九州学院同窓生の皆 様、 いかがお過ごしで しょ うか?

東九通信
第 12号
脇 の水 道 のた め 先 生 の 目もあ り演技 力 が必 要 とさ
「あの頃 の夏」
会長
S30島 本
誠
九州学院同窓生 の皆
様、 いかがお過 ご しで
し ょ う か ?今 年 の 夏
も異常 な暑 さで体調維
持 が 大 変 だ った の で は
一
饉
ないで しようか。
この通信が皆様 のお
目に触 れる頃には少 し
は過 ごしやす くな って
い ることを願 い なが ら
本稿 を書 い てお ります。
今、高校 野球 で はベ ス ト8が 出揃 い、連 日の好 カー
れ ます。)ま た野球部 の場合 、反 れた打球 を追 って
死 角 とな る生垣 の所 まで走 り、 あ らか じめ 隠 して
お い た瓶入 りの水 を素早 く飲 む とか。 (こ れ は まず
打球 が反れ ることと、それ を追 うのが 自分 であ る
ことが前提 とな ります ので飲 め る確率 は非 常 に低
くな ります。 さらに仕込みが大変 です。)こ の よ う
に滑稽 なほ どの涙 ぐましい策 をそれぞれの運動部
で講 じて い た ものです。 もち ろん監 督 さん方 も承
知 の上で黙認 されてお られたのだ と思います。
この よ うな時代 に革命 の ご と く現 れたのが、運
動 中の水分補給 は必 要不可欠 で あ り競技力 向上 に
も大 きな効果 をもた らす。 とい う理論です。
アメ リ カで発 明 された「ゲ ー タレー ド」 なるス
ポ ー ツ ドリ ンクが国内 に普及 し始めたの もこの 頃
ドで観 る者 に とって は一 番 楽 しめ る時期 で す。 と
です。以 降水分補給 に関 しては、それ まで の概念
ころ が残 念 な こ とに今 夏 は母校 の 出場 もな く、母
が大 き く変 わ り、スポー ツ界 の みな らず 一 般 の人
校 愛 か ら郷 土 愛 に シ フ トして応援 した熊工 もす で
に敗退、野球 の結果 も然 して興味 の ない もの になっ
達 に とって も非常 に大切 な ことと して受 け止 め ら
れるようにな りま した。
て しまい ま した。 とは言 え、今 も昔 も変 わ らず き
び きび とした 高校球児達 の動 きには「 この暑 い 中、
よ く頑張 って い るなあ」と本 当に感心 させ られ ます。
当然 日頃 の 練 習 で 暑 さに慣 れ て い る こ と もあ る と
思いますが、水分の補給や適度な休息など科学的
__,た 亜 寺 わ lFv n入 ねキ 休 調 管 理 だ しュ れ り と な さ れ
てい ることが窺 えます。
思 い起 こせ ば
36、
7年 前、私達がち ょう ど高校
生 の 頃、運動 中 の水分補給 の是非が大 き く転換 し
た 時期 があ りま した。安易 に水 を飲 まない ことが
精神 面 を鍛 える とい う部分 で 幾分 か の効 果 ?が
│あ った にせ よ、 当時 のスポ ー ツ界全般 に言 える こ
ととして運動中の水分補給 は非常 に困難な事 で した。
「水 ば飲 むな l」 と言 われて も「水 ば飲 め !」 と
言 われ ることはなか ったのです6そ の よ うな環境
下 で、なん とか体 を維持 で きた一 因 としては、例
えば柔道部です と水道 で顔 を洗 うふ りを して水 を
冒頭か ら長 い余談 とな り失ネしを致 しました。
さて、今年 の東京九学会総会 は来 る 10月 19日
土曜 日、夕刻 よ り港 区芝 の東京 グラ ン ドホテ ルに
て 開催 され ます。今年 も熊本 よ り懐 か しい先 生 方
は じめ同窓会 や PTAの 有志 の方 々 をお招 きす る
ことに なってお ります。そ して今夕 層捺的 な人気
キ ヤラク ター とな り、近年熊本 に とって これ程 の
貢献 を成 した者があったであろ うか と も言われる、
おな じみの クマ もん も登場す る予定 となってお り
ます。
旧制時代 の大先輩 か ら、新卒者 に至 るまで毎年
ご参加 いただ く同窓生 には 60歳 以上の年齢差があ
ります。 ところが九 学 とい う共通項 のおか げ で話
題 に事欠 くこと もな く、思 い 出が風化す る事 もあ
りませ ん。 いつ も楽 しく開催 させ ていただいてお
ります。
飲 むとか。
の場合 、両手で掬 った水 はほ とん ど日か ら吸
い取 られ、顔 はただ こす るだ け とな ります。道場
(こ
