辺で,超塩基 性岩・塩基性岩からなる Wodgina 緑色岩体の調査を行い(図 -8),ポートヘッドランドに到着という行程であった. 9/18移動ルート Dales Gorge 珪質頁岩 暗赤褐色の珪質頁岩とチャ-トとが互層する 時間があったら Fortescue Fall まで足を延ばしたいとこ ろであったが,日没近くになってきたため,本日の見学は終 了することとした. 折からの夕陽で Gorge を形成している BIF が一層赤々と 映る.25 億年前,海洋中の鉄は海嶺から熱水として供給さ れており,海面上にはシアノバクテリアが繁殖, 海水中に溶 け込んだ酸素と鉄が結びつき大量の鉄が沈積した.今日一 日,このような太古代の一大イベントの痕跡を目の当たり 図-7 第 6 日の移動ルート にしてきた.この感動はきっと参加者の脳裏に焼きついた ことと思う. 天気にも恵まれ雲 1 つない快晴となり,BIF の赤い地層と 青空とが見事なコントラストを描いた 1 日となった. 2) トムプライスから州道 136 号 早朝,トムプライスを出発し,一路北上,昨日訪れたカ リジニ国立公園の北西端付近の山岳地を抜けて Fortescue 鉱山オープンピットで見た圧倒的なスケールの大きさ, 川右岸の広大な平原に出る.山岳地を抜ける道路は一部区 そして BIF の赤々と累々とした地層の荘厳さを表現するこ 間で,離合できないほど狭く,駐停車禁止となっていた. とは,私の拙い文章では難しく,ここにお許し願いたい. この間,両側は切り立った斜面で,亀裂の開口した岩盤が なお,午前中の鉱山ツアーによる案内は英語であり,私に 会話を聞き取る能力は皆無に近く,本文中に記載した内容 は,日本語通訳兼添乗員でもあったユミさんのメモによる 露出しているが,通行量が少ないせいか,法面工等は一切 施されていなかった. 4) 道路構造物 Great Northern HighWay を北上,ここでは地質以外に道 路や橋梁などの構造物を観察した. オーストラリアの道路は排水溝がなく,道路自体も簡易 な作りであり,日本との自然条件等の違いによる構造物へ の考え方の違いを感じた. また Yule 川に掛かる橋のたもとで橋梁を観察した. 道中 ほかの橋梁と同様に,ここでも橋台は径 1~2m の砕石で洗 Tom Price 掘防止がなされ,橋脚は鋼管杭で構築されていた.日本で Great Northern Highway は見られない構造に,やや強度的な不安を感じた. 5) NPGGT の観察 図-8 North Pilbara Granite-Greenstone Terrane の th 地質(4 INTERNATIONAL ARCHEAN SYMPOSIUM に加筆) 昼食後更にハイウェイを北上,Yule 川右岸側に出て,道 路脇に露頭が点在するようになってきた.ドライバーにバ スを止めてもらい,花崗岩露頭の調査を行った.ここでは 約 27 億年前程度の黒雲母花崗岩を観察, ペグマタイト脈の 成因や,いわゆる”マサ”が全く見られない花崗岩体の風化 形態等が議論された. 山岳道路の自然斜面の状況 3) Fortescue 川右岸の平原地帯 鋼管杭で構築された橋脚 Fortescue 川右岸の平原地帯に出ると,そこからバスは 一転,東に向きを変え,昨日巡検したカリジニ地域を右手 に見ながら Auski ロードハウスを目指した.昨日見た Weano Gorge,Knox Gorge,Dales Gorge は Fortescue 川の 左支川である.各 Gorge は合流し,カリジニの山地から平 地へと流れ下る過程で扇状地を形成していた.車内からの 観察にとどまったが,一見するとそれとわからないゆるや かなスロープに,規模の大きさを実感した. その後ウィットヌーン(Wittenoom)を通過した. かつてこ の街はオーストラリア唯一の石綿の鉱山として知られてい た.鉱山労働者や住民の多くは石綿が原因と思われる病気 で死亡している.現在はゴーストタウンと化し,一方で観 花崗岩の状態 光客が訪れないよう,街の名前は地図から消されることと なった.歴史の中から消えようとする街はかつての繁栄を 感じさせなかった. つづいて Wodgina 緑色岩体中の玄武岩及びチャート(珪 質片岩)の露頭を調査した.Wodgina 緑色岩体は超塩基性 Auski ロードハウスでの短い休息の後,Great Northern 岩・塩基性岩主体の層と,チャート・頁岩・砂岩起源の変 HighWay を北上し,一面の平原と点在する丘陵地形,いよ 成岩主体の層が分布しており,ここは後者の方で,30~32 いよ北部ピルバラの花崗岩地帯へとたどりついた. 億年ほど前の地層であった.チャートと玄武岩の境界が確 認できたほか, 遠くにブッシュファイアーの煙を見ながら, は主に約 3,270Ma の玄武岩質の緑色岩からなり,Sholl 本日の巡検は終了となった. Shear Zone を挟んで Whundo Group と接する.Whundo Group は約 3,120-3,115Ma の塩基性~酸性火山岩類からなる. Cleaverville Formation(約 3,020Ma)は縞状鉄鉱層を含 む堆積岩類からなる. 本地域は,基盤岩類を第四紀のデルタ堆積物が広く覆っ ており,国道 1 号線はデルタを横切るように東西に伸長す る.国道 1 号線は何筋もの川を横切るが,河道と周囲の氾 濫原の比高差はあまりない.乾季ということもあり,ほと んどの河川は伏流し,表流水は認められない.しかし,川 沿いには周囲の平原よりも大きな木が青々と茂り,伏流水 が流れていることを推測できる. Yule 川沿いには井戸が 15km にわたって 40 基ほど掘られ ており,ここで採取された水はパイプラインを通じて約 露頭と遠くに見えるブッシュファイア 40km 先のポートヘッドランドの町に送られ,生活用水とし て使用される. 6) おわりに 日本でみられない始生代(Archaean)の地質を観察でき有 Peawah 川の流域にさしかかると,道路のすぐそばに数 意義であった.地質だけでなく構造物,植物,自然どれを 100m サイズの花崗岩の岩体(約 2,946Ma)がいくつも顔を とっても非常に興味深く, いくら観察していてもあきない. 出すようになる.なおこの辺りは Mallina という町で, しかし露頭観察の時間が短かった点が非常に悔やまれ,今 Mallina Formation の名前の由来となった土地であるが, 後の反省点となった. 残念ながら車窓からは堆積岩類を確認することはできなか (矢野健二・坂元寿幸) った. 第 7 日目(9 月 19 日) ポ−トヘッドランド(Port Hedland)→カラーサ(Karratha)→パー ス(Perth) 1) ポートヘッドランド→カラーサ この日は Rio Tinto 社の港湾施設を見学するため,朝 7 時にポートヘッドランドを出発した.