巻頭言「特別インタビュー」 エンドユーザーを意識し、事実を見つめて 政府

「特別インタビュー」
エンドユーザーを意識し、
事実を見つめて
─政府CIO
遠藤紘一氏に聞く─
政府は2012年8月10日、政府情報化統括責任者
(政府CIO)に、リコージャパン顧問の遠藤紘一
氏を起用し、同時に事務局として内閣官房に政
府CIO室を設置した。政府CIOの設置は、政府の
高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部(IT
戦略本部)で2011年8月に決定された「電子行政
推進に関する基本方針」で推進がうたわれた。
政府CIOは、「基本方針」に掲げられた戦略の企
画・立案・推進、政府全体のIT投資の管理など
の役割を担う。政府は2012年3月、IT戦略本部と
行政改革実行本部の下に「政府情報システム刷
新有識者会議」を置き、制度設計を進めてきたが、
リコージャパン顧問で経団連の電子行政推進委
員会電子行政推進部会長を務めた遠藤氏も同会
議の構成員として活動してきた。
共通方針に掲げられた政府CIOの役割として、
①各行政機関が保有する個人情報を連携させる
ための「情報提供ネットワークシステム」など
の府省横断的なシステムの整備、②マイナンバ
ー制度などでの各府省や地方自治体などの横断
的な業務・システムの改革、③IT投資に関する
政府全体の方針との調整が挙げられている。マ
イナンバー制度に関しては、住民との直接の接
点となる地方自治体との関係も大きな課題とな
る。府省の縦割りの弊害打破を図りながら、地
方自治体の業務改革やシステム対応も不可欠と
なるだろう。目標達成は容易ではないが、その
成果には大きな期待が寄せられている。遠藤氏
に、初代政府CIOとしての抱負と決意のほどを
伺った。
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行政&情報システム 2012年12月号
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エンドユーザー・サービスに
つながる視点を
──まずは抱負をお聞かせください。
遠藤 政府CIOに就任して、官民の大きな差異を
改めて痛感しました。私がこれまで仕事をしてき
た民間企業とは違って、政府の組織となると規模
が大きく、人材も豊富で、その恩恵を受ける人た
ちも比較にならないほど多い。しかも、企業は自
力で生きるしかありませんが、政府組織は周囲か
ら多くの協力をあおぐこともできます。その意味
では、私が民間で実践してきたことの集大成の上
に、新たな取り組みができると期待しています。
ただ、私が電子行政に関わる委員会などに参加
して感じたことは、投資に見合う十分なアウトプ
ットが得られていないということです。行政は多
彩で豊富な連携を図ることができるはずですが、
そのメリットは活かされているか。ものごとがう
まく進まないとしたら、われわれには見えない難
しさがあるのか、あるいは優秀な人材の能力とパ
ワーをまとめる仕組みに問題があるのか。
政府CIOの委嘱を受けたときは、その辺を政
府内部から見てみたいという思いが強くあり、
お引き受けした次第です。
──遠藤さんはこれまで民間企業の立場から、
行政の情報システムについて詳しく検証されて
きました。
遠藤 そうですね。民間では厳しくチェックさ
れる部分でも、行政では改善対象とされている
わけではないと感じることがあります。
2012年5月から6月にかけて政府情報システム
刷新有識者会議の「政府情報システム棚卸し」
いなくなることはなく、国がオルタナティブの
洗礼を受けることはありません。そこに行政の
特殊事情があり、多くの問題点もそこに根ざし
が行われました。これは、全府省を対象に政府
のすべての情報システムを洗い出し、現状・課
題を把握しようというもので、私もこれまでの
経験から業務改革のポイントと思われることを
事前にお願いして調査項目に入れてもらいまし
ています。
しかし、選別されることから免れ、競争原理
が作用しないからといっても、相手がいること
た。その結果を見ると、行政の情報システムで
あまり上手く進んでいない分野が事実としては
っきり棚卸しされていました。
例えば、A省とB省とC省が同じようなシステ
ムを別個に開発・運用しています。それは民間で
いえば、開発部門と生産部門と販売部門が日常業
務に関わる基本システムを別々に開発・運用して
いるようなもので、コスト削減の観点から共通化
が図られてきた部分です。各省庁がばらばらにや
ってきた結果、そうなったのでしょう。しかも似
たようなものでありながら、違うものになってい
る。
それにお金を払ってきたことが不思議でした。
システム自体は遅れているわけではありませ
ん。要するに横串が刺さっていないのです。そ
のことはこれまでも議論されてきたことのよう
ですが、先の棚卸しによって改めて示されたわ
けです。企業であれば潰れるかもしれないよう
なことが、行政ではなされているようです。国
は潰れないと思っているから、このようなこと
ができるのでしょうか。
──これからは、行政の情報システムも民間のや
り方を取り入れていくべきだとお考えですか。