当 日皆様 と元 気 でお会 い で きます事 を心 よ りお
待 ち申し上げてお ります。
東九通信
Miriamsミ リアムズ】
九州学院チアダンス部 【
S49吉 岡
九州 学 院チ ア ダ ンス 部 は現在、高校 生
中学生 13名 計 34名 の部員 がお ります。
佑佳子
21名 、
第 12号
他 の 人 が憧 れ る、手 本 とな る よ うな存在 で な けれ
ば な りませ ん。 この こ とは、入 部 当初 よ り、 生徒
達 に色 々 な場面で何 度 も何 度 も話 して い きます。
Miriamsミ リアムズ】 とは、聖書
チ ーム名 の 【
の 中 で初 め にダ ンス を踊 った女性 の名前 で、モ ー
セの姉 で女性 リー ダー で した。ミリアムの よ うに、
九州学 院 の女子生徒 の リー ダー とな り、 よき手本
となる よ うな女性 に育 って欲 しい とい う思 いでつ
けま した。
全 国大会 で も、や っと成績 を残せ るよ うにな り、
入部 を希望 して九学 を受験 して くる生徒 も増 え、
とて も嬉 しく思 い ます。将来生徒 たちが、笑顔 が
チアダンス大会
ア の つ
=フ つ ∼ 百 7ワ
た 場 所 )が ダ ンス ス タジオ に な り、 中学 高校 合 同
で 毎 日練 習 に励 んでお ります。 チ ア ダ ンス部 は 14
年前 の 甲子 園 出場 の 時 に、当時在 学 中 だ った 妹 が
中心 とな り同好会 として立 ち上 げ、 5年 前、部 に昇
格 しま した。私 は九州 学 院み ど り幼稚 園 に勤 め始
め た ばか りで、 ダ ンス や学 生 時代 にチ アの経験 が
あ った為 、指導 を引 き受 け、現在 に至 ります。
チアダ ンス1と は、チア リー デ イ ングか ら派生
【
したスポー ツで、 リー デ イ ングの中 の ダ ンスの部
分 を独 立 させ た競技 で、組体操 の よ うなアク ロバ
テ ィックなものは含 まれませ ん。約 2分 半 の時間
内で ダ ンスの技術 やチ ーム ワー ク、チ アス ピ リッ
トな どが採点 の対象 にな ります。競技者 の笑顔や
迫力 の あ る演技 に よって見 る方 を元気 づ け、 また
競技者 自身 も元気 になれるスポーツです。
チアス ピリッツ】
チアダ ンスで一番大切なことは、【
素敵 で、他 の人の事 を理解 し、思 い や り、優 しさ
と品格のある女性 になって欲 しい と願 っています。
一
いつも東京九学会、
全国大会 出場で士京 した時 は、
関西 九学会皆様 に応援 して頂 き、本 当 に感謝 して
お ります。練 習場所 を探 して提 供 して頂 い た り、
応援 に来て頂 い た り、差 し入れ を頂 い た り・・・。
九 学卒業 生 の方達 の愛情、沢 山の方 のお 支 えの 中
で こ う して活動で き、感謝 の気持 でいっぱい です。
これか らも感謝 の気持 ち を忘 れず に、全 国優 勝 め
ざし、頑張 ります。GO Miriams l l
これか らもどうぞ よろし くお願 い致 します。
『笑顔 で挨拶』 これはチアダ ンス部 が 一番大事 に
して い る事 で す。 また 『元気 に挨 拶』 は幼稚 園 で
大事 に して い る事 です。 チ アダ ンス は表現型 のス
ポ ー ツなので、表情 は とて も重要 で す。入部 した
ての生徒 は、 まず笑顔 がで ませ ん。大 きな声 で挨
拶 もで きませ ん。で も、先輩 たちの姿 を見 て 3ヶ
月経 つ 頃には、笑顔が でるようにな ります。
です。チ ア リー ダー が持 つべ き精神 的教 えで、 こ
のスピリッツが、普通 の ダ ンス とチ アダ ンスの大
きな違 い とも言 えます。
チアリー ダー とは、観客や選手 を応援 し、励 まし、
元気付 け る役。そ の為 には 自らの努力 を惜 しまな
いのが真 のチ ア リー ダー です。笑顔 。明 る さ 。前
向 きに頑張 る気持 ち 。人 をサポ ー トす る思 い 。協
人 を敬 う心。また、人 を応援す るとい う立場 は、
調性 。
GO Miriams!
九 学 会 の 更 なる絆 を !!
ll
顧 問 連 夕
(Sll)
悠 一
東九通信
第12号
九学最 高 !日 々の生 活 を満 喫
∼豪州の姉妹校から留学生ふたり∼
に私 は体育祭 に出た い と思 い ます。来年 1月 までの
九学での生活 を、楽 しみなが ら頑張 ります。
!