見学の受付が 9 時ま でのため,途中の地質見学はバスの車窓からとなった. 主 要 ル ー ト で あ る 国 道 1 号 線 (North West Coastal Highway) 沿 い に 分 布 す る 地 質 体 は , North Pilbara Granite-Greenstone Terrane に属し,本 Terrane は West Pilbara Granite-Greenstone Terrane(WPGGT)・Central Pilbara Tectonic Zone ( CPTZ )・ East 車窓から Yule River を望む Pilbara Granite-Greenstone Terrane(EPGGT) の 3 つに区分される. ダンピアへ向かうルートは,CPTZ と WPGGT を通る. Sholl Shear Zone を超えて WPGGT の分布域に入ると, Roebourne の街の約 20km 手前に塩基性~超塩基性岩の貫入 CPTZ は花崗岩質岩と,Mallina Basin の緑色岩類と堆積 岩体(約 2,925Ma)が分布している.東西約 15km,南北約 岩で構成される. 花崗岩質岩の岩体は CPTZ に複数貫入して 5km にわたるこの岩体周辺には多くの鉱山が存在する.採 おり,年代は大きく 3 つに 分けられ る. その中でも 掘している鉱物は金・銀・銅・鉄・クロム・ニッケル・鉛・ 2,955-2,930Ma を示すものが多い.Mallina Basin の緑色岩 亜鉛・バナジウムなど多岐にわたる.また,コランダムを 類(Whim Creek Greenstone Belt)は 3,010Ma 前後を示す はじめとする宝石類も採掘している.以前は,アスベスト Whim Creek Group と約 2,975-2,967Ma を示す Bookingarra も採掘していた. Group に区分される.堆積岩類は Constantine Sandstone と Mallina Formation に区分され,両者はタービダイト性 の堆積物と考えられている. 2) ダンピア港見学 ダンピア港はもともと 1800 年代には捕鯨基地として機 WPGGT は古い順に Roebourne Group,Whundo Group, 能しており,1818 年に鉄鉱石の積出港として稼働を開始し Cleaverville Formation に分類される.Roebourne Group た.今回は,同港を管理している Rio Tinto 社の見学ツア 台の電車に平均 230 のコンテナが連結されており,一度に ーに参加した. Rio Tinto 社は,西オーストラリア州で多くの鉄鉱山を 約 24,000tの鉱石を運ぶことができる. 完全に,または提携先と共同で保有している.17 日に見学 電車は運転手 1 人とコンピューターによって制御されて したハマースレーオープンピットを管理する Pilbara Iron いる.4,400 馬力を有しており,鉱石とコンテナを合わせ 社(旧称:Hamersley Iron 社)もその一つである. て 34,000t にもなる貨車を時速 70km で走らせる. Rio Tinto 社は鉄鉱石以外にも多くの資源(銅・アルミ 貨車が鉱石を降ろすポイントまで来ると,機械によって ニウム・石炭・ダイヤモンドなど)を扱っている.また, コンテナが 135°回転し,中身を空ける仕組みとなってい テクノロジーグループも有しており,資源探査や鉄の精錬 る.1 つのコンテナが空になるのに 3 分かかり,1 時間で に関する研究開発も行っている. 9,800t が降ろされる.降ろされた鉱石はベルトコンベアー で運び出される.この周囲は粉塵がひどいため,粉塵制御 装置が設置されている.ここでは積降施設を 2 つ有してお ①製塩施設 この地域は①海に近い,②降雨が極端に少ない,③水分 り,1 施設で 6 台/日を処理している. の蒸発が早い,④水が浸透しない粘土質の平地が広がって いる,などの理由から,塩の精製に適している.また,積 鉱石積降施設視察状況 出港付近の水深が深く,主要な市場に近いため輸送におい ても利便性が高い. 1960 年代に Hamersley Iron 社が港とその周辺の整備を 始め,製塩施設は 1967 年に建設された. 海からくみ上げられた水は人工池に引き込まれ,徐々に 濃縮されながら 6 番目の池まで移される.この時点で,塩 水の体積は当初の 11%にまで減少している.採取された塩 は,ハーベストと呼ばれる場所に集められ,不純物を除去 し,十分に乾燥させるなどして,1 年間寝かせてから出荷 鉱石積降施設視察状況 される. 1t の塩を生産するのに, 65t の海水が必要となる. ③Pilbara Iron 港 Rio Tinto 社で全工程を管理している当港には,4 隻のフ ェリーが停められ,そのうち 2 隻が積み込み作業をするこ とができる. 1 隻のフェリーに対して,9,000t/時の鉱石を積むことが でき, 24~36 時間かけて, 1 隻に 26 万 t の鉱石を積載する. 積載は,シップローダーと呼ばれる機械で自動的に行われ る. 港から外洋にかけては, 深さ 22m のチャネルが浚渫され, 港の埋め立てには浚渫土砂が利用された.チャネル内を航 製塩施設を望む 行する際は,タグボートがフェリーを押してチャネルから 外れないように誘導している. ダンピアでは,年間 400 万 t の塩が生産され,主に工業 用として,プラスティック・ガラス・洗剤,その他多くの 化学製品の製造に使用される.食品や道路の凍結防止剤な どにも使用されている. 主な出荷先はアジアであるが,アフリカ諸国やアメリカ などにも出荷されている.日本の製薬会社でも,ミネラル 分の多い塩として需要が高いという. ④鉱石の貯蔵所 貨車から降ろされ,ベルトコンベアーで運ばれた鉱石は フェリー停泊所の直近に仮置きされる.積載時には粒度や 質の違いにより 24 の山(1 つの山は約 20 万 t)に分けられ る. 鉱石を積み上げる機械はスタッカー,積み上げられた鉱 石を掘って運び出す機械はリクレイマーと呼ばれ,すべて ②貨車の回転装置 内陸部で採掘された鉄鉱石は電車で港まで運ばれる.1 遠隔操作により起動している.粉塵防止の目的で常に水が 散布されているが,これには再利用水が使用される. 余談ではあるが,オーストラリア国内では節水意識が高 を供給している. まっているのか,ホテルの洗面所にも「節水を心がけてく ださい」という旨の張り紙をよく目にした. 3) おわりに 多くの施設を見学してきたが,本地域が Rio Tinto 社に よって街として成り立っていることを移動中も実感した. 