遠藤 私は政府のCIOになりましたが、あくま
には変わりありません。しかも、競争にさらさ
れることのないぶん、責任感はより強く持たな
ければなりません。ましてや、ほかの政府を簡
単に選べない国民や企業をないがしろにしてい
いわけはありません。このように考えると、政
府CIOとして私のなすべきことの第一は、エン
ドユーザー・サービスにつながる視点を行政の
情報システムに吹き込むことだと思っています。
地方自治体は、国と比べると常に住民との接
触があり、住み替えも可能なことから住民の選
別にさらされているため、エンドユーザー・サ
ービスは国より活性化されているといえます。
そこで、地方での住民サービス改革の成果を全
国的に広めると同時に、国のほうにも持ち込む
という手順が可能かもしれないと考えています。
その意味で、私は自治体の情報システムに関心
を持っており、注目もしています。
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事実の前に人は素直になる
──官の側の意識改革が必要ということでしょ
うか。
遠藤
これは意識改革という言葉だけで済むこ
でも在野の人間であるという気持ちで職務に取
り組みたいと考えています。私へのアサインに
は、そのような意図が含まれていると理解して
います。
もちろん官と民とでは自ずからミッションも
違えば、組織のあり方も違います。ただ、仕事
には必ず相手がいます。民間企業であれば、そ
れはお客さまです。お客さまがいなければ企業
は生きていけません。その点、行政は国民がほ
かの国に移住でもしない限りエンドユーザーが
電子行政の現状と将来について語る遠藤氏
行政&情報システム 2012年12月号
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「特別インタビュー」
とではありません。変えなければいけないとい
う気持ちは、行政情報システムに携わる皆さん
一人ひとりの中に強くあると思います。ところ
──事実を基にした情報システムの改革が求め
られるということですね。
遠藤 新しい技術を導入して多額の投資をし、
が、あるパターンが出来上がると、そこから抜
け出すことは難しいし、習慣化したら治すのは
たいへんです。それは民間でも同じです。
ただ民間企業は常に厳しい競争にさらされて
いるので、生き延びる方策として痛みを伴う業
大きなことをすることだけが改革ではありませ
ん。最新技術動向などを聞くと、そちらのほう
に意識が向きがちです。ついでに、ITとは金が
かかるものだと勘違いする人も出てきます。
新技術が健全な問題解決につながるのならい
務改革でも断行しなければなりません。その点、
官はいたずらに競争優位に立つ努力をはらう必
要はありません。それは本来、余裕をもって確
いのですが、新技術を適用できる業務はないかと
探し始めたら、それは本末転倒です。かつてのク
ライアント/サーバーのときも、何でもダウンサ
実にものごとに取り組めるという意味ではメリ
ットですが、不都合がない限り何をしなくても
イジングすればいいということになってしまい
ました。今はクラウドがトレンドですが、
信頼性、
コスト・パフォーマンス、スピード、スケーラビ
済むというデメリットとも背中合わせです。官
の情報システムがデメリットのほうに引かれた
としたら、さまざまなメソドロジーを駆使して
常にBPR(業務変革)を続ける民間企業の情報
システムに10年や20年の水を開けられたとして
も不思議はありません。
──そこはどうブレークスルーすればいいので
しょう。
遠藤 「事実に即すること」です。例えば棚卸し
をして、複数の省庁が同じようなシステムを別々
に使っているという無駄を炙り出し、改善の手
を打っていく。理由を並べてそれを回避しよう
としても、はっきり事実を示されると、見ない
ふりをして放置することは難しい。事実の前に、
人間は素直にならざるをえないからです。逆に
事実が表に出ない間は、自分の都合のいい方向
に持って行こうとするものです。
事実に即すれば、意識改革をしなくても変わ
っていきます。ところが、中にはものごとを変
えたくない人もいて、そのような人は事実を明
らかにしないための理由を一生懸命に考えます。
そして、自分の都合のいいようになってほしい
リティーなどを比較すれば、最新のメインフレー
ムのほうが有利な場合もあるかもしれません。道
具が先に来るのではなく、まずは足元をしっかり
見て、何が必要かを考えなければいけません。
私は企業で業務改革を進めていたとき、社員
一人が1日100円の無駄を省くようにと言ったこ
とがあります。そんなことをして何になると露
骨に顔に出す人もいましたが、全世界で社員が
10万人いるので10万×100で1日に1,000万円。年
間稼働日が200日間とすると、1日100円無駄を省
くだけで年間20億円のセービングになります。
それに対する投資はほぼゼロ。しかもこのよう
に20億円を削減できるアイデアが全社員10万人
の1% =1,000人から出てきたら、20億円×1,000
人=2兆円です。100円が少額だからと言って馬鹿
にしてはいけません。私がいた会社は10万人で