同窓会広報委員長
月`手 川 勲
現在 九州 学 院に はオ ース トラリアのアデ レー ド市
にある、 イ ンマヌエ ル・ カ レッジか ら二 人 の交換留
学 生が 高校 二 年 に在籍 し、 クラスで授業 を受 け、 ま
た ク ラブ活動 に参 加 した りで大 変有 意義 な生活 を
送 ってい ます。 二 人 は生徒 の家 な どにホ ームステイ
をして来年 1月 頃 までの 1年 間留学 の予定 です。
イ ンマヌエル・ カ レッジ と九州 学院、 ルーテル学
院 (旧 九 州女学 院)の 3校 は、 1990年 に正 式 に姉
妹校 とな り、留学 生 の交換 や研修 団 の相互派遣 な ど
を通 して交流 を続 けて い ます。
そのほかに、昨年 9月 か ら今年 6月 まではフラ ンス、
ン ラ ン ドか ら 2名 が留 学 してお り、 1月 か ら
― フ ィ■で
の 半年 間 は 4名 の外 国人留学 生 が在 学 し、
国際色豊か な学 院 のイメージをア ピールす ることが
出来 ました。
今般、「東 九通信」掲 載 のため に交 換留 学 生 へ の
執筆 の依頼 を受 け、 オー ス トラリアのふた りに相談
した ところ、快 く日本語 で書 い て もらい ま した。加
えて、欧州か らの留学生 のお別れ ス ピーチの一 部 も
ご紹介 した い と思 い ます。
○ エイドリアン・ワイネット君
オース トラリア/18歳
私 は今 年 の 1月 か ら九州学 院
で生 活 して い ます。日本 語 の 勉
強 のため に、交換 留学 生 と して
九州学 院に来 ました。
最初 に、私 に は九 州 学 院 の 雰
囲気 に慣 れ るの が た い へ ん で、
日本語 ばか り話す こ とはち よっ
と きつ か っ た で す。け れ ど も、
日本語 を話せ るようにな りたかったので弓道部 に入
りました。そこでは日本語 のほかに、 日本 の心 と精
神 のことを学ぶ ことがで きます。今 も弓道部に入っ
_ニコ鷹負 喜隆髪滋醐爆盤 Q蛙二五込 2て い ます。
九州学院のおか げで、色 々な ことを経験する こと
が で きま した。特 に東 京 の修学旅行 は一 番 印象 に
残 ってい ます。あの時 は、高校 二年生がた くさん一
緒 に行 きましたので、多 くの友達が で きました。留
学 生 として、勉強 ばか りでな く友達 を作 ることも大
事 な事だ と思います。 これか ら楽 しみにしてい るこ
とは体育祭 と文化祭 で、九州学院の強い選手 と一緒
○ アンディー・マ ラル ド君
オース トラリア/18歳
こん にちは。イ ンマ ヌ エ ル・
カ レッジのア ンデ ィー で す。私
は小 学 生の頃か ら日本語 を勉 強
して い ます。オ ース トラリアで
バ レー部 とバ ス ケ ッ トボ ー ル部
のメ ンバ ー で した。今、九州学
院 の バ レー 部 に入 ってい ます。
2年 前、訪 日研修 団 の一員 とし
て 日本 に来て ル ー テ ル学 院 の生徒 さんに家 でホ ーム
ステイ させ て もらい、そ の時 に会 った友達 とまた遊
びに行 きたか った ことと、 日本語が上手 になるため
に、 また 日本 に行 きた い と思 っていたのです。
九学 の生 活 は とって も楽 しいで す。 一番楽 しい こ
とは部活 だ と思 い ます。 オ ー ス トラリアの部活 は週
に 2回 の練習 しかな くて、練習 は 1時 間 です。 だ い
た い週 に一 回試合があ ります。 だか ら、 日本 では毎
日 3時 間 も練習す るの にびっ くりしま した。それな
の に、本 当にバ レー部 に入 って よかった と思 い ます。
なぜ な ら、 一 番仲が いい友達 はバ レー部 のメ ンバ ー
です。もう8ケ 月過 ごしてしまいましたが、残 りの
4ヶ 月もとても楽しみです。
○ジュリエット・クローデ さん
フランス/18歳
私 はこの一 年間熊本 で過 ごせ
て とて も幸せ で した。九州学 院
は私 を救 って くれ ました。みん
なに感謝 をす るだ けです。∼ 中
略 ∼ 私 はまた必 ず 日本 に帰 っ
て きます ので、 これか らもよろ
しくお願 い します。あ りが と う
ござい ました。
○ア ントン・エスカネン君
フィンランド/18歳
最初 t熊 本 に決 まった時 にそ
こは どこ ?と 、とて も不安 で した。
で も、熊本 に きて、ほん と うに
その素晴 らしさがわか りました。
∼ 中略 ∼ 今 は九 州学 院 で過 ご
せた 1年 間に とて も感謝 してい
ます。 またお会 い しましょう
│
東九通信
東 京 久 憎 会 モ ロ ッ コ・ ス ペ イ ン 旅 行