本地域には工業施設だけではなく,住宅地・教育施設・ 発電所・空港なども備わっている.ガイドによると,ダン ピアの住宅の 60%が,Rio Tinto 社傘下の Pilbara Iron 社 所有であるとのことである. 本地域の労働者はパースなどから飛行機で通っている人 も多い.我々が搭乗したカラーサ~パース便も,週末とい うこともあってか,家族のもとに帰る Rio Tinto 社の職員 で溢れていた. ダンピアはもともと島嶼で,干潮時にしか車が通行でき 鉄鉱石積出港を望む なかった為,1960 年代に車道が建設された.車道両脇には, 排水を促す為に広い低地が設けられているが,高潮の時に はそれでも車道が冠水してしまうという.気候的にも厳し ⑤ガス加工施設 ダンピアでは天然ガスや原油も採掘している.ガスの加 いこの地域に,これだけの街が形成されたのは,ひとえに 工施設は Woodside 社が運営する.資源開発事業全体は, 港の発展から来るものと考えると,人間の経済活動のすさ 同社の他に BHP Billiton 社・BP 社・Chevron 社・三井‐三 まじさを感じずにはいられなかった. 菱・シェルが関与した合弁事業である. オーストラリアの Carnarvon Basin では,天然ガスはト リアス系と白亜系の地層から,原油はトリアス系~白亜系 一方で,ダンピア周辺に点在する 42 の島嶼のうち,25 島は貴重動植物保護のために立入禁止にされているなど, 自然保護に配慮している様子もうかがえた. (長谷川怜思・長谷川洋子) の地層から採掘される.ここでは,加工施設から 130km 沖 の海底で採掘が行われている. 採掘された天然ガスは,二酸化炭素や水などの不純物を 取り除いた後,摂氏-138℃まで冷却して液化される.液化 することで,体積はおよそ 600 分の 1 になる. 第 8 日目(9 月 20 日) パース(Perth) 8 日目はパースでの自由行動日である.今回の長距離バ 液化天然ガス(LNG)は容量 63,000m3 のタンクに貯蔵さ スツアーで御世話になった現地旅行会社 Aaustralian れる. これは約 10 日分の西オーストラリア州の天然ガス需 Pinnacle Tours 社のツアーを紹介してもらい,半日と 1 日 要量に匹敵する. 1 年間で 1,630 万 t の LNG が生産される. のツアーに 9 名ずつに分かれて参加した. 半日ツアー組は午前中をキングスパークや市内観光等各 自で過ごし,午後,動物園見学とワイナリーで試飲するツ アーであった.1 日ツアー組は午前中パースとフリーマン トルの市内見学, 午後はワイナリーを回るツアーであった. パースは人口約 138 万人.今日パースがある場所は,最 初のヨーロッパ人が定住するまでは,何千年もの間アボリ ジニのヌンガー族の土地だった. 1829 年にスワン川居住区が作られ, 1850 年に労働力不足 解消のため受刑者が連れてこられるまで,その居住区はゆ っくりと発展してきた.市内にある美しい建築物,総督官 邸やパース市庁舎などなど多くは受刑者の手で建てられた. ガス加工施設を望む パースは東海岸の都市に比べて開発が遅れていたが,1890 年代になって金が発見されると 10 年間で人口が 4 倍にも増 本施設の LNG は主にアジア各国に輸出されている.日本 え,建設ラッシュを迎えた.ただし,19 世紀の建物はほと には船で 21 日かけて運ばれ,日本各地の電力・ガス会社で んど失われ,現在はスワン川のほとりに近代的な高層ビル 使用される.また,西オーストラリアの 65%の家庭用ガス が立ち並ぶ. スワン川河口に位置するフリーマントルは開拓当時の面 影を残す港町である. (撰田克哉) 第 9 日目(9 月 21 日) (最終日) メッケリン地震断層 9 日間に及んだ今回の海外研修旅行もいよいよ最終日と なった.本日は,パースの約 130km 東方に位置するメッケ リン(Meckering)の町で地表地震断層の視察である. 午後の 便で帰国する予定のため,わずか半日の短い見学でパース に戻ってくる行程である(図-9) . キングスパークからパース市街を望む 図-9 最終日の行程図(パース→メッケリン→パース) パース動物園でウォンバットと メッケリン地震断層は,1968 年 10 月 18 日に起きた大地 震(M6.8,深さ 7km)によって地表に出現したもので,約 40km にわたって逆断層崖が追跡できるとされている.第四 紀断層や活断層の履歴調査を行う機会が多い我々にとって, 非常に興味深い対象である. 最終日は朝からあいにくの雨模様であった.好天続きの 今回の研修旅行では初めての本格的な雨であり,案内担当 者の日頃の行いに問題があるようにも思えた. 一行は 07:10 に専用車でホテルを出発し,一路東へ向か った.第四紀層の低地が広がるパース市内を抜けると,始 生代(Archaean)の花崗岩類よりなる丘陵地帯の坂道にさし ワイナリーでの試飲 かかった.この低地と丘陵の境界も「DARLING FAULT」と呼 ばれる南北方向の大きな断層帯であるが,現在は安定して いるらしい.丘陵地帯に上がると,いつものように渋滞も ない高速ドライブとなった.雨はますますひどくなるばか りであったが,車窓から見る風景はオーストラリア北部の むき出しの赤い大地とは違って緑が格段に豊かで,背の高 い樹木も多い.河川には水を湛え,所々に湿地も広がり, 全体にしっとりとした感じを受けた.南部は,北部の乾燥 地帯に比べると降水量がやや多く,今日の雨もたまたまそ ういう日に当たったのだと自分を納得させることにした. メッケリンの町には 9 時前に到着した.まず震災記念公 園を訪れ,被災当時の生々しい記録を見ることができた. メッケリンは人口の少ない(1968 年当時千人余り)広大な 旅行最後の晩餐 牧場地帯であり, 地震では負傷者が 20 人だけで死者は出て いないが,パイプライン・鉄道・道路などのインフラには 特に,雁行配列(en echelon)によって断層の走向が場 大きな被害が出たようである.記念公園には,破損したパ 所によって変化する現象や,横ずれ変位に伴って副次的に イプラインや断層の横ずれ変位によって曲がってしまった 生じるリーデル剪断を直接観察できたことは,今後の断層 レールなどが展示されていた. 調査に大きな収穫となった. このような地震断層が 40 年間も野ざらしの状態であり ながら,当時の変位形態を残していることは驚きであった が,これは母岩となっている始生代(Archaean)の花崗斑岩 が風化していないことや,雨が少ないという気候が大きな 要因と考えられる.約 1 時間後,一行はもっと時間をかけ て詳しく観察したい気持ちを抑えつつ,保存地区を後にし た. 