したが、霞が関だけで30万人、ローカルガバメ
ントから、さらにはアウトソーシングしている
人たちまで入れたらすごい人数になります。
どんな小さなことでいいから、まずは実証実
という気持ちで行動します。それが結果として
組織の非効率をもたらします。そうだからこそ、
事実に即することがますます重要になってくる
のです。千里の堤防にアリの一穴を穿ち、事実
験のようなことで、成果を出すためのものの考
え方や感覚を経験することが大切です。そのよ
うな中から有効なプラクティスが生まれ、それ
が一気に周辺に拡がっていくこともあります。
各省庁に適切な評価がなされないまま埋もれて
を見えるようにすることが、まずは私のすべき
ことだろうと思います。
いるケースも大いにあるかもしれません。それ
らを発掘していきたいと思います。
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行政&情報システム 2012年12月号
エンドユーザーを意識し、事実を見つめて ─政府CIO
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ロードマップより事実を先行
──電子政府の将来に向けて、どのような考え
をお持ちですか。
遠藤 これまでいろいろトライをし、すべてが
遠藤紘一氏に聞く─
保障・税番号制度の観点から語られています。そ
れももちろんキーではあるのですが、実はマイナ
ンバーは電子政府を動かす上でのプラットフォ
ームの一つであり、いろいろなシステムがそれに
よって連携されることが重要なのです。個人情報
保護に対して十分な対策を講じ、法律で認められ
必ずしもいい結果に結びついているわけではな
いようです。とは言うものの、棚卸しで重複し
て無駄なものが出てくる一方、いろいろなとこ
ろにいい財産が埋もれていることも見えてきま
た範囲内で運用し、官民あげて活用を進めれば大
きな成果が得られると考えています。
──政府CIOとしてのロードマップは描かれて
いますか。
遠藤 いいえ、描いていません。そもそも私は
した。各省庁が別々にやっていたことを整理し
て共通化し、あるいは切り分けるだけでずいぶ
ん経費が浮きます。それによって、これまで放
置され投資できなかった分野にも、ITの光を当
単なるロードマップというものをあまり重要視
していません。それが事実の裏付けがない限り、
単なる夢であり、ホープにすぎないと考えるか
らです。将来に向けて時間軸を伸ばすことは、
てることができそうです。
そのようなことをするうえでも、これから各
見えない階段を上るようなものです。周囲を納
省のCIO補佐官の役割は重要になります。選ば
れたCIO補佐官の能力をうまく活用するために、
各省庁に職務を固定するのではなく、流動性を
持たせることが望ましいと考えています。どん
なに有能な人でも一人でできる範囲は限られて
います。そこで補佐官同士が柔軟に交流できる
仕組みにしておけば、より少ない人数で、より
広範な分野を互いに補い合いながら、よりよい
システムづくりができます。
これは「足し算」だと私は言っています。掛
け算のほうが数字が大きくなると思っていると
したら、それは間違いです。人間は、1より大き
くなることはできません。パーフェクトな人は
少ないので、一人の能力を0.9だとして、他人の
能 力 と 掛 け 算 す る と0.9×0.9=0.81に な り ま す。
しかし、それが足し算では0.9+0.9=1.8で、こち
らのほうが大きい。管理者がよく犯す間違いは
得させるためだけに絵を描くより、まずは事実
を先行させることによってロードマップを描く
ことが大切です。事実の中から、次の事態が展
開していきます。さまざまな実証実験を行って
拡がりと可能性のあるものを探し出し、それを
よりリアルな仕組みの中に持ち込んで展開して
いくということを、粘り強く、着実にやって行
きたいと思います。
──ありがとうございました。実り多い成果を期
待しています。
遠藤 紘一(えんどう・こういち)
内閣官房政府CIO
日本経済団体連合会電子行政推進委
員会電子行政推進部会長
リコージャパン株式会社顧問
これです。人は1より大きくはならないので、一
人の人が持っている能力を見極め、不足してい
る部分を他の人の能力で補うようマネージする
ことが正解なのです。
──マイナンバー制度にどのように取り組むお
1966年、武蔵工業大学工学部経営
工学科卒業。株式会社リコー入社。
1993年、株式会社リコー情報シス
テム本部長兼システムユニット事業部長。
2008年、株式会社リコー取締役副社長執行役員 CSO。
2010年、リコージャパン株式会社代表取締役会長執行役員。
2012年、リコージャパン株式会社顧問。
2012年6月、政府CIO就任、現在に至る。
他、社団法人日本情報システム・ユーザー協会常任理事、
経済産業省「CIO戦略フォーラム」委員長等を歴任。
考えですか。
遠藤 マイナンバー制度について、今は主に社会
取材・文/佐藤 譲
行政&情報システム 2012年12月号
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