S6谷 山準 二
2013年 東京久憎会 の海外 ツアー も、回を重ねて
今 回で 9回 日とな りました。 当初か ら家族 ぐるみ
の旅行 を と計画 しました ところ、他 の学年 の方 々
にも賛同いただ き。毎回 30余 名 のメンバーでの楽
しい ツアー が続 け られて い ます。 これ まで緒方栄
喜氏 (S8)夫 妻,須 子政春氏 (S8)、 故内空閑裕明
元幹事長 (S20)夫 妻 の方 々 に参加 して頂 いてお り
ます。
フ ラ ンス
第 12号
ツア ーの 初 日、記念 す べ きア フ リカ大 陸 へ の 第 一
歩 で した。(時 差 7時 間)モ ロ ッ コ第 一の 商業都市 は、
ポ ル トガル統 治 時代 の 中世 の歴 史地 区 と近 代 都 市
の市街地 とになる街 で、
ヨー ロ ッパ の 中 の一 都
市 とい った 感 じの す る
都 市 で す。 (世 界 で 三
番 目に大 きいハ ッサ ン
2世 モ ス ク 等 )昼 食
に入 った 洒 落 た レス ト
往年 の名画 カサブランカ
ラ ンで、 古 い 映 画 (カ
サ ブ ラ ンカ)の 日本 語 の ポス ター (登 場 人物 イ ン
グ リ ッ ドバ ー グ マ ン、 ハ ンフ リー ボ ガ ー ド)が 員占
られ、映画 をテ レビで上 映 して い ま した。 (只 、オ ー
ナ ーの趣 味 とか )
3日 日、空路 ジブ ラ ル タル 海 峡 を越 えて ス ペ イ ン
4日 日、午前 中、スパ ー
ク リ ング ワイ ンの フ レ
シネ 社 (本 社 工 場 )を
ポル
地 中海
フレシネ社 訪 問
大西 洋
ソコ
モロ ヽ
6月 4日 ∼11日 の行程
① カサブランカ ②バルセロナ ③グラナダ
④ セビリア
⑤ マ ドリッド ⑥ トレド
今 回 2013年 の ツアー は、 当初 か ら参加 者が ま と
まらず、い ったんは実現 を諦 めか け て い たのですが、
東 京 九 学会 の 中 の 緒 方栄喜 氏 夫 妻、前会 長 の 連 川
悠 一 氏 (Sll)、 故 内空 閑氏 夫 人 と家 族 の 皆 さんの
ご参加 を得 て、20名 十添乗員夫妻 の合計 22名 の ツ
ア ー とな りま した。
6月 4日 1日 日、午前 11時 40分 成 田発 (エ ア
フランス)パ リの ドゴー ル空港 を経 由 して 15時 間
を要 し、 ア フ リカ北端 部 モ ロ ッ コの カサ ブ ラ ンカ
到着。
サグラダファミリア
訪 問 見 学、 (緒 方 昭 義
君 の 仕 事 上 の 関係 で、
フ レシ ネ社 訪 間 は、今
回で 2度 目に な りま し
たが、そ の都 度昼 食 の
接 待 を受 け、旅行 中 ワ
イ ンの全 て を提 供 して
い た だ き、訪 問記 念 の
お土 産 まで い た だ きま
した。感 激 で した。)
午 後、 モ ンセ ラ観 光、
モ ン セ ラ ッ ト修 道 院
(黒 い マ リ ヤ)入 場、
サ ク ラ ダ フ ァ ミ リア
(聖 家族教会 :建 設途 上、
新 しい感覚 の福 音 の物
語 の 彫 刻 が 印 象 的)
等等 見学。
5日 日、空路グラナダヘ
移 動、イザ ベ ル 女 王 が
コロ ンブス を引見 した
ア ル ハ ンブ ラ宮殿 観 光
(庭 園 はバ ラが花満 開)。
アルハ ンブラの想 い出
九州学院 高等学校 昭和 29年 卒業生・同期生 (S69J4)首 都 圏在住者の会
丼澤浩 ―
岡田浩二
亀尾要道
渋谷青彬
に く
岩城之博
緒方昭義
工藤正路
調 匡司
久憎会 (久 闊を憎 む二九年 の会 )は 随 時
岩本秀雄
小 田桐 貞
斉藤穂積
田浦幹彦
衛藤 潤
尾上 賢
佐藤公治
谷山準二
セミナ、見学会 、国 内・海外旅行 などを行 つています。
東九通信
第 12号
夜 、洞窟内 の フラメ ンコデイナ ー シ ョウを満 喫。
6日 日、午前、 バ ス移動 で グラナ ダの ミハ スヘ 市 内
観 光 (ス ペ イ ンの 白 い村 等 )。 午 後、 セ ビ リアヘ 、
セ ビ リア観 光 (カ テ ドラ ル入場、 ヒ ラル ダの塔 )。
床屋が多 いの か と思 ったがそ うで もない。
ピカソのゲルニカは、35m× 7 8rnの 大作
AVEで 首都 マ
ドリッ ドヘ t午 後、昼食後、マ ドリッ ド市 内観光 (国
立 ソ フ ィア王 妃 美 術 セ ン タ ー :ゲ ル ニ カ を観 る、
ス ペ イ ン広場、王宮、グラ ンビ ア等 )マ ドリッ ド泊。
7日 日、午前、 ス ペ イ ンの 高速列車
8日
日、午 前、午 後、
トレ ド観 光、 カ テ ドラ
入 場、サ ン ト トメ教 会
(世 界 三 大名画 の一 つ と
言 わ れ るエ ル グ レ コ の