記念公園に展示されている曲がったレール その後,郊外の断層保存地区へ移動したが,その頃には あれほど激しく降っていた雨がすっかり上がり,我々の見 学を歓迎しているようであった. 地震で出現した Fault Scarp(低位断層崖)は,ほとん どが広大な牧場地区を走っている.その大部分は地震後に 修復されてしまったが,保存地区だけは牧場主の好意によ り当時のままで残されている.といっても何か特別な施設 断層崖の前で変位形態について議論する一行 が整備されているわけではなく,広い牧草地帯の中に地震 による断層であることを説明する看板がぽつんと立ってい 帰途はヨークを経由してパースへ向かい,途中始生代 (Archaean)のミグマタイトが分布する場所で車を止め観察 るだけである. したが,花崗岩だけしか見ることができず,空振りに終わ った.その後,11 時頃から再び雨が降り出し,断層保存地 区での貴重な雨のやみ間に感謝しつつ, パースへと戻った. 案内看板 低位断層崖 (宮崎精介・花村修) 6. 自由投稿 6.1 西オーストラリアの風土 今回の旅は,バスによる長距離移動中の車窓から風景を 眺める時間が長く,オーストラリアの風土(特に文化概念) を詳しく体験するには至らなかった.宿泊地周辺や街で垣 保存地区の低位断層崖(Google Earth より) 間見たその片鱗と,西オーストラリア州政府観光局公式 WEB サイト等の引用から,やや教科書的ではあるが,西オ 被害地震が少ない国の意識の差かもしれないが, 「野島断 層」や台湾の「車籠甫断層」の保存体制とは大きな違いで ーストラリアの歴史,自然条件,経済,文化概念等の概要 を延べる. あった.ただし,これはわれわれ地質技術者が見学するに 西オーストラリア州(略号 WA)はオーストラリア最大の は逆に好都合であった.私有地にもかかわらず自由に入る 州であり,その面積は 2,532,400km2 で,国土の約 3 分の 1 ことができ,断層を間近で観察して断層面に直接触れるこ を占め,日本の国土の約 7 倍の面積を有している.人口は ともできたからである.一行は 1km 以上に及ぶ保存地区の 1,952,280 人(2003 年)で,州都は最大都市であるパース 低位断層崖を歩きながら観察し,さまざまな変位の出現形 である.なお,日本との時差は-1 時間である. 態について立ち止まって議論した. オーストラリアには, およそ 4 万年から 15 万年前に先住 民アボリジニが東南アジアより移住したと考えられている. 一般にオーストラリア人は「オージー」と呼ばれ, 「気さ 1616 年 10 月にオランダ人がパースの北約 800km のシャー くで親切な国民性」 「他民族への高い理解」などと認識され クベイに上陸し,これが白人による西オーストラリア州初 ているようである.あの広大な土地で大らかに生きればそ 上陸となった.1829 年 5 月 2 日にはチャールズ.フリーマ のようになるのかという印象を受けた.しかし,外務省 HP ントル(Chirls Fremantle)により英国領宣言がなされ,同 によれば, 「オーストラリアの治安の良さとは,国際的に見 年ジェームス. スターリン(James Stirling)により入 た場合の相対評価をうたっているものであり,日本のそれ 植宣言がなされた.その後 1850 年から 1868 年まで英国人 とは全く比較にならないという事実は認識されていない」 流刑衆により西オーストラリア州付近の開発が行われ, とのことである. オーストラリアにおける人口 10 万人当た 1901 年にオーストラリア連邦の西オーストラリア州が成 りの犯罪発生率は平均で日本の 12 倍にも達しているとの 立した. ことで,日本の治安の良さとは比べものにならないことは 西オーストラリア州は南北に約 3,000km,南緯 14~35° 事実のようである.パースでの最終夜には,繁華街でけん と広範囲に広がるため,その気候は変化にとみ,北部は熱 かをするよっぱらいが警官ともみ合っているのを目撃した. 帯性気候,南西部は温帯性気候~地中海性気候,内陸は乾 また,酒類の販売規制も厳しく,酒屋が少ないのも事実で 燥気候となる.旅行の出発点となったパースは南緯 32°付 ある.最終夜の夕食は中華レストランであったが,酒類の 近に位置し,温帯性気候に属することから,到着当日の気 ライセンスを持たないらしく,客が酒を持ち込むのが常識 温は 20℃程度と非常に過ごしやすかった.旅の終盤にパー のようであった. 「原住民であるアボリジニはアメリカイン スに戻った時には 20℃を切り,やや涼しい気候であった. デアンと同じく,アルコール消化酵素の持ち合わせが少な パースから北上するにつれ気温は上昇し,次第に乾燥する いため,泥酔しやすく犯罪発生率が高い」という話を昔聞 ようになり,やたらと水がほしくなった.暑くても汗を感 いた記憶がある.このことも合わせ,酒類の販売ライセン じず,乾燥気候を実感することとなった.旅の最北端であ ス規制が厳しいのかもしれない. るポートヘッドランドは南緯 20°付近に位置し,熱帯~亜 それでもやはり気さくに話しかけてくる人もいる.トム 熱帯性気候に属すると思われる.今回の旅では気温は 30℃ プライスに宿泊した晩のことである.子供の頃田舎で天体 程度まで上昇したが,乾季であることも相まって,日本の 観測をしていた経験から,オーストラリアに行ったら南十 ような湿気はなく,木陰では十分快適に過ごせるようであ 字星の写真を撮ろうと, 三脚と一眼レフカメラを持参した. った.ポートヘッドランドに近いダンピアの鉄鉱石積み出 撮影をしていると,宿の従業員と思われる体格のよいおば し港で,この旅での最初で最後となる,木陰で過ごしてい さんに,豪語で「星の写真を撮っているのか?」と尋ねら る生きたカンガルーを見つけ, 感心してしまった(それまで れた. 「そうです.あそこに南十字星が見えるでしょう」と は路上に横たわる轢かれたカンガルーばかりであった). ま 片言英語で説明すると, 「ブッシュに行けばもっときれいに た夜間は涼しく,非常に過ごしやすい気候を感じた. 見えるわよ」と,分かりきったことを教えてくれた. 西オーストラリア州の経済的発展は内陸部のカルグーリ ー周辺における金鉱の発見(1890 年),フリーマントル港湾 以下に,現地で撮った写真を基に,オーストラリアの印 象を述べる. (牧野隆吾) 建設(1900 年頃),大陸横断鉄道インディアンパシフィック の完成(1917 年)によるところが多いといわれる.またキン バリー地方には世界一のダイヤモンド鉱山アーガイルがあ り,現在では,今回も訪れたピルバラ地区の鉄鉱石も重要 な輸出資源となっている.州の総輸出額は 323 億オースト ラリアドルで,連邦政府の総輸出額の約 3 割を占めるとい われている.また西オーストラリア州から日本への農水産 物輸出総額は 32 億オーストラリアドルで,小麦,大麦,ロ ブスター,菜種,ヘイ(乾草),真珠の計 6 品目で全体の 80% 以上の金額を占めているといわれる. 人口の約半数は英国国教会に属し,敬虔なキリスト教徒 が多いためか,日曜日にはスーパーやレストラン,酒屋な オーストラリア固有の植物・花をワイルドフラワーといい,外来 どは休みとなっている.また平日でも店が閉まる時間が早 種と区別している.その種類は西オーストラリア州に 2,000 種 く,長距離移動による時間の拘束が長い今回の旅行では, あると言われる.写真の花の名はレッドアンドグリーンカンガ 日曜日を2回挟んだこともあり,昼食用の食材や,ワイン ルーポー.ポーとはアボリジニ語で動物の手足のこと.西オー 類を入手するのにかなりてこずった. ストラリア州の花となっている. キャンピングカーを引いて走る車.オーストラリアのイメージそ のもの.ボンネット式のトラックや四駆が多い. トムプライスで撮影した南十字星.鉱山町以外に灯りはなく, 宿の灯りの下でも十分撮影できる. 中~低緯度地方に多い蟻塚.オーストラリアの大地と同じ色を している.スケールは奥園先生. ロードハウスで見かけたウインドミル.井戸水のくみ上げに使 っている.広大な土地ならではの,自然エネルギーを利用した 仕組み. 6.2 西オーストラリアの社会資本雑感 今回の研修旅行では西オーストラリアの壮大な鉄鉱石の 採掘から積み出しまでを中心とした見学ができた.半面, 通常のインフラについての見学はなかったが,今回の旅行 で見た範囲でインフラのごく一部について紹介する.ただ し,充分な下調べを行っておらず,主観的見解と感想であ ることを最初にお断りの上,ご容赦をお願いしたい. 支部顧問の山内先生は渡豪経験から「どの国でも地質力 学の研究教育はその国の大地の状態が背景となっている」 とし,この国の地質力学についての研究と教育の概要を紹 介している 1).少し古い資料であるが,地勢・地質・土質 の概要は変わらないと思われるので引用すると, 「その特徴 は,一口にいって,平坦性と乾燥性にある」 「オーストラリ オーストラリアの原点,アボリジニの祖先が書いたといわれる アの地殻変動はきわめてゆるやかであるので,断層は少な 石画?. く, 西オーストラリアのメッカリンにおけるような 1m 程度 の段差が代表的なものとされている程度である」 「しかし, るように感じられた.一方,郊外のものは機能性を満たせ 国の歴史が新しくて,過去の記録がないため,開発の最も ば可と感じられた. 進んでいる東海岸地帯でも地震の懸念がまったくないとは いいきれないといわれている」 「この大陸の台地での正常の 土の深さはわずか 9 インチ(23cm)であるといわれるほど 土層は浅く,その下は岩盤である」 「日本でいうような沖積 軟弱粘土は,メルボルンやブリスベンといった限られた地 域で問題視されるが,オーストラリア最大の都市であるシ ドニーではほとんど問題にならず,岩盤を別にすれば,む しろ砂層のほうが問題になるように見える. 砂層の問題は, 一般に西部と中西部でとりあげられている」 「土質安定は, 骨材(砂と砕石)が豊富であるため,アカデミックな興味 を別にすれば,実際には特別の安定処理はさして必要とさ 郊外の橋梁.橋脚は鋼管で裾が広いハの字型 れない」 「各地の開発地でも,砕石による築堤などきわめて 橋台は無造作に積まれた砕石で保護されている 多く見受けられる」としている.今回の旅行でも概ね同じ ような印象を受けた. パースやフリーマントルで建て替え中の現場を見ると表 起伏が小さいため道路の法面は非常に少なく,今回の旅 程を通じて数箇所で見られた程度であった. 層は砂丘起源の砂地盤が見えるが,おそらくその下は岩盤 郊外の幹線道路は道路両側が削り取られた緩い法面で, で高層建築物も支えているのだろう.ただし,パースで建 その外側には砕石による盛土構造物が平行して構築されて 築中のビルの柱を見ると日本では考えられないほど鉄筋が いる.おそらく路面への水の流入防止とブッシュファイア 少ないようだった. ーから守るためのようである.舗装は砕石がかなり多く, 原地盤の路床上に直接敷かれている様子で,厚さも見た目 で3cm程度と薄い. パースで建築中のビル.鉄筋が少ない. パース市街地近郊の道路 フリーマントルの港湾施設と鉄橋 パースやフリーマントルは歴史的建造物を大切に保護し ているのみならず,現在の建築物等も景観に配慮されてい 郊外の道路(Great Northern Highway) 車中で奥園先生より道路事情について「一部を垣間見た 用の食肉としてスーパーなどで売られていただけである. だけで,ほとんどコメント出来ませんが“感想”程度」と それでは,なぜ最近になってルーミートがこれほど世界中 前置きして話された内容を紹介する. で注目を集めるようになったのだろうか?それは,オース 「日曜日の夕方, 国道1号線(オーストラリア大陸を一周 トラリアで生活習慣病に関する研究をしていたオデア博士 する道路)を Geraldton から Shell Beach に向けて時速 が,1983 年に先住民であるアボリジニの食生活と健康状態 100km で北上している時,対向車線をすれ違った車の台数 についての学説を発表したことに端を発するようである. を数えてみた.30 分で 15 台であった.これを定点交通量 彼は先進国に特有な生活習慣病を研究している過程で,都 に直すと1時間当たり 15 台,往復車線で 30 台(向こうも 市部で生活しているアボリジニと,内陸部で伝統的な生活 100km/h と仮定)ということになる.これを1日当りに直す を続けているアボリジニとでは,健康面で決定的な違いが と,多く見積っても 720 台/日ということになる.日本では あることに気がついた.その違いとは,いわゆる生活習慣 3,000 台/日以下の高速道路は閑古道路,無駄な投資と非難 病と呼ばれる高血圧・糖尿病・心臓病などの病状が,後者 される.この国のインフラに対する力の入れ方に改めて感 にはほとんど見受けられなかったことである.その大きな 心させられた.もっとも道路は安く作ることができ,少し 要因として彼が着目したのが,ルーミートを主とするブッ でも延長キロ数を伸ばそうとしていることが伺える.安く シュフードであった.ブッシュフードとは,オーストラリ できる要因としては次のことが考えられる.①地形的に平 ア大陸に固有なカンガルーをはじめとする野生動物, 植物, 坦地(楯状地)で起伏が少ない, ②人家等の障害物が少ない, 昆虫,ハーブなどを食するアボリジニ独自の食文化のこと ③横断する物件が少なく立体交差する必要がない,④基礎 である. これらの一連の研究で, ルーミートの特徴として, 地盤が安定している.」 