「オル ガス伯 の埋 葬」 を
観 る)等 。夜 、空 路 パ
リヘ (帰 国 の 途 に 就 き
トレ ドの風 景
ま した)。
パ リの ドゴー ル 空港 で トラブ ル発 生 (空 港 管 制塔
のス トに よ り足 止 め)こ の 日予 定外 の パ リ泊 とな
りま した。 (ド ゴー ル空港 は、 深夜 で メ ンバ ー皆 く
た びれ 果 て、 床 に シ ー ト広 げ ホ テ ル が決 まる まで
ダウ ン して い ま した。)
9日 日、1日 遅れで成 田にむか って出発。
「ふ くしま 311復 興桜」
S6反 後尭雄君 の (株 )ク
リー ンテ ック
東京九学会 の一員 で ある S6反 後尭雄が倉1業 し、
会長 を務める株式会社 クリー ンテ ックは、1985年 、
医療機 関向け に医療機器 ・各種 資器材 の リー ス及
びメ ンテナ ンス会社 として発足 し、各病 院 よ り医
療産業廃棄物処理・ 運搬 に 関す る問題 提示 を受 け
たことを機 に、各種産業廃棄物処理 の業界 に進出 し、
今や、 これが主力事業 となっています。平成 13年 、
飯 坂 ク リ ー ンサ イ
ト (産 業 廃 棄 物 最
終 処 分 所 及 び排 水
処 理 施 設 )を 平 成
13年 福 島県 飯 坂 地
区 に オ ー プ ン し現
在 操 業 中 で す。そ
の 福 島県 は、 23年
飯坂 クリーンサイ ト
3月 11日 発生 の地震・津波 による原子力発電所事
故 に遭遇 し大変 な被害 を受 けま した。 当 ク リー
ンテ ックは、
平成 22年 か ら第 2期 処分場建設 を行 っ
てお り、 この 度、そ の竣 工 予定 区画地 内 に、春 に
は一斉 に咲 き誇る桜 を植樹 しました。
(お かげで、旅の疲れが幾分和 らいだようでした)
6月 13日 成田空港帰着。
― で職 、 そ の都 度何 か し ら ト
一 覇螺 鍼 薙 謙 醐 専 写―
ラブル に遭遇 します。 (何 でだろ う ?l)
帰 国 しま してか ら、数 日後、写真交換会 (反 省
会 を兼 ねて)を 行 い ま した。 この ツア ー は、 もう
これで最後 だ と、お互 い に話 し合 っていたのですが、
会が始 まる と同時 に、来 年 は どこにす るんだ、 と
誰か らともな く声 がかか ってい ま した。懲 りな い
面 々ではあ ります。
ふくしま311復 興桜植樹祭にて
二 人 で も多 くの方 々 が ご に なうて 、少 しで も
覧
元気 や勇気 を、 また安 らぎを取 り戻 して い ただ き、
今後 この 場所 が皆 々様 の 心 の拠 り所 とな ります よ
うに切 にお祈 りす る次第です。
併せて、最 も大切な水 を管理す る処理施設を設置
しようとしています。
S6谷 山準二 記
東京久憎会 は 来年春 熊本 で 結成 60周 年記念大会開催 を計画 しています。
反後尭雄
鍋島 任
宮田康滋
小堀通治
種子島経
藤森 滋
村田秀夫
星子敏治
九学同窓生の参カロを歓迎 します。 contact
堤 達也
牧野克彦
安岡和男
渡辺芳孝
to谷 山 090-4923¨ 0344
堤 誠一
宮尾睦朗
横田従治
(広 告
順不同
)
尾■ 090… 1995… 5504
東九通信
第12号
「働 く」 を考 える =「 生 きる」
S57 柴田大輔
私が社会 人 とな り数年 を経 た今、一番興 味 の あ
る事 は「 どう働 く」「 どう生 きる」な どの答 えが無
数 に点在す る事 につい て様 々 な文献 を読み、様 々
な人 と出会 い話 をし、考 える ことです。
この様 な「働 く」「生 きる」 といった話 は、多 く
の方が色 々な切 り口で世 の 中に発信 されて い ます。
しか し、 この類 の話 は個 々人 の価値観 に帰依す る
部分が大 き く、その人が 育 った環境 (地 理 的・文
化 的風土)、 見 て きた もの、経験 した こと、 い ま在
る現状 な ど、極 めて個人的 なバ ックグラウ ン ドに
裏付 け られた、 自分 自身 を形成 して い る価 値観 に
よって無意識 に判断 されます。つ ま り、
「私
無意識 に
ルあかか l士 撞 ら^み ス′
か遺 らのガ 1´ 、 人孝ねぞ́ れ
でいい じゃな い ?」 となるこ とが多 いの です。そ
れ もそ のはず、 この「 ど う生 きるべ きか」 とい う
考 え方に、万国共通の正解 は無 いか らです。
しか し、私は、答 えは何か と問 う前 に、この「 ど
生
う きるのか」 とい う事 に対 して、 自分 の心 の声
に正 直 に、真 正面か らぶ つ か って い ない人があ ま
りに多 い気が してい ます。
この “
生 きる"と い う事 は、何 もしな くて も時
を刻 む ごとに進 んでい きます。意識 を しない と何
とな く過 ぎて いっ て しまい ます。 目を背 け ること
だ ってで きます。 しか し、その様 に惰性 的 に生 き
て い て、 日々 の生 活 の なか に、不満 を抱 えて い る
人が多す ぎる と私 は思 い ます。それ は、私 たちが
自分 で真正面 か ら “
私が思 う私 が生 きる こと"に
ぶ つ か り、考 え、悩 み、選 び、 自分 で決 断 して い
ないか らです。
私 たちは皆平等 に、1日 に 24時 間を与 えられて
い ます。そ してその大 部分 を、仕事 とい う名 の活
動 を しなが ら過 ご して い ます。現実 的に、「働 く」
と「生 きる」 ことを切 り離 して考 える ことはで き
ませ ん。つ ま り、「 ど う働 くか」「何 の仕事 を して
過 ごす のか」 とい うことが、 “自分 自身の生 きる こ
と"と 直結 して い るので す。 だった ら、何 を して
1日 24時 間を、どんな
「働 く」や「仕事」に自分 の “
命
の時間"を 費やす のか とい う事 を考 え られず には
い られません。私 たちの仕事が、
「志事」か「労働」
なのか とい うことです。
立命 館 アジア太平洋 大学 にて、 7カ 国学生 と
私 は、 日本 はその「何 を して」 とい う選択肢 が
非常 に豊か な国だ と思 ってい ます。 これは、縁 が
立命館 アジア太平 洋大学"
あ り学 びを経 た母校 の “
で世 界 の様 々 な情勢 を知 り、 また 自分 自身 アジア
の 国 々 を この 日で見 て きた中で、 日本 とい う国 の
素晴 らしさを改めて再確認 し分かった ことです。
しか し、なぜ か そん な選択肢 の多 い 国 な の に、
とて も多 くの人が、「働 く」 ことや「生 きる」 こと
にな る と、 自分 で 自分 の 選択肢 を狭 め て しま う。
高校又 は大学 を卒業 し、就職 活動 を経 て、 と りあ
えず入社 し 3年 は … といって働 く。「何 か違 う」 と
思 い なが ら働 く方 も多 い で しょう。私 は、だ った
らす ぐに辞 めてで も、 120%自 分が追 い求 める働 き
方、仕事、生 き方 を突 き詰めるべ きだ と思います。
いつ 明 日が来 な くな るなんて誰 に も分 か らないの
です か ら。
もちろん中には、「私 はい ま全力で 自分 のや りた
いこ とを出来てい る │」 「全力で未来に繋が る今 を
生 きてい る !」 とい う方 もい らっしゃると思 い ます。
その よ うな方 は、 日の輝 きや、纏 うオ ー ラの様 な
物 が違 う気 が します。そ して、何 よ り自分 で選 び
決断 した道故 に、自分の生 き方に自信 と責任 を持 っ
てい る。
最近 は、 フ リー ラ ンス や ノマ ドに代表 され る よ
うに、 自分 で 自身 の働 き方 をデザ イ ン して生 きて
い る方 も、都市部 を中心 にどん どん増加 してい ます。
自分 の生 き方や働 き方 は、 自分 で選ぶ ことがで き
るし、 “自分で創 ることがで きる"時 代 に来 ている
と私 は確信 して い ます。その一 つ に、「起業」 とい
う道 もあ ります。
多摩八十八 ヶ所第一 番札所
真言宗豊山 派
安養 寺
住職
東京 九学会 会 長
啜 く
幹事長
島 本 誡 永 (S30)
〒180-0002
東京都武蔵野 市 吉祥 寺束Wr
東京九学会
l-1-21
L
高ダ
ヽ 重刀
(S32)
東九通信
第 12号
私 は、 これ だ け イ ンター ネ ッ トが発 達 し様 々 な
情 報 を集 め、 発信 で きる現 代、人 の 移動 も極 め て
容易 に な り、私 た ち はそ の気 に なれ ば どこへ で も
行 くこ とが 出来 る し、誰 とで も繋 が る時代、「起 業
は市 民権 を得 た」 と考 えて い ます。起 業 と言 う と
ど うして も難 しく考 えが ちですが、何 も会社 を創
る ことが起 業 で はあ りませ ん。 自分 たちの 知識 ・
技術 ・能力 ・人脈 な どを活 か してお金 を生 む こと
が出来 た時、それ は起 業 にな り得 ます。や り方 は
無数にあるのです。私は、この時代だか らこそ、
「自
べ
こと
分 か ら始 め る」
を大切 にす きだ と考 えて い
ます。 自分で「何 を実現 したい か」「そのためにど
「 どんな仕事 をして どう働 きたいか」
う生 きるのか」
とい う こ とを、誰か に与 え られ る もので な く、 自
分 たちで創 ってい け るよ うになれた らと常 に思 っ
て い ます。 もち ろん、簡単 な事 で はあ りませ ん。
そ の為 に、私 は “
志 を共 にす る仲 間"を 見 つ け る
ことが何 よ り大切だ と考 えてい ます。仲間を見 つ け、
共 に手 を取 り合 い、そ うして どん どん感性 が 同 じ
ベ ク トル を持 つ 友 と繋 が り、輪 が広 が ってい く。
こ うして、一 つ の大 きな “うね り"を 生 む事 がで
きると考 えてい ます。
私 たちは、 “
働 くこ と"や “どう生 きるのか"と
い うことを、選べ る時代 です。固定概念 に捕 われず、
周 囲の 人たちの常識や社会 の 当た り前 に捕 われ ず
に、 自分 で もっ と日本以外 の広 い世界 も見 て、 自
分 の軸で選び、決断すべ きだ と思 い ます。
最後 に、私が今 も心に留めてい る、詩があ ります。
「茨木の り子 自分 の感受性 くらい」
ぜ ひ目を通 してみて ください。
アメ リ カ留 学 を しま した。留 学 当初 は 文化 の 違 い
に戸 惑 い を隠せ ず、人 との交流 を避 け て い ました。
そ ん なあ る 日、 同 じ寮 に い る アメ リカ人 が私 にバ
レー ボ ー ル を しよ う と誘 って くれ ま した。中学校
時代 はバ レー部 に所属 して い たので、勇気 を振 り
絞 って参加 しました。
最初 は緊張 して い たのですが、得点 を入 れ るこ
とでハ イ タッチ な どのスキ ンシ ップが取 れ るよ う
にな り、最後 の方 では 自ら声 を掛 け るな どの行動
が 自然 と出来 るようになってい ました。
その 日か ら、私 はスポ ー ツを通 してた くさんの
友人 を増 や し自分の 部屋 にい る時間 はほ とん どあ
りませ んで した。アメ リカで の 長期休 暇 の 時 は、
友人 の実家 にホ ー ムス テイを しました。その時 に
海外 の文化 を肌 で感 じた こ とで、 日本 と全 く違 う
こ とに気が つ とま した9Z左 JЙ ズ はク リス マス_
は家族 で過 ご し、親 が プ レゼ ン トをあ げ るだ けで
な く子供 も親 にプ レゼ ン トを渡 して い ま した。家
族み んながみん なにプレゼ ン トをす るのです。私 は、
文化 の違 い に衝撃 を受 け ま した。 この ような衝 撃
を感 じなが ら、 そ れ を吸収 して半 年 間楽 しく過 ご
しました。おか げで体重 は 10キ ロ も増 えてい まし
たが、それ よ りもす ば らしい経験が出来 ました。
この アメ リカ留 学 で 日本 しか知 らな い こ とは、
自分 の常識 を狭 めて い る と思 う よ うにな り、それ
か らは、長期 休 みにベ トナ ムや台湾 な どを旅 しま
した。学 生 なので費用が 安 い とこに しか行 け ませ
んが、常 に新 しい発見 を感 じる ことが出来 てい ます。
今度 はマ レー シアとタイに行 く予定 です。
今 の私が い るのは、九州学院に入学 したか らだ と
思 い ます。 ス ポ ー ツの素晴 しさや挑戦 す る気持 ち
世界 を見 て学 ぶ
S62 前田彩圭
私 の趣 味 は 海外 旅 行 で す。 九 州 学 院 中学校 の 修
¬
/Jlヽ
:J
`
1み
ヽ
十 平 ドヨ
V‐
:J C `
レ
′‐
o
ヽ
ヽ一
ヽ 、
例
調 LVノ
中学 生 との 交流 会 で 言葉 は話 せ な くて も一 緒 に歌
「
を歌 うことや、 ス ポ ー ッをす ることで仲 良 くなる
ことが出来 ま した。 この経験 か ら高校卒業後 の進
路 は国際関係 を学 ぶことに しました。
高校時代 のボ クシ ング部 で養 った、何事 も恐れず、
挑戦す る精神 を生か して大 学在学 中に約半年 間 の
取 締役 会長
齊
潮悪
在 E―
一
良Б
(s12)
土木・建築・ リフォーム・店舗 ・設計施工・建物総合保守管理
冷 暖房・ 冷蔵 庫 ・厨 房 設備 ・設 計 施工・ メ ンテナ ンス
〒2330016横 浜 市 港 南 区下永 谷 5丁 目71番 12号
舌 045-823-8644(代 ) FA× 045-826-2197
電言
E一 Mall:taiseibirudo@if― n ne.ip
携 帯電 話 090-3223-0330
゛
代表取締役会長
株式会社クグーンテック
6
]
反<
S
郡
all Tが '饉軍
『
ベ トナムの 子供 連 と
後
雄
東京久憎会 )
本
社
〒960‐ 0261
福島県福島市飯坂町中の字赤落27番
東京事務所
〒063‐ 0712
TEL(03)6304-5010 FAX(03)5323-5750
TEL(024)541-281l FAX(024)541-2510
東京都新宿区西新宿2丁 目7番 1号 小田急第一生命ビル12階
URL:http://www clean nejp
東九通信
が あ るの も九州学 院 で 学 んで 得 た こ とだ と思 い ま
す。そ ん な私 も大 学 四年 生 とな り、 これ か ら社 会
人 にな る まで に旅 行 を通 じて 自身 の 見 識 を広 め、
九州学 院 でお世 話 になった方 々 に恩 返 しが 出来 る
社会人 にな りた い と思 い ます。
東京九学会 の若手 の会・ KG会
S39永 谷 隆吏 *
第12号
ただ き有 難 う ご ざ い ま した。更 に新 編 成 の 幹事 の
方 々 とは、 幾 度 とな く時 間 を設 け、そ して新 た な
試み として FaceBook、 LINEを 活用 して の告知 や、
集客 の 手 ごた え を感 じま した。そ の 分伝 達 t確 認
漏 れが あ る な ど反省 点 はあ ります が、先 ず は、熊
本 よ り上 京 した新 卒 業 生 の 方 々 に寂 しい、不 安 な
思 い は させ な い、そ の ご両 親 を安心 させ る会 で あ
るこ と。 そ して、東 京 九 学会 に繋 が る こ とに よ り、
就職活動 や、 各業種 の情報 が共有 で きる KG会 で
あ りた い と思 ってお ります。
次 回 の 10月 19日 開催 の東京 九学会 に向け て更
な る活 動 は続 け て い ます。是 非 とも、 東 京 九 学 若
手 の会 ・KG会 の存在 を少 しで も多 くの方 々 にお伝
え くだ されば幸 い です。
*KG会 代表
日高邦廣先輩 を偲 んで
7月 6日 晴天 に恵 まれた猛暑 の中、7年 目を迎 え
る KG会 を行 い ました。
今 回はイベ ン ト企画 として、初 の東京湾 クルー
ズ を 2班 に分かれ、 日の出桟橋 か ら乗船 し、浅草
までの隅田川 クル ーズ を楽 しみ ま した。初乗船 の
方 も多 く、 ドリ ンク片手 に、東京 ス カイツ リー が
徐 々 に身近 になるにつ れ、皆 の顔が ほころんで い
たのが 印象 的で した。それか ら約 1時 間の浅草 の
自由探 索 時 間 を設 け、18時 か らは、宮 田哲 治氏
(S43回 )司 会 によ り、本来 の趣 旨である新卒業生歓
迎会 を浅草雷門す ぐ横 のお店 で、約 60名 の参加者
で開催 しました。東京九学会 の島本誠会長 のご挨拶、
吉村勉先輩 の乾杯 な どに よ り身 の引 き締 まった会
とな り、そ れ以外 の参加、若 し くは協賛 金 を頂 い
た東京九学会 の諸先輩方 には、 この書面 にて御礼
申 し上 げます。参加 の 中に は、熊本 で バ ス ケ ッ ト
チ ーム を率 い てお られる、岡山恭崇先輩や現役大
学 生、既 に就職 を して い る若手 が 各面 々 と意気投
合 し、時 を忘れていたようです。
今 回 も小 手川先 生 には、熊本 にお ける多大 なる
ご協力 い ただ き、各部活、卒業生 に問 い か け て い
今 で も、寂 しさが こみ上 げ て来 ます。豪
快 で、優 しさが 一杯 だった 日高先輩、今年
の 3月 初 出場 した母校 九学 ラグ ビー部 の全
国大会初 戦 での激 励 は、 味方 もす くむ、会
場 一 のヤ ジ将軍 で した。本来 な ら、 外 に出
れ る体 で はない重病 に もかかわ らず、会長
としての責務 と、 母校悲願 の選抜 大会初 出
場 は、待 ちに待 たれた舞台 で した。激励 が
届 い たか、初 出場 なが ら 2勝 1敗 の好成績
をお さめ て くれ ま した。そ れか ら、lヶ 月
を過 ぎた夏 を思 わせ る暑 い 日に、太 陽 の様
に明 るか った 日高先輩 は旅 たちにな られ ま
した。先輩色 々有難 う御座 い ました。そ して、
天 国 よ り後輩 たちを花 園 にお導 き願 い ます。
幹事長
S32高 森
重視
神奈川支部 か らお知 らせ
11月 9日 (土 )横 浜 ガー デ ンにて神奈川会 を開 きます。
お礼 :暑 い中、皆様 ご執筆 ご協力有難 う御座 いました。
S6尾 _上 、S30高 木、S32本 郷、S54
Berzins、
S56徳 満
Q曇 鰤
株式会社 オ ヒカ
九學東京着手の会 KG会
F:il::穐 ][:I::;::暫
ほ永谷隆史G39● 茄坂本651)
鳳晨臭象
爺幌慇亀
iゎ
岡本
鋼製醜ド
〒 1680062東 京都杉 並 区方 南 1
明 (S34)
8 17 Te 03 5300 0722 Fax03 5300 0723 httpツ/WWW oka p coip