脂肪分が部位に関わらず 1~2%と極端に低く,高タンパク さらに,オーストラリアは主要都市間の距離,郊外では で低カロリー・低コレステロールの夢のような食肉である 町や人家の間が極めて離れており,人や物資の移動手段と ことが明らかになっている.また,もともと少ない脂肪分 して道路の重要性が高いことが挙げられよう.(撰田克哉) のうち,約 40%が多不飽和脂肪酸というコレステロール値 の上昇を抑える効果のある脂肪で構成されていることも証 引用文献 明されている.この学説が,現代人の食生活に対する警告 1)山内豊聡(1976),オーストラリアの地質力学について,土 としてオーストラリアのマスコミで大きく取り上げられた と基礎,Vol.24,No.5,pp.7-14,土質工学会 ため,健康食肉としてのルーミートの価値が広く国内に知 れ渡るようになったのである.この認識がヨーロッパなど 6.3 健康食肉としてのルーミート ‘ルーミート’とは,カンガルーの肉のことである.オ ーストラリアでは,カンガルーのことを俗語で「roo;ルー」 にも波及し,ルーミートが健康食肉としての地位を確立し たものではないかと考えられている. それでは,ルーミートが世界中で人気があるのは,単純 と呼ぶことがあるため,オーストラリア人に「ルーミート に低脂肪・高タンパク・低コレステロールの健康食肉だか とは何ですか?」 とたずねてみると, 「カンガルーの肉の ら,という理由だけなのだろうか. ことです」という答えが返ってくるはずである.なお,余 その答えは,ルーミートのテイストに求めることができ 談ではあるが,カンガルーとは,アボリジニの言葉で「知 る.肉がとても柔らかく,クセがない.さまざまな香辛料 らない,よくわからない」という意味で,入植当時の欧州 や調味料になじみやすいうえ,さっぱりとした食感.そし 人がカンガルーを初めて見た時に, 「あの動物は何だ?」と て赤身の肉でありながら,肉油がほとんどない.このよう アボリジニに聞いたところ, 「カンガルー」と答えたため, な食感と,レストランの定番メニューとなっていることか それが動物名としてそのまま定着した話は有名である. らも,フレンチ,イタリアン,和食,エスニックなどあら 日本では,まだまだ食肉としてのルーミートはそれほど ゆる味付けになじみやすいことが容易に想像できる.もち なじみ深いものではないが,オーストラリアの食卓では広 ろんオーストラリアの食卓で慣習的な飲み物であるワイン く日常的に親しまれている.レストランのメニューではも にぴったり合うことは言うまでもないだろう. このように, ちろんのこと,スーパーなどの食肉売り場で販売されてい ルーミートが世界中で注目されているのは,単に健康食肉 ること,ルーミートを使ったファーストフード店まである としてだけでなく,食べやすさや様々な料理に適合しやす ことから,手軽に食べられる食肉として一般に普及してい いということも大きな要因ではないかと考える. る.オーストラリア国外に目を向けてみても,ヨーロッパ 以上述べたように,現在,オーストラリアのみならず世 では,ドイツ,スイス,フランス,スウェーデンなどでル 界の国々では健康面でもテイスト面でもルーミートに熱い ーミートの需要が年々高まっているようである. 視線が注がれている. オーストラリアでは政府の監督下で, もともとオーストラリアでは,ルーミートは単にペット 毎年定められた頭数のみが食肉として加工されている.ミ ートに加工されるカンガルーは全て野生のカンガルーであ 求めて飲んでみると,辛口でやや軽めではあったが,普段 り,養殖のカンガルーというものは存在しない.つまりル 飲むワインとしては十分な質であった.その時はそれで終 ーミートとは 100%純天然食肉であるため,牛肉などでし わり,その後オーストラリアのワインを口にする機会はな ばしば問題となる飼料添加物や抗生物質が一切含まれてい く,普段はボルドーやチリ,イタリアワインばかりを飲ん ないということでもある.このような肉の安全性に対する でいた.ある日,総務委員会の席で東北支部の橋本修一氏 信頼も手伝ってか(産地偽装や薬物混入などまずありえな にオーストラリアに行くことを話すと,2001年に挙行され いであろう) , ルーミートの愛食家は世界中で増えているよ た東北支部の旅行資料を送って下さり,ワインについても うである.このような世界情勢や,成人病予備軍と揶揄さ ご教示頂いた. れるメタボリックシンドロームに悩む日本人の健康状態を オーストラリアには60以上の産地と1,000を超えるワイ 鑑みれば,近い将来,日本の家庭やレストラン,居酒屋な ン醸造元があり,法律で産地名,ブドウ品種名,収穫年な どでルーミートが日常的に並ぶ日もそう遠くないのではか どの表記が義務づけられている.記憶力の悪い私がこれら と切に思う. を覚えることはかなわず, 飲んでみておいしい・まずいが全 (矢田 純) てである.初めて訪れた国ではすべて違う銘柄を求めて飲 引用文献 んでみるしかない.今回の旅で驚いたのはワインの購入に 1)小山 修三・五島 淑子・金田 章裕・池田 まき子著 多大な労力を要したことで,ヨーロッパの国々との違いを (2004):世界の食文化 第 7 巻「オーストラリア・ニュー まざまざと思い知らされた. やむなく旅の3日目の朝にデナ ジーランド」,農山漁村文化協会出版 pp.280 ムのホテルで購入したが,11本で200A$以上と法外の値を 求められ,十分な品揃えができなかった.酒屋でなくホテ 6.4 縞状鉄鉱床,コマッチャイト,そしてワイン ルで買い求めたためである.市中で買えなかったつけを払 この旅で是非お目にかかりたい地質体として,現世のオ わされた格好でワイン代にと持参した150A$ははや底をつ リストストロームと太古の縞状鉄鉱床の組み合わせ,そし き,当初から友に借金してしまった.トムプライスで6本を てコマッチャイトが挙げられる.前者は太古の海で地球環 買い足したが,さすがに鉱山町,アルコール類は容易に買 境を劇的に変えたシアノバクテリアと,その結果生成され えた.ワインのつまみには,スライスしたパンやクラッカ た鉱産資源である.後者のコマッチャイトは,太古に噴出 ーにブルーチーズを薄く塗り,タマネギとアンチョビのか した火山活動による超苦鉄質の溶岩で,地球上ではこの時 けらをのせタバスコを振りかけたものが私の口によく合 代のものしか知られていない.それ以降はマントル起源の う.スーパーマーケットでこれらの食材を求め,夕食のつ 溶岩であっても,地温勾配の関係などで玄武岩など別のも いていないトムプライスの夜に仲間とともに食した.旨か のしか知られていない. これらの産状を見たくて旅したが, ったことは言うまでもない. コマッチャイトに露頭でお目にかかることはついに無かっ オーストラリアは世界的なワインの産地,その地位を着 た.パースに戻って博物館を訪ね,ようやくお目にかかれ 実に築き上げてきたらしい.南緯30~43°までの各地でぶ た. どうが栽培されており,パースの近郊でも盛んである.気 私にとってオーストラリアは初めて旅する国であった. 候は地中海式気候で800~1,500mmの降水量があり,ぶどう そんな異国を旅する時,地質工学を記載・見学する旅であ の栽培に向いている.ヨーロッパでは背丈以下の高さの単 っても,その土地の文化に触れることを大切にしている. 独ツリー,日本では背丈以上の棚で栽培しているが,オー このことは先輩に教えられ, 自らの内に取り込んだもので, ストラリアではその中間型で一列に張った針金に蔓を這わ ピレネーやスコットランド,そしてモンゴルなどを旅した せていた(写真).今回訪れたワイナリーでは,時期的に実 時,自然と建造物や食文化,栽培される草花や穀物に目を を確認できなかったが,新芽の季節でとても美しく感じら 向けたものである.そして,到着初日には地質図の買い出 れた. パース近郊では19世紀からワインが造られているが, しや旅する情報を求めて市中に繰り出し,観光案内所・本 1970年代に入ってから注目を集めるようになったらしい. 屋・博物館などを訪ね, レストランに立ち寄ることを常とし 赤系のカベルネ・ソーヴィニヨンやシラーズ,メルロー, ていた.レストランではその土地の食べ物やアルコール類 白系のシャルドネが良くつくられている.カルベネ・ソー に接した.今回は旅程の都合で,パースには深夜に到着し, ヴィニヨンは最も有名な赤ワイン用の代表品種で,果皮に 翌朝早く出かけてしまったので,現地で情報を仕入れるこ タンニン分が多いため渋味の強い濃厚なワインとなり,辛 ともなく旅を開始してしまった. 口フルボディーの代表格である.今回最も好んで飲んだ品 オーストラリアの食文化はウィスキーよりもワインで, 種である.また,メルロー種とブレンドされることも多い 19世紀の昔から栽培醸造されていたが,そのことを初めて が,タンニン分を押さえやや軽めのワインに仕上がるため 知ったのは数年前,量販店の棚であった.赤ワインを買い 愛好家が多く,今回も幾本か胃袋に収まった.シラーズは 辺の道路では我々が乗ったバスの走った後方は 2km ほど赤 い粉塵が舞っており,見学の後は全身真赤だったのを一番 強く思い出す.それに比べると今回の道路はちゃんと舗装 整備がされており,国道1号線を一日に 900km 以上走って もそれ程疲れたとは感じなかった. 一番変わったと感じたのは女性である.特にその体型の 変化である.近年世界で一番大きな体型の女性はカナダと オーストラリアの女性であるといわれていたが,今回,西 オーストラリアを訪れて確かにその印象を強くした.宿泊 したホテルのレストランで現地の人々が食事をしているの を観察するとさもあらんと思った.ステーキは最低 450g 以上であり付け合わせのフライドポテトの量たるやプレー 訪れたワイナリー トからこぼれおちそうである.これにパンやスープまでを イランの都市にちなむ赤ワイン用の品種で,オーストラリ 全部たいらげて,さらにビールやワインをどんどん飲んで アでは最も重要な品種である.フルボディで香味が強く, いる.これだと日本の女性の体型の 2 倍ぐらいになるのは カベルネ・ソーヴィニヨンに比べてタンニンが新鮮で,私 当然である. の口に良くあった.私は赤ワイン一辺倒,白ワインについ 今回の旅行の 3 日目,カナーボンの町に泊ったときに夕 てはよく分からないので,白ファンの方にはご容赦頂きた 方,古い鉄道博物館を見学していた時に若い体格の良い女 い. 性の一群がやってきて,縄跳び・腕立て伏せ・ランニング・ 水タンクのタワーでの階段昇降をやっていた.そこでその 女性に「何をしているのですか?」と聞いたところ,少し 恥ずかしそうに「ダイエットクラブです. 」という返事が返 ってきた.なるほど,でもあの食事の量ではこの程度の運 動をしたぐらいではまだまだ運動量が足りないのではない かと思ってしまった. 確かにオーストラリアのこの広大な大陸の大部分を占め るこのような田舎では,シドニーやパースなどの大都会の ように様々な外部からの刺激も少なく,食事と飲酒と時々 の野外探策しか楽しみがない環境であり,これは致し方な いのかなと考えさせられてしまった. でも特に印象深かったのはオーストラリアの先住民アブ 一列に配されたぶどうの木 オリジ二の体型の変化である. 3 年前,「ワインと地質」の補訳を行い,フランスにお 32 年前のアブオリジニは都会や町にはあまり見当たら ける地質と品種の関係を学んだが,今回は残念ながらその ず,荒野の中の集落で過ごしており,彫刻やブーメランな ような資料を入手してこなかった.飲むのにコストをかけ どの,お土産物は作っていたが,食料はまだ時々荒野に求 てしまい,本代に当てる余裕が無くなったからである.パ めており,運動量は十分で,皆さん全身が筋肉質でほっそ ースベイズンには扇状地や古砂丘などブドウ栽培に適した りとしており,まるで古い彫刻のようだという印象であっ 地質体が分布しており,栽培される品種と土壌の成分や排 た.しかし今回,ポート・ヘッドランドやダンピアの町で 水性の関係を調べるときっと楽しいことが分かるであろ みかけたアブオリジニの方々はかなりの確率で男女とも上 う.これは次回,パースを訪れる際の楽しみにしておこう. 半身はまるでビアダルみたいであり,昔の面影はその細い (宮崎精介) 脚にわずかに残っているのみであった.この体型の変化を 眺めているとこの 30 年間のオーストラリア政府のアブオ 6.5 西オーストラリア雑感 リジニに対する政策方針が見えてくる.アメリカやカナダ 32 年ぶりに西オーストラリアを訪れた.東オーストラリ でのアメリカインディアンに対する政策方針と同様に民族 アはその後も石炭開発や観光などで時々訪れていたが,パ 同化や高度教育課程も中途半端で必ずしも成功したとは言 ースやトム・プライスの町を訪れるのは 1976 年以来である. えず,ただ食糧を豊富に与えた結果がこのような形で出て 32 年前の印象はとにかく道が悪く,トム・プライス鉱山周 来ているのではないかと思われた次第である. (平田和彦) H18 合同役員会,H19 評議委員会,総会で以下の 2 案に 6.6 我々の旅を支えてくれた人たち 今回の長旅を支えてくれた現地旅行会社のスタッフを紹 ついての概略説明を行い,費用的には,中国が安いが,社 介したい.まず,ドライバーのロブさんである.とても気 会情勢・治安等を考慮し,第1案の西オ-ストラリアで進 さくな人であり,路上で車にはねられたカンガルーや牛を める了解を得る. 発見しては, 「山本のランチ,ディナーがたくさんあるよ. 」 第1案:西オーストラリア(ピルバラ等) と解説してくれた.また,私は水泳が趣味なので,オース 第2案:中国(中国南西コース) トラリアにはイアンソープやグラントハケットなどのすば らしいスイマーがたくさんいるが、水泳教育が行き届いて 2) 研修旅行地の選定ポイント いるのか?と尋ねると, 「なぜ,速いかって?,彼らはいつ ・個人では行けない場所 も鮫に追いかけられてるからさ. 」 とオーストラリアンジョ ・地質学的に興味のある場所 ークで返してくれた.少しメタボなのが気になるが,ファ 西オーストラリア州北部の縞状鉄鉱層,ハメリンプ- ルのストロマトライト等 ーストフードを控えるよう忠告しておいた. 次に,日本語ガイドのユミさんである.彼女は非常に明 ・太古の地球環境を体感する旅 るい女性である.嫌いなものは嫌いと,竹を割ったような 性格で,イエス・ノーがはっきり言える数少ない日本人で ある(いや,既に永住権を獲得しているのでオーストラリ アンか?) .通訳だけでなく,ツアーコンダクターの資格も 持つ彼女は、完全に我々の旅を掌握し,我々の旅をより良 い方向に導いてくれた.最終日,彼女のこの旅における仕 事は終わっていたにもかかわらず,パース空港まで見送り にきてくれた時は,ほんとうに感激してしまった.あなた たちのことは決して忘れない.Thank you so much Rob and Yumi ! (山本茂雄) 3) 研修目的 ・地質巡検,鉱床見学を通じて,技術者としての研鑽を 積む. ・現地の人々,文化交流を通じて,グローバル視点を持 つ技術者となる. ・太古の地球環境に触れることで,地球 46 億年の歴史を 体感する. ・若い技術者の参加を促し,研修旅行を通じて,学会員 の親睦を図る. 4) 旅行日程 時期は 9 月の連休時期を活用し, 日程は10 日間で検討. 5) 参加人数 移動,見学時間の確保,安全性,及び過去の実績等を考 慮して,30 名程度. 以上の計画に沿って準備を行い,数回の幹事会を経て, 最終的には平成 20 年 5 月の評議委員会・総会で承認を得る こととなった.そして,5 月から 9 月にかけて,参加者説 一同の感謝の意を込めて,カ-ドを送る 明会・2 回の勉強会,研修用資料(旅のしおり)を作成し, 9 月 13 日の出発を迎えた. 7. あとがき 当日,福岡空港では横断幕を張り,他の旅行者の注目を 集めながら,結団式・記念撮影を実施した.そして,シン 平成 18 年 4 月の幹事会で 30 周年記念事業の大枠が決定 ガポールを経由し,パースに到着した.入国審査で目つき され,その一つとして海外研修旅行の計画が始まった.担 の悪さからか, 早くも私と宮村氏が捕らえられる. やはり, 当幹事は当初,東谷・王丸・碓井・葉山・宇都・田口・高 ハンマーとサンプル袋に興味を示したようである.2 人で 口で担当することになったが,各幹事の異動・転勤等によ 必死の抵抗を試みるが,場所を変えようと言われる.これ り,最終的には山本を責任者として,撰田・矢田が担当す は明らかに別室行きかと思われたが,人の少ないところで ることになった. じっくり話を聞きたいらしい.お前たちは何者だの,何で 以下,海外研修旅行の概略計画を述べる. 生計を立てているのかなど, 数多くの質問を浴びせられる. 最終的には,岩石・化石等は何があっても持ち出しません 1) 研修旅行地の選定経緯 と約束させられ,かろうじて脱出した.日ごろの業務打合 せ以上の力を必要とした.研修旅行としては最高の(?) スタートを切ることができた. 10 日間は早いものであり,気が付けば最終日である.日 本へ向かうパース空港での待ち時間の際,最後のサプライ そして,パースから北上し,ハメリンプール・カリニジ ズが待っていた.なんと,10 年ぶりに大学時代の留学生と 国立公園を経て,北のカラーサに到る走行距離 2,000km の 再会したのだ.彼はパプアニューギニア出身で現在はパー サイクロンツアーがスタートした.各研修箇所の詳細は他 ス在住とのこと.マレーシア出張のための飛行機待ちであ の参加者に譲るとして,ここでは純粋に感じたことを述べ った.奇跡的な接点である.最初,彼は日本語をすっかり たい. 忘れていたが,徐々に私が教えた「なんでやねん」 ・ 「すげ 今回の研修旅行では太古の地層に触れる機会が多く.地 球 46 億年の歴史のうち,25~30 億年前の現象をこの目で 確認することができた. 約 30 億年前のピルバラクラトンの ぇ~」を思い出し,一気に 2 人の時空的な溝は埋まってい った.あらためて,世界は狭いと感じた瞬間であった. 今回の研修旅行では現地に精通したガイドを確保できず, 花崗岩,カリニジ国立公園では 27 億年前の縞状鉄鉱層を, オーストラリアという広さを認識できていなかったため, ハメリンプールでは現世のストロマトライトを確認した. 駆け足の旅行になってしまった.もう少し,見学ポイント これらから太古の壮大な物語が目に浮かぶ.27 億年前,ス を絞ってもよかったかもしれない.この経験を活かし,今 トロマトライトが大繁栄し,発生した酸素分子が大洋中に 後も学会活動の一翼を担っていきたい.反省点も多くあっ 拡散する.そして,海水中の鉄イオンが酸化され,大規模 たが,この旅行は参加者全員で作り上げた旅行であり,現 な縞状鉄鉱床が生成された.その後,20 億年を経て,人類 地での議論も多く,親睦がはかれたのではないだろうか. がその鉄鉱床を掘り起こしている. 気の遠くなる話である. 最後に,事前勉強会で講演して頂いた辻氏(元支部評議 また,地球の歴史は絶滅の歴史でもある.ハメリンプー 員) ,清川先生(九州大学) ,現地の旅を支えて頂いた日本 ルにおける現世のストロマトライトは元気が無いように感 語ガイドのユミさん,ドライバーの Rob さん,彼らがいな じた.これだけ大気中に酸素があれば,彼らの役割は終わ ければこの研修旅行は成功しなかった.さらに,今回の企 ってしまったのかもしれない.我々人類が地球の歴史に登 画を支援していただいたジオプランニングの立澤氏,そし 場したのはつい最近であるが,この地球に及ぼす影響は非 て,旅行幹事と参加者の皆さん,現地では段取りの悪さか 常に大きい.この地球上で我々人類の役割とは?,私自身 ら迷惑を掛けたが,協力してこの研修旅行を作り上げて頂 の役割とは?,といったことを考えさせられた.日本に帰 いた.これらの方々には深く感謝の意を表します.ありが ってきてからも,その答えはまだ出ていない.もしかする と,一生考えていかないといけないかもしれない. とうございました. (山本茂